真夜中の暗闇の中を、4つの影が風のように駆けていた。
小柄な影ひとつが前を走り、続いて三つの影がそれを追いかけているように見える。
「くそ、ヤツめ素早い」
小柄な影を追う三つの影の一人がいまいましそうに呟き、両手に構えたマイクロ・ウジSMGを小柄な影に向け引金を引き絞った。
甲高い銃声と共に、撃ち出された数十発の9ミリ・パラベラム弾は音速以上の速度で小柄な影へと飛翔。
しかし標的は地面を蹴って月明かりに向かって跳躍。弾丸はそいつの身体にかすることもかなわずむなしく宙を薙ぎ、地面や木の幹に突き刺さる。
「馬鹿者!! どこを狙っているの!!」
「ちっ・・・」
隣の影に怒鳴られ、射手は不満そうに舌打ちする。既に標的は人間離れした体術で広葉樹の茂みへと身を翻し、追っ手の視界から外れていた。
夜の静寂が、3人を包み込む。
「くそ、標的を見失った!」
硝煙を上げる銃を手にした若い男が、弾倉を交換しながら忌々しげに唾を吐く。
「見つけ出すのよ!! 奴はボスの仇よ」
3人のリーダーらしき女が銃を構えながら周囲を見渡す。不自然に動くものがないか、彼女の眼球は止め処なく運動を続けている。
隣にいるひげ面の大男がつぶやく。
「なんて失態だ・・・。俺たち以外の護衛と犬は全滅か・・・」
■■
彼ら3人はこの街を牛耳るロシアンマフィアの幹部、ペトロフのボディーガードだ、いや、ボディーガードだった。
何故なら彼らの守るべき主は、もうこの世にはいないのだから。3人が追っていた小柄な影、そいつがペトロフを殺したのだ。
月が照らした刺客の姿は、ペトロフの屋敷で給仕をしていたマリーヤという少女のものだ。
『いや、違う』
追っ手の3人は理解していた。何故なら『本物』のマリーヤは物置の影で縛られ、眠りについていたのだから。
刺客は屋敷に侵入してマリーヤを捕らえ、彼女になりすましてペトロフに近づき――マリーヤはペトロフのお気に入りで、しばしば彼の寝室に呼ばれていた――彼を殺害したのだ。
マリーヤに化けた刺客は、見張りや護衛にあらかじめ薬の入った差し入れを渡していた。
結果警護にあたっていた見張りも犬も全滅。刺客は誰にも見咎められることなく逃走するはずだった。
しかしここにイレギュラーが発生した。追っ手の3人組である。彼らが刺客に気づいたのはほんの偶然だった。
勤務時間を終えアルコールに飢えていた彼らは、刺客の差し入れを渡されることなくいつものように地下の物置に忍び込んだ。
目的はもちろん酒をちょろまかすことだ。しかし偶然踏み抜いた床板の中に、縛られたマリーヤがいたのだ。
何かがおかしい。彼らが仕事を終える前マリーヤはペトロフに呼び出され、今も彼の部屋にいるはずだ。
慌ててペトロフの部屋に戻る3人。しかし時既に遅し、ペトロフは血だまりの中で息絶えていた。彼の肉体は鋭い刃物で切断され、無数のブロック肉へと解体されていたのだ。
そして開け放たれた窓から飛び降りる小柄な影が彼らの視界に入る。
――癖のない艶やかな髪、翡翠のような美しい瞳、あどけなさの残るほっそりとした顔つき、身体つき――
それは若き給仕マリーヤと全く同じ容姿をしていた。
例え本物のマリーヤと偽者を裸に剥いて横に並べたとしても、どちらが本物か判断できるものはいないだろう。刺客の変装はそれほどまでに精巧なものだった。
事実他の護衛や給仕、ましてや標的のペトロフ自身も、命を奪われる瞬間まで刺客の擬態に気づくことはなかった。
■■
ビュウゥ!!
突然やってきた強風が、夜の静寂を打ち破った。
茂みや木の葉が風を受け、まるで大波のようにガサガサと震える。
3人は焦っていた。風のせいで見失った刺客を探し出すのが一層困難になったからだ。
この瞬間にも、給仕に化けた刺客はここから離れていくだろう。
「くそっ、逃がすか!!」
「馬鹿!! ワーニャ!!」
ワーニャと呼ばれた若い男がしびれを切らし、あらぬ方に点射を繰り返しながら、女の制止を振り切って1人茂みに駆け込む。
若さゆえの無謀と言うべきか、しかし彼の独断専行によって3人の連携は完全に崩れていた。
ワーニャは茂みに走り、女の意識は彼へと向く。そして連携から孤立したものが・・・1人。
ヒュン!!
「!?」
身体に違和感を感じ、ひげ面の大男はふと顔をしかめた。
首や胴に腕、それに脚の中を何かが通り過ぎたような変な感覚だ。
緊張のために感覚が過敏になってしまったのだろうか・・・?
吹き出した汗で彼の身体はベトベトになっていた。濡れた身体に張り付く下着の感覚が、なんとも不快だ。
せめて顔の汗でも拭おうと額に手を伸ばすが、それは永遠にかなわなかった。
生暖かい液体が、汗に濡れた男の顔に降りかかる。
「!?」
それは血液だった。真っ赤な血が噴出す先を見て男はようやく理解した。
自分の両手が、手首から無くなっていることに。彼の手は銃を握ったまま地面の上に落ちていた。
「・・・・・・!!」
男は恐慌をきたし悲鳴をあげた。しかし、それを他の者が耳にすることはない。
その頃には彼の頭は胴体に永久の別れを告げ、地面に愛の口づけをしていたのだから。
続けて胴体と両脚が斜めにスライドし、男の肉体は輪切りにされて崩壊。彼は元雇い主と同じ形になって息絶えることとなった。
「セリョージャ!!」
女が男の異変に気づき、声をあげた。最もその声は既に男の耳には届いていない。
手遅れと知りつつも女はバラバラになったひげ面の男、セリョージャの元へと駆ける。その時。
「ウワアア!!」
茂みから悲鳴が聞こえた。ワーニャの声だ。彼女は我に返りワーニャが駆け込んだ茂みへと急ぐ。
中は赤い血にまみれ、彼女の視界のほとんどが紅く染まっていた。
地面には哀れ両脚を切断されたワーニャが転がり、痛みとショックで悲痛な呻き声をあげている。
近くを見ると膝ほどのの高さに張られた細い糸のようなものが、月明かりを移し鈍く光る。それには僅かに付着した赤い滴が滴っていた。
あらゆるものを切断する極細のモノワイアだ。これがボスやセリョージャの身体をバラバラに解体し、罠となってワーニャの両脚を切り落としたのだ
「おのれ!!」
女は怒りを露にして刺客の痕跡を探る・・・居た。距離にして約40m、セリョージャの死体の近くだ。
刺客は先ほどと全く変わらぬマリーヤの姿のまま、驚異的な身体能力でモノワイアを手足のように操りながら、まるで飛んでいるかのように枝から枝へと跳び移っている。
手にしたH&K MP7を構え照門と照星を給仕に合わせる。仲間を倒され怒りに燃える彼女だったが、狙いは確かだった。
彼女の指先が引き金を絞り、点射された3発の4.6mm弾が枝に飛び移ったマリーヤの身体に狙い違わず飛び込んでいく。
マリーヤの背中にいくつかの風穴が開き、少女の身体が大きくのけぞった。
女は容赦なく点射を続ける。着弾するたびに給仕の身体は震え、ガクガクと彼女は不規則なダンスを刻む。
その姿は滑稽なマリオネットさながらだった。しかし銃の弾切れと同時に硝煙のマペットショーは終わりを告げた。
無数の風穴が開いた少女の身体は、糸の切れた人形のように力を失ってフラリと前のめりに倒れこむ。
しかし、その姿にはどこか異様なものがあった。
彼女の体は突如厚みをなくしてぐにゃりとしぼみ、まるで萎んだ風船細工のように潰れながら地面に落下したのだ。
「な、なんだ!?」
予想外の反応に女は驚き、弾倉を換え罠に用心しながらくしゃくしゃによじれたマリーヤの傍らに近づき、頭を掴んで持ち上げようとする。
それはまるで抜け殻だった。少女の肉体は血も肉も、骨も臓物もないただの皮だけと成り果てていたのだ。
――癖のない艶やかな髪、あどけなさの残るほっそりとした顔つき、身体つき――
皮だけとなった今でも、それはマリーヤの面影を完璧に写し取っていた。
ただ翡翠のような美しい瞳は既に無く、ぽっかりと開いた眼窩が虚しく宙を見つめているように見える。
「こ、これはまさか・・・!?」
しかし、女が驚愕から立ち直る時間すら与えずに、皮に変化が訪れた。
まるで菌類のように糸を引きながら皮は急速に分解され、女の指から崩れ去っていく。
残ったのは粘つく泥状の流体となった組織の残滓と、艶やかな髪だけである。
「変装用の・・・皮だけ!?」
これは囮だった。彼女が撃ち落したのは遠隔操作された刺客の抜け殻だったのだ。
「そうだ」
不意に女の背後から声がかけられた。不気味な程に低い男の声だ。
そう、奴は最初からここにいたのだ。茂みの中に罠を仕掛け、セリョージャを殺ってからずっとこの場で待ち構えていた。
「くっ!!」
女は銃を構えて声のした方向に振り向こうとした。しかし振り向ききる直前、彼女の体に衝撃が訪れた。
バランスを崩し、女はたまらず後ろに数歩のけぞった。体勢を整えることは出来ずに無様にドスンと尻餅をつく。
「うう・・・」
何とか体勢を整えつつ転がりながら銃を構えようとする。
しかし彼女の手に銃は無かった。いや言い直そう、彼女の腕そのものが胴体から切り離されていた。
彼女が蹴られた先には蜘蛛の巣状に張り巡らされたモノワイヤが仕掛けられていたのだ。
それらには真っ赤な雫が滴り、月明かりを浴びて鈍く輝く。
自分の身体を見下ろす。真っ赤な筋が蜘蛛の巣状に張られているのが分かる。
「あ・・・」
女は残ったほうの腕で体を押さえようとした。もちろんその行為は哀れなまでに無意味な試みだった。
モノワイヤは既に彼女の体内を、充分なまでに通り抜けていたのだから。
刹那、女の肉体は蜘蛛の巣状の切れ込みに沿って分割され、グチャリと汚らしい音をたてて無数の肉片へと成り果てた。
呆けた表情の、無傷なままの女の首が落ち、先に逝ったセリョージャと同じく地面と熱い口づけを交わす。
「追わねば死なずにすんだものを。運がなかったな」
バラバラになった女の死体の脇に、1つの黒い影が立っていた。
その声は不気味な程に低い男の声、壮年かそれ以上の年輪を感じさせる声だ。
影は茂みの中に足を踏み入れる。なかには両脚を切断されたワーニャが痛みに呻いている。
出血は激しく、もはや助かる見込みはない。
影の人差し指がピンと伸びる。瞬間、ワーニャの首が胴を離れ、彼は永遠に静かになった。
ビュウゥ!!
再び風が強く吹いた。茂みが揺れ月の光が隠れていた影を照らす。
彼の肉体は、顔も身体も全てが黒色のボディスーツ状のものに覆われていた。
これは変装用のスクイーズスーツと呼ばれるものだ。人間工学とナノテクノロジーの結晶で、使用者の身体に極力負担をかけないように声や体型を自在に変えることが出来る。
そのシルエットは小柄な少女のもの。――あどけなさの残るほっそりとした身体つき――それはまさしくマリーヤのボディラインだ。
影はその上にマリーヤの姿を模った皮を被り、給仕の姿のまま警戒されること無くペトロフの寝室へと潜入し、彼を暗殺したのだ。
彼は文字通り変幻自在の暗殺者。どのような人間にも完璧になりすまし、標的に近づくことが出来る。
今回の依頼も上手くいった。非番のはずの追っ手に追われたのは想定外だったが、始末はついた。
「さてと・・・」
影は森のはずれにある一本の木に近づいた。木には目立たないように目印が付けられていた。
木の根元にしゃがみ込み地面を掘ると、硬いものがぶつかる。地中から出てきたのは大きな銀色のコンテナだ。
キーコードを入力するとコンテナの蓋は勢い良く開いた。中に入っているのは偽造身分証、パスポートにクレジットカード。
そして新しい皮と着替え一式だった。影の両手が皮を持ち上げると、長い髪の毛がファサリと垂れ下がる。
皮はマリーヤのものと違って手足や胴体、頭が分割されており、詳細はよく分からないが胸のふくらみと腰のくびれは確認できる。
「やれやれ・・・また女の皮か・・・」
影は意を決して皮を取り上げ、一つ一つをまるで服を着るかのようにスーツの上に着込んでいった。
新しい皮はマリーヤの皮よりも若干小さく、彼はスクイーズスーツの設定を変えながら皮とスーツを定着させていく。
やがて皮は活性状態に入り、擬似的な代謝システムが活動を開始した。分割されていた皮同士が癒着を始め、擬似血が脈打ち、皮は体温を持ち始める。
醜くただれていた顔の皮膚が張りを取り戻し、在るべき姿を取り戻していく。
ものの数分と経たぬうちに漆黒の影は皮の中に姿を消し、この場には東洋人らしき裸の美少女が立っていた。
それは完璧な裸体だ。股の開くとそこには完璧に成型された女の部分が垣間見える。
もちろん内側も本物と同じように作られており、そこを使って男に至上の快楽をもたらすこともできる。生前のペトロフもさぞご満悦だっただろう。
続けて少女は恥らう素振りも見せずにその場で着替えを取り出す。
黒色のガーターベルトにバックシームの入ったサイハイソックス、飾りっ気のない真っ白なショーツにブラ、レースまみれのきわどいワンピース、頭を飾る長いリボンとヘッドドレス。
「変なもん寄越しやがって・・・あいつめ後で覚えてろ」
皮と服を用意した仲間にひとしきり悪態をついた後、『少女』はゴシックな(『彼女』にとっては『変』な)デザインの衣装を身につけていった。
「さてと、後は・・・声だけだな」
喉に定着したスクイーズスーツの設定を変更し、男のものだった声も女の子のそれに見事変身。
これでどこから見ても彼女は完璧な女の子だ。
その時、ポケットの中の携帯電話が震えた。仲間からのメールだ。
早速内容を確認。文章は差しさわりの無い女の子の悩み。でもその実体は暗号だ。
翻訳すると『成功報酬の入金確認』
「ふふっ・・・やったぁ!!」
女の子の声で可愛く跳び上がってガッツポーズ。おっと、あんまり飛び跳ねると下着が見えちゃう。
黒色の瞳が辺りをキョロキョロ。最も、深夜の郊外に出歩く者などはいるわけないが。
さぁて、どこに行こうかなぁ。まとまったお金が入ったから、しばらくは遊んで暮らせそうだ。
仲間に内緒でしばらくはこの国で羽目を外してみようかな・・・?
だったら新しい皮を数着作って、いろんな姿で異国情緒をエンジョイしちゃおう。
「じゃあ・・・早速行くとしますかっ」
活発そうな『少女』の顔が愉快そうに微笑む。
刹那、少女は再び地面を蹴って跳躍し、漆黒の闇の中にその姿をくらませていった。
刺客は去り、この場には無惨に切り刻まれた、かつては人間だったものの残骸だけが取り残された。
こちらも卓ゲ者なのですが、やれるならTSキャラをじっくりやりたいですね。
潜在的に居そうですし、募ってやってみるか…?
トーキョーN◎VAのサプリには変装系暗殺者がいますし、
ダブルクロスでは(FH専用ですが)、変装マスクがアイテムになってますね。
この辺のシステムなら普通にPCとしても成立しそうです。
作中に暗殺者が「追わねば死なずにすんだものを」と、無益な殺生を望んでいない一文がある。入れ替わり対象を生かしておくという、最大のリスクを犯しておきながら、標的でもない見張りや給仕は殺す……。昏倒させて無力化するに留めておけば、暗殺者の中に人としてのプライドが窺えた。
逆にすべての関係者を始末した後「運がなかったな」の一言で、冷徹な暗殺者としてキャラが立ったと思う。
罰印様
この皮は機密保持と環境保全のため、自然に帰る素材で出来ております。なんちゃって。
こちらはだいたい隔月のペースで友人同士で卓をかこってます。
でもセッション中に変装スキルを使う機会ってなかなかないですねぇ。
(遠い目で変装スキルをガン上げしたD&D3rdローグのキャラシートを隠す)
23様
変装用の皮アイテムが実装されてるゲームって、ほとんどないですよね。
どんなに上手く女性に変装できても、あくまで高度な女装にとどまってしまうっていうw
全身を覆えるフルボディスキンの実装はまだ遠いか?
24様
>入れ替わり対象を生かしておくという、最大のリスクを犯しておきながら、標的でもない見張りや給仕は殺す……。
>昏倒させて無力化するに留めておけば、暗殺者の中に人としてのプライドが窺えた。
こちらの書き方が悪かったです。申し訳ありません。
言い訳になりますが、他の護衛や給仕を殺したつもりはなかったんです。しかし・・・。
「事実他の護衛や給仕、ましてや標的のペトロフ自身も、命を奪われる瞬間まで刺客の擬態に気づくことはなかった」
この文を読むと、他の護衛や給仕もペトロフ共々殺したようにしか思えないですもんね。
護衛や給仕に差し入れたのは眠り薬だったと脳内保管していただければ幸いです。
外側の皮は代謝してるけど、スクィーズスーツの内側の代謝はどうなるんだろうなあとか、女性器の感覚とかはどうなってるんだろうなぁとか読んでて考えてしまいました。
後は、やっぱりスーツの描写ももっと見たかったなあとか思ってしまいます。
いつも読んでいただきありがとうございます。
自分も書きたくなってきたので、わかば板に書いてみます。