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セイの狭間で

2012/07/15 10:08:20
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セイと死の狭間で

「やっぱりお前は清彦だったんだな・・・。」
「気がついちゃったんだね・・・敏章。」
「実を言うとな。初めてお前に・・・麻生清香に出会った時から清彦の影は感じていた。」
「そう・・・なんだ・・・。」
「ある日突然失踪した親友に雰囲気も名前も似ている女が現れたんだ。」
「そりゃあそうだよね。私が女になったって清彦の時の雰囲気は強く残ってるよね。」
「しかも麻生の姓も含めれば四文字中三文字が清彦と同じ漢字だ。これで清彦の事を意識するなと言うのが無理な話だ。」



婚約者に自分の正体がばれてしまった。
元々がかなり無茶な計画だと分かってはいたからこの事自体には驚かない。
ただ、時期は思ったよりかは早かったかな?
婚姻届を出す前に自分の口から明かしたかったけれど、まさかカルテを見たときに清彦の名前を知られてしまうなんてね・・・。
でもある意味じゃ仕方がないのかな?私の性格上、自力で告白するには勇気が足りないし言うより先に知られた方が良かったのかな?

やっぱり計画自体が無茶だったかな?
女になって、彼に近づき恋人になって、そして彼と一つになり、そのままゴールイン。
元々男だった私が、親友で意中の男性の敏章とお付き合いをする事でもかなり無茶だったんだ。
途中で計画がばれて破綻したとしても仕方がないよね?
・・・でもなぁ。こういうショッキングな出来事は身重でない時に起こって欲しかったなぁ。




自分の新妻(予定)が、実は元男でしかも自分の友人だった。

世の中にはそのシチュを喜ぶ男性もいないでもないけれど、一般的な男性は喜びはしない。
寧ろ、元男のオカマと付き合っていた事を気持ち悪く思う・・・が普通だ。私自身が当事者だからか、そう言う話は嫌と言うほど聞いている。
どれだけ顔を変えようと、胸を大きくしようと、お股の形と機能を転換しても・・・男は所詮男と見られてしまうのだ。
(人工女性どころか遺伝子や体質の関係上で男性の遺伝子を持ちながら女性化した天然ものの女性ですら男と認識されてしまうケースも少なくない。)
そうでなくとも、恋人や結婚相手として付き合うのは嫌だと言われるのが普通だろう。
誰が好き好んで、怪しい部分のある女を選ぶものか。

ましてやそれが友人関係の長い相手なら、余計に女と見なすのは難しい。
しかも、敏章は兄貴分的な立位置と言うのもあってずっと私を男らしくしようと頑張っていたのだ。
それが男らしくなるどころか女になってしまったのだ。これだけでも十分絶縁ものの裏切りだろう。
そんな人間が突然、妊娠中の婚約者として現れたんだ。
彼の胸中がどれほど荒れているか、想像するまでも無く大荒れだろう。
それに、私が女として・・・清彦であるのを清香と偽って現れたのとは別の裏切りでもある。
一人で生きられる男になって欲しいという彼の想いと努力を踏みにじった・・・と言う裏切りもある。
その証拠に、敏章の表情は怖い。この10年で一度も見た事が無いくらいの迫力がある。



「とんだピエロだな俺は。」
自嘲の笑みを浮かべながら敏章は言った。
「親友の失踪で表面上はともかく心の中はずっと荒れていた。」
親友と言ってくれたのは嬉しいけれど、敏章の親友は妙に強調されてどこか皮肉っぽさがあった。
「その隙間を埋めるようにして現れた清香に俺が惹かれていったのはお前の作戦通りなのか?」
「うん・・・。敏章に好かれるよう・・・色々と考えた上で近づいたの・・・。」
「つまり俺はお前の計画通りに動いていったわけか。」


敏章と結ばれたくて女になった私だが、女になるだけでは意味が無い。
敏章に好かれてお付き合いが出来なければ意味は無いも同然だ。
正直言って、敏章の心を掴むのは楽勝だった。
女性化の処置の途中で、男性との恋愛の練習代わりにやっていた恋愛シミュレーションのどのゲームよりも、どのキャラよりも攻略は楽だった。

髪はロングが好みで、格好は常にスカートが好ましく、タイトなものよりふんわりとしたややお嬢様風のファッションが好き。
敏章の好みを知り尽くしているので、それらを自然にこなししかも偶然を装っておく。少し慣れておけば好感度は勝手に上がっていく一方だった。
それに『突然失踪した親友と似ている女の子』この属性が決定的に役に立った。
山之辺敏章が麻生清香に惹かれていくのはごく自然だった。




敏章がとんだピエロと言う部分は否定できない。
というか私もそう思った事がある。

付き合っている時に、敏章はたまに寂しそうな表情を見せる。
理由を尋ねれば決まって、ある日突然いなくなた親友・・・つまり僕の事を心配していると返ってくるのだ。
『親友とは言えデート中に突然他の人間の事を考えるのは失礼だよな?』敏章は毎回のように謝っていた。
本当に失礼な人間に対して、実は全く失礼でない人間が何度も何度も謝っていたのだ。

『それじゃあ、今から私は・・・僕は清彦だよ。』
『敏章の親友で、少し女々しい男の子の清彦だよ。』
『今日は女装しているけど、女顔で体も華奢だし大目に見てよね?』
清彦を気にする敏章を見ていられなくなったのか、それとも清香(じぶん)が清彦(じぶん)に嫉妬をしたのかも知れない。
ある日突然、清彦の代わりになってみようかと思った。敏章は口では申し訳ないといっていたが、久々の清彦との再会で表情を緩ませていた。
その後もある時は女の姿で清香として、ある時は男の服を着て清彦に扮した者として敏章と、デートを楽しんだ。
後者の方はパッと見ゲイカップルっぽくも見えなくも無いが、私を清香と信じていた敏章は気持ち悪そうな顔はせず、清香の大サービスと思ってくれた。
私にとってはごく自然に、なるようになっただけだけれど客観的に・・・ないし敏章の方から見ると本当にピエロでしかないと思う。



結局は、清香の男装大サービスが決定打となり私は敏章と結ばれたのだ。
まずは体が、続いて婚姻的な意味で。心に関しては結ばれたかどうか未だに分からないけれど・・・。

清彦に対して、清彦との友情を語る敏章は、端から見たら滑稽だろうなぁ。
デート中にそんな事を思った事は数え切れないくらいにあった。

清彦が清彦に扮することもそうだし、敏章の交友関係が話題になると清彦と言う単語がよく出てくるのも、私の目から見てすら滑稽だった事だってある。
時には敏章にこうも嬉しそうに語って貰える自分に対して嫉妬して『その清彦さんって相当男性にモテるんですねぇ』などと小言を言った事だってあった。
私がそう言うと、すまなそうな顔をした敏章は清香の機嫌をとるために色々心を砕いていた。
自分の彼女を、親友とは言え別の人間と重ね合わせている事を敏章はずっと申し訳なく思っていたのだろう。
清香を見ている心算が、清彦と一緒にいるような感覚なのを清香に対する裏切りとも思ったのだろう。
優しい敏章とは言え、清香のご機嫌取りにここまで併走する日々にはそう言う事情があったからだと思う。

そんな敏章の様子を見て申し訳ないとは思う私だが、その状態を改善しようとどうにかした事は無かった。
いや・・・敏章に気に入られる為に積極的に利用した部分すらあった。
道化のようだとも思いながら、高感度アップの為に利用していた。


ある時はキスの要求し、別の日にはデートの頻度を増やすよう言ったり、敏章好みの下着を買いたいと言って着いて来て貰った事だってあった。
奥手な私がゴールインできたのは、ひょっとすると敏章のお詫びを上手く利用したお陰かも知れない。
私がお詫びとして要求するのものは、宝石でもブランド品でもなく敏章と一緒にいられる事だ。
ただただ自分と一緒にいることだけを望む娘と敏章が近づかないわけがない。

親友の清彦にどこか嫉妬しながらも、敏章と一緒になることだけを望む清香。
清香を演じて、清香になり切っていれば敏章との距離が縮むのは時間の問題だ。
清彦・・・いなくなった親友とそれによって出来た彼の心の隙間を埋めるのに清香以上の人間は存在しない。
清彦が敏章の足枷になってくれればくれるほど、清香は可愛がって貰えるのだ。
恋する乙女になりながらも、ほくそ笑んでいる自分がいた事を私は知っている。
惚れながらも、陥れた事は自覚している。

「正直言って俺は後悔しているよ。清香として俺の目の前にずっといた清彦を今日までずっと心配してきた事を。」
「・・・。」
「親友として、お前を気にかけていた日々も、お前と一緒に過ごした青春も下らないものとしか思えない。」
「・・・。」
「そして・・・!!清彦なんかとよく似た女に惹かれていった事は人生最大の失敗だ!!」
彼の顔は真っ赤に染まり、目には小粒だが光るものがあった。



敏章は滅多なことでは怒らないし、感情を表に出し声を荒げる事もない。
男らしい彼は感情に流される事を嫌い、流されやすい僕を小バカにしながらも何時も窘めてくれた。
敏章は滅多な事では・・・というか人前では絶対に泣かないのだ。
男らしい彼は人に涙を見せる事を嫌い、泣き虫な僕を馬鹿にしながらも何時も応援してくれた。
自分の方が悲しい時だってそうだ。どんなに悲しくても彼は涙を絶対に見せず泣くのは何時も僕の方だった。
ただ、僕が泣く度に毎回のように叱られていたよね。『男は人前で泣いちゃいけない』って・・・。

ただ、人前でない場所・・・。
敏章と二人きりの場所では泣かせてくれたっけ。
僕にとっても、私にとっても、敏章は強くて優しくて男らしく頼れる人だった。



敏章が感情任せに怒り狂う事も、ましてやこんな場所で涙を見せる事も一度もなかった。
逆に言えば、私のした事はそれだけ敏章を傷つけてしまったと言う事だろう。
彼の手が私の首に向かって伸びてきた。
男時代の僕と比べても大きなその手は、私の細い首なんて簡単に絞め落す事ができるのだろう。
彼の手が私の首に触れた時、私はこれから何が起こるのかが分かった。

しかし抵抗しようとは思わなかった。
心残りはまだまだあるけれど終わりを受け入れよう思った。
この左薬指のリングを貰った時に、一生分の幸せを貰った。
・・・心の底からそう思えたのだから。








「ゲホッゲホッ!!」
これって発作?
敏章はまだ手に力を入れてはいないのに、呼吸が出来ない・・・?
今の私の体には、たかだか十数分程度とは言えこの修羅場は過酷過ぎて体が持たないって事なのかな?
元々、性別が変わるだけ(だけとは普通いわないけど)でも十分すぎるほど不安定なのにそれ+aだもんね。
精神的に弱すぎる私じゃ、短時間でも修羅場を乗り切る事は無理かな?
でも良かったのかもね。

敏章はこの3年間・・・失踪した時から数えれば5年間も私に騙された。
十年来の親友と思っていた人間にずっと騙されてきた。
そして傷ついた。傷つけられたのだ私に。
絶対人前では泣かない彼が、院内で涙を流すくらいに傷ついた。
そこまで傷ついたのに、私を絞め殺しただけで罪に問われるなんて酷い話だよね。
お腹の赤ちゃんには申し訳ないけれど、発作で死ぬのなら丁度良いかな?
病死なんだから敏章には罪がないんだもん。
でも・・・約束くらいは果たしたかったなぁ・・・。お母さんとの約束を・・・でもこの姿じゃ私のお嫁さんなんて見せられないよね。
って文句を言っていたらきりは無いか。
受け入れよう静かに。
終わらせよう。
この生を。





生と死の狭間に向かっているのが自分でも分かった。
思っていたよりも辛くも苦しくもなく、どこか懐かしく心地よいくらいだった。


ここは天国・・・?
って死後の世界があるのなら地獄の方が似合うよね私なら。
でも温かいし、そよ風・・・?とは少し違うけれど心地よい空気が流れている。
私でも天国にいけるののかな?


「清香・・・良かった。意識を取り戻したんだな。」
「お目覚めですか麻生さん?お加減の方はいかがでしょうか?」
「あれ・・・?ここは天国か地獄じゃ?」
目を覚ました私に話しかけたのは看護師の双葉さんだ。
そして彼女の後ろにいるのは・・・敏章?
あれ・・・?私死んだんじゃないの?
敏章に嫌われて、締められそうになってそのまま発作が起きて・・・?

「ここは病室だ。お前が今月から入院している205号室だ。」
私の疑問を察してくれたのだろうか、敏章は教えてくれた。
そっか、私は死ななかったんだね。


「麻生さんは口論の途中で気持ちが昂ぶりすぎて倒れてしまったんです。彼氏さん・・・いえ旦那さんも気をつけて下さいね。
お嫁さんは妊婦さんの中でも特にか弱くて傷つきやすいようですから。」
「はい。肝に銘じておきます。」



・・・と我ながら現金だよね私って。
あの時は敏章への償いの為に良いと死んでも思っていたのに今は生きてて良かっただなんて。

「麻生さん?旦那様は口論の途中で発作が起きて倒れたと仰りましたが本当でしょうか?」
何?疑っているの?
確かに敏章は私の首に向かって手を伸ばしたけれど、絞めてはいない。
敏章は何にもしていないよ!!
「ええ。私が勝手に興奮して、勝手に倒れたんです。」
うん。敏章がどうしたのでもなく、全部私が勝手にやったことなんだ。

私の必死の主張が功を奏したようで、双葉さんは敏章を疑う事無く彼に対し・・・それから私に対してニヤニヤとした視線を・・・?
ってニヤニヤってどういう事なの?



「この幸せものがー。」
「はい?」
双葉さんのこのテンションは一体何なの?
「旦那さんに甘えて、イチャついている途中でコーフンして倒れるってどういう事よ?コノコノ。」
「えーっと・・・どういう事でしょうか?話が飛躍しすぎて私の理解を超えているような気がするのですけれど・・・?」

「えっ?違うの?」
「だから最初に俺が言った通りなんですって。」
「えー?そうなのー?」
「どちらでも良いので私にも分かるように説明して貰えませんか?」
「それじゃあ私が。」
と言う双葉さんの申し出を「またカッとびそうなので俺がやります。」と言い敏章が制した。


敏章は今回の一件を、口論になっている最中に敏章がキツイ事を言ってしまいそのショックで私が倒れた。
と双葉さんに説明したようだ。大筋は違わないしそんなに無理のある説明じゃないので丁度良いだろう。
本当は、私が原因だけれど詳細を説明する事は流石に出来ないので敏章の説明が正しいと言っておいた。
ただ、私の我がままを言ったせいで敏章を怒らせたからと・・・付け加えておいたけれど。


「ことろで、どうして彼がちゃんと説明したのに話がカッ飛んだんですか?」
「え。だって。」
「だっても何にもないでしょう。」

「としあ・・・旦那さんは麻生さんを抱きかかえて起こしながら背中を擦ってたんですよ?端から見たらイチャついているとしか思えないじゃないですか?」
この人って、どうも一々気になる言い方をするよね?それに内容もどこか引っかかる気がする。
「横になっているよりも、状態を起こした方がコイツの体には良いんです。経験的にそれを分かっていたから応急処置として抱き起こしたんです。」
えっ?敏章ってばそんな事をしてたの?私に対して。
恋人として、関係を持ったからそんな事は今更と言う気もするけれど、清彦だと分かっていてもそうしてくれるんだ・・・。
敏章の言葉に思わずドキリとした。


「でも、このベッドの上ならハンドルを少し回すだけで上体を起こすくらい出来ますって。それをワザワザ密着してまで抱いて・・・。
それから起こすんですもの。応急処置にかこつけたイチャイチャとしか思えませんって普通は。」
「コレは・・・。」
「コレは何なんですか?」

一瞬狼狽した敏章だが、やはり冷静な男性なので直ぐに落ち着き反論が出来た。
「癖みたいなものなんです。入院するまではそんなベッドが無かったから、自力で抱きかかえて起こすしかないんです。
呼吸困難の時だって、背中を擦るのが効果的でその際は密着状態が一番自然と言うのも体験済みです。」
「お二人がそこまでそう主張するのなら、そう言う設定にしてもいいんですけどねぇ。」
「設定って何だよ設定って!!」
「だから本番中だったのを誤魔化そう嘘を・・・。」
「病室内でンな事できるか!?」
「はいはい。そう言うことにしておいてあげましょうか?・・・ところでさっきから反論してるのは旦那さんの方ばっかりですね。麻生さんの方はどうしたのでしょうか?」
「清香・・・?ってこれってヤバイかも。」
「うっ・・・。」

さっきの発作の残りがあった上に、敏章に抱きかかえられたり、抱くだの本番だの衝撃的な言葉が飛び交ったのが未だに尾を引いていたのだろう。
私の呼吸は再び乱れ、意識が朦朧としたのだった。



「急いで起こして背中を擦って・・・。双葉さん!!追加のナースか先生をお願いします!!」
「はいっ!!」

薄れ行く意識の中で、私を助けようと懸命に声を張り上げる敏章の姿を見た。
さっきは地獄に行きそうな私だったけれど、今は極楽に向かっているのが分かる。
私の背中を擦る彼の手で、行きながらも天国にいる感覚があった。


敏章の処置が良かったようで結局は、主治医の先生が病室へ向かった時にはもう峠を越えていた。
それから業務中に雑談をした挙句、患者(つまり私だね)に発作を起こすような真似をし、しかも応急処置をしたのが面会人だったと。
三つもの失態を犯した双葉さんは、後で看護師の責任者さんにこっぴどく絞られたらしい。
隠して病室内に平穏が訪れた・・・と評するのは皮肉すぎるかな?


「さっきは悪かったな清香。いや清彦か。」
「そんな・・・。悪いのは全部私なのに・・・。」
「悪いと思っているのなら、一肌脱いでもらうぞ?」
「脱ぐって・・・脱ぐの?」
「違うっての。」
私の勘違いと彼のツッコミのお陰で、修羅場だった雰囲気は多少なら和んでいた。
ただし、それでも空気はピリピリしていてデートしていた頃とは別物だった。

「俺も少しは頭が冷えた。だが気持ちの整理はつきそうもない。」
「そう・・・だよね。」
「気持ち云々以前に、お前に関して分からない事だらけだ。」
「そうだね。」





男セイと女セイの狭間で

「なぁ清香・・・いや清彦?幾つか質問して良いか?」
「うん・・・。そりゃあやっぱり聞きたいこともあるよね?今まで騙しちゃったこともあるから本当に何でも答えるね。」
彼の目は未だ赤く、頬も熱を持っていて赤くなっている。
婚約者の正体が、失踪した男の親友だったなんて分かればまだ落ち着かないのも当然だよね。
こんな事で許してもらえるとは思わないけれど・・・。少しでも敏章に満足して貰えるように答えるからね。


「まず。俺と結婚して子供も欲しいといったあの言葉は本心なのか?」
「やっぱり気になるんだよね?」
「俺にとっては最重要項目だ。」
「嘘じゃない。嘘じゃないよ・・・。」
「そうか。」
「今でも、敏章と一緒になって幸せな家庭が築けたらなって本気で思ってるの。」
「分かった。」
私の回答を疑ってはいない、そして喜んでもいない。しかし、怒りや憎悪、嫌悪感を浮かべる風でもなく敏章は表情のない顔と穏やかな声で質問を続けた。


「それじゃあ俺にそう言う感情を抱いたのは何時からなんだ?その・・・そう言う感情を。」
どういう感情かは口にするのに抵抗があるのだろう。敏章は元々口で言う愛とかを嫌っていた。
ましてやそのお相手がかつて清彦だった僕だから余計に抵抗はあるのだろう。
「細かい時期は良く分からない・・・。よく分からないけど・・・。」
「大まかには分かるんだな?」
「大学生になる頃には、親友でない淡い感情が自分でも認識できるくらい強くなっていた・・・と思うの。」
「それで、失踪して女になって今に至る訳か。」
指先で額を叩くようにしながら敏章は喋った。
これは彼が昔から計算する時に見せる癖で、修羅場ながら少し笑みが漏れそうになった。

「でも・・・。今思えば・・・。」
「何だ?」
「やっぱり恥ずかしい・・・。でも言わないのも失礼だよね?」
「答えられるのなら答えてくれ。」
「答えないわけにはいかないよね・・・。ひょっとしたら・・・ひょっとしたらなんだけど・・・。」
何でも答えるといっておきながらも、やはり恥ずかしさや抵抗があり私はなかなか言えなかった。
敏章はそんな私を急かす事もなく暫く待ってくれていた。


「僕が中学の頃にお母さんが死んだのは覚えてる?」
「忘れる訳がない。」
「そうだよね。その時に敏章が慰めてくれて、支えてくれて、一緒にいるって言ってくれて、それでいつも守ってくれて、眠れない夜に手を握ってくれた事もあったよね?」
「ああ。そうだな。」
「その時に、敏章は頼れる兄貴分よりも大きな存在だったかもしれないって思うんだ。だからその時からかも?」
「十年越え・十年越しとは随分と年季ものだな。」
溜息混じりで敏章は言い放った。
「気がついたのは大学に入ってからだけどね。」
「確かに鈍い清彦ならその可能性もあるか。」


「鈍いって言うのは少し酷いなぁ。」
自分が怒られるべき立場だけどこの、認識にはどうしても納得がいかなかった。
騙した事は本当だけど、自分がどれだけ彼を愛して本気だったのか。それを鈍いで片付けられたくなかったのだ。

「中3の時には、敏章と一緒じゃなきゃ嫌だとハッキリと思うようになってたんだよ?」
「だとすると割りと直ぐか。」
「高校受験だって、敏章と一緒の所が良かったから一生懸命頑張ったんだよ?」
「あの時、男を上げるために勉強を頑張るって言ってたけど本心は俺と一緒が良かったからか・・・。」
少し溜息交じりで、敏章は呆れたように吐き捨てた。
まぁ『男を上げる』って口では言っておいて『男に甘える』為に敏章と同じ高校に入ったなんていったらお笑い種だよね・・・。

「んで、俺を追いかけて高校大学と同じところに入ったっていうのに自分の気持ちには気がついていなかったってのか?」
「それは・・・。」
「妊娠中の妻に対して聞くべき事じゃないのは分かってはいるが、答えて貰うぞ。場合によっては俺の10年が根底から覆るほどのものなんだから。」
敏章の口調は冷たくて鋭かった。子供の時から、今日に至るまで聞いた事が無い程に冷たかった。
清彦に対しても、清香に対しても、良い兄貴分であり、頼れる彼氏だったのにその温かい敏章が今は見えない。
私って、彼をずっと騙していたんだ。温かい敏章に恨まれる程の事をしたんだ。


「敏章と自分の間にあるのは友情だと思っていた。」
「少なくとも俺はそうだった。清彦と俺は親友の関係だと思っていた。」
「最初は・・・うぅん。つい最近までずっとそう思っていた。そう思おうとしていた。」
彼の視線は冷たくて、自分の胸は痛かったけれど私は出来る限り言葉を紡ごうとした。

「だけど、いつも側にいていつも支えてくれる敏章に対する好意って友情じゃないのかな・・・なんていつしか思っていたの。高校に入る時にはどこかそう思っていたところがあったかも。」
「でも気がついたのは割りと最近なんだろ?少なくとも高校時代は同性の友人として過ごそうとしていたようにしか見えなかったぞ?」
「でも私って・・・僕って男の子の清彦でしょ?だから同性の敏章をそう言う意味で素敵と思うのはいけない事だ。そう思ってこれは恋ではなく友情だってずっと自分に言い聞かせてきた。」
「自分に言い訳が出来なくなったのが大学に入ってから・・・。そう言う事だな。」
「う・・・ん・・・。」
敏章は唸るようにして考えているようだ。
次にの言葉は、罵倒だろうか?拒絶だろうか?
今の私を少なからず気持ち悪いとは思っているところがあると思う。

でも優しい敏章の事だから、私の本音を聞いてしまいそれを評価するべきだと思ったんじゃないかって思う。
例え自分がそのせいで苦労したり痛い目をみたりしても、人の本気や熱意は絶対に踏みにじらない人だから。

「今の気持ちを簡潔に著すのだったら・・・。」
「著すのだったら・・・?」
私にとっては、判決に近い宣言だ。
唾を飲み込み、有罪か無罪かを待つ。





関係セイの狭間で

「正直言って気持ち悪い。これが一番だろう。」
胸が締め付けられた。心臓は震えるたびに痛くなる。
「そう・・・だよね・・・。」
分かってはいたけれど、やっぱり直接言われるとなると痛かった。
心臓の動きは激しくて、鼓動がハッキリ分かるほどに激しい。


「清彦によく似た清香と言う女性は、不思議な魅力があり惹かれていった。いなくなった親友・・・元親友と似ている所も惹かれる一因だろう。」
『元親友』の「元親友」言葉は私の胸には優しくなかった。
「そもそも、清彦を恋人にしたいと思ったことは無い。友人関係ならともかく恋人は考えた事が無い。」
「そう・・・だよね・・・。」
「やっぱり、どんなに姿が変わっても清彦は清彦だ。感覚的には同性で恋愛対象と見る事は出来ない。」
言葉を搾り出すのも苦しかった。それでも彼が言い終わるまでは倒れず受け止めたかった。
厳しい言葉でもそれを全部受け止める事が私の最初の償いだと思うから。


「だが・・・。まぁ・・・清彦?」
「なっ・・・なぁに?」
「生きてて良かったよ。お前がさ。」
生きてて良かったよ。私も。
敏章にこう言って貰えるだなんて。
やぱり思う。我ながら私ってば現金だ。


「やっぱり・・・私って清香にはなれなくて清彦なんだね。」
「そうだな。清彦としての付き合いが長いせいもあって正体を聞いてしまえば清彦にしか見えない。」
「女性として・・・っていってもそう言う意味じゃなくって、今の私って女に見える?それとも男に見える?」
「しっかりとした意味の女性としては無理だとして、やっぱり男の清彦だな。元々女顔なのもあって髪の長い清彦にしか今は見えんよ。」
『そっか・・・。やっぱり私は清香になれない清彦で、男は所詮男のままなんだね・・・。』
そう言おうと思ったが、口が動かなくなっていてただパクパクさせる事しかできなかった。

本当に私の精神力は弱すぎる。
分かりきっていた回答が来ただけで胸が痛くなるなんて・・・。
あの時はもう死んでも良いと思ったし、敏章が救命活動してくれた事でももう十分に満足だった。
それに生きてて良かったと言ってくれただけで生き延びた甲斐があったと本心から思っていたのに、今度は女性扱いを望むだなんて・・・。
本当に私って弱い上に、多くを求めすぎだよ。もう十分い満足したから、敏章にこれ以上求めるやめよう。
彼に嫌われてお終いでももうよしにしよう。

「だが・・・まぁお前が本気だという事は分かった。」
「えっ?」
「正直言って、俺はお前に騙されたという気になっている。」
「気になっているって言うか、実際に騙したし・・・。」
「だな。しかも、俺に近づく為に失踪中の親友・・・清彦をダシに使ったような所すらある。」
「うん・・・敏章は清香が清彦の代わりも勤めようとしたからこそ私に心惹かれて、この指輪をくれたんだよね?」
そう言いながら、私は左薬指の宝物を掲げた。
「そうだな。つくづく滑稽だな俺って。」
「ゴメンなさい。」
敏章は、淡々と冷静に話し続けていた。彼の胸中はイマイチ見ることが出来なかった。


「例えお前に悪意はなくとも、裏切られ踊らされた・・・その感覚は今でもハッキリある。」
「はい。」
「だが、俺も少しは頭が冷えた。」
「えっ?」
「同性愛的な気色悪さはあるにはあるが、お前がそれだけ本気なら罵倒はしないし馬鹿にもしない。」
「それって・・・?」
「苦しみながら性別変えてまで俺と一緒になろうとする。付き合うかどうかはともかくその意志と方法を認めはする事にした。」
「それじゃあ・・・許してくれるの?敏章を騙し続けた私の事を?」
「許す・・・とまでは言えないが清香と偽って俺と過ごした事に対して文句を言うのはやめる。取り敢えずそれで良いか?」
「うんっ!!」
体力面でも精神面でも、親しい人との関係もずっと最悪だ。
それでも、小さくない前進はあった。絆と絶縁の狭間で、少しだけは良い方に進んだ。



「それじゃあ敏章?私は敏章の友達を名乗ってもいいの?」
「まぁ仕方がないだろう。」
敏章の視線は真っ直ぐだ。いつも見てきた彼の目と一緒だった。
懐かしい彼の目を見て、どうにか許して貰った事を実感できた。
「清彦の事はいなくなってからも唯一の親友と思い続けてきた。今は親友と名乗る自信がないが、友達くらいだったら問題ないだろう。」
「敏章・・・大好き」
そう言いながら抱きつくと敏章は「よせっ!!」「ヤメロ!!」といいながら私を引き離そうとした。
しかし、何を思ったのか直ぐに抵抗しなくなった。
そして私の方は彼が何もしないのをいい事に、敏章の胸の感触を味わった。


「敏章・・・ありがとうね。私の抱擁(わがまま)を受け入れてくれて。・・・でもどうして嫌そうだったのに抵抗しなかったの?」
「おいおい今のお前は妊婦だろ?まだ見た目じゃ分からない程だが。ヘタに突き飛ばして腹の中の子供に何かがあったら大変だろ?」
「嬉しい。」
私との関係はまだややこしいけど、やっぱり根は誰よりも愛情深い敏章だ。
お腹の中の赤ちゃんの事は大切にしてくれているみたい。
敏章が優しいのをいい事に、私は再び敏章の温もりを欲したのだった。
「やれやれだぜ。」彼は呆れたけれど、私の肩に腕を回してくれた。
『清彦』にも『清香』にも優しく接してくれた敏章はここにいる。




「やっぱり敏章は優しいなぁ」
「そうか?俺はいつもと変わってないが?」
「私は敏章を3年も騙し続けてきた女なんだよ?そんな女とそのお腹の中にいる赤ちゃんに優しくするのは難しい事じゃない?」
数分間の敏章を楽しみ、惜しくはあるが終わらせて質問をした。
何せ私の方も聞きたい事や知っておきたい事が多数ある。
今日のうちに、片付けられることは終わらせたいのだ。


「確かに、お前は俺を騙し続けてきたしそのことに対する恨み言はある。お前が清彦でも・・・いや、清彦だからこそ余計に文句を言いたい。」
「ご免なさい。」
「だが、腹の中の子供に罪は無い。俺達の・・・いやお前の都合か?大人の都合で腹の中の子供をどうこうするわけにはいかないだろ?
俺がお前に当たって流産させる・・・。そんな事は絶対にしたくないし、起こしもしない。ついでに金欠で子供に苦労させるのをよしとする気もない。」
真っ直ぐで、曲がった事が嫌いで、竹を割ったような性格の男らしいヒト。

取り敢えず、子の中に赤ちゃんがいる限りは敏章との縁が終わる事は無い。
この子は何よりも大切でかけがえのない存在と思いながらも、自ずと利用している私がいた。
そんな自分が嫌らしいが、私にはそれを変えるだけの意志や力がないようだ。



「ねぇ敏章?私が女を磨けばいつか私を女と見てくれる?」
「約束は出来ないな。」
「そうだよね・・・。私は所詮男の清彦だもん。」
「だがな、清彦?」
「えっ?」
「子供が大きくなるまでは同居はしないがそれ以外なら父親の役を務める。これが俺に出来る最大の譲歩だ。」
「凄い・・・。でもいいの?」
「言ったろ?俺とお前との間に問題はあるが、それをこの子に背負わせる気は無い。だから子供の為だったら可能な限りは譲歩する。
ただ、同居するとか結婚するとかそこまでは約束できない。今の俺にはお前を恋人の清美と見ることが出来ないからな。」
私が何かを頼む前に、責任感の強い敏章はこの子の為にできる事を全部しようとしている。
・・・それなのに私は。


「それでも私は敏章を異性として好いているの。・・・お嫁さんになりたいくらいに。」
敏章が与えてくれたものだけでは足りず、もっと多くを欲していた。
「だからせめて教えて欲しいの。私が頑張ればいつか敏章と結婚できるのかを。」
「おいおい?無茶を言うなまだ答えられるわけないだろ?」
「どうして・・・?断るのなら分かるけど分からないってどういう事なの?」
「おいおい?お前にとっては修羅場で瀬戸際かもしれないが、俺にとっても前代未聞の一大事なんだぜ?その日中に答えを出すのは難しいって。」



呆れ半分な口調で敏章は、説明した。

いなくなっていたと思ったら恋人として過ごしていたかつての親友をどう扱えばいいのか俺には分からない。
3年間を共にした恋人か、久々に再開したなつかしの親友か、俺を騙し続けた敵なのか。異性として見るか同性と見なすべきかもな。
そもそも、性転換した元男は女と見るべきかどうかが分からない。性別が変わった人間と交際するなんて考えたことすらなかったから。
お前の場合は普通の性転換とはまた違うから余計に難しい。
つい昨日まで、ごく普通の男として生きてきた俺にとってお前との結婚は常識で推し量れず判断も出来ない。そんな特殊すぎる状態なんだ。
だからせめて情報をまとめて頭を冷やす時間くらいは欲しい。それが出来る前は答えだって出しようもない。


「ご免なさい・・・。私ってばまた自分の事ばっかり。」
謝罪しなければいけない私は、またしても彼の都合を考えず自分の要求ばかり出していた。
「まぁずっと兄貴分だった俺が弟分のお前の我が侭を聞くのは今まで通りだ。・・・っと、今は妹分か。人目もあるから妹分の清香と呼ぼう。」
少し照れくさくこう言う敏章にキュンとした。

今日の私は本当にダメダメだ。
実は清香が清彦なんです。というだけでも敏章の心証を十分悪くしているのに、好意に甘えて抱きついて、それから今度は彼の都合を考えないお願いだ。
清彦の件がなくとも、嫌われそうだよ。





雌セイと雄セイの狭間で

「そう言えばお前はとにかく結婚願望が強いよな。」
気まずい空気が流れるかと思ったが、敏章の一言で流れは変わってくれた。
取り敢えず、敏章の声や顔に嫌そうな色はなかった。

「多分・・・結婚願望は強いと思う。」
「だよな。小中学校の時から将来の夢はお嫁さんと公言する女の子ばりに結婚したがってたっけ?元々、お嫁さんになりたい願望でもあったのか?」
「そうじゃないけど・・・。」
「まぁ昔から家庭的っぽいヤツだったし、結婚願望が強くても不思議じゃないか。」
「そう言うわけでもないと思うの。」
このまま話題を流せばよかったのだが、私はつい口を挟んでいた。
「清ちゃんのお嫁さんの姿が見たい。」
「ん?」
「お母さんが私に対して何度も言っていたの。多分それが原因だと思う。」
自分の事を知って貰いたいと思ったからだろう。
ズルい気もしたが、私はお母さんのお願いを明かした。

「お母さんって、亡くなったお袋さんの事だよな?お前が結婚して嫁さんを貰うの楽しみにしてたのか。」
「うん。私・・・僕がお嫁さんを貰って結婚するのを楽しみにしてたみたいなんだ。」
「そりゃあ初耳だな。」
「どんなお嫁さんなのか、まだ十にもなっていない時からあれこれ想像を膨らませて期待してたみたい。『清ちゃんのお嫁さんの姿が見たい』はお母さんの口癖ってくらい聞いたもの。」



「そりゃあ初耳だな。男にしてはどこか奇妙だと思ったが、まぁ病弱なお袋さんの願いならば納得か。」
「うん・・・。でも今の私を見てもらえば分かるけどお嫁さんを見つける事はもう無理でしょ?」
「まぁな。この姿じゃ嫁を見つけるのはかなりキツイよな。」
「うん。それにここまで来ちゃったら女性を異性として愛する事はもう・・・無理だろうから。」
「だな。性別を変える時にやっぱり抵抗はあったのか?お袋さんの願いを自ら潰すような真似をして。」
「うん・・・。敏章を騙す事と同じくらいに、お母さんの約束を破る事は辛かった。」
「嫁の姿を見せるどころか、自分が嫁になるんじゃぁな。お袋さんは女っぽい清彦が男として嫁さんを幸せに出来るくらいになって欲しかったのかな?
こんな事言っちゃって悪いけど。」
「そう・・・だと思う。孫の顔が見たいじゃなくってお嫁さんの顔が見たい・・・だからね。お父さんと早くに別れたお母さんは、
幸せな夫婦や頼れる夫に憧れてたから私に立派な夫になって欲しかったんじゃないかなって・・・。」
そこまで言っていて、私の目の奥が熱くなっていた。

私って、敏章だけじゃなくってお母さんの事も裏切っていたんだな・・・。
そう思うと申し訳なくって、自分が情けなくって、涙が出てきて止まらなかった。



「ゴメンね。・・・敏章。をアナタずっと騙していた人間に胸を貸してしまうなんて。」
「抵抗がないとは言わんが、このまま放っておくわけにもいくまい。しっかし何と言うか波乱万丈だな。親子揃って。」
「そうかな?」
「どう考えたってそうだろ?」
暫くの間、泣き続けていた私だったが俊明の胸の中であやされ、どうにか落ち着いた。
恋人時代の清香ならまだしも、自分をずっと騙してきた元親友の清彦に対してもそうしてくれる彼の優しさに目だけ出なく顔も赤くなった。
私の男性を見る目は確かだったようだ。でも、敏章が素晴らしければ素晴らしいほど彼との結婚を考えていた自分がおこがましく思えてきた。


「でも、確かにお母さんも私も普通の人生は歩んでないよね?」
「母は身重の時に相手に逃げられて、しかも昔っから病弱だったんだろ?相当大変な人生を送ってたんじゃないか?」
「確かに、私が小さい頃にはもう体が弱かったし。ひょっとしたら学校もロクに行けなかったのかな?」
「そこまで酷かったのか?」
「お母さんの学生時代の写真は探しても見つからなかったからね。運動会も修学旅行も。きっと行事に参加できなかったんじゃないかなって・・・。」
「そりゃあ過酷な人生だよな。そして息子が成長する姿を見る前に命が尽きたのか・・・。」
「うん・・・。でもね・・・。お母さんが生きてなくて良かったのかなとも思う私がいるの。」
「それは聞き捨てならんな?親思いらしきお前が・・・・・・ってそう言う事か?」
私の言いたい事を察してくれたらしく敏章は途中で口を止めた。
「女になってお母さんの約束を真っ向から破った私の姿・・・。見て欲しくは無いから・・・。」
「野暮な事を言ってしまったか?」彼はそう言いながら合掌をした。そして私も、天国のお母さんに謝罪の気持ちを込めて手を合わせた。


「確かに嫁を見つけるどころか、嫁になりたがる息子を見る前に逝った事は幸か不幸かだな。今のお前を見る前に逝った方がある意味幸せか・・・?」
「きっとショックは受けると思う。でもね・・・?敏章?」
大事な事なので、彼の方をじっと見つめて続けた。

「私がこうなった事にはショックを受けるだろうけれどお母さんなら、私が旦那様を見つけてもきっと祝福をしてくれると思うの。」
「そうかもな。あの人なら例えお前がその約束を破ったとしても、お前が好きな相手と一緒になる事を喜んではくれるだろうな。」
「だからお願い敏章・・・さん。私にチャンスを下さい。アナタの女として出来る事はなんだってするから・・・私にお母さんの約束を守る
チャンスを下さい。お試しと言う事で良いから、もう一度だけ私との恋人関係を持って下さい。」




唸る声が聞こえる。
敏章は悩んでいる。

ああ。私って本当に悪い人間だ。
敏章は自分の方からお腹の中の赤ちゃんの・・・自分を騙した相手の子供の父親になってくれるとこの上ない譲歩をしてくれたというのに私の方はそれでもまだ足りていない。
何としてでも敏章と結婚をしたいらしい。本当にどんな事をしても・・・だろう。
昔はお母さんとの約束として、早く結婚したい筈だったのだが今はもう違うようだ。
敏章と結婚したいから、お母さんとの誓いすらも利用してしまう。
・・・私って本当になんて事を考えているんだろうか?



「分かった。結婚出来るどうかはともかくチャンスだったらあげてもいい。」
迷いはしたものの、敏章は私の望むがままの言葉を発してくれた。
彼ならば、私がお母さんとの誓いを利用している事もきっと分かる筈。
しかし、私がお母さんの誓いを不完全な状態でも守りたいという気持ちも知っている。
彼は私の考えを知った上でチャンスをくれたのだ。この卑劣な泣き落とし作戦を分かっていてOKしてくれたのだ。

こうして私は修羅場を越えて、敏章との恋人関係を復活させることが出来た。
しかも今度は正体を知った上でOKしてくれたのだ。お腹の中の赤ちゃんやお母さんとの約束があったからだろうけれど・・・。
それでも一つ目の難関は対処できたのだった。
今はこの幸せと、彼の腕の中の感触を噛み締めよう。





再びセイと死の狭間で

敏章に私の正体がバレてからもう2ヶ月が経とうとしている。
彼は無効になったプロポーズをもう一度してくれたわけでも、恋人関係を復活してくれるといったわけではない。
それでも、忙しい合間を縫って週に2回の面会は欠かさずに来てくれるしお腹の赤ちゃんの事も気遣ってくれている。
私が重たい体を上げようとすると「無理はするな。」って言ってくれて制してくれるのも相変わらずだ。
それに、赤ちゃんが生まれたら父親の勤めを果たす為に一緒に暮らしてくれると約束をしてくれた。
ゴールインからは遠いけれど、それでも私と敏章の関係は悪くないと思うし前進もしている。

現在、妊娠5ヶ月目だ。
十月十日とすればもうそろそろ中間地点に差し掛かるというところまで来た。
この子が早めに生まれるのならばもう中間地点を越えた可能性だってある。
お腹の中の赤ちゃんをこの腕で抱ける日はそう遠くないのだ。そう考えると自ずと私の顔は緩んでいく。

私の顔が緩む理由は他にもある。
今日は土曜日で、土曜は敏章がお見舞いに来てくれる日なのだ。
日頃から大変な敏章には休日くらいゆっくりして欲しいとは思うけれど、でも好きな人と一緒にいられる時間は母子にとって共に大切な時間だと思う。
私にとってもこの子にとっても、この時間は何よりも大切だと思う。



「今日は少し遅いなぁ・・・。彼どうしたんだろ?」
いつもの敏章なら午後1時には来てくれるけどもう30分も過ぎている。何かあったのだろうか?

・・・我ながらやっぱり我がままなのかな私って。
つい2ヶ月前は敏章との絶縁も覚悟していたって言うのに、彼が優しくしてくれたら毎週この時間に来るのが当然って顔しちゃうんだもん。
いつも大変な敏章なんだからたまには面会業務を休んでゆっくりしていっても罰は当たらないよね。
私にとっては土曜日に敏章と話すのが一番の楽しみだけど・・・。
ああ・・・。やっぱり敏章が来て欲しいなぁ。


(コンコン)
「清香、入るぞ。」
懐かしい声が聞こえてきた。
火曜日には聞いた筈の声なのだけれど、遠い過去のように思えてしまう。
恋する妊婦にとっては、たったの4日足らずすら長い時間なのだろう。私って意外と我慢が出来ないのね。

そうそう。先々週から敏章が私を呼ぶときの呼び方が正式に清香になった。
前は人目を気にしながら仕方がなく清香と言っていて二人きりのときは清彦と呼ばれる事も少なくなかったがようやく完全に清香になれたのだ。
敏章も私の大きなお腹を見て、私を女性として扱ってくれるようになったのだろうか?
女性の象徴たる妊娠が意外な形で私に追い風となってくれたかな?



などと惚け顔の私に対して敏章の顔は基本的に堅い。まぁ敏章は私と違って意中の人と一緒で幸せって気分じゃないものね・・・。
でもその部分を差し引いても今日の敏章の顔は険しい。一体何があるの?

「清香・・・いや清彦!!お前に大事な話があるんだ。」
彼の口からはいきなり重そうな言葉が出てきた。
しかも、いきなりの清彦扱いだ。
敏章は人目を気にしてくれるので、清彦と呼ぶ時は周りに人がいないのを確認してからの筈なのに入って早々の清彦だ。
フラグがたったのが分かる。それが悪いフラグなのかゴールインフラグのような最高のフラグなのかは分からない。


「ちょっと待っててね。敏章。」
「いや・・・毎回のように言ってるけど無理して起き上がろうとするなよ?横たわったままでいいって。」
「でも、敏章とお話しする時は起き上がって顔を見ていたいから。」
「やれやれ・・・。」
フラグを目前に緊張した私だがいつものように私を気遣ってくれる敏章にホッとした。
「じゃあ、起き上がるのはいいがゆっくり起き上がれよ?無理して腹に負担がかかるとかはやめろよ?」
「はーい。」
何気ない会話には違いないけれど、この会話時間は私にとって至福の時間だ。


「なぁ清彦?お前本当にその子を産むのか?」
至福の時間は一瞬のうちに止まった。





「それって・・・どういう事なの・・・?まさか産むなって意味・・・なの?」
「産むなとまでは言わん。だが、このまま出産するべきかどうかは疑問に思っている。・・・産まない方がいいのかもしれないってな。」
遠慮気味ではあるけれど、敏章が私の出産を反対しているのは明らかだ。
自分がどれほどの我が侭を強行しているかは分かっている。しかし、それでも私は産みたいのだ。お腹の中のこの子を。

「敏章には迷惑はかけない。だからお願い!!この子だけは・・・この子だけは産ませて欲しいの。」
「迷惑かけること自体は別にいい。ってか、多少迷惑かけるくらいで丁度いい。」
「えっ?」
「大体にして、清香の戸籍もないお前じゃアルバイトですら仕事を見つけるのが難しいだろ?そんな状態でのシングルマザーなんて自殺行為みたいなものだ。
身近な人間・・・俺の手を借りるくらいじゃないと子育ては難しいだろう。」
「確かにそうだけど・・・でも私は出来る限りは敏章に迷惑をかけな・・・?敏章に迷惑をかける事は別に良いの?」
敏章に頼って迷惑をかけてもいいの?確かに嬉しいけどそれじゃあどうして?
「今のこの状態で、出産子育て、生活費と全部自力でこなすのは無茶だろ。じゃあ身近な俺が力を貸すのは当然の流れだ。」
「うん・・・敏章だったら、口で何かを言っても助けてくれそう・・・でもじゃあどうして?どうしてこの子を産むな・・・みたいな事を言うの?」



「さっき先生に呼び出された。んで、事情を聞かされた。」
「事情・・・。」
「ああ。お前かなり無理してるんだろ?その子を腹に宿している状態ですら生きていくのがやっとの状態だってな。
ましてや出産するとなったら命が危ない・・・。そう聞かされた。」
敏章は冗談を言っているようではない。そもそも、こんな大事な場面で冗談を言う人じゃないか。
「なぁ清香・・・いや、清彦?この話は本当なのか?」


暫くの間、病室内は静かだった。
物静かというレベルではなく、静寂ともまた違う。あえて表現すれば無音だ。
部屋の普段はそれなりに聞こえている外での物音や風の音すらなく本当に一切の音がなかった。
言わなきゃいけない、いつか言わなきゃいけないと分かってはいるけれどそれでも私は言葉を出す事が出来なかった。

「分かった。」
先に沈黙を壊してくれたのは敏章の方だった。
「何も言わないって事は、その通りでしかも知っているって事だな。」
「ご免なさい・・・敏章。」
「その様子だとお前が最悪の場合を知ってもなおその子を産みたがっていると解釈すべきだな。」
「う・・・ん。」

この子をお腹に宿した時は、これ以上俊明に迷惑をかけないようにしよう。そう誓ったのに・・・。
迷惑をかけないどころかどころか、自分の口から言わなければいけない事すら言えなかった自分が情けなかった。



「やっぱり、分かっちゃったんだね?」
「馬鹿野郎。当たり前だ。」
以外にもなのか、やはりなのかは分からないが敏章は少しだけ怒っている。
とんでもない事をいたわりにそこまで怒らないのは意外とも言えるけど、敏章らしい気もした。

「命の危険があるのに出産をしたがる。お前の場合はともかく医者までがその事を隠す訳ないだろ?」
「ゴメンね。本当にゴメンね・・・。」
「もうここまで来てしまったんだ。お前はもう俺に十分すぎるほど迷惑かけた。だから最後まで迷惑かけ続けろ!!今度は遠慮しないでな。
ここまできちまえば、遠慮した方が逆に迷惑だ。最後の最後まで俺に甘えるくらいで丁度良い。」
敏章はやっぱりお人よしだ。そして私がずっと好きだった人なんだ。

「それで・・・その・・・敏章・・・?この子を産む事なんだけど・・・?」
「お前の体だ。無理強いはしないし出来ない。」
やっぱり敏章だ。いつもいつも私の我が侭を受け入れてくれている。
特に今回は、私にとっては長年の夢でもある彼との赤ちゃんだ。
彼なら私がどれだけ赤ちゃんが欲しいか知っているから今回は特に断らないか。
「だが、この子を産む事には反対だ。危険すぎる。お前の命が。」
「えっ?」
「当たり前だ!!死ぬかもしれない出産に賛成なんてできない。」





親友と女セイの狭間で(敏章視点)

あっさりと決着がつくと思っていた。
何せ、清彦だろうが清香だろうが(同一人物だからどっちでも同じか)強く出られると断れない性格なのだから。
昔から、コイツがまだ清彦を名乗っていた時から気弱で遠慮気味・・・いや、臆病で遠慮しすぎるから相手の要求を断れないのだ。
そんなコイツを放っておけない俺は清彦に対しても、清香に対しても、強制する事は滅多にしないで小さな我が侭を基本的に聞き入れる形で動いてきたっけ。
だから清彦清香は遠慮気味ながらも俺には色々と言っていた。構図としては俺が一方的に言われている風だ。
しかし、根は優しすぎで遠慮しすぎるヤツだ。俺の方が主張すれば簡単に折れてくれる。

腹の中の子に罪は無いが、かと言って清香に命懸けの出産をさせる事も出来ない。
特に今回は、清彦が清香として俺を騙したという負い目がある。それに、俺の目的は子育てが嫌とかではなく清香の命を守る事だ。
清香が俺の主張を聞き入れる土壌は十分に出来上がっている。

「ゴメンね敏章。そのお願いだけは聞く事が出来ないの。」
「だが・・・出産するのが危険だというのは分かっているんだろ?」
当事者たるコイツが、出産時は死のリスクすらある事を知らないは無いよな?
「うん・・・でもね。この子だけは絶対に産みたいの。」
遠慮気味に微笑む清香だが、その口調は力強かった。



「本当は子育てが嫌とか言うオチじゃない。お前が死ぬかもしれない・・・この状況がダメなんだ。」
断られるのは本当に予想外だった。だから俺の口から出た言葉は少しピンボケのものだった。
「フフフ。それは分かってるよ。」
俺の答弁が余程おかしかったのだろうか。清彦の声と表情は場違いなほどに穏やかだった。
「敏章が優しくって面倒見がいいのは私が誰よりも知っているよ。私の事とかこの子の事とか・・・。
大切にしてくれるってからこそ忙しい。合間を縫って週に2回も来てくれるんだよね」
「ああ。まだお前の事・・・清彦、清香の事にこれからの事・・・。色々と整理がつかない事があるがこれだけは言える。」
俺は清香の目をじっと見つめ、次の言葉に備えた。こいつの心を少しでも動かせるように、視線にも言葉にも可能な限り心を込めて。

「俺はお前に死んで欲しくは無いんだ。だから出産は諦めてくれ!!妊娠5ヶ月と少し。今ならばまだ引き返すことが出来る!!頼むからもうやめてくれ。」
力一杯に清彦の手を握り、全力でお願いをした。
お前の命が何よりも大切なんだ。
惚れた相手にそう言われればNOとは言えないだろう。
それに事実その通りなのだ。本心から生きてて欲しいと思っているのだ。
俺が本心から頼んだ時はNOとは言わない清香が断るなんて考えられない。



「引き返すって言ってもそれって結局は中絶って事だよね。」
「そう・・・だな。確かに引き返すためにはその罪のない子を犠牲にせねばならない。」
「私には、この子を犠牲になんて出来ないよ。」
「例えそれで自分が死んだとしてもか。」
「うん。さっき言ったよね?」
強く荒々しい口調で否と言う俺と、優しく物静かな口調で是を訴える清彦。
雰囲気といい外見といい、今回は性別をも対照的だ。両極端な俺たちは互いに主張を曲げる事無く言い合った。
コイツの顔は清彦の頃とやっぱり同じで、相変わらず穏やかで、やっぱり何処かが遠慮気味だった。
しかし絶対に退かないであろう確たる意志があった。
気弱そうで遠慮気味に見えるのに、退こうとする片鱗すらも見せないコイツに俺は少しずつ押されていき次第に声も出にくくなっていた。


「あのね?敏章?少しだけ良いかな?」
「ああ・・・。元より今日はずっとお前に付き合う心算だったからな。」
「それじゃあ言うね?・・・よいしょっと。」
「おいおい?そんな急に起き上がっていいのか?」
「うん。今日は調子が良いから。それに私としても起き上がった状態で敏章とお話がしたいから。」
そう言って、清彦・・・清香は起き上がった。
臨月とはいかないが、かなり大きくなった腹を優しく撫で、誇らしく抱えながら。



「ねぇ敏章?今でこそ出産の時は母子共に健康なのが当たり前ってなってるけど、前はそうでもなかったんだよ?」
「・・・そうだろうな。医学が発達したのはごく最近だから。」
「人間の女性は何万年。何十万年以上も前から妊娠と出産を繰り返しているけれどほんの百年前までは出産で命を落とす女性もそれなりにいた。
二百人に一人とかそれくらいだけどそれでも、十分油断できない確率だよ。三十代後半や四十以上の出産も命懸けの高齢出産と言われていたのは案外最近だしね。
だから出産って言うのは、元々命をかけるイベントなんだよ。」
気圧されてほぼ何も言えない俺とは対照的に清香は勢い良く言葉が出てきた。


「本物の・・・生まれながらの女性ですらかつては赤ちゃんを産むのに命を懸けないといけなかったの。それを私のような生まれた時は
男の子だった子が女性として赤ちゃんを産もうとしているんだよ?命を懸けるのは当たり前だよ。」
そう言った清香の笑顔はいつも以上に儚いものだった。が、それ以上に強さが力があった。
俺が何と言おうと絶対に折れないであろう逞しさに、腹の中の子を想う純粋さ、ただひたすらに出産を望みそれ以外は犠牲にする真っ直ぐな覚悟・・・。
それら力が篭った清香の笑顔は眩しすぎて満足に見ることすら出来なかった。





女セイと母セイの狭間で

「分かった分かった俺の負けだ。妊娠なり出産なりもう好きなようにしてくれ。俺にはもうお前を止るなんて出来そうにない。」
「えっ!?いいの?この子を産んじゃっても!!」
正直信じられなかった。自分がどれ程の無茶を、どれ程の我が侭を言っているのかが一応は分かっていただけに
あっさりとしかも条件抜も出されずにOKが出たことには本当に驚いた。


「・・・ったく。あんだけ強く主張されて生むななんて言えないっての。」
「そうだよね・・・?私ってやっぱりワガママ?」
「だろうな。コレだけの無茶を勝手にやらかすヤツが我が侭でない訳がない。」
「そう・・・だよね。」
思えば私はここ何年も敏章に甘えて我がままを言ってばかりだ。
お母さんが亡くなった頃は敏章が心の支えだったし、いつしか私の中の敏章が大きくなって好きになったと思ったら、
何も言わずに彼の前から姿を消し清香と名乗るようになった。仕舞いには、後先考えず残された者の迷惑も省みずに出産を強行だ。
ほんの二ヶ月前には敏章には迷惑をかけないとか言っておきながら、私が死んでしまえば後の事は全部敏章に押し付けてしまう。
迷惑をかけないどころか、全部の責任を負わせてしまう。
それだけ分かっていながら、迷惑はかけないだものね。OKを貰う為に大嘘ついちゃうなんて。
私ってば本当にワガママだ。



「清香?おい!!清香大丈夫か!?」
敏章の叫び声でハッとする。
良く見ると私の頬には敏章の手が乗っていた。
糧の手は頬を伝うようない位置にあり、髪を払うようにした彼の指には・・・。

「雫・・・?コレって涙なの?」
「何泣きかは知らないが、無理はするなよ。お前は昔っからそう言う所があるんだから。唯でさえ、重荷を背負っている状態だ。
ましてやお前の場合前例すらない前代未聞の状態だ。男だった奴が妊娠、出産をするなんてどんな危険があるのか想像も出来ない。」
頬の辺りにあった彼の手は私の肩を超え背中にまで達した。
彼が肩を抱き寄せてくれたのは妊娠報告の時以来だろう。私がカミングアウトをしてからはとてもそんな関係にはなれなかたし。

「だから・・・頼むから無茶をして命を粗末にするような無茶だけはやめてくれ。」
口では文句を言いながらも、本当は常に私の事を第一にしてくれる。
敏章ってば昔っからそうだ。荒っぽく見えても本当は誰よりも優しいのだ。
自己嫌悪か何かで既に涙腺は緩んでいた。
その脆い堤防は彼の優しさで決壊し、そのまま大洪水となった。





何で泣いたのかはもう分からない。
自己嫌悪の度合いが強かったのか、それとも彼の優しさは涙を誘うものなのか。
涙も嗚咽も私の意志から離れ、決して留まるものではなかったのだが何故かその事を考える余裕だけはあった。


「ゴメンね敏章。でもいっぱい泣いたお陰でスッキリ出来たの。」
「まぁお前が多少なりとも楽になってくれれば俺の多少は救われる。ナースの人達に冷たい視線で見られた甲斐があったと言うものだ。」
「ゴメン。本当にご免なさい敏章。」
「女泣かせの異名を貰わないかどうか不安だ。」
かれこれ小一時間ほど彼の胸の中に顔を埋めていた。
途中で発生した一悶着は、取り敢えず割愛しておこう。


「でも敏章。本当に有難うね。この子を産ませてくれて。」
「本当は賛同なんてしたくないがお前が退かない以上は認める他ないだろう。それに俺だって中絶を積極的に勧めたいわけじゃない。
大人の都合で勝手に胎児の命を奪うのは傲慢だ。」
「そうだよね。元が男の子だった子が生まれてくる子の苦労も省みず妊娠を望むなんて傲慢だよね・・・。」
「いや・・・そんな事を言いたいわけじゃ・・・だが案外その通りか。」
「ちょ・・・敏章・・・。」

ここはフォローして欲しかった。
でも、私だって本当は反省してるんだよ?
ただ、ワガママを言っても敏章にはフォローして欲しいって言うオトメゴコロが・・・うぅやっぱ我が侭だ。




「どんな手を使って女になったかは分からないが、自然法則を捻じ曲げてまで妊娠しちまったんだ。そんな高慢な手を使った以上は何をしてでも子供に苦労させるんじゃないぞ!!」
やっぱり敏章は敏章だ。どんなにきつい事を言っても結局いつもそれ以上の愛情がある。
今回だって、この子の為を想っての発破だ。私は自分のオトメゴコロを少し恥じた。
「まぁお前の性格なら愛情面は問題ないだろうが、それでも茨の道であることは確かだ。俺も出来る限りは手を貸すから、共にこの子を守っていこう。」
「えっ・・・それって・・・?」

敏章の事だから、単に強い責任感ゆえに協力をしてくれるという意味だろう。
騙したところがあるとは言え、彼はこの子の父親だ。
性格上責任を果たすのは当然とするのだろう。決して、それ以上の意味はないだろう。
だって私は元々男の清彦なんだ。余り多くを望んではいけない。
現状だけでもう十分なんだ。十分過ぎるほどのものを貰っているんだ。
私の望みはほぼ全て叶っているんだ。
なのに、それなのに・・・。
私は望んでしまっている。私の望む最後にして最大のものを。

朧げとは言えまだ幼い頃から望んでいた関係を。成長後は叶うまいと思いながらも願い続けていた関係を。
そう・・・敏章との結婚を。



「プロポーズ・・・って考えたらそれは傲慢・・・だよね?」
無理だと思っているから遠慮気味だけど、でも確実に期待はしていた。
言い出しにくいプロポーズと言う単語が出せるほど期待はしていた。

「結婚か・・・本当は清彦のお前と結婚出来るかどうかは分からないが、それに近い事はしようと思う。現に二ヶ月前は同居までOKしたろ?」
「それじゃあ・・・私は敏章のお嫁さんを名乗っていいの?」
「そもそも俺には清香と結婚する気はあった。安定期に入る頃にでもプロポーズをする予定だった。まぁ正体が清彦と分かった後はそれどころじゃなくなったがな。」
「やっぱり元男って言うのは抵抗・・・あるよね。」
「無抵抗に受け入れるのは無理だな。」
「うぅ・・・やっぱり・・・。」
「だが、それでも良いと言ってるんだ。清彦だろうが清香だろうがその壁は乗り越えてお前を娶ると言ってるんだ。まさかこの期に及んで俺じゃ不服とは言わないよな?」
「敏章って・・・意外と意地悪・・・。私が敏章と一緒になる事を望まないわけないでしょ?この姿になってまで近づいた私が最愛の人からのプロポーズを断るわけないでしょ!?」
「まぁな。野暮な質問だったか。」
「私が不服に思うのは一個だけだよ。敏章が優しすぎる事だよ。」
「優しすぎる事だと?」


「そうだよ。敏章は優しすぎる。これだけの我が侭を言った私のワガママを全部受け入れて挙句の果てに結婚までしてくれるんだもん。
敏章なら相手に困ることは無いし。元男に、元清彦との結婚に抵抗のある敏章ならルンルン気分で結婚の私とは訳が違うもの。」
よせば良いのに私は何を口走ったのだろう。
施しは受けないぜ!!と言わんばかりに彼の好意を蹴っ飛ばして何がしたいんだろう?
もし仮に、万が一に敏章がプロポーズを撤回したらどうする心算だろう?
好意でも同情でも、どんなものであれ最高の幸せが手に入るというのに如何してわざわざ無効になるな事を言うのだろう。

きっと納得が出来なかったのだろう。
いつもいつも甘えてばかりで、その上に甘える関係で結婚なんてなったら・・・。
敏章に甘え続ける自分にいつしか嫌気がさしそうで、受けられなかったんだと思う。
せめて結婚する時くらいは甘える事無くちゃんとした関係でありたい。
同情でも、歪んだ友情とも違い、ちゃんとした男女間の愛情で結びついて結婚したい。
正々堂々と彼を落として、それからようやく結婚出来る。
甘え続けた私の、誠意であり、拘りであり、意地でもあり・・・それともやっぱりワガママなのだろうか?




「何故と言われてもそこまで特別な事をしてるつもりは無い。清彦だろうが清香だろうが俺にとっては大切な奴だ。そいつと一緒にいたい
と思う事も、そいつの望みを叶えてやりたいと思う事も別に特別な事じゃないんじゃないのか?」
「そんな事?そんなに簡単な事でOKしてくれたの?」
「別にそんなに難しい意味があるわけじゃない。親しい奴と一緒にいたがるのは自然な事だ。・・・前にお前もそう言ってたよな?要はそう言う事だ。」
「何か・・・結婚にしては軽くない?そんな簡単にOKしてもいいのかなぁって。」
「だがお前はそれを望んでいる。だろ?」
「うん・・・。敏章と結婚したいけど・・・。」
「だったらそれで良いじゃないか。今のお前には俺との結婚が必要だろうから。」
嬉しいには嬉しいけどなんだか釈然としない。
確かに、私は敏章と結婚したいけど必要なものっていわれると違うような気がする。


「出産後に結婚するとなればお前はそれを望み楽しみにする。楽しみがあればそれを糧にして危険な出産も乗り越えられるかも知れん。まぁそれを死亡フラグと言われればどうしようもないが。」
「確かに結婚してくれるのなら、死の淵からでも復活しそうだけど・・・。でも敏章はそんなので結婚相手を決めてもいいの?」
「言った筈だ。お前に死んで欲しくは無い。お前の死を回避できるのなら俺はどんな事でもする。結婚程度で生き延びられるのなら安いものだ。」



あまりの嬉しさに一度は止まっていた涙は再び流れ出た。
敏章は何も言わずにまた胸を貸してくれた。
涙の分量はさっきよりも多いくらいだけど、それでも緩やかで穏やかだった。
涙は激しいのにそれ以外は心地よい。そんな時間が流れていた。



「敏章・・・これを見て?」
暫くして泣き止んだ私は、左手を掲げた。
「指輪がなくなっている・・・?いつの間に?」
「先週かな?敏章に甘えてばっかじゃいけないと思って私も決意したの。」
「アレほど大事そうにしていた給料の三ヶ月を外すのは一大決心のようだが、どういう意図があるんだ?」
「この指輪は私にとっての宝物でした。何よりも愛しい人から契りの言葉を貰った証で、何よりも大切なものでした。」
「どうしたんだ?急に改まって・・・?」
私の急な態度の変化に敏章は困惑気味だ。

「でも、この指輪は南条清香と言う架空の人間に贈られた物・・・。本当の私・・・清彦に受け取る資格はない・・・。」
「どうしたんだ?本当に急に?」
「もう少し黙って聞いてて。」
「おっ・・・おう。」
「だから、この指輪は私が本当に敏章に・・・。清彦と知ってもプロポーズを貰える時まで封印していよう。そう言う決意と共に外していました。
でも、それもたった今まで。少し怪しい所がないでもないけれど私は敏章のお嫁さんとしてこの指輪を再びつけても良いんですよね?」



「ああ。当たり前だ。」
敏章は頷き、眼を瞑って続けた。
「清彦の影がまだ見えてしまうから嫁って言うと少し分からない。でも、この指輪はお前に贈ったものだ。清彦だろうと清香だろうとな。だからお前にはこれをつける資格がある。」
言い終えた敏章は私から婚約指輪を受け取り、私の薬指につけてくれた。
こうして私は、改めて彼から婚約指輪を貰ったのだ。

「お前が命を懸けてでもその子を産むというのなら俺も全力で力を貸す。お前とこの子の居場所になるし、いつの日か完全に清香としてお前を受け入れられるようになって見せる。」
「嬉しい。でも駄目だよ?」
「何がだ?」
「敏章が私を清香として受け入れてくれる。そのために頑張らなきゃいけないのは私の方だよ。母として、妻として敏章とこの子の為に生き続けて
それからやっと奥さんとして、清香として認めて貰う。清彦である事を隠し続けた私が清香として認められるにはそれくらいのケジメをつけないと納得いかないよ。」
「自分の命を懸けてでも出産を強行する奴は母親としてなら十分に認められると思うがな?」
「でもその代わり敏章にはまた迷惑をかけてしまった。何より自分の命よりも子供を大事に思うのが母親の本能だもん。私のお母さんもそのまたお母さんも
自分の子供を何よりも大切にしていたから。」




言い終わるか終わらない頃に敏章が私を抱き寄せる力が強くなった。

「さっきのお前に、最高の女を見た。」
「えっ?」
「腹の中の子を想うお前は綺麗で可愛く見えるって言いたいんだよ。今は、必用不要だとか、清彦を死なせたくないとか、そういう実務的な側面なしで
清香を嫁にしたいと思った。大体にしてズルイぞ!!親友付き合いが長いせいで俺の好みの女のタイプを知り尽くしてる上に素でそれらの特性を持って
いるとか。そもそもお前が清彦の頃から男らしくない奴と思いながらも、こんな女の子がいたらなぁとか思ってたんだよ本当は。さもなくば清彦の女版
たる清香に惚れたりするかよ!!ポロポーズなんてするかよ!!」
アレ?敏章ってこんな人だっけ?そう思うくらいに饒舌な彼は暴走気味にも見えた。
でもコレって私が自力で彼を落としたって事?
「それって敏章は正体を知った上で私を好きになってくれたの?」


「ああ。言葉にすると小っ恥ずかしいけどな。とにかくさっきのお前はチートキャラばりに可愛いんだよ。お前が欲しくなるくらいに可愛いんだよ。嫌か?」
「敏章に求められる・・・それも私の正体を知った上で・・・私がずっと望んでいた事だもん。嫌がるわけないよ。」
こうして私と敏章は一つになった。・・・と言っても抱き合ってキスした程度だけどね。
大きなお腹が邪魔で、なかなか激しい事は出来ないものね。

アレだけ望んだ赤ちゃんだけど、敏章とイイコトが出来ない時にはほんの少しだけだが疎ましく思えた。
でもコレはモチロン内緒のオハナシだ。彼にもこの子にも決して知られてはいけない。女のとしての私の最大の秘密になるだろう。





セイの狭間で

男性、女性、母性に父性、親友や絶縁と恋人などの様々な関係性に妊娠中絶出産という生と死・・・。様々なセイの狭間を乗り越えた。
そして、無事に出産を終えました。


母子共に、命の危険はあったもののどうにかみんな生存し、生後1年の今日にまで至ります。
出産は、妊娠7ヶ月になって間もなくの頃、少し(かなりかな?)早い出産日だけれど赤ちゃんはそれなりに成長していた。
元より子宮の造りが不十分である可能性が高いとの前情報を得ていたので早めの出産は驚くような事ではなかった。寧ろ早い出産じゃないと母子共に危ないようなので早くて良かった。
ただ、命の覚悟はずっとし続けなければいけない状況だった。

陣痛が始まったのはお昼を越えて夕方に差し掛かる前だから午後3時過ぎくらいだろう。
出産が終わったのが10時だから7時間にも及ぶ死闘だった事になる。
元から体は強くなかったが、この体になってからは更に脆くか弱くなっていた。
そんな私がこれだけの時間、持っていたのは奇跡のような話かも知れない。

出産の最中に何度も何度も死ぬかと思った。全員が生きていたのが今でも不思議に思えるほど苦しかった。
そんな死の世界に逝きかけながらも生きて帰ってこれたのはお腹の子に対する愛情からだろう。
子供を死なせたくないし、この腕で抱くまでは死ねない。その想いが私を生き延びさせたのだと思う。

そして、私の命を何よりも繋いでくれたのがやっぱり敏章だった。




無事に出産を終えたらご褒美の代わりに敏章と結婚出来る。
結婚とは言っても、戸籍上の性別が男である私じゃ本当の結婚は出来ないけれどそれでも同居してくれて式を挙げてくれれば私にとっては本物の結婚と差がない。
式を執り行い、私の配偶者として亡きお母さんの前に立ってくれれば私としてはもう十分過ぎるほど満足なのだ。



清ちゃんのお嫁さんの姿が見たい。



今は亡きお母さんが口癖の如く言い続けていた言葉だ。やはり親としては子供の結婚を見てみたいのだろう。
そして、私がお母さんに対してしてあげられる唯一の事でもある。
私が女になったせいで(その前に敏章に恋をした時点で既に?)その願いを叶える事は出来なかったけれど、私がお嫁さんとして旦那様たる敏章の姿を見せることなら出来る。
厳密には約束を守る事が出来なかったけれど、結婚の報告をお母さんなら喜んでくれると思う。
私がお嫁さんを娶れる事を期待しながらも、男らしく育たない私に『男らしくしなさい』だなんて一度たりとも言わなかったお母さんだから。
きっと女として結婚した事を許してくれて、祝福をしてくれると思う。きっとそうに違いない。

だって今では私もお母さんなのだ。
母親として、自分の子供が結婚をするのなら好き合った相手である事が一番と思う。それが母親だ。
例え相手の性別がかつては同性だとしても、例え自分の子の性別が違った状態で結婚しても・・・。
溢れんばかりの笑顔で祝福をし、子供の幸せを願う。

昔は自信がなかったけれど、母親になった今ならハッキリと言える!!
子供が幸せな結婚を出来るのなら、どんな状況でも祝福できる。それが母親だ。
だからきっと・・・絶対にお母さんならこの結婚を祝福してくれる。



「敏章ぃ」
私は彼の斜め後ろに立ち彼の腕の隙間に顔を入れ、肩に頭を乗せた。
丁度、肩を抱かれるようにした。愛しの旦那様に。


「コラ清香?」
「ご免なさい。ふと甘えたくなっちゃって」
「墓参り中にイチャつくなよ?無理言って子供預かって貰ってるんだ。なるべく余計な事はしないように。」
「ええ・・・。ご免なさい。」
「しかも、母の墓前でイチャつくとは何事だ?結婚報告だけでも波乱を呼びそうなものなのにそれ以上亡きお袋さんに衝撃を与えるなよ。」
「ご免なさい敏章。でも逆なのよ?」
「何が逆だ清香?」
「お母さんの事を思い出していたからこそ、こうしていたくなってね。」
「そう言うものか?」
「ええ。そういうものよ。だから今だけで良いから甘えさせてネ?」
「しょうがないな。だが家に帰ればお前は甘える立場じゃなくって子供に甘えられる存在だって事を忘れるんじゃないぞ?ただでさえ大変なのにしかも双子なんだ。親の愛情が分散されて不十分なんてならないように。」
「ええ。分かってるわ。子供達には私と同じように寂しい思いはさせないんだから。」



(自分から抱きつく格好だが)敏章に肩を抱かれて私は心の底から幸せを噛み締めている。
肩を抱いてくれているのは最愛の彼で子供が二人もいる。出産が命懸けな私にとって一度の出産で二人も生まれてくれたのは奇跡的なまでの幸運だろう。
元は男だった私が敏章の赤ちゃんをしかも自分で産む事ができた子供で、兄弟もいる。
私自身、一人っ子で寂しかった事もありその意味でも双子と言うのは大きな幸運だろう。
私は今、長年望んでいたものを全て得ている。
これ以上の幸福なんてあるのだろうか?と言うくらい幸せだ。
「ところで清香、今日は大丈夫なのか?体の調子とか。」
「敏章が一緒だもん。今日の調子は凄くいいわ。」
贅沢を言えば、出産によって健康を失ったのが手痛い。



子供を生んでからの私は体の調子が悪く、毎週のように調子を崩し寝込む日だって少なくない。
不定期で体を壊すのでお勤めなんて出来ないし、家事と育児ですら敏章と近所の人の手助けでやっとと言う有様だ。
出産時は命を失う危険すらあった事を考えると、毎週病院通いの現状ならば寧ろまだマシと思うべきなのだろう。
やはり元々男だった者が妊娠や出産をするのは大変な事なのだ。
お母さんだって私を産んだ後は体を壊して病弱になったのだ。
元男が無理な出産をしてしかも双子ならばこうなるのも当然だろう。
それに、万が一私にもしもの事があってもこの子達には敏章がいるし兄弟もいる。何かあってもきっと大丈夫だ。


「にしても、双子なのに随分と雰囲気が違うよな。敏彦と清彦は。」
「ええ。敏彦君は敏章に似て男らしくなりそうだけど、清彦ちゃんは昔の私と何処となく似てるわね。」
「しかし敏彦の名はともかく清彦は無いだろ?お前の元々の名前だろ?」
「だからこそよ。清彦って名前の子がいれば敏章も私を間違って清彦とは呼べないでしょ?」
「ヲイヲイそんな理由で息子の名前を決めたのかよ?だが、だからこそ清彦と言う名前をこんなにもつけたがったのか。」
「えへへ。まぁね。」



敏章に言った事は嘘では無い。
でも全部が全部、本当かと言われるとまた少し違う。
双子の片方は敏章に似て、もう片方は私に似ている。まだ幼いけれど母親としてその違いはハッキリと分かる。
例えば敏彦君は生後10ヶ月の時点で転びながらも歩こうとしていたけれど、清彦ちゃんはまだハイハイのままとか。本当にそれぞれ敏章と私にソックリだ。
思い過ごしと言われればそれまでだけれど、男の子らしい敏彦君はいつか敏章みたいに素敵な男性になると思っているし反対に清彦ちゃんは私みたいになってしまいそうだ。
女のカンとか母のカンとか、或いは自分と同じ匂いがすると言うべきかは分からないが、とにかくこの娘は私みたいになりそうなのだ。
男らしく育たずに女の子っぽくて(好きなおもちゃとか既に女の子っぽい兆候はある)敏章みたいな頼れる男性になびきそうなのだ。
実を言うとまだ名前をつける前から清彦ちゃんは私みたくなりそうと思っていたりもする。

だからこその清彦なのだ。
私と良く似たこの子に相応しい名前はやっぱり清彦だと思う。



この娘を清彦と名づけ、自分と同じ匂いを感じ取った時に私はある可能性に気がついた。
この娘は私にそっくりだがひょっとしたら、私もお母さんとそっくりなのかもしれないと。・・・性別とかが。
私が幼い時には既にお父さんが逃げていた。しかしお母さんはそんなお父さんを悪く言うどころかいつも済まなそうにしていた。
「私なんかを愛してくれて感謝すらしている。」とさえ言った事があった。
そして、お母さんも病弱だったっけ。今の私と互角な程に体が弱かった。・・・私を産んでからは特にそうらしい。
ついでにお母さんの幼い頃の写真を見たことがない事も状況証拠の一つかな。
学校行事の写真が一枚もない理由は写真がないのではなく見せられないのだろう。
清美お母さんから、私の名前は清彦しかないって聞いた時には自分の漢字である『清』の字を使いたかったのかなと思っていたけれど・・・。
同時に『彦』の字も使いたかったのだろう。そして『彦』の字のルーツもお父さんではなくきっとお母さんだ。
早くに亡くなったお婆ちゃんの名前が『清子』と言う事もひょっとしたら・・・。お婆ちゃんも女で一つでお母さんを育てたらしいし・・・。



『清彦』この名前は呪われているのだろうか?
いや、名前ではなく男として生まれた者が女として子供を設けるとこういう歪みが生じるのだろう。
性の狭間を潜り抜け性別を変えれば歪みが生まれる清彦はその歪みの象徴だろう。
母親にそっくりで女の子らしく生まれ育つが、子供もその母親も生まれた時は男。それじゃあ生まれてくる娘の肉体的な性別も男である方が自然だろう。

これと言った証拠は無いし、荒唐無稽な話ではあるけれど家の家系の女は代々、皆が元は清彦のような気がしてならなかった。
男で生まれて、無理やり女になって、無茶を承知で妊娠出産をして、無理がたたって早くに死んでしまう。お母さんやお婆ちゃん・・・それから私も。

お医者さんからは、当面は大丈夫と言われたものの無茶をしたせいでいつ終わりが来ても可笑しくないとは何度も聞かされた。子供の成人まで持てば良い方らしい。
隠し事ばかりで申し訳ないけれど、この事も敏章には隠してある。・・・でもきっと感づいているとは思う。
私はもう一生分の幸せを手に入れることが出来たので、いつ終わりが来たとしても後悔はしない。
・・・それでももし願い事が叶うのならば子供達が大きくなるまでは生きていたい。
幼稚園に小中高と成長していく子供の姿を見たい。特に私に似て危なっかしい清彦ちゃんがちゃんと大きくなるのを見届けたい。
出来る事なら成人くらいまで持って欲しいよなぁ・・・。更に欲を言えば子供が結婚して安心できるようになるまでは死にたくない。


・・・そう。
死ぬ前に清彦ちゃんのお嫁さんの姿が見たい。
お嫁さんなのに清彦じゃ変だよね?

清ちゃんのお嫁さんの姿が見たい!!




今になってようやく気がついたよ。
お母さんのこの言葉の本当の意味が。
この娘が女性になった時に、意中の人と一緒になれるかどうか母親としては何よりも気になるものね。
自分とよく似たこの娘が、自分と同じことが出来るかどうか。これが何よりも心配なの。
「今日は随分と長い時間抱きついてくるな清香?」
「うん!!意中の旦那様と一緒ですもの。腕を絡めるくらいするわよ!!」






拝啓 初代清彦様

貴女がどのような男性に恋をして、どのように子供を産み、どのように育て、そしてどのように朽ちていったかは分かりません。
ただ、それが茨の道である事は容易に予測できます。元は男だった者が妊娠や出産を行う事は、他の全てを犠牲にしなければ
いけないほどの一大事業だと言う事を私は身を持って体験していますからね。
私は幸運に恵まれてようやくどうにか成す事が出来たのだから貴女はきっと困難な壁にぶつかり苦労したのでしょう。
私で何代目の清彦かは分かりませんが、私の代で清彦の呪縛と呼べるべき困難は粗方乗り越えたのではないかと思います。
・・・とは言え、実際は乗り越えたと言うより助けて貰ったと言う方が正しいのですが。
私の愛した男性は、私の正体を知った上でも(妻としての愛情とは多少違うかもしれませんが)愛してくれますし、運良く
双子を出産する事ができました。一度の出産ですら命懸けの清彦にとって、子供に兄弟を・・・というのはある意味悲願では
ないでしょうか?私自身兄弟(特にお兄ちゃん)が欲しかった記憶がかなりあるので、わが娘ながら今の清彦を羨ましく思う限りです。
でも私には兄の代わりに敏章がいてずっと守ってくれたんですけどね(///)
例え私の身に何かが起こったとしても、今の清彦には頼れる父と兄がいます。だからきっと、これからの清彦はもう大丈夫です。
だから安心して見守っていて下さい。


元清彦 山之辺清香





「急に手紙を書きたいとは用意周到なお前らしくないな。墓参りに手紙は定番だしもう書いてあるかと思った。ってか俺も書くか?」
「書いてくれれば嬉しいけど、でも私一人で書いたほうが良いような気がする。」
「ならば別にいいか。」
「あのね敏章?」
「何だ清香?」
「子供の成長を見届けたいよね。」
「そうだな。」
「敏章に似た敏彦君は、大丈夫だと思うけど私似の清彦ちゃんは少し心配・・・その・・・結婚とかちゃんとできるかなって・・・。」
「まだ1歳だし気にしすぎと思うが、言いたい事は分からんでもない。お前の事もあるし今度の清彦はちゃんと嫁を娶れるといいよな。」
「だからね敏章?」
「ん?」







清ちゃんのお嫁さんの姿が見たい
お嫁さんの姿を見るまでは生きていたいから、ワガママ言うけどそれまでの間私を支えてね。
清ちゃんのお嫁さんの姿ってこういう意味だったのかな?だとすると私はお母さんとの約束を守れたことになるんだよね。

ん?何の事だ最後のは?

ヒミツ女性には秘密の一つや二つがつきものなのよ。



一々隠し事の多い私だけど、この事だけは気兼ねなく隠してもいいよね?
清ちゃんのお嫁さんの姿が見たい
この言葉はきっと、歴代の元清彦のものだから。
証拠は無いけどきっとそうだ。
ご無沙汰・・・ですか?
取り敢えず作者は生きててそれなりには書いていました。

少し急ぎ気味ですがラストまで加筆修正し、アップです。
オチは少しありきたりかな?
まぁこういう風なTSし続ける清彦の輪廻ってネタは個人的に結構好きなのですが。

しかし、昔の話ですがこの絵をアップした主はどんな系統の話を望んでいたんでしょうね?
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