「こんにちは、死神です」
俺の目の前で、仰々しい鎌を持った全身赤尽くめの少女は、こともなげに言い放つ。
「突然ですが良い話と悪い話と割とどうでもいい話があります。どれから聞きますか?」
髪の毛は流れるようだし、そこから覗く首や鎌を持つ手も細い。
一見して「儚い」という言葉が似合いそうだけど、それを帳消しにして有り余るほどの存在感が、両手の鎌にはある。
デカい。鋭い。禍々しい。どれだけ鋭利に斬れるんだアレ。
「制限時間は30秒です、しんきんぐたーいむ。ちゃーららったらったら♪」
表情を変えずに謎のジングルを口ずさんでますよこの子。
さて、まだ20秒ほどあるのでちょっと考えよう。
俺は先程までいつもどおり、学校からの帰宅途中だった。その日の授業はいつもより難しくて、眠気に頭がやや支配されていた。
ついでに言うと、俺は周囲にあまり注意を払ってなかった。
あの時交差点の真横から走ってきたのは…。
「…電気自動車って、何であんなに静かなんだ?」
「たららった…、…なんです?」
「いや独り言」
「そうですか。ついでに30秒経ちましたが、どれから聞くか決めました?」
「あ、一応。……割とどうでもいい話から」
「割とどうでもいい話ですね。おーぷーん」
何が開くというのだ。話の内容か?
「あなたは死にました」
ですかー。
そして3秒後。
「…………はい? なんですと?」
「わんすもあ?」
「ワンスモア!」
「あなたは死にました」
……硬直する。
「マジですか?」
「本気と書いてマジ以外の何ものでもございません」
やっぱり少女の表情は動かない。眉1つ動かさないので、本気でどうでもいい様子がありありと見えてくる。
「…………マジですか…」
思い返し、認識し、精神が後から沈んでくる。
死んじまったか…。いきなり過ぎだよな…、事件事故が唐突に来るのは内心理解してたけど、理解してるのと体験するのとでは全然違うなぁ…。
何よりそれを後に生かすことも出来ない体験だし。どうせぇっちゅーんだ。
「ところで」
死神少女が声を掛けてくる。あぁこいつまだ居たんだ。
「まだ良い話と悪い話が残ってますが、聞きますか? 聞かずにあの世へレッツゴーですか?」
あ、そういえば。
「…どっちからでも良いのか?」
「えぇ、まだ選択肢がありますから。選んだ方をお聞かせします」
「んー……っ」
また少し考えてしまう。
先に悪い方を聞いて、後に希望を残すか。
それとも先に良い方を聞いて、後にくる悪い報告に耐えるための下地を作るか。
「どっちから先に聞いても、どっちも聞かせるので問題無いですよ」
「人の心を読むなぁっ!?」
「それはそれは。思考も見えてしまうんでご了承ください」
重要な選択肢の前に、疑問に思ったことを聞いてみた。
何故思考を読めるのか。
死神少女曰く、死ぬ予定にあった人間がみっともなく悪あがきをしたり、最悪自分に牙を向こうとするのを察知して先手を打つ為だという。
「ですから、考えてる事は筒抜けです」
「プライバシーもクソもねぇな…」
「そんなの生きてても守られるかどうか解りませんけどね」
何だこの皮肉ばっか垂れる口は。柔らかそうな唇の癖に…。
「このスケベ」
バレてました。
慌てて、とりあえず片方を選ぶ。
「え、えーとすみません、じゃあ最初に良い方を聞かせてください!」
「良い方ですね。では…、あなたは生き返れます」
「え……?」
「ですから、あなたは生き返れます。実はあなたは死ぬ予定でなくて、あの車両に巻き込まれたのは事故だったんです」
……え?
「で、死神の上司である閻魔さまが、生き返らせておいでーと私を派遣したんですよ」
…突然の言葉に、しばし呆然とし…、
「それって…、えぇと、なんていうか。…つまり、言葉通りってことで良いんだよな?」
「そりゃぁもう。他にどんな事を言えと?」
「…よっしゃぁ! てっきりこれで俺の人生終了だと思ってたけど、まだまだ生きられんじゃん! 生き返ったら何するかな? マズはそうだな…、一と一緒に美味いもん食いに行って生きてる事実感して、あの人に告白して…」
「ですが悪い方が残ってましてね?」
「聞きたくないっ! 悪い方なんてこれから生き返る俺には必要ないっ!」
両手でしっかり耳を塞ぐ。
でも聞こえてくる死神少女の声。淡々としてるのが逆にそら恐ろしい。
「オーノーだズラ。おめえ、もうだめズラ。原形を止めてないズラ。ミンチになっちまったズラ」
「…Why?」
「これも他に言いようがありません、あなたの肉体と書いてライフはもうゼロよ」
「……じゃあ、良い事の意味は?」
「ありませんね」
死神少女は薄く笑った。酷薄というような表現がピッタリくる、冷たい笑顔だった。
そんな未来に絶望し、膝が折れた。
すまん妹よ、両親どころか兄まで亡くしてお前はこれからどう過ごしていくんだ。
きっと親戚に引き取られちまうんだろうなぁ、元々人見知りをしやすいお前のことだ、仲の良い友達と別れて見知らぬ土地で、また一からやり直していくんだろうなぁ。
くそぅ、死ぬ予定じゃなかったのに生き返れない己の運命が恨めしい。
「ですがご安心してください、ちゃんと代替案はありますよ?」
ふと聞こえた言葉に顔を上げる。やっぱり酷薄な笑みのままだが、ほんの少しだけ女神の顔に見えてくる。
……人を煙に巻くような台詞ばっかりの癖に、こうして見るとやっぱり綺麗だよな…。
「独り言は無視して」
やっぱり聞かれてた。この状態めちゃくちゃ不便だ。
いいから早く説明してくれ。
「いいでしょう。あなたの魂は、別の人の体に入るのです。そう、あなたは身も心も変わった別人となるのです」
「心が変わっちゃ意味ないんじゃね?」
「時間の問題だと思いますよ」
今聞いた不穏な台詞は横に流して、俺は思ったとおりの事を読まれないよう、そのまま口にする。
「…別人ですか」
「別人です。一生懸命に生きてる他の人の体を乗っ取れというわけではありませんので、その辺はご安心を?」
死神少女が、複数枚の写真を懐から取り出してきた。
「この写真の人々は、いずれももう魂回収したけどしぶとく肉体が生き残ってる植物状態の方々です。この中から好きな人を選んで、次の体を決めてください」
何か今聞き捨てなら無いことを聞いた気がするが…
「気のせいです。一枚一枚紹介するので、吟味してくださいね。海藤麻耶28歳、菊池洋美7歳、土谷久美子13歳、千羽恵那21歳、小野寺ほのか19歳」
全員女性です、と何故か誇らしげに付け足した。
「俺に近い男って選択肢は無いのかよ!」
「ここがアダルトTSF支援所である限り、そんな選択肢はありません」
「…何言ってるんだ?」
「ひ・み・つ」
ここで初めて、人差し指を口の前で立てるポーズを取った。くそぅ可愛いな。
「劣情を抱かないで下さい、いやらしい」
「うるさいよ…っ。
大体、なんで俺の年齢に近いのが、下が13で上が19なんだよ。こちとら高校生で、その人物の誰もがかすりもしてないじゃないか」
「えー。これでもがんばって集めてきた方なんですよ?」
不満気にしてもらっても、こっちとしての要望は、…言ってしまえば自分に近しい年齢の方が、今まで居た場所に入り込める。自分が居た場所の空気をもう一度味わえる訳で。
「下の年齢を取れば、また一から味わえるじゃないですか」
「そういう問題じゃねぇんだよ。…あそこには俺の友達がいて、一緒にやったいろんな思い出がある。できることなら、またあいつ等とバカなことやったり、勉強で互いに悩んでみたり…。やってみてぇんだ」
「ほーぅ。妹さんに近い13歳になって、より近くで支える道よりも大事ですか?」
「あいつは妹だし、両親が亡くなってからずっと守ってきた。いきなり同級生とかになると…、なんか変な感じがするんだよ」
「…………」
深く深呼吸すると、頭を下げる。決めた思いを口にする。
「…すまん、俺は今出された体じゃ生き返りたくない」
この場がどうあれ、選択肢がどうあれ。これだけは譲れなかった。
ぱちぱちぱちぱち。
手を叩く音が聞こえてきて、顔を上げると。死神少女が拍手していた。
表情は変わっていないけど、どことなく感嘆としている様子で、
「すごいすごい、ちゃんとそこまで言える人もいるモンですねぇ。これなら合格ですよ」
……えぇと?
「あぁすいません、ちょっといぢわるしてました。…ちょっと長くなりますが、ちゃんと聞いててくださいね?」
死神少女は、そこから語り始めた。
30年程度に1人、死神の素質を持った存在が生まれてくるのだという。そいつ等は往々にして死神の目をすり抜けるような、予定には無い死に方をし、ようやくその存在が判明する。
そして死神として勧誘しに来るのだが、直接的に言うと拒絶されることが多かった。
その為か、死神として生き返ることを伝えず、まずは人として生き返ることを提案し、その上で改めて死神として勧誘するのだという。
そこまで聞いて、俺は疑問に思うことを口にした。
「……じゃあさっきの写真は何だったんだ?」
「…死神になる為には、他を考える心より何より、己を貫き通す意思が重要です。
他になるのではなく、己のまま生き返る意志が無いと勤まりませんので。ちょっとした悪魔の誘惑ですよ」
多分ウソだろ。こいつ絶対楽しんでたろ。
「チッ…」
何か聞こえたが無視することにした。突っ込んでたら身がもたない。
「じゃあ俺は生き返れるのか…?」
「それは勿論。ですがあなた本来の体がミンチになってたのも本当なので、代わりの体も用意されてますよ」
「それは本当か…? 見せてくれ、すぐに!」
嬉しくなって飛び上がり、死神少女に近づくと…、
何故か死神少女は自分を指差していた。
「……えぇと、その指の意図するものは?」
「ですから、私の体があなたの体です。私の中にあなたが入るんです。これだけですとやらしいですね」
「………け、結局、女の体なんだな…」
「死神としての身体は女ですが、生き返らせるときは男のものに戻します。
それに死神の体ですから、ただの人間の体で復活するよりはずっと上等ですよ?」
1:変身能力
2:幽霊が見える、触れる、喋れる、狩れる
3:身体能力が人間の5倍以上、がんばれば空も飛べる
4:周囲の認識をごまかせる
5:お給料が出る
「死神の仕事を引き受けてくれるのならば、限定解除により25の力も使えますんで」
「…最後のは何なんだ?」
「言葉どおりの意味です。死神は職業なんで、地獄の閻魔様から現世貨幣でお給料が出ます。
……ちなみに、変身能力は特定の誰かと意識しない限り、この姿とあなたの生前の姿には、苦も無くなれます」
「それだけあるなら困らない…、…ちょっと待て。俺がその体に入ったら、アンタはどうなるんだ?」
「…どうなるとは?」
「いやだって…、魂は一つの体に一つ、とかが良くあるパターンだろ? 押し出されたりしないのか?」
「あぁ、その辺はご心配なく。この体はあなた用に用意したものでして、“私”が自分の魂を入れて持ってきているだけです」
「…………え?」
「もっとハッキリ言うと、この体に憑依しているだけの、別の死神ってことです」
なんだかそろそろ頭が痛くなってきた…。
「ま、この体に居られるのはあなた一人ってことで納得してくださいな」
「…まぁ、納得も少し微妙なんだが、俺が入っても問題ないのは解った。
で、話をちょっと変えて…、死神の仕事をするかどうか、だよな?」
「えぇ、決定権は全てあなたにあります。死神として働くも良し、働かないも良し。
働くなら、ちょっとえぐいものも見るかなーっという程度ですよ?」
そのえぐいものがどれほどなのかはさておくとして。
俺の中で答えは決まってた。
「ではそれで」
だから心を読むなというに。
「冗長ですから、そろそろ巻こうかと思いまして」
「そりゃなんとなく俺も思ってたよ。その大半の原因が、会話をややこしくしてるお前にあるって解ってるか?」
「さて、あなたの甦生の件ですが」
流すなよ。
「方法は単純です。そのまま私の中に入ってきてください。それと同時に私は出て行きますので」
聞けよ。
「死神としての登録はこちらでしておきます。力の使い方や職務についてのあれこれは、マニュアルを渡しておきますので熟読してください」
おーい?
「目が覚めたら、“この姿”でなくあなたの姿ですので。…妹さんに心配をかけないよう、ちゃんと優しくしておくように」
押し倒すぞ?
「妹さんをですか?」
「違わい! やっぱり聞こえてんじゃねぇか!」
あーもう、何なんだコイツは本当に!
「死神ですよ?」
「…あぁ、もういいや、これ以上つっこむのも面倒だし。さっさと生き返る!」
「ほうほう、それは良い心構えですね。…では、どうぞ?」
そう言って、死神少女が両腕を広げる。そういえばいつの間にか鎌が消えていた。
「…、ふぅ…」
大きく深呼吸して、一歩ずつ死神少女に近づく。
最初は右手を突き出して、相手の肩に置……こうと思ったが、その目論見は外れた。
俺の右手は、死神少女の体の中に入り込んでいたからだ。
「うぉ…っ?」
少し驚く。手の先だけ温かな何かに包まれて、そこから“命”を感じられる。右手だけが熱を持ち、そこだけ生き返ったみたいに。
そこで少し止まってしまうが、
「…えぇい、ままよっ!」
一気に覚悟を決め、全身を体に飛び込ませる。
その瞬間、何かが抜けていくような感覚があって、身体の中に俺自身が広がっていく感覚を続けて感じる。
染みこんでくと言えばいいんだろうか。俺が入った事で、身体の支配権を得たのが、文字通り全身で理解できる。
細い脚で地面に立つ。スカートの中に包まれた脚は、少しだけ寒く感じた。
白魚のような指の先まで広がってく。腕も手も小さいが、そこから出るパワーは今までより確かに強い。
胸に二つの重さを感じ、バランスが崩れて思わず前へつんのめりそうになる。意外とデカかったことを、身をもって知った。
それと同時に、胸と股。2つの箇所で身体を締め付ける下着の感覚が、肌に返ってくる。
股間が淋しく、ぺったりしていて。
俺が女になった。女の身体に入ったのだと自覚したのと同時に、
ドクン、と心臓が鳴ったのを聞いた。
* * *
「…はっ!?」
開かれた目に、真っ先に飛び込んできたのは、見知らぬ真っ白な天井。鼻に付く臭いは消毒液のもので、ここが恐らく病院なのだという事を認識させられる。
窓の外から入り込んでくる光は強く、朝か、または昼の時間帯なのだと思う。
どうしてこんな場所に寝ているのか、と思うと、頭の中にいきなり、膨大な量の情報が流れ込んできた。
まず、事故に巻き込まれた俺は、頭を強く打ったため倒れ、病院へ担ぎ込まれた。
学生証から割り出した学校と住所から家に連絡を入れ、妹が矢のように飛んできた。
そして目が覚めるまでいると言い張り、他に保護者の居ない状況では仕方ないと、老年の医者が承諾。
そのまま一晩が経ち、今こうして目覚めたこと。
というように書き換えられた情報が一気に流れ込んできて、俺は少し頭を抑えた。
「あー…、こんな風になってんのかー…」
それと同時に、元俺の体は跡形も無く消失し、この体に再構成されている事も解った。
ゆっくりと体を起こし、見下ろしてみると。
……なるほど、確かにあの時あいつが行った通り、“俺の体”だった。先ほど、全身で理解した「女」の身体じゃない。
安堵のため息を吐くと同時に、病室の扉が開かれた。
「……、お兄ちゃん…?」
扉を開けた姿勢のまま固まっているのは、俺の妹だった。身を起こしている俺を認識すると、弾丸のように突っ込んできた。
「げふぅっ!?」
しかも鳩尾に。
出すものも無いのでリバースは避けられたが、また気絶しそうだった。
「よかった…、事故に巻き込まれたって聞いて、不安だったよ…」
「…あぁ、心配かけて悪かった」
「ホントだよ! お父さんやお母さんだけじゃなくて、お兄ちゃんまでいなくなったら…、もう、もう私…っ」
鳩尾に突っ込む形のまま、俺に抱きついて泣きじゃくる。
そんな妹を安心させるように、そっと頭を撫でると、腹に向けられる力が強くなるのは照れか喜びか。
「安心しろって、事故にあっても生きてるし、もう平気だからさ」
「うん…、うん…」
ぶっちゃけ死んだが、それを言っても信じてくれるとは思えないので黙っていた。現状では夢だと思われるのが関の山だろう。
頭を撫でながら、妹が泣き止むのを待っていると、上着の一部が涙と鼻水でべちょべちょになってくるのを感じる。
それは回診にきた看護士の人が、妹の滞在を許してくれた老年の医者を呼ぶまで続いてた。
その後、簡単な診察を受けて、異常無しと判断された俺たちは、荷物を纏めて足早に病院を去った。勿論診察費や入院費は支払う。
帰り道、妹は終始嬉しそうな顔をして、
「お兄ちゃん、今日は何食べたい?」
「お兄ちゃん、次からは気をつけなきゃダメだよ?」
「お兄ちゃん、解ってるの?」
としきりに俺を心配してくる。
それは良い。確かにそれ自体は、妹に好かれている良好な関係の兄妹の姿だろう。
だが俺の思考は、もう少し別のところに行っていた。
学生鞄の中に入っていった、表紙にさえ何も書かれていない一冊の冊子を見つけたからだ。
あの時遭遇した死神(本体が解らないので“少女”は抜いた)曰くマニュアルだそうだが、軽く目を通しても、全部真っ白。
恐らく誰かに見られるのを防止してのことだろうが、ちゃんと見る為の方法を教えて欲しいもんだ。
「……ねぇ、お兄ちゃん?」
「ん…、どした?」
ふと妹が、声の調子が変えて俺に問いかけてくる。
「お兄ちゃんは…、本当にお兄ちゃんだよね?」
え…? まさか、俺が死神になったことに気付かれた?
「当たり前だろ? 何だ、俺の記憶が実はないとか、そんなこと気にしてんのか?」
「うぅん、そうじゃないけど…、なんとなく気になっちゃって。でも、お兄ちゃんがそういうなら信じるよ」
機嫌を直してくれたのか、また笑顔になる。
…すまん。隠し事をするのって、すごい後ろめたいわ。
家に帰ってもまだ正午を回らない時間で、大事を取って休むように言われた俺は、家でゴロゴロしていた。
ちなみに元気にも程がある妹は、しきりに俺を心配しながらも、午後から登校していった。
俺の部屋、ベッドの上。
「…………やっぱり何回読んでも白紙だよな?」
寝転がりながら、マニュアルという名の白紙の束を何度も読み返す。ぜんぜん内容がわからない。
「うーん…」
一度マニュアルを閉じて考える。
死神はこれをマニュアルと言った。マニュアル、死神の。死神以外が読む必要の無い。
「…あれ、ってことは?」
ふと思い当たって体を起こし、頭の中に一つのスイッチを思い浮かべる。
ONとOFF、どちらかに傾けるタイプが浮かび上がって。現在はOFFに入っている。
頭の中で思うだけで、かちり、という音が鳴りながら、ONにスイッチが入った。
どくん。鼓動が一回。
視界の高さが低くなる。見える手が小さく細くなり、胸が膨らんでくる。
服がたわんでズボンが落ちそうになるが、細くなった腰の代わりにお尻が膨らみ、落ちずに済む。
下着の中に、不自然な空間が形成されて。
一瞬のうちに、俺は死神の、少女の体になっていた。
「…へぇ、ホントに苦も無くなれたよ」
服の中で確かに細くなった体を確かめ、俺は改めて、自分が人間を辞めて死神になったのだと理解した。
青少年としてそのまま女体の探求もしてみたいが、それより先に気になることがあるので、それは後回し。
マニュアルを見直すと、表紙には先程と変わって文字が描かれていた。
「死神業務マニュアル、三条九十九用」
三条九十九。俺の名前がしっかりと書かれていて、間違いなく俺用に渡された、というのが解る。
試しに表紙をめくると、目次も書かれていた。
一枚ずつ読み進めていけば、死神の仕事が意外とシステマチックだということにちょっとビックリ。
例えば、死神が担当する地区は定住する街。隣町などに死神がいなければ、魂の近くにいる死神が回収する。
仕事の際には使者が死ぬ予定の1週間前から連絡があり、死ぬ30分前には待機する。死ぬのを待たなければいけないのは、予定が遅れたり、早くなる可能性があるから。
仕事の報酬は、その人物が他人にどう思われていたか、で決まる。“その人への念”があの世では価値を持つ。
地獄なら怨みの念が。天国なら喜びの念が。死者が持つあの世での価値になり、それに応じた額が死者を迎えた死神に支払われる。
相場は、平々凡々に、人間関係を良好に築いて生きてきた人の場合、「享年×万」。
一般的に善人・悪人と呼ばれる人の場合はさらに乗算され、引籠もりなどの場合は淋しい事に0に近くなる。
金銭の振込みは個人の口座に自動で入金される。などなど。
読み進めていけばその内容は興味深く、時間が経つのを忘れていた。
マニュアルの奥付を読み終えて、閉じた途端、
「あなた、誰…?」
妹の声が扉から聞こえてきて、…俺は一気に青ざめてしまった。
「う、え、あ…」
どうにも冷静になってしまう性質なんだろうか。青ざめた直後に、俺の意識はまたニュートラルに戻ってしまう。
死神状態で、俺はお前の兄なんだ、とか言っても信じてくれるかは解らない。妹を信じてないわけじゃないが、まずは自分の姿を認識してから言えることだし。
かといって変にごまかすと、余計厄介な自体を呼ぶだろうし。さて困った。
(あ…)
ふとそこで思い出した。死神がやってた、心を読む力。せめてこれがあれば、最大限の地雷を踏むことは無いだろうと思い、力の焦点を妹に当ててみる。
『(この人、誰なの? お兄ちゃんの部屋にいたけど、彼女…?
でも靴は無かったし、家の中に声をかけてもお兄ちゃんの反応は無かったし…。こんな変な人が彼女なんてありえない!
お兄ちゃんの服を着てるし、入り込んだホームレスの人?)』
しまった。俺ずっと着替えてなかった。服が変わったわけじゃないから、着の身着のままだ。
『(あ、ちょっと動揺してるみたい。…どうしたんだろ、この人。慌てるのが遅いみたいだけど…、えぇい、聞いちゃえ!)』
「ねぇ、あなた…。お兄ちゃんをどうしたの?」
「う…」
いきなりの直球に、心の中を覗く新鮮な感覚を味わってた俺は、少し反応が遅れていた。
(え、えぇーと、どうしよう、なんて答えればいいんだ…っ?)
しかも答えの用意を忘れてたので、さらに返答に詰まってしまう。
「え、えぇと…」
「答えられないんですか? …家に勝手に入って、お兄ちゃんの服を着て…、姿も見えないと…」
妹の右手に携帯電話が握られる。心を読めば、後少しで警察に通報、というところまで行ってる様だ。
弁明の手段を模索するにしても、後一歩で地雷が爆発しそうで。さすがにこの姿になる度に警察がやってくるリスクを考えると、地雷は限りなく避けたい。
しかし他に弁明が見つけられない俺には、いくつかの選択肢しか残されていない。
1:女=俺だと暴露する
2:言いくるめる
3:妹の認識をごまかす
4:逃げるんだよォー!
とりあえず3は却下。そんなことしたら俺は今までどおり妹に接することが難しくなるし、兄妹の絆を壊しかねない。
2になると、読心をしながらになるが…、今の俺には難しい。あまりにも慣れないことを平行で行わなければならないため、どこでヘマをするかわからない。
遺されたのは1と4だが…、
「…うぅ…っ」
何かに耐えるような表情の妹を見ていて、ごまかし続けるのは無理だと。俺は思ってしまった。
実はマニュアルを読んだ限り、正体をばらす事は控えるように書かれているだけで、そうペナルティはかけられていない。
ならば、俺は妹だけには知っておいて欲しかった。
たとえ今の俺が女だとしても、通じ合える関係が俺と妹の間にはある。
それを信じて、俺はあるポーズを取った。
「奥義を尽くさねばこの俺は倒せんぞ」
某北●の拳の作中における、主人公と水鳥の人との対決の1シーン。
兄妹で一緒に父親の遺品である漫画を読み、やってみたいと妹が言い出した“ごっこ遊び”をやるのだ。
久しぶりすぎて少し忘れてるかもしれないが、確かめるためだ、やらないより遥かに良い。
「そ、それは…、北●神拳秘伝、聖極輪!」
妹も乗ってくれた。それに応えるように続ける。
「そうだ、この構えの持つ意味は知っていよう」
●一族がいないので横槍は入らないが、そのまま次の構えへと移る。
「●斗虎破龍!」
「北●龍撃虎!」
直後、同時に仕掛ける。が、妹の顔を殴るわけにはいかず、いつも通りの軽いタッチ。
妹の体がそれを受けて回転し、手刀を俺の胸に当ててくる。
むにっ
「ぁんっ」
声が出てしまった。
「…………」
「…………」
気まずい。超気まずい。
ちょっと考えればわかってたことだが、今の俺は女であって、男じゃない。胸に脂肪の塊が、あるんだ。
「……」
がしっ、と妹の手が俺の胸を掴んだ。
もいもい。
「はぅ…っ」
また声が出る。
「……いいなぁ…」
妹よ、お前はまだ成長途中だ、今のうちから育てれば胸は膨らむ。
だから胸を揉む手を止めるんだ、俺は変な気持ちなんだ。
もいもい。
「ぁ、ちょ…っ、お、おぃ…っ?」
「ねぇ…、この脂肪の塊はなぁに…?」
声をかけようとしたら、妹に出鼻をくじかれた。
「脂肪の塊って…、ちょっと、手を、離して…」
「私に黙っていつの間にこんなのをつけちゃったの、『お兄ちゃん』…っ!?」
解ってくれた! ありがとう妹よ! でも胸を揉み続けないで!
何でそんなに鷲掴みにしてるのっ? あぁ、でも、なんか胸からふわふわした気持ちが…っ
「お兄ちゃん、お兄ちゃんっ? 胸を触られて何て声出してるの? 男なのに、お兄ちゃんなのにっ!」
もいっもいっ、きゅぅっ
「ひぅんっ!」
服の中で先端をつままれると、快感で声が出てしまう。
男の時には無かった器官を触られて、俺は確かに気持ちよくなっている。
やべぇ、おっぱい気持ちいい。
「そんなにえっちな声しちゃって! 気持ちいいんだ、揉まれて感じちゃってるんだっ」
あのー、何をそんなに嬉しそうというかやけっぱちな表情をしているのでしょうか。
興奮してるから心中でも興奮した喘ぎ声しか聞こえてこねぇーっ!
「んうぅっ、ちょ…っ、む、つ、はぁんっ」
妹の名を呼ぼうとしても、胸からの快感で途切れてしまう。
そのまま女性の胸から来る快楽に身をゆだねたいと思うが、止まってしまった。
「ぁ…、むつ、き…?」
妹の顔を見ると、真剣な表情をしながら…、
俺の上着を、胸の部分までたくし上げた。
「うわ、本当に本物だ…、おっきなおっぱいだ…」
食い入るように見ないで欲しいなー、さすがに目をひん剥かれたら恐いよ。
「…お、おい、六月…?」
改めて名を呼ぶと、妹ははっとした様子で俺を見返してくる。
「あ、ご、ごめん、お兄ちゃん。…………ホントに、お兄ちゃんなんだよね?」
あ、良かった。ちゃんと意識はマトモだったようで、また暴走されたらどうしようかと思った。
「ねぇお兄ちゃん…、どういうことなの? 無事だと思えば、いきなり女の子になって…」
「あー…、それは順々に説明するから…、胸を隠させてくれ。少し恥ずかしい…」
「わっ、ご、ごめんっ、そうだったよねっ?」
俺の胸をまろび出してる事に気付いた六月は、慌てて後ずさる。
「ふぅ…。…それにしても、よく俺だって気付いたよな?」
溜息をつきながら服を戻す。
「だってお兄ちゃん、いきなり聖極輪の構えをとるんだもん。弁解より先にだよ?」
「う、それはそうだが…。なかなか良い方法が思いつかなくてなー…」
「解ったからいいけどさ、気付いてくれなかったらどうするの?」
「そこは…、ちょっと考えてなかった。相手が六月だからやったようなモンだし、な」
「…信じてくれたの?」
「ん、そういうことだ」
「それは嬉しいけど、お兄ちゃん。…女の子のままで話すの?」
忘れてた。
* * *
男に戻った俺は、少しずつ六月に話していった。
死神の素質があって、あの事故で実は死んだこと。死神と邂逅したこと。
素質の話を聞かされ、色々弄られながらも話を聞いたこと。
死神として生き返ることを決めたこと。
かいつまみながら話していくと、不意に六月が説明を区切った。
「ねぇお兄ちゃん、…普通の人として生き返るって選択肢もあったんだよね?」
「あぁ、あったな」
「それでも死神になるのを選んだんだよね?」
「あぁ、そうだな」
「……どうして死神になったの? その、人間じゃなくなったのに…」
「…そのことか」
頭の中で決めてはいたんだ、決めては。
あの死神に頭の中を覗かれて、知られてはいたが、他に言う者も居ないと思っていたのにこうしてすぐ六月に話すことになるとは。
「…まぁ、な。…六月をいろんな事から守るためだ」
あぁそうさ、シスコンと言わば言え。それでも俺は六月が大切だし、兄として守ってやりたいと思ってる。
父さんにも母さんにもなれない俺は、その代わりにしかなれないけど。それをやる事に意味が無いとも思ってない。
「建前で言っちまえば、お金のこととか社会的なこととかが来るさ。けど今はそれ以上に…、お前を独りにするわけにはいかなかったんだ。
確かに今は爺ちゃんが後見人になって、ここで暮らせるけど。…爺ちゃんが死ぬとそうもいかなくなるだろ?
考えたくないけど考えなきゃいけないことで、いざそうなったら、お前は一人になるじゃないか。
……嫌だったんだよ、お前が泣いたりするのは、昔っから」
ばつが悪そうに頬をかいて、妹を見る。
「はぁ…」
ため息を吐かれた。
「えぅ、そんなに呆れることか…?」
「呆れもするよ…。…結局は私のために、女の子になっちゃったんでしょ?」
「え…、まぁ、そりゃそうだが…、わ…っ」
その先を繋ごうとしたら、六月が抱きついてきた。
今度はそっと、優しく。
「ごめんね、お兄ちゃん…。心配させちゃって…」
いつもより小さな声が聞こえてくる。それに応えて、俺も六月を抱きしめる。
「…バカ、気にすんな。もっと心配させて良いんだし、我侭も言っていいんだ…」
「うん…」
そう。六月は両親が死んだ5年前から、わがままを言わなくなった。
俺が高校に入るまでは、爺ちゃんがこっちに来て一緒に住んでたけど、それでもだ。
大切な親が死んでから“いなくなる”ことへの恐怖感に気付き、及び腰になった人付き合いが人見知りにまで悪化した。
そんなだから、尚のこと心配になり、女になっても生き返る道を選んだのだ。
「それにさ…」
息を吐いて、頭の中にスイッチを作る。今度は死神への変身ではなく、特定の人物。
かちり、とスイッチが入れば、俺はさっきとは別の、女性の姿へと変わっていった。
「…お母、さん…?」
六月が呟く。
俺は、俺と六月の母親の姿になったのだ。
「…どうかな? 六月…」
「お兄ちゃん…、お母さんになったの…?」
「うん。死神が使える力の一つで…、確か《練身万化》-ヴァリアブル-っていう変身能力だよ」
人間の姿に擬態、つまり基本は『俺』の姿になるための能力だが、応用した使い方で、別人にだって成れる。
死神のときよりやや小ぶりだが、それでも大きめな母の胸を借りて、六月を抱きしめる。
「…六月。…もっと、甘えていいのよ?」
母の声で囁くと、
「お母さん…、お母さん…っ」
六月が強く抱きついてきた。涙が混じり、次第に聞き取りづらくなってはくるが、そう気にならない。
死別したのは六月が9歳の時だ。まだまだ甘えたい時期に居なくなった母への、心の奥に潜む感情を読み取ったのだ。
これくらいのことはいつでもするし、六月が望む限りは何度でもやる。
一番の理由。それは何より、妹を始めとした、大切な人たちの笑顔をこの目で見たいが為に、俺は生き返ったのだから。
* * *
翌日。
昨日は終始母の姿のままでいたが、さすがに一緒の風呂は遠慮した。自分の体で入りたいし、色々あって疲れたからだ。
その分布団には一緒に入り、六月がまるで小さな子供のように甘え、年齢以下のように見える寝顔を隣で見続けていた。
「ん…っ、はぁー…」
六月のベッドから身を起こす。《練身万化》が解けて、死神としての女体に戻った。
隣にはまだ寝息を立ててる六月がいて、安らかな寝顔を見せている。前に時折覗いてた寝顔より険は取れていて、安堵の息が漏れてきた。
「…六月がこんな顔で寝れるようになっただけでも、死神になった価値はあったかな?」
独り言を呟くと、それに反応するように六月の眉が動く。
「ん、んぅ…、……はれ…、おにー、おねーちゃ、ん…?」
寝惚け眼で俺を認識し、口から出た言葉は…、兄ではなくて姉か。俺はもう姉なのか。
「おねーちゃーん…、おっぱい…」
そんな寝言を漏らしながら、六月が俺の上着の中に入り込んでくる。
…はっ!?
忘れていた、そういえば六月の寝起きはすごい悪かったんだ!
寝起きで他人を脱がしたり、自分も脱いでけしからんポーズで二度寝してたり、俺の部屋に入って制服を持ち出し、それを着ていくこともあった。
何はともあれ、六月の寝起きにおける行動は大なり小なり「服」に収束する。起きてる時は絶対にやらない/やれないだろ、ってことをやってくるのだ。
「えへへ…、すべすべ…」
そんなことを思い返してるうちに脱がされてました。早っ!
今の俺の視界内に存在するもの。真っ白な肌。でっかくて先端が桜色の胸。ほっそりした腰と、すらりと伸びる脚。その付け根にある…、女性の、もの。
まさかこんなことで自分の体を確認するとは思いもしなかった。なんという迂闊…!
もっとこう、然るべき時に見てみたかった! 誰にも邪魔されず自室でじっくりとっ!
「はむ…っ」
「ひんっ!」
考えばかりに頭がいってて、六月の動きに気を払えなかった俺は、胸に吸いつかれてた。
あ…、乳首が、ちょっとあったか…、ひゃぅっ!
「ん…、ちゅ、ちゅぅ…」
吸われてる。俺の胸が、六月の口に、音を立ててちゅうちゅうと。
「ぅ…、出ない…」
そりゃそうだ、出てたまるか。母乳だぞっ。
「おねちゃん…、おっぱいちょーだい…?」
「だから出ないって…っ、ひゃぁんっ!」
吸っても出ない俺の胸から、どうしても母乳を吸いたいのか。六月の手が乳房に触れ、搾るような動きをとった。
「あ、ぁ、ぅぁ…っ」
昨日の乱暴にもまれる感じとはまた違う快感が、胸から迫ってくる。
だがしかし、いくら揉んでも母乳が出るはずが…、あ、でも待てよ?
「おっぱい…、早くでてこい…」
確か《練身万化》は一部だけでも、ひゃんっ、できたはず…。
「んちゅ…」
そこで、んぅっ、胸だけやれば、あぁ…っ、出せるのかも…?
「おねちゃぁん…?」
うぅ、寝惚け眼とはいえ俺をそんな困った顔で見ないでくれ。
視線に負けた俺は、頭の中で《練身万化》のスイッチイメージを作り、ONに入れた。
胸全体が熱くなる。じんわりと溜まった熱が行き場を求め動き、出口を見つけて全力で走る。
途端に、ぴゅっ、と。胸の先から母乳が吹き出てきた。
「んむ…、んく…、ちゅる…っ」
出てくるのが解ったのだろう、胸に吸い付いた六月が、飲み込み始める。
実の妹への授乳という行為と、それにより胸から湧き出る快感。俺は口を食いしばって耐えることしかできなかった。
「はぁ…、はふ、んく…っ」
「ん…っ、ごく…、ちゅぅ…、…はぁ、あむっ」
反対側の胸に吸い付き、そちらからも母乳を吸う。それと同時に、体を預けるように抱きついてきて、六月の手が俺のお尻に回される。
「あ…っ」
胸のときとは違う、背筋を走る感覚が、俺にはまた新鮮だった。触れられた手の形がハッキリと解り、少しだけ肉に沈み込んでくる。
「はぁ…、おねーちゃんの体…、すっごい綺麗…、うらやましい…」
俺の胸に顔を擦り付けてお尻を撫で回しながら言う言葉じゃないぞ、それ。見た目的にはどう見ても兄と妹…、じゃねぇ。
そう、今の見た目は、ただ女性同士で性的に戯れてる、ゆりんゆりんな光景でしかない。
これがご褒美です、という人がどれだけいるのやら。大抵の人は喜びそうだなー。
ここで俺は、股間の辺りがやけに冷たい事にふと気付く。
脚の間に入り込んでる六月に触れないよう、俺はそっとそこへ手を伸ばし、触れてみると…、
ぴちゃ、という水音。そして脳を貫く電流。
「ひ、ぅ…っ!?」
未体験の感覚に、思わず大きな声が漏れそうになる。六月が居るんだぞ、俺。
もしかしてこれ…、濡れてる、ってヤツか?
ほんのり温かい蜜が指を湿らせ、これまで以上に『女』として感じているのが指先でわかる。
それと同時に、脳裏にフラッシュが走ったような感覚。
男の時にやったオナニーでも、これだけの感覚は無くて、病み付きになりそうな麻薬の誘惑に近い。
もっと触りたい。もっと感じたい。もっと、女の快楽を知りたい。
また股間に手が伸びる。だがその手は、六月の脚に触れた。
…そうだ、今俺は寝惚けた六月に抱きしめられてるんだった。
このまま続けるのか? いや無理だろ。何が楽しくて妹に抱かれてるままオナニーせにゃならん。
ちゃんと六月とヤるなら、見られてするのも…、いやいやいやいや!
落ち着け、俺。COOLになれ。そう、いつも通り、いつも通りの思考だ!
スゥーハァー。あ、女の臭いがする。
くそぅ、身体能力は当然嗅覚も含まれてるよなそりゃ!
深呼吸3回、ちょっと落ち着いたので思考をめぐらせた。
今日はいつだ、実は平日だ。今は何月だ、9月だ。次の土曜までは何日だ、3日だ。
ということで現在水曜日、学校に行かねばならない日だ。
ついでに言うと今は7時だ、急いで準備しないと朝食も間に合わない。
「ほ、ほら六月、早く起きてご飯食べないと、学校に遅れるぞ!?」
「やだ…、もっとおねーちゃんに甘えるぅ…」
甘えて良いといったのは確かだが、今この場で甘えるのはどうかと思うぞ妹よ!
「だ、から、起きろってば…! 帰ってきたらいっぱい甘えていいから…!」
「ホントっ!?」
うわ目ェ覚めるの早っ! この一瞬で覚醒したよ!
「…きゃぁっ! お兄ちゃん何で裸なのっ?! もうっ、女の子の体が気になっても、私のところで脱がないでよ!」
「これを脱がしたのはお前だーっ!!」
「あ、あぅ…」
一瞬の間をおいて俺の姿を確認した六月だが、一喝したら黙った。
六月の寝相は、実は自覚済みの事である。どうしてこんな事が起こるかは、本人もわからないことではあるのだが。
「俺は自分の部屋に戻るから、六月も早く支度しろ! 遅れるぞっ?」
パジャマを掴んで自室に戻り、鍵をかけて着替えをし…、ようとして、太ももの冷たさに改めて気付く。
女性器からとろとろ零れる液が、膝まで伝っている。
触りたい。触ってみたい。妹も居ないし、女の体の探求を…、今ここで…。
ピリリリッ、ピリリリッ、ピリリリッ!
そんな邪な欲求を遮るように、携帯電話にセットした目覚ましアラームが鳴る。
そうだ、俺は学校に行くんだ。欲望は後回し、後回しっ。
男に戻って服を着替え、一気に台所へ駆け下りる。
慣れた手つきで朝食を作り、降りてきた六月と一緒に食卓を囲む。
トースト2枚と、バターかイチゴジャム、半熟の目玉焼きに、大皿に盛ったサラダ、それとコンソメスープ。
さすがに遅くなりすぎたので今日の弁当は無いが、いつも通りの、俺と六月との日常が戻ってきた。
今日もまた学校に通い、挨拶を交わし慣れた友達と過ごし、眠たい授業を聞き、勉学に励む。
そんな日常が続くと思って…、
……通学路の途中、舞い込んできた一通のメールで、それが壊れる音が聞こえてきた。
事件事故が唐突に起こるよう、その人の寿命も、唐突に最期を告げられる。
かつてベートーベンが聞いたという、運命の足音のように、突然に。
* * *
ジャラジャラジャラジャラ。
雀牌同士がぶつかり合って大きな音が鳴る。
混ぜきったら積み上げて、配牌のためにサイコロを振り、山を切り分ける。
何をやってるかと聞かれれば、麻雀としか言いようが無い。言っておくが賭け事じゃなく、友達同士でやってるただの遊びだ。
山から牌をツモって、余剰分を河に捨て。役が揃うまでそれを続ける中国の卓上遊戯。
俺のほかに、クラスメートの友達2人と、対面に座ってるヤツがいる。
「…よしっ、ツモ! 三色三暗刻ドラ2で跳満、6000オールな!」
ダマテンでツモったコイツは、篠崎一。
生まれた日にちが同じという奇縁の幼馴染で、俺の大親友。
俺と一で併せて『百』。100年を共にする親友になれるように思い付けられた名前で、16年過ぎた現在も、その思い通りに誰より仲が良い。
静かな雰囲気を見せて、身体もそれに応じて細めで、体力的に強いわけじゃない。
けれど何故か卓上遊戯や賭け事が強く、勘がめっぽう鋭い、不思議な奴。
……そして、俺の初めての相手。
もうすぐ、魂を迎える相手。
…記憶を少し、遡る。
* * *
事の起こりは唐突に始まった。
六月と朝チュンして登校する最中、俺の携帯に飛び込んできたメールが始まりだった。
タイトルには何も無く、開いた内容もまた白紙。
死神としての仕事をそうそう他人に知られるわけにも行かないのだろう。
恐らくはマニュアルと同じ手法で書かれたメールを見るために、《練身万化》の擬態を解き、死神に戻る。ただし目だけ。
元来黒かった眼が一瞬で赤くなり、普段より大きくパッチリと開かれれば、メールの内容も簡単に読み取れるようになる。
タイトル「お仕事です」 送信者「クゥ」
『おはようございます、九十九さん。あなたと会った死神です。
生き返った体の調子はどうですか。えろいことしてますか?』
いきなりそれか。
『青少年ですし性欲は滾ってるでしょうから、その辺りは心配してません。
それはさておき、登録後すぐとなりますが、あなたに死者の魂を迎える、死神としての初仕事をお願いします。
名前:篠崎一
年齢:16
性別:男
住所:××都▽▽区●●●番地
予定時刻:20時18分頃
死因:通り魔による刺殺
現場:××都▽▽区■■通り』
目の前が暗くなった。
アイツが、俺の親友が、あと一週間後に死んでしまう。
事故じゃない。自然死でもない。“誰でもいい”というような、矛先の定まらない悪意によって。
『初仕事という事で妙な仏心を出さないように、当日は私も監視目的で随行します。
ノウハウも同時に教えますので、きちんと憶えてくださいね。
現場付近・30分前集合で、ちゃんと死神の姿でいてください。
事前に質問などがある場合は、下記の番号に電話を。忙しくなければ出れますので。
○○○-○○○○-○○○○』
メールの内容はそこで終わっていた。
…いきなりか。いきなりの死神仕事で、この相手か。
神様、俺はアンタが嫌いになってきたよ。死神になるのはまだ良い、俺が納得すれば済む話だ。
だがこれは、これは無いだろう。
心の準備も出来ぬ間に、誰かを迎える事さえ解らぬ俺に、六月と同じほど大切な親友の命を獲れという。
それとも、これさえ納得しろって言うのか、神様。
こんな思いのまま学校に行かねばならない。
気持ちの切り替えが、今まで以上に苦しい。
いつものように脚は学校へと進むが、心だけが重い。
どんな顔で一を見ればいいのか解らないまま、俺は教室へと脚を進めていた。
「…おはよう」
扉を開けて入れば、それまでに登校していたクラスメート達が一気に顔をこちらへ向けて、人によっては近づいてぉた。
「おぉっ、三条お前無事だったか!」
「事故に遭ったって聞いたから心配したよー」
「ね、ね、頭打ったって聞いたけど、私のこと覚えてる? 三田村清美だよ?」
「あ、う、うん、大丈夫、大丈夫だから…」
そう答えるのが精一杯。病み上がりとか、精神状況を差し引いても、一気に詰め寄られれば大体はうろたえてしまうだろう。
何とか自分の席に行くと、後ろの席には既に一が居た。
「やっ、おはよう、九十九。災難だったね、事故だなんて」
いつも通りの笑顔を浮かべて、朝の挨拶を交わす。
こんな、なんでもない光景が、あと1週間後には無くなってしまう。
…そんな想いを悟られないように、俺もいつも通りに振舞う。
「…あれ? どうしたのさ九十九。いつもより元気が無いみたいだけど…、まだ休んでた方が良かったんじゃない?」
くっ、やはり16年分の付き合いは伊達じゃない。違和感に気づいてきた。
「そりゃ事故に遭ったんだから、元気ないのはわかってる事じゃねぇか。節々なんかまだいてぇよ…」
「うーん、やっぱりもう少し休みを取った方が良かったんじゃない?」
「そうも行くかよ。内容はノートとって貰うにしても、出席日数だけはどうにもならないだろ」
「それはそうだけどさ、無理されると後が恐いよ? 事故に遭ったって聞いたとき、心配だったんだからね?」
「…だったら昨日、何で家に来なかったんだよ」
「それはそれ、これはこれ。まずは…、1人にならなかったってことを六月ちゃんにしっかり伝えるべきじゃないのかな、“お兄ちゃん”?」
「う…」
一はこんな奴だ。基本的に自分より他人を立てる。自分の長所を知っているからこそ、それが役に立つ時以外は裏方に回って、他人を支えてる。
「それにさ、九十九は大丈夫だ、って勘が働いた。だから六月ちゃんに行かせたんだよ?」
「そうかよ。相変わらずそんな所だけは確信的だよな」
「ここが自分の長所だからね。驚くほど当たるってのは、自分でもちょっと恐いけどね」
そしてまた、いつも通りの笑顔を浮かべてきた一に、直視できなかった俺は自分の席に座る。
そこからは繰り返し続いていく学校の様子があった。
教師が入ってきてホームルームを始め、授業を執り行っていく。
暇と感じた生徒が好き勝手をして、それを知った教師の注意が飛んだり。
休み時間に、教科書を忘れた人が別のクラスへ借りに行ったり。
他愛ない話が続く、学生にとって、退屈でありながら有意義な時間。
そんな風景に入れず、俺はずっと自分の席に突っ伏していた。
「おーい九十九ー、どうしたのー?」
後ろから一が声をかけてくる。応えたいが、何を言っても今は口を滑らせてしまいそうで。
「んー…」
呻くように声を出すことしかできない。
「ねぇ九十九、やっぱり今日も休んだ方が良いよ。そんな状態で授業は辛いでしょ」
そんな一の気遣いが重くて、そして一の顔を見れなくて。
「…解った、そうしとく…」
俺は頷いた。
「それじゃ、先生にはボクから言っておくけど…、九十九、一人で帰れる?」
「…あぁ、大丈夫、大丈夫だから…」
鞄を持って、わざとふらついた足取りで、教室を去った。
まだ昼前だというのに帰宅する俺は、携帯のボタンを押していた。
登校時にやってきたメールの記載されてた番号を押して、通話、オン。
コール音はわずかに1回。
『はいもしもし、クゥですが』
聞こえてきたのは、驚いたことに多分六月より小さいんじゃないか、という女の子の声。
…うーん、見た目的に同年代か、人を食ったような年寄りレベルだと思ってたんだが。
『三条さん、女の子に歳の話は厳禁ですよ。人間基準では確かに年寄りですが』
心を覗くなよ、電波越しに。
『あら失礼。ですが三条さんが何も言わないんで、間違い電話かと思いまして』
「…すまねぇ」
『あら、普通に謝りましたね。ではそれは不問にして…、…三条さん、何か質問でもできましたか?』
「言わなくても、心が読めてるなら解ってるんだろ?」
『えぇ、これから死ぬ予定の人物に関して…、ですね』
俺と会話したときと同様に、まったく声の調子を変えぬままにクゥは話し続ける。
『残念ですが、篠崎さんが死ぬことは、彼がこの世に生れ落ちた時に決められた天寿です。
私たち死神は人間の20倍程の寿命の中で、そうして死した者の魂を連れてゆき、あの世で再び生を得るまで待ってもらう。…その為の存在です。
死ぬべきを生き延びさせたり、誰かを代わりに、といった“死の定め”を歪めることは、魂の運行者であるいち死神にはできないんです。
たとえ、死ぬのがあなたの親友だとしても』
それは解っている。
それらの言葉は、マニュアルに書かれていた事と同じだ。そして自分がそれをできない事は、この体になった瞬間、刻み込まれた。
死神に迎えられなかった魂は浮遊霊になり、自我が磨り減り、消滅するまで存在し続けるだけの“もの”になる。
これもマニュアルにあった通りだし、一にそうはなって欲しくない。
だが、それでも恐い。いっそアイツにも、俺の正体を教えてしまえれば、どれだけ楽になるだろうか…。
『近しいものが死ぬ時に、新人の死神が良く取る行動で、自分の正体を明かすのがあるんですが…。
死ぬべき者に、自分が死神であると伝えるのは禁止されています。例外は、霊能力に長けている人物と…』
「後は、自分の姿が見えたものに対してのみ、だろ?」
心を見透かすクゥは、俺の考えを読んで逃げ道を潰してくる。
『良かった良かった、熟読しているようで。鍋敷きには使ってないようで一安心です』
誰がやるか。
電話口から一つのため息が聞こえてきて、冷たい口調で続けてきた。
『私は優しい言葉なんてかけませんよ? ただの人であったなら兎も角、死神となった三条さんには、ね』
「…解ってる、…解ってる」
『“こうなる”ことも、死神になると決めたときに見当はついてたでしょう。それでも、ですか』
「当たり前だ…、誰が一を最初の相手だなんて思うか…!」
『考えが甘いですね。…親しい者も死ぬ。それは解った。しかし三条さんは“それが何時か”まで考えていなかっただけのことです。
そのうち覚悟は決まるだろうと、都合の良いようにしか捕らえていませんでしたからね』
あぁそうだ、まったくその通りだ。
父さんや母さんのように、何時かは一も、六月も死ぬと解っていた。
ただそれで、両親のように早死にする、ということを頭の中に入れなかっただけで。
「おい、クゥ…。俺の最初の相手が、一だって事、わかってたよな?」
『…………』
沈黙。
電話越しではまだ心を読めない俺だが、それが意味することが何か、もう解っていた。
「…………」
俺も黙ってしまう。何でだ、という問いに意味が無いのを理解してしまったから。
仮に問うたとしても、答えることで俺がこうやって、一のことで沈むのは目に見える結果だからだ。
死神になっても、ならなくても。一はあと一週間で死んでしまうのは、変わらないから。
悔しい。俺は何もできない。死んでしまうあいつに、魂を迎えてやること以外の、何も。
俺の姿は女になって、きっと一は俺だと解らないだろう。悔いばかりを残したまま死んでしまうだろう。
『あぁそうそう、正体の件なんですがね?』
あ、そういえばまだ電話つけたままだった。
『……ま、相手が気付いた場合はその限りではありませんけどね。確か篠崎さんは勘が異様に鋭いとか…。
独り言ですよ。えぇまったく、ただそれだけの独り言です』
ではこれにて、とだけ残して、クゥは通話を切った。俺がこれ以上話すことも無いのだと解ったからだろう。
「…ったく、わざとらしすぎるよ、あいつ」
呆れが混じった言葉を呟いて、携帯をポケットにねじ込む。
まだ口からため息が溢れる精神状態で、ゆっくり帰宅していった。
家に帰って、昨日と同じようにベッドの上で寝転がる。
…まだ踏ん切りがつかない。
マニュアルを何度読んでも、一の顔を思い返して。まだ俺は何もできそうにない。
空腹さえ感じないままに、時間だけが過ぎていき…
ただいまー。
と、階下から六月の声が聞こえてきた。
そのまま2階に上がって自室に戻り、着替えて俺の部屋に近づいてくる。
長めのノック2回、コン、コン。と鳴らし、声をかけてくた。
『お兄ちゃーん、戻ってきてるよね? 入るよー?』
返事はしない。六月が入ってくるのを待った。
……今は、誰でも良い。弱い思いを…、少しでも吐き出したい。
「…お兄ちゃん?」
「あぁ、六月…、おかえり…」
ベッドに寝転がり、だるそうにも、辛そうにもしている俺を見て、六月はいぶかしんでる。
「ちょっと…、隣に来てくれるか?」
「…うん」
六月が俺の隣に来て、一緒に横になった。
何故寝るのか気にはなったが、問うだけの余裕は、今の俺には無い。
「……死神としての、初仕事がきたよ」
「……うん」
俺の雰囲気を察してか、返事が小さく、重くなってきた。
「その相手がな…、一なんだ…」
「もしかして、お隣の一お兄ちゃん?」
「あぁ…」
一は俺の幼馴染である以上、六月が生まれた頃から知っている。俺より付き合いは少ないが、六月とも仲は悪くない。
「ねぇ、お兄ちゃん…。…………お仕事、行くの…?」
六月が訊いてくる。本当に行くのかと。死因は他にあれど、一を殺すのかと。
「……仕事のサボタージュができれば、良かったんだけどな…」
けれど、俺は納得してしまった。
納得するしかなかった、と言い換えることができる。
数日前に死んだのは誰だ、俺だ。
死神の誘いに乗ったのは誰だ、俺だ。
生き返ることを決めたのは誰だ、俺だ。
女になってまで死神になると決めたのは誰だ、当然俺だ。
俺はまだ16だが、両親を亡くして、六月と二人暮しをして、己の行為の責任、その重さを解っている。
繋ぐ手が無い寂しさを、掴んでくる手の弱さを、知っている。
こうなることは解っていたはずだ。解っていたはずだが…、
「…………俺さ、一が最初だなんて、思いもしなかったよ…」
「…………」
「もっとアイツとは、一緒に遊んで、笑って、楽しんでいたかった。どっちが先に彼女ゲットするか、って勝負してたし、まだ決着が付いてねぇ」
「……」
「死神はさ、人間の20倍…、大体1600年位は生きるんだぜ…。途方もねぇよな…。
まさかさ、“九十九”と“一”の名前が、一緒になって百じゃなくて、俺とアイツの生きる時間の対比になるなんて思いもしなかった…」
涙が溢れそうになる。何とか堪えて、それでも六月に見せないよう、顔を逸らした。
それと同時に、俺の手が六月の手と重なった。
「お兄ちゃん…」
「…あぁ…」
「…お兄ちゃんが死んだ時ってさ、ちゃんと自分の意識があったんだよね?」
「…あったな」
「もし、…もしもだよ? 一お兄ちゃんが死んで…、最初に看取ってくれるのがお兄ちゃんなら、どう思うかな?」
「……?」
六月の言葉が、少しわからなかった。沈黙を以って先を促す。
「誰か知らない相手に迎えられて…、どこに行くかも解らない一お兄ちゃんは、すごく不安だと思うの。
…だからさ、お兄ちゃん。……私たちから別れてく一お兄ちゃんを、見送ってあげて?
お兄ちゃんが16の99倍で…、えっと…」
「正確には、1584年…。けど、それ以上になったところで、変わらないさ…」
「でも、それだけ生きるなら…、一お兄ちゃんが生まれ変わった姿にも、また会えるかもしれないよ?
ちゃんと一お兄ちゃんが帰ってこれるように、『また会おう』って言ってあげないと…、もう会えなくなっちゃうよ?」
「……」
「一お兄ちゃんは、きっと何度でもお兄ちゃんの隣に戻ってくると思う。私もおんなじ気持ちだし…、そこは2人とも一緒の思いだから」
六月の口調が優しく感じられる。きっと笑って、俺を励まそうとしてくれてるのだろう。
「お兄ちゃんが行くのを決めたなら、もうそこに私は何も言えないけど…、お兄ちゃんが一お兄ちゃんを迎える時に、そんな沈んだ顔をしていても、きっと一お兄ちゃんは悲しいよ。
…ちゃんと、笑って送りだしてあげよう?」
「……っ!」
六月の気遣いが苦しく、そして嬉しくて。俺は泣いていた。
それを見られないようにわざと睦月を胸に抱きしめ、《練身万化》の擬態を解く。
「わぷ…っ、おねえちゃ…?」
柔らかい胸に顔をうずめる形になった六月は、
「…っ、ん…、ん…っ」
すすり泣く俺の声に、何も言わないまま抱きついてきた。
…心は決まった。
一が戻ってこれるように、居場所を作り続ける。六月が死んだ時も、同じく帰れるように。
その為に俺は、あいつを忘れないように、この身を捧げる心を決めた。
六月の方? あいつが望めば、かな。14の妹の処女は勝手に破れないよ。
っていうかヤったらガチ近親かー。…望む人いるのか?
それから。こうと決めた俺の行動は早かった。
まずは甘えてくる六月にゴメンして一に電話をかける。
短いコール回数で出てくれば、他愛ない話を5分ほど。直に話しててもいいんだが、顔を見ると、心を落ち着けられそうにない。
少し経ってから、唐突にこう切り出して。
「そういえばさ、一。…お前に告白したいって言ってた人が居るんだよ」
『なにさ。まさか九十九、仲立ち頼まれたの?』
「あぁ…、まぁ、な。事故の前から話を聞いてたけど、入院とかで話せなかったじゃないか。だから今こうして、な」
『ふぅん…。…でも良いの? ボク達、どっちが先に彼女できるか賭けてたよね?』
「いーんだよ。それには誰かに仲立ちされてもOKって、話だったじゃないか。それが俺で、何の問題があるんだよ」
『それは…、そうだね。お互いがそう決め合ったんだし。ね、ね、どんな子? 歳は? 背丈は? 可愛かったりする? どんな性格で、好みとかわかる?』
自分にチャンスができたと知って気になったのか、相手のことを聞こうとまくし立ててくる。
「歳は俺たちと同じ16で、背丈は…、一より頭半分くらい小さいな。顔に関しては保障するし、多分表情から察しはつくと思う。好みくらいは自分で聞けよ、お前への相手なんだから」
死神の俺の姿は、大体156cm。一の身長が169cmで、頭一つ程ではないが、小さすぎるわけではない。
自分の事ながら美人と言える造形だし、それに応じた演技をすれば良い。好みは聞かれればその場でデッチアゲる。
「そんじゃ、OKって事で良いな?」
『うん、良いよ。セッティングよろしく、九十九』
「あ、そのことなんだけどさ…。今から会えないか、って向こうが言ってきたんだよ」
『…そうなの? もう夕方だよ?』
「学校じゃ言えない、とか、恥ずかしい、って理由ならわかるんじゃないか?」
『あぁー、そっかー。…なるほどなるほど、恥かしがりやなんだ。いいね、うん、すっごく良い』
一にはおおむね好評。これなら後は待ち合わせをすれば良いかな?
「場所は…、近くのたるき公園があるだろ? そこで待ってるって」
『それじゃあすぐに行けば良いかな?』
「あぁ、そうしとけ。…もうそろそろ空気が冷たくなるからな、待たせたら風邪引かしちまうぜ」
『うん、わかった。それじゃ九十九、結果を楽しみに待っててね』
嬉しそうな口調のまま、電話が切られた。これで細工は良し。後は俺が行くだけだ。
瞬時に擬態を解き、女の姿になる。もう少しスイッチを作ると、死神としての正装…、全身赤尽くめの服に変わった。
当然このまま行けば、確実に一より早く着く。しかし生身のまま行けば誰かに見つかるかもしれないので、隠密状態を作るスキルを発動させる。
《透過浸行》-ゴースト-、発動。
肉体が透明に…。正確に言えば、霊体になる。物理的な干渉はなくなり、あらゆる物体を通過することが可能になった。
この力と身体能力を併用し、時には空を飛んで、死神は即座に現場へと向かう。
人に見つかる可能性は、霊感が強すぎる場合でなければ、無い。
壁をすり抜け外に出る。
たるき公園へ一直線に向かい、人気が周囲に無いことを確認してから《透過浸行》を解除。
光を灯し始めた街灯に背を預けて、一を待った。
…待っている。心臓が徐々に高鳴ってくる。
あいつに身を捧げることが恐いんじゃない。あいつに嘘を吐くことが恐い。騙して、体を重ねて、偽の笑みを浮かべて、隣に居ることが恐い。
もし『俺』だと気付いてくれれば、騙す必要は無くなる。
…そんな、ただの可能性の話を思い浮かべては、そんなことは無い、と否定して。
(納得したじゃないか…、決めたはずだろ、俺…!)
何度もそう呟く。腰の辺りの布を、シワになる位強く握っていると。
「えぇと…、初めまして、かな?」
あいつが、やってきた。
「ぁ…、……はじめ、まして…」
逡巡と驚きで、普段よりずっと小さく声が出てしまった。が、儚げとか恥ずかしがり、とか、そういう印象は与えられそうなので良し。
「うん、改めて初めまして。篠崎一です」
「あ、は、はぃ…、つ、つっ、躑躅ヶ嶺、久美、です…」
「…よかったー、ちゃんと居てくれた。早く来ちゃったらどうしようかな、って思ってたけど…、ごめんね、待ってたよね」
「い、いえ…、大丈夫、ですっ、はい…っ」
なんて言えば良いのかわからない俺は、一つ一つ言葉を選んで、呟くように言っていく。
それでも視線は一の目を見るようにして、時折ずらして。ちら、ちら、と動かす。
「…えーと、…うーん、そんなに見られると、ちょっと照れるな」
「あ、ご、ごめんなさい…っ、でも…、でも…」
「あぁいや、そんなに謝らなくていいから。…こんなに可愛い子だったから、ボクも恥ずかしいよ」
「そ、そう、ですか…?」
「うん、そうそう。なんて言ったら良いのか解らなくなるほどだよ」
あはは、と笑ってくる一。
直後、その笑顔のままとんでもないことを言ってきた。
「…ホント、なんて言ったら良いのか解らないよ。ねぇ、九十九?」
何? いま一のやつなんて言った…?
「え…?」
「…違った?」
「ち、違います…っ、なんで、そんなこと…っ」
「うーん、まぁそう思われちゃうよね。こんな可愛い子を前に、男友達の名前を言うとさ」
「そう、ですよ…、何を根拠に、そんな…っ」
しらを切るつもりで口を開くが…、そんな事で一は引かなかった。
「部屋の本棚三段目の奥にエロ本隠してるよね?」
「ぶーっ!? な、何でそんなこと知ってるんだ、一ぇ!」
秘蔵のエロ本隠し場所を知られて噴出し、思い切り詰め寄る。胸倉を掴んで見上げて、密着するぐらい身を寄せる。
「ほーらやっぱり、思ったとおり。行動の端々に九十九の癖があったから、おかしいと思ったんだ」
目の前には、したり顔で笑う一の顔があって。
「ぁ…」
俺はようやく青褪めて、
「ちなみに言っとくけど、逃がさないからね?」
そのまま一に抱き締められた。
逃げる気も無いほど脱力したので、その手から離れようという気は無かったのだが…
「あ、柔らかーい。ホントに女の子だ」
うるさいよ。背中をさするな、こら、お尻はやめろっ!
* * *
それからちょっと息を落ち着けて、俺と一は公園のベンチに座ってた。
死期が迫る者に“自らバラす”のは厳禁でも、気付かれた場合はその限りではない。そのマニュアルに沿って、俺は事の次第を話していった。
女として生き返って、擬態の為に男の姿を取って学校に通った事も。
その全てを、一は黙って聞き、頷いていった。
「……なるほどね。あの事故で、九十九は死んでたのか」
「正確には、人間の俺がな。……つっても、よく信じられるな、こんなこと」
「こうして目の前で、僕の知ってる九十九と同じ癖で話されてるとね。信じないわけにはいかないさ。
それで女の子に、かー。驚いたなーホント、こんなにボクの好み通りになっちゃって」
一が俺の髪に触れてきた。梳くように撫でると、引っかかりもせず、髪と髪の間を指が流れていく。
手が離れると、聞きたくない言葉を、一は口にした。
「…九十九。どうしてボクを騙したの?」
「う…」
「まさかバレやしないと思って、笑うために仕組んだとか? …だとしたら、人をバカにするのも程があるよ」
「違う! ……違うんだ、一。…そうじゃないんだ…」
「…じゃあ、どうして?」
強く拒否の台詞を言っても、次第に言葉尻は沈み、それをさらに落ち込ませるためにか、静かな口調で一は聞いてくる。
その言葉に耐えられなくて、俺は言ってしまった。
「一…。…お前は、もうすぐ死んでしまうんだ…」
答えは無い。
「そして…、お前が、俺が最初に迎える魂なんだよ…」
「それも、嘘なの?」
「嘘なんか言って、何になるんだよ…。全部、ホントなんだ…」
一の顔を見れない。無表情なのが、隣に居るだけでわかる。
「死神だよね、今の九十九は。…ボクが死ぬことを、そうやって言えるんだから…」
ずっと冷たいままの一の言葉に、俺は心が痛くなってくる。涙腺が緩んで、男の時にはせき止めていた涙が、また溢れてきた。
「……そうだよ、俺は死神だ、そうなった! いつかは親しい誰かを迎える事も、こうなった時に理解してはいた!
けど…、けれど! 最初がお前だったなんて誰が解るんだよ!」
さっきと同じように掴みかかって、泣き顔のまま、俺は一に叫ぶ。
「勝手に思ってたよ…、お前と一緒で百年生きていけるって思ってた…! だから考えていなかった…。
でも、ずっと一緒なんて無理だった…、俺が生き続けて、お前が死んじまう…。
恐いよ…、これからずっと生きてく俺が、お前の事を忘れるのが…」
涙で歪んだ視界で、一の顔を見れなくなって。胸にもたれ掛かる。
「だから、嘘を吐いてでも、俺を抱いてほしかった…。死神に、女になっちまった俺に…、お前が刻まれるように…。
頼むよ、一…。俺に、お前を忘れさせないでくれ…」
傍から見れば、女に泣き付かれている男の構図だ。けどそれは、俺にとっては真剣で。
すすり泣く声が日の落ちた公園に聞こえる。
しばらく、とは言っても。どれだけ泣いていたのかは解らない。不意に俺の肩に手が添えられて、軽く引き離される。
(ダメなのか、俺が勝手に思ってるだけで…、一は受け入れてくれないのか…)
そう思うと…、歪んだ視界の中で一の顔が近づき、
唇に、温かいものが触れた。
「ん、む…」
唇同士が触れている。
これ、キス、してるんだよな……。
「…、ふぅ」
ほんの少しだけの接触だが、それだけでも俺の心はキスの嬉しさと、離れる唇の淋しさに満ちていた。
「あー…、もうなんて言うかなぁ……」
キスをした一が、照れ臭そうに横を向き、頭を掻いている。お互いの癖をよく知ってるから解るが、わかりやすい一の照れ隠しのクセ。
「……ごめん、九十九。その顔は反則だ」
溜息を盛大に吐き出して、改めて俺の方を見てくる。
「九十九が本気だってのは解ったよ。冗談をするにしても、その身体はどう見ても本物だし…、そもそも嘘がつけないのを、知ってるからね」
「う…、ってことは一…、最初から全部…」
「うん、全部九十九の本音を聞きだすための、お芝居。ポーカーフェイスが得意なの、知ってるでしょ?」
それもそうだ。
一は賭け事に必要な運の他に、機転を見抜く目を持ってるし、表情を悟らせないことも得意だ。それで何度負けたことやら…。
「キスはものの弾みだけどさ、…目の前でそんな泣き顔されると、九十九だって解っても慰めたくなるじゃないか」
ふ、と調子が変わって、今度は一が俺の方に身体を寄せてくる。
「あーぁそっかー、ボク死んじゃうのかー…、困ったなー。九十九との賭けもまだ終わってないし、まだ16なんだし…、色々やりたい事あったんだけどなー…」
ずっと見てきた、“いつもの”一の表情のまま、俺が告げた死期にさえ納得して。
「落ち着いてるな、一…」
「そりゃねー。…どうせボクの将来なんて博徒くらいしか見えないから、こわーい人にも会っちゃうだろうし。その辺りは覚悟してた」
「っだぁもう! そんな事言うなよ…」
「その覚悟が、16の現在で求められたのは驚いたけどね」
一はそのまま倒れこんで、頭を俺の太ももの上に乗せた。いわゆる膝枕状態だ。
しかしそれだけでは飽き足らず、腰に腕を回して顔を押し付けてくる。
「ま、待て一っ、何して…っ」
「ん…、やっぱり良い匂い…、九十九はホント、ボクの好みどおりになっちゃって…」
「嗅ぐなってば…っ、…ぁ」
けど、俺は気づいた。腰に回した手が、かすかに震えていることに。
…そうだ。どんなに気丈に振舞っても、死ぬ事への恐怖は絶対にある。俺だって自分が死んだ時は、頭の中がごちゃごちゃになって固まってしまうほどだった。
その事実を、まだ16で、生きてる内から知らされた一が、恐くないと感じるわけが無いんだ。
小さな声で一に訊いてみる。
「…なぁ、一? やりたいことって…、何だ?」
「んー……、そうだなぁ…。…天和込めたトリプル役満出したかったし、もっと強い人と打ってみたかったし…、うん、ベガスとかも行ってみたかった。
それに彼女も欲しかったな。…ねぇ九十九、彼女になってくれる?」
「ぶっ!? な、何言ってんだよ…」
「だってさ、僕に彼女紹介したい、とか九十九が嘘ついてきたんじゃないか。騙した責任は取って欲しいなー」
「責任って…」
「それにさっき、ボクに抱いてほしいって言ったよね。それ、自分が彼女になる、って意味じゃないの?」
…あれ、そういう意味だっけ? 疑問に思って、つい口に出してしまう。
「いや…、別に、そういったことじゃなくて…」
「じゃあどういう事? 彼女じゃないんなら…、セフレ? ヤだよボク、九十九が親友からセフレになるなんて」
「俺だって嫌だ、それだけのための関係になんかなりたくないさ」
「それ以上の関係だったらどう? 一緒に遊びに行ったり、買い物に付き合ったり、ゲームしたり、たまにじゃれあったりとかさ」
「…まぁ、そういう関係なら、なぁ? 俺たちの関係とどう変わりがあるかは疑問だが」
「ありあり大アリ。親友同士は裸で抱き合わないけど、彼氏彼女ならやるでしょ」
「おホモだちとかは…?」
「ボクは考えたくないなー」
やれやれ、と呟いて。納得していた事を応える。
「…はぁ、そうだな。俺が嘘ついたのも確かだし、彼女になるよ」
ただ抱かれて終わり、としたくない。そう思っていたのは確かだ。俺たちの関係がそれで終わるはずが無いし、終わりにしたいと思うわけでもない。
ただ、これからの関係が変わる。たったそれだけの大きなことを、納得して頷いた。
直後、一が起き上がって俺の胸に飛び込んできた。
「やったー! ボクの方が先に彼女ができたー! 賭けはボクの勝ちだよ、九十九っ?」
「ってぇ、いきなりそれか!」
直前までの沈んだ気配とは打って変わって、一は上機嫌になってすりつく。
あぁ、胸の間に顔が。昨日の六月より大きい分、左右に広がる感覚が…。
「それじゃ、賭けは決着したので…、九十九にはボクの言う事、一つ聞いてもらうよ?」
「う…、…あぁ、解ったよ」
勝ち抜け彼女ゲットの賭け。勝者は敗者に何でも言う事を1つ聞かせることができる。
何を言うのかは…、この状況じゃ読むのは容易いかな。
「じゃあそうだね…。戻って、えっちしよ?」
ほーらやっぱり。けど、俺はそれを拒否する気も、理由も無いわけで。
「わかったよ、んじゃ戻って…、…あれ? どこでするんだ? おじさんもおばさんも居るだろ?」
一の家は核家族で、他には両親しかいない。それ故に、一が死んだ後のことを考えたくない。きっと二人とも、ひどく落ち込んでしまうだろう。
「平気だよ、今日は二人で出かけてるし、ボク1人だから。…朝までしよっか?」
朝までときたか。さすが16の男。
……あ、俺もか。
* * *
その後すぐに一の家にお邪魔した。証言どおりに家族は居らず、家はしんと静まりかえっている。
部屋へと入ると同時に鍵を閉め、携帯を切り、カーテンを閉じ、電気をつける。
「さて、じゃ脱ごうか」
淡々と言える一にちょっとだけ呆れながら、俺は背を向ける。
「一…、見るなよ?」
とだけ言っておいたが、同じ部屋で男女が脱ぐシチュエーション。ここで見ない男がいるものか。俺なら絶対に見ている。
まぁご期待に漏れず、一からの視線を背中で感じていた訳ですが。
お互い裸になって向かい合う。これから抱かれる、ということを意識するとどうしても恥ずかしさがとまらなくて、自然と手は胸と股間を隠していた。
「あー、九十九隠してるー。ずるいよ、ボクは隠してないのに」
「そうは言ってもな…、今女だろ、俺は…。なんか、恥ずかしいんだよ…」
「それでもちゃんと見せてほしいな。そうしないと触ることもできないよ?」
「うー…」
触られること。それは今朝六月にやられた戯れとは違う、相手の確固たる意思の行動。
羞恥心と同時に、自分が納得した上でこの行為に及んでいるのを思い出し、そっと手を退けた。
「わ…、わー…」
その途端、一が好奇の視線を全身に向けてくる。上から下へとなめるように見て、一部を見て止まった。
「な、なんだよ、一…」
「…いや、驚いた。下、つるつるだね」
知ってるよそんなこと、だから見られたくなかったんだ。
つるつるだぞ、パイパンだぞ? 割れ目が遮るものなくそこにあるんだぞ? そりゃ恥ずかしいっての。
「うぅ…、あんまり見るなよ…」
「とはいっても、これから嫌でも見ることになるんだから。遅いか早いかの違いだよ」
「そりゃそうだけど…」
「だから九十九、もっとちゃんと…、見せてくれる?」
「う…っ!」
そんな良い笑顔を見せてくるなよ! と内心で思いながらも言える筈なく、俺は一のベッドに寝転がった。
「……ほら、ちゃんと見ろよ! まな板の上の鯉にでもなってやる!」
内心ヤケになりながら、隠すことなく身を晒す。
「まな板の鯉かー。…じゃ、いっぱい料理してあげよっかな」
一も続いてベッドの上に乗り、俺の上に覆いかぶさってくる。
心臓が強く脈打ち、期待と不安で体の触覚が冴えてくるような、そんな気がしてた。
やんわりと手が触れてくる。自分で触った時とも、睦月に触れられた時とも違う、大きな手の感触に、声が漏れてしまう。
「ん……っ」
くすぐったいのと、気持ちいいのとが半分ずつ。けれど、それはすぐに快感にシフトする事になる。
「九十九、…おっぱい触るよ?」
「え、あ…!」
指先が乳房にさしかかった。器用な手先でつぅ、となぞってきて。その度に声を漏らすのに必死になってくる。
「……うん、柔らかいなぁ。ぷにぷにしてる」
「わざわざ、言う、なよ……」
「そうは言ってもねぇ? 彼女の身体だし、ちゃんと確かめないと」
そんな事を言いながら、一は俺に触れる手を止めようとしない。
それが次第に気持ちよくなってくる。触れてくる一の手に、どんどん敏感に反応してくる。
途端、くに、と乳首が抓まれた。
「ひぁんっ!」
「ん、やっぱり乳首が良いのか。ここが好きだなんて、九十九の好みなエロ本とよくよく共通してるよね」
「うる、さぁい…っ、ここでそんな事、言うなぁ…」
確かに俺は乳首というかおっぱい全般が好きだが、ここで言わなくても良いだろが。
「ん…っ、んぅ…っ」
「おっぱいは柔らかいのに、乳首だけはホント硬いね。ね、九十九、気持ちいい?」
長年の付き合いで、一がサドっ気充分だと解っていた。
と思った途端、今度は乳首を引っ張ってきた。
「んくぅっ!」
肌が引き伸ばされる、痛い。でも少し気持ちいい。そんな混じり合った感覚が、脳に女を刻み込む。
胸から手が離れ、さらに身体の下へと指が這う。胸のおかげでさらに敏感になった肌が、先程より鋭く手の動きを察知して、
くちゅ、と水音が聞こえてきた。
「んやぁっ!?」
それと同時に、声が出た。
一の手の位置と、水音。胸よりも何よりも、俺の『女』の証である、女性器。
今朝のように濡れていて、今朝のように声が出て、しかして触れてるのは俺じゃなくて。
どういうことかと聞かれれば、好き勝手弄くられてるわけで。
「へぇ…、これが女性器かー。すごく熱くて、柔らかくて…、こんな感触なんだ…」
これも長年の付き合いでわかり切っていたことだが、手と口がまったく別の事をするのも一の癖だ。
女性器の周辺をなぞり、花びらを指の腹で撫でて、溝をなぞってくる。
その度に俺の口からは、艶の混じった声が漏れる。
「んぁ…っ、は、ん…っ」
一の指が触れるたびに、女性器が熱くなってくる。蜜が溢れてくるのが、そこだけで解ってしまう。
男のときのオナニーとは全然違う、じんわりと登ってゆく感覚と、目の前で楽しそうにしている一の顔を見るだけで、もう止まらないと思ってしまった。
「ん…っ、ふぁっ、はぁ…っ、は、じめぇ…っ」
身体をまさぐる親友に、…あぁいや、今は彼氏か? の名を呼んで、微笑みを返される。
それを見てしまうと、心がぼんやり暖かくなって、自然と欲しい物が口から溢れてきた。
「も、っと…、触って…?」
「もっとかー。…九十九はえっちになっちゃったなぁ」
微笑みがニヤニヤ笑いに変わった。やっぱ止めてほしい気になったが、自分じゃないので止まらない。
「えい」
つぷ。
「んうぅぅ…っ!」
細い何かが体内に侵入してくる。それだけで少し苦しいようで、でも少し満たされるようで。
もっと、という想いを叶えてもらったことで、俺は確かに悦んでいた。
「うわぁ…、入り口がこんなにとろとろで、中は指を締め付けてくるよ。これだけで窮屈なのに…、実際に挿れちゃったらどうなるんだろうね」
「う、るさぁい…、実況、しなくていいんだよぉ…」
皮肉にも、人間の5倍はある触覚で膣の内部さえ手に取るように解ってしまう。入ってくる指を欲して密着し、奥へ、奥へと連れ込もうとする。
奥へ、もっと奥へ。
指じゃ足りない、届かない。
欲しい。何を?
刺激を。どんな?
女性の。どうやって?
貫いて。何で?
男の、それで…。
我慢できない。耐えられない。
自覚したと同時に身体が欲求を訴えかけてくる。
男が欲しいと、抱かれたいと。
抑えきれない欲望が、口を継いで溢れてくる。
「は、じめぇ…、はやく…、ほしいのぉ…」
自分でも呂律がまわってないのがわかるくらい、ふやけた言葉。それさえにも一はにんまり笑ったままで、
「欲しいって、なにが?」
このヤロウ、嬉しそうに聞き返してきやがった。
「なに、って…、その…、わかってる、だろ…?」
「えー? ちゃんと言ってくれないと、ボクはわからないなー?」
「う、うぅ…、…はじめの…、ちん、ぽ、を…」
「どこに?」
さらに聞いたよこいつ。絶対楽しんでやがるな?
テンプレか、テンプレだな。皆は好きですか? うん、俺は大好きだ。
「おれ、の…、おまん、こ、に…」
そう思いながらも言ってしまう俺は、引っ込みがつけない状態だった。
「じゃ、我慢できない女の子の九十九に、お望みのものをあげましょうか」
笑顔をそのままに、一は俺の脚の間に入ってくる。さっきから注意を向けてないから見えなかったけど、あいつの息子も元気いっぱいではちきれそうだ。
たぶん我慢できないのはお互いに共通していることだろう。
脚が開かれる。蜜で濡れた女性器から空気に触れ、冷たく感じられる。
そこに熱を感じる。水気とも空気とも、肌とも違う熱さを認識して、心臓が高鳴る。
「それじゃあ…、入れるよ」
にやけた顔を辞めて、一が伝えてくる。
息を吸って、耐えるように歯を食いしばって、一つ頷いた。
亀頭が入ってきた。
「ぁ、あ…っ」
割り開かれる入り口に触れる、熱く硬いもの。それが徐々に奥へと入り込んできて、
強化された感覚が、肉棒が膜に触れるのを知る。
一の動きも止まって、先端だけで感じる微妙な抵抗感の正体を知ろうと、じっと俺の顔を見てきた。
「ね、九十九。…これが処女膜だよね?」
だからわざわざ言うなっつの。
「そう、だよ…、ここまできて、辞めるとか、言うなよ…?」
「まさか。ちゃんと九十九の処女がボクのものだって刻み込むまで、辞めるはずもないさ」
「なら…、しっかり挿れろ…。中途半端じゃ、気持ちよくなれないだろ…?」
一の顔を見ながら抱きつき、腕を背中へと回す。
「うん、正直ここまで挿っても気持ち良いけど…、ちゃんと全部ヤらないと、ボクの息子が収まらないしね」
近づいた顔の距離が零になる。額同士が触れ合いながら、
「ん…っ!」
「くぁ…っ!!」
一の腰が突き出され、俺の中が破られる。ぷちんと頭の中で響いて、ついで痛みが襲ってきた。
鈍い痛みが結合部から生まれてきて、耳元でささやかれた言葉さえあまり聞こえない。
「九十九の処女、貰ったよ」
「は、ぁ…っ、はぁ…っ、つっ…」
とはいえ俺は、想像以上に処女喪失の痛みが強く、落ち着くために小刻みながら深呼吸を繰り返す。
「んー…、やっぱり痛い?」
「あたり、まえだ…。…うぅ、うごかす、な…っ」
俺の中を貫く一の肉棒、確かに気持ち良いと感じたけど、今はそれ以上に痛みが強い。
復調を待つように頭や背中を撫でながら、一は変なことをのたまった。
「ははは、まぁまぁ。ボクが仮に転生できたら、女の子になって戻ってきてあげるよ。そしたらその処女を九十九が貰えばいいじゃん」
あー、俺が処女を抱くのかー。できるかな、この痛みを知って、それが。
撫でてくる手や、耳に向けられる言葉を聞いて、ぼんやり思う。
相手の立場になればそんなことはできないはずだ、とか言われたけど、さすがにこれはなー? あ、でも女ならいつか誰もが通る道か。
「…そろそろ落ち着いた?」
撫でる手を止めないまま、一が訊いてくる。変な考えをしている最中に、痛みは確かに和らいできていた。
「…まだちょっと痛い、けど…。……優しく、しろよ?」
「うん、わかってるよ、九十九ちゃん」
腰の動きが始まる。内部で存在を主張している肉棒が、ゆっくりと胎内をえぐってくる。
最初はゆっくりと。
次第に速度を上げて。
お尻を掴まれて、何度も何度も腰を叩きつけてくる。
外側から抱きしめられて、内側から満たされて。
男と女の性行為が気持ちよくて。
「は、ぁっ、んふっ、あぁうっ…、ん、ふゃっ」
この嬌声を止める方法なんか無かった。
「は、じめ…、はじめぇ…っ」
俺を抱いてくれる、親友で恋人の名を呼ぶ。細いけど確かな強さを持った腕に抱かれて、確かな“男”で貫いてくる。
「ん…っ、つくも…っ、つくもの、なか、こんなにあったかい…っ」
「はじめも…っ、はじめのちんぽも…っ、あついのぉ…っ、ふぁ、あぁんっ」
それを下で受け止めている俺は、間違いなく“女”として感じる意外に無かった。
「はぁ…、んっ、ちゅ…っ」
ずっと目の前にある一の顔と、俺の唇に近い一の唇。
キスを交わし、なおも体を押し付ければ、胸板に俺の乳房が押し付けられて形が歪む。乳首がこすれて、それさえも快感を生んで。
「んむ…っ、ちゅ、ちゅぷ…」
「はぅ…、んぁ、れる…」
唇同士でも交わりあう。唾液同士が互いの口に入り込み、互いの舌が絡み合う。
ただそれだけのことなのに。こんなにも、女として抱かれるのが、気持ちいい。
キスも、
相手の肌も、
抱きしめてくる腕も、
胸いっぱいに吸い込む匂いも、
そして俺を女と刻み付けた肉棒も、
触れてくるそれがひどく愛しくて、
「ひゃっ、は、はぁん…っ、んっ、ひゃぁっ」
高みへ登っていくのが解る。
膣壁が蠕動して肉棒を奥へ奥へと呼び込んで、締め付けていくのを感じる。
「は…っ、は、うっ…! つくも…、ボク、やばいかも…っ」
それと同時に、一の抽送が激しく、力強くなってきた。言葉で伝えてくるように限界が近いのだろう。
証明するように、精液を吐き出そうとしてくる肉棒が膨らんで、膣壁を広げてくる。
「うん…っ、出してっ、おれの、中にぃ…っ、たくさんっ!」
艶混じりの声でささやいて、その全てを欲しがるように腰を押し付けて。
降りてきた子宮口と亀頭が触れ合うように、深く。
「んぅ…っ、ひゃ、はぅんっ! あ、はぁ…っ、あぁんっ!」
勢いよくたたきつけられる腰と、そのままぶつかり合う亀頭と子宮口で、一突きごとに嬌声が漏れ、官能が高められる。
そして、俺も一も限界が近づいて。
「出る…っ、出すよ、つくも…! く、んっ!!」
その瞬間、胎内に熱の濁流が注ぎ込まれた。
大量で新鮮な精液が俺の子宮へと射ち込まれ、下腹部に感じた一の愛が広がっていく。
それは、俺を最後の快感へと押し上げるのに充分だった。
「あ…っ、あっ、はっ、あぁぁぁぁぁぁっ!!」
一に抱きついたまま、抑える事もできなくなった嬌声をあげて、達した。
あぁ…、こんなにも…、女になることが、よかったなんて…。
男のときとは全く違った絶頂。その余韻に浸り、抱きついたまま浅く息を吐き、また吸って。
「は…っ、はぁ…っ、はぁぁ…」
「んー…、九十九、落ち着いた…?」
「…ん、…結構…」
放出して終わり、な男の絶頂を繰り出す一は、優しげな顔で俺の顔を覗きこんでくる。
それがちょっとだけ恥ずかしくて、少しだけ視線をそらす。
「(俺…、一の下でイっちまったんだよな…、……うわ、今さらになってすごい恥ずかしくなってきた…)」
心も女になってきたのかもしれない。今は一の顔を見るのが愛しく感じられて、また同時に恥ずかしい。じっと見続けることができなくて。
「どしたの、九十九?」
「…うるさいな、聞くなよ……」
少し突っぱねたような言い方になってしまった。
…けど、それで終わらないのが、調子に乗った篠崎一という男だ。
「やだ、訊く。聞かせて欲しいなー、どうしたの九十九? ボクの恋人で一緒にイっちゃた女の子のつくもちゃーん?」
気が置けない間柄だからこそ、といわんばかりの、ウザいとも言える言葉で責めてくる。
「う…っ、うるさいよ、どうせ察しがついてるんだろっ?」
「うん、その上で聞いてるんだもん」
こんにゃろう。
「あー…っ、ったく! …お前の顔を見るのが恥ずかしいんだよ…」
「もー九十九ったらー、ホントに女の子になっちゃって、かわいいなぁ♪」
満面の笑みになって抱きつかれる。それと同時に体内を貫く肉棒も硬さを取り戻してきた。
「あんまりにも九十九が可愛いから、また元気になってきちゃったよ」
「もう解ってるよ、みなまで言うな。……朝まで、だろ?」
そうしてまたキスをして。
俺たちはまた睦みあう。
* * *
それから、一が死ぬ日になるまでの一週間。
俺たちはずっと一緒に過ごしていた。
昼間は親友として、男同士の友情で、他愛ない会話を繰り返し、他の連中も交えて遊びに興じたり、勉強の内容に頭を抱えたりして。
夜間は恋人として、男と女の愛情で、2人だけの空間で疲れて眠るまで互いの体を貪りあい、体液と思いを重ね合わせた。
そして、メールが来てから一週間後の放課後。親友にして恋人の、一が死ぬ日。
もう覚悟は決まったようで、一は何も変わらずに学校生活を営んでいた。
けど、心を覗いて見ると。
なんでもないはずの日常を、明日には消える風景を、一秒一秒を大事に、一つ一つの会話を鮮明に、覚えていよう、忘れないでいよう、と、必死になっているのが見えた。
俺にはそれが哀しくて、それをもっと続けられないかと思ったが、俺はこれからすること、それを納得したのだ。
今さら、変えることはできない。
だからこそ、確りと覚悟を決めて。
放課後に言葉を交わす。
「それじゃ九十九、また後でね」
「あぁ、一。すぐ迎えに行くから、ちゃんと待ってろよ?」
幼馴染同士の他愛ない会話に見えるそれは、死に逝く者と死神との、約束の会話。
生の終わりに辿り着く者と生き続ける者との、別れの言葉。
時刻は19時半を回った所。帰宅後ずっと自室で死神の姿になってる俺は、晩飯を食べずにいて、心を落ち着けようと深呼吸を繰り返す。
これからアイツを迎えに行く。それだけのこと。死者を迎えるだけのこと。
しかし初めての事に、俺の動悸は止まらない。落ち着けようと肺に空気を入れては、出していく。
「……、はぁ…」
最後の深呼吸をして立ち上がり、六月の部屋のドアを叩く。
「なぁに、お兄ちゃん? …あ、お姉ちゃんだったね」
勉強をしていた六月が、ドアを開けて顔を見せる。
最後の決意を乗せて、目を見ながら笑顔で告げる。
「六月、…ちょっとお仕事、行ってくるな?」
「……うん、行ってらっしゃい。一お兄ちゃんを待たせちゃダメだよ?」
俺が躊躇わないように、六月も笑顔を見せてくれて、直後、抱きついてくる。
「…お姉ちゃん。帰ってきたら、一緒にお風呂入ろうね。お姉ちゃんの疲れを落としてあげたいし…、私だってお姉ちゃんの力になりたいから…」
その想いが素直に嬉しくて、
「あぁ…、わかったよ。ちゃんと帰ってくるから、温かい風呂、沸かしといてくれよ?」
それに頷いた。
少しの抱擁をほどいて、踵を返す。
《透過浸行》-ゴースト-、発動。
不可視となり、物理干渉を受けなくなった俺は、静かに歩いて、そこへと向かう。
予定時刻のほぼ30分前。事件現場へと向かった俺が見つけたものは、小さなローブ姿の存在。
顔の半分近くはフードと影に覆われて見えないが、俺と同じく死神だと、発散される気配は、俺が会った事のある存在だと雄弁に告げていた。
「あ、三条さん、ちゃんと時間通りに来ましたね?」
電話越しに聞いた、小さな声。
「あぁ、ちゃんと時間通りだ。…遅れてないだろ? クゥ」
「ダメです」
何がだよ。
「私が居るのはわかってたはずですし、そこはもう5分早く来て、『ごめん、待った?』と優しく聞くのが男としての礼儀でしょう?」
「死神としての俺は女だよ。それと心を読むなって」
「ほう女。三条さんは女として目覚めたようで何より、ばんざーいばんざーい。…あ、でも女の子で“俺”はいただけないような? 需要はあるんですけどねぇ?」
「何言ってるんだよ…」
「氾濫しすぎた萌え需要における、必要とされるものを模索してるだけです。ロリババァなんて最早ありふれてますしね」
それは納得するような、しちゃいけないような。
「いっそ外見老婆で中身がロリっ娘の“ババロリ”なんてどうでしょう。ちょっとだけババロアに似てますね」
「それはどこにも需要は無いだろー…。っつか考えたくもねぇ」
「自分で言っておいてなんですが、私も三条さんと同感です。このネタ棄却しましょう」
じゃあ何で言ってんだよ…。
「三条さんが暇にならないよう、他愛ない会話ですよ。無言で待つほど無意味で暇な時間はありませんから」
「あぁそーかいそーかい。じゃあ他にどんな事を話す?」
「そうですね、出ては消える色物ペプ○についてはどうでしょう」
死神としての仕事は頭の中に入ってる。どうやって死者の魂を迎え、どうやって連れていくのかも。
クゥは単なる監視役だ。俺が変なことをしないように、という目的がある。そういう気配が無いことを悟ってか、それともそんな気を起こさないように俺の気を散らしているのか。会話の目的がどこにあるのかは、今はさておくとした。
他愛ない話を繰り返し、時間は迫る。
街灯だけが照らす、住宅街の道路。左側から、買い物帰りの一がやってきて。
右側からは、厚手のブルゾンを着て、帽子とグラサンとマスクという、明らかな“不審者”がやってきて。
2人がすれ違う瞬間、
不審者のポケットから刃物が抜き出されて、
滑り込むように一の腹部へと刺し込まれて、
何度も何度も刃物が突き立てられて、
さらに追い討ちをかけるよう捻りを加えて、
地面に大量の血が滴り落ちた。
不審者の歪んだ心の声も、一の苦痛を感じる声も、その全てを聞いていて。
けれど俺は動かない。動けない。
止めたい衝動が身を突き動かそうとして、クゥに視線で止められて。
死神として、俺は死ぬべき一を、見殺すのだ。
不審者は哄笑を散らして走り去っていった。
一は足元に広がる血溜まりに膝をつき、倒れる。
複数回の刺突と捻り込まれた影響で内蔵はボロボロだ。出血量も多いし、まず助からない。
苦い表情をしていると、隣に立つクゥが、
「三条さん」
魂を狩れと、伝えてくる。
「…………わかってるよ」
頷いて右手を広げ、一つ念じる。
《狩魂葬具》-アームズ-、発動。
空間がブレたかと思えば、俺が一番最初に見たときと同じく、巨大で、鋭利で、禍々しい、死神の鎌が現れた。
魂を狩るための、死神が持つ武具。死に瀕する者を死なせるための道具。
個人によって形状は違うが、その能力は基本的に同じ。死神が持つ、死者への想いで、どれだけ楽に死ねるかが変わる。
優しさや愛しさで振るえば安らかに。怒りや憎しみで振るえば苦しんで。その人は死を迎えるのだ。
鎌を掲げる。金属で重い筈のそれは、人間の5倍も筋力がある俺からは軽くて、まるで中身の無い鞄程度の軽さしか感じない。
これから振るうべき一を見下ろして…、ふと、目が合った。
その顔は、確信に満ちていて。解ってくれていて。
『(来てくれたんだ、九十九…。……優しく、頼むよ?)』
心で呟きながら、笑顔で頷いた。
息を吸って、声も出さなくて、一への愛しい想いをたくさん乗せて、勢い良く。
鎌を振り下ろした。
* * *
そこから先は簡単にしか語れない。
一の魂を回収し、死者の魂を閻魔庁へと引き渡す。そこで死神の仕事は終わりだ。
後の全ては引き継がれ、魂の裁きを受けて、死後の世界へと導かれる。どうなったかを俺が知る術は、無い。
そして閻魔庁の前。
「では、私たちの仕事はこれで終わりです。三条さん、お疲れ様でした」
傍らのクゥが、それだけを言うとすぐに去っていく。後に残されているのは、俺と、一だけ。
「…一。ここを潜れば、後は閻魔の裁きを受けて、正式に“あの世”に行く事になる」
「…うん」
一はただ黙って聞いている。正確には死者の捌きを行うのは十王と呼ばれる裁判官だが、死神の上司は閻魔なのでこう言っておく。
「…これで、暫く会えないな」
「そんなの解りきってた事じゃないか、九十九?」
「そりゃ、そうだが…」
「……」
ふと、手がつながれた。
「ぁ…」
それだけで心が跳ねた。嬉しいと思うが、すぐに放さなければならない。
でもそれでも、この少しだけは繋いでいたくて、顔が赤くなっていたら…
「ん…っ」
「む…っ?」
キスが交わされる。
口中で舌が絡み合い、それだけで昂ぶってしまうような、愛しか感じられないキス。
暫く続けていたがその内に離れ、つ、と銀の糸が現れ、消える。
「…九十九、このキスを憶えてて?」
「え……?」
「ボクは何度でも戻ってくる。ずっと九十九の事を忘れないし、どんな姿でも君の隣に行くよ。
そしてその度に、九十九とキスをする。何度も何度も、立てなくなるくらい、いっぱい、ね?
…親友で恋人のボクたちの再会の合図は、…ハグと、キスだよ」
手を繋いだままで、笑顔を向けて、確信を胸に秘めて、一は伝えてくる。
どうなっても俺を覚えてると。どうあっても俺を愛すると。
嘘偽りの無い想いを感じて、涙腺が緩んでくる。
「…っ!」
一の胸に抱きつく。抑えられない涙が、また溢れてきて。
「おぼえた、からな…っ? このキスも…っ、その言葉も…っ、お前の、想いも…っ、ぜんぶ…、ぜんぶ…っ」
背中に、手が添えられる。少しだけ大きな、どこまでも優しい手。
「だから…っ、お前こそ、忘れるなよ…っ? 忘れてたら…、俺が抱きしめて、いっぱいキスして…、魂の中から、イヤでも思い出させてやる…!」
涙声だ。嗚咽も混じってる。表情もぐちゃぐちゃで、可愛いなんてお世辞にも言えない状態で。
顔を上げて、しっかりと一を見据えて。
「…一、大好き…。愛してる…」
何より大きくなった想いを言葉と共に込めて、また口付けを交わす。
今度は短くて、すぐに口が離れて。
「…だから、戻ってこい、一。…俺がお前への愛を忘れないうちに、な?」
オノーレ・ミラボー曰く、「短い不在は恋を活気づけるが、長い不在は恋を滅ぼす」。
恋なんて簡単なものじゃないけど、忘れたくはない思いが、この胸の中にはある。
一の指が、俺の頬を流れる涙を拭って。
「うん、可能な限り早く戻ってくるよ。…だから九十九、笑って見送ってくれるかな?」
その言葉を信じて、笑顔を作り、
「あぁ…。一、“またな”?」
「うん、九十九。“またね”」
開かれた閻魔庁への扉を、笑顔で潜っていく一を、閉じきるまでずっと見送っていた。
* * *
現実世界に戻れば、閻魔庁へ行っていたのは10秒経ったか否か、というほどしか経っていない。
全てが終わって、《透過浸行》を解除し、家に戻る。
女の姿のままで玄関を開けると、そこには六月が待っていた。
「お姉ちゃん…、お帰りなさい。お風呂できてるから、一緒に入ろう?」
俺の行為を知ってて、六月はなお笑顔を向けてくる。
「あぁ、そうだな。…んじゃ、一緒にな」
六月に哀しい顔をして欲しくない俺は、それに笑顔で応えて家の中に入った。
脱衣所で服を脱いで籠へ入れる六月を横に、俺は紅い服を脱いで下着姿だけになる。
すると横から向けられる視線を感じて、そちらへ目を向けると、
「……むー…」
「な、なんだよ六月、そんなにじっと見て…」
当然六月が見ていた。
「…やっぱり大きい。ずるいよーお姉ちゃん、なんでおっぱいそんなに膨らんでるの…?」
「そう言うなよ、元々こうだったんだから…」
「でもなー…、いいなー。すっごく、欲しい」
いや自分で大きくする自助努力をしてくれ、我が妹よ…。
あと欲しいとか言われても渡せるモンじゃないから、これは。
湯船へ入る前に身体を流し、洗いはじめる。
「お姉ちゃん、背中は私が洗うから、お姉ちゃんは私の背中をお願いね?」
六月の提案を断る理由も無くて、泡立てたスポンジが俺の背中を擦る。
「もう1週間経つんだけど…、やっぱりお兄ちゃん、お姉ちゃんになっちゃったんだね…」
「そりゃなぁ。女になった分だけ、色々できることも増えたよ。例えばこんな風に六月と一緒に風呂に入ったり、寝たりとかな」
「うん、私も…。お兄ちゃんと一緒にお風呂に入る事なんて、もう考えてもなかったよ」
言ってしまって良いのだろうか。
例え言っても、どう言えばいいのか。それに悩み続けていると…、
「…ね、お姉ちゃん。……お仕事、したんだよね…」
六月の方から、訊いてきた。
「私、お姉ちゃんの仕事の内容は知らないけどさ…。一お兄ちゃんと、ちゃんとお別れできた?」
別れの言葉を伝えるのは、六月が言い出したことだ。その為に俺が動いてたことも知ってるし、結果はやはり気になるだろう。
「…あぁ、ちゃんと言えたよ。“またな”ってさ」
「そうなんだ…。じゃあ、また会えるよね?」
「絶対憶えてるし、再会の合図も決めた。…アイツが見つけられなくても、俺が見つける。だから、絶対また会うんだ」
確信を込めた、未来への想いを吐露すると。六月が背中から抱きついてきた。
「あーぁ…、一お兄ちゃんは羨ましいな。先に行って、おっきなものを残していったんだもん」
何を残して行ったのか。それは言わずとも解ることで、あえて口にはしない。
「ばーか。お前も最後には残すんだから、結果的には変わらねぇよ」
「変わるよ。最初と2番目じゃ、意味が全然!」
「あー…、そりゃまぁ、な」
残していったのは胸の中にともる小さな愛と、大きな死者への想い。
きっとこれからも、たくさんの人と会って、たくさん抱えていくんだろう。
死に関わる、死神として。
* * *
一夜明けて、一の死を周囲が知った。
おじさんもおばさんも、一の家族は泣きに泣いた。
執り行われた葬式に参列するのは、老いも若きも多くて。一の魂を連れて行った俺は1人の参列者として焼香をした。
予め解っていたことだけれど、一緒に参列した六月もボロ泣きしていたのだが…。
俺の表情は不思議と変わらなかった。本当はみんなと同じように泣きたかったけど、あいつの前でたくさん泣いたから、“哀しい”想いは消え去っていて、静謐とした心で葬式に加わる。
けれど俺の心理を探れない周囲の想像は違っていた。
周りは俺が、一を失ったことの寂しさと、これで「篠崎一」という存在が消えてしまうのとで、心が凍てついたからだろうか、と。普段から俺が泣かないのを知ってくれてる人たちは、少なくともそうなのだと認識してた。
正直に言うことはできないし、もし言っても到底信じられることではない。何より落ち込んでるおじさん達が、それを侮辱と取ってしまいかねなくて、言えないのだ。
葬式は恙無く進み、「篠崎一」という存在は現世から、本当に別れた。
…そして納骨から1週間後。
49日もまだまだ遠い日、俺は教室でぐったりしていた。
一が居ない教室は、…たった1人居なくなっただけなのに酷く静かな気がしてくる。後ろの席には花瓶に挿された花が咲き乱れてる。
今は朝のホームルームの前。俺から少し離れたところで、クラスメート達が話し合ってた。
会話は俺を案じた内容で、強化された聴覚が嫌でも聞き取ってしまう。知らないでいるべき事なんだろうが、どうしても拾ってしまうこの耳が、こんな時は煩わしい。
「ねぇ…、三条くん、まだ元気出てないね…」
「当たり前だろ三田村、ガキの頃からずっと一緒だった篠崎がいなくなったんだぜ?」
「そうそう。簡単に元気になるようだったら、逆に俺は三条が恐いわ」
「やっぱり落ち着くまで待ったほうが良いかな…。七菜先輩も気にしてるみたいなんだけど…」
「三条、七菜先輩に告白しようとしてたしな。向こうも気づいてたのか」
「でも篠崎が居なくなっちまったらなぁ……」
「そりゃ元気もなくなるわ」
あぁそっか、生き返ったら何をするか、であったよなぁ、七菜那々先輩への告白。
でもそれすらも今は考えられなくて。というかアイツへの想いがデカすぎて半ば忘れてて。
心の中に芽生えた“女”の想いのせいか、今はあんまり女性に対しての考えが薄れてきてる。
溜息を吐いて外を見る。
アレから、実はいくつか着ていた仕事をこなしていた。何人も死に誘って、死神の仕事も何となくわかってきて。
ついでに言うと貯金がバカみたいに溜まってた。6人ほど連れてったのにもう7桁で、そろそろ8桁に届きそうな勢い。
人付き合いがよくて天界に価値のある人物や、恨まれた地獄に価値ある人物が多かったおかげでもあるが。
まだ俺は、死神の収入に手をつけていない。
一番最初に入金された、「160,000」の金額を見るたびに、思い出してしまうからだ。
「おーい、席に着けー」
会話も溜息も中断させるように教師が入ってきた。いつも通りのホームルームと一日が始まる…、ところで。
「突然だが、今日は新しい仲間を紹介する」
ホントに突然だなぁ。いつもなら誰かが何かしら情報を得てきてると思うんだけど。
教室が多くの期待と、一部のどよめきに包まれながらも、件の人物が入ってきた。
大勢の男子の喜びの声と、女子達の爪を噛むような心の声。
色素の薄いセミロングの髪と、穏やかそうな目に整った顔立ち。制服の上からでも、出るところは出てるのが良く解る。可愛いと綺麗の中間ぐらいな、大人の気配を臭わせ始めている女性だった。
どう見ても高校生の年嵩じゃないなー。
「小野寺ほのか君だ。病気で長い入院をしていたのだが、つい先ごろ復学してうちの高校へと戻ってきた。
みんなと多少歳は離れているが、仲良くしてやってくれ」
「皆さん、よろしくお願いします」
「質問とかは後でな」
小野寺ほのか、…あれ? なんかどこかで聞いたような?
それにあの顔もどこかで見た覚えが…。
「さて、小野寺君の席なんだが…」
「先生、わたし、あそこの席が良いです」
彼女が指してくるのは俺の後ろ、一が座っていた席。
「あぁ、そこか…。あそこは、そのな。つい最近亡くなった生徒の席で…」
「良いんです、あそこで。復学も急なお話でしたし、今から席を用意するのも手間ですから。
それに…」
視線が動いて、今度は確かに俺が見られている。
「そこだけ開いているのも、なんだか寂しいじゃないですか」
そういって教師に笑顔を向ける。大体の相手なら虜にできそうな、ふわっとした笑顔。
「あー…、それはそうだが…、…前の席の三条には、少し注意してやってくれ。前に座ってたのは付き合いが深かったヤツだったんだ」
「はい、わかりました。久しぶりの学校やクラスメートですし、仲良くしていきたいですから」
と言って、小野寺は俺の後ろの席に移動し…ようとして、
…あれ、何で俺の隣で立ち止まってるんだ?
「ねぇ、三条くん?」
さらに声をかけてきた。気になって横を向くと、
「ん…っ」
「む…っ?」
いきなりのキス。教室中がどよめいた。
あれぇ? なんだろうこのシチュエーションは。俺が、見知らぬ、女性に、キスされて。
「んっ…、む、はむ…っ」
しかも舌を絡めてるー。俺が無抵抗なのをいい事に。
あぁ、でも気持ちいいなぁ。これが女の唇なのか…、絡んでくる舌も男のとは違ってて…
………あ?
「ふぅ…っ、…失礼しました」
硬直した全員を尻目に、過敏を退かした小野寺は元・一の席に座る。
俺の横を通り過ぎる直前、悪戯っぽく向けた笑みに、俺は一つの確信を得た。
昼休みあたりに問い詰めよう。そしてその前に、
この教室中から向けられる敵意を抑える方法を誰か教えてください。
* * *
昼休みまでの休み時間、俺は必死に逃げ回り、気付いた。
「そうだよ、《幻朧薄布》で“俺が居ない認識”にすり変えるなり、《透過浸行》で見えなくなれば良いじゃないか」
4時間目に入る直前になってようやく気付けたが、それも些事。
それより何より、俺は小野寺に何も言えなかった。何故か? みんなが挙って邪魔したから。
休み時間になると陸上部の連中は俺を追い回すわ、格闘技部系の連中は攻撃してくるわ。女子連中はそんな俺を小野寺に近づけないようにする始末。
なぁ、あの場で悪いのは俺なのか? と訊きたかったが、それすらも出来なくて。
「あー…、…みんな、気遣いが大仰過ぎる…」
自販機でパック牛乳を飲みながら1人ごちる。
純粋に俺に敵意を向けてくる奴もいれば、この騒ぎで少しでも俺の気が晴れれば、と案じてくる奴もいて。
「心の声が聞けるのも良し悪しだな…。時間が経って、しみじみ解るわ」
ありがとうと言いたいけど言えない。それが少しだけ辛くて…、同時に嬉しかった。
「とはいえ、小野寺にどう声をかければいいのかな…?」
「え、私がどうかしました?」
「うぉぅっ!?」
いきなりかけられた声に驚いてそちらを向くと、当の小野寺が立っていた。手にはコーヒー牛乳とバナナ・オレのパックが1つずつ。一が好んで良く飲んでいた2つ。
「あ、あー…、いや、なんでもない…」
気を取り直して、飲みかけの牛乳に口をつけると、
「やっぱり牛乳好きだね。今でも176はあるのに、九十九はもっと伸ばしたいの?」
「うるさいな、身長伸びなくても骨が丈夫で困ることはねぇだろが」
ごく自然に、そんな言葉が出てきた。
「…………」
「…………」
膨れ面の俺と、微笑んだままの小野寺。互いに無言だけど、お互いに言わんとしてることは解ってて。
しばし沈黙の時間が流れ…、俺の方から口を開く。
「…あの時とは逆だな、一」
「うん、九十九が男で、ボクが女の子だね」
「それもだが…、お前も演技したよな。見事に別人の気配しか感じなかったよ」
「そりゃもう。演技は九十九より上手いと自負してるからね」
朝の微笑とは違う、上手い具合に俺をハメた時に見せる悪戯っぽい笑顔を、小野寺もとい一は見せる。
「大体、その体はどうしたんだよ。植物状態で魂が無いって聞いてたぞ?」
「これはボクへの報酬って形になるのかな? あの世で短かいけど色々あったからね。得たものの一つが、これさ」
誇らしげに自分の体を示す。
朝とは少しベクトルの違った溜息が出てきて、だけど確かに嬉しくて。
言葉をかけようとしたところで…
「三条がいたぞー!」
「くそぅ、また小野寺さんと近付いて! ゆ”る”さ”ん”っ!」
「みんなー!集まれー!」
「げぇっ、ヤバいとこで見つかった!」
「あちゃー…、…頑張ってくださいね、三条さん?」
くそぅっ、こんな時だけ外側を被りやがって!
とにもかくにも攻撃を避けるため、踵を返して走り出す。
『(九十九。学校が終わった後、あそこで待ってるからね?)』
そんな心の声を聞き、頷きながら。とりあえず敵前逃亡。全力で。
結局、短時間の全力疾走と、50分のインターバルを繰り返して一日が終わって。
ロクに休めた気がしないまま、果たして放課後。休み時間での勢いを殺さずそのまま帰宅。
「はー…、はー…。…ただいまー」
といいつつも六月はまだ帰ってきてない様子。着替えてすぐにたるき公園へ行くと、既に相手が先にいた。
外灯を背にして立ってる姿は、まるで少し前の俺みたいだ。
「…よっ、待ったか?」
「うぅん、ボクも今来た所だから」
なるほど。その言葉に嘘は無いようで、恐らく小野寺と一緒だったろうクラスメートの連中が遠ざかっていくのが見えた。
「…本当に、あの時とは逆だな。今度はお前が待ってて、しかも女になってさ」
「待つのって、ちょっと不安だね。来てくれるってわかってても、本当に来るのかな、って不安になってさ。
ボク、九十九が本当に来てくれるのか、って考えると恐かったよ」
「それはあの時、俺も感じたよ。待ってる時間が長かったから尚の事な」
「うん、女の子になってボクもよくわかった」
微笑みを向けられる。朝の教室みたいな、けれど心からのとわかる笑み。
「ところで…、…えぇと、…なんて呼べばいいんだ?」
「うーん…、それはボクもちょっと悩んでる。今のボクは1人じゃないからさ」
「…何だって?」
「九十九は《骸体憑繰》-マリオネット-ってスキル、知ってるよね?」
《骸体憑繰》。その名の通り、魂の入っていない肉体を自由に操る死神のスキル。クゥが俺の身体を使って話しをしたときに使ってたのがそれだ。
「そりゃな。俺はまだ使った事は無いけど…、…まさか」
「そうだよ。僕は《骸体憑繰》を使って、“小野寺ほのか”という身体で動いてるんだ」
「……ちょっと待て」
「え、何?」
「それは理解したし納得もいった。……そして質問が3つある。
1:その力を手に入れた経緯、2:戻ってこれた理由、3:1人じゃない、の意味だ」
「あぁうん、その事ね。実はさ……、ちょっと長くなるよ?」
そう前置いて、小野寺(一)は語り出した。
閻魔との裁判の際に気づいたことがあった。閻魔は暇そうにしていた、と。
口を開いて持ちかけたのは、暇つぶしのゲーム勝負。
「…ちょっと待て」
「どしたの? まだ続くんだけど…」
「いや、その…、いいのかよ、天国地獄に行く前にゲームって…」
「だって親より先に死んだボクの行く先なんて、賽の河原くらいしか無いからさ」
それもそうか。
賽の河原。親より早く死んだ子供たちが、その供養のために石を積み、その成果を台無しにする鬼がうろつく場所。
おじさんもおばさんも生きている限り、一が行きつく先はそこしか無かった。
「じゃ、続けて良いかな?」
「わり、頼む」
当然ゲームをするからには勝者と敗者が生まれ、互いが負けたらどうするか、当然そこも決め合った。
閻魔が負けた場合は、その分早く現世へ戻れるよう便宜を図ること。
一が負けた場合は、その分転生を延期し閻魔の下で働き続けること。
転生までの時間も、仕事をする時間も、その基準は現世のものとすること。
…ここで少し補足をしておくと、あの世の時間の流れと現世の時間の流れははっきり違う。
地獄は奥へ行けば行くほど時間の流れが遅くなる。現実での1秒が、地獄での100年とか200年にもなり得るのだ。
当然それは閻魔庁でも例外は無く、後々クゥに聞いたところ、俺の身体を死神のものとして再構成するのにあの世で1週間、現世では30分程かかったらしい。
「で…、何のゲームで勝負したんだ?」
「それこそ色々かな? 将棋やチェス、トランプはもちろん…、ジェンガやルービックキューブの6面早合わせに、麻雀にモノポリー、ビンゴ、野球板とか…、
かるたに花札もやったし、ドミノを倒さずどれだけ長く置けるかもした。
時間はあったからTCGの類もやったし、ボードゲームもやった。すごかったよ、古今東西の色んなゲームがあって、それら一通りで勝負したからさ」
…なんか頭が痛くなってきた。
詳しい計算は横に置くとしても、コイツは己の転生を担保に入れて、現実での2週間弱を延々とゲームに費やしてたのだ。
まさに“命”をかけたゲームをしていたのだという。
「俺…、今さらながらにお前に感心したわ…」
「ありがと。その分楽しかったけどね、ゲーム勝負は」
そういう問題かよ。
「もちろん、その全部は…。九十九にまた逢う為だったから頑張った、ってのがあるんだよ?」
…そっか。一はずっと、ゲームをしていながらも、俺のことを想い続けてくれてたんだ。
現実より遥かに長い時間を、そのままで。
「…不思議だよね。あれだけ長い時間が経ってても、現実ではたった2週間くらいしか過ぎてないなんて」
微笑みを向けたまま、続けてくる。
「まぁそういうことで、閻魔様相手に勝った僕は、現世へと戻れる権利を手に入れました」
「それは何となく察しがついた。…お前の勝負強さはあの世でも通じるという事に、俺は驚きを隠しきれんよ」
「魂の力だったみたいでね、その辺りは死んでも治らなかったみたいだよ?」
「それはそれとして、…どうして《骸体憑繰》を使えるんだ?」
「それも勝者の権利の1つだよ」
少しだけ息を吸って、何かを懐かしむように上を見あげる。
「死んで、まだ2週間しか経ってないボクが戻るには魂だけが限界だった。“篠崎一”は死んだから、身体には戻れないしね。
そこで代わりの肉体を使えるように、《骸体憑繰》を教えてもらったんだ。身体はクゥって死神が用意してくれたよ。
『あのままでも死んでることには変わりませんし、どうせだから篠崎さんが使っても良いですよ』って言ってね」
だから小野寺の身体なのか、あんにゃろう。
廃物利用といっちゃ聞こえは悪いが、道理で見た覚えがあったはずだ。
“その人物”が死んだ事は変わりない。別人が入ればそれは最早「その人物に見せかけた別人」になるので、死神の追及も殆ど無いのだ。
そんな魂の行き着く先は2通り。自我がなくなるまで漂うか、死神に回収されるか。
「そうして、僕はこの身体に憑依したんだ。九十九、年上好みだったよね?」
「く…っ、さすが、よく知ってやがる…!」
「あはは、やっぱり。女の子になっても好みは変わらないんだね。これでお互い、好みの容姿になったかな」
あ…。
「…そっか…、お前も女になっちまったんだよな…」
「そりゃぁもう。今用意できる体がこれだけだったから、っていうのもあるし、僕が知る九十九の好みだからっていうのもあるよ。
それにね、さっき1人じゃない、って言ったでしょ?」
「…あ、そうだ。質問の3つ目が残ってたな。どういう意味だ?」
「実はね、クゥさんから聞いたんだけど、九十九が死んだときに用意した体を突っぱねた、って言ったじゃない?」
「…あぁ、言ったな。確かその小野寺の体と、後4人くらい居たような…………、……まさか?」
ふと思い当たった。クゥが見せた体は5つ。そしてそのうちの1つを一が使用して…、他はどうなのか。
あれらは魂が存在していないだけで生きている、植物状態ともいえる体だ。
生命体という「存在」は基本、肉体・精神・魂の3つで構成されてる。パソコンに言い換えれば、HD(肉体)・メモリ(精神)・OS(魂)とも言える。
OSが無いから、起動(生きて)はするがただそれだけ。何もしないしやらないようなものだ。
…さて、そこにOSが入れられるとするならば? 一つのディスクから複数のHDへインストールできるならば?
「彼女等の体は…、ボクの魂をコピーして、それぞれが自分の生活に戻ってるんだ。
そういう意味ではボクが何人もいるから、1人じゃないってことへの答えだよ」
「…………」
「あれ、九十九どうしたの? 急に神妙な顔になっちゃって」
「…良いのかよ、それで」
「…何が?」
「お前が他人の体で蘇ることは、自分で決めたんだろうけど…、そこまでは良いさ。俺も別人になって生き返ったようなモンだ。
だけど、魂の複写は別だろ。お前が複数になるとか…、何を考えてんだよ…」
急に真剣な目つきになって、俺を視線で射抜いてくる。
「ね、九十九。…九十九がそうやって生き返ってきたのは、誰のため?」
「え…?」
「ね、答えて」
突然の質問に驚きながらも、最初に決めた想いをまた口にする。
「六月のため、だな…。アイツを1人にしたくなかったし、そうなって哀しむのを見たくなかった」
「ボクも同じだよ。九十九や…、他の体の家族の人たちが哀しむ顔を見たくなかったからさ」
じっと見詰め合っている。
そうか、こいつも俺と同じ理由で返ってきたんだ。自分を増やすという、自分で面倒なことになると解っておきながら選んだんだ。
それにしてもお互い、考えることはよく似てるな。伝わりあってると言っても良いような、ツーカーの間柄だろうか。
「…お前の言うことは解ったよ。そこに関しては、もう何も言わないさ。…家族を哀しませるなよ?」
「解ってるよ、そこは問題ないさ」
そこでふと気付く。そういえば誰より哀しんでる人たちがいたな。
「おじさんやおばさんは…、どうするんだよ」
「そこは…、がんばって夢枕に立つよ。自分の姿で伝えないとわかってくれないだろうしさ」
「あぁ、そりゃ確かに。小野寺の姿で行っても不審者扱いされるのが関の山だな」
「うん、彼女だって偽るわけにもいかないしね。ボクは九十九の恋人なんだから」
相好を崩してまた微笑む。それだけで俺の心には嬉しさと、また別の感情がもやもやと…。
「それは、確かに嬉しい。…嬉しいんだが、なぁ?」
「九十九? 何か悩んでることでもあるの?」
「いや、そりゃ、まぁ…。お前が女になって…、今度は俺が男だろ? 俺の中に芽生えたこの女心はどうしようかと…」
「確かに今のボクじゃ、男として女の子は抱けないなぁ。けど九十九が女同士でもいいならボクはがんばるし…」
ぺろり、とスカートがめくられる。無地のショーツが肌に張り付いていた。
「…今度は九十九がボクを抱いてくれるなら、とても嬉しいんだけど。…ダメかな?」
媚びるように見上げてくる。俺がやったときとは違う、からかうような視線ではあるのだが…。
一に抱かれて女の心が芽生えた、それは確かだ。しかし依然として俺の自意識は「男」であり、女性への興味も尽きていない。
しかし…。
「はぁー…」
今日で何回目になるんだか。やっぱり溜息が出てくる。
やはり、俺が愛する奴は1人だけだ。どんな姿になっても隣に来るとこの耳で聞いたし、実際女の姿になっても宣言通りにやってきた。想いに応えてくれた。
ならば、俺がすることは何か。
一の肩を掴んで、引き寄せる。顔を見つめて、視線を逸らさないまま…、
「ん…っ」
「ちゅ…っ」
キスをする。
改めて感じる一の唇は確かに柔らかくて、そこから感じる幸せが体中を満たしていく。
「んむ…、ちゅ、ぁむ…っ」
「ふ、ん…っ、れぅ、ちゅぅ…」
舌を絡めあう。別れの際に決めた再会の合図を、もう一度ここで。俺たちが恋人同士になったこの公園で。
「はぁ…」
「んぅ…」
長いキスが終わって口を離す。お互いに交換し合った唾液が口から漏れそうになるが、何とか我慢。
顔が真っ赤になりながらも、そして改めて告げる。
「一…、お前が好きだ。愛してる。こうして別人になっても会いに来てくれたのが嬉しい、2人の合図を覚えてくれたのが嬉しい。そんなお前に、俺は応えたい。
だから俺も言うよ。お前が何度生まれ変わっても、どんな姿になっても隣に居る、って」
心を込めて、今度は男女を換えて、告白する。
「うん…。ボクも九十九が好き。女の子になってから九十九を想う度に、心が温かくなってた。ずっと隣に居たいって思い続けて、今日ようやく戻ってこれた。
大好き、九十九。一緒にいよう、いっぱいキスしよう、たくさんいろんな事しよう?」
潤んだ瞳で伝えてくる。
本気だと見ているだけで解るし、通じ合える。
だから俺も、笑顔で応える。
「あぁ。こうやってまた会えたんだ、これからもずっと…、こうして居られるさ」
「うん…、一緒に、だよ?」
「一…」
「九十九…」
互いに抱き合いながら、もう一度キスをする。
男であって女でもある俺と、女であって男でもある一と。
親友であり恋人であるお互いの、長い長い付き合いの。
これが本当の始まりだ。
以後、おまけ
おまけの1:平板、それは無限の地平線
「それで、私のところへ報告に来たんだ」
「うん。2週間ぶり、六月ちゃん」
俺と小野寺(一)が公然と恋人同士になった翌日。六月と復活してきた一を会わせてみた。ちなみに今までのいきさつは全部六月へ通達済み。
場合によって呼称を変えるとちょっとややこしいので、私的なことでは昔どおりに「一」と呼ぶことにする。
俺の部屋でまずは2人だけにして、俺は飲み物を用意するために台所へ。
湯を沸かす音にも遮られず、強化聴覚が一と六月の会話を拾ってしまう。何かあった場合は止めないと。
「へー…、ほー…、ふーーーん…?」
「どうかした、六月ちゃん?」
「一お兄ちゃんも、綺麗になっちゃったねぇ…。ずるいなー…」
寂しそうな口調の六月。やはり胸か胸なのか。
「大丈夫だよ、六月ちゃんの胸もそのうち大きくなるって」
目ざとい一は鋭く突いてきた。やめろ、そこに触れるな!
「………………」
あぁ、六月の沈黙がこの場でもわかる!絶対目元に影がかかってるのも!
「それに、ちゃんと九十九が大きくしてくれるからさっ!」
ゲェーッ! こっちにキラーパス渡すなよなぁ!?
「ホント!?」
お前も食いつくな妹よ!
「ホントホント、自分にもおっぱいあるから、触り方は心得てるはずだしさ」
「でも…、触ってくれる、かなぁ…?」
変なところで不安がらないで欲しい。そりゃ俺は自分の身を以って触られた訳だから、どうすれば気持ちいいのかなんて分かってるわけで。
そんな俺が、妹の胸を育てるのか…。まだ平らといっても差し支えない六月の胸を、触れてさすって揉んでつまんで上下左右へ縦横無尽に…。
父さん母さん、ごめん。後で墓前に土下座しに行くよ。
「心配しなくていいよ、六月ちゃんから頼めばきっとやってくれるさ。九十九は六月ちゃん大好きだからね」
「えぇー? でもお兄ちゃん、一お兄ちゃんとお付き合いしてるでしょ? そうなると、やってくれるか不安で…」
「じゃあボクも一緒に育ててあげようか? あと、今のボクもお姉ちゃんだからね?」
「…あ、そうだったね。お兄ちゃんが2人ともお姉ちゃんになるなんて、あんまりある事じゃないなぁ」
「いやいや、アダルトTSF支援所だとよくある風景さ」
…クゥのメタ視点が一にもうつった…っ!
「はぁ…、…これならそう問題もなさそうかねぇ…?」
溜息をつきながら、茶葉を入れたティーポットの中にお湯を注ぐ。
後は待つだけだと思ったが、聞こえてきたのは、少しだけ聞き流せない話題だった。
「ねぇ、一…お姉ちゃん? ……死んじゃったんだ、よね?」
「……そうだね、一度死んじゃったよ?」
「…お兄ちゃんに、迎えられたんだよね?」
「そうだね。その時は九十九、女の子の姿だったけどね」
「茶化さないで。…………ねぇ、一お姉ちゃんは、どうして死んでも…、お兄ちゃんが迎えると解っても、戻ってきたの? どうして殺されても、恋人でいるの?」
2階から聞こえてくる六月の声は、何かを絞り出すように、悲痛さに満ちているように聞こえる。
だというのに、一の漂わせる空気は、いつもとまるで変わりがない。
「そうだね…。…ボクが九十九を好きだから、じゃあ答えにはならないかな?」
「ならないよ…。私だって、お兄ちゃんが好きだもの…」
「それなら逆に質問するよ。
……自分が遠くへ行って、その結果好きな人が1人きりになるのに、六月ちゃんは耐えられる?」
「それは…、……嫌。お兄ちゃんが、一お姉ちゃんが居なくなって見せた顔を見るのなんて、嫌…」
「だからだよ。…だからボクは、九十九の親友であり、恋人でい続ける。
大切な人が居て、何より大切にしたい。ボクは自分の長所が解ってるから、そこが生かせる時以外は他の人の支えになるってこと、知ってるよね?
生憎とボクは九十九みたいに死神にはなれなかったけど、確固たる自我を持ち、こうして転生できた。
ずっと生き続けることになる九十九の横で、寂しい想いをさせない為にね」
一は粛々と語り続ける。俺との会話では、互いに性質を解っていたために省かれた言葉を交えて、六月にしっかりと。
「ボクと九十九は、家は違うけど同時に生まれた双子みたいなものだからさ。
ボクがいなくなることで九十九が落ち込まない訳がないって解ってたし、何かあった時のために、側に居ないと危なっかしいよ」
「一お姉ちゃん、心配かけっぱなしですね…」
「良いんだよ。その分九十九には体で返してもらうからさ」
……何?
「えぇっ? か、からだで…っ?」
「えっちなことは勿論、普段はちょっと弄って、慌てる姿を見せてもらったり。それでいいし、それ以上何も求めないさ。
僕達は、2人で『100』になるんだからね」
十分な理解をしていただいてとても嬉しいのだが、六月の前でえっちなこととか言うな。
さっきの乳房成長談義のこともあって少し我慢が出来なくなっていて。でも紅茶を放っておけないから飛び出せない。
「……そうなんだ。…一お姉ちゃん、すごいなぁ。私、それで納得できないかも…」
「良いんだよ、これはボクの考えだから…。
仮に六月ちゃんがボクと同じ立場だったとして、帰ってくる理由を見つけるにしても、僕とまったく同じという訳にはいかないさ。
これはボクが『篠崎一』として生を受けて、16年間『三条九十九』と一緒に生きてきて得た結論だからね」
その答えが聞けて、俺は女の姿で泣いていた。
…やっぱり嬉しい。戻ってきてくれて、戻ってくる理由が聞けて、嬉しくて涙が出てきて止まらない。
「はぁ…、すっかり涙もろくなっちまったなぁ…」
これも女になった影響なのかはわからない。けど、今の俺は心の中があったかくて、今はそれだけで良かった。
程よく蒸れた紅茶を、ティーサーバからカップへと注ぎ、ミルクと角砂糖のポットを用意。クッキーを始めとしたお茶菓子も、トレイの上にある。
アイツの本音をもっと聞かせてもらいたい。そして六月の本音も、俺の本音も、アイツに聞かせたい。
その為に、今から女3人でお茶会だ。
「あ、九十九。今から六月ちゃんの胸をおっきくするから手伝って?」
余韻をダイナシにされたから蹴った。
おまけの2:同じ言葉の羅列による認識崩壊
「へぇ、女湯って言っても大差ないんだねぇ?」
「俺もビックリした、もう少し男女で差があるんだと思ってたけどな」
一と六月が再会して、数日が経過したある日。学校が終わってすぐに、2人で銭湯に来ていた。
俺も一も女同士で、誰に遠慮することなく女湯の脱衣所で裸になっている。
残念なのは時間も時間なので一番風呂であり、他に客は居ないことか。
「それにしても一、なんで行き成り風呂なんだよ。今日の体育は勉強だったから、汗もかいてないだろ?」
「ボクなりに話したいことがあるからね。誰にも聞かれない場所の方が良いでしょ?」
「それはそうだが…、家じゃダメなのか?」
「スペースが足らないから、ちょっと難しいかな」
「ふぅん…?」
何か大風呂敷でも広げるのか?とか考えながら、脱衣所から浴場へ移動。
中に入ると、新しく張られた湯と、そこから溢れる湯気が既に満ちており、裸になって冷えた体をすぐに温めてくれている。
「話すのはちょっと温まってからにしようか。折角銭湯に来て温まらないのもなんだし、じっとしてて風邪引きたくないからね」
俺も依存は無いので、かけ湯をしてタライを取り、体を洗い始める。
「ね、九十九。どうせだからタオルとか使わないで洗いっこしようよ」
「へ? 使わないって…、………全身で?」
「そうだよ。ではボクがちょっとお手本を…」
言うが早いが、一はボディソープを泡立てて自分の体につける。本来はタオルを巻いてやったりするのが効果的なのだろうが、そんなのはお構い無しだ。
「じゃあ行くよ、九十九。背中向けて?」
「あぁ…」
長い髪を前へ流し、一に背を向けた直後。
ふにゅ、という2つの柔らかい感触と共に抱きつかれ、肌同士が密着。
次第に乳房が上下に動いて、心許ない強さだが背中が洗われていく。
「ん…っ、ふ…っ、…えいっ」
動くたびに力を込めるので、一の声が耳元に届く。顔が近いのでどうしても聞こえるし、かなりの勢いで色っぽい。
「あ、は…、九十九…、どう、かな…?」
どうもこうも、耳元でささやかれるお前の艶めいた声で、冷静でいられそうにないんだ。
「…? あぁ…、やっぱり九十九も、気持ちよさそうだね…、ふふ」
「あ、ひゃっ」
前に回されてた一の腕が、俺の胸と女陰に触れていた。
あぁそうだ、確かに気持ちよくなってたよ。乳首が勃ってたし、愛液も漏れてるのを理解してた。
良いじゃないか、相手が女の子なんだぞ? 全身で体を洗われてるんだぞ?
「こうすると気持ち良いんだよね、九十九…? ほら、こんなに身体は正直だ♪」
粘性を持った愛液を指に絡ませて、わざわざ見せ付けてくる。
「くそぅっ、俺だって…、されてばっかじゃないんだからなっ?」
「わっ、九十九…っ、ひゃんっ」
お返しとばかりに腕を後ろに回し一の女陰に触れる。中に指を入れると、そこは確かに熱くなっていた。
「ん…? 一の中もとろとろになってるけど…、自分で胸をこすりつけて感じてたんだろ?」
「そこは、否定できないけど…、あぁっ、ダメっ、クリはぁ…っ」
包皮につつまれたクリトリスを親指で重点的に擦ってく。それと同時に他の指で女陰に指をつきいれ、中を広げ、壁を引っかいたりして反撃。
「ひゃぁっ! つく、もぉ、うまいよぉ…」
一も負けじと俺の胸を揉んだり、自分がされたことを返すように女陰を弄ってくる。
誰もいない、水音しかしない女湯の中で軽く睦み合う俺達。
「あ、…ん…っ」
「ん、ちゅ…っ」
肩越しに一とキスをする。それと同時に、
「…っ、んぅぅ…っ」
「むっ、うっ、ふぅぅん…っ」
お互い軽くイってしまった。
「はふぅ……」
結局ちゃんとタオルで身体を擦り洗い、その果てに湯船に浸かる。髪も洗って身はリフレッシュ。心に関してはノーコメント。
「はぁ…、おっきい風呂だと気持ちがいいね」
「それについては同感だ。こう…っ、脚が伸ばせるのが良いな…っ」
足を延ばすついでに背筋も伸ばして、また大きく息を吐く。
「…でさ、一。話したいことって何なんだ?」
ちょっとえろりはしたものの、二重の意味でそれなりにあたたまったので聞いてみる。
「それは僕の分身たちのことだよ。ちゃんと九十九に紹介してあげないといけないでしょ?」
「そっか…、……やっぱり一人ずつ会ったりしなきゃダメかな」
「何で?」
「何でって…、本体がお前だとしても、分身と会ってそういい気はしないだろう…?」
「そうでもないよ? …あ、来た来た」
一が浴場への入り口へを視線を向け、俺も釣られてそこを見ると…。
「お待たせ、“ボク”」
「やっほー、“ボク”達」
俺が死んだときに見せられた5人のうち、残り4人。海藤麻耶、菊池洋美、土谷久美子、千羽恵那、が、同時にそこに居た。しかもきちんと裸で、誰一人として隠してない。
「ちょ、一、おま…っ!?」
「言ってなかったけど、実はボク達、魂の同期が取れるんだよ」
「魂は元々“ボク”のだからね」
「本体が“小野寺ほのか”でも、“ボク”が“ボク”なのは変わらないんだ」
「だから、“ボク等”は全員九十九が好きだし」
「“ボク達”は全員九十九の彼女だよ♪」
ちなみに今のセリフは、上から、小野寺、土屋、菊池、千羽、海藤の順番ではあるのだが…。
「あぁもう伝言ゲームするなよ! 混乱するから1人の口から言ってくれ!」
「じゃ、元締めのボクが説明するね」
ここで小野寺がちゃんと纏めてくれた。
自分の魂をコピーして4人の中に入れたものの、謎の同期が発生しており、お互いの認識・記憶・経験・技術その他を所有できるのだという。
千羽恵那という存在は昔料理が苦手だったが、今は海藤麻耶の記憶や技術でできるようになったし、泳げなかった土屋久美子は菊池洋美の技術でカナヅチを克服した。
当然それらの技術は「小野寺ほのか(篠崎一)」にフィードバックされ、また同時に4人へとダウンロードされている。
「それはお前の頭がパンクしないか…? 魂はお前だとしても、4人分…、っつか小野寺の分を含めれば5人だろ?」
「そうでもないよ? 情報を処理するのはそれぞれの頭だし、小野寺は今のボクだから。それを統合して受け取ってるので…、言ってしまえば1人分に圧縮された5人の人生経験を得たって言えばいいのかな?」
「なんかアク○ツみたいだな、それ」
「でもア○メツと違うのは全員違う人間なのと、随時更新されていくところかな?」
「でもそれだけを考えると恐ろしいな。ってことは単純に、5人分の人生をリアルタイムで経験していくんだろ?」
「そういうことかな。でも慣れるとこれはこれで楽しいよ?」
「そうですわ、これは“ボク”の事ですし…、そこまで気を揉む必要もございません」
「恵那ちゃんは意地っ張りだから、九十九ちゃんが心配してくれる事も、本当は嬉しいのよ?」
「うんうんっ、やっぱり“ボク”達は九十九が大好きだからねっ、麻耶おねーちゃんっ♪」
「久美子ちゃんも、ね…?」
身体を洗い終えた一の分身達が湯船に入ってきた。
お嬢様っぽいツンとした雰囲気の千羽恵那。
優しさで包み込んでくれそうな笑顔(と、おっぱい)の海藤麻耶。
快活な笑みを見せてくる土屋久美子。
甘えるように俺にくっついてきた菊池洋美。
そしてそれらを見てにやにや笑う小野寺ほのか。
………ちょっと待て、にやにや?
「ん、どうしたのかな、九十九? そんな慌てた顔をしちゃって」
「…いや、一、お前…、……最初からそのつもりだったのか?」
「えぇ、全てその通りですわ。九十九は読心を普段からやらない分、罠に嵌めやすいわね」
「全てはそう…、“ボク”達5人で九十九ちゃんといっぱい遊ぶための計画なの」
「えっちなこと、いっぱいするし、いっぱいしてねっ?」
「ちょ、ちょっと待て、そういうのはするにしても吝かじゃないけど…、ここ銭湯だろ?
《幻朧薄布》で『俺たちが見えない』ように誤認させても、いるのは変わらないんだぞっ?」
そんな尤もな疑問には、菊池洋美が口を開いた。
「実はここ、家が経営してるお風呂で…、今日は臨時休業するって、看板を外に出してあって…」
そうか、そういうことか。俺に逃げ場は無さそうだ。
「ですから、九十九さんはしっかりと…」
「“ボク”達にえっちなことされなさい?」
「そして“ボク”達にいーっぱいお返ししてっ」
「えっちなこと、教えてください…」
「頼んだよ、九十九?」
『ボク達を、いっぱい愛してね?』
最後は5人でハモった。同一人物ゆえの同期の為か、口を揃えるのは朝飯前で。
ついでに襲い掛かってくるのも同時だった。
あ、その後?
当然5人相手にいっぱいされまくったさ。いっぱいしまくったさ。
おかげで暫く立てそうにないよ。
おまけの3 紅の死神と朱鬼、学校にて
昼食も終って気だるげなある昼休み中、不意に席の隣から声がかけられた。
「三条君、少しだけ時間もらえるかな?」
声をかけてきたのは、七菜那々先輩だった。長い黒髪を揺らして、数ヶ月前までは床に伏せっていたという印象を吹き飛ばすような、はにかんだ笑みを浮かべてる。
「ぇあ、は、はぃ…」
口から出てきたのは少しだけ間抜けな言葉。
教室では少し話しにくい、という要望により場所を変えることになって、向かった先は屋上の片隅。
少しだけこの状況に戸惑いながら、彼女に向けて少しだけ聞いてみた。
「どうしたんですか、七菜先輩。いきなり俺に話しだなんて…」
「あぁうん、そんなに大した話じゃないんだ。三条君の友人が…居なくなったって話を聞いて、落ち込んでるみたいだったから気になってね。
あんまり無理しないように、って言いたくなったんだけど…。迷惑だった?」
「え…? その…、あ、いや、そんなことないです、ありがとうございます」
多分気遣ってくれてるのだろう。
七菜先輩は一が死んだことしか知らない。それから先の、小野寺の身体で帰ってきたことは、知る由も無い。
だから彼女なりに俺のことを気遣ってくれて、こうして声をかけてきてくれたのだ。
「……どうしたの、三条君? 口元緩んでる」
「え、ホントですか? うわ、恥ずかしい…」
「ホントだよ。見ててこっちが恥ずかしかったし…、ホントにどうしたの?」
「いえ、なんでもないんです、なんでも…」
「……それならいいんだが、あんまり無理はしないようにね? 辛いときは誰かを頼っても良いんだから」
ちょっとだけ、七菜先輩の気遣いが心に痛い。
本当は一が居なくなった痛みは、『彼女』の帰還によってもうほとんど感じていない。
当人によって空けられた空虚感が、既に当人によって埋められたからだ。
「…大丈夫ですよ、先輩。辛くても…、大丈夫です」
「本当? 男だから、とかのプライドを盾にして、三条君、本当は痩せ我慢してない?」
「大丈夫です。…確かに俺は男ですし、六月の“お兄ちゃん”だから、痩せ我慢はしなくちゃいけませんけど…。
それとは別に、少しずつ呑みこめていってますから。
もう“一”はいませんけど、それをしっかりと認めていかないといけませんしね」
自分の思いをちゃんと告げる。気遣いは嬉しいけど、ほのかという彼女を得てしまった自分では、大きくそれを受ける身分じゃないだろう。
だから、もう良いですよ、という旨を告げて。
「お気遣い、ありがとうございます。七菜先輩。…それじゃあ、また」
嘘ではないが、人に言えない事の後ろめたさ感じながら、やっぱり言えないのは辛いと思いながら、屋上を離れていった。
それから、学校で七菜先輩を見るのは、遠目でしかない。
三条九十九は小野寺ほのかと付き合っている、というのが周知されていけば、かつて俺が七菜先輩に告白しようとしていた事はいつしか触れちゃいけないこと、として扱われていって。
七菜先輩が本当は俺と同じような、いや、俺より闇の世界に脚を踏み入れている存在だというのは、気付いてはいなかった。
過去時は見ていなかったけど、勿体なかったな。
この頃は、主人公たちの妖しい関係を、素直に楽しんでました。
続きも楽しみに待っています。