0.プロローグ
「き、消えたっ!?」
目の前で起きた摩訶不思議な出来事にパニクる俺、鈴枝 諒(すずえだ まこと)高校一年生……って、そんなことどうでもいい。
一体何が起きたかというと学校からの帰り道、隣接する公園の真ん中あたりに立っていた幼なじみの一ノ瀬 碧里(いちのせ みどり)とその背中に碧里の妹である蒼緒(あお)ちゃんの姿を発見。何かあったのかと声を掛けようと歩み寄ろうとした次の瞬間、二人を中心として眩い光を放つ球体が発生、瞬く間に大きく膨れあがり二人を飲み込んでいった。
その間、時間にして510秒ぐらいだったと思う。光が収束し、視力が回復したときには、視線の先にいたはずの二人の姿がどこにもなかった。
すぐさま二人が立っていたところへ駆け出す。
「うーん、特に変わったことはなさそうなんだけどなぁ」
地面に注意深く目を向けてから、手で触ってみたり、足でトントンと軽く蹴ってみたりしたものの、特に変わったことはなかった。
「あいつら一体……」
どこに行っちまったんだよ、おい。そうぼやいたときだった。
『しまった、一歩遅かったか』
少し離れていた所に一匹の犬がいた。赤い首輪をした真っ白で毛並みの良さそうな短毛種の中型犬が。てことは今の声はこいつの飼い主か? そう思い、辺りをきょろきょろと見回したものの、人らしき姿はどこにもなかった。
まさか……な。どこぞの携帯事業者のCMじゃあるまいし、犬がしゃべるわけないだろうが。
『ふーん。キミ、ボクの姿が見えるんだ』
ったく、さっきから一体誰なんだよ話しかけてくるヤツは。今はそれどころじゃないんだよ。あいつらを探さないといけないんだからさ。
『ボクだよボク。目の前にいるじゃないか』
バカ野郎、目の前にいるのはワン公だけで、人の姿なんてどこにもいやしねーよ。
『そっか、キミの目にはボクがそういう風に見えてるんだね。だったらそれであってるよ』
はあ? 何がだよ。
『こちらの世界で“犬”、学名“Canis lupus familiaris(カニス・ルプス・ファミリアリス)”と呼ばれている姿をしているのがボクさ』
「だからっ! そんな冗談に付き合っているほど俺は……え?」
例の白い犬が手(一般的には前足と言うが)を振っていた。左右にしっぽをパタパタさせ、愛想を振りまきながら。こちらに向かって。
「リ、リアルお父さん!?」
『誰それ? ボクの名はラッセ、ラッセ・ブラン。魔法使いの使い魔さ』
1.魔法少女と契約の関係
それから1分後。
「で、今の話を信じろと」
『そうそう』
俺はやったぜやったぜと言わんばかりに鼻先を激しく上下させるラッセ。
「『あの姉妹が悪い魔法使いに騙されちゃったの。だから助けるの手伝って』だけでわかるかボケっ! もっとわかりやすく説明せんかい!」
ええー、言語化するのぉーっとあからさまに不満の声を上げるラッセ。おいおい、お前は某図書館塔の最上階にいるお菓子大好き金髪碧眼美少女か。いいからとっととやれ。
仕方ないなぁーと渋々ながら口を開くラッセ。
話によると碧里の体内には何でも魔法を唱えるのに必要不可欠なエネルギーとなる魔力を生成する能力があるとのこと。
しかも生成される魔力はとても高品質の上、加えて短時間に大量生産できるという魔法使いにとって喉から手が出るほど魅力的なものだそうだ。
それに目を付けた悪の魔法結社の幹部候補、トープ・グレイという名の魔法使いが、彼女からその能力を奪い取り、それを手土産に幹部の座を手にしようと目論んでいるという情報を入手した魔法管理協会は、それを阻止すべく所属するラッセの主人をこちらへ向かわせることにしたそうだ。
ただ、ラッセの主人は次元の違いからこちらの世界では活動が困難なことが判明。代行要員が到着するまでの間、使い魔であるラッセにその役目を任せ、自身は後方支援(情報収集やラッセに魔力提供など)に当たることにしたそうだ。
「で、簡単に抜き取れるもんなのか? その魔力を生成する能力ってヤツを?」
『もちろん可能だよ。確か……そうそう、こちらの世界で言う“心臓”と呼ばれているモジュールを取っちゃうだけだからね』
「アホかおまえっ! そんなことしたら死んじまうじゃないかっ!」
おまえさ、軽々しく物騒なこと言うんじゃねえよと文句を言ったところ、ラッセは首を傾げ意外そうな顔つきで、
『へー、そうなんだ。人間ってボクたちが思っていた以上に繊細なんだね。ボクたちの住む世界だと腕や足の一本や二本、臓器の十個や二十個失っても魔法で再構成しちゃうだけだからね』
なるほどな、どうりであっさりそんなこと言うわけだ。ところでさ、とさっきから気になっていたことを聞いてみることにする。
「なあ“魔法”ってあれか? 空を飛んだり、炎とか雷、風とか起こして相手を攻撃したり防御したりするあれか?」
『そうそう、そんな感じ』
こちらの世界で言われているのと大筋で違いはないよと付け加える。
「だったらさ、なんでもいいから魔法を見せてもらえないか?」
そしたら少しは魔法ってヤツを信じられるようになるかもしれないからさと提案してみたところ、
『それは構わないけど。それなら見るよりも実際に使ってみた方がより現実味が湧くんじゃないのかな?』
「確かにな。で、誰が使うんだ?」
『もちろんキミに決まっているじゃないか』
なに当たり前のこと聞いてくるのさとクレームを付けてくる。
「俺が? 魔法を?」
『そうそう』
おいおい無茶言うな。俺に魔法なんて使えるわけないだろうがとすぐさま反論したところ、
『そんなことないよ。その証拠にボクの姿が見えているじゃないか』
キミが魔力を有している証拠だよと告げるラッセ。あのさ、そんなこと言われても正直ピンと来ないというかそもそもその判断基準は如何なものかと思うんだが。
『仕方ないなぁ』
そう言ってからブツブツと日本語ではない別の、聞いたこともないような言葉を口にする。
『完了っと。ねえねえ、キミの持っているケータイを取り出してみて』
「ケータイを? いいけど」
何故にケータイを? と疑問に思いつつも言われたとおりポケットにつっこんであるケータイを取り出す。
『画面に“Magic Girl”というアイコンが追加されているかと思うんだけど』
「あ、ホントだ」
確かにラッセの言うとおり、最近買い換えたばかりのケータイことスマートフォンの画面には、いつの間にか俺がインストールした覚えのないアイコンが表示されていた。アイコンに下に表示されている名前は“Magic Girl”。そのまんま訳すと“魔法少女”。おいおい、なんて典型的な日本人みたいなネーミングセンスしてるんだよ、おまえは。
『それをタッチ(契約)して魔法少女になって』
おまえはキュウ○えかっ! と思わずつっこむ俺なのでした。
2.魔法少女は女の子だから魔法少女っていうんですよ
「あのな、見ての通り俺は男だぞ」
『もちろん知ってるよ』
「だったら“魔法少年”じゃないのか?」
てか、性別を特定するような単語なんか使わないで素直に“魔法使い”でいいんじゃないかと思うのは俺だけか?
『それは無理。だってインターフェースが違うから』
「イ、インターフェース?」
なんじゃそりゃ? なんでいきなりコンピュータ用語みたいなのが出てくるんだよ。
『キミたちの住むこの世界では魔法が使えるのは未成年の女性に限られているんだよ』
だから“魔法少女”であってるんだよと言うラッセ。ふむふむ、インターフェースってここでは性別のことを指し示しているのか。なるほどなるほど……って、なに納得してるんだよ、俺はっ!
「おまえさ、人の話聞いてたか? お・れ・は・お・と・こ・だ・ぞ」
『いいからいから。百聞は一見にしかず、とりあえずタッチしてみて』
うちはどっかと違って願いを叶える代わりに変な代償を求めるようなことはしないから。それにいつでも違約金なしで契約解除できるから安心してとリスクがないことをアピールしてくる。うわー、なんかめっちゃ胡散臭いよなぁ。
『まあ、キミが躊躇してしまうのも当然といえば当然だよね。ボクだって無茶苦茶なこと言っていることぐらい百も承知さ。でもね、彼女たちを助けたかったらキミが“魔法少女”になってヤツらの野望を阻止するしか道はないんだよ。まあ、厳密にいうともう一つ選択肢があるけどね。でも、そんな薄情な真似、キミにはできないだろう? ましてやそれが彼女たち、特に彼女に対してとなるとね。違うかい?』
「ちっ」
くそったれ、選択肢なんて端っからねえじゃねえかよ。
「……本当に何もないんだな」
『キミの場合、最初だけちょっと体に異変を感じるだろうけど、すぐ慣れるはずだよ』
「……信じていいんだな」
『もちろんだよ』
本来ならボクたちの力だけでなんとかしなくちゃいけないんだけどね。巻き込んじゃってごめんね。でもどうしてもキミの力が必要なんだ。彼女に対抗しうる魔力を有するキミの力がねと助けを求めてくる。
「……契約、タッチすればいいんだよな」
『契約してくれるの?』
「おまえのためじゃない。あいつらを助けるためだ」
画面表示されていた“Magic Girl”というアプリをタッチした途端、そこから直径50cmぐらいの魔方陣が淡い紫色の光を放ちながら空中へと浮かび上がる。
『サークルの中心点に手のひらをあてて』
それで契約完了だよと説明するラッセ。
「こ、こうか?」
恐る恐る右手を伸ばし言われたとおり魔方陣の中心点に手のひらを合わせる。すると触れた箇所から光に包まれ始め全身へと駆け巡っていく。
なんだ、なんなんだ、この奇妙な感覚は!? 思わず目を瞑ってしまう。なんて表現したらいいんだろう、体の内側からこううねうねされる感触。これがさっきラッセが言ってた異変ってヤツなのか? 確かにラッセが言っていたとおり痛くはないけど、あまり気持ちいいものじゃないな。うー、いつまで続くんだよ、これ。とっとと終わって……って、お、なんだか徐々に楽になってきた。
『うんうん、大成功だよ』
「そ、そうなの?」
ゆっくりと閉じていた目を開ける。するとそこにはいかにも満足といった表情のラッセの姿があった。
『うんうん、どこからどう見てもかわいい魔法少女だよ』
「もう、さっきから言ってるでしょう。わ・た・し・は・お・と・こ・の・こ・な・ん・だ・か・ら・ね……って、あれ? あれあれ?」
口から発せられた言葉に妙な違和感を覚える。ちょっと待て。確か俺『さっきから言ってるだろうが。お・れ・は・お・と・こ・だ・ぞ』って言ったはずよな? でも口から発せられた言葉は違っていたような気がするのは気のせいか? しかも声質も全然違って聞こえるし、俺の声ってこんなに高かったっけ? まるで女みたい……って、ちょっと待て。
「ね、ねえ……」
まさか、まさかそんなことないよなと尋ねたところ、
『ううん、気のせいなんかじゃないよ。今のキミは正真正銘女の子だからね』
インターフェースの方は染色体とかDNAだっけ? それらをちょっといじっちゃっただけだから、いつでも元に戻せるから安心して。それといくら男言葉を使っても口にした瞬間、女言葉に変換されちゃうようにもしておいたから、無理して口調を変えなくても勝手にやっちゃうから気兼ねなく話してくれて平気だから。もう至れり尽くせりだよねとそれはもう楽しげに解説してくる。
「い、至れり尽くせりでしょ、なんて簡単な言葉で済ませないでよねっ!」
『おかしいな? キミならきっと彼女たちにバレるようなファクターはすべてつぶしておきたいと言うと思ったからこそ、気を遣って予めそうしておいたんだけどな。それともなにかい、彼女たちに今の姿をアピールしたかったのかい? かわいくなった私の姿を見てって』
「そそ、そんなわけないでしょっ!」
『だったらこっちの方が彼女たちにもバレにくいんじゃないかな? 女性ってほんの些細なことからでも気づいちゃうからね』
「い、言われてみれば確かに……」
そうかもしれないけどさ。言おうとしていた言葉と口から発せられる言葉が違うっていうのはすっげー違和感なんですけど。
『でも、その格好で男言葉使われちゃう方がもっと違和感だよ』
「その格好?」
そういやこいつインターフェースがどうとか言ってたよな? インターフェースって確か性別のことを指し示しているって言ってなかったっけ? ま、まさか、そんなことない……よな?
『鏡、貸そうか?』
「う、うん」
どこから取り出してきたのやら。いつの間にやらラッセは手鏡を口に咥えていた。ホント用意周到なヤツ。それを受け取り、恐る恐る覗き込む。
「だ、誰これ……」
そこに映っていたのは俺じゃなくて紛れもなく女の子だった。しかも自分で言うのもなんだけど、多分、街頭やネットでアンケートを取ったら100人中100人が美少女って答えるんじゃないかな? しかもフリルたっぷりの黒い服装が余計かわいらしさを……って、何着てるんだよ、俺はっ!
「ちょっと、この服って……」
『ああそれ。魔法を効率的に扱えるようにするための服装、魔法衣だけど』
だだ、だってこれっていわゆるその……ゴゴ、ゴスロリってヤツだぞ。さ、さすがにこれはちょっとねえだろ。
「ね、ねえ、これしかないの?」
『キミの魔法適正を考えるとそれがベストなんだ。多少のカスタマイズ、例えば色の変更とかならできるけど』
アプリの中に設定変更機能があるからと教えてくれる。アプリの中だな、よしよし。善は急げとさっきのアプリをタッチしてみる。すると今度はサブメニューが表示されて……って、この各種設定変更ってヤツか? そうだ、きっとそうに違いない。それをタッチっと……お、あったあった。魔法衣設定の変更ってヤツが。そこをタッチして色設定を……。
「い、いやぁーーーっ!」
あまりのことに頭を抱え声を荒げてしまう。どうして? なんでスカートの長さとかフリルの量とかリボンの形とかなどなど、きめ細かく設定できるようになっているくせに色に関しては黒を除くと白とピンクの2色しかないんだよ!
『デフォルトだと白とピンクの2色しかなかったんだけどね。それだとキミにはあまりにも酷かと思って無理して有償色である黒を加えてもらったんだ』
結構高かったんだからね、少しは感謝してほしいなと言うラッセ。おいおい、有償色ってクルマかよ。
『どうする? カスタマイズとかする?』
「……いいです、このままで」
もう、好きにしてくれ。
『それじゃあ早速だけど本題に入ろうか』
「本題?」
『魔法、見たかったんだよね』
ニヤリと不敵な笑みを浮かべたかと思った次の瞬間、ラッセの周りに落ちていた小石が次々と宙へ浮かび上がっていく。その数、ひい、ふう、みい……やめやめ、こんなにたくさん数える気なんて起きるか。ま、地味だけどこれも魔法には違いないよなと納得していると、
『まさか、本番はこれからだよ』
「えっ?」
ラッセのかけ声と共に浮かび上がっていた小石がゆっくりとこちらに向かって横移動をし始める。
「ちょ、ちょっとラッセ……」
俺を中心としてまるで人工衛星のようにグルグルと回り始める無数の小石。小さいとはいえこれだけたくさん集まると威圧感が。そう、まるでこいつらに狙われているような気がしてたまらないんだが。
『それじゃあいくよ』
「ま、まさか! ちょっとねえ!」
そう、そのまさかだよと俺の予想を肯定するラッセ。
「じょ、冗談は……きゃっ!」
まるで引力にでも導かれるように俺めがけて飛んでくる小石の群れ。せめてとばかり真っ正面から向かってきていた石をブロックしようと手を伸ばした瞬間、とんでもないことが。ぶつかるすんでのところであさっての方向へ弾かれていく小石。しかも手のひらはというとぶつかった感触なんてこれっぽっちもなかった。
手のひらだけじゃない。まるで全身を硝子のベールで覆われているかのようにこちらに向かってきてはポンポンと弾かれていく小石たち。取り囲んでいた小石がすべて弾かれ消え去ったところでラッセが口を開く。
『“絶対防御”それがキミの力さ』
「ぜ、絶対防御?」
『なにも攻撃するだけが魔法ってわけじゃないからね。その逆、防御する魔法だってあるんだよ。しかもキミの場合、どうやらパラメータの割り振りが攻撃0に対し、防御が10という完膚無きまで防御に特化した魔法少女みたいなんだよ』
通常なら防御魔法を詠唱することで盾となる魔法障壁を展開、それを用いて相手が放った攻撃魔法を防ぐそうなのだが、俺の場合、全身くまなくセンサーみたいなものが働いて、よほどの攻撃でない限り魔法を詠唱することなく攻撃によるダメージを受ける前に自動で防御魔法を展開、無力化してしまうそうだ。
『とはいえ彼女が相手となるとそうはいかないけどね』
なのでキミには彼女と対峙するまでに中位から上位魔法を覚えてもらうことになるからと付け加える。
「それって碧里と戦うってこと?」
『恐らくは。ヤツらのことだから彼女にはボクたちが敵だと教え込んでいるはずだよ。こちらとしては真っ正面からの体力勝負ではまず勝ち目はないからね。避けるなり魔法障壁を展開するなりして相手の攻撃を回避しつつ、隙を突いて一発逆転を狙うしかないかなと』
「それって、私の魔力が底を突くまでにチャンスが転がり込んでくるのに期待しろってことかしら」
『ま、そういうことだね』
「ずいぶんと分の悪い賭ね」
あいつ、おっとりしているように見えるけど、あれでいてかなりのしっかり者だぞ。ほんと無茶言いやがるよなぁと苦笑いを浮かべていると、
『それじゃあ止めるかい?』
「まさか、男に二言はないわよ」
『今は女の子だけどね』
「それは言わないで」
それじゃあお姫様を奪還する道すがら、キミに魔法のレクチャーをしていくとするねというラッセの提案に同意する俺なのでした。
3.だって専属の魔法少女なんだから
「もうっ、なんてことしてくれるのよっ!」
『彼らは目的のために手段なんて選ばないからね』
二人が向かったと思われる場所へ向かう道すがら、ラッセから魔法についてあれこれ講義を受けていたところにラッセの主人からとんでもない情報が入ってきた。それはトープが描いた今回のシナリオだった。
内容はというとまず碧里に接触、かつ信頼を得るために妹である蒼緒ちゃんの持つ『命のかけら』と呼ばれる7つで構成された生命エネルギーを具現化したクリスタルに手をかけておきながら、碧里には悪の手先であるラッセの主人との争いでそうなってしまったと状況を説明。
うち6つは私の方でなんとかできるのだが、残る1つは蒼緒ちゃんに近しい人物にしか回収することができない、申し訳ないが手伝ってもらえないかと話を持ちかける。
妹を助けたい一心の碧里はその申し出を快諾し、魔法少女へと変身。そしてトープの使い魔であるヘリオ・ロープの案内でクリスタルのありかへと向かう。
そこでクリスタルを回収することに集中している碧里の背後から心臓を頂くという算段だそうだ。
『とりあえず彼らよりも先にクリスタルを手に入れないと』
そしたらボクたちから奪い返そうと躍起になるだろうしと言うラッセ。ふむふむ、まずは矛先をこっちに向けさせることで当初計画を狂わそうというわけだな。なるほど、そうすることで多少の時間稼ぎにはなるよな。
そうそう、さっきからずっと気になっていたことが。
「ねえ、どうして碧里をわざわざ魔法少女にさせる必要があったの?」
仮に俺がトープの立場ならば、わざわざ魔法を使えるようにしてからよりも使えない状態で襲撃した方が魔法を使って抵抗されたりしなくて済むから遙かにリスクが低いと思うのだが。ま、こちらとしてはそのお陰で助かったんだけどな。
『理由は簡単、魔法少女になって初めて魔力が生成し始めるからなんだよ』
「そうなの?」
『それまでは心臓は血液……だっけ? を送り出すだけのユニットだったからね。魔法少女になることで初めて魔力を生み出すようになって、生成された魔力を血液と同時に全身へと送り出せるようになるんだよ』
「ふーん」
『それに魔力適正も知りたかったんじゃないかな』
「魔力適正?」
『例えるならそうだね、ガソリンを燃料とする自動車に軽油を入れても走るどころか逆に壊れちゃう可能性が高いでしょ? それと同じなんだよ。魔力もそう。同系統の魔法使いならある程度魔力の融通が利くけど、他系統になると本来の力が発揮されないどころか下手をすれば誤爆する恐れさえあるからね』
そういう意味ではキミたちって特殊だよね。キミという絶対防御がいるからこそ彼女は攻撃に専念できる。その上、二人の間で魔力を受け渡しが自由自在とくれば最強の組み合わせだよと俺と碧里の関係を教えてくれる。
「うーん、私的には碧里の性格からして攻撃に特化しているというのがすっごく不思議で仕方ないんだけど」
だってさ、あのおっとりとした性格だぞ。黒くて平べったいヤツ(イニシャルG)はまあ仕方ないにせよ、こーんなちっちゃな虫でも『虫さんだよ虫さん』っておろおろ騒ぐようなヤツが攻撃に特化した魔法使いだなんて想像しろって方が無理だよと口にしたところ、ラッセは口元を緩ませながら、
『それは常にキミという存在が側にいるからじゃないのかな』
「私が?」
『そう、たとえ何が起きたとしてもキミが必ず守ってくれる。そういった絶対の信頼があるからこそ攻撃に専念できるんじゃないのかな』
きっと身に覚えあるよねと尋ねてくるラッセ。
「と、当然でしょ。私、男なんだから」
『ふふふ、そういうことにしておいてあげるよ。おっと、そろそろだね』
スカートの裾をはむっと咥え、俺を制止させるラッセ。
「状況は?」
『まだ彼女たちは到着していないみたいだね』
よかった、どうやら先回りはできたようだ。
「それじゃあ打ち合わせ通りかしら」
『そうだね』
打ち合わせというのはクリスタルの奪還方法。
なんでも俺が使える魔法の中に気配を一切消すことができる魔法があるらしく、それを使ってギリギリまで近づき捕捉される直前にラッセが飛び出しトープの注意を引きつけ、その間に俺がクリスタルをゲットするという段取りだ。
『それじゃあ準備はいいかい?』
「いつでもOKよ」
そっと目を閉じ意識を集中させる。本来なら魔法を詠唱するところなのだが、ラッセによると俺の場合、ある程度の魔法ならイメージするだけでそれが具現化できるとのこと。
すう……はあ……と深呼吸を繰り返し気持ちを落ち着かせる。心を無にすることで自分という存在を周囲から見えにくくさせるとのこと。
『あーあ、あっという間にこんな上位魔法をマスターするなんて。しかも詠唱なしに。ホント男にしておくのがもったいないよ』
どう? これが終わっても魔法少女としての契約続けない? バイト代弾むけどと尋ねてきたラッセに対し、俺はこう言ってのけた。
「いやよ、だって私は碧里専属の魔法少女なんだから」
4.キッスには特別な力があるんですよ
クリスタルまであと10mぐらいのところまで近づいたところで、それじゃ打ち合わせ通りねという言葉を残し、俺の魔法によって不可視領域となっていた範囲から飛び出していくラッセ。
「お、おまえはっ! いつの間にっ!」
『トープ、久しぶり。相変わらず姑息な真似やってるみたいだね』
「う、うるさいっ! 邪魔立てするようなら……」
言い争うラッセとトープ。よしよし、ここまでは予定通りっと。それじゃあ俺も自分のお仕事しますか……って、やばっ! あいつら来ちゃったよ。こうしてはいられないと、すぐさま駆け出しクリスタルを手中にする。視線の先には驚く碧里の姿があった。俺とは違い、まるであいつの性格を映し出したかのような純白をベースとした魔法衣。攻撃に特化しているだけあって動きやすさを重視し袖は半袖、服と同色の手袋に左手には弓……じゃないな、クロスボウをぎゅっと握りしめていた。
「返して! それは私にとって大切なものなの!」
涙を浮かべ、そう叫ぶ碧里。ごめんな、そうしてあげたいのは山々なんだけどさ、今回ばかりはそういうわけにはいかないんだよ。俺は碧里のことをじっと見つめてから首を左右に振る。
『ごめんなさい、それはできないの。だってそんなことしたら……』
蒼緒ちゃんの命がと続けようとしていたところに碧里の隣にいたトープの使い魔、ヘリオの放った魔法が飛んでくる。すぐさま魔法障壁を展開し、攻撃を無力化する。
『碧里、あいつらは悪い魔法使いの一味なんだ。妹さんを助けたかったら今すぐあいつを倒すんだ』
おいおい、悪い魔法使いはおまえらだろうがっ! そう突っ込んでやりたいところなのだが、その言葉を信じクロスボウをこちらへと向け、引き金を引く碧里。うげっ! このとてつもない魔力は! ウソだろおい!
さっきのヘリオの攻撃と打って変わって、碧里の放った矢からは魔法少女初心者の俺でもはっきりわかるぐらいとんでもない魔力が感じ取れる。とりあえず魔法障壁を重ねて……って、ムリムリ! こんなんじゃブロックにもなりゃしない。とりあえず展開している魔法障壁を並べ、一つ一つを微妙に角度を変えることでどうにか軌道を逸らすことに成功。逸らした魔法の行く手には樹齢数百年といった太い木が。
バキバキと音を立て倒れる大木。げっ! かすっただけであれかよ。くっそ……、予想していたこととはいえ、初っぱなからこう力の差を見せつけられるとはな。とはいえこっちだってそう簡単に諦めるわけにはいかないんだよ。おまえたちの命が掛かってるんだから。
かろうじて初弾をやり過ごしたところに二人の会話が耳に入ってくる。
『ボクがサポートするから碧里はドンドン矢を放って』
「は、はいっ!」
あは、あははは……。思わず顔が引きつる。あんなの連続で飛んできた日には、命がいくつあっても……って! 言ってる側からこれかよ。ええいもうっ! そっちがその気ならこっちだって。
ありったけの防御壁を呼び出し、二人の攻撃に対応していく。攻撃によって消失してしまったらすぐさま代替えの魔法障壁を広げ、防御に当てていく。
始まってからどれぐらい経過したろうか。膠着状態にしびれを切らしたヘリオがとんでもない攻撃に打って出る。
『だったらこれならどうかな?』
あさっての方角に向け攻撃を放つヘリオ。おいおい何処に向けて……って、やばっ! ヘリオが放った攻撃の先には碧里が。予想外の出来事にただただ呆然とヘリオの放った魔法を見つめる碧里。
くそっ! あいつは防御系の魔法は一切使えないっていうのに。間に合うか……いや、間に合わせる! 魔力を足の裏側に集中させ一気に爆発させる。その勢いでヘリオの射線軸上に体を割り込ませ、右手ですぐさま魔法障壁を展開、ヘリオの攻撃を無力化させる。
ふー、どうにか間に合った、そうほっと一息ついたときだった。
『碧里、今だっ!』
「え、あ、はいっ!」
しまった! 狙いはそっちか。俺の隙を作るためにわざと碧里に攻撃をしかけやがったのか。今更気がついたところで後の祭り。被害を最小限に食い止めようと左腕を伸ばし、手のひらに幾重にも防御魔法を集中させる。
至近距離からの碧里の攻撃魔法。もちろん無傷で済むなんてこともなく、手のひらからはまるで熱湯でも掛けられたかのような熱を帯びた痛みに襲われる。どうにか軌道を逸らすことには成功したものの、その際反動で倒れ込んでしまった俺。手のひらからはボタボタとどす黒い血がしたたり落ちていた。
『さあ、とどめを刺すんだ!』
ヘリオの声に従い、クロスボウを構える碧里。もちろん狙いは俺。くそ……最悪。どうやってこの場を逃げ切ろうかと考えていた矢先のこと、何故か急にブルブルとクロスボウの先端が震え出した。
「ど、どうして? なんであなたがそれを……」
どさっと碧里の手からこぼれ落ちるクロスボウ。両手を頬に当て、今にも泣き出しそうな悲痛な表情をした視線の先はというと俺の左腕、ううん正確に言うと左腕の手首に着けていた腕時計。それは今年の春、入学祝いにって碧里からプレゼントされたものだった。
「事情はあとで説明するから。お願い、私を信じて。これはあなたと蒼緒ちゃん、二人を守るために彼らに渡すわけにはいかないの」
「……」
「お願い、私を信じて!」
地面に落ちていたクロスボウを拾い上げ構える碧里。矢先を俺ではなくヘリオへと向けて。
「ヘリオ、どういうこと。説明して!」
『キミがすることはただ一つ、そこにいる魔法少女にとどめを刺すことだよ』
「そうだ。一刻も早くそいつにとどめを刺すんだ。そうしないとこやつの命はないぞ」
どこからともなく姿を現したトープの腕の中には、首筋に刃物を突きつけられた蒼緒ちゃんの姿があった。
「ようやく本性を現したようね」
左手首を押させながらゆっくりと立ち上がる。
「まったく、せっかくの計画を邪魔立てしおってからに」
「碧里さん、彼らこそ悪の魔法使いとその使い魔なの。本当の狙いはあなたの持っている魔力。それを手に入れるためにあなたの妹さんを巻き込んで一芝居打っていたのよ」
「そ、そんな……。よくも、よくも騙したわねっ!」
「おいおい、人質がどうなってもいいのか? さっさとそやつにとどめを刺すんだ。そしてお前が私の言うことをなんでも聞くというのなら、こやつの命は助けてやらんこともないがのう」
くくくく……と高笑いを上げるトープ。
「ほらほら、さっさと始末せんか……うおっ!」
一筋の光がトープめがけ飛んでいく。次の瞬間、人質になっていた蒼緒の姿が忽然と姿を消す。ごめんね遅くなってと頭を下げるラッセ。その傍らには救出された蒼緒の姿があった。
『マコ、こっちは大丈夫だよ。早く彼女の魔力を開放して』
「ありがと。あとは任せて」
姿は彼に似ているけど安心して。彼の名はラッセ。私の味方だからと隣に立っていた碧里に声を掛ける。
あ、マコというのは俺が魔法少女になった時の名前としてラッセが提案したものである。それにしても姓名のおしりからから各々一文字ずつとって鈴江 マコ(すずえ まこ)というのはいかがなものかと思うんだが。
「ご、ごめんなさい。私のせいで……」
謝罪する碧里の唇にそっと右手の人差し指をあてその先の言葉を遮る。
「気にしないで。あなたは騙されていただけであってちっとも悪くないんだから。それよりもお願いがあるの。彼らを捕まえるのを手伝ってもらえないかしら」
「私なんかで役に立つなら」
「それじゃあ今からあなたの持っている魔力をすべて解放するね」
「魔力を、解放?」
首を傾げる碧里に状況を説明する。今でも魔法使いとしてみればかなりの魔力の持ち主なんだけど、それでもまだ全体の3割程度の魔力しか使えていないこと。これからある儀式を行うことですべての魔力を引き出すことができること。
「ぎ、儀式って痛かったりするの?」
恐る恐るといった感じで尋ねてくる碧里。あ、そういや碧里って注射とか痛いの苦手だったよな。
「ううん、そんなことないわ」
どちらかというと俺が恥ずかしいだけです、はい。
それじゃ始めるねと前置きしてから、碧里に向かい合うように立つ。そして右手で碧里の左手を、左手で碧里の右手を取り、指を交互に絡ませぎゅっと握りしめる。結果、縮まる二人の距離。恥ずかしい気持ちを押さえ、そこから更に寄り添うように体を寄せ、碧里のおでこに優しくキスをする。
「……あっ」
顔を赤くした碧里の体が眩い光に包まれる。光が収束し碧里の姿が露わになる。まるで上質なシルク生地であしらえたかのような光沢感のある真新しい魔法衣を纏った碧里。袖口と手袋に付いてあるピンクのリボンが髪を二つに結ったリボンと共にアクセントになっていた。
「す、すごい……」
今までと比べものにならないぐらいの魔力を感じると感想を述べる碧里。
「準備はいい?」
「うん、いつでも」
それじゃあ私が彼らの動きを止めるからと無数の防御魔法を展開させ、トープたちめがけて放つ。
「な、なんだこれは!」
『み、身動きがとれない!』
シールド状の魔方陣が行く手を阻むようにトープたちの周囲を覆い尽くていく。
「碧里さん!」
「はいっ!」
俺の合図でそれまでの右手に加え、新たに左手にも装備されたバージョンアップしたクロスボウの引き金を引く碧里。幾重にも伸びる光の矢がトープたちめがけて飛んでいく。
ぐげぇ……という断末魔が終止符となり、瞬く間に二人を拘束することに成功するのでした。
5.終演
『二人ともありがとうね』
お陰様で二人を逮捕できたよと感謝の言葉を述べるラッセ。
「で、でも私のせいで……」
『キミが気に病むことはないよ。それに確かこちらの世界では“終わりよければすべてよし”っていう言葉があることだしね』
「で、でも……」
『マコ、キミはどうだい?』
「え? わ、私?」
おいおい、いきなり俺に話を振るなよ。
「そ、そうね……私も異存どころか碧里さん、あなたがいなかったら彼らを捕らえるどころかあなたとそしてあなたの妹さんにも危険が及んでいたはずだから」
こちらこそ迷惑かけてごめんなさいねと謝罪する。
「そ、そんな私なんて……」
それこそマコさんがいなかったら私、今頃どうなっていたかと思うとと再び頭を下げてくる。
うーん、この分じゃあいつまで経っても堂々巡り確定だよな。ならば、ボロが出る前にとっとと撤収するとしますか。
「ごめんなさい、もう時間みたい。それじゃあ私はそろそろ行くね」
「もう行っちゃうんですか」
途端、しょんぼりとする碧里だったが、すぐさま顔を上げ声を掛けてくる。
「マコさん、また会えますよね?」
「うーん、それはどうかしら?」
笑ってそう答えて見せたものの、俺的にはこの姿を、しかも碧里に見られるかと思うとさすがにあれなわけで。
「それじゃあね」
あ、待って下さいと碧里に呼び止められたものの魔法を唱えすぐさまその場から撤収する俺。そんな俺の耳には『あ、そうそう碧里、キミに一つ言い忘れていたことがあるんだけど……』というラッセの言葉は届くことがなかった。
6.エピローグ
「うーん」
さてと、どうしたものやら。
今、頭を悩ませているのはさっきまでのこと。
恐らくあいつにはマコの正体が俺だってことがバレているはず。あれしか道がなかったとはいえ、女装した……いや、女になっていたから厳密には違うか。とにかくあんな姿を見られたかと思うと、やはり男としていかがなものかと考えてしまうわけで。なんとか誤魔化せないかと玄関の前であーだこーだと思案してみたけれど、結局いい案はこれっぽっちも浮かばなかった。
仕方ない、とりあえず何か尋ねられても白を切って切って切りまくろうと決意したところで懸念材料となるのはこの左手の怪我。なるべく軽傷に見せようと包帯の量を必要最低限にしてみたんだが、これが辛いったらありゃしない。
ちょっと傷口に触れただけでもかなりの痛みが走る始末だった。かといって痛みを和らげようと包帯をグルグルと巻いた日には……。あいつ、間違いなく『徹夜で看病する!』って言い張るだろうし。それだけは是が非でも避けないと。
はい? 女の子に看病されるなんていううらやましいシチュエーションでなに贅沢なこといってるんだって? いやいや、俺だって最初はそう思ったよ。でもさ、好きな女の子がベッドにくたっともたれながら、スースーと寝息を立てていられた日には……。理性が今のもぶっ飛んでしまいそうなあんな生き地獄、もう勘弁して下さい。
「何やってるの?」
「ああ、ちょっと考え事を……って、うおっ!」
いつの間にか、目の前に碧里と蒼緒ちゃんの姿があった。
「おにいちゃん、おにいちゃん。そのリアクションはどうかと思うけどな」
「わ、悪い。つい考え事をしててさ」
腰に手を当ていつものように女性に対する配慮が足りてませんよと苦言を呈する蒼緒ちゃん。よかった、蒼緒ちゃん、なんともなさそうで。ラッセのヤツに感謝しないとな。
「おにいちゃん、その怪我……」
「ああこれ? 大したことないよ」
痛みを堪え、手を振りなんともないことをアピールしてみる。く、くぅ……け、結構痛いぞ。ど、どうするよ、俺。こんなんで明日の食事当番をこなせるのか? 最悪、こいつらが帰ってくる前に手にフライパンをくくりつけてでもして作るかなどと対応策を考えていると、
「あ、そうだ。諒くん諒くん、今日からしばらくの間、夕飯私に作らせてくれないかな?」
ちょっと試してみたいレシピがあるんだと口にする碧里。まったくもう、変な気を遣いやがって。
「だ・か・ら、これぐらい大したことな……ぐげえっ!」
いきなり碧里に左手をぎゅっと握りしめられ、思わず苦痛の声を上げてしまう。
「わ・た・し・が・つ・く・り・た・い・の」
「りょ、了解です」
お願いです、その笑顔……というよりもうしろでモヤモヤと渦巻いているオーラをできたら止めて頂けると大変助かるのですが。
はあー。そうなんだよな、碧里ってさ、昔から一度口にしたら絶対引かないもんなぁー。仕方ない、今回はその厚意に甘えるとするか。
「それじゃあ、蒼緒、先に行くね」
二人とも、あんまし公然の場でイチャイチャしないでね、そう言って碧里からスーパーの袋を引ったくり家の中へと入っていく蒼緒ちゃん。おいおい、いつ俺たちがそんなことをした。そもそも俺たちはまだそんな関係じゃあないことぐらいよく知ってるじゃないか。な、なあ、碧里、おまえからも何か言ってやれ……って、おいそこ、何顔を赤くしてるんだよ。
「それじゃあ俺たちも……」
中に入ろうぜと声を掛け歩き出したところで碧里が先回りをして俺の行く手を阻む。
「りょ、諒くんっ!」
「うん? どうした?」
「あ、あの、その……さっきは助けてくれてありがとうね」
深々と頭を下げ、感謝を伝えてくる碧里。
やっぱりバレていたか……。そりゃそうだよな。なにせ物証がここにあるわけだしと気づかれないようにさりげなく左手に着けている腕時計に目をやる。
それじゃあ予定通り知らぬ存ぜぬで通すとしますか。
「うん? 一体何のことだ? 俺は何もしてないぞ」
そう答えたところ、碧里の口から想定外の言葉が。
「そうそう、ラッセさんから伝言を預かってきたの。あとで再封印、お願いねだって」
「再封印?」
なんでも魔力を放出し続けちゃうとまた変な人たちに襲われちゃう可能性があるからと言う碧里。ったく、ラッセのヤツ、そーいう重要なことは先に言っておけってんだよ。
仕方ない、さりげなく手順を聞き出しておいて、あとでひっそりこっそり対処するか。
「ふーん、よくわかんないけど。で、ちなみにどうやるんだ、その再封印って」
「同じだって、解放したときと」
「ふーん、同じか……って、いいっ!?」
ちょちょ、ちょっと待て、解放したときと同じって……。キキ、キスしろってことか!?
「で、できたら今度はおでこじゃなくって、その……こっちにね」
絶賛動揺しまくっている俺に向かって、碧里は顔を真っ赤にしながら人差し指で唇を指し示してくるのでした。
「き、消えたっ!?」
目の前で起きた摩訶不思議な出来事にパニクる俺、鈴枝 諒(すずえだ まこと)高校一年生……って、そんなことどうでもいい。
一体何が起きたかというと学校からの帰り道、隣接する公園の真ん中あたりに立っていた幼なじみの一ノ瀬 碧里(いちのせ みどり)とその背中に碧里の妹である蒼緒(あお)ちゃんの姿を発見。何かあったのかと声を掛けようと歩み寄ろうとした次の瞬間、二人を中心として眩い光を放つ球体が発生、瞬く間に大きく膨れあがり二人を飲み込んでいった。
その間、時間にして510秒ぐらいだったと思う。光が収束し、視力が回復したときには、視線の先にいたはずの二人の姿がどこにもなかった。
すぐさま二人が立っていたところへ駆け出す。
「うーん、特に変わったことはなさそうなんだけどなぁ」
地面に注意深く目を向けてから、手で触ってみたり、足でトントンと軽く蹴ってみたりしたものの、特に変わったことはなかった。
「あいつら一体……」
どこに行っちまったんだよ、おい。そうぼやいたときだった。
『しまった、一歩遅かったか』
少し離れていた所に一匹の犬がいた。赤い首輪をした真っ白で毛並みの良さそうな短毛種の中型犬が。てことは今の声はこいつの飼い主か? そう思い、辺りをきょろきょろと見回したものの、人らしき姿はどこにもなかった。
まさか……な。どこぞの携帯事業者のCMじゃあるまいし、犬がしゃべるわけないだろうが。
『ふーん。キミ、ボクの姿が見えるんだ』
ったく、さっきから一体誰なんだよ話しかけてくるヤツは。今はそれどころじゃないんだよ。あいつらを探さないといけないんだからさ。
『ボクだよボク。目の前にいるじゃないか』
バカ野郎、目の前にいるのはワン公だけで、人の姿なんてどこにもいやしねーよ。
『そっか、キミの目にはボクがそういう風に見えてるんだね。だったらそれであってるよ』
はあ? 何がだよ。
『こちらの世界で“犬”、学名“Canis lupus familiaris(カニス・ルプス・ファミリアリス)”と呼ばれている姿をしているのがボクさ』
「だからっ! そんな冗談に付き合っているほど俺は……え?」
例の白い犬が手(一般的には前足と言うが)を振っていた。左右にしっぽをパタパタさせ、愛想を振りまきながら。こちらに向かって。
「リ、リアルお父さん!?」
『誰それ? ボクの名はラッセ、ラッセ・ブラン。魔法使いの使い魔さ』
1.魔法少女と契約の関係
それから1分後。
「で、今の話を信じろと」
『そうそう』
俺はやったぜやったぜと言わんばかりに鼻先を激しく上下させるラッセ。
「『あの姉妹が悪い魔法使いに騙されちゃったの。だから助けるの手伝って』だけでわかるかボケっ! もっとわかりやすく説明せんかい!」
ええー、言語化するのぉーっとあからさまに不満の声を上げるラッセ。おいおい、お前は某図書館塔の最上階にいるお菓子大好き金髪碧眼美少女か。いいからとっととやれ。
仕方ないなぁーと渋々ながら口を開くラッセ。
話によると碧里の体内には何でも魔法を唱えるのに必要不可欠なエネルギーとなる魔力を生成する能力があるとのこと。
しかも生成される魔力はとても高品質の上、加えて短時間に大量生産できるという魔法使いにとって喉から手が出るほど魅力的なものだそうだ。
それに目を付けた悪の魔法結社の幹部候補、トープ・グレイという名の魔法使いが、彼女からその能力を奪い取り、それを手土産に幹部の座を手にしようと目論んでいるという情報を入手した魔法管理協会は、それを阻止すべく所属するラッセの主人をこちらへ向かわせることにしたそうだ。
ただ、ラッセの主人は次元の違いからこちらの世界では活動が困難なことが判明。代行要員が到着するまでの間、使い魔であるラッセにその役目を任せ、自身は後方支援(情報収集やラッセに魔力提供など)に当たることにしたそうだ。
「で、簡単に抜き取れるもんなのか? その魔力を生成する能力ってヤツを?」
『もちろん可能だよ。確か……そうそう、こちらの世界で言う“心臓”と呼ばれているモジュールを取っちゃうだけだからね』
「アホかおまえっ! そんなことしたら死んじまうじゃないかっ!」
おまえさ、軽々しく物騒なこと言うんじゃねえよと文句を言ったところ、ラッセは首を傾げ意外そうな顔つきで、
『へー、そうなんだ。人間ってボクたちが思っていた以上に繊細なんだね。ボクたちの住む世界だと腕や足の一本や二本、臓器の十個や二十個失っても魔法で再構成しちゃうだけだからね』
なるほどな、どうりであっさりそんなこと言うわけだ。ところでさ、とさっきから気になっていたことを聞いてみることにする。
「なあ“魔法”ってあれか? 空を飛んだり、炎とか雷、風とか起こして相手を攻撃したり防御したりするあれか?」
『そうそう、そんな感じ』
こちらの世界で言われているのと大筋で違いはないよと付け加える。
「だったらさ、なんでもいいから魔法を見せてもらえないか?」
そしたら少しは魔法ってヤツを信じられるようになるかもしれないからさと提案してみたところ、
『それは構わないけど。それなら見るよりも実際に使ってみた方がより現実味が湧くんじゃないのかな?』
「確かにな。で、誰が使うんだ?」
『もちろんキミに決まっているじゃないか』
なに当たり前のこと聞いてくるのさとクレームを付けてくる。
「俺が? 魔法を?」
『そうそう』
おいおい無茶言うな。俺に魔法なんて使えるわけないだろうがとすぐさま反論したところ、
『そんなことないよ。その証拠にボクの姿が見えているじゃないか』
キミが魔力を有している証拠だよと告げるラッセ。あのさ、そんなこと言われても正直ピンと来ないというかそもそもその判断基準は如何なものかと思うんだが。
『仕方ないなぁ』
そう言ってからブツブツと日本語ではない別の、聞いたこともないような言葉を口にする。
『完了っと。ねえねえ、キミの持っているケータイを取り出してみて』
「ケータイを? いいけど」
何故にケータイを? と疑問に思いつつも言われたとおりポケットにつっこんであるケータイを取り出す。
『画面に“Magic Girl”というアイコンが追加されているかと思うんだけど』
「あ、ホントだ」
確かにラッセの言うとおり、最近買い換えたばかりのケータイことスマートフォンの画面には、いつの間にか俺がインストールした覚えのないアイコンが表示されていた。アイコンに下に表示されている名前は“Magic Girl”。そのまんま訳すと“魔法少女”。おいおい、なんて典型的な日本人みたいなネーミングセンスしてるんだよ、おまえは。
『それをタッチ(契約)して魔法少女になって』
おまえはキュウ○えかっ! と思わずつっこむ俺なのでした。
2.魔法少女は女の子だから魔法少女っていうんですよ
「あのな、見ての通り俺は男だぞ」
『もちろん知ってるよ』
「だったら“魔法少年”じゃないのか?」
てか、性別を特定するような単語なんか使わないで素直に“魔法使い”でいいんじゃないかと思うのは俺だけか?
『それは無理。だってインターフェースが違うから』
「イ、インターフェース?」
なんじゃそりゃ? なんでいきなりコンピュータ用語みたいなのが出てくるんだよ。
『キミたちの住むこの世界では魔法が使えるのは未成年の女性に限られているんだよ』
だから“魔法少女”であってるんだよと言うラッセ。ふむふむ、インターフェースってここでは性別のことを指し示しているのか。なるほどなるほど……って、なに納得してるんだよ、俺はっ!
「おまえさ、人の話聞いてたか? お・れ・は・お・と・こ・だ・ぞ」
『いいからいから。百聞は一見にしかず、とりあえずタッチしてみて』
うちはどっかと違って願いを叶える代わりに変な代償を求めるようなことはしないから。それにいつでも違約金なしで契約解除できるから安心してとリスクがないことをアピールしてくる。うわー、なんかめっちゃ胡散臭いよなぁ。
『まあ、キミが躊躇してしまうのも当然といえば当然だよね。ボクだって無茶苦茶なこと言っていることぐらい百も承知さ。でもね、彼女たちを助けたかったらキミが“魔法少女”になってヤツらの野望を阻止するしか道はないんだよ。まあ、厳密にいうともう一つ選択肢があるけどね。でも、そんな薄情な真似、キミにはできないだろう? ましてやそれが彼女たち、特に彼女に対してとなるとね。違うかい?』
「ちっ」
くそったれ、選択肢なんて端っからねえじゃねえかよ。
「……本当に何もないんだな」
『キミの場合、最初だけちょっと体に異変を感じるだろうけど、すぐ慣れるはずだよ』
「……信じていいんだな」
『もちろんだよ』
本来ならボクたちの力だけでなんとかしなくちゃいけないんだけどね。巻き込んじゃってごめんね。でもどうしてもキミの力が必要なんだ。彼女に対抗しうる魔力を有するキミの力がねと助けを求めてくる。
「……契約、タッチすればいいんだよな」
『契約してくれるの?』
「おまえのためじゃない。あいつらを助けるためだ」
画面表示されていた“Magic Girl”というアプリをタッチした途端、そこから直径50cmぐらいの魔方陣が淡い紫色の光を放ちながら空中へと浮かび上がる。
『サークルの中心点に手のひらをあてて』
それで契約完了だよと説明するラッセ。
「こ、こうか?」
恐る恐る右手を伸ばし言われたとおり魔方陣の中心点に手のひらを合わせる。すると触れた箇所から光に包まれ始め全身へと駆け巡っていく。
なんだ、なんなんだ、この奇妙な感覚は!? 思わず目を瞑ってしまう。なんて表現したらいいんだろう、体の内側からこううねうねされる感触。これがさっきラッセが言ってた異変ってヤツなのか? 確かにラッセが言っていたとおり痛くはないけど、あまり気持ちいいものじゃないな。うー、いつまで続くんだよ、これ。とっとと終わって……って、お、なんだか徐々に楽になってきた。
『うんうん、大成功だよ』
「そ、そうなの?」
ゆっくりと閉じていた目を開ける。するとそこにはいかにも満足といった表情のラッセの姿があった。
『うんうん、どこからどう見てもかわいい魔法少女だよ』
「もう、さっきから言ってるでしょう。わ・た・し・は・お・と・こ・の・こ・な・ん・だ・か・ら・ね……って、あれ? あれあれ?」
口から発せられた言葉に妙な違和感を覚える。ちょっと待て。確か俺『さっきから言ってるだろうが。お・れ・は・お・と・こ・だ・ぞ』って言ったはずよな? でも口から発せられた言葉は違っていたような気がするのは気のせいか? しかも声質も全然違って聞こえるし、俺の声ってこんなに高かったっけ? まるで女みたい……って、ちょっと待て。
「ね、ねえ……」
まさか、まさかそんなことないよなと尋ねたところ、
『ううん、気のせいなんかじゃないよ。今のキミは正真正銘女の子だからね』
インターフェースの方は染色体とかDNAだっけ? それらをちょっといじっちゃっただけだから、いつでも元に戻せるから安心して。それといくら男言葉を使っても口にした瞬間、女言葉に変換されちゃうようにもしておいたから、無理して口調を変えなくても勝手にやっちゃうから気兼ねなく話してくれて平気だから。もう至れり尽くせりだよねとそれはもう楽しげに解説してくる。
「い、至れり尽くせりでしょ、なんて簡単な言葉で済ませないでよねっ!」
『おかしいな? キミならきっと彼女たちにバレるようなファクターはすべてつぶしておきたいと言うと思ったからこそ、気を遣って予めそうしておいたんだけどな。それともなにかい、彼女たちに今の姿をアピールしたかったのかい? かわいくなった私の姿を見てって』
「そそ、そんなわけないでしょっ!」
『だったらこっちの方が彼女たちにもバレにくいんじゃないかな? 女性ってほんの些細なことからでも気づいちゃうからね』
「い、言われてみれば確かに……」
そうかもしれないけどさ。言おうとしていた言葉と口から発せられる言葉が違うっていうのはすっげー違和感なんですけど。
『でも、その格好で男言葉使われちゃう方がもっと違和感だよ』
「その格好?」
そういやこいつインターフェースがどうとか言ってたよな? インターフェースって確か性別のことを指し示しているって言ってなかったっけ? ま、まさか、そんなことない……よな?
『鏡、貸そうか?』
「う、うん」
どこから取り出してきたのやら。いつの間にやらラッセは手鏡を口に咥えていた。ホント用意周到なヤツ。それを受け取り、恐る恐る覗き込む。
「だ、誰これ……」
そこに映っていたのは俺じゃなくて紛れもなく女の子だった。しかも自分で言うのもなんだけど、多分、街頭やネットでアンケートを取ったら100人中100人が美少女って答えるんじゃないかな? しかもフリルたっぷりの黒い服装が余計かわいらしさを……って、何着てるんだよ、俺はっ!
「ちょっと、この服って……」
『ああそれ。魔法を効率的に扱えるようにするための服装、魔法衣だけど』
だだ、だってこれっていわゆるその……ゴゴ、ゴスロリってヤツだぞ。さ、さすがにこれはちょっとねえだろ。
「ね、ねえ、これしかないの?」
『キミの魔法適正を考えるとそれがベストなんだ。多少のカスタマイズ、例えば色の変更とかならできるけど』
アプリの中に設定変更機能があるからと教えてくれる。アプリの中だな、よしよし。善は急げとさっきのアプリをタッチしてみる。すると今度はサブメニューが表示されて……って、この各種設定変更ってヤツか? そうだ、きっとそうに違いない。それをタッチっと……お、あったあった。魔法衣設定の変更ってヤツが。そこをタッチして色設定を……。
「い、いやぁーーーっ!」
あまりのことに頭を抱え声を荒げてしまう。どうして? なんでスカートの長さとかフリルの量とかリボンの形とかなどなど、きめ細かく設定できるようになっているくせに色に関しては黒を除くと白とピンクの2色しかないんだよ!
『デフォルトだと白とピンクの2色しかなかったんだけどね。それだとキミにはあまりにも酷かと思って無理して有償色である黒を加えてもらったんだ』
結構高かったんだからね、少しは感謝してほしいなと言うラッセ。おいおい、有償色ってクルマかよ。
『どうする? カスタマイズとかする?』
「……いいです、このままで」
もう、好きにしてくれ。
『それじゃあ早速だけど本題に入ろうか』
「本題?」
『魔法、見たかったんだよね』
ニヤリと不敵な笑みを浮かべたかと思った次の瞬間、ラッセの周りに落ちていた小石が次々と宙へ浮かび上がっていく。その数、ひい、ふう、みい……やめやめ、こんなにたくさん数える気なんて起きるか。ま、地味だけどこれも魔法には違いないよなと納得していると、
『まさか、本番はこれからだよ』
「えっ?」
ラッセのかけ声と共に浮かび上がっていた小石がゆっくりとこちらに向かって横移動をし始める。
「ちょ、ちょっとラッセ……」
俺を中心としてまるで人工衛星のようにグルグルと回り始める無数の小石。小さいとはいえこれだけたくさん集まると威圧感が。そう、まるでこいつらに狙われているような気がしてたまらないんだが。
『それじゃあいくよ』
「ま、まさか! ちょっとねえ!」
そう、そのまさかだよと俺の予想を肯定するラッセ。
「じょ、冗談は……きゃっ!」
まるで引力にでも導かれるように俺めがけて飛んでくる小石の群れ。せめてとばかり真っ正面から向かってきていた石をブロックしようと手を伸ばした瞬間、とんでもないことが。ぶつかるすんでのところであさっての方向へ弾かれていく小石。しかも手のひらはというとぶつかった感触なんてこれっぽっちもなかった。
手のひらだけじゃない。まるで全身を硝子のベールで覆われているかのようにこちらに向かってきてはポンポンと弾かれていく小石たち。取り囲んでいた小石がすべて弾かれ消え去ったところでラッセが口を開く。
『“絶対防御”それがキミの力さ』
「ぜ、絶対防御?」
『なにも攻撃するだけが魔法ってわけじゃないからね。その逆、防御する魔法だってあるんだよ。しかもキミの場合、どうやらパラメータの割り振りが攻撃0に対し、防御が10という完膚無きまで防御に特化した魔法少女みたいなんだよ』
通常なら防御魔法を詠唱することで盾となる魔法障壁を展開、それを用いて相手が放った攻撃魔法を防ぐそうなのだが、俺の場合、全身くまなくセンサーみたいなものが働いて、よほどの攻撃でない限り魔法を詠唱することなく攻撃によるダメージを受ける前に自動で防御魔法を展開、無力化してしまうそうだ。
『とはいえ彼女が相手となるとそうはいかないけどね』
なのでキミには彼女と対峙するまでに中位から上位魔法を覚えてもらうことになるからと付け加える。
「それって碧里と戦うってこと?」
『恐らくは。ヤツらのことだから彼女にはボクたちが敵だと教え込んでいるはずだよ。こちらとしては真っ正面からの体力勝負ではまず勝ち目はないからね。避けるなり魔法障壁を展開するなりして相手の攻撃を回避しつつ、隙を突いて一発逆転を狙うしかないかなと』
「それって、私の魔力が底を突くまでにチャンスが転がり込んでくるのに期待しろってことかしら」
『ま、そういうことだね』
「ずいぶんと分の悪い賭ね」
あいつ、おっとりしているように見えるけど、あれでいてかなりのしっかり者だぞ。ほんと無茶言いやがるよなぁと苦笑いを浮かべていると、
『それじゃあ止めるかい?』
「まさか、男に二言はないわよ」
『今は女の子だけどね』
「それは言わないで」
それじゃあお姫様を奪還する道すがら、キミに魔法のレクチャーをしていくとするねというラッセの提案に同意する俺なのでした。
3.だって専属の魔法少女なんだから
「もうっ、なんてことしてくれるのよっ!」
『彼らは目的のために手段なんて選ばないからね』
二人が向かったと思われる場所へ向かう道すがら、ラッセから魔法についてあれこれ講義を受けていたところにラッセの主人からとんでもない情報が入ってきた。それはトープが描いた今回のシナリオだった。
内容はというとまず碧里に接触、かつ信頼を得るために妹である蒼緒ちゃんの持つ『命のかけら』と呼ばれる7つで構成された生命エネルギーを具現化したクリスタルに手をかけておきながら、碧里には悪の手先であるラッセの主人との争いでそうなってしまったと状況を説明。
うち6つは私の方でなんとかできるのだが、残る1つは蒼緒ちゃんに近しい人物にしか回収することができない、申し訳ないが手伝ってもらえないかと話を持ちかける。
妹を助けたい一心の碧里はその申し出を快諾し、魔法少女へと変身。そしてトープの使い魔であるヘリオ・ロープの案内でクリスタルのありかへと向かう。
そこでクリスタルを回収することに集中している碧里の背後から心臓を頂くという算段だそうだ。
『とりあえず彼らよりも先にクリスタルを手に入れないと』
そしたらボクたちから奪い返そうと躍起になるだろうしと言うラッセ。ふむふむ、まずは矛先をこっちに向けさせることで当初計画を狂わそうというわけだな。なるほど、そうすることで多少の時間稼ぎにはなるよな。
そうそう、さっきからずっと気になっていたことが。
「ねえ、どうして碧里をわざわざ魔法少女にさせる必要があったの?」
仮に俺がトープの立場ならば、わざわざ魔法を使えるようにしてからよりも使えない状態で襲撃した方が魔法を使って抵抗されたりしなくて済むから遙かにリスクが低いと思うのだが。ま、こちらとしてはそのお陰で助かったんだけどな。
『理由は簡単、魔法少女になって初めて魔力が生成し始めるからなんだよ』
「そうなの?」
『それまでは心臓は血液……だっけ? を送り出すだけのユニットだったからね。魔法少女になることで初めて魔力を生み出すようになって、生成された魔力を血液と同時に全身へと送り出せるようになるんだよ』
「ふーん」
『それに魔力適正も知りたかったんじゃないかな』
「魔力適正?」
『例えるならそうだね、ガソリンを燃料とする自動車に軽油を入れても走るどころか逆に壊れちゃう可能性が高いでしょ? それと同じなんだよ。魔力もそう。同系統の魔法使いならある程度魔力の融通が利くけど、他系統になると本来の力が発揮されないどころか下手をすれば誤爆する恐れさえあるからね』
そういう意味ではキミたちって特殊だよね。キミという絶対防御がいるからこそ彼女は攻撃に専念できる。その上、二人の間で魔力を受け渡しが自由自在とくれば最強の組み合わせだよと俺と碧里の関係を教えてくれる。
「うーん、私的には碧里の性格からして攻撃に特化しているというのがすっごく不思議で仕方ないんだけど」
だってさ、あのおっとりとした性格だぞ。黒くて平べったいヤツ(イニシャルG)はまあ仕方ないにせよ、こーんなちっちゃな虫でも『虫さんだよ虫さん』っておろおろ騒ぐようなヤツが攻撃に特化した魔法使いだなんて想像しろって方が無理だよと口にしたところ、ラッセは口元を緩ませながら、
『それは常にキミという存在が側にいるからじゃないのかな』
「私が?」
『そう、たとえ何が起きたとしてもキミが必ず守ってくれる。そういった絶対の信頼があるからこそ攻撃に専念できるんじゃないのかな』
きっと身に覚えあるよねと尋ねてくるラッセ。
「と、当然でしょ。私、男なんだから」
『ふふふ、そういうことにしておいてあげるよ。おっと、そろそろだね』
スカートの裾をはむっと咥え、俺を制止させるラッセ。
「状況は?」
『まだ彼女たちは到着していないみたいだね』
よかった、どうやら先回りはできたようだ。
「それじゃあ打ち合わせ通りかしら」
『そうだね』
打ち合わせというのはクリスタルの奪還方法。
なんでも俺が使える魔法の中に気配を一切消すことができる魔法があるらしく、それを使ってギリギリまで近づき捕捉される直前にラッセが飛び出しトープの注意を引きつけ、その間に俺がクリスタルをゲットするという段取りだ。
『それじゃあ準備はいいかい?』
「いつでもOKよ」
そっと目を閉じ意識を集中させる。本来なら魔法を詠唱するところなのだが、ラッセによると俺の場合、ある程度の魔法ならイメージするだけでそれが具現化できるとのこと。
すう……はあ……と深呼吸を繰り返し気持ちを落ち着かせる。心を無にすることで自分という存在を周囲から見えにくくさせるとのこと。
『あーあ、あっという間にこんな上位魔法をマスターするなんて。しかも詠唱なしに。ホント男にしておくのがもったいないよ』
どう? これが終わっても魔法少女としての契約続けない? バイト代弾むけどと尋ねてきたラッセに対し、俺はこう言ってのけた。
「いやよ、だって私は碧里専属の魔法少女なんだから」
4.キッスには特別な力があるんですよ
クリスタルまであと10mぐらいのところまで近づいたところで、それじゃ打ち合わせ通りねという言葉を残し、俺の魔法によって不可視領域となっていた範囲から飛び出していくラッセ。
「お、おまえはっ! いつの間にっ!」
『トープ、久しぶり。相変わらず姑息な真似やってるみたいだね』
「う、うるさいっ! 邪魔立てするようなら……」
言い争うラッセとトープ。よしよし、ここまでは予定通りっと。それじゃあ俺も自分のお仕事しますか……って、やばっ! あいつら来ちゃったよ。こうしてはいられないと、すぐさま駆け出しクリスタルを手中にする。視線の先には驚く碧里の姿があった。俺とは違い、まるであいつの性格を映し出したかのような純白をベースとした魔法衣。攻撃に特化しているだけあって動きやすさを重視し袖は半袖、服と同色の手袋に左手には弓……じゃないな、クロスボウをぎゅっと握りしめていた。
「返して! それは私にとって大切なものなの!」
涙を浮かべ、そう叫ぶ碧里。ごめんな、そうしてあげたいのは山々なんだけどさ、今回ばかりはそういうわけにはいかないんだよ。俺は碧里のことをじっと見つめてから首を左右に振る。
『ごめんなさい、それはできないの。だってそんなことしたら……』
蒼緒ちゃんの命がと続けようとしていたところに碧里の隣にいたトープの使い魔、ヘリオの放った魔法が飛んでくる。すぐさま魔法障壁を展開し、攻撃を無力化する。
『碧里、あいつらは悪い魔法使いの一味なんだ。妹さんを助けたかったら今すぐあいつを倒すんだ』
おいおい、悪い魔法使いはおまえらだろうがっ! そう突っ込んでやりたいところなのだが、その言葉を信じクロスボウをこちらへと向け、引き金を引く碧里。うげっ! このとてつもない魔力は! ウソだろおい!
さっきのヘリオの攻撃と打って変わって、碧里の放った矢からは魔法少女初心者の俺でもはっきりわかるぐらいとんでもない魔力が感じ取れる。とりあえず魔法障壁を重ねて……って、ムリムリ! こんなんじゃブロックにもなりゃしない。とりあえず展開している魔法障壁を並べ、一つ一つを微妙に角度を変えることでどうにか軌道を逸らすことに成功。逸らした魔法の行く手には樹齢数百年といった太い木が。
バキバキと音を立て倒れる大木。げっ! かすっただけであれかよ。くっそ……、予想していたこととはいえ、初っぱなからこう力の差を見せつけられるとはな。とはいえこっちだってそう簡単に諦めるわけにはいかないんだよ。おまえたちの命が掛かってるんだから。
かろうじて初弾をやり過ごしたところに二人の会話が耳に入ってくる。
『ボクがサポートするから碧里はドンドン矢を放って』
「は、はいっ!」
あは、あははは……。思わず顔が引きつる。あんなの連続で飛んできた日には、命がいくつあっても……って! 言ってる側からこれかよ。ええいもうっ! そっちがその気ならこっちだって。
ありったけの防御壁を呼び出し、二人の攻撃に対応していく。攻撃によって消失してしまったらすぐさま代替えの魔法障壁を広げ、防御に当てていく。
始まってからどれぐらい経過したろうか。膠着状態にしびれを切らしたヘリオがとんでもない攻撃に打って出る。
『だったらこれならどうかな?』
あさっての方角に向け攻撃を放つヘリオ。おいおい何処に向けて……って、やばっ! ヘリオが放った攻撃の先には碧里が。予想外の出来事にただただ呆然とヘリオの放った魔法を見つめる碧里。
くそっ! あいつは防御系の魔法は一切使えないっていうのに。間に合うか……いや、間に合わせる! 魔力を足の裏側に集中させ一気に爆発させる。その勢いでヘリオの射線軸上に体を割り込ませ、右手ですぐさま魔法障壁を展開、ヘリオの攻撃を無力化させる。
ふー、どうにか間に合った、そうほっと一息ついたときだった。
『碧里、今だっ!』
「え、あ、はいっ!」
しまった! 狙いはそっちか。俺の隙を作るためにわざと碧里に攻撃をしかけやがったのか。今更気がついたところで後の祭り。被害を最小限に食い止めようと左腕を伸ばし、手のひらに幾重にも防御魔法を集中させる。
至近距離からの碧里の攻撃魔法。もちろん無傷で済むなんてこともなく、手のひらからはまるで熱湯でも掛けられたかのような熱を帯びた痛みに襲われる。どうにか軌道を逸らすことには成功したものの、その際反動で倒れ込んでしまった俺。手のひらからはボタボタとどす黒い血がしたたり落ちていた。
『さあ、とどめを刺すんだ!』
ヘリオの声に従い、クロスボウを構える碧里。もちろん狙いは俺。くそ……最悪。どうやってこの場を逃げ切ろうかと考えていた矢先のこと、何故か急にブルブルとクロスボウの先端が震え出した。
「ど、どうして? なんであなたがそれを……」
どさっと碧里の手からこぼれ落ちるクロスボウ。両手を頬に当て、今にも泣き出しそうな悲痛な表情をした視線の先はというと俺の左腕、ううん正確に言うと左腕の手首に着けていた腕時計。それは今年の春、入学祝いにって碧里からプレゼントされたものだった。
「事情はあとで説明するから。お願い、私を信じて。これはあなたと蒼緒ちゃん、二人を守るために彼らに渡すわけにはいかないの」
「……」
「お願い、私を信じて!」
地面に落ちていたクロスボウを拾い上げ構える碧里。矢先を俺ではなくヘリオへと向けて。
「ヘリオ、どういうこと。説明して!」
『キミがすることはただ一つ、そこにいる魔法少女にとどめを刺すことだよ』
「そうだ。一刻も早くそいつにとどめを刺すんだ。そうしないとこやつの命はないぞ」
どこからともなく姿を現したトープの腕の中には、首筋に刃物を突きつけられた蒼緒ちゃんの姿があった。
「ようやく本性を現したようね」
左手首を押させながらゆっくりと立ち上がる。
「まったく、せっかくの計画を邪魔立てしおってからに」
「碧里さん、彼らこそ悪の魔法使いとその使い魔なの。本当の狙いはあなたの持っている魔力。それを手に入れるためにあなたの妹さんを巻き込んで一芝居打っていたのよ」
「そ、そんな……。よくも、よくも騙したわねっ!」
「おいおい、人質がどうなってもいいのか? さっさとそやつにとどめを刺すんだ。そしてお前が私の言うことをなんでも聞くというのなら、こやつの命は助けてやらんこともないがのう」
くくくく……と高笑いを上げるトープ。
「ほらほら、さっさと始末せんか……うおっ!」
一筋の光がトープめがけ飛んでいく。次の瞬間、人質になっていた蒼緒の姿が忽然と姿を消す。ごめんね遅くなってと頭を下げるラッセ。その傍らには救出された蒼緒の姿があった。
『マコ、こっちは大丈夫だよ。早く彼女の魔力を開放して』
「ありがと。あとは任せて」
姿は彼に似ているけど安心して。彼の名はラッセ。私の味方だからと隣に立っていた碧里に声を掛ける。
あ、マコというのは俺が魔法少女になった時の名前としてラッセが提案したものである。それにしても姓名のおしりからから各々一文字ずつとって鈴江 マコ(すずえ まこ)というのはいかがなものかと思うんだが。
「ご、ごめんなさい。私のせいで……」
謝罪する碧里の唇にそっと右手の人差し指をあてその先の言葉を遮る。
「気にしないで。あなたは騙されていただけであってちっとも悪くないんだから。それよりもお願いがあるの。彼らを捕まえるのを手伝ってもらえないかしら」
「私なんかで役に立つなら」
「それじゃあ今からあなたの持っている魔力をすべて解放するね」
「魔力を、解放?」
首を傾げる碧里に状況を説明する。今でも魔法使いとしてみればかなりの魔力の持ち主なんだけど、それでもまだ全体の3割程度の魔力しか使えていないこと。これからある儀式を行うことですべての魔力を引き出すことができること。
「ぎ、儀式って痛かったりするの?」
恐る恐るといった感じで尋ねてくる碧里。あ、そういや碧里って注射とか痛いの苦手だったよな。
「ううん、そんなことないわ」
どちらかというと俺が恥ずかしいだけです、はい。
それじゃ始めるねと前置きしてから、碧里に向かい合うように立つ。そして右手で碧里の左手を、左手で碧里の右手を取り、指を交互に絡ませぎゅっと握りしめる。結果、縮まる二人の距離。恥ずかしい気持ちを押さえ、そこから更に寄り添うように体を寄せ、碧里のおでこに優しくキスをする。
「……あっ」
顔を赤くした碧里の体が眩い光に包まれる。光が収束し碧里の姿が露わになる。まるで上質なシルク生地であしらえたかのような光沢感のある真新しい魔法衣を纏った碧里。袖口と手袋に付いてあるピンクのリボンが髪を二つに結ったリボンと共にアクセントになっていた。
「す、すごい……」
今までと比べものにならないぐらいの魔力を感じると感想を述べる碧里。
「準備はいい?」
「うん、いつでも」
それじゃあ私が彼らの動きを止めるからと無数の防御魔法を展開させ、トープたちめがけて放つ。
「な、なんだこれは!」
『み、身動きがとれない!』
シールド状の魔方陣が行く手を阻むようにトープたちの周囲を覆い尽くていく。
「碧里さん!」
「はいっ!」
俺の合図でそれまでの右手に加え、新たに左手にも装備されたバージョンアップしたクロスボウの引き金を引く碧里。幾重にも伸びる光の矢がトープたちめがけて飛んでいく。
ぐげぇ……という断末魔が終止符となり、瞬く間に二人を拘束することに成功するのでした。
5.終演
『二人ともありがとうね』
お陰様で二人を逮捕できたよと感謝の言葉を述べるラッセ。
「で、でも私のせいで……」
『キミが気に病むことはないよ。それに確かこちらの世界では“終わりよければすべてよし”っていう言葉があることだしね』
「で、でも……」
『マコ、キミはどうだい?』
「え? わ、私?」
おいおい、いきなり俺に話を振るなよ。
「そ、そうね……私も異存どころか碧里さん、あなたがいなかったら彼らを捕らえるどころかあなたとそしてあなたの妹さんにも危険が及んでいたはずだから」
こちらこそ迷惑かけてごめんなさいねと謝罪する。
「そ、そんな私なんて……」
それこそマコさんがいなかったら私、今頃どうなっていたかと思うとと再び頭を下げてくる。
うーん、この分じゃあいつまで経っても堂々巡り確定だよな。ならば、ボロが出る前にとっとと撤収するとしますか。
「ごめんなさい、もう時間みたい。それじゃあ私はそろそろ行くね」
「もう行っちゃうんですか」
途端、しょんぼりとする碧里だったが、すぐさま顔を上げ声を掛けてくる。
「マコさん、また会えますよね?」
「うーん、それはどうかしら?」
笑ってそう答えて見せたものの、俺的にはこの姿を、しかも碧里に見られるかと思うとさすがにあれなわけで。
「それじゃあね」
あ、待って下さいと碧里に呼び止められたものの魔法を唱えすぐさまその場から撤収する俺。そんな俺の耳には『あ、そうそう碧里、キミに一つ言い忘れていたことがあるんだけど……』というラッセの言葉は届くことがなかった。
6.エピローグ
「うーん」
さてと、どうしたものやら。
今、頭を悩ませているのはさっきまでのこと。
恐らくあいつにはマコの正体が俺だってことがバレているはず。あれしか道がなかったとはいえ、女装した……いや、女になっていたから厳密には違うか。とにかくあんな姿を見られたかと思うと、やはり男としていかがなものかと考えてしまうわけで。なんとか誤魔化せないかと玄関の前であーだこーだと思案してみたけれど、結局いい案はこれっぽっちも浮かばなかった。
仕方ない、とりあえず何か尋ねられても白を切って切って切りまくろうと決意したところで懸念材料となるのはこの左手の怪我。なるべく軽傷に見せようと包帯の量を必要最低限にしてみたんだが、これが辛いったらありゃしない。
ちょっと傷口に触れただけでもかなりの痛みが走る始末だった。かといって痛みを和らげようと包帯をグルグルと巻いた日には……。あいつ、間違いなく『徹夜で看病する!』って言い張るだろうし。それだけは是が非でも避けないと。
はい? 女の子に看病されるなんていううらやましいシチュエーションでなに贅沢なこといってるんだって? いやいや、俺だって最初はそう思ったよ。でもさ、好きな女の子がベッドにくたっともたれながら、スースーと寝息を立てていられた日には……。理性が今のもぶっ飛んでしまいそうなあんな生き地獄、もう勘弁して下さい。
「何やってるの?」
「ああ、ちょっと考え事を……って、うおっ!」
いつの間にか、目の前に碧里と蒼緒ちゃんの姿があった。
「おにいちゃん、おにいちゃん。そのリアクションはどうかと思うけどな」
「わ、悪い。つい考え事をしててさ」
腰に手を当ていつものように女性に対する配慮が足りてませんよと苦言を呈する蒼緒ちゃん。よかった、蒼緒ちゃん、なんともなさそうで。ラッセのヤツに感謝しないとな。
「おにいちゃん、その怪我……」
「ああこれ? 大したことないよ」
痛みを堪え、手を振りなんともないことをアピールしてみる。く、くぅ……け、結構痛いぞ。ど、どうするよ、俺。こんなんで明日の食事当番をこなせるのか? 最悪、こいつらが帰ってくる前に手にフライパンをくくりつけてでもして作るかなどと対応策を考えていると、
「あ、そうだ。諒くん諒くん、今日からしばらくの間、夕飯私に作らせてくれないかな?」
ちょっと試してみたいレシピがあるんだと口にする碧里。まったくもう、変な気を遣いやがって。
「だ・か・ら、これぐらい大したことな……ぐげえっ!」
いきなり碧里に左手をぎゅっと握りしめられ、思わず苦痛の声を上げてしまう。
「わ・た・し・が・つ・く・り・た・い・の」
「りょ、了解です」
お願いです、その笑顔……というよりもうしろでモヤモヤと渦巻いているオーラをできたら止めて頂けると大変助かるのですが。
はあー。そうなんだよな、碧里ってさ、昔から一度口にしたら絶対引かないもんなぁー。仕方ない、今回はその厚意に甘えるとするか。
「それじゃあ、蒼緒、先に行くね」
二人とも、あんまし公然の場でイチャイチャしないでね、そう言って碧里からスーパーの袋を引ったくり家の中へと入っていく蒼緒ちゃん。おいおい、いつ俺たちがそんなことをした。そもそも俺たちはまだそんな関係じゃあないことぐらいよく知ってるじゃないか。な、なあ、碧里、おまえからも何か言ってやれ……って、おいそこ、何顔を赤くしてるんだよ。
「それじゃあ俺たちも……」
中に入ろうぜと声を掛け歩き出したところで碧里が先回りをして俺の行く手を阻む。
「りょ、諒くんっ!」
「うん? どうした?」
「あ、あの、その……さっきは助けてくれてありがとうね」
深々と頭を下げ、感謝を伝えてくる碧里。
やっぱりバレていたか……。そりゃそうだよな。なにせ物証がここにあるわけだしと気づかれないようにさりげなく左手に着けている腕時計に目をやる。
それじゃあ予定通り知らぬ存ぜぬで通すとしますか。
「うん? 一体何のことだ? 俺は何もしてないぞ」
そう答えたところ、碧里の口から想定外の言葉が。
「そうそう、ラッセさんから伝言を預かってきたの。あとで再封印、お願いねだって」
「再封印?」
なんでも魔力を放出し続けちゃうとまた変な人たちに襲われちゃう可能性があるからと言う碧里。ったく、ラッセのヤツ、そーいう重要なことは先に言っておけってんだよ。
仕方ない、さりげなく手順を聞き出しておいて、あとでひっそりこっそり対処するか。
「ふーん、よくわかんないけど。で、ちなみにどうやるんだ、その再封印って」
「同じだって、解放したときと」
「ふーん、同じか……って、いいっ!?」
ちょちょ、ちょっと待て、解放したときと同じって……。キキ、キスしろってことか!?
「で、できたら今度はおでこじゃなくって、その……こっちにね」
絶賛動揺しまくっている俺に向かって、碧里は顔を真っ赤にしながら人差し指で唇を指し示してくるのでした。