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朱鬼蒼鬼 蒼朱邂逅

2011/05/18 05:15:35
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これは朱鬼がいまの姿になる契機の話。
そして蒼鬼が彼女と出会う始まりの話


ヂリリリリリリン! ヂリリリリリリン!
日が高くなり始めた時間。けたたましく黒電話が鳴っている。
家の電話は二種類。一般に使用している分と、妖しくて他者に伝えられない様な事を解決してもらうための連絡用に使っている分。
今回は後者だ。またぞろオカルト絡みの事件が起こったのだろう。
俺の名は蒼火。千年の昔から伝わっている鬼の血脈に連なる者。
そして、元々人間だった者。
「はい、忌乃心霊調査事務所です。…………えぇ、承ってますが。
詳しい事情をお聞きしたいのですが、…えぇ。えぇ。電話口では色々ありますでしょうし、これから伝える場所でお待ちしています。
時間はいつ頃がよろしいですか?」

やっぱりいつもの依頼事。
普通の人間は心霊事に触れることはとんと無く、触れたとしても大抵が危険な状態になってしまった時。
そうなれば何かに助けを求めるしか、弱い人間が取れる手段は無い。
そういった時の一助になれるような仕事を、俺はしている。
具体的に言ってしまえば、オカルト方面に注力している何でも屋、みたいなものだ。
誰かを助けていい気分をしたいとか、そういう訳じゃなくて。大半が、自分が勝手に思ってることをするための手段を為すためという想いからだ。
たまに面倒くさいとか、割に合わないとか、そんな仕事も舞い込んでは来るものの。その後に見れる相手の笑顔が何よりの報酬、っていうのはキザかね?
けどそれが、俺が多少なりとも長く“人間として生き”ることのできる証になる。

いつも通りの依頼事は、いつも通りに誰かに覗かれない別の場所で打ち合わせをして、依頼者と会って話を聞く。
「えぇ、ではお待ちしています。それでは」
打ち合わせを終えて、受話器を台座へ置いた。
「今すぐとはせっかちな人だよ…。…ま、それだけ余裕が無いのかね」
電話越しに聞こえてきた声は大分焦っていた。焦る理由はこの後聞くとして、つまる所は“早く来い”、と。何は無くともそういう事なんだろう。
上着を羽織って支度をし、靴を履いて家を出る。
「っと、そうだ」
敷地の外に出てから一つ気付いて、指をスナップする。
家全体が結界に包まれ、霊力・魔力を持たない人間には感知できないようになる。
鬼になった俺としては、“人間”に発見されればどうなるかが解らない。仮に空き巣に入られ、蔵の中に溜め込んだ人外の道具を見つけられれば、それが元で事件も起こるし、盗掘先の俺の家にも捜査の手が入るだろう。
はっきり言えばそれは勘弁被る。人の中で生きていくことができないのは、俺としては想像も付かないし、まず想像したくはないから。
結界を持つこの家のおかげで、今生きていけてるようなモンだ。遺してくれた彼女には、感謝しないとな。

そこからは急ぐこともせず、ゆっくりと目的の場所へ向かい、歩き始めた。


* * *

『良いんだな、娘? 俺をその中に受け入れるというのは、お前が消えるということなのだぞ?』
「構いません。そう長くないことは、自分で分かっていますから」

薄暗い部屋。寝台に横たわっている娘の他には誰もいないが、それでも娘は独り言のような会話のような言葉を話している。
その相手は、部屋の中にある刀。正確に言えば、その中に存在している俺だ。

思い起こせば永かった。
動けぬ身になって、400年は経っただろうか。
だが、それももうすぐ終わる。少女のとはいえ、新しい肉体を得て、俺は自由になる。
本当は長い時間をかけて、手に持った人間から得た生命力を糧に復活するつもりだったが、今話している娘が自分の身体を寄越すというのだ。
長き雌伏のときを経て、今こそ念願かなって新しい体を…、…女の肉体なのはこの際我慢するとして…、得ることになる。
眼前の娘は今まさに呪いで衰弱しているが、鬼の俺が娘になれば、その程度の呪いならば跳ね返せるだろう。
当初の考えとは異なるが、自分の力を使わずに、まったく新しい体を得られるのならばそれで十分だ。

『良かろう、娘。ならば俺を手に取れ…。お前を守る純潔を突き破り、俺がお前になってやる。“お前”を生かしてやる』

娘の魂に囁きかけ、その手が太刀となった身に触れる為に伸びようとした途端、

バタン、と、扉が開いた。

* * *

「こんにちは、ちょっとお邪魔するよ?」
簡単に挨拶だけしてから、今回守る対象である依頼人の娘さんを見る。
年のころは167だろう。床に伏せっていて体にはあまり生気も無く、儚げな印象が第一にやってくる。
「あなたは…?」
「あぁ、失礼。あなたのお父さんから頼まれて見させてもらいにきました、心霊調査事務所の者です」
礼をして、そこで初めて部屋の中に入ってくる。
「えぇと…、隣に来てもよろしいかな?」
「はい…、どうぞ…」
…あー、ちょっと恐がられたかもしれんね。

そこから少しずつ自己紹介をしたり、形式的に状況の説明をしてもらったり、今の自分の体調がどのようなものかを聞いたりした。
依頼者からも聞かされていたが、対象である少女の名前は「七菜那々(ななな・なな)」。資産家である七菜家の一人娘で、元々体が強くなかったが、ここ最近謎の体調不良を訴えていた。
それは1ヶ月で急速に悪化し、今では体を起こして会話をするのがやっとの状態なのだという。
今は無理をさせないよう、ベッドに寝たままになってもらっている。

(…マズいな。結構な勢いで体力が削られてるし、精神的にも崖っぷちだ。
もう一押しされれば突き落とされかねないぞ…? それにこの変な臭い…、彼女の周りからしてるが、明らかに本人からは出ていない…)
原因はあっさりとわかった。何かからの呪いだ。
ただしどういった系統の呪いかは解らず、今はそういったものの気配も無い。
悩んでしまう。まさか手遅れ寸前です、と言うわけにもいくまいし、この臭いについても気にした様子は無い。となると話題にするわけにもいかなくて。
少し落ち着く為に、部屋の中に視界を巡らせ……、それに気付く。
少女の部屋にしては妙に無骨な…というか、不似合いなそれに。
「ねぇ、少し良いかな?」
「…なんでしょう…?」
「あの刀なんだけど…、剣術とかやってるわけじゃないよね?」
そう、2m超の野太刀。今眼前に横たわってる少女の持ち物としては、あまりにも不釣合いだ。
「あの刀でしたら…、忌乃さんの前の霊能力者の方が…、強い力が宿ってるらしいから、これだけでも護法の代わりになる、とか…」
「なるほどね。効果の程は?」
「あまり変わりませんが…、そうですね。そんなのが無くても、会話ができますから」
「…会話?」
「あ、いけない…。すみません忌乃さん。今のは忘れてくださいね?」
会話、ねぇ?
見たところ、確かにこれ単体で強い力があるのは間違いない。
(にしても会話…、九十九神の類でもあるのか?)
疑問に思ったが、見ているだけでは判別のしようが無い。
「ちょっとその刀、持たせてもらっていいかな?」
なので、聞いてみた。
「はい、構わないですけど…。抜かないでくださいね?」
「解ってるよ、手にとって見るだけだから」
許可は貰った。席を立ち、太刀の前に来て、柄に手をのばす。
握った瞬間に、
「…!」
気付いた。
これはただの刀じゃない。まして九十九神の類でもない。これには鬼の魂が入っていることに、だ。
さらにどのような術式が使われてこのように成っているか。
そしてこの鬼が何者なのか。その全てを悟った俺は瞬時に意識を飛ばし、刀の中の魂に接触をかけた。
行き先は鬼の心、精神世界。



誰もいない暗闇、何も見えない漆黒、臭いは無く、言葉さえかき消され、触れるものさえない。五感の全てを断ち切られるような闇の中。
それでもその中に居るのは、俺の目に見えるのは、力なく座り込んでいる一体の鬼。
額には1本の角が隆々と立ち、その肉体はすべからく筋肉に覆われていて、四肢でさえひ弱な人間の胴回りはありそうな太さを持つ。体躯は2mをゆうに越え、全身から放たれている威圧感から相対した者は、遥かに巨大な存在として見えるだろう。
これが鬼だ。間違いなく純正の、男の鬼。
暴虐の化身にして恐怖の体現、畏れを抱かれる者。
座り込んでいる鬼の体表は赤い。けれど真っ赤じゃない。鮮やかな紅でもない。
それよりもっとほんのりとも言えるような朱色。その色ゆえに付けられた氏族の名がある。
だから俺は、その名を呼ぶ。

【…よぅ、朱の鬼?】
『貴様…、もしや蒼の?』

朱鬼が振り返る。同時に俺の名を呼ばれる、正確には氏族の名を。
その言葉が正しいかのように、俺も鬼の相を表す。
額に3本の金角が生え、なびく黒髪は蒼く染まり。同様に黒かった目は異様に赤くなり獣のように瞳孔が縦に裂ける。
朱鬼と同様の形ではない、薄められた血故の姿だが、これが俺の鬼の姿だ。
同じ鬼だが、朱鬼に対して俺の肉体はそう肥大化はしない。鬼の血に目覚めたとはいえ、これは俺の精神状態の現れとも言える。
人間である、という意志の元に。俺の肉体は大きく人から外れないのだ。

【ご名答。…まさかこんな所で会うとは思ってもいなかったけどな】
『…なぜ俺が朱の鬼だと?』
【気付かぬ筈があるめぇよ。心魂転移の呪に併せて物質化+形成変の呪の複合。ここまで合わせられる鬼の氏族は他にいないだろ】
『なるほど、な。併せすぎたのが逆に気付かれるか』

鬼は決して力技だけの種族ではない。数は少ないが呪いや術に長けた者達も居て。それがお互いの血筋であっただけ。
そして同時に、その力は人間より遥かに高みにあって、普通ではできないことを軽々とやってのける。
だからこそ気付けた。人では気付かないように偽装していても、近しい鬼だからこそ気付いてしまった。

【まぁそれは兎も角としてだ。あまり時間をかけすぎると彼女にも気付かれるんで、手短に聞かせてもらうぞ】
『…何をだ?』
【おや聞き分けのいい。てっきり口を閉ざして交戦すんのかと思ったよ】
『無様な話だが、この姿では自分の意思で動けないからな。争うこともできん』
【なーる。じゃあ聞かせてもらうが…、ここにいる理由と、お前の目的は?】

疑問に思ったことを口にする。
こうして精神世界に入り込めば、互いの思惑はダイレクトに伝わってくる。

『…理由だが、娘の親に買われた。物珍しい、使い手の解らぬ刀だから、という理由でな』
【蒐集家か。なるほど家の中にあった調度品はどうにもバランス悪かったしなぁ…。趣味かぁ…】
『目的だが…、新しい体を得る、以外に何もないな』
【…その方法は?】
『今の俺を持った存在から、多少の生気を貰うことでやるつもりだ』
【…それを信じろと?】
『疑い深いな、蒼の鬼』
【当たり前だ。心魂転移の呪が使えるなら、手ごろな体に乗り移って、人間の魂を内側から食った方がはるかに効率がいい。わざわざ時間をかけて復活するってぇのか?】
『当然だ。下手に騒ぎを起こして陰陽師の連中に発見されたくは無いのでな、時を費やした方が、気付かれにくいだろう』

嘘が吐けない事を知っているからこそ、朱の鬼も全てを伝えてくる。

【そりゃ同意する。…で、彼女から吸ったか?】
『見くびるな。死に掛けてる存在から吸うものか。…せいぜい動けぬ憂さ晴らしの話し相手になってもらっただけだ』
【…なるほどね、だから会話とか言ってたか】
『…蒼の鬼。貴様はどうする?』
【あにがだよ】
『この死に掛けた娘を助けるのか否かだ。もって精々後三日、放っておけば食われて死ぬぞ』
【誰にあにを言われようと助けるつもりだ。こっちの都合もあるからな。今夜の内に敵の呪いを捕捉して、隔離の結界を張るつもりだ】
『…自信の程はあるのか?』
【自信が無けりゃ鬼として生きちゃいねぇよ、ばーか】
『大口を叩いたな、蒼の鬼』
【お互い様だ、朱の鬼】

朱の鬼の口に笑みが浮かんだ。つられて俺も笑ってしまう。
多分、友人同士というような笑い方じゃない。お互いを嘲るような、ともすれば剣呑な笑み。

『…ならば、また明日来い。貴様相手だとこれ以上の接触は気疲れする』
【はいはい。とりあえず俺は、お前に敵対の意思がないようなことに安心しました、っと】
それだけ呟いて、接触を切る。

「…乃さん、…忌乃さん」
ふと、彼女からかけられている声に気付く。
部屋の時計を確認すると、意識を飛ばした時から既に30秒近くは経過していた。
「うわごめん、集中してて気付かなかった」
「本当ですか…?」
「うん、本当。……君とこの刀が会話していた、っていうのもね」
「…信じてくださるのですか?」
「そりゃぁねぇ。実際に話したんだし、どういう魂なのかもハッキリと解っちゃったしねぇ?」
「はぁ、前の霊能力者の方では気付かれませんでしたが…」
「お互いの波長が似ていたせいかな? 話すのも苦労しなくて済んだよ。それか霊能者の奴が尻込みしたかヘボかったか…」
「波長ですか…。…………」
ここで考え込むようなしぐさを取る彼女。10秒ほど考えてたようで、顔を上げた。
「忌乃さん、あなたの色々…、お話してもらえますか?」
「え…?」
おめめぱちくり。
「刀の鬼さんに話しかけたり…、波長が似ていたり。色々と気になってしまうんですよ」
「え、えぇと…?」
「大丈夫です。誰にもお話しませんよ?」
なんとなく、断り辛かった。
ここまで来てしまえば、何をせずともあと少しで死んでしまう。
多分それは、彼女自身も気付いているだろうこと。
だから、…少しだけでも良いかな、と思って。
「……少し、長くなるよ?」
ちょっとだけ、口を滑らせた。

* * *

興味深い話を聞きました。
遠い昔。はるか千年も前のこと。
京の都の北にある、鬼の住処の大江山。酒呑童子を頭目とした鬼の一団の中に、ある変わり者がいたそうです。
その鬼の名は「蒼魔」。蒼鬼の一族で、酒が好きで、暴れるのが好きで、笑いあうのが好きで。
そして一団の誰よりも、人間が好きだった鬼。

取り分け、ある町娘が好きで、不器用ながら人の姿になって、何度も都へと逢瀬に行って。
決して美しくはない人だったけれど、蒼鬼にとっては誰よりも美しく、輝いて見えた女性。
彼女の方も、相手が鬼だと知っていて尚その隣に居てくれた。

けれど、夢のような時間は短くて。
蒼鬼の行動は皆が知ることになり、良くて排斥か、最悪命をとられる道しかなくなりかけていて。
最後通告の為に用立てられたのが、蒼鬼と取り分け仲の良かった朱鬼。名を「朱昂」。

朱鬼は蒼鬼へ告げました。
「これ以上人の近くに居るようなら、我々は貴様を殺さねばならん。……今からでも遅くない、戻れ、蒼魔」
蒼鬼はこれを突き跳ねました。
「それは出来ん。……それが出来ん程に、俺の中であの娘の存在が大きくなってしまった」
蒼鬼の中では、彼女の居ない時を過ごすことが出来ぬほど、自分の心は弱くなってしまったと。

「鬼である貴様が人の側に居て何とする。…まさか、人として生きると言うつもりではあるまいな!」
「その通りよ、朱昂。…俺は人として世に降り、あの娘と添い遂げる! 共に朝を向かえ、日が落ちるまで仕事をし、夜に深く休むつもりだ」
「阿呆なことを抜かすな、貴様と人とでは命の長さが違う!いかに娘が生きても、50年と生きられる訳はない!」
「ならば……、共に死ぬまでだ。鬼の身の俺は、これより人として生き、人として死ぬ!」
「蒼魔…、貴様…!」
「先も言ったぞ、朱昂! あの娘の居ない時を生きられるほど、俺はもう強くはない。
……だが、あの娘と生きるためになら、俺はどこまでも強くなる。お前が本気でかかって来たとしても、叩き伏せる!」
「蒼魔ァァァァァァァッ!!!」
「朱昂ォォォォォォォッ!!!」

怒りを露にした朱鬼と、冷静なまま立ち向かう蒼鬼。
周囲の木々をなぎ倒し、逃げ遅れた獣を踏み潰し、山さえ抉り削るほどの争いを、十日十晩繰り返し。
地に伏したのは朱鬼の方でした。

「俺の、勝ちだ……、朱昂…! …行かせてもらうぞ…」
「は…、はぁ…つ、…くそ! 蒼魔の、阿呆が…! ……行ってしまえ! 二度とその姿を見せるな!」

互いの想いは長い戦いの中に、己の拳に込めて語り合って。
朱鬼は解ってしまったのです。その言葉に、その心に、嘘偽りが無いことを。もう自分では蒼鬼の隣に居られないのだと。
もう、共に笑えないのだと。

だから、突き放すようにしかできなくて。そのようにしか言えなくて。

「…さらばだ、朱昂。…………達者で暮らせ」

刃のように突き刺さる最後の優しさを残し、蒼鬼は去って。
無力さと哀しみに突き動かされた朱鬼は、大声で泣き叫んで。
二人の鬼は、友であるその血は、二度と逢うことはなかった。
それが忌乃さんと刀の朱鬼さんの、大本の関係。


そんな、忌乃さんの語った昔話。
千年前に、二度と交わることのない分岐路に立たされた二つの鬼の血は、不思議と今の時代になり、私の前で交わりました。

…ほんの少しのお節介は、許されるでしょうか。
…ほんの少しのお手伝いは、してもいいでしょうか。

そう思った私は、便箋と万年筆を取り出しました。
自分の思いを書き留めて。これを自分の遺書として。


最期に会った人たちへの、私なりのお節介を。


* * *

その日の夜。
あの後、蒼の鬼が出て行ってから時間が経過した。
日付が変わり、頃合良しと踏み、娘に話しかける。
と、娘は穏やかな顔で

『……娘、何をしている?』
「いえ、最後ですから…。月を見てました」
『昨今の月は見えるものか? 近年碌な月を見ていないぞ』
「…かもしれませんね」
わずかに注ぐ月光に照らされながら笑う娘。
『…ふん、気丈なものだな。今から俺の魂を注ぎ込まれて、お前は消えるというのに』
「朱鬼さんはデリカシーが無いですね」
『で、でりかしー?』
「せっかく最期なんですから、慌てたりしても仕方ないじゃないですか。静かにして、これから来る人を安心して迎えないといけないじゃないですか」
『そういうものか…?』
「そういうものです」
とだけ応えて、娘は笑った。
これから俺はこの娘となる。生きられない存在に成り代わり、俺が生きることになる。
だが、だがだ。
生きることを諦めたかのような娘の笑顔に、俺は疑問がわいてくる。

『…娘、何を考えている?』
「何も考えてませんよ? これから私が消えちゃうんですから、…考えたところで何もできませんし」
『嘘を吐け。ならば何故、声が震えている』

先程から応える声が震えている。恐らくは恐怖によって。俺という存在に塗りつぶされることで、“自分”という存在が消えてしまうことに。
布団の肌がけを掴む音が聞こえる。
何かを耐える様な、跳ねる心音が聞こえる。
「…やっぱり、バレちゃいますね」
『当たり前だ。何故嘘を吐く。…貴様はそんなに俺が信用ならないか?』
沈黙が返ってくる。
俺が恐いなら受け入れなければいいだけだし、覚悟が決まっているのならそのまま死ねばいい。機会がなくなろうと俺は待てば良いだけだ。
俺の中にはその思いがあり、これ以上の沈黙が帰ってくるなら、そう答えるつもりだった。
…だが、娘の言葉は、俺の考えとは違っていた。
「朱鬼さんが信用できないわけじゃないです。
……本当は恐いんですよ? 私が死んじゃった後はどうなるのか、お父さんは哀しむのか、もしくは真っ白になったりしないか。
…自分が確認できることは何もありません。不安にもなりますよ。恐くならないわけがないじゃないですか」
『…解らんぞ。ならば何故嘘をつく?』
「信用できないわけじゃない、って言いましたよ? 朱鬼さんが“私”になるなら、私の真似をしてくれて、お父さんを哀しませないことを。…ちょっとだけでも期待させてください。
だから、朱鬼さん」
『……何だ?』
「私の体、大事にしてくださいね? ちょっと位なら傷つけてもいいですけど…、お父さんとかが生きている時は、大怪我しないでくださいね?」

驚いていた。
正直に言わせて貰えば、命惜しさに、自分惜しさに泣き叫んで、嘆きまわり、その果てに俺を放って蒼の鬼に泣きつくかと思っていたからだ。
だがこいつは違う。
俺が生かすものである「命」が、正確に言えば「自分の命」が惜しいわけではないらしい。
コイツは「自分自身という存在」が惜しいのだ。
だからこそ、それを生かす、肉体の簒奪者である俺を信用して。自分の代わりに生きてくれると信じて。俺に体を明け渡すというのだ。
驚く以外に、俺は動けなかった。

「…朱鬼さん?」
『む…っ? な、なんだ?』
「私の最期のお願いですけど…、ちゃんと聞いてくれましたか?」
『あ…、あ、あぁ、解った。…俺ができる範囲で体を大切にしてやる。今日からは“俺”の体だからな』
「はい、それを聞けて安心しました」
また、笑顔が向けられる。
「それでは、不束者の体ですが。よろしくお願いします」
『…うむ』
一つだけ頷いて、俺は身を変えている「形成変」の呪を解いた。
刀が一瞬のうちに浅黒い魔羅へと変化する。いや、元の姿へと戻るのだ。
この体で可能な限り動き、娘の寝台へとはいずり寄って、寝間着の裾から入り込む。
「ぁ…、朱鬼さんの、が、近づいてきます…」
肌に触れる、久しぶりの女子の柔肌の感触。
近づく度に女陰の臭いが強くなる。近づく度に魔羅の硬さが強くなる。
収まるべきところを目掛けて一歩ずつ進むたびに、その両方が、一層強くなる。
脚を伸ばしたままで居てくれる娘の寝間着、細い道を突き進み。
程なくして俺は、娘の女陰へとたどり着く。

「あ、朱鬼さん…、着きました…?」
『うむ、着いたが。それは自分でも解るのではないか?』
「それは、そうですけど…」
『いやいい…、それでどうした?』
「いえ…、ちゃんとそこに着てるんだな、と思うと…、話したくなっちゃって」
娘が声をかけてくる。
無言で応えたいところだが、この娘が心細いことを、不安に思っていることを理解しているのなら。どうして応えずにいることができよう。
『好きなことを話せ。お前の言葉を聞きながら、その全てを俺が受け取ってやる』
「…じゃあ、私のあえぎ声も受け取ってくださいね?」
『な…っ、…あ、あぁ、解った。…受け止めてやる』
「…はい、よろしくお願いします」
落ち着いた様子なのだろうか。口調が少し変わってくる。
状況を見て、今度は俺から娘に声をかける。
『これからお前の中に入るが…、…ふむ?』
「…? どうしました、朱鬼さん?」
薄布に覆われた娘の女陰を見て思う。
…濡れていない。

このまま入ってしまうこともできるが、無理に行ってしまえば、娘が苦しんでしまう。最悪女陰が裂けてしまうかもしれない。
多少の傷くらいならまだ治るのだが、これから入る身だと考えれば、少しばかり優しくしてもバチはあたらんだろう。
『こう言うのもなんだが、俺のは大きいぞ? このまま入ると裂けてしまいかねん』
「はぁ…。それじゃあ…、入れるようにしましょうか…?」
『む…?』
「ん…っ」
俺が疑問に思うや否や、突然娘の口から小さな声が漏れてきた。何をしているのか服の中から窺い知ることは出来ない。
「は、ん…っ、ふぅ…っ」
布がこすれる音と、肌同士がこすれあうような音。
娘の声の謎が気になって、俺はしばらく動けずにいると、…不意に女のにおいを感じた。
眼前へ視点を向ければ、そこには変わらず閉じたままな娘の女陰があるのだが…、それは先程とは確実に変わっていた。
内部から液が染み出てきている。においの元はそこだ。
『娘、貴様何を…?』
「はぁ…、自分で、胸を…弄ってるん、です…っ、んぅ…っ」
何かに耐えるような声が聞こえてくる。その行動が少しだけ気にかかり…、声をかけてしまう。

『耐えるな、娘。…きちんと女として鳴く声も受け入れてやるから、俺にも聞こえるように喘げ』
「も、ぅ…、朱鬼さんは、…」
『デリカシーが無い、だろう? 今更変えられん、許せ』
「はい…、許しちゃい、ます…、んぅぅっ!」
嬌声を上げる度に、俺の眼前でひくついている女陰が液をこぼしていく。それが下着を浸していくまで、さほど時間はかからなかった。
これなら良かろうか。
「は、はぁ…、朱鬼、さん…、良いですよ…?」
『あぁ。……では、ゆくぞ』
一声をかけてから動き出す。亀頭で下着を掻き分け、その奥にある女陰へと潜り込ませる。
「ん、ん…っ」
今まで男性経験が無いそこを割り開き、内部へと侵入していく。愛液に塗れた壁はキツく、同時に滑り入り込みやすくなっていて。
小ざかしい抵抗をものともせず、液の滑りを活用して中へと入っていく。
その途中、目の前に見えたのは最後の抵抗ともいえるような、処女膜。俺が娘に乗り移るためにもっとも邪魔なもの。
…本来ならば、娘が添い遂げる相手に捧げる必要があるものだろう。だがそれを、俺が奪う。
突き進み、突き破る。
「は、く、…っ、あ…!」
娘の苦痛の声が聞こえ、破瓜の血が溢れ出す。それさえも飲み込んで突き進み、最奧の場所まで潜り込みきった。
『…娘、解るか? …破ったぞ』
「は、い…、…痛い、ですね…」
『辛かろうが耐えてくれ。一過性の痛みだ』
「もう…、朱鬼さんは…」
『ふん…。痛みが引けば言え、動くぞ』
娘の膣内でしばし待つ。全身をぐにぐにとした柔肉が包み込み、溢れ出す蜜が身を濡らす。
かつて女を抱いたことがあっても、ここまで全身で感じたことは無かったが…。なるほど、これは良いものだ。人がサカる理由も解る気がする。
「朱、鬼さん…、いいですよ…?」

娘の痛みが引いたようだ。ここから抽送を繰り返して達し、娘の胎内に俺の魂と精液を注ぎ込む。それが終わってしまえば…、娘と話す事は、もう無い。
だから…、言っておこう。偽らざる俺の本心を、俺が奪う娘に。

『最後に一つだけ、知っておいてくれ、娘』
「…なん、ですか?」
『我が祖は…、蒼の鬼を、友として好いておったよ…』
「はい…、聞きました、から…っ」
女陰が一際強く我が身を締め付けてくる。そこから逃れるように身を引いて、そこに飛び込むようにまた中へと潜り込む。
ずる…、にちゅ…、くち…、ぷちゅ…。
やはり叩き付ける腰がないと、そうそう勢いは出せないか。膣内は確かに気持ち良いが、これでは何度往復を繰り返せば良いものか解らんな。
身を引いてほぼ出し、再び奥に進もうとした途端、魔羅の根元が突然捕まれた。



『ぬぉうっ、な、なんだ!』
「あ…、ご、ごめんなさ、朱鬼さん…っ、気持ち良いんですけど…、もどかしいんです…っ」
どうやら娘のようだった。細い指で魔羅の根元を掴み、己の膣を抉っていく。
唐突なことだが、決して悪いことではなかった。俺が自分で動き続けていれば、いつになれば達するか解らない。こうしてくれれば、恐らくすぐに達せるだろう。
『む、ぉ…っ、くぅ…っ』
己の意思が介在しないが、全身で受けることになる快楽は俺を確かに満たし、それとともに娘を昂らせていく。
自分が動くより、確かに早くなった前後の動きが、俺たちを高まらせる。
膣奥の口が迫り、こつこつと音を立てて子宮とぶつかり合う。
ここに注ぎ込むことができれば、俺は娘になる。
新たな肉体を……、得ることになる。

水音が響き、粘液同士をこすり合わせていく度に、俺の根元には精液が溜まり、あふれ出そうとする。
それと同時に、娘の膣壁が俺を絞り上げるように締め付けてくる。おそらく絶頂が近いのだろう。
根元に溜まった精液が搾られるように、体内の管を通って亀頭から噴出しようとする。
こつん、と子宮口を突いたと同時に、膣壁が魔羅を締め付けあげ、俺の亀頭から精液が溢れ出る。
「ん…っ、く、んぅぅぅぅ…っ!」
『行くぞ、娘! 俺を受け入れろ…!』

瞬間、魔羅より精液が噴出し、娘の子宮を満たす。しかし俺の魂を載せた精液はそれだけに収まらず、子宮に満ち、そこを中心として全身に広がっていく。
脚を乗っ取る。
胴を乗っ取る。
腕を乗っ取る。
滲み込んでゆく度に俺は「肉体」の感覚を取り戻し、娘から「肉体」の感覚が消えうせていく。

「は、あ、…っ、くあぁ…っ!?」

最後の頭部にしみこみながら、娘の魂を喰らう。
娘そのものを、俺のものにする。
もう、止められない。

ドクン。心臓が鳴ると同時に視界が開けた。


* * *

少しばかり強めに吹く夜風が髪を撫でる。
風上から流れてくる、僅かなれど鼻を突く酸の臭いを感じ、蒼火は一つ溜息を吐いた。
「……ようやく今日の分の精気を喰いに来たか。悠長にしてるもんだなぁ」
取ろうとする行動は単純だ。
まずは犬神を払い、ここに敵が居ると言う事を。それが己の力では倒せないと認識させる。獣は何より強さに敏感であり、勝てない敵に対して無謀な挑戦と言うものを殆どしない。
勝てない戦いをするのは後にも先にも人間だけだ。それも下らない思想に突き動かされた、愚かと呼ばれる類の。
ま、いいかと頭の中で区切りとりとめもない考えを止めて、自販機の脇に置かれたゴミ箱に3本目となったホットコーヒーの缶を落とす。
「んじゃ…、始めるか」
深く深呼吸をする。
眼鏡を外して瞼を閉じ、一拍後に開眼。ざわりと風が鳴いた瞬間、日本人としての黒に彩られた瞳と髪は変わっていた。
髪は夜だというのになお煌めく空の蒼に。
瞳は闇だというのになお輝く血の赤に。
そして額には3本の雄々しき金の角が生えた。
人知れず夜の闇を、人の姿を辞めた鬼が駆ける。
「シッ!」
臭いを辿りながら一足で十間を跳びはね、電信柱を足場にして風のように。
10歩も走り七菜家の屋敷へ跳ね上がって、重い音を立てて屋根に立った。
眼下に見えるのは豪奢な庭と、夜だというのに消えない庭を照らす外灯の光。
そして“どこにでもある庭園”と不釣合いな、“どこにもいない”、3メートル以上の大きな犬のような影。
目的のものを捕らえた蒼火の口元は歪む。鮫のように歯をむき出しにして、殺気を解るように、しかし周囲を怯えさせぬように一体だけに向けて放つ。
いつもどおりに相手から精気を喰らおうとしていた犬神は、自分へ向けて放たれた明確な殺意を感じ取り、慌てて蒼火の方を向く。
戦いの愉悦に歪む蒼鬼の瞳と、突然の視線に慄いた犬神の瞳が絡み合い…、呟きが一つ。
「さて、なかなかデカいが…、それだけか」
直前までの態度を翻し、失望した蒼火の方が先に目をそらした。
向けていた興味が消えただけなのに、犬神はいまだその身の硬直を解かない。解けないでいた。
アレは見たことも無いものだ。アレは恐ろしいものだ。アレは自分さえも凌ぐ“化物”だ。
その思いが犬神の足を留め、また同時に視線を外せない要因となる。
先に動いたのは、またしても蒼火。無造作に屋根の上を歩く。それは縁にきても止まらずに、両脚が屋根を掴むことをやめた。
重力に逆らわぬままに落ちたと同時に風が舞う。落下の音など発せぬままに、ふわり、とばかりに着地した。

その瞬間、犬神が動く。恐怖に突き動かされるようにまっすぐに。一合で殺さねば自分が死ぬ。その確信を込めて。
戦い方を考慮するための知識は、この犬神にはまだ無かった。
戦闘経験が少ないのもあるし、眼前の敵には呪いが効果を持たないことにも気づいていて。ならば喰らいついて息の根を止めるか、もしくは爪で牽制を仕掛けて隙を作り、そのタイミングで逃げるか。
相手の動きに合わせてしまえば良い。距離をとるならそのまま横に逸れて逃げるのもありだ。
一目散に逃げなかったのは、その愚かな思考と同時に、娘の精気を喰らって来い、という主の命令があった。

対する蒼火に構えは無い。手をポケットの中にしまったまま立つだけで、犬神が爪牙を突きつけてきても、微動だにしていない。
獣の行動は解り易い。何より攻撃方法が限られているからだ。
獣同士の戦いなら同じ土俵。同じ武器を使えば、要素という互いの優劣によりおのずと決着はつく。
だが鬼の相手は巨大なだけの犬だ。犬と同じ武器を持ってはいるが使う気は無く、まして犬では到底及ばない“技術”が鬼のその身には詰まっている。
けれどそれさえ使う必要は無い。何より意識させるのは力の差。どうあがいても勝てない、圧倒的なまでの暴力であることを、犬神に叩き込む。
視線は犬神から逸らさぬままで、ぽつりと出てきた一言。

「軽ーく、いきますか」

一足。前に進むと同時に身を屈めて、飛び掛る犬神の下へと潜り込む。
瞬間、犬神は敵の姿を見失った。確かに自分の前にいて、自分に向かっていたはずなのに、突然消えうせた。
そう認識した直後に、上空へ突き上げる衝撃が腹部を走る。
腹の下へと滑り込んだ蒼火が殴ったのだ。いや、それは殴ったとも言えない動作だろう。手の形は握り締めた拳ではない。力なく開かれた掌だ。
トン単位の重量物さえ平然と持ち上げる力を使い腹部を掌打、直後霊体で構成されたそこを掴み、持ち上げた。犬神の脚から、踏みしめる大地が消える。

「おらぁっ!」

上空へ持ち上げられた犬神の肉体は、今度は地面へと向けて叩き付けられた。
もし犬神に肉体と同様の重量があれば、その場所が陥没しているだろう。それだけの勢いを込められた攻撃だ。
攻撃の勢いを全身に受けて、みっともなく犬神が腹を見せる。
これは何だ、服従のポーズか? その意志も無いのにこれをさせられたのか? ただの、一発で?
犬神は身を起こし、自分を仰向けにさせた鬼を見つけようとする。しかし、いない。
瞬間、殺気は上から降ってきた。

犬神を叩き付けた衝撃を反動にし、蒼火は跳び上がっていた。
拳を握る必要は無い、開いたままで十分だ。
指先を揃えた手は刀のような形を取り、狙いを付けた箇所へと振り下ろされる。
当然ただの手刀ではない。力を込めた瞬間、蒼火の右手に炎が吹き上がった。
蒼火。その名のごとき、全てを焼き尽くす青白い炎。
鋭利さ、そして超高熱を併せ持つ手刀は、重力に逆らわずに狙い通り、犬神の首へと落ちた。
霊体なれど貫き焼き払う攻撃は、ぞぶり、と嫌な音を立てて抉りこむ。

「ふん…っ!」

振り切る途中、半ばまで食い込んだ手を突如止めて、首を掴む。開いた左手で胴体を握ると同時に力を込めて肉を裂き、引きちぎる。構成する霊体がぶちぶちと鈍い音を立て、離れた。

「はっ!」

気合一閃。犬神の体を掴んでいた左腕から、右手と同様に炎が吹き上がる。燃料もないのに燃え盛り、瞬時にして犬神の肉体を構成する霊力ごと焼き尽くし消失、霧散せしめた。
右手の炎を消して、泣き別れになった首を興味なさ気に放り捨てる。
だがしかし、犬神の本体は切り離され、呪術を施された首だ。例え泣き別れになったとしても、本体を潰さない限り犬神が消え去る事は無い。
首だけになった犬神は無防備を晒す蒼火の背中首を狙い、背後から襲い掛かり…、

ごぐんっ!という音を立てて、裏拳によって阻まれた。

地面に落ちた犬神の首はこれでも倒せぬと知り、そしてこの一撃がまるで本気でないこと、そして本気で撃てば確実に自分は死ぬのだと悟る。
それほどまでに互いの戦闘力差は明確で、埋めようもないものだった。
首だけの犬神が、存在しない尻尾を巻いてその場から去っていくのを、蒼火は止めなかった。

「撃退終了。…じゃ、次かな」

その様子を見ながらぱんぱんと、2回ほど手を叩きながら一息をつく。
要は犬神がしばらく近づかないようにすれば良いだけで、今すぐに消す必要は無い。本当に潰すのはもう少し後。那々が復調してからでいいのだ。
相手がどれだけ犬神を所持しているのかは解らないし、押せば倒れるような彼女をこの場に留めながら戦うのも分が悪い。
味方は居ない、自分ひとりしかいない。物量にはどうあっても押し負けてしまう、単一勢力だからだ。

次は犬神からの攻撃を遮断する結界を、セーフハウスに張る。その中で彼女を静養させるのだ。

* * *


一夜明けて。

「…うー、めちゃ疲れた」
俺の手元には栄養ドリンクが4本。リ●ビタン、リゲ●ン、ユンケ●、●オビタを一本ずつ、別種を買い揃え、それぞれを指の間に挟んではストローをさして一辺に吸っている。
口の中でブレンドが生まれて微妙なフレーバーが鼻を突く。ついでに舌を突き刺すこの味よ。
苦っ! まずっ! すっぱ! ぐふぅっ!

「あー、あぶねぇ…。危うく噴出すところだった…」
口から漏れそうな分をふき取り、この夜のことを思い返す。

夕方に依頼主の人と話をして使われていなかった家をセーフハウスにして貸してもらい、存在を知覚しにくくなるように処理した後、夜間に犬神撃退。その後そこに一晩かけて結界を三重五重に張ったりと、ろくに休んだ覚えが無い。
というか一番の重労働が結界だったのは秘密だ。犬神はたいしたモンじゃなかったしな。
正直な話、呪いの元を特定するのにかかった手間は無いに等しい。
犬神という希少な手段であったのは元より、決め手はあの臭いだ。かなりの痕跡を残すタイプの種類だったため、というのが大きいし、家を出た後にそれを思い出したのもある。
特殊な臭いを持った犬神の呪い。それにより彼女、七菜那々は衰弱していった。恐らく徐々に体力・精神力を削る、エロイ(えげつない、ろくでもない、いやらしい、と三拍子揃った)呪詛だろう。
何はともあれ、アレから距離を置いておかないと体力の回復も見込めない。呪詛を遮断する結界の中で静養して、その間に呪詛を飛ばす張本人を特定したり、犬神を迎撃したりと、やることは数多い。

「…ま、何とかなるだろ。杞憂で終わってほしいかな」
1人暮らしをしているとどうにも独り言が多くなるのか、思ったことがぽろぽろ溢れてくる。独白の内容は多分に希望的観測込み。
ドリンク剤の蓋だけを握りつぶして不燃ゴミに、瓶はビンのゴミ箱に分別。
彼女を助けるための行動を一任されいる俺は、再び七菜家へ移動する。那々嬢を乗せるための軽ワゴンを借りているので、運転の慣らしを兼ねて乗っていく。


七菜家に到着し、那々嬢の所へと行く最中。しっかりとした様子の執事が廊下の途中に立っていた。
「失礼。忌乃様、お嬢様がこれをあなたに渡してほしい、と」
彼が銀盆の上に乗せて差し出したのは、一枚の便箋。
小さい、しかし綺麗な字で、
『赤鬼さんと、青鬼さんへ』
と書かれている。
「お嬢様が、あなたが部屋に入る前に中身を見てほしいと言っておりました。お手数ですが、どうぞこの場で…」
同じ銀盆の、手紙の横に乗っていたペーパーナイフを手に取り、便箋の縁に刃を入れる。
「…解った。じゃ、見せてもらうよ」
便箋の封を開け、内容に目を通していく。
「……ッ」
執事の人に気づかれないよう、小さく息を飲んだ。
これが彼女の意志だというのならそれを受け入れないといけないのか?
いや…、受け入れるしかないか。これが書かれた後に“そうなった”のなら、もう遅いのだから。
「……なるほど、ね」
「失礼ですが、その手紙には何が…?」
持ってきてくれた執事の人が尋ねる。何でもないように装って、当たり障りの無いことを選んで口にする。
「別に大したことじゃないですよ。…今のうちに言っておきたい、彼女からの要望ですかね」
内容を見られないよう、素早く折りたたんで便箋に、そして懐にしまう。
恐らく執事の人は納得できていないのだろう。少し不安そうな視線を俺に向けてきた。
「それで、あの、忌乃様。お嬢様の容態は…?」
「んー。…一月もすれば元気になると思いますよ? そのためにも、ちょっと別の家で静養が必要になりますけどね」
「それは私たちの環境が良くないと言うことですか…?」
「そうは言ってないですよ。…ただ、ここだと“気になりすぎる”事が多いですからね」
それだけを告げて、執事に軽く会釈。那々嬢の部屋へと向かった。


* * *

「…やはり体の調子は良くないな。立てぬことは無いが…、む、…っ?」
那々の体に入り込んだ俺は、自分の体調を確認するために、まずは柔軟を行っていた。やはり体を動かしていない分、その端々が鈍い。
しかしそれ以上に、前屈を困難にする要因が一つ。
「…このデカい胸はどうにかならんのか? 動きにくいことこの上ないぞ…」
胸を締め付けてる“ぶらぢゃー”とやらを外し、乳房をまろび出させる。女はこのように面倒なものを二つも持っているのか。
ふとそれに触れてみる。
「むぅ…、娘は自慰のときにこうしてようだが…、どうしていたのだか…?」
細く弱い指先で、柔らかさを湛えた胸に触れた。少し力を入れるだけで指が乳房へと沈み込む。
「……むぅ…」
昔は酒の席で戯れに女の胸に触れていたこともあったが、それでも之ほどの感触は無かった。
過去のそれと比べて遥かに弱い体だというのに。
……過去のと違う、体だというのに……。



これでいいのか? これが俺なのか? こんなに脆い、弱い体なのに。
これが人の体なのか? 蒼の鬼が望んだものなのか?
解らん。時折人の中に混じっても、その時々で移ろいゆく存在に心を寄せ、そして死んでいったのか?
祖は蒼の鬼を好いていた。俺もその話を聞き、子供心に人間がどういう者かを知りたくなった。だから人の輪の中に混じりはしたが、俺が鬼だとわかると人は俺を排除しようとした。
そんな者たちに思いを寄せて、成りたいと思うことに。どうしても疑問が湧いてきて…。
同時に、昨日会ったアイツの顔が浮かんだ。そしてアイツと行っていた会話も。

「…何が「見くびるな」だ。結局、俺は娘の肉体を奪ってしまった…。何が誇りだ…、これが恥知らず以外の何だというのだ…!」
罪悪感が顔を出してきて、布団を握り締める。
アイツは「誰にあにを言われようと助けるつもりだ」と言っていた。だがそれが出来ないことを半ば解っていた筈だ。
しかし口調から、意識同士の会話からは、“けれどやる”と雄弁に語っていた。俺がしたことはあいつの行為を無駄にする事ではないか?
「『娘』を生かす為には俺が代わる必要があったはずだ。そうでなければ、明日には死んでいたかもしれんというのに…!」
それもまた偽らざる現実だ。娘が死ぬのが遅いか早いか、その誤差でしかないのだが…。
これが言い訳でなくて何だと言うのだ。
やってしまった後に言ったことなぞ、須らくが言い訳でしかない。どれだけ取り繕おうとも、だ。
俺は…、

「おらっしゃー!」
「っ!?」

大声を出しながら入ってきた蒼の鬼により、思考が中断され。自分の露な姿も思い出して、慌てて乳房を隠す。
俺の姿を認識すると、少しの間固まっていて。

「………よ、元気か、朱の鬼?」

にぃ、と口の端を歪めるような笑みに俺は驚いた。何故この蒼の鬼が知っているのかと。

「貴様…、何故それを…」
「調子はどうだ? 体は起こせるみたいだけど、目眩とかはないか?」
「聞けい! 何故それを知っているのだ!」
「……、秘密ー。あとちゃんと胸隠せ」
「っ!?」

にんまりと笑ってくる顔で出された指摘に驚き、俺は再び出ていた胸を隠す。蒼の鬼の態度に少しだけ苛立ちを覚える。
が、すぐに向こうは表情が戻って平然と話を続けてくる。

「そんじゃ今から呪を遮断する結界を張った家に行くぞ。そこでしばらく俺と一緒に暮らしてもらう」
「なぬっ!? いきなり何を言うのだ貴様は!」
「言いたいことはあるだろうがオール無視! …よっ、と!」
無造作に近づきながら、ベッドの近くに置かれていた車椅子を引き寄せる。
すると次には、背中と膝の裏に腕を添えられ、宙に浮かされた。
これは…、娘の知識から言う…、お姫様抱っこ?

「な…っ、こら、離せ! 1人で乗れる!」
「つってもなぁ。乗り移ったばっかり、それに体力も落ちてるから、ろくに体も動かせないだろ」
「む、ぐ、ぐ…っ」

現状を認識して、蒼の鬼の腕に抱かれてしまって。娘としての意識がまだ残る俺は、顔が赤くなってきてしまう。
くうぅ…、何故こんな状態になるのだ! 俺は男だぞ! 照れたり恥ずかしがる必要なんて…。

「んー、顔が赤いぞ? 早いな、もうそんなに入り込んだのか?」
「う、うるさい! 貴様がいきなり抱えるからだろうが!」
「…それはつまり、俺の行動が原因だということをハッキリ伝えたわけだが」
「くぅ…っ!」
「ま、いいけどな。あにが原因であろうとさ。……よ、っと」

優しく車椅子の上に乗せられる。寒さへの対策用にとケープもかけられた。その手つきは大仰なれど優しくて、俺を…いや、俺の体を気遣うのが嫌でも解るほどだった。
そのまま奴に車椅子に乗ったまま連れて行かれた。
窮屈な屋敷を抜け出し、蒼の鬼の運転する車に乗せられて、到着した先は、ごくごく普通の一軒家。
二階建てで、周囲の住宅とのつり合いも取れている、突飛ではない、大人しい類の家。
「…というわけで、現在の状況を打破しきるまで、これからここで二人暮しだ」
同じ方向を見つめながら淡々と告げてくるこの蒼の鬼。
「待て、なぜここで貴様と! 俺独りでもやれる…っ」
「ふぅん?」
蒼の鬼の口調は変わらないが、ただ冷静に告げている。
「できるのか? その体で?」と。
奴の言いたい事は解る。鬼である俺の魂が入ったばかりとはいえ、娘の肉体は吹けば飛ぶような脆弱なものなのだ。
この体でできることは…。

「く…っ」
「解ってくれたようで。理解が早くて助かるよ」
今度は嗜めるような口調になり、俺の頭を撫でながら蒼の鬼が動き、向かい合う形になる。
奴のほうがひざを曲げ、頭の高さを揃えてくる。

「…んじゃ、改めて自己紹介しようか。俺は…、あー…、なんだ…。…忌乃、蒼火だ。お前は?」
いきなり歯切れが悪くなった。言いにくいものでもあるのだろうか。
本当はもっとつつけるような事なのだが、罪悪感と、この蒼鬼の行動とで、深く聞けなくて。小さく名を名乗る。
「……朱星だ」
「よし解った。そんじゃ握手!」
「な…っ?」
自分の調子で俺の手を掴み、握る。娘の手に比べれば大きく、鬼としては頼りなく見える男の手。
だが不思議と、己の手の頼りなさより、蒼火の手の暖かさを感じてしまった。


俺たちは、こうして出会った。
そして俺たちが初めて肌を重ねあったのが、この一ヵ月後のことで。
蒼火の意志を曲がりなりにも無碍にしてしまった俺と、俺を終始大切に想い行動してくれる蒼火。
この関係は、俺が私になった後も、続いている。
そんな訳で再アップ第3弾、朱鬼蒼鬼の前日譚です。
ちょちょいと手直ししつつ、いい感じの画像を先日発見しましたのでリサイズして追加。
最近はあまり創作に触れてなかった為、「こいつらこんな感じだったよな」と思うことしきりです。
罰印
0.4820簡易評価
4.100AC獣
再UPおめでとうございます。
また、このシリーズが読めて非常に嬉しいです。
続編、勝手に待たして頂きます。
12.100甲田太一
個人的には女蒼火大好きです。勿論このシリーズも好きなので次も楽しみにしております。