春の暖かい風が、道行く人の頬をなでる夜。
月の光も届かない雑踏の中で、一つの巨大な影が蠢いていた。
「う゛、う゛ぅ――」
人ならざる声で呻きながら、『それ』はよろめきながら路地の奥へと足を進める。
ビルの隙間からこぼれた、遠い街灯からの鈍い光が、それの姿を照らし出す。
その顔は、一見人間の少女のように見えた。
歳のところは15、6歳くらいの、活発そうな少女。しかし、それは顔と胴体の一部だけだった。
彼女の顔の皮膚は右半分を残して無残に剥がれ落ち、グロテスクな断面をさらけ出している。
裂けた顔面の下からは、闇を物質へと変えたようなどす黒い肌が覗き、少女の体格とは比べものにならない程アンバランスな、異形の姿が照らし出された。
もちろん、それは人間ではなかった。
――『魔者』――
それを知るもの達は、彼らをそう呼ぶ。この世界とは異なる次元から訪れた、招かれざる客。
人を喰らいその魂を貪る、まさに悪魔と言ってもいい異形の怪物だ。
それの肉体は、この世界とは異なる物理法則が働いており、銃や刃物を含むいかなる武器を持ってしても、傷つけるのは困難を極める。
そして常人には抗しがたい力を意のままに振るい、破壊と殺戮、そして悪徳に耽る異形の者達は、まさに人類の脅威と言えた。
だが、そいつは今傷ついていた。
異形の体からはどす黒く粘っこい液体が、荒れた舗装路の上にドロリとこぼれ落ち、奇妙なことにジュウ・・・と湯気をたてながらたちまち消散していく。
「う゛ぐぅぅ・・・」
再びくぐもった声で異形が呻いた。それと共に粘液が出血するかのように流れ落ち、立ち込めた湯気が異形を包み込む。
そう、一見無敵かと思われるそれらの体も、完全な不死身というわけではないのである。
それは追われていた。人よりも強靭な異形を追う、恐るべき狩人に。
チラチラと後ろを振り向きながら、怪物は奥まった路地の突き当たりに散乱したゴミの山に身を隠した。
息を潜めて周囲の気配を探る。後ろから彼を追いかけていた追っ手の気配は、今はもうない。
ぶう・・・、と裂けた口が安堵の息をもらす。なんとかあいつから逃げ延びることができたようだ。
傷の痛みに悪態をつきながら、異形はここ数日の行いを思い返していた。
自分としたことが、調子に乗ってとんだドジを踏んだものだ。
ある魔者から、人間の姿に化けられる皮を手に入れたこの怪物は、その姿を使って立て続けに3人の人間を喰らった。
餌にした人間は全て喰らいつくし、死体を残したことはなかったが、『奴』はこちらの気配を嗅ぎつけ、密かにマークしていたらしい。
4人目の人間を喰らおうとした時、『奴』は仕掛けて来た。
やつは一見刃物を構えた、ただの人間に見えた。
だが驚くべきことに、振り下ろされた刃はそれの肌を容易く切り裂いた。
また動きも俊敏だった。怪物の目を持ってしても、相手の太刀筋を見切ることは出来ず、幾度も傷つけられながら怪物は逃げ出した。
あいつはただ者ではない。以前聞いたことがある。強靭な意志を力に換え、魔者を狩る狩人の話を。
そうだ。そうに違いない。今の今まで都市伝説だと思っていたが、奴らは確かに実在するのだ。
なら次からは慎重に動くとしよう。同じ顔、同じ街で人間を襲う真似はせず、場所と姿を変えながら狩りをすればいいのだ。
奴らに見つからなければ、倒されることはない。
――にやり――
怪物にへばりついたままの、少女の顔半分が不敵に笑った。直後怪物の腕に引っぱられ、笑顔は醜く崩れていく。
もうこの皮は役に立たない。追っ手との戦いの中で随分壊れてしまった。
傷が癒えたらあいつの所に、新しい皮を貰いに行こう。今度は何枚か余分に手に入れるのもいいだろう。
皮の在庫なら沢山あるはずだ。あいつのいる場所には、材料になる人間の子供が沢山いるのだから。
ブチブチと肉の千切れる不快な音と共に、少女の切れ端は大きく口を開け、張りのいい十代の胸の膨らみがプルプル揺れながら、異形の肉体から力任せに引きちぎられ、剥がされていく。
――べちゃり――
少女の残骸が汚い物音を立てながら、割れた舗装路に叩きつけられた。
顔も胸も、子供が壊した粘土細工のように無残に潰れて地面に横たわる。
しかし、脱ぎ捨てられた少女の表情は、魔者から解放され、どこか嬉しそうに笑っているようだった。
さて、行こうか。
異形は立ち上がり、のそのそと袋小路から動き出した。
空に浮かんだ半月は雲の中へ顔を隠し、闇に紛れたそれのおぞましい姿を見つけるのは一層難しくなった。
いい具合だ。月を捕らえた雲は厚く、いまいましい月光が自分を照らすことは当分ないだろう。
袋小路を抜け、その先の十字路怪物がさしかかったその時、突如猛烈な突風が怪物へと吹きつけた。
「GUA!?」
両脚に衝撃を感じ、怪物の巨大がたまらず地面に叩きつけられる。
何だ? 今のは?
怪物は戸惑っていた。並の武器では傷をつけることもかなわぬこの体を、地面に引きずり倒すとは?
これはただの風じゃない。
まさか、さっきの奴が・・・。だったら今すぐ逃げなければ。
異形は戦慄しながら体を起こそうとした。
しかしそれの両脚は上手く動かず、異形は苛立ちの声をあげる。
何とか腕を使って脚を持ち上げようとしてみるが、それは無駄な試みだった。
何故ならこの魔者の両脚は、太もものあたりからスッパリと切断されていたからだ。
「GUAAAAAHHH!!」
遅れてやってきた、体が裏帰らんばかりの激痛に魔者は悲鳴を上げた。
切断面からは黒い液体が噴水のように吹き出し、瞬く間に蒸気と化して消散していく。
「それで逃げられたつもりか、外道め」
怒りの籠もった罵声が地に這いつくばる魔者に浴びせられ、目の前に人影が立ちふさがる。
それは若い人間の男だった。
スポーツキャップに赤黒のジャケットというそのいでたちは、今風の若者を思わせる風貌だが、腕に握られた一振りの日本刀が、彼がただものではないことを示していた。
そして魔者には、この若者に見覚えがあった。
自分を狩りを邪魔し、その刀で化けの皮を切り裂き、自身を傷つけた憎きもの。
怒りにまかせて魔者は吠えた。
「GRUU・・・!! ヤハリ、キサマハ魔殺士カッ!?」
魔殺士と呼ばれた若者は、魔者の問いに刀で答えた。肘の上から断ち切られた異形の右腕が宙を舞い、ドサリと地面に転がる。
「UGAAHH・・・!!」
魔者は再び傷口を抑えながら絶叫する。切り落とされた異形の手足は、黒い蒸気となって分解、消滅していく。
「HAA・・・HAA・・・」
倒れた魔者の頭部に、魔殺士の若者は容赦なく刃先を突きつけた。
手足をもがれ、もはやそれには万に一つも勝ち目はなかった。
魔者の思考に、明らかな恐怖の感情が湧き上がってくる。
失った手足はいずれは再生する。しかし、あの刀で頭を潰されたら自分は・・・。
消える。消される。それは確実な未来だった。
「M・・・待ッテクレ・・・。消サナイデクレ・・・」
魔者は残った腕で自分を庇いながら、若者に懇願した。
「オレハココニ来テマダ三人『シカ』喰ッテナインダ。モット喰ッテイルヤツノ情報ヲ話スカラ、消サナイデクレ・・・」
真意を見定めるかのように、若者は獲物を睨みつけたまま微動だにしない。
「モウ人間ハ喰ワナイ。オトナシクスル。本当ダ」
「・・・」
魔殺士は刀を裏返し、峰の部分を魔者の頭に押し当てた。
空いた手が印を結ぶと、刀身がぼうっと白い光を帯びていく。
「!!」
その瞬間、魔者の思考は凄まじい電光にかき乱された。
悲鳴をあげることもできず、苦痛に顔を強ばらせながら、体をビクビクと激しく痙攣させる。
やがて数十秒の時間が経ち、魔者は苦痛に満ちた世界から解放された。
「どうやらきさまが言っていることは、本当らしいな」
刀を引き、魔殺士は忌々しげに吐き捨てた。
「お前の腐った思考を読み取った。『皮売り(スキンベンダー)』か、学校に潜んでいるとは考えたな。だが、それもここまでだ」
魔者に向かって、狩人は再び刀を振り上げた。持ち上がった刀身が不気味な紫光を放つ。
それは彼の意思を変異させた、尋常ならざる魔を裁つ力だ。
「お前は先に逝って待っていろ。寂しがることはない。すぐに仲間を送ってやる」
「ソ、ソンナ!! ヤメロ!! 約束ガ違ウ!!」
「約束だと? お前はまだ何も話していないじゃないか?」
「・・・!?」
「言ったろう? お前の思考を読んだ、と。
それにお前の口からヤツのことを喋られては、お前を消せなくなるだろ?」
「ヤ、ヤメ・・・!!!!」
魔者が言い終わる前に、それの思考はこの世界から永久に断ち切られた。
振り下ろされた紫光の刃が、魔者の頭頂部から股間まで、一直線に切り裂いたのだ。
怒気の篭った声で若者が叫ぶ。
「三人『も』喰らった外道を、俺が許すと思うか?」
だがその言葉を聞かせるべき相手はもうこの世にはなかった。
二つになった魔者の肉体は、シューシューと音をたてながら瞬く間に黒い蒸気となって消滅していった。
魔者が完全に消滅したのを確認した魔殺士は、刀を鞘にしまうと、無残な姿となって地面に投げ捨てられていた、少女の皮の残骸を拾い上げた。
皮の材料は、かつて生きていた人間の皮。一部の魔者は狩った人間の中身を喰らい、剥ぎ取った皮を被って人に化け、社会に潜んで人間狩りをしているのだ。
「かわいそうに・・・、痛かっただろう」
この少女にも人生があり、友人や夢や未来を持ったいたのだろう。
だがそれらは突然断ち切られた。異界からきたおぞましい怪物の手によって命を奪われ、彼女の顔も名前も、存在そのものも利用されたのだ。
魔者の存在は公式には認知されていない。少女の死は誰にも知られることなく、失踪者として扱われることになるだろう。
彼に出来ることは彼女を丁重に弔うこと。
そして今現在も進行している彼女と同じ悲劇を、一刻も早く終わらせることだ。
――絶対に止めてやる――
心に誓いながら若者は犠牲者の皮を風呂敷に包み、彼の姿は皮とともに裏町から消え去っていった。
■■■
激しい追跡劇から数日が経過し、魔殺士の若者はある私立高校の近くにあるファーストフード店の二階から、正門の様子を伺っていた。
時間は朝八時。正門前には通学途中の学生達が続々とやってくるのが見える。
中には一ヶ月ほど前に入学したばかりの、新入生の姿もあるだろう。
あれだけ咲き乱れていた桜の花は姿を消し、夏を予感させる新緑が学生達を彩る。
私立桜晶女子学園。ここは県内有数の進学校である。
自由な校風と、高度なカリキュラムと優秀な教師達を配した教育指針は多くの入学希望者を得ることとなり、少子化の現代にあっても、共学化することなくその風格を維持していた。
少女たちはここで友と勉学に励み、進学し、やがては社会に巣立っていくのだ。
だが、生徒達は何も知らない。この学校の中に人の皮を被った怪物が潜んでいるのを。
若者が読み取った、魔者の思考から得られたのはこの学校であった。
また、最近仲間が仕留めた魔者の内の数体は、ここの生徒やその家族の皮を被っていたそうだ。
『皮売り(スキンベンダー)』。魔者から得た、奴らに皮を売り渡した魔者の名前だ。
人を襲ってその皮を剥ぎ、魔者が着れるように加工して売り飛ばす。
しかし、得られた情報はこれだけだった。『皮売り』は客にも自分の正体が分からないように様々な姿で現れるからだ。
だから相手が単独犯なのか、複数犯なのかすら未だ分からない。
それに通常魔者の肉体からは、『魔気』と呼ばれる微弱なエネルギーが出ており、それを感じることで彼らの存在を察知することが出来るのだが、『皮売り』の作る皮は巧妙に魔気を遮断しており、その気配をつかむことが出来ない。
見えない敵の存在。これは魔殺士にとっても大いなる脅威だ。
だが奴が、この学校を狩場にしているのは確かなようだ。ならば彼がやることは一つ。
こちらの存在を知られぬうちに相手を突き止め、息の根を止める。それだけだ。
秘匿性を重視するために同行者はなし。極めて危険な任務だが、『協会』がこちらに振って来たのは、自分を信頼しているからだろう。
なら早速準備にかかろう。頼んでいるものは出来ているだろうか?
ぬるくなったコーヒーを飲み干し、若者は店を後にした。そして協会が密かに借りている近場のマンションへと歩いていった。
若者の名前は椿慶紫(つばき・けいし)。齢は19歳の若き魔殺士である。
14の時に魔者によって親を失い、生き残った姉とともに、資質を見出された老魔殺士に引き取られ、その技と術を身につけた。
一人前となって実戦に身を置くようになってまだ日は浅いが、その実力は確かだ。
彼の魔力は、術を扱う能力は決して高くはないものの、『身体』を操ることに長け、刀を使った近接戦闘を得意とする。
魔殺士の中でも、彼のような『肉弾魔殺士』は珍しい。魔殺士の多くは意志を力へと換え、そのエネルギーを飛び道具として魔者にぶつけて倒す。
しかし彼は、意思の力を投射するのは得意ではなかった。距離による力の減衰が大きすぎるのだ。
『普通の』魔殺士として、慶紫は紛れも無く落ちこぼれだった。
だがその一方で、距離さえ近ければ彼の力は非常に高く、近接武器に力を宿せばその威力はさらに高まった。
そして何よりも、彼の魔力はその運動能力を飛躍的に高めた。
身体能力では圧倒的なアドバンテージを持つ魔者に接近戦を仕掛け、通常の術より高い威力をもった斬撃を叩き込むことが出来る。
彼の才能の開花によって、魔殺士の戦術は一変した。
また今まで落ちこぼれとされてきた魔殺士の中にも、彼と同じような才覚が見つかるようにもなった。
慶紫は自分が身につけた力以上のものを、仲間にもたらしたのである。
そして今日も、彼は闘い続ける。魔者を滅し、自分のような孤児を出さないために・・・。
■■■
学園から少し離れた古いマンションの中に、協会の臨時支部はあった。
協会員から渡された鍵を開け、慶紫は部屋の中へと進む。
そこは殺風景な部屋だった。家具の類もほとんど無く、生活感はほとんどない。
だがこまめに掃除はしているようだ。床の上に、埃は全く積もっていない。
閉じたままだったカーテンを開けると、朝の光が部屋の中を明るく照らし出し、影になっていた部屋の角が明らかになっていく。
奇妙なことに、そこにあるのは服飾店で見かける小柄なマネキン人形だった。
その隣にのテーブルに、四輪式の大きなキャリーバッグが横たわっているのが目に入る。
「これか。もう出来ていたんだな」
これが彼の目当てのものだった。
つかつかとそれに歩み寄り、ダイヤル錠に教えられたキーナンバーを入力していく。
カチッと音がして鍵が開き、慶紫はケースの蓋を持ち上げ、中の品物を取り出す
だがその中身は奇妙なものだった。女物の衣服に下着、桜晶女子学園の制服に靴。体操服に水着。
学園指定の鞄と、教科書らしき書籍の数々。
ICチップ付きの生徒手帳。そこには童顔の、可愛らしい少女の写真が映っていた。
そして最後に取り出したもの。梱包していた厚手のフィルムを剥ぎ取ると、中から出てきたのは特別な処理が施された豚の皮と、女物のかつらだった。
「やっぱり、皮の造形はこっちでやらなきゃ駄目か・・・」
慶紫は面倒くさそうに顔をしかめながら、ノートPCを起動してアプリケーションを開いた。
画面には生徒手帳に映っていた少女の裸身と、彼女の詳細な身体データが表示される。
豚皮を手に取り、慶紫はテーブル横のマネキン人形に被せ、伸ばしながら縫い合わせて人形の全身を大まかに皮で覆った後、顔の造形に入った。
PCのデータを参考にしながら皮を引っ張り、薬品を使いながら形を整えていくと、しみ一つ無い少女の愛くるしい顔つきが出来上がる。
その後も慶紫の手先が巧みに動き、小ぶりな胸の膨らみや細い手足、肉の薄い尻が出来上がっていく。
手の込んだことに、股の部分も本物そっくりに作りこんでいた。
性器の外見はもとより、豚の内臓を加工して体内にかりそめの膣と子宮が出来上がる。
こうして5時間ほどの時が経って作業が終わり、無機質なマネキン人形は童顔の、可愛らしい少女の姿へと変化していた。
はさみで背中の縫い糸を切り、人形から皮の部分を剥ぎ取る。
そして再び背中を縫い合わせた後、皮のあちこちにある縫い目の傷を、粘土状の補修剤で埋めて一晩乾かすと、頭のてっぺんから指の先まで、人間の少女そっくりの皮が完成した。
「よしよし、いい出来だ」
翌朝の早朝。皮が充分に乾いたところで、慶紫はそれを手に取って出来具合を確かめた。
見たところ不具合が出そうなところは無さそうだ。これなら怪しまれずに学校に潜入し、魔者を探すことができる。
「後は着替えるだけだな。じゃあやってみるか」
満足そうに微笑んだ後、若者の口が大きく開かれた、そして。
突如慶紫の目から光が消え、彼の目と口は虚ろな空洞と化し、そこから紫色の靄のようなものが噴き出した。
それと共に、慶紫の肉体は内側から急速に萎み、厚みを失って潰れていく。
そして彼の体から抜け出した紫色の靄は、隣に横たわる少女の皮の、目と口から中へと入っていった。
やがて虚ろな眼窩に光が宿り、少女の皮は内側から膨張して、人の形を作り上げていく。
ねじくれていた手足が持ち上がり、潰れていた顔や胴体をグイグイと引っ張ってその形を復元する。
それに相反して慶紫の体の中身は完全に抜け落ち、抜け殻と化してぐにゃりと床に崩れ落ちていく。
その隣で、完璧に写し取られた少女の裸身が、まっすぐに立ち上がった。
魔殺士の本体。それは肉体の縛りから解き放たれた、靄のようなエネルギー体である。
彼らは本来の体を捨て去ることで、負傷や死のリスクを軽減しているのだ。
しかし、エネルギー体のままでは物質に干渉することが出来ず不便を強いられる上、この姿のままではエネルギーは急速に消費され、数時間で本体は消滅してしまう。
だから彼らはかりそめの肉体として、『皮』を使う。
これによって物理的身体と、エネルギー体であることの利点を両方活かすことが出来るのだ。
皮が損傷しても、本体さえ無事であればなんの問題も無い。
傷ついた皮は捨て、新しい皮に入れば闘いは続けられるからだ。
そしてこの方式は、新しいメリットを魔殺士にもたらした。
皮を換えることで、魔殺士はその外見を自由に変えることが出来る。
年齢、性別はもとより、人間とは全く異なる動物の姿にも化けることが可能なのだ。
もっとも新しい皮を使いこなすには、相当の慣れが必要なのではあるが。
新しい皮を着込み、少女の姿となった慶紫は、部屋に置いてある大きな姿見に映った自分の姿を検分していた。
女の皮を作った経験は少ないが、出来は充分。例え素っ裸になったとしても、こちらの正体がばれることはないだろう。
縫い目の部分が暴露しないか心配だが、手入れを怠らなければ簡単には分からないはずだ。
戯れに女の子の膨らみに手を当てる。ぽよん、と柔らかい感触が指先に伝わってくる。
こちらの出来も上等。見た目はもとより、手触りも本物と区別はつかないだろう。
そして最後に、左手を脚の間に伸ばす。茂みも揃わぬ、作りたての女の花園がそこにあった。
本物の女の膣を模して、豚の内臓で作られたその部分は、もちろん本物と同じ行為に使うことが出来る。
魔者を追う上で情報収集は不可欠だ。場合によってはベッドの上でそれに及ぶこともある。
だから女の部分の使い方も、魔殺士の修行の中で教えられるのだ。
左の指先で花弁をくぱぁ、と広げ、右の指先で肉穴の入口を優しく愛撫する。
「あぁんっ!!」
少女は悩ましい声で鳴いたが、残念ながら実際に女の愉しみを感じられるわけではない。
皮が感じられるのはあくまで簡単な触覚のみ、豚皮では高度な感覚を得ることが出来ないのだ。
しかし構わずに少女は自らの秘所を弄り続ける。中からはぬるりとした潤滑液が溢れ、まだ経験のない少女の体を濡らす。
充分に濡れたところで、優しく指先をインサート。
「んくぅっ・・・」
押し殺した喘ぎ声と共に少女の顔が恍惚に緩むが、これもあくまでおふざけだ。侵入させた指先で、中の触感や締まり具合を確かめる。
「ちょっとキツ過ぎるかな?」
心配そうな顔つき。
いや大丈夫だろう。自分が行くのは女子高だ。ここを使うなんてことはまず無いはずだ。
それにもう作り直してる時間が惜しい。こうしているうちにも、魔者は人を襲っているかも知れない。
汚れた体をシャワーで流し、さっぱりしてから下着を身につける。
飾りっ気の無い、薄いピンク色のショーツ。女物の下着って、どうしてこう布地が少ないのだろうか。着けるのは初めてじゃないが、いつもながら落ち着かない。
続けて悪戦苦闘しながら、ショーツと同じ色のブラジャー。この薄い胸にブラって要るのか?
その後下着姿でかつらを頭に貼り付け、髪型をセット。幅の広いリボンで髪を左右一対に纏める。所謂ツインテールというやつ。
可愛らしい容姿と相まって、よく似合っている。発育不良とは言わないでほしいな。
続けてカッターシャツにネクタイと、チェックのプリーツスカート、シワやヨレが出ないように上着のブレザーを着込んで着替えは終了。
おっと、まだ机の上に何か残ってた。色の濃いストッキングだ。どうしようかなぁ。スカートはスースーして落ち着かないからなぁ。
ええい穿いちゃえ。よいしょっと・・・。
ううん。この脚をピッタリと締め付けてくる感覚。なんだかいいなぁ。
「後は・・・」
玄関口に立てかけていた、小ぶりの刀を手に取る。
いつも愛用している刀よりは随分短く、当然間合いも狭いが、携帯性は良い。
そして小柄な少女の姿で振るうには一番バランスの良い長さだ。
慶紫は刀を持ち上げると、着込んだ少女の顔を醜く歪ませながら、口をあんぐりと大きく開くと躊躇無くその中に刀を小尻から押し込んでいった。
少女の首がありえないほどに膨らみ、刀はゆっくりとその小さな体の中に収まっていく。
人間のように骨も肉も、はらわたも無い、空っぽの『皮』ならではの収納術。
もちろん刀一本で納めたところで、まだ体内の容積には余裕がある。キャリーバッグの上げ底を取ると、信じられないことに、そこには数十個の旧式のパイナップル型手榴弾と鎖付きの分銅、そして骨董品のサブマシンガン、M3グリースガンと.45口径の弾薬が沢山詰まっていた。
さも当然のように、少女はそれらを口の中に押し込んだ。彼女の首が呑み込んだ物の形に膨らみ、やがてそれは腹の中に落ちこんでいく。
グリースガンを呑み込むのは流石に見送った。オープンボルトの銃器は安全装置をかけても暴発のリスクが少なからずある上、何よりも銃弾に自身の術が乗らないため、魔者への効果が薄いと踏んだからだ。
バッグの中身を根こそぎ平らげると、歪んだ顔も膨らんだ首も元通りになり、どこから見ても小柄な少女の体の中に、大量の武器が隠れているなど分からなくなった。
「おえっ。お腹一杯に食べ過ぎて気持ち悪くなっちゃったよ」
少女は少しふざけながら、ゴロゴロと両手でお腹を揺すり、中のもののポジションを整えた。
着替えと武装が終わり、慶紫が桜晶学園に潜入する準備は完全に整った。
制服のポケットの中には新しい鍵。ここの鍵ではない。紫奈のために用意した新しい寝床の鍵だ。
教科書と体操服の入った鞄を手に取り、玄関の扉を開けようとする。
おっといけない。脱ぎ捨てた慶紫の抜け殻が床に転がったままだ。着替えることに集中しててすっかり忘れていた。
「ほったらかしにしてごめんね、お兄さん」
女の子の声で皮に囁く。
丁寧にそれを畳み、キャリーバッグの中に片付ける。
「しばらく合えないけど、ちょっとの間我慢してね」
ケースの蓋を閉じ、ダイヤル錠をかけ収納完了。
「これでよし。じゃあ元気でね」
鞄をもって玄関口へ。扉を開け、彼女は外へとび出す。
「バイバイ、お兄さん」
かくして少女の皮を被った魔殺士は、その姿に相応しい自らの戦場に出向いて行こうとした。(続く)
月の光も届かない雑踏の中で、一つの巨大な影が蠢いていた。
「う゛、う゛ぅ――」
人ならざる声で呻きながら、『それ』はよろめきながら路地の奥へと足を進める。
ビルの隙間からこぼれた、遠い街灯からの鈍い光が、それの姿を照らし出す。
その顔は、一見人間の少女のように見えた。
歳のところは15、6歳くらいの、活発そうな少女。しかし、それは顔と胴体の一部だけだった。
彼女の顔の皮膚は右半分を残して無残に剥がれ落ち、グロテスクな断面をさらけ出している。
裂けた顔面の下からは、闇を物質へと変えたようなどす黒い肌が覗き、少女の体格とは比べものにならない程アンバランスな、異形の姿が照らし出された。
もちろん、それは人間ではなかった。
――『魔者』――
それを知るもの達は、彼らをそう呼ぶ。この世界とは異なる次元から訪れた、招かれざる客。
人を喰らいその魂を貪る、まさに悪魔と言ってもいい異形の怪物だ。
それの肉体は、この世界とは異なる物理法則が働いており、銃や刃物を含むいかなる武器を持ってしても、傷つけるのは困難を極める。
そして常人には抗しがたい力を意のままに振るい、破壊と殺戮、そして悪徳に耽る異形の者達は、まさに人類の脅威と言えた。
だが、そいつは今傷ついていた。
異形の体からはどす黒く粘っこい液体が、荒れた舗装路の上にドロリとこぼれ落ち、奇妙なことにジュウ・・・と湯気をたてながらたちまち消散していく。
「う゛ぐぅぅ・・・」
再びくぐもった声で異形が呻いた。それと共に粘液が出血するかのように流れ落ち、立ち込めた湯気が異形を包み込む。
そう、一見無敵かと思われるそれらの体も、完全な不死身というわけではないのである。
それは追われていた。人よりも強靭な異形を追う、恐るべき狩人に。
チラチラと後ろを振り向きながら、怪物は奥まった路地の突き当たりに散乱したゴミの山に身を隠した。
息を潜めて周囲の気配を探る。後ろから彼を追いかけていた追っ手の気配は、今はもうない。
ぶう・・・、と裂けた口が安堵の息をもらす。なんとかあいつから逃げ延びることができたようだ。
傷の痛みに悪態をつきながら、異形はここ数日の行いを思い返していた。
自分としたことが、調子に乗ってとんだドジを踏んだものだ。
ある魔者から、人間の姿に化けられる皮を手に入れたこの怪物は、その姿を使って立て続けに3人の人間を喰らった。
餌にした人間は全て喰らいつくし、死体を残したことはなかったが、『奴』はこちらの気配を嗅ぎつけ、密かにマークしていたらしい。
4人目の人間を喰らおうとした時、『奴』は仕掛けて来た。
やつは一見刃物を構えた、ただの人間に見えた。
だが驚くべきことに、振り下ろされた刃はそれの肌を容易く切り裂いた。
また動きも俊敏だった。怪物の目を持ってしても、相手の太刀筋を見切ることは出来ず、幾度も傷つけられながら怪物は逃げ出した。
あいつはただ者ではない。以前聞いたことがある。強靭な意志を力に換え、魔者を狩る狩人の話を。
そうだ。そうに違いない。今の今まで都市伝説だと思っていたが、奴らは確かに実在するのだ。
なら次からは慎重に動くとしよう。同じ顔、同じ街で人間を襲う真似はせず、場所と姿を変えながら狩りをすればいいのだ。
奴らに見つからなければ、倒されることはない。
――にやり――
怪物にへばりついたままの、少女の顔半分が不敵に笑った。直後怪物の腕に引っぱられ、笑顔は醜く崩れていく。
もうこの皮は役に立たない。追っ手との戦いの中で随分壊れてしまった。
傷が癒えたらあいつの所に、新しい皮を貰いに行こう。今度は何枚か余分に手に入れるのもいいだろう。
皮の在庫なら沢山あるはずだ。あいつのいる場所には、材料になる人間の子供が沢山いるのだから。
ブチブチと肉の千切れる不快な音と共に、少女の切れ端は大きく口を開け、張りのいい十代の胸の膨らみがプルプル揺れながら、異形の肉体から力任せに引きちぎられ、剥がされていく。
――べちゃり――
少女の残骸が汚い物音を立てながら、割れた舗装路に叩きつけられた。
顔も胸も、子供が壊した粘土細工のように無残に潰れて地面に横たわる。
しかし、脱ぎ捨てられた少女の表情は、魔者から解放され、どこか嬉しそうに笑っているようだった。
さて、行こうか。
異形は立ち上がり、のそのそと袋小路から動き出した。
空に浮かんだ半月は雲の中へ顔を隠し、闇に紛れたそれのおぞましい姿を見つけるのは一層難しくなった。
いい具合だ。月を捕らえた雲は厚く、いまいましい月光が自分を照らすことは当分ないだろう。
袋小路を抜け、その先の十字路怪物がさしかかったその時、突如猛烈な突風が怪物へと吹きつけた。
「GUA!?」
両脚に衝撃を感じ、怪物の巨大がたまらず地面に叩きつけられる。
何だ? 今のは?
怪物は戸惑っていた。並の武器では傷をつけることもかなわぬこの体を、地面に引きずり倒すとは?
これはただの風じゃない。
まさか、さっきの奴が・・・。だったら今すぐ逃げなければ。
異形は戦慄しながら体を起こそうとした。
しかしそれの両脚は上手く動かず、異形は苛立ちの声をあげる。
何とか腕を使って脚を持ち上げようとしてみるが、それは無駄な試みだった。
何故ならこの魔者の両脚は、太もものあたりからスッパリと切断されていたからだ。
「GUAAAAAHHH!!」
遅れてやってきた、体が裏帰らんばかりの激痛に魔者は悲鳴を上げた。
切断面からは黒い液体が噴水のように吹き出し、瞬く間に蒸気と化して消散していく。
「それで逃げられたつもりか、外道め」
怒りの籠もった罵声が地に這いつくばる魔者に浴びせられ、目の前に人影が立ちふさがる。
それは若い人間の男だった。
スポーツキャップに赤黒のジャケットというそのいでたちは、今風の若者を思わせる風貌だが、腕に握られた一振りの日本刀が、彼がただものではないことを示していた。
そして魔者には、この若者に見覚えがあった。
自分を狩りを邪魔し、その刀で化けの皮を切り裂き、自身を傷つけた憎きもの。
怒りにまかせて魔者は吠えた。
「GRUU・・・!! ヤハリ、キサマハ魔殺士カッ!?」
魔殺士と呼ばれた若者は、魔者の問いに刀で答えた。肘の上から断ち切られた異形の右腕が宙を舞い、ドサリと地面に転がる。
「UGAAHH・・・!!」
魔者は再び傷口を抑えながら絶叫する。切り落とされた異形の手足は、黒い蒸気となって分解、消滅していく。
「HAA・・・HAA・・・」
倒れた魔者の頭部に、魔殺士の若者は容赦なく刃先を突きつけた。
手足をもがれ、もはやそれには万に一つも勝ち目はなかった。
魔者の思考に、明らかな恐怖の感情が湧き上がってくる。
失った手足はいずれは再生する。しかし、あの刀で頭を潰されたら自分は・・・。
消える。消される。それは確実な未来だった。
「M・・・待ッテクレ・・・。消サナイデクレ・・・」
魔者は残った腕で自分を庇いながら、若者に懇願した。
「オレハココニ来テマダ三人『シカ』喰ッテナインダ。モット喰ッテイルヤツノ情報ヲ話スカラ、消サナイデクレ・・・」
真意を見定めるかのように、若者は獲物を睨みつけたまま微動だにしない。
「モウ人間ハ喰ワナイ。オトナシクスル。本当ダ」
「・・・」
魔殺士は刀を裏返し、峰の部分を魔者の頭に押し当てた。
空いた手が印を結ぶと、刀身がぼうっと白い光を帯びていく。
「!!」
その瞬間、魔者の思考は凄まじい電光にかき乱された。
悲鳴をあげることもできず、苦痛に顔を強ばらせながら、体をビクビクと激しく痙攣させる。
やがて数十秒の時間が経ち、魔者は苦痛に満ちた世界から解放された。
「どうやらきさまが言っていることは、本当らしいな」
刀を引き、魔殺士は忌々しげに吐き捨てた。
「お前の腐った思考を読み取った。『皮売り(スキンベンダー)』か、学校に潜んでいるとは考えたな。だが、それもここまでだ」
魔者に向かって、狩人は再び刀を振り上げた。持ち上がった刀身が不気味な紫光を放つ。
それは彼の意思を変異させた、尋常ならざる魔を裁つ力だ。
「お前は先に逝って待っていろ。寂しがることはない。すぐに仲間を送ってやる」
「ソ、ソンナ!! ヤメロ!! 約束ガ違ウ!!」
「約束だと? お前はまだ何も話していないじゃないか?」
「・・・!?」
「言ったろう? お前の思考を読んだ、と。
それにお前の口からヤツのことを喋られては、お前を消せなくなるだろ?」
「ヤ、ヤメ・・・!!!!」
魔者が言い終わる前に、それの思考はこの世界から永久に断ち切られた。
振り下ろされた紫光の刃が、魔者の頭頂部から股間まで、一直線に切り裂いたのだ。
怒気の篭った声で若者が叫ぶ。
「三人『も』喰らった外道を、俺が許すと思うか?」
だがその言葉を聞かせるべき相手はもうこの世にはなかった。
二つになった魔者の肉体は、シューシューと音をたてながら瞬く間に黒い蒸気となって消滅していった。
魔者が完全に消滅したのを確認した魔殺士は、刀を鞘にしまうと、無残な姿となって地面に投げ捨てられていた、少女の皮の残骸を拾い上げた。
皮の材料は、かつて生きていた人間の皮。一部の魔者は狩った人間の中身を喰らい、剥ぎ取った皮を被って人に化け、社会に潜んで人間狩りをしているのだ。
「かわいそうに・・・、痛かっただろう」
この少女にも人生があり、友人や夢や未来を持ったいたのだろう。
だがそれらは突然断ち切られた。異界からきたおぞましい怪物の手によって命を奪われ、彼女の顔も名前も、存在そのものも利用されたのだ。
魔者の存在は公式には認知されていない。少女の死は誰にも知られることなく、失踪者として扱われることになるだろう。
彼に出来ることは彼女を丁重に弔うこと。
そして今現在も進行している彼女と同じ悲劇を、一刻も早く終わらせることだ。
――絶対に止めてやる――
心に誓いながら若者は犠牲者の皮を風呂敷に包み、彼の姿は皮とともに裏町から消え去っていった。
■■■
激しい追跡劇から数日が経過し、魔殺士の若者はある私立高校の近くにあるファーストフード店の二階から、正門の様子を伺っていた。
時間は朝八時。正門前には通学途中の学生達が続々とやってくるのが見える。
中には一ヶ月ほど前に入学したばかりの、新入生の姿もあるだろう。
あれだけ咲き乱れていた桜の花は姿を消し、夏を予感させる新緑が学生達を彩る。
私立桜晶女子学園。ここは県内有数の進学校である。
自由な校風と、高度なカリキュラムと優秀な教師達を配した教育指針は多くの入学希望者を得ることとなり、少子化の現代にあっても、共学化することなくその風格を維持していた。
少女たちはここで友と勉学に励み、進学し、やがては社会に巣立っていくのだ。
だが、生徒達は何も知らない。この学校の中に人の皮を被った怪物が潜んでいるのを。
若者が読み取った、魔者の思考から得られたのはこの学校であった。
また、最近仲間が仕留めた魔者の内の数体は、ここの生徒やその家族の皮を被っていたそうだ。
『皮売り(スキンベンダー)』。魔者から得た、奴らに皮を売り渡した魔者の名前だ。
人を襲ってその皮を剥ぎ、魔者が着れるように加工して売り飛ばす。
しかし、得られた情報はこれだけだった。『皮売り』は客にも自分の正体が分からないように様々な姿で現れるからだ。
だから相手が単独犯なのか、複数犯なのかすら未だ分からない。
それに通常魔者の肉体からは、『魔気』と呼ばれる微弱なエネルギーが出ており、それを感じることで彼らの存在を察知することが出来るのだが、『皮売り』の作る皮は巧妙に魔気を遮断しており、その気配をつかむことが出来ない。
見えない敵の存在。これは魔殺士にとっても大いなる脅威だ。
だが奴が、この学校を狩場にしているのは確かなようだ。ならば彼がやることは一つ。
こちらの存在を知られぬうちに相手を突き止め、息の根を止める。それだけだ。
秘匿性を重視するために同行者はなし。極めて危険な任務だが、『協会』がこちらに振って来たのは、自分を信頼しているからだろう。
なら早速準備にかかろう。頼んでいるものは出来ているだろうか?
ぬるくなったコーヒーを飲み干し、若者は店を後にした。そして協会が密かに借りている近場のマンションへと歩いていった。
若者の名前は椿慶紫(つばき・けいし)。齢は19歳の若き魔殺士である。
14の時に魔者によって親を失い、生き残った姉とともに、資質を見出された老魔殺士に引き取られ、その技と術を身につけた。
一人前となって実戦に身を置くようになってまだ日は浅いが、その実力は確かだ。
彼の魔力は、術を扱う能力は決して高くはないものの、『身体』を操ることに長け、刀を使った近接戦闘を得意とする。
魔殺士の中でも、彼のような『肉弾魔殺士』は珍しい。魔殺士の多くは意志を力へと換え、そのエネルギーを飛び道具として魔者にぶつけて倒す。
しかし彼は、意思の力を投射するのは得意ではなかった。距離による力の減衰が大きすぎるのだ。
『普通の』魔殺士として、慶紫は紛れも無く落ちこぼれだった。
だがその一方で、距離さえ近ければ彼の力は非常に高く、近接武器に力を宿せばその威力はさらに高まった。
そして何よりも、彼の魔力はその運動能力を飛躍的に高めた。
身体能力では圧倒的なアドバンテージを持つ魔者に接近戦を仕掛け、通常の術より高い威力をもった斬撃を叩き込むことが出来る。
彼の才能の開花によって、魔殺士の戦術は一変した。
また今まで落ちこぼれとされてきた魔殺士の中にも、彼と同じような才覚が見つかるようにもなった。
慶紫は自分が身につけた力以上のものを、仲間にもたらしたのである。
そして今日も、彼は闘い続ける。魔者を滅し、自分のような孤児を出さないために・・・。
■■■
学園から少し離れた古いマンションの中に、協会の臨時支部はあった。
協会員から渡された鍵を開け、慶紫は部屋の中へと進む。
そこは殺風景な部屋だった。家具の類もほとんど無く、生活感はほとんどない。
だがこまめに掃除はしているようだ。床の上に、埃は全く積もっていない。
閉じたままだったカーテンを開けると、朝の光が部屋の中を明るく照らし出し、影になっていた部屋の角が明らかになっていく。
奇妙なことに、そこにあるのは服飾店で見かける小柄なマネキン人形だった。
その隣にのテーブルに、四輪式の大きなキャリーバッグが横たわっているのが目に入る。
「これか。もう出来ていたんだな」
これが彼の目当てのものだった。
つかつかとそれに歩み寄り、ダイヤル錠に教えられたキーナンバーを入力していく。
カチッと音がして鍵が開き、慶紫はケースの蓋を持ち上げ、中の品物を取り出す
だがその中身は奇妙なものだった。女物の衣服に下着、桜晶女子学園の制服に靴。体操服に水着。
学園指定の鞄と、教科書らしき書籍の数々。
ICチップ付きの生徒手帳。そこには童顔の、可愛らしい少女の写真が映っていた。
そして最後に取り出したもの。梱包していた厚手のフィルムを剥ぎ取ると、中から出てきたのは特別な処理が施された豚の皮と、女物のかつらだった。
「やっぱり、皮の造形はこっちでやらなきゃ駄目か・・・」
慶紫は面倒くさそうに顔をしかめながら、ノートPCを起動してアプリケーションを開いた。
画面には生徒手帳に映っていた少女の裸身と、彼女の詳細な身体データが表示される。
豚皮を手に取り、慶紫はテーブル横のマネキン人形に被せ、伸ばしながら縫い合わせて人形の全身を大まかに皮で覆った後、顔の造形に入った。
PCのデータを参考にしながら皮を引っ張り、薬品を使いながら形を整えていくと、しみ一つ無い少女の愛くるしい顔つきが出来上がる。
その後も慶紫の手先が巧みに動き、小ぶりな胸の膨らみや細い手足、肉の薄い尻が出来上がっていく。
手の込んだことに、股の部分も本物そっくりに作りこんでいた。
性器の外見はもとより、豚の内臓を加工して体内にかりそめの膣と子宮が出来上がる。
こうして5時間ほどの時が経って作業が終わり、無機質なマネキン人形は童顔の、可愛らしい少女の姿へと変化していた。
はさみで背中の縫い糸を切り、人形から皮の部分を剥ぎ取る。
そして再び背中を縫い合わせた後、皮のあちこちにある縫い目の傷を、粘土状の補修剤で埋めて一晩乾かすと、頭のてっぺんから指の先まで、人間の少女そっくりの皮が完成した。
「よしよし、いい出来だ」
翌朝の早朝。皮が充分に乾いたところで、慶紫はそれを手に取って出来具合を確かめた。
見たところ不具合が出そうなところは無さそうだ。これなら怪しまれずに学校に潜入し、魔者を探すことができる。
「後は着替えるだけだな。じゃあやってみるか」
満足そうに微笑んだ後、若者の口が大きく開かれた、そして。
突如慶紫の目から光が消え、彼の目と口は虚ろな空洞と化し、そこから紫色の靄のようなものが噴き出した。
それと共に、慶紫の肉体は内側から急速に萎み、厚みを失って潰れていく。
そして彼の体から抜け出した紫色の靄は、隣に横たわる少女の皮の、目と口から中へと入っていった。
やがて虚ろな眼窩に光が宿り、少女の皮は内側から膨張して、人の形を作り上げていく。
ねじくれていた手足が持ち上がり、潰れていた顔や胴体をグイグイと引っ張ってその形を復元する。
それに相反して慶紫の体の中身は完全に抜け落ち、抜け殻と化してぐにゃりと床に崩れ落ちていく。
その隣で、完璧に写し取られた少女の裸身が、まっすぐに立ち上がった。
魔殺士の本体。それは肉体の縛りから解き放たれた、靄のようなエネルギー体である。
彼らは本来の体を捨て去ることで、負傷や死のリスクを軽減しているのだ。
しかし、エネルギー体のままでは物質に干渉することが出来ず不便を強いられる上、この姿のままではエネルギーは急速に消費され、数時間で本体は消滅してしまう。
だから彼らはかりそめの肉体として、『皮』を使う。
これによって物理的身体と、エネルギー体であることの利点を両方活かすことが出来るのだ。
皮が損傷しても、本体さえ無事であればなんの問題も無い。
傷ついた皮は捨て、新しい皮に入れば闘いは続けられるからだ。
そしてこの方式は、新しいメリットを魔殺士にもたらした。
皮を換えることで、魔殺士はその外見を自由に変えることが出来る。
年齢、性別はもとより、人間とは全く異なる動物の姿にも化けることが可能なのだ。
もっとも新しい皮を使いこなすには、相当の慣れが必要なのではあるが。
新しい皮を着込み、少女の姿となった慶紫は、部屋に置いてある大きな姿見に映った自分の姿を検分していた。
女の皮を作った経験は少ないが、出来は充分。例え素っ裸になったとしても、こちらの正体がばれることはないだろう。
縫い目の部分が暴露しないか心配だが、手入れを怠らなければ簡単には分からないはずだ。
戯れに女の子の膨らみに手を当てる。ぽよん、と柔らかい感触が指先に伝わってくる。
こちらの出来も上等。見た目はもとより、手触りも本物と区別はつかないだろう。
そして最後に、左手を脚の間に伸ばす。茂みも揃わぬ、作りたての女の花園がそこにあった。
本物の女の膣を模して、豚の内臓で作られたその部分は、もちろん本物と同じ行為に使うことが出来る。
魔者を追う上で情報収集は不可欠だ。場合によってはベッドの上でそれに及ぶこともある。
だから女の部分の使い方も、魔殺士の修行の中で教えられるのだ。
左の指先で花弁をくぱぁ、と広げ、右の指先で肉穴の入口を優しく愛撫する。
「あぁんっ!!」
少女は悩ましい声で鳴いたが、残念ながら実際に女の愉しみを感じられるわけではない。
皮が感じられるのはあくまで簡単な触覚のみ、豚皮では高度な感覚を得ることが出来ないのだ。
しかし構わずに少女は自らの秘所を弄り続ける。中からはぬるりとした潤滑液が溢れ、まだ経験のない少女の体を濡らす。
充分に濡れたところで、優しく指先をインサート。
「んくぅっ・・・」
押し殺した喘ぎ声と共に少女の顔が恍惚に緩むが、これもあくまでおふざけだ。侵入させた指先で、中の触感や締まり具合を確かめる。
「ちょっとキツ過ぎるかな?」
心配そうな顔つき。
いや大丈夫だろう。自分が行くのは女子高だ。ここを使うなんてことはまず無いはずだ。
それにもう作り直してる時間が惜しい。こうしているうちにも、魔者は人を襲っているかも知れない。
汚れた体をシャワーで流し、さっぱりしてから下着を身につける。
飾りっ気の無い、薄いピンク色のショーツ。女物の下着って、どうしてこう布地が少ないのだろうか。着けるのは初めてじゃないが、いつもながら落ち着かない。
続けて悪戦苦闘しながら、ショーツと同じ色のブラジャー。この薄い胸にブラって要るのか?
その後下着姿でかつらを頭に貼り付け、髪型をセット。幅の広いリボンで髪を左右一対に纏める。所謂ツインテールというやつ。
可愛らしい容姿と相まって、よく似合っている。発育不良とは言わないでほしいな。
続けてカッターシャツにネクタイと、チェックのプリーツスカート、シワやヨレが出ないように上着のブレザーを着込んで着替えは終了。
おっと、まだ机の上に何か残ってた。色の濃いストッキングだ。どうしようかなぁ。スカートはスースーして落ち着かないからなぁ。
ええい穿いちゃえ。よいしょっと・・・。
ううん。この脚をピッタリと締め付けてくる感覚。なんだかいいなぁ。
「後は・・・」
玄関口に立てかけていた、小ぶりの刀を手に取る。
いつも愛用している刀よりは随分短く、当然間合いも狭いが、携帯性は良い。
そして小柄な少女の姿で振るうには一番バランスの良い長さだ。
慶紫は刀を持ち上げると、着込んだ少女の顔を醜く歪ませながら、口をあんぐりと大きく開くと躊躇無くその中に刀を小尻から押し込んでいった。
少女の首がありえないほどに膨らみ、刀はゆっくりとその小さな体の中に収まっていく。
人間のように骨も肉も、はらわたも無い、空っぽの『皮』ならではの収納術。
もちろん刀一本で納めたところで、まだ体内の容積には余裕がある。キャリーバッグの上げ底を取ると、信じられないことに、そこには数十個の旧式のパイナップル型手榴弾と鎖付きの分銅、そして骨董品のサブマシンガン、M3グリースガンと.45口径の弾薬が沢山詰まっていた。
さも当然のように、少女はそれらを口の中に押し込んだ。彼女の首が呑み込んだ物の形に膨らみ、やがてそれは腹の中に落ちこんでいく。
グリースガンを呑み込むのは流石に見送った。オープンボルトの銃器は安全装置をかけても暴発のリスクが少なからずある上、何よりも銃弾に自身の術が乗らないため、魔者への効果が薄いと踏んだからだ。
バッグの中身を根こそぎ平らげると、歪んだ顔も膨らんだ首も元通りになり、どこから見ても小柄な少女の体の中に、大量の武器が隠れているなど分からなくなった。
「おえっ。お腹一杯に食べ過ぎて気持ち悪くなっちゃったよ」
少女は少しふざけながら、ゴロゴロと両手でお腹を揺すり、中のもののポジションを整えた。
着替えと武装が終わり、慶紫が桜晶学園に潜入する準備は完全に整った。
制服のポケットの中には新しい鍵。ここの鍵ではない。紫奈のために用意した新しい寝床の鍵だ。
教科書と体操服の入った鞄を手に取り、玄関の扉を開けようとする。
おっといけない。脱ぎ捨てた慶紫の抜け殻が床に転がったままだ。着替えることに集中しててすっかり忘れていた。
「ほったらかしにしてごめんね、お兄さん」
女の子の声で皮に囁く。
丁寧にそれを畳み、キャリーバッグの中に片付ける。
「しばらく合えないけど、ちょっとの間我慢してね」
ケースの蓋を閉じ、ダイヤル錠をかけ収納完了。
「これでよし。じゃあ元気でね」
鞄をもって玄関口へ。扉を開け、彼女は外へとび出す。
「バイバイ、お兄さん」
かくして少女の皮を被った魔殺士は、その姿に相応しい自らの戦場に出向いて行こうとした。(続く)
続きも楽しみにしてます。