第七夜
「じゃあ、お母さんちょっと出かけてくるからね」
扉越しに聞こえてきた声に、腫れ物を扱うような気配を感じて、双葉は返事をすることができなかった。
朝の時間はとっくに終わり、もう昼間際だったが、双葉は未だベッドにもぐり込んだまま、目を開けることすらできなかった。
母は少しの間こちらの返事を待っていたようだが、諦めて立ち去っていった。階下で物音が少しして、扉に鍵をかける音を最後に、静寂が訪れる。
このまま寝続けていたら昨日の――いや、ここ数日の出来事が全て夢であったことになればいいのに。
そんな幼い現実逃避をしてしまうほど、双葉は追いつめられていた。
目を開けるのが怖い。起き上がるのが怖い。今日という日が始まるのが怖い。
自分が今度は、どんな風に変わってしまったのかを知るのが、怖い。
(本当に……感じているのは恐怖だけ?)
聞こえてきた声に、びくっと、身体が震えた。
瞑られた暗闇の中に、人影が見えた。それは。
(あんなに悦んでいたのに?)
裸の自分だった。いやらしい笑みを浮かべて、闇の中から見下ろしてきている。
(気持ちよかったでしょう?)
何か言い返さなければ。自分が変わるのを止めたいのならば。
(もう一度。何度だって。味わうことができるのよ。あなたが望めば――)
しかし、何も言い返せないまま、光が視界に差し込んできた。
(――私がオレを受け入れれば)
光に満たされ、影が消える――消滅したのではない。心の奥底に沈んだのだ。
◆◇◆◇◆
鼻歌を――もう十年も前に流行った曲を――歌いながら、双葉は制服を脱いでいた。一晩ベッドの中で明かした制服はしわまみれだ。
それを、無造作に投げ捨てる。後で母に言えば、なんとかしてくれるだろう。
双葉が今いるのは風呂場だった。
昨日は風呂に入らなかったのだが、今の双葉にはそれは特に気にならない。そんなことのために風呂に入るのではない。それよりもやりたいことがあった。
風呂場に入った双葉は、少し前に進むと、適当な位置で立ち止まり、仁王立ちになった。
両手を下の口にあてがい、割れ目を開ける。
「んっ……」
じょぼじょぼと、小水が風呂場の床に落ちる音が響く。
その光景の一部始終を、食い入るように双葉は見つめ、つぶやいた。
「はぁ……さいっこう」
体を拭いた双葉は、バスタオルを巻いただけの姿で家の中を歩き回っていた。寒さは感じない――風呂場で、たっぷり暖まったからだろう。
冷蔵庫の中にあった朝食――昼食になってしまったが――を平らげ、テレビを見て一休みすると、流石に悪寒を感じた。
何か着なければ。そう思い双葉が漁ったタンスは母親のものだ。
母の下着を乱雑に広げては適当に丸めて押し込むことを繰り返し、時々自分の体にあてがってみるが、どれもサイズが合わなかった。
双葉はため息をつきながらタンスをしまった。
「ガキっぽすぎるんだよなぁ……」
自分の身体を見下ろしてつぶやく。ついでに胸に触る。柔らかい。柔らかい、が――薄い。
(ま、でも女には変わりないし。母さんを見た限りは、まだ成長の余地はあるよな)
両親の寝室を後にして、双葉は自室へと戻っていった。
「――お見舞いだなんて、悪いわねぇ。由紀ちゃん」
「いえ。あの、双葉の具合はどうなんですか?」
玄関の呼び鈴が聞こえたので、そっと階段から様子を伺ってみると、由紀が来ているようだ。
母は、先程帰ってきた。顔を合わせたら、何を言われるか分からなかった(面倒だった)ので、双葉はまた部屋とじ込もっていたのだが。
「そんな、大げさなことじゃないのよ。ただちょっと、ここ何日か様子がおかしかったから休ませただけなの。大事にならないようにね」
嘘だ。
母が昨日のことで相当参っているのは、馬鹿でも気づくだろう。昨日のようなことを外でやられては困るから、休むことも簡単に許してくれた。
それに、母はいい医者が見つかればすぐにでも双葉を連れて行くつもりらしい。そういった医者について知り合いに電話で相談しているのを、双葉は盗み聞きしていた。
どうやら、昨夜の激しい夫婦会議の結果、おかしいのは双葉だということになったようだ。
そして、医者に見せるまでは、双葉を外に出さず誰にも合わせないつもりらしい――母は由紀を帰らそうとしていた。
(そうはいくもんか)
「あ、由紀!」
大げさに母が肩を震わせ、ゆっくりと後ろを振り向く。こちらの元気な姿を見て安堵の表情を浮かべている由紀とは、対照的な顔しているのが少しおかしかった。
「双葉!良かったぁ、ほんと元気そうで」
「うん、もう大丈夫。明日は学校いけるよ」
目を一層見開いてこちらを見る母。その顔にはこう書いてあった――なにを言っているの?
そんな母を全く無視して、双葉は由紀と話し続けた。
「ね、上がってきなよ。ちょうど退屈してたとこなんだ」
「え、でも……」
ちらっと母を見る由紀。視線に気づいた母は、とっさに表情取り繕った。
「双葉、もしそれでまた具合が悪くなったらどうするの?由紀ちゃんにも悪いでしょ」
母はこちらをたしなめるように言ってきたが――そうはいくものか。
「ちょっとだけなら大丈夫よ、ね?」
ね、のところで、少し目つきを変える。昨日間近で見た母には分かるだろう。今の顔が、どういう意味の顔なのか。
「じ、じゃあ……少し、だけよ……?」
少し後ずさりしながら、母は了承した。
「ありがと。行こ、由紀」
「う、うん。失礼します」
事情を知らない由紀は、いつもと少し違う雰囲気に、疑問符を浮かべていた。
由紀を先に自室に入らせ、双葉は扉に鍵をかけた。中からなら開けようと思えば開けられるが、時間稼ぎにはなるはずだ。
座布団を渡して由紀を座らせ、双葉はいつもよりも心なしか近めで横に座った。しかし、由紀は気づいていないようだ。
「そういえば、歩は?」
「来たがってたんだけど、ちょっと先生に捕まっちゃってね……」
「ああ、前回点数悪かったもんね」
じっと、由紀の顔だけを見つめて話す。これも、由紀は気づかない。
今日学校であったことから話は始まり、どんどん明後日の方向に話は進んでいった。
双葉は専ら聞き役に回った。相づちを打ちながら、少しずつ由紀との距離を狭めていく。
話し始めて数十分が経っただろうか。由紀がようやく疑問を口にした。
「……近くない?」
既に二人は、ぴったりといっていいほど密着していた。近くないかどうかどころか、近すぎる。
「私ね、好きな人ができたの」
由紀の疑問は無視して、彼女の顔を覗き見ながら告げる。
「……だれ?」
おおよそ見当はついているのかもしれない。由紀の表情は渋かった。
双葉はにやりとした笑みを浮かべ、それを見た由紀が後ろに状態を逸らそうとするのを追いかけた。
そこを倒れまいと由紀が身体を止めさせたので、当然二人は激突した。唇同士が。
実際は、そんな激しくぶつかったのではない。痛みは全くない。だが、口づけは激しかった。
離れようとする由紀の頭と肩に手をやり、こちらに引っ張る。体勢悪いせいだろう、由紀はされるがままだ。
やっと双葉が顔を離す頃には、由紀は口内まで蹂躙された後だった。
荒い息をする可愛い由紀の表情を見つめていると、またむらむらとした欲望が湧いてくる。
双葉はもう一度キスをしようとしたが、今度は手に阻まれてできなかった。
「私!そんなの――」
「私も無理だって思ってた。昨日までは。でも、案外気持ちいいかもよ」
双葉自身、まだ試していないが、断言できる気がした。
「いっ!や!」
乾いた音が耳に響き、頬に熱を感じる。叩かれたらしい。
こちらが呆けているうちに、由紀は立ち上がっていた。
痛みが残る左頬を手で抑え、双葉は立ち上がらずに由紀を見つめていた。
未だ肩で息をしながら、きっぱりと由紀が告げた。
「……そんな、乱暴な気持ちには応えられない……帰る」
由紀はすぐに部屋を出ていったが、双葉は追いかけなかった。呟く。
「でも、君はオレのものになる運命なんだよ」
「由紀……由紀ぃ」
由紀とのツーショット。それを舐めまわしながら双葉は達した。ぐったりと裸の体をベッドに投げ出し、荒い息をする。
そのままでは本気で身体を壊しかねないため、気だるい手足を動かして寝間着に着替え、ベッドに再び潜り込むと、睡魔はすぐに訪れた。
眠りに落ちる一瞬前。呟く。
「……運命なんだよ」
◆◇◆◇◆
授業が終わり、放課後。下校途中に、双葉は由紀ともう一人――歩とファストフード店に来ていた。
しばらくは、担任の生え際が後退してきただの、体育の教師がむかつくだの、他愛のない話に花を咲かせていたが、歩が思い出したように話題を変えた。おもむろに携帯電話を取り出し――
「主殿、すべて準備が整いましてございます」
その言葉は、双葉――そして『彼』の後ろから響いた。
『彼』が後ろを見やると、そこには全身薄汚い布に包まれた、背の低い何者かが立っていた。
(本当に、何者なんだろうな?)
問えば、その者は答えるだろう。しかし、自分に理解できる自信が『彼』にはなかった。
『彼』は後ろを向いたが、双葉は未だ前を向いて、止まっている。彼女だけではない。由紀も、歩も――すべてが止まっている。
「そうか。では手筈通りに」
「かしこまりました」
その者はそれで事足りた。だが、踵を返すわけでもなく突っ立っている。
なんとはなしに見続けていると、心なしかそれの――なんというか――影のようなものが薄まっていく。
もうすぐ消えようという直前。消え始めから終わりまでも一瞬と呼べるほどの時間だったが。その者が呟いた。
「もう、それで三周目では?」
見つめられて気まずかったのだろうか?そんな感情がその者に存在すること自体、ありえないと思っていたが。
とにかく、疑問の答えを聞く間もなくその者は消えた。
「何度見てもいいもんじゃないか。花も恥じらう女の子の一生なんて」
だがその答えを聞くことができたとしても、その者には理解できなかっただろう。
――そして、儀式の夜
その日の朝、目覚めた双葉は前日までと同じように違和感を感じたが、それは前日までとはまるで違うものだった。
もはや当たり前のように感じ始めていたものがない、という違和感――つまりは、
「夢を……見なかった?」
毎朝感じていた不安感と不快感がない。頭はすっきりとし、意識ははっきりとしている。
自分は自分だ、という自信がある。意識を浸食する異物の存在などまるで感じない。
ベッドから、鏡を見る。
そこには当たり前の自分、都合双葉がいる。違和感はない。
次に、部屋を見渡す。
間違いなく、自分の部屋だ。十六年間のほとんどをここで寝起きした。部屋にあるすべてのものに思い出があり、思い出せる。
最後に双葉は、自分の身体を見下ろした。
ぺたぺたと触れて回れば、当然の感覚が返ってくる。
さらに試しに、襟元を引っ張り中をのぞき込んでみた。しかしそこを見ても、成長の遅さを嘆くため息しか浮かばない。
「治っ……た……?」
治癒という言葉が、はたして適切なのかはわからないが――正常な自分に戻ったのは間違いない。
「治った!?」
(でもなぁ……)
治った。確かに治った。しかし、それで万々歳というわけにもいかない。
(ここ数日私がやったことは……なくなるわけじゃないわけだし……)
いくつか思い出しただけでも、頭が痛くなる。
(例えば――)
ちらっと、自分と同じく朝食についている母のほうを見ると、ちょうどこちらを盗み見ていた母と目があった。
「な、なに?双葉」
「ん、ううん。なんでもない」
会話がなくなると、先ほどまであった気まずさがまた戻り、少しすると母の視線が再び注がれている気配がする。
例えば、これだ。
しばらくはこの気まずさを家で味わうことになるのは間違いない。
(そんなのは……嫌だ)
意を決して母に話しかける。
「あの……ママ!」
「な、なに?」
大げさに驚く母。しかし双葉はめげなかった。
「……ごめんなさい!最近の私、ちょっとおかしかった……」
「双葉……」
思案している顔だ。こちらを見ている母は、悩んでいる。
(信じて、ママ)
それだけを伝えたくて。
「でも……もうほんとに!大丈夫、だから」
涙があふれてくる。とめどない涙が。それを拭うこともせず、双葉は訴えた。
「だから……信じて……」
静寂が、耳に痛い。信じてもらえただろうか。もし、信じてもらえなかったら――
「双葉」
呼ばれて、顔をあげると。笑顔の母がいた。
「わかったわ」
でも、その目尻にしずくが見えた。
◆◇◆◇◆
例えば、これだ――離れていく由紀の後ろ姿を見て、双葉は思った。
朝から何度も――本当に何度も、双葉は由紀に話しかけようとしたが、そのたびに彼女は取り合ってくれなかった。
これでは謝ることもできない。許してもらうことや、信じてもらうことなど、夢のまた夢だ。
唯一の救いは、
「ほんとに、どうしたの?ゆっちゃんはわけ話してくれないし……」
どうやら由紀が歩には話していないということだ。
休み時間、由紀に話しかけようとして無視された双葉のもとへ、歩がやってきた。
「わけも言わないで、双葉ちゃんに近づくなって言うのよ。こんなの初めて」
だからといって、双葉からわけを言う気にはなれなかった。下手をすれば、親友を一度に失うことになる。
「私が悪いの……全部……」
仕方のないことだと思う。それだけのことを自分はしたのだと。
歩はそれから少し悩んでいたが。
「じゃあ、双葉ちゃんは仲直りしたいんだよね?」
「うん……」
「なら、わたしも協力する!やっぱり、三人一緒がいいから」
「ありがとう……」
それは、心からの言葉だった。
◆◇◆◇◆
だが結局、由紀とは話をすることもできずに放課後を迎えた。
双葉は、まさしくとぼとぼといった体で帰り道を歩いていた。
(あきらめちゃ、ダメだ。休みが明けたら今度こそ……)
どこをどう歩いたのかまるで覚えていなかったが、気がつくとシナノヤマ神社の近くだった。
この界隈は林が多く人通りも少ないため、なるべく近づかないようにと、この辺りの子供は教えられる。
もちろん双葉もそう親に言われてきたし、なんとなく不気味なので自分から積極的に近づきたい場所でもない。
「……双葉」
神社へと続く、狭い参道の入り口の前を通った時だった。突如としてその呼び声が、頭上から聞こえたのは。
恐怖に身が竦む。シナノヤマ神社には今は神主はおらず、たまに管理人が掃除に来るくらいで、見事に荒れ果てているらしい。
だから本当に、近寄るものなど誰もいないはずなのだ。
ゆっくりと、錆びたネジを回すように頭を横に向け、さらにゆっくりと目線を上にあげていく。見えたのは――
(――うちの制服?)
双葉が通う高校の制服。女子の。さらに上へと目を向けると、
「……由紀っ!?」
無表情でこちらを見下ろす由紀の顔があった。
こちらがいぶかしんでいると、由紀は何も言わずに参道を駆け上がっていった。
「ちょ、待って!」
追いかけながら、双葉は考えていた。今の由紀は明らかに様子がおかしい。まるで感情がないようだった――そのせいで、一瞬由紀だと認識するのが遅れてしまうほどに。
参道はそれほど長く続いているわけではない。ほどなく社が見えてきた。
坂道を登りきり、一息つきたくなる気持ちを抑えて境内を見回すが、誰もいない。
林の中に隠れたのだとしたらお手上げだが、社の扉が半開きになっているのが見えた。
その、あからさまに入ってこいという雰囲気は怪しさ満点だが、入るしかない。
「由紀!いるのぉ!?」
不安感を吹き飛ばすように叫びながら社に近づいていく。だが、反応はない。
ついに社にたどり着き、少し開いている扉をまた少しだけ開けて中をのぞき込んでみたが。
「由紀ぃ……?」
中のあまりの暗さに、声は尻すぼみになった。
ふと、疑問が浮かぶ。中には、まるで光が射し込んでいない。真っ暗だ。だが、まったく手入れされていないはずなのに、隙間一つない?
中がよく見えるように、さらに扉を開こうとして――双葉は後ろから拘束された。
女だ。男の無骨な感触ではない。
双葉が叫び声をあげようとする口は、相手に押さえられた。布のようなもので。
必死に抵抗する中で、社の中が見えた。そこには大きな鏡がある。
その鏡に、口元に布をあてられ、もはや弱々しい抵抗しかできない自分と、自分を押さえつけている、先ほどと同じ無表情の由紀の姿を確認したのを最後に、双葉の意識は猛烈な眠気に押し流されていった。
◆◇◆◇◆
双葉は今、自分が目を開けているのか、閉じているのか――いやそもそも、目が覚めているのか、夢の中なのかすら、分からなかった。
それほど深い闇の中に双葉の身は沈んでいた。
(これが、いつも見てる夢なのかな……)
いや――双葉は否定した。
今の自分はとても安らかで、最近感じていた不安などはまるでない。闇は自分を安堵させる。
幼い頃からそうだった――彼は、厳しい父に叱られるたびに暗い物置に逃げ込んでいたものだ。
(……なに?)
脳裏に浮かんだ、まるで覚えのない記憶に、双葉は怪訝な表情を浮かべた。彼女には、父に叱られて物置に隠れたことはおろか、娘に甘い父には、怒られた記憶すらあまりなかった。
では、今のは――
(なんなの?)
双葉が思い悩んでいると、急に一筋の光が入り込んできた。扉から、ひとりの男をともなって。
「目が覚めたようだね」
光は淡く、どうやら月光のようだ。何時間自分が寝ていたのかは知らないが、さすがに丸一日以上ではないだろう。
そして男。男の顔には見覚えがあった。
「先週の……人?」
その言葉を聞いて、男は少し驚くような顔をした。
「あれ、覚えていたのか。というか、それしか思い出せない?」
自分でも、覚えていたことは意外だった。だが、それ以外?
確かに、それだけは済まない何かが、男を見ていると自分の意識をくすぐる。しかし。
男はじろじろとこちらを見て、思案するような仕草を見せながら、双葉が今いる場所――おそらく自分が気を失った社の中に入ってきた。
双葉は思わず後ずさりしようとして気づいた。自分の身が自由なことに。
そして、男ははっきり言ってあまり力が強いようには見えない。背は高いが、痩せていて、自分にも押し倒せそうだ。ならば。
「う……あ、あ゙あぁぁぁああああああ!!」
いちかばちか、双葉は男に向かって突進した。
大声をあげ、相手が怯んだすきに横をすり抜ける作戦だったが、望んだ効果は得られなかった。
しかし、面白がるような表情を浮かべた男にはこちらを止める気はないようだ。あっさり彼の横を通り過ぎ、扉をくぐろうとして―― 双葉は壁にぶち当たり、後頭部を床に痛打した。
したたかに顔面を打ちつけたものの正体を見極めようと、前後両方の頭の痛みをこらえながら上体を起こすが、目の前の空間にはなにもない。ガラスがあるような不自然さもない。
訝る。だがその双葉の目の端に、ちらつくものがあった。光だ。ちょうど壁があったと思われる真下の床が光を放っている。
まるで、線を描いているような光の軌跡。それはいつの間にか、双葉の足下にも走っていた。
「結界は発動しているな。つまり完全に思い出せていないか、思い出さないようにしてるだけか」
納得するような男の声が真後ろから聞こえて、そのあまりの近さに、双葉は驚いて振り向いた。そこには男の両目があり、視線がかち合う。
うずくまるようにして双葉と顔の高さをあわせたその男が、顔をさらに突き出してきたが、座り込んで上半身をひねっている双葉は、避けることもできずに男の口付けを受けた。
そして、光が部屋を満たした。
◆◇◆◇◆
「――頼む!僕と結婚を前提に――」
「あはは。悪いけど、お兄ちゃんとはそんな関係じゃないじゃん?」
声が聞こえる。自分と、少女の声。
「なら、これからそういう関係を築いていけば――」
「はぁ、わかんない?嫌だっつってんの」
少女の声は次第に遠ざかっていく。
「待って、待ってくれ!」
◆◇◆◇◆
「待って!」
自分があげた大声に驚いて、双葉は目を覚ました。気を失っていたのは、どのくらいだろうか。
薄ぼんやりとしか視界に、社の床が見えた。自分はうつぶせに倒れている。
(今のが……)
「……いつも見ていた夢?」
覚えているのは、いや思い出すのは、それだけではなかった。ずっと見続けてきた夢の内容が、意識がはっきりするとともに湧き上がってくる。
「うっ!わ・あ・あ・あ゙・あ゙――」
その内容のあまりの酷さと頭痛で、頭が割れそうになる。
「思い出した?」
痛む頭に、冷水をかけられたような気がした。聞こえてきた声を、双葉はよく知っている。前の自分ならば耳を疑ったかもしれない。
顔をあげるとそこには――
「お前は……」
「まだわからない?」
双葉は首を振った。否定するために。
「返せ!その身体は!俺のだ!」
腕を組み、にやりとした笑みを浮かべる自分を睨みつけて、双葉は怒声を響かせた。
よく聞いてみれば、今発したその声は双葉のものではない。もっと低い。
立ち上がれば、いつも双葉が見ていた景色とはまるで違う。
そして、股間からあり得ない存在を感じる。
「そうね。まだ」
「まだも糞もあるか。これから先もずっとその身体は俺のだ」
「なら、何もしなければいい。この魔法陣の効果も、思い出せるでしょ?」
「ああ」
双葉は、それで自分との会話を切り上げその場に腰を下ろした。
言われるまでもなく、なにもするつもりはない。当然、会話もだ。
相手はそんな双葉の様子に、やれやれといった感じで近くにあった椅子に腰を下ろした。
その魔法陣の効果は、思い出すまでもなく知っていた。精神交換の魔法だ。
かつて、自暴自棄になり、打ちひしがれていた自分の前に現れた老婆がくれたのが、魔法書だった。
その数々の魔法が記された本の中で、『彼』が心惹かれたのが、精神を司る類のものだった。
しかし、それは高位の魔法らしく、付け焼き刃の術者に手を出せる代物ではないという。
それでも彼は研究に研究を重ねた。
魔法陣ならば、精神力を余計に必要とする呪文よりも容易い。さらに制限をかけることで、必要魔力を減らす。
こうして、高位の魔法使いなら呪文一つで可能となる精神交換を、彼にも使えるものにすることができた。
(付け加えた制限は……時間と範囲、回数)
この魔法陣が効果を発揮できるのは一晩だけ。さらに、魔法陣の上から出ることはできない。そして、一度交換した組み合わせでは、魔法が完了すると二度と使うことができない。
つまり、朝までこのままなら元に戻れて、二度とこの魔法に煩わされることはなくなる。
(だが問題は、ある条件を満たせば、入れ替わりが永遠のものになる)
その条件は簡単なものだった。合意の上の性交である。
和姦なのだから、当然強姦では不可だ。表面的な暗示や、精神支配も認められない。下手をしたら、ペナルティを受けることになる。
だから、自分が拒否し続ければいい。
(拒否することが……我慢することができれば、な)
そのために、わざわざ時間をかけてまで、双葉の精神を自分の記憶で汚染した。
(持ってくれよ、俺の――ううん、私の理性)
正直、自分の――清彦の理性は期待できない。しかも、今は男の身体だ。肉欲に抗しきれる自信はない。
鍵は、自分に残された弱々しい双葉であるという自覚。
覚悟を決めて、ちょうど真正面にいる女を睨みつける。だが、
「ぶっ!お、おい!スカートの中見えてるぞ!」
相手の霰もない格好に、思わず吹き出してしまった。
しかし、彼女はあわてた様子もなく、しれっと言ってきた。微笑みながら。
「見せてるの」
ここで怒鳴っても意味はない。仕方なく相手から視線を外す。少々では済まない不安を抱えて。
(ほんと持ってくれよ……どっちのでもいいから、俺の理性)
既に、股間が首をもたげようとしていた。
目を閉じて耳を塞いでも、目の前に居る女の存在は消えない。
女?そう、女だ。元は自分であった存在が、他人のようにしか思えない。
その女とセックスをしたら、自分は一生元には戻れない。だから、してはいけない――そのことが逆に、セックスという単語を自分に意識させている。
今、自分は二つの心を持っている。未だ経験したことのない性交を身近に感じ、恐れている女の心。そして、もう一つ。
その片方から、双葉と同世代の少女を陵辱する記憶が、先ほどからセックスという単語を意識するたびに、ちくちくと意識を刺激していた。
(ほんとにレイプ魔だったんだ……最低)
その最低の相手に、自分の心は汚された。
その男がしたことを許せないと思う自分と、少女を犯す光景に興奮し、その身の上を思えば仕方ないと思っている自分がいる。
そんなこと、双葉は思うわけがない。そう思うのは汚されたからだ。最低な男が、今や自分の心の一部なのだ。
(いっそ寝てしまおうか……)
起きていても、鬱々としたことしか浮かばない。しかし、眠気はまるで起きなかった。
目をつむり、体育座りをして顔を伏せているが、そのことが逆に視覚以外の感覚を鋭敏にさせている。
聞きたくもない相手の息づかいや、嗅ぎたくもない女の匂いが、自分の男を刺激する。
その、普段よりもよく聞こえる聴覚が、何かが床に落ちる軽い物音を拾いあてた。
身が震える。物音を立てるのは、自分を除けば相手しかいない。
見てはいけない。音から想像がつく。あれは布が落ちた物音だった。おそらく、服を脱いだのだろう。
だから、見てはいけない。
しかし、目を開ければあるであろう女の裸に刺激され、男の記憶が勝手に女体を検索し、ピックアップする。
男が犯した少女たちの裸体。次々と写し出されていく。しかし、泣き叫ぶ表情ばかりだった画像に、別種のものが混じりだしたことに、双葉は気づいた。
検索されたのは、男の記憶からだけではなかったのだ。
勝手に双葉の記憶にまで土足で踏み入れて、画像を引っ張り出してくる。その中には、当然今眼前にあると思われる、自分の裸体も存在した。
むくっと、ずっと半勃ちになっていたペニスがさらに起き上がろうとする。
(駄目だ駄目だダメだダメダメダメだめだめだめだめだめ――)
耳を塞ぐ。自分を律しなければ。
必死に耐える双葉の頬がいきなり抑えられ、引っ張られた。瞬間、唇に熱い感触。
目を開けると自分の顔が間近にあった。目がさらに見開く。双葉は相手が舌を入れてくるのもかまわず、突き飛ばした。体育座りをしていたため、後ろに身体が倒れる。
「なによ。そんなに大きくしてるのに」
顔をあげると、不敵な笑顔を浮かべた下着姿の自分が、足を振り上げているところだった。
「あぐっ!」
下ろされた足は、見事に股間を捉え、鈍痛が双葉を襲った。
痛みに身悶えし、再び頭が地面に落下する。しばらくは起きあがれそうもない。
『双葉』はそんなことはおかまいなしに、双葉の股間から足をどけると、勝手にはいていたジーンズを脱がしてきた。
トランクスまで下ろされ、露わになった男性器。初めて実際に見たはずのそれは、見慣れた形をしていた。
(わけ……わかんない……)
自分の感覚が双葉のものか、清彦のものか、もう区別がつかなかった。違和感も感じない。
ぼーっとちんこを見ていたら、いきなり足が添えられた。今度は優しい。
足から視線を上げると、嗜虐心の固まりのような『双葉』の笑顔があった。
ぞっとする恐怖の中で、ほんの少しだけ浮かんでいる期待は、どっちのものなのだろう。
そんなものは、すぐにどうでもよくなった。『双葉』が足を動かしたからだ。
「あっ、 あっ、あっ、あっ」
嫌でも声が漏れる。もどかしい感覚。こんな不自由な快感ではイけない。
「いや……もっと、もっと!」
すると、小さな息が漏れる音が聞こえ、急に足がどかされた。
「あ……」
小さな快感をも逃したくはない。焦がれるように身を起こそうとすると、身を屈ませた『双葉』と目があった。
彼女は、双葉のペニスを今度は手で掴み、擦りながら顔を寄せ、耳元でささやいた。
「これ以上の快感、知ってるでしょ?味わいたくない?」
傍で感じる、鼻腔をくすぐる若い女の匂いの、なんとかぐわしいことか。
耳元でささやかれた声が、脳みそを痺れさせ、股間にまで響く。
双葉――いや、『清彦』は、恥も見聞もなく、ぶんぶんという音が聞こえそうなほど何度も、何度も頷いた。
「よくできました」
愉悦を含む声を最後に、彼女の顔が遠ざかる。それを見ている『清彦』の顔は、とても物欲しげに見えただろう。
そんな、少し開いた口に、『双葉』すかさず吸い付いた。一気に舌まで入れられたが、今度は拒絶などしない。
むしろ、彼の方から責めていった。舌を絡め合い、歯ぐきをなぞり、唾液を交換する。
甘い――自分の身体であった時は、こんな味していなかった。
体勢は、口辱に比例するかのように、『清彦』の優勢になっていった。
「ぷはぁ!」
ついには『双葉』を押し倒した『清彦』は、長いディープキスを終えて、びんびんに勃起したいちもつの位置を整え、貫こうとする。だが――
「だーめ」
『清彦』の鼻に人差し指を当てて、こんな状況だというのに、『双葉』は余裕を持って言ってきた。
「私も、彼女たちみたいにするつもり?私たちって、そんなに浅い関係?」
そうだ。目の前にいる女は、自分蔑む少女たちとは違う――もう一人の自分だ。
そんな無理をしなくても、彼女は全て受け止めてくれる。
「私も気持ちよく……してぇ」
その声は、自分がかつてその口から放ったどんなものよりも、淫靡だった。
その声を受けて、視線を彼女の身体に這わす。嫌だったはずの未発達な身体が、なまめかしく写る。
はっはっと犬のような荒い息をしながら、犬のようにその身体に食いつき、舐めまわす。
「ゃん!もぅ……もっとぉ」
耳から入る音が、既にめたくそに破壊された理性を、さらに粉々にする。
首を舐め、跡をつける。胸を舐め、乳首吸う。腹を舐め、へそをほじくる。そして、陰部を舐め、クリトリスを舐め、吸い、愛液をすすった。
「いいっ!さいっこう!女……って!この……身体って――」
女の声は、喘ぎ声だか、叫び声だかわからないが、素晴らしいBGMだ。それが、『清彦』を鼓舞する。
「さいっこうだよぅ!あはぁぁ――」
ついには、『双葉』はイったようだ。BGMは途絶え、二人の荒い吐息だけが聞こえる。
『双葉』は、倒れたまま動かない。彼女を膝立ちで見下ろして、『清彦』は自分の男性器をこすっていた。
起きあがる様子のない彼女に見切りをつけ、『清彦』は無言で性器を合わせようとするが、またも止められた。
「もう……せっかち……」
息も絶え絶えに、半分つむったような目で言ってくる。
「だって――」
そんな『双葉』に、抗議の声をあげる。だって、自分も気持ちよくなりたい。
「はいはい。やらないってわけじゃないよ。でも」
やっとこさ起き上がった『双葉』が、肩に手をかけてきた。そのまま、押し倒される。やはり、この身体は貧弱だ。
「私は初めてだから、私が上にさせて」
彼女は『清彦』に乗ってすぐ、彼の性器を掴んで自分のと合わせ始めたので気づかなかったが、彼は頷いた。
「じゃあ……いくよ」
凶悪な姿をした自分の男性器が、まだ幼さを残し、毛が薄い割れ目を押し入っていく光景は、嗜虐心をそそる。
(だから、この年頃の子はたまらないんだ)
自分の顔が醜く歪んでいることに、『清彦』は気づいていた。
一方『双葉』は、こらえる顔をしながら、ゆっくりと腰を下ろしていた。
「ぐっ……はぁ……」
そんな彼女を見ていると、つい悪戯心がわいてきた。そっと、彼女の腰を掴む。
「え?」
訳が分かっていない『双葉』。そんな顔も愉快だ。
「それ!」
「がっ、ああああ――」
かけ声とともに、『双葉』の腰を掴んでいた腕に力を込め、さらに自分の腰を突き出せば、彼女を一気に貫くことになる。
初めて男を受け入れた自分の女性器は、当たり前だが、最高に締め付けてきた――自分の初めての相手は自分。その事実に心が踊る。最高に倒錯的だ。
ふと気がつく。わずか一突きで『双葉』は放心したらしい。でも、休ませるつもりはない。
「それ!そぉれ!」
がんがん突き上げ、それに合わせて揺れる『双葉』の身体。ついには力尽き、『清彦』の胸に倒れ込む。だが、そんなことも関係はない。突くのは止まらない。
「はぁ、はぁ、もう、すぐ、でる!」
腰の奥にあるわだかまり。それがもうすぐ吐き出せる。
そこで――双葉が顔あげ、その目がきらりと光るのが見えた。
「うおっ!」
叫び声をあげたのは、急に快楽が増したからだ――『双葉』も腰を動かし、ぐりぐりと押しつけてきた。
『清彦』の首に手を回し、ぎゅっと掴むと、さらに激しさがました。その激動の中で、なぜか彼女の声は冷静だった。
「お別れを言ってあげる」
「わかっ、れっ?」
意味が分からず、オウム返しに聞き返す。
「これでもうすぐ、お前はこの身体には二度と戻れない」
さっと、頭から血の気が引いた。目しか見えなかった双葉の顔が、口の形まで分かる位置まで上がった。その笑顔は、醜く歪んでいた。
「だめ、だめ、だめ、だめ!」
高まる射精感。止まらない。止まらない。
「さようなら」
「あああああああ――」
入れ替わるときに見た魔法陣の光とよく似たものが、瞼の裏をまたたいた。
エピローグ
闇は、自分を安堵させる――何も見えず、何も聞こえず、その中にいるのが自分だけならば、思い悩むことなどなにもない。
あの日から、日の下を歩くことができない。自分を失った、あの日から。
その、安堵の闇に光が射し込んで、自分の心を粟立たせた。
「誰っ!?」
社の扉を開けたのは自分ではない。理想の世界を、自分から壊すわけがない。
「たまには昼間、外に出たら?出なくても、憑依術で事足りるんでしょうけど、身体に悪いですよ?」
聞こえてきた声は、さらに自分の心をかき乱した。いくら憎んでも足らない。不倶戴天の敵だ。
「お前か……なんのよう!?もう、お――私に用はないはずでしょ!」
闇に慣れ、退化した目には、その女が連れ立ってきた光はまぶしすぎた。逆光の中に立つその女の姿を、『清彦』はまともに見ることができない。
「とにかく、閉めろ。まぶしい……」
「ええ。ほら、あなたも来なさい」
「なに……?」
どうやら、その女、かつての自分――『双葉』は、一人ではないらしい。『双葉』の後について、社の中に入ってくる人物がいるのはわかったが、逆光でそれが誰かはわからなかった。
「誰を、連れてきた――の?」
扉が閉まり、再び濃厚な闇が辺りを覆う。二人がどこにいるかはわからない。
しかし、物音は聞こえないのだから、扉の近くにいるはずだ。
「あなたが、よく知ってる子。あなたが、一番会いたかった子よ」
「そんな奴いない!とっとと、つれて帰れ!」
相手がいるであろう空間を睨みつけ、叫ぶ。怒気が空気を震わせた。
「もう二度と近づくな!俺は――私はここで死んでやる!私が私でいるうちに。あんたの思い通りになんてなるもんか!」
返事は聞こえない。物音すら、聞こえない。『清彦』は、自分が知らないうちに相手が逃げ去ったのではないかと訝ったが、光が見えなかったのだから、それはないはずだ。
それとも――自分の殺意を含んだ怒声が、相手を殺したのか?幼稚な幻想だが、その妄想は愉快だ。しかし。
「おにい……ちゃん」
突如、目の前から声が聞こえた。何者かに抱きしめられる。
「お兄ちゃん」
物音など、何もしなかったが、こちらの叫び声に紛れたのだろう。
(おにい……ちゃん?)
呆然と、抱きついてきた女(感触が女だった)を振り払うこともできず、女が言ったことを頭の中で繰り返す。まさか。
「雪奈……なのか?」
答えたのは、抱きついてきた女ではなかった。
「わざわざ連れてきてあげたのよ」
十何年も昔に会った、幼い妹の姿が、記憶の中から鮮やかに蘇った。妹は、母によく似ていた……
「雪奈!」
『清彦』も抱きしめ返した。
これは自分の妹ではない、気をしっかり持てと叫んでいる声が、心の中から聞こえたが、もはやどうでも良かった。
しばらくぶりに他人と触れ合う感触が、『清彦』の孤独感を刺激する。
「雪奈!雪奈!」
柔らかい、女の子の感触。女の子の匂い。頭に触れているため、指先にさらっとした柔らかい髪の感触がある。
「お兄ちゃん……」
耳元でささやかれる声に、愛おしさがあふれる。
十数年ぶりの再会が、闇の中。相手がどのように成長したのかはわからないが、綺麗なはずだ。妹は母にそっくりだったのだから。
母に。
その思いに反応したのは、股間だった。母を思い出せば、鮮烈な情事の記憶は切り離せない。
いつしか、雪奈を抱きしめる腕に、必要以上の力が込められていた。
彼女の香りで肺を一杯にするかのように、『清彦』は大きく息を吸った。
彼女の成長を確かめるように、手がまさぐる。柔らかい。
彼女の存在すべてが、自分の男を刺激する。我慢できない。
少し、雪奈から身を離す。反射的に、彼女の頭が上を向くのが感じ取れた。そのまま、何も言わずに、相手の口に吸い付いた。
「ん、んぉ」
何か言おうとしたらしい。相手の口が開いた。そこへ、『清彦』の舌が襲いかかった。
相手の口内を蹂躙していると、相手の身体からどんどん力が抜けていくのがわかった。不思議なほど拒絶がないが、むしろ好都合だ。
脱力した相手の身体を寝かし、その上にのしかかる。相手の服を脱がそうとするが、焦って上手くいかない。ついにはボタンを引きちぎって、ブラウスの前を開いた。
ブラジャーを押し上げ、露わになった胸に吸いつく。そこは十分に成長していた。
「ん、ああ……」
乳首をいじると、流石に雪奈も反応した。紛らわすように体をよじっている。
その反応に満足し、手を下にずらすと、陰毛に触れる感触とともに、十分に濡れていることが感じ取れた。
「雪奈。これだけ濡れていたら、もういいよな。お兄ちゃんもう我慢できないんだ」
返事はないが、それこそが返事だと、『清彦』を思うことにした。
取り出した性器をスリットにあてがい、ぐっと押し込む。そこは十分にきつかった。
「ん、んん!」
時間をかけて奥に到達する。相手は痛がるそぶりもないが、初めてではないのだろうか。そのことに、少し胸が痛んだ。
「動く、ぞ」
またも無言。『清彦』は少々いらついてきていた。
(嫌でも声を聞かせてもらう――)
腰を引き、今度は思いっきり押し込む!それを二度、三度と繰り返す。
(喘け!喘け!)
パンパンという音に、小さな、別の音が混じりだした。
「あっ……ああっ……え?」
その音に、ニュアンスの違うものがあったことに、『清彦』は気づかなかった。しかし、その音をきっかけに、雪奈の反応が変わった。
「ふぇ?ああっ!な――なんっ――でっ!?」
身を大きくよじり、身体を逃そうとする雪奈。
(そうはさせるか)
そんな様子を、『清彦』はせせら笑った。
「おら!おら!おら!」
相手の腰をしっかりと掴み、ぐいぐい押し付ける。相手が頭を振り乱しているのは分かるが、その表情が分からないのが残念だ。
「いやぁ!やめて――やめてぇ!」
その悲鳴はむしろ心地よく頭に響いた。そのことで、自分のペニスが、固さを増したことが分かる。
そうして、何度も何度もストロークを繰り返してついに――
「出す……ぞ」
「……へ?い、いや!なかは!なかはやめ――」
すすり泣きに変わっていた声が、再び悲鳴に転じたが、それを最後まで聞く余裕は、彼にはなかった。
「う、おおおお――」
「いやあああああ――」
二つの叫び声が重なって、『清彦』はその白い欲望を吐き出した。
荒い息を吐き出しながら、雪奈から性器を抜き去る。
そして、彼女に話しかけようとして、
「雪――」
「いやあああああああ!だ、誰か!来て!早く!」
眩しい光とともに、悲鳴が横から聞こえた。
「誰かぁ!ゆきっ!ゆきから離れて!」
目がやっと光に慣れて、見るとそれは当然、『双葉』だった。
「お前!どういうつもりだ!」
「あら、早く逃げたほうがいいんじゃない?」
しれっと、叫ぶ格好そのままで、声色変えて言ってきた。
「警察にもさっき通報したから、すぐ来るわよ」
「くっ、貴様ぁ!」
だが、確かに早く逃げなければ。その前に、一目妹を見ようと下に目をやると、
「雪――ゆ……き……?由紀!?」
「私はその子があなたの妹なんて言ってないでしょ?」
嘲るような『双葉』の声。でも、そんなものはもうどうでもいい。感じた激しい頭痛に、思わず頭を抱えた。
(私――私が由紀を!?あんなこと――あんな最低な!)
自分が、崩れていく。巨大な奈落に堕ちていく。
「ほら、早く逃げなさいよ!レイプ魔!」
遠くから、サイレンの音が聞こえて、茫然自失のまま『清彦』――いや、清彦はその場から逃げ出した。
◆◇◆◇◆
「こんにちは、おばさん」
「あら、由紀ちゃんいらっしゃい」
呼び鈴の音がして階段降りると、母が由紀を向かい入れたところだった。
「いらっしゃい」
「あ、双葉。すいません、お邪魔します」
「ぜんぜん構わないわ。双葉と仲良くしてあげてね」
母の由紀に対する評価はこれ以上ないくらいだ。頭がよく、品行方正な由紀ならば、当然のことだが。
(仲良く、ね)
「ママ、今日も勉強するから入ってこないでよ」
少し、むくれたように言う。いつも念を押しているのだが、この母親はたまにそれでも来るのが始末におけない。
「絶対だからね!」
はいはいと言いながら引っ込む母。笑いを浮かべた由紀を連れ立って階段を上る。
「あんなに言わなくても」
笑いながら言う由紀に答えず、自室の扉を開けて入り、しっかりと閉める。由紀に向き直り――待ちかまえていた由紀と熱いキスを交わした。
「だって、邪魔されたら台無しじゃない……」
くすっと微笑を浮かべる彼女に、今度はより深い口づけをするために、双葉は襲いかかった。
「あのレイプ魔、捕まったね」
それは、情事の後に、枕元で言うには不釣り合いな話題だったかもしれない。実際、由紀は気分を害したようだ。
「どうでもいいわよ。もう……」
こちらに背を向けた彼女を見つめ、こっそりと笑みを浮かべる。
あれから、由紀は男性恐怖症になった。おかげで、双葉は彼女とより仲良くなれた。
(まったく、いい働きをしてくれたよ)
あれから三カ月。清彦が捕まったのは、双葉が住んでいるところから大分離れた県だった。
彼が三カ月の間何をしていたのか、双葉は知らない。全く連絡は取り合わなかったからだ。
だから、テレビに映った彼が、自分が知っている清彦だという確証はない。
(あの魔法陣の記憶も、あるはずだからな)
魔法書は、今は双葉の手にあるが、あの魔法陣については、忘れるはずが――忘れられるはずがない。
(ま、俺にはもう関係ないか)
そんなことよりも、目の前の彼女の機嫌を直さなければ。そのためには――双葉は、由紀の背中に襲いかかった。
「じゃあ、お母さんちょっと出かけてくるからね」
扉越しに聞こえてきた声に、腫れ物を扱うような気配を感じて、双葉は返事をすることができなかった。
朝の時間はとっくに終わり、もう昼間際だったが、双葉は未だベッドにもぐり込んだまま、目を開けることすらできなかった。
母は少しの間こちらの返事を待っていたようだが、諦めて立ち去っていった。階下で物音が少しして、扉に鍵をかける音を最後に、静寂が訪れる。
このまま寝続けていたら昨日の――いや、ここ数日の出来事が全て夢であったことになればいいのに。
そんな幼い現実逃避をしてしまうほど、双葉は追いつめられていた。
目を開けるのが怖い。起き上がるのが怖い。今日という日が始まるのが怖い。
自分が今度は、どんな風に変わってしまったのかを知るのが、怖い。
(本当に……感じているのは恐怖だけ?)
聞こえてきた声に、びくっと、身体が震えた。
瞑られた暗闇の中に、人影が見えた。それは。
(あんなに悦んでいたのに?)
裸の自分だった。いやらしい笑みを浮かべて、闇の中から見下ろしてきている。
(気持ちよかったでしょう?)
何か言い返さなければ。自分が変わるのを止めたいのならば。
(もう一度。何度だって。味わうことができるのよ。あなたが望めば――)
しかし、何も言い返せないまま、光が視界に差し込んできた。
(――私がオレを受け入れれば)
光に満たされ、影が消える――消滅したのではない。心の奥底に沈んだのだ。
◆◇◆◇◆
鼻歌を――もう十年も前に流行った曲を――歌いながら、双葉は制服を脱いでいた。一晩ベッドの中で明かした制服はしわまみれだ。
それを、無造作に投げ捨てる。後で母に言えば、なんとかしてくれるだろう。
双葉が今いるのは風呂場だった。
昨日は風呂に入らなかったのだが、今の双葉にはそれは特に気にならない。そんなことのために風呂に入るのではない。それよりもやりたいことがあった。
風呂場に入った双葉は、少し前に進むと、適当な位置で立ち止まり、仁王立ちになった。
両手を下の口にあてがい、割れ目を開ける。
「んっ……」
じょぼじょぼと、小水が風呂場の床に落ちる音が響く。
その光景の一部始終を、食い入るように双葉は見つめ、つぶやいた。
「はぁ……さいっこう」
体を拭いた双葉は、バスタオルを巻いただけの姿で家の中を歩き回っていた。寒さは感じない――風呂場で、たっぷり暖まったからだろう。
冷蔵庫の中にあった朝食――昼食になってしまったが――を平らげ、テレビを見て一休みすると、流石に悪寒を感じた。
何か着なければ。そう思い双葉が漁ったタンスは母親のものだ。
母の下着を乱雑に広げては適当に丸めて押し込むことを繰り返し、時々自分の体にあてがってみるが、どれもサイズが合わなかった。
双葉はため息をつきながらタンスをしまった。
「ガキっぽすぎるんだよなぁ……」
自分の身体を見下ろしてつぶやく。ついでに胸に触る。柔らかい。柔らかい、が――薄い。
(ま、でも女には変わりないし。母さんを見た限りは、まだ成長の余地はあるよな)
両親の寝室を後にして、双葉は自室へと戻っていった。
「――お見舞いだなんて、悪いわねぇ。由紀ちゃん」
「いえ。あの、双葉の具合はどうなんですか?」
玄関の呼び鈴が聞こえたので、そっと階段から様子を伺ってみると、由紀が来ているようだ。
母は、先程帰ってきた。顔を合わせたら、何を言われるか分からなかった(面倒だった)ので、双葉はまた部屋とじ込もっていたのだが。
「そんな、大げさなことじゃないのよ。ただちょっと、ここ何日か様子がおかしかったから休ませただけなの。大事にならないようにね」
嘘だ。
母が昨日のことで相当参っているのは、馬鹿でも気づくだろう。昨日のようなことを外でやられては困るから、休むことも簡単に許してくれた。
それに、母はいい医者が見つかればすぐにでも双葉を連れて行くつもりらしい。そういった医者について知り合いに電話で相談しているのを、双葉は盗み聞きしていた。
どうやら、昨夜の激しい夫婦会議の結果、おかしいのは双葉だということになったようだ。
そして、医者に見せるまでは、双葉を外に出さず誰にも合わせないつもりらしい――母は由紀を帰らそうとしていた。
(そうはいくもんか)
「あ、由紀!」
大げさに母が肩を震わせ、ゆっくりと後ろを振り向く。こちらの元気な姿を見て安堵の表情を浮かべている由紀とは、対照的な顔しているのが少しおかしかった。
「双葉!良かったぁ、ほんと元気そうで」
「うん、もう大丈夫。明日は学校いけるよ」
目を一層見開いてこちらを見る母。その顔にはこう書いてあった――なにを言っているの?
そんな母を全く無視して、双葉は由紀と話し続けた。
「ね、上がってきなよ。ちょうど退屈してたとこなんだ」
「え、でも……」
ちらっと母を見る由紀。視線に気づいた母は、とっさに表情取り繕った。
「双葉、もしそれでまた具合が悪くなったらどうするの?由紀ちゃんにも悪いでしょ」
母はこちらをたしなめるように言ってきたが――そうはいくものか。
「ちょっとだけなら大丈夫よ、ね?」
ね、のところで、少し目つきを変える。昨日間近で見た母には分かるだろう。今の顔が、どういう意味の顔なのか。
「じ、じゃあ……少し、だけよ……?」
少し後ずさりしながら、母は了承した。
「ありがと。行こ、由紀」
「う、うん。失礼します」
事情を知らない由紀は、いつもと少し違う雰囲気に、疑問符を浮かべていた。
由紀を先に自室に入らせ、双葉は扉に鍵をかけた。中からなら開けようと思えば開けられるが、時間稼ぎにはなるはずだ。
座布団を渡して由紀を座らせ、双葉はいつもよりも心なしか近めで横に座った。しかし、由紀は気づいていないようだ。
「そういえば、歩は?」
「来たがってたんだけど、ちょっと先生に捕まっちゃってね……」
「ああ、前回点数悪かったもんね」
じっと、由紀の顔だけを見つめて話す。これも、由紀は気づかない。
今日学校であったことから話は始まり、どんどん明後日の方向に話は進んでいった。
双葉は専ら聞き役に回った。相づちを打ちながら、少しずつ由紀との距離を狭めていく。
話し始めて数十分が経っただろうか。由紀がようやく疑問を口にした。
「……近くない?」
既に二人は、ぴったりといっていいほど密着していた。近くないかどうかどころか、近すぎる。
「私ね、好きな人ができたの」
由紀の疑問は無視して、彼女の顔を覗き見ながら告げる。
「……だれ?」
おおよそ見当はついているのかもしれない。由紀の表情は渋かった。
双葉はにやりとした笑みを浮かべ、それを見た由紀が後ろに状態を逸らそうとするのを追いかけた。
そこを倒れまいと由紀が身体を止めさせたので、当然二人は激突した。唇同士が。
実際は、そんな激しくぶつかったのではない。痛みは全くない。だが、口づけは激しかった。
離れようとする由紀の頭と肩に手をやり、こちらに引っ張る。体勢悪いせいだろう、由紀はされるがままだ。
やっと双葉が顔を離す頃には、由紀は口内まで蹂躙された後だった。
荒い息をする可愛い由紀の表情を見つめていると、またむらむらとした欲望が湧いてくる。
双葉はもう一度キスをしようとしたが、今度は手に阻まれてできなかった。
「私!そんなの――」
「私も無理だって思ってた。昨日までは。でも、案外気持ちいいかもよ」
双葉自身、まだ試していないが、断言できる気がした。
「いっ!や!」
乾いた音が耳に響き、頬に熱を感じる。叩かれたらしい。
こちらが呆けているうちに、由紀は立ち上がっていた。
痛みが残る左頬を手で抑え、双葉は立ち上がらずに由紀を見つめていた。
未だ肩で息をしながら、きっぱりと由紀が告げた。
「……そんな、乱暴な気持ちには応えられない……帰る」
由紀はすぐに部屋を出ていったが、双葉は追いかけなかった。呟く。
「でも、君はオレのものになる運命なんだよ」
「由紀……由紀ぃ」
由紀とのツーショット。それを舐めまわしながら双葉は達した。ぐったりと裸の体をベッドに投げ出し、荒い息をする。
そのままでは本気で身体を壊しかねないため、気だるい手足を動かして寝間着に着替え、ベッドに再び潜り込むと、睡魔はすぐに訪れた。
眠りに落ちる一瞬前。呟く。
「……運命なんだよ」
◆◇◆◇◆
授業が終わり、放課後。下校途中に、双葉は由紀ともう一人――歩とファストフード店に来ていた。
しばらくは、担任の生え際が後退してきただの、体育の教師がむかつくだの、他愛のない話に花を咲かせていたが、歩が思い出したように話題を変えた。おもむろに携帯電話を取り出し――
「主殿、すべて準備が整いましてございます」
その言葉は、双葉――そして『彼』の後ろから響いた。
『彼』が後ろを見やると、そこには全身薄汚い布に包まれた、背の低い何者かが立っていた。
(本当に、何者なんだろうな?)
問えば、その者は答えるだろう。しかし、自分に理解できる自信が『彼』にはなかった。
『彼』は後ろを向いたが、双葉は未だ前を向いて、止まっている。彼女だけではない。由紀も、歩も――すべてが止まっている。
「そうか。では手筈通りに」
「かしこまりました」
その者はそれで事足りた。だが、踵を返すわけでもなく突っ立っている。
なんとはなしに見続けていると、心なしかそれの――なんというか――影のようなものが薄まっていく。
もうすぐ消えようという直前。消え始めから終わりまでも一瞬と呼べるほどの時間だったが。その者が呟いた。
「もう、それで三周目では?」
見つめられて気まずかったのだろうか?そんな感情がその者に存在すること自体、ありえないと思っていたが。
とにかく、疑問の答えを聞く間もなくその者は消えた。
「何度見てもいいもんじゃないか。花も恥じらう女の子の一生なんて」
だがその答えを聞くことができたとしても、その者には理解できなかっただろう。
――そして、儀式の夜
その日の朝、目覚めた双葉は前日までと同じように違和感を感じたが、それは前日までとはまるで違うものだった。
もはや当たり前のように感じ始めていたものがない、という違和感――つまりは、
「夢を……見なかった?」
毎朝感じていた不安感と不快感がない。頭はすっきりとし、意識ははっきりとしている。
自分は自分だ、という自信がある。意識を浸食する異物の存在などまるで感じない。
ベッドから、鏡を見る。
そこには当たり前の自分、都合双葉がいる。違和感はない。
次に、部屋を見渡す。
間違いなく、自分の部屋だ。十六年間のほとんどをここで寝起きした。部屋にあるすべてのものに思い出があり、思い出せる。
最後に双葉は、自分の身体を見下ろした。
ぺたぺたと触れて回れば、当然の感覚が返ってくる。
さらに試しに、襟元を引っ張り中をのぞき込んでみた。しかしそこを見ても、成長の遅さを嘆くため息しか浮かばない。
「治っ……た……?」
治癒という言葉が、はたして適切なのかはわからないが――正常な自分に戻ったのは間違いない。
「治った!?」
(でもなぁ……)
治った。確かに治った。しかし、それで万々歳というわけにもいかない。
(ここ数日私がやったことは……なくなるわけじゃないわけだし……)
いくつか思い出しただけでも、頭が痛くなる。
(例えば――)
ちらっと、自分と同じく朝食についている母のほうを見ると、ちょうどこちらを盗み見ていた母と目があった。
「な、なに?双葉」
「ん、ううん。なんでもない」
会話がなくなると、先ほどまであった気まずさがまた戻り、少しすると母の視線が再び注がれている気配がする。
例えば、これだ。
しばらくはこの気まずさを家で味わうことになるのは間違いない。
(そんなのは……嫌だ)
意を決して母に話しかける。
「あの……ママ!」
「な、なに?」
大げさに驚く母。しかし双葉はめげなかった。
「……ごめんなさい!最近の私、ちょっとおかしかった……」
「双葉……」
思案している顔だ。こちらを見ている母は、悩んでいる。
(信じて、ママ)
それだけを伝えたくて。
「でも……もうほんとに!大丈夫、だから」
涙があふれてくる。とめどない涙が。それを拭うこともせず、双葉は訴えた。
「だから……信じて……」
静寂が、耳に痛い。信じてもらえただろうか。もし、信じてもらえなかったら――
「双葉」
呼ばれて、顔をあげると。笑顔の母がいた。
「わかったわ」
でも、その目尻にしずくが見えた。
◆◇◆◇◆
例えば、これだ――離れていく由紀の後ろ姿を見て、双葉は思った。
朝から何度も――本当に何度も、双葉は由紀に話しかけようとしたが、そのたびに彼女は取り合ってくれなかった。
これでは謝ることもできない。許してもらうことや、信じてもらうことなど、夢のまた夢だ。
唯一の救いは、
「ほんとに、どうしたの?ゆっちゃんはわけ話してくれないし……」
どうやら由紀が歩には話していないということだ。
休み時間、由紀に話しかけようとして無視された双葉のもとへ、歩がやってきた。
「わけも言わないで、双葉ちゃんに近づくなって言うのよ。こんなの初めて」
だからといって、双葉からわけを言う気にはなれなかった。下手をすれば、親友を一度に失うことになる。
「私が悪いの……全部……」
仕方のないことだと思う。それだけのことを自分はしたのだと。
歩はそれから少し悩んでいたが。
「じゃあ、双葉ちゃんは仲直りしたいんだよね?」
「うん……」
「なら、わたしも協力する!やっぱり、三人一緒がいいから」
「ありがとう……」
それは、心からの言葉だった。
◆◇◆◇◆
だが結局、由紀とは話をすることもできずに放課後を迎えた。
双葉は、まさしくとぼとぼといった体で帰り道を歩いていた。
(あきらめちゃ、ダメだ。休みが明けたら今度こそ……)
どこをどう歩いたのかまるで覚えていなかったが、気がつくとシナノヤマ神社の近くだった。
この界隈は林が多く人通りも少ないため、なるべく近づかないようにと、この辺りの子供は教えられる。
もちろん双葉もそう親に言われてきたし、なんとなく不気味なので自分から積極的に近づきたい場所でもない。
「……双葉」
神社へと続く、狭い参道の入り口の前を通った時だった。突如としてその呼び声が、頭上から聞こえたのは。
恐怖に身が竦む。シナノヤマ神社には今は神主はおらず、たまに管理人が掃除に来るくらいで、見事に荒れ果てているらしい。
だから本当に、近寄るものなど誰もいないはずなのだ。
ゆっくりと、錆びたネジを回すように頭を横に向け、さらにゆっくりと目線を上にあげていく。見えたのは――
(――うちの制服?)
双葉が通う高校の制服。女子の。さらに上へと目を向けると、
「……由紀っ!?」
無表情でこちらを見下ろす由紀の顔があった。
こちらがいぶかしんでいると、由紀は何も言わずに参道を駆け上がっていった。
「ちょ、待って!」
追いかけながら、双葉は考えていた。今の由紀は明らかに様子がおかしい。まるで感情がないようだった――そのせいで、一瞬由紀だと認識するのが遅れてしまうほどに。
参道はそれほど長く続いているわけではない。ほどなく社が見えてきた。
坂道を登りきり、一息つきたくなる気持ちを抑えて境内を見回すが、誰もいない。
林の中に隠れたのだとしたらお手上げだが、社の扉が半開きになっているのが見えた。
その、あからさまに入ってこいという雰囲気は怪しさ満点だが、入るしかない。
「由紀!いるのぉ!?」
不安感を吹き飛ばすように叫びながら社に近づいていく。だが、反応はない。
ついに社にたどり着き、少し開いている扉をまた少しだけ開けて中をのぞき込んでみたが。
「由紀ぃ……?」
中のあまりの暗さに、声は尻すぼみになった。
ふと、疑問が浮かぶ。中には、まるで光が射し込んでいない。真っ暗だ。だが、まったく手入れされていないはずなのに、隙間一つない?
中がよく見えるように、さらに扉を開こうとして――双葉は後ろから拘束された。
女だ。男の無骨な感触ではない。
双葉が叫び声をあげようとする口は、相手に押さえられた。布のようなもので。
必死に抵抗する中で、社の中が見えた。そこには大きな鏡がある。
その鏡に、口元に布をあてられ、もはや弱々しい抵抗しかできない自分と、自分を押さえつけている、先ほどと同じ無表情の由紀の姿を確認したのを最後に、双葉の意識は猛烈な眠気に押し流されていった。
◆◇◆◇◆
双葉は今、自分が目を開けているのか、閉じているのか――いやそもそも、目が覚めているのか、夢の中なのかすら、分からなかった。
それほど深い闇の中に双葉の身は沈んでいた。
(これが、いつも見てる夢なのかな……)
いや――双葉は否定した。
今の自分はとても安らかで、最近感じていた不安などはまるでない。闇は自分を安堵させる。
幼い頃からそうだった――彼は、厳しい父に叱られるたびに暗い物置に逃げ込んでいたものだ。
(……なに?)
脳裏に浮かんだ、まるで覚えのない記憶に、双葉は怪訝な表情を浮かべた。彼女には、父に叱られて物置に隠れたことはおろか、娘に甘い父には、怒られた記憶すらあまりなかった。
では、今のは――
(なんなの?)
双葉が思い悩んでいると、急に一筋の光が入り込んできた。扉から、ひとりの男をともなって。
「目が覚めたようだね」
光は淡く、どうやら月光のようだ。何時間自分が寝ていたのかは知らないが、さすがに丸一日以上ではないだろう。
そして男。男の顔には見覚えがあった。
「先週の……人?」
その言葉を聞いて、男は少し驚くような顔をした。
「あれ、覚えていたのか。というか、それしか思い出せない?」
自分でも、覚えていたことは意外だった。だが、それ以外?
確かに、それだけは済まない何かが、男を見ていると自分の意識をくすぐる。しかし。
男はじろじろとこちらを見て、思案するような仕草を見せながら、双葉が今いる場所――おそらく自分が気を失った社の中に入ってきた。
双葉は思わず後ずさりしようとして気づいた。自分の身が自由なことに。
そして、男ははっきり言ってあまり力が強いようには見えない。背は高いが、痩せていて、自分にも押し倒せそうだ。ならば。
「う……あ、あ゙あぁぁぁああああああ!!」
いちかばちか、双葉は男に向かって突進した。
大声をあげ、相手が怯んだすきに横をすり抜ける作戦だったが、望んだ効果は得られなかった。
しかし、面白がるような表情を浮かべた男にはこちらを止める気はないようだ。あっさり彼の横を通り過ぎ、扉をくぐろうとして―― 双葉は壁にぶち当たり、後頭部を床に痛打した。
したたかに顔面を打ちつけたものの正体を見極めようと、前後両方の頭の痛みをこらえながら上体を起こすが、目の前の空間にはなにもない。ガラスがあるような不自然さもない。
訝る。だがその双葉の目の端に、ちらつくものがあった。光だ。ちょうど壁があったと思われる真下の床が光を放っている。
まるで、線を描いているような光の軌跡。それはいつの間にか、双葉の足下にも走っていた。
「結界は発動しているな。つまり完全に思い出せていないか、思い出さないようにしてるだけか」
納得するような男の声が真後ろから聞こえて、そのあまりの近さに、双葉は驚いて振り向いた。そこには男の両目があり、視線がかち合う。
うずくまるようにして双葉と顔の高さをあわせたその男が、顔をさらに突き出してきたが、座り込んで上半身をひねっている双葉は、避けることもできずに男の口付けを受けた。
そして、光が部屋を満たした。
◆◇◆◇◆
「――頼む!僕と結婚を前提に――」
「あはは。悪いけど、お兄ちゃんとはそんな関係じゃないじゃん?」
声が聞こえる。自分と、少女の声。
「なら、これからそういう関係を築いていけば――」
「はぁ、わかんない?嫌だっつってんの」
少女の声は次第に遠ざかっていく。
「待って、待ってくれ!」
◆◇◆◇◆
「待って!」
自分があげた大声に驚いて、双葉は目を覚ました。気を失っていたのは、どのくらいだろうか。
薄ぼんやりとしか視界に、社の床が見えた。自分はうつぶせに倒れている。
(今のが……)
「……いつも見ていた夢?」
覚えているのは、いや思い出すのは、それだけではなかった。ずっと見続けてきた夢の内容が、意識がはっきりするとともに湧き上がってくる。
「うっ!わ・あ・あ・あ゙・あ゙――」
その内容のあまりの酷さと頭痛で、頭が割れそうになる。
「思い出した?」
痛む頭に、冷水をかけられたような気がした。聞こえてきた声を、双葉はよく知っている。前の自分ならば耳を疑ったかもしれない。
顔をあげるとそこには――
「お前は……」
「まだわからない?」
双葉は首を振った。否定するために。
「返せ!その身体は!俺のだ!」
腕を組み、にやりとした笑みを浮かべる自分を睨みつけて、双葉は怒声を響かせた。
よく聞いてみれば、今発したその声は双葉のものではない。もっと低い。
立ち上がれば、いつも双葉が見ていた景色とはまるで違う。
そして、股間からあり得ない存在を感じる。
「そうね。まだ」
「まだも糞もあるか。これから先もずっとその身体は俺のだ」
「なら、何もしなければいい。この魔法陣の効果も、思い出せるでしょ?」
「ああ」
双葉は、それで自分との会話を切り上げその場に腰を下ろした。
言われるまでもなく、なにもするつもりはない。当然、会話もだ。
相手はそんな双葉の様子に、やれやれといった感じで近くにあった椅子に腰を下ろした。
その魔法陣の効果は、思い出すまでもなく知っていた。精神交換の魔法だ。
かつて、自暴自棄になり、打ちひしがれていた自分の前に現れた老婆がくれたのが、魔法書だった。
その数々の魔法が記された本の中で、『彼』が心惹かれたのが、精神を司る類のものだった。
しかし、それは高位の魔法らしく、付け焼き刃の術者に手を出せる代物ではないという。
それでも彼は研究に研究を重ねた。
魔法陣ならば、精神力を余計に必要とする呪文よりも容易い。さらに制限をかけることで、必要魔力を減らす。
こうして、高位の魔法使いなら呪文一つで可能となる精神交換を、彼にも使えるものにすることができた。
(付け加えた制限は……時間と範囲、回数)
この魔法陣が効果を発揮できるのは一晩だけ。さらに、魔法陣の上から出ることはできない。そして、一度交換した組み合わせでは、魔法が完了すると二度と使うことができない。
つまり、朝までこのままなら元に戻れて、二度とこの魔法に煩わされることはなくなる。
(だが問題は、ある条件を満たせば、入れ替わりが永遠のものになる)
その条件は簡単なものだった。合意の上の性交である。
和姦なのだから、当然強姦では不可だ。表面的な暗示や、精神支配も認められない。下手をしたら、ペナルティを受けることになる。
だから、自分が拒否し続ければいい。
(拒否することが……我慢することができれば、な)
そのために、わざわざ時間をかけてまで、双葉の精神を自分の記憶で汚染した。
(持ってくれよ、俺の――ううん、私の理性)
正直、自分の――清彦の理性は期待できない。しかも、今は男の身体だ。肉欲に抗しきれる自信はない。
鍵は、自分に残された弱々しい双葉であるという自覚。
覚悟を決めて、ちょうど真正面にいる女を睨みつける。だが、
「ぶっ!お、おい!スカートの中見えてるぞ!」
相手の霰もない格好に、思わず吹き出してしまった。
しかし、彼女はあわてた様子もなく、しれっと言ってきた。微笑みながら。
「見せてるの」
ここで怒鳴っても意味はない。仕方なく相手から視線を外す。少々では済まない不安を抱えて。
(ほんと持ってくれよ……どっちのでもいいから、俺の理性)
既に、股間が首をもたげようとしていた。
目を閉じて耳を塞いでも、目の前に居る女の存在は消えない。
女?そう、女だ。元は自分であった存在が、他人のようにしか思えない。
その女とセックスをしたら、自分は一生元には戻れない。だから、してはいけない――そのことが逆に、セックスという単語を自分に意識させている。
今、自分は二つの心を持っている。未だ経験したことのない性交を身近に感じ、恐れている女の心。そして、もう一つ。
その片方から、双葉と同世代の少女を陵辱する記憶が、先ほどからセックスという単語を意識するたびに、ちくちくと意識を刺激していた。
(ほんとにレイプ魔だったんだ……最低)
その最低の相手に、自分の心は汚された。
その男がしたことを許せないと思う自分と、少女を犯す光景に興奮し、その身の上を思えば仕方ないと思っている自分がいる。
そんなこと、双葉は思うわけがない。そう思うのは汚されたからだ。最低な男が、今や自分の心の一部なのだ。
(いっそ寝てしまおうか……)
起きていても、鬱々としたことしか浮かばない。しかし、眠気はまるで起きなかった。
目をつむり、体育座りをして顔を伏せているが、そのことが逆に視覚以外の感覚を鋭敏にさせている。
聞きたくもない相手の息づかいや、嗅ぎたくもない女の匂いが、自分の男を刺激する。
その、普段よりもよく聞こえる聴覚が、何かが床に落ちる軽い物音を拾いあてた。
身が震える。物音を立てるのは、自分を除けば相手しかいない。
見てはいけない。音から想像がつく。あれは布が落ちた物音だった。おそらく、服を脱いだのだろう。
だから、見てはいけない。
しかし、目を開ければあるであろう女の裸に刺激され、男の記憶が勝手に女体を検索し、ピックアップする。
男が犯した少女たちの裸体。次々と写し出されていく。しかし、泣き叫ぶ表情ばかりだった画像に、別種のものが混じりだしたことに、双葉は気づいた。
検索されたのは、男の記憶からだけではなかったのだ。
勝手に双葉の記憶にまで土足で踏み入れて、画像を引っ張り出してくる。その中には、当然今眼前にあると思われる、自分の裸体も存在した。
むくっと、ずっと半勃ちになっていたペニスがさらに起き上がろうとする。
(駄目だ駄目だダメだダメダメダメだめだめだめだめだめ――)
耳を塞ぐ。自分を律しなければ。
必死に耐える双葉の頬がいきなり抑えられ、引っ張られた。瞬間、唇に熱い感触。
目を開けると自分の顔が間近にあった。目がさらに見開く。双葉は相手が舌を入れてくるのもかまわず、突き飛ばした。体育座りをしていたため、後ろに身体が倒れる。
「なによ。そんなに大きくしてるのに」
顔をあげると、不敵な笑顔を浮かべた下着姿の自分が、足を振り上げているところだった。
「あぐっ!」
下ろされた足は、見事に股間を捉え、鈍痛が双葉を襲った。
痛みに身悶えし、再び頭が地面に落下する。しばらくは起きあがれそうもない。
『双葉』はそんなことはおかまいなしに、双葉の股間から足をどけると、勝手にはいていたジーンズを脱がしてきた。
トランクスまで下ろされ、露わになった男性器。初めて実際に見たはずのそれは、見慣れた形をしていた。
(わけ……わかんない……)
自分の感覚が双葉のものか、清彦のものか、もう区別がつかなかった。違和感も感じない。
ぼーっとちんこを見ていたら、いきなり足が添えられた。今度は優しい。
足から視線を上げると、嗜虐心の固まりのような『双葉』の笑顔があった。
ぞっとする恐怖の中で、ほんの少しだけ浮かんでいる期待は、どっちのものなのだろう。
そんなものは、すぐにどうでもよくなった。『双葉』が足を動かしたからだ。
「あっ、 あっ、あっ、あっ」
嫌でも声が漏れる。もどかしい感覚。こんな不自由な快感ではイけない。
「いや……もっと、もっと!」
すると、小さな息が漏れる音が聞こえ、急に足がどかされた。
「あ……」
小さな快感をも逃したくはない。焦がれるように身を起こそうとすると、身を屈ませた『双葉』と目があった。
彼女は、双葉のペニスを今度は手で掴み、擦りながら顔を寄せ、耳元でささやいた。
「これ以上の快感、知ってるでしょ?味わいたくない?」
傍で感じる、鼻腔をくすぐる若い女の匂いの、なんとかぐわしいことか。
耳元でささやかれた声が、脳みそを痺れさせ、股間にまで響く。
双葉――いや、『清彦』は、恥も見聞もなく、ぶんぶんという音が聞こえそうなほど何度も、何度も頷いた。
「よくできました」
愉悦を含む声を最後に、彼女の顔が遠ざかる。それを見ている『清彦』の顔は、とても物欲しげに見えただろう。
そんな、少し開いた口に、『双葉』すかさず吸い付いた。一気に舌まで入れられたが、今度は拒絶などしない。
むしろ、彼の方から責めていった。舌を絡め合い、歯ぐきをなぞり、唾液を交換する。
甘い――自分の身体であった時は、こんな味していなかった。
体勢は、口辱に比例するかのように、『清彦』の優勢になっていった。
「ぷはぁ!」
ついには『双葉』を押し倒した『清彦』は、長いディープキスを終えて、びんびんに勃起したいちもつの位置を整え、貫こうとする。だが――
「だーめ」
『清彦』の鼻に人差し指を当てて、こんな状況だというのに、『双葉』は余裕を持って言ってきた。
「私も、彼女たちみたいにするつもり?私たちって、そんなに浅い関係?」
そうだ。目の前にいる女は、自分蔑む少女たちとは違う――もう一人の自分だ。
そんな無理をしなくても、彼女は全て受け止めてくれる。
「私も気持ちよく……してぇ」
その声は、自分がかつてその口から放ったどんなものよりも、淫靡だった。
その声を受けて、視線を彼女の身体に這わす。嫌だったはずの未発達な身体が、なまめかしく写る。
はっはっと犬のような荒い息をしながら、犬のようにその身体に食いつき、舐めまわす。
「ゃん!もぅ……もっとぉ」
耳から入る音が、既にめたくそに破壊された理性を、さらに粉々にする。
首を舐め、跡をつける。胸を舐め、乳首吸う。腹を舐め、へそをほじくる。そして、陰部を舐め、クリトリスを舐め、吸い、愛液をすすった。
「いいっ!さいっこう!女……って!この……身体って――」
女の声は、喘ぎ声だか、叫び声だかわからないが、素晴らしいBGMだ。それが、『清彦』を鼓舞する。
「さいっこうだよぅ!あはぁぁ――」
ついには、『双葉』はイったようだ。BGMは途絶え、二人の荒い吐息だけが聞こえる。
『双葉』は、倒れたまま動かない。彼女を膝立ちで見下ろして、『清彦』は自分の男性器をこすっていた。
起きあがる様子のない彼女に見切りをつけ、『清彦』は無言で性器を合わせようとするが、またも止められた。
「もう……せっかち……」
息も絶え絶えに、半分つむったような目で言ってくる。
「だって――」
そんな『双葉』に、抗議の声をあげる。だって、自分も気持ちよくなりたい。
「はいはい。やらないってわけじゃないよ。でも」
やっとこさ起き上がった『双葉』が、肩に手をかけてきた。そのまま、押し倒される。やはり、この身体は貧弱だ。
「私は初めてだから、私が上にさせて」
彼女は『清彦』に乗ってすぐ、彼の性器を掴んで自分のと合わせ始めたので気づかなかったが、彼は頷いた。
「じゃあ……いくよ」
凶悪な姿をした自分の男性器が、まだ幼さを残し、毛が薄い割れ目を押し入っていく光景は、嗜虐心をそそる。
(だから、この年頃の子はたまらないんだ)
自分の顔が醜く歪んでいることに、『清彦』は気づいていた。
一方『双葉』は、こらえる顔をしながら、ゆっくりと腰を下ろしていた。
「ぐっ……はぁ……」
そんな彼女を見ていると、つい悪戯心がわいてきた。そっと、彼女の腰を掴む。
「え?」
訳が分かっていない『双葉』。そんな顔も愉快だ。
「それ!」
「がっ、ああああ――」
かけ声とともに、『双葉』の腰を掴んでいた腕に力を込め、さらに自分の腰を突き出せば、彼女を一気に貫くことになる。
初めて男を受け入れた自分の女性器は、当たり前だが、最高に締め付けてきた――自分の初めての相手は自分。その事実に心が踊る。最高に倒錯的だ。
ふと気がつく。わずか一突きで『双葉』は放心したらしい。でも、休ませるつもりはない。
「それ!そぉれ!」
がんがん突き上げ、それに合わせて揺れる『双葉』の身体。ついには力尽き、『清彦』の胸に倒れ込む。だが、そんなことも関係はない。突くのは止まらない。
「はぁ、はぁ、もう、すぐ、でる!」
腰の奥にあるわだかまり。それがもうすぐ吐き出せる。
そこで――双葉が顔あげ、その目がきらりと光るのが見えた。
「うおっ!」
叫び声をあげたのは、急に快楽が増したからだ――『双葉』も腰を動かし、ぐりぐりと押しつけてきた。
『清彦』の首に手を回し、ぎゅっと掴むと、さらに激しさがました。その激動の中で、なぜか彼女の声は冷静だった。
「お別れを言ってあげる」
「わかっ、れっ?」
意味が分からず、オウム返しに聞き返す。
「これでもうすぐ、お前はこの身体には二度と戻れない」
さっと、頭から血の気が引いた。目しか見えなかった双葉の顔が、口の形まで分かる位置まで上がった。その笑顔は、醜く歪んでいた。
「だめ、だめ、だめ、だめ!」
高まる射精感。止まらない。止まらない。
「さようなら」
「あああああああ――」
入れ替わるときに見た魔法陣の光とよく似たものが、瞼の裏をまたたいた。
エピローグ
闇は、自分を安堵させる――何も見えず、何も聞こえず、その中にいるのが自分だけならば、思い悩むことなどなにもない。
あの日から、日の下を歩くことができない。自分を失った、あの日から。
その、安堵の闇に光が射し込んで、自分の心を粟立たせた。
「誰っ!?」
社の扉を開けたのは自分ではない。理想の世界を、自分から壊すわけがない。
「たまには昼間、外に出たら?出なくても、憑依術で事足りるんでしょうけど、身体に悪いですよ?」
聞こえてきた声は、さらに自分の心をかき乱した。いくら憎んでも足らない。不倶戴天の敵だ。
「お前か……なんのよう!?もう、お――私に用はないはずでしょ!」
闇に慣れ、退化した目には、その女が連れ立ってきた光はまぶしすぎた。逆光の中に立つその女の姿を、『清彦』はまともに見ることができない。
「とにかく、閉めろ。まぶしい……」
「ええ。ほら、あなたも来なさい」
「なに……?」
どうやら、その女、かつての自分――『双葉』は、一人ではないらしい。『双葉』の後について、社の中に入ってくる人物がいるのはわかったが、逆光でそれが誰かはわからなかった。
「誰を、連れてきた――の?」
扉が閉まり、再び濃厚な闇が辺りを覆う。二人がどこにいるかはわからない。
しかし、物音は聞こえないのだから、扉の近くにいるはずだ。
「あなたが、よく知ってる子。あなたが、一番会いたかった子よ」
「そんな奴いない!とっとと、つれて帰れ!」
相手がいるであろう空間を睨みつけ、叫ぶ。怒気が空気を震わせた。
「もう二度と近づくな!俺は――私はここで死んでやる!私が私でいるうちに。あんたの思い通りになんてなるもんか!」
返事は聞こえない。物音すら、聞こえない。『清彦』は、自分が知らないうちに相手が逃げ去ったのではないかと訝ったが、光が見えなかったのだから、それはないはずだ。
それとも――自分の殺意を含んだ怒声が、相手を殺したのか?幼稚な幻想だが、その妄想は愉快だ。しかし。
「おにい……ちゃん」
突如、目の前から声が聞こえた。何者かに抱きしめられる。
「お兄ちゃん」
物音など、何もしなかったが、こちらの叫び声に紛れたのだろう。
(おにい……ちゃん?)
呆然と、抱きついてきた女(感触が女だった)を振り払うこともできず、女が言ったことを頭の中で繰り返す。まさか。
「雪奈……なのか?」
答えたのは、抱きついてきた女ではなかった。
「わざわざ連れてきてあげたのよ」
十何年も昔に会った、幼い妹の姿が、記憶の中から鮮やかに蘇った。妹は、母によく似ていた……
「雪奈!」
『清彦』も抱きしめ返した。
これは自分の妹ではない、気をしっかり持てと叫んでいる声が、心の中から聞こえたが、もはやどうでも良かった。
しばらくぶりに他人と触れ合う感触が、『清彦』の孤独感を刺激する。
「雪奈!雪奈!」
柔らかい、女の子の感触。女の子の匂い。頭に触れているため、指先にさらっとした柔らかい髪の感触がある。
「お兄ちゃん……」
耳元でささやかれる声に、愛おしさがあふれる。
十数年ぶりの再会が、闇の中。相手がどのように成長したのかはわからないが、綺麗なはずだ。妹は母にそっくりだったのだから。
母に。
その思いに反応したのは、股間だった。母を思い出せば、鮮烈な情事の記憶は切り離せない。
いつしか、雪奈を抱きしめる腕に、必要以上の力が込められていた。
彼女の香りで肺を一杯にするかのように、『清彦』は大きく息を吸った。
彼女の成長を確かめるように、手がまさぐる。柔らかい。
彼女の存在すべてが、自分の男を刺激する。我慢できない。
少し、雪奈から身を離す。反射的に、彼女の頭が上を向くのが感じ取れた。そのまま、何も言わずに、相手の口に吸い付いた。
「ん、んぉ」
何か言おうとしたらしい。相手の口が開いた。そこへ、『清彦』の舌が襲いかかった。
相手の口内を蹂躙していると、相手の身体からどんどん力が抜けていくのがわかった。不思議なほど拒絶がないが、むしろ好都合だ。
脱力した相手の身体を寝かし、その上にのしかかる。相手の服を脱がそうとするが、焦って上手くいかない。ついにはボタンを引きちぎって、ブラウスの前を開いた。
ブラジャーを押し上げ、露わになった胸に吸いつく。そこは十分に成長していた。
「ん、ああ……」
乳首をいじると、流石に雪奈も反応した。紛らわすように体をよじっている。
その反応に満足し、手を下にずらすと、陰毛に触れる感触とともに、十分に濡れていることが感じ取れた。
「雪奈。これだけ濡れていたら、もういいよな。お兄ちゃんもう我慢できないんだ」
返事はないが、それこそが返事だと、『清彦』を思うことにした。
取り出した性器をスリットにあてがい、ぐっと押し込む。そこは十分にきつかった。
「ん、んん!」
時間をかけて奥に到達する。相手は痛がるそぶりもないが、初めてではないのだろうか。そのことに、少し胸が痛んだ。
「動く、ぞ」
またも無言。『清彦』は少々いらついてきていた。
(嫌でも声を聞かせてもらう――)
腰を引き、今度は思いっきり押し込む!それを二度、三度と繰り返す。
(喘け!喘け!)
パンパンという音に、小さな、別の音が混じりだした。
「あっ……ああっ……え?」
その音に、ニュアンスの違うものがあったことに、『清彦』は気づかなかった。しかし、その音をきっかけに、雪奈の反応が変わった。
「ふぇ?ああっ!な――なんっ――でっ!?」
身を大きくよじり、身体を逃そうとする雪奈。
(そうはさせるか)
そんな様子を、『清彦』はせせら笑った。
「おら!おら!おら!」
相手の腰をしっかりと掴み、ぐいぐい押し付ける。相手が頭を振り乱しているのは分かるが、その表情が分からないのが残念だ。
「いやぁ!やめて――やめてぇ!」
その悲鳴はむしろ心地よく頭に響いた。そのことで、自分のペニスが、固さを増したことが分かる。
そうして、何度も何度もストロークを繰り返してついに――
「出す……ぞ」
「……へ?い、いや!なかは!なかはやめ――」
すすり泣きに変わっていた声が、再び悲鳴に転じたが、それを最後まで聞く余裕は、彼にはなかった。
「う、おおおお――」
「いやあああああ――」
二つの叫び声が重なって、『清彦』はその白い欲望を吐き出した。
荒い息を吐き出しながら、雪奈から性器を抜き去る。
そして、彼女に話しかけようとして、
「雪――」
「いやあああああああ!だ、誰か!来て!早く!」
眩しい光とともに、悲鳴が横から聞こえた。
「誰かぁ!ゆきっ!ゆきから離れて!」
目がやっと光に慣れて、見るとそれは当然、『双葉』だった。
「お前!どういうつもりだ!」
「あら、早く逃げたほうがいいんじゃない?」
しれっと、叫ぶ格好そのままで、声色変えて言ってきた。
「警察にもさっき通報したから、すぐ来るわよ」
「くっ、貴様ぁ!」
だが、確かに早く逃げなければ。その前に、一目妹を見ようと下に目をやると、
「雪――ゆ……き……?由紀!?」
「私はその子があなたの妹なんて言ってないでしょ?」
嘲るような『双葉』の声。でも、そんなものはもうどうでもいい。感じた激しい頭痛に、思わず頭を抱えた。
(私――私が由紀を!?あんなこと――あんな最低な!)
自分が、崩れていく。巨大な奈落に堕ちていく。
「ほら、早く逃げなさいよ!レイプ魔!」
遠くから、サイレンの音が聞こえて、茫然自失のまま『清彦』――いや、清彦はその場から逃げ出した。
◆◇◆◇◆
「こんにちは、おばさん」
「あら、由紀ちゃんいらっしゃい」
呼び鈴の音がして階段降りると、母が由紀を向かい入れたところだった。
「いらっしゃい」
「あ、双葉。すいません、お邪魔します」
「ぜんぜん構わないわ。双葉と仲良くしてあげてね」
母の由紀に対する評価はこれ以上ないくらいだ。頭がよく、品行方正な由紀ならば、当然のことだが。
(仲良く、ね)
「ママ、今日も勉強するから入ってこないでよ」
少し、むくれたように言う。いつも念を押しているのだが、この母親はたまにそれでも来るのが始末におけない。
「絶対だからね!」
はいはいと言いながら引っ込む母。笑いを浮かべた由紀を連れ立って階段を上る。
「あんなに言わなくても」
笑いながら言う由紀に答えず、自室の扉を開けて入り、しっかりと閉める。由紀に向き直り――待ちかまえていた由紀と熱いキスを交わした。
「だって、邪魔されたら台無しじゃない……」
くすっと微笑を浮かべる彼女に、今度はより深い口づけをするために、双葉は襲いかかった。
「あのレイプ魔、捕まったね」
それは、情事の後に、枕元で言うには不釣り合いな話題だったかもしれない。実際、由紀は気分を害したようだ。
「どうでもいいわよ。もう……」
こちらに背を向けた彼女を見つめ、こっそりと笑みを浮かべる。
あれから、由紀は男性恐怖症になった。おかげで、双葉は彼女とより仲良くなれた。
(まったく、いい働きをしてくれたよ)
あれから三カ月。清彦が捕まったのは、双葉が住んでいるところから大分離れた県だった。
彼が三カ月の間何をしていたのか、双葉は知らない。全く連絡は取り合わなかったからだ。
だから、テレビに映った彼が、自分が知っている清彦だという確証はない。
(あの魔法陣の記憶も、あるはずだからな)
魔法書は、今は双葉の手にあるが、あの魔法陣については、忘れるはずが――忘れられるはずがない。
(ま、俺にはもう関係ないか)
そんなことよりも、目の前の彼女の機嫌を直さなければ。そのためには――双葉は、由紀の背中に襲いかかった。