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死神、参上 2人目

2011/05/24 16:46:54
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夜の藍色を拒むかのように、真っ赤な光を放つ月が空に上ってる。
今現在の俺は死神、女の姿になって正装し、手には《狩魂葬具》の武具も収まってる。
目的の場所は、俺の住む街から少し離れた人気の薄い箇所にある洋館。高校の学区が違う場所にあるため、普段ならこんな場所には、夏の夜での肝試しか罰ゲームくらいでしか来ないだろう。

…にも関わらず、今現在の俺はこうしてここに来ている訳だ。
ここに来る契機となったのは、いつものように携帯へと飛び込んできた閻魔庁からのメール。
つまるところ、仕事の通達があったからだ。

名前、折田真白(おりた・ましろ)。年齢、98。死因は持病の心臓発作。
特記事項として書かれていたことは彼の経歴。蒐集家であり、不動産経営で成した財産を使って品物を集めていた。人間関係などはきわめて浅薄。個人主義。
これだけを見れば、どこかにいそうな偏屈爺さんで済む話かもしれない。ただそれだけで終わりそうに無いと思ったのは、この内容を伝えたときに一が言ってきた言葉が原因だ。


俺と一が一緒に下校している最中。小野寺の癖である髪を捩るように弄りながら一は言ってくる。

「…何か妙なんだよね、その特記事項」
「何かって…、何がなんだ?」
「うぅーん…、ボクも明確にこれがおかしい、って言えるわけじゃないんだ。ただなんとなく気になっちゃって…」

篠崎一が「小野寺ほのか」として転生してきた時も、魂の根底にあった記憶や演技力、勘の良さに運の良さは変わらない。今でも勝負事では負け続きだし、一の強さは変わらない。
というか女になってから演技力に磨きが掛かったというか、俺が振り回されることが増えたというか。
女の武器とも言うべき涙まで使ってくるから、全局面的に俺は一に勝てなくなった。
男と女の力関係ってのはこんなモンか? それとも俺が強気になれないだけか?

「うぅーん…」

一は腕を組みながら唸り、考えてる。腑に落ちないところが何なのか、自分なりに落ち着けようとしているのだろう。
その最中、ふと目に付いたのはコーヒーショップのチェーン店。そういえば小野寺は、この店のソイ・ラテが好みだったよな…。

「なぁはじ…ほのか」
「うぇ? …どうしたの、九十九くん?」
「考え事するなら少し腰落ち着けよう。そこに店あるし、奢るよ?」
「良いの? やったっ、じゃあ行きましょうっ♪」

店の前ということで人目を気にし、学校での立場で会話をしながら店に入る。
注文をしている最中にも一は悩み続けて、俺が声をかけなきゃ動かない。店員が呼んでも行動しないほどなので、俺が代わりに注文。
一にはソイ・ラテとクッキーを、俺はカプチーノとドーナツを買ってテーブル席に座り、味を調えてから一口飲んで、ようやく一は口を開いた。

「うーん…、不思議だ…。どうしてその折田真白翁は蒐集をしていたんだろう。ねぇ九十九…」
「ちょ、ちょっと待て一、声をもう少し小野寺っぽく…っ」

場所も忘れていつも通りに話してくる一を慌てて手で制して。
…危ない危ない、うちの学校の連中もたまに来るから、いつどこでこんな会話を聞かれるか解らないからな。用心に越したことは無い。
気を静めて、周囲の人たちの心を読んでみる。

……新聞の内容を反芻する思考。
……会話をしながら行われる、互いの腹の探り合い。
……この場で仕事を詰める人間の焦燥。
……嫌な記憶を作った人間へと向ける悪態。

その場に居るだけの人間の思考があったが、その中で誰も俺たちに気を回すものは居なかった。
そこまでやって、ようやく一の方を見て。
…見てみると、拗ねてた。そっぽ向いてソイ・ラテをかき回してる。表情はやや半目で膨れ気味、心を読まなくてもご機嫌斜めなのが一瞬で解る。

「…、えぇと、ほのか…?」
「…………」

あ、だんまりだ。
魂がいくら「篠崎一」のものだとしても、肉体である小野寺ほのかとして癖はどうしても出てしまう。そして一の癖を熟知しているからこそ、むくれてて普段やらない行動が小野寺のものだと解って、ちょっとだけ可愛さを感じてしまう。
しかしそれ以前に俺の目の前には大問題が提示されていて。

「九十九くんひどい、私が声をかけてもぜんぜん聞いてくれなかった…」

いやそれはちょっと前のお前に…、…いや、こりゃ全面的に俺が悪いや。一はいくら考え事をしてても、俺の声にだけは反応してくれてた。
それに比べて俺はどうだ? 一の言葉にぜんぜん反応せず、読心に対してムキになってた。そりゃ怒るよなー。
何はともあれ謝らないといけないので、頭を下げる。というかむしろテーブルにこすり付ける勢い。

「ほのか、ごめん…」
「むぅ…」
「ごめん、聞いてあげられなくて。ごめん、別のことに気をやってて…」
「……」

謝り続けても一は無言だ。これが俺を謝らせるための手段だと知っていても、俺は謝らずにいられない。
周りの客の邪魔にならないよう、30回目の謝罪を言い終えると、ようやく一は機嫌を直してくれた。

「そこまで九十九くんが謝るなら、許してあげる。別れようかって悩んだのも無かったことにするからね」

そんな気は無いくせによくもまぁいけしゃあしゃあと。
…と思いはしたものの、言ってることはいつもの一と変わらないので、二重の意味で安堵の息を吐きながらカプチーノを飲む。ちょっと冷めてた。


「それでほのか、さっき俺に言おうとしてたことは何だったの?」
「あ、うん。そのことなんだけど…。気になる事の目星がついたから言っておこうと思って」

さっき俺が「小野寺っぽく」とか言ったのを忘れて、普通に会話しだしてきた。
あぁもうこいつぁ…。

「その、折田真白さんだっけ? 蒐集物は何なんだろう。その辺りは書かれてないの?」

一の言葉が気になって携帯を開き、画面に視線を落とす。《練身万化》の擬態を目だけ解いてメールの該当部分を舐めるように見ても、やっぱり書いているのは同じ。

名前:折田真白
年齢:98
性別:男
住所:××都▼▼区☆★☆番地
予定時刻:20時18分頃
死因:心臓発作
現場:住所と同地
特記事項:蒐集家。往年築いた資産を使い物品を集めている。個人主義。

目を戻して少しだけ首を横に振る。

「いや、書かれてないな。…そもそもクゥは必要最低限のことしかメールに書いてこないし、何かが起こっても絶対『そうでしたか、じゃあ解決がんばってください』って言うに違いない…」
「あはは、かもね。あの人結構傍観者の気があるから…」
「しかも状況を他人に丸投げするからな、あいつは。振り回される方の身にもなれってんだよ…」
「うーん、丸投げしてる間に自分がやっておくべき事をやる、って人だと思うんだけどね。あの人、良くも悪くも“その人ができること”を把握してやらせてる感があるからさ」
「…なんかクゥ寄りの意見だな、それ」
「僕があの人に助けてもらったのは確かだし、《骸体憑繰》を教えてもらったのも確かだからね。…そういう九十九だって、内心では感謝してるんでしょ?」
「……まぁな」

確かに俺はクゥに感謝してる部分はある。部分は、だけど。
やっぱり一は俺の心を見透かしてくる。嬉しい反面、隠していたい思いも見えてしまうのでちょっと恥ずかしい。

お互いコーヒーに口をつけたら、また一が口を開いてきた。

「……けど、クゥさんが書かないとなると…。九十九でも何とかなるか、もしくは九十九じゃ力不足か…。多分そのどっちかだと思うんだ」
「それがどっちなのか、ハッキリ言ってさっぱりだけどな」
「クゥさんの心は読めないの?」
「無理無理、ガードが固すぎて読めないって」

いくら読心能力を持っていたとしても、自分より上位の存在や、精神的なガードが固い相手にはその力が全くといって良いほど働かない。
これが現状での、俺とクゥの力関係にもあたる。

「…にしても気になるな。何でクゥが書かなかったか」
「やっぱり? そうだよね、九十九って首を突っ込みたがるから…。やれやれ…」

あまりにもわざとらしい溜息交じりのセリフ。男同士でも何度かあったやり取りだが、その時とはまた違う感情が湧いてきて。
今は何故か“すまない”とか“ごめん”とか、そんな謝罪の想いが出てきて…。

「……やめておこうかな」

とか、こんな言葉が出てくる。一の方を見ると、目を見開いてこっちを凝視してた。

「嘘だぁ、何でいきなりそんな…。九十九気になったことは調べずにいられないタチなのに…」
「ん、んなこと言われてもなぁ…。その、お前にそんな顔されると…、なんってぇか罪悪感があるって言うか…」
「え? え? ……あ、ボクだよね、うんうん」
「他の誰がいるんだよ他の誰が…っ」
「…うん、でも九十九がそう思ってくれるのは嬉しいな。良いにしろ悪いにしろね。何しろ九十九、のめりこむと時間を忘れるからさ。その辺りがちょっと心配なんだよ」
「悪かったな…。お前にそう言われるから止めようと思ってたんだよ…」

一から視線を逸らしながら、カップに残った最後の一口を飲み干す。ソーサーに置いて再び視界に一の顔を入れると…。笑顔を浮かべていた。

「何だよ…」
「えぇとね…、えへへ…。そう言ってくれるのが嬉しいなって思えてさ。大事にしてくれてるって事だよね」

嬉しそうにはにかむその顔は、確かに可愛くて。自分より年上である「小野寺ほのか」の、確かな1つの面がそこにあって。
けれどその表情はすぐに変わった。

「けど、やっぱり九十九は行って良いと思うんだ。九十九が気になることは、遅かれ早かれ調べないと気がすまないでしょ?」
「そこは…我慢するというか、何と言うか…」
「ほら、それが良い証拠。無理は精神の毒だから、なるべくして欲しくないんだよ?」
「……わりぃ、ちょっと考える」

シンキングタイムはたっぷり30秒。
確かに何を蒐集しているのかは気になるし、メールにそれが特記事項として書かれてたのかも頭の端に引っかかって離れない。
どうすればその疑問が解けるかは直接見に行くしかないわけで、しかし俺は行きにくく思っているわけで…。

しかし、16年生きてきて染み付いた性質というのは、そう簡単に拭えるものじゃない。
考えれば考えるほど、行きたくて調べたくてしょうがなかった。

「……解った、じゃあ行かせて貰って…、いいか?」
「うんうん、それが良いよ。無理して勉強に身が入らない九十九を見るのも嫌だしね。それでいつ行くの?」
「今日のうちに行くつもり。距離があるわけじゃないし、今夜中に調べて戻ってこれるだろ」
「そっか。気をつけてね、九十九」
「あぁ、そこだけは十分に気をつけるよ」

会話の流れがこれで切れて、気が付けば2人ともコーヒーは空で。それぞれの帰宅のために席を立った。

けれど気付けなかった。俺は今夜、離れるべきじゃなかった。
家から、そして何より、六月の元から。

* * *

と、こうして冒頭部分に戻ってくるわけで。
俺は現在、折田真白の屋敷に来ている。住宅街からも離れた場所に建ち、周囲には林が生い茂ってその存在を隠すかのよう。
屋敷に通じる道路は一本しかなく、当然それを通ろうとすれば監視カメラのお出迎え。車で来ればナンバーを、歩いてくれば顔を、どちらにしてもばっちり撮られてしまう。
それ以外の方法もあるにはある。道路脇にある樹木の間を潜り抜ける方法が。

「…ま、念には念を入れてみようかな」

聞こえないように呟いて、《透過浸行》を発動させる。これで自分の体は物質的な妨害を受けず、人の目に映ることも無い。
その状態のまま、さらに道路から外れて林の中を突き進んでいく。

…それにしても、やっぱり整備されてない、土がむき出しの地面だとどうにもスカートや髪の毛が気になる。
見てお分かりだろうが、俺の穿いてるスカートは裾がとても長いわけで、下手をしなくてもブーツが隠れてしまう程。おまけにフリルが山のようにある。土でもついたら汚れて一発でアウトだ。主にドレスの洗濯的に。
自然とスカートを軽く持ち上げて歩を進めるのは、決して間違ってはいないだろう。
髪の毛の場合も同様、地面につくほど長いっていうのは綺麗かもしれないけど、こういう場合に限っては面倒な事極まりない。

土を巻き上げないよう、ゆっくりと歩いていって10分程。ようやく敷地内の中心点ともいえる屋敷に到着して、外周からじっと見てみる。
特に何も怪しい所はない、ように見える。しかし何も無いように見せかけて実はその裏で…、というのは、一相手のゲームで何万とやられたブラフなので、どうしても気になってしまう。
尻込みしつつ、しかし何かあった時に備えて《狩魂葬具》を発動、右手の中に鎌を現出させる。

「行ってみるか…」

《透過浸行》の効果は続いたままで、屋敷の外壁さえ物ともせず不法侵入。なるべくセキュリティシステムの外を気にしながら入った先は、長い廊下。
窓のある壁と、反対側には部屋へと続く扉が無数にある。果たしてここは何の部屋なのかが気になって、読心を行う。

……。
……。
……。

何も聞こえない。壁の向こうに人が居ないのか?
気になって顔だけ通して覗いてみれば、そこは使用人の部屋らしきところ。けれど人が生活している様子は無い、埃の溜まった家具が置かれているだけだ。
周辺の部屋を覗いてみても、様子はまったく同じ。この一帯には人は誰もいない様子だ。
なるほど、こりゃ聞こえないわけだ、誰もいないんだもんな。

屋敷内を対象に、もう少し読心の領域を広げてみる。これだけの規模を持ってて、使用人が居ないというのもおかしい話だ。少なくとも1人か2人は居るだろう。
そう考えて知覚しようとしても聞こえてくるものは、外を駆け巡る風の音しかない。
本当にいないのか? まさかこんな屋敷を持っていて、誰も?
おかしい、個人主義とは書いてあっても人間嫌いじゃない筈だ。何でこれほどまでに人の気配がないんだ? それにもっと、大事なものが抜けているような…。
思考のスパイラル陥ってると、ふと後ろから声がかけられた。

「こんばんは、死神です」
「っ!?」

驚いて振り返る。気配も無く後ろに立っていたのはクゥだ。
こいつ、相変わらず人を脅かしたりおちょくったりしやがる…。

「えぇまぁ、それが楽しみの一つですしね」

こちらが一方的に心を読まれるのも変わらない。早く気付けるようになりたいもんだ。

「三条さんが読めるようになっても、私は心を無にするだけですけどね」
「少しくらい希望を持たせろぉ!」
「……さて、三条さん。本題に入りましょう。どうしてここに居るんです?」

クゥはいつもと変わらない、何もかも見透かすような視線で問いかけてくる。
そもそも読心によって、こんな問いかけが無意味極まりないものであっても、クゥはしてくるだろう。
弄る場合はちくちくとやってくるのがこいつだ。

「解ってるじゃないですか。ですが私は三条さんの口から理由を聞きたいんです」

口元だけが笑うアルカイックスマイルが、こんなにも胡散臭いものだと思い知った今日の夜。
下手に隠すこともできないという諦観により、仕方なく口を開いて伝えていく。

「仕事のメールで特記事項があったろ? あれがどうにも気になってな。こうして折田真白の屋敷まで来たんだよ」
「ほう。で、現在の収穫は?」
「…この屋敷の中に、人が居ないって事くらいだ。おかしいと思って考えてたら、クゥが来たんだよ」
「なるほどなるほど、無人、お屋敷、三条さんの、見立て」

明らかに人を小ばかにするように、片言のように区切って発言してくる。その心中を覗く方法は俺の力量ではまだ無理だし、…ん?
…俺の力量では、心を読めない? もしかして…。

「おや、気付けましたか、三条さん?」
「……合ってるのか、クゥ?」
「えぇ、ばっちり正解です。ご褒美にハグ&私と69できる権利をあげましょう」
「いらねぇよ」
「そうですか、恋人5人と一緒にし合っただけはありますね。この経験豊富め」

うるせぇよ。

「…俺より能力が高い奴が居るって事は解った。解ったが…。…何で特記事項を書いたんだ?」
「それは道すがらお教えします。着いてきてください、三条さん」

言葉だけを述べて踵を返し、奥のほうへとクゥが歩いていく。着いて来いといわれたから行くんじゃなくて、行かなければ聞けないからだと思ったのだ。
何より相手はクゥだ。後々から聞いても、
『あの時聞こうとしなかったので言う必要はありません』
とか言って切り捨てられるのがオチだ。今聞く以外に、理由を耳にする可能性は無い。
クゥの後を着いていき、小さな背中に追いすがる。
クゥも《透過浸行》を発動しているようで、壁や調度品なんかをまったく無視して進んでいる。
その途中、向こうが口を開いてきた。

「まず特記事項として書いた内容は覚えてますよね、三条さん?」
「あぁ。蒐集家で個人主義で…、でもそれが何で強い奴の話になるんだ?」
「急かさない急かさない、物事には順序ってものがあるんですからね」

だんだんと屋敷の奥、主の部屋へと進んで行き、そこで止まった。

「蒐集家というのは、己の趣味のために種別は問わず様々なものを集めていく者たちです。
いくら金額が高かろうと、持ってる人たちには関係なく、同好の士に自慢できるものがあれば、曰く付きな物さえ平気で買い漁ります。
あ、三条さん。この扉斬ってみてください」
「え…?」
「いいから」
「…わ、解ったよ」

突然の凶行示唆にいぶかしみながら、俺は鎌を掲げて扉に向け振り下ろす。
どう見ても木製だ、金属さえ簡単に断ち切れる《狩魂葬具》の鎌なら、これくらい…。

ガギンッ!!

これくらいどうということもない、と言わんばかりに、扉の前に不可視の壁が現れた。それは俺の鎌さえ遮るほどの硬度、そして…。

「……これが折田真白の力の一部です。やっぱり三条さんでは切り崩せませんでしたね」
「相変わらず解っててやってるだろ、お前…」
「当然です。…何はともあれ、身を以って知るのが一番ですから。あ、ちょっとどいてください」

言葉を言うや否や、クゥは自分が持っていた鎌を振り切った。俺の鎌より小さく、しかしクゥとの身長差によって大きく見える鎌は、不可視の壁を易々と切り裂いた。
見えない筈なのに、一部だけに酷く深く、そして大きい傷が出来ている。
ミシ、ビキ…、と音が鳴ったと同時にそれは砕け、魔力の欠片が散っていく。後に残るのは、壁の向こう側にある、主の部屋への扉。

「これで良し。じゃあ行きましょう」
「あ、あぁ…」

そのまま扉を開けず、すり抜けることで入っていく。
あの壁、恐らく外敵からの防御のための壁だ。しかも物理的・霊的を問わない、高い能力を備えている。クゥが切り裂いた魔力の残滓を探れば、それはこの部屋の周囲を囲い…、そして下へと広がっている。
何か隠しているのか? ここに、こんなことをする必要があるものを? 何のために?
疑問が晴れないまま、折田真白の部屋に入り込む。
と、そこはまるで、テレビの中でしか見たことが無いような、一級品と言っても良い空間が広がっていた。
豪奢だが座り心地の良さそうな椅子。大量の蔵書を蓄えておく書架。これを売るだけで半月は暮らせるんじゃないかと言うような敷物。
周辺に置かれた調度品もバランスよく配置され、その全てが調えられていた。

「目的のものはここにありませんよ、三条さん。はいこっちこっち」

この部屋に興味は無い様子のクゥが俺を促してくる。また眼前に見えてくるのは、先程気にもなった書架。
ガラス戸を開けて一冊の本を取り出そうと指をかけ、傾ける。
すると横の壁がずれ、地下へと続く階段が現れた。

「こんなものがこの屋敷にあったのか…」
「どう見てもワインセラーには見えませんよね」

地下への道を見ていたクゥが、突然振り向いて俺のほうを見てくる。顔には相変わらず「無表情」の仮面が張り付いているが、出てくる声は真剣だった。

「私の目的のものはこっちです。……これ以上、着いてきますか?」
「…今更引き返せとか、そんなことを言われるとは思わなかったよ。…勿論行くさ」
「解りました。…ここからは少し時間がかかりそうなので、降りつつ説明しましょう」

クゥが先に進んでいく。先程と変わらぬ、クゥが先導して俺が付いていく構図のまま、蝋燭で照らされた螺旋階段を下る。
途中で、先程言ってた事、説明のために向こうが口を開いてきた。

「さて、先程話していた事の続きと行きましょう。蒐集家の性質は話しましたよね?」
「あぁ…。己の趣味に沿うものを集めるとか、同好の士に見せるためとか。そんなことを話してたよな」
「そうです。さて、では次のヒントですが…。折田真白の性質は何だったでしょう?」
「個人主義、だよな。他者より自分を重視するような、偏屈みたいな感じがするんだけどさ…」
「まぁそれでほぼ間違ってませんね。折田真白は面白いほど他人より自分を優先します。
さて、ここで質問です。折田真白に同好の士が居たか否か? お答えは如何に?」

言葉の一つ一つを講義するように述べていくクゥ。その歩調も口調もまるで変わらないようで、背筋が寒くなっていく。
それと同時に、告げられてくる真実も薄ら寒くなるようで、自然と自分の身を抱きしめる。
けれど出された質問に答えないわけには行かなくて、思ったとおりのことを口にする。

「……多分、居ないんじゃないか?」
「ほう、その心は?」

人の心中を読めるくせに問いかけてくるクゥはさておく。

「感覚的なものに近いというか、一との会話で思ったんだが…。蒐集物の内容をメールに書かなかったよな?
書かなくても良いのか、書けないのか、どっちかで悩んでたんだが…。そうやって前置きされると、後者だったのかと思ってな」
「なるほど、正鵠を射てますね。その通りです。
折田真白は“蒐集物を披露しあう仲間が居ない”んです。さてそれが何を意味するのか…?」
「それらは全て、自分のために蒐集した…」
「加えてもう1つ。他者の目に見せられない物だから、というのが付随してきます」
「見せられないもの? それは一体何なんだ?」
「その問いは私が言わなくても、この先の部屋に入ることで解答が得られます」

いつの間にか下層に着いていたのか、階段の周囲に灯る蝋燭以上に強い明かりが、眼前の部屋から放たれていた。
息を呑み、覚悟を決めて、その部屋への門を潜る。

そこに広がっていたのは、形容しがたい部屋だった。

蝋燭以外に明かりは無い。
広いスペースには、その中央を埋めるように何らかの円と文字の集合体が描かれている。
先程の部屋にあった書架より、遥かに大量の本が棚に納まっていて。背表紙に一目でわかる題名が刻まれてもいない。
無数にあるテーブルには、どの生物から採取したかわからないホルマリン漬けの内臓があり、奇妙な材質の髑髏があり、俺には皆目検討も着かない用途の道具が散乱して。
どう見ても尋常じゃない、直視していたくないものが広がっている。
理解したくないという感情も相まって、クゥに問うてしまう。

「…おい、クゥ。…どういうことだよ、これ…」
「まだ死神になって歴の浅い三条さんには難しいでしょうね。……ここは、魔術師の部屋ですよ」
「魔術師…? 魔法使い、とか…?」
「…ま、おおむね間違ってはいません。用法が違うのもまた横に置いておきましょう」

周囲にあるものをねめつける様に見ながら、クゥは近くにあったホルマリンの1つを手に取り、弄ぶ。
ここにいるだけで気持ち悪く感じ、吐きそうな衝動に囚われるが、押し殺して我慢する。

「これが“見せられないもの”である理由です。まさかこう言った類の物品を、にわかオカルトマニアの連中に見せられると?」
「…いや、思わないな。…あまりにもここは気持ち悪すぎる…」
「でしょうね。本の並び方にも、道具の配置にも、…そして足元の魔法陣にも、地脈から一定以上の力を引き出すよう計算されつくして配置してありますし」
「…解るのか?」
「そりゃぁもう。伊達に長年生きてませんよ?」
「あぁ、そうかよ…」

落とし気味だった視線を前へ向けると、クゥは標本や道具、そして棚に仕舞われていた本を取っては懐に仕舞いこんでいる。

「おい…、何してんだ…?」
「見て解りません? 頂戴しているんですよ」
「…良いのかよそれ、泥棒じゃねぇのか?」
「別に問題ありませんよ。あと一週間せず死ぬ存在ですし…、私がここに来た理由は何より“これ等の道具”ですから」

あっけらかんと爆弾発言を伝えてくる。

「正直な話、折田真白はここ最近行方をくらましてましてね。予定ではあと少しで死にますが、三条さんとガチでやらせるには不安なんですよ」
「…………」
「ですからこうして道具を頂けば、無くなったことに気付いて戻ってくるかもしれません。
…そのほかにも、彼に供給される地脈の力を弱化させられるので、悪いことばかりじゃありませんよ」
「…お膳立てってことか…」
「身も蓋もない言い方をすればそういうことですね。死神になって1月程度の新参者では、人間相手が精一杯だったんですけどね。
えぇと…、バイコーンの角に、これがゾンビパウダー、蝙蝠の吸血牙と…。魔道書も幾らか持っていきますか。
あ、三条さんも持てる物があったら持ってってくださいね。それだけ術式を乱せるんですから」

その行為がどういったものか、という事を理解しつつ。その行為が結果的に俺を助けるものだと理解しつつ。
後ろめたさからかその手が伸びる事はなくて、ただ、手は机の上にあった書物を開くだけに至った。
革で装丁された表紙を捲ると、そこには日付と、恐らくその日に起こったであろう事が書かれていた。
恐らく日記であろうそれは、けれど内容がサッパリで、文字がまるでミミズがのたくったようなよく解らない文字で書かれていた。

「……これ、日記なのか?」
「おや三条さん、何か面白いもの見つけました?」

俺の呟きに反応してクゥが寄ってくる。大方ネタに使えるかと思ったのだろうか。

「よく解ってるじゃないですか。では早速中身を拝見♪」

俺の手から日記を引ったくり、相好を崩して読みふけりだすのだが…、それはものの10秒で終わった。
日記を閉じたその表情は既に笑顔ではなく、しかしいつもの無表情ではなく。今まで見たことの無い真剣なもので。
たっぷり10秒ほどの間を取ってから、クゥは言った。

「……読めません」
「やっぱりクゥにも読めないのか…」
「そうですね、流石に読めませんよ、こんな魔術文字。ここはご同業の魔術師に翻訳してもらうのが一番ですかね…」
「魔術師に知り合いがいるのか?」
「そりゃぁもう。伊達に長年生きてませんよ?」
「ふぅん…」

無い胸を張りながら、これも頂くとばかりに日記を懐に仕舞いこみながら言ってくる。

「…さて、これ以上の長居は無用でしょうね。いることに気づかれるのもなんですし、さっさと退散しましょう」
「はいはい…。…あ、俺は何も持っていかないからな?」
「そうでしたか。それならそれで構いませんよ」

そのまま俺たち二人は、空間に溶けるようにしてこの場から去った。地獄を経由しての移動で、帰還した痕跡を残さないためだ。
…今さら痕跡を残さない事に関しては、無駄と言っても間違いないだろうなぁ。

* * *

今夜の私、三条六月は1人きりです。
用事があると言って、お兄ちゃんがお姉ちゃんになってから出かけていきました。
死神としての力を乱用しないお姉ちゃんは、何かあるときは決まって私に声をかけてから行きます。
けれど詳しい内容は決まって秘密で、私に教えてくれることはありません。ちょっとだけ淋しいかな。

夜の8時半過ぎ。学校から出された宿題をやってると、少し解らない問題が出てきて、お兄ちゃんに教えて貰おうと席を立ちました。
お兄ちゃんの部屋の前で扉をノックしながら声をかけて、

「お兄ちゃん、ちょっと勉強教えてほしいんだけど…、入るよー?」

そうやって声をかけて、扉を開けてから気付いた。そういえばお姉ちゃんになって出かけちゃったんだって。

「うー…、…どうしよう。お仕事じゃないみたいだけど、待ってようかな…。それとも…」

お姉ちゃんがお仕事に行くときは、決まって私に「仕事に行く」って声をかけてくれる。
今回はそれが無かったから、お仕事じゃないんだろうけど。
『気になったことができたからちょっと見に行ってくる』、とだけ言われても、私には解らないよ…。

「…電話してみようかな」

宿題に気を取られてて、一人だということを忘れてた私は、改めて1人だと気付けば途端に淋しさが溢れてきた。
携帯電話を取り出して、アドレス帳からお兄ちゃんの番号を表示する。いつでも一番にかけられるように、「あ」行の頭に入ってる番号を。

「えぇい…、かけちゃえっ」

思い切って通話のボタンを押す。寂しさで胸が溢れてる私は、後で怒られても良くて、とにかくお兄ちゃんの声が聞きたかった。
コール音が何度か鳴って、不意に途切れる。

『もしもし、六月? どうしたんだ?』

言葉が電波に乗ってきた。お姉ちゃんの声だ。嬉しくって顔がにやけちゃう。

「あ、お姉ちゃん。電話しちゃってゴメンね? 今大丈夫?」
『あぁ。野暮用も終わったし、今帰宅途中だから平気だよ』
「そうなんだ。…ね、お姉ちゃん。宿題でちょっと解らないところができちゃってさ。教えてほしいんだけど…、いい?」
『なるほどね、よし解った。今からダッシュで帰るから、もうちょっとだけ待ってろよ?』
「うん、待ってるね。…ありがと、お姉ちゃん」

電話を切る。宿題が全部終わったらぎゅってしてもらおう。
お姉ちゃんはいつも優しくて、そればっかりじゃいけないって解ってても、私はいつも甘えたくなってしまう。
“お姉ちゃん”になって帰ってきた時から、私はお姉ちゃんの好意に甘えっぱなし。
嬉しくないわけじゃないけど、やっぱり妹って立場に甘えてるのもいけないような気がしてくる。

私の部屋に戻って、お姉ちゃんが教えてくれやすいように、ちゃんと解るように教科書をもう一回読む。
生活面とかでは、家のこと以外で役に立つことなんてできないかもだけど、せめて勉強くらいは。
解らないって言っちゃったけど、必要以上にお姉ちゃんに時間を取らせないよう、準備しておかなきゃ。
椅子に座って机に向き合い、教科書のページを開いて公式を見ていると。

突然、体が動かなくなってきた。

「え、な、何…っ?」

座ってた脚が動かなくなる。立ち上がる事さえ不可能になって、一泊おいて感覚が消える。
最初はつま先から。指が動かなくなってきて、それが次第に昇ってくる。
足元が消えていくような錯覚をしてしまう。確かに椅子に座ってて、足が地面についてるはずなのに。
じわじわと食まれていくような。ぼろぼろと崩れていくような。
飲み込まれていくと言えるかもしれない恐怖が、私の身体を登っていく。

「やっ、やだ…っ!」

感覚の消失が止まらない。脚を登って腰に至ると、上半身を捻る事すら出来なくて。
一秒ごとに私の感覚が消えていく。一秒ごとに私の身体が呑まれてく。
恐ろしい何かが胸まで来る。逃げようと思っても勢いをつけて倒れることも出来ない。
でもどうやって逃げられるんだろう。この、私の中を登ってくる何かから。

「いやぁ…! 助けて、お姉ちゃん…っ!」

助けを求めてみても、来る気配はなくて。声も出るのに、首を振ることが出来るのに。もう腕さえも動かなくて。
持っていた教科書が支えをなくし、音を立てて倒れる。
私が自由に動かせるのは、もう頭だけで。
それさえも、何も解らず呑みこまれてく。

「あ、ぁ…っ、…ぇ、ちゃ…」

口が動かなくなって、もう助けも呼べない。
目が見えなくなって、もう天井も見えない。
頭が働かなくなって、もう考えができない。

私の意識は、私を呑みこむ何かに、喰われてしまった。

* * *

「ただいまー、…っ!?」

六月に言ったとおりダッシュで帰宅しつつ、同時に《透過浸行》を解除して家の扉を開ける。
その瞬間、背筋に嫌なものが走ったのを自覚し、同時に家の中から物音が聞こえ、同時に心の声が聞こえないのが解った。
何か良くないものが入ってきている。何物かは解らないが、少なくとも心が読めない“何か”が。

「ふ…っ!」

靴さえ脱がずに、強化脚力を以って階段を一歩で駆け上がった。着地点を軸に2階の廊下を跳びはね、六月の部屋の前へ。
ノブを潰しかねない勢いで握り、開け放つ。

「六月っ!!」

妹が居ると信じ、名を呼んで見た部屋の中では…、

「んっ、は、あ…っ、…ひひ、ひゃっ」

パジャマを上下にずらして、上は小さな胸を曝け出し、下はショーツの上から女性器に指を突き入れてる。
全身にうっすらと玉のような汗をかきながら、俺にも刻まれた女としての快楽を追求していて、しかしその表情は女の肉体をまさぐってる男のようで。
確かに、しかし俺の知るものと決定的に違う「六月」が、そこにいた。

「ぁ…、…」
「ん? …あぁ、お帰りなさい、お姉ちゃん」

漏らしてしまった小さなうめき声に気付かれ、六月が俺の姿を確認し、名前を呼んでくる。
混乱していることは間違いなくて、決して受け入れたくない訳じゃないが、聞く以外の行動を脳が取れなくて。
それを、聞いてしまう。

「…何、してるんだ、六月…?」
「何って…、オナニーだよ、お姉ちゃん。自分だってやってることでしょ?
お姉ちゃん、男だったもんね。女の子の体に興味あるもんね。
あ、でも一お姉ちゃんとえっちしてるから、必要ないかな? 女の子同士って気持ち良いだろうねぇ、1人でしてても気持ち良いんだもん。ん、んふ…っ」

けらけらと笑う仕草もそのままに、女性器に指を入れたままで、普段とはまるで違う、かけ離れた言葉をかけてくる。
それが俺の知る六月と違うのは、火を見るより明らかで。
違ってほしい、ただの戯れであってほしいと願いながら、時間稼ぎのように問いを投げかけて。

「…宿題は、どうしたんだ…?」
「宿題? そんなの良いよ。それよりお姉ちゃん、私のために帰ってきてくれたんだよね。んぁっ」

ちゅぷ、と音を立てて女性器から指が引き抜かれる。電灯の光を浴びててらてらと愛液に濡れる指を舐める姿さえ、14歳のはずの六月には似合わぬほど淫靡に見える。

「…ねぇ、お姉ちゃん? 一お姉ちゃんなんかとじゃなくて、私ともしようよ。遠くのお屋敷まで行ってたんでしょ?」

違和感が決定的なものになった。
確かに俺は六月に、家を開けることを伝えて行った。しかし『どこに』『何をしに』といった事柄は一言も言っていない。
こいつは何者だ。

同時に頭に血が上る。瞬間的に血液が煮え滾り、手元に巨大な鎌が現れる。
刃の付け根を六月の首元に添え、肌に刃が触れる。

「お前、六月じゃないな…! 何者だ! 六月をどこにやった!」
「ひどいよお姉ちゃん。私は六月だよ、お姉ちゃんの妹の、三条六月」
「うるさい! お前が六月じゃないこと位こっちはお見通しなんだ。正直に言え、でないと…!」

鎌を持つ手に力が篭る。ここから少しでも肌を刃でなぞれば、容易く白刃が咽へと食い込むだろう。

「…良いの? 『六月』が死んじゃって良いの? お姉ちゃん、妹を殺しちゃうの?」
「…っ!」

六月の口から、人質を盾にしたというあからさまな脅迫文が流れてくる。心が読めなくても、解る。
だがここでこの手を止める? 鎌を消す? そこまではしなくても良い、相手がボロを出せば、それで。

「もう一度聞くぞ…。六月を、俺の妹を盾にするお前は何者だ…!」
「もう、お姉ちゃんってば。私は…」
「黙れ…、お前からは心の声が聞こえない。精神防御ができるだけの力は持っていないし、その素養もない。
…答えなければ、魂だけを狩り取るぞ」

《狩魂葬具》の攻撃対象を、物質的なものから霊的なものへと変える。仮に魂の力が強かったとして、死神の刃を受ければただでは済まない。それだけの力がある。

「ふふ、…かはは! おぉこわいこわい。やはり死神、目聡いのぉ!」

果たしてこちらの脅しが効いたのか、それは不明だが。
六月の口調が変わる。それまでの“六月っぽい”言葉遣いから、まるで老齢ではないかと感じさせるような口調。声が六月のままなので、違和感が激しい。
それと同時に感じる、六月ではない者の魂の波長。それは先程まで俺が居た場所から、強く感じていた力で。
瞬時にして目測はついた。

「もしやお前…、折田真白か…!」
「ご名答じゃ、死神。ヌシがワシの家へと出かけている間、この娘の肉体を奪わせてもらったぞ?」

どうやって、という問いに関しては聞くまでもない。
《骸体憑操》を使えれば、死神にだってできることだ。肉体をなくした幽霊も行えるし、魔術だろうと同様。憑依という行為はそう難しい事ではないのだ。

「さて死神、ヌシの問いには答えたぞ? この刃を放してくれんかの」
「まだだ。六月の体を乗っ取って、何が目的だ…!」

刃は引かない、態度も変えない。相手は俺より遥かに長い、しかし老齢となる時を生きている魔術師だ。少しの油断も、相手が付け入る隙を作り出してしまう。

「さてのぅ? ワシがそれを答えたとして、ヌシが怒らんでいるとは限らんでのぅ」
「いいから答えろ…! 俺がこのまま大人しくしていると思うか…?」

ぎり、と鎌を握る手が強くなる。その気になればいつでも攻撃できるという意思表示。
それを見て、恐らく俺を小ばかにする意味を込めて微笑み、いとも簡単に告げた。

「ワシはの、死ぬつもりはないんじゃよ」
「…どういうことだ?」
「かははは、真偽を見抜く目はあるくせに、言葉の意味を取る知識はないか。良かろう、詳しく教えてやろうではないか」

口の端を歪ませる笑みで、折田真白は俺に語りかける。顔も、姿も、肉体のそれを六月のものとしている限り、俺は手出しが出来ないと。
そう確信している老獪な笑みのまま、とうとうと語りだす。

「須らくの存在は『死』という終着点へと至る。ワシもそれの例外ではない。この齢まで生きれば、当然『死ぬこと』は恐い。
生きる者の業じゃて。不老不死の方法を探したよ。中りをつけて数多の方法を試したが、ダメじゃった。
『不老長寿の薬』をつこうた所で魂の寿命は変わらんでの、人間以外にならねば、ワシはもうじき死んでしまう。
じゃから、人間以外の、不死に近い肉体を欲した。それがヌシの肉体じゃよ、三条九十九?」

「手前…、っ!?」

怒りに顔が歪む。鎌を振りかぶり、折田真白の魂を狩り取ろうとした刹那。
老獪な笑みに歪んでいた六月の顔が、妹のそれに戻る。

「お姉ちゃん、何でそんな恐い顔をしてるの…?」
「…っ、…!」

手の動きが止まる。攻撃は出来ないと、脳が告げた。それと同時にまた折田真白が嘲う。

妹を殺すのか?
たった一人の家族を?
大切な肉親を?

そんな意味を孕んだ笑み。
あまりにもあからさまな顔で、表情とはまるで裏腹の恐がる声が俺の耳に向けられる。

「これだと危ないよ…、ね、鎌を下ろして? お姉ちゃん…」

従うしかないのか、これに。認めるしかないのか、負けを。
仮にここで鎌を振るい魂を狩り取るとして、その結果がどうなるかがまったく解らない。
刃が届く前に、折田真白の魂が離れるかもしれない。もしそうなれば、六月の魂に傷がつく。
疵付けられた魂は明確に『元通り』にはならない。必ず何かしらの異常が起こりうる。
元の人格のまま? Noだ。そんな事はあり得ない。
その存在のあり方を定義付ける魂が変われば、人格すら変わってしまう。あたかも違う表情の仮面をつけるように、心の中で抑えられてる“別の自分”が成り代わるように。
そしてそれが戻ることは二度とない。肉体の傷ではないのだ、治るはずがない。
結論は、出てしまっていた。

「…くそっ! 解ったよ、消しゃ良いんだろ!?」

半ば自棄になりながら、《狩魂葬具》の鎌を手の内から消す。

「かははは、甘いねぇ『お姉ちゃん』? 大切なんだよね、妹が。疵付けたくないよね、『私』を。
だから消してくれた、ワシを攻撃するのを止めた。そうじゃろう?」

『六月』が哄笑をあげる。
俺の思いはまったくその通り、攻撃の影響が六月地震に及ぶのを恐怖してしまい、攻撃を躊躇った。
六月の顔で、六月の声で、六月の姿で、嘲り笑う存在に、
俺は何も出来ない。

「かはは、ふふ…♪ …『お姉ちゃん』」

立ち尽くす俺に向かって、『六月』が近づいてくる。服を直しもしていない、脱ぎかけの半裸の状態で。
抱きつかれる。俺の着ている赤い服越しに、六月の肌が触れる。
けれど歩く足は止まらずに、

「えいっ」

と声をかけられて、俺は六月のベッドに押し倒される形になった。
必要最低限の受身はとるが、反撃はできない。その瞬間に六月の体を盾にするのが、目に見えている。
腰の上に座られるマウントポジションの形を取った後、ゆっくりと上体を倒し、顔が近づき…、
俺と『六月』の唇が、触れた。

「ん…、んぢゅ…、ぴちゅ…、ん、むちゅ…」
「っ、ふ…、く、んむ…っ」

キスだけでは終わらない。舌が俺の口に入って、舌同士が絡み合う。
抵抗しようと口を閉じることも適わず、口の中を蹂躙されていく。

「ん…っ、はっ、ふ…、んっ」
「んふ…、ん…っ、んぷ…っ、ぷ…、ふっ」

執拗なまでに入念に舌を擦り合わせ、唾液が交わりあっていく。
じわり、と股が熱くなってきたことを、今の俺は勘違いとしていたかった。

「は…っ、はぁ…、…ふふ、『お姉ちゃん』の口、おいしかったよ」
「……、ふぅ…」

唇同士が離れて、淫らに『六月』が微笑んでくる。

「じゃあ次は…、こっちね?」

口元に触れていた指先が俺の上半身、…正確に言えばその服…、をなぞる。
直後、ばつんっ! と音が鳴り、服が爆ぜた。
ある程度の抗魔処理が施されていた死神の服を、いとも容易く吹き飛ばすことに、俺は驚きを隠せず瞠目してしまう。

「(こいつ…、六月の体でも魔術が使えるのか!?)」

驚きの理由はそれだ。魔術師である折田真白が、自分の体に居る際には力の全てを発揮することは容易い。しかし、他人の体に乗り移っている場合は違う。
肉体は魔術を使う際の土壌のようなものだ。肉体にも魔術を行使するための素養がないと、発動させることすらできない。
ということは、だ。

「驚いたか? この娘、多少ではあるが素質があったようでな。この程度のことならできるでの」

折田真白が俺の心情に感づき、伝えてくる。
…つまりは、六月には少しだが、魔術師としての力があった。
俺が死神としての素質があったと同様に、『際立つところが何もない』という意味での「普通」ではなかったのだ。

「それでは次は、ヌシの胸を味合わせてもらおうかのぅ?」
「ひ、ん…っ!」

乱暴な手つきで胸を握られる。ぐにゅ、と形が歪んで、指と指の隙間から収まりきらない部分が出ようとしている。

「かはは、しおらしい声を出しおる。感じてるのか? 『お姉ちゃん』?」

親指の腹で乳首を捏ねられる。乱暴に犯されようとしている。
離れようとすればできるのに、逃げようとすればできるのに…。

「はぁ…、柔らかいのぉ。手に吸い付くようで、なんといやらしい…」
「ん…っ、…っ、ぅ、ぁ…っ!」




遠慮なんて最初から念頭にないように、握りつぶすように胸をもまれる。指の間で乳首が摘まれる。
その一挙一動を取られる度に、胸を触られるたびに、感じる声が口から出そうになって。
それを抑えるのが精一杯だった。

「ほぅれ、我慢せんで声を出しても構わんぞ? 喘いでみぃ、三条九十九?」
「っ、く…、誰、が…っ」

そう答えるのが限界で、俺は妹の姿を乗っ取った折田真白に蹂躙されていく。
せめて俺を汚そうとする『六月』を見ないようにと、眼を瞑って。

「痩せ我慢は見ものだが、どこまで続くかのぅ? …ぁんっ」
「ひぁ…っ!」

しかしその直後、胸の先端、乳首に冷たく温いぬめりを感じ、それと同時に硬い何かに正反対から挟まれる。
何度も何度も挟まれ、離れるたびに乳首が硬くしこるのを感じて。

「んぅ…、はむ、んちゅ…、れる、んちゅ…♪」
「ぅ、く…っ、ひ、ぉ…っ」

胸を啄ばまれてる。吸われている。噛まれている。舐められている。
敏感すぎる場所で感じるそれらの所作は、その全てが今まで感じたものと違う。
六月が寝惚けて吸い付いたときとも、一とセックスして触れられた時とも、『ほのか』と女同士で戯れてみた時のそれとも違う、乱暴な愛撫。

「はふ…、『お姉ちゃん』、感じてる? 私のお口で気持ち良くなってる…?」

きっとにやけた顔をしてるだろう。口調が六月のものに変えて、言葉と言葉の間に愛撫を続けながら告げてくる。
精一杯の虚勢を張って、目を開けないように耐えながら。

「く、そん、な訳…、ないだ、ろ…っ」
「へぇ…、じゃあ、さぁ…」

ばつんっ!
服の上を爆ぜさせた音がまた響く。それと同時に、股間が酷く冷たい空気に晒される。
まさかと想い目を開け、音が鳴った場所、冷たさを感じた場所を見る。
案の定、爆ぜたのはスカート。露出したのは秘所。隠すための最後の砦であるショーツさえ吹き飛ばされ、無毛のそこがお目見えしてる。
それと同時に気付いたのは、そこが確かに濡れていること。
確かめるように、言い逃れできないように、『六月』がそこへと触れた。

「ひぁ…っ!」
「…ほぉら、『お姉ちゃん』のまんこからお汁が零れてるよ? 気持ち良いから出るもののはずだよね?」

指2本で溝をなぞりながら聞いてくる。『六月』の言葉と同時に、俺自身何度も身をもって知った愛液の水音が聞こえてくる。
くちゅ、にゅる…、にゅぷ…っ
細い指が触れて穴に沿って前後へ動くたびに、聞きたくない音が溢れる。淫猥な音が耳に届く。

「ねぇ、ちゃんと聞こえてるよね? まんこ汁のぐちゅぐちゅって音が。わかってるよね、感じてるって?」
「は、ぁ…っ、あ゛ぁ…っ、ち、が…、俺は…、はあ゛あぁっ」

けれど俺の口から出るのは、否定の言葉。
逃れようもない決定的な証拠があるのに、そこを如実に現す場所を触られているのに。

「ふぅん…、あくまで意地を張るんだ…。じゃあそんな『お姉ちゃん』を素直にさせないとね」

ぷちゅ、と音が鳴って、指が秘所から離れた。
瞬間、俺の心に去来したのは安堵感と……、不満が一欠けら。
どうしてここで止めてしまうのか、と。もっと触ってほしいのだと。
…心のどこかで思っていた。

「ちょっと待っててね、『お姉ちゃん』? ――――――――」

顔を上げてみると、まだ俺の腰の上に『六月』が座っていて、その口から俺では聞き取れない言葉が紡がれて。
魔力の流れを感じる。空気中の微量な魔力が急速に寄り集まっていく。
どこに? そこは六月の股間、秘所に。

「―――――――、《召喚》-コール-」

呪文が唱えられていくと、次第にそこを中心とした魔法陣が形成される。
魔力が魔法陣によって増幅され、指向性を持って“結果”を形作ろうとし、程無くして術式が完成した、と同時に。
ずりゅぅっ!
粘液を交えながらも、細長くて、およそ生物的とは言えない色合いをしている『何か』が這い出てきた。

「はぁ…、ねぇ見て、『お姉ちゃん』。触手でちんちん生えちゃったよ…?」

それが何かというのは、今正に呼び出した本人が伝えてくれた。
一本だけ、膣口に形成された魔法陣から呼び出された触手が屹立している。

「形も大きさもちんちんそのままだよ、ほら、ちゃんと見てよ…。動くんだよー?」

触手だというのに亀頭部分がエラを張り、色味以外は確かに男性器そのままの形をしている。同時に召喚者の意志に沿うのかその身をくねらせて、自分は確かに男性器ではないのだと主張してる。

「これでたっぷり犯してあげるからね、『お姉ちゃん』」

背筋に冷たすぎるものを感じた。まるで氷のような、いやそれすらも生温い、極寒とも言える悪寒。
それはこの場から逃げ出そうと、自分の身を優先しようと感じるほどで。
馬乗りになっている身体を跳ね飛ばし、起き上がろうとした瞬間、

「《呪縛》-バインド-」

先ほどの召喚と違い、詠唱も無しに呪文が紡がれた。
魔力で形成された不可視の鎖のようなものが、俺の四肢をベッドへと繋ぎとめた。

「くっ、いつの間に呪文を…っ!?」
「やだなぁ、そんなの、触手ちんちんを呼び出す時と並行して詠唱したに決まってるじゃない。
言っておくけど、逃げちゃダメだよ。そうしたら二度とこの身体は解放してあげないんだから。ね、『お姉ちゃん』?」

そうだ、六月を人質に取られている限り俺に逃げ場は無い。
言いなりになるしかないのか、六月の身体を奪った折田真白に…。

「ふふ…、解ってくれたよね。じゃあ…、『お姉ちゃん』のまんこ、沢山犯してあげる」

言うや否や、『六月』が俺の脚の間に入り込み、その男性器型の触手を俺の秘所目掛けて突きこんできた。

「か、は…っ!」
「ほぉら、ちゃんと入ってるよ? 感じてる? ねぇ、妹が触手生やしてまんこに挿入してるよ、『お姉ちゃん』。かはは」

言葉で状況を伝えながら、笑い声が折田真白のものになりながら、腰を前後に動かして俺を犯してくる。
気持ち良くはない。ただ生暖かい棒が突っ込まれ、抽送を繰り返していて。
一に抱かれた時とは全然違う、苦痛だけのセックスを『六月』にされている。

「ん、く…っ、ふ、ぁ…っ」
「ほれほれ、ちゃんと喘げ。その全部をワシが奪うんじゃからの」

腰の抽送をしながら、また胸に触れてきた『六月』が嘲う。

「お前…っ、奪う、だと…っ?」
「先も言ったじゃろう、ワシの本当の目的はヌシの身体よ。
死神の肉体は生物ではありえん『死の気配』を持っておる。その力を使いこなし、己の死すら遠ざける故に死神は死に遠い存在よ。
じゃからのぅ、三条九十九? ヌシがその肉体を明け渡してくれれば、ワシはこのひ弱な体から出ていってやろう。悪い話では無かろう?」

犯され、蕩け始めた頭でさえぞっとした。
コイツは俺の肉体を得る為に、その前段階として六月に憑依した。そうして今俺にその真意を告げたのは、自信か、俺を哂うためか。
けど俺は、それを到底呑めるはずも無く。

「だ、れが…っ、渡すもんか…! 俺が決めて、この身体で戻ってきたんだ…! 身体は渡さねぇし、六月も…、取り戻してやる…!」

それが俺の決意。こんな死に損ないの魔術師なんかに負けるものかという意志を固めた突如、ぐり、と膣壁が抉られた。

「んぁっ!?」
「かはは、大口を叩くのぉ。ならばまぁ良い。ならばヌシが音をあげるまで、妹の『六月』として嬲ってやろう。
…ねぇ感じてる? 触手ちんちん、まんこの中で暴れてるよ?」

触手は先ほど俺の前で動いたように、今度は膣壁の中でその身を捩っていた。
的確すぎるその動きは、確かに俺の中で感じる場所を抉っていて、出すまいと思っていた喘ぎ声さえ炙り出されていた。

「はぁ…、いいよ、『お姉ちゃん』。もっと聞かせて、『六月』のちんちんで喘いで、『私』のものになって!」
「んっ、ぐ…っ、は、あぁっ!」

ぐちゅぐちゅと愛液の増えた膣が、触手のぬめりと合わさって抽送を繰り返す。
その行為が確かに快楽であり、それが確かに女の身で感じる性行為のそれだった。
逃げられずに、抗えずに、ただ『女』として『妹』に犯されて。

「良い? 『お姉ちゃん』気持ちいい? そうだよね、今から触手ちんちんがたっぷり中に出すからっ。
精液じゃないけど、たっぷり媚薬を吐き出してあげるからっ。だからよがり狂っちゃえっ!」

直後、子宮目掛けて何かが吐き出された。
あの時感じた一の精液以上に粘度が高く、それ以上に熱い、ものが。

あ…、だめ…。
どろどろが…、触れたところが、熱い…。
疼いてくる…、子宮が疼く…。
まんこも…、熱くて…っ。
頭が…、溶ける…、考え、られなく…っ。

「あ…っ、あっ、あぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

精液ではない、媚薬を注がれた。ただそれだけで。
俺はあっけなく果ててしまった。

「かはは、大声じゃのぉ。…しっかりとヌシの肉体に『女』の快楽を刻み付けて、ワシ好みの肉体に作り変えてやろう……」

遠くなりかけていた意識の片隅で聞こえてきた言葉に、熱に浮かされた頭は…。
それを、待ちわびてしまっていた。


同時刻、三条家一階リビング。
死神・クゥはそこで茶をすすっていた。
肉体を《透過浸行》、気配を培ってきた経験で消し、2階で起こっていた事の全てを聞き取っていたのだ。

「…さて、大それたことを考える戯けがいるものですね」

呟いた言葉に応える声は無い。ただの独り言だ。

「多少弱っただろうから、三条さんに任せる積りがまさかこんな事になるとは。ちょっぴり想定外ですよ。
…対抗手段を講じるには、私じゃ力不足ですから…餅は餅屋ですね。
三条さんが堕とされたらアウト。タイムリミットは短く、そして猶予は無い…」

湯飲みに満たされ、勢い良く湯気を立ち上らせていた茶を一口で飲み干し、そのままこの場より消える。
行き先は唯一つと決まっていた。

同業の魔術師であり、気さくに話しかけられる存在。

海藤麻耶。


…の肉体に入っている魂の大元である、小野寺ほのかこと篠崎一の家だ。


* * *

ここで視点が一度ボク、篠崎一の方に移る。
夜も更けて、ほのかの両親も寝静まった頃。ボクも寝ようとしてベッドに潜り込んだ時、枕元に置いてある携帯が着信音を鳴らし始めた。
こんな時間に誰だろうと思い、液晶を見てみれば驚いた。そこには「クゥさん」の文字が表示されてて、僕は思わず通話ボタンを押して耳元に押し当てた。
「もしもしクゥさん? こんな時間にどうかしたの?」
『緊急事態です。これから私は重大な事を言いますので、気をしっかり持って聞いてください』
電話口から聞こえてきた彼女の声は、前に話した時とはちっとも違う、誰も茶化さない真剣さがあった。
深呼吸を数回して息を整え、次を促す。
「…いいよ、クゥさん」
『では…。三条さんが落とされかけてます』
「……え?」
『ですから、三条さんがエロってぬるって注がれてびくんびくんしてアヘ顔さらして犯されてます』
「それ、本当…?」
『本当です。ちなみに全部イイ声で言ってるので、読者の人は各自脳内CVを再生してください』
相変わらず何を言ってるのか解らないところは多々あるけど、これが多分嘘じゃない事は、頭のどこかで理解してた。
「…うん、信じるよ、クゥさん」
『あら意外とアッサリ信じましたね。てっきりもう少しいぶかしむと思ったんですけど』
「クゥさんが人を弄るなら、入り方から違いますからね。“あぁ、これは本気なんだな”っていうのは、勘付いちゃいますよ」
『それもそうでした。篠崎さんはやり難い…』
「どういたしまして」
電話をしながらだけど、口元に手を当ててくすくす笑ってしまう。本来のボクなら絶対やらないこのクセも、今のボクのクセの一つ。

「…さて、話を戻しますか。…詳しい話、聞かせてくれます?」
『良いですよ。…その前に、篠崎さんの所へお邪魔したいのですが、宜しいでしょうか』
その言葉を言ってるや否や、ボクの部屋の空間内に鎌の切っ先が突き出ていた。空間を貫くように存在している切っ先が空間をなぞり、開いていく。
2つに裂けた空間を割り開いたのは、“向こう側”にいるクゥさん。自分が切り裂いた空間を確かめるように縁を何度か触り、そのまま飛び込んでくる。
「こんばんは、死神です」
「知ってますから。せめてボクの返事を聞いてから入ってきてくださいよ」
「正直そんな事を言ってられる時間は無いですね。篠崎さん、失礼」
「え?」
パジャマの胸元を掴まれて、とても10歳前後のサイズとは思えないほどの力で引き寄せられる。
彼女に引っ張られ、鎌が切り裂いた空間を潜り抜けた。

ボクの部屋から一転して眼前に広がる世界は酷く冷たいものだった。空は薄暗く、暗色を多数混ぜ合わせた鈍色をしている。足元は大小さまざまな岩で埋め尽くされて、近くには向こう岸が見えない河が流れている。
三途の川だ。
そう直感した。
地獄の一部にしてその入り口に、ボクは今こうして来ている。

「さて、ここなら多少時間稼ぎが出来ますね」
嘆息してクゥさんは改めてボクの方を見る。時間稼ぎの意味も既にボクは知っている。
あの世と現実とでは時間の流れが違う。地獄にいる間は現実の一秒が何倍、何十倍にも引き伸ばされる。ここで話をすることで、可能な限り余裕を作ろうというのだろう。

そこからクゥさんは事の次第を話してくれた。
魔術師、折田真白の存在。
彼の屋敷に忍び込み、多少力を削いだこと。
その間に奴は六月ちゃんの体を奪ったこと。
肉体を盾に取って九十九に迫っていること。
九十九が媚薬によって半強制的に堕とされかけていること。
その為に『海藤麻耶』の力を借りたいこと。
その全てを端的に、しかし解りやすく話してくれた。

「……こういった所です。ご理解いただけましたか?」
「うん、しっかりとね。でも何でボクなんです? 麻耶もボクだから、直接彼女に言えば良いでしょうに…」
「それはまぁ、末端よりは頭に言った方が情報の往復がなくて良いじゃないですか。
今は時間が惜しいですから、全てを動かせることのできる篠崎さんに言った方が早いですし」

ボクは篠崎一であり小野寺ほのかである。同時に分身が4人居る。個人個人で意識は確かに存在してるけど、その大元は“ボク”であり、その気になれば分身の行動を支配する事も可能だ。
同時に彼女たちとボクとの間には情報のフィードバックが行われている。分身たちが得た情報が常にボクに入ってきて、その情報を常にボクから分身たちに送信している。
クゥさんはその事を言ってるのだ。麻耶から入ってきた情報を一々“ボク”のところへ送るより、直接ボクの脳内に情報を入れて全員に伝えた方が早いと、そう踏んだのだと思う。

「…うん、それは確かにね。それでクゥさんは…、ボクに何をしろと?」
「では本題に入りましょう。篠崎さんに頼みたいことは1つです。
分身である海藤麻耶に、折田真白が蒐集した物の分析と彼の術式構成把握、そして解除方法を解明してもらいたいんです」

それが意味することは何か。既にボクの中では答えが出ていた。
いくつの答えが出ていたとしても、根底にあるのは多分“これ”だ。

「…わかりましたよ。九十九や六月ちゃんのためという建前をたてておいて、本当はクゥさんの腹立たしさを治めるために、お受けしましょう」
くす、と口の端で笑うのが自分でも解っていた。目の前のクゥさんは、見ているボクとは逆に眼を瞑った。
どうせこの考えも読まれてるんだから、言ってしまおう。
「クゥさんはマイペースなようで、相手がどんな反応を返しても全て受け流してしまうようですけど、本当は違う。酷く計算高くて、他人がどう動くか理解した上で行動をする。
そうして物事が自分の思ったように動くのが好きで、それを崩されるのが嫌いな人ですからね。
自分の調子(マイペース)を自分の中だけでなく、他にも求めてしまうからこそ。想定外だった折田真白の目的が許せないし、その行動が認められない…。
そうでしょう?」

返ってきたのは短い沈黙。現実世界ではコンマ1秒になるかならないかの、ごくごく短いもの。

「……そうですね、篠崎さんの言ったことは的を射てます。自分の思ったように動いてくれるのがたまらなく楽しいし、そうする事に満足感を得てます。
その分、イレギュラーというのは認められませんし、存在を抹消するためには他人にも協力を求めますよ」

クゥさんはずっとずっと永い時を生きてるようで、その精神性は多分ボクじゃ図りきれないものだと思う。
本音で語れば要らない争いも呼び込むけど、分かり合うことができる。けど永く生きてしまえば、その為に必要な“素直さ”というものが消えてしまうだろう。自意識が生まれ、形を作り上げていき、そうして出来上がった“自分”は掛け替えのないもので、きっと誰でも侵されたくないものだ。
年齢が若い内は入り込まれることにそう苦痛はない。けれど年を経れば経るごとに、自分の中に侵入されることに痛みを感じるようになる。
年長者が無駄に頑固なのは、他者の意見を聞きにくくなるのは、柔軟性を失っていくのは、『自分』が硬直していくからだと思う。
多分それは、クゥさんもそうなのだろう。永い永い時を存在し続けて、そうして出来上がった『自分』が何より大事で、侵されたくないのだろう。

「確かに正解です。が、それだけじゃありませんよ?」
「……?」

ボクの心中も覗かれていたようだ。当然か。
けれど本音を聞けたと思ったボクは、直後に放たれたクゥさんの言葉の意味が解りかねて、首を傾げてしまった。

「死神の体がただの魔術師に乗っ取られるというのは、私のプライド的に癪です。
さらに死神の存在が安く見られるというのは、閻魔庁全体の低評価にも繋がります。
そうなれば果たして別の存在…、例えば天使であり、例えは戦乙女といった魂の誘導者たち、日本国外の存在からの侵攻を招きかねませんからね」

少しだけ背筋が寒くなった。現実世界と同様に、霊界でも日本は人々の知らぬ間に狙われているのだと、多少ボカしながらではあるが、彼女は告げたのだ。

「…という訳です。篠崎さんには三条さんたち姉妹の救出のためにも、力を貸してほしいんですよ」

いけしゃあしゃあと告げてくる死神。
仮にここで「NO」と答えるなら何があるのか。
まず第1に、九十九の肉体が奪われる。ボクが抱いて、ボクが抱かれたあの体が。
同時に九十九の存在が危うくなる。死神として生まれ変わって少ししか経ってない九十九に、ただでさえ大きすぎた変革を与えた上でさらに傷を負わせる。
さらには六月ちゃんの安否も懸念するべきことだ。魔術師というのは基本的に老獪だ。深遠すぎて知り得ることのできない知識を探り、悪魔と腹の探り合い騙しあいをし、言葉巧みに人を陥れる。
仮に問答の結果折田真白を彼女の中から退散させたとして、本当に六月ちゃんが返ってくるのか?
そしてさらに自問自答をする。

そうなったとして、「ボク」はそれを受け入れるか?

死神として変わってしまった九十九を、ボクは受け入れた。けれどそれは何より、“九十九本人”が変わらなかったから。恐らくそれは六月ちゃんも同じだろう。
ボクの好みの女の子の姿になってしまったけど、ボクの手で“女”にしてしまったけど。
「三条九十九」の本質は変わらなかった。だからこそボクは受け入れた。

ならば今度はどうだ?
姿が同じだとしても、魂の違う存在を「三条九十九」として納得するのか?
それが六月ちゃんの時も同じだ。ボクの恋人は、ボクの“家族”は、見た目だけなのか?

答えはおのずと決まっていた。

「…こうしてボクを逃がさない、逃げるという選択肢を消して協力させようって言うんだから、クゥさんはズルい人だよね」
「えぇズルくて結構。長年生きてるロリババァの私には褒め言葉です」
「それじゃあクゥさん、洋美、久美子、恵那をこっちにつれてきてくれます? 全員で当たらないと時間が足りなさそうなんで」
「それは良いんですが、海藤麻耶は?」
「空間渡航の術くらい使えます。もう来ますよ」

それだけ言って視線を横に向ける。
ぐにゃり、と空間がねじれあがり、そこからボクの分身である1人、海藤麻耶が現れ、すぐクゥさんに声を掛けた。

「クゥさん、3人を迎えに行く前にもう1つ頼みたいことがあるの。折田真白の研究成果を書いたものがあるなら、それを貸して。蒐集物も同様に」
「…解りました」

そういってクゥさんが懐を探ると、数十冊にもなる本と、“篠崎一”の記憶では見当もつかない道具がいくつも出てきた。

「とりあえず私が持ってきたのはそれだけです。必要とあればその他も持ってきますが…」
「お願い、今は一秒でも早く二人を助けたいの。情報は1つでもあったほうが良いわ」

言うが早いが、麻耶はその蔵書を読み耽っていく。ボクにもフィードバックされて、読んだ本の内容が入り込んできた。
まずは魔術文字の翻訳から始まって発音、魔法陣の描き方、印の組み方といったごく初歩のものを伝えて、全員が読めるようになる。
クゥさんが消えて10秒くらい後、菊池洋美、土谷久美子、千羽恵那の3人が連れられて三途の川に来た。
彼女達も既に“理解”しており、積まれている折田真白の蔵書を読んでは内容を頭に入れ、僕に伝えてくる。
しかも4人それぞれが、海藤麻耶が所持していた「思考分割」技術を駆使して、常人の35倍程度の勢いで流し込んでくる。
怒濤のように溢れ出す人外の知識に頭が痛くなるが、それを受け止めて本を手に取り、ボクも思考を分割させた。


どれだけの時間が経ったのか。
無数に知識を仕入れ込み、濁流のように流れ来る情報量で、“ボク”が体感した時間は、果たして何時間になるのだろうか。
思考が人数分×最低3。この段階で15倍。思考が5つに分割されるなら、最大で25倍だ。
さらに言うなら、その知識を統合するだけでまた文字通り頭が痛くなる。それも単なる頭痛ではない。分割された思考の数だけ脳髄に錐を刺され、かき回される痛みが延々と続く。
濁流というよりは、最早押し流そうとする固まりと形容した方が早いのかもしれない。
気をしっかり持っていないと、“篠崎一”という個さえ消えてしまいそうな錯覚がある。

本当ならこんなことは控えたくて、必要に駆られなければ絶対やらないことだ。
けれど今は違う、今がその時だ。
六月ちゃんが乗っ取られた、九十九が狙われてる。
大切な人たちのために、ボクが得た力を使う。全力で。

ごうごうと濁流が流れ込む。
ぐちぐちと脳髄が抉られる。
かちかちと知識が形成される。

痛みに耐え、血涙を流しながら脳細胞をフル稼働させ、さらに時間が経つ。

そして決定的な情報を見つけた。
全ての鍵になるそれは、どこか穴の開いていた今までの要素を繋ぐものであり、その全て。

折田真白が、何をしたのか。

思考分割を止めて、組みあがった知識を統合し、4人へと向けて流し込む。
同時に、情報量に負けてほのかを含めた4人の“ボク”が倒れ伏した。それを免れたのは、唯一人外の知識に深い造詣を持つ海藤麻耶。
彼女に“ボク”の代理として動いてもらい、しばらく休むことにしよう。
ちょっとだけ休んだら、すぐに2人を助けないと…。

「さて篠崎さん、見つかりましたか?」
どこから持ってきたのか、巨大なバウムクーヘンを頬張りつつクゥさんが訊ねてきた。
答えを得たボクは頷き、麻耶が語りだす。
「折田真白は、文字通り魂を分割する技術を作ってたみたい。その技術を自分に使用し、己の魂を12に分けたわ。
同時に魂の一部に『結合』の術式を組み込んで、必要があれば合体して元に戻る事も出来る。
1つや2つを捕らえたところで、残り11や12もあれば、変化は多少程度でしか無いわね」
視線を読破しきった大量の蒐集物、書物に向ける。
「蒐集物による龍脈操作も確かに行われていたけど、使い方が違ってたわ。魔力維持ではなく魂に『分割』と『結合』を発動させるための形成だった、持ち出しても効果は無いに等しいわ」
「それはそれは。…して、折田真白の魂の居所と、本体位置の特定は?」
「それを聞いてどうするつもりかしら?」
「分割して弱まるなら話は早い。その分身を無力化し、力を削ぎ落とします」
「待って。九十九ちゃんの肉体を乗っ取ろうとして奴が動いてるのは変わらない。分身への攻撃に気付かれれば、人質に取られる。
最悪、肉体が無理矢理乗っ取られる可能性もあるわ。それはクゥさんの望む所ではないでしょう?」
「……一応聞いておきましょう。打開策は?」
「この術式の唯一にして最大の欠点は、“自分の肉体を空にしておけない”こと。最低でも魂の1つは、自分の肉体に入れておかなければいけない…」
「なるほど、本調子とは程遠い肉体を先に狩れと」
「そうね。どんな戦でも、本丸を落とせば攻める側の勝ち。……後は担当死神である九十九ちゃんにどう狩らせるか、ね」
クゥさんは、そこだけは決して譲らないと思う。手を抜く所は抜いて、しっかりする所はしているから。
融通が効かないと言ってはいけない、たぶん。
「よくご存知で。そこだけは変えませんし変える気も無いですよ」
「だろうと思ったわ。だからこそ…、九十九ちゃんを乗っ取る為に、動かせる11の内9の魂を結合し、六月ちゃんを乗っ取った折田真白を無力化できれば」
「全力の4分の1の力しか無いと。妹さんを無力化ないし抑えておけるなら、という前提はありますけどね」
「そこは…、“麻耶”の知識にあるから、平気ですよ」
麻耶の喋り方を、ボクの喋り方に変更する。ここからはイニシアティブを麻耶に移し、動くことにする。
「そうですか、篠崎さん」
「折田真白が術構成に使用した式に付け入る隙は24種類。その内17は外部からで、残り7つは術式構成に割り込める部分だよ。
今回は外から突っ込む方法で…、現状すぐに出来る方法を使わせてもらう」
「ほう。…手段は?」
「“麻耶”が仕入れてた知識の中に、『現想』術式があった。それで行く」


『現想』術式。
これは言ってしまえば、強力すぎる暗示をかける術だ。これの対象になった存在は、可能だと認識したことを、常識のくびきから解き放つ事が可能になる。
簡単なところで言えば、普通では持ち上がらない重量の物を『持てる』と暗示させて持ち上げることができる。
場合によっては、『空を飛べる』と思えば、翼が無くても空を飛べる。
異能力、魔術、そういった類のことでさえ、暗示をかけられた者が『できる』と想う事で、現実にすることが可能なのだ。
勿論それには、施術者の魔力の高さと、想像の強さにもよる。施術者の魔力が足りなければ、または心のどこかで欠片でも『できない』と思ってしまえば、この術式は発動しない。
本当ならもっと別の、手っ取り早くいける『幻筆』もあるのだが、これは発動媒体になる墨が特殊な物過ぎて、すぐには調達できない。
ならば、多少賭けの要素は強いけど、ボクは『現想』術式を使うことにする。
これを利用して、六月ちゃん自身に『折田真白を追い出せる』と暗示をかけ、奴を肉体から追い出す。
九十九と六月ちゃんの、お互いの絆を信じて使うんだ。


「これを使って、まずは六月ちゃんの中から折田真白を追い出す。…これは正直、九十九と同じ時間勝負だ」
「ほう?」
「『分割』術式の恐い所は、『分割』した欠片が小さければ小さいほど、己を補完しようとして他の魂を取り込む事なんだ」
他者の肉体を乗っ取り、その体を使っていけばいくほど。その肉体に元から存在していた魂と同化し、“己”たらしめんとしていく。
言ってしまえば、「肉体の人物であり折田真白である人物」が産まれてしまう。そうなると…。
「そうなってしまえば、助けられない。9もの魂が結合した折田真白も、少なからず六月ちゃんを喰ってしまう。
総量の違いで喰らう速度は変わるし、比重によって“どちら”が存在するかも変わってくる」
「12に分けた内の9つであれど、三条さんの妹さんを喰い、取り込むのは容易いと」
「うん、そうなる。魔術師の魂は常人のそれより遥かに強いからね」
「…賭けですね」
「承知の上だよ。…それに、賭け事ならボクの方に分があるさ」
「ではその賭けが上手く行ったと仮定して、折田真白の9つ分の魂はどうします?」
「あれ、クゥさんが切ってくれるんじゃないんですか?」
「なぜ私がやるんです? 折田真白の魂回収は、三条さんのお役目です。私は攻撃まではしませんよ」
「じゃあ…、九十九が狩りに行けるようお膳立てをする事は?」


魔力を込めた指先を、三途の川へと向ける。
『念動』術式、展開。
川の一部が途端に逆巻き、指先へと飛んでくる。小さく渦を巻きながら停滞しているそれに、流れへと沿うように魔力を流し込んだ。
「『解呪』-ディスペル-」
三途の川の水にしみこませるのは、あらゆる異常を正常たらしめんとする魔力の流れ。九十九にかけられた媚薬程度なら、三途の川の水自体が持つ特性、『分断』と程良くかみ合う。
魔力を注ぎ込み、術式が完全に水中に形成されたのを見ると、小瓶の中に水を注ぎ込む。
「…これをかければ、九十九は元に戻りますよ」
瓶をクゥさんに渡すと、彼女はそれを懐へと仕舞いこんだ。

「仕方ありませんね、三条さんに狩らせるという前提があります。ですが私が行うのは、三条さんを正気に戻すまでですからね」
「わかってますよ、それ以上動く気はないって。…ですから、はじき出された折田真白は、ボクが抑える」
「そうですか。では私は、さらに予定外の事態が起きた場合にのみ動きます。そうならないよう、自分のやる事はしっかりやってくださいね?」
「うん。…九十九がいない間に六月ちゃんが憑依されたのなら、行っても良いと発破をかけて家を開けさせたボクにも責任がある。しくじるもんか」

自分への怒りと、折田真白への怒りで、麻耶の肉体に宿る魔力が昂ぶる。目の奥でゆらりと、憤怒の炎が灯る。

「さて…、反撃開始だ」


* * *


「あっ、は、んあぁっ!」
犯されている。妹の姿をした魔術師に。
汚されている。この身の全てを、外から中に至るまで。

折田真白の召喚した触手が体に巻きついてきて、四肢を縛り拘束する。胸をまさぐられ、尻を撫でさすられ、膣や菊座に口に潜り込み、蹂躙してくる。

「んっ、ふっ、良いのぉ…。ほれぇ、また注ぎ込んでやるぞ? 受け止めて、蕩けてしまえ!」

触手を三角地帯から生やした六月、その肉体を扱う折田真白が嘲う。抽送によって膣に潜り込む触手が子宮口を捕らえた瞬間、

ぶびっ、びゅっ、ぐびゅぅっ。

体内外を問わず、無数の触手から媚薬を交えた白濁液が放出された。
もう何度注ぎ込まれたか解らない。大量に注ぎ込まれて。

「あ…、ぁ…っ」

意識がふやけていく。体内を蕩かす悪魔の液体が滲みこんでいく。
もう…、ダメだ…。どれだけ犯されていたのかも解らない。すぐ近くで言っている筈の言葉さえ、どこか別の場所から言われているような遠くのように思えて。
従ってしまいそうになる。妹の声で囁く、魔術師の言葉に。

「ほれ…、三条九十九? ヌシの体をよこす気になったか?」
「あ…、ぅ、…っ」

意識が真っ白になって、頷きかけ…。

「えい」

という声が聞こえたその瞬間、水が落ちてきた。

ざばぁっ! という音と共に、水が重力に引かれてやってくる。

「へぶっ! 冷たぁっ!?」

ドリフのコントもかくや、と言わんばかりの水が、全身を流す勢いで落ちてくる。叩き付けられるような、氷点下近い水温の水だ。冷たい、というかむしろ痛い。
それだけで頭が冷えて、現実に意識が戻ってきた。視界の中で全身を縛り付けていた触手が、この水に溶け流れていくのが見える。

「くっ、『解呪』魔術? 水に仕込むとは…!」

それと同時に折田真白が俺から離れた。もっと正確には、落ちてきた水からと言えば良いだろうか。

「や、九十九。おはようって言えば良いかな?」
次の瞬間には、俺と折田真白を隔てるように、海藤麻耶、いや、一が出現した。
「お前、何で…」
「説明は口頭じゃ面倒くさいんで、読心で」
「あ、あぁ…」
緊張感をはらんだ声に、さっきまで流されかけていた俺は頷くことしかできず、一の心中を読んだ。

…………。
なるほど、そういうことか。
「すまない、一。…迷惑をかけちまったみたいだな」
「そう言ってくれるのはありがたいけど、本当に言うべきは六月ちゃんでしょ? 九十九、立てる?」

全身に力が入りきらない。正座の後の痺れが全身にいきわたっているかのような感覚だ。いくら『解呪』でも肉体的な負担は関係ないのだろう。

《もう少し掛かるな。全力はまだ無理だ》
《だったらそのまま、溜めておいて。…六月ちゃんと折田真白を切り離したら、トップギアで動いてもらうから》

心を読む必要なんて無い、視線だけでの以心伝心。それだけで十分だった。

一は俺から視線を外し折田真白へと向き直る。俺もそちらへと視界を向けた。

「さて、折田真白。…随分と久しぶりね、最後にあった時はまだ青年だったのに、随分とシワだらけになったものね」
「ヌシは…海藤麻耶か。死んだと使い魔が言っとったが、生き返るとはな。それにその体、過去にあった時とそのままか」
「正確にはもうちょっと違うけど…、その辺の説明は省かせてもらうわ」

『麻耶』の喋り方に切り替えた一は、折田真白と会話をしている。魔術師同士、知り合ってたのか。
心中で考えていることを読めはするが、記憶までは手繰れないのが歯がゆい。

「しかし、ヌシが三条九十九と繋がっているとはの。死神に命乞いして寿命でも延ばしてもらったか?」
「ふふ、さてね。『不老長寿の薬』が完璧だった、という可能性もあるのよ?」
「それはありえんのぅ。ヌシが死んだ事により、その選択肢は消えた。納得できんのはこうして立っている事よ。何より、『不老長寿の薬』は肉体を生かす薬じゃからの」
「ふぅん、理解しているって事はボケてはいないようね。じゃあ…今私がこうしてあなたの前に立っている理由を、答えられるかしら?」

俺の回復を待つための、小さな舌戦の鍔迫り合い。時折覗き見ることのできる折田真白の心中も、一の心中も、決して本気なんかじゃない。知り合い同士が久しぶりに会った時のレクリエーション程度の感覚。

「考慮する必要も無い、今のワシと同じじゃろう? 別人の魂がその肉体に入っておる。…違うか?」

己の行為を認識しているのか、まったく考える時間を用いずに的中させた。もしかしたらコイツは、魂のことがわかっているのかもしれない。

「いや正解、よく解ったね。君が“三条六月”の肉体に間借りしてるように、ボクも“海藤麻耶”の肉体を使わせてもらってるわけさ」

取り繕う必要が無いとはっきりしたのか、一も元の口調に戻る。

「ほう、では海藤麻耶の肉体に居るヌシも魔術師か?」
「違うよ、ボクは魔術師なんかじゃない」
良いながら一は右腕を折田真白へと向けて突き出し、掌へと魔力が集中させる。それを感じ取り、向こうは警戒の様子を見せた。

「ボクの名前は篠崎一。三条九十九を愛する、親友にして恋人の、ただの人間だ。《呪縛》-バインド-!」
「むっ!?」

折田真白が俺を縛った魔術を、今度は一が放った。半透明の、魔力で描かれた魔法陣が地面に出現し、肉体をその場に押しとどめようとする。

「ただの人間が、賢しいわ!《反鏡》-リフレクト-!」

予測していたと言わんばかりに反射の術を発動させ、《呪縛》が一に返ってくる。

だが、それさえも予測の内だ。
折田真白の意識がずれた、今なら奴の心が読める。気が俺のほうに行っていないのならば、付け入る隙はいくらでもある。
奴の方からは死角になっている俺の腕を、自分の影へと潜り込ませる。

《影侵転移》-イロージョン-、発動。
影同士を繋ぎ合わせ、そこへと瞬間的に移動する死神のスキル。クゥの転移方法とは違う、影がどこにあるか認識していないと使えないものだが、これなら十分に不意を討てる。
もし音がするなら、とぷん、といっているだろう。影に入った腕が、今認識できる影。六月の体が作り出している影へと目標を定めて、現れる。

続けて、《身縛影固》-チェイン-、発動。
転移した腕がその影を叩き、その瞬間に捕縛の力を注ぎ込む。忍法の影縫いと似たようなものだ。これで動けないだろう!

「不意打ち、大成功」

にんまりと、相手を陥れたことを喜ぶように、一は笑っていた。


一は《呪縛》術式を打つ際に、予め“俺や自分を呪縛しない”よう、術式構成に練り込んでいた。折田真白が《反鏡》を使っても構わないように、だ。一の放った《呪縛》は、自分自身には何の効果も無い。
それに《身縛影固》はしっかり決まっている。折田真白との能力差によって効果時間が変わるが、この手ごたえなら1分は捕まえておけるはずだ。
反射して自滅すると高を括り、気が抜けていた折田真白には、不意打ちがしっかりと決まったの。

「ぐ…っ、このアーツは、三条九十九のか!?」
「正解。反撃を食らわせて勝ち誇った相手に、死角からの一撃を放り込むとみんな大抵そんな顔するんだよね」

笑顔のまま一は、折田真白へと歩を進める。これからの本番を行うために、口の中で小さく呪文を紡ぎながら。

「だが、解せん…っ、いつの間にこの段取りを…!」
「はぁ…。被憑依者の記憶まで読み取れる術式を使っておきながら、解らないとは言わせないよ? 死神は他者の記憶が読める事くらい、理解してるはずだ」
「…そうか、読心によって…!」
「その通り。そしてもう1つは…、言われなくとも解る、ボク達の絆だ。ね、九十九?」

一は麻耶の笑顔を俺に向けてくる。俺もそれに返すように、微笑んだ。

「じゃ、折田真白。…君を潰させてもらおうかな」
「どうするつもりだ、一とやら? このままワシを潰したとて、この娘も死ぬぞ?」
「承知の上さ、…だからこうするんだ」

再度魔力の集った右手を、六月の、折田真白への額へと翳す。

「《現想》-ファンタズマ-。……さぁ、六月ちゃん。ボクの声が聞こえる…?」

* * *

真っ暗だ。
向こうに光が見えてるのに、私が“私”の視点で見てるはずなのに、見えているべきものが見えない。
静かです。
私の耳はおかしくないのに、中耳炎にも罹ったことのない健康そのものなのに、何も届いてこない。
匂いも、感触も、何も無くて。
暗闇の中で一人放置されてるような、冷たくて、怖くて、淋しくて、真っ暗で。

まるで、お父さんとお母さんが死んじゃったときのようで。
当時の私はまだ9歳で、2人とも死んでしまった事を受け入れられませんでした。
泣いたら優しく抱きしめてくれたお母さんは。悪いことをしたら厳しく怒ってくれたお父さんは。もういないのだと。

認めたくなくて、認められなくて、泣いて泣いて、みっともなく叫んで。そうすればお母さんがやってきてくれると心のどこかで信じて。
けれどやっぱり、その先にあったのは泣き叫び続ける私が1人だけ。

今までのように、お母さんに抱き締められなくって。
今までと違って、お兄ちゃんが私の側に居てくれて。

私はようやく認めることになった。もう2人とも、いないんだって。

その時と似たような絶望感が私の中に広がる。
大切だったものが突然無くなって、家の中も、私の中にもぽっかり空いてしまった空間が広がって。
空虚で、どうあっても慣れることのできなかった“そこ”が。今また私の中にある。
けれどそれは、両親を亡くしたときと違う。あまりにも広くて、私の存在がちっぽけに感じられるほど圧倒的だった。

私の周りの闇が、中心で動けなく蹲る私を狙ってうごめく。
闇の中の私が許せないというように、心まで恐怖に染めきってしまおうというように、じわり、じわりと。
そのせいかな、何も見えなくて、何も見えないのは。
このまま私は消えちゃうのかな。

…ねぇ、お兄ちゃん。助けてよ…。

『六月ちゃん…、ボクの声が聞こえる…?』

そう願った時に聞こえてきたのは、一お姉ちゃんの声。もっと正確に言うと、一お姉ちゃんが一お兄ちゃんだった時の声。
目の前の闇の中で、突如現れたのは、男のときだった姿の一お兄ちゃんだった。


『良かった、まだ全部は呑まれてないみたいだ。これなら間に合うよ』

安堵した様子の一お兄ちゃん。でも間に合う…、これで何が?
≪一お兄ちゃん…、何が間に合うの…?≫

『簡単だよ。そこから出ることさ』

声も出ないけど、心の中で念じれば、それが言葉となって通じたみたい。一お兄ちゃんが微笑んで返してくる。
≪無理だよ…。私1人じゃできないよ…お兄ちゃんがいないと…≫

『そうやってまた、九十九に助けてもらうの?』

≪え…?≫

『六月ちゃんはそうやって九十九に護られて、自分だけが安全な場所にいて、大丈夫だと考えて。
間に合わないって時の事は頭に無いよね。もし九十九が動けなかったら、もし居なかったら。何もできずに震えているの?』

≪あ…≫
それは確かに思ってたこと。いつもいつもお兄ちゃんに助けてもらって…、私がお兄ちゃんの助けになれたことなんて、数えるくらいしかなかった。
だからだろうか。助けてもらった私は、それで救われた私は、自分から何かをしようとしただろうか。

していない。
何もしていないんだ。

私はバカだ。今になって気づいてしまった。
護られる立場で、それ以外に何もしようとしない。
気付けたけれど、気付く事が出来たけど、今からそれが出来るの? それ以外の、何かが。
もう、遅いんだ…。

≪でも…、ダメだよ…。こんなの、恐いよ…。手も足も、体も殆ど食べられて…、何とか喋れるくらいなのに…≫

『いや、ダメじゃない。今の六月ちゃんに…、ボクの力を少し分けてあげる』

≪そんなこと、できるの…?≫

『できるよ。何せ今のボクは…、“魔法使い”でもあるからね』

一お兄ちゃんの姿が、生き返ってからの分身の1人、海藤麻耶さんの姿になった。
細くて柔らかい指が私に触れて、そこから淡い光を放つ、私の知らない何かが流れ込んでくる。

≪あったかい…、これは…?≫

『ボクの使える魔術の一つ。…自分の思いを現実に反映させることのできるものだよ』

オリジナルじゃないけどね、と微笑みながら、一お兄ちゃんから流れ込んでくる力が、見えないはずの体に漲るのを感じる。

『じゃあまずは慣らしだ。六月ちゃん、ここから出たいよね?』

それには頷く。何はなくとも、私が出来ることをしたい。今はまだ、何も解らないけど。


『オーケィ。それじゃあ自分の身体をイメージして。まずは自分の身体で立ち上がらないとね』

言われるままだけど、自分の身体をイメージしてみる。
ちゃんと立てる脚。大事なものが沢山の体。沢山のものを握りしめる腕。
全部あって私になる。全部揃って私、「三条六月」になる。
私が身体を作ると同時に、身体を呑みこんでいる闇が晴れた。もしかしたら、呑み込み切れずに逃げていったのかもしれない。
けど、そんな事今はどうでも良かった。

『この術は、“出来ると思ったこと”を現実にすることが出来る。…今の六月ちゃんを蝕むこの存在、折田真白の意識も…、弾き出せるよ』

できる? この恐い状況を作ってた存在を、本当に?

『当然。一般人の魂は魔術師の魂を撃退せしめる。“普通”は“超常”に勝ち得る。
その全ては強靭なる意志の元に』

≪できる…≫
『できる!』
≪できる…っ≫
『できる!』
できるのだ!

一お兄ちゃんはいつの間にか消えていた。多分もう、これ以上私に語りかける必要はなくなったんだろう。
ここからは私の戦い。1人きりだ。けれど大丈夫、覚悟は決まった。

私は虚空へ、毅然と指を突きつけて吼える。

≪出てきなさい、折田真白ぉっ!!≫

“私”を狙った、簒奪者に向けて。


* * *

一が六月へと術をかけてから、これで既に2分が経った。
既に《身縛影固》の効果は切れており、自由に動ける筈の折田真白は動けるはずなのに、その体は力なく俯いたままぴくりとも動かない。
これは六月が交戦している証だというが、これに助力できないのはなんとも歯痒い。
今この状態で俺にできるのは、何かあった時に即時対応できるよう動ける準備をすること。そして六月の無事を祈ることのみだ。

少し後、六月が動いた。最初は小刻みに身を震わせ、徐々にそれを表へと出すように、その震えは大きくなっていく。

「出てくるよ、九十九っ」
「あぁ…!」

座って構えていた一が告げると同時に、俺は小さくうなずく。全力を以って奴への攻撃を加える為に。
同時に六月の体から、うっすらと仄暗い色に染まった魂が溢れてくる。
それが完全にはじき出されるのと、六月の声が響いたのは、まったくの同時だった。

「出、て、い…っ、けえぇぇー!」
『むおぉぉぉっ!?』

分離した!
それと解るほどの勢いを持って、折田真白の魂が六月の体から飛び出たのだ。

『この、たかが“ただの人間”の小娘が…!』

小さな悪態をついた奴は、分が悪いと見て逃げ出そうとした。向かうのは俺の家の外。

「逃がす、かぁっ!」

それを見ると同時に全身を一気に稼動させ、折田真白へと飛び掛る。
《狩魂葬具》、《透過浸行》を発動させ、両腕に鎌を現出させながら肉体の霊体化。奴の立っている場所、物理的干渉の通用しない世界に立ち、奴に狙いを定める。

さらに俺が飛び出そうとした刹那に、一も動いていた。既に詠唱を終了し、発動までの承認を待ちわびていた呪文が放たれる。

「《増強》-ブースト-!」

淡い光が俺の体に取り巻き、全身に力がみなぎる。駆け始めてついた初速が強化され、ほぼ倍になる。
消滅していた死神としての衣装も修復され、全身が真っ赤なドレスに包まれた。
髪を揺らし、ドレスの裾を後に引く、自分でも体感したことの無い速度のまま、憎い相手へと狙いを定めて、

「一発!」

蹴りを叩き込む!
ブーツの底に死神の力を込めて叩き付けた弾丸のような蹴りは、狙い過たずめりこんだ。
折田真白の魂は吹き飛ばされ、部屋の外へと完全にはじき出された。それを追って俺も外に飛び出る。
加速した肉体は止まらない。
蹴飛ばされながらも、その勢いを殺さずに飛び、逃げようとしている。
それだけじゃない。奴の状態を形成している魂を分割させ、今まさに9体に分裂しようとしている。

『癪じゃが、肉体が無い限りヌシは屈服させられんのでな。ひとまずはさらば!』

それは止められず、奴は9つの魂になって逃げていこうとする。

させるものか。
散々好き勝手した挙句、さらに逃げるだ?
ふざけるなよ、折田真白。


《狩魂葬具》の鎌を大きく振り被る。正確には肩に担ぎ、腰も限界まで捻りあげる。
一の唱えた《増強》の効果で、どれだけの飛距離が出るかは解らないが。
一つ二つでは留まらない力を込めて。
いや、全て巻き込むほどの力を漲らせて。

「…っずぇい!!」

投げた。
巨大な鎌が弧を描き、空を切り裂き飛翔する。
その行き先は決まっている。
死神の鎌の振り下ろされる先は、常に死に行く者なのだから。


直径で人の身長ほどにもなる、告死の輪が飛来する。
折田真白の魂、その分割体の1つは“それ”に気付かない筈が無かった。
不幸なのは、自分の逃げた方向が、一番九十九から近かったことだろう。

『く、こちらを狙ってきおったか。《防壁》-プロテクト-!』

慌てて防壁の魔術を唱えるが、彼の判断は間違っていた。
要因は2つ。
一つは失念。直前、九つに分割した為に自分の力が低下していたことへの。
当然ながら魔術は使えても、その効果は万全の状態に比べるべくもない。
一つは侮り。三条九十九という死神が、新米だということの事実への。
なるほど、それは確かに真実だ。九十九がそうである事は間違いないし、実力差も歴然としていた。

そしてさらに別の要因もあるが、今は言う必要は無いだろう。
三条九十九の中に疾る、この力のことは。

刃を重心とした回転を得た鎌は、《防壁》魔術を切り裂いた。
正確には突き刺したと言うのだろう。
だがその勢いは1つ目の魂を貫き、尚止まらない。
深々と抉り、次なる分割体に狙いを定めて中空を、慣性の法則さえ完全に無視した、鋭角の起動を以って奔る。

逃げようとする二人目を貫いた。
破壊しようと攻撃魔術を放った三人目を突き刺した。
他者の肉体に入り込もうとする四人目を切り裂いた。
隠れる事も出来ぬまま逃げ惑った五人目を刃に留めた。

そうしてようやく、鎌は回転を止めて、九十九の掌中へと帰還を果たす。

* * *

「…魂は5つ分、あの場の半分以上か」

戻ってきた鎌を手にして、刃に引っ掛かった魂を数える。
その全てが同一人物のものであり、それ以外の魂を傷つけようとしなかった事に、俺は死神の鎌の強さを改めて思い知った。

『く、ぐ…っ、おのれ、小僧…っ』
『このような、状態でなければ…』
『ヌシ如き、取り込めたものを…』

口惜しそうに折田真白の魂の欠片が呻いてくる。けれどそれを聞く気にはならない。
どうせ、というのも何だがコイツはもう少しで死ぬのだ。親しい一や、友人知人の場合ならともかく、コイツのような奴に対して憐憫を抱く必要は無い。
何をしてきたか。それを考えるだけで、やってきた事を思い出すだけで、腹が立ってくる。
一週間後という必要は無い。コイツは今すぐ、命を刈り取る。

『か、は…っ、小僧が、勝った気でおるつもりか…!』
『ワシ本人の力で張った障壁は、破れんかった分際で…』
『“ワシ”を狩れるか、小僧…。できるというのか?』
刃に貫かれながらもまだ意識を保っているのは、さすが魔術師、と言いたくなるほどの精神力の強さだ。
これが合体して、俺1人の時に襲い掛かってこられたら、きっと太刀打ちできなかっただろう。
けれど今にその脅威は無い。分割された魂を傷付け、結合も不可能になるほどの損傷を与えたのだから。
そして本体も、全力を出せない。
油断はするつもりじゃないが、“こいつ”に呑まれる気は無く、明確な殺意を持って睨みつける。

「うるさい、黙れ」

それと同時に魂を、鎌の中へと収納する。
切った人間の魂をあの世まで連れて行く際、そのまま連れて行くと魂を喰らう類の魔物に襲われる可能性がある為、死者の保護を優先する為作られた、《狩魂葬具》の機能の一つ。
死者の魂を中に保存する事により、無事に連れて行くためだ。
当然、内部から食い破られる可能性を作るわけには行かず、5つ全てを別々に収納する。

「残りの魂は7つ。全てを結合しても、まだ全力の半分程の力があるんだよな。
勝てるかどうかは、少し難しい話になるけど……」

現状を認識しなおし、今の俺の立場を再確認する。
決して有利な訳じゃない。助力も無い。
一は万一六月が再度狙われた時の事を考えて、六月の傍に居てもらっている。クゥは絶対手伝わないのが眼に見えてる。
ならば、すべて1人で片付けるしかない。

「……やるしか、ないな」

覚悟を決めて、《影侵転移》を発動する。
折田真白の屋敷へと、この身を影に沈みこませる。

* * *

折田真白の屋敷地下、九十九とクゥが探索した箇所よりさらに下層。そこに本体は居た。
椅子に深く腰掛け、身体の大事を取って安静にしていながらも、魔術師・折田真白は焦っていた。
目論見が外れた事もあるが、何より横槍である海藤麻耶、そして篠崎一の存在に。
齢を重ね、知識を蓄え、術を習得し、魔の深淵に近づいていく度に、彼は死の恐怖に怯えていた。
そしてまた、同時に己の階梯を高めることに貪欲で。魔術師から魔法使いになることを諦めきっていなかった。
死を克服するためにあらゆる手を尽くし、《分割》と《結合》を使って魂を方々に飛ばし、自分の魂を収めるのに適した肉体を探していた。
その過程で何人も“喰った”。たとえ12に分割された魂でさえ、一般人の魂を取り込むことに労苦は無かったし、罪悪感も無かった。
だが、己の欲するもの。若く瑞々しく、そして強い肉体は見つからなかった。

方々に散り、九十九の攻撃から逃れえた魂が戻り、自身の肉体に収まっていく。

「おのれ…っ、あの小僧め!」

口から出てくるのは、この場に居ない二人への悪態。
留める気は無く、今はそれを放っておかなければ精神の安定も見込めなかった。

「海藤麻耶が生きておったのも、篠崎という小僧の存在も…、奴のせいで全てが水泡に帰したわ…!
あれだけ都合の良い肉体というのもそう見つかるものではない…」

呟き、思考を巡らせる。この場の打破と、己の存命の為に。

「三条九十九に使用された《増強》はそう長時間効果の継続するものではない。あれから既に5分、効果が切れておる筈だ。
なれば奴は自分自身の力でしか抗うことはできんはず。ワシのほうにまだ分はあるが…、有利と言い切れるものでもない…」

折田真白という存在は、決して優秀と言える魔術師ではない。
魔術を唱えられる魂と、使用できる肉体に生まれついて今の存在になったものの。肉体には才能というものがあまり無かった。

可もなく不可もなく。広く浅く。器用貧乏。多芸は無芸。

それが彼への評価であり、その全てを表していた。
“何でもできた”代わりに、深くまで入り込むことは不可能だったのだ。

「…………」

無言で策を巡らす。
三条九十九がこの屋敷に再度来ていることは、既に屋敷内に張った極薄の結界によって察知している。そう時間はない。
自分の力が弱まっている現状では、この最下層もいつ暴かれるか解らないからだ。

この場に《呪縛》の罠を仕掛けるか? それとも《魔弾》-バレット-で攻めるか?
それとも三条六月の中に入っている際に得た知識から、『怒った時の三条九十九』の行動を予測する。
この短い時間ながら、考えうる限り最善の手を取って九十九を無力化させ、最終的にその肉体を乗っ取る。
その思考に没入していた為か、気づけなかった。

首元に当てられていた、死神の鎌に。

「……死神、参上だ」

首に触れる金属製の鎌、そして耳元に届く鈴のような音の冷たさに、折田真白は背筋が凍った。
椅子に座る自分の背後に立ち、背もたれを間に挟んで密着している。鎌の切っ先が首筋に添えられ、引いて斬るも、押して刺すも自在の状態。
いつの間にか。そう、いつの間にか、この死神は忍び寄っていた。

「な…、貴様、いつの間に…? それにこの場所を、どうやって知った…?」
「質問は一つずつして欲しいな…」

冷や汗を額に浮かばせる折田真白とは対照的に、九十九の表情は今からすることに何の感慨も持たない、と言わんばかりに冷え切っていた。
その表情を折田真白は見れない。…が、それで良いのかもしれない。

「一つずつ答えるぜ。…いつの間にってのは、今しがただよ。俺を罠に掛けようとする思索の頃からな。で、どうやって、だけど…」

ぎ、と刃が皺だらけの肌に、正確に言えば皺でできた溝に、もぐりこんでくる。

「お前の魂の一部に、直接聞いたよ」

背もたれ越しに鎌を突きつけられている折田真白には見えなかった。九十九が鎌を右手だけで持っていることに。
その代わり感じられた。九十九のすぐ近くに、自分の魂の一部が存在していることに。

「少しだけ味あわせて貰ったよ、お前の記憶とか…、やって来たことをな」

小さな口から艶かしく出された舌で、魂の一部が舐められ、嬲られたのを折田真白は感じた。
こんな方法もあったのかと、驚きと同時に恐怖が止められなかった。

「部屋の位置、そこに至るまでの方法、お前の座っている場所、そして室内の照明が解れば、後は十分だ。そこにできる影を目標に向かって跳べばいいんだからな。
あ、当然気配や存在は消させてもらったぜ?」

九十九は淡々と告げてくる。相手に恐怖を刻み付けるように、静かに。
そして同時に、鎌も折田真白の肉体に沈み始めていく。ゆっくりと、音も無く…。

「く…、ならば、ワシの記憶を知ったなら解るじゃろう! 死に怯えるワシの恐怖を。死にたくないと考えることを!
死神には解らんじゃろう、何も出来ずに死んでいくことへの恐ろしさを…!」

その言葉は遮られ、折田真白の耳に言葉が届く。

「成ったばかりの新米死神なんでね。死にたくないと思う人の心なんて、とっくに知ってるよ」

口の端だけで笑うような口調で言われた瞬間に、折田真白は気付いた。
ぎり、と鎌を握る手に力が入ったこと。そして己の体に力が入らなくなっていることに。
己の首に、既に深々と白刃が食い込んでいる。そしてそれが魂を…、正確には分割され外へと行ける魂を吸い取っていくことに。

「…知らなかったのか? 『死ぬこと』からは、逃れられないんだよ。死から逃れようとしても、いつしか追いつかれる。
今のお前のように、気づかぬ間に背後に立たれるんだ」

ぞぐ。白刃が首に食い込む。
一ミリ進むごとに魂が吸い取られ、肉体の感覚が薄れていく。
それはまず、つま先からだった。
動かそうとしても動かせず、“そこにある”という感覚さえ消えうせて。
次第にそれが上っていく。足が動かなくなり、神経が通うことさえ解らなくなる。


「未練は残る。大往生なんてそうそうあるもんじゃない…。死ぬ間際になって気付くことなんて沢山ある…」

ぞぐ。刃が進む。
感覚の消失が脚を覆いきり、下半身にまで伝わってきた。その恐怖と、そしてそれに伴う『死』が。

「それでも死は歩み寄る。一切合切区別無く、その命を闇の中へと落とし込む為に」

ぞぐ。刃が進む。
下半身を通り過ぎ、腹部、そして呼吸器にまで達した。
肺も死に、気管さえ死に始め、活動を停止し、折田真白は既に呼吸さえ不可能となった。
老齢により色褪せていた、そして一層血の気を無くし、青白く変色した口唇がぱくぱくと、力なく開閉を繰り返す。もはや呪文を唱えることも侭ならない。
弱り始めた事により、折田真白の心が意図せず読もうとしなくても、滑り込むように九十九の耳へと届いてくる。
その言葉は全てが、死にたくない、小僧め、無念だ、おのれ、などという苦痛と怨嗟の言葉。

「だが何より…、お前は俺を怒らせた」

ぞぐ。けれど刃は止まらない。
じわり、じわりと進んでいく刃と、肉体の感覚消失。
感覚の死は道連れを求めるように、さらに肉体を歿しようと、ある一箇所に到達しきった。
心臓が、鼓動を止めた。
けれど意識は落ちきらない。折田真白は、体を動かせない恐怖のまま、

「喜んでいいさ、折田真白…。お前は初めて、俺が怒りと共に迎える魂になる」

この世で聴いた言葉を聞いた。

喉もとの中ほどまで進んでいた刃が、引かれる。
枯れ枝のような首は、そのまま胴体と、永遠に引き離された。

* * *

地下室で折田真白の亡骸が横たわっている。そこから血は流れていない。死神の武器は、人間の肉体に対しては極低温のそれとして感じられる。斬られた結果、血管さえ冷気により萎縮・凍結したためだ。
魂は既に鎌の中へと分割収納したので、これ以上は動くこともない。仮に誰かの魂が入ったとしても、死んだ肉体をこれ以上動かすことも出来ない。

強く、鎌の柄を握る。
…気持ち悪い。怒りを以って振るう刃の重さと、それを伝わってくる人間の肉体の感触が。
手ごたえだけがいやに大きく感じられて、吐きそうになるのを堪える。

「…これで、後は奴の魂を、閻魔庁に送れば…、終わりだよな…」

鎌に血の一滴も付いていないのが。人の命を物理的に絶ったことさえ気にしていないのが、鎌を通して見える。
怒りという感情が落ち着くと共に、死神仕事への嫌悪を今更ながらに感じてしまった。

「吐瀉物でも出しますか、三条さん?」
「うわぁっ!?」

相変わらず唐突に現れたクゥに驚いて、出かけていたものも引っ込んでしまう。

「今この場で吐かれても困るんですけどね。臭いがついちゃいますよ」
「…そりゃ、クゥにとっては、そうだろうけどな…」
「そうそう三条さん、鎌を渡してくださいな」
「え…?」

手ぶらのクゥが右手を差し伸べる。掌を上にして、欲しいものをねだるように。

「折田真白の魂は私が閻魔庁へ運びます。三条さんはさっさと妹さんのところへ帰ってください」

少し驚いてしまった。そんなことが出来るのかと?

「出来ますよ。有事の際には別の死神が魂の誘導をしても構わない、とマニュアルにも書いてありますしね」

そういえば、そんなことが書いてあったような気がする…。

「で、今の三条さんはまともな精神状態じゃありませんし、私が代行しますよ」

早くしろ、と言わんばかりに手を握っては開く。ぐーぱーぐーぱー。
俺の手には、重くないはずの《狩魂葬具》の鎌。
けれどそれは今、ずしりと重く感じられる。物理的じゃなく、精神的に、すごく。
これを渡せば、仕事は終わる。今はもう何もする必要がない。けれど…。

俺が怒りで揮った鎌の先に、刈り取った命が一つ。相手が悪人でも、命は一つ。
これを放棄して…、いきたくはなかった。

「……いや、良い。俺がやったことだ。俺が責任持って、折田真白を連れて行く」
「さいですか。じゃあそれは後で良いので、早いところ帰ってください」
「さっきも言ってたけど…、まさか、六月に何かあったのか?」

詰め寄った俺に対し、クゥはいつもどおり、なんでもないような口調で告げてきた。

「三条さんの妹さん、死に掛けてますから」
「どういう…ことだ…?」
「おや三条さん、折田真白の術に関して篠崎さんから聞いていませんか? それが持っていた性質も?」

じかに答えを言ってこない。こういえば思い出す、ということを多分解っているから。
そして事実、俺はその問いへの答えを持ってしまっている。思い当たってしまっている。

他人に憑依した折田真白の魂の一部は、その存在の補完の為に他者の魂を喰らう。

これが問いへの答え。起こってしまった、紛れもない、現実。
そうだ、いくら一たちが地獄で時間を使い、対抗策を練っていてくれていたとしても。六月があいつに憑依されていたことは変わらないし、憑依していたのが折田真白の一部でしかなかったことも変わらない。
そうなればどうなる? 決まっている。
俺が犯されている間、六月は徐々にその魂をあいつに喰われていってたのだ。

その場合、迎えるべき魂は存在しない。
体だけが生きている、ただの植物状態にしか、ならない。

考えが答えにたどり着いた途端、俺はクゥに掴みかかっていた。

「クゥ…っ、お前、何でもっと早く…!」
「動かなかった、と?」
「…っ!」
「私は、死神である三条さんや、あなたの担当した篠崎さんに関しては留意しますが…」

つかみ掛かっていた手を掴まれる。

「その妹さんにまで、気に掛ける理由はありませんので」

その言葉を、しっかりと聞くことはできなかった。掴まれていた手を支点に、投げ飛ばされていたから。

ドガンッ!
重い打音を響かせて、地下室の壁に叩き付けられる。
肺から空気が搾り出され、血までは出ないものの、吸うべき酸素を求めて体内が混乱する。
蹲り咽る俺に、クゥがまた、言葉を投げかけてきた。

「そも今回のことだって、本来なら三条さん一人で片をつけなければいけない事なんですよ?
私が介入したのだって、三条さんとガチでやらせるには力不足だから、という理由があるからです」

言葉をかみ締めさせるように、ゆっくりと告げる。それと同時に、小さな足音が近づいてきて。

「それを、“妹が危ないからもっと早く助けろ”? 馬鹿な事を言わないでくださいな」

ごり、と。頭にブーツの底を押し付けられる。

「死神であることを勘違いするな、小僧。
死神は死神だ、人間じゃない。むしろ人間とは似て異なる、内面では決定的に違う人外だ。
生物の“死”に因って動き、生命の“終”に佇む、輪廻の介在者だ。それ以上でも、それ以下でもない。
お前はまだ『人間である事』の拠り所が存在し、それ故に妹だ恋人だ、そんな瑣末なことに心動かされる」

冷酷な言葉が、今まで見た事のないクゥと共に叩き付けられる。
言葉が投げ付けられる度に、頭を踏む力が強くなる。

「金銭など、勝手に移り過ぎる世を偲ぶために閻魔庁がやっていることに過ぎない。
所詮そんなのは百年もすれば消え去る、我々にとっては“どうでもいい事”でしかないんだ。
死神であることを受け入れろ。妹のことを受け入れろ」

ザンッ! と、鋭く重い音を立てて、俺の顔の横にクゥの鎌が突き刺さった。

「命の消え去る所に死神が行く。それだけの事だと、認識しろ」

クゥの叩き付ける言葉に、心臓が締め付けられる。
これは恐怖か…、それとも六月への心配か。それとも…、六月を完全に失うことへの…、嘆きか。
それらの感情が頭の中を渦巻き、考えがごちゃごちゃしてくる。もう何もできやしないのかと、錯覚してしまう。
けれど、

俺の手は、クゥの足を掴んでいた。
「……何のつもりだ?」
今まで以上に冷たい声でクゥが問うてくる。頭を踏みつけてくる強さが増して…、痛みで頭が冴えてくる。

「…あぁそうだ、クゥ…。あんたの言うことは正しいよ…」

死神はそういう存在だ。人の生まれる所には現れず、死ぬところにだけ現れる存在だ。たしかにそれ以上でも、それ以下でもない。
けれど。

「けれど…、俺にはな…」

けれど、俺には。

「俺には…、必要なんだよ…、その『人間である事』への拠り所が…!」

必要なんだ。

「まだ俺は…、人間だ…! 死神・三条九十九である以前に…、俺は人間・三条九十九だ…!

人間として生きるために…、その拠り所を求めるんだ…。待ってくれてる相手の為の、拠り所になれるんだ…!」

六月も、一も、じいちゃんだって。

「この足をどけろ、クゥ…! 俺は六月のところへ戻る…!」

看取るためじゃない。

「まだ六月に…、ただいまを言ってないんだよ…!」

足を握る手に力が入る。細い足首を掴み、この体が出せる膂力の全てを以って。折るか、千切るか、それとも引かせるか。
そこまでの力を込め…ようとして、不意にその感覚が失せた。握るものがなくなった手が、足首の代わりに空気を握り締める。
同時に頭を押さえつける足と、その横に突き刺さっていた鎌も消えうせて。

「…っ!?」

慌てて体を起こし、周囲を見渡してみる。
すぐに見えるのは、雑然とした地下室の内装。奥に座っている胴体だけの折田真白。そして…。

「…………何してんだ…?」

先ほどまでの冷気も綺麗に消して失せた、折田真白の頭部を自分の頭上に載せているクゥだった。

「何をしてるとは異な事を聞きますね。遊んでるんですよ?」
「…、生首で、遊ぶなよ…」

そんなことを言うしかできなかった。
先ほどのと今の空気との違いで、精神的にも、肉体的にも疲れがドっと襲ってきた。

「あぁー、とーてむぽーるがはずれませんー。これはなんということでしょう、このあたまをはずさないと、わたしはひとまえにでれませんー。
さんじょうさん、わたしがこのあたまをおさえているうちに、はやくいくんだー」

正直、意図が読めなかった。もうクゥは何がしたいんだ…?

「……ちらっ」

あ、なんかこっち見てる。

「…ちらっ、ちらっ…」

…、早く行けって事か。
急いで《影侵転移》を使い家へと跳ぶ。その瞬間にクゥの声が聞こえてきた。

「…ま、そこまで言うならどこまで保つか見てみましょうか。ねぇ、三条さん?」

…うるせぇよ、この野郎。

* * *

ずるっ、とも言うべき音を立てて…正確にはそんな音はしないのだが、形容するにはこの擬音が一番だと思う…、俺は自分の家へと戻ってきた。
時と場合によっては、影が出来ていない可能性のある自室への跳躍はやめて、外灯によって確実に影が存在する家の敷地内へと。
体が抜けきると、ドアを蹴破る勢いで家の中へ入り、階段を駆け上がる。スカートの裾が長く、急げば急ぐほど内側の生地にこすれて引っかかる。
急げば急ぐほど、脚を取られて前に進める気がしない。
けれど本当はそんなこともなく、駆け上がった勢いのままに六月の部屋へと雪崩れ込む。

「九十九…!」

海藤麻耶をメインで動かしている一が、ベッドに倒れている六月の隣にいて。

当の六月は…、肌も青白く、小さな呼吸だけを繰り返して…。

「ぁ…、…おねぇ、ちゃ…」

俺が戻ってきたのを察知しての動作も、ひどく緩慢になっている。きっと体がうまく動かせないのだろう。
自律神経を使っての行動は元より、感覚器といった反射神経も弱っている。

死神でなくても、解る。死に掛けていることを。

「一、どうにかならないのか? また『現想』を使うとかは…」
「…………」

一に詰め寄ってみても、首を横に振るばかりだ。
口で説明をしなくても、心の声を聞いて解ってしまった。
今の六月の精神力、魂の状態では、『現想』術式を用いても、それを思う意志自体が衰弱してきている。術式の発動に必要な要素が欠けてしまえば、何もできないのだ。

同時に気づいてしまう。
魂のことに関して、海藤麻耶の中には知識“しか”ない。実行を伴って蓄積された経験が無いのだ。
折田真白の本を読み漁ることによって、それらの知識は得た。得ただけで、それ以外の部分は無い。
奴本人でなければ、魂に関係できる術式を使用することはほぼ無理ということだ。奴の魂から記憶を少しだけ仕入れてしまった為に、その深奥がいやでも解ってしまう。そこだけが憎らしい。

…あれ、俺は今、何を…。

「…………そうか、…そうだ…!」

ひとつ、頭の中に浮かび上がった。
俺ができる方法で、六月を助けられる手段を。
おそらくそれは、ほんの少しの痛みを伴ってしまうとしても、これ以外に見つけられなかった。
一刻を争うこの状況で、一に全てを説明する間もない。すぐに取り掛からなければ。

「……一。これから俺がすることで…、もしヘマをしたら…、後、頼む」

言うなり、《狩魂葬具》の鎌から折田真白の魂、その一部を取り出す。
自由になった自分だけでも逃げようと手の中でもがく魂の一部を前に、少しだけ逡巡する。口が開いて、閉じようとしても閉じきらず、「う」の言葉を言うように小さく窄んでは開いて。
「九十九、…まさか!」
一は気付いたようだ。止められたら決意が鈍りそうなので、二の句を告がれるより…、先に告げる。

「折田真白…、聞こえるか?」

『…三条九十九、ワシを殺したヌシが、今更何用じゃ?』

よし、答えてくる。その事実に心中で少しだけガッツポーズをして、しかし悟られないように会話をする。

「お前に聞きたい事がある。それじゃ理由にならないか?」
『ほぅ? ワシに聞きたい事とは……、なるほど、ヌシの妹の事か』
「解ってんなら話は早い。お前は“喰った魂”を元に戻すことが…可能か否か。それを聞きたい」

たとえ俺の中に、折田真白の知識が多少あったとしても。魂の術式に関しての深奥があったとしても、それを応用・使用することができなければどうしようもない。
今からそれをやろうとしても、はっきり言えば、無理だ。死神と魔術師との技術はあまりにも異なる、畑違いの分野。
できもしないことをやろうとしたところで、見えてくるのは失敗という結果でしかなく、成功の可能性は星を掴むような“不可能”の境地。
そして今回の失敗は、即・六月の死に繋がるからこそ、それはできない。
だから、頼ることにする。今回の首謀者であり、魂のことに関する技術の専門家…、先ほど俺が殺した、折田真白に。

『して、その問いへの見返りは?』

返答への礼を要求してきた。
今は俺が一方的に、やろうと思えばこの場で魂を削り、存在さえさせなくすることの出来る立場だというのに、この返答。図太い。というかただでは終わらせないつもりだ。

けれど、その答えは予想済み。そう聞いてきた時の為に、俺が使えるアーツの中で、“とっておき”を出す。

「死期の延長とその間使用可能な代わりの肉体の提供。そして六月を戻せるのなら、その時は…、俺の体を使わせてやる」
「九十九、何を言って…っ?」

一が慌てて駆け寄ろうとしてくるが、軽く手で制する。

「折田真白、お前が死ぬのは既に決定事項であり、変えることはできない。できないが…、延ばすことはできる」
『ほぅ? 期限の程はどれくらいじゃ?』
「死亡予定日から一週間。どの死神だろうとそれが限界だ。…さらにお前の場合は予定より七日早く死んだから、猶予も合わせて後14日、現世にとどまれることになる」

《死期猶予》-リミット-
それは読んで字のごとく、死ぬまでにある程度の時間を与えるアーツ。
ただでさえ人間の死ぬ予定をずらす他、さらに死神自身の負うリスクがあるため、めったに使う死神は居ないそれを。
今、ここで切る。

「さっき、お前を殺すために魂の一部から記憶を読んだ。俺の知らない知識だらけで、お前がすごい奴だってのはよく解った。
だからこそ…、14日もあれば、死から逃げる算段はつくんじゃないか?」
『かはは、言いよるのぉ。そうかそうか、それほど妹が大事か、三条九十九? やはり妹の命には換えられんか、やはり己より妹を優先するか?』

ねめつける様な声で、馬鹿にするように哄笑をあげてくる。

「何とでも言え。…俺が出せる条件がこれだ。返答は如何に?」

笑いをあげ続ける折田真白を、射抜くように見据える。程なくして、奴が口を開いた。

『ふむ…、曖昧な返答になるが、できるとも言えるし、できんとも言えるな』
「……どういうことだ?」
『確かにヌシの妹、三条六月の魂の大部分はワシが喰った。記憶も性格も、嗜好も癖も、その殆どがワシの中にある。
仮にこのまま、ワシの一部が肉体に入れば、それだけで殆ど元通りの三条六月が出来上がる。じゃがそれを、ヌシは望まんだろう?』
「当たり前だ。お前が入ったら、いくら六月のフリをしようが…折田真白であることには変わりが無いだろ」
『至極その通りじゃ。ワシとしてはそれで一向に構わんのだがのぅ?』

ここまできての軽口に、少しばかり苛立ちを感じる。掌に浮かんだままの折田真白の魂を、力を込めて握り締め始める。

「…ふざけるなよ? 閻魔庁への連行じゃなく、今この場で消しきっても構わないんだぞ…」
『ぐぉ…っ、わ、わかった、解ったから力を抜け! 三条六月の殆どを持つワシを消す気か!?』

…っ。
理解してはいるが、何度も聞かされると腹が立つ。この場で握り潰してやりたい衝動を何とか抑えて、先を促す。

「そこからどうするんだ…?」
『簡単よ。ワシがものを、三条六月としての殆どを戻してやればカタはつく。…それだけのことよ』

心の中をのぞく。嘘はついているように見えない。
これなら…、良いのか。戻すためとはいえ、もう一度六月の中に折田真白を入れることになっても。
けれどこれで…、六月が戻るというのなら。

『九十九、ちょっと待って』

その途中に一が割り込んできた。魔力を込めた手を俺の手の甲に重ねながら、何かを呟いている。

『信用しすぎるのもマズいし、何より…。折田真白が“これ以上”を追求しないはずがない。早まらないで』
『けど…、どうにかなるのかよ。今この状況で、他に六月が助かる方法があるのか?』
『僕が探す。九十九が時を止めてくれれば、その間に地獄の中で…』

死神のアーツの中で、時間を止めるものがある。おそらく一はクゥから聞いたのかもしれない。
けれど、

『ダメだ…。まだ俺は使えないし、それに使えたとしても…。現実での23分が限界だ』

それが限界。一人の死神では、それ以上は不可能なのだ。
これ以上は何も言えず、口を噤む。
つられるように一も押し黙った。それ以上の手段が無いことを、思いつけないことを、それが照明していた。

俺も一も、まだ経験が浅い。
俺は死神としての。一は魔法使いとしての、知識しか無い状態では、使い方“しか”解らない。
そうして知識の元に培っていった経験により、その人物の出来ることは広がっていく。
けれど、俺も一も、それが無いに等しい。
一の魔術も、俺のアーツも、今までは単発で使用してきただけ。それらを連携で使用するだけの技術も経験も無くて。
この場を打開するための技術は、俺たちには組み立てられなかった。

運が良かった。
確かに一の力で、勝負事には勝てた。折田真白の肉体は滅ぼせたし、魂はこうして俺の手中にある。
けれどそれだけでは、終らなかった。終れなかったのだ。

知識しか無い状態でやってきた痛みの代償は、あまりにも大きすぎた。

『……で、答えは固まったかの?』

折田真白がまた口を開く。待っててくれたみたいだが、今の俺たちには、最終宣告にしか聞こえない。
果たして自分を頼り、六月の中に魂の一部を入れて仮初でも「三条六月」を保つのか。
それとも許諾はせずにあと少しの間考えを巡らせて、間に合うこともなく三条六月を殺すのか。
その二択を迫られていた。

「…………」
「…………」

2人とも、押し黙る。
俺は一の内心を読み、一は俺の表情から答えを察する。
こんな時まで考えが合うというのは、この状況では恨めしいことこの上ない。

『答えを聞かせてもらいたいのぉ。まさかだんまりで世が渡れるものと誤解し勘違いしている、己の尻すら拭けぬ赤子ではあるまいに。
己の中で決まっているというのなら、声に出してみんと解らんのではないか? 伝わらんのではないか?
言ってみろ、三条九十九?』

遠くから、折田真白の声が聞こえる。

『さぁ』

それは徐々に近づいてきて、

『さぁ!』

確実に俺達の心を抉った。

『さぁ!!!』

タイミングという勝負に勝って、ポテンシャルの差による駆け引きに負けた俺たちが取れる行動は…。

……ひとつしか、無かった。

* * *

「お姉ちゃん、行ってきまーす!」
「うん、行ってらっしゃい。気をつけろよー?」

六月が家の玄関を潜っていく。
先日までのことなんて、まるで無かったかのような、ごくいつも通りの日常風景。
寝惚けて俺の服を脱がす六月を起こし、朝食を共にし、学校へと通う。
家に帰ってくれば今日にあった他愛無い出来事を話し、夕食も一緒、お風呂も寝るのも、時折一緒。そんな俺と六月の二人暮し。

それを作る為に、呑んでしまった。折田真白の要求を。

今こうして語っている俺は、確かに俺の体にいる。いるのだが、折田真白の魂に肉体の主導権を握られている。
捕食・補完できないように防護膜を張った上で、14日間。《死期猶予》が切れるまでの間、奴に肉体を明け渡しているのだ。

最初、一は酷く反対した。
むざむざと折田真白の要求を呑むくらいなら、知識の中から発見した魔術を試してみようと止められもした。
けれど俺は、それを許諾できなかった。あまりにも分が悪すぎて、失敗すれば六月の消滅という容赦ない取立てを受ける。
何より、知識だけの能力の頼りなさ。それが齎してしまう事態の重さが圧し掛かってしまい、どうしても。


『かはは、そうじゃろうそうじゃろう。呑む以外にヌシ等が取れる手段は無かろうて。では三条九十九、その肉体、14日の間借り受けるぞ?
三条六月の中にもワシの一部を入れれば、問題なく『妹』をやってやるわい。
ほれ、はよぅせい』

哄笑をあげる、勝ち誇った笑いが今でも耳に届く。
俺が握っていた折田真白の魂を六月の肉体に入れると、見る間に生気を取り戻し、寝息も安らかになった。
命が無事になったことへの安心と、この選択肢しか選べなかった後悔への念が、どうしても呼吸を小さく止めてしまう。

その後、《死期猶予》を使用した後に、俺の肉体に折田真白の魂を入れた。
その日から14日、2週間の間。俺の姿をした折田真白が存在する事になった。

せめてもの抵抗は、死神としてのスキルの使用不可状態の設定と、六月の中に入った魂への『封印』-シール-術式。
『封印』の内容は単純で、「折田真白としての意識」を六月の奥底に封じ込める事で、魂は融合してしまえど“六月”そのままとしての存在にする事。
これで折田真白は代わりの肉体を手に入れて、表面上、六月は元に戻った。

けれど、本当は何も戻ってない。

俺も一も、この老爺に敗北した。
知識も、技術も、経験も長けているのは奴で。俺達が勝っていたものなど…、何も無かった。

「んぅ、はあぁんっ! かはは、三条九十九の肉体はやはり良いのぅ、感度もさることながらいくらでも感じられる。
胸も、まんこも…、三条六月のものとは違うのぉ」

体内に潜んでいる俺に対し、これ見よがしに声を上げて自慰に耽っている。
奴は俺の肉体を得てからずっと女のままで、昼間は自慰に耽り、六月の前では俺のフリをして弄ぶように体を重ね、そして魔道の研究をする。
認めたくないが成果は順調のようで…、奴はその内、魔術師を越えた、魔法使いとも違う別の何か。
人間以外の存在になるだろう。

一はあれから『俺』に会ってない。
多分、あいつはあいつなりにこの事を悔やんで、魔道の知識だけでなく、それを使うことでどのようになるか。どこをどうすれば狙ったような結果が出るのか。それを1つずつ確かめてるんだろう。
今度会った時は後れを取らないように。肉体が得た知識だけに頼らないように、実力をつける為に。

奴が出て行くまではあと少し。
……六月を本当に取り戻せるまでは、よく解らない。
けれど俺は心の中に誓った。六月を取り戻し、コイツを本当の意味で殺し…、いや、消滅させてやると。

こいつがどこまで行こうと。影のように追い縋って、その身に死を落としてやると。

「んふうぅっ、あはぁああああぁぁっ!!!」

何度目になるか解らない、『俺』の絶頂を耳にしながら。
本当に、六月に「ただいま」を言う為に。



以下、おまけ

おまけ 話に介入する3人目

「やっぱりこうなりましたね」
「お前、本気で解っててやりやがったな?」
「そりゃまぁ、私の申し出を突っぱねた以上、自分の選択の責任を負ってもらうのは当然のことでしょう?」
「この性悪め」
「甲斐性無しの鬼には言われたくないですね」
「うっせい」

地獄から現世を覗き込むための水鏡を2人で見つめている。そこに映るのは、俺が(コイツに良いように使われて)死神に改造した少年。
老獪な魔術師の罠にかかって、勝ったつもりが敗北してしまった光景だけが見える。

「……で、お前はどうすんだよ」
「どう、とは?」
「言われんでも解ってるだろ? 人の考えをほいほい読むんだから」
「そりゃぁ…、そちらこそ解ってるんじゃないですか?」

逆に言われなくても解ってる。
コイツは決して自分の手から離れたことには、口を出そうとも手は出そうとしないタイプだ。
せいぜい他者を焚きつけてこの事態の収拾に当たらせるつもりだろう。その他者は多分…。

「察しが良いですね、すばらしい」
「こんなことで良くなりたくねぇよ。…で、返礼は?」
「は?」
「は、じゃねぇ。…今回俺はたまたま地獄に来てて、この光景を見ただけだ。あの少年を改造したときとは違って、負けも借りもねぇ。お前の頼みを聞く義理も無いと思うけどな」

…まぁ、謝礼がないと動かない嫌な奴とは今更思われはしないだろうが。それでも、これだけの存在になった奴相手に何も無い、というのは承諾しかねるわけだ。
資金でも食料でも何でもいいんで、欲しいとは思うわけで。
この腹黒死神と違って、俺は現世で生きてるんだから、いろいろと入用なんだよ。

「そう言ってくれるとどんどん何も与えず事態の収束に行かせたい気になりますね」
「そうなったら俺は梃子でも動かねぇぞ」
「ではー…、私が動かせる獄卒総動員で」
「地獄の住人をンなことに使うなっ!」
「またまた、地獄でBASARAでも無双でも出来る存在が何をおっしゃいます」
「やってたまるか。出来るけどな」

あー頭いてぇ。ホントにコイツは要らんところで力を使うよな。

「それほどでも」
「いい加減頭の中覗くのやめろっ。そもそも意識を向けなければ読めないだろがっ」
「そういう訳ではありませんよ。あなたみたいに考えのわかりやすい存在なら、言われなくても次のセリフくらいは容易に想像がつきます」
「…んじゃ、次のセリフが何かわかるか?」
「そりゃ勿論」
「……せーの!」
「「殴るぞ」」

…ハモってしまった。しかも寸分狂いなく。
あぁ、ってことは俺はそんなに読まれやすいタイプだったのか。でもこいつ放っておいても頭の中読むしな。読解されてても問題ないのか?
気になることは多々あるし、逆に気にしてしまう内容だわ。

「気にしたところで答えなんて出るはずはありませんけどね」
「解ってる、解ってるんだ。それでもどうしても考えちまうのが悲しい人間のサガって奴だ」
「人間じゃなくて鬼だと吹聴してるくせに」
「対外的には人間だ」
「そうですか」

大きく溜息一つ。コイツの相手をしているといつまで経っても切りがない。
このタイプの手合いはあすながそうなので慣れてはいるが、やっぱり精神的に良いといえるタイプではないので、心の安定の為に吐き出したくなってしまう。
頭を切り替えて、元々の話題に戻ろう。

「で、返礼というか報酬のことなんだけど」
「あげません」

向こうの返答はにべもない。なので理解していた答えを用意して答える。

「じゃあいいや」
「あっさり引き下がりましたね。てっきり粘るかとも思ったんですが」
「お前相手に粘ることの無意味さを嫌って程知ってるからな。諦めた方が俺の胃腸的には優しいわ」
「ちっ」

舌打ちしやがったなこんにゃろう。
まぁいいか、無報酬でも動くのは決めたし…、何より捨て置けない存在になったからな。
視線を水鏡に向けてみる。
するとそこには、嘔吐をしようとえづいている少年が見える。耐えようと、吐き出すまいと必死に堪えているが出来ずに、彼の口からはある一体の固形物が吐き出された。
形を敢えて言うのは止めよう。確かなのは、それが折田真白という存在で、それが明らかに人間を止めた姿ということだ。
奴は人間であることを捨て、その存在を別種のものへと変じさせた。それがどういうことかは…、この後思い知ることになるだろう。

「…で、ちょいと聞きたい。あいつの魂はどういう処遇になるんだ?」
「折田真白の魂でしたら、もう私達閻魔庁とは関係なくなりました。地獄に引き込んでも、閻魔様が消滅させて終わりです」

閻魔庁のお役所体質な所としては、裁判への門戸が「人間の魂」にしか開かれないところだ。
元々が人間であっても、現在が人間以外、人外の化け物であるのなら、それは既に裁判の対象ではないのだという。

「なるほどね。んじゃ、どの道消えるのが速いか遅いか程度か」
「そういうことになりますね。蒼い人なら一切合財全てを焼き尽くし熱しつくして消せるでしょう?」
「…いや、正直難しいかねぇ?」
「おや、あまり聞かない弱気な言葉ですが、何か根拠でも?」
「最早アイツの魂は分割じゃなくて、分裂していく。それも本体を起点とした、な。
…早いうちに大元を特定できなきゃ、本体が逃げて追いかけての鼬ごっこを繰り返すだけだぞ?」

水鏡に写るのは、折田真白だったものの光景。分裂し、分割し、他人に潜り込んではその具合を確かめていく。
潜入と分裂までのスパンはあれど、それは確かに鼠算のように行われている。今は2人だけれど、それが4人に、8人に、16人に、32人に。
そうして他者の魂を喰らって、己のものとしていく様子を、クゥは無表情で見てる。ぎり、と鎌の柄を握る音が聞こえたような気がした。

「じゃ、本体特定もお願いします。後はよろしくお願いしますね、蒼い人」
「へいへい。…んじゃ、任されたからには成し遂げてやるさ」

さあ…、人の道を外した悪鬼を喰らいに鬼がゆくぞ。
とはいっても、こっちの渦中にいるのはあの2人なんだけどな。今回の俺はあくまで介添人、サポーターだ。
妹さんを助けられるように、3人目として戦いに出ますか。


死神参上、3人目に続く
天才という存在はこの作中、登場人物の中に居ません。
天才を除く人間は、一つのことを成し遂げるためには地道な技術や経験の積み重ねを必要とするわけで。
分野が微に入り細に穿つ程に、必要とされるものは多量となります。技術も経験も、ほんの少しで埋められる訳ではないんです。
確かに知識は必要ですが、果たしてそれだけで、知ったなら今からそばを均等に切断しろと、フォークリフトの運転を、地下鉄沿線の官制を、漆塗りの伝統技術の再現を、やれといわれて出来るでしょうか。
答えは否でしょう。知ってるだけで出来るわけじゃないんです。

確かに九十九や一は死神や爆運がある「特殊」ではありますが、彼らは決して「天才」では無いんです。
特殊な技術を知っていても、新米死神、新米魔法使いである2人には使いこなすだけの経験は無かった。故の展開に…、収まってしまいました。
一は反撃をしました。しましたが、この作品中に描かれた逆襲は…、折田真白の逆襲。最終的には六月を、“彼女”は知らずとも、乗っ取り己のものにして。

表向きはこのままの生活を続けて、しかしいつしか2人は本当の意味で六月を取り戻すでしょう。
それはまた、次回以降の話になってしまいますが…。


## 以上、前図書館におけるあとがき。

というわけで、死神参上3人目を書くために出しておくべき、2人目です。
早いところ3人目を書き上げて、彼等でらぶらぶちゅっちゅを書きたいな。
時系列的には、「地獄行脚」の数日後程です。
さて…、気合を入れましょうかね。
罰印
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1.100きよひこ
死神参上の続きが来ましたか、待っていました。
折田真白って、すんごくむかつく気に入らないやつです。
だからどんな風に破滅するのか、死神参上3人目が今から楽しみです。
14.100きよひこ
クゥって素直でないのな。なんだかんだ言いつつ、結局回りくどく手助けの手を回したりしてるし。
とはいえ、すんごくドライでもあるし、はてこの捻くれ者はいったいどっちなんでしょう。
続きを楽しみにしています。
50.70Sanya
That's really thinking of the higesht order