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端島にて

2012/03/11 20:56:53
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風が吹いた。
目の前の階段に、彼女の姿が見えた気がした。



彼女のことは昔から知っていた。そう。「彼女」が「彼」だった頃から。

家が近所だったこと、彼の父親と私の父親が同じ部署にいたこともあって、彼の家にはよく遊びに行った。「日光が当たる部屋に住めれば上流階級」と言われたこの島で、私の家も彼の家も日の当たる上層階にあった。私たちの父親は二人とも当時まだ珍しかった大卒で、しかもこの島の大部分を占める「鉱員」ではない、「職員」様であった。
彼の父親は本好きで、彼の家にはとにかく本がいっぱいあった。遊びに行っても、いつも二人で本を読んでいた。狭い島の中で子供が遊べる場所は限られていたし、二人ともそこを占拠するガキ大将の言うことを聞いたり、走り回ったりするよりも、家で過ごす方が好みだった。

お互い一人っ子だったが、私は彼を兄だと思っていたし、彼も私を弟だと思っていたと思う。お互い、「きーくん」「としくん」と呼び合っていた。時には彼が私の部屋に来て遊ぶこともあったが、やはり本を読んだり、当時まだ島でも珍しかったTVを見たりしていた。

「それ」が起こったのは、彼が中学に上がり、私もそろそろ中学入学の準備を始める頃だった。
もっとも、島に一つしかない学校には同じ建物に小学校と中学校が併設されていたから、「中学に上がる」といっても制服を着るくらいの違いだったけれども。

ある日、いつものように学校から帰ってきて彼の家で二人で本を読んでいた。
マンガに夢中になっていた私がふと顔を上げて見ると、彼の様子がおかしい。開いた本の上に顔を突っ伏している。
「きーくん、どうしたの?」
返事がない。
身体をゆすってみても、「うーん」といううめき声がするだけだ。
額からは脂汗が出ている。

慌てて彼の母親を呼んだ。
そこからは大騒ぎだった。なにしろこの島には救急車もエレベーターもなく、階段しか移動手段がない上に、男達は昼間は炭坑の奥にいるから、近所のおばさんたち数人がかりで学校の横にある病院に担ぎ込まれた。
病院で診察の結果、彼はそのまま本土の病院に入院してしまった。お見舞いに行きたかったけれど、「珍しい病気で、専門の先生がいる遠くの病院に入院したからダメ」と母親に言われた。


彼がいなくなっても日常は流れていった。彼の家で本を読めなくなったことが残念だった。彼の母親は「いつでも来てね」と言ってくれたが、さすがに彼がいないのに上がり込んでマンガを読むのは気が引けた。

中学に入った私は、気まぐれで野球部に入った。
彼がいなくなって放課後暇だったし、ちょっとは男らしく身体を鍛えたいとも思った。しかし、そもそも野球部と言っても、本気で打ったらすぐボールが海に落ちてしまうような狭い校庭で、お遊び程度の部活だったが。



ある日、部活を終えて家に帰ると、彼の母親が来ていた。私の母と世間話をして笑っている。
「あ、こんち…」
そういって彼の母親に挨拶して自分の部屋に引っ込もうとしたとき、その横に女の子がいるのに気がついた。とびきりの美少女が。
「…………」
固まった。
その女の子がこっちを見てほほえんでいる。
それだけで完全に思考が停止した。女の子の口が開く。
「こんにちは」
その声には聞き覚えがあった。
「中学になっても声変わりしない」と悩んでいた、「彼」の声だ。

「もう……忘れちゃった?」
恥ずかしそうな顔でそういう彼女。それは明らかに「彼」だった。
「も、もしかして……きーく……きよひこ……さん?」
「うん。やっぱりとしくんはわかってくれたね」
そういって恥ずかしそうに、でもにっこりと笑った彼女の顔を、私はまぶしくて見られなかった。

私の母が口を出す。
「きよこちゃんね、女の子だったんだって」
「女の子?」
「そう。それでしばらく入院してたけど、退院して来週からまた学校行くっていうから、アンタまた仲良くしてあげなさいね」
「え゛……」
「長く休んでたから、アンタと同学年になるらしいよ」
うちの学校は1学年1クラスしかない。つまり、同学年=クラスメートということだ。

その後の会話は覚えていない。気がついたら自分の部屋にいた。
「きーくんが女だったなんて…」
頭の中はさっきの美少女でいっぱいだった。短めだけど女の子らしく整えられた髪の毛、ブラウスとスカート、声を出さなかったら「彼」だとは気づかなかっただろう。その日は混乱する頭を抱えたまま眠りについた。


翌週の月曜日。
目覚まし時計に叩き起こされて、寝間着のまま茶の間に行く。
そこには制服を着た女の子がいた。
「…………!」
「おはよう」
「な……なんで、きーくんがここに?」
「久しぶりの学校だから、一緒に行こうと思って。これからは同級生だし」
「ほら早く朝ご飯食べて支度しなさいよ。きよこちゃん待ってるじゃない」
「……………」
彼女は、私が無言で朝食を食べている間も、如才なく私の母と会話していた。
「彼」は、学年が違う私にも噂が聞こえるくらいの秀才だったことを思い出す。
女同士の会話を学習するのも早い、ということか。

自分の部屋に戻って着替える。部活のユニフォームが入ったスポーツバッグとかばんを持って準備完了。
茶の間に戻ると……まだ彼女はいた。
「じゃあ、としくん。行こっか」
体中にむず痒さが走った。
「何鼻の下伸ばしてんの。はいこれお弁当」
母の弁当を鞄に入れて玄関へ急ぐ。
「じゃあ、おばさま、行ってきまーす」
彼女の声に満面の笑みを浮かべる母。
「やっぱり女の子はいいわねー」

彼女と一緒に階段を下りる。
見知った顔の小学生・中学生がチラチラこっちを見る。出勤途中の大人もジロジロこっちを見る。同じ棟の住民なんて親戚みたいなものだ。その中に、知らない顔があれば誰だって不審に思う。
「やっぱり、おかしいかな。お母さんは大丈夫って言ってくれたんだけど」
彼女が言う。
「い、いや、そんなことないよ」
それしか言えない。
実際、みんながチラチラジロジロこっちを見るのは、知らない顔だからだけではなくて、こんな僻地の孤島にはあり得ないほどの美少女だから、だったろう。
鉄筋コンクリートの建物の間の、すれ違うのもやっとの幅しかない「道」を縫うように歩いて、私たちは学校についた。歩いている間、彼女から漂ってくる香りに、自制心を保つのが精一杯だった。
「じゃあ、私は職員室に挨拶してくるね」
彼女を見送って、私は教室へと急いだ。

当時、鉄筋コンクリート7階建ての学校は日本でも珍しい存在だった。その5階にある中学1年生の教室まで、階段を上る。
クラスメートとは挨拶はするが、それほど親密な会話をすることはない。この島のように狭く閉塞的な世界では、親の「階級」が直接子供の世界にも影響することは、小学校のうちにいやというほど思い知った。
今にして思えば、私と彼が小さい頃本を読んで過ごすことが多かったことにも、そのあたりの事情が少なからず影響していただろう。私の母も、炭坑の奥底に潜って真っ黒になって働いている「鉱員」の子供と遊ぶことにいい顔をしなかった。おそらくはそういう家の子供たちも、私や彼のような「お坊ちゃん」と遊ぶことは願い下げだったろう。

そんなことを考えていると、担任の教師がやってきた。
「今日は新しいお友達を紹介します」
そう紹介されて「彼女」が入ってきた。顔が真っ赤なのは、やはり恥ずかしいんだろう。
「あ、あの……丸橋キヨコ、です。ご存知の方もいると思いますが、しばらくの間入院していました。これから、仲良くしてください」
ところどころ声が裏返りながらも自己紹介をした彼女に、なんとなくクラスは冷ややかだった。
担任の教師は、その空気を読んでか読まずか、「じゃあ、門野の前が空いてるから、とりあえずそこに座ってくれ」と言い出す。
確かに私の前の席は前の学期の終わりに転出した女子だったので空いていた。
「よろしくね!」
私は何も言えなかった。

その日の授業中、私はまともに前が見られなかった。
何しろ、前を見ればそこには彼女の背中がある。そして、夏服の薄い生地からはブラジャーの線が透けて見えていた。無意識のうちに思わず目が釘付けになりそうになり、誰かがそれを見ていないかキョロキョロしてしまう。
結局、ずっと外を見るふりをするしかなかった。


「ねえ、としくん、一緒に帰ろうか?」
そう彼女が言っても、冷やかす生徒はいなかった。
女子は好奇の目で見ていたし、男子もやっかみ半分、反感半分で見ていることは痛いほど感じた。それでも、正面からからかったり、冷やかす生徒はいなかった。それはやはり、「職員」の子供である私たちに対する遠慮のせいだったろうか。
「ごめん。今日は部活があるから」
「あ、そうなんだ。野球頑張ってるんだってね」
「頑張ってるってほどでもないけど」
「じゃあ、先に帰ってるね」
かばんを抱えて出て行く彼女の後ろ姿を見送った。と同時に、クラスのあちこちでざわめきが聞こえた気がした。

部室でユニフォームに着替えて校庭に出る。狭い校庭は各部活の生徒でいっぱいだった。校庭を使って守備や打撃の練習ができるのは週に12回だけ、あとは他の部活が校庭を使っている周りでキャッチボールと走り込みくらいしかできない練習内容で強くなれるはずもなく、野球部はいつも1回戦負けだった。もっとも、サッカー部や他の部活も同じようなものだったが。

その日もグラウンドを使えず、地獄段でランニングすることになった。
「ゴールは頂上の神社!ビリの奴は全員にチェリオおごりな!」
キャプテンがそう言うと、全員が走り出した。
校庭を出て地獄段にさしかかる。
「あ!」
我先に走っていく一団とすれちがった女の子がいた。
彼女だった。

先頭の部員をよけようとしたとき、彼女が手に持っていた文庫本のしおりが飛んだ。同時にスカートがめくれて下着が丸見えになる。それなのに彼女はスカートには全然頓着せず、飛んだしおりを捕まえることに夢中だった。



思わず走るのを忘れて見とれてしまった私に、彼女はこう言った。
「走らなくていいの?」

我に返った私は走り出した。しかし、島で一番長い階段とはいえ、たかが知れた距離。しかも1年生でひよわな私は追いつくことができなかった。結局、部活が終わった帰りに生協の売店で全員にチェリオをおごることになった。ついでに「女のパンツ見てんじゃねーよ」と冷やかされた。


家に帰ると、彼女がいた。制服を着たまま、私の母と楽しそうに話をしていた。
「おじゃましてるよ」
そう言って屈託なく笑う彼女がまぶしくて、でもそうも言えなかった。
「何しに来たんだよ」
「何しにって……。久しぶりに遊びに来たんだけど。」
「どうして急に」
「今日はごめんね。私が邪魔しちゃったから」
「いや、関係ねえよ」
「でもビリになっちゃったんでしょ?」
「関係ねえったら!」
「こら!きよこちゃんに向かって、なんて口の利き方してんの!」
「そーよー。学年は一緒になったけど、私の方がお姉ちゃんなんだからね」
「なんでそんな女みたいなしゃべり方してるんだよ!」

その瞬間、彼女の表情が変わった。
みるみるうちにその大きな目から涙がこぼれた。
「ごめん…ね……」
絞り出すようにそういうと、下を向いてしまった。
「なんてこというの!早く謝りなさい!」
母の声も聞かず、私は自分の部屋に入ると鍵を閉めた。
ノドに熱した鉛を流し込まれたような、何とも言えない気分になる。


ノックの音がした。
「としくん……いいかな?」
「きーくん?」
「うん。そうだよ。『きーくん』だ」
部屋の鍵を開ける。
そこにはやはり、あの美少女がいた。
「入るよ」
顔と不似合いなしゃべり方で、有無を言わせない表情で彼女が部屋に入る。彼女は私の机の上の戦艦大和のプラモデルをちらっと見た。それは、「彼」と一緒に作ったものだった。

「ごめんな…やっぱり迷惑だよな…」
「きーくん」のしゃべり方で話す美少女を見ていると、まるで映画の吹き替えを見ているような不思議な気分になる。
「迷惑なんかじゃ…」
「いや、わかってる。迷惑だとは思ったけど、どうしても戻ってきたかった。としくんにさよならも言ってなかったし、ね」
「こんな風になって、父さんも母さんも、島を出て転校しなさいって言ったんだ。でも、としくんとあのまま離ればなれになるのは嫌だった」
「…」
「気持ち悪いかもしれないけど、『女の子だ』って言われたときに、最初に『としくんに会いたい』って思った。だから戻ってきたんだ」
「でも、迷惑ならもう来ない。学校でも話しかけない。だから…」
「せめて、クラスメートとしてそばにいさせて…」
目を伏せる彼女。何か言わなきゃ。彼女に近づく。

「なーんてね」
彼女が顔を上げた。
「冗談だよ」
笑う。
「冗談だって?」
さらに近づく。
「そうだよー」
彼女の両肩をつかんで揺さぶる。
「冗談なら、なんでこんな女物の服なんか着てるんだよ!」
「だってしょうがないだろ。女の子なんだから」
「そんな、『きーくんは女の子でした』なんて急に言われても、納得できないよ!」
「納得できないのは僕も同じだけどね。でも、身体が女なんだからしょうがない」
「そんな、嘘なんだろ?からかってるんだろ?」
「からかってなんかいないよ。…………見てみる?」

制服のブラウスのボタンを外し始めた彼女から目が離せず、制止することもできなかった。
「ほら、ちゃんとおっぱいあるでしょ?小さいけど」
母親以外の女性のブラジャーを直接見るのは初めてだった。
「小さいからいらないって言ってるんだけど、母さんが女の子なんだからちゃんとしろってうるさくて」
確かに小さい。でも、男の胸とは形が違う。しっかりとした2つのふくらみがあった。息をするのも忘れて見とれていた。

「ちんちんは……どうなってるの……?」
「あ、うん。取っちゃったよ」
「え?」
「もともとちんちんじゃなかったらしいんだけどね。入院した時に手術で取って、女の子と同じ形にしたんだ」
「取っちゃったって……そんな簡単に……」
「簡単じゃないけど、女の子なんだからしょうがないって言われてさ」
「でも、おしっこの飛ばしっこもしたよね」
「懐かしいね」
「あれは……何だったの……?」
「あれは間違ってできたハリボテだったんだってさ。とにかく、今はもうないよ」
「じゃあ、見せてよ」
言ってからしまったと思った。

「…………いいよ」
しばらくの沈黙のあと、彼女はスカートをまくってパンツを見せてくれた。男のブリーフと形は似ているけど、前あきがないパンツ。さっき階段でお尻の方は見たけど、前を見るのは初めてだ。
「どう?女の子でしょ?」
のどがカラカラで、声が出なかった。

「これでわかったでしょ。もう私は女の子なんだから。そのつもりでつき合ってね」
「…………え?」
「つき合ってって言っても、そういう意味じゃないよ」
「そそそ、そうだよね」
「まず、呼び方から変えてくれないかな」
「でも、きーくんはきーくんでしょ?」
「それはそうだけど、知らない人が聞いたら変に思うでしょ?」
「じゃあなんて呼べばいいの?」
「今はきよこって名乗ってるから、きよこちゃん、でいいんじゃないかな」
「お姉さんなんでしょ?ちゃんはおかしいよ」
「いいの。同級生なんだから。きよこちゃんで」
「だいたいそんな、女を名前で呼んだらまたなんか言われるって」
「学校では丸橋さんでいいよ。二人のときだけ、きよこちゃん、って呼んで」
「わかったよ。きよこ…さん」
「なんか他人行儀だね。まあいいや。よろしくね、としくん」




そんなことがあってからも、彼女とは昔通りの幼馴染みのような関係が続いた。朝、学校に一緒に行くくらいで、冷やかされるのが嫌で手をつなぐこともなかった。放課後も私は部活が忙しく、一緒に帰ることも少なかった。
休日に2人で遊びに行くような場所も限られていたし、中学生の男女が島の唯一の映画館に一緒に行けば、翌日には学校だけではなく島中の噂になっていただろう。せいぜい、昔のようにお互いの部屋で本を読んだり勉強する程度だった。母親の目もある中で、男女としての仲も進展することはなかった。



「としくんは、高校どうするの?」
この島では中学を出てすぐ炭坑で働き始める人も多かった。しかし、父親が大卒だったこともあり、私たちは高校に行くことを当然のことと考えていた。
「父さんはここから隣の島の高校へ通うんじゃなくて、一人暮らしをしてでも本土のレベルが高い高校へ行けっていうんだけど」
「そっか」
「きよこさんは?」
「私もそうしたいけどね。ほら、女の子だからそこまでしなくてもいいか、って」
そう言って笑う彼女の笑顔は、どこか寂しそうだった。
当時すでに女子の高校進学は普通のことになっていたが、花嫁修業のため高卒資格を取るといった程度の考えが一般的で、女の子が名門校を目指すのは珍しかったし、女子の大学進学率も低かった。
「きよこさんの方が俺より成績いいのに」
「でもしょうがないよ。うちのお父さん古いし」
「だいたい、『女の子だから』っておかしいよ。元々は…」
「元々は、何?」
彼女の笑顔がひきつっていた。
私たち二人の間では「元男」は禁句だった。「元男じゃなくて、元々女で男に間違えられてただけって何回いったらわかるの?」と何度も怒られていた。
「……元々は、本土の高校に行こうと思ってたんでしょ?」
「そうだけど、ね。ふーん。としくんはやっぱり本土の高校に行くんだ…」


「なんだってーー?」
「だから、しばらくの間、きよこちゃんと一緒に、本土で二人で暮らしながら学校に通いなさい」
「ちょっと待てよなんで俺がいないところで決まってるの?だいたい、きよこさんがOKしないだろそんなこと」
「大丈夫よ。本人の希望なんだから」
「本人って、きよこさんの?」
「そうよ。向こうのご両親に『私も本土の高校へ行って、としあきと一緒に暮らしながら通う』って言い出して、最後まで渋ってたお父さんを、あの子とお母さんの二人がかりで説得したらしいわよ」
「そんな…それに、高校の方で却下だろそんな話」
「それがそうでもないらしいわよ。この辺は島が多いから、何人かで共同生活してる生徒はいるんだって。そういうところも全部調べてたわあの子」
「それが男と女だと問題あるだろ!」
「あらあんた、きよこちゃんを女の子として見てるの?」
「うぐ…」
「とにかく、二人で一緒に暮らせば、うちも丸橋さんのところも家計も助かるし。お父さんも本土で別な仕事を探す話があるから、それまでの間だけ、ね」
「そうなのか…」
この島の景気が悪くなっていることはうすうす感じていた。学校でも、学期が変わるごとに同級生が減っていたし、商店街もシャッターが閉まったままの店が増えていた。夜中に両親がときどき、真剣な話をしていることも知っていた。
しかし、それが自分たちに影響を及ぼすとは思っていなかった。


「こんにちは」
「あら、としあきくん。珍しいわね」
「きよこさんいますか?」
「いるわよ。例の話?きよこー!としあきくんよー!」
きよこさんは当時流行りのパンタロンを穿いていた。階段の多いこの島ではもともと女性でもスカート姿は少なく、おばちゃんはモンペのような格好の人も多かったが、さすがにそれは彼女の美意識が許さなかったのだろう。
「いらっしゃい。上がってく?」
「うん」
「どうぞ」

「おばさんから聞いた?」
「聞いたよ……っていうか無茶なことするね」
「いいじゃない。考えたけど、これが一番いいと思うんだよね」
「別に一緒に暮らさなくても……」
「ごめんね。でも、うち、実は結構苦しいんだ」
「え……?」
「お父さんが、私が本土の高校に行くのに反対していたのは本当。でも、それは女の子だからというより、お金の問題が大きかったみたい」
「そうなの?」
「うん。私の入院とか、珍しい症状だから有名な先生にかかったりする紹介料とか謝礼とか、かなりお金が掛かっちゃったんだって。だから、
としくんと一緒に暮らせば、かなり助かるの」
「でも…………きよこさんはそれでいいの?」
「いいって?」
「俺なんかと一緒に暮らして」
「いいに決まってるじゃない。としくんだよ」
「どういう意味?」
「こういう意味」
きよこさんが顔を近づけてきた。俺の肩に手を回してくる。さらに顔が、というか唇が近づいてくる。え、ええええ?

……長い時間がたったような気がしたが、実際には1分もなかっただろうか。
「こういう意味、だよ」
「どうして…」
「言ったでしょ。この島に戻ってきたのは、としくんに会いたかったから」
「それは、弟みたいな幼馴染みとして、でしょ」
「ううん。そうじゃなかった。『お前は女の子だ』って言われた時に最初はびっくりしたけど、落ち着いたらちょっと嬉しい気持ちにもなった。だって、これでずっととしくんと一緒にいられるかもしれない、って思ったから」
「きよこ……さん……」
「あれ、どうしたんだろ私。なんで涙が出るのかな」
きよこさんの肩をつかむ。いつのまにか華奢になった肩。両手でつかんだら壊れそうな感じがした。引き寄せるときよこさんは目をつぶった。唇を近づける。

「ありがとう…」
相変わらず彼女の目からは涙がこぼれている。
「なんでお礼を言うの?」
「だって、絶対気持ち悪がられると思ったから。こんな、元男の…」
「ストップ。『元男って言うな』って言ったの、きよこさんでしょ」
「でも、元男の私なんて嫌でしょ?だから二人きりになっても、としくんって全然…」
彼女の口をむりやりふさぐ。今度はさっきより長く。

彼女はうつむいて私の胸に額をつけた。
「背、伸びたね」
「うん」
「1年生のころはほとんど変わらなかったのに」
「そうだっけ」
「それに、たくましくなった」
「3年間、走るだけは走ったからな」
「さっき、肩をつかまれた時に感じたんだ。『ああ、やっぱりとしくんは男の子で、私は女の子なんだ』って」
「きよこさん…」
「でも、今は、それがすごくうれしい」
私は彼女の背中に手を回すと、その細い身体を抱きしめた。
彼女が顔を上げて目をつぶる。何回目かのキス。さっきまで無我夢中で気が付かなかったが、彼女の柔らかい胸が当たっている。それを意識してしまったら、自然に別な反応も起きてしまった。

「固くなってるね」
「ご、ごめん」
「いいよ。うれしい」
彼女の手が私の股間をさする
「私みたいな元男の子の幼馴染みでも、ちゃんと反応するんだ」
「だって…」
「ねえ、セックスって知ってる?」
「本では読んだことあるけど…」
「してみようか」
「だって、おばさんいるんでしょ?」
「お母さんなら、買い物に行くって言ってたから1時間くらいは戻らないよ」
「でも……」
「私も脱ぐから。それとも見たくない?」
見たくないわけがない。部室に誰かが持ってきたエロ本では塗りつぶされていた部分。それが見られると思うと、心拍数が上がる気がした。

お互いに後ろを向いて服を脱ぐ。衣擦れの音がする。
「いいよ…。こっち向いて……」
振り向くと、そこには一糸まとわぬ姿の彼女がいた。
胸や股間を隠すこともなく、気をつけの姿勢でこちらを向いている。
「どう?ちゃんと女の子……でしょ?」
「き……きれいだ……」
「ありがとう」
お互いに近づく。抱き合う。また柔らかい胸が当たる。今度は、先にある突起の部分が感じられた。
「触ってもいい?」
「いいよ…」
決して大きいとは言えないないものの、2年前に見たときよりは確実に大きくなっている胸をゆっくりと揉む。

彼女の手が私のものを触る。
「大きいね。本当にこんなのが入るのかな」
「自分だって持ってたでしょ」
「だってあれはハリボテだったから、こんなに大きくなることはなかったし」
「そうなの?」
彼女の手がさするように動いた。と、次の瞬間、あまりの気持ちよさに私は果てていた。
「わっ」
「ご、ごめん」
「いいってば。男の子のって、こんな匂いがするんだね」

彼女は机の上のちり紙を23枚取ると、自分の身体に飛び散ったものを拭き取った。その姿を見た私はすっかり復活していた。
「じゃあ、これ、つけて」
「これって……、まさか」
「まさかって、大切なことだよ。私ちゃんとメンスあるんだから。赤ちゃんできたら困るでしょ」
「そうじゃなくて、どうしたの、これ」
「お母さんがくれたの。『覚悟ができてるんなら止めないけど、ちゃんと責任は持ちなさい』って。こんなに早く使うことになるとは思わなかったけど」
「どうやって使うの?」
「かぶせるみたいだよ。私がやってあげる。こうかな」
「いてて。毛を巻き込まないでよ」
「ごめんごめん。痛いんだ。じゃあ、巻き込まないように注意して、と」
彼女の手の動きに、さらに興奮が高まる。
「これでよし、と。じゃあ、いいよ」

彼女がベッドに横たわる。
「見ても……いい……?」
何も言わずにうなずく彼女も、緊張しているのが伝わってくる。両足を広げると、そこにはちょっと複雑な形をした割れ目があった。
「どう…?おかしくない…?」
「って聞かれても……。他の女の人のは見たことがないし」
「そうだよね……」
指で触ってみる。
「ひゃん!」
「あ、だめだった?」
「だめじゃないけど、急だったから。それに、デリケートだからもっとやさしく触って」
「じゃあ、ゆっくり触るね」
「うん…」
おそるおそる触ってみるとやわらかい。それにじとっとしている。
「あ…」
ゆっくり、なぞるように触っていると、さらに湿り気が増してくる。
「濡れてる…」
「言わないで…」
「いくよ?」
彼女は顔を手で覆ったままうなずいた。エロ本にあったように、彼女の脚の間に身体を入れる。
「もうちょっと下…」
「どうしてわかるの?」
「女の子はわかるの!」
「ここ?」
「そう。そのまま…」
分け入って進んでいくと、コツン、と当たる感じがした。
「ここが一番奥かな?」
「まだ、もっと、ちゃんと進んできて」
「わかった」
「うっ、ぐううう」
抵抗があった部分を乗り越えると、彼女が背中に手を回してきた。
「もう一度、キス、して」
彼女の口をふさぐ。つらそうな顔をしている
「痛い?」
「痛いけど…うれしい」
そう言われた瞬間、私も限界を迎えた。

「ありがとう」
「どうしてそんなにお礼を言うの?」
「だって、幼馴染みの元…うぷっ」
また口をふさいだ。
「しつこいな。そんなことないって、今証明したつもりだけどな」


「ただいまー」
彼女の母親が帰ってきた声がした。まるでタイミングを見計らっていたかのように。
「ちょっと、としくん早く服着て」
私たちはあわてて服を身につけた。彼女は服の上からエプロンをつけると、部屋を出る時にこう言った。
「今日は、うちで晩ご飯食べてね」
「…?」
「私、お母さんにお料理習ってるんだ」
「なんで?」
「もう、としくんと一緒に暮らすためだよ!」
「えっ?」
「ちょっと待っててね」

そう言われても落ち着かない。
彼女の部屋は何度か来たが、入院する前、彼女が「彼」だった頃からあまり変わらない。シンプルな部屋に、「彼」だった頃に持っていた雑誌やゴム動力の模型飛行機が、いまだに机に置かれていた。ハンガーにかかっている女子の制服だけがこの部屋の主が女の子であることを主張しているようで、アンバランスな感じがする。それも落ち着かない理由の一つだった。

「できたよー」
エプロン姿で呼びに来た彼女を見て、その下にある、さっきまで抱きしめていた身体をつい想像してしまう。その日の夕食は肉じゃがだった。生野菜が高価なこの島では、どこの家庭でも定番のメニューである。
「どう、おいしい?」
屈託なく笑う彼女に「うん」としか返事ができなかった。



その後、私と彼女は無事に本土の高校に合格して一緒に暮らすことになった。
教師の間で、男女で暮らしている生徒がいることについて問題視する声が上がったこともあったらしいが、両親も認めていることや、彼女の圧倒的な成績もあって、いつしかそういう目もなくなっていた。また、同級生にも最初から隠すことなく「親戚みたいなものだから」と話していたこともあり、多少話題にはなったものの、いつしか皆「そういう二人」として私たちのことを暖かく見守ってくれるようになった。

高校を卒業して、私が大学、彼女が短大に進んでも二人暮らしは続いた。
高校の教師は成績優秀な彼女に四年制大学に進むことを勧めたのだが、彼女は「早く就職してお父さんとお母さんに楽をさせてあげないと。それに私、女の子ですから」と短大を選んだ。

その頃には私たちの父親も別の仕事を見つけて「本土」に住むようになっていたが、親の職場と学校が離れていたこともあって、しばらくは二人で暮らし続けることになった。



私たちが大学に在学中に、炭坑が閉鎖されて島自体も無人島になるというニュースが伝わってきた。そのニュースを聞いた彼女は、「閉鎖される前にもう一度島に行きたい」と言い出した。

数年ぶりに上陸した島は、何もかもがちっぽけに感じた。地獄段もやたらと短かかった。頂上の神社の境内で「ここでおしっこ飛ばしっこしたよね」と彼女に言った。怒られるかと思ったが、あの頃の口調で「そうだね」と返事が来た。
彼女を見た。久しぶりに「彼」を感じさせる横顔だった。その目は神社から見渡せる島の光景を目に焼き付けるかのように、じっと見つめていた。

しばらくして振り向いたとき、彼女はいつもの「彼女」に戻っていた。
「じゃあ、行こうか、としくん」
「あ…うん」
「なあに、私の顔になんかついてる?」
「そうじゃないよ…ごめん」
「いいよ。変な顔してたよね」
「いや、変な顔というか、昔を思い出した」
「昔って、私が男の子だった頃の?」
「うん」
「そうかもね。今、思い出してたから」
「そうなの?」
「もうここには戻ってこられないと思うと、あの頃の私にもう戻れないんだってことを、改めて感じちゃって。何となく、心のどこかで、この島に戻ってくればいつかは男の子の自分に戻れるような気がしてた。そう思うことで、今までうまく女の子を『演じる』ことができたんだと思う」
「きよこ…」
「でも、やっとさよならできた。この島にも、男の子だった自分にも……」
彼女はうつむいて私の胸に額をつけた。
私は、彼女の震える細い肩を抱いて、落ち着くのを待った。



成績優秀な彼女が私より一足先に短大を卒業して就職した先は、地元の大手企業だった。私もなんとか大学を卒業して、それなりの会社にもぐりこむことができたが、職場が離れていたので、別々に暮らすようになった。
それでも、週末には彼女がご飯を作りに来てくれた。「大変だろうからいいよ」と言ったのだが、「としくんは放っておいたらインスタントラーメンしか食べないで身体を壊しそうだから」と言って毎週来てくれた。

私が就職して3年後に結婚した。
「結婚しよう」と言ったときの彼女の返事は「ありがとう」だった。
そして、子供が出来たとわかった時、「ちゃんとできるか不安だった」と泣きじゃくる彼女を、一晩中抱きしめていたことを思い出す。

彼女の最期の言葉も「ありがとう」だった。
子供達も独立し、また二人に戻ってすぐ、病気で長くないことを医者に告げられた。本人には隠していたが、おそらくわかっていたと思う。私と子供たちが見守る中、彼女は静かに息を引き取った。



彼女の唯一の心残りは、「島に戻りたい」だった。
「島への立ち入りが解禁になり、定期観光便が復活した」というニュースを聞いたとき、私はすぐに予約を入れた。そして、私は帰ってきた。この時のために残しておいた、彼女の遺灰を持って。

「帰ってきたよ。きよこ……いや、きーくん」
地面を掘って、遺灰を埋める。
風が吹いて、灰の一部を吹き飛ばした。
その時、目の前の地獄段に、彼女の姿が見えた気がした。
あの日の、しおりをつかまえようとしている姿が。
そして、この島が「生きて」いた頃のざわめきが聞こえた気がした。

風がやんだ。
地獄段をもう一度見る。
しかし、そこにあるのはやはり、無人の階段だけだった。

舞台になっている島のモデルは軍艦島(端島、長崎県長崎市)です。
確か旧支援所でこのイラストがアップされていたのを見て、まずラストシーンから思いついたお話です。このイラストを見て一瞬で「軍艦島だ」とわかった私も大概ですね。
時代背景は昭和40年頃を想定しています。出てくる道具立てや言葉、男女観が古いのもそのためです。本来は会話を九州弁にした方が『青春の門』的な臨場感が出たのでしょうが、私が九州弁がわからないので標準語になってしまいました。
蛇足ながら、写真やイラストが地獄段のすぐ下からのアングルなので「目の前」と表現しています。しかし、現在の軍艦島観光ではここまで近寄ることはできません。
132番目の素数
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23.100きよひこ
おお、図書館まとめありがとうございます。
こういうノスタルジックな感じの好きなんですよ。
41.100AC獣
・・・・・こちらのサイトは、『旧版』とでもいうのでしょうか、その時代からかなりの永い年月を観ていますが、
こうしたノスタルジーに溢れ、文学的、いえ、文学そのものと言える高い文章構成の作品は初めてです。
基本的に、と言っていいかわかりませんが基本TSモノはどうしてもライトノベル系統の書き方になりやすいので、
こうした文学として書けるのが、ただただ凄いとしか言いようがありません。