その少女は、俺の中学校に転校してきた時から、クラスの注目の的だった。
解けば膝くらいまでありそうな綺麗な黒髪を白いリボンで結い上げ、不思議な菫色の瞳と、お人形さんのように整った顔立ちを持つ、やや小柄な美少女。
あまり口数が多い方ではないが、いつもニコニコと笑みを浮かべ、男女問わず誠実に受け答えする優しい性格。
真面目そうな性格の割に、国語と歴史を除くと勉強はあまり得意ではなく、その反面、華奢な身体つきなのに、体育の授業ではスポーツが得意なクラスの男子に匹敵するほどの運動能力を見せるそのギャップ。
よほどのひねくれ者でなければ、彼女に悪印象を抱くことは難しいだろう。
俺? 俺も……まぁ、決して嫌いじゃない。
授業中、チラッと彼女──伯方季多乃(はかた・きたの)の方に目をやると、俺の視線に気づいた彼女が、微笑みながら小さく手を振ってくれる。
正直な感想を言えば、めちゃんこカワイイ! 自分でも締まりのない笑顔を返しているのがわかる。
──が。
視線を黒板に戻して何とか心を落ち着けた途端、自己嫌悪にも似た後悔が俺の中に湧き上がる。
(なに、デレデレしてんだよ。俺は、あの子の「正体」を知ってるはずだろ……)
何度繰り返したかわからない、自らへ言い聞かせるためのその言葉も、最近ではあまり効果がなくなってきた気がするなぁ。
* * *
さて、ここでひとつ俺の持つ重大な秘密を皆さんに暴露しよう。
俺は……実は純粋な人間じゃない。いや、性格のことを言ってるわけじゃなく、主に血筋的な意味で。
俺の母方の祖母は……じつは、化け猫だったんだよ! ナ、ナンダッテー(←MMR風に)
まぁ、「化け猫」って呼ぶと当の本人は「あたしは猫娘!」って怒るんだけどな。
子供が3人、孫が7人いて、今年還暦迎えるクセに、何が「娘」だよ……いや、確かに外見上は20歳を超えたくらいにしか見えないんだけどさ。ほんっと、正真正銘の妖怪ババァだよな、二重の意味で。
で、その孫のひとりである俺にも、その妖怪の血が8分の1(バァちゃん自体が半妖だからな)だけ流れてるわけだなんだけど……。
ありていに言って、俺はお化けとかが見えるのと、ちょいと夜目と鼻が利くことを除くと、一般人とあんまし変わりない。
母さんも人間と化け猫の間に生まれた割に、人外っぽい所はほとんど見受けられないから、そういう遺伝なんだろう。
逆に、従姉の真緒ねーちゃんなんかは、妖怪由来の妖力と神社の血筋(伯父さんがそういう家柄なのだ)の霊力の両方を操れる、日本国内でもいまや希少な退魔巫女として、各方面ひっぱりだこらしい。
──う、羨ましくなんてないんだからね!
いや、ツンデレテンプレとかじゃなく、マジで。何せ、ひと昔前に比べると随分減ったとはいえ、それでも妖怪とか悪霊、悪魔とか言われる類いの存在(オバケ)が実在していることを、俺は自らの目で見てよく知っている。
そんなヤバい相手と命がけの死闘をくり広げるなんて、一介の中学生には荷が重すぎるぜ。プリキ●アとか、よく女の子なのに戦いに行く気になったなぁ。やっぱ人生平和が一番だよ。
そんなヘタレなポリシーを持つ俺だったが、残念ながら運命の神様は、その平穏無事な人生とやらを俺に授けて下さる気はなかったらしい。
* * *
あれは確か、中学2年に進級したばかりの4月の終わりごろ。
土曜の半日授業を終えて、今日は部活(ちなみに天文部だ)もないんで、さっさと家に帰って飯で食おう……と思っていた俺は、ヘンな少年に呼びとめられた。
「すみません、ちょっとお聞きしたいんですけど、いいですか?」
見た感じ、年の頃は俺と同じか少し上──おおよそ15歳くらいだろうか。顔立ちは整っている(ただし、イケメンと言うよりは小柄でショタ系な方向で)し、態度や言葉も丁寧なんだが、どこか俺の勘に引っかかるものがある。
特に、その長い前髪に隠された左目が、すごく気にかかるんだが。
とは言え、仮に目の前の少年が妖怪か、その関係者だったとしても、それだけで有害という判断を下すのは早計だろう。それを言うなら、俺にも立派な妖怪クォーターの息子なんだし。
「はぁ、何でしょう」
「ある人の家を探しているんですが……この辺で、鰯水さんと言う家をご存知ありませんか?」
「えっと、鰯水はウチだけど……」
ちなみに、俺のフルネームは鰯水柊樹(いわしみず・ひいらぎ)。節分の鬼除けかよ!? とツッコミが入りそうだが、まぁ、名前の字面自体は結構自分でも気に入っている。
「え、本当に!? とすると、もしかして、君がヒイラギくんかい?」
途端に少年の態度に親しみというかなれなれしさのようなものが垣間見えるようになった。
「はぁ、そうッすけど……どちらさんで?」
ま、十中八九は、バァちゃんの客だろうけどな。
「ああ、これは失礼。僕はこういうものなんだ」
少年は、虎縞(タイガーストライプ)……と言うにはやや幅の広い"黄色と黒の横縞模様のベスト"の内側から、名刺を取り出し、俺に一枚くれた。
「……マジで?」
名刺に書かれた名前を一瞥しただけで、俺は頭が痛くなってきた。
そこには、バァちゃんが若い頃(って言うと、「今でも若いわよッ!」と怒られるだろうけど)、悪い妖怪退治のボランティアみたいなことを仲間とやってた時、そのリーダー格を務めていたという、強力な妖怪少年の名前が達筆な墨文字で書かれていたからだ。
* * *
「はァ、ななふしぎィ!?」
俺が素っ頓狂な声をあげてしまったのも無理はないと思う。
あのあと、「バァちゃんの古い友人」である少年(いや、実年齢はバアちゃんとどっこいなんだろうけど)をウチに案内して、バァちゃんに引き合わせ、とりあえず義理は果たしたと部屋を出ようとしたところで、バァちゃんに呼びとめられたんだ。
「ちょっと待った。ヒイ坊、あんたも一緒に話を聞きなさい」
嫌な予感がヒシヒシしたものの、どの道、我が家の最高権力者であるバァちゃんには逆らえないから、渋々俺も腰を下ろした。
で、バァちゃんと妖怪少年(どっちも見かけは実年齢から想像できない程若いけど)の話によると、近々俺の通う中学で、"本物の七不思議"が具現化するらしい。
「七不思議って……しょせんは作り話の怪談だろ?」
そりゃあ、目の前にいるふたりを例にとるまでもなく、妖怪や幽霊が実在することは、俺も自分の眼で見て知ってるけどさぁ。
「甘いわね。あたしは「本物の」って言ったでしょ。たいていは作り話だけど、ごくまれに正真正銘の心霊現象である「七不思議」も存在するのよ」
「日本に於いて「七」という数字は七福神や七曜などを例に挙げられるように神秘的なものの象徴でもあるからね」
へ? それってラッキーセブンと言うか、いい意味じゃないの?
「普通はね。でも、同時に七人ミサキなどに見られるように悪しき存在で「七」の数字を持つ者もある。そしてそれは大抵とても強い力を持つんだ」
少年の目は真剣で、冗談やホラを言ってる様子は見受けられない。
「えっと、それじゃあ、七不思議も……」
「そう。本物が具現化すれば、少なからぬ惨事が引き起こされるでしょうね」
な、なんてこった……。
「バァちゃん!」
「こら、美也さんとお呼び。ヒイ坊なら特別に「お姉ちゃん」って呼ぶのも許したげるよ」
ごく一般的な感覚を持つ男子中学生としては、還暦を目前にした女性(しかも実の祖母)を「姉」と呼ぶのはいささか気が引けるが、ここで断わっても絶対ヒドい目に遭うに決まってる。
「じゃあ、美也ねぇでいいや。美也ねぇ!」
俺は、かつてない程真剣な目付きで、バァちゃん──美也ねぇの瞳(よく見ると確かにネコ同様縦型の瞳孔だ)を見つめる。
「ん? なんだい?(へぇ、なかなかいい面構えになったじゃないか)」
「俺……転校するよ! そんな危ない場所に通いたくないし!!」
──ズコーーーッ!
前世紀のコメディ番組のノリを思わせる見事な「コケ」を見せる美也ねぇと少年。
「こら、ヘタレたこと言うんじゃないよ! それでも誇り高きこの猫娘の孫かい!?」
え? いや、ごく一般的な反応だと思うけど?
この鰯水柊樹14歳、女の子とつきあったこともないのに、無用の危険に近づいて死亡フラグを立てるのは御免だ!!
「夢や浪漫のない子だねぇ……だからモテないんだよ」
──グサッ!
「クッ、イタいところを……」
実際、クラスメイトとか友達とかにも「枯れてる」「若さがない」「ホントに中学生か、お前?」とか散々な評を下されたことがあるので反論できない。自分でも多少、大人びてる──というかヒネてる自覚はあるのでなおさらだ。
「まぁまぁ、猫ちゃん、落ち着いて。ヒイラギくんは体質や能力的に普通の人間とほぼ変わりがないんだよね? それなら「君子危うきに近づかず」という態度も、あながち間違ってはいないと思うよ」
妖怪少年がなだめてくれる。
「けど、それを推して、僕らは君にお願いしたいんだ。ヒイラギくん、君達の学校で起こるかもしれない七不思議の怪異による被害を食い止めるために、力を貸してくれないだろうか?」
真正面から、そんな風に頭を下げられたら、流石に断わりにくい。
元より、俺だって自分の学校に愛着がないわけじゃない。友達だってそれなりにいる。
もし、七不思議が起こってクラスメイトや知り合いがその被害に遭ったら……と考えるのは、決して愉快なことじゃなかった。
「でも、俺がいたからって……」
そう、さっき言われた通り、俺自身は、ほとんど「ただの中学生」だ。幽霊が見えたり夜目が効いたりはするし、男子の平均よりはかなり運動能力もいいけど、それだって「人間離れ」したレベルじゃなく、「珍しいけどちょっと捜せばいる」程度のものだ。
「大丈夫、別にあたしらだって、ヒイ坊に戦闘(ドンパチ)に参加しろなんて無理言うつもりはないさ。この事件はちょいと長丁場になりそうだから、ヒイ坊の学校に潜入捜査をするつもりなんだけどね、アンタには調査での案内と、日常面でのフォローを頼みたいんだよ」
なるほど、それくらいなら……って、ちょっと待った!
「美也ねぇ──いや、ここはあえてバァちゃんと呼ばせてもらうよ。バアちゃんの見た目がいくら若いからって、いくらなんでも女子中学生と言い張るのは無理があり過ぎだよ!」
光星中(ウチ)の女子の制服は可愛いと近隣でも評判だけど、どう頑張っても20歳より前には見えないバアちゃんが着たら完全にイメクラだ。
「バカタレ! 誰が生徒になるって言った? あたしは、ちゃんと教師として赴任するつもりだよ!!」
怒鳴り声とともに、「パシンッ!」とお茶受けのひよこ饅頭を顔面にブツけられた。結構痛ひ。
「そ、そんなコトできるの?」
「問題ないよ。そもそも、この事件(ヤマ)の話をあたしらに持って来たのは、アンタの中学の校長だからね」
「アイツとも長いつきあいだからねぇ」と、昔を思い出す顔になるバァ……美也ねぇ。
けど、それなら確かに多少の融通は効かせられるのかもしれない。
「ただ、教師としての立場だと、どうしても生徒間での噂の調査なんかには穴が出るからね」
「なるほど、そこで俺の出番ってワケか。でも、そういう怪談とかおまじないとかの噂話って、女子の方が好みそうだけど……」
おおかた予想はつくだろうが、俺は女子の友達が多い方じゃない。そりゃ、クラスで席が近い子とかは普通に世間話するけど、あくまでその程度だ。クラブだって「天文部」なんて、弱小でマイナーな文化部の半幽霊部員だし。
「その点は抜かりはないわよ。そのために彼に来てもらったんだから」
へ?
美也ねぇの視線は言うまでもなく、くだんの妖怪少年の方に向けられていた。
* * *
美也ねぇによれば、教職員は自分、男子生徒は俺が情報収集するとして、女子生徒を担当するのをこの少年に任せるつもりらしい。
「そりゃ、確かにこのヒト、背は低いし、わりかしショタ系の顔してるけどさ。さすがに女装してもバレるんじゃない?」
俺としては至極当然の指摘をしたつもりだったんだが……。
『その点は心配ない!』
どこからか、聞き覚えのない──まるで某ベルベットルームの主が頭のてっぺんから出してるような甲高い声が聞こえて来た。
「えっ? だ、誰!?」
「お久しぶりです、おじ様」
もしや亡霊か何か!? と、慌てる俺を尻目に、美也ねえちゃんが珍しく神妙な顔で頭を下げている。
『うむ、久しいな猫娘よ。そして猫娘の孫、ワシはココじゃ!』
声のする方をたどってみると、半妖少年の髪に隠れた左目がぼぅっと光っている。
『このような形で失礼する。今のワシは人間の前に姿を現すのは少々刺激が強いのでな』
──ああ、そう言えば美也ねぇから聞いた記憶がある。この声の主は、たぶん、我が子を思い、眼球だけになって生き延びた、幽霊族の少年の父親なのだろう。
まぁ、確かに人間(妖怪だけど)の目ん玉がゴソゴソ動き出すのは、ちょっとしたスプラッターだ。俺としてもできればあまり見たくはない。
「えーと、お気遣い感謝します。それで、何かいい方法があるんスか?」
『うむ。オイ、例のアレを!』
「はい、父さん、コレですね」
少年が、出会ったときに右手に提げていた風呂敷包みを解くと、中からちょっと小さめの重箱のようなものを取り出す。
『この幽世白粉(かくりよのおしろい)を使えば、息子もたちまち人間の女子に成り済ますことができるのじゃ!』
親父さんいわく、本来これは少年の母など幽霊族の女性が使っていた魔法の道具で、彼女たちが人間の女性に化ける必要がある時に使う代物らしい。
『これさえあれば、たとえ全裸になって医者に診察されても、人間の女子にしか見えんじゃろうて』
「まさに、潜入捜査にうってつけよね。それに、あたしは近接戦闘にはそれなりに自信があるけど、搦め手から来るような相手は、やっぱりキィくんのほうが得意だし」
はぁ、さいですか。けど、化けることになる本人はそれでいいのだろーか。
「ははっ、正直あまり気は進まないけど、正体を隠して潜入するには、これが一番てっとり早くて有効な手段ではあるからね。
それに……じつは、今時の中学生の生活ってのにもちょっと興味もあるし」
ああ、成程。確かこの人、(少なくとも人間の学校は)小学校も出てないはずだから、そういう好奇心を持つのもわからないでもないかな。
「と言うワケで、これからキィくんを立派な女の子に仕立てあげるから、ヒィ坊も手伝いなさい!」
と、美也ねぇに言われて、俺は美也ねぇとふたりで、裸になった妖怪少年の全身にサンオイルのごとく"幽世白粉"とやらを塗っている。
──ぬりぬりぬりぬり……
うぅ……相手が女の子ならこれほどの役得はないんだけどなぁ。
心の中で滝のような涙を流しつつ、俺は全身に「化粧」されてる相手に目をやる。
おそらく150センチあるかないかの小柄な体、一度も日に焼けたことがないような白い肌、中性的で華奢な骨格……といった特徴は、あたかも年端もいかない少女を連想させるが、残念ながら胸に膨らみはなく、反対に股間には「ある」。
流行りの「男の娘」としてなら通用しそうだが、二次元ならともかくリアル男の娘は、俺もノーセンキューだ。
いや、そう思ってたのだが……。
「す、すげぇ!」
くだんの白粉を厚めに肌に塗り広げていくだけで、少年の体がみるみる俺と同年代──中学生くらいの少女の裸身へと変わっていく。
血の気の乏しい生白い肌が、血色のよい健康的な白さと滑らかさを持つ肌に変わる。
筋肉も脂肪もない痩せた肢体が女らしい丸みを帯び、胸も緩やかに隆起する。
顔つきに関しても、基本は変わっていないんだけど、幾分目元が優しくなり、頬がふっくらしたせいで、かなり可愛らしい印象になった。合わせてオカッパだった髪も随分と長くなっている。
「そして最後に残ったココ、男同士のよしみで、ヒィ坊、引導渡す?」
「縁起でもないこと言うなよ! ……美也ねぇに任す」
股間の一点を除いてほぼ女の子化した「彼」の裸身を、これ以上見続けるのは(スケベ心を上回る)微妙な罪悪感があったし、この状態で男のアレを弄り回したら、なんだかイケナイ嗜好に目覚めそうだ。
俺は、ベトベトになった手を洗おうと、席を立った(ちなみにコレ、幽霊族専用で、人間には効き目がないそうだ。ホッとしたような残念なような……)。
そして、洗面所から戻ってきて、美也ねぇの部屋のドアを開けると──。
そこには、青と白の縞パン一枚の格好で、胸にブラジャーを着けようと悪戦苦闘する「少女」の姿が……。
「ご、ごめん!」
慌ててパタンとドアを閉じて、俺は自分の部屋へと逃げ込んだのだった。
* * *
その後、30分ほどして美也ねぇに部屋に呼ばれた時は、俺もどうにか平静を取り戻していた。
「じゃあ、カバーストーリーを確認しとくよ。
ヒィ坊は普段通りでいいとして、あたしはヒィ坊の従姉で、大学出たばかりの新米英語教師ってことにする。これなら、頻繁に会って親しく会話してても、不審がられないからね」
「いいけど……美也ねぇ、英語なんて教えられんの?」
俺の疑わしいそうな目付きにニヤリと不敵な笑みを返した美也ねぇの口から、つぎの瞬間、至極流暢なクイーンズイングリッシュ(いや、本場物なんて知らんけど)が飛び出したので、俺は驚いた。
「ニャハハ……若い頃のフリーター暮らししてた頃に、まぁ、いろいろ覚えたのさ♪」
い、意外な特技だ。
「で、次にキィちゃんだけど……」
つい先刻までは、童顔気味とはいえ、俺と同年代(いや、ホントは美也ねぇと同世代だって知ってるけど)の少年に見えた「彼」は、見事なくらい「彼女」に変貌していた。
ヒラヒラした薄く透ける素材でできた膝丈でノースリーブの白いワンピースの上に、ミントグリーンの七分袖カーディガンを羽織り、お尻くらいまである長い髪をラベンダー色のリボンでポニーテイルに結わえている。
俺の視線を感じると幾分恥ずかしそうにもじもじしているが、それがさらに小動物的な愛らしさを醸し出しているのだ。
その正体を知らなければ、うっかり一目ぼれしてしまいそうな、掛け値なしの美少女だった。
「今時の中学生としての常識に乏しいことは……うん、家の都合で引っ越しが多くて日本中を転々としてたことにしよう。で、父親とヒィ坊の祖母が知り合いで、この町にいる間はこの家で世話になってるってコトで」
恐ろしいのは、今の説明に何ひとつ明確な嘘がないことだな。
確かに「彼」は妖怪退治のために日本中を奔走してたらしいし、眼球型の親父さんと、俺の祖母──つまり、美也ねぇ自身は友人だ。この家に居候することは──たぶん手回しのいい美也ねぇのことだから父さんたちの了解は得てるんだろう。
ちなみに、親父さんは、現在「彼」の失われた目になりきって休眠状態らしい。おかげで、左右の瞳の色が違う(右目が菫色、左目は赤茶色だ)以外は、ほんとに普通の子に見える。
「ところで、名前はどうする? さすがにそのままだと女の子の名前には聞こえないし、苗字も付ける必要があるね」
「ああ、それなら、こんなのはどうかな?」
* * *
「伯方季多乃です。田舎者で都会の暮らしには不慣れなことが多いですけど、よろしくお願いします」
ゴールデンウィーク明けの初日。丁寧な口調で自己紹介し、ペコリと頭を下げる転校生の出現に、男女問わずクラスの連中がざわめいた。
男子は「美少女キタコレ!」と思ってるんだろうし、女子はライバル視する子が半分、可愛いもの好きで琴線をくすぐられた子が半分ってところか。
さすが、例の白粉塗った日から丸一週間、美也ねぇ&俺の母さんにスパルタ女の子教育受けただけのことはある! ……感心していいのかな、ここ。
(正体知ってて、良かったような残念なような……)
そのクラスの盛り上がりから一歩離れて苦笑する俺を目ざとく見咎めるヤツがいた。
「おりょ、ヒイラギがこのテのイベントで騒がないのって珍しいね」
某囲碁漫画のライバル少年を思わせる風貌をしたコイツの名前は紅井円(くれない・つぶら)。俺の小学4年生の頃からの友人だ。
「まぁ……アイツが来るのは知ってたからな」
「へぇ、知り合い? あ、もしかして、親同士が決めた許婚同士とか?」
──ブーーーーッ!!
い、いきなり、なんてこと言うんだ!
「今時、そんな時代錯誤なしきたりあるわけないだろ! 単にバ…美也ねぇつながりで知り合っただけだ」
「ああ、美也さんの。納得」
ちなみに、こいつは、6年生の時にとある心霊事件に巻き込まれて美也ねぇに助けられたこともあって、美也ねぇの正体を知っている。
「じゃあ、あの娘も、ソッチ関係者なんだ」
だから、小声でこういうコトも聞いて来るわけだ。
「まぁ、な。クラスのみんなにはナイショだぞ」
曖昧に肯定しつつ、一応釘は刺しておく。円は口の軽い奴ではないから、大丈夫だとは思うけど。
「伯方さんは親御さんの都合で、いつまた転校するかわからないそうだが、このクラスにいるあいだは、みんな仲良くするように。
それで席は──うん、鰯水の隣りが空いてるな。元々知り合いみたいだし、ちょうどいいか。鰯水、転校生の面倒を見てあげなさい」
ぐわ……先生、何でいきなりそれをバラしちゃいますか!
「ふふ、よろしくね、ヒイラギくん」
教壇の前からしずしずと歩み寄り、俺の左隣りの窓際の席についた「彼女」がニッコリ微笑む。正直、正体知ってても見とれるレベルの可憐さだ。
「あ、うん、こちらこそお手柔らかに頼みマス」
クラスの連中(おもに男子)のジェラシーな視線の重圧を感じながら、俺はかろうじてそう応えるしかなかった。
* * *
「彼女」──伯方季多乃は、意外なことにウチのクラス、それも主に女子の輪にアッと言う間に馴染んだ。
どうやら、「田舎者」「転校が多い」という設定とピュアで素直な性格が、ウチのクラスの世話焼きな女子連中の保護欲をチクチク刺激したらしい。
まぁ、そいつらも今時のギャルとかじゃなくてどちらかと言うとマジメな奴らだし、悪いようにはならないだろう。
無論、男子からの人気はウナギ昇り。おかげで、俺は単なる同居人(まぁ、それ以外に裏の協力者という立場もあるけど)なのに、妬みの視線を受けること受けること。
とは言え、同じ家に住んでるから朝は一緒に登校することが多いし、季多乃(本人に名前で呼んでくれと言われたんだ)が俺の部活──天文部に入ったこともあって「……アヤしい」「まさか、デキてるんじゃないのか?」と疑われることもしばしばだ。
部活に関して言えば、俺がどうこうと言うより、天文部なら夜の学校に残っていても「部活の天体観測で……」という言い訳が使えるというだけなんだけど。
「でも、ヒイラギだって伯方さんと噂されること、イヤじゃないんでしょ?」
さすがに5年も親友やってるだけあって円のヤツは鋭い。
「そりゃ……それなり以上の美少女と噂になるなんて貴重な経験、今後の俺の人生では、まずなさそうだしなぁ」
実際、「彼女」は、「友達」、「クラスメイトの女の子」として見れば、ものすごくいいコで非の打ちどころがないんだな、これが。
うぅ……つくづく、事前に正体を知ってしまったのが口惜しい。知らなければ、しばらくの間とは言えいい夢見られたのに(その分、正体が露見した時の絶望感もスゴいだろうけど)。
で、季多乃が転校してからおよそ半月ほどの間を空けて、今度は美也ねぇが新任の英語講師として赴任してきた。
こんな中途半端な時期の赴任って結構不自然だと思うんだけど、そこを気にしてる人がほとんどいなかったのは、美也ねぇの外面の良さとフランクな性格のおかげだろう。
「ところで、肝心の七不思議とやらは、いつ頃発現するのさ?」
俺と季多乃と3年の部長以外は、ほぼ幽霊部員と言っていい(つーか、先日までは俺もその中に入ってた)天文部の部室で、この場に身内しかいないからって、被ってる猫を脱いでダラケてお菓子食べてる美也ねぇに聞いてみた。
ちなみに、今日は部長も用事があるらしくお休みだ。
「チッチッチッ……ヒィ坊、怪談って言えば、夏が旬って相場は決まってるでしょ」
「たぶん、七月か八月。後者の方が可能性は高いかな」
季多乃が美也ねぇの言葉を補足する。
「マジか!? だったら、こんな早くに潜入することなかったんじゃないか?」
今は五月末。七月までとしても丸々1ヵ月はある。
「バカだねぇ。ヒィ坊、転校や転任したての人間が、簡単に情報収集できるほど周囲の輪に溶け込めると思うかい?」
「うッ……」
至極理に適った美也ねぇの指摘に俺は呻く。
「それに、ボクや猫ちゃんが来た途端に怪現象が発生したら、ボクらがその原因だって周囲に疑われかねないしね」
季多乃が複雑な表情で苦笑する。
そう言えば、昔、美也ねぇ──バァちゃんも言ってたな。悪さをしてた妖怪を退治したからって、必ずしも感謝されるとは限らないって。
美也ねぇや季多乃は、きっとそういう理不尽な扱いを何度も受けて来たのだろう。
何となくやり場のない怒りを感じてしまう。
「うん、わかった。俺もできる限り協力するよ」
これまでのような消極的なそれではなく、それなりに積極的にこの事件に関わる気になったのは、人知れず頑張るこのふたりの努力に少しでも報いたいと思ったからだ。
「ありがとう、ヒイラギくん」
「ま、ケガしない程度には頑張んなさい、男の子」
ふたりは顔を見合わせると優しい笑顔を返してくれた。むぅ、なんとなく照れくさいぜ!
* * *
……と、ちょっといい話風の会話を三人でしたはいいものの。
実は七月に入ってもいっこうにそれらしい怪異が発生しなかったんだな、コレが。
一応、ウチの学校にもそれらしい七不思議の噂自体はあるんだけど、季多乃によれば今のところその大半が眉唾で、かろうじて「トイレの花子さん」だけは本物がいたみたいだけど、そのコもちょっと生徒を脅かすくらいで、ほとんど無害な存在らしい。
さらに八月に入っても、その状況はほとんど変わらない。夜間は、天体観測と称して学校に集まり、こっそりパトロールしているんだけど、一向にソレらしい気配がなかった。
ずっと気を張っていても疲れるだけと言うことで、俺達──俺と季多乃は、昼間は中学生らしく、プールで泳いだり、映画やゲーセンに行ったり、渋々宿題片付けたりしている(美也ねぇは平日は仕事。一応、教師だし)。
で、そんな風に、起きてる時間の大半を一緒に過ごしてるおかげで……なんかこう、隠しパラメーター的な好感度が日に日に上がってる気がする──それも、俺だけじゃなくて季多乃の方も。
いや、だってしょうがないって!
プールで恥ずかしそうに水着(ちなみにピンクのワンピースタイプ)のお尻のところ直そうとしてるトコとか……。
ゲーセンでゲームしてる時、座ってる季多乃の後ろから色々教えてあげてる時に、ふと髪の毛から漂う女の子らしいフローラルな匂いだとか……。
並んで一緒に宿題をやってる(ちなみに一応中の上クラスの俺が教える側だ)時、勉強疲れしたのかコックリコックリ居眠りして、俺の方にもたれかかってくる彼女の体温とか……。
いくら"元"を知ってても、こんだけ「萌えイベント」が連続発生したら、男なら堕ちないワケないだろ!?
おまけに、そういった「アクシデント」が起きるたびに、何だか季多乃の方も、どんどん女の子らしさがアップしてる気がするし。
うぅ、俺が道を踏み外す前に、早く七不思議とやらが起こらないかなぁ。
……という俺の願いもむなしく、結局何事もなく(いや、お盆周辺で多少の霊的トラブルはあったけど)夏休みは無事(?)終了し、二学期を迎えてしまった。
おかげで、俺と季多乃はと言えば、「花火大会の縁日に浴衣でお出かけ」から「花火をバックにしたファーストキス」に至るラブコメ的夏休みファイナルイベントまでこなしてしまい、結局「季多乃ルート」への第一歩を踏み出してしまったのだ!
後悔は……全然してないと言えば嘘になるけど、今が幸せだから先の事には目をつぶろう、うん。
「それにしても、どういうこと!?」
「おかしいなぁ。あの子の予言は、まず外れた試しがないんだけど」
今より数えて月が二度満ち欠けした夏の頃
つねにきよき星の光に守られし学び舎に
禍々しき七つの影あり
其は学び舎に伝わりし影の伝承なり
禁断の扉が開かれ、陽が陰へと変わり
三つは生還し、三つは闇の贄となる
──と言う、季多乃たちの知り合いの的中率ほぼ100%な占い師(?)からの、いかにもなお告げがあったから、ふたりはこの件に関わる気になったらしい。
「おおよその場所の見当はこの町だったし、「星の光の学び舎」って言うから、てっきりこの光星中学のことだと思ったんだけどねぇ……」
……ん?
「美也ねぇ、季多乃、ちょっと待った! 「つねにきよき星の光に守られし学び舎」の部分だけどさ。これ、「恒に聖きほしのひかり」とも解釈できるよな?」
「まぁ、少々厨二的当て字っぽいけどね」
ほっとけ、こちとらリアル中学二年生だい!
「だったらさ、光星(ウチ)以外にも、確か近所に「恒聖高校」って学校があるんだけど」
「「!」」
いや、ふたり揃って「その発想はなかった」的な視線で俺を見るのはやめようよ。
* * *
その後、美也ねぇのツテを辿って調べてみたら……ビンゴ! まさにこの夏休み中に、恒聖高校で七不思議にまつわる事件が勃発していたらしい。
なんでも、夜の学校で肝試しをしていた推定6人の男子生徒がことごとく姿を変えられ、3人が妖怪として取りこまれ、生還した3人も全員女の子になってしまったらしい。
(陽が陰にって、そういうことなんだろうなぁ)
しかも、帰還した被害者のひとりは14歳に若返り、俺達のクラスの隣りに在籍してることになってるし。で、もうひとりは猫又娘化、残るひとりはトイレの花子さん似の女子小学生になったんだとか。
結局、今回の失敗へのフォローも兼ねて、美也ねぇは隣りのクラスのその子──内田さんが卒業するまでは、教師を続けるつもりらしい。
「で、キィちゃんはどうする?」
「ボクは……ふたりに異論がなければ、卒業まではココにいたいかな」
ちょっと恥ずかしげにそう言う季多乃だったけど、俺に異論があるはずもない。
「ふーん、へぇ、ほぉ……そっか、ようやっとキィちゃんにも遅い春が来たか」
! やべぇ、美也ねぇにバレた!? せっかく、今まで細心の注意を払って俺達の関係を隠し通してきたってのに。
「安心おし。別にとやかく言うつもりはないわよ。ただし……ヒィ坊、キィちゃんはあたしにとって兄にも等しい親友なんだからね。泣かせたらタダじゃ済まないよ」
もっとも、今の格好だと兄って言うより妹だけどね、とケラケラ笑う美也ねぇ。
「おじ様も異論はないみたいだし……」
! 忘れてた、そういうヒト(?)もいたっけ……。
『うむ。このような形と言えど、孫が見られるのなら、それは喜ばしいことじゃからな』
あ、意外。許してくれるんだ。てか、孫はさすがに気が早いよ!
『当然じゃろう。これ、少年、接吻までは大目に見よう。じゃが、お主が学校を卒業して働くようになるまでは、それ以上のエッチなことはお預けじゃぞ!』
いいっ、それはキビしい……とは言え、昭和的貞操観念の持ち主が相手なら仕方ないのかなぁ。
そんなワケで、季多乃は今日も俺と一緒に元気に学校に通っている。
お淑やかで可愛くて、勉強はちょっとアレだけど、意外なコトを知ってる知恵袋で、しかも優しくてピュア。
元男であることをさっ引いても、俺にはもったいないくらいの彼女だよなぁ。
「──どうかしたの、ヒイラギくん?」
隣りを歩いていた季多乃が見上げるように俺の顔を覗き込む。
「うんにゃ、季多乃は可愛いなぁ、と思ってただけ」
「も、もぅ……」
恥ずかしがる彼女の手を俺が握ると、季多乃はソッと握り返してくれたのだった。
-おしまい-
<余話>
「ところで、おじ様、今となっては必要なさそうですけど、あの幽世白粉って、どうやって落とすつもりだったんですか? 水とか石鹸じゃあ落ちないみたいですけど」
『うむ、アレは対になる"現(あらわ)しの化粧パック"を使えば簡単に落ちる。落ちるのじゃが……』
「が?」
『実は……その材料は幽霊族の男の精なのじゃよ』
「え? で、でも、幽霊族って、キィくんとおじ様以外絶滅したんですよね。で、おじ様がそんなだし、キィくんも女の子のキィちゃんになってるから……実質製造不可じゃないですか!」
『ははは、こりゃうっかりしておったわい!』
つまり、どうあっても、季多乃は元には戻れない成り行きだったということか。
道理で、簡単にふたりの仲を認めた(のみならず秘かに「娘」を煽っていた)ワケだ。
ある意味、柊樹は責任をとるという口実で"訳あり物件"を押しつけられたとも言える──幸いふたりとも互いに想いあっているようなので、その辺りは今更気にする必要はないのかもしれないが。
解けば膝くらいまでありそうな綺麗な黒髪を白いリボンで結い上げ、不思議な菫色の瞳と、お人形さんのように整った顔立ちを持つ、やや小柄な美少女。
あまり口数が多い方ではないが、いつもニコニコと笑みを浮かべ、男女問わず誠実に受け答えする優しい性格。
真面目そうな性格の割に、国語と歴史を除くと勉強はあまり得意ではなく、その反面、華奢な身体つきなのに、体育の授業ではスポーツが得意なクラスの男子に匹敵するほどの運動能力を見せるそのギャップ。
よほどのひねくれ者でなければ、彼女に悪印象を抱くことは難しいだろう。
俺? 俺も……まぁ、決して嫌いじゃない。
授業中、チラッと彼女──伯方季多乃(はかた・きたの)の方に目をやると、俺の視線に気づいた彼女が、微笑みながら小さく手を振ってくれる。
正直な感想を言えば、めちゃんこカワイイ! 自分でも締まりのない笑顔を返しているのがわかる。
──が。
視線を黒板に戻して何とか心を落ち着けた途端、自己嫌悪にも似た後悔が俺の中に湧き上がる。
(なに、デレデレしてんだよ。俺は、あの子の「正体」を知ってるはずだろ……)
何度繰り返したかわからない、自らへ言い聞かせるためのその言葉も、最近ではあまり効果がなくなってきた気がするなぁ。
* * *
さて、ここでひとつ俺の持つ重大な秘密を皆さんに暴露しよう。
俺は……実は純粋な人間じゃない。いや、性格のことを言ってるわけじゃなく、主に血筋的な意味で。
俺の母方の祖母は……じつは、化け猫だったんだよ! ナ、ナンダッテー(←MMR風に)
まぁ、「化け猫」って呼ぶと当の本人は「あたしは猫娘!」って怒るんだけどな。
子供が3人、孫が7人いて、今年還暦迎えるクセに、何が「娘」だよ……いや、確かに外見上は20歳を超えたくらいにしか見えないんだけどさ。ほんっと、正真正銘の妖怪ババァだよな、二重の意味で。
で、その孫のひとりである俺にも、その妖怪の血が8分の1(バァちゃん自体が半妖だからな)だけ流れてるわけだなんだけど……。
ありていに言って、俺はお化けとかが見えるのと、ちょいと夜目と鼻が利くことを除くと、一般人とあんまし変わりない。
母さんも人間と化け猫の間に生まれた割に、人外っぽい所はほとんど見受けられないから、そういう遺伝なんだろう。
逆に、従姉の真緒ねーちゃんなんかは、妖怪由来の妖力と神社の血筋(伯父さんがそういう家柄なのだ)の霊力の両方を操れる、日本国内でもいまや希少な退魔巫女として、各方面ひっぱりだこらしい。
──う、羨ましくなんてないんだからね!
いや、ツンデレテンプレとかじゃなく、マジで。何せ、ひと昔前に比べると随分減ったとはいえ、それでも妖怪とか悪霊、悪魔とか言われる類いの存在(オバケ)が実在していることを、俺は自らの目で見てよく知っている。
そんなヤバい相手と命がけの死闘をくり広げるなんて、一介の中学生には荷が重すぎるぜ。プリキ●アとか、よく女の子なのに戦いに行く気になったなぁ。やっぱ人生平和が一番だよ。
そんなヘタレなポリシーを持つ俺だったが、残念ながら運命の神様は、その平穏無事な人生とやらを俺に授けて下さる気はなかったらしい。
* * *
あれは確か、中学2年に進級したばかりの4月の終わりごろ。
土曜の半日授業を終えて、今日は部活(ちなみに天文部だ)もないんで、さっさと家に帰って飯で食おう……と思っていた俺は、ヘンな少年に呼びとめられた。
「すみません、ちょっとお聞きしたいんですけど、いいですか?」
見た感じ、年の頃は俺と同じか少し上──おおよそ15歳くらいだろうか。顔立ちは整っている(ただし、イケメンと言うよりは小柄でショタ系な方向で)し、態度や言葉も丁寧なんだが、どこか俺の勘に引っかかるものがある。
特に、その長い前髪に隠された左目が、すごく気にかかるんだが。
とは言え、仮に目の前の少年が妖怪か、その関係者だったとしても、それだけで有害という判断を下すのは早計だろう。それを言うなら、俺にも立派な妖怪クォーターの息子なんだし。
「はぁ、何でしょう」
「ある人の家を探しているんですが……この辺で、鰯水さんと言う家をご存知ありませんか?」
「えっと、鰯水はウチだけど……」
ちなみに、俺のフルネームは鰯水柊樹(いわしみず・ひいらぎ)。節分の鬼除けかよ!? とツッコミが入りそうだが、まぁ、名前の字面自体は結構自分でも気に入っている。
「え、本当に!? とすると、もしかして、君がヒイラギくんかい?」
途端に少年の態度に親しみというかなれなれしさのようなものが垣間見えるようになった。
「はぁ、そうッすけど……どちらさんで?」
ま、十中八九は、バァちゃんの客だろうけどな。
「ああ、これは失礼。僕はこういうものなんだ」
少年は、虎縞(タイガーストライプ)……と言うにはやや幅の広い"黄色と黒の横縞模様のベスト"の内側から、名刺を取り出し、俺に一枚くれた。
「……マジで?」
名刺に書かれた名前を一瞥しただけで、俺は頭が痛くなってきた。
そこには、バァちゃんが若い頃(って言うと、「今でも若いわよッ!」と怒られるだろうけど)、悪い妖怪退治のボランティアみたいなことを仲間とやってた時、そのリーダー格を務めていたという、強力な妖怪少年の名前が達筆な墨文字で書かれていたからだ。
* * *
「はァ、ななふしぎィ!?」
俺が素っ頓狂な声をあげてしまったのも無理はないと思う。
あのあと、「バァちゃんの古い友人」である少年(いや、実年齢はバアちゃんとどっこいなんだろうけど)をウチに案内して、バァちゃんに引き合わせ、とりあえず義理は果たしたと部屋を出ようとしたところで、バァちゃんに呼びとめられたんだ。
「ちょっと待った。ヒイ坊、あんたも一緒に話を聞きなさい」
嫌な予感がヒシヒシしたものの、どの道、我が家の最高権力者であるバァちゃんには逆らえないから、渋々俺も腰を下ろした。
で、バァちゃんと妖怪少年(どっちも見かけは実年齢から想像できない程若いけど)の話によると、近々俺の通う中学で、"本物の七不思議"が具現化するらしい。
「七不思議って……しょせんは作り話の怪談だろ?」
そりゃあ、目の前にいるふたりを例にとるまでもなく、妖怪や幽霊が実在することは、俺も自分の眼で見て知ってるけどさぁ。
「甘いわね。あたしは「本物の」って言ったでしょ。たいていは作り話だけど、ごくまれに正真正銘の心霊現象である「七不思議」も存在するのよ」
「日本に於いて「七」という数字は七福神や七曜などを例に挙げられるように神秘的なものの象徴でもあるからね」
へ? それってラッキーセブンと言うか、いい意味じゃないの?
「普通はね。でも、同時に七人ミサキなどに見られるように悪しき存在で「七」の数字を持つ者もある。そしてそれは大抵とても強い力を持つんだ」
少年の目は真剣で、冗談やホラを言ってる様子は見受けられない。
「えっと、それじゃあ、七不思議も……」
「そう。本物が具現化すれば、少なからぬ惨事が引き起こされるでしょうね」
な、なんてこった……。
「バァちゃん!」
「こら、美也さんとお呼び。ヒイ坊なら特別に「お姉ちゃん」って呼ぶのも許したげるよ」
ごく一般的な感覚を持つ男子中学生としては、還暦を目前にした女性(しかも実の祖母)を「姉」と呼ぶのはいささか気が引けるが、ここで断わっても絶対ヒドい目に遭うに決まってる。
「じゃあ、美也ねぇでいいや。美也ねぇ!」
俺は、かつてない程真剣な目付きで、バァちゃん──美也ねぇの瞳(よく見ると確かにネコ同様縦型の瞳孔だ)を見つめる。
「ん? なんだい?(へぇ、なかなかいい面構えになったじゃないか)」
「俺……転校するよ! そんな危ない場所に通いたくないし!!」
──ズコーーーッ!
前世紀のコメディ番組のノリを思わせる見事な「コケ」を見せる美也ねぇと少年。
「こら、ヘタレたこと言うんじゃないよ! それでも誇り高きこの猫娘の孫かい!?」
え? いや、ごく一般的な反応だと思うけど?
この鰯水柊樹14歳、女の子とつきあったこともないのに、無用の危険に近づいて死亡フラグを立てるのは御免だ!!
「夢や浪漫のない子だねぇ……だからモテないんだよ」
──グサッ!
「クッ、イタいところを……」
実際、クラスメイトとか友達とかにも「枯れてる」「若さがない」「ホントに中学生か、お前?」とか散々な評を下されたことがあるので反論できない。自分でも多少、大人びてる──というかヒネてる自覚はあるのでなおさらだ。
「まぁまぁ、猫ちゃん、落ち着いて。ヒイラギくんは体質や能力的に普通の人間とほぼ変わりがないんだよね? それなら「君子危うきに近づかず」という態度も、あながち間違ってはいないと思うよ」
妖怪少年がなだめてくれる。
「けど、それを推して、僕らは君にお願いしたいんだ。ヒイラギくん、君達の学校で起こるかもしれない七不思議の怪異による被害を食い止めるために、力を貸してくれないだろうか?」
真正面から、そんな風に頭を下げられたら、流石に断わりにくい。
元より、俺だって自分の学校に愛着がないわけじゃない。友達だってそれなりにいる。
もし、七不思議が起こってクラスメイトや知り合いがその被害に遭ったら……と考えるのは、決して愉快なことじゃなかった。
「でも、俺がいたからって……」
そう、さっき言われた通り、俺自身は、ほとんど「ただの中学生」だ。幽霊が見えたり夜目が効いたりはするし、男子の平均よりはかなり運動能力もいいけど、それだって「人間離れ」したレベルじゃなく、「珍しいけどちょっと捜せばいる」程度のものだ。
「大丈夫、別にあたしらだって、ヒイ坊に戦闘(ドンパチ)に参加しろなんて無理言うつもりはないさ。この事件はちょいと長丁場になりそうだから、ヒイ坊の学校に潜入捜査をするつもりなんだけどね、アンタには調査での案内と、日常面でのフォローを頼みたいんだよ」
なるほど、それくらいなら……って、ちょっと待った!
「美也ねぇ──いや、ここはあえてバァちゃんと呼ばせてもらうよ。バアちゃんの見た目がいくら若いからって、いくらなんでも女子中学生と言い張るのは無理があり過ぎだよ!」
光星中(ウチ)の女子の制服は可愛いと近隣でも評判だけど、どう頑張っても20歳より前には見えないバアちゃんが着たら完全にイメクラだ。
「バカタレ! 誰が生徒になるって言った? あたしは、ちゃんと教師として赴任するつもりだよ!!」
怒鳴り声とともに、「パシンッ!」とお茶受けのひよこ饅頭を顔面にブツけられた。結構痛ひ。
「そ、そんなコトできるの?」
「問題ないよ。そもそも、この事件(ヤマ)の話をあたしらに持って来たのは、アンタの中学の校長だからね」
「アイツとも長いつきあいだからねぇ」と、昔を思い出す顔になるバァ……美也ねぇ。
けど、それなら確かに多少の融通は効かせられるのかもしれない。
「ただ、教師としての立場だと、どうしても生徒間での噂の調査なんかには穴が出るからね」
「なるほど、そこで俺の出番ってワケか。でも、そういう怪談とかおまじないとかの噂話って、女子の方が好みそうだけど……」
おおかた予想はつくだろうが、俺は女子の友達が多い方じゃない。そりゃ、クラスで席が近い子とかは普通に世間話するけど、あくまでその程度だ。クラブだって「天文部」なんて、弱小でマイナーな文化部の半幽霊部員だし。
「その点は抜かりはないわよ。そのために彼に来てもらったんだから」
へ?
美也ねぇの視線は言うまでもなく、くだんの妖怪少年の方に向けられていた。
* * *
美也ねぇによれば、教職員は自分、男子生徒は俺が情報収集するとして、女子生徒を担当するのをこの少年に任せるつもりらしい。
「そりゃ、確かにこのヒト、背は低いし、わりかしショタ系の顔してるけどさ。さすがに女装してもバレるんじゃない?」
俺としては至極当然の指摘をしたつもりだったんだが……。
『その点は心配ない!』
どこからか、聞き覚えのない──まるで某ベルベットルームの主が頭のてっぺんから出してるような甲高い声が聞こえて来た。
「えっ? だ、誰!?」
「お久しぶりです、おじ様」
もしや亡霊か何か!? と、慌てる俺を尻目に、美也ねえちゃんが珍しく神妙な顔で頭を下げている。
『うむ、久しいな猫娘よ。そして猫娘の孫、ワシはココじゃ!』
声のする方をたどってみると、半妖少年の髪に隠れた左目がぼぅっと光っている。
『このような形で失礼する。今のワシは人間の前に姿を現すのは少々刺激が強いのでな』
──ああ、そう言えば美也ねぇから聞いた記憶がある。この声の主は、たぶん、我が子を思い、眼球だけになって生き延びた、幽霊族の少年の父親なのだろう。
まぁ、確かに人間(妖怪だけど)の目ん玉がゴソゴソ動き出すのは、ちょっとしたスプラッターだ。俺としてもできればあまり見たくはない。
「えーと、お気遣い感謝します。それで、何かいい方法があるんスか?」
『うむ。オイ、例のアレを!』
「はい、父さん、コレですね」
少年が、出会ったときに右手に提げていた風呂敷包みを解くと、中からちょっと小さめの重箱のようなものを取り出す。
『この幽世白粉(かくりよのおしろい)を使えば、息子もたちまち人間の女子に成り済ますことができるのじゃ!』
親父さんいわく、本来これは少年の母など幽霊族の女性が使っていた魔法の道具で、彼女たちが人間の女性に化ける必要がある時に使う代物らしい。
『これさえあれば、たとえ全裸になって医者に診察されても、人間の女子にしか見えんじゃろうて』
「まさに、潜入捜査にうってつけよね。それに、あたしは近接戦闘にはそれなりに自信があるけど、搦め手から来るような相手は、やっぱりキィくんのほうが得意だし」
はぁ、さいですか。けど、化けることになる本人はそれでいいのだろーか。
「ははっ、正直あまり気は進まないけど、正体を隠して潜入するには、これが一番てっとり早くて有効な手段ではあるからね。
それに……じつは、今時の中学生の生活ってのにもちょっと興味もあるし」
ああ、成程。確かこの人、(少なくとも人間の学校は)小学校も出てないはずだから、そういう好奇心を持つのもわからないでもないかな。
「と言うワケで、これからキィくんを立派な女の子に仕立てあげるから、ヒィ坊も手伝いなさい!」
と、美也ねぇに言われて、俺は美也ねぇとふたりで、裸になった妖怪少年の全身にサンオイルのごとく"幽世白粉"とやらを塗っている。
──ぬりぬりぬりぬり……
うぅ……相手が女の子ならこれほどの役得はないんだけどなぁ。
心の中で滝のような涙を流しつつ、俺は全身に「化粧」されてる相手に目をやる。
おそらく150センチあるかないかの小柄な体、一度も日に焼けたことがないような白い肌、中性的で華奢な骨格……といった特徴は、あたかも年端もいかない少女を連想させるが、残念ながら胸に膨らみはなく、反対に股間には「ある」。
流行りの「男の娘」としてなら通用しそうだが、二次元ならともかくリアル男の娘は、俺もノーセンキューだ。
いや、そう思ってたのだが……。
「す、すげぇ!」
くだんの白粉を厚めに肌に塗り広げていくだけで、少年の体がみるみる俺と同年代──中学生くらいの少女の裸身へと変わっていく。
血の気の乏しい生白い肌が、血色のよい健康的な白さと滑らかさを持つ肌に変わる。
筋肉も脂肪もない痩せた肢体が女らしい丸みを帯び、胸も緩やかに隆起する。
顔つきに関しても、基本は変わっていないんだけど、幾分目元が優しくなり、頬がふっくらしたせいで、かなり可愛らしい印象になった。合わせてオカッパだった髪も随分と長くなっている。
「そして最後に残ったココ、男同士のよしみで、ヒィ坊、引導渡す?」
「縁起でもないこと言うなよ! ……美也ねぇに任す」
股間の一点を除いてほぼ女の子化した「彼」の裸身を、これ以上見続けるのは(スケベ心を上回る)微妙な罪悪感があったし、この状態で男のアレを弄り回したら、なんだかイケナイ嗜好に目覚めそうだ。
俺は、ベトベトになった手を洗おうと、席を立った(ちなみにコレ、幽霊族専用で、人間には効き目がないそうだ。ホッとしたような残念なような……)。
そして、洗面所から戻ってきて、美也ねぇの部屋のドアを開けると──。
そこには、青と白の縞パン一枚の格好で、胸にブラジャーを着けようと悪戦苦闘する「少女」の姿が……。
「ご、ごめん!」
慌ててパタンとドアを閉じて、俺は自分の部屋へと逃げ込んだのだった。
* * *
その後、30分ほどして美也ねぇに部屋に呼ばれた時は、俺もどうにか平静を取り戻していた。
「じゃあ、カバーストーリーを確認しとくよ。
ヒィ坊は普段通りでいいとして、あたしはヒィ坊の従姉で、大学出たばかりの新米英語教師ってことにする。これなら、頻繁に会って親しく会話してても、不審がられないからね」
「いいけど……美也ねぇ、英語なんて教えられんの?」
俺の疑わしいそうな目付きにニヤリと不敵な笑みを返した美也ねぇの口から、つぎの瞬間、至極流暢なクイーンズイングリッシュ(いや、本場物なんて知らんけど)が飛び出したので、俺は驚いた。
「ニャハハ……若い頃のフリーター暮らししてた頃に、まぁ、いろいろ覚えたのさ♪」
い、意外な特技だ。
「で、次にキィちゃんだけど……」
つい先刻までは、童顔気味とはいえ、俺と同年代(いや、ホントは美也ねぇと同世代だって知ってるけど)の少年に見えた「彼」は、見事なくらい「彼女」に変貌していた。
ヒラヒラした薄く透ける素材でできた膝丈でノースリーブの白いワンピースの上に、ミントグリーンの七分袖カーディガンを羽織り、お尻くらいまである長い髪をラベンダー色のリボンでポニーテイルに結わえている。
俺の視線を感じると幾分恥ずかしそうにもじもじしているが、それがさらに小動物的な愛らしさを醸し出しているのだ。
その正体を知らなければ、うっかり一目ぼれしてしまいそうな、掛け値なしの美少女だった。
「今時の中学生としての常識に乏しいことは……うん、家の都合で引っ越しが多くて日本中を転々としてたことにしよう。で、父親とヒィ坊の祖母が知り合いで、この町にいる間はこの家で世話になってるってコトで」
恐ろしいのは、今の説明に何ひとつ明確な嘘がないことだな。
確かに「彼」は妖怪退治のために日本中を奔走してたらしいし、眼球型の親父さんと、俺の祖母──つまり、美也ねぇ自身は友人だ。この家に居候することは──たぶん手回しのいい美也ねぇのことだから父さんたちの了解は得てるんだろう。
ちなみに、親父さんは、現在「彼」の失われた目になりきって休眠状態らしい。おかげで、左右の瞳の色が違う(右目が菫色、左目は赤茶色だ)以外は、ほんとに普通の子に見える。
「ところで、名前はどうする? さすがにそのままだと女の子の名前には聞こえないし、苗字も付ける必要があるね」
「ああ、それなら、こんなのはどうかな?」
* * *
「伯方季多乃です。田舎者で都会の暮らしには不慣れなことが多いですけど、よろしくお願いします」
ゴールデンウィーク明けの初日。丁寧な口調で自己紹介し、ペコリと頭を下げる転校生の出現に、男女問わずクラスの連中がざわめいた。
男子は「美少女キタコレ!」と思ってるんだろうし、女子はライバル視する子が半分、可愛いもの好きで琴線をくすぐられた子が半分ってところか。
さすが、例の白粉塗った日から丸一週間、美也ねぇ&俺の母さんにスパルタ女の子教育受けただけのことはある! ……感心していいのかな、ここ。
(正体知ってて、良かったような残念なような……)
そのクラスの盛り上がりから一歩離れて苦笑する俺を目ざとく見咎めるヤツがいた。
「おりょ、ヒイラギがこのテのイベントで騒がないのって珍しいね」
某囲碁漫画のライバル少年を思わせる風貌をしたコイツの名前は紅井円(くれない・つぶら)。俺の小学4年生の頃からの友人だ。
「まぁ……アイツが来るのは知ってたからな」
「へぇ、知り合い? あ、もしかして、親同士が決めた許婚同士とか?」
──ブーーーーッ!!
い、いきなり、なんてこと言うんだ!
「今時、そんな時代錯誤なしきたりあるわけないだろ! 単にバ…美也ねぇつながりで知り合っただけだ」
「ああ、美也さんの。納得」
ちなみに、こいつは、6年生の時にとある心霊事件に巻き込まれて美也ねぇに助けられたこともあって、美也ねぇの正体を知っている。
「じゃあ、あの娘も、ソッチ関係者なんだ」
だから、小声でこういうコトも聞いて来るわけだ。
「まぁ、な。クラスのみんなにはナイショだぞ」
曖昧に肯定しつつ、一応釘は刺しておく。円は口の軽い奴ではないから、大丈夫だとは思うけど。
「伯方さんは親御さんの都合で、いつまた転校するかわからないそうだが、このクラスにいるあいだは、みんな仲良くするように。
それで席は──うん、鰯水の隣りが空いてるな。元々知り合いみたいだし、ちょうどいいか。鰯水、転校生の面倒を見てあげなさい」
ぐわ……先生、何でいきなりそれをバラしちゃいますか!
「ふふ、よろしくね、ヒイラギくん」
教壇の前からしずしずと歩み寄り、俺の左隣りの窓際の席についた「彼女」がニッコリ微笑む。正直、正体知ってても見とれるレベルの可憐さだ。
「あ、うん、こちらこそお手柔らかに頼みマス」
クラスの連中(おもに男子)のジェラシーな視線の重圧を感じながら、俺はかろうじてそう応えるしかなかった。
* * *
「彼女」──伯方季多乃は、意外なことにウチのクラス、それも主に女子の輪にアッと言う間に馴染んだ。
どうやら、「田舎者」「転校が多い」という設定とピュアで素直な性格が、ウチのクラスの世話焼きな女子連中の保護欲をチクチク刺激したらしい。
まぁ、そいつらも今時のギャルとかじゃなくてどちらかと言うとマジメな奴らだし、悪いようにはならないだろう。
無論、男子からの人気はウナギ昇り。おかげで、俺は単なる同居人(まぁ、それ以外に裏の協力者という立場もあるけど)なのに、妬みの視線を受けること受けること。
とは言え、同じ家に住んでるから朝は一緒に登校することが多いし、季多乃(本人に名前で呼んでくれと言われたんだ)が俺の部活──天文部に入ったこともあって「……アヤしい」「まさか、デキてるんじゃないのか?」と疑われることもしばしばだ。
部活に関して言えば、俺がどうこうと言うより、天文部なら夜の学校に残っていても「部活の天体観測で……」という言い訳が使えるというだけなんだけど。
「でも、ヒイラギだって伯方さんと噂されること、イヤじゃないんでしょ?」
さすがに5年も親友やってるだけあって円のヤツは鋭い。
「そりゃ……それなり以上の美少女と噂になるなんて貴重な経験、今後の俺の人生では、まずなさそうだしなぁ」
実際、「彼女」は、「友達」、「クラスメイトの女の子」として見れば、ものすごくいいコで非の打ちどころがないんだな、これが。
うぅ……つくづく、事前に正体を知ってしまったのが口惜しい。知らなければ、しばらくの間とは言えいい夢見られたのに(その分、正体が露見した時の絶望感もスゴいだろうけど)。
で、季多乃が転校してからおよそ半月ほどの間を空けて、今度は美也ねぇが新任の英語講師として赴任してきた。
こんな中途半端な時期の赴任って結構不自然だと思うんだけど、そこを気にしてる人がほとんどいなかったのは、美也ねぇの外面の良さとフランクな性格のおかげだろう。
「ところで、肝心の七不思議とやらは、いつ頃発現するのさ?」
俺と季多乃と3年の部長以外は、ほぼ幽霊部員と言っていい(つーか、先日までは俺もその中に入ってた)天文部の部室で、この場に身内しかいないからって、被ってる猫を脱いでダラケてお菓子食べてる美也ねぇに聞いてみた。
ちなみに、今日は部長も用事があるらしくお休みだ。
「チッチッチッ……ヒィ坊、怪談って言えば、夏が旬って相場は決まってるでしょ」
「たぶん、七月か八月。後者の方が可能性は高いかな」
季多乃が美也ねぇの言葉を補足する。
「マジか!? だったら、こんな早くに潜入することなかったんじゃないか?」
今は五月末。七月までとしても丸々1ヵ月はある。
「バカだねぇ。ヒィ坊、転校や転任したての人間が、簡単に情報収集できるほど周囲の輪に溶け込めると思うかい?」
「うッ……」
至極理に適った美也ねぇの指摘に俺は呻く。
「それに、ボクや猫ちゃんが来た途端に怪現象が発生したら、ボクらがその原因だって周囲に疑われかねないしね」
季多乃が複雑な表情で苦笑する。
そう言えば、昔、美也ねぇ──バァちゃんも言ってたな。悪さをしてた妖怪を退治したからって、必ずしも感謝されるとは限らないって。
美也ねぇや季多乃は、きっとそういう理不尽な扱いを何度も受けて来たのだろう。
何となくやり場のない怒りを感じてしまう。
「うん、わかった。俺もできる限り協力するよ」
これまでのような消極的なそれではなく、それなりに積極的にこの事件に関わる気になったのは、人知れず頑張るこのふたりの努力に少しでも報いたいと思ったからだ。
「ありがとう、ヒイラギくん」
「ま、ケガしない程度には頑張んなさい、男の子」
ふたりは顔を見合わせると優しい笑顔を返してくれた。むぅ、なんとなく照れくさいぜ!
* * *
……と、ちょっといい話風の会話を三人でしたはいいものの。
実は七月に入ってもいっこうにそれらしい怪異が発生しなかったんだな、コレが。
一応、ウチの学校にもそれらしい七不思議の噂自体はあるんだけど、季多乃によれば今のところその大半が眉唾で、かろうじて「トイレの花子さん」だけは本物がいたみたいだけど、そのコもちょっと生徒を脅かすくらいで、ほとんど無害な存在らしい。
さらに八月に入っても、その状況はほとんど変わらない。夜間は、天体観測と称して学校に集まり、こっそりパトロールしているんだけど、一向にソレらしい気配がなかった。
ずっと気を張っていても疲れるだけと言うことで、俺達──俺と季多乃は、昼間は中学生らしく、プールで泳いだり、映画やゲーセンに行ったり、渋々宿題片付けたりしている(美也ねぇは平日は仕事。一応、教師だし)。
で、そんな風に、起きてる時間の大半を一緒に過ごしてるおかげで……なんかこう、隠しパラメーター的な好感度が日に日に上がってる気がする──それも、俺だけじゃなくて季多乃の方も。
いや、だってしょうがないって!
プールで恥ずかしそうに水着(ちなみにピンクのワンピースタイプ)のお尻のところ直そうとしてるトコとか……。
ゲーセンでゲームしてる時、座ってる季多乃の後ろから色々教えてあげてる時に、ふと髪の毛から漂う女の子らしいフローラルな匂いだとか……。
並んで一緒に宿題をやってる(ちなみに一応中の上クラスの俺が教える側だ)時、勉強疲れしたのかコックリコックリ居眠りして、俺の方にもたれかかってくる彼女の体温とか……。
いくら"元"を知ってても、こんだけ「萌えイベント」が連続発生したら、男なら堕ちないワケないだろ!?
おまけに、そういった「アクシデント」が起きるたびに、何だか季多乃の方も、どんどん女の子らしさがアップしてる気がするし。
うぅ、俺が道を踏み外す前に、早く七不思議とやらが起こらないかなぁ。
……という俺の願いもむなしく、結局何事もなく(いや、お盆周辺で多少の霊的トラブルはあったけど)夏休みは無事(?)終了し、二学期を迎えてしまった。
おかげで、俺と季多乃はと言えば、「花火大会の縁日に浴衣でお出かけ」から「花火をバックにしたファーストキス」に至るラブコメ的夏休みファイナルイベントまでこなしてしまい、結局「季多乃ルート」への第一歩を踏み出してしまったのだ!
後悔は……全然してないと言えば嘘になるけど、今が幸せだから先の事には目をつぶろう、うん。
「それにしても、どういうこと!?」
「おかしいなぁ。あの子の予言は、まず外れた試しがないんだけど」
今より数えて月が二度満ち欠けした夏の頃
つねにきよき星の光に守られし学び舎に
禍々しき七つの影あり
其は学び舎に伝わりし影の伝承なり
禁断の扉が開かれ、陽が陰へと変わり
三つは生還し、三つは闇の贄となる
──と言う、季多乃たちの知り合いの的中率ほぼ100%な占い師(?)からの、いかにもなお告げがあったから、ふたりはこの件に関わる気になったらしい。
「おおよその場所の見当はこの町だったし、「星の光の学び舎」って言うから、てっきりこの光星中学のことだと思ったんだけどねぇ……」
……ん?
「美也ねぇ、季多乃、ちょっと待った! 「つねにきよき星の光に守られし学び舎」の部分だけどさ。これ、「恒に聖きほしのひかり」とも解釈できるよな?」
「まぁ、少々厨二的当て字っぽいけどね」
ほっとけ、こちとらリアル中学二年生だい!
「だったらさ、光星(ウチ)以外にも、確か近所に「恒聖高校」って学校があるんだけど」
「「!」」
いや、ふたり揃って「その発想はなかった」的な視線で俺を見るのはやめようよ。
* * *
その後、美也ねぇのツテを辿って調べてみたら……ビンゴ! まさにこの夏休み中に、恒聖高校で七不思議にまつわる事件が勃発していたらしい。
なんでも、夜の学校で肝試しをしていた推定6人の男子生徒がことごとく姿を変えられ、3人が妖怪として取りこまれ、生還した3人も全員女の子になってしまったらしい。
(陽が陰にって、そういうことなんだろうなぁ)
しかも、帰還した被害者のひとりは14歳に若返り、俺達のクラスの隣りに在籍してることになってるし。で、もうひとりは猫又娘化、残るひとりはトイレの花子さん似の女子小学生になったんだとか。
結局、今回の失敗へのフォローも兼ねて、美也ねぇは隣りのクラスのその子──内田さんが卒業するまでは、教師を続けるつもりらしい。
「で、キィちゃんはどうする?」
「ボクは……ふたりに異論がなければ、卒業まではココにいたいかな」
ちょっと恥ずかしげにそう言う季多乃だったけど、俺に異論があるはずもない。
「ふーん、へぇ、ほぉ……そっか、ようやっとキィちゃんにも遅い春が来たか」
! やべぇ、美也ねぇにバレた!? せっかく、今まで細心の注意を払って俺達の関係を隠し通してきたってのに。
「安心おし。別にとやかく言うつもりはないわよ。ただし……ヒィ坊、キィちゃんはあたしにとって兄にも等しい親友なんだからね。泣かせたらタダじゃ済まないよ」
もっとも、今の格好だと兄って言うより妹だけどね、とケラケラ笑う美也ねぇ。
「おじ様も異論はないみたいだし……」
! 忘れてた、そういうヒト(?)もいたっけ……。
『うむ。このような形と言えど、孫が見られるのなら、それは喜ばしいことじゃからな』
あ、意外。許してくれるんだ。てか、孫はさすがに気が早いよ!
『当然じゃろう。これ、少年、接吻までは大目に見よう。じゃが、お主が学校を卒業して働くようになるまでは、それ以上のエッチなことはお預けじゃぞ!』
いいっ、それはキビしい……とは言え、昭和的貞操観念の持ち主が相手なら仕方ないのかなぁ。
そんなワケで、季多乃は今日も俺と一緒に元気に学校に通っている。
お淑やかで可愛くて、勉強はちょっとアレだけど、意外なコトを知ってる知恵袋で、しかも優しくてピュア。
元男であることをさっ引いても、俺にはもったいないくらいの彼女だよなぁ。
「──どうかしたの、ヒイラギくん?」
隣りを歩いていた季多乃が見上げるように俺の顔を覗き込む。
「うんにゃ、季多乃は可愛いなぁ、と思ってただけ」
「も、もぅ……」
恥ずかしがる彼女の手を俺が握ると、季多乃はソッと握り返してくれたのだった。
-おしまい-
<余話>
「ところで、おじ様、今となっては必要なさそうですけど、あの幽世白粉って、どうやって落とすつもりだったんですか? 水とか石鹸じゃあ落ちないみたいですけど」
『うむ、アレは対になる"現(あらわ)しの化粧パック"を使えば簡単に落ちる。落ちるのじゃが……』
「が?」
『実は……その材料は幽霊族の男の精なのじゃよ』
「え? で、でも、幽霊族って、キィくんとおじ様以外絶滅したんですよね。で、おじ様がそんなだし、キィくんも女の子のキィちゃんになってるから……実質製造不可じゃないですか!」
『ははは、こりゃうっかりしておったわい!』
つまり、どうあっても、季多乃は元には戻れない成り行きだったということか。
道理で、簡単にふたりの仲を認めた(のみならず秘かに「娘」を煽っていた)ワケだ。
ある意味、柊樹は責任をとるという口実で"訳あり物件"を押しつけられたとも言える──幸いふたりとも互いに想いあっているようなので、その辺りは今更気にする必要はないのかもしれないが。
大変面白かったです!!
>「だったらさ、光星(ウチ)以外にも、確か近所に「恒聖高校」って学校があるんだけど」
実はその通りで、TSしてまでこの学校に来た意味ねえぇぇぇw
でもまあ、本人とその周辺が納得して春も来てるのだし、まあいいか。作中の季節は夏だけど。
去年の今頃、掲示板に掲載されていた、大正時代の話とか、春先に掲載されていた貴族のお嬢様の話の続きも見たいなあ。