0.プロローグ
『ごめん、今日はちょっと用事があるんだ』
授業が終わったところで一緒に帰ろうと私の嫁こと御園 千早(みその ちはや)に声を掛けたものの断られてしまった有坂 唯(ありさか ゆい)こと私は、『あらあら、嫁に逃げられたの? よしよし、私たちがなぐさめてあ・げ・る』という友達からの誘いに乗っていつものようにカラオケへと繰り出した。
あ、先に断っておくけど、嫁といっても別に親同士が決めた許嫁とかそういうのじゃなくって、ただ単に私があいつのことをからかいたいときとかに使っているだけ。ただしその呼び方、当事者である千早はあまりお気に召していないみたい。ま、無理もないか。だってあいつ男なんだから。
でもって私と千早の関係はというとお隣さん同士という、まあ一般的にいう“幼なじみ”っていうやつ。そして……そう、生まれてから今日までずっとただの幼なじみという関係のままなんだよね、はぁ……。
やっぱり私には女性としての魅力がないのかな。……うん、確かにないわよね、こんなんじゃと自らの胸に持ってきた右手の感触がそう現実を突きつけてくる。まだよ、まだまだよ。諦めたら負けなんだから。きっとチャンスはある。必ずある……よね? お願い、神さまあると言って下さい。
ああもう、こんなに悩むぐらいならいっそのことあいつに……と幾度となく思ったことやら。でもその度に踏み止ませるのは、もしもダメだった場合、今の心地のいい関係がガラガラと音を立て崩れてしまう恐怖からだった。
そんな堂々巡りをしながら家路を歩いていると鞄の中にしまっておいたケータイから着信音が鳴り響く。電話をかけてきたのはお母さんだった。
「もしもし、お母さん、どうか……」
どうかしたの? そう尋ねようとしていた私の言葉を遮るように切羽詰まった声がスピーカーから聞こえてくる。
『唯ちゃん唯ちゃん、大変なの大変なの!』
「ちょっとお母さん、落ち着いて」
『だってちーちゃんがちーちゃんがっ!』
「千早が? 千早がどうかしたの? ……え、ウソ……。じょ、冗談……だよね?」
お母さんから告げられたのは千早が事故に巻き込まれ、大怪我をして病院に運ばれたとのことだった。
「運ばれたのは市内病院だよね。うん、うん、わかった。すぐ行く」
千早が搬送された病院を確認、お母さんもすぐに駆けつけるから、それまで千早ちゃんのことお願いねという言葉を最後に電話を切ったところで、踵を返し今来た道を駆け戻る。駅前で客待ちしていたタクシーに飛び乗り、息を切らせながら運転手さんに目的地を告げる。
千早のご両親はお仕事の関係で海外へ長期赴任中のため一人暮らし。万が一、彼に何かあったときにはうちに連絡が入るようになっていたんだけれど、まさかこんな……。
お母さんの勤めている会社から病院まではどんなに急いでも1時間ちょっとは掛かる。
お母さんが来るまでは私が保護者代理なんだからしっかりしなさい、拳をぎゅっと握りしめ、今にも不安で押しつぶされそうになっている自分にそう言い聞かせる。
そうこうしているうちに病院へと到着。料金を支払い、すぐさま病院内へ駆け込む。入ってすぐにある総合受付で千早の病室を確認。担ぎ込まれているのがICUとかではなく一般病室であったことにホッと一安心したものの、すぐさま千早が入院しているフロアへと移動する。
この時点である異変に気づくべきだったのかもしれない。お母さんが千早のことをいつものように“ちぃくん”ではなく“ちーちゃん”と呼んでいたこと、そしてフロアですれ違った患者さんがすべて女性だったことに……。
1.男 のち 女?
受付で聞いた病室の番号と目の前に表示されている番号とその隣に書いてある名前を確認。気持ちを落ち着かせるため一度大きく深呼吸してからノックをし、扉を開け病室の中へと一歩、足を踏み入れる。
……え?
目の前の光景に思わず目をぱちくりさせる。中にいたのは千早ではなく一人の女の人だった。窓際に立ち、外の景色を眺めていた彼女は腰まで届きそうな長い髪をなびかせこちらへと振り向く。年齢は私と同じぐらいかな。それよりも彼女の顔に思わず目を見張る。何故かというとなんとなくどころかかなり千早に似ていたからだった。
「うん? おぬし誰じゃ?」
「ご、ごめんなさい! 部屋、間違えました!」
そうよね、千早のわけないわよね、私ったらなに勘違いしているんだろう。慌てて病室から退散。すぐさま後ろ手で扉を閉める。
でも、おかしいな? ちゃんと病室を確認したはずなんだけど……。と首を傾げていると『唯、待って! 行かないで!』と私のことを呼び止める声が聞こえてくる。
この声、千早……だよね? にしてはいつもより声色が高いような気がするんだけど……って、そんなこと気にしている場合じゃなかった。とりあえず本当に千早なのか確認しないと。
「ねえ、千早なの? 本当に千早なの?」
「うんボクだよ、千早だよ。唯、ごめん。合図するまでちょっとそこで待っててもらえるかな?」
ちょっとやらなくちゃいけないことがという千早。……もう、お母さんから大怪我したって聞いたときは心配で心配でいても立ってもいられなかったんだからね。でも、元気そうな声が聞けてちょっとだけほっとできたかも。そう思った直後のことだった。
「も、もうティナってば!」
「なんじゃ? もしかしてあやつ、おぬしの知り合いだったのか?」
「そうだよ。ほらさっき話してた」
「ああ、おぬしのこれか」
「わわわっ! 小指なんか立てないでよぉ。まだ唯とはそういう関係には……」
病室の中からなにやら言い争う声が。あれ? 確か中には一人しかいなかったはずよね? なのにどうしてそんな声が聞こえてくるのかしら? まさかさっきの女の人とイチャイチャ……。そそ、そんなのダメ! ダメったらダメ! 何よ、千早ったら私以外の女性と……って、あいつにそんな度胸も甲斐性あるわけないか。で、でも気になる。
「千早、まだぁ?」
「あ、あと10秒、ううん15秒待って」
髪が上手くまとまらなくってという言い訳が。あんたね、まとめるほど髪ないでしょうが。それから間もなくして、
「お、お待たせ」
「それじゃあ入るわよ」
ドアの取っ手に手を掛け、横方向に力を加える。カラカラと音を立て3分の1ぐらい、外から中の様子をのぞき込める程度開けたところで、ひょいと病室の中の様子を伺う。
窓際にはさっきいた髪の長い女性の姿はなく、その代わり上半身を起こしベッドに佇む千早の姿が目に映ってきた。誰よ、千早が大怪我したってデマを流したのは。見た感じ、何処も怪我なんかしてなさそうじゃない。ただ、何故か頭にはまるで風呂上がりかのようにグルグルとタオルを巻いていた。しかも結構乱雑に。
「ごめんね唯、待たせちゃって」
「別にいいけど。ねえ千早、さっきそこに女の人が立っていたわよね?」
窓際を指さしながら確認してみる。
「そそ、そうだっけ? き、きっと唯の気のせいじゃないかなぁ、あはは……」
そこそこ、あからさまに誤魔化そうとしているじゃないわよ。とはいえここは一人部屋みたいだし、仮に大部屋だったとしても男女が一緒の部屋なんてありえないしね。やっぱり千早の言うとおり私の気のせいなのかな?
それにしても……と千早に目を向ける。やっぱり違和感あるのよねぇ、その声に。元々そう低い声ではなかったからあれなんだけど、なんとなく、なんとなくなんだけどいつもよりも女性っぽい声に聞こえるのよねぇ。そんなことを考えながらベッドの側に置いてあったパイプ椅子へと腰掛ける。
「お母さんから事故に巻き込まれたって聞いたんだけど……」
「うん、そうらしいね」
とはいってもこれっぽっちも覚えてないけどねとまるで他人事のように話す千早。
「それと大怪我したって、そう聞いていたんだけど……」
「そうなの? でも、この通りほら」
そういって両腕をまっすぐ伸ばし、手をにぱにぱと開いたり閉じたりしてみせる。確かに千早の言うとおり事故に巻き込まれた割には目立った外傷なんて一切見当たらなかった。
「これといった怪我もないし、すぐにでも退院できるんじゃないかな」
最終的には先生の判断待ちだけどね、そう笑顔で答える千早。
「確かにどこも怪我してなさそうよね」
「でしょでしょ」
ならばと声以外にさっきから気になっていたことについて尋ねることにする。
「その頭に巻いているタオルは一体何なのかしら?」
「いいっ!? なな、何でもない、何でもないよ」
えとえと……そうそう、さっきお風呂に入ったばかりで……とあからさまに嘘をつく千早。その証拠にそんなことを言いながらも千早の両手はというと頭に巻いてあるタオルをこれでもかってぐらいしっかりと押さえていた。
……間違いない、クロよね。これでもかってぐらい真っ黒よね。こんなの裁判員制度にかけるまでもないわ、有罪確定よ。
まったく何年の付き合いだと思っているのよ。あんたのウソなんてね、この桜吹雪がぜーんぶお見通しだぁ、覚悟しやがれぇ、なんだから。あ、もちろんそんな刺青なんかないけどね。
恐らくホントのところは頭に怪我をしているのに、私やお母さん、ひいては千早のご両親に心配かけまいとしてウソをついている違いない。
というわけで保護者代理(の代理)として実力行使に出ます。
「……千早、その手をどかしなさい」
「ダ、ダメ! これだけはまだダメ!」
「いいからその手どかしなさいってばっ!」
「ダメだってば! ボボ、ボクだってまだ心の準備が……って、あっ!」
タオルの中から出てきたのは髪の毛。今日、最後に目撃したときとは比べものにならないぐらいかけ離れた腰まで届く長くてきれいな髪だった。
はあ? 一体どういうこと? たった数時間でここまで伸びたっていうの? どんな育毛剤よ……って、そんなのあるわけないじゃない。あったら絶賛欠品中よ。
となると……そうよね、間違いなく地毛ではないってことよね。まったくもう、ひとがどれだけ心配したと思ってるのよ。こんなイタズラ、いくらなんでも程ってものがあるわよ。
「千早、冗談も大概にしなさいっ!」
千早の髪を軽く引っ張りながら叱咤する。
「いたいいたい! 髪、引っ張らないでぇ」
え? これって一体どういうこと? 予想とは違った手から伝わってくる感触に思わず戸惑ってしまう。クイクイといくら引っ張ってみたところで、一向に外れる気配のない千早のウイッグ。そして引っ張るたび涙目の千早。
ということは……地毛なの、これ? はあ!? そんなバカな!? 一体どこをどうすればこんな短時間でここまで伸びるのよ。そんなのありえないっ!
しかも……。千早の方に目を向ける。
「な、何かな? ボクの顔、変?」
顔をほんのり赤らめ恥ずかしそうにしている千早をじっと見つめること十秒弱。はあぁぁーーっ、と大きく溜息をついてから率直な考えをそのまま口にする。
「まったくもう。ただでさえ元から女顔なのに、加えてこの髪、どこからどう見ても女性にしか見えないじゃないのよ」
「え、えっとその……」
まあどうしてこうなったのか理由はわからないけど、最悪、切っちゃえばいいわけだしね。あ、もちろん千早の同意を取ってからの話だけどね。
ともあれ、せっかくだしいろんな髪型させて遊んでみようかしら。そうそう、いっそのこと服だって女物のを着せて……と悪戯心が芽生え始めた矢先、『あ、あのね』と怖々といった感じで千早が口を開く。
「唯、あのね、ボク、唯に言わなくっちゃいけないことがあるんだけれど……」
「いいわよ、言ってみそ」
その代わりあとでたっぷり遊ばせてもらうけどね。
「じ、実は、実はね、そのボク……女になっちゃったんだ」
「ふーん、そうなんだ。千早、女になったんだ」
「あ、あれ? 驚かないの?」
そこそこ、なに意外そうな顔してるのよ。そんな些細なことでいちいち驚いていられるわけないでしょうが。
「別に。女になっただけなんでしょ……って、はあ!? 女になった!?」
千早が投下した爆弾発言の前に隣のナースステーションから看護師さんたちがどどっと駆けつけてしまうぐらい驚きの声を上げてしまう私なのでした。
2.あんた誰?
なな、なんでもないです、なんでも。ちょっと黒くて平べったいものが……と苦し紛れのウソ(口にしてから気づいたんだけど、この寒い時期にヤツらがいるわけないじゃないよね)をついたところ、何故か場の空気が一瞬のうちに固まり、そのまま捜索チームが編成、すぐさま捜索開始と相成り、あっという間に看護師さんたちの姿はここからいなくなってしまった。え、えっと……もしかして、ここでは一年中いるってこと? ま、まあ、いいか。結果オーライということで。(ホントはあまりよくないけど)
ともあれ二人きりになったところで千早に声を掛ける。
「な、何バカなこと言ってるのよ、あんたは!」
「で、でも……」
デモもヘチマもヒョウタンもない! あのね千早、そんなねテレビとか漫画の世界じゃあるまいし、現実の世界でそんなこと起きるわけないでしょうがっ! そりゃあ確かに見た目でいったら今の千早、女に見間違えられる確率は……そうね、7、8割は余裕でいけるわね、うんうん。でもね、そこから先となるとそういうわけにはいかないわ。だって体型(厳密に言うなら骨格ね)は男女の間で決定的な違いがあってそれを誤魔化すことなんてできないんだから。(と昔読んだ本に書いてあった)
だから、そんな見え透いたウソに騙されるほど私は甘くないんだからね。ほーら、その証拠にと千早に向かって(正確に言うと千早の胸元めがけて)手を伸ばす。
「きゃっ!」
手のひらから伝わってくる柔らかくてそれでいて張りのある弾力。それと同時に顔を真っ赤にした千早の口から聞こえてくるかわいらしい悲鳴。
おおっ! ネエちゃん、ネエちゃん、ええ乳しておるじゃないか……って、何オヤジ化なんかしてのよ、私は! そうじゃないでしょ、そうじゃなくって! ウソ!? 何これ!? 何なの、この柔らかくてそれでいて張りのある感触はっ!
「しかも86のD!? なんで私より大きいのよ」
「唯、すごい。さっきティナが言ってたのとピンポイントであってる……じゃなくって! そんなことボクに言われてもぉ」
ちょっと唯ったら、寄せないで、持ち上げないで、揉まないでぇ、と涙ながらに訴えてくる千早。やめてと言われたところで、やめられないとまらないのがかっぱえび……コホン、失礼しました。人間心理だと某スナック菓子も言っているわけで。
よいではないかよいではないかと、まるで時代劇に登場するような悪代官のように上げたり寄せたりして千早の胸で遊んでいると異変が。それまで嫌がっていた千早の体がプルプルッと小刻みに体を震わせたあと、次に目元がすーっと細まっていったかなと思った次の瞬間、パシッと私の手を払いのけてくる。
「なんじゃ? なんなんじゃこのセクハラ娘は?」
そのときの千早の視線……ううん、表情に見覚えがある。そう最初に病室に入ったとき、窓際から私のことをまるで見知らぬ人を見るようなあの目線だった。
「はわわっ! セクハラ娘なんかじゃないって!」
「有坂 唯じゃろ、それぐらいわかっておる。俗に言うぬしの幼なじみというやつで、それでもって、ぬしの想い……」
「わーわーわー」
何? 何なの一体……。
千早が話すたびコロコロと口調と表情が入れ替わっていく奇妙な感覚に戸惑う。これってまるで人格が入れ替わって、それで交互に相手に向かって話をしているような感じがする。
一方は間違いなく千早本人で、そしてもう一方は……。
「……あ、あんた誰?」
「ふむふむ、どうやらわらわの存在(こと)に気づいたようじゃな。そう、わらわの名はティナじゃ」
胸を張ってそう宣言するティナ。挨拶がてらせっかくだからわらわの口から事情を説明してやろうかのうというとっても上から目線なお言葉に一瞬切れそうになったものの、一瞬見せた千早の『あとで埋め合わせはするから、唯、お願い。ここは押さえて』と切々と訴えかけてくる視線に怒りをグッと堪えることに。
で、そのティナ様からのありがたい話を箇条書きでまとめると次のようになる。
・ティナ自身、魔法使いである。
・お母さんが電話で言ってたとおり千早の傷は命に関わるほど
まではいかないものの、かなりひどかった。
・千早が常日頃から持ち歩いていた本(確かおじいさんから
もらったって言ってた)に眠っていた。
・ティナが千早に憑依することで外傷を含め、その他諸々すべて
なかったことにしてしまった。
・ただしその副作用として千早の体にティナの占める割合が強く
なってしまい、結果、ティナの本来の性別である女性になって
しまった。
・期間は千早の傷が癒えるまで。そうしたらティナは再び本へと
戻る。
ちょっと奥様、今の話、聞きまして? このご時世に魔法使いですって。あのね、そんなメルヘンじみたこと信じられわけあるかぁーーーっ! って、ちゃぶ台をひっくり返しながらそう言いたいのは山々なんだけどね。こうして事実を見せつけられちゃうと信じたくなくても信じるしかないわけで。
あ、でもティナがホントに魔法使いなのかどうなのかはまだ保留。だって『だったら何でもいいから魔法を使ってみせなさいよ』と言ったらあいつ何て言ったと思う? 『そのうち気が向いたらな』だって。あのね、そんなんで信じられるわけないでしょうが。
とりあえずそこまでは百歩譲るとして、それじゃあ治療のためとはいえ性別が替わった事実を周囲にどう説明するつもりなの? そんなことしてごらんなさい、すぐさまマスコミかもしくはどこぞの得体の知れない研究所のいい餌食よねとティナに尋ねてみたところ、それなら心配いらぬと言わんばかりの自信に満ちあふれた表情でこう言ってのけた。
「なにせ、おぬし以外の人間には昔から女であったことにしてあるからのう」
なんでも私を除いたすべての人々から、千早は生まれたときからずっと女だったということにしてあるとのことだった。
確かにベッドについている氏名とか書いてあるプレートを見ると性別がちゃんと女性になっているし、そういえばお母さんが千早の事故に巻き込まれたという連絡をくれたときも千早のことを“くん”付けではなく、“ちゃん”付けで呼んでいたっけ。ちょとだけ、ほんのちょっとだけだよ、ティナのことを魔法使いだって信じてもいいかなって思ってきちゃったかも。あ、そうそう、その前に一つ疑問が。
「ねえ、だったらどうして私だけ外したの?」
「一人ぐらい事情がわかっておるヤツが側におらんとこやつも大変じゃろ」
仮におぬしがこやつの立場に置かれたとして考えてみい。着替えは? トイレは? 靴の履き方は? 歩き方に階段の上り下り、どれ一つとっても男と女では違うぞよ。短期間とはいえ女として生活していく上で最低限の基礎知識ぐらいは知っておかないと大変じゃろ? だったら常日頃から身近にいるおぬしがその都度指摘する役割を担うのが一番ベストじゃないかと思ったのだがのうと理由を教えてくれた。なるほど、言われてみればそうかも。
でも、だったらティナが教えればいいじゃないの? 一番身近にいるんだし。そう尋ねたところ『めんどい。おぬし、こやつの婿だろ? だったらおぬしがやれ』だって。はいはい、やればいいんでしょ、やれば。このめんどくさがり屋め。
「あ、着替えで思い出した。ねえ唯、お願いがあるんだけど……」
千早からのお願い事に耳を傾ける。……ふむふむ、確かに必要よね。
「わかった、私が責任を持って用意してあげる」
「あ、あのー、そこまで気合い入れなくていいから、ね」
ていうかお願いです、ごくごく普通のにして下さいと涙ながらに訴えてくる千早。
「何言ってるの? いつだって私は冷静よ」
「ウソだぁ、その目、絶対何か企んでいるよぉ」
失礼ね、いつ私がそんなことをしたっていうの。少なくとも今週はやってないわよ。……先週はやったけど、2回ほど。
さてと一体どんなのにしようかしら? 千早ったら童顔だからやはり王道としてはそれをより引き立たせるようなフェミニンな感じに持っていこうかしら。でもって髪をツインテールにすればより引き立たせられるわよね、うんうん。それとも逆にモノトーンでまとめてシックな感じにして大人っぽさをアピールさせるか。うーん、どっちも捨てがたいわよねぇ。
「だから普通のでいいってばぁ」
そんな千早の切なる願いを完膚無きまでにスルーし、どんなのにしようか頭の中で思い描くのでした。
3.やっぱりこういう感じの服が似合うわよね
翌日、私は千早から頼まれたものを手に病院へとやってきた。受付を済ませ、病室の前に到着したところで、コンコンと軽くドアを叩く。
「千早、入るわよ」
「……ど、どうぞ」
中からは昨日とは打って変わって覇気のない千早の声が聞こえてくる。まさか急に具合が悪くなったとか? あのエセ魔法使いめーと慌てて病室の中へと入る。
「ちょっと千早、どうかした……あー、そういうことかぁ」
「……そういうことです」
ベッドの上で疲れ果てていた千早の姿を見て、思わず納得してしまう。お母さん、来てたんだね……。
「ご、ごめんね。お母さん、かわいいものに目がなくって」
「だ、大丈夫、ちょっと驚いただけだから。でも、まさかこんなことになるなんて……」
ボク的にはそんなにかわいいとは思わないんだけどなぁー、と大きな溜息をつく千早。そこそこ、少しは自覚しなさい。今のあなた、どこからどーみてもカワイイ女の子よ。それにしてもお母さん、すっごくかわいく仕上げたわよねぇー。両脇で結った髪にそれぞれ軽く縦ロールのカールをかけてふんわりさせているところなんかお人形さんぽくっていい感じよねぇー。
「うんうん、メイド服とかロリータっぽいヤツとかとっても似合いそうよね」
「……お願い、もう勘弁して」
バリエーション違いのものをこれだけ着せられましたからと大きく広げた手を私に見せてくる。……にゃるほど、5着ですか。お母さんのことだから、写真撮ってあるはず。あとでじっくり見せてもらおっと♪
「そうそう、忘れるところだった。はいこれ、頼まれていたヤツ」
「唯、ありがとう」
これで心置きなく退院できるよ、そう言いながら紙袋を受け取る千早。
「いえいえ、私のかわいい嫁のためですから♪」
「もう、そうやってすぐからかう」
いつのも口癖を口にしたところ、ほっぺたをぷくっと膨らませ、もう茶化さないでよぉと不満の声を上げる千早。
『そういえば』とポンと手を叩き、何かを思い出したかのような仕草をしてから、
「女になった今なら本当に唯のお嫁さんになれるよね」
な、何よ、千早ったらかわいいこと言ってくれちゃって。一瞬ドキッとしちゃったじゃないの。でも私はそんなこと表には決して出さず、その代わりにニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「そんなこと言ってるとウエディングドレス持ってくるわよ」
「はわわっ! ウソウソ、冗談です。あ、そうだ。せっかくだから唯が選んでくれた服、見てみよっと」
そう言って紙袋を開け始める千早。まったく、話題を逸らそうという魂胆が見え見えよ。
数秒後、中を覗き込んでいた千早がピキッと体を硬直させる。それからギギギッと油が切れたロボットのように頭だけをゆっくり動かし、こちらへ視線を向ける。
「……唯、もしかしてボクに恨みでもある?」
「別に? 私はただ千早に似合いそうなのをチョイスしただけだけど?」
「頼んだのは服で、これは下着だよぉ」
しかも何これ? 黒のレースだなんて、こんな大人っぽいの選ぶなんて、いくらなんでもあんまりだ……って、ぎゃぁぁーーーっ!? 何これ何これ!? スケスケだよ、向こうがバッチリ見えるよとパニクる千早。うんうん、私、グッジョブ♪
「だって必要でしょ?」
「そ、それはそうだけど……」
よりにもよってこんなのセクシー路線に走らなくても……。がっくりと肩を落とす千早。
別に私の未使用のヤツを持ってきてもよかったんだけどね。そうしなかったのには理由がある。それはなにかというと……。信じらんない、なんで私よりもスタイルがいいのよっ!! 出るとこ出てるし、引っ込むところ引っ込んでいるし。ショーツはともかくとして、ブラなんてとてもじゃないけど話にならなかったわ。
仮に、仮にだよ。そんな持ってきてご覧なさいよ。あの口の悪そうなティナのこと、きっとこう言うはず。
『うむ、ブラのホックがまるっきし留まらん。しかも下は下でいくら伸びるとはいえきつきつじゃのう』
きぃぃーーーっ! むかちゅくぅぅーーーっ!
あのエセ魔法使い、なーにが『仮にこやつが女だとしてシミュレートするとこんな感じ(体型)になっていたはずじゃ』よ。ふっざけんじゃないわよ! 女にはね、甘いものには目がないっていう魔物が住んでいるんだから!
でも、あいつったら結構意志固いから『ううん、今日は止めとく』とか言いそうだし……。あ、なんか無性にむかついてきた。
この恨み、どうやってはらしてやろうか……とブツブツ言いながら千早から頼まれていた服を買いに私のお気に入りのセレクトショップに向かって歩いていたところ、ふと足を止める。そこはパステル調の色彩をしたかわいらしいランジェリーショップだった。
そこの店先にあったマネキンが身につけていた下着をじっと見つめる。
「あ、これなんか千早に似合いそう」
ふんわりとした淡いピンク色の柔らかそうな生地に縁取りにあしらわれたレースがよりかわいらしさを引き立てていた。
ふらふらと引き寄せられるように店内へ。
店員さんに他のカラーバリエーションも見せてもらい、あーでもない、こーでもないと悩むこと一時間。お陰様でいい買い物ができました。そうそう今、千早が手にしているのはネタというかせっかくだからドッキリさせようと別途買っておいたヤツです、はい。
「ほら、こっちが本命。下着の他にちゃんと服も入っているわよ」
「……唯のイジワル」
もう知らない! とほっぺたをぷくっと膨らませる。その仕草といったら、もうホントかわいいんだから。
「でも、私としてはそっちも捨てがたいのよね」
千早自身のかわいらしさと下着の持つセクシーさ、そのふたつが織りなすアンバランスさがたまらないわよねと半分冗談で言ってみたところ、
「そ、そうなの? うーん、ちょ、ちょっと恥ずかしいけど……。うん、せっかく唯が選んでくれたんだから頑張って着てみるよ」
「さすが私の嫁、そうこなくっちゃ」
「今すぐじゃないよ。そのうち、そのうちだからねっ!」
「はいはい、期待して待ってるわよ」
話が一区切りしたところで、千早が『ところでさ』と話を切り替えてくる。
「ねえ唯、明日学校が終わったあと、何か予定入ってる?」
「あ、明日は第4土曜日だっけ」
今回のドタバタですっかり忘れてた。うちの学園って今時第2と第4土曜日だけ授業があるのよね。
「別に今のところ何も入ってないけど」
「だったらお昼一緒に食べようよ」
お陰様で明日の朝一には退院できることになったから。今回唯には色々と迷惑掛けちゃったからそのお詫びも兼ねてご飯でもどうかなと尋ねてくる。
「いいわよそんなの。困ったときはお互い様なんだから」
別に迷惑だなんて思ってないし。……そ、そりゃあ心配は死ぬほどしたけど。(もちろんそんなこと間違っても千早の前で口にはしないけど)
「それでも。それに唯には普段から色々と助けてもらっているし、そのお礼も兼ねて。ね、いいでしょ、たまには」
「そ、そこまで言うなら、べ、別にいいけど」
顔をわざと逸らしそう返事する私。そうでもしないと顔が赤くなっているのがバレちゃうから。それにしても千早ったら今日に限って強引なんだから。女になった途端、男らしくなるなんて反則よ。
「あそこが確か11時からだったから……。それじゃあ1時に駅前で待ち合わせでどうかな?」
「1時半。こっちも着替える時間ぐらい頂戴」
別に制服のままでいいのに……と残念そうな雰囲気の千早。こらこら、あんたは制服フェチかいなと思わず突っ込む。
「べ、別にそんなことないよ?」
「だったら語尾を疑問符にしないの。それじゃあ駅前に1時半ということで」
「了解です」
こうして明日、千早と二人っきりで食事に行くことに決まりました。このとき千早があんなことを考えていたなんて、私は気づく余地もなかったのでした。
4.待ち合わせとナンパの関係
翌日、学校から帰宅するなり私服へと着替える。今回のコンセプトはボーイッシュな女の子。それから手早くお化粧を済ませ、待ち合わせ場所である駅前と向かう。
歩くこと15分、まもなく待ち合わせ場所に到着というところで遙か向こうに千早の姿を発見。プラス千早になにやら話しかけている二人組の男性の姿も発見。
男の人たちが口を開くたび、困った表情を浮かべながら受け答えをする千早。うーん、これってやっぱりナンパよね? ナンパだよね? うんうん、私の采配(服選び)に抜かりはなかったわね、我ながらいい仕事をしたわよねと自分で自分を褒めて……いる場合なんかじゃないわよね。
それじゃあさっさと嫁を助けに行きましょうかねと再び歩き出したところで、千早が私のことに気づき表情をぱあっと明るくする。
「あ、唯だ。ごめんなさい、待ち合わせの人、来ましたから」
「彼女がそうなの? へー、けっこうかわいいじゃん。じゃさあ彼女も誘って一緒に遊びに……」
えっと解説上、その二人組をナンパ男Aとナンパ男Bとでもしましょうか。ナンパ男Aが千早を引き留めようと手を伸ばし、千早の肩に触れた瞬間、千早の目つきがガラリと変わる。そう、あのエセ魔法使いの瞳へと。
「……まったく、さっきから止めろと言っておるのに。忠告を聞かぬおぬしたちが悪いぞよ」
「え? って、うわっ!」
あきれ果てた口調で千早がポツリとそう呟いたかと思った次の瞬間、ナンパ男Aの体がふわりと空を舞い、そのまま重力に従いドタンと音を立て背中から地面へと落下する。
うごぉ……と悲鳴を上げるナンパ男A。
「……まったく、男のくせにちゃらちゃらしおって。あまりしつこいと嫌われるぞよ」
男たるもの引き際が肝心じゃぞと苦言を呈するティナ。
「て、てめえ、よくも俺のダチを!」
ティナに向かって駆け出し、その勢いでそのまま右ストレートを繰り出すナンパ男B。対するティナはというと表情を一切変えることなく、半歩左へ体をずらしそれを回避。二人の体がすれ違う間際、ティナは右足をすっと出し、相手の足首を引っかけバランスを崩す。うわわっと言いながらバランスを立て直そうとしていたナンパ男Bの背中にティナの鋭い横蹴りが炸裂、そのまま勢いよく近くにあった電柱へと激突するのでした。
「ぐ、ぐげぇ……」
「抱擁したかったのであろう? どうじゃ? 満足かえ?」
腕を組み、自信に満ちあふれた表情で仁王立ちをするティナ。
「ま、こんなもんじゃろ……じゃないよ!」
「何を怒っておる。ちょっとばかしお灸を据えてやっただけじゃないか」
「だ・か・ら! 目立つような真似はしないって約束したばかりだよね」
公衆の面前で口論を始める千早とティナ。ただでさえ一騒動起こしたばかりだというのに一つの器でそんなことやられた日には、それはもう周囲から浮きまくっているわけで。
あー、なんだかもう頭、痛くなってきた。いっそのこと他人のフリしてこのまま帰っちゃおうかしら? ……なんてわけにもいかないわよね。はいはい、嫁の不始末は夫が責任取るのが義務よね。
「あんたたちの方が目立ち過ぎ! いいからとっとと逃げるわよ」
千早の手を取り、その場から逃げるように駆け出す。時間にして2、3分ってところかしら? 走ったところで歩みを止める。多少、呼吸が落ち着いたところで千早へと声を掛ける。
「はあはあはあ……。まさか初っぱなからランニングとは思わなかったわ」
「ご、ごめんね、変なことに巻き込んじゃって」
ぺこりと頭を下げる千早。
「なぜぬしが謝るのじゃ。悪いのはあやつらの方じゃ」
「あんたも魔法使いなんでしょう? だったら魔法でちょちょいとできなかったの?」
「ふん、あんな三下相手に魔法などもったいない。それにそなたも見ておったじゃろ? 別に魔法など使わなくてもあやつらごとき十分じゃ」
確かにそうかもしれないけどね。でも、魔法が使えるならわざわざ体を動かさなくってもいいじゃないと思うのは私だけなのかな?
「あ、どうしよう。すぐご飯でいい? それともどこかでお茶してから……」
まったくもう、なってない、うちの嫁ったらなってないわよねと不満の声を上げる。
「ダメよ、ダメダメ。そこはやっぱり『ご飯にする? お風呂にする? それとも、わ・た・し?』が基本でしょうが」
「それは新妻さんの台詞だよぉ」
5.告白、そして……
きっと千早のこと『今日は千早のおごりでしょ。だったらお茶代は私が出すね』と言ったところで『今日誘ったのはボクなんだから』とやんわりとした口調で拒否するに決まっているわよね。しかも最近は大学受験を控えアルバイトもしていなかっから懐具合を考慮して喫茶店なんかに立ち寄らずこのまま食事に行くことを提案する。どのみちお店で飲み物を注文することだしね。少しでも節約節約っと。
それじゃあ近くのホテルでランチでもと歩き出そうとした千早に『ちょっと待ちなさい』と首根っこを捕まえ、そのままいつものようにヘッドロックを仕掛ける。
「痛い痛い! それに胸、当たってる」
「今更何気にしてるのよ。別に今は女同士なんだからいいじゃない。それよりもあんたは人の配慮を無駄にする気?」
いつものファミレスでいいわよと言ったところ、『でもでも』と珍しく反論してくる千早。
「ほら、唯には色々と迷惑掛けたし、それにたまにはそういうところで食べてみようよぉ」
「却下。もったいない」
「そんなこと言わないでさ。たまにはいいでしょ、ね、ね」
そんないつまで経っても平行線のやりとりがしばらく続く中、終止符を打ったのはティナだった。
『いつまでそんな不毛なやりとりを続けるつもりじゃ。こちとら朝から何も食べてなくて今にも腹ぺこで死にそうじゃ。いいからさっさと決めてくれんかのう』と不満の声を漏らすティナ。次の瞬間、千早のお腹からぐーぐーという虫の声が。すぐさま『えっとその……、あ、朝から退院の手続きとか色々あって……』そう言いながら顔を真っ赤にする千早。
このまま意地を張っていても仕方ない。それじゃあ折衷案ということで前々から気になっていたイタリアンレストランへ行くことに。
席へと案内され、店員さんからメニューを受け取る。えっと今日のおすすめはっと……あ、このランチコース限定のスペシャルデザート、ちょっと気になるかも。でもメインがお肉料理なのよねー。私は別にそれでも構わないんだけどね。どうしようかなっと考えあぐねていたところ、
「ねえ唯、このランチコースでいいかな? メインの肉料理がすっごく気になっちゃって。すいません、このランチコースを2つお願いします」
「かしこまりました」
私に有無を言わさずランチのコースを注文する千早。まったくもう相変わらず抜け目ないんだから。千早、まさか私が気がつかないとでも思っているの? あんたが肉料理よりも魚料理の方が好きなことぐらい百も承知なんだからね。なのにスイーツ好きな私にあわせるために無理しちゃってもう。
「あ、これもおいしいね」
「うん、確かに」
運ばれてきた料理に舌つつみする私たち。そして最後に運ばれてきたデザートを口にしながら、
「どれもこれもおいしかったね。こんなことならもっと早く来ればよかった」
「そうね」
単品だったら値段もそう高くないからパスタとピザを一つずつ頼んで半分こにすればいいもんね。なによりも、こうして千早の笑顔が見られるのが一番の収穫かもしれない。
「あ、そうそう忘れないうちに。ねえ唯、ちょっとの間でいいから目をつぶってもらえないかな?」
「目を? 別にいいけど」
千早に言われたとおり目を閉じたところで、ボクがいいって言うまでは絶対開けちゃダメだからねと声を掛けてくる。はいはい、わかってますって。
ギギギッと椅子がフローリングの床を引きずる音が聞こえてくる。それからまもなくして足音と共に誰かが私のすぐ後ろまでやってくる気配が。まさかこの展開、この店の店長さんが5人分の領収書を片手に私の肩をポンポンと叩く……なんてことはありません、あしからず。そう思ったそこのあなた、テレビの見過ぎです。
胸元に何か小さなものが触れる感触。そして首筋に沿って千早の手がゆっくりと動いていき、髪の下を通ってそのまま真後ろで交差する。カチッという金属音が聞こえてところで、『もう開けていいよ』と千早が耳元で囁く。
ゆっくりと目を開け胸元に目を向ける。そこにはペンダントトップ代わりにかわいらしいデザインのピンキーリングが通してあった。
「唯、お誕生日おめでとう」
「あっ……」
そっか、今日は私の誕生日だったっけ。今回のゴタゴタですっかり忘れていたわ。
「千早、ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
でも千早、どうせならこういうものをプレゼントしてくれるんだったら、こんな手の込んだ方法じゃなくって別の渡し方があるんじゃない?
「本当はね、それ、昨日渡すつもりで用意していたんだ」
「昨日? なんで?」
誕生日プレゼントだったら今日であってるんじゃないの? そう問いかけたところ千早は首を左右に振りながら、
「本当はね、それ、指輪として渡すつもりだったんだ。それで唯に好きですって告白するつもりだったんだ」
突然の千早からの告白に頭の中が真っ白になる。そうだったんだ……。千早も私のことを……。私の片思いじゃなかったんだ……。嬉しい、嬉しいよ。こんな幸せな気持ち、生まれて初めてだよ。
「わ、私も千早のことが……」
そこまで言いかけたところで、千早の悲しそうな表情が目に映り、思わずその先を言い淀んでしまう。
「もちろん唯がOKしてくれたらってのが前提なんだけどね。そしてね、今日は恋人同士として初めて誕生日を一緒に過ごせたらいいなって思っていたんだ」
なんで? なんでそんなこと言いながら悲痛な顔をしているの?
「でも、それはもう叶いそうもないから、せめて気持ちだけは伝えようって」
ちょっと待って。なに一方的に話をしているのよ。私にも一言、言わせなさいよ。
「ごめんね、勝手なことばかり言っちゃって。……好きでした。唯のことが。ずっと前から。ずっと、他の誰よりも、一番唯のことを愛しています」
なによ、なんなのよその台詞は! しかも妙に引っかかるような言い回しして! それじゃあまるで私の前からいなくなっちゃうみたいじゃないのよ。
「だからボクの分まで幸せになって……ね」
そう言い残しバタリと床へと倒れ込む千早。
「千早、ねえ千早ったら、返事してっ!」
すぐさま千早を抱き起こし、必死に呼びかけたものの千早の意識が戻ることはなかった。
6.ラストチャンス
救急車で病院へと舞い戻った千早。先生の診断によると一時的な疲労によるものだろうということだった。
今朝まで使っていた病室のベッドで横たわる千早。
『ボクの分まで幸せになって……ね』
その言葉を最後にずっと眠ったままの千早。
「本来ならあと数日は持ちこたえられたんじゃがの。こやつがどうしてもと言ってな」
そう私に話しかけてきたのはティナだった。ただし今回は千早の体を借りてではなく、手のひらサイズのデフォルメされた人形みたいな姿(本人曰く思念体とのこと。なので私以外には見えていないとのことだった)でベッドの上から話しかけてきていた。
それからティナの口から語られた真実。本当はお母さんが言っていたとおり千早の怪我は命に関わるぐらいとてもひどいものだったということ。そしてティナの力を持ってしても助かる確率はかなり低く、ティナにできることはすべて尽くしてはみたものの、やはり千早の命を繋ぎ止めることはできなかったということ。
最後の最後まで私に想いを伝えようかどうか迷っていたらしく、悩みに悩んだ末、最期ぐらい正直に自分の気持ちを伝えることにしたとのことだった。本当は絶対安静、動くなんてもってのほかだったそうなんだけど、私との最期の思い出を作るために無理をして、ただでさえ残り少ない命を費やしてしまったとのことだった。
ティナによると千早の今現在の状態はかなり悪いらしく、いつこの世から姿を消してもおかしくない状態に陥っているとのことだった。
「おぬしにはすまないことをしたと思っている。ただ、あいつの気持ちも察してくれんかのう」
そう言って深々と頭を下げているティナ。嫌よ、そんなの嫌、絶対に嫌。千早がいない世界なんて考えられないよ。
「……ねえティナ、他に千早を助ける方法はないの?」
私にできることなら何だってやる、だから教えてとティナに懇願する。
「ま、おぬしならそう言うじゃろうと思ってはいたがのう。確かにおぬしが協力してくれるならまだ手が無くもないがのう」
「あるの!? 教えて、私どうすればいいの」
すぐさまティナに詰め寄る私。
「こらこら慌てるでない。確かにおぬしが手伝ってくれるのならまだ一つだけ手がある。ただし、それをしたところで千早が助かる可能性はほぼないに等しいといっても過言ではないぞよ。しかもどちらに転がったとしても、おぬしはおぬしの大切なものを失うこととなる。それでもいいのか……ふっ、どうやら愚問じゃったのう」
私のことを見るなり納得した表情をするティナ。
「当然でしょ。千早のためだったらなんだってやるわ」
大切なもの? 千早が助かるんだったらそんなものいくらでもくれてあげるわ。腕でも足でも好きなだけ持って行きなさい。
「わかった。わしもおぬしたちの絆を信じるとするかのう。で、その方法というのじゃがな……」
私はティナの言葉を一字一句聞き漏らさないよう全力で耳を傾けるのでした。
7.エピローグ
「……あれ? 唯にそっくりな天使さんだ」
「なに寝ぼけてるのよ、あんたは。しっかりしなさいって」
寝ぼけ眼の千早に向かって軽く小突いてみせる。
「うわぁ、すっごいリアルだなぁー。まるで本物みたい……」
まだ寝ぼけてるんかい、うちの嫁は。このままでは埒があかないな、そう結論づけた私は別の方法で千早の目を覚ますことにする。
やっぱり眠っている嫁(お姫様)を起こすなら、王道はこれよねと千早にチュッとキスをする。
「……ふえ? え? え? ええーーーっ!?」
「ようやく起きたか、うちの嫁は」
唇に手を触れながらあたあたと慌てふためく千早。そんな千早に思念体としてベッドに立っていたティナが声を掛ける。
「どうじゃ奇跡の生還を果たした気分は?」
「……ボク、本当に生きてるの?」
「うむ、こやつのお陰でな」
ただし、完治するまで……そうじゃな2、3年は女性の姿で過ごしてもらうことにはなるがのうと付け加えるティナ。
「そうなんだ……、生きてるんだ……」
そう言いながら何度も手をぎゅっぱぎゅっぱと握ったり開いたりする千早。
「唯、ありがとうね」
私の手をぎゅっと握りしめながら感謝の気持ちを伝えてくる千早。
「わ、私の嫁だもん、助けるのは当然でしょうが」
「くすっ。そうだよね、ボク、唯のお嫁さんだもんね。あ……唯、じっとしてて」
そう言うなり何故か枕元に置いてあったタオルを手に取る千早。そしてタオルを私の額にそっと押し当ててくる。
「ごめんね、よくわからないけどこんなに汗かいちゃって大変だったみたいだね。髪もちょっと乱れているみたいだし……」
「だだ、大丈夫! あれぐらいどうってことないから!」
伸ばした手をブンブンと振りながら、そんなたいしたことじゃなかったからと主張する私。
「そう? ならいいんだけど……」
いまいち納得いかないといった表情の千早。
だ、だって面と向かってあんなこと言えるわけないじゃない。千早を助けるためとはいえあんなことしたなんて……。
千早を助けるためティナが提示した条件、それは千早との性行為だった。ティナ曰く、
『命を育む行為をすることによって失われつつあるこやつとこの世界とのつながりを元通りにする』
とのことだった。それを聞いた途端、思わず顔を真っ赤にしてしまう。せ、性行為ってもちろんあれのことよね? 男女が裸になって、そ、その……あ、あれをあそこに入れて、か、体を一つにするあれのことよね?
ベッドで眠っている千早のことをじっと見つめる。べ、別に千早にだったら、その……わ、私の初めてを捧げても……ううん、ウソ。そんなのウソ。だってホントのことを言うとずっと前から初めての相手は千早じゃなきゃ嫌だって思っていたから。だからたとえ千早の記憶に残らなくてもいい。だって私は絶対、絶対に忘れないから。千早と初めて結ばれる瞬間のことを。
でも逆に千早の意識がなくってよかったかもしれない。だってあんな恥ずかしい姿を千早になんか絶対見せられなかったから。
ティナが力をギリギリまで押さえることで元の男の姿に戻った千早。でも意識はこれっぽっちもないから、キスしたまではよかったんだけど、その先の行為を成し遂げるるために必要なその……千早のあれを大きくさせるためにはどうすればいいんだろう。
手始めに千早の手を取って私の胸を揉んでみせたりとか、自分の胸を両手で押さえながら千早の口元に運んで私のその……む、胸の先端を口にくわえさせてみたりとか。他にも色々とやってみたんだけど一向に千早のあれは反応を示さなくって思わず肩を落としてしまう。やっぱり私の体って魅力ないのかしら? 確かに発育不良かもしれないけど……って、あれ? ちょっと待って。よくよく考えれば当然よね。だって千早は意識がないんだから、そんなことされてもわかるわけないじゃない。何やってるんだろ、私ったら。ただの痛い子じゃない。
そ、そうよね、やっぱり最後の手段をとるしかないわよね。そ、それじゃあと恐る恐る千早のあれを手に取り、ゆっくりと顔を近づける。そして何度か深呼吸をし、気持ちを落ち着かせたところで、意を決し、そのままあの先端を口の中へと運び、優しく咥えて……って、ああもうっ、思い出しただけで恥ずかしくなってきた。でもその甲斐あって、ほどなくして準備万端となったあれを導くため、私は千早の体に覆い被さるように跨がる。そして手にした千早のあれをあそこへあてがい中へと導く。痛みをぐっと堪えながらゆっくりと腰を落としあれを奥へと奥へと押し進め、そのまま最終関門である私の初めてを突破、晴れて正真正銘、千早と一つになることができました。それにしてもあんなにたくさん出すなんて反則よ。……もちろん普通がどれぐらいなのかなんて知らないけど。
生まれて初めてこれでもかってぐらいいっぱい恥ずかしいことしたけど、その甲斐あってこうして千早を連れ戻すことができたんだから、これぐらい安いものよね。あとはそうね……。
「いつか責任とってね」
「責任? なんの?」
「ううん、なんでもない。こっちの話」
だってあれは私だけの秘密なんだから。そうね、いつか気が向いたら話してあげてもいいかな? なーんてね。
まさかそれから3ヶ月後、悲壮な表情をした千早の口から『……赤ちゃん、できちゃんみたい』という台詞を聞くことになるなんて知る由もなく。しかも『ごめんねごめんね。唯が繋ぎ止めてくれた命なのに、ボクったらなんてことを。お腹の子に罪はないけど死んでお詫びするっ!』と言い出す千早。
どういうこと? なんで私じゃなくって千早が妊娠なんかしてるのよ。おかしいでしょそんなの。そうティナのヤツに問い詰めたところ『おかしいのう? 予定ではおぬしが身籠るはずじゃったのだが……。ま、ちょっとした手違いじゃな。許せ』だって。このエセ魔法使い、『手違いじゃな』で済ませられるような問題じゃないでしょうがっ!
結局私はあのときのことを洗いざらい千早に話す羽目になるのでした。
『ごめん、今日はちょっと用事があるんだ』
授業が終わったところで一緒に帰ろうと私の嫁こと御園 千早(みその ちはや)に声を掛けたものの断られてしまった有坂 唯(ありさか ゆい)こと私は、『あらあら、嫁に逃げられたの? よしよし、私たちがなぐさめてあ・げ・る』という友達からの誘いに乗っていつものようにカラオケへと繰り出した。
あ、先に断っておくけど、嫁といっても別に親同士が決めた許嫁とかそういうのじゃなくって、ただ単に私があいつのことをからかいたいときとかに使っているだけ。ただしその呼び方、当事者である千早はあまりお気に召していないみたい。ま、無理もないか。だってあいつ男なんだから。
でもって私と千早の関係はというとお隣さん同士という、まあ一般的にいう“幼なじみ”っていうやつ。そして……そう、生まれてから今日までずっとただの幼なじみという関係のままなんだよね、はぁ……。
やっぱり私には女性としての魅力がないのかな。……うん、確かにないわよね、こんなんじゃと自らの胸に持ってきた右手の感触がそう現実を突きつけてくる。まだよ、まだまだよ。諦めたら負けなんだから。きっとチャンスはある。必ずある……よね? お願い、神さまあると言って下さい。
ああもう、こんなに悩むぐらいならいっそのことあいつに……と幾度となく思ったことやら。でもその度に踏み止ませるのは、もしもダメだった場合、今の心地のいい関係がガラガラと音を立て崩れてしまう恐怖からだった。
そんな堂々巡りをしながら家路を歩いていると鞄の中にしまっておいたケータイから着信音が鳴り響く。電話をかけてきたのはお母さんだった。
「もしもし、お母さん、どうか……」
どうかしたの? そう尋ねようとしていた私の言葉を遮るように切羽詰まった声がスピーカーから聞こえてくる。
『唯ちゃん唯ちゃん、大変なの大変なの!』
「ちょっとお母さん、落ち着いて」
『だってちーちゃんがちーちゃんがっ!』
「千早が? 千早がどうかしたの? ……え、ウソ……。じょ、冗談……だよね?」
お母さんから告げられたのは千早が事故に巻き込まれ、大怪我をして病院に運ばれたとのことだった。
「運ばれたのは市内病院だよね。うん、うん、わかった。すぐ行く」
千早が搬送された病院を確認、お母さんもすぐに駆けつけるから、それまで千早ちゃんのことお願いねという言葉を最後に電話を切ったところで、踵を返し今来た道を駆け戻る。駅前で客待ちしていたタクシーに飛び乗り、息を切らせながら運転手さんに目的地を告げる。
千早のご両親はお仕事の関係で海外へ長期赴任中のため一人暮らし。万が一、彼に何かあったときにはうちに連絡が入るようになっていたんだけれど、まさかこんな……。
お母さんの勤めている会社から病院まではどんなに急いでも1時間ちょっとは掛かる。
お母さんが来るまでは私が保護者代理なんだからしっかりしなさい、拳をぎゅっと握りしめ、今にも不安で押しつぶされそうになっている自分にそう言い聞かせる。
そうこうしているうちに病院へと到着。料金を支払い、すぐさま病院内へ駆け込む。入ってすぐにある総合受付で千早の病室を確認。担ぎ込まれているのがICUとかではなく一般病室であったことにホッと一安心したものの、すぐさま千早が入院しているフロアへと移動する。
この時点である異変に気づくべきだったのかもしれない。お母さんが千早のことをいつものように“ちぃくん”ではなく“ちーちゃん”と呼んでいたこと、そしてフロアですれ違った患者さんがすべて女性だったことに……。
1.男 のち 女?
受付で聞いた病室の番号と目の前に表示されている番号とその隣に書いてある名前を確認。気持ちを落ち着かせるため一度大きく深呼吸してからノックをし、扉を開け病室の中へと一歩、足を踏み入れる。
……え?
目の前の光景に思わず目をぱちくりさせる。中にいたのは千早ではなく一人の女の人だった。窓際に立ち、外の景色を眺めていた彼女は腰まで届きそうな長い髪をなびかせこちらへと振り向く。年齢は私と同じぐらいかな。それよりも彼女の顔に思わず目を見張る。何故かというとなんとなくどころかかなり千早に似ていたからだった。
「うん? おぬし誰じゃ?」
「ご、ごめんなさい! 部屋、間違えました!」
そうよね、千早のわけないわよね、私ったらなに勘違いしているんだろう。慌てて病室から退散。すぐさま後ろ手で扉を閉める。
でも、おかしいな? ちゃんと病室を確認したはずなんだけど……。と首を傾げていると『唯、待って! 行かないで!』と私のことを呼び止める声が聞こえてくる。
この声、千早……だよね? にしてはいつもより声色が高いような気がするんだけど……って、そんなこと気にしている場合じゃなかった。とりあえず本当に千早なのか確認しないと。
「ねえ、千早なの? 本当に千早なの?」
「うんボクだよ、千早だよ。唯、ごめん。合図するまでちょっとそこで待っててもらえるかな?」
ちょっとやらなくちゃいけないことがという千早。……もう、お母さんから大怪我したって聞いたときは心配で心配でいても立ってもいられなかったんだからね。でも、元気そうな声が聞けてちょっとだけほっとできたかも。そう思った直後のことだった。
「も、もうティナってば!」
「なんじゃ? もしかしてあやつ、おぬしの知り合いだったのか?」
「そうだよ。ほらさっき話してた」
「ああ、おぬしのこれか」
「わわわっ! 小指なんか立てないでよぉ。まだ唯とはそういう関係には……」
病室の中からなにやら言い争う声が。あれ? 確か中には一人しかいなかったはずよね? なのにどうしてそんな声が聞こえてくるのかしら? まさかさっきの女の人とイチャイチャ……。そそ、そんなのダメ! ダメったらダメ! 何よ、千早ったら私以外の女性と……って、あいつにそんな度胸も甲斐性あるわけないか。で、でも気になる。
「千早、まだぁ?」
「あ、あと10秒、ううん15秒待って」
髪が上手くまとまらなくってという言い訳が。あんたね、まとめるほど髪ないでしょうが。それから間もなくして、
「お、お待たせ」
「それじゃあ入るわよ」
ドアの取っ手に手を掛け、横方向に力を加える。カラカラと音を立て3分の1ぐらい、外から中の様子をのぞき込める程度開けたところで、ひょいと病室の中の様子を伺う。
窓際にはさっきいた髪の長い女性の姿はなく、その代わり上半身を起こしベッドに佇む千早の姿が目に映ってきた。誰よ、千早が大怪我したってデマを流したのは。見た感じ、何処も怪我なんかしてなさそうじゃない。ただ、何故か頭にはまるで風呂上がりかのようにグルグルとタオルを巻いていた。しかも結構乱雑に。
「ごめんね唯、待たせちゃって」
「別にいいけど。ねえ千早、さっきそこに女の人が立っていたわよね?」
窓際を指さしながら確認してみる。
「そそ、そうだっけ? き、きっと唯の気のせいじゃないかなぁ、あはは……」
そこそこ、あからさまに誤魔化そうとしているじゃないわよ。とはいえここは一人部屋みたいだし、仮に大部屋だったとしても男女が一緒の部屋なんてありえないしね。やっぱり千早の言うとおり私の気のせいなのかな?
それにしても……と千早に目を向ける。やっぱり違和感あるのよねぇ、その声に。元々そう低い声ではなかったからあれなんだけど、なんとなく、なんとなくなんだけどいつもよりも女性っぽい声に聞こえるのよねぇ。そんなことを考えながらベッドの側に置いてあったパイプ椅子へと腰掛ける。
「お母さんから事故に巻き込まれたって聞いたんだけど……」
「うん、そうらしいね」
とはいってもこれっぽっちも覚えてないけどねとまるで他人事のように話す千早。
「それと大怪我したって、そう聞いていたんだけど……」
「そうなの? でも、この通りほら」
そういって両腕をまっすぐ伸ばし、手をにぱにぱと開いたり閉じたりしてみせる。確かに千早の言うとおり事故に巻き込まれた割には目立った外傷なんて一切見当たらなかった。
「これといった怪我もないし、すぐにでも退院できるんじゃないかな」
最終的には先生の判断待ちだけどね、そう笑顔で答える千早。
「確かにどこも怪我してなさそうよね」
「でしょでしょ」
ならばと声以外にさっきから気になっていたことについて尋ねることにする。
「その頭に巻いているタオルは一体何なのかしら?」
「いいっ!? なな、何でもない、何でもないよ」
えとえと……そうそう、さっきお風呂に入ったばかりで……とあからさまに嘘をつく千早。その証拠にそんなことを言いながらも千早の両手はというと頭に巻いてあるタオルをこれでもかってぐらいしっかりと押さえていた。
……間違いない、クロよね。これでもかってぐらい真っ黒よね。こんなの裁判員制度にかけるまでもないわ、有罪確定よ。
まったく何年の付き合いだと思っているのよ。あんたのウソなんてね、この桜吹雪がぜーんぶお見通しだぁ、覚悟しやがれぇ、なんだから。あ、もちろんそんな刺青なんかないけどね。
恐らくホントのところは頭に怪我をしているのに、私やお母さん、ひいては千早のご両親に心配かけまいとしてウソをついている違いない。
というわけで保護者代理(の代理)として実力行使に出ます。
「……千早、その手をどかしなさい」
「ダ、ダメ! これだけはまだダメ!」
「いいからその手どかしなさいってばっ!」
「ダメだってば! ボボ、ボクだってまだ心の準備が……って、あっ!」
タオルの中から出てきたのは髪の毛。今日、最後に目撃したときとは比べものにならないぐらいかけ離れた腰まで届く長くてきれいな髪だった。
はあ? 一体どういうこと? たった数時間でここまで伸びたっていうの? どんな育毛剤よ……って、そんなのあるわけないじゃない。あったら絶賛欠品中よ。
となると……そうよね、間違いなく地毛ではないってことよね。まったくもう、ひとがどれだけ心配したと思ってるのよ。こんなイタズラ、いくらなんでも程ってものがあるわよ。
「千早、冗談も大概にしなさいっ!」
千早の髪を軽く引っ張りながら叱咤する。
「いたいいたい! 髪、引っ張らないでぇ」
え? これって一体どういうこと? 予想とは違った手から伝わってくる感触に思わず戸惑ってしまう。クイクイといくら引っ張ってみたところで、一向に外れる気配のない千早のウイッグ。そして引っ張るたび涙目の千早。
ということは……地毛なの、これ? はあ!? そんなバカな!? 一体どこをどうすればこんな短時間でここまで伸びるのよ。そんなのありえないっ!
しかも……。千早の方に目を向ける。
「な、何かな? ボクの顔、変?」
顔をほんのり赤らめ恥ずかしそうにしている千早をじっと見つめること十秒弱。はあぁぁーーっ、と大きく溜息をついてから率直な考えをそのまま口にする。
「まったくもう。ただでさえ元から女顔なのに、加えてこの髪、どこからどう見ても女性にしか見えないじゃないのよ」
「え、えっとその……」
まあどうしてこうなったのか理由はわからないけど、最悪、切っちゃえばいいわけだしね。あ、もちろん千早の同意を取ってからの話だけどね。
ともあれ、せっかくだしいろんな髪型させて遊んでみようかしら。そうそう、いっそのこと服だって女物のを着せて……と悪戯心が芽生え始めた矢先、『あ、あのね』と怖々といった感じで千早が口を開く。
「唯、あのね、ボク、唯に言わなくっちゃいけないことがあるんだけれど……」
「いいわよ、言ってみそ」
その代わりあとでたっぷり遊ばせてもらうけどね。
「じ、実は、実はね、そのボク……女になっちゃったんだ」
「ふーん、そうなんだ。千早、女になったんだ」
「あ、あれ? 驚かないの?」
そこそこ、なに意外そうな顔してるのよ。そんな些細なことでいちいち驚いていられるわけないでしょうが。
「別に。女になっただけなんでしょ……って、はあ!? 女になった!?」
千早が投下した爆弾発言の前に隣のナースステーションから看護師さんたちがどどっと駆けつけてしまうぐらい驚きの声を上げてしまう私なのでした。
2.あんた誰?
なな、なんでもないです、なんでも。ちょっと黒くて平べったいものが……と苦し紛れのウソ(口にしてから気づいたんだけど、この寒い時期にヤツらがいるわけないじゃないよね)をついたところ、何故か場の空気が一瞬のうちに固まり、そのまま捜索チームが編成、すぐさま捜索開始と相成り、あっという間に看護師さんたちの姿はここからいなくなってしまった。え、えっと……もしかして、ここでは一年中いるってこと? ま、まあ、いいか。結果オーライということで。(ホントはあまりよくないけど)
ともあれ二人きりになったところで千早に声を掛ける。
「な、何バカなこと言ってるのよ、あんたは!」
「で、でも……」
デモもヘチマもヒョウタンもない! あのね千早、そんなねテレビとか漫画の世界じゃあるまいし、現実の世界でそんなこと起きるわけないでしょうがっ! そりゃあ確かに見た目でいったら今の千早、女に見間違えられる確率は……そうね、7、8割は余裕でいけるわね、うんうん。でもね、そこから先となるとそういうわけにはいかないわ。だって体型(厳密に言うなら骨格ね)は男女の間で決定的な違いがあってそれを誤魔化すことなんてできないんだから。(と昔読んだ本に書いてあった)
だから、そんな見え透いたウソに騙されるほど私は甘くないんだからね。ほーら、その証拠にと千早に向かって(正確に言うと千早の胸元めがけて)手を伸ばす。
「きゃっ!」
手のひらから伝わってくる柔らかくてそれでいて張りのある弾力。それと同時に顔を真っ赤にした千早の口から聞こえてくるかわいらしい悲鳴。
おおっ! ネエちゃん、ネエちゃん、ええ乳しておるじゃないか……って、何オヤジ化なんかしてのよ、私は! そうじゃないでしょ、そうじゃなくって! ウソ!? 何これ!? 何なの、この柔らかくてそれでいて張りのある感触はっ!
「しかも86のD!? なんで私より大きいのよ」
「唯、すごい。さっきティナが言ってたのとピンポイントであってる……じゃなくって! そんなことボクに言われてもぉ」
ちょっと唯ったら、寄せないで、持ち上げないで、揉まないでぇ、と涙ながらに訴えてくる千早。やめてと言われたところで、やめられないとまらないのがかっぱえび……コホン、失礼しました。人間心理だと某スナック菓子も言っているわけで。
よいではないかよいではないかと、まるで時代劇に登場するような悪代官のように上げたり寄せたりして千早の胸で遊んでいると異変が。それまで嫌がっていた千早の体がプルプルッと小刻みに体を震わせたあと、次に目元がすーっと細まっていったかなと思った次の瞬間、パシッと私の手を払いのけてくる。
「なんじゃ? なんなんじゃこのセクハラ娘は?」
そのときの千早の視線……ううん、表情に見覚えがある。そう最初に病室に入ったとき、窓際から私のことをまるで見知らぬ人を見るようなあの目線だった。
「はわわっ! セクハラ娘なんかじゃないって!」
「有坂 唯じゃろ、それぐらいわかっておる。俗に言うぬしの幼なじみというやつで、それでもって、ぬしの想い……」
「わーわーわー」
何? 何なの一体……。
千早が話すたびコロコロと口調と表情が入れ替わっていく奇妙な感覚に戸惑う。これってまるで人格が入れ替わって、それで交互に相手に向かって話をしているような感じがする。
一方は間違いなく千早本人で、そしてもう一方は……。
「……あ、あんた誰?」
「ふむふむ、どうやらわらわの存在(こと)に気づいたようじゃな。そう、わらわの名はティナじゃ」
胸を張ってそう宣言するティナ。挨拶がてらせっかくだからわらわの口から事情を説明してやろうかのうというとっても上から目線なお言葉に一瞬切れそうになったものの、一瞬見せた千早の『あとで埋め合わせはするから、唯、お願い。ここは押さえて』と切々と訴えかけてくる視線に怒りをグッと堪えることに。
で、そのティナ様からのありがたい話を箇条書きでまとめると次のようになる。
・ティナ自身、魔法使いである。
・お母さんが電話で言ってたとおり千早の傷は命に関わるほど
まではいかないものの、かなりひどかった。
・千早が常日頃から持ち歩いていた本(確かおじいさんから
もらったって言ってた)に眠っていた。
・ティナが千早に憑依することで外傷を含め、その他諸々すべて
なかったことにしてしまった。
・ただしその副作用として千早の体にティナの占める割合が強く
なってしまい、結果、ティナの本来の性別である女性になって
しまった。
・期間は千早の傷が癒えるまで。そうしたらティナは再び本へと
戻る。
ちょっと奥様、今の話、聞きまして? このご時世に魔法使いですって。あのね、そんなメルヘンじみたこと信じられわけあるかぁーーーっ! って、ちゃぶ台をひっくり返しながらそう言いたいのは山々なんだけどね。こうして事実を見せつけられちゃうと信じたくなくても信じるしかないわけで。
あ、でもティナがホントに魔法使いなのかどうなのかはまだ保留。だって『だったら何でもいいから魔法を使ってみせなさいよ』と言ったらあいつ何て言ったと思う? 『そのうち気が向いたらな』だって。あのね、そんなんで信じられるわけないでしょうが。
とりあえずそこまでは百歩譲るとして、それじゃあ治療のためとはいえ性別が替わった事実を周囲にどう説明するつもりなの? そんなことしてごらんなさい、すぐさまマスコミかもしくはどこぞの得体の知れない研究所のいい餌食よねとティナに尋ねてみたところ、それなら心配いらぬと言わんばかりの自信に満ちあふれた表情でこう言ってのけた。
「なにせ、おぬし以外の人間には昔から女であったことにしてあるからのう」
なんでも私を除いたすべての人々から、千早は生まれたときからずっと女だったということにしてあるとのことだった。
確かにベッドについている氏名とか書いてあるプレートを見ると性別がちゃんと女性になっているし、そういえばお母さんが千早の事故に巻き込まれたという連絡をくれたときも千早のことを“くん”付けではなく、“ちゃん”付けで呼んでいたっけ。ちょとだけ、ほんのちょっとだけだよ、ティナのことを魔法使いだって信じてもいいかなって思ってきちゃったかも。あ、そうそう、その前に一つ疑問が。
「ねえ、だったらどうして私だけ外したの?」
「一人ぐらい事情がわかっておるヤツが側におらんとこやつも大変じゃろ」
仮におぬしがこやつの立場に置かれたとして考えてみい。着替えは? トイレは? 靴の履き方は? 歩き方に階段の上り下り、どれ一つとっても男と女では違うぞよ。短期間とはいえ女として生活していく上で最低限の基礎知識ぐらいは知っておかないと大変じゃろ? だったら常日頃から身近にいるおぬしがその都度指摘する役割を担うのが一番ベストじゃないかと思ったのだがのうと理由を教えてくれた。なるほど、言われてみればそうかも。
でも、だったらティナが教えればいいじゃないの? 一番身近にいるんだし。そう尋ねたところ『めんどい。おぬし、こやつの婿だろ? だったらおぬしがやれ』だって。はいはい、やればいいんでしょ、やれば。このめんどくさがり屋め。
「あ、着替えで思い出した。ねえ唯、お願いがあるんだけど……」
千早からのお願い事に耳を傾ける。……ふむふむ、確かに必要よね。
「わかった、私が責任を持って用意してあげる」
「あ、あのー、そこまで気合い入れなくていいから、ね」
ていうかお願いです、ごくごく普通のにして下さいと涙ながらに訴えてくる千早。
「何言ってるの? いつだって私は冷静よ」
「ウソだぁ、その目、絶対何か企んでいるよぉ」
失礼ね、いつ私がそんなことをしたっていうの。少なくとも今週はやってないわよ。……先週はやったけど、2回ほど。
さてと一体どんなのにしようかしら? 千早ったら童顔だからやはり王道としてはそれをより引き立たせるようなフェミニンな感じに持っていこうかしら。でもって髪をツインテールにすればより引き立たせられるわよね、うんうん。それとも逆にモノトーンでまとめてシックな感じにして大人っぽさをアピールさせるか。うーん、どっちも捨てがたいわよねぇ。
「だから普通のでいいってばぁ」
そんな千早の切なる願いを完膚無きまでにスルーし、どんなのにしようか頭の中で思い描くのでした。
3.やっぱりこういう感じの服が似合うわよね
翌日、私は千早から頼まれたものを手に病院へとやってきた。受付を済ませ、病室の前に到着したところで、コンコンと軽くドアを叩く。
「千早、入るわよ」
「……ど、どうぞ」
中からは昨日とは打って変わって覇気のない千早の声が聞こえてくる。まさか急に具合が悪くなったとか? あのエセ魔法使いめーと慌てて病室の中へと入る。
「ちょっと千早、どうかした……あー、そういうことかぁ」
「……そういうことです」
ベッドの上で疲れ果てていた千早の姿を見て、思わず納得してしまう。お母さん、来てたんだね……。
「ご、ごめんね。お母さん、かわいいものに目がなくって」
「だ、大丈夫、ちょっと驚いただけだから。でも、まさかこんなことになるなんて……」
ボク的にはそんなにかわいいとは思わないんだけどなぁー、と大きな溜息をつく千早。そこそこ、少しは自覚しなさい。今のあなた、どこからどーみてもカワイイ女の子よ。それにしてもお母さん、すっごくかわいく仕上げたわよねぇー。両脇で結った髪にそれぞれ軽く縦ロールのカールをかけてふんわりさせているところなんかお人形さんぽくっていい感じよねぇー。
「うんうん、メイド服とかロリータっぽいヤツとかとっても似合いそうよね」
「……お願い、もう勘弁して」
バリエーション違いのものをこれだけ着せられましたからと大きく広げた手を私に見せてくる。……にゃるほど、5着ですか。お母さんのことだから、写真撮ってあるはず。あとでじっくり見せてもらおっと♪
「そうそう、忘れるところだった。はいこれ、頼まれていたヤツ」
「唯、ありがとう」
これで心置きなく退院できるよ、そう言いながら紙袋を受け取る千早。
「いえいえ、私のかわいい嫁のためですから♪」
「もう、そうやってすぐからかう」
いつのも口癖を口にしたところ、ほっぺたをぷくっと膨らませ、もう茶化さないでよぉと不満の声を上げる千早。
『そういえば』とポンと手を叩き、何かを思い出したかのような仕草をしてから、
「女になった今なら本当に唯のお嫁さんになれるよね」
な、何よ、千早ったらかわいいこと言ってくれちゃって。一瞬ドキッとしちゃったじゃないの。でも私はそんなこと表には決して出さず、その代わりにニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「そんなこと言ってるとウエディングドレス持ってくるわよ」
「はわわっ! ウソウソ、冗談です。あ、そうだ。せっかくだから唯が選んでくれた服、見てみよっと」
そう言って紙袋を開け始める千早。まったく、話題を逸らそうという魂胆が見え見えよ。
数秒後、中を覗き込んでいた千早がピキッと体を硬直させる。それからギギギッと油が切れたロボットのように頭だけをゆっくり動かし、こちらへ視線を向ける。
「……唯、もしかしてボクに恨みでもある?」
「別に? 私はただ千早に似合いそうなのをチョイスしただけだけど?」
「頼んだのは服で、これは下着だよぉ」
しかも何これ? 黒のレースだなんて、こんな大人っぽいの選ぶなんて、いくらなんでもあんまりだ……って、ぎゃぁぁーーーっ!? 何これ何これ!? スケスケだよ、向こうがバッチリ見えるよとパニクる千早。うんうん、私、グッジョブ♪
「だって必要でしょ?」
「そ、それはそうだけど……」
よりにもよってこんなのセクシー路線に走らなくても……。がっくりと肩を落とす千早。
別に私の未使用のヤツを持ってきてもよかったんだけどね。そうしなかったのには理由がある。それはなにかというと……。信じらんない、なんで私よりもスタイルがいいのよっ!! 出るとこ出てるし、引っ込むところ引っ込んでいるし。ショーツはともかくとして、ブラなんてとてもじゃないけど話にならなかったわ。
仮に、仮にだよ。そんな持ってきてご覧なさいよ。あの口の悪そうなティナのこと、きっとこう言うはず。
『うむ、ブラのホックがまるっきし留まらん。しかも下は下でいくら伸びるとはいえきつきつじゃのう』
きぃぃーーーっ! むかちゅくぅぅーーーっ!
あのエセ魔法使い、なーにが『仮にこやつが女だとしてシミュレートするとこんな感じ(体型)になっていたはずじゃ』よ。ふっざけんじゃないわよ! 女にはね、甘いものには目がないっていう魔物が住んでいるんだから!
でも、あいつったら結構意志固いから『ううん、今日は止めとく』とか言いそうだし……。あ、なんか無性にむかついてきた。
この恨み、どうやってはらしてやろうか……とブツブツ言いながら千早から頼まれていた服を買いに私のお気に入りのセレクトショップに向かって歩いていたところ、ふと足を止める。そこはパステル調の色彩をしたかわいらしいランジェリーショップだった。
そこの店先にあったマネキンが身につけていた下着をじっと見つめる。
「あ、これなんか千早に似合いそう」
ふんわりとした淡いピンク色の柔らかそうな生地に縁取りにあしらわれたレースがよりかわいらしさを引き立てていた。
ふらふらと引き寄せられるように店内へ。
店員さんに他のカラーバリエーションも見せてもらい、あーでもない、こーでもないと悩むこと一時間。お陰様でいい買い物ができました。そうそう今、千早が手にしているのはネタというかせっかくだからドッキリさせようと別途買っておいたヤツです、はい。
「ほら、こっちが本命。下着の他にちゃんと服も入っているわよ」
「……唯のイジワル」
もう知らない! とほっぺたをぷくっと膨らませる。その仕草といったら、もうホントかわいいんだから。
「でも、私としてはそっちも捨てがたいのよね」
千早自身のかわいらしさと下着の持つセクシーさ、そのふたつが織りなすアンバランスさがたまらないわよねと半分冗談で言ってみたところ、
「そ、そうなの? うーん、ちょ、ちょっと恥ずかしいけど……。うん、せっかく唯が選んでくれたんだから頑張って着てみるよ」
「さすが私の嫁、そうこなくっちゃ」
「今すぐじゃないよ。そのうち、そのうちだからねっ!」
「はいはい、期待して待ってるわよ」
話が一区切りしたところで、千早が『ところでさ』と話を切り替えてくる。
「ねえ唯、明日学校が終わったあと、何か予定入ってる?」
「あ、明日は第4土曜日だっけ」
今回のドタバタですっかり忘れてた。うちの学園って今時第2と第4土曜日だけ授業があるのよね。
「別に今のところ何も入ってないけど」
「だったらお昼一緒に食べようよ」
お陰様で明日の朝一には退院できることになったから。今回唯には色々と迷惑掛けちゃったからそのお詫びも兼ねてご飯でもどうかなと尋ねてくる。
「いいわよそんなの。困ったときはお互い様なんだから」
別に迷惑だなんて思ってないし。……そ、そりゃあ心配は死ぬほどしたけど。(もちろんそんなこと間違っても千早の前で口にはしないけど)
「それでも。それに唯には普段から色々と助けてもらっているし、そのお礼も兼ねて。ね、いいでしょ、たまには」
「そ、そこまで言うなら、べ、別にいいけど」
顔をわざと逸らしそう返事する私。そうでもしないと顔が赤くなっているのがバレちゃうから。それにしても千早ったら今日に限って強引なんだから。女になった途端、男らしくなるなんて反則よ。
「あそこが確か11時からだったから……。それじゃあ1時に駅前で待ち合わせでどうかな?」
「1時半。こっちも着替える時間ぐらい頂戴」
別に制服のままでいいのに……と残念そうな雰囲気の千早。こらこら、あんたは制服フェチかいなと思わず突っ込む。
「べ、別にそんなことないよ?」
「だったら語尾を疑問符にしないの。それじゃあ駅前に1時半ということで」
「了解です」
こうして明日、千早と二人っきりで食事に行くことに決まりました。このとき千早があんなことを考えていたなんて、私は気づく余地もなかったのでした。
4.待ち合わせとナンパの関係
翌日、学校から帰宅するなり私服へと着替える。今回のコンセプトはボーイッシュな女の子。それから手早くお化粧を済ませ、待ち合わせ場所である駅前と向かう。
歩くこと15分、まもなく待ち合わせ場所に到着というところで遙か向こうに千早の姿を発見。プラス千早になにやら話しかけている二人組の男性の姿も発見。
男の人たちが口を開くたび、困った表情を浮かべながら受け答えをする千早。うーん、これってやっぱりナンパよね? ナンパだよね? うんうん、私の采配(服選び)に抜かりはなかったわね、我ながらいい仕事をしたわよねと自分で自分を褒めて……いる場合なんかじゃないわよね。
それじゃあさっさと嫁を助けに行きましょうかねと再び歩き出したところで、千早が私のことに気づき表情をぱあっと明るくする。
「あ、唯だ。ごめんなさい、待ち合わせの人、来ましたから」
「彼女がそうなの? へー、けっこうかわいいじゃん。じゃさあ彼女も誘って一緒に遊びに……」
えっと解説上、その二人組をナンパ男Aとナンパ男Bとでもしましょうか。ナンパ男Aが千早を引き留めようと手を伸ばし、千早の肩に触れた瞬間、千早の目つきがガラリと変わる。そう、あのエセ魔法使いの瞳へと。
「……まったく、さっきから止めろと言っておるのに。忠告を聞かぬおぬしたちが悪いぞよ」
「え? って、うわっ!」
あきれ果てた口調で千早がポツリとそう呟いたかと思った次の瞬間、ナンパ男Aの体がふわりと空を舞い、そのまま重力に従いドタンと音を立て背中から地面へと落下する。
うごぉ……と悲鳴を上げるナンパ男A。
「……まったく、男のくせにちゃらちゃらしおって。あまりしつこいと嫌われるぞよ」
男たるもの引き際が肝心じゃぞと苦言を呈するティナ。
「て、てめえ、よくも俺のダチを!」
ティナに向かって駆け出し、その勢いでそのまま右ストレートを繰り出すナンパ男B。対するティナはというと表情を一切変えることなく、半歩左へ体をずらしそれを回避。二人の体がすれ違う間際、ティナは右足をすっと出し、相手の足首を引っかけバランスを崩す。うわわっと言いながらバランスを立て直そうとしていたナンパ男Bの背中にティナの鋭い横蹴りが炸裂、そのまま勢いよく近くにあった電柱へと激突するのでした。
「ぐ、ぐげぇ……」
「抱擁したかったのであろう? どうじゃ? 満足かえ?」
腕を組み、自信に満ちあふれた表情で仁王立ちをするティナ。
「ま、こんなもんじゃろ……じゃないよ!」
「何を怒っておる。ちょっとばかしお灸を据えてやっただけじゃないか」
「だ・か・ら! 目立つような真似はしないって約束したばかりだよね」
公衆の面前で口論を始める千早とティナ。ただでさえ一騒動起こしたばかりだというのに一つの器でそんなことやられた日には、それはもう周囲から浮きまくっているわけで。
あー、なんだかもう頭、痛くなってきた。いっそのこと他人のフリしてこのまま帰っちゃおうかしら? ……なんてわけにもいかないわよね。はいはい、嫁の不始末は夫が責任取るのが義務よね。
「あんたたちの方が目立ち過ぎ! いいからとっとと逃げるわよ」
千早の手を取り、その場から逃げるように駆け出す。時間にして2、3分ってところかしら? 走ったところで歩みを止める。多少、呼吸が落ち着いたところで千早へと声を掛ける。
「はあはあはあ……。まさか初っぱなからランニングとは思わなかったわ」
「ご、ごめんね、変なことに巻き込んじゃって」
ぺこりと頭を下げる千早。
「なぜぬしが謝るのじゃ。悪いのはあやつらの方じゃ」
「あんたも魔法使いなんでしょう? だったら魔法でちょちょいとできなかったの?」
「ふん、あんな三下相手に魔法などもったいない。それにそなたも見ておったじゃろ? 別に魔法など使わなくてもあやつらごとき十分じゃ」
確かにそうかもしれないけどね。でも、魔法が使えるならわざわざ体を動かさなくってもいいじゃないと思うのは私だけなのかな?
「あ、どうしよう。すぐご飯でいい? それともどこかでお茶してから……」
まったくもう、なってない、うちの嫁ったらなってないわよねと不満の声を上げる。
「ダメよ、ダメダメ。そこはやっぱり『ご飯にする? お風呂にする? それとも、わ・た・し?』が基本でしょうが」
「それは新妻さんの台詞だよぉ」
5.告白、そして……
きっと千早のこと『今日は千早のおごりでしょ。だったらお茶代は私が出すね』と言ったところで『今日誘ったのはボクなんだから』とやんわりとした口調で拒否するに決まっているわよね。しかも最近は大学受験を控えアルバイトもしていなかっから懐具合を考慮して喫茶店なんかに立ち寄らずこのまま食事に行くことを提案する。どのみちお店で飲み物を注文することだしね。少しでも節約節約っと。
それじゃあ近くのホテルでランチでもと歩き出そうとした千早に『ちょっと待ちなさい』と首根っこを捕まえ、そのままいつものようにヘッドロックを仕掛ける。
「痛い痛い! それに胸、当たってる」
「今更何気にしてるのよ。別に今は女同士なんだからいいじゃない。それよりもあんたは人の配慮を無駄にする気?」
いつものファミレスでいいわよと言ったところ、『でもでも』と珍しく反論してくる千早。
「ほら、唯には色々と迷惑掛けたし、それにたまにはそういうところで食べてみようよぉ」
「却下。もったいない」
「そんなこと言わないでさ。たまにはいいでしょ、ね、ね」
そんないつまで経っても平行線のやりとりがしばらく続く中、終止符を打ったのはティナだった。
『いつまでそんな不毛なやりとりを続けるつもりじゃ。こちとら朝から何も食べてなくて今にも腹ぺこで死にそうじゃ。いいからさっさと決めてくれんかのう』と不満の声を漏らすティナ。次の瞬間、千早のお腹からぐーぐーという虫の声が。すぐさま『えっとその……、あ、朝から退院の手続きとか色々あって……』そう言いながら顔を真っ赤にする千早。
このまま意地を張っていても仕方ない。それじゃあ折衷案ということで前々から気になっていたイタリアンレストランへ行くことに。
席へと案内され、店員さんからメニューを受け取る。えっと今日のおすすめはっと……あ、このランチコース限定のスペシャルデザート、ちょっと気になるかも。でもメインがお肉料理なのよねー。私は別にそれでも構わないんだけどね。どうしようかなっと考えあぐねていたところ、
「ねえ唯、このランチコースでいいかな? メインの肉料理がすっごく気になっちゃって。すいません、このランチコースを2つお願いします」
「かしこまりました」
私に有無を言わさずランチのコースを注文する千早。まったくもう相変わらず抜け目ないんだから。千早、まさか私が気がつかないとでも思っているの? あんたが肉料理よりも魚料理の方が好きなことぐらい百も承知なんだからね。なのにスイーツ好きな私にあわせるために無理しちゃってもう。
「あ、これもおいしいね」
「うん、確かに」
運ばれてきた料理に舌つつみする私たち。そして最後に運ばれてきたデザートを口にしながら、
「どれもこれもおいしかったね。こんなことならもっと早く来ればよかった」
「そうね」
単品だったら値段もそう高くないからパスタとピザを一つずつ頼んで半分こにすればいいもんね。なによりも、こうして千早の笑顔が見られるのが一番の収穫かもしれない。
「あ、そうそう忘れないうちに。ねえ唯、ちょっとの間でいいから目をつぶってもらえないかな?」
「目を? 別にいいけど」
千早に言われたとおり目を閉じたところで、ボクがいいって言うまでは絶対開けちゃダメだからねと声を掛けてくる。はいはい、わかってますって。
ギギギッと椅子がフローリングの床を引きずる音が聞こえてくる。それからまもなくして足音と共に誰かが私のすぐ後ろまでやってくる気配が。まさかこの展開、この店の店長さんが5人分の領収書を片手に私の肩をポンポンと叩く……なんてことはありません、あしからず。そう思ったそこのあなた、テレビの見過ぎです。
胸元に何か小さなものが触れる感触。そして首筋に沿って千早の手がゆっくりと動いていき、髪の下を通ってそのまま真後ろで交差する。カチッという金属音が聞こえてところで、『もう開けていいよ』と千早が耳元で囁く。
ゆっくりと目を開け胸元に目を向ける。そこにはペンダントトップ代わりにかわいらしいデザインのピンキーリングが通してあった。
「唯、お誕生日おめでとう」
「あっ……」
そっか、今日は私の誕生日だったっけ。今回のゴタゴタですっかり忘れていたわ。
「千早、ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
でも千早、どうせならこういうものをプレゼントしてくれるんだったら、こんな手の込んだ方法じゃなくって別の渡し方があるんじゃない?
「本当はね、それ、昨日渡すつもりで用意していたんだ」
「昨日? なんで?」
誕生日プレゼントだったら今日であってるんじゃないの? そう問いかけたところ千早は首を左右に振りながら、
「本当はね、それ、指輪として渡すつもりだったんだ。それで唯に好きですって告白するつもりだったんだ」
突然の千早からの告白に頭の中が真っ白になる。そうだったんだ……。千早も私のことを……。私の片思いじゃなかったんだ……。嬉しい、嬉しいよ。こんな幸せな気持ち、生まれて初めてだよ。
「わ、私も千早のことが……」
そこまで言いかけたところで、千早の悲しそうな表情が目に映り、思わずその先を言い淀んでしまう。
「もちろん唯がOKしてくれたらってのが前提なんだけどね。そしてね、今日は恋人同士として初めて誕生日を一緒に過ごせたらいいなって思っていたんだ」
なんで? なんでそんなこと言いながら悲痛な顔をしているの?
「でも、それはもう叶いそうもないから、せめて気持ちだけは伝えようって」
ちょっと待って。なに一方的に話をしているのよ。私にも一言、言わせなさいよ。
「ごめんね、勝手なことばかり言っちゃって。……好きでした。唯のことが。ずっと前から。ずっと、他の誰よりも、一番唯のことを愛しています」
なによ、なんなのよその台詞は! しかも妙に引っかかるような言い回しして! それじゃあまるで私の前からいなくなっちゃうみたいじゃないのよ。
「だからボクの分まで幸せになって……ね」
そう言い残しバタリと床へと倒れ込む千早。
「千早、ねえ千早ったら、返事してっ!」
すぐさま千早を抱き起こし、必死に呼びかけたものの千早の意識が戻ることはなかった。
6.ラストチャンス
救急車で病院へと舞い戻った千早。先生の診断によると一時的な疲労によるものだろうということだった。
今朝まで使っていた病室のベッドで横たわる千早。
『ボクの分まで幸せになって……ね』
その言葉を最後にずっと眠ったままの千早。
「本来ならあと数日は持ちこたえられたんじゃがの。こやつがどうしてもと言ってな」
そう私に話しかけてきたのはティナだった。ただし今回は千早の体を借りてではなく、手のひらサイズのデフォルメされた人形みたいな姿(本人曰く思念体とのこと。なので私以外には見えていないとのことだった)でベッドの上から話しかけてきていた。
それからティナの口から語られた真実。本当はお母さんが言っていたとおり千早の怪我は命に関わるぐらいとてもひどいものだったということ。そしてティナの力を持ってしても助かる確率はかなり低く、ティナにできることはすべて尽くしてはみたものの、やはり千早の命を繋ぎ止めることはできなかったということ。
最後の最後まで私に想いを伝えようかどうか迷っていたらしく、悩みに悩んだ末、最期ぐらい正直に自分の気持ちを伝えることにしたとのことだった。本当は絶対安静、動くなんてもってのほかだったそうなんだけど、私との最期の思い出を作るために無理をして、ただでさえ残り少ない命を費やしてしまったとのことだった。
ティナによると千早の今現在の状態はかなり悪いらしく、いつこの世から姿を消してもおかしくない状態に陥っているとのことだった。
「おぬしにはすまないことをしたと思っている。ただ、あいつの気持ちも察してくれんかのう」
そう言って深々と頭を下げているティナ。嫌よ、そんなの嫌、絶対に嫌。千早がいない世界なんて考えられないよ。
「……ねえティナ、他に千早を助ける方法はないの?」
私にできることなら何だってやる、だから教えてとティナに懇願する。
「ま、おぬしならそう言うじゃろうと思ってはいたがのう。確かにおぬしが協力してくれるならまだ手が無くもないがのう」
「あるの!? 教えて、私どうすればいいの」
すぐさまティナに詰め寄る私。
「こらこら慌てるでない。確かにおぬしが手伝ってくれるのならまだ一つだけ手がある。ただし、それをしたところで千早が助かる可能性はほぼないに等しいといっても過言ではないぞよ。しかもどちらに転がったとしても、おぬしはおぬしの大切なものを失うこととなる。それでもいいのか……ふっ、どうやら愚問じゃったのう」
私のことを見るなり納得した表情をするティナ。
「当然でしょ。千早のためだったらなんだってやるわ」
大切なもの? 千早が助かるんだったらそんなものいくらでもくれてあげるわ。腕でも足でも好きなだけ持って行きなさい。
「わかった。わしもおぬしたちの絆を信じるとするかのう。で、その方法というのじゃがな……」
私はティナの言葉を一字一句聞き漏らさないよう全力で耳を傾けるのでした。
7.エピローグ
「……あれ? 唯にそっくりな天使さんだ」
「なに寝ぼけてるのよ、あんたは。しっかりしなさいって」
寝ぼけ眼の千早に向かって軽く小突いてみせる。
「うわぁ、すっごいリアルだなぁー。まるで本物みたい……」
まだ寝ぼけてるんかい、うちの嫁は。このままでは埒があかないな、そう結論づけた私は別の方法で千早の目を覚ますことにする。
やっぱり眠っている嫁(お姫様)を起こすなら、王道はこれよねと千早にチュッとキスをする。
「……ふえ? え? え? ええーーーっ!?」
「ようやく起きたか、うちの嫁は」
唇に手を触れながらあたあたと慌てふためく千早。そんな千早に思念体としてベッドに立っていたティナが声を掛ける。
「どうじゃ奇跡の生還を果たした気分は?」
「……ボク、本当に生きてるの?」
「うむ、こやつのお陰でな」
ただし、完治するまで……そうじゃな2、3年は女性の姿で過ごしてもらうことにはなるがのうと付け加えるティナ。
「そうなんだ……、生きてるんだ……」
そう言いながら何度も手をぎゅっぱぎゅっぱと握ったり開いたりする千早。
「唯、ありがとうね」
私の手をぎゅっと握りしめながら感謝の気持ちを伝えてくる千早。
「わ、私の嫁だもん、助けるのは当然でしょうが」
「くすっ。そうだよね、ボク、唯のお嫁さんだもんね。あ……唯、じっとしてて」
そう言うなり何故か枕元に置いてあったタオルを手に取る千早。そしてタオルを私の額にそっと押し当ててくる。
「ごめんね、よくわからないけどこんなに汗かいちゃって大変だったみたいだね。髪もちょっと乱れているみたいだし……」
「だだ、大丈夫! あれぐらいどうってことないから!」
伸ばした手をブンブンと振りながら、そんなたいしたことじゃなかったからと主張する私。
「そう? ならいいんだけど……」
いまいち納得いかないといった表情の千早。
だ、だって面と向かってあんなこと言えるわけないじゃない。千早を助けるためとはいえあんなことしたなんて……。
千早を助けるためティナが提示した条件、それは千早との性行為だった。ティナ曰く、
『命を育む行為をすることによって失われつつあるこやつとこの世界とのつながりを元通りにする』
とのことだった。それを聞いた途端、思わず顔を真っ赤にしてしまう。せ、性行為ってもちろんあれのことよね? 男女が裸になって、そ、その……あ、あれをあそこに入れて、か、体を一つにするあれのことよね?
ベッドで眠っている千早のことをじっと見つめる。べ、別に千早にだったら、その……わ、私の初めてを捧げても……ううん、ウソ。そんなのウソ。だってホントのことを言うとずっと前から初めての相手は千早じゃなきゃ嫌だって思っていたから。だからたとえ千早の記憶に残らなくてもいい。だって私は絶対、絶対に忘れないから。千早と初めて結ばれる瞬間のことを。
でも逆に千早の意識がなくってよかったかもしれない。だってあんな恥ずかしい姿を千早になんか絶対見せられなかったから。
ティナが力をギリギリまで押さえることで元の男の姿に戻った千早。でも意識はこれっぽっちもないから、キスしたまではよかったんだけど、その先の行為を成し遂げるるために必要なその……千早のあれを大きくさせるためにはどうすればいいんだろう。
手始めに千早の手を取って私の胸を揉んでみせたりとか、自分の胸を両手で押さえながら千早の口元に運んで私のその……む、胸の先端を口にくわえさせてみたりとか。他にも色々とやってみたんだけど一向に千早のあれは反応を示さなくって思わず肩を落としてしまう。やっぱり私の体って魅力ないのかしら? 確かに発育不良かもしれないけど……って、あれ? ちょっと待って。よくよく考えれば当然よね。だって千早は意識がないんだから、そんなことされてもわかるわけないじゃない。何やってるんだろ、私ったら。ただの痛い子じゃない。
そ、そうよね、やっぱり最後の手段をとるしかないわよね。そ、それじゃあと恐る恐る千早のあれを手に取り、ゆっくりと顔を近づける。そして何度か深呼吸をし、気持ちを落ち着かせたところで、意を決し、そのままあの先端を口の中へと運び、優しく咥えて……って、ああもうっ、思い出しただけで恥ずかしくなってきた。でもその甲斐あって、ほどなくして準備万端となったあれを導くため、私は千早の体に覆い被さるように跨がる。そして手にした千早のあれをあそこへあてがい中へと導く。痛みをぐっと堪えながらゆっくりと腰を落としあれを奥へと奥へと押し進め、そのまま最終関門である私の初めてを突破、晴れて正真正銘、千早と一つになることができました。それにしてもあんなにたくさん出すなんて反則よ。……もちろん普通がどれぐらいなのかなんて知らないけど。
生まれて初めてこれでもかってぐらいいっぱい恥ずかしいことしたけど、その甲斐あってこうして千早を連れ戻すことができたんだから、これぐらい安いものよね。あとはそうね……。
「いつか責任とってね」
「責任? なんの?」
「ううん、なんでもない。こっちの話」
だってあれは私だけの秘密なんだから。そうね、いつか気が向いたら話してあげてもいいかな? なーんてね。
まさかそれから3ヶ月後、悲壮な表情をした千早の口から『……赤ちゃん、できちゃんみたい』という台詞を聞くことになるなんて知る由もなく。しかも『ごめんねごめんね。唯が繋ぎ止めてくれた命なのに、ボクったらなんてことを。お腹の子に罪はないけど死んでお詫びするっ!』と言い出す千早。
どういうこと? なんで私じゃなくって千早が妊娠なんかしてるのよ。おかしいでしょそんなの。そうティナのヤツに問い詰めたところ『おかしいのう? 予定ではおぬしが身籠るはずじゃったのだが……。ま、ちょっとした手違いじゃな。許せ』だって。このエセ魔法使い、『手違いじゃな』で済ませられるような問題じゃないでしょうがっ!
結局私はあのときのことを洗いざらい千早に話す羽目になるのでした。
二人の将来に幸あれ、です。
生みの母は種付けた父親なんだし…