しんしんと雪が降り積もる。
地上では見かけることのない白い曼珠沙華が、枯れた木々の合間を縫うように咲き乱れる中を、さく、さく、と薄雪を踏む音を立てて、歩を進めていく。
今俺は地獄に来ている。しかも一般によく知られている類の炎熱地獄とは別の場所。八寒地獄。
ここにきた理由は行方不明者の捜索。
なんでも目の前で人が消えて、しかもその時に驚異的な寒さを感じたとか。
…実はこうした、人が突然消える事例、いわば「神隠し」は何度かあって。その場合殆どが“何らかの理由”で別の世界に飛ばされてしまうことを指す。
一部では天狗の仕業とか言われたりしているが、それは本当に一部。山奥などで子供が消えたりすることが該当するが、事実は天狗が夜中里に子供をかくまったからで。本当の「神隠し」とは一切関係ない。
本物は一切合切、状況、被害者、その存在等々にはまるで関係なく、天災のように起こらない事を祈るだけの、しかして天災のように発生の予兆はほぼ捉えられない、面倒極まりないものだったりする。
発生の予兆や残滓を見つけるのは、次元に精通しなければいけない。現代科学ではほぼ不可能だろう。
で、殊更次元に詳しい知り合いに聞いて、人が消えた場所、そこで起こった次元震の波長、同時刻に同形の波長があった場所を検索してもらった。
その結果がここで、いざ捜索にやってきてはいるものの…。
「…………さみぃ!!」
読者諸兄も“蒼火”という名前から予想はつくと思うが、寒さには弱いんだよ、俺。
今現在の俺、雪姫の姿、になれば多少なりとも寒さには強くなれるが、それでも寒い。さすが地獄だ。
雪避けの傘も、着物の中にたっぷり貼り付けたホッカイロさえ意味がありゃしない。
防寒着用意しときゃ良かったかな?
「うさみぃ…。こりゃさっさと見つけないと、捜索対象がどうなってるかわからねぇな…」
地獄というのは、ジッとしていても只じゃすまないから地獄と呼ばれるわけで。八寒地獄の恐ろしい所は何より、「罪を犯した部分を凍らせる」ことにある。
例えば盗みならば、獲った腕や逃げる脚。
詐欺ならば口、犯行計画を考える奴ならば頭部、そして姦淫ならその「性別」とか「性欲」とか。
該当部分を凍らせ、罪が重すぎる場合はそこを砕き、二度とその行いをできないようにするのだ。
さらに追い討ちをかけるように寒気を呼ぶのは、それが「どうしようもない」と判断されたなら、完全に消失してしまうこと。
そうなった場合、転生しても必ずどこかに障害が現れる。
先の例で言うのならば、腕や脚なら四肢の障害、口では原因不明の失語症、頭部は知恵の喪失。
性別の場合は……、良くわからない。
ただ、大抵のことは転生の際に記憶や経験のリセットがかけられるため、再発する可能性は低い。わざわざそこまでする理由、というのも実は無いのだ。
罪に対する罰の過剰さ。そういった“救いの無さ”から、八寒地獄が触れられないのだろう。というか鬼の俺も此処は来たくない。
おまけに言うと、ここには獄卒なんてのも居ないし見当たらない。存在の無さが周囲の寒気を浮き彫りにし、また強調してくる。
歩を進めると、ある一角に人物を見つけた。その身にはいくつもの氷が張り付いており、既に八寒地獄の刑罰を受けているのが解った。
…が。
「…げっ」
なんとビックリ、俺が探す相手であり、近づいた瞬間にその氷が砕けたのだ。
…コイツ、生身の人間だってのに「どうしようもない」レベルと認定されたのか。八寒地獄厳しいな。
目の前で倒れてる捜索対象は、少し前までどう見ても40近い、しかし精悍な肉体の男だった。
それが今では10歳くらいの小さな少女と化している。
氷結部分の破砕が起こってしまえば、これ以上変わることは無いだろう。
そう思って近づき、座り込む。
「なんとまぁ、こんなにも変わっちまって…」
数十秒前と打って変わって、庇護欲をそそるような姿になった捜索対象。
正座をして膝枕の状態に持っていき、せめて顔だけでも雪が当たるのを防ぐ。
同時に俺の太ももが露出した。やっぱり寒い。
それと同時に頭を撫でながら呟く。
「さてどうするかねぇ。このまま連れ帰っても、絶対面倒だよなぁ…」
普通地獄の刑罰を受けるのは、その人間の「魂」だ。今回みたいな「肉体」に刑罰が起こる事例はとんと聞かないし、その結果がどうなるかはサッパリとしか言いようがない。
幸いにしてここは地獄だ。現実の30分が地獄での1週間になる、時間さえ凍り付いてるような場所だ。時間だけはたっぷりある。
コイツがどんな人物で、何をしてここまで地獄の洗礼を受ける事になったのか。落ち着いて聞かなきゃな。
少女(元男)を背負って、俺はまた歩き出した。
当てもなく、この雪を凌げる場所を探して。
* * *
蒼火が地獄へ赴いて1時間が経過した。あちらでは既に2週間が経過しているだろう。
危ないからお前は来るな、と釘を刺され、一人だけ行かれてしまった私は置いてけぼり。狗轟もいないので何もすることがなく、1人居間で茶を飲んでいる。
「…………」
蒼火の住む忌乃家はとても広い。本当はここに十数人は平気で暮らせそうな程の大きさを持つ日本家屋だ。
私たちが1ヶ月を共に過ごした家でも、2人では広いと思っていたが、この家はそれ以上の広さがあり、空白を誇示するように隙間風が私の横を通り抜けていく。
そろそろ空気が暖かくなってきたというはずなのに、隙間風ばかり寒いのは常に疑問に思う所だ。
「ただいま戻りました、朱那さん」
「む、存外に早かったな。もう見つかったのか?」
ここで出てきたのは、私と蒼火の双転証を受けて女、しかも私によく似た姿に変えられた元・犬神使いの狗轟だ。
基本学生をしている私と違い、現在は蒼火と共にオカルトがらみの事務仕事をしている。
過去に得た後ろ暗い人脈を今でも駆使して、依頼者などの裏を取ったりするのが主な役目だ。
「驚くほどあっさりと。なんせ呪殺対象でのブラックリストに載ってる人物でしたから」
「む…?」
「それだけ人を泣かせてるって事ですよ、行方不明の人物は」
「人を殺していたお前が言えたことか、それは?」
「いやですね、今のボクの手はまっさらですよ。生まれ変わってから手を汚す事なんてありませんでしたから」
生まれ変わる前は手を汚したと明言しているだろう、それは。
「それは横に置くぞ。…して、どんな人物だったのだ?」
「おや朱那さん、対象の資料を見ますか?」
「見んことには話が始まらんだろう。はやく見せろ狗轟!」
「嫌です」
「なぬぅっ!?」
押して押して、こちらが答えたところでいきなり狗轟が退いてきた。少しだけ腹立たしくなり、湯飲みを持つ手に力が篭る。
びし、ぐしゃり。
私の手の中で湯飲みが割れた。幸いにして中身を飲みきっていたので、殆ど濡れなかったが。
「あーぁ、朱那さんったら壊しちゃった。折角蒼火さんが作ってくれた湯飲みでしたのに」
「ぐ…っ、それもこれも貴様が人をおちょくるからだろうが!」
「自分がした事に対して責任転嫁ですか? 朱那さんも随分卑俗になっちゃいましたねぇ、鬼の誇りはいったいどこにー」
「茶化すなっ!!」
「おぉこわ、最終的にはキレて暴力ですか。朱那さんはキリキリしすぎです、生理ですか?」
狗轟はこういう奴だ。終始自分のペースを作る力が強く、決して相手の言葉をマトモに受け取ろうとしない。蒼火以上に受け流して自分の流れを作ることに長けている。
蒼火曰く、「朱那はムキになりやすいから、もうちょっと平常心鍛えろよ…」
とのことだが…。いくらなんでもこれは頭に来るぞ。
「生理でもあの日でも構わん! 見せろと言っている!」
「ボクも嫌だと言っている!」
「何故だ! 私には見せられん内容だとでも言うのか!?」
「いえ別にそういうわけでは無いですよ?」
またこちらの勢いを殺すような急変度合いに、私の肩の力は抜けた。今度は木製のテーブルに頭がぶつかr
ゴチン!
「…っ、ぉ…っ、ぬぅおぉぉぉぉ…っ!」
響く鈍い音が私の頭とテーブルが奏でる。呆れるほど、めちゃくちゃ痛い。
何だこれは…っ、ただの木製ではないというのか…!?
「大丈夫でちゅかー、朱那ちゃーん? おでこ痛いでちゅねー♪」
そしてやっぱり何も変わらんこの阿呆。赤ん坊言葉で人をさらに弄ろうとしてくる。
しかし気合と根性で復活!
「…でぇい! 平気だし痛くもないわ! ともあれ、先ほどから何故見せんのだ!」
「さっきから朱那さん、ボクの名前を呼ばないじゃないですか」
「む…ッ」
双転証で血筋すら変わってしまったコイツを、私は便宜上狗轟と呼んではいるが、別の名前がちゃんとある。
蒼火が戸籍を用意する際、きちんと名前を聞いたのだ。
前の名前は「狗轟明俊」。
そこから体の素体となった那々の名をつけて、「あすな」という名前に決まった訳だ。
だが決まってからも、私はコイツを名前で呼んだことはただの一度も無い。こいつの性格が好きになれないのもあるし、“那々”がこいつの放った犬神で殺されかけたのも事実だからだ。
「…………」
「おや朱那さん、黙ってどうかしましたか? 呼ばないと、まさかボクの名前を呼ばないと?」
「……むぅ」
「それならそれでも良いんですけどね、ボクは。この情報を見せないだけで終わりますから」
「…………」
「でもボクは見ます。この後蒼火さんに連絡しないといけませんし、“お仕事”ですから」
「くっ……」
黙ってる私をいい事に、好き勝手なことばかりべらべら喋ってくる狗轟。“仕事”という言葉を強調して理由を明示する辺り、いい加減腹が立って止まらん。
「そうなると今回朱那さんは蚊帳の外ですね。ですがどうしましょう、何かあったときは実動員が居てくれないとボク困っちゃう♪」
見た目24の癖にブリっ子の真似をしながら、確実にこっちを見ている奴が憎らしい。なまじ自分と同じ顔だからか、これは。
業腹だ。癪に障る。コイツと居る限り私の心の平穏は無い。
消すか? いやダメだ、蒼火が怒る。最悪私がチビってしまう。
* * *
保護対象を拾ってから一ヶ月ほどが経過した。解っちゃいたが地獄と地上の行き来を繰り返していると、時間感覚の差を如実に知ることになる。
現実じゃ…、大体2時間か。案外経ってないモンだな。
ちなみに俺がずっと背負いっぱなしの、少女になった保護対象は気絶したままだ。途中何度かゆすっても起きないのを見ると、この雪が原因かと考える。
体温が下がると眠くなるのは雪山などで多々あることだが、それと同じことがここでも起こってるのだろう。
というかこの場所、実は下手な雪山より寒くて困る。防寒装備も無いので殊更に。…って、これは俺の不備が原因か。
まずは雪に触れないでいられる場所を探して、体を温めて起こしてからにしないと、話を聞くことも出来ない。
「…にしても、やっぱり地獄は広いよなぁ。先が、見えやしねぇ…っ」
眼前に広がるのは、360度全てが白い死の世界。俺の足跡だけが残り、しかし降り積もる雪に消されていく。
あの森の全部を歩き回っても、葉のある木はおろか洞窟も岩場も無いので、こうして別のところに行動範囲を広げているわけだが…、
出た先がこんな雪原だ。しかも先が見えない。雪中行軍の恐ろしさを現在身を持って体験中。
だがしかし、それ以上に辛いのが…。
「あーくそー…っ、早く落ち着きてぇ! 人を背負っちゃいるが話し相手が欲しいよー!」
孤独は死に至る病、とは誰の言葉だったか。
無人の八寒地獄の中で歩き続けている俺は、この1ヶ月誰とも話しておらず、独り言をただ呟き続けていた。
ざく、ざく、ざく、ざく。
突き進んでいけば次第に雪が深くなり、もう膝まで届いている。一歩ごとに体力が削られ、疲弊と孤独で俺の心は折れそうになってく。
「ぜは…、ぜは…」
耐寒能力も限界に近い。今はこの状況の全てが、俺の心身を責め苛んでくる。地獄は恐ろしいと改めて認識してしまう。
「…ダメだ、もう…、限界…」
保護対象をぶつけないように抱きかかえてから、ついに耐えかねて、尻餅をつく形で腰を落としてしまう。
着物の隙間から下着も見えるが、それを見る者もいない自分一人だ。気にする必要もない。
しんしんと無慈悲に降り続ける雪が怨めしい。が、今は怒りを燃やすことさえ出来ないほどで。
「はぁ…、…っ、寒い……」
吐き出す息さえ白く濁り、地獄の空気にとけて消えていく。
さっさと地上に戻っておけば良かった。
いや、今でも戻ることは十分に可能だ。地獄に紛れ込んだこいつを地上に戻す場合は正式な手続きが必要で、獄卒を見つけてからでなければそれは行えない。
だが俺1人なら空間に穴を開けて地上に帰る手段が取れる。地上へと繋がる場所に通じる穴を作って通り、家に帰れる。
熱い風呂があるし、うまい酒がある、朱那もあすなも待ってる。今の俺みたいに冷えて硬くなってきた肌じゃなくて、暖かい体を重ねて温もりを分け与えてくれる。
…帰れないわけじゃない。帰ろうと思えば、それができるんだ。
目の前で微かに揺れ始めた光景に身を縮こめると、抱きかかえている保護対象の体を感じた。
それと同時に、霞がかってた頭が冴える。
…帰る?
…こいつを、見捨てて…?
「……っがああああああああ!!!」
獅子吼を一発。
頭をよぎった“逃げ道”の考えを吹き飛ばすように、どこかへ消えてく叫び声を飛ばした。
「阿呆か、俺は…! いくら地獄の刑罰が当たろうと、こいつは人だろ! 見捨てるのか、俺が! 関係ないと言い放って逃げるのか!
ふざけるな、なめるな、馬鹿を言うな…っ! 放るってことは殺すのと同義だろ…! そんな事…、できるものか!」
情けない。情けなさすぎて自分を叩きのめしたいくらいだ。
俺が考えたことは逃げだ。自分が受けたことを全うしきれず、苦境だからといって全てを投げようとすることだ。
責を投げ出すこと。仮にそれが出来るようならこんな性格で育ちゃしないし、人を殺すことを禁忌とするはずも無い。
まだ人間でいるんだろう、人間でい続けるんだろう。俺の心は人間のものだろう。
そう心に言い聞かせて、責を確かめるようにもう一度保護対象をしっかり抱きしめる。
「…けど、さすがにこれ以上はなぁ…?」
立てなくなった脚をさすりながら周囲を見回し、状況の再認識。
状況は本当に絶望的だ。
周囲は一面の雪原。足跡は雪が消した。方向感覚は狂ってないが、現在位置もわからない。誰もいないし、来るはずも無い。
雪山救助犬が首にウォッカの入った樽をつけて走ってくるわけでもなければ、エスキモーがそりに乗ってくる訳でもない。
あるのはただ雪のみ。
…ふとそこに、小さな裂け目があった。
「…あれは、次元の裂け目?」
尻餅をついた場所から、ほんの少しだけ遠くにあるそれを確かめるために近づいていく。
保護対象に雪が積もらないよう、傘を立てて簡易的な屋根にしておいて、四つん這いになって。
触れて確かめてみると、小さいけれど、確かに次元の裂け目だ。
ここを通ることが出来れば、こことは別の場所に飛べるかもしれない。行き先に関してはほぼ不明と言っても良いが、通過することによる安全性に関しては、俺が使うことのできる、中途半端な空間渡航の比ではない。
俺の使うものだと、人外以外が通過すると肉体に過大な負荷がかかる。骨が折れる程度ならまだ軽く、定義しがたい次元のうねりによって、どこかが捻り、千切れ、砕け、消えることさえあるかもしれない。
それゆえに今まで使えなかった。保護対象が人間であるならば、俺の使う空間渡航では…この地獄の刑罰以上に、どうなってしまうか解らないからだ。
息を吸い、肺に冷たい空気を叩き込んで体と頭を冷やす。右手に魔力を集わせ、次元の裂け目にもう一度触れる。
どこに繋がるか、どこへ飛ばされるか。可能な限りそれを手繰らないと、これを使う気にはなれない。同時に、早く見極めなければ…、この次元の裂け目という天災が静まってしまう可能性がある。
空間探査と同時に、僅かだけれど髪に魔力を込める。地面に向かって垂れているだけの髪の毛は、重力に逆らい独りでに持ち上がり、保護対象に向けて伸びていった。
俺が使える身体操術のひとつ。たとえ神経の通っていない身体の末端部分でさえ、魔力を通すことで自在に形状を変え、大きさを変えることができる。さらには意識することにより、四肢のようにも扱うことさえ可能だ。
保護対象と傘を掴み持ち上げて、自分の傍に置く。次元の裂け目はまだ消えないが、“知ってる”空間への道はまだ繋がっていない。
まだか、まだかと途切れそうな意識を繋ぎとめ、探査を続ける。
先の見えない空間に、腕だけを伸ばして潜り込ませ、探り当てようと続けるのは精神的な苦痛が大きい。
当然だ、何もわからない場所に手を突っ込みたがる存在がどれだけ居るんだろうか。
「どこだ…、どこでも良い、俺の知ってる場所は…!」
祈りながら探査を続ける。
どれだけ時間が経っているのかは解らないが、降り積もってくる雪だけが時間の経過を明らかにする。
探査を始めたときは雪の上に座っていたはずなのに、今では既に腰まで埋まりきってしまっている。
保護対象も、傘での降雪遮断が無意味なほどに半身が埋まりかけており、時折髪の毛で雪を払っている。
状況的にも魔力的にも、そして体力的にも限界が近い。
これ以上ここに居続けてしまえば、最悪俺が死ぬ。ミイラ取りがミイラになる悪例だ。
それだけは避けたいと思い、気力を振り絞って探査を続け…、
「…………見つけた! 炎熱地獄の道!」
常に揺れ動いている次元の裂け目の中、俺が知っている地獄の道を見つけた。
保護対象を自分の手で掴み、“知っている場所への道”という蜘蛛の糸を掴み、飛び込む。
上下も左右も、前後も方位も、もしかしたら過去も未来も無いかもしれない場所に、見つけた場所へと向けて。
* * *
「ぜはー…、はふー…」
狗轟と無益な争いを続けていくと、既に2時間が経過していた。これはやり過ぎたような気がする…。
「気が済みましたか、朱那さん?」
「その気を乱す存在がよくもまぁしたり顔で言えたものだな…?」
「そりゃあもう自覚してやってますから」
「斬るぞ」
「直接戦闘では勝てないので舌戦を希望します」
「私が勝てんではないか…」
「それもそうでしたね」
合槌の言葉にさえ人を小ばかにした気配が漂うが、放っておく。
仕方あるまい…、ここは折れておくか。そうでもせんと私のパートが延々と無駄話で終わってしまう。
「…すまん、あすな。私が悪かった」
「…ま、今回は良いでしょう。次からもちゃんと呼んでくれなきゃ、もっと弄りますからね?」
「ふぅ…」
思わず安堵のため息が出てしまう。
狗轟、もといあすなの扱いは毎度毎度困り者だ。
適当なあしらいをすれば構ってほしくて調子に乗るし、無視すれば酷くなる。かと言って自分から歩み寄ろうとすれば後ろを見せずに全速後退する。
会話が出来ないわけではないが、終始ペースを握りたがるので、私も蒼火も頭を悩ませているのだ。
「…で、あすな。問題の資料だが、見せてくれるか?」
「それは勿論、呼んでくれた訳ですからね。…はい、どうぞ」
あすなから資料の紙束を受け取ると、まず最初に対面するのは顔写真と名前。偉丈夫、という形容が似合う顔だ。
しっかり頭に刻み込む意味を込めて、その文面を読み上げる。
「ふむ、…安斎行隆(あんざい・ゆきたか)、43歳、男。職業、トラック運転手…」
これだけを見ると、どこに問題があるのか解らないほどだ。実際こいつの捜索を頼んだ依頼人にも、同じ内容を教えられた。
「問題はもう少し先ですよ。視点を下に移してください」
あすなに言われて視点を下げる。
特記として書かれているのが、「変身皮ブローカー」の一文。
「これは…、どう言うことだ?」
「それは、どれに対しての疑問ですか?」
「皮のことだ。これはまさか…」
「そのまさかだと思いますが、それを鬼であるあなたが聞くんですか?」
「わかっている、だからこそ聞きたいのだ。……人はここまでやってしまったのか?」
人間に化ける方法はいくつかある。よく手法としてとられているのは、以下の三つだ。
一つが「自らの身を練り上げる」方法。
一つが「人間のように見せかける」方法。
一つが「人の皮をかぶる」方法。
人間に近い容姿をしている魔物ならこれに必ずしも頼るわけではないが、姿が人間からかけ離れているものは、人に近づくために、これらの内“どれか”を選択して人の輪に紛れ込むのだ。
「安斎行隆本人の経歴も入念に調べましたが、魔術を行使できる血筋ではなく、本人にそれとわかる類の異能もありません。
恐らく売買する皮を作る為に、何かしらの手段が使われていた事は確かでしょうね。その方法まではわかりませんが…、想像はつきます。朱那さん、次のページを」
あすなに促されるまま資料を捲る。
読み進めると、安斎行隆の近辺で多々、短期の行方不明事件が起こっていたらしい。名前と年齢、性別程度だが、行方不明者のリストも存在していた。
「…………」
目を通せば絶句してしまう。その数は10や20では収まらないからだ。
「詳しくはその先にも書いてありますが、軽く口頭で説明しましょう。
行方不明者達は短くて1日、長くて3ヶ月程度には戻ってきますが、その時の足取りは全員に共通して完全な不明。
さらに共通事項として、行方不明の前後で性格が変わっているようで…。警察はそれを“行方不明による精神失調”と捉えました。
…が、事の判明は半年くらい前。ある行方不明者の親族は先の噂を聞いて疑心暗鬼になってました。まさか自分の家族が、と思い出すと止まらないものですからね。
それに耐えかねたのか、それとも中の人が幾分理性的だったのか、行方不明者の成れの果ては、叩き殺されるだろうことを承知で己の正体と、皮の売買者を白状しました。
そこからですよ、安斎行隆が呪殺ブラックリストに名を連ねたのは」
「…そこからか、コイツの裏稼業が明るみに出たのは」
「とはいっても、それさえ裏の話ですけどね。人間を、生きてはいるもののペラペラの皮にして、“成り代わりたい”“別の人生を歩みたい”という欲望を持つ人物に売る。
そんな話は到底科学信望者どもに受け入れられるはずもなく、荒唐無稽なありえない話として断ぜられました。それが実際に起こっているにも関わらず」
意地の悪い笑みを浮かべて、あすなは説明していく。性格の悪さを改めて認識してしまう。
気持ち悪い説明を聞いていて、私の頭の中に一つの疑問が生まれた。
「…待て、それでは疑問が残る。何故今の今までコイツが生き残っているのだ? まさかただの人一人、呪殺屋どもが殺せない訳でもなかろう?」
きょとん、という表現が正しいような表情で、あすなは頷いた。
本当に何事も無い、当たり前のことを言うように、さらりと言ってのけた。
「そういうことですか。簡単ですよ? 呪殺屋達も、その皮を買ってたからです」
「何…、だと…?」
愕然とする。既に、人が人を買って、奪っていることに。
「だってそうじゃないですか、それを被れば別人になれる。そうなれば、いざ相手を殺すに至る時、“自分”が露見する事は無いじゃないですか。
殺したのは“皮”の人物であり、掴まるのも“皮”の人物。……しかしてそれはお仕事終了後に見かけなくなるので追及も無い。使わない手が無いですよ」
それこそ日常会話であるかのように、いや確かに日常会話なのだろう。
あすなの出身はどこだ? 呪殺の家だ。犬に怨みの念を持たせて殺し、その血を縛られる代償に力を得た、犬神使いの家だ。
人を殺す事も、それで糧を得ることも、あすなには茶飯事でしかないのだ。
…嫌悪感が湧いてくる。
喰う為に殺す。
生きる為だ、他を殺し喰らうことなぞ当たり前だ。自分で血を被り、その命を奪っていた。
だがしかし、どうしてそれだけの事に。私もしていたことに、こうも嫌悪感を感じてしまうのだろう。
「…ん? やだなぁ朱那さん、そんな目で睨まないで下さいよ」
冷蔵庫から牛乳パックを取り出し、直接口をつけて飲んでいたあすなが笑った。
「今の朱那さんには聞いてもらえないでしょうが、ボクは安斎の用意する「皮」を使ったことはありませんよ?」
牛乳を戻し、全く調子を変えずに言う。
「そもそもボクは直接視認して殺すような、遠隔精度の無い呪いを使いません。全部犬神任せですから…、運悪く見られても“野良犬が一匹いた”程度の問題です。
それが実体を持つ犬神の利点であり、同時に弱点でもありましたけどね。ま、今のボクにはまるで関係ないことですが」
全て他人事のように喋るあすなに、今更ながらに腹が立ってきた。
…やはりこいつを生かしていたのは間違いではないかと思い始めてくる。
果たしてコイツに“自分の命”以外に大切なものはあるのか? それ以外は全て等しく“どうでもいい”のではないのか?
それが本当に「人間」なのか? 蒼の始祖が恋焦がれ、共に生きると誓った存在なのか?
怒りを抑えながらも手だけは抑えられず、資料を握る手が強くなっていた。
「さて、蒼火さんに連絡しますか。…地獄でもメールって届くんですかねぇ?」
携帯を取り出して操作するあすなを見て、今なら、と昏い感情がわきあがる。
今なら、人間を簡単に縊り殺せるほどの膂力は備えている。
拳に力を入れ……
思いとどまってしまう。
……ダメだ、殺せない。
そうしてしまえば、蒼火は私を嫌うだろう。また先祖のときのように、別離の悲劇を繰り広げるだろう。
それが恐くて、私はそれ以上の行動が出来なかった。
* * *
……ほんの少しの間。体感的には本当にほんの少しだ。次元の穴をたゆたっていた。
少しばかり次元を渡り、俺が知っていた炎熱地獄の気配を手繰り、そこに至る“蜘蛛の糸”掴んでその流れに乗った。
移動先で開いた穴から放り出され、現在位置を確認することで推測は確信となったのだ。
そして現在、俺はある地獄でちょっとゆっくりさせてもらっている。
周囲は熱気に溢れ、八寒地獄より個人的にはとても過ごしやすい。
何より、今浸かってる場所が心地良いのだ。
「おぅ忌乃の、湯加減はどうだ?」
「ん、すごい良い感じ。モっさんありがとー」
衝立の向こうから、この一区画を管理している全身真っ赤な獄卒の鬼が声をかけてくる。俺は雪姫の姿続行中なので気を使って声だけのモっさん。紳士。
さて、今俺がどこにいるかと言いますと。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「あぢっ、あぢいぃぃぃ!?」
「助け、助けてっ、あぎゃぁぁぁぁ!!」
えー、泡立つほど煮立ちまくった血の池地獄でございます。遠くからは茹でられている罪人の叫声が鳴り止まず。
現在俺が浸かってる所は、湯温38度前後のちょうど良い湯加減な訳ですが。水質は血。
冷え切った体を煮立つ血の池で温め、体の芯まで寒を抜き切る。
「んっ、くぁ…! 別府の地獄も良いけど、本場の方が効くなぁ」
伸びをしてから湯を肌に馴染ませる。この全てが本物の血である為に鉄の臭いが鼻に衝くが、これはもう精一杯気にしないことにした。
かのエリザベート・バートリーがやったという血の風呂の効果はさておいて、血液自体が持つエネルギーを体内に取り込み、また己の力として得ていく。
正直な話、雪中行軍と魔力探査で色んなものが限界だった。普段は抑えている鬼としての衝動も大きく膨れ上がり、安斎を喰ってしまいかねない程に。
それだけは避けたかった。その結果として、俺は完全に人間ではなくなってしまいそうで。
かといってこの状況、血の池に浸かり続けて平気なのかと問われれば意外とそうでもない。肌はすごく綺麗になってしまうのだが、如何せん「血」という水質のおかげで心の一部が重い重い。
モっさんも時折話しかけてくれるが、やっぱり向こうが男でこっちが女のせいか、必要なこと意外では話しかけてくることも少ない。モっさん紳士&シャイ。
気を紛らわす手段が欲しいな、と思った矢先。
「忌乃のー、携帯鳴っとるぞー」
モっさんがタオルと一緒に携帯を差し出してきた。水に濡れないよう、ご丁寧に真空パックの袋に入れてだ。
「ありがとーモっさんー。………ん、携帯が鳴る? アラーム仕掛けてたっけ?」
開いてディスプレイを見てみれば、「新着メール1件」の文字が浮かび上がっていて、送信者を見れば、あすなだということが解った。
「…すげー、地獄にもメールが届くんだ」
風呂から上がり、感嘆の溜息と共にメールを開く。案外文章自体は短く、タオルで血を拭う行動と同時に行えるくらい簡単に読める。
『蒼火さん、生きてますか? 生きてたら一言でも良いので返信してください。
それは兎も角、相手の情報が見つかったのでそちらに送信します。情報が大量なのでweb上にあげてはありますが、見れない場合は端折って記載しつつまた送ります。
下記のURLを参照してください。
http://www..com』
自分の名前を書かない所が“変わってしまった”存在らしいと思いながら、あすなの送信したメールに目を通す。
これ以上は湯冷めしてしまいそうなので、洗濯してもらったショーツを穿きブラをつけ、大事な部分を隠してからようやく疑問が出てきた。
地獄の電波状況ってどうなってんだ? 今更だがよく見れば電波状況を示すアイコンがちゃんと3つ立ってるよ。
気になったので、扉の向こうに居るモっさんに訊いてみた。
「ねぇモっさん、携帯持ってる?」
「持っとるぞ? 地獄烏の伝書では些か速度に欠けるからの。念話でなくても通じるし、昨今では“めぇる”とやらでも連絡がつく。まこと楽な機器が出来たものだな」
「初耳だよモっさん。……あぁでも、そういえば今まで刑場にはあんまり入ってなかったっけ」
「ならば忌乃のが知らんでも仕方あるまいて。
それはともかく忌乃の。ちゃんと服を着ろ。ヌシは襲われたいのか?」
あ、気付いて声もかけてくれた。モっさんマジ紳士。
さて、着物はまだ洗い終わってないので、更衣室の中で適当に積みあがっていた簡素な服を着用して、見られても恥ずかしくない姿になってから、メールに付与されていたURLに接続し、その行為を見た。
他人を勝手に“皮”にし、そして売買する。中でも気に入った者は自分の仮の姿にしてその体を楽しみ、また獲物を探す。
その行為を書いた文章を読み進めていくたびに、炎熱地獄に反比例するような冷たいものが俺の心に宿るような気がして。ほんの少しだけ手に力が入り、携帯がみし、と悲鳴を上げた。
一度深呼吸。空気を胸に吸い込み、吐き出す。
「すぅ……、はぁー……っ」
確かにこの行為には嫌悪感を覚える。自分の快楽の為に他者を皮にして売買していることは、とてもじゃないが容認することはできない。
だが、物事には優先順位というものがある。現状で優先するべきは、安斎行隆(の成れの果て)をちゃんと地上へと連れ帰ることだ。
着替えも終えてとりあえず人前に出れる体裁を整え。
更衣室から出ると、モっさんが携帯で誰かと話してた。2m越えな巨漢の鬼が携帯で話してるって不思議な光景だよなぁ。
「出てきたか忌乃の。今しがた向こう側から連絡があっての、そろそろ目覚めそうとの事だ。
怯えさせんよう獄卒の連中は捌けさせておくから、はよう行ってやれ」
「ありがとモっさん、今度来るときは連絡するから、一緒に酒飲もうな」
「おぅ。綺麗どころを揃えておいてやるから、その時はきちんと元の姿で来いよ?」
了解の意と礼を告げてこの場所を離れて、保護対象こと安斎行隆の体を置いている湯へと向かう。
先ほど俺が浸かってた湯とは違い、真水が並々と張られ湯気を立てている。その中に湯浴み用の浴衣を着た、元・安斎行隆が全身を浸けている。ちなみに全身といってもと頭まで浸ってないので悪しからず。
湯船の縁に立ち、安斎行隆の手を取ってみる。湯に浸かっているはずなのに、その手はまだ冷たく、しかして八寒地獄にいた時とは違う熱さを感じる。
「…ん、だいぶ暖かさが戻ってきたみたいだ。これならモっさんの言ったとおり、そろそろ起きるかな?」
しかし、いくら現世と比べて地獄では時間の流れが速くても、出来るだけ早く覚醒はさせたいというのが俺の本音である。
そこで頭に浮かんだのは一つの方法。俺の力の発現である火を、物理的なものから精神的なものに変えて打ち込むもの。
放出分、人間相手に打ち込む為過剰になり過ぎないよう制御する分、そして変換に能力を使用する分と、乗算を行うために熱量損耗は激しいが、こと自分の力の源である火気は周辺に充ち満ちており、気にする必要は無いだろう。これを八寒地獄で行っていたとしたら、自分の死を覚悟していたかもしれない。
安斎行隆の体を湯から引き上げて、腹部の水気をふき取る。後に自らの左手人差し指を噛み切り、にじみ出た血で右掌に印を描く。俺の力である火気を、物理的なものから精神的なものへと変換する印。
これを使って直接安斎行隆の中に注ぎ込み、目を覚まさせるのだ。
右手に蒼い火がともる。焼き過ぎてしまわないように、細心の注意を払って細く、鋭く、しかし熱く。
安斎行隆の丹田に手を添えるが、火が肌を焼くことは無い。
「確かめたいこともあるからな。早いとこ、目を覚ましてくれよ…?」
ゆっくりと息を吐き出しながら、それと同等の勢いで火気を注入する。
そちらだけに集中し、どれだけ時間が経っただろう。
「ん…」
安斎行隆の口から息と、ほんの少しの声が漏れた。体内に熱が戻り、意識と肉体が覚醒し始めてきている。
現在の行為が無意味になってないことに僅かな安堵を込めて、さらに力を緻密に制御し、注いでいく。ほんの少しでも寝覚めを良くするよう、勢いを僅かずつにあげて。
体温が次第に、低温から人間の平熱へと押し上げられていく。体の芯まで、隅々に行き渡ったのを理解した瞬間に手を離した。
「…ふぅっ!」
口から漏れたのは、肺に溜まりきって放出を待ち望んでいた元・酸素。これで肉体は生命体としての温度と活動を取り戻したから、後は覚醒を待つだけだ。
額に浮かんでいた珠のような汗を拭い、安斎行隆の様子をじっと見る。
「ん…、く、ぅ…」
僅かに瞼が痙攣し、後に開く。焦点の合ってない目が左右に動き、焦点をあわせようと格闘し、そしてほんの僅かな時間が経過した。
安斎行隆の目には覗き込んでいる俺の顔が映ってる。多分これで俺のことも理解できるだろう。
「…よ。目ぇ醒めたか?」
「えぇと、お前は…、誰? ここは…どこなの?」
「…良かった、起きてくれたみたいだな」
反応は良好。ちゃんと声に応えてくれるし、言葉も出せるようだ。これなら時間を待たずに質疑応答ができるかな?
「起きたって一体…。あっ、そうよ、俺は確か仕事の約束があって移動していたはず。皮の商談が…! …ん、あ? 何だこれ…」
「あー、慌ててるところで悪いんだが、お話がしたいんだ。ちょっと落ち着いてくれるか?」
肩に手を置きながら、元安斎行隆・現少女を宥めるように優しく声をかけてみる。
「落ち着けって言われても、いきなりこんな事になるなんて…。うあぁ気持ち悪いっ! 何で俺が男の口調をしてるのよっ」
自分の状況を理解しようとしているのだろう、体を起こし、内股で座りながら頭を掻き毟り唸っている。
…ん? あんかおかしいぞ。安斎行隆の口調が一定しないというか…、男と女が交互に出てるような?
「ねぇお前っ、どういう事なんだこれ! わたしの口調が俺みたいになって、気がつけば男みたいになって変に…、違う、女みたいになるのが変なんだ! 知ってるの? 知ってたら何でもいい、答えてくれよ! 言ってよぉ!」
「ちょ、ちょっと待った、そういうことをいきなり言われたところで…、っとわっ!?」
「うわぁっ!?」
ザバァンッ!
安斎行隆にいきなり詰め寄られ、体制を崩してしまう。湯船の縁にいたため、滑って転んで湯の中に落ちてしまった。慌てて詰め寄ってきた安斎を抱きしめて、どこかにぶつかるのを防ぐ。
お湯に支えられ、底に叩きつけられることは無かったが湯に浸ってしまい、着替えたばかりの服や安斎行隆ごと、濡れ鼠になってしまった。
溺れてしまわないよう、顔を水面より上にあげて様子を伺う。
「っぶわ! とと…、えぇと、大丈夫か…?」
「あぁぁ、びしょ濡れだ。最悪…、……眼福か?」
「眼福…、…うわっ!」
湯船に落ちた行為に付属する当然の結果として、衣服は濡れ、ぺったりと体に張り付いてボディラインを浮き彫りにしていた。
「………」
安斎行隆が、じっとりと熱を含み潤んだ視線でこっちを見てくる。
その目には色を持ったのと、単純な驚きとが半々のように見え、そこからテンポが遅れて俺の中に恥ずかしさが出てきた。
「…あー、その、なんだ。……あんまり見ないでくれるか?」
「うわっ、スマン…。……」
顔を少し赤くしながら胸を隠すと、安斎行隆も顔を逸らすが、ほんの少しだけこっちを見てきてる。
どうしたものかと思いつつ湯船から上がって物陰に入り、携帯の無事を確かめる。防水であるため現状ではダメージ無し。連絡手段は事欠かなさそうだ。この位置から、まだ湯に浸かったままの安斎行隆に声をかける。
「えぇと、お前…、いや君か? 君の名前は安斎行隆だよな?」
「そうよ? …いや、そうだ。お前は誰で、ここはどこなの? 何で俺はここにいるんだ?」
「俺は…、忌乃雪姫。信じられないかもしれないけれど、ここは地獄だよ」
返答に窮したので、今の姿の名前を名乗る。これはこれで間違いが無いんだ、うん。
場所の名前を認識した元・安斎行隆は、訝しげな顔をしている。とても信じてくれるような感じじゃないが…。
「君にはどこか別の場所に迷い込んだ記憶が無いか? 変な穴とか…、それっぽいのに飲まれて、一面真っ白な世界を見た記憶は?」
「それは…、確かにそんな記憶があるような…。けどわたしにどうしてそんな記憶が? ここはそこと違う場所みたいだし…、俺は確か仕事の約束があって移動していたはずだ…。
それがどうしてこんな…、こんな乱暴な言葉遣いに…、おかしい、気がつくと女言葉になっちまう!」
そか、やっぱりそういうことなのか。八寒地獄の影響は確かに、安斎行隆の肉体のみならず精神までも届いていたが、微妙に届かなかった。
その結果がこの、男と女の精神が交互に顔を出すような状況になっているんだろう。口調の強さが違っても、声が同じだから変な気がどうしてもするんだ。
「…困ったな、あんて説明すればいいんだか」
「何かわかったの!? 教えろ! 早く教えて! 何がなんだかわからねぇ、このままじゃおかしくなっちゃう!」
耳ざとく独り言を聞きつけた安斎行隆は、湯船から上がって詰め寄ってくる。
俺もおかしくなりそうだよ、そうやって交互に口調を変えながら喋られると。
「しょーがねぇなぁ…。…これは本当のことだ。ちょっと長くなるが…、真実として聞いてくれ」
溜息を吐いて、俺は説明を始めた。
あの時起こった現象が何か、どこへ飛ばされたか。そして現状いる場所がどういう所か。
何故ここにいるのか、そしてその姿は何なのか。
現在の口調の謎と俺の推測。
その全てを一通り話し終えた。
「…それは、本当なのか? その言葉を信じろって言うの?」
「信じろもあにも、嘘なんて一片もこの中に含まれていないな」
「…………」
安斎行隆は黙り込んでしまった。
それもそうだろう、今までの常識を遥かに覆した事象の数々。そして確かに自分の身に降りかかってる異常。それを認識してしまえば、誰も何も言えなくなってしまうだろう。
かつては俺もそうだった。あまりにも自分の想像を超える出来事が起こると、脳ががんばり過ぎて理解しようとするだけで精一杯になってしまう。
気絶しないだけ、まだ向こう側に余裕があるのだろう。
「…俺は君のパートナーだかクライアントだかに頼まれて、ここまで探しに来た。しかし俺が発見した直後に、気絶してた君が今の姿になったんだ」
「……もっと早く来てくれればよかったのに。そうすりゃ俺がこうなることは無かったんだろ!?」
「これでも急いできた方だ。現実では1時間ちょっとでも、地獄では2週間は経過してる。むしろそうなった理由を俺が聞きたいくらいだ」
「ぅ…」
安斎行隆はまた黙り込む。
地獄というのはどんな場所か。罪人に罰を与え、その罪を洗い流す場所だ。
どんな人間がここに送られるか。内容に差はあるが、理由は1つしかない。
罪人だからだ。
「…君も目が覚めたし、俺は地上に戻るために動く。……着いてくるか?」
我ながら意地悪い質問だと思う。八寒地獄ではないにしろ、人跡未踏の地で1人取り残されることを是とする人間はいないだろう。
その行為の果ては、間違いようのない程の孤独と、その先に迎えられる「死」だけだ。
「…待って。俺も一緒に連れてけ。こんな場所で女の子を一人にする気? …違う、俺は男だ!」
とは言っても、出てくる言葉と自意識は女のものでしかないことに、俺は溜息を隠しきれなかった。
* * *
「あ、蒼火さんからメールが来ましたよ?」
「む、どのような中身だ、見せろっ」
あすなが携帯を弄っているのを見るや、私も身を乗り出して見る。
安斎行隆が目覚めたこと、「男」の概念を凍結されて女になったこと、しかし精神だけは交じり合って変になってること、現在は炎熱地獄にいるため、これから地上へ帰ること。
地獄の中でたっぷり時間をかけて書かれたメールが、あすなの携帯に届いていた。
「首尾は上々みたいですが、困りましたね。安斎が女に、ですか…」
「困り者だな。その状態の安斎行隆を見せたところで、依頼人が納得するはず無かろう」
「いや、それはないと思いますよ? 安斎の皮を知ってるような存在なら、多少ありえないことでも受け入れるでしょう。ボクの懸念は報酬が値切られることです」
「…お前はそちらのほうが大事か」
「大事ですよ。生きるためですもの」
あすなは変なところでたくましい。その姿に私は溜息を漏らすしかなかった。
「しかし、安斎が女に、ですか…」
「む? 何を言ってるあすな、それはさっきも言っただろう?」
「しかし、安斎が女に、ですか…」
「だからさっきも…」
「朱那さんは気になりませんか? 蒼火さんが、女と一緒なんですよ?」
「う…っ」
言われてハッキリと気付いた。そうだ、そういうことだ。
アイツが女というだけで無差別に手を出すわけではないとわかってはいるが、そう認識した途端に気持ちが焦りだす。
もしや安斎行隆が女としての蒼火に劣情を抱かないか。蒼火がそれを受け入れないか。
もしや蒼火が劣情を抱いて安斎行隆を犯しやしないか。
「くっ、う、うぅぅ…っ」
「おやおや、朱那さんが面白い顔をしてますね。写真にでも撮りましょうか」
「やめろっ! あすなは気にならんのか? 蒼火が…別の女と…、してしまうのかもしれんのだぞ?」
「いえ別に」
あすなは携帯を弄りつつさらりと、“いつも通り”の平然とした様子で帰してきた。
「ボクは最終的に蒼火さんを手に入れればいいんです。その過程で誰と肌を重ねようがどれだけ子供を作ろうが関係ありません」
「貴様、さらりと恐ろしいことを言ってないか?」
「そうですか? ボクとしては普通なんですが」
「貴様の感覚での“普通”ほど空恐ろしいものは無いな…」
「どういたしまして」
「褒めてない」
しかし気になる。蒼火がどうしているのか。なにもしてやいないか。安斎行隆がどんな姿になってしまったのか。今2人が何をしているのか。
場所が蒼火の苦手とする八寒地獄ではないけれど、それがさらに問題だ。余裕が生まれてしまえば、それだけ別のことに気が回ってしまう。
想像が止め処なく続き、あっという間に頭を満たす。それだけが頭の中に溢れ、それだけしか気にならなくなってしまう。
朱那の妄想
※蒼火は男の姿。
「……どうしたんだ?」
「いや、その…。周囲からずっと悲鳴が…」
「そりゃな…。地獄だから叫びは聞こえ続けるよ」
「俺も下手をしたら、あぁなっちゃうのかもしれないのが恐くて…」
「…だからさっきから抱き付いてきてるわけ?」
「え? あっ、そんな! 男同士なんて気色悪ぃ!」
「でも今は、男と女だろ?」
「そんな訳…、そうですよ…。恐くて一人じゃさびしくて…、そんな訳ねぇだろっ」
「はいはい虚勢張らない。恐かったら慰めてやるよ、心も、体も…」
「あ、ん…っ」
「ほら、力を抜いて…。ちゃんと優しくしてあげるから…」
現実世界
「うがぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
頭の中で展開したこの生ぬるい妄想に耐えかねて頭をテーブルへ叩きつける。
ごぎゃんっ!!
「く、ふぉ、おぉぉぉっおぉぉ…」
先程身をもって知った硬度の机に、脳天直撃額よ割れろと言わんばかりに叩きつけ、頭上に星が舞った。
「何を、バカな…っ、…蒼火の阿呆が、そんなことを…」
そうだ、私が信じないでどうするのだ。
蒼火は無事だ、きっと何もシないでずっと我慢しているはずだ。帰ってきたときには私がヌいてやらんと!
いっぱい抱いてもらって搾りきってやるのだ!
「解りませんよー、蒼火さんも男の人ですからねー?」
「えぇい! 不安を加速させるなあすなー!」
* * *
現世で一悶着あるうちに、地獄では2日程度が経っていた。
いくら安斎行隆が地獄の罰を受けるだけの罪人だとしても、生きている限りはまだ地獄でお世話になるわけにはいかない。生者は地上に、死者は彼岸にゆくべきが世の定めであるわけで。
地上へ返すための手段も多々あるのだが、方法は少なくなってしまう。
「どうしてなのよ、間違いならさっさと戻せばいいじゃねぇか」
と聞かれるわけだが、これが生憎とそうは行かない。
地獄から出て行く者には数パターンあるが、まず第1は『刑期を終えた人物』。満期だろうが恩賞を受けようが、全ての罪業を濯ぎ終えた者たちだ。
これの場合はまず簡単。輪廻を司っているのは地獄ではなく、地上のさらに上である天界の管轄であり、その作業はそちらで行われる。
刑期を終えた人物は地獄から天界に引き渡され、その後しばしの休養を経た後、地上にて再び生を得ることになる。
第2は『別の世界に落とされる人物』。こと罪業が深すぎる人間は、六界の内地獄・天界・地上のハザマにある別の世界に送られる。
血に餓え人畜問わず殺しに殺しを重ねた末に送られる、戦いのみが続く修羅界。
餓えに満たされずありとあらゆる食物を食い漁った果ての、永遠の餓えに苛まれる餓鬼界。
自らを持たず他者に言われるまま怠惰に生き続けた生の結実、智慧の必要ない畜生界。
該当する世界に落とされ、輪廻の輪に加わることが常人より遅くなってしまうのだ。
そして第3が『生きたまま地獄から帰る人物』。生きたまま地獄の土を踏み、そして地上へと向かう。俺や安斎行隆はこれにあたる。
方法は単純で、地獄側の認可こそ要れど地獄と地上とを繋ぐ道を行くだけで良いのだ。これは上記2パターンより事例こそ少ないが、確かに前例が存在している。
閻魔大王の書記官を勤めていた小野篁(おのの・たかむら)氏は、古井戸から夜な夜な地獄へ赴いた記録が残っている他、ウェルギリウスに許可を貰った『神曲』のダンテ・アリギエーリもこれだからだ。
そして俺の棲家、忌乃家にも地獄へ繋がる道があり、認可を貰った後でそこに繋がる場所へ行き、地上への道を進めば無事に帰還が出来る。
俺自身は既に通行許可を貰っているので構わないのだが、問題は安斎行隆だ。
神隠しという偶発的事故によって地獄へ来たのもあり、八寒地獄で刑罰を受けたことが周知されているのもある。
現状の地獄会議室の一部では、安斎行隆に通行手形を発行するかで喧々諤々と議論が交わされてるんだろう。どうせ30分くらいで酒が酌み交わされるんだろうがな。
地獄の自由さ加減にちょっとだけため息を吐いて、後方上部にある御者席で手綱を引っ張る。
手形発行申請の他に、地上へ通じる道に行く為の移動手段をモっさんたち獄卒に用意してもらって、現在は馬車で地獄を駆けている。
「なぁおい、これってホントに馬車なの?」
台車側にいる安斎行隆が問うてくるが、それは俺も疑問に思ってる。
「馬車かなぁ…? いやでも、これを形容するのは馬車が適当だと思うんだけど…」
実はこれ、馬車の様相を呈しているのだが、本当は妖怪・火車なのだ。牽引役として馬の代わりに働いてるのは、骨と、肉の代わりに火を纏う猫が二匹。
『失礼ねぇ、馬車なのは地獄の景観に合わせたからよ。これでも配慮してるんですからねっ』
「えぇっ、今の声はどこから出てんだっ?」
「あーちょいちょい火車さんや、あんまり脅かさないでくれる?」
『いやーあはは、ゴメンゴメン。生きた人を乗せるなんて久しぶりだからさ』
突如虚空から響く声に驚いていたが、ちょっとだけ嗜めるとすぐに向こうは謝ってきた。
『初めまして、憐れな罪人さん。私は妖怪火車の灯(ともしび)。地上へ行くまでの少しの間、お見知りおきを』
「あぁ…、はい…。よろしくお願い、あいや、よろしく頼む…」
灯にぎこちなく挨拶をしているが、多分内心ではいっぱいいっぱいなんだろうなぁ、と御者席に座りながら思うのだが、正直なことを言うと俺が御者席に座る必要性なんて欠片も無かったりする。
馬車自体が灯なので、御者がいなくても勝手に進んでくれるのだが、乗車時に曰く。
『乗って、踏んで、蔑んでっ。でなきゃ無間地獄に向かって進んじゃうからっ』
とかのたまいやがったので、仕方なく座ってる訳だ。
『あれぇー、蒼火さんどうしたの? さっきからため息ばっかり出てる気がするけど』
「うるさいよっ、ため息の原因がさも無関係そうに言うなっ」
ごすっと音を立てるように靴のかかとを叩き付けると、
『ひゅいぃんっ! はぁ、はぁ…。あぁ、儚げな少女に足蹴にされる嬉しさったら、もう、もう…っ!』
さも悦んでますという声が上がってきた。
「おぉい忌乃…、こんなので本当に大丈夫なんですか? すげぇ心配になってきたんだけど…」
「それは言うな…、俺も心配なんだから」
『はふ、はふ…。今の良かったー…、でももーちょっと、もー少し、強めに、叩いてっ』
「うわっ、この…! マゾがっ!」
ぱしぃんっ!
『をほおぉぉぅっ! ほぅっ、はぉう…』
車体を揺らし始めてきたので、躾とばかりに革紐を猫ではなく馬車本体にたたきつけると、これまた悦ばれる。
興奮すると速く走り出すのだが、乗り捨てていきたい気分でいっぱいだ。
しかしこれ以外の移動手段を模索するとなると、徒歩か獄卒たちの力を借りての御輿になってしまい、前者は労力的な問題で×、後者は人件費的な問題で×になる。
これが一番効率的な方法だと思い込んで、また革紐を叩き付ける。
『おふぅっ、はひぃんっ!』
灯がまた悦んだが、気にしないことにしよう。
あすなには送ったメールで依頼者に通達するよう指示を出した。向こうではすぐに動くだろう。しかし返信までの時間が下手をすれば日単位(現世の15分が地獄での1週間前後)の為、その間なにもしない訳にはいかない。
地獄は底無しのように思えるほどの深遠であり広大無辺な世界だ。今現状、俺たちは地獄を登り地上へと近づている。
感覚の上で『昼』だという時間は、灯に乗って地獄を渡る。
そして『夜』になれば足を止め、人間としての感覚を忘れないために眠りに落ちる。
地獄の中では空腹は不思議と無く、何かを食べようと思ったときには多少の量を食べた事による満腹感を得て、それだけで終ってしまうのだ。
ガラガラと火車の車輪が回り、やってきたのは第2階層・黒縄地獄。
殺人や窃盗を働いたものの落ちる場所の一角で、ひと時の休憩を取っていた。
「ねぇ、忌乃」
「んぅ…、もぐ…、んぐっ。あんだ?」
地獄産ケバブを食べながらの休憩中、ふと声をかけられた。
「こうして生きたまま地獄にいるけどさ、どこまで行っても悲鳴ばっかり続くんだね…」
「そりゃぁ…、な。生前に重ねた罪の大きさ重さで、落とされる場所は違うけど…。どこに行こうがあんまり変わらねぇな」
遠くから近くから、絶えず死者の呻き嘆きが聞こえてくるからこその地獄なのだ。八寒地獄はことのほか静かになり過ぎる為、あそこが異端だとも言えるが。
辛いものが苦手な雪姫の舌でも、なんとか食べられるヨーグルトソースのかかった自分のケバブを頬張りながら安斎行隆を見れば、まだほんの一口程度しか口がつけられてない。顔に視線を移すと、下を向いて、今にも耳を塞がんとするばかりの勢いだ。
小さい口で租借し、飲み下し、牛乳を流し込んで気になったことを告げる。
「……恐ろしいか?」
「えっ? いや、えぇと、そんな訳ねぇだろ…っ! 恐くない、恐くねぇよ」
「こっちから見ると、とてもそうは思えねぇけどな。……妄語(うそ)を吐くとさらに深い地獄に落とされるぞ」
「えぇっ? ンなバカな!」
慌ててこっちを見てくるが、その「ンなバカな」ことが起こり得るんだよなぁ。
「嘘じゃない。地獄じゃれっきとした真実だよ。
……気になることがあるなら言った方が良いぞ? 後に回すと聞きにくくなるからな」
「…ん…」
少しだけ呻いて、二口目をかじり始めた。
包むものの無くなった包み紙を丸めて、近くの火柱に投げ込む。瞬間的に燃やされ、チリも残らず消え去った。
BGMなんてものは無く、遠くから聞こえてくるのは相も変わらず囚人達の悲鳴と、獄卒たちの笑い声。時折近くで安斎行隆の咀嚼音と、包み紙が擦れる音が成る。
向こうもひとしきり食べ終えて、包み紙を綺麗に畳んで火柱に投げ込む。やっぱり跡形もなく燃えて消えた。
「やっぱり…、俺も死んだら地獄に行っちまうのか?」
ふと切り出されたのは、ちょっとした疑問。やっぱり地獄に居続けると、そう思ってしまうのだろうか。
由旬という、途方も無い単位を用いてようやく測れる広大な世界は常に悲鳴と怨嗟、苦痛と恐怖に満ちていて、それらを吐き出す者達を獄卒たちは笑い、苛む。
仮の肉体が壊されても、その途端に再生されて何度もいたぶられ、何度でも痛みを負い、何度も殺される。
そんな光景が延々と続いていけば、現世では見ることが無いこの世界は、生きている人間にとって見ればまさに地獄だろう。
吐き出した理由は恐怖か、それとも懺悔か。俺には良くわからないが…。
解ってることはあるし、言えることもある。
「あぁ…、皮の売買なんて続けてたら、必ずな」
「…っ!」
「黒縄地獄は、殺人と盗みを重ねた者が落とされる。……人を皮にして人生を盗むような存在は確実にここへ、ないしは更に下へと落とされるな」
「…………」
沈黙されてしまった。それもそうか、今までその話題に触れてもいなかったのに、突然切り出されれば。それも人にはおいそれと言えるはずもない事なら尚更。
「……んー…」
「あなたは…、恐くねぇのかよ…?」
だんまりを決め込まれてても面白くないので、話題を切り替えようと思った矢先、突然切り出された。
「わたしが目覚めた時からずっとそう。平然としやがって、なんでもないように受け止めて…。
恐ぇよ俺は! あんな風になっちゃってずっとずっと何度も痛い目に合わされて…、そんで死ねねえんだぞ!?
それをあなたはずっと、まるで日常生活みてぇに流しやがって!」
突然堰を切ったかのように叩きつけられる、安斎行隆の言葉。
「目が覚めたらわたしになってて、女の体になっちまってて! わたしだと思ったら『俺』が出てきちゃうし、ずっと気持ち悪ぃまんまだ!
わたしの身に起こった事も知ってるようなそぶりを見せて、けどちっとも解決しようとしやがらねぇ!
それにわたしがやってた皮の売買までいつの間にか突き止めて…。ずっと思ってたぜ、何なのよあなたは!」
ずっと溜め込んでいたのだろう、安斎行隆の想いをぶつけられる。確かに今まで告げたのは名前だけで、それ以外のことは殆ど言ってなかった。
こと、自分自身の存在のことについては、一言も。
……これはきっと、言いたくなかったから出なかったのかもしれない。
『相手の為にも畳み掛けるのは悪い』という言い訳の元に、自分が鬼であるということは言わなかった。
それを…、言いたくないという無意識下のせいで、無意識に意図的に忘れていたのかもしれない。
「あぁ…、悪い。そういえばこっちの事はあんも言ってなかったな…。
話すと少々長くなるから、馬車の中で……良いか?」
「…嘘は、言わねぇよな?」
「嘘吐きは舌も抜かれるからな。はぐらかしても嘘は吐かないよう心掛けてる」
「…………」
了承の意を示してくれたのか、安斎行隆は馬車内に入り込んだ。俺も後に続くよう入り、対面側の椅子に腰掛ける。
小さな体をさらに縮め強張らせ、安斎行隆はこちらを見てくる。視線は強く、自分が有利である筈も無いのに嘘を言うなと釘を刺してくるようだ。
嘘を言う気は毛頭無いんだけど、ね。
そうして俺は語りだす。それと同時にがたんと音を立てて、馬車が独りでに走り出した。
自分が鬼であること、地獄を知っている・通行できること、仕事の内容に、人間以外の存在のことも交えて。
そして、今の姿が仮の物であることも。
全てを聞いていた安斎行隆は、信じられないような目を向けていた。
「…それは、本当なのか? その言葉を信じろって言うの?」
「信じろもあにも、嘘なんて一片もこの中に含まれていないな」
「…………」
安斎行隆は黙り込んでしまった。それも当然か。
自身の身に降り掛かったことより、さらに追撃が入っているようなものだ。
「信じられないなら、証拠、見せようか?」
「え…?」
言うが早いが帯を届き、着物をいつでも脱げるようにする。前は開かずショーツを脱いで、馬車の床に落とした。
「じゃ、見てろよ?」
息を吸って吐く。体内の魔力を調節し、魔力操作や術式に優れた状態を変えていく。
肌が、筋が、骨格が変わり、ビキビキと音を立てて体格さえも変わっていく。
髪が白から黒に染まり、目の色も黒に戻る。
男としての象徴が戻ってきた瞬間に、
「ふぅ…っ」
と息を吐いて、変身を完了させた。
「…………」
「…ん、どした?」
懐に隠していた眼鏡をかけて顔を見てみると、本当に驚いた顔をしている。
「いや、っと…、本当にそうだったんですね…」
「だから嘘は含まれてないって言ったろうに。…信じられないのはよく解るけどさ、あにも皮を被るだけが変身する方法じゃないんだぜ?」
着物の前を閉めて腰紐を結びなおしながら苦笑する。女性用の着物である為、男のまま着用し続けるのは些か問題が残りそうだ。どこかで着替え調達しておこう。
「とりあえずこれでよし、と。……信じてくれたか?」
こくこくと頷くだけの安斎行隆は、年相応の姿に見える。これだけを見ると元43の男には見えない訳で。
…あぁいや、さっきまでの姿と今の俺とのギャップを見せたら、やっぱり驚かれるよな、うん。
「それなら重畳か。…俺の出せる情報は、主なところではこんなモンだ。
これ以上はちょっと守秘義務に引っかかる訳だけど…、聞きたいことがあったら言ってくれ」
「それじゃあ…、お前の本当の名前は?」
「忌乃蒼火。蒼の鬼の血に連なる者にして末裔だよ」
「生きてるの?」
「死にかけたことはあるが、死にきってはいねぇな」
「だったら何で地獄に来てんだ?」
「往復ができる移動手段がある、ってことで納得してくれ。方法はまだ秘密」
「む…。なら後どれくらいで地上に戻れるんだ?」
「この調子で行けば…、…あと1ヶ月ちょっともすれば上層にはいけそうだけど、そこから先は閻魔庁の決定待ちだな」
「何でよ。お前が通れるんだから俺だって、」
「人間を皮にして売買していた安斎行隆が、鬼である俺と同じように行くと?
存在を殺し、他人の立場を盗み、それによって私服を肥やしていたお前が?」
「…っ」
安斎行隆が言葉に詰まると同時に、窓の外に視線をやる。焼けた鉄板に倒れ伏し、体につけられた墨縄の跡に沿って肉体を断ち切られている囚人が見える。
その度に悲鳴が上がり、すぐに肉体は再生してまた傷つけられ、再生する。
「…延々と続く、地獄だよなぁ」
誰に言うでもなく呟いて、何も言わずに御者席に戻る。最後まで安斎行隆からの返答は無かった。
* * *
あすなが打っていたメールは、事件の依頼者に対しての中間報告。
安斎行隆がどこに居て、今は何をしているのか、という簡単なものなのだが…。
「……困りましたね」
「何が困ったというんだ?」
「いえ、これを見てください、朱那さん」
携帯に映っていたのは、依頼者からの返信メール。内容を簡潔に述べると、報告を直接会って聞きたいのだという。
あすなの懸念は、所長である蒼火を介していない会見行って良いのか、というもので。
「さすがに蒼火さんを出さないと、向こうも納得しないというか…。現在進行形で地獄から帰ってきてる、なんて言っても信じられないでしょうしねぇ」
「一般人がそれを信じろといわれても、難しい話だぞ。さてな…」
ほんの少し考えを巡らせてみる。この場合、蒼火がどう判断するか。
蒼火が不在のときは可能な限り私達に任せる、という方針を執っているため、最終的な決定権は私達にあるわけだが。
やはりこの場は、ほんの少しでも所長としての蒼火の思考をトレースして、考えてみるのが良いだろう。
「…………そうだな。直接会っても良いと思うぞ」
「ほう、その心は?」
「さすがにメールで遣り合っても向こうは信じきらんだろうし…。何より、依頼者側は知ってる筈だ」
安斎行隆が売さばいていた、“皮”の出所を。
「なるほど、そう来ましたか…。ですが朱那さん?」
「…何だ?」
「依頼者側がそれを知らない、真っ当な友人の場合はどうするんです? ボク達が変な目で見られるのは避けられませんよ」
「それでも構うまい。そもそも変な事件だったからこそこちらへお鉢が回ってきたんだぞ? 更には真っ当な友人が胡散臭い心霊調査を恃むとでも?」
「それもそうですね」
そう言ってあすなは、少々大げさな“やれやれ”といったポーズを取って、軽く両肩を上げた。
決定後のあすなの行動はいつも早く、直後に会う約束を取り付け、30分後にはある喫茶店で顔を突き合わせていた。
普段は蒼火が相談等々全てを行っていたが、あすなが来て以来相談事はそちらに任せて…、あぁいや、そうではないな。下手をするとあすながどこまでも付け上がるので、依頼者との相談時は蒼火も常に一緒だ。
意味合いとしては、相談中に“何か”が起こることを懸念しての抑止力。ないし“何か”が起こってしまった際に即時対応できるように、とのこと。
しかして今現在蒼火は居ないので、自然と私にそのお鉢が回ってきた。
あすなの隣に私が座り、その対面には依頼者である男が座っている。
「それで、安斎はどうなってるんです?」
そいつは安斎行隆よりやや年上だろう、少々横幅に富んでいる、お世辞にも“格好いい”とは言えない男だ。
空調が効いている店内でも、暑そうに額から出てくる汗をぬぐっており、肉体から漂う加齢臭と交じり合って、顔をしかめたくなってしまった。
「それがですねぇ…、少々言いにくいんですが、このようなことになってまして」
そんなことさえ気にならないような様子で、あすなが淡々と話を進めていく。
安斎行隆がどこに居るのか、どうなっているのか、今現在の状況など、メールでは報告できなかった量になる説明を、よどみなくペラペラと。
よくもまぁ口が回るものだと思いつつ、依頼者の久住が頼んだ飲み物に口をつけ、
(…っ)
ようとした所で気付いてしまった。
私達の目の前に出されているオレンジジュースに、何がしかの薬物が混じり込んでいることに。
そも冷や水が出されておらず、飲み物はそれしかないと言うおあつらえ向きの状況だ。喉が渇いたなら、先に来て頼んでいたというのなら、無碍にするようなことは…、
「…ちなみに、このジュースは飲んでも良いんでしょうか」
「えぇどうぞ、こちらのせめてもの気遣いですので、遠慮なk「遠慮します」
した。したよこのあすなは。久住も呆けた顔をしてるよ。
「…え、えぇと、ではそちらのお嬢さんはいかがです?」
「む、私か…、えぇと、…」
「あぁごめんなさいね、朱那さんは柑橘系が苦手な人なんで。お冷、もらえますか? できればボクの分も」
「えぇと、せめてあなただけでも飲んで欲しいんですが…」
「あぁいえ、心苦しいんですがボクも朱那さんと同じく柑橘系が苦手でして…。ボクたち姉妹ですから」
冬はコタツにみかん、とか、揚げ物にはレモンを平気でかけるくせによく言うよこいつは。
それに誰が姉妹だ、誰と誰が。私とあすなか? 確かに肉体的にはほぼ同一人物だが、違いは年齢くらいだろう。
……だからか? だから姉妹と言い張るか?
「そ、そうですか。それにしても良く似ている御姉妹で…」
「よく言われますよ。顔立ちだけじゃなくて、好みの男性も似通っちゃうのがちょっと困りものですが…」
「ははぁ、それはそれは。今も同じ男性を?」
「そうなんですよ。ボクの方が先に目をつけたってのに、朱那さんは後から来て…」
ただの世間話に話題が移行してきているようだが、困りものはこっちが言いたい言葉だ。そも貴様が蒼火に抱いているのは好みではなく己の利益だろうに。それに蒼火と暮らし始めたのは私が先だぞ、私が!
私は…、うん、蒼火とはそういう関係じゃないはずだ。好みとか…、そんなではなくて…、お互いの背中を預けあう戦友? そういった関係のはずだ。
少しだけ苛立ち、会話の流れにも乗れずにじっとしていると…、かさ、という音と共に太ももの上へと何かが乗せられた。
手で触れて、件の物体を確認すると、それは折りたたまれた紙。
広げてみようとすると、あすなの手が私の手の上に乗っかってきた。手の甲に指が踊り、「NO」と記している。
(……これは、別のところで見ろという事だな?)
多少なりとも通じ合わなければ出来ないような芸当だが、…癪なことに私の肉体は那々のもので、そもあすなの肉体は那々の情報を元に出来ている。
ある種双子より身近すぎる私達は、お互いのことを「なんとなく」解ってしまうのだろう。今この場で知りたくはなかったが。
「あ、すみません。ちょっとお手洗いに…」
会話の流れを中断するように小さく声をかけて、バッグを持って有無を言わせずに席を立ち、厠へと逃げ込む。
早足なせいか、他の席に座っている女性や女学生、女マスターの視線が気になった。
ちょろろろろ…。
「ふぅ…」
厠へと行きたかったのは実のところ本当だった。飲んでいたお茶の尿意が今更になって押し寄せてきてたおかげだ。
一頻り出し切って、女性器のあたりを拭き取る。ちなみに私の魔羅だが、今はバッグの一番奥で縮こまっている。外出時には見付からないようにしよう、と自分で学習した結果だ。
ショーツを穿いてスカートもあげて、いつでも外に出られる状況になって、ようやくあすなから渡された紙を開いた。
「む、二枚…?」
私が気付かなかったのか、渡されていた紙は2枚あった。その内容を一読し、読み返し、内容を頭に叩き込んだ上で、苦痛のように呻いた。
「…私にこれをしろ、というのか? あすなよ…」
内容はこうだ。
『朱那さんはこの紙を見たら、適当に理由をつけて帰ってください。
一人になったら遠巻きから観察し、久住が行動を行動を起こしたら踏み込んで。
ボクの見立てでは十中八九向こうに人外がいません。朱那さんなら勝てるでしょう』
これが1枚目。次の2枚目は、
『久住は正直信用なりません。安斎の売っていた皮の調達法は不思議と明らかにならず、安斎自身も入手方法は常に秘密にしていました。
“もし”調達と売買が別に行われていたのなら。ボクはこの“もし”を探ってみます。
ボクが皮になっちゃっても着ないでくださいね』
と、これが全てだ。つまりは私に、あすなを餌とした釣りをさせようというのだ。
確かにあすなの肉体は24だ、まだ若い。肉体を双転証で作り変えたせいか、見た目は24なのに肌は17のまま、ピチピチだ。餌としては格好の部類だろう。
だがそれを私にやらせると。私を餌にせず自分が餌になると。あすなは何を考えている?
……だがそれを、今久住の前で段取りの相談など出来るはずもない。これを呑むしか、ないのか?
そも私のほうが単独で動く場合に適しているはずだ。戦闘力でさえあすなを置き去りにできる。
考えを巡らせていると、扉をノックされた。急かされ、水を流して立ち上がると、2枚目の裏に追加の一文が書かれていた。
『朱那さんが暴れたら惨事ですからボクが行きます』
……読まれていた。
どうにも口惜しい気分が拭えぬまま、すれ違い厠へと入る女学生に軽く会釈し席に戻る。
ボックス席にはいまだ世間話を続けているあすなと久住がいて、私がテーブルの隣に立つとあすなが笑いかけてきた。
「おかえりなさい、朱那さん。落ち着けましたか?」
「まぁ、な」
うっすらと半目の笑顔で語りかけてくるあすなは、私の行動を後押しするように、席に座らせようとせず微動だにしない。拒否権はないということか、おのれ。
仕方あるまい、と思い永く生きた身のプライドの元、引き下がることにしよう。努めて平静に、いつもどおりに…。
「あぁ…、あすな。すまないがこのあとようじがあったのをおもいだした。あとのことはたのめるか?」
「……しょうがないですねぇあけなさんは。おはなしはしておきますから、どうぞいってください」
「くずみさん、おはなしのとちゅうですまない。このあたりでたいせきさせてもらう」
「は、はぁ…」
……我ながらわざとらし過ぎたか? というかあすなよ、乗るな。バレるだろうが。
一応久住にも断りを入れておいて、足早に店を去った。
扉につけられたカウベルが鳴り、完全に閉まりきる。
「ということですので久住さん。朱那さんは帰るそうですので、ここからはボク一人になります」
「用事がありましたらしょうがないですね、ではここからは大人同士ということで…」
「はい。……ちゃんとしたお仕事の話をしましょうか」
その間際に聞こえたあすなの声は、獲物を逃がさないという感覚すら覗けていた。
店を出てすぐ裏手に回り、喫茶店と隣接しているビルとの合間を跳躍。都合よく隙間の大して開いていないビルは、脚を伸ばせば引っかかるほどの隙間しかなく、片方の壁に両足を、もう片方に腰を押し付けたつっかえの元に中空で留まる。
バッグを探り、内部に入れていたイヤホンを耳にかけ、コネクタが繋がっている本体のスイッチを入れる。
これが何かと聞かれれば、解りやすく言えば盗聴器だ。あすなの所持しているマイクの音を拾い上げる、限定的なものではあるが。
あすなは遠巻きからと言っていたが、そこまでしてやる義理はない。この距離なら何が起こってもすぐに踏み込める。
万一が起こらないように、と留意しながら、イヤホンから流れてくる音声に耳を傾けた。
『それで先ほどは彼女、朱那さんでしたっけ? が居たから詳しく聞けなかったんですけど…。安斎が本当に女になってると?』
『そりゃぁもうばっちりと。携帯写真ですが、蒼火さんからも写真が送られてきてまして』
『…………確かに片方に写っているのは忌乃さんですけど、こっちの少女ですか。これが本当に安斎だという証拠はあるんで?』
『そこに関してはボクじゃあなんとも。ボクは何も聞いていませんが…、蒼火さんは安斎が、“これから皮の商談が”と言っていたのを聞いてます』
相変わらずずけずけと付け入る奴だ。だがそれはこの場では強みなのかもしれない…。
久住は僅かに、1秒ほど沈黙を保っていたが、
『皮ですか。安斎は…』
『えぇ皮です。久住さんもご存知のこととは思いますが…、あぁ、ご存知でなかったらすみません。ボクも蒼火さんが聞いたことを言ってるだけですから』
告げようとしていた言葉の出鼻をくじかれ、言葉を被せられる。相手の調子をかき回す簡単な方法だ。
『それで久住さんは、皮のことをご存知ですか? 安斎さんがどんな皮を扱っていたか、とか…』
『皮ですか…。安斎がトラックで扱う積荷に、毛皮製の品もありましたし。そのことじゃあないですかね?』
『ほう毛皮。…毛皮といいますか、久住さんは。ボクはただ“皮”とだけ言ったのに、久住さんが毛皮と…』
『……失礼ですが、先ほどからそちらは何を言いたいんですか?』
ほんの少し、久住の声色に苛立ちが混じり始めてきた。その感情は解るぞ。あすなの相手をすると八割方腹が立つんだ…。
『大人同士のお仕事のことですよ。……今この場には、“子供”なんて居ないでしょう?』
(子供がいない? 馬鹿な、店の中には4人ほどでたむろしている、制服を着た女学生が居たはずだ。私も事実学校へ通う際には制服を着る。
留年しているとも思えん姿だったし、それが子供でないとは…)
あすなの言葉で内心に生まれた疑問は、途端に存在を大きくしていく。しかしその疑問を壊したのも、またあすなの言葉だった。
『例えば、トイレ近くに座ってる高校生の4人組。全員“お客”ですよね?
静かな内装の喫茶店内で、これまたずいぶん静かにしてるじゃないですか。女性同士だというのに、不思議なくらい。
言うなればそう、まるで狩猟の為に様子を見、気配を潜めている獣のようですよ』
『……っ』
そうか、そういうことか。
『それにこの喫茶店のマスターですけど、ボクが蒼火さんの所で働き始めた時は、禿頭の光るオヤジさんだったんですが…、いつの間に代替わりしたんです?』
『…ははは、マスターとは昔からの馴染みでしてね。しばらくイタリアでカッフェを学びに行くって言ってましたよ。彼女はその間の…』
『ほう。つまりは彼女は代理人でしかないと?』
『そういったのが聞こえませんでしたかね』
『では…、すみません。ブルーバージョンひとつお願いします』
『はーい』
あすなの注文に、女マスターが声を上げる。……ブルーバージョン? 何だそれは?
『…何ですか、それは?』
久住も私と同じ疑問を抱いていたのだが、疑問を投げかけたあすなは勝手に答えを用意する。
『マスターと蒼火さんが一緒に作ったコーヒーの裏メニュー、なんですが…。作り方は完全秘密にしてるという話なんですよ。
それを代理人の彼女が知っている。その理由とは? 可能性はいくつかあるので列挙しましょうか。
一つ目、マスターから教えてもらった。紙資料は無いらしいので口頭でしか伝えられませんが、まぁ無い訳ではないでしょう。
二つ目、作り方を盗み見た。資料が無いのは言いましたし、そもお店を一人で回してますから抽出工程を見たというのも苦しいですよね。
三つ目、彼女がマスター本人である。……この場を指定したのは他の誰でもないあなたです。ここで取引を多々してるでしょうし、黙認して貰うためには…、取り込んだほうが早い。違いますかね?
あぁマスター、その皮どうやってもらいました? 口止め料とかですか? それとも脅迫のためですか?』
ガシャン、と食器の強くぶつかる音がした。
その音に周囲が泡を食っているような気配が、マイクから耳に届いてくる。
『……さて、前置きはこのくらいでいいでしょう。久住さん? ボクにも一つ、売って欲しいんですよ。其方が取り扱っている“皮”を』
『…失礼ですがその事は、どこからお聞きになったんで?』
『今まで培ってきた人脈伝手に。こういうものがある、という話は聞いたんですが、最近とても気になってしまいまして…』
『……』
『どうでしょう。金額はそちらの言い値で構いませんし、守秘義務は守りますよ』
『それが本当なら…、ね。……その事を忌乃さんはご存知なので?』
『いえ、完全にボクの独断です。…実は蒼火さんには、少々借りがありまして』
いぶかしんでいる久住相手に、あすなはべらべらと語り騙りたてる。
こんなに好きで好きで仕事の手伝いまでしてるというのに気付いてくれない蒼火に、女としての快感を教えてやりたい、とか。少し歪んだ「女同士」をしてみたい、とか。
……いやぁ、蒼火は女としての快感は知ってるぞ。ついでに言うとあすなの言う歪んだ「女同士」も経験済みだ。
組み敷いた蒼火の華奢な肉体、白い肌の上にアクセントのように点る赤み、困ったような表情…。
女同士で触れ合って、最終的には男と女の交合になって…。
にへら。
はっ!!?
いかんいかん、笑みがこぼれて危うくずり落ちる所だった。
股間が疼く…、ついでに言うとバッグの中の魔羅も疼く。
その間にも盗聴器から聞こえてくる会話は、常にあすなが手綱を握っているものだった。
久住が追求すればその都度嘘を述べ、出来た隙に対して真摯な表情と口調でズバズバ切り込んでくる。舌戦に関しては年の功、とはいかんと思いながら、6分間続いている話題に久住が折れた。
『…仕方ないですねぇ。今回だけお譲りしますよ』
『ありがとうございます。それではこちらの要望なんですが…』
『その前に…』
『その前に? あぁ、後ろに待機してる人たちに襲い掛からせる気ですか?』
マイクから届く声の大きさは変わってない。恐らくあすなは後ろを振り向かずに言ってるのだろう。
『ボクは抵抗手段を持たないか弱い女です。今この場に蒼火さんも居ませんし、多対一に持ち込まれれば勝てる筈がありません』
眼下に望む店内から漂う気配は、じんわりと空気を変えていっている。ただの喫茶店の空気から、獲物を逃がさない肉食獣の気配へと。
『血とか刃傷沙汰とか、その辺はお断りしたいところなんですが…。……ま、無理ですね。
なので、白旗を揚げさせてもらいます』
衣擦れと、複数の存在が遠くから襲い掛かってくるような音。
「…あやつ等っ!!」
足と腰のつっかえを外し、重力に身を任せる。2階ほどの高さから落ちるが、姿勢を崩すことなく着地。
勢いのまま駆けて裏口の扉を蹴破り、店の中へと躍り出た。
「あすなっ!」
そこで目にしたのは、久住や女マスター、店に居た客全員が先ほどまで私達の座っていたテーブルを囲んでいる光景。
そしてどうしても見過ごせないものが一つ。ぺたりと厚みを無くしかけながら椅子にもたれかかっている、あすな。
「やぁ朱那さん、やっぱり来てくれましたね。まいったまいった…」
「……、さっきの音は、どういう事だ?」
「見れば解りますよね。全員で協力してボクに薬を飲ませにかかって、あえなく…。ということです。白旗揚げるって言ったのに」
少しずつ声が聞こえにくくなってくる。
肉体が萎み、声を出すことも容易でなくなってくるのだろう。
場所は同じはずなのに、どこか遠くの出来事のように久住たちが声を掛け合っている。
「じゃあ朱那さん、借りにして良いですから…あとは頼みますね。くれぐれもボクを殺さないでくださ…」
言い終わらぬうちに、あすなは厚みをなくした。
服と共にくしゃくしゃに潰れたあすなを見やる。
久住たちが慌てて“それ”を確保し、女マスターが包丁を持って、元々は首であったろう場所に添えた。
「おいそこの朱那とかっ、動くなよ…、動いたらこいつの皮を破るぞ!」
連中が何かを言っている。
「これを破けばこいつは死ぬぞ」
体の中で何かがざわつく。
「こっちへ来るな、見逃せよ」
心の中が闇に染まってく。
「上玉だけど仕方ねぇ、俺たちは死にたくねぇんだ」
何故。
「コ、ノ…」
何故、こいつらは。
平然と、謀れる。平然と、騙れる。平然と。当たり前のように。自然に。
抑えようとしていた鬼気は、もはや留められないほどになっていた。
眼前で起きた事が、久住がしている事が、私の前で起きていることをさも当然のように受け入れてる事が、『人間』への怒りを抑えようもない物にしている。
人間か? こいつ等が果たして本当に人間か?
別人の皮を被った、己の欲望にのみ忠実な、誰かの中に潜んでいる、ただの畜生以下の存在が。
バッグの中に手を入れ、最奥に潜めていた魔羅を掴む。魔力を流し込まれたそれは途端に身長さえも越える野太刀となって私の手に納まる。
怒りに揮えた手が、ぎちぎちと音を立てて柄を苛む。痛み以上に、心が黒くなる。
突きつけられた切っ先に全員が色めき立ち、何かをさえずっている様だが、もはや私の耳には入らない。
限界だ。我慢の限界だ。堪忍袋の緒が切れた。
殺す。この醜いニンゲンモドキを一匹残らず殺す。
「コノ…、“ニンゲン”ドモガァッ!!」
喉から出てきた咆哮は、人間のそれを越えた鬼のそれだった。
* * *
所変わって地獄の第1階層、閻魔庁内部。
ここに到着して、体感時間で既に1日が経過していた。
ハッキリ言えば足止めを喰らっている訳で、その為に出来た余暇を精一杯潰している。手段は大貧民。
俺と安斎行隆のほか、暇をしていた獄卒プラス1名の4人でカードゲームに興じている訳で、プラス1名枠には当然の如くクゥが居やがる。
疑問に思ったことを聞こうとすると、
「会議は停滞してますよ」
「やっぱりか…」
想像通りの言葉にちょっと落胆。
安斎行隆へ通行許可証発行の可否、その議題にいまだ答えが出ていないのだ。
がん首並べて何をそんなに変化無い事をしているのかと思い、到着当日に会議室へ突っ込んでいった。どうせ酒宴に変わっているのだろうと思って中へ入ってみれば、意外や意外。全員見事に難しい顔をしていた。
「やっぱり俺達のやったことが原因なんだよな…。っと、革命ですっ」
安斎行隆も難しい顔をしながら、平然とカードを場に出してくる。
……折角手札が大きい時に革命しなくてもいいじゃねぇか。うぉ、クゥめ笑ってやがる。解ってたな?
そうして何度も手番が巡ってくるも、出せたはずの大きいカードが小さい扱いになり、最終的には俺の手札が残されていった。
結果はボロ負けだ。10ゲーム中俺の大貧民10回。つまるところ負け通し。
やっぱりこの手のゲームで勝てたことが一度も無いのはしょうがねぇ事なのか…。
「はーい、それではオーラスの大富豪である安斎行隆さんは、最大貧民である蒼い人に何でも言うことを聞かせられます」
忘れてた。そういえばそんなルールでやってたっけ。
「仕方ねぇなぁ…。負けは負けだし、ルールはルールだ。従うけど…、あにかあるか?」
「言うことを聞かせるんじゃねぇけど…、聞きたいことがあるの。いいか?」
「……構わねぇけど、あんだ?」
「アンタみてぇに生きたまま地獄を自由に通行できる方法」
その口から告げられたのは、とんでもないこと。その言葉の真意を問うても、結果は一つになる。
それは俺も堕ちた、救いの無い世界に向かうこと。
「……」
「蒼い人?」
口を噤もうとすると、クゥが釘を刺してくる。敗者はお前なんだから、拒否権は無いんだぞと言わんばかりに。
だから、答える。
「……あぁ、あるにはある」
「…方法は?」
少しだけ口の中が乾く。言いたくないのだが…、言おう。
「人間じゃなくなることだ」
その言葉を聞いた瞬間、安斎の表情が硬くなった。
「そもそも脆弱な人間が自由に通行できるほど、地上と地獄の壁は優しくない。
地獄とは生者には苦痛の世界であり、刑罰の世界であり、浄罪のための世界でもある。
罪人は死者として引きずり込まれ、罰を与えられるために存在し続ける。そして罪人というのは…、言葉の中にもある通り「人間」がその対象だ」
人間は弱い。超常の力は持たず一人で千に当たる事例は少なく、脳と知性の強化には肉体の強度という優位性を代償に差し出した。
「生きているままでは特定のルートを通らない限り、相互の行き来は不可能だ。それも稀有な例外で、考えとしては除外した方が良い。
だからこの答えに至った。人間であることをやめる必要がある…、ってことにな」
事実を告げる。地獄は人間の罪を、罰を与え時間をかけて濯ぐ場所だ。相手は完全に、人間に限られる。
入れば出られず、出ようとしても不可能。追放されるか、釈放されるかの2つに1つしか手段は無い
「……じゃあ、その方法は?」
「数で言えば色々とあるが…、時間のかかるものと、すぐに出来るものがあるな」
「すぐにできる方法はねぇのか?」
まるで何かを急かすように、安斎行隆は俺に向けて告げてくる。
まるでここを早く出たいかというように…。
「その前に一つ聞かせてくれ。……どうして人間をやめる方法を聞いてくるんだ?」
「っ……」
「地獄が恐くなって人間界への望郷が強くなったからですよ。
それに蒼い人が姿を変えたのを見て、人間をやめればもしかしたら出られるかも、そして元の姿に戻れるかもしれない…。
だからこそ、その可能性に当たりをつけて問うた…。そういう訳です」
言葉に詰まった安斎行隆を追い詰めるように、クゥが告げた。
「そういう事か…」
一つ、ため息。
「予め言っておくが、俺は早急に地獄から出られる方法を言っただけだ。
人外になれる方法までを告げるつもりはないし…、俺はそうなる手段を執るつもりはないと言っておく。
……言うなよ、クゥ?」
「どうしましょうかねぇ、お互い言わなきゃ納得しないんじゃないですか?」
「……いや、良いです。言いたくない方法を問う積もりはねぇし、仮に成っても心が落ち着く事は別問題ですし…」
俺たちが会話を止めた横で、大富豪に参加していた獄卒がカードを纏めている。
紙同士の擦れる音が響く中、唐突に携帯電話が鳴った。出所を探るとクゥの所持していた物からだ。
しばしの通話の後、通話を切って唐突に口を開いた。
「蒼い人、大変なことになってますよ。安直魔術『かくかくしかじか』ー」
本当にそれだけしか言いやがらねぇが、それで伝わるのが文章でのいい加減さか。魔術か、魔術のせいなのか?
現状、地上で起こっていることをそれだけで伝えられた。その瞬間頭の中に焦りが生まれる。
「あのバカ…! 今から行って間に合うか?」
「急がないと無理じゃないですか? ほら早く、行ってらっしゃい?」
「……すまねぇクゥ、ちょっとの間だけ安斎を頼む!」
思考は一秒、現世時間に換算しておそらく1ミリ秒くらい。宇宙刑事は戦闘準備完了してしまう。
現状に困惑している安斎を尻目に告げた刹那、空間を裂いて地上へ繋がる箇所への扉を作り、そこへと跳び込んだ。
* * *
「毎度毎度難儀な性格してますよねぇ、蒼い人は」
クゥは小さなため息を一つだけ吐いて、蒼火が向かったであろう先の空間を見ていた。
先の様子から何一つ掴めなかった安斎行隆は、カードを片付けていた獄卒に聞こうとしたが彼は既に居らず、仕方無しに眼前に居たクゥに問う。
「何があったって言うんだ、あの人は…?」
「別に大したことじゃありませんよ。あなたと似た境遇の、女の肉体になった鬼が人間に憤慨して殺そうとしているのを止めに行っただけです」
先ほどからまったく様子を変えない死神は、平然と告げるだけでその場を終らせる。
「そこにあいつが得する物ってのは、あるの?」
「無いですよ。ある筈もないですね」
「だったら何で…」
「そういう鬼なんですよ、蒼い人は。元々人間だった為に“人間”であることに固執し、それを大切に思ってしまう。
人間の価値観に縛られて、人殺しと盗みは禁忌とし固く誓って破ろうとしない。鬼の本性に沿うのなら、弱者から奪い獲物を貪るものだというのに。
彼はそれを良しとしないんです。だからあなたにもその態度は変わらない」
「それは俺が…、…人間だから?」
言葉を探るように選び、出てきたそれは酷く弱々しい。
「そうですよ、解ってなかったんですか?
あなたが人間だからこそ八寒地獄まで飛び込んでいって寒さにも耐えました。
あなたが人間だからこそ通り抜けられない自作の次元通路を渡ることもなく地獄を歩き、ここまで連れてきました。
あなたが人間だからこそ今の歪な状態を直そうとするでしょう、人間だからこそ堕とされる地獄に行かせたくないんでしょう」
その内心に叩き込んでいくように、塩を摩り込むように。
「…………」
「で、あなたは本当に人間を棄てたいんですか?
もうしばらく待ってれば8割方地上に返れるでしょうし、アフターケアも蒼い人はしてくれるでしょう。
それでも尚、人間を辞めたいと?」
本当は相手の心中が読めているというのに、彼女は問うて来る。
その真意はごく単純なものだというのに、答えはわかっていながら。
「…………こえぇよ。正直な話ですけど、人間じゃなくなるってぇのは、すごく恐い…」
「だったら最初からあんなことを言わなければ良いのに。不器用ですね、人間は」
「あんたみてぇな存在になれたら、器用に生きられるんでしょうけどね…」
安斎行隆の内心を覗いて感じたのは嫌悪感。人間が死神に向けるような恐怖ではなく、蒼鬼が死神に向けるような諦観と納得の合間のようなものでもない、純粋なもの。
「だけど…」
「だけど?」
「やっぱり俺は…、地獄は嫌です…。ここが恐ぇ、一秒だって居たくない…」
「そうですか。程度は違えどその恐怖は、あなたが売った皮の人物も感じてるでしょうねぇ」
何も変わらない調子で淡々と告げる言葉に、安斎行隆は少しだけ渋面を浮かべる。
クゥは心中を読みきっており、相手に対してクリティカルとなる部分を突く。
(…さて、地獄のことでこれ以上悩まれても意味は無いですね。
人のままならどうせ放っておいても来るんですし、“これ”にはもう少し別の方向で頭を使ってもらいましょうか)
この場に他の死神は居らず、誰にも覗かれることのない心中の呟き。
それはもう一歩、安斎に決断を迫らせる言葉を告げるためのもの。
「ちなみに、先ほど蒼い人が飛び出してった理由ですが…。あなたに関係があるものですよ。
久住とやらが“あなた方の商売”に踏み込んできた蒼い人の身内に襲い掛かって、皮にしたのですから」
「…っ!」
「蒼い人のことだから、あなたか久住のどちらかに蘇生方法を問いただしに来ると思いますよ」
絶句してしまう安斎を尻目に、クゥは纏められていたトランプを元の持ち主に返すため、この場を去っていく。
追撃という名の置き土産を忘れずにだ。
「地獄が恐いと言うのなら、地獄に落ちるその時まで少しでも罪を洗い流したらどうです?
滞在する時間が短くなりますし、その分転生も早くなる。私たち死神の手も煩わせない。良い事尽くしですからね」
その言葉への返答となる、安斎が述べた心中の呟きは、もはやクゥの耳にすら入らなかった。
* * *
地上へ繋がる井戸へと渡り、脚部に力を込めて上空の穴へと跳び上がる。
踏み込みの衝撃で地面に大きすぎる亀裂が生まれるも、気にする間は無かった。蒼鬼・蒼火の懸念は一つの方向に向いていたからだ。
風を纏わせ身体を押し上げて地獄と地上をつなぐ縦穴を通り抜け、時間の流れが地上の法則に引きずられる。ここからはさらに一瞬で行動を終わらせなければいけない。
(間に合うか…? いや、間に合えよ…!)
付近で放たれる鬼気を察知し、位置を補足。その向けられる方向を察知し、その位置に沿った“少し先”の位置に向けて次元の穴を“無理矢理”割り開き、跳びこむ。
跳躍先に見える光景を目視した瞬間、振り下ろされる刃へ向けて、左腕を振り払う。
それは狙い過たず、手の甲が刃の腹を叩き、威の矛先を変える結果になった。
「おい朱那、あにやってんだ…!」
「蒼火…!? 貴様こそいきなり何をする! 何故止めようとする!」
突然の闖入者に驚くも怒りの形相は変わらず、朱鬼は蒼鬼へ、いやその後ろに居る“ニンゲン”どもに殺気を飛ばす。
それを一身に受けることになるも、微風を受けるように身を揺るがす事も無く、蒼鬼は立ち続けている。
「状況は地獄でざっくりと聞いた。そんで…どうなっているかは今見た。
……お前ら、さっさと行け。ただしあすなの皮は置いてけ」
何が起こっているのか。少女が身長を上回る大太刀を自分に振り被り切り裂こうとするも、自分のパートナーを探しに行った存在が突然表れてそれを止めた。
久住の中ではただそれだけの事で、しかし単純ゆえに頭を悩ませていた。
あの刀はどこから出した? 彼はどこから出てきた? 何故止められた? どうして自分を逃がそうとする? 逃がす?
あぁそうか、逃げられるのか。
その結論に達した久住や、協力者達は、取るものもとりあえず逃げ出そうとする。その内一人が椅子の上につぶれているあすなの皮を取ろうとしたが、
「……置いてけと言った筈だぞ」
二つ目の殺気を受けて、すぐさま手を引っ込めた。
あのまま手に取っていれば、燃えていた。骨すら残らない勢いの恐ろしい業火に身を焼かれていた。そんな錯覚さえ覚えた全員は、結局は何も持たずに逃げ出した。
時間にしてわずか15秒。被害者の皮を文字通り被った加害者達は這々の体で去っていく。
しかしてその最中、15秒という短い間にも無数の斬雨が飛び掛り、その度に拳壁に止められていた。
「貴様、何故奴らを逃がす!?」
刃を持つ朱鬼が激昂と共に刃を繰り出す。前方を構成する全ての空間から、多少の差はあれど間断無く迫り来るそれを、
「人間を殺されたくないから、な…。それくらいは解ってくれてると思ったんだが…!」
拳を握る蒼鬼が落着いた所作で全てを受け止め流し、自分の背後に一度も通しはしなかった。
「当然、暴威から守ることもそれが理由だ…! 今の朱那のような、我を忘れた凶事からな…!」
息を乱さず怒りを持たず、ただ己で定めた使命感のみを心中に据えて朱鬼を見据える。
同時に朱鬼は苛立つ。こうして怒っている自分のことを解ってくれない蒼鬼に対してか、それとも揺るぐ気配の無い彼の眼を見てしまったからか。
刃を握る手に力が入る。ぎちり、と自分の掌に柄の形が染み付いてしまうほどの握力が加わり、攻撃の速度と勢いが増した。
「何故だ…! 何故貴様はこうまでして人間を守るというのだ! 己の為に他者を平気で嘲い、大義名分を掲げて利を貪り、弱者を踏み躙り呑みつくすこいつ等を!」
今更言うことではないが蒼鬼は防具の類を何一つ着けていない。攻撃は全て素手で止めており、一部ではわざと刃を皮膚と肉の中に潜り込ませて防ぐ場合もあった。
肉体と鋼という素材の違いから、どちらが堅いかというのは語るまでもない。ましてや攻撃の速度が上がれば、勢いが増せば、止めている拳の方が競り負けていくのは自明の理だろう。
一息ごとに浴びせられる斬撃が肉体を削る。ぞり、ぞりと一撃ごとに肉が切り裂かれ削がれる。
血がしぶいて周囲を汚し、鉄の臭いが撒き散らされる。
「あのような連中が…、目先の欲望に逆らわず他人を食い散らし、己の腹を膨らませることだけに執心している餓鬼が!
連中の我欲の為にお前が駆けずり回り、血を流し、心を打たれても、奴らは知らん顔で笑い、結果だけを己の手にしたとしてもなお!
それでも貴様は人間を守るというのか、蒼火!?」
それは血を吐くような叫びだった。
朱鬼は元々人間ではない。人間として生きることになっただけで、心の奥底では確かにまだ『鬼』なのだ。
蒼鬼との出会いは彼を彼女に変えて、彼女を女に確かに変えた。受け入れたのは彼が確かに『鬼』だったから。
だがしかし、『鬼』であるはずの蒼鬼は、『鬼』である自分のことを解ってくれない。
裏切られたと、そんな想いさえ混じった叫びと共に、突きの構えを取り、溜めと解放をインターバル無く、しかしその挙動全てに鬼の力の全てを込めて放った。
白刃の切っ先が眼前に迫る。
人間が受ければ穴が開くどころではない、そこを中心として全身が爆散しかねない勢いのそれへ向けて、蒼鬼は慌てず騒がず、最小限の動きをとって、
突き出される刀の目の前に、左腕をまっすぐに伸ばして突き出した。
切っ先が掌へ潜り込み、骨を伝うように腕へと抉り込んで来た。僅かに苦痛で顔を歪めるが構わず、歩を進め、勢いの止まった刃を自ら深く突き込ませる。
ぞぐり、ぞぐりと音を立てながら、刃が間接を抉り、刀身が肩を突き破り、掌が唾を掴むほどに。
「あぁ…、守るね…! どんな事が起ころうと、その先にどのような結果が待っていようと…。
それが俺の心中に据えた、俺の意志だ…!」
まっすぐに向かって、朱鬼へ告げる。それと同時に、2人の視線が絡んだ。
蒼鬼の眦に篭った意思は固く、朱鬼は気付いてしまった。「コイツは変わらない…」と。
「何故だ…、こやつらの為に、どうして貴様が一人で傷つかねばならん…」
そう理解した瞬間、先ほどまでの勢いを失くし、一転して弱々しい口調となって。しかして先ほどと変わらず、疑問をぶつけてくる。
穴の開いた血塗れの手を、刀を握る手の上に被せる。ぬるりとした感触と、僅かに熱を持つも急速に冷えていく液体の感覚。
「理由はいくつかある。……俺が人間だったから、というのが前提だけど…」
蒼鬼は厳かに口を開き始めた。それは、“だからこそ”という言葉。
「人間だったからこそ、その弱さが解るんだ…。
俺たちみたいな人外の強さを人間は持ち合わせていない…。
俺が死んだ時のように、暴力に巻き込まれれば容易く命が散り果てる」
蒼鬼は語る。あの時の自分は、一撃で心臓を撃ち抜かれて死んだのだと。
丸太のような腕に胸を貫かれ、心臓も、肺も、胃も肝臓すら巻き込んで根こそぎ持って行かれて、それだけで即死となる傷を受けたのだと。
「そんな突然の暴力で死んだからこそ、それから守ってやりたい。…防げるものは防ぎ、理不尽から他者の身を退ける」
「……そんなの、貴様の自己満足ではないか…。間違っていたとしたらどうするのだ…」
「あぁ…、そうだな。確かに自己満足だ…」
それを契機に、蒼鬼は少しだけ黙った。朱鬼も答えを待つのか、何も告げようとしてこない。
ただ、流れ落ちていく血液だけが静寂を作ることを阻止していた。
「結局は…、自分自身の為なんだよ」
「自分の…?」
「あぁ…。俺は人間を守ることで…、“人間だった時の俺”を守りたいんだ…。
それも全て含めて、俺は“俺自身”なんだ。80余年の時を生き、鬼としての生が人としての生の4倍を数えたとしても…。
人間だった時の記憶はかすれ消えかけても、それさえも鬼「忌乃蒼火」を形作ってる…。
それさえ捨てたら…、俺はただの鬼になる。人間を弱者と嘲い、己の欲求の為に人を、腕の一振りでなぎ払い、意にすら介さず踏み躙る存在にだ。
人の身として生まれ、人として愛され育った人間は…、化生の洗礼を受けて鬼として生まれ、異形の身なれど愛を知った。
だからこそ、俺は…」
伸ばしていた腕を曲げる。筋骨が悲鳴を上げて裂け、二の腕部分に芯として通っていた刃が完全に外へ露出する。
足を踏み込んで肉体同士が近付き、朱鬼と蒼鬼の距離が零に近くなる。
「人間である事を忘れたくないから。人間であった事を大切にしているから。人間として生まれた事を憶えていたいから。
故に…、同胞を守る」
瞳同士を近づけ、己の心中を告げた。
ほんの少しの間を置いて、朱鬼の瞳が歪む。目じりに涙が溢れ、零れ頬を伝いそうなほどに。
「……貴様は狡い。そんなことを言われたら…、人間でない私はどうすればいいのだ…。
鬼の私は、同胞ではないというのか…? 貴様の同胞は…、人間だけなのか…?」
「そうじゃねぇ。…心が人間でありたいと願う鬼だ。人間も…、鬼も、守る」
それさえも受け止めて、蒼鬼は告げた。
空いた右手で涙を拭い、涙顔の朱鬼を自分の胸に抱き寄せる。
「どっちつかずの蝙蝠と言わば言え。それが俺の変えるつもりの無い意思だ」
柄を握る力が弱くなったのを、貫かれた腕から察すると刀を奪った。
まだ貫かれたままの左腕と、そこから来る痛みを気に留めないようにしながら、しばしの時間。
朱鬼が嗚咽を堪えきったのだと理解すると、体を離し、再度眼を合わせる。
「それにな、朱那。
……やらずに後悔するより、やって後悔した方が納得がいくもんさ。自分の考えが間違ってたか、正しかったかの判断もな」
そう言って完全に離れると、右手で自分の左腕から生える刀を握り、痛みに顔をゆがめながら引き抜いて血振りをする。
足元の血溜りと新たに出来た血飛沫で、店内が猟奇的になったのはまぁ仕方ない。
刀を返し、あすなの皮を右手で取る。なるべく形を崩れぬように持って、少しだけ息を吐いてから朱鬼を呼ぶ。
「そんじゃ行くぞ、朱那」
「……どこに行くというのだ?」
「地獄に戻る」
理由は告げずに、ついてこいとだけ述べて蒼鬼は店の裏口に手をかける。
「お、おい蒼火。逃げたあやつ等は良いのか? 下手なことを他の奴らに吹聴されようものなら…」
「言える筈もないさ。嘘を並べるならまだしも、殺されそうになった理由を言ってしまおうものなら…。
そいつは頭がおかしいか、白昼夢でも見てたことになるだろうしな」
それだけの短い間に出てきた朱鬼の疑問も、蒼鬼は納得できる理由を返した。
「だがしかし…」
「じゃ、先行くぜ」
全てを嘘で塗り固められたら…。
そう言おうとした矢先、蒼鬼は裏口を完全に開け、そこから跳び発っていった。
「…あぁもう、なんなのだあやつは。もう少し説明くらいしても良かろうに!」
自分が殺気を放ち人を殺そうとした瞬間、疾風の様に現れ、それと似たようにすぐさまこの場を去っていった蒼鬼に、朱鬼は苛立ちを隠せなかった。
まだ少し納得はいかないが、今は駄々を捏ねても仕方あるまい。あすなを独りにして危険に晒してしまったのは、あすなの意に沿った自身が元だからだ。
納刀し、あすなの鞄を持って朱鬼は蒼鬼の後を追った。辿った道筋は、いまだ垂れてくる血液が示してくれる。
後をついて行くのに、大した苦労は要らなかった。
* * *
所戻って地獄。視点も俺に戻る。
あすなを家に安置し、結界を張って余人の進入を不可能にした状態でここへと戻ってきた。今度は朱那も一緒にだ。
家の井戸を伝って地獄に落ちるのが2分、三途の川は渡し守に乗せてもらい、その最中に伝書を携えてきた地獄烏と軽く戯れつつ5分。俺の住んでいる忌乃家は散歩気分で地獄の往来が可能な道で繋がっている。
…ちなみに、朱那の通行許可証はこっそり発行しているので問題なかったりする。あ、これ秘密な?
そうしてやってきているのが、閻魔庁の御宮が一室。主に来客用に解放されるロビーのような場所だ。
ここには俺と、朱那と、そして安斎行隆が顔をつき合わせて座っている。
お互いに言葉はなく、無言での対面を破ったのは、まず朱那だ。
「……単刀直入に言わせて貰うぞ。…安斎行隆。貴様は皮になった人間を元に戻す方法を知っているか?」
「…ある。久住と一緒にあの商売を考えた時に、“もし自分達があの薬を飲まされたら”という状況も考えられたから、皮化を戻す薬も確かにあるの」
「ならばその薬を確保せねば…! 放っておいたら奴らがそれを隠蔽しにかかるかもしれん!」
確かに、自分の足取りを消そうとするのは犯罪を自覚し、罪に問われたくない者が取る手段だ。一般的には蒸発といっても良い。
あの時と別人になる。ないし場合によっては日本から居なくなる可能性も大いにあるわけだしな。
「けどそこは…」
「…そこは?」
「島根県の東出雲に…。小さな倉庫を借りて、保管してるんだ」
「東出雲?」
言いにくそうに安斎の口から出てきた言葉を反芻する。確かあそこには…。
「馬鹿な…! 東京から大分離れているぞ!? 蒼火、貴様はそこへ跳べるのか?」
「うんにゃ、無理」
エキサイトしっぱなしの朱那から振られても、俺はNOと答えることしかできない。
俺の空間跳躍は、視認などして『具体的に知っている』場所でなければ跳べないのだ。例を挙げるとするなら、7つの玉を集めて願いを叶えてもらう話の主人公が使う瞬間移動に近い。
もっともアレのように「気」を察知して使うものではない。先ほど朱那の付近へ跳んだのだって、場所を良く知っていたから跳べたのだ。あそこでなければ既に人死にが出ていただろう。
「だったら早く動かねば! 奴等とて馬鹿ではない筈だ、身の回りの確保を始めたら知っている奴等が先手を打てるのだぞ?」
「慌てなくても良いんじゃね? そこなら黄泉比良坂を伝えばすぐ行けるから」
「……なんだと?」
コイツ、地獄と現世の時間差を忘れてるわけじゃねぇよな…。いやそもそも気付いてないのか?
それを差し引いても、おっとり刀で駆けつけようとする必要は、実のところあまりないのだ。
「地獄同士はほんのり次元を隔てているものの繋がってるからな。
黄泉路に跳んで入って、灯を足に使って東出雲に出れば…。そうだな、現世時間で1時間って所か」
地獄という世界は実のところ広い。広大無辺すぎるが故に、世界各国の宗教が分割統治をしているに等しいのだ。
仏教の地獄、神道の黄泉、キリスト教の地獄、イスラム教のジャハンナム、ギリシャ神話のタルタロスや北欧のヘルヘイム。
これら全ては名前が違うだけの、お互い行けないような関係の「同じ場所」なのだ。
ちなみに各地獄における最有力者同士の会合も、現世時間における隔月回である訳だがこれは横においておこう。
日本は仏教と神道が混在し、神仏習合なんて事態も起こっている場所である。仏教地獄と黄泉との関係は、他の地獄よりさらに一歩進んでいる。
だから元来日本土着の存在である鬼が仏教地獄で仕事を任されてる、という現状があったりするのだが…。
「初耳だぞ、それは…」
「いや知っとけよ、鬼だろお前…」
知ってなかったことにちょっと呆れつつ、灯を呼んで出立準備をする。
さすがにイザナミの領域に安斎を連れてゆくのに抵抗があったので、場所やその他必要事項を聞こうとしたのだが、
「俺も行くよ。保管倉庫は土地勘も無いと解らないと思う場所にあるの、だから行かせてくれ」
「何故だ安斎…。貴様、久住と共謀して人を皮にして売っていたのだろう。いまさら何を言い出す?」
怒りの収まってない朱那が噛み付いてくる。
止めようと思うも、こいつの心情を考えると全肯定は確かにしにくく、疑念を持ちたくもなる。
「俺は…、わたしは、地獄に居たくねぇ。忌乃さんと地獄を周って、死んだ後にはこんな世界があるなんて知ったんだ…」
「だから今更善行を積むとでもいうのか? 負債の方が既に多かろうに」
「えぇそうですよ! ヤっちまった事を少しずつでも返すことの、それの何が悪いんですか!」
「遅いと思わんのか? その様な子供の姿に、しかも女になって、地獄を見せ付けられて、ようやく悔い改めようとする。
貴様のやってることは斬首を前に足掻こうとする罪人と変わらん、見苦しい行為に他ならんのだぞ?」
いや朱那よ、女になったのはお前もだぞ。
ともあれだ。これ以上二人を加熱させても意味は無い。
渡河中に地獄烏が伝書を携えて飛んできたし、その内容を読み返しながら小さく一つ息を吐き、二人の間に割って入った。
「はいはいそこまで。朱那も噛み付くなら場所と時間とを弁えろ」
「蒼火、邪魔を…、…うぅむ、確かにそう時間はないのだし…、だがな…」
「どの道、安斎は地獄から出て行くのが決まったんだ。ちょっと前にな」
俺が地上に行っている間、会議で決まった結果の書類。…とはいえ紙ペラの「通行手形」を見せると、朱那は小さく唸り黙ってしまう。
「そんじゃ、さっさと行くぞー」
パンパンと大きく二度、手を叩いて二人を促す。朱那はいざという時の為に太刀を持ち、安斎は何も持たずに立ち上がる。
手持ちは必要なく、記憶だけが必要なのだろう。というのは先のやり取りなどから既に理解してる。
「善行でも自己満足でも構わず、やるべきことをやっていく為にな」
二人の顔を見ると、安斎は理解した表情で頷き、朱那はまだ納得しきっていない表情だった。
外で待機している灯の所へ行くために。地獄に居たくないと言ってた安斎行隆をここから出す為に、閻魔庁の扉を大きく開いた。
* * *
火車・灯の変化した馬車に揺られ1時間。ぬかるむ土を車輪が踏みしめて抜け出た先は、見知らぬ土地だった。
これ以上馬車で居続けるのは不味いという判断により、適当なナンバープレートを持つ車に変化した火車は、安斎のナビによって目的地へとひた走っている。
「次の角は右で…、そのまま真っ直ぐ行って。そうすると古びた看板がある筈だ、そこに行けばもう直ぐですよ」
馬車のときはまだお互い無言だったが、ナビを開始するとそうも行かん。メールで伝わっていたがこうして話すとどうにも気にあって仕方ない。
蒼火に言うても「慣れた」としか返さんし…。私も慣れるべきなのか、これは?
「……ここだな?」
「あぁ、そうです。鍵があるけど開けられるか?」
「気にすんな、壊すから」
目的の、ほんの小さな倉庫前。
扉の前には頑健な鍵が幾重にもかけられていたが、蒼火がそれに手を添えて握ると、鋼鉄はまるで紙屑の様にくしゃりと音を立てて潰れ落ちた。
驚愕の安斎を横目に戸を開ければ、中には整然と無数の容れ物が並んでいた。半透明のそこから覗くのは、袋に詰められた色とりどりの衣服。
「手前のが客の要望で貸し出してる服だ。皮と薬は奥にあるわ。着いてきてくれ」
さして大きくはない倉庫だが、安西の案内を受けて奥へと進む。
進むごとに口内が渇く。唾を作り飲み込むことでそれを潤しながら見たのは、入り口付近に置かれている容れ物で隠されているクローゼット。
蒼火が取っ手を持ち、一つ聞いてくる。
「…開けるぞ」
この時ばかりは、私と安斎の動きは一致していた。
小さく頷くと同時に、ガチャリと開けられたクローゼットの中には、肌色の薄い“何か”がハンガーにかけられて綺麗に並べられていた。
ハンガーにはそれぞれの顔写真と名前、年齢、3サイズ、採取地といったプロフィールが簡素に書かれた張り紙が付いている。
このクローゼットの中にあるだけでも30は下らない。収納しやすい形になったとはいえ、このような姿にされて売られ、“自分”を奪われる。
手を握りしめれば爪が肌を突き破り、掌に血が溢れる。
「……すまねぇ。自分達の行為が原因で、こんなことをさせちまって…」
「…ふん。解っていれば良いのだ。そもそも貴様らが金儲けを考えなければ、これだけの人物が皮にされることも無かったのだからな! 」
「解ってる、解ってますよ…。もし信じられないようだったら殺してくれて構わねぇから…」
「む…っ」
その言葉に少しだけ腹が立つ。
自分で積み上げた罪を削ぎ落とすための行動だというのに、それをしていないのに死ぬつもりだと?
甘えているのか、コイツは。自分が人間に過ぎないから、鬼より脆い存在だから、居ても仕方ないとでも思っているのだろうか。
「…信じられないなら殺せだと? 戯けたことをぬかすなっ、まだ貴様は何もしていなかろうが」
確かに人間は鬼より脆い。正直に言えば敬服に値する類の人物というのにまだ殆ど遭っておらず、私の記憶を大きく占めるのは唾棄したくなる様な人物ばかりだ。
だからと言って、人間の全てがそうではないというのは解っている。那々のように他を想う事のできる人物を知り、今はその体だ。安斎はおそらく脅されたからだろうが罪を流そうとしている。
こういう存在も居るのだと、思ってしまう。知らされてしまった。
「逃げた久住は下衆だが、貴様が本気でそのつもりなら卑怯者と罵ってやる。
そのような者は絶対に殺してやらん、殺す価値も無いからなっ」
蒼火が信じていたい「人間」を、私なりに知ってみたい。
殺すことは容易いが、生きていなければ知るのは難しい。殺さずに、知っていかねばならない。そいつの人となりを、歩みを、どう罪を償っていくのかを。
だから、殺さない。
「ならばこそ、貴様は自らを殺すしか手段は残っておらんぞ。…蒼火も私も、もはやその気は無い。貴様の今後次第だ」
もしや自身の選択に後悔してしまうのかもしれない。そんな時が来てしまうのかも知れない。
しかし、やってみなければ解らないという言葉を私は聞いた。未来が見えないのなら、時の流れに任せるしかない。
酔狂な蒼火の生き方に感化されてきていると自分でも解っているのだが、不思議と悪い気はしなかった。
「そっか…、そうですか…。…わかったよ、どこまでできるかは解りませんがやってみます。見てやがれよ?」
僅かな黙考の後、気が晴れたような安斎が向けた笑顔は、少女そのもののであった。
途端、こんな小さい、年端も行かぬ存在に私は怒ったのかと自責の念が沸いてきて、ほんの少しばかり居心地が悪くなってしまう。
「よ、良いかっ、“地獄の沙汰も金次第”だと思うなよっ!? 沙汰の次第は、貴様の以後の生き方が全てを決めるのだからなっ!?」
その気持ち悪さを吹き払うように大声を上げれば、背を向けてる蒼火がくくっと笑うような様子を見せ、「鬼も頼めば人食わぬ、鬼も角折る、ってか」と呟いた。
うるさいよ!
その問答からほんの少し。
クローゼットを探っていた蒼火は、資料の入った携帯を閉じてこちらに向き直った。
「……確認したよ。確かに“こっちの”資料と一致してる。まだ人数は一致してないが、売られてるなら仕方がねぇな。
安斎、販売顧客のリストはあるか?」
「あるけどここにはねぇな。久住が所持してますし、あいつに当たればそこは解る筈だ」
「わぁったよ。次は皮にするのと戻す薬を…、朱那、そっちにあるから取ってくれ」
「これだな? 二種類あってどれがどれだか…」
私の後方にあるカラーボックスから、段ごとに入れられてた薬の容器を取ってみる。
見た目の差が乏しいそれに苦戦していると、隣の安斎が中身の形状と共に教えてくれた。なるほど、これでおそらく間違えることはあるまい。
とりわけ必要なのは皮となった被害者と、薬2種類。後は元に戻した時に着せるだけの衣服。
ただしそれだけでも大変な量となってしまったわけで、その全てを火車の中に詰めるのは無理かと思ったが、
「灯ー、大量に物が在るんだがトラックには成れるか?」
『できるよー』
その一言だけで済んでしまった。鬼としての生前は縁がなかったが、つくづく地獄というものは出鱈目だ。
「けど蒼火、久住がこちらに来たらどうすると…」
「気にすんな」
あっけらかんと蒼火は告げた。最善手は取れるのだろうが、それより確かに面倒で時間のかかる方法を。
「まずは倉庫を潰して、連中の“逃げ道”を塞ぐ。その後奴らの置かれてる状況を伝えて、逃げるか隠れざるを得ない状況にしてやる。
となるとどちらも独りで行うのは限りなく不可能に近い。そこからは芋づる式に潰していくぞ」
なるほど、確かに逃亡は目的地が必要であり、そうするための足、道具などが必要だ。
隠れる場合にも、衣はともかくとして食と住が必要だ。確保しているならまだしも、そうでないなら外部の協力者が必要となる。
そしてそれは…
「俺や久住の知り合いといった、後ろ暗い人たち…、だな」
「そういうこと。まずは久住の周辺を調査して、“お仲間”を見つければ一人ずつ浚って皮になった人物を戻していく」
ぬおぉ、思っていたことが安斎に取られた!?
慌てて次のセリフを取られないように、頭の片隅においていたことを問う。
「中の人物はどうする?」
「……聞きたいか?」
その瞬間見えたのは、蒼火の“ぎしぃ”と言わんばかりの笑み。まるでそこだけ絵のタッチが違うと解るほどだ。
言うなれば今までがGペン丸ペンでの絵柄だというのに、先ほどの笑みは筆だ。筆ペンでなく筆だ。それほどの違いが存在していた。
途端の変調に安斎も不安に思ったのだろう。
「おいアンタ…人間は殺さなかったんじゃないんですか…?」
「俺は人は殺さんよ。殺さんが…、殺す以外の方法はする。鬼なりの、人間じゃできない業を用いてな」
あ…。
…そういえばそうだったな。コイツの「窃盗&殺人以外は何でもします」という方針は既にあすなで実証済みではないか。でなければ女にして犯すものか。
これから蒼火がどれだけ爆走するのか、考えるだけで頭が痛くなってきたので片隅どころか脳の外へと打っ棄った。
* * *
少女は逃げている。
日も落ちきった夜、外灯だけがほの暗く舗装路を照らす道を逃げている。
少女は追われている。
全力で逃げているはずなのに、何度も撒こうとしているのに、その全てを嘲うように一歩、一歩とその全てに追いついてきている。
その間隔は常に自分の5歩前の位置。こつこつと、散歩のような乱れぬ歩調で着いてくる。
それはどれだけの手段を用いても変わらない。
走っても、自転車を使っても、二輪駆動車、四輪だろうと…。自分でも、別人が運転していようとも変わらない。
少女は…、いや、正確には少女の皮を被った男は、恐怖から逃げ惑っていた。
その男はそれなりに齢を重ねており、しかして人生に行き詰っていると考えていた。
仕事の先行きは乏しく、築いていた家庭は仕事に感けてけている間に崩壊しかけ、細君には離婚届を差し出された。
人生の転機が訪れたのはその直後。肩を落とし歩いていたところに、持ちかけられたのだ。皮の存在を。
詳しい存在は彼自身は知らず、また相手が語ることもなかった。それはそれで構わぬと自棄になっていた彼は、案を飲み込んだ。
その後「彼」は「彼女」となった。齢としては己の半分に満たぬ、娘と同等の身体ながらも生まれ変わり、人生を歩みなおした。
枯れていた生を取り戻すように性を貪り、正を哂いながら精を啜った。
細君に叩きつけられた離婚届を蹴り飛ばし、別人として歩み始めた生は順風満帆だった。
自分が使った薬の調薬法を伝えられ、これはと目をつけた者を皮にして、成り代わった。
その最中に出会ったのは一人の男だった。肉体は頑健だが精神が弱そうな、突かれれば崩れそうな男だった。
彼を半ば無理矢理引き込み、彼の仕事の行き先で見繕った良さそうな女性を皮にして調達した。欲しいと言った者に高値で売り、いつしか大きな収入になっていた。
販売は自身が行っていたが、時折使えそうなコネクションになる存在とも知り合うこともあった。
その時は若い肉体を駆使し、男としての精神と性感を知り尽くして、時には皮の旨味を心の底まですり込んで、彼らを篭絡していた。
その中には後ろ指をさされる、いわば暴力団と呼ばれる存在も居た。
逃げながら思ったのは、彼らの存在。団の大半は自分の手練手管で取り込んだ、彼らをぶつければ、あるいは。
淡い期待を込めて金バッジの下っ端を呼び、黒塗りのベンツに乗り込む。気配はまだつけてくる。
広大な敷地の中に呼び込まれ、予め事情を聞いていた者達が重火器を、あるいは刀刃を手に待っていてくれた。
これならば。これならばあの得体の知れない存在を止められる。
助かった暁には礼はたっぷりしよう。これだけの人数を相手にするのは骨だが、重火器を持たれれば相手は死ぬだろう。その開放感に比べれば輪姦される事など微々たる事だ、構うまい。
その時の彼女はそう考えていた。
だが、無駄だった。
恐怖は木製の正門を、拳一発で文字通り粉微塵にして襲ってきた。
陽炎のようなゆらめきを伴って、悠然と進入してくる。門前で突撃銃を構えていた金バッジ達は、木屑と土煙舞う中で侵入者に向けて引き金を引く、その前に意識を断たれた。
一瞬で彼は動いていた。その気になれば断頭台の切れ味にすら勝る手刀を、全力で手加減して首の裏に当てた。神足の踏み込みを以って、2人同時にだ。
泡を食って駆けつけてきた連中が見たものは、正門警護の連中が軒並み倒されている姿と、弾倉を抜かれた銃をバルーンアートのように捩じ曲げている侵入者の姿。
侵入者は大勢の迎撃に気付くと、まるで犬の形を成しているような突撃銃の成れの果てを放り棄て、
笑った。
その瞬間に、ある系統の争いに慣れている者達は反射的に引き金を引き、武器を強く握り締め向かった。
畏れたのだ。その存在が持つ気配を。気付いたのだ。その存在が持つ威力を。
ここで倒さねば、ここで殺さねば、自分達が殺られる。
それだけの存在感を伴った、威嚇としての笑みに気付いた者達だった。
攻撃から一泊置いて、殺せ、と怒号が響き、争いは始まった。
ともすれば多対一、しかも侵入者は無手で、彼等はその殆どが武器を持つ。端から見れば圧倒的な戦い。
だが彼等は気付かなかった。
下手な矜持と己を大事にする心を、両方とも握り締めてしまった、ということに。
矜持に背くことができず、侵入者を殺してそれを保とうとする。同時に己の命もその行為によって守ろうとした。
そのこと自体が失敗だったと気付かずに。
屋敷の奥で彼女が聞いたのは、無数の怒声と数多の火薬が爆ぜる音。
最初は大波のようなそれは、いつしか打ち消され飲み込まれていった。大波を瞬時にして蒸発させる、規格外の大火によって。
それに気付いたのは、あの足音が部屋の外から聞こえた時だった。
来た。
来てしまった。
障子越しに現れた存在は月光をさえぎり影を作る。ふわりと吹かれた風が長髪をなびかせ、また重力に沿って垂れ落ちる。
「悪い子はいねぇか…」
影が眼鏡を外すと、その途端に容を変えた。額に角が生え現れ、髪が僅かに持ち上がると変化は乏しいが、彼女は思考を巡らせる。
どこかでこれと似たような、気配を知ったはずだ。これはそう、なんだったか?
「人の皮を被る、悪い子はいねぇか…」
声音が腹の底に響いてくる。
そうだ、これは、殺気だ。
あの時、振り上げられた刀が落ろされようとしたときに感じたものだ。
アレとはまた違うが、アレと良く似た殺気だ。
ずっとつけて来たのだ、自分を。逃げられない限界の所まで逃がし、その上で捕まえる為に。
そうさせないために配置した男達に、どれだけ鉛弾を打ち込まれようと、鋭利な刃を振りかざされようと全く意に介さず、肩で風を切るようにこともなげに、この場までやってきたのだ。
「調子に乗ってる悪いガキは、いねぇかァーっ!!」
咆哮と共に、ほんの少しの遮りであった障子が消し飛んだ。
咆哮と共に、彼女は内心に満ちた恐怖が理性を持っていった。
少女の皮を被った男が最後に見たものは、蒼髪金角の鬼だった。
* * *
「あー……」
「ただいまー。良い感じに捕まるぞ、大漁大漁」
蒼火が今日3人目の“皮”着用者をとっ捕まえてきた。中の人間を取り出して、少女の皮に戻すための薬を使うのも最早手慣れたものだ。
出てきたのは恰幅に富んだ中年の男、久住だった。
恐ろしいものを見て気絶しましたと言わんばかりの形相で倒れている久住を別室に押し込め、薬を用いて皮の少女を人間に戻す。
程なくして眼が覚めた彼女は、不思議と自分の置かれていた状況を把握しているようで、放っておけば首でも吊りかねない様子だった。
とは言えど、そんな事態をみすみす放っておく奴ではないのでアフターケアを一つずつしていく。
皮になったまま売られずに済んだ場合は、催眠措置によってその間の記憶を消しておく。
売られてしまった人物は、時間操作が可能な魔具を用いて肉体時間の遡行と、精神面のケア。こちらに関しては長くやっていかねばいけない、ということだけは解るだろう。
さて、一方の久住等“皮”の製作者・購入者だが…。
心を落ち着かせる香を焚き、被害者を一度深く寝かせた蒼火は電話をかけた。
「もしもし安斎、そっらの様子はどうだ?」
『順調だぜ、全員が漏らすほどですから』
電話越しに聞こえてくるのは、通話先の相手と、該当する連中の悲鳴と恐怖の声。
地獄とは別の、黄泉比良坂に放り込まれた連中は、あの世の使者たちによる盛大な“お持て成し(という名の拷問)”を魂に受けてる真っ最中だ。
その結果と経験は直接魂に刻まれ、今後悪事を働くようならばこの記憶がフラッシュバックする特別性という念の入用だ。
「そか。今日はもう良いから、戻って後は休んどきな」
『いいのか? そちらだって働き詰めでしょうに…』
「こっちは慣れてるからいいの。体力だって有り余ってるんだから、使わないと鈍っちまう」
通話先の安斎を労わりつつ、自分はまだまだ働きますよと宣言している。
というか蒼火、貴様も休め。かれこれ3日間ほど、1日1時間の仮眠しかしておらんだろうが。
「あすなー、久住の魂を向こうに連れてくから、引っ張り出してくれるか?」
「構わんぞ。向こうに送るのもやっておくから、その間に貴様は少し寝ろ」
「ぇー、仕方ねぇなぁ…」
嫌そうな顔をするな。
胸のエンジンに火がついた状態の蒼火を止めるのは、かなり難しい。とはいえ忠告が全くの無駄になる訳ではないので、これはこれで良し。
頭を掻きながら寝室に向かった蒼火の横で、気絶してる久住の肉体から魂を引っ張り出す。
呪言を書いた手で肉体に突っ込み、魂だけを引っ張り出す。“しるばーこーど”とやらが切れないように注意を払いながら、忌乃家の井戸に投下。
後は下で待機してる獄卒が受け止めて、黄泉比良坂に移送すれば後は終わるまで待てば良い。
そして少しだけ経過した後、今度は安斎が井戸から上がってきた。まるで舞台装置の「奈落」の如く、競り上がってくる。
「戻ってきたか」
「えぇとその、まぁなんだ…、ただいま…」
あすなと同様、姿がまるきり変わってしまった安斎は、忌乃家で面倒を見ている。
地獄の刑罰による精神失調に関しては、獄卒達曰く「自然と落ち着くのを待つしかない」らしく、現在は経過を見守っている最中。
蒼火は肉体を戻す方法を用意できると言ったのだが、安斎はそれをやんわりと拒否した。その理由に関してはまだ何も言い出さない。
「先ほど久住を送ったぞ。これだけ早く戻ってくるなら、もう少し待てば良かったな」
「そうなんだ……」
「…何か言うべき事でもあったか?」
「そういうのは別にねぇんだ。けど久住さんも、あの拷問を受けるってなると少し、ね」
「気後れか?」
「少しだけな。口車に乗らされて共犯者にさせられちゃったけど、それでもやっぱり愉しみきることは出来なかったからな…」
「そうか…」
淹れてきたお茶を渡し、横に並んで啜る。
外見どおりの子供になったせいか、熱湯はさすがに熱すぎるようで息を吹きかけて冷まそうとしている。
「あー…、すまん、もう少し冷ました方が良かったな」
「気にしなくていいさ。わたしもお湯も、ゆっくり飲み込めるようにしなきゃいけないんだし、自分のやった罪もあります。
…子供に気を使ってもらうほど、子供じゃありませんからね」
あー…、そうだな、こいつの認識では私は高校生か。ならば大人ぶるのは至極当然なのかもしれん。
外見が子供のまま故に、少々滑稽に見えてしまうのは致し方あるまい。
「…さて、あすなの方にも茶を持っていかねばならんな。そろそろ喉を乾かしている頃だろう」
急須と茶葉を入れた缶、お湯を入れた魔法瓶と湯のみを盆に載せて奥へと向かう。
あすなだが、コイツは現在座敷牢に軟禁中だ。
蒼火曰く「どうせ自分を危機に晒して俺の中で存在を大きくしたかったんだろう」とのこと。
残念だがこの件に関しては、完全に自業自得としか言いようがない。未だ奴は自分が犬神使いだったときの感覚で動いているのだろう。
それ故に裏家業のコネクションを駆使して安斎や皮のことを辿った。
軟禁はそれをハッキリと認識させることを目的としているのだが、果たしてどれだけ効果があるのか。少し疑問に思う。
変わらなければならない。
蒼火が人間から鬼になったように、私が男から女になったように。
あすなも、安斎も、“過去の自分”から変わっていかなければいけない。
少しずつ、少しずつ。
それはきっと、私にも言えること。
鬼であったときの意識から、人間としての意識へと。
出来るのだろうか、と不安になる。
出来なければいけないのか、と思案してしまう。
ただハッキリしているのは一つ。
世界は不変を容認しないということだ。
変われと、急かされているのは、きっと誰もが同じなのだろう。
私も、あすなも、安斎も。
……そしてきっと、蒼火もだ。
罰さんの作品は作品の空気が好きなのです!
死神もですが、TS家族も期待してます!
もし実際に人皮売買があったら、自分も手を出しておしおきされそうです。
これまでの再UP及び新作投稿お疲れ様でした。
また、彼等に逢える日を楽しみにさせて頂きます。
って調子で読んだら全部読んでしまったでござる。
途中で話が切れてて気になってたので、投稿されてよかったです。
『鬼』としての朱那と蒼火のぶつかり合いは燃えましたよ。
他の作品の続きも気になりますが、変なところで切れないようにしてもらえると助かります。
(今作のこともあるので(笑))