_/_/_/_/_/Chapter.5-6_/_/_/_/_/_/
_/_/_/_/_/_/_/先生_/_/_/_/_/_/_/
見当違いの道へ行こうとするクロウを呼び止め、最初に彼が指し示した道を進む。
道はすぐに行き止まりとなっていたが、其処には梯子が一台、上へと伸びていた。
「ここから大学構内に出る。僕が先に行くから、キミはココで少し待ってて」
そう言うとクロウは、軽快な動きでスルスルと梯子を上がっていた。
蓋を開け、部屋と思しき所へとクロウの姿が消え、少しの後、クロウから声が掛かった。
「大丈夫みたいだ。さぁ、マリーン」
クロウが穴から顔を覗かせ、手を差し伸べてくる。その手を掴み、梯子を上がった先で待っていたのは…
「…ここは、書庫?」
見渡す限りの、本、本、本。部屋の至る所に本がぎっしりと積み上げられていた。
思わず辺りを見回しながら歩いたせいで、目の前の本にぶつかりそうになった。
「うわっ、とととッ…」
危ない危ない…一つ崩せば全て倒れてしまいそうだ。
「気を付けてね…マリーン」
クロウが少し青ざめた顔で注意を促しつつ、今来た道の蓋を閉じる。 …そういえば、書庫に地下水道入口とは本に悪いんじゃ…?
「クロウ、此処は一体?」
「元々は講師の研究室だったんだけど、今じゃ先生の私物置き場…もとい、この入口を隠すための倉庫さ」
再度辺りを見回すと、大量にある本はどれも新しめな表紙や、同じ本ばかり。成る程…カモフラージュの為に、か。
「それで、ここが先生の部屋?」
「いや、先生がいるのはココの向かいさ。 …先生に、全てを語る準備は出来たかい?」
「えぇ。その為に、来たのだから」
いよいよ、その『先生』に会える。それによって今後の道が示されれば良いが…
クロウが先に部屋の扉へと向かい、聞き耳を立てて外の様子を探る。
一方、自分は本の迷路をどう進んでよいのやら解らず、ゆっくりと扉に向かっていた。
「ク、クロウ…ちょっと待って…」
「あっ、ご、ゴメン」
様子を窺うクロウの目付きは盗賊のソレであった。 …が、それだと他人にまで気が回らない様で…
クロウに連れられ漸く扉の前まで来れた。
「行くなら今だな。まず僕が先生に会ってくる。また少し待っていて」
ココはクロウに任せるしかないため、素直に待機する。
クロウはゆっくりと扉を開くと、スムーズな動きで反対側の扉へと入っていった。
「…此処が、大学、か…」
この本で一杯の部屋しか見ていないが、ここを見るだけでも相当な金が掛かっている事が窺える。まるでアバロン宮殿にいる気分だ。
…そういえば、皇帝だった頃に『国民が学を更に得られる施設を建設しましょう!』と言っていた文官がいたな…
あの時は金がなくて断念してしまったが、年代的に考えても彼の提案が実を結んだのだろうな。
そうこう考えていると、クロウが戻ってきた。
「さぁ、マリーン。先生の部屋へ」
クロウが小声で言う。 …いよいよか。
クロウのGOサインを確認すると、ソレに従い速やか且つ静かに向かいの部屋へと入った。
遂に辿り着いた『先生』の居城。其処は…先程の部屋と殆ど変わらない、本だらけの部屋だった。
高くそびえる本の中、ランプの灯る机。椅子に腰掛け、『先生』はいた。
「初めまして、貴方がマリーンさん…ですね?」
「は、はい…あなたが、『先生』?」
其処にいたのは、ローブに身を包んだ、聡明そうな男…なのだが、目に妙なモノをかけていた。仮面のような、眼帯のような…
「そうですね、学生達からはそう呼ばれます。私の名はハクゲン、どうぞよろしく」
ハクゲンと名乗るその男性は、どうもアバロンでは見掛けない…
いや、それどころか今まで旅をしてきた地でも見掛けない顔立ちをしていた。
「クロウ君から聞いています。 …本当に貴方は、モンスター・タームのクィーンであり、人間、なのですか?」
落ち着き払いつつも、気になって仕方ないような口調で質問をしてくるハクゲン。
「…えぇ、証拠となるようなモノは、私がモンスターである事以外ありませんが…」
そう言いながら、背中のローブを少し下げ、背中の羽をハクゲンに見せた。
その羽を興味深く見つめるハクゲン。だが直ぐに仕舞うよう促された。
「ソレだけ確認できれば結構です。若い女性が余り肌を晒すものではないですしね、それに…」
「それに?」
「…他人に、余り見せたくも無いのでしょう?」
気遣いも出来る、か…
「…ありがとうございます」
ローブを整え、改めて向き直る。そういえば、この暗がりで良く確認できたな…
「ところで…話を始める前に一つ、お聞きしたいのですが」
「? は、はい」
何やら改まった言い振り。そして、投げかけられた質問は…
「もしや、貴方は…かつて東方への活路を切り開いた、マゼラン皇帝ではありませんか?」
予想だにしない問い。恐らく表情に出たのだろう、ハクゲンはやはりといった顔を見せた。
「…どうして…」
「私の専攻は歴史でして、アバロンの事は特に徹底して調べております」
歴史、か…250年の月日は、自分の生きてきた証を『歴史』という形にしていた。
「ですので…皇帝陛下の文献も、読み漁りました。そしてマゼラン帝、貴方の時代から記述が曖昧になっている事も」
「…確信が、あるのか?」
「伝承法…まさか、そのような秘術があるとは思いもよりませんでした。ですが、クロウとの会話から状況を整理した結果…」
「…そこまで解っているのなら、別に隠す必要も無いか。尤も、貴方には明かそうとも思っていたけれど」
「では、やはり」
「あぁ、私は…俺は、バレンヌ第三皇帝、マゼランだ」
まさか先に見破られるとは思ってもみなかったが、むしろ好都合だと取り、会話を続けた。
二人に話した事をハクゲンにも伝える。勿論、この体についても。
ハクゲンはそれを聞いても表情を変えることなく、真剣に取り合った。
「――で、今に至るのだが…」
一通り話し終え、ハクゲンが今の内容を噛み締める様に考え込む。
「聞いてはいましたが、これは予想以上ですね…」
流石の先生でも、難題なのは確実だった。しかし、今解決法を見つけられるのはハクゲンしかいない。
「…一つずつ、解決していきましょう。時間はまだあります」
_/_/_/_/_/Chapter.5-7_/_/_/_/_/_/
_/_/_/_/_/_/_/聖衣_/_/_/_/_/_/_/
その後も、ハクゲンとの会話は続いた。
流石先生と呼ばれるだけあってか、ハクゲンの持つ知識は非常に膨大だった。
それこそ、生き字引と言っても過言でないほど、あらゆる知識を網羅していた。
彼曰く、自分自身は有事の際の軍師としてアバロンに起用された一族の末裔、らしい。
しかし皮肉なもので、今はそのアバロン宮殿を攻めるための頭脳として暗躍しているわけだ。
「――つまり、そのリアルクィーンというモンスターは、相手を意のままにする力に長けていると」
「どうやら、そうらしい。 …といっても、キャットには効果が無いあたり、恐らく異性に対してだけなんだろう」
「生殖に関する能力をそのまま戦闘での切り札に流用、というところですか」
今は、この体とタームについての答弁中である。
「そういえば…」
「どうしました?」
「ハクゲン、今は俺から何かを感じないか?」
ハクゲンも男。未だフェロモンが出続けているというならば、彼も無事ではないのだが…
「いえ、特には…んん、ですが確かに、少し心が落ち着きませんね、私とした事が…」
「いや、それ以上にならないのであればいいんだ」
一先ず世界中の男達に求婚される心配はないようだ。
「…コホン、失礼しました。しかし、その力は確かに敵の無力化、という点では正にうってつけの能力ですね」
「まぁまだ制御が出来ないから、実戦で使うには…」
そこまで言って口を紡ぐ。事前に伝えはしたが、改まって口にすると恥ずかしいもので…
「…? !あぁ、はい。その事については陛下御自身に委ねる他ありませんね」
察したハクゲンが、フフッと笑う。 …クッ。
「それと、先程のお話で気になったのが、羽…状況を考えるに、羽は既に出来上がっていると考えてもよろしいかと」
「それはつまり…」
「飛ぶことが出来る、という意味です」
空を飛ぶ? この俺が? …だが、あの隠し部屋での動きは、羽の補助があってこその軌道だったのも事実。
「流石のアバロン宮殿も、空からの奇襲は想定していないでしょう。 …尤も、侵入が関の山かと思われますが」
ハクゲンの言うとおり、仮に飛べたとしても流石にたった一人でどうにかなるとは思えない。
それでも、作戦の幅が広がった事で少し希望が持てた。
「また…ソレに関する事ではあるのですが」
そう言うとハクゲンが立ち上がり、こちらに近づいてこちらの体をしきりに見まわしはじめた。思わずたじろぐ。
「ど、どうしたんだ?」
まさかフェロモン? だが、ハクゲンは落ち着き払いつつ頭を下げてきた。
「これは失礼。 …そのお召し物、何処で?」
? 一瞬何の事かと思ったが、どうやらハクゲンはこのアバロンの聖衣について聞いているようだ。
「…地下だ。ターム達の巣、それも最深部で。これのおかげで地上に出られたといってもいい」
「そんなところに…いや寧ろ現存していた事自体が…」
何やらブツブツと呟くハクゲン。
「陛下、私の記憶が確かならば、その聖衣にはもう一つの『顔』があるはず」
「…『顔』?」
話がよく分からないが、ハクゲンは話を続けた。
「聖女クラウディア。アバロン創世記に出てくる女性ですが、陛下も一度耳にした事はあるでしょう?」
「あ、あぁ、一応はな」
嘘ではないのだが、『マゼラン』としては詳しく知らないのでなんとも言えない。
「彼女は、伝記においては聡明な術師という表現が多いのですが、彼女の特技は他にもあると書かれた書物が幾つかあります」
ジェラール帝の記憶では、そのような書物は読んでいなかったようだが…
「彼女は弓の名手でもあり、その補助として術法を使っていた、と言うのが最近の見解です。そして…」
「そして?」
「その、弓を番える絵も見つかったのですが、その絵には聖衣を戦闘用に着込む姿が描かれていました」
そう言うとハクゲンは、本の山の中から一冊の古い書物を取り出した。
「これをご覧ください」
差し出された本の挿絵、そこに描かれていたのは確かに聖女クラウディアが凛としたいでたちで弓を番える姿だった。
「確かに弓を使ってはいるが…別の服なのでは?」
「初めは私もそう思いましたが、此処の一文にですね…」
指で指し示すハクゲン。だが、読めない…
「『クラウディアがローブに呼びかけると、その衣は目を覚ますかの如く光り輝き姿を変えた』…と、あります」
呼びかける? 聖衣には何か術でもかけられているのか?
「その、呼びかけに関しての記述は?」
「それが…」
そう言うとハクゲンは首を横に振り、本を閉じてしまった。
「そうか…まぁ、今のままでも動きにくくはないからな、今はその情報だけ覚えておこう」
兎に角、今必要なのは如何にしてクオンの元へ辿り着くか、だ。
「そうですね、話しがずれてしまいました。それで、クオン皇帝についてですが…」
ハクゲンは話を続けるためその本を机に置いた。どうやら裏向きに置いたのか、裏表紙が見えた。
(…おや…?)
何気なく見ただけなのに、何故か文字の様なものが見えた気がした。
「…『スシータ』?」
何故か読めたその文字。その言葉を発した瞬間。
「うわっ!?」
「な、何事です!?」
身に纏っていたアバロンの聖衣が急に意思を持ったかのように動き出し、光を発し始めた。
「なっ、なななッ…!?」
体から聖衣を着ている感触が無くなる。光の奔流に包まれてはいるが、裸になってしまっている。
「こッ、これは…!?」
ハクゲンは驚いた顔でこの状況を観察していた。 …!ちょ、ハクゲン! 見るな!!
慌てて隠そうとしたが急に光が体を覆いはじめ、再び肌に触れる感触が戻ってくる。
「んんっ…」
徐々に光が収まると、体が少し締め付けられる感じがあり、そして完全に光が消えると、そこには…
「おお…これは…」
書物に描かれていたアバロンの聖衣、その真の姿が現れた。
それまでのローブのような形状とはうってかわって、レオタードにマントを翻した姿のマリーン。
まるで狙いすましたかの様に、羽を出すためのスペースが背中の部分に出来ていた。
その羽は、マントに覆われ、端から見ても解らないが、いざ動かすと羽の動きを阻害する事は無かった。
「ま、まさか本当に覚醒の呪文だったとは…」
「へ、陛下! 一体今のはどうやって…!?」
未だ驚きを隠せないハクゲン。そんなハクゲンに、本の背表紙に書かれた文字を見せようとしたが…
「…? そのような文字、何処にも…」
指し示しても首を傾げるハクゲン。もしかして、この聖衣を着ているものだけが見ることが出来るのか…?
自分もハクゲンもいきなりの事に戸惑いを隠せないでいると…
「おい! 今のは何事だ!!」
突然、扉の向こうから怒鳴り声が上がり、その後、扉を乱暴に叩く音が部屋に響く。マズい! 見張りがきた!
慌ててハクゲンを見直すと、部屋の奥へ隠れるよう促してきた。しかし…
隠れる暇も与えず扉が開かれ、アバロン警備兵と思わしき男達がずかずかと入ってきた。
「…今のは何事だ、『先生』」
「申し訳ない。探し物が見つからず遂光源を強めてしまいまして」
ハクゲンが見張りの男に応対する。一方、マリーンはというと…
「いつつ…」
天井で頭をさすっていた。
扉が開く直前に、間一髪天井へと飛び上がり、見張りの目から抜け出した。
だがその際、勢い余って天井に頭をぶつけてしまった。
「…いいか、アンタは要注意人物に指定されているんだ、余り目に付く行動は控えるんだな」
そうハクゲンに言い放つと、見張りは出て行った。その後少し間をおいて、マリーンが降り立つ。
「…大丈夫か?」
「えぇ、何とか。それにしても凄いですね…一瞬であそこまで飛び上がるとは」
隠れ家の部屋でも似たような動きはしたが、あの時以上に体が軽やかだった。 …そのせいで頭をぶつけてしまったが。
「…今日のところはこれ位にして、また後日、お会いしましょう」
_/_/_/_/_/Chapter.6-1_/_/_/_/_/_/
_/_/_/_/_/_/衣食住_/_/_/_/_/_/_/
ハクゲンの言うとおり、これ以上は監視の目が厳しいという事で、ひとまず解散する事となった。
ハクゲンに別れを告げ、見張りがいない事を確認しもと来た部屋へと戻る。
中に入ると、少しけだるそうにするクロウがいた。ずっと待っていてくれたのか。
「やぁ、おかえ…り? そ、その服は…?」
「ん? あぁ、コレが本来の『アバロンの聖衣』、らしい」
クロウに事の顛末を説明したが、妙に上の空なクロウ。
「…大丈夫?」
「いや、その、なんというか…目のやり場に困るかな、って…」
「? それってどういう…」
改めて自分の体を見ると、クロウの言わんとする事を理解した。
今までのローブ姿と違い、今は体の線が解るほどにフィットしている。
それに、太ももは布地が無く、素肌を晒していて、付け根を隠す布地も少なく頼りない。
思わず手で隠すが、時既に遅し。クロウはしっかりとその目に焼き付けていた。
「…こッ、この…変態ッ!」
「!!」
! しまった…言い過ぎだ…クロウが更に目を見開いてこちらを見つめる。
「あっ…ご、ゴメン! 言い過ぎた! 謝る!!」
必死に取り繕うが、クロウの言葉でその必要が無いと悟った。
「も、もっかい言って!!」
地下水道を進むマリーン。その後ろを頭をさすりながら続くクロウ。
突拍子もないというか、緊張感が無いというか…まったく。
クロウの言い放った言葉に一瞬我を忘れてしまったが、頭が理解すると思わず手が…というか足が出てしまった。
こちらの回し蹴りが華麗にクロウの頭に直撃し、吹っ飛ぶクロウ。
「あッ…!」
マズいと思った時には既に遅く、クロウの体が高く積み上げられた本に激突し、部屋内の本が総倒れになってしまった。
勿論、音も響き渡るほど発せられた訳で、見張り達が何事かと駆け寄る足音が聞こえてきた。
慌ててクロウを引っ掴み、地下への蓋を開いてクロウを投げ入れ、自身も飛び降りる。
その直後、部屋の扉が乱暴に開かれる音が聞こえてきた。ゆっくりと蓋を閉め、聞き耳を立てる。
「何事だ! …げッ…」
「おい、どうなっている?」
「あー、どうやら遂に崩れたらしいな。全く、あの野郎こんな無駄に本ばっか集めやがって…」
…どうやら気付かれはしなかったようだが、ハクゲンに怒りの矛先が向けられそうである。後で謝らないと。
暫く部屋の中をうろつく足音が聞こえたが、倒れた本を片付ける気にならなかったのか、そのまま去っていった。
ほっと胸を撫で下ろし、梯子から手を離し飛び降りる。そのまま降りるよか、むしろこうして着地した方が音が出ない。
勢いを殺して飛び降りたのだが、床が妙に柔らかい…? って、クロウを踏んづけてしまった…
クロウから飛び降り、クロウの体を起こす。
「おーい、起きろー」
平手打ちでクロウの頬をペチペチ叩く。 …なんか、前にもこんな事したな。
流石に打たれ強くなってきたのか、すぐにクロウが目を覚ます。
「んんっ、あれ…此処は…?」
「起きたか」
クロウから手を離す。
「確か、突然頭に衝撃が走って…って、もしかして…」
クロウがこちらを見たのでコクリと頷く。
「全く…変な事言い出すから思わず蹴っちゃったじゃない…おかげで見張りに気付かれそうになったんだから」
「ご、ごめ…ん?」
納得のいかないクロウを諭しつつ、一先ず解散の旨を伝えた。
「そうか…でも、収穫はあったんだね?」
「一応は。それにしてもハクゲンは凄いね、色んな事を知っている」
「まぁ、あの本の量を見てもらえばね」
あの全てを記憶しているかどうかは解らないが、彼に継承すればかなりの知識を得られるだろうな。
「ところで、その服…ええっと、今度はちゃんとした意味でね…」
「…まぁ、これも成果の一つ、かな」
アバロンの聖衣に起こった事をクロウに伝えると、なるほどといった顔をした後、疑問を投げてきた。
「それ、元のローブに戻せるの?」
「あ」
そういえば思わず飛び出してきてしまったが、これどうしよう…
聖衣を改めて見回すが、どうも継ぎ目らしい継ぎ目がなく、脱ごうにも紐の類すらない。
「…どうしよう…脱げないかも…」
動き易くなったのはいいが、脱げないんじゃ少々…どころか大問題である。
「話通りだと呪文を唱えたらそうなったんだよね?」
「うん、確か…『スシータ』」
あの本にあった言葉を唱えたが、反応はなかった。間違えたのかと何度も言ってみたが効果なし。
「多分、逆の効果の呪文があるんじゃないかなぁ」
「そういう事、なのかな…」
今からハクゲンの元に戻って本を借りるか? だが、これ以上ハクゲンに会うのは見張りが黙ってはいないかもしれない。
「仕方ない、またの機会にしよう…」
はぁっ…とため息を付くと同時に、グゥゥーと情けない音が地下水道に鳴り響いた。
「…もしかしてお腹空いてる…?」
思わず自分のお腹を押さえたが、もう遅い。恥ずかしい音を聞かれたせいで顔が真っ赤になる。
「しっ、仕方ないだろっ…! この体になってからろくすっぽ食事してないんだからっ!」
此処までよく食わずにいてこれたなと我ながら感心するが、そもそも人間ではないのでよく分からない。
だが、確かに空腹感はある。
「ウチで食事しようか、マリーン」
「えっ…」
クロウが唐突に言い出す。まぁ確かに今動き回れる中だとそこか隠れ家しかないが…
「此処から近いし、僕もちょっと…着替えたいしね」
そういえばエラい事になっているズボンのままだっけ…着替える間も無く来たからな。
「じゃ、じゃあお言葉に甘えて… ! へ、変な気は起こすなよ!!」
「大丈夫、今は指輪つけてるし。寧ろマリーンこそ大丈夫?」
このっ…コイツ…!
恥ずかしさからおもわずまたクロウに蹴りを決めてしまった。
大学を後にし、地下経由でクロウの自宅へと向かう。
「僕が住んでいるのは大学寮だからね、すぐ近くにあるのさ」
移動中にクロウが自宅について語った。学生専用の居住地まであるとは、自分の国とはいえ驚きを隠せなかった。
「…自分の、国、か…」
頭の中に出したキーワードを呟く。
「何か言った?」
「ううん、なんでもない」
なんとしてでも、取り返してみせる。アバロンの、バレンヌの皇帝として。
決意を再度固めていると、思いのほか早く到着した。相変わらず梯子を上がっての泥棒みたいな訪れ方だが、今は仕方ない。
クロウが先に上がり、エスコートする。続いて昇ると、そこには大量の服が積み上げられていた。
「うッ…」
服から漂う汗の臭い。どうやら此処は、洗濯場らしい。
「アイツ、またサボったな…全く、増える一方じゃないか」
クロウが愚痴をもらす。当番制の様だが、その当番がほっぽりだしたようで。
早くこの場を立ち去りたかったが、何故かその臭いに体が反応するのを感じ、思わず立ち止まる。
「…? どうしたの、早く行こう」
「えっ? …あぁ、うん…そ、そうだね」
普通に考えれば恐らく、此処にある洗濯物は全て男達のものだろう。その臭いに体が反応する…
想像してしまった事を振り払う様に、そそくさとクロウの後に続いて部屋を出た。
…あのままあの部屋に居続けたら何をしでかしていた事やら…思わず身震いする。この体、見境なさ過ぎるよ…
クロウの部屋は二階の一番奥で、忍び足で部屋に入る。落ち着ける場所に身を置いた事で、ほっと一息つけた。
「ようこそ我が家へ、マリーン。といっても、借り物だけどね」
クロウが振り向き様に言う。月の光に照らされたクロウは、あの醜態を晒した事など忘れさせる程美しかった。
「僕は着替えてくるから、ベッドにでも座って待ってて」
そういうとクロウは別室へと消えていった。
「あっ…」
声を掛けようとしたが、クロウが消えるのが先だった。
いや、そもそも何を言おうとしたのか。 …そうじゃない、何だか、姿が見えなくなる事がイヤだった。
シュンとなりながらベッドに腰掛ける。ベッド…クロウの、ベッド。
うつ伏せになって枕に顔を埋める。ほのかに、香りがした。クロウの、香り。
押し潰された胸の奥で鼓動が早くなるのが耳に響く。何故こんな気持ちになるのだろう…
私は、マゼラン。私は、マリーン。バレンヌの皇帝で、男なのに…
ガチャリ、と扉が開く音がした。慌てて扉の方へと向きなおす。
「ん? どうしたの?」
「なっ、なんでもない!!」
ぶんぶんと首を振る。が、今自分が何かを抱いている事に気付く。
「眠いのかい?」
クロウが首をかしげる。顔を真っ赤にしながら、枕をクロウに投げつけた。
「うわっ! な、何っ!?」
「なんでもないっ!」
自分でも何をやっているんだかと心の中で落胆するが、頭が痺れて考えが纏まらない。
「え、えーっと…とりあえず食事にしよっか、調理場は下にあるから、今から作ってくるね」
そういうと今度は部屋から出て行ってしまったクロウ。
ベッドに腰掛けるとまた悶々としそうだったので、窓に近づき、外の景色を見る事にした。
「あっ…」
何気ない行動だったが、ふと気付いた。漸く、アバロンの町並みを見られた事を。
どうやら此処は新市街らしく、自分の見知ったアバロンではなかったが、それでも面影はある。
窓の外には大通りが面しており、向かい側には似たような建物が並ぶ。
別段普通の光景だったが、自分にとっては250年ぶりとなる光景。感慨深くもなる。
窓を開け、身を乗り出して通りを見てみるが、時間とこの状況のせいか、人っ子一人居ない。
と、ふと一人の男が歩いて来るのが見えた… !慌てて体を引っ込め、窓を閉める。
そのいでたちから見張りである事に直ぐに気付いた。 …クソッ、外を見る事すらままならないのか…
そのまま、窓を背にしてその場に座り込む。待っていてくれ、アバロン。必ず、この手で取り返して見せる…
じっと手を見つめていると、扉が開き、クロウがトレイを持って現れた。
「お待たせ。 …? そんな所に座ってどうしたの?」
「ねぇ、クロウ」
「? なんだい」
「…ううん、なんでもない」
「?? そう。なら、冷めない内に早く食べて」
そういうとクロウは机にトレイを置き、椅子を引いて座る様促した。
…私は、本当にアバロンを救えるだろうか…
_/_/_/_/_/Chapter.6-2_/_/_/_/_/_/
_/_/_/_/_/_/夜中の…_/_/_/_/_/_/
机、といっても一人掛けの勉強机で、先に食べてと言われた。
「ごめんね、食事は普段下で食べるから…」
頭を下げるクロウに気にしないよと言い、料理に目をやる。
それは所謂男の手料理といった簡素な物で、パンと野菜炒めとスープの三品。
アバロン宮殿で出される料理とは比べるまでもないが、そもそも世界を旅する身としてはこういった料理の方が安心する。
スプーンを手に取り、スープを一口飲んでみる。
「あ、おいしい」
素直な感想だった。
「良かった。 …その体が何処まで受け付けてくれるか解らなかったからね、安心したよ」
クロウはどうやら自分の事を思って作ってくれたようだ。
「あ、ありがとう…」
思わず照れながら感謝の言葉を告げる。
「どういたしまして。 …って、あ!」
クロウが何かを思い出したかのように驚いた表情を見せる。
「そういえば、皇帝、なんだよね、マリーンは…」
今更思い出すかコイツは。
「ううん、気にしないで。クロウが考えている程堅苦しい人間じゃないから、皇帝って」
クスリと笑いながら言うと、クロウも頭を掻きながら微笑む。その後は、料理が一段と美味しく感じられた。
食事を終え、クロウも済ませると今後についての話し合いが始まった。
とはいえ、考えられる事は限られているし、結局のところ堂々巡りとなるだけだった。
「うん、やっぱりそう簡単にはいかなそうだね」
自分の知るアバロン宮殿の情報を教えたものの、それが今の宮殿に当てはまるかは実際に見てみなければ分からない。
クロウ達シティシーフは高台からアバロン宮殿内を探ってはいるものの、やはり警戒してか殆ど見えなかったそうだ。
何より、相手の戦力が解らなければおいそれと攻め込むことすらままならない。
「何か、決定打があれば…」
決定打。今の自分こと、このクィーンこそその決定打となりうるのだろうが…
「力、か…」
俯きながら呟くと、クロウが覗き込むようにしてこちらを見つめてきているのに気付いた。
「…! な、何?」
思わず後ずさる。クロウは何かを考え込むかのように腕を組み、暫くしていきなり指にはめていたソーモンの指輪を外した。
「ク、クロウ!?」
クロウが指輪を外す。それが意味する事は一つしかなかった。
「…マリーン。その力を会得するのに、僕を実験台にするんだ」
クロウは外した指輪を机に置くと、凛とした目でこちらを見つめてきた。
「ク、クロウ! 早く指輪をはめて!!」
そう叫ぶもクロウは机に手を伸ばすと決意を表すかのように遠くへ押し退けた。
「マリーン。君のその力が必要なんだ。その為なら、僕は喜んで受けるよ」
い、いや…そうじゃなくて懸念しているのはまた襲われた時に、今度は自制がきかない事が…
だがその考えも見越したかのように、クロウはこう告げた。
「…キミは、皇帝であり女王なんだ。しかるべき力を、息をするように扱う、能力と責務があるはずだ」
クロウは変わらずこちらを見つめ続ける。その目は、曇りなくこちらの姿を映し出していた。
その目に映る自分の姿は、全てを見透かされ、まるで子猫の様に震えて怯えている様に見えた。
暫く俯き、考えた後、同じようにクロウを見つめ返した。
「…いいんだね、クロウ?」
クロウはクスリと笑うと、椅子から軽快に立ち上がった。
「キミを、信じているから」
クロウの言葉が心に響く。 …クロウの決意、無下には出来ないな。
「…と、言ったものの…」
こちらも立ってクロウと向き合ったが、そもそも…
「力といっても、フェ…フェロモンとその、相手を見つめて動きを奪う位だけだし…」
「それでも、無力化が出来ればかなり優位に立てる」
分かっている。言いたい事はそうではなく…
「よ、要は相手を魅了すればいい、のかな…」
実際の所未だに実感できていない以上、行使もへったくれもない。
「初めて出会った時、何かしていたんじゃ?」
「アレは全くの不可抗力! 寧ろこっちの方が大変だったんだから!!」
「あ、あぁ…ゴメン」
クロウがポリポリと頭を掻いて誤魔化す。
「お供のタームが言うには、あの時は制御しきれず勝手に放出し続けていたらしいから…」
「それじゃ二度目の時は…」
「あ、あれも無意識だから! 私の意思じゃないから!!」
手をブンブンと振って必死に訴える。
「そ、そうなんだ…残ね…ゲフンゲフン! そうだったのか…」
…今、残念とか言わなかったか…?
「ってことはそれじゃあ…」
「実はまだ良く分かってないの…」
お互い、棒立ちのままため息を付いた。
…が、直ぐにクロウが首を振って沈んだ空気を払拭する。
「ダメダメ、諦めるにはまだ早い、そのために指輪を外したんだから」
クロウがギュッとこちらの肩を掴んできた。思わず、ヒャッと声を出してしまった。
「マリーン、どんな些細な事でもいい。『こうすれば出来る』って事を思いつく限り試すんだ」
見つめるクロウとは人一人分の間。クロウの吐息が伝わってくる。頭が回らない。
「ク、ククク、クロウ! わ、わかった!! 分ったからちょっと離れてっ!!!」
そう言うとクロウは今頃自分との距離を知ったかのように、慌てて手を離した。
あ、危ない…あれ以上近寄られたら本気で…!
思わず頭を抱えて首を振る。体の反応に心が追い着かない。全て持っていかれそうになりそうだ。
恐る恐る、クロウを見る。バツが悪そうにしていたが、妙にソワソワしていて落ち着かない様子だった。
「ク…クロウ?」
「なっ、何?」
「あっ…えと…その…」
何かを言わないといけない気がするのだけれど、何も思い浮かばない。
「何か思いついた?」
「えっ? あっ、その…」
だっ、ダメだ、クロウの声が頭に響くだけでも…なんだ、なんなんだ、一体なんだってんだ。
「大丈夫? 具合悪い? やっぱり明日にする?」
そういうとクロウは…顔を近づけ、額に手を当ててきた。
「あ・・・あ・・・あ・・・」
「熱っぽい? 大丈夫?」
多分、相当顔が赤くなってるんだろう。熱はないけど、火照りが収まらない。
パニックに陥っていると、クロウが手を離し、そっと頭を撫で、引き寄せるようにお互いの唇を…!
「さぁ、マリーン…」
「っっっ!!!」
気が付いた時には、クロウを突き飛ばしていた。
暫くハァハァと荒い息遣いをして、心と体を落ち着かせた。
あ…危なかった…も、もう少しで男と…クロウとキッ…きキ危機キスをしそうに…
突き飛ばしたクロウは幸いにも、ベッドで跳ねた後に壁に激突した。力加減なんてあったもんじゃない。
「クッ、クロウ!」
慌てて駆け寄り、安否を気遣った。直ぐに呻き声を上げてクロウが目を覚ます。
「あぁ…良かった… ! ご、ごめんなさい! その…」
「いつつ… ? ええっと…一体何が…」
盛大に頭を打ったのか、記憶が混濁しているようだ。フラフラと立ち上がるクロウに合わせこちらも立ち上がる。
「ホントごめんなさい! で、でもいきなりそんな大胆な事…」
「ん…? え? 何? どういう事?」
「え?」
お互いキョトンと見つめ合う。
「いや、その…いきなり…キ、キスを迫るとか…」
「…え? ええぇええ!?」
クロウが驚いた様子をみせる。 …打ち所が相当悪かったんだろうか…
「ええっと、クロウ?」
「アレ? エ? いや待って、ちょっと整理する…」
腕を組み、考え込むクロウ。先程までのかっこよさは何処へやら…
「あ、あのさ…」
「何?」
「話しが全く見えないんだけど…」
そこまで記憶が飛ぶ位強く打ち付けてしまったのか…なんてこった。
「ご、ごめんなさい!!」
深々と頭を下げて、クロウに謝罪する。その姿に困惑するクロウ。
「えええっ!? マッ、マリーン! 何で謝るの!?」
「わ、私が突き飛ばしたばっかりにクロウの記憶が…」
未だ記憶の戻らないクロウに今の事を説明する。
「――だから、その時は力任せに…」
「ちょ、ちょっと待って…」
言葉を遮り、再び考え込むクロウ。
「あの、さ…」
「?」
「キミに…いや、その時の落ち込んだ場に喝を入れたところまでは覚えているんだけど…」
そ、そこまで飛ぶものなのか? 記憶って…
「その後は全く覚えてないんだけど、本当にそんな事した? 僕が?」
…何かカチンと心に来るものがあったが、冷静に応対する。
「…急に迫ってきて、ちょっと怖かったんだけど?」
冷静というより、冷徹な対応になっていた。 …本当は、そうでもなかった、けれど。
クロウが「うっ」と後ずさる。だが何かに気付いた様に立ち直す。
「ね、ねぇ、マリーン」
「?」
「…もしかして、僕を魅了して『操った』んじゃ?」
魅了…した…? それってつまり…
「少なくとも僕の主観ではその記憶がないし、今は指輪を外して無防備なわけだしね」
もしそうなら、フェロモンを利用してクロウを操ったと頷けるが…
じゃあ、何故クロウはあんな行動に出た? 『操る』って事は、自分の意思を相手に実行させる訳で…
「マリーン、今起きた事をよく思い出して。キミが覚えているのなら、何かきっかけがあったはずだ」
あれこれ考えていると、クロウは急かす様に言った。
「え、ええっと…」
そうは言われても、未だに実感が湧かない。確か、クロウが言うにはお互い見合って意気消沈してから記憶が無いらしいが…
ふと思いついたのは、自分の吐息だったが、それなら既にクロウは再度魅了されているはずだ。
…いや、もしかしてクロウはまだ魅了され続けているとか?
でもそれだとクロウの言葉は一体『誰』の言葉なのか分らなくなるし…
「…あぁもぅ!」
考えれば考えるほど混乱する。こちらの憤りを察したのか、クロウは優しい口調でなだめてきた。
「マ、マリーン、落ち着いて…時間はまだあるから、無理しなくていいよ…?」
「…ゴメン…」
目まぐるしく変わる感情にどっと疲れが出た。 …これ以上はもう辛いとクロウに告げ、指輪をはめてもらった。
気が付けば、もう起きているのは自分達だけといった静けさだ。
フラフラとしながら、思わずベッドに倒れこんだ。
「マリーン! 大丈夫!?」
クロウが心配そうに声を掛けてきた。
「ん…大丈夫…ちょっと気疲れしただけだから…」
そういいつつも、ふかふかのベッドが眠気を誘い、そのままごろんとベッドに横になる。
「え、ちょ、マリーン?」
「…ゴメン、クロウ、ベッド、使わせて…」
「ええっ!? いや、その、おーい、マリーン… …うーん、参ったな…」
何やらクロウの呟きが聞こえてきたが、もういいや、明日にしよう…
抗う気にもなれない睡魔に襲われ、そのまま寝息を立て始めた事にも気付かないまま、夢の中に落ちていった。
「指輪があっても、こりゃ辛いな…」
最後に聞こえた言葉は、そんな言葉だった気がする。
_/_/_/_/_/Chapter.6-3_/_/_/_/_/_/
_/_/_/_/_/真夜中の…_/_/_/_/_/_/
「ん…」
不意に目が覚める。確か、疲れが溜まって…あぁ、そのまま寝ちゃったんだっけ。
のそりと体を起こして窓の外を見ると、外はまだ暗く、然程時間は経っていない様子だった。
「ふぁ、ふぁあ」
大きな欠伸をして、辺りを確認する。自分がベッドを占領してしまったためか、クロウは机に突っ伏して寝息をたてていた。
「ん…」
寝ぼけ眼を擦るも、まだまだ眠気は取れず、そのまままたベッドに倒れる。そしてまた夢の中へ…と、思ったが。
「…ん」
再び起き上がり、部屋の外に出て、一階へ向かう。
「確か…」
クロウに部屋へと連れられた途中、扉が開いていて見えた部屋…トイレ。
こんな時間に起きた…というか、起こされた原因は尿意だった。
「あ…ここ、かな?」
眠さで頭が回っていないせいか、誰かが入っている可能性も気にせず扉を開けた。 …幸い、誰も入っていなかったが。
「ん」
のろのろと股間に手を伸ばす。 …と、そこで『無い』事に気付く。
「あっ…ええっと…」
違和感に少し目が覚める。
「うっ、そうだった…」
今は女なんだから、立ってちゃ出来ないな。便座を下ろし、腰掛けて、更に気付く。
「っと、服を…」
…服? あれ、ちょっと待てよ…? アレだけ眠気で回っていなかった頭が、一気に覚醒する。
「…マ…ズ…い…」
そうだった。あの呪文でぴっちりとした服に変わった聖衣が、未だ脱げない事を忘れていた。
その事に気付くと、急に尿意が強くなる気がした。しかも…
「!! が、がま…我慢!?」
あの時もそうだったが、この体の我慢の仕方が解らない!!
「と、とにかくずらして…」
股の部分の布地をずらそうと手を伸ばしてあれこれするが、やはり体にフィットしていてずらしにくい…しかも。
「はぅっ!」
無理に動かそうと触り続けたせいで、余計に尿意が…!
「も…もう…イヤ、だぞ…!」
地下で漏らした事が甦る。まだ百…万歩譲ってあの時は子供だからと言い訳できるが、今回は…今回は…!
「か、解除!解除の呪文ンンンッーー!!」
必死に記憶を探る。 …が、出るはずも無く。むしろ尿の方が先に出そうだ。
「も…もう…駄目…」
完全に決壊寸前だ。
「ひッ…」
やばい、ちょっと出た・・・かも・・・
(思い出せ思い出せ思い出せ!!!!)
な、何か、何か忘れてないか…!
真っ青な顔で伝承法をフル稼働させて全記憶を洗いざらい徹底的に思い出す。
「う…裏表紙!」
そうだ! この服が変わったのは本の裏表紙の文字! あの時見逃している事は無いか!?
「え、え、えと…」
…ダメだ! 思い出せない!! そもそも考えるのも限界ィッーー!
「お・・・終わる・・・ジ・エンドだ・・・」
諦めかけたその時、急にアバロンの聖衣が輝きだした。
「!?」
そして、光となった聖衣が体から離れ、また体を包むと…もとのローブ状のアバロンの聖衣に戻った。
一瞬呆気に取られたが、直ぐに聖衣を乱暴に脱ぎ捨て、便器に座る。
「…ふぅ… んッはぁぁ」
醜態は晒せないと言ったわりに、光悦な表情で事を済ませるマリーン。
「あ、危なかったぁ」
一時はどうなる事かと思ったが、無事に済んでホントに良かった。
備え付けの紙で濡れた股間を拭くと、乱雑に脱ぎ捨てた聖衣を手に取り、着込む。
「それにしても…今の中にキーワードがあったのか?」
聖衣が反応したという事は、対応した呪文を唱えたということ。
「え、えーと…『スシータ』」
裏表紙にあった呪文を唱えると、また光り輝き、先程までのピッチリとした服に変わった。
「えーと…『エンド』?」
次にもしやと思った言葉を口にすると…再度ローブへと変化していった。
「…戻すのはこんな単純なんだな…」
なんとなく拍子抜けしてしまった。が、これで聞きに行く手間が省けた。
トイレを後にし、部屋へと戻ろうとしたその時… ! マズい! 誰か来た!!
慌てて個室に入りなおし、身を隠して息を潜めた。
「…ッたくやってられっかッつーの!!」
クロウである事を期待したが、残念ながら似ても似つかぬ声だった。しかも…
「…ヒック! だぁーもぅ飲まずにやってられっか!!」
まだ若そうな印象だが、随分声を荒げている。飲む、と言っているって事は酔っ払いか?
何にせよ、とっとと用を足して出て行ってもらいたい…そう願っていたのも束の間、男の発言に焦りを隠せなくなった。
「んぁ、そうだった故障してんだっけか…クソッ! 一つしか空いてねーじゃねーか!!」
一つって、まさか…此処の事か!?
慌てて逃げ道を探す。が、狭い個室にそんな場所もなく…
(う、上は!?)
飛び上がってやり過ごそうと考えたが、個室の位置が階段の下なせいか天井が低い! これじゃどう足掻いても見つかる!!
そうこう慌てふためいている内に扉のノブが乱暴な音をたてて回る。
「あぁっ!? 何だ誰か入ってんのか!?」
こ、こんな場所で見つかるわけには…!!
「入ってます」
…なんて、声を出すわけにもいかないし、相手もはいそうですかで去ってくれそうにはなさそうだ。
「オイ早く出ろよ! もう出したんだろ!!」
下品な言い草に顔をしかめる。相手の素性は知らないが今は嫌な奴、としか思えない。
「何してんだ! 早くしろ!!」
夜中だろうがお構い無しにドンドンと扉が激しく叩かれる。逃げ場、なし。だが…ふとある考えがよぎる。
…物は試しだ、相手も酔っ払いで掛かりやすそうだし。考えをまとめ終えると、敢えて鍵を開け、その身を晒した。
「おぅ、出た…か…?」
予想通りの反応。今しかない。
「ねぇ…黙っていて欲しいんだけど…」
トイレから出るなり甘えるような声で男に近づいた。
クロウにあれだけ効いていたんだ、こんな男くらい直ぐに魅了できると、そう踏んだのだが…
キョトンとしていた男がニヤリと下卑た顔をしたかと思えば、そのままこちらを押して個室に追いやられた。
「へへっ、こんな事もあるんだな、天からのご褒美か?」
そういうと扉を閉めてこちらの肩を掴み、顔を近づけてきた。
「そのお願い、叶えて欲しけりゃ…解ってるよな?」
「あ…あ…」
失敗、した…? なんで!? 浅はかな自分の考えを悔やんでも、事態が変わるはずもなく。
男は既にヤる気で、こちらの服を脱がしに掛かってきた!
「やっ、やめてっ!!」
思わず声を上げると、口を塞がれてしまった。
「……ーッ!!」
本気になればこんな男一撃で伸せるのだろうが、気が動転していてその事を完全に失念してしまった。
「騒ぐなよ…男子寮に潜り込むなんて、よっぽど飢えてんのかい?」
薄々感じていたが、やっぱり此処はそうだったか…!
男がこちらの股間に手を伸ばし、弄る様な手つきで撫で回してきた。
「ちょ、やめっ! んっ!」
こんな奴の愛撫ですら感じてしまう、この体が憎い。そう思っても、男の指の動きに反応してしまう。
「やっ・・・やめっ・・・」
「んー? それじゃあこれは何かな? んんっ?」
そういうと男は弄っていた指を顔の前に近づけてきた。その指は、粘つく液体が絡み付いていた。
「くッ…」
感じてしまった事に悔しさを覚える。こんな奴に、こんな奴にッ…!
男はその手を自分のズボンのベルトにかけた。コッ、コイツ…!!
「さぁーて、頂きますかね♪」
いきり勃った男のペニスが見えた。こっ、こんなにもでかかったっけコレって…?
…ってそうじゃない! 皮肉にも一瞬我を忘れたおかげで、快感よりも怒りの方が頭の中に渦巻き始めた。
「…しろ…」
「ん? オウオウやっとその気になったか、直ぐに素直になれば…」
「いい加減に…」
「え?」
「いい加減に、しろッ!!」
怒りを込めた蹴りを、股間に一撃喰らわせた。その勢いで、扉ごと吹き飛ぶ酔っ払い。
案の定、いきり勃っているところに当てたので、床の上で盛大にのた打ち回っていた。
乱れた服を整え、つかつかと歩み寄る。そして、未だ転げ回る男の襟首を掴み上げ、キッと視線を送る。
「いい? アンタみたいな男に捧げるモノなんてないの、わかる?」
ギリギリと締め上げつつ冷たい視線と言葉を投げかける。
「ふぁ、ふぁい…」
先程までの勢いは何処へやら、男はすっかり縮こまってしまった。
「あと、このことは他言無用。守らなかったらそのほっそいのもぎ取ってやるから」
「ひぃっ! 申し訳ございません女王様ッ!!」
? 今なんて…?
突然の言葉に思わず手を離す。ガクリと膝を突いた男は、そのまま土下座した。
「か、数々のご無礼真に申し訳ございませんでしたッ! こっ、この命、捧げる覚悟にございますッ!」
おいおい、一体どういうこと…よく分からないが、急に主導権を得た事に、快感を覚えていた。
「わかればよろしい。貴方はその身の愚かさを一生呪うといいわ」
「は、はいぃーっ!」
「ウフフ…」
自然と男を足蹴にする。踏まれながらも尚頭を下げる男。どうせその下の顔は想像がつく。
徐々にテンションが上がり、この男にどんな仕打ちをしようか考えを巡らせていると、急に声を掛けられた。
「…マリーン、そこまでだ」
ハッと、我に返る。
「ク、クロウ!?」
「…帰りが遅いから心配してきてみれば…どういうことなのさ」
「こっ、これは違くてッ!」
「兎に角、部屋に戻ろう。騒ぎすぎだ」
確かに考えてみればアレだけ声を上げていれば真夜中とはいえ誰かに聞かれかねない。
クロウと共に、急いでトイレを後にして部屋へと戻った。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
マリーン達が去った後…
未だ土下座の体勢を崩さない男だったが、急に我に返ったかのように頭を上げて辺りを見回した。
「は!? はれ!? なに? 何事!?」
まるで状況のつかめない様子だったが、自分が下半身丸だしな事には気づいたようだ。そして…
「オイ今何時だと思って…! …何してんだ?」
「あっ、げっ、ちょっ!!」
慌てて個室に駆け込もうとするも、足首まで降りたズボンに足をとられ、そのまま前のめりで個室へと突っ込んでいった。
「…ホントになんだよオイ…」
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「ハァッ…ハァッ…」
クロウの部屋に戻り、息を整える。クロウは外の様子を窺いながら扉を閉めた。
「ハァッ…はぁ…」
一息ついたら今度は溜息が出た。フェロモンが誰にでも効くか試しただけなのに、あわや犯されるところだった。
ベッドに座ろうとしたが、弄られて濡れた股間が気になり、壁に背を付いて休むことにした。
「相変わらずトラブルメーカーだね、マリーン」
クロウに痛いところを突かれる。
「たッ、ただトイレに行っただけだから! タイミングが悪かったの!!」
必死に取り繕うが、完全に一部始終見られていた上、クロウに声を掛けられなければ一体どうなっていたかも定かではない。
「まぁ、アイツはいつも酒癖が悪くってね…そこは許してやってくれないか?」
アイツ…さっきの男か。そういえば放って置いてしまったが大丈夫だろうか…いろんな意味で。
「で、マリーン、一体どうしたらあんな状況に?」
「うッ…」
自分から誘ったら襲われちゃいました、なんて言えないが、事実でもあるわけで…
「ええっとトイレから出ようとしたら入ってきてそれで出たけど入られて…」
「落ち着いて…何で焦ってるの」
「ううう…」
下手な取り繕いをしたせいで、結局全て打ち解ける事となった。
「――それで、あの…あんな状況になったわけ」
「…確かに『体得しろ』とは言ったけど、何もこんな時にしなくても…」
一通り説明し終わると、クロウは呆れた様な口調で返してきた。
「でね? 決して自分の意思じゃないから、それだけは本当だから、信じて、信じろ」
再度念押しするが、クロウは何やら考え込んでいた。
「あ、あの…クロウ?」
「んー」
声を掛けてもまだ考えを止めなかった。一体何を考えて…
「あのさ、マリーン」
「えっ!? は、はい!?」
急に声を掛けられ返事が雑になる。
「嘘は抜きで答えて。僕を魅了したとき、何を考えてた?」
「へっ? な、何でそんな事を…」
「いいから、思い出せる範囲で」
「そっ、そんな事言われても…」
思い出せはするが曖昧だという事もあるが、それ以上に言えない理由があった。
そのため、なかなか言い出せずもじもじしていたのだが…
「もしかしてさ、僕にキスしてもらいたいとか思ってなかった?」
「なッ…!?」
な、何でバレた!?
「そッ、そんな事あるわけ…!」
…と、口では言ったものの恐らくあの時思っていたのは確か、なのだろう。それが『自分』なのか『体』なのかは別として。
明らかに図星である事を見抜きつつ、クロウはそれを置いておいて続ける。
「それじゃもう一つ聞くけど、アイツには何をしたいと思った?」
「えっ…」
アイツとは先程の酔っ払い。クロウ以上に記憶は新しいので、すぐに思い出す。
「か、彼にはすぐに此処から出て行って貰いたいと…」
「んー、他には?」
「え、他? 他って…」
「それは対面していない時だよね、お互い顔を見て、虜にしようとして失敗して、その後思った事」
「え、ちょッ…」
それってつまり、犯されそうになった時の事!?
…余り思い出したくないけれど、どうしたって記憶に新しいせいで嫌でも思い出す。
「それは…初めはその…えと…」
「その後、かな」
「えっ!? あぁ、その後ねその後…ええっと…」
確か、快感よりも怒りが込み上げてきて…
「…いい加減にしろって怒鳴ったのが、そのまま、かな。怒りの感情」
「ふーん…それじゃあ更にその先は?」
クロウの言わんとする事が見えないが、話を続けた。
「どうしてやろうか、って考えてた」
正確にはどうやって口封じしたものかと考えていた。それが何故あんな事に…
それを伝えるとクロウは再び考え込んだが、すぐにこちらを見つめ直して言い放った。
「多分だけど、キミのフェロモンは『誘惑する』んじゃなくて、『感情をぶつけて行動させる』んじゃないかな?」
「どういうこと?」
クロウが出した結論がいまいちつかめない。
「つまり、僕に対しては『正』の感情を持って何をしてもらいたいか考えていた、
そしてアイツに対しては『負』の感情で、どうしてやろうかと考えていた」
「??」
「あー、ようは好きだと思った相手には自分の虜にして、嫌いな相手は僕にする、って事」
「す、好きって…」
違う言葉が引っかかったが、段々とわかってきた。
「そう考えると、アイツを誘惑したのにダメだったのは、キミがアイツにキスして貰いたいとかそういった感情を持たなかったからだ」
「な、なるほど…」
まるで他人事の様に感心する。確かに、そう考えるとそんな感情は無かったな…
「凄いねクロウ、どうやって導き出したの?」
「先生にね、ちょっと気になったから聞いておいたのさ」
ハクゲン…恐ろしい人。
力の手掛かりをつかめたものの、今日のところはひとまず寝る事にした。そして、次の日――
_/_/_/_/_/Chapter.6-4_/_/_/_/_/_/
_/_/_/真実と虚像の狭間で_/_/_/_/
「んっ…!」
朝の日差しと鳥の声で目が覚め、大きく背伸びをして目を覚ます。
二度目の就寝だったがグッスリ寝る事が出来、疲れも取れていた。
「あれ、クロウ…」
机で寝ていたはずのクロウがいなかった。朝食でも作りに行ったのだろうか、そう、軽く考えていたが…
足音と共に勢いよく扉が開かれた。クロウだった。息を切らせ、焦りの色が見える。
「ハッ…ハッ…ハッ…た、大変だ…」
「クロウ、どうしたの?」
ベッドから立ち上がりクロウの傍によると、肩で息をするほど息を切らしていた。
「せっ…せ、先生が…」
「先生? ハクゲンが一体…」
「…先生が捕まった!」
「!?」
その言葉を一瞬疑ったものの、クロウの尋常ではない様子が嘘ではない事を物語る。
「い、一体どうして…」
「昨日、あの書庫を崩したのがいけなかった…見つかるとマズい書物が見つけられてしまったらしい」
「!!」
思わずよろける。まさか軽はずみでとった行動がこんな影響を及ぼすなんて…!
悔やんでも悔やみきれない気持ちを抑え、クロウに詳細を尋ねた。
「…それで、『捕まった』の? 今は何処に?」
「恐らく宮殿地下の牢獄、か…」
地下の牢獄…あそこは、地下水道に直結する秘密の道があるが…
「それじゃあ、まだ生きて…」
「…それが…」
「!! ま、まさか!? もう…」
「い、いや、生きてはいるはず。ただ、恐らくこの後見せしめに公開処刑が待っている…」
「なッ…!」
なんて事だ…自分の蒔いた種でハクゲンが…
「どうしたらいい! どうしたら、助け…」
クロウ以上に焦り、慌てふためく自分を見てか、クロウが冷静さを取り戻して逆にこちらを落ち着かせる。
「…先生を助ける。地下から潜り込める道がある、それを使って…」
「助けるって…まさかクロウ!?」
「此処で先生を失うわけにはいかないし、それに…あの方は…」
クロウが思いつめた表情で唇を噛み締めた。出会って間もないハクゲンだが、彼が必要な事は痛いほど解る。
「助けられる保証は!」
「…無い、が、やらなければならないんだ」
「だからって…」
押し問答が続く。こうしている間にも、時間は進み続ける。
その時、開いた扉の向こうに人影が見えた。その人影は、暫く俯いた後に駆け出していった。
見覚えのある後姿、何より、その足元に見えたヒールのサンダル…
「キャット!!」
「!?」
思わず声をあげ呼びかけた。その声に、クロウはすぐさま扉へと向かい、廊下を見回した。
「…あのバカッ!!」
どうやら姿を確認できたが、行ってしまったようだ。
「追うぞ!」
クロウがいつにない口調で飛び出していった。自分も、後に続いて部屋を出る。
初めはまた地下へと行こうとしたクロウだったが、何かを思いついたらしくこちらに話しかけてきた。
「…マリーンは地下を頼む、走る足音以外が聞こえたら必ず隠れるんだ」
「クロウは?」
「このまま街に出る、キャットの事だ、僕らを追わせない為に裏をかくだろう」
そういうとクロウは目配せしながら洗濯室から出て行った。
こちらもまた誰かに見つかるわけにはいかないので、急いで地下への梯子を降りた。
朝の日差しも届かない地下水道は、昨日と何も変わらず、ただゆっくりと街に水を配給していた。
キャットが通った形跡はなかったが、それでも探さずにはいられなかった。
クロウが犠牲になってハクゲンを助けるなら、キャットは…恐らく…
地理知識のない地下道を記憶を頼りに自分の時代にもあった道まで戻る。
此処まで戻れば、ある程度位置関係は知っているが…
「クッ…一体何処に…」
クロウに任されたもののキャットが何処に行くかは解らなく、ただ闇雲に探すしかなかった。
「違う、ここじゃない…」
唯一の共通の場である隠れ家へも向かったが、今回は鍵が閉まっていて入れなかった。
それ以前に、キャットが来た形跡がない。 …根拠はないが、そう感じた。
「それじゃ何処に… !」
そうだ、宮殿への道! そこで待ち伏せするなりなんなりすればきっと…!
そう考え、踵を返して向かおうとしたその時、階段の下に…ムウラの姿が見えた。
「アイツまた…!」
これで二度目だ、人の領域に入ってきたのは。状況が状況だけにイラついて怒鳴り散らそうかとも思ったが、何やら様子がおかしい。
階段を下りて、ムウラに近づく。ギロリとした目でこちらを睨んだ様に見え、少し怯む。
「ム、ムウラ! 何様だ! 今はお前の相手をしている暇は…」
「…申し訳ございません女王様、ですが緊急の件がありまして…」
口調は相変わらず丁寧だが、何かを含んだ口振りだった。
「な、なんだ…言ってみろ」
階段の高さを利用して、上からの目線で話す。
「…」
「どうした?」
やはりムウラの様子がおかしい。何かを我慢しているような…その時、ムウラの腕の刃部分が輝きを増したように見えた。
「女王様…いや、皇帝」