0.プロローグ
『おい、そこの腹黒女。いい加減返事しやがれっ!』
いくらこちらが呼びかけても、ネコまっしぐら、ノーリアクションまっしぐらという態度をとり続けていたセミロングの黒髪に、出るとこは出ていて、引っ込むところは引っ込んでいるという見るからにグラマラスな体躯の女性こと桜井 希依(さくらい まい)にしびれを切らせた俺は声を張り上げる。
「もう、さっきからうっさいわねー。雛鳥じゃないんだから頭の中でピーチクパーチク騒ぎ続けないでよぉ」
もう、久しぶりのシャバなんだから少しは静かにしててよね、と通称『スイッチモジュール』と呼ばれる手のひらにすっぽり収まるぐらいの大きさのユニットをぽーんぽーんとまるでお手玉のようにもてあそびながら不満の声を漏らす。
『返せ! 今すぐ俺の体、返しやがれ』
「イ・ヤ・よ」
さっきも言ったでしょう。久しぶりのシャバなんだからって。リミットギリギリまで楽しませてもらうわ。そう宣言する希依。
くっそ、あれさえなければこんなことにはならなかったのに。そう文句を言ったところで始まらない。しかも今までの経験からして、こいつがそう易々とスイッチを切るなんてこと、するはずがない。
まあ、その件に関してはひとまず置いておくとして。それより問題なのはあっちの方。
『一体どうするつもりだよ、あんな依頼、引き受けやがって』
いくら教官に頼まれたからといって、あんな仕事二つ返事で引き受けるなよ。そう指摘したところ、
「何言ってるの。あたしたちにとってハルカは大切な恩人よ。そんな人からの頼みを断るなんて真似できるわけないでしょうが」
とある研究機関で育てられ……いや、被験者として日々モルモットみたいな扱いを受けていた俺たちを救ってくれたのはハルカこと教官……じゃなかった、白石 桜佳(しらいし はるか)だった。あの日以来、俺たちは教官の家族として引き取られそこで高校を卒業。教官からは大学に行きなさいと言われたけれど無視して半年間の研修を受け、教官の仕事を手伝うという道を選び現在に至る。
「それにこのご時世、仕事があるだけでもありがたいと思わなくっちゃ」
『そりゃまあ確かにそうなんだけどさ』
でも、さすがに今回の仕事はさすがにどうかと思うんだが。
「それに関してはまあ同意してあげてもいいわ。でも……」
『でも?』
「ぶっちゃけおもしろそうだからいいかなって♪」
『やっぱりそっちが本音かっ!』
ったく。ホント、こいついい性格してやがるよ。
「いやいや、そんなに褒めなくてもいいってばぁ」
『これっぽっちも褒めてなんかいねえよっ!』
照れくさそうにしている希依に向かってすぐさまツッコミを入れる。
製薬会社の皆様、お願いです。このバカを根本から治す治療薬を開発して下さい。見事、製品化された暁にはすぐさま大人買いしますから。
1.調べてきてほしいの
事の発端はというと今から30分ほど前のこと。連絡を受け、教官の元に出頭した俺に向かって開口一番、こう言ってきた。
『ねえ葵(あおい)くん、悪いんだけど悠(ゆう)の……を調べてきてほしいの』
あまりの突拍子もない依頼内容に目を丸くする俺。悠というのは教官の妹さんのことで、あとそのえっと……俺の彼女でもあります、はい。そんな彼女の“アレ”を調べてこいというのは一体どういう了見ですか?
確かに俺の職業は主に学園内で起きているものの証拠がないため警察機構が入り込めないでいるところに潜入し、必要な情報を収集し上司である教官に報告するというものなので、その点からすればかけ離れているわけではないんだけれど、今回に限ってはちょっと(いや、かなりじゃなイカ?)方向性がズレているように思うのですが。
そもそも、その内容だったら俺なんかよりも身内である教官が直接本人に尋ねた方が早いんじゃないですかと尋ねたところ、とある事情から彼女には直前まで内緒にしておきたいとのことだった。聞かされた理由からすればまあ致し方ないかと思いますが。
まったく、希依といい教官といい、ホントお祭りごとが大好きですよね。
とはいえこれを俺が引き受けてもいいものか、かえって俺じゃない方がいいのではないか、悩んでいたところ、教官は俺の側までやってくるなり『ごめんなさいね。でもね、こんなこと頼めるの葵くんにしかいないから、そこはわかってほしいな』そう言いながらにっこり微笑むと両手で俺の手を包み込むようにぎゅっと握りしめてきた。次の瞬間、『カチッ』という音とともに手には何故かあのスイッチを押した感触が。
しまった! そう思ったときには時すでに遅し。手を広げるとそこには数字が刻印されたスイッチが。『4』ということは……。『レーダーモ○ュール』だぁー、なんて思ったそこのあなた、もしかしてヒーローもしくは戦隊ものが好きですよね?
さてと、そんなマスクでライダーなフォーゼさんネタは置いておいて。このスイッチの正体はというと、俺の中にいる『希依』という名の別人格を呼び出すためのスイッチなのである。ちなみにスイッチに刻印されている数字の日数だけ入れ替わってしまうというとってもわかりやすい新設設計になっているので、つまり今回だと4日間、俺と希依の立場が逆転してしまうということを示しているのであった。
しかも入れ替わるのは人格だけではないのがこのスイッチのすごいところ。なんと外見というか性別もガラリと変化してしまうので、つまり今現在の俺の容姿はというと、どこからどう見ても正真正銘女になっているのであった。
さてと話を元に戻すとするか。問題はどうやって悠の正確なスリーサイズを手に入れるかだよな。そうなんです、これが今回の依頼内容なんです。教官、お願いですから、こんなメッチャやりにくい仕事なんか振らないで下さい。
『ところで引き受けたからにはちゃんと公算はあるんだよな』
「うんにゃ、なーんにも」
予想通りの返事をする希依。ま、こいつのことだからそんなことだろうと思ったけどさ。
「むむ、あんた今失礼なこと思ったでしょ」
『そう思われたくなかったら今すぐプランでも出してみろ』
「ちょっと待ってなさい。今すぐ斬新なヤツ出してあげるから」
へいへい、出せるもんなら出して下さいな。ま、こいつの性格からしてそんなのすぐ出てくるわけないよな。仮に出てきたとしても、すげー安直なヤツに決まってる。こいつのことだからそうだな……例えば『服を脱がせて直接測ればいいのよ』とか言うんじゃないか。
「よし思い浮かんだわ。服を脱がせて直接測ればいいのよ」
ほれみろ。そのまんまじゃないか。
「大丈夫、公衆の面前ではやらないから」
『当たり前だっ!』
何考えてるんだよ、おまえはっ!
「それじゃあ帰宅途中を狙ってクロロフォルムを嗅がせるとか麻酔銃とかで眠らせて、その隙に……」
『犯罪まがいの行為をするんじゃねぇ』
「むむ、それならば『そこのお嬢ちゃん、いいバイトがあるんだけどやってみないかい? ほんの小一時間、写真とかビデオカメラでキミのことを撮らせてもらうだけで大金がガッポリ。ほら、お嬢ちゃんの年頃だとほしいものとかあってもお小遣いだけじゃなかなか買えないでしょ。それにさ友達とかと遊ぶにしてもね。大丈夫大丈夫、怪しいことなんて一切ないから。ほんのちょっとスカートをたくし上げたりするだけだからさ。どうだい、やってみないかい?』とか」
『おまえはどこぞのAVスカウトかっ!』
ああもう、なんか頭痛くなってきた。
「なによ、そこまで言うならあんたも何か案を出してみなさいよ」
何も思いつきもしないくせに頭の中で文句ばっかり言うんじゃないわよと逆ギレしてくる。仕方ない、気乗りはしないけど、こいつが引き受けてしまった以上俺も責任の一端を担わんとな。なにせこいつとは一心同体、切っても切り離せない関係なんだから。
『俺ならあいつの通う学園の保健室にあるPCあたりを狙う、かな」
「はあ? なにそれ? 意味わかんない」
『なあ健康診断って知ってるか?』
「あのね、いくらなんでもそれぐらい知ってる……って、ああ、なるほどそういうことね。さすがあたしの参謀、いいところに気がついたじゃない」
おいおい、俺はおまえの参謀になんかなった覚えはこれっぽちもないんだけど。
タネあかしはこう。昨日、いつものように悠とおやすみ前の電話をしていたときの話によると何でも健康診断が行われたそうで、そのとき身長・体重・視力・聴力などといった一般的な項目に加え、スリーサイズまで測るってどういうことと聞かされたというか愚痴られたというか、とにかくフォローするのがすっげー大変だったんです。牛乳さん、お願いです。少しでいいですからあいつの努力(苦手な牛乳を毎日1リットル欠かさず飲んでいる)に報いてやってもらえませんでしょうか。とにかくあいつの前では胸の話は厳禁なんデス。
「それじゃあ保健室にあるPCからデータを頂きましょうか。というわけでアオイ、さっさと制服に着替えなさい」
『いい加減、自分で着替えろ!』
俺はおまえの執事もしくはメイドになんかなった覚えはないぞ。
「あのね、何度同じことを言わせるつもり? これも訓練の一環だって言ってるでしょう」
希依曰く、万が一、自分の意識がなくなったとき、代わりに俺が女性として日常生活することを迫られたときに備え、必要最低限、女性としての心得を覚えておいた方がいいというのがこいつの持論である。
「それじゃあ、あとは任せたわよ」
『あ、おい、こら、ちょっと待てってばっ!』
それじゃあ着替えが済んだら起こしてね、そう言い残しあいつとのリンクが一時的に途絶える。
「あ、あんにゃろー。せめて下着ぐらい着けてから代われよ」
おまえのせいであいつと初めてホテルに行ったときに『なんでそんなに簡単にブラ外せるの? もしかしてさっき初めてって言ったのはウソなの?』ってすっげー気まずかったんだからな。
まあここで文句を言ったところであいつに届くわけもなく。俺は肩を落としながら仕事着……といっても制服(もちろん女子生徒用の)に着替えるため、衣装部屋へと足を向けるのであった。
2.ショータイム
「楽勝、楽勝っと♪」
ただいまの時刻、夕方5時をちょっと回ったところ。校門のところに待機していた警備員さんから学生証の提示を求められたところで、『すみませんすみません、校内に忘れたのに気づいて取りに来たんです』とおどおどとした演技をしてみせたところ、ノーチェックであっさり校内へと通してもらうことに成功したのであった。
「それにしてもメガネにおさげ髪というだけで顔パスだなんて、ここのセキュリティってダメダメよね」
『おまえが言うなお前が』
まったくもう、知っててやってるくせに何言ってるんだか。
「さてと次は養護教諭よね」
『ああ、それなら心配いらないぞ。今日明日と研修で不在だそうだから』
「えー、せっかく睡眠ガス用意しておいたのにぃ」
毎度毎度、どうしておまえはそうやって事を荒立てようとするんだよ。あれだろ、おまえの辞書には『ひっそり』とか『こっそり』とかいう言葉、絶対載ってないだろ。
「そんなことないわよ。でも……」
『でも?』
『そっちの方が断然おもしろいじゃない』
この快楽主義者めっ! 毎回毎回付き合わされる&後始末(主に始末書の作成)させられるこっちの身になってみろってんだ。そんな不毛なやりとりをしているうちに目的地である保健室へと到着。ドアを開けようと取っ手に手を掛け横にスライドさせようとしたところで、
「あら、閉まっているわよ」
『そりゃそうだ、何せ責任者がいないんだから』
そこの張り紙にもそう書いてあるだろう『ご用の方は職員室まで』って。そう指摘したところ、がさごそと鞄の中に手を突っ込みながら、
「仕方ないわね。それじゃあこのプラスチック爆弾で扉を木っ端みじんに……って、やーねー、そんなの冗談に決まっているでしょう」
だったらその手に持っている物騒なモノ(C4)をさっさと仕舞いやがれ。
「はいはい、あんたってば相変わらず冗談が通じないんだから。そもそもこの程度の鍵、ヘアピン1本あればあっという間に……おととと」
『うん? どうした?』
髪を留めていたヘアピンを外した途端、何故か体を左右にフラフラし始める。
「いや、なんかちょっと体のバランスが……」
「おまえはネコかっ!」
そのヘアピンはヒゲの役割でも担っているんかいなとツッコミを入れる。
そんな状態でも10秒とかからずドアの解錠する希依。ヘアピンを元の位置に戻したところで室内へと侵入。養護教諭が使っているであろう部屋の奥にある机へ直行したところで、
「あのさ、なんていうかさ、この学園の情報セキュリティってホント大丈夫なの?」
『現場なんてどこもこんなもんだろ』
机の上に置いてあった“2011年度健康診断情報”というラベルが貼られていたUSBキーを眺めながら二人してため息をつく。
「まあ楽に越したことはないけどね。それじゃあ、あとは任せたわよ」
『へいへい、わかってますって』
機械全般に対してあまり得意でない希依はとっとと白旗を振って俺に仕事を押しつけてきた。まあ、予想はしてたけどね。
体の制御権が戻ってきたところで早速鞄の中からPCを取り出しデータの吸い出し作業をスタートさせる。
始めてから程なくして、用心のためにと廊下に設置しておいた感知センサーからこちらに向かってくる人間がいることを告げる警告音がイヤホンから発せられる。
「……お客さんみたいだぞ」
『まったくもう、どうしてこういっつもいっつも簡単にお仕事終わらせてくれないのかしらね』
「どうする?」
『心配いらないわ。あとはあたしに任せて頂戴』
それじゃあ、ショータイムの始まりよ、そう宣言し再び俺から制御権を奪い去るや否や、すぐ側のハンガーに掛かっていた白衣を手に取り身に纏う。それからほどいていた髪を手早くお団子状にまとめ、黒縁のメガネを装着。最後にまるで力を蓄えるかのように体をぎゅっと丸めてから、
「宇宙……じゃなかった、女医さん、キター!」
大きくバンザイをしながらそう高らかに宣言する希依。それから5秒と経たず、カラカラと音を立てながらドアが開かれ、一人の男子生徒がひょいと顔を覗かせる。
「あ、あれ? 今日は不在のはずじゃ……」
「なので代理よ。それよりもその怪我どうしたの?」
「えっとその階段で転んじゃって……」
「いいわ、いらっしゃい。センセイが治療してア・ゲ・ル♪」
妖艶な笑みを浮かべながら男子生徒を手招きする希依だった。
3.オ・ト・ナの治療
「ほーら、センセイによく見せて頂戴」
「あ、はい……」
「あらやだ、こんなに大きくしちゃって」
「そ、そんなこと言われても……」
「それにしてもこの感触、いいわね。このまま触っていたいわ」
「そそ、そんな汚いですって!」
「そんなことないわ。タオルで綺麗にしたばかりなんだから。あら? もしかしてこんなこと言われたの初めて?」
「あ、はい……」
「うふふ、かわいい。それじゃあもうちょっとだけ楽しませて……」
「こらっ! そこの淫乱女っ! 校内でなんてことしようとしてるのよっ!」
バーンっと勢いよくドアが開かれる。そこにはツインテールにしたアッシュの髪をなびかせた、スレンダーな体つき(決して本人の前では胸がちょっとだけ残念とは言わないように)といった容姿の少女こと悠が竹箒片手に仁王立ちしていた。
「あらユウじゃない。ごきげんよう」
「え、あ、ごご、ごきげんよう……じゃなくって! あ、あれ?」
「少し静かにしてもらえないかしら。治療に集中できないから。どう? 痛みは引いてきたかしら?」
いがぐり頭の男子生徒の頭頂部にできたたんこぶを氷嚢で冷やしながら容態を尋ねる。
「はい、お陰様で楽になりました」
「あとは自然に治ると思うけど、場所が場所だけに数日内に目眩とか吐き気など、ちょっとでも異変を感じたらすぐ病院で検査を受けて頂戴。先生からのお願いよ」
「あ、はい。先生ありがとうございました」
「はい、お大事にね」
男子生徒が退席したところで、希依はニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべながら悠に話しかける。
「やーねー、ユウったらなにを想像していたのかしら?」
「べべ、別にエッチなことなんて想像してないもん」
「あらあら。あたしはエッチなことなんて一言も言ってないけど」
「あう」
自ら墓穴を掘ってしまったことにバツが悪そうに顔を伏せる悠。
「とはいえあの日、あなたに初めてしてもらったときのアオイの喜びようといったら……モゴモゴモゴ……って! ちょっともう、いきなりなにするのよぉ」
俺の最重要機密事項があと一歩で露見されるところでどうにか主導権を取り戻し口を塞ぐことでかろうじて情報漏洩を阻止することに成功したものの、すぐさま奪い返されることに。
「何であなたがこんなところにいるのよ」
「さあ? どうしてでしょう?」
「まさか、うちの学園でも……」
途端、表情を曇らせる悠。まあ、そう思われても致し方ないよな。俺たちがいるってことはあまり喜ばしいことじゃないんだからさ。
「それに関しては心配いらないわ。今回に関しては事件性なことは一切ないから」
まあ、これから起きることに関してはその限りじゃないかもしれないけどね、そう口にする希依。
『ま、まさかおまえっ!』
「そう、そのまさかよ」
あっさりと俺の考えを肯定する希依。この野郎、当初宣言した通り峰打ちかなんかで悠の意識を奪ったところで、服を脱がせて直接サイズを測るつもりだな。
「な、何よ。ちょっと近寄らないでよ」
「大丈夫大丈夫、痛くしないから」
身の危険を察知しすぐさま距離をとろうと後ずさりする悠と手をワキワキさせながら詰め寄る希依。くそ……、どうにかしてこいつから体の制御を奪おうと色々試してみたもののさっきとは打って変わってディフェンスが固くうまく介入できない。
「あっ!」
「うふふ。追い詰めたわよ、子猫ちゃん♪」
そうこうしているうちに壁際まで追い込まれてしまう悠。くそっ、ちっとはいうこと聞けよ俺の体っ!
「ムダムダ。このスイッチがある限りあんたに手出しどころか口出しさえ……って、あっ! しまった!」
自信満々にスイッチを見せびらかしていたところ、悠は持っていた竹箒でスイッチごと希依の手を払いのける。大きな放物線を描きながらスイッチは飛んでいきそのままコツンコツンと床へとダイブ。最終的に出入り口の方へと転がっていった。
「これさえ奪ってしまえば!」
「そんなことさせないわ!」
悠のあとに続いて一瞬タイミングが遅れた希依もスイッチへと飛び込む。
「ふー、危ない危ない」
「もうっ! あと一歩だったのにぃー」
リーチの差で悠よりも先にスイッチの回収に成功する希依。その片隅では悔しそうに床をバンバンと叩く悠の姿があった。
「ごめんね、これも仕事なの」
落ちたときなのか飛びついたときか、オフになってしまったスイッチをカチッと押し再びオンに戻す希依。
「なら仕方ないか……なーんて私が殊勝なこと言うとでも思った」
これなーんだと悠が見せびらかしてきたのはスイッチモジュールだった。
「スイッチが二つ!? 一体どういうこと!」
「こっちが本物よ。そして、あなたが持っているスイッチの正体は……」
「き、緊急停止スイッチ……かぁ……」
そのまま俺と希依の意識は突然電池の抜かれたおもちゃのようにプツリと途切れるのであった。
4.ラブパワー
「……まさか、あんな連携を仕掛けてくるなんて」
『偶然だよ、偶然』
目を覚ますなりクレームをつけてくる希依。悠が持っていた隠し球と俺が唯一動かすことができたパーツのお陰であいつに被害が及ばず済んでホントよかったよかった。
俺が唯一動かすことができたのはまぶただった。そのまぶたを閉じることで希依の視界を遮り、そのときできたほんのわずかな隙を突いて悠は持っていたスイッチをカーリングの要領で弾き飛ばし、本物とすり替えたのであった。
「まあ今回は二人の愛の力に屈したってことかしらね」
『おまえさ、そんな台詞言ってて恥ずかしくないか?』
「そう? こんなのハルカに比べればかわいいものよ。さてと、あの子もいなくなったみたいだし、こちらもやることやって撤収しましょうか」
『そうだな』
こちらとしてもいつまでもこんなところに長居するわけにはいかないからな。
「あれ?」
『うん? どうかしたか?』
首をかしげながら服の上からペタペタと胸あたりを触る希依。
「そっか、ユウもハルカから頼まれていたのか……」
『うん? 何が?』
「ううん、何でもない、何でも。ささ、とっととデータ回収してズラかるわよ」
『あ、ああ』
PCに目を向けると気を失っている間に既にデータの抽出作業が完了していたらしく軽くチェックを済ませ問題ないことを確認したところですぐさま撤収作業を開始する。後片付けが完了し最後に白衣を元の位置に戻したところで退出。鍵を掛け『お陰様で見つかりました』と警備員に挨拶して学園を後にする。途中で改ざんされていた箇所を訂正(あのね悠、いくらなんでもバストが169cmってありえないから)してから教官に報告し、任務完了と相成りました。
『そっか、ユウもハルカから頼まれていたのか……』
俺があのとき希依が感じた違和感の意味を知るのはまだまだ先のことだった。
9.エピローグ
それから2週間後。教官が赴任先であるアメリカへと旅立つ前日となった今日、教官に連れられ俺と悠はとある場所へとやってきていた。
「ど、どうして俺が……」
連れてこられたのは写真スタジオ。そこに併設された一室の壁一面に備え付けられている鏡に映る自分の姿を見て、今すぐこの場から逃げ出したい衝動に買われる。
一方、そんな俺の隣では、
「も、もう、婚期が遅れたらお姉ちゃんのせいだからね」
そう不満の声も漏らしながらもまんざらでも……いや、それどころか嬉しさのあまり頬が緩みっぱなしの悠が立っていた。
「仕方ないじゃない、あっちに行ったらそう簡単に戻ってこれないんだから」
それにしても二人ともすっごく似合っているわ、これでこそ用意した甲斐があるってものよねと満足げに語る教官。ええ、確かに悠は間違いなく似合っていると思います、はい。是非ともデータの方、よろしくお願いします。
対する俺はというと、体は希依(♀)、頭脳は俺(♂)というとってもアンバランスな状態をフルスロットルでばく進中でして、その上、口というか言葉に関しては希依のヤツも俺の意志に関係なく好き勝手に登場できるという、一人漫才(もちろんボケ担当は希依でツッコミ担当は俺)が可能な状態になっていた。
「アオイ、気分はどう♪」
「……すっげー複雑」
「そりゃそうよね」
ゲタゲタと高笑いする希依。
「でもまあ、お世辞抜きで似合っているわよ」
そもそもこんな体験、なかなか味わえるものじゃないわよ。ましてやあんたみたいな男にとってははね。そうからかってくる希依。そりゃそうだ、そもそも男性がウエディングドレスなんて普通着ないから。
しかも悠と違ってサイズを測ったわけでもないのにこのフィット感、一体どうしてなんだろうと首をひねっていると、『悠ったらあたしたちの意識が失っている隙にどうやら測っていたみたいなのよね』と教えてくれる。なるほど、あのときおまえが感じていた違和感って服というかブラの付け方だったのか。
「それにしてもさすが私の体よね。どっかの誰かさんと違って胸のボリュームが……ひゃん! もう何するのよっ!」
「あーら、ごめんあそばせ。つい手が滑って脂肪の塊に触れたみたいで」
「そうねぇ、確かにその洗濯板みたいな胸じゃ、いくらアオイに愛撫されて乳首が立っていても引っかかりようがないもんね」
「な、なんですって!」
「ふん、なによ」
睨み合う二人。あのー、すみませんが俺の体を使ってやり合うのは止めて頂けませんでしょうか。
「えいっ♪」
「わっ!」「きゃっ!」
「一度はこうして両手に花ってやってみたかったのよね」
そう言いながらタキシード服姿の教官は、俺たちの間に割って入るや否や右手で俺の、左手で悠の腕に自らの腕の絡めてきた。
「あ、そうだ。ねえねえ日本を離れる前に二人にお願いがあるんだけど」
「なんですか?」「なあにお姉ちゃん」
「両方からほっぺにチュウしてもらってもいいかしら」
思わず顔を見合わせる俺と悠。どうする? どうしよう? とアイコンタクトによる協議を重ねた結果、
「そ、それぐらいなら……」
「べ、別にいいけど……」
「二人ともありがとう」
教官の言葉に従い立ち位置を微調整。それから『3・2・1・チュッっという感じでお願いね』とタイミングを指示してくる。
「それじゃあ準備も整ったことだし。ささ、二人とも目を閉じて頂戴」
やっぱりキスするときは目を閉じるっていうお約束にちゃんと従わないとねと半ば強引に目を閉じさせてくる。
「そのまま上半身をぐっと伸ばす様な感じで。いくわよ、せーの! 3・2・1……」
言われたとおり、教官の方に向かって体全体を前のめりにさせ始める。あれ? おかしいな? そんなに離れていないはずなのに……。首をかしげながらも体を伸ばし続けていると唇の先端に何かが触れる。
「……え?」
「……あ?」
思わず驚きの声を上げる俺と悠。この感触、忘れるわけない。だってこれは……。
「誓いのキス、そのお味はいかがかしら?」
最後の最後まで……。教官の緻密な戦略にただただ脱帽する俺。
「うふふ、次に日本に戻ってくるときは二人の結婚式かしらね。葵くん、悠のことお願いね。泣かせたりしたら承知しないからね」
あ、ただしベッドの上でならいくらでも『ヒーヒー』鳴かせちゃっていいからね、とちゃんとオチも忘れない教官なのでした。
『おい、そこの腹黒女。いい加減返事しやがれっ!』
いくらこちらが呼びかけても、ネコまっしぐら、ノーリアクションまっしぐらという態度をとり続けていたセミロングの黒髪に、出るとこは出ていて、引っ込むところは引っ込んでいるという見るからにグラマラスな体躯の女性こと桜井 希依(さくらい まい)にしびれを切らせた俺は声を張り上げる。
「もう、さっきからうっさいわねー。雛鳥じゃないんだから頭の中でピーチクパーチク騒ぎ続けないでよぉ」
もう、久しぶりのシャバなんだから少しは静かにしててよね、と通称『スイッチモジュール』と呼ばれる手のひらにすっぽり収まるぐらいの大きさのユニットをぽーんぽーんとまるでお手玉のようにもてあそびながら不満の声を漏らす。
『返せ! 今すぐ俺の体、返しやがれ』
「イ・ヤ・よ」
さっきも言ったでしょう。久しぶりのシャバなんだからって。リミットギリギリまで楽しませてもらうわ。そう宣言する希依。
くっそ、あれさえなければこんなことにはならなかったのに。そう文句を言ったところで始まらない。しかも今までの経験からして、こいつがそう易々とスイッチを切るなんてこと、するはずがない。
まあ、その件に関してはひとまず置いておくとして。それより問題なのはあっちの方。
『一体どうするつもりだよ、あんな依頼、引き受けやがって』
いくら教官に頼まれたからといって、あんな仕事二つ返事で引き受けるなよ。そう指摘したところ、
「何言ってるの。あたしたちにとってハルカは大切な恩人よ。そんな人からの頼みを断るなんて真似できるわけないでしょうが」
とある研究機関で育てられ……いや、被験者として日々モルモットみたいな扱いを受けていた俺たちを救ってくれたのはハルカこと教官……じゃなかった、白石 桜佳(しらいし はるか)だった。あの日以来、俺たちは教官の家族として引き取られそこで高校を卒業。教官からは大学に行きなさいと言われたけれど無視して半年間の研修を受け、教官の仕事を手伝うという道を選び現在に至る。
「それにこのご時世、仕事があるだけでもありがたいと思わなくっちゃ」
『そりゃまあ確かにそうなんだけどさ』
でも、さすがに今回の仕事はさすがにどうかと思うんだが。
「それに関してはまあ同意してあげてもいいわ。でも……」
『でも?』
「ぶっちゃけおもしろそうだからいいかなって♪」
『やっぱりそっちが本音かっ!』
ったく。ホント、こいついい性格してやがるよ。
「いやいや、そんなに褒めなくてもいいってばぁ」
『これっぽっちも褒めてなんかいねえよっ!』
照れくさそうにしている希依に向かってすぐさまツッコミを入れる。
製薬会社の皆様、お願いです。このバカを根本から治す治療薬を開発して下さい。見事、製品化された暁にはすぐさま大人買いしますから。
1.調べてきてほしいの
事の発端はというと今から30分ほど前のこと。連絡を受け、教官の元に出頭した俺に向かって開口一番、こう言ってきた。
『ねえ葵(あおい)くん、悪いんだけど悠(ゆう)の……を調べてきてほしいの』
あまりの突拍子もない依頼内容に目を丸くする俺。悠というのは教官の妹さんのことで、あとそのえっと……俺の彼女でもあります、はい。そんな彼女の“アレ”を調べてこいというのは一体どういう了見ですか?
確かに俺の職業は主に学園内で起きているものの証拠がないため警察機構が入り込めないでいるところに潜入し、必要な情報を収集し上司である教官に報告するというものなので、その点からすればかけ離れているわけではないんだけれど、今回に限ってはちょっと(いや、かなりじゃなイカ?)方向性がズレているように思うのですが。
そもそも、その内容だったら俺なんかよりも身内である教官が直接本人に尋ねた方が早いんじゃないですかと尋ねたところ、とある事情から彼女には直前まで内緒にしておきたいとのことだった。聞かされた理由からすればまあ致し方ないかと思いますが。
まったく、希依といい教官といい、ホントお祭りごとが大好きですよね。
とはいえこれを俺が引き受けてもいいものか、かえって俺じゃない方がいいのではないか、悩んでいたところ、教官は俺の側までやってくるなり『ごめんなさいね。でもね、こんなこと頼めるの葵くんにしかいないから、そこはわかってほしいな』そう言いながらにっこり微笑むと両手で俺の手を包み込むようにぎゅっと握りしめてきた。次の瞬間、『カチッ』という音とともに手には何故かあのスイッチを押した感触が。
しまった! そう思ったときには時すでに遅し。手を広げるとそこには数字が刻印されたスイッチが。『4』ということは……。『レーダーモ○ュール』だぁー、なんて思ったそこのあなた、もしかしてヒーローもしくは戦隊ものが好きですよね?
さてと、そんなマスクでライダーなフォーゼさんネタは置いておいて。このスイッチの正体はというと、俺の中にいる『希依』という名の別人格を呼び出すためのスイッチなのである。ちなみにスイッチに刻印されている数字の日数だけ入れ替わってしまうというとってもわかりやすい新設設計になっているので、つまり今回だと4日間、俺と希依の立場が逆転してしまうということを示しているのであった。
しかも入れ替わるのは人格だけではないのがこのスイッチのすごいところ。なんと外見というか性別もガラリと変化してしまうので、つまり今現在の俺の容姿はというと、どこからどう見ても正真正銘女になっているのであった。
さてと話を元に戻すとするか。問題はどうやって悠の正確なスリーサイズを手に入れるかだよな。そうなんです、これが今回の依頼内容なんです。教官、お願いですから、こんなメッチャやりにくい仕事なんか振らないで下さい。
『ところで引き受けたからにはちゃんと公算はあるんだよな』
「うんにゃ、なーんにも」
予想通りの返事をする希依。ま、こいつのことだからそんなことだろうと思ったけどさ。
「むむ、あんた今失礼なこと思ったでしょ」
『そう思われたくなかったら今すぐプランでも出してみろ』
「ちょっと待ってなさい。今すぐ斬新なヤツ出してあげるから」
へいへい、出せるもんなら出して下さいな。ま、こいつの性格からしてそんなのすぐ出てくるわけないよな。仮に出てきたとしても、すげー安直なヤツに決まってる。こいつのことだからそうだな……例えば『服を脱がせて直接測ればいいのよ』とか言うんじゃないか。
「よし思い浮かんだわ。服を脱がせて直接測ればいいのよ」
ほれみろ。そのまんまじゃないか。
「大丈夫、公衆の面前ではやらないから」
『当たり前だっ!』
何考えてるんだよ、おまえはっ!
「それじゃあ帰宅途中を狙ってクロロフォルムを嗅がせるとか麻酔銃とかで眠らせて、その隙に……」
『犯罪まがいの行為をするんじゃねぇ』
「むむ、それならば『そこのお嬢ちゃん、いいバイトがあるんだけどやってみないかい? ほんの小一時間、写真とかビデオカメラでキミのことを撮らせてもらうだけで大金がガッポリ。ほら、お嬢ちゃんの年頃だとほしいものとかあってもお小遣いだけじゃなかなか買えないでしょ。それにさ友達とかと遊ぶにしてもね。大丈夫大丈夫、怪しいことなんて一切ないから。ほんのちょっとスカートをたくし上げたりするだけだからさ。どうだい、やってみないかい?』とか」
『おまえはどこぞのAVスカウトかっ!』
ああもう、なんか頭痛くなってきた。
「なによ、そこまで言うならあんたも何か案を出してみなさいよ」
何も思いつきもしないくせに頭の中で文句ばっかり言うんじゃないわよと逆ギレしてくる。仕方ない、気乗りはしないけど、こいつが引き受けてしまった以上俺も責任の一端を担わんとな。なにせこいつとは一心同体、切っても切り離せない関係なんだから。
『俺ならあいつの通う学園の保健室にあるPCあたりを狙う、かな」
「はあ? なにそれ? 意味わかんない」
『なあ健康診断って知ってるか?』
「あのね、いくらなんでもそれぐらい知ってる……って、ああ、なるほどそういうことね。さすがあたしの参謀、いいところに気がついたじゃない」
おいおい、俺はおまえの参謀になんかなった覚えはこれっぽちもないんだけど。
タネあかしはこう。昨日、いつものように悠とおやすみ前の電話をしていたときの話によると何でも健康診断が行われたそうで、そのとき身長・体重・視力・聴力などといった一般的な項目に加え、スリーサイズまで測るってどういうことと聞かされたというか愚痴られたというか、とにかくフォローするのがすっげー大変だったんです。牛乳さん、お願いです。少しでいいですからあいつの努力(苦手な牛乳を毎日1リットル欠かさず飲んでいる)に報いてやってもらえませんでしょうか。とにかくあいつの前では胸の話は厳禁なんデス。
「それじゃあ保健室にあるPCからデータを頂きましょうか。というわけでアオイ、さっさと制服に着替えなさい」
『いい加減、自分で着替えろ!』
俺はおまえの執事もしくはメイドになんかなった覚えはないぞ。
「あのね、何度同じことを言わせるつもり? これも訓練の一環だって言ってるでしょう」
希依曰く、万が一、自分の意識がなくなったとき、代わりに俺が女性として日常生活することを迫られたときに備え、必要最低限、女性としての心得を覚えておいた方がいいというのがこいつの持論である。
「それじゃあ、あとは任せたわよ」
『あ、おい、こら、ちょっと待てってばっ!』
それじゃあ着替えが済んだら起こしてね、そう言い残しあいつとのリンクが一時的に途絶える。
「あ、あんにゃろー。せめて下着ぐらい着けてから代われよ」
おまえのせいであいつと初めてホテルに行ったときに『なんでそんなに簡単にブラ外せるの? もしかしてさっき初めてって言ったのはウソなの?』ってすっげー気まずかったんだからな。
まあここで文句を言ったところであいつに届くわけもなく。俺は肩を落としながら仕事着……といっても制服(もちろん女子生徒用の)に着替えるため、衣装部屋へと足を向けるのであった。
2.ショータイム
「楽勝、楽勝っと♪」
ただいまの時刻、夕方5時をちょっと回ったところ。校門のところに待機していた警備員さんから学生証の提示を求められたところで、『すみませんすみません、校内に忘れたのに気づいて取りに来たんです』とおどおどとした演技をしてみせたところ、ノーチェックであっさり校内へと通してもらうことに成功したのであった。
「それにしてもメガネにおさげ髪というだけで顔パスだなんて、ここのセキュリティってダメダメよね」
『おまえが言うなお前が』
まったくもう、知っててやってるくせに何言ってるんだか。
「さてと次は養護教諭よね」
『ああ、それなら心配いらないぞ。今日明日と研修で不在だそうだから』
「えー、せっかく睡眠ガス用意しておいたのにぃ」
毎度毎度、どうしておまえはそうやって事を荒立てようとするんだよ。あれだろ、おまえの辞書には『ひっそり』とか『こっそり』とかいう言葉、絶対載ってないだろ。
「そんなことないわよ。でも……」
『でも?』
『そっちの方が断然おもしろいじゃない』
この快楽主義者めっ! 毎回毎回付き合わされる&後始末(主に始末書の作成)させられるこっちの身になってみろってんだ。そんな不毛なやりとりをしているうちに目的地である保健室へと到着。ドアを開けようと取っ手に手を掛け横にスライドさせようとしたところで、
「あら、閉まっているわよ」
『そりゃそうだ、何せ責任者がいないんだから』
そこの張り紙にもそう書いてあるだろう『ご用の方は職員室まで』って。そう指摘したところ、がさごそと鞄の中に手を突っ込みながら、
「仕方ないわね。それじゃあこのプラスチック爆弾で扉を木っ端みじんに……って、やーねー、そんなの冗談に決まっているでしょう」
だったらその手に持っている物騒なモノ(C4)をさっさと仕舞いやがれ。
「はいはい、あんたってば相変わらず冗談が通じないんだから。そもそもこの程度の鍵、ヘアピン1本あればあっという間に……おととと」
『うん? どうした?』
髪を留めていたヘアピンを外した途端、何故か体を左右にフラフラし始める。
「いや、なんかちょっと体のバランスが……」
「おまえはネコかっ!」
そのヘアピンはヒゲの役割でも担っているんかいなとツッコミを入れる。
そんな状態でも10秒とかからずドアの解錠する希依。ヘアピンを元の位置に戻したところで室内へと侵入。養護教諭が使っているであろう部屋の奥にある机へ直行したところで、
「あのさ、なんていうかさ、この学園の情報セキュリティってホント大丈夫なの?」
『現場なんてどこもこんなもんだろ』
机の上に置いてあった“2011年度健康診断情報”というラベルが貼られていたUSBキーを眺めながら二人してため息をつく。
「まあ楽に越したことはないけどね。それじゃあ、あとは任せたわよ」
『へいへい、わかってますって』
機械全般に対してあまり得意でない希依はとっとと白旗を振って俺に仕事を押しつけてきた。まあ、予想はしてたけどね。
体の制御権が戻ってきたところで早速鞄の中からPCを取り出しデータの吸い出し作業をスタートさせる。
始めてから程なくして、用心のためにと廊下に設置しておいた感知センサーからこちらに向かってくる人間がいることを告げる警告音がイヤホンから発せられる。
「……お客さんみたいだぞ」
『まったくもう、どうしてこういっつもいっつも簡単にお仕事終わらせてくれないのかしらね』
「どうする?」
『心配いらないわ。あとはあたしに任せて頂戴』
それじゃあ、ショータイムの始まりよ、そう宣言し再び俺から制御権を奪い去るや否や、すぐ側のハンガーに掛かっていた白衣を手に取り身に纏う。それからほどいていた髪を手早くお団子状にまとめ、黒縁のメガネを装着。最後にまるで力を蓄えるかのように体をぎゅっと丸めてから、
「宇宙……じゃなかった、女医さん、キター!」
大きくバンザイをしながらそう高らかに宣言する希依。それから5秒と経たず、カラカラと音を立てながらドアが開かれ、一人の男子生徒がひょいと顔を覗かせる。
「あ、あれ? 今日は不在のはずじゃ……」
「なので代理よ。それよりもその怪我どうしたの?」
「えっとその階段で転んじゃって……」
「いいわ、いらっしゃい。センセイが治療してア・ゲ・ル♪」
妖艶な笑みを浮かべながら男子生徒を手招きする希依だった。
3.オ・ト・ナの治療
「ほーら、センセイによく見せて頂戴」
「あ、はい……」
「あらやだ、こんなに大きくしちゃって」
「そ、そんなこと言われても……」
「それにしてもこの感触、いいわね。このまま触っていたいわ」
「そそ、そんな汚いですって!」
「そんなことないわ。タオルで綺麗にしたばかりなんだから。あら? もしかしてこんなこと言われたの初めて?」
「あ、はい……」
「うふふ、かわいい。それじゃあもうちょっとだけ楽しませて……」
「こらっ! そこの淫乱女っ! 校内でなんてことしようとしてるのよっ!」
バーンっと勢いよくドアが開かれる。そこにはツインテールにしたアッシュの髪をなびかせた、スレンダーな体つき(決して本人の前では胸がちょっとだけ残念とは言わないように)といった容姿の少女こと悠が竹箒片手に仁王立ちしていた。
「あらユウじゃない。ごきげんよう」
「え、あ、ごご、ごきげんよう……じゃなくって! あ、あれ?」
「少し静かにしてもらえないかしら。治療に集中できないから。どう? 痛みは引いてきたかしら?」
いがぐり頭の男子生徒の頭頂部にできたたんこぶを氷嚢で冷やしながら容態を尋ねる。
「はい、お陰様で楽になりました」
「あとは自然に治ると思うけど、場所が場所だけに数日内に目眩とか吐き気など、ちょっとでも異変を感じたらすぐ病院で検査を受けて頂戴。先生からのお願いよ」
「あ、はい。先生ありがとうございました」
「はい、お大事にね」
男子生徒が退席したところで、希依はニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべながら悠に話しかける。
「やーねー、ユウったらなにを想像していたのかしら?」
「べべ、別にエッチなことなんて想像してないもん」
「あらあら。あたしはエッチなことなんて一言も言ってないけど」
「あう」
自ら墓穴を掘ってしまったことにバツが悪そうに顔を伏せる悠。
「とはいえあの日、あなたに初めてしてもらったときのアオイの喜びようといったら……モゴモゴモゴ……って! ちょっともう、いきなりなにするのよぉ」
俺の最重要機密事項があと一歩で露見されるところでどうにか主導権を取り戻し口を塞ぐことでかろうじて情報漏洩を阻止することに成功したものの、すぐさま奪い返されることに。
「何であなたがこんなところにいるのよ」
「さあ? どうしてでしょう?」
「まさか、うちの学園でも……」
途端、表情を曇らせる悠。まあ、そう思われても致し方ないよな。俺たちがいるってことはあまり喜ばしいことじゃないんだからさ。
「それに関しては心配いらないわ。今回に関しては事件性なことは一切ないから」
まあ、これから起きることに関してはその限りじゃないかもしれないけどね、そう口にする希依。
『ま、まさかおまえっ!』
「そう、そのまさかよ」
あっさりと俺の考えを肯定する希依。この野郎、当初宣言した通り峰打ちかなんかで悠の意識を奪ったところで、服を脱がせて直接サイズを測るつもりだな。
「な、何よ。ちょっと近寄らないでよ」
「大丈夫大丈夫、痛くしないから」
身の危険を察知しすぐさま距離をとろうと後ずさりする悠と手をワキワキさせながら詰め寄る希依。くそ……、どうにかしてこいつから体の制御を奪おうと色々試してみたもののさっきとは打って変わってディフェンスが固くうまく介入できない。
「あっ!」
「うふふ。追い詰めたわよ、子猫ちゃん♪」
そうこうしているうちに壁際まで追い込まれてしまう悠。くそっ、ちっとはいうこと聞けよ俺の体っ!
「ムダムダ。このスイッチがある限りあんたに手出しどころか口出しさえ……って、あっ! しまった!」
自信満々にスイッチを見せびらかしていたところ、悠は持っていた竹箒でスイッチごと希依の手を払いのける。大きな放物線を描きながらスイッチは飛んでいきそのままコツンコツンと床へとダイブ。最終的に出入り口の方へと転がっていった。
「これさえ奪ってしまえば!」
「そんなことさせないわ!」
悠のあとに続いて一瞬タイミングが遅れた希依もスイッチへと飛び込む。
「ふー、危ない危ない」
「もうっ! あと一歩だったのにぃー」
リーチの差で悠よりも先にスイッチの回収に成功する希依。その片隅では悔しそうに床をバンバンと叩く悠の姿があった。
「ごめんね、これも仕事なの」
落ちたときなのか飛びついたときか、オフになってしまったスイッチをカチッと押し再びオンに戻す希依。
「なら仕方ないか……なーんて私が殊勝なこと言うとでも思った」
これなーんだと悠が見せびらかしてきたのはスイッチモジュールだった。
「スイッチが二つ!? 一体どういうこと!」
「こっちが本物よ。そして、あなたが持っているスイッチの正体は……」
「き、緊急停止スイッチ……かぁ……」
そのまま俺と希依の意識は突然電池の抜かれたおもちゃのようにプツリと途切れるのであった。
4.ラブパワー
「……まさか、あんな連携を仕掛けてくるなんて」
『偶然だよ、偶然』
目を覚ますなりクレームをつけてくる希依。悠が持っていた隠し球と俺が唯一動かすことができたパーツのお陰であいつに被害が及ばず済んでホントよかったよかった。
俺が唯一動かすことができたのはまぶただった。そのまぶたを閉じることで希依の視界を遮り、そのときできたほんのわずかな隙を突いて悠は持っていたスイッチをカーリングの要領で弾き飛ばし、本物とすり替えたのであった。
「まあ今回は二人の愛の力に屈したってことかしらね」
『おまえさ、そんな台詞言ってて恥ずかしくないか?』
「そう? こんなのハルカに比べればかわいいものよ。さてと、あの子もいなくなったみたいだし、こちらもやることやって撤収しましょうか」
『そうだな』
こちらとしてもいつまでもこんなところに長居するわけにはいかないからな。
「あれ?」
『うん? どうかしたか?』
首をかしげながら服の上からペタペタと胸あたりを触る希依。
「そっか、ユウもハルカから頼まれていたのか……」
『うん? 何が?』
「ううん、何でもない、何でも。ささ、とっととデータ回収してズラかるわよ」
『あ、ああ』
PCに目を向けると気を失っている間に既にデータの抽出作業が完了していたらしく軽くチェックを済ませ問題ないことを確認したところですぐさま撤収作業を開始する。後片付けが完了し最後に白衣を元の位置に戻したところで退出。鍵を掛け『お陰様で見つかりました』と警備員に挨拶して学園を後にする。途中で改ざんされていた箇所を訂正(あのね悠、いくらなんでもバストが169cmってありえないから)してから教官に報告し、任務完了と相成りました。
『そっか、ユウもハルカから頼まれていたのか……』
俺があのとき希依が感じた違和感の意味を知るのはまだまだ先のことだった。
9.エピローグ
それから2週間後。教官が赴任先であるアメリカへと旅立つ前日となった今日、教官に連れられ俺と悠はとある場所へとやってきていた。
「ど、どうして俺が……」
連れてこられたのは写真スタジオ。そこに併設された一室の壁一面に備え付けられている鏡に映る自分の姿を見て、今すぐこの場から逃げ出したい衝動に買われる。
一方、そんな俺の隣では、
「も、もう、婚期が遅れたらお姉ちゃんのせいだからね」
そう不満の声も漏らしながらもまんざらでも……いや、それどころか嬉しさのあまり頬が緩みっぱなしの悠が立っていた。
「仕方ないじゃない、あっちに行ったらそう簡単に戻ってこれないんだから」
それにしても二人ともすっごく似合っているわ、これでこそ用意した甲斐があるってものよねと満足げに語る教官。ええ、確かに悠は間違いなく似合っていると思います、はい。是非ともデータの方、よろしくお願いします。
対する俺はというと、体は希依(♀)、頭脳は俺(♂)というとってもアンバランスな状態をフルスロットルでばく進中でして、その上、口というか言葉に関しては希依のヤツも俺の意志に関係なく好き勝手に登場できるという、一人漫才(もちろんボケ担当は希依でツッコミ担当は俺)が可能な状態になっていた。
「アオイ、気分はどう♪」
「……すっげー複雑」
「そりゃそうよね」
ゲタゲタと高笑いする希依。
「でもまあ、お世辞抜きで似合っているわよ」
そもそもこんな体験、なかなか味わえるものじゃないわよ。ましてやあんたみたいな男にとってははね。そうからかってくる希依。そりゃそうだ、そもそも男性がウエディングドレスなんて普通着ないから。
しかも悠と違ってサイズを測ったわけでもないのにこのフィット感、一体どうしてなんだろうと首をひねっていると、『悠ったらあたしたちの意識が失っている隙にどうやら測っていたみたいなのよね』と教えてくれる。なるほど、あのときおまえが感じていた違和感って服というかブラの付け方だったのか。
「それにしてもさすが私の体よね。どっかの誰かさんと違って胸のボリュームが……ひゃん! もう何するのよっ!」
「あーら、ごめんあそばせ。つい手が滑って脂肪の塊に触れたみたいで」
「そうねぇ、確かにその洗濯板みたいな胸じゃ、いくらアオイに愛撫されて乳首が立っていても引っかかりようがないもんね」
「な、なんですって!」
「ふん、なによ」
睨み合う二人。あのー、すみませんが俺の体を使ってやり合うのは止めて頂けませんでしょうか。
「えいっ♪」
「わっ!」「きゃっ!」
「一度はこうして両手に花ってやってみたかったのよね」
そう言いながらタキシード服姿の教官は、俺たちの間に割って入るや否や右手で俺の、左手で悠の腕に自らの腕の絡めてきた。
「あ、そうだ。ねえねえ日本を離れる前に二人にお願いがあるんだけど」
「なんですか?」「なあにお姉ちゃん」
「両方からほっぺにチュウしてもらってもいいかしら」
思わず顔を見合わせる俺と悠。どうする? どうしよう? とアイコンタクトによる協議を重ねた結果、
「そ、それぐらいなら……」
「べ、別にいいけど……」
「二人ともありがとう」
教官の言葉に従い立ち位置を微調整。それから『3・2・1・チュッっという感じでお願いね』とタイミングを指示してくる。
「それじゃあ準備も整ったことだし。ささ、二人とも目を閉じて頂戴」
やっぱりキスするときは目を閉じるっていうお約束にちゃんと従わないとねと半ば強引に目を閉じさせてくる。
「そのまま上半身をぐっと伸ばす様な感じで。いくわよ、せーの! 3・2・1……」
言われたとおり、教官の方に向かって体全体を前のめりにさせ始める。あれ? おかしいな? そんなに離れていないはずなのに……。首をかしげながらも体を伸ばし続けていると唇の先端に何かが触れる。
「……え?」
「……あ?」
思わず驚きの声を上げる俺と悠。この感触、忘れるわけない。だってこれは……。
「誓いのキス、そのお味はいかがかしら?」
最後の最後まで……。教官の緻密な戦略にただただ脱帽する俺。
「うふふ、次に日本に戻ってくるときは二人の結婚式かしらね。葵くん、悠のことお願いね。泣かせたりしたら承知しないからね」
あ、ただしベッドの上でならいくらでも『ヒーヒー』鳴かせちゃっていいからね、とちゃんとオチも忘れない教官なのでした。