_/_/_/_/_/Chapter.6-5_/_/_/_/_/_/
_/_/_/_/_/_/宣告_/_/_/_/_/_/_/_/
今…なんて言った…?
言い間違いか聞き間違いだと無理矢理自分に言い聞かせ、ムウラを宥めるように諭す。
「…ムウラ、どうした? 大丈夫か、この私を皇帝と見間違うほど疲れているのか?」
「ご心配なく、私めは至って正常です。私は『貴方』に用があるのです、『皇帝陛下』」
「…」
間違いなく、ムウラはマリーンに、女王に対して皇帝と名指ししてきた。焦る気持ちをぐっと堪え、今度は強い口調で諭す。
「ムウラ…貴様、この私に対しなんたる言い草、それでも…」
私の執事か、と言うよりも早くムウラの姿が消え、突如体が地面に叩きつけられた。
「ぐはッ…!?」
消えたと思ったムウラが目の前にいた。疾風の如き速さでこちらに詰め寄り、左の腕二本で腕と足を、右の一本で別の足を掴まれる。
そして、残るムウラの右腕は…手首の付け根から生えた薄い刃の様な甲殻を、こちらの首に宛がっていた。
「なッ…き、貴様ッ…!」
逃げようともがくも、左腕しか動かせず、しかも絶妙な位置と距離にあるムウラの体に触る事すら出来ない。それに…
「いい加減にしてもらえませんか? 私も、女王様にこのようなご無礼をするのは辛いのです…」
そう言うと首にあてた刃がグッと喉元に近づく。これ以上暴れれば、それだけで首から鮮血が迸るのは確実だった。
「ム、ムウラ…お前…」
「…そろそろやめにしませんか、皇帝。もう、私には解っているのです」
「くッ…」
ムウラはこんな状況でも変わらず丁寧な口調だったが、その声は少し震えているように感じた。
静けさが、辺りに広がる。聞こえるのは、水のせせらぎと、自分の高まる鼓動の音だけ。
じっと見つめられる事に耐えられず、目を逸らすも、刺さる視線に耐え切れない。
「…何故、解った?」
マリーンは遂に観念して、自分が皇帝である事を認めるように態度を変えた。
その様子に愕然とするムウラ。解っていても、認めたくない気持ちがひしひしと伝わる。
「女王様であれば、このような失態は犯さないというのに…貴様の様な奴が…何故…」
ムウラは暫く俯きながら何かを呟いた後、キッとこちらを睨み付けた。
「まだ解らないのですか? 物分りが悪いのか、物覚えが悪いのか…」
「貴様ッ…!」
流石に暴言を吐かれた事に怒りを覚えたものの、すぐさま首もとの刃がグッと押し付けられる。
「…貴方は、貴方自身の口からその事実を語ったのですよ?」
事実? 正体を明かしたのは、クロウ、キャット、ハクゲンだけ…つまり、そのどこかで聞かれていたのか?
「初めは人間に信用されるためについた嘘だと、無理にでも自分を言い聞かせましたが…」
ムウラが明らかに震えている。怒りか、悲しみかは解らない。
「…女王様の口から、我々タームを滅ぼすなどという言葉が発せられる訳がない…」
語るたびどんどん俯いていったムウラだったが、再度こちらを見つめ直した。
「その時に確信したのです、あの方は、女王様であって女王様ではない、と」
「…」
再び、静寂が辺りに木霊する。未だ目を逸らし続けるマリーンだったが、フッと、諦めの笑みを零した。
「まさか、聞かれていたとは、な…だが、一体何時何処で…」
「恐らく、貴方は我々タームの情報伝達について多少見当を付けていたのでしょう」
ムウラは腹をくくったのか、いつもの口調に戻っていた。
「我々は土壁ならばターム特有の能力を利用して意思の疎通は出来ますが、レンガの様な人工物には阻害される…」
どうやら、読みは当たっていたようだ。なのに、何故?
「とはいえ、その壁に大きい穴があれば、そこを通して聞くことは出来る…」
「穴…?」
「まだ、解りませんか? 貴方はあの人間の雌と共に部屋へと『入った』、そして、再度『戻ってきた』」
「…!!」
マリーンが大きく目を見開き、ムウラを見つめる。その顔を見て、やれやれといった様子で首を振るムウラ。
「このような失態、『真』の女王様ならば犯すはずがありません」
しまった、迂闊だった…
「漸く気付きましたか。そうです、貴方はあの部屋の扉を開けたままにしていた」
あの時…二度目の成長後、事の次第をキャットに伝えるために隠し部屋から隠れ家へと移ったが…
クロウがまだ倒れていて、いつ目を覚ますか分からないからと開けっ放しにしていた、それがまさかこんな事になるとは…
「殻を回収しに来てみれば、まさに貴方が正体を告げている最中でしたよ…」
そうだ、あの時部屋に戻ると殻が無かった…ムウラの仕業だとすぐに分かったのに、そこまでは思いつかなかった…
「そして、貴方の話はしかと聞かせて頂きました、皇帝。あまりの事に、殻を落とした事さえ気になりませんでしたよ」
やけに破片が散らばっていたのはそのせいか…ここまで聞かされ、最早成す術無しと悟り、敢えて強気に出る。
「…それで、どうする? その刃で俺を切り刻むのか?」
こちらの挑発的な態度に怒りをあらわにしたムウラだったが、暫く俯いた後こちらを解放してきた。
押さえつけられていた肩を回しながら、立ち上がる。逃げる事も出来たが、今はムウラと対峙した方がよさそうだった。
「そうですね…四肢を切断し、生きたまま巣に持ち帰り、化けキノコの胞子を植え付け、広場に飾ろうかとも思いました」
コイツ…さらりととんでもない事を…思わず想像してしまい、悪寒が走る。
「ですが、その女王様の『お体』は我々タームの存続に無くてはならない大切な御身。手出しは出来ません、ね…」
ムウラが落ち着き払いながらも悔しそうな口調で返す。
「悪いが、俺もこの体を手放す気は無い。そもそも、手放す時は『死ぬ』時だけだ」
「…でしょうね。全く、古代人共め…厄介な術を開発してくれる…」
古代人を知っている? となると、ターム達は一体いつからこの地にいるんだ…?
些細な事を疑問に思いつつも、相手が手詰まりと見るや否や更に強気に出るマリーン。
「と、言うわけだ。残念だがお前達の悲願は決して叶わない」
「えぇ、実に悲しいですが、致し方ありません。ただ…」
ムウラが俯きつつも何か切り札があるような物言いをする。
「…代わりに、アバロンには滅んでもらいましょうか」
「なッ…!」
ムウラが、あろう事かアバロンにその矛先を向けてきた。
「き、貴様…そうはさせんぞ!」
恐れていた事が急速に現実味を帯び、焦りを隠せなかった。
「我々の悲願が叶わぬならば、せめて皇帝が大切に守るモノを奪う事で、我々の憤りも冷めましょう」
「さ、させるかッ…! そんな事…!!」
力の差は歴然だというのに、飛び掛らずには入られなかった。が、ムウラは音もなくかわし、マリーンの一撃は空振りに終わる。
「皇帝、貴方がいけないのです。元はといえば、前女王様を手にかけた時から、この運命は決まっていたのですよ」
「ぐッ…」
ギリリと歯噛みする。悔しいが、どうする事も出来ない。
「ア、アバロンは貴様らごときに滅ぼされる程やわではない!」
思わず虚勢を張りあげてしまう。いや、アバロンの兵が強いのは確かだが、今は…
「今の貴方には、皇帝としての権限はないのでしょう?」
「…!」
まるで心を読んだかの如くムウラは言い放った。出そうとした言葉が、詰まる。
「それに…貴方はまだ知らないでしょうが、我々タームには私以外にも『バトラー』はいるのですよ?」
「なッ!」
まだムウラのようなやつがいる…だと…?
「私の跡継ぎになるバトラー長を筆頭に、三虫臣、四魔執事、七大強畏が控えております。
それに私は、そんな彼らを教示する、隠居執事ですので、純粋な力では彼らの方が上です」
何やら仰々しい名前を連ねるムウラ。だが、至って冷静なムウラの言葉に、嘘も虚勢も感じられない。
「…どうしても、攻め入るの、か?」
絶対的な絶望感を突きつけられ、最早成す術なし。自分の失態でアバロンの歴史が終わる、そう、思ったのだが…
「…一つ、提案があります」
ムウラは、溜息混じりに呟いた。
「提…案…?」
絶望的な状況で、ムウラから投げかけられた言葉は、予想だにしないものだった。
「提案、というよりは取引ですな。お互い、カードを見せ合ったまま拮抗していますからね…」
「…」
取引…確かに、今の状況ではその流れにもなるか…
「それで、一体どういう内容だ?」
ムウラは、先程より一回り大きな溜息をつくと、ゆっくりと語り始めた。
「…先程も言いましたが、我々は女王様なくては存続すらままならない一族。故に、今の貴方に手出しは出来ない…」
「…」
「ですが、女王様が次期女王様を孕み、御出産される事で、我々はその呪縛から解き放たれる…」
「!!」
え? え?? それは、つまり…
「よって皇帝、貴方にはこのまま『タームの女王』としてその生を全うしてもらう」
「!?」
単純に受け止めれば『この体のまま生きろ』という意味と取れるが、先程の一言が頭の中で木霊する。
「貴方がこれを受け入れるならば、我々もアバロンへの侵攻は留めましょう」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! さっきの…」
「何です?」
「さっき、『孕む』とか『出産』とか何とか…」
「えぇ、女王様が『リアルクィーン』として再進化を遂げられるのは、次期女王様の子種を他種族から得るため。
その御体は、脈々と他種の雄を獲得してきた結果であり、歴史なのです」
ムウラの口から、この体の真実が告げられた。だがマリーンにとって、それは今重要な事ではなかった。
「つまりこの俺に…モンスターの子を産めと?」
モンスター、という単語にムウラがピクリと反応する。
「…そういう事です。貴方には今後、その次期女王様を宿すための雄を見つけてもらい、交尾をして頂く」
「!?」
改めてその『行為』について告げられ、身悶えする。
「そ、そんなこと…できる訳ないだろうッ!」
「おや? ではアバロンはどうなってもよい、と?」
「くッ…」
お互い拮抗しているなんて嘘だ。どう考えてもムウラに分があるような気がしてならない。
「それに…恐らく既に感じてはいるのでしょう?」
「…? 何をだ?」
「『貴方』が求めなくとも、『体』は求めているはず。既にその成長段階まで達している事がなによりの証拠です」
ムウラの言葉に、ハッとする。やはり、今までの昂りは自分の意思とは無関係にこの体が…!
「まぁ、今回のような事態は私も…いえ、タームの歴史においても初めての事。ですが、それだけ急成長を遂げると言う事は…」
「だっ、黙れッ!!」
思わず耳を塞いで怒鳴り散らす。ムウラは動じず、ただじっと見つめるだけだった。
そんな事は分かっている。この体である以上今は自分が一番よく分かっている。だからこそ、決定付けられるのが怖かった。
「どうやらその様子では既に…」
「違う・・・俺じゃない・・・俺じゃないんだ・・・」
ここにきて、自分という存在が揺らぎ始めた。
一匹のタームの前で身悶えする女。傍から見ればどれ程奇妙な光景だろうか。
暫くマリーンを観察するように見ていたムウラが、再び話し始めた。
「最早逃れられないのですよ、皇帝。貴方がその体である以上、我々タームの女王でもあるのです」
「そんな・・・俺は・・・おれは・・・おとこだ・・・」
ムウラの言葉も耳に入っていないほど動揺するマリーン…いや、マゼラン。
ムウラはふと何かに気付いたような表情をすると、口を開いた。
「…あぁ、そうでした、すっかり失念していました。皇帝、貴方は確か元々雄、でしたね」
「・・・」
左右に揺れ動いていたマリーンがピタリと体を止め、ムウラを睨みつけた。
「葛藤の原因はそれでしたか。大丈夫です、貴方が拒否しても、体は受精するまで発情し続ける事でしょう」
「・・・」
何も言わないマリーンに、更に畳み掛けるようにムウラが語る。
「大丈夫です、たとえ闇雲に交尾したとしても、体が精を選別をしますので、貴方はただ相手を探せばよいのです」
「・・・」
「それと、言い忘れていましたが、女王様…いえ、我々タームは次世代のターム達が現れるまで生き永らえます。
ですので、貴方がいつその使命をまっとう出来るかは、私にも分かりませぬゆえ」
余りに酷な宣言も、今のマリーンにとっては些細な事だった。
突きつけられた事実を、未だ受けきれていないマリーン、だったが…
「・・・なら・・・」
「?」
うろたえ、話もろくに聞ける状況ではなかったマリーンが、漸く口を開いた。
「…ならば…! こちらからも要求をさせてもらう!」
頭の整理はついていなかったが、この状況のままではダメだと、『記憶』が、訴えかけてきた。
「要求、ですか…確かに、取引である以上貴方にも言い分はありますね。
ですが、こちらは出来る限りの妥協をしての結論だという事をお忘れなく」
「…あぁ」
姿勢を正し、女王らしく、そして皇帝らしい振る舞いでムウラと対峙する。
「そちらの要求は分かった。だが、その『相手を見つける』以上、お前達の巣に私を閉じ込めるわけではないのだな?」
「えぇ、本来ならばそうしたいところですが…それではあまりにも効率が悪い。
流石に、次世代のターム達が生まれる前に、我々の寿命が尽きる可能性も出てきてしまいますしね」
「ならば、相手を見つけるその工程を、皇帝として旅をする傍らに行わせてもらう…これが、一つ目」
たとえこの身が人ではなくとも、タームの女王だろうとも、俺は皇帝だ。皇帝には皇帝の使命がある。
「一つ目、ですか…」
「あぁ、一つ目だ。二つ目は、今すぐ叶えて貰う、といったところか」
「それはつまり…」
「アバロン奪還作戦。協力してもらおう」
コイツが戦力として使えれば一気に優位に立てる。ただ、国民を殺しかねないので囮として動いてもらうつもりだが。
こうして、お互いの手の内が開かれた。交渉は、また振り出しに戻った。
あれだけうろたえていたにも拘らず、今は凛として立つマリーンがそこにいた。
今までの皇帝として、幾度となく苦境を乗り越えてきたその記憶は伊達じゃない。
いつもピンチの時は、咄嗟の閃きや仲間達の手助けで乗り切ってきたんだ、こんなところで終わってたまるか。
ムウラに対し再び仁王立ちで向き合う。
そのムウラは顎(?)に手をあて、考え込んでいた。マリーンはそんなムウラに対し皮肉を込めて、
「どうしたムウラ、『女王』の発言は絶対なのだろう?」と言い切った。
「…言ってくれますね、皇帝。いいでしょう、その条件、のみましょう」
マリーンはその言葉でニヤリと笑い、踏ん反り返った。
「ただし! あくまでその体に危害が及ばない事が前提。命の危険には晒させませんよ!」
「あぁ、勿論だとも。 …なら、しっかり頼むぞ」
ムウラには悪いが、恐らく様々な危険が待っているのは確実。だが、ムウラのその存在自体がいわば保険となりうる。
甘い考えではあったが、今を乗り切るのには十分であった。
「さて、早速だが…」
「…もうですか、蟲使いの荒いことで」
利用できるものは何でも利用する、それが皇帝となって身に付けた処世術だった。
「人を探している。私と共にいたキャット…女性だ。探せるか?」
ムウラはやれやれといった仕草をすると、集中し始めた。
「…やけに人間の気配が多いですね、これは…うむ…」
なにやらブツブツと呟くムウラ。ダメ元で頼んだ事だったのだが、まさか本当に出来るとは。
「…匂いはするのですが、その殆どは残り香、ですね…最も強いのは此処から遠い所…貴方の来た方角にあります」
遠い所で、自分が来た方角…恐らく、大学寮か。地下には戻っていないと分かった今、後はクロウに任せるしかなかった。
「では私はこれにて。今一度申し上げますが、我々は常に貴方を監視しています。
そして、いつでもアバロンに攻め入れる事をお忘れなく」
「…分かった」
そういうとムウラは、以前開けた穴へと飛び込み、再び封をした。
女王としての人生、か…悩んでもしょうがないと吹っ切れたマリーンは、念の為にとアバロン宮殿への道へ向かう事にした。
_/_/_/_/_/Chapter.7-1_/_/_/_/_/_/
_/_/_/_/帝国地下捕物帳_/_/_/_/
ムウラと別れ、宮殿地下の秘密通路を目指したマリーンだったが。
「いたか!」
「いえ、コッチには来ていません!」
「探せ! 奴らの仲間かもしれん!」
「はっ!」
急に慌ただしく人が右往左往し始める地下水道。原因は…勿論マリーンだった。
「ちッ…失敗だったか…」
物陰からその様子を窺うマリーン。
初めに思っていた通り、キャットがハクゲンを助けに行くのならば此処しかないと踏んできたものの…
予想以上の警備網が待ち受け、その上、見つかるという失態まで犯してしまったマリーン。ムウラの言葉が、頭を過ぎる。
『女王様ならば、このような失態を犯すはずがない…』
「くッ…」
つくづく自分の浅はかさを思い知る。
自分が『生きていた』時もそうだ、無理にロックブーケ討伐へと行かなければこんな事には…
「いたぞッ!」
「!」
見つかった!? 急いで奥へと逃げる。
「待てー!」
警備兵が複数人追ってくる。
勿論逃げるマリーンだったが、マントが翻り、背中を見られる事が気になる。
しかし、それは羽をマントに密着させる事で解決した。 …すっかり、新しい体の器官にも慣れてしまった事になるが。
暫く逃走劇は続いたが、軽装である事と、地の利が幸いしてか、追手の声が聞こえなくなる。どうやら撒けたようだ。
マリーンはホッと一息ついて、壁に背もたれた。逃げ込んだ先は袋小路だったが、暫くやり過ごした方がいいだろう。
かなり厳しいが、逃げられなくもないと、そう思った時だった。
「あっ…! だ、誰だっ!」
「!」
見ると、目の前に一人の兵士が立っていた。
しまった! 退路を絶たれた!
手をかけるわけにもいかず、逃げる隙を探ろうとしたのだが…
「お…大人しくしろ!」
その兵士は手にした槍をこちらに突きつけてはいるものの、明らかにその槍が震えていた。
しかも…よく見ればその兵士の顔はまだ幼さが残るような顔つきだった。恐らく、新兵だろう。真っ青な顔をしている。
「て、抵抗するなッ! う、動いたら・・・動いたら・・・」
次の言葉が出てこないほど動揺していた。兵士として、いや、男として弱すぎる。
容易く逃げる事は出来る状況だったが、マリーンは敢えて逃げなかった。
顔を見られたという事もあるが、なにより、この新兵が『今』のアバロンの下で使役されている事が不憫に思えた。
「…貴方、名前は?」
「!?」
不審者に名前を聞かれる。マニュアルにない事に戸惑い、思わず名前を口にする新兵。
「ワ、ワレンシュタイン…」
これはまた随分と似合わない名前で…ってそれはおいておいて。
「ワレン…貴方、兵隊をやるような人間じゃないでしょう?」
「なッ…!」
不審者に説得される。マニュアルにない事に戸惑い、思わず動揺する新兵ことワレン。
「そ、そんなこと…!」
まぁそうだよな…分かってはいたが、聞かずにはいられなかった。
「ワレン、貴方も自分自身では分かっているのでしょう? そんな槍の持ち方じゃネズミだって殺せやしない」
「うぅ…」
ワレンの槍がよりいっそう震え始めた。悔しさと悲しさで肩を震わすワレン。
「分かってる…分かってるよ…そんな事…くらい…」
一瞬、ピタリと震えが止み狙い澄ましたかのような刃先がこちらに突きつけられたが、直後にガチャリと、槍が床に落ちる。
そしてその後に続くように、ワレン自身も床に崩れ落ちた。
「僕は…僕は…! このままじゃダメだって思って…この仕事に就いて…自分を変えようと思ったのに…!」
四つん這いになって泣き始めるワレン。 …精神面もダメと来たか…
自分では柔らかく言ったつもりが、相当落ち込ませてしまったようで、慌てて優しい言葉でフォローする。
「ま、まだ慌てるような時間じゃないから…! そ、そう! 貴方には他に良い仕事があるっていう事!」
「他…? 他って例えば…?」
「え? えーと、その…そう! 大学に入ってもっと上の職を目指すとか!」
「…大学に入れるほど頭良くないよ…」
「うッ…」
フォローのつもりが更に落ち込ませてしまった。というか、何故この状況でこんな処でこんな事に…
いつまでもウジウジし続けるワレンに痺れを切らし、奮い立たせるよう一喝する。
「ワレン! 兎に角貴方は今ここにいるべきじゃないの! 自分を変えたいならまず自分に出来る事から始めなさい!」
「ひッ…!」
母親に叱られたような顔をするワレン。
「それじゃ、私が言いたい事は伝えたから、ワレン。此処であった事は内緒よ?」
「う、うん…」
素直に納得するワレン。警備兵としてそれでいいのかとも思ったが、ワレンにとっては、その方がいい。
お互い起き上がり、その場を後にしようとすると、ワレンが訪ねてきた。
「あっ、あの!」
「? 何?」
「おっ…お名前は…」
「…マリーン」
思わず答えてしまった。一応、隠すべき事なのだが。
「これも内緒よ、ワレン。あ、そうそう。もしそれでも貴方が兵士としてやっていきたいのなら、後で正式に雇用してあげる♪」
「えっ…それってどういう…?」
ワレンが質問をする前にその場を後にするマリーン。
一人残されたワレンは、その場に立ち尽くし、マリーンの残り香を感じていた。
「…マリーン…」
少年が抱く、初めての恋心であった。
_/_/_/_/_/Chapter.7-2_/_/_/_/_/_/
_/_/_/_/_/心の深淵_/_/_/_/_/_/_/
ワレンと別れた後も警備兵に追われ、あれ以降息つく暇も与えられなかった。
結局、散々逃げ回った後、あの地下墓地へと逃げ込み、暫くやり過ごす事にした。
「ふぅ…」
今度こそは一息つけるようにと祈りつつ、その場に座り込んだ。
ずっと走りっぱなしで流石に疲れてしまった。
休みつつも聞き耳を立てるが、今のところ追手の声は聞こえない。
「地下ですらこの警備網か…これじゃ、宮殿に近寄る事すら出来ないじゃないか…」
ハクゲンが捕まった事で警備が更に厳重になったとも考えられるが、そもそも、あれだけの人数が宮殿に控えている事は間違いない。
「ハクゲン…」
あの聡明な顔が頭に浮かぶ。自分の失態で捕まってしまったハクゲン。悔やんでも、悔やみきれない。
体を休めても、心が全然休めずにいると…
「…全く、うな垂れてばかりですな貴方は」
「!?」
見上げると、ムウラがそこにいた。落ち着いた様子で、こちらを見ている。
「お、お前か…なんだ? この私を笑いにでも来たのか?」
フッと自嘲の笑みを浮かべるマリーン。
「まぁ、貴方が笑えと仰るならば」
「言ってくれる。本当は他に用があるのだろう?」
「えぇ。先程言い忘れた事がありまして」
言い忘れた事? ムウラが言うからには、それなりに意味のある内容だとは思うが…
「…それは?」
「そのお体と、能力についてです」
「体? まだ、何かあるというのか?」
「何かある、と言うよりはまだ『先』がある、と言いましょうか」
相変わらず回りくどい言い方をするムウラ。だが今は、それを咎める気にはならなかった。
「…既にご存知の通り、その体はまだ成長の過程にあり、擬似交尾によって成長してきたわけですが」
擬似交尾…ねぇ。その単語に呼び覚まされる行為の記憶。慌てて頭を振って、意識しないようにした、が。
「恐らく今後、次の段階へと成長するには、擬似交尾では足りないかと思われます」
ムウラの一言。その言葉の意味に気付き、マリーンはハッとする。
「…それって…まさか…」
嫌な予感が、頭を過ぎる。そして、その予感はすぐに的中へと変わった。
「今後は、交尾によって更なる成長を遂げる事になるでしょう」
「!!」
言われた。言い切られた。よりにもよってこんなにも体と心が疲れているところで宣言された。
「勿論、拒否する事は認められません。これは決定事項なのです。
その御身が真にリアルクィーン本来のお姿へと進化を遂げてこそ、初めて跡継ぎを産む準備が出来るのです」
「わ、わかっている! 分かってはいるが…今はまだ必要ないだろう!?」
スクッと立ち上がって、必死に反論する。一体何故こんな時に…!
「えぇ、確かに今急いても体への負担もありますし、なにより良質の精がアバロンにあるとは限りません」
「だったら何で急に…!」
「アバロンを、取り返したいのでしょう?」
「! そ、それとこれとに一体どういう関係が…」
「成長するにつれ徐々に理解し始めたのでしょう? 女王様が持つ力に。雄を虜にする、その力に」
「た、確かにそうだが…!」
ムウラの言う事は尤もだった。あと少しで扱いきれそうなこの力。その少しを埋めるのは、体の成長だと。
だが、はいそうですかと交尾…もといセックスが出来るわけが無い。第一、相手がいな…い…
「…!!」
頭に浮かんだ顔を必死でかき消そうとするマリーン。だが、どんなに思い出さないようにしても、その顔が頭を過ぎる。
「その様子なら交尾の対象も既にいるのでしょう? ですが、心配は要りません。
以前にも言いましたが、まだ子を宿すには至ってはいないはずですから、今は」
「いない! 相手なんて・・・いない!!」
まただ。またムウラに言葉責めにされている。何故かムウラの言葉を聞くと体が反応する。蟲同士の何かが共鳴しているのか?
頭を抱え、うろたえるマリーン。ムウラは以前と同じ様に、その姿をじっと見つめていた。
「最終的な判断は貴方に委ねます。ですが、遅かれ早かれ、貴方には交尾をして頂く。
…まぁ、その様子では直ぐにでも行為に至りそうではありますね」
「くッ…!」
ムウラを一瞥すると、それを見つめ返したムウラはお辞儀をし、「それでは」と言い残してあの墓へと潜っていった。
「ううッ…クソッ…! 何でこんな・・・こんなにも体が・・・!!」
頭の中に『彼』の顔が浮かんでからというもの、体が疼いて堪らない。
今にも自身を嬲りだしそうな両手を抱え込み、体と気持ちを落ち着かせようと努めた。
以前に顔を洗った水場へと近づき、おもむろに頭を突っ込んだ。
目を閉じ、息を止め、そのままどこまでも落ちていきそうな感覚に襲われたが、次第に苦しくなり、一気に頭を持ち上げた。
湿った地下墓地に、水滴が舞い上がる。その光景は、見るものがいれば心奪われる光景だったろう。
「…ぷはぁッ!」
長い紫の髪が十分に水を含み、服の隙間から体へとその水が流れ込む。
「はぁッ・・・はぁッ・・・」
そのままの体勢で、視線を落とす。見つめる先の水面は、今頭を入れた事でうねる様に蠢いていた。
そんな水面を、じっと見つめるマリーン。何も考えないようにするためには、丁度良い光景だった。
暫くして水面がその静けさを取り戻し、水鏡となると、マリーンの顔が映し出された。
髪は濡れ、顔に張り付き、まるで幽霊のような雰囲気だったが、その髪をかき分けると、美しい女性の顔が現れた。
「これが・・・俺・・・なんだよな・・・」
自分自身をまたこの水鏡で確認すると、否が応にも自分が『女』である事を再認識させられる。
フッと再度自嘲気味の笑みを零すと、水鏡に映る顔も笑みを浮かべた。その顔にドキリとするマゼラン。
慌てて水から目を逸らすが、今の笑顔が脳裏に焼き付いて離れない。
きっとこの『記憶』は、伝承される『記憶』へと書き込まれただろうな…
そう考えると、今後の皇帝がどんな顔をするのか、そんな想像をして、今度は普通に笑ってしまった。
「…戻ろう。ここでこうしていても仕方ない」
立ち上がって踵を返し、外へと向かうマリーン。その一部始終を、ムウラはただただ無言で見つめていた。
_/_/_/_/_/Chapter.7-3_/_/_/_/_/_/
_/_/_/_/ハクゲンの書_/_/_/_/_/
「…迷った…」
あれから追手を撒き、新市街方面へ来たはいいが、地理情報を殆ど持ち合わせて無い事に今更気付く。
「あの時はクロウがいたからなぁ…でも、見張りをかわす為に遠回りもしたし…」
まさか自分の国で迷うとは思っても見なかったが、知らない以上どうしようもないと屁理屈を言って誤魔化す。
「せめてあの大通りさえ見つかればいいんだけど…」
クロウの部屋から見えた、大きな通り。仮にあの下をこの地下水道が通っているのならば、その大きさから見当もつくのだが。
「西…西はこっち…いやこっち? あれ? アレ?」
新市街の地下は旧市街のそれよりも圧倒的に広く、そして何処も似たような景色ばかりで、方向感覚すら狂わせた。
武装商船団としてあるまじき事態であったが、マリーンは気付いていない。
「マズいぞ…本格的に迷ってきた…」
ただでさえムウラとの出会いから時間が経っているというのに、この上更に無駄な時間を潰すわけにはいかない。
「…えぇい! こっちだ!!」
おもむろに走り出すマリーン。 …が、行き止まりにぶち当たり、渋々引き返す。
「うぅぅ…クロウ、助けてぇ…」
思わず弱音を吐く。マリーンは、自分が無意識に呟いた名にも気付かないほどうなだれていた。
「トホホ…ひとつ隣にでも移動するか…」
これ以上無闇に移動しても無理だと悟り、一つ一つ虱潰しに当たるしかないと考える。
途方もない作業に、とぼとぼと歩き出す。一国の主(元)が、自分の国で迷っているだなんて、誰も知るよしもなく。
先程行き止まりだった場所から一本隣の道へと入る。
「どうせまた、行き止まりなんだろうな…」
悲観的になりながらも歩を進めると、道は行き止まりだった時より長く続いていた。
「…? あれ、此処は…」
知らない場所で唯一、見覚えのある道。ここは、一度通った覚えがある。
「もしかして…!」
急に駆け出すマリーン。暫くすると、また見覚えのある八叉路に出た。
「やっぱり!」
見覚えのある場所。そう、そこはハクゲンに会いに行く際通った、大学地下にあたる場所だった。
「こ、此処からなら戻れる! やっと、帰れる…」
ほっと胸を撫で下ろす。見知った場所に辿り着いた安堵感で、先程までの意気消沈ぶりは何処へやらといったところである。
「さて、分かったところでさっさとクロウの部屋へ…」
踵を返して戻ろうとしたが…ふと、思いとどまる。
「…」
暫くその場でぐるぐる回りながら考え込んだマリーンだったが、再度八叉路へと引き返し、あの時進んだ道を行く。
クロウが指し示しておきながら別の道を進んだせいかおかげか、正しい道は印象に残っていた。
七つある道のうち一本を進むと、すぐに行き止まりに辿り着いた。そして、梯子もあの時と同じ様にそこにあった。
マリーンは梯子につかまり、上へと目指し始めた。頂点の蓋に辿り着いた所で、聞き耳を立てて様子を窺う。
「…大丈夫、かな」
そう言うとマリーンは、ゆっくりと蓋を持ち上げた。通れる程度に開けると、体を滑り込ませ、慎重に部屋へと入っていく。
「相変わらず本だらけだ…アレ?」
あの時と同じようにそこには大量の本があった…かに見えたが、明らかに減っていた。証拠として持ち出されたのだろうか。
乱雑に散らかされた本が、今のアバロンの者達が如何にハクゲンに対して猜疑心を抱いていたかが見て取れる。
「ハクゲン…!」
歯をギリリと噛み締めつつ、そっと蓋を閉じ、扉へと近づいて聞き耳を立てるも、それなりに人がいるのかざわめきが絶えなかった。
「んんん、これじゃよく聞こえな…」
そういって扉に耳を当てていると、突然、ガチャリと扉が開かれた。
「!!」
暗い、室内。鋭い視線が満遍なく送られる。
「…? 気のせいか…」
扉が再び閉じられた。マリーンは、というと…
「…はぁーッ…扉が内開きでよかった…」
気付かれないよう息を潜め、扉の裏に隠れ難を逃れていた。
「に、しても…」
視線を下に落とす。勢いよく開けられた扉を、二つの乳房が受け止めた事で怪我はなかったが…
「うぅッ、痛いというか、なんというか・・・」
変な気分になりそうなのを、息を整え落ち着かせる。『ひゃっ』と声を出してしまったし…
蝶番の隙間から、ガタイのいい男が見えた時はバレないかと気が気ではなかったが。
「オラ! 見せもんじゃねーぞ! とっとと行った行った!」
扉の向こうから、恐らく先程の男の声と思わしき怒鳴り声が聞こえてきた。
その一声に、周囲の雑踏が徐々に遠く、小さくなるのがわかる。
どうやら、ここは封鎖されているようだ。引き返すかどうか考えていると、男の声がまた聞こえてきた。
「…ちょっと位なら大丈夫か…」
その声と共に、足音が遠ざかる。理由はどうあれ、今しかないと悟り、部屋から出る。
初めて此処に来た時は、夜だった事もあり全景を確かめられなかったが…
こうして日の光に照らされた構内は、荘厳さと共にかなりの広さがある事を醸し出していた。
思わず見とれそうになったが、向こうから誰かが来るのが見え、慌ててハクゲンの部屋へと飛び込んだ。
幸い鍵は掛かっておらず、中に誰もいなかった。
ふぅと溜息をついたマリーン。が、何かを思い出して、がっくりとうなだれた。
「慎重な行動…ねぇ…」
顔に手を当て首を振る。浅はか過ぎる自分に嫌気がさしてきた。
とはいえ、運に助けられた事に感謝して、部屋を調査し始めるマリーン。
「ハクゲン…何か、残していないのか?」
一縷の望みに託し、部屋を物色する。マリーンはここに、ハクゲンの『知識』を求め態々危険を冒しやってきた。
ハクゲンが帝国軍事参謀の肩書きを持つのならば、必ずあるはずだ、今のアバロンの戦力を纏めた書物が。
その書を求め部屋を粗捜しする。が、部屋の中には相変わらず本の山が大量にあり、捜査は難航する。
「こちらはまだ手を付けられていないのは、喜ぶべき、か…」
とはいえ、この大量の本の中に目当ての本が在るかどうかはハクゲンしか知らない。
このまま闇雲に探しても埒が明かない…そう踏んで、ハクゲンが座っていた机を調査する事にした。
「うわ…」
が、机の上も、中も書類の束で埋め尽くされていた。これだけでも相当骨が折れそうだ。
「…兎に角、それらしいのを片っ端からあたってみるしかない、か…」
その言葉を機に、本格的に探し始めるマリーン。
手当たり次第書類を読み漁る。数が数だけに、流し見でドンドン片付けていく方が早かった。
「ム…」
しかし、流し読みするにしても、ハクゲンの達筆な文字のせいで遅々として進まない。
たまに出てくる図表に期待をするも、大抵は関係のないものばかりだった。
「はぁ…」
一向に見つからない、「あるかどうかすら分からない物」に振り回され、机に突っ伏すマリーン。
「もしかしてハクゲンの頭の中にしかないのか…?」
悲観的になりながら、顔を上げると、ふと、あるものが目に入った。
「…これは…」
それは、ハクゲンの着けていた仮面だった。
仮面舞踏会で着ける仮面のような形状のそれは、装飾こそ無いものの明らかにこの本だらけの空間にはそぐわない一品だった。
そのため、ハクゲンと始めて対面した時に妙だとは思っていたのだけれども…
手にとって、まじまじと見てみる。別段怪しいところは無い様に見えたが。
「うん? これ、何か張っているのか?」
目の部分をよく見ると、薄いガラスのようなものが張られていた。
「一体、何のために…? うわっ!」
仮面を顔に近づけ、目の部分を覗き込むと…視界がぼやけ、思わず顔を遠ざけた。
「こ、こんなの着けてどうするんだ? 何も見えないじゃないか…」
もう一度覗き込むが、やはり視界はぼやけるのみ。ずっと覗き込んでいると頭が痛くなりそうだったが、その時。
「ん? これは…!」
先程白紙だった書類を脇に除けていたのだが、今はその白い表面にぼんやりとだが文字が浮かび上がっていた。
「な、なるほど…この仮面を通せば見えるのか」
そこには求めていた情報が、所狭しと記述されていた。
アバロン宮殿の現状や、人員の割り振りなど、ハクゲンだからこそ得られる情報が大量に書かれていた。
その情報を頭に叩き込んでいく。来た甲斐があったと喜んでいたのだが…
黙々と読み耽っていたマリーンが、そっと仮面を机に置き、眉間に手をあてた。
「目が、痛い…」
それでも休み休み読み続けながらなんとか読み終え、書類を元の場所へと戻した。
「うぅ、まだぼんやりする…」
視点が合わない目を擦って整えようとする。
「ん…んんん…」
漸くするとぼやけた視界も直り、部屋を後にする事にした。
「ふぅ、ハクゲンはよくこんなモノ着けて暮らせているな…」
仮面は綺麗に手入れはされていたものの、相当使い込まれた。
「しかし、気になるな…親衛隊か…」
様々な情報の中で、最も気を引いたのが親衛隊の存在だった。
どうやら、クオンへの言伝は全て親衛隊を介して行われているらしく、まるでクオンの正体をひた隠しにするような部隊。
「直接対決は免れない、か」
出来る事ならば無血を貫きたいが、そうも言っていられない様だ。
「さてと、後は此処から出るだけだが…」
流石に見張りは戻ってきているだろうし、また暫く待たなければならないと考えていたが…
「ん?」
外から鐘の音が聞こえてきた。一度、二度、三度…五度鳴って、ようやく鳴り終えたようだ。
「時の鐘か? だとするともうそんな時間か…」
探し回るはずがムウラの一件やら警備との鬼ごっこで相当時間を食ってしまっていたようだ。
「早く帰らないとな、もしかしたらクロウが既に見つけて戻っているかもしれないし」
地下にはいないと分かった以上、キャットはクロウに任せるしかない。だからこそ、早く戻りたかったのだ。
建前の理由としてはそうだったが、心の奥では、純粋に『会いたい』という気持ちがあった。でも、マリーンは気付かない。
そっと扉を開け、様子を窺う。時間のせいか人はおらず、見張りもいないようだった。
一度部屋に入り直して、心を落ち着かせ素早く部屋を出る。後は、地下水道から記憶を頼りに行けば戻れる…はずだったのだが。
「あ…れ…?」
ガチャガチャとノブを回すが、開かない。地下水道入口のある部屋の扉には、鍵が掛かっていた。
「え、嘘、ちょっと」
思わずノブを手荒に動かすが、何度やっても扉は開かなかった。
思わず力を込め過ぎてしまい、ミシリと鈍い音がノブの辺りから響く。
「うわわッ!」
慌てて手を離した。細い腕からは想像できない腕力がある事をすっかり失念していた。
「ど、どうする!? 壊しちゃうか…でも、『侵入者がいました』って告げるようなものだし…」
そうこう考えていると、話し声が遠くから聞こえ、急いでハクゲンの部屋に逃げ込んだ。
息を潜めて様子を窺うと、どうやら帰宅する学生のようだ。
扉の隙間から、そっと見てみると、女性が二人、仲睦まじく歩いていくのが見えた。
会話が弾んでいるのか、こちらには全く気付いていない。
ほっと胸を撫で下ろした後、再度その女性達に目をやる。今度は服装に注視して。
「なんか、術師みたいだな…」
ローブとは少し違うものの、自分の知る限りでは術師か文官の服に似ていた。
「んー、てことは…」
ふと思い立ち、あの言葉を発する。
「『エンド』」
その言葉に呼び起こされる様に、アバロンの聖衣が姿を変えていく。
「よし、これで…」
ローブ状になった聖衣を整え、何事もなかったかのように部屋を出る。少し派手だが、彼女らの後を続けば大丈夫だろう。
「うわぁ…」
改めて大学構内を見回す。広い、広すぎる。アバロン宮殿が霞んで見える位だ…
「おいおい、何処にこんなの建てる金があったんだ…あんなに逼迫してたのに…」
まるで自分が皇帝の時は金遣いが如何に荒かったかと見せつけられている気がしてきた。
「ぐぬぬ…」
なんか悔しくなってきた。余り気に留めないように、そそくさと出口を目指す。
道中、何人かとすれ違うも、呼び止められる事はなかった。 …が、男子学生の視線が進むにつれ鋭くなっていくのを感じる。
そのうち、ヒソヒソという声もし始めた。耳を傾けずとも、自分についての内容だと分かる。
(おい、あんな娘いたっけ…?)(うわぁ、すげぇおっぱい)(何? 何処かのお嬢様?)(…何よ気取っちゃってさ!)
周囲の声に段々と居た堪れなくなり、早足で構内を駆けていく。
皇帝だった頃は国民中の視線を受けたりもしたが、それは期待と尊敬の眼差しで、自分の背中を押してくれた思いでもあった。
が、今周りから投げかけられているのは…好奇と羨望、そして…舐め回す様な、欲望の視線だった。
顔を赤らめ、早足でかける美女。余計に目立ってしまい、徐々に騒ぎになってきた。
「は、早く出口に…!」
が、学生の多くが帰路についているせいで出口に近づけば近づくほど人が多くなる。
その中を脇目も振らず走り抜ける。
「! 外だ!」
ようやく出口が見え、そのまま門から街へと出ようとした、その時。
「待てッ!」
「!」
突然の怒声に、ビクッと立ちすくむ。見れば、目の前には警備兵が立っていた。
「見かけない顔だな…学生証は!」
「え、えと、その…」
しまった…! 焦りすぎて周りが見えていなかった…!!
「どうした? 見せられないのか?」
「そ、その…へ、部屋に忘れてきてしまって…」
「忘れただと? ならば今すぐ取ってくるんだな。でなければここは通せんぞ」
「は、はい…」
ここで逆らっては更に目立つ。仕方なく、構内へと戻ろうとした時…
「…! おい、待て!」
「!」
呼び止められ、恐る恐る、見張りの方へと向きなおす。先程の兵士に、耳打ちするもう一人の兵士がいた。
「お前、ハクゲンの部屋から出てきたのか?」
「! い、いえ…そんな事は…」
見られていた!?
「それに、先程市街警備隊から報告で、地下に不審者がいるとの情報があった。その不審者の背格好に、似ているようだが」
「人違いです! 私は何も…」
「ならば、調べさせてもらうぞ。何もやましい事はないのだろう?」
じわじわと見張りの男が近づいてくる。体を調べられるわけにはいかず、最早逃げるほかなかった。
「… くッ!」
「! 待てッ!!」
近づく兵士を背に、逃げ出す。勿論、兵士は追ってきた。周りの学生が何事かと騒ぎ、こちらを見てくる。
勝手を知らない構内を、勘だけで進む。中庭を抜け、二階に上がり、誰も見ていないところで二階のベランダから裏庭へ降り立つ。
ここまで引っ掻き回せば大丈夫、そう信じて、再び出口へと進んだが…
「もう逃げられんぞ!」
「!!」
回り込まれてしまっていた。クソッ! 地の利と人数に負けたか…
「貴様、レジスタンスのものか! 言え! ハクゲンの部屋に何がある!」
「クッ…!」
じりじりと壁の隅へと追いやられる。完全に袋の鼠となってしまった。
「万事休すか…! 仕方ない…」
もう形振り構っている場合ではなかった。背中の羽に力を込め、飛び上がろうとした、その時だった。
突然兵との間に投げ込まれた球。それが弾けカと思うと、一瞬で辺りに煙がたちこめた。
「なッ、何だこれはッ!!」
濛々と立ち込める煙に、あたりは騒然となる。煙はこちらの視界も遮り、前が殆ど見えなくなった。
「早く! こっちッス!」
「だ、誰!?」
突如、頭上から呼びかける声。見ると、一人の大男が塀の上から手を伸ばしてきていた。
「さぁ、早くするッス!」
素性は知らないが、どうやら助けてくれるようだ。差し出された手を掴み、塀へと上がった。
「あ、ありがとう…」
「お礼は後でいいッス! それより早く此処から逃げるッス!」
「え、ええ」
そういうとその男は、壁を飛び降り駆け出していった。後に続き、マリーンも降りる。
「ゲホッ! げほっ! ま、待てーッ!」
壁の向こうから怒鳴り声が聞こえてきた。すぐにでも追いつきそうな声に、足を速める。
大男は、体格のわりに機敏な動きで裏路地を進んでいく。まるで自分の庭のように脇目も振らず駆け抜けている。
とはいえ、ついて行く事自体は容易だった。が、自分が今何処にいるかは全く分からない。はぐれたら最後だ。
暫く進むと、突然男が一軒の家の扉を叩いた。
「カーチャン! いるんだろ!? 開けて開けて!!」
カ、カーチャン…?