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現代妖怪のためのリスクマネジメント入門 二章 お狐様の学園生活

2012/08/09 14:06:58
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二章 御狐様の学園生活











私立聖心学園は明治時代に開校し現代まで続いている由緒正しい全寮制の女子校である、何度も改修のなされた西洋風の校舎は歴史を感じさせながらも周りの風景と見事に調和し上品で威厳のある佇まいを感じさせている。

敷地の中央に立つその学園の校舎から右手に伸びる銀杏並木を抜けると、美しい花壇に囲まれた学生寮があり、毎朝の登校の時間帯になると質素で落ち着いた色の学生服を纏った何人もの生徒達が互いに笑顔で挨拶を交わし、朝の光を一身に受けながらゆっくりと学園まで登校していく彼女達の姿を確認する事が出来た。

そしてそんな生徒達に混じって、明らかに寝不足気味であろうと思われる顔をした四人の生徒達が眩しすぎる朝の光を嫌うように目を細め、見事に色づいた銀杏並木の中をいかにも重そうな足取りで歩いていた。

「太陽が黄色い気がするよ、一郎兄ちゃん」

いつものきりっとした表情がまるで嘘であるかのように風紀委員長の雨宮鈴音(四郎)はぐったりとした顔で空を見上げた。

「全く誰のせいだと思っているんですか、ギャップ萌えだか何だか知りませんが昨日の四郎はいくらなんでもやりすぎです」

はぁ、ともう何度目になるか判らないため息をつき、疲れた表情をその可愛らしい顔に浮かべ新島結花(一郎)は鈴音に睨むような視線を送る。

「でもなんだかんだで一郎兄ちゃんも盛り上がってたじゃないか、俺は一郎兄ちゃんは結構楽しんでたように見えたけどな」

ウェーブの掛かったロングヘアをなびかせながら隣で二人の会話を聞いていた久世綾乃(二郎)がそう言ってニヤリと笑う。

「むむ、確かに自分も調子に乗りすぎたのかもしれません、最後にはつい我を忘れて一時間耐久みさくら語大会とか開催してしまいましたし」

「一郎兄ちゃんはたまにすごい羽目外すよね」

パッチリとした目を半開きにしたまま他の三人と同じように欠伸を噛み殺していた少女、三条夕子(三郎)が会話に混ざってくる。

皆一様に眠そうな顔をしているものの、どこか楽しげな様子で四人は談笑をしながら学園に続く並木道を並んで歩いていた。

「ま、まあその話はもういいでしょう……、それよりそろそろ人が多くなってきました、お前達ちゃんと身体と精神を同調させるんですよ」

「「はーい」」

三人はそう返事をすると、次の瞬間にはそれぞれ元来の少女達の立ち振る舞いや口調を完全に取り戻していた。

三人の変化を確認した結花も元の活発で朗らかな表情に戻るとにっこりと皆に微笑んだ。

「えっと、じゃあ昨日も言ったと思うんだけど、一応確認しておくね」

結花はすこし真面目な顔になり皆に視線を向ける。

「校内に術を使った形跡がないか調べる事、あとは不審者や不自然な行動をしている人を見なかったか周囲に聞き込み、分かった? でもあくまで怪しまれない程度にね」

「ええ、了解したわ新島さん、次に集まるのは昼休みでいいのよね?」

鈴音がいつもの風紀委員長らしい落ち着いた口調でそう答える、そして隣で一緒に歩いていた夕子と綾乃の二人もそれぞれ結花の方をみて頷く。

「じゃあ、お昼は学食辺りで落ち合ったほうがいいかなー、ん? あれ、あの子」

結花が前を歩いていた少女を見つめる、まるで日本人形のような艶やかで腰まで伸びた真っ直ぐな髪に白磁器のような美しい肌、さらさらと風に流れる様なその髪を朝の光に照らし、両手で学生鞄を持ちながら静々と歩く姿はまるで御伽噺で語られる美しい姫の様だった。

「ああ、あの子は一年の大河内葵ちゃんですね、今度の演劇でかぐや姫の役を私の代わりに引き受けてくださった子です」

「へー、凄く可愛らしい子だね、確かにかぐや姫にぴったりって感じ」

「ですよね、私もとてもいい配役だと思います」

「綾乃ちゃんはどっちかっていうと西洋のお姫様って感じだもんね、優しくて美人だし、なんか悪い魔女に騙されて魔法とか掛けられちゃいそうな」

「そんな……、私なんて全然お姫様なんかじゃ……、あ、でも悪い魔女ではありませんが、似たような事は今されているのでしたね、ふふっ」

自らの身体を見つめて意味深に微笑む綾乃。

「あは、確かにそうかもしれないね、でも大丈夫だよ綾乃ちゃん、私も同じだから」

結花もそう言って綾乃と視線を交えると、お互いに笑い合う。

そしてその話を聞いていた夕子と鈴音の二人も前を歩く少女、大河内葵をまるで品定めでもするかのような視線でその歩く姿を眺めていた。

「なるほど、確かに私の記憶にもあるわね、大河内葵、一年一組出席番号三番、演劇部所属で学級委員ですか、って、自分で言うのもなんだけど凄いわね私の記憶」

「……やばい」

「ん? 三条さん? どうかしましたか」

夕子は先程から葵の方を見つめたまま雷にでも打たれたかのように表情を固まらせて、無言のまま前を見ている。

夕子の異変に気がついたらしい結花もなにがあったのかと興味深く二人の方に近づいてくる、しかし夕子は結花に目もくれず前を見つめている。

すると突然、心配して顔を覗き込んでいた二人の肩を掴み、興奮したように喋り出した。

「一郎兄ちゃん、やばい、あの子超好みだ!」

「え、ゆ、夕子ちゃん、だ、駄目だよ、素がでてるよ!」

「お、落ち着きなさい三条さん!」

結花と鈴音が止めるのも聞かず猛然と走り出していく夕子。

「あーもう……、どうして家の兄弟達は言う事を聞かないんでしょうか……」

と、元の性格に戻ってしまった結花は頭を抑えてまたもや大きなため息をつくのであった。









一方、さっきまでの重い足取りが嘘のような元気さで走っていった夕子は若干息を切らせながらも顔を輝かせて、前を歩いていた少女、大河内葵に声を掛けていた。

「ね、ねえ! ちょっといいかなっ?」

「……はい? 私でしょうか?」

「えっとね、私、綾乃の友達で三条夕子っていうの、ちょっと前に葵ちゃんのことを綾乃から聞いてね、少しお話したいなって」

「えっと、すいません、綾乃さんというのは久世綾乃先輩の事でしょうか?」

「あ、苗字言ってなかったね、ごめんごめん、そうそうその久世先輩の友達」

「そうでしたか、えっと、それで私に何か御用でしょうか?」

「うん、まあ御用ってほどの事でもないんだけどね、葵ちゃんって演劇部で今回の劇の主役をやるんでしょ?」

「はい、不本意ながら」

「あれ、あんまり乗り気じゃないの? 凄く似合ってると思うんだけどな」

「いえ、私は久世先輩に演じて欲しかったです、私は元々あの方の演技に感動して演劇部に入ったようなものですから」

その人形のような美しく小さな顔を下に向け少しだけ憂鬱そうな顔を見せる葵、夕子は儚げに地面を見つめる葵の横顔を呆けた様な表情でじっと見入ってしまっていた。

「へ、へー、葵ちゃんは綾乃のファンなんだねー、………………なるほど、綾乃と葵ちゃんの先輩後輩プレイか、……ありだな」

「あの、先輩今なにか?」

「いやいや、なんでもないの! それでね、葵ちゃんにちょっとお願いがあるんだけど」

「はい、なんでしょう?」

「私さ、葵ちゃんを一目見て気に入っちゃったの、もう一目惚れって感じで」

「は、はい!?」

夕子は葵の正面に回りこむと腰を曲げてお互いの顔がくっ付いてしまうのではないかと思うほどに顔を寄せる、突然顔を寄せられ、葵は驚きの余りびくりと身体を震わせそのまま硬直してしまう。

「私の身体も凄く気持ちよかったからちょっと勿体無い気もするんだけど、昨日の夜十分楽しんだし、だから次は葵ちゃんの身体を使わせて欲しいなって」

「あ、あの、私、先輩がなにを言っているのか……」

「うん、気にしないで、すぐに分かると思うから、じゃあそろそろ私は葵ちゃんになるね」

「え? 何? …………あ、……う……」

夕子がそう言ってにっこりと微笑みかけると、今まで戸惑いを浮かべて夕子を見つめていた葵の表情が一変する、彼女の小さな口が何かを伝えようとして開いたまま、瞳から意志の力が抜け落ちる、華奢な身体は何かに反応するようにピクピクと震え、持っていたかばんが手から離れて落ちてしまう。

そして夕子の方も黙りこくったまま頭を下に向け、まったく動こうとしない、向かい合ったまま時が止まったかのように静まり返る二人。

「…………………」

「……んー、あーあーテステス、うんうん、ちゃんと葵ちゃんの可愛い声だな」

先にその静寂を破ったのは葵だった、意識を取り戻したらしい葵は目の前で動かない夕子を気にも留めず妙な台詞をはいたと思うと、自らの手で自分を抱きしめるようにしたままニヤリと笑い、どこか陶酔しているかの様な表情で艶やかな吐息を吐き出した。

「ふふ、先輩、私、先輩の言っている事がやっと理解できました、私もさっきまでの先輩みたいに私の身体と記憶を使われてしまうんですね」

「……、ん? あれ? 私何を?」

そして少し遅れて夕子も意識を取り戻す、しかし夕子は自分の置かれている状況をいまいち理解できていないのか不思議な表情で辺りをきょろきょろと見回している。

そんな夕子をみて葵は薄く微笑んでから静かに話しかける。

「先輩、どうしましたか?」

「あ、あれ? えっと葵ちゃんだっけ、……ん? そういえば葵ちゃんと話してたんだよね」

「はい、何かお話があるのだとか」

「えっと、あれ、私なんの用事だったんだろ、う、忘れちゃったかも、ごめんね葵ちゃん」

「いえ、お気になさらないでください、私も先輩とお話できて嬉しかったです」

「あはは、なんか引き留めちゃったみたいでごめんね、じゃあ私行くから、えっと、あ、そうそう今度の演劇がんばってね」

「はい、ありがとうございます先輩、ではまた」

「うん、またねー」

なんとなくまだ釈然としない表情のままで学校にかけて行く夕子の姿を葵は微笑みながら見送る。

「ちゃんと『元』私の記憶は補完出来ていたみたいですね」

葵はそう一人で呟くと先程落としてしまった鞄を拾いなおしその場で鞄をごそごそと探り出した、そして中から手鏡を出したかと思うとその鏡に自分の顔を映しうっとりと微笑んだ。

「おおぉ、葵ちゃん超可愛い……、このさらさらとした黒髪に清純そうな顔、もろに俺の好みだ、へへ」

にやにやとした笑みを浮かべながら自らの頬をうっとりとさする葵、鏡を見つめながらいつまでもその場から動こうとしない葵は周りの生徒達にも奇妙に映ったらしく、何人かの生徒は怪訝そうな目で葵を見ながら通り過ぎていく。

そんな様子を銀杏並木に隠れながら見ていた結花達は鏡を見つめる事に没頭して気がつかない葵に近づいていく。

ゆっくりと葵の後ろまで近づいた結花はいまだ気がつかない葵の耳元に顔を寄せ静かに囁きかける。

「三郎……、昨日あれほど言いましたよね……」

「ひぃあっ、い、一郎兄ちゃん!?」

「先程から何人もの生徒達がお前の行動を訝しげにみていました、身体を換えるのは構いませんが、ばれない様にやれと言ったはずです」

「う、うぅぅ、ご、ごめんなさい一郎兄ちゃん」

「まったく……、まあいいです、でも――」

「次、こんな事をしたら……お仕置きですからね」

可愛らしい結花の声でありながら葵の耳元で囁いたその台詞は葵を震え上がらせるのに十分な恐ろしさと迫力を引き出していた。

「ひぃ、ごめんなさい、ごめんなさい、もう二度としません、許してくださいぃ」

なにかのトラウマを刺激したのか葵は目に涙を浮かべながら結花にすがり付き懇願するように謝りだす、結花はやれやれといった表情でそんな葵を眺めていたものの、余り怖がらせるのも良くないと思ったのか、表情をすこしだけ緩めてガタガタと震える葵の頭を撫で始める。

「分かってくれればいいんだよ? 私も葵ちゃんを苛めたくてこんな事を言ったわけじゃないんだから、ね? だから落ち着いてもとの可愛い葵ちゃんに戻ろう?」

「……は、はい、取り乱してしまって申し訳ありませんでした」

目尻が少々赤くなってはいるものの葵は元の可憐で落ち着いた雰囲気に戻ると、少しだけ乱れてしまったその長く美しい髪を手で梳いて直し、地面に置きっぱなしだった鞄を拾い結花の方を見ると頭を下げぺこりとお辞儀をした。

兄の怒りに巻き込まれまいとやや遠巻きに二人の様子を眺めていた綾乃と鈴音もようやく少し落ち着いたと判断したのか恐る恐る二人のいる場所に近づいてくる。

「ふふ、葵ちゃん? ちょっと顔色が優れないみたいですが大丈夫ですか、練習の疲れが出てしまっているのかもしれませんね」

同じ演劇部の先輩でもある綾乃は葵の元に近づくと少しだけ意地の悪い笑みを浮かべて葵にそう尋ねる。

「じろ、あ、いえ久世先輩……、はい、大丈夫です」

「大河内葵さん、あなたが新島さんに何を言われていたかは知りませんが、私的には可愛らしい新島さんの冷徹な表情という素晴らしい収穫を得る事ができました、なので貴方の『前任』の三条さんの独断専行については私は何も言いません、どうやら随分と反省しているようですしね」

ふふふ、と綾乃と同じような意地の悪い目で見つめてくる鈴音、暗にいい気味だと言っているような表情の二人にうまい言い返しが見つからないのか葵は黙り込んでしまう。

「うう……」

しょんぼりとしたまま俯いてしまった葵は、ここぞとばかりに続けられる二人のからかう言葉にふるふると身体を震わせている、見ようによっては両側から上級生二人に挟まれた一年生が苛められているようにも見えなくも無い。

「し、仕方が無かったんです……」

「?」

俯いたままの葵がなにやら小さな声で呟く。

「だ、だって、こんな清楚で上品な純和風の美少女、私が放って置ける訳がないじゃないですかっ」

「うわ、三郎兄ちゃんが逆切れした」

突然顔を上げて興奮するように喋りだした葵に吃驚して鈴音も思わず元の性格が出てしまう。

「見てくださいこのさらさらと流れる様な黒髪、こんなに長いのに枝毛だって全然無いし、それにすごく良い匂いもするんですよ!」

「あ、葵ちゃん落ち着いてください、ね?」

綾乃も慌ててなだめようとするが葵は聞き入れる様子も無く二人の方を向いて自らの身体を見せ付けるように近づいていく。

「いいえ、落ち着いてなんていられません、久世先輩、私は演劇部の後輩として言わせてもらいます、こんな良いシチュエーションになったのですから久世先輩はもっと喜ぶべきなんです、先輩が人気の無い部室で後輩に演技指導、もちろん性的な! どうですかこういうシチュエーション、先輩もそそられるでしょう?」

「う、それは確かにとても興味深いものがある、かもしれないです……」

綾乃の表情の変化に満足したのか葵は綾乃から一旦離れたかと思うと、葵は今度は鈴音の方に振り向き互いの吐息が感じられるぐらいに顔を寄せる。

「それに雨宮先輩、清純で可憐な容姿の私が突然イヤらしい笑いを浮かべてがさつな振る舞いをしだしたらどう思いますか?」

「はっ!? そ、それは、もしかして」

頭半分ほど背の高い鈴音の両肩に腕を回し葵はにっこりと微笑みながら囁きかけるように言葉を繋ぐ。

「……そう、ナイスギャップです」

「な、なんですって……」

なにか重大な事を気がついたかのように両目を開き驚愕の表情を浮かべる鈴音。

「この大河内葵、つまり私は先輩方の需要にとてもマッチし、……いたっっ!」

「……本当にお仕置きをして欲しいんですか?」

ゴツンと良い音がして不意に襲った痛みに葵は後ろを振り向くと、そこにはいままで見たことも無いような恐ろしい顔をした結花が拳を握り締めて立っていた。

「い、い、一郎兄ちゃん……」

「まったくお前は欲望に忠実すぎるのです、そんな有様だからいつまでたっても単独で任務を受けられないのですよ判っているんですか? それに二郎に四郎もこっちに来なさい」

「「はいっ!?」」

怒りの矛先が自分達にも回って来てしまい慌てふためく二人。

「お前達もお前達です、大体なんですか、三郎のフォローをするかと思えばまた三人で騒ぎ出しかねない勢いではなかったじゃないですか、そもそも……、っ!?」

説教を続けようとしていた結花が何かを察知したのか突然言葉を止め三人を見据える、怒られてしょんぼりとしていた三人は何事かと訳も分からないような顔をして驚く。

「……静かに! ……後ろから誰か来ます」

「え?」

結花がそう注意した瞬間、後ろから物凄い勢いでこちらに向けて走ってきた一人の生徒が、いまだ驚いたままの鈴音の後方から突然抱き付く。

「すーずねっ、おっはよー」

「うひぁっ!?」

その生徒のスキンシップなのであろうか、そのまま彼女は鈴音に抱きついた後ごろごろと甘える猫の様な声を出しながらまとわり付く様に顔を寄せる。

「今日はなんか変わったメンバーで登校してるんだねー、いつもツンツンして一人で登校している風紀委員長様なのに」

「え? あっ、あの僕は」

「ボク? どしたの鈴音、キャラ換えにでも挑戦?」

(鈴音さん、鈴音さん、はやく戻って!)

横から回りに聞こえないようにひそひそと結花は鈴音に向けて囁く。

しかし不意の事態におろおろしたままの鈴音はいまだまとわり付いたままのその生徒に対してますます墓穴を掘ってしまう。

「あ、あの僕は僕じゃなくて私であの、その……」

「んー? なんか変だよ鈴音、いつもは私が抱きついてきたら、『朝からうっとおしいですよ、沙耶香、離れなさい』って感じで突き放すのに」

「あ、う、うん、そう、そうだったわね……、えっと、さやか?」

沙耶香と呼ばれた少女は怪訝そうに鈴音を見据える、抱きついていた身体を離し鈴音の前に回りこんだ彼女はじっと鈴音の瞳を覗き込むように見つめる。

「……ねぇ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「……な、なに?」

さっきまでじゃれつくように甘えていた雰囲気を一変させ沙耶香は真剣な表情でじっと鈴音と視線を合わせる。

そしてそんな沙耶香の視線に怯えるように鈴音は目を泳がせてしまう。

「目をそらさないで」

「あ、は、はい」

「……正直に答えて欲しいの」

「な、何を?」



「…………あなた、…………誰?」










「はーい、ちょっといいかな? えーっと、沙耶香さんだっけ?」

ずっと二人の様子を伺っていた結花が突然二人の間に割り込むように身体を押し込むとニッコリと笑って沙耶香に話しかけてくる、不意に会話を中断された沙耶香はすこしだけ不機嫌になりながらも冷静な表情を崩さず今度は結花に視線を向ける。

「……、なにかしら新島結花さん?」

「あれ? 沙耶香さん私の名前知ってるの?」

「ええ、これでも一応新聞部の部長だからね、在校生の名前ぐらいは暗記してるわ、ああ、そうそう自己紹介が遅れたわね、私は三年の如月沙耶香、鈴音とは幼馴染なの」

如月沙耶香と名乗った彼女は、身長こそ結花と同じぐらいの高さであるもののつり目がちの瞳に勝気な性格を思わせる微笑を浮かべ、長いツインテールの髪をなびかせて会話に割り込んできた結花の事をしっかりと見据える。

しかしそんな視線を受け流すように結花は微笑み言葉を繋ぐ。

「へー、そうだったんだ、じゃあ新聞部ってことはこの学校の出来事について詳しかったりするの?」

「……そうね、さすがにゴシップを扱ったりはしないけど、それなりに把握はしているつもりよ、で、もういいかしら結花ちゃん? 私は鈴音と話の途中だったの」

明らかな拒絶の意思を言葉に込めて諭すように結花に語りかける沙耶香。

「えー、もうちょっと良いじゃない、私、沙耶香さんのこともっと知りたいな」

「……生憎、私はあなたのことなんて知りたくはないわ、それともあれかしら、……新島結花さん? あなた、私が鈴音と話すのを妨害しようとしているの?」

「まさか、私は純粋に沙耶香さんに興味があるだけだよ?」

二人の視線が絡み合う、そしてわずかな沈黙。

「…………ふーん、あくまで白を切るつもりなのね、面白いじゃない」

沙耶香の目つきが変わる、あくまでにこやかな笑顔を崩さない結花に対し睨みつけるような視線を向け、冷徹な笑みを浮かべる。対照的な笑顔で向き合う二人に周囲がちりちりとした緊張感に包まれる。

「いいわ、乗ってあげる。それで? 一体どういうご用件なのかしら。単なる時間稼ぎが目的なのだとしたらあきらめる事ね。私、意外としつこい性格だから一度目を付けた獲物は絶対に逃がさないわよ?」

「あはは、大丈夫だよ沙耶香さん、私の用事はすぐに終わるから」

「……そう? 私は逆にあなたに興味が出てきた所なのだけど? 鈴音のことも含めて色々と聞きたいことが出来たわ、きっとあなたに聞いたほうが有意義な情報を得られると思うもの」

「…………へぇ」

二度目の沈黙、二人とも表情を崩さず互いに見つめ合ったままなにも話そうとしない、そして永遠に続くかと思われるようなその冷たい沈黙を最初に破ったのは結花の方だった。

「……沙耶香さん、あなたは聡明な方ですね。私はそういう方は嫌いじゃありませんよ」

不意に結花の口調が変わる。

「え……まさか、あなたも!?」

突然、まるで別人のように大人びた雰囲気に変貌した結花に沙耶香は驚き、そしてすぐに何かに気がついたように声をあげる。

「沙耶香さん、私の目を見てくれませんか?」

二の句は継がせないとばかりに結花は沙耶香の眼前に自分の顔を近づけ両手でしっかりと沙耶香の顔を固定する、そして不意を付かれた沙耶香はそのまま結花と視線を合わせてしまう。

「え? ……、あ、……何……それ……」

「ちょっとそのままじっとしててね、『ワカツタマ』はすこし集中が必要なんだー」

「……あ、……あぁ……」

いわれるままに結花の目を見てしまった沙耶香は視線を合わせたまま動かなくなってしまう。

「新聞部の部長って悪くない役職だよね、だからね、沙耶香さんにもちょっと手伝ってもらおうかと思って」

「…………」

じっと見つめあったまま動かない二人、その様子を見ていた鈴音は二人がなにをしているのか分からず所在無くただおろおろと二人を見守っている。
綾乃と葵もそんな二人を止めようとはせずなにやらひそひそと話し合っている。

「新島さん? 沙耶香? えっと二人とも……、えっと」

ついに耐え切れなくなったのか鈴音が二人に話しかける、すると視線を合わせたまま動かなかった二人が同時に鈴音のほうを向く。

「終わりましたよ」
「終わりましたよ」

まったく同じタイミング、同じ速さ、同じ口調で喋りだす二人。

「え、え?」

「まったく、四郎は」
「まったく、四郎は」

「不測の事態に弱すぎます」
「不測の事態に弱すぎます」

結花と沙耶香はまったく同じ台詞で鈴音に話しかけてくる、その奇妙なステレオのように聞こえてくる音声に鈴音はますます混乱してしまう。

そんな鈴音の元に綾乃と葵が近づいてきて落ち着かせるように語りかける。

「ああ、四郎は見るの初めてだっけか、一郎兄ちゃんなら大丈夫だから落ち着けって」

「そうそう、あれはああいう術なんだ、さすがの兄ちゃんでも安定するのにすこし時間が掛かるみたい」

「え? そうなの?」

どうやら綾乃と葵はその奇妙な現象を知っているらしく落ち着いた表情で同じ台詞を喋っている二人を見ている。

動きまで同期していた結花と沙耶香は時間がたつにつれだんだんと元の仕草と雰囲気に戻っていく、そして二人はもう一度見つめあうと互いに意味深な微笑を向け、ゆっくりと鈴音に近づいてきた。

「ふぅ、そういえば鈴音さんは見たことなかったよね」

「じゃあ軽く説明しておく必要があるわね。今私がかけられたのは『ワカツタマ』って言ってね、簡単に言うと魂を分割させて相手に乗り移る術なの」

先程まで険悪な雰囲気で話し合っていた二人はとても仲のよい姉妹の様に手を繋いだまま鈴音に話しかけてくる。

「そ、それって、一郎兄ちゃんが二人を同時に動かしているって事?」

「うん、結構疲れるからあんまりやりたくなかったんだけどね」

「ええ、鈴音があんまりにも慌てててこのままだと私に見破られる所だったじゃない? だから仕方なかったの」

「はぇ」

微妙に理解が追いつかないのか、鈴音は変な声をだしながらあっけに取られた様子で二人が喋る様を見ている。

「まあ、それだけじゃなくて私が新聞部の部長で調査に使えそうだなって思ったってこともあったんだけど」

「ということで今から私、つまり新島結花の代わりはこれから沙耶香さんにやってもらう事にするね、私と沙耶香さんの二人同時操作はいろいろと面倒だしね」

結花と沙耶香はお互いの方を向きいわゆる『一人芝居』を始める。

「ええ、任せておいて結花ちゃん、さっきは不躾な態度を取ってしまって悪かったわね」

「ううん、いいの、今はあなたも私なんだし」

「そうよね、私が私に怒っても仕方が無いものね、ふふ」

ツインテールの新聞部部長、如月沙耶香はそういって怪しげに笑う。

「とはいえ、せっかく新しい私になったのに残念ながら結花ちゃんと同じぐらいなのよね、いろいろと」

「うん、沙耶香さん三年生なのにもうちょっと育っててもよかったんじゃないかなあ、いろいろと」

二人は見つめ合いながらそう言うと、小さいながらもしっかりとした弾力が感じられるその膨らみに手を当て互いにさわさわと撫で回し始める、ゆっくりと撫でるように胸を触りあう二人の表情はまるで写し取ったかのような同じ笑みを浮かべている。

「うわ、一郎兄ちゃんずるい! さっき俺に怒ってたくせにー」

「そうだそうだー」

「ふふ、せっかく疲れる術を使ったのですから少しぐらいは役得がないとやっていられませんよ」
「ふふ、せっかく疲れる術を使ったのですから少しぐらいは役得がないとやっていられませんよ」

ブーイングをする三人を横目で見ると結花と沙耶香が同時に喋りだす。

「とはいえ、そろそろ止めておかないといけませんね」
「とはいえ、そろそろ止めておかないといけませんね」

沙耶香の胸を弄っていた結花が手を離し、跳ねるように前に走り出す。

そして数メートルほど走った所で後ろを振り向いて皆に視線を向ける。

「それじゃあ、あとはよろしくね、沙耶香さんっ」

「ええ、結花ちゃん、ごきげんよう」

そういってにっこりと笑うと結花は前を向きなおし校舎のほうに走っていった。

「はあ、それにしてもいいなあ一郎兄ちゃん」

綾乃がそんな二人の様子をみて羨ましそうに呟く。

「うん、あの技が使えればどれだけプレイの幅が広がる事やら……」

「僕も正直言って驚いたよ、まさかあんな事ができるなんて、流石一郎兄ちゃんだ」

葵と鈴音も感心するように沙耶香を視線を向けため息をついた。

「そう思うのなら毎日の修行を真面目にやる事です、お前達は目を離すとすぐ手を抜くではないですか」

「うう」

痛いところを突かれたのか、三人とも肩を竦めて決まりの悪い表情になる。

「それにそもそもこの術を使う羽目になったのはお前達の精神同調が未熟だったからなのですよ」

「う、ごめんなさい一郎兄ちゃん……」

先程の失敗を思い出したのか鈴音がしょんぼりと頭を下げる。

「なので、すこしでも慣れる為にお前達は今日一日完全に精神を同調したままでいること。人がいないところでも素を出してはいけませんよ、わかりましたか?」

「「……はぁい」」

元気の無い返事をする三人。
それをみた沙耶香はこほんと咳払いをして三人を見る。

「さてと、なんだかんだで結構メンバーが入れ替わっちゃったわね、仕方が無いけど作戦を少し方向転換しないといけないみたい」

元の口調にもどった沙耶香が三人を見回しながら顎に手を当てて考え込む。

「よし、決めたわ、これからは二人ずつペアになって動く事、私と鈴音、それと綾乃と葵で行動して頂戴」

きびきびと指示を出していく沙耶香になぜか鈴音は不満そうな顔をしている。

「う、沙耶香さんだとあまり一郎兄ちゃんとのギャップが……でも、ちっちゃくてツンデレっぽいツインテールの一郎兄ちゃんというのもこれはこれで……」

「そこ!」

「ひゃい!?」

「もういった事を忘れたのかしら? ちゃんと鈴音になりなさい」

「は、はい……」

「そして久世綾乃さん? あなたは大河内葵さんが暴走しないように同じクラスで監視をすること、わかった?」

「う、うう、それはもしかして……」

突然話を振られた綾乃は沙耶香の言わんとしている事に気が付きあからさまに不満の表情を沙耶香に向ける。

「ええ、葵ちゃんのクラスメイトになる事、いいわね?」

「うう、私は今の私が凄く気に入っていましたのに……、うらみますよ葵ちゃん……」

とんだとばっちりだとばかりに葵の方を向いて恨むような視線を送る綾乃、葵もその様子を見て申し訳無さそうに頭を下げる。

「す、すいません、久世先輩……、折角の先輩後輩シチュが……」

「まあ、仕方がないですね……、それより葵ちゃん? 貴方のお友達に、その、私好みの……、例えばそう、大きくて美味しそうに実った果実、をお持ちの方はいらっしゃいますか?」

「え、ええ、少々お待ちください、…………あ!?」

綾乃の言葉に少し考え込むように頭を捻っていた葵が突然何かを思い出したように顔を上げる、そしてそのままニヤリと意味深な笑みを浮かべる。

「久世先輩、ええ、いました、私の友達にいい子が……、ふふ」

「本当? それはとても興味深いです、ふふ、ぜひそのお友達を私に紹介してくださらないかしら?」

「はい、きっと久世先輩もその子のことを気に入ると思いますよ、久世先輩に負けず劣らすのモノを持っていますから」

そういって葵は綾乃のその豊満な胸をじっくりとみつめる。

「それは楽しみですね、じゃあ早速行きましょうか葵ちゃん?」

「はい先輩!」

すっかり上機嫌になった綾乃は葵の手を取ると早く行こうとばかりに引っ張る。

「はぁ、あの子たちももうすこし自分を抑える事ができればいいんだけどねえ、まあしょうがないかあ」

沙耶香がそんな二人の様子をみてそう呟く、隣にいた鈴音もなんともいえない苦笑いをして同じように二人を見ている。

「ねえ、沙耶香? 今二人一組と言っていたわよね。そうなると私は昼休みまで一人になってしまうのだけどそれでもいいのかしら?」

「それなら大丈夫だよ? 私、休み時間毎に鈴音の教室に通うぐらい鈴音のこと大好きだし、実際通ってたしね」

「あー……」

鈴音は普段から事あるごとにうっとおしく纏わり付く沙耶香の姿を思い出し、すこし疲れた笑いを浮かべる。

そんな表情を浮かべた鈴音をみて、またもや沙耶香が鈴音に抱き付こうとする。

「ふふ、すーずねー」

飛びついてくる沙耶香を片手でいなし、鈴音はいつもの風紀委員長然とした涼しげな顔を見せる。

「まったく、朝からうっとおしいですよ沙耶香」

と、睨んでくる鈴音をみて、沙耶香は突き放されたにも関わらず奇妙な笑みを見せる。

「……うん、これなら大丈夫だね、鈴音?」

「ええ、もちろんよ、もうさっきのような失態は繰り返さないわ」

視線を交わらせ、にっこりと微笑む二人。

「じゃあ私達もいこっか?」

「ええ、そうね、いきましょう。私達の学校へ」

そして四人の少女達は聖心学園の校舎に続く色づいた銀杏並木を先程までとは違う軽い足取りで足早にかけて行った。











「葵ちゃん! そのお友達は一体いま何処にいるのでしょうかっ」

「はぁはぁ、えっと、この時間なら多分花壇で花の手入れをしているかとっ」

沙耶香と鈴音の二人と別れた後、小走りで校舎に向かった久世綾乃と大河内葵は息を切らしながらお目当ての人物、羽崎すみれを探していた。

まるで西洋のお姫様のように上品でお淑やかな綾乃、日本人形のように可愛らしく清楚な顔立ちの葵、二人は共に演劇部の中でプリンセスの称号を得るほど校内に熱狂的なファンを持つ有名人であったが、その二人が息を切らせ走り回っている姿は彼女達を知る人たちからすれば正に異常事態としかいえない光景であっただろう。

「そうですか、ではその花壇と言うのはどの辺りに?」

「それが、この学園にはいくつもの花壇が校舎の周りにあって、何処にいるのかまでは……」

二人は一旦足を止め、広大な学園の敷地内を見渡す、季節はもう秋と言うこともあり咲いている花は少ないものの良く手入れをされている花壇が幾つか視界に入ってくる。

「久世先輩、ここは一旦あきらめて次の休み時間にしたほうが良いのではないでしょうか」

「いえ、葵ちゃん、その必要はありません」

真剣な表情でそう答えた綾乃は、精神を集中するように目を閉じるとそのまま黙り込む。

「…………そこっ!」

「久世先輩!? どうしたんですかっ!?」

突然カッと目を開いた綾乃はまるで何かを探り当てたかのように、ある一点を見つめたまま叫んだ。

「葵ちゃん、私の巨乳探知能力を侮ってもらっては困ります」

「はい!?」

ふふふ、と自信満々な顔をして葵を見る綾乃。

「あちらの方角です、さあ急ぎましょうっ」

「え? え?」

校舎裏の方向を指差しそのまま迷いなくかけて行く綾乃、そんな綾乃に置いていかれない様にと少し遅れて走り出した葵の顔にはきっと大きなクエスチョンマークが付いていたことだろう。

「巨乳探知能力ってなんなのさ……」

そんなことを呟きながら葵は必死に綾乃の背中を追うのであった。



園芸部員、羽崎すみれは校舎裏の一角にある小さな花壇の前に座り、ようやく花開き始めたリンドウの花を眺めながら、部の活動でもあり日課でもある花壇の手入れをしていた。

校舎の隅で小さく控えめな花を咲かせるその花にすみれはまるで自分のようだなと軽く微笑み、軽い親近感を抱きながらじょうろで花壇に水を振り撒く。

ハス口から降り注ぐ水滴が朝の光にキラキラと反射する様はとても美しく幻想的で青紫色の花弁を開いているリンドウの花もその光景に心なしか喜んでいるようにも思える。

幼いころから引っ込み思案な性格で人前で自分を表現する事が苦手だった彼女はこの学園に入学してからも一向にその性格は変わらず、こうして一人で花壇の手入れをしながら物思いに耽るひとときが何よりも落ち着ける時間であった。

すみれは小さな花が好きだ、小さな花弁を精一杯開き気高く咲く一輪の花、自分も自らの名前のようにひっそりとしかし力強く野に咲き誇るスミレの花のようになれたらと思う。

ふぅ、と一つ息を吐く、ふと、去年親友の大河内葵と一緒に見に行った学園祭の演劇の事を思い出す、中等部三年だった自分達はそこで脇役でありながらも可憐に咲く一輪の花のような人物に目を奪われることになった、久世綾乃先輩、当時一年生であったにも関わらず、まるで輝くような存在感を舞台の上で溢れさせていた彼女。

あの人のようになれたらと、すみれは思う、自分もあのとき葵と一緒に演劇部に入部していればすこしはこの人見知りの性格も改善されていたのではないか、あの人のように輝けたのではないかと、そんなことを考える。

実際あれから一年余りが過ぎ、自分なりに少しでもあの人に近づけるように努力はしてみたものの、結局の所、近づいたのは想像以上に大きく育ってしまった自らの二つの胸だけであった。

平均よりも大分大き目のそれは校内でもかなり目立つ物であるらしく、同級生からの視線が事あるごとに自分の胸に向けられているのが分かってしまい、その度にすみれは恥ずかしくいたたまれない気持ちになってしまう。

ましてや街に出る事などがあると学内以上に人々の好奇の視線に晒され、元々気の小さい彼女は萎縮してしまい結果としてますます自分の殻に閉じこもってしまうのだった。

(いけないいけない、また一人で落ち込んじゃった、ちゃんとお花のお世話をしないと)

悪い方向に進み始めた自分の思考を振り払い花壇の手入れに集中しようとする、しかし作業を再開しようとしていたすみれは目を見開き前を見つめたまま持っていたじょうろを落としてしまう。

彼女がたった今思いをはせていた人物、そして密かに憧れている人物でもある久世綾乃先輩が物凄いスピードで自分のいる場所に向かって走ってくるのだ。

いつもお淑やかで上品な演劇部のプリンセスがまるで暴走列車のように突っ走ってくる、そんな普通ではありえない光景を見た彼女の顔は驚きを通り越して唖然とした表情になり、落としたじょうろもそのままに呆然とその場で立ち尽くしてしまうのだった。



「みーーーつーーーけーーーたぁーーー」

あきらかに自分のいる場所に向けて一直線で走ってくる綾乃に驚いたすみれはまさか自分が目的だとは思わず、咄嗟に後ろを振り向いて確認してしまう、しかしどう見ても後ろにはレンガ造りの校舎の壁があるだけであった。

そして綾乃はあっという間にすみれの前まで走り寄ってくると、ずざざざーと派手な土煙を上げながら目の前で急停止する、そしてはぁはぁと息を切らせながらすみれを真剣な顔で見つめてくる。

突然の事態に動転してしまったすみれは一体どうしていいか分からず口をぱくぱくとさせたまま目の前に現れた憧れの人をただ見上げる事しかできなかった。

「羽崎、……はぁはぁ、……すみれ、さんですよね?」

「は、は、ははは、はい!? そ、そ、そうですっ!」

「はぁ、はぁ、よかった、さすが俺、じゃなくてさすが私っ」

「あ、あ、あ、あ、あのっ! すっすすすすみっすみませんっ!!」

なにがなんだか分からずつい頭を下げ謝ってしまったすみれ、そして取りあえず謝ってしまったものの、やっぱり何を話せばいいのか分からずあわあわとただ慌てふためく。

そして唯でさえ混乱していたすみれはまたもや驚愕の光景を目にしてしまう、親友である大河内葵、いつも可憐で上品な物腰の人形みたいな可愛らしい彼女がその長い髪をはためかせスカートの裾が翻るのもお構い無しに自分のいる場所に向けて猛ダッシュで走ってくるのだ。

「ええええええ!?」

脳の処理能力がパンクしてしまうとはこの事なのか、すみれは完全に硬直したまま動かない。

「はぁ、はぁ、久世先輩、意外と足が速かったんですね……」

葵はすみれ達がいる場所まで到着するとぜぇぜぇと荒い息をつきながら乱れた髪をかき上げる。

「あれ? 何やらすみれが固まってますけど、一体どうしたんです?」

「あ、本当ですね、何かあったのでしょうか?」

すみれの驚きようなど露知らず、二人は今だ固まったままのすみれの顔をしげしげと眺めながらなにか呼びかけてみたり、手を振ってみたりしていた。

「すみれさーん、聞こえていますかー?」

「すみれー?」

しばらく二人が呼びかけていると、突然電源の入ったロボットのように身体をびくりと震わせすみれが動き出した。

「…………はっ!?」

「あ、動き出しましたね」

「おはようございます、すみれさん」

「あ、あ、あ、あれ? 私、今なにか物凄いものを見てしまったような……」

目の前にいるのはすみれのよく知っている上品な佇まいの葵と柔らかな微笑を浮かべた綾乃先輩、その二人の落ち着き様に、すみれはまるで白昼夢でも見ていたのかと勘違いしてしまいそうになる。

きっとそうだ、なにか悪い夢でも見ていたのかもしれない、上品な綾乃先輩があんな振る舞いをしていただけでもありえないのに、普段から必要以上にゆっくりと歩くあの葵がスカートを捲りあがらせながら全速力で走ってくるなんて、これが夢でなくてなんなのか。

うんうん、と心の中でそう納得することに決める、理解しきれない情報にどうにか整合性を持たせるべくすみれの脳は保護機能を発揮させ、記憶の一部改ざんをすることを決定する。こうしてすみれの脳は錯乱しかけていた自らの精神の安定を図ることに成功したのである。

「あ、あの……葵? これは一体どういう……、なんで綾乃先輩が?」

ようやく少し落ち着いてきたすみれは、目の前で起こっている事態がどういうことなのか、綾乃の隣に寄り添うように立っている葵に視線を向け問いかける。

「えっとね、久世先輩にすみれの事を話したら是非会いたいって言うから案内をしていたの」

「え、えええ? せ、先輩が!?」

その発言を聞いてまたもや衝撃がすみれを襲う、落ち着いてきたと思った脳がまた再沸騰し羞恥で顔が真っ赤に染まる。

「ええ、葵さんに聞いていた通りとても素敵な方ですね。私、すみれさんに会えて嬉しいです」

「あ……、あ、あ、え? わわわ、私が素敵……?」

「はい、貴女はとっても魅力溢れる素晴らしい物を持っていると思いますよ」

憧れの人からそんな言葉を貰い、すみれはなにも考えられず頭の中が真っ白になる。
何故か好色そうに自分の胸に視線を向けていた綾乃にも気づかず、まるで夢の中にいるかのように頬を染め瞳を中空に泳がせている。

「わ、わ、私なんて、そ、そんな、人前に立つとすぐあがっちゃうし、何をやっても全然ダメダメで、あ、あの、そのっ」

「いいえ、そんなことはありませんよ?」

「で、でも、今もっ、き、緊張しちゃって、今も、うまく話せなくて、そんな私がせ、先輩に褒めてもらう資格なんて……」

「すみれさん?」

綾乃は少し語気を強めすみれの名前を呼ぶ。

「はっ、はいぃ!」

「すみれさん、もっと自分に自信を持ってください、貴女には誰にも負けない魅力がある、私にはそれが分かります」

慌てふためくすみれに綾乃はぐいと顔を寄せそのまま両肩に手を置く、そして真剣な眼差しですみれの瞳を見つめる。
葵はそんな二人の様子をにやにやしながら見つめていたが、すでに頭がオーバーヒートしているすみれにはそんな葵の奇妙な笑顔にも気がつかない。

「じゃ、じゃあ、あの、わ、私も……、綾乃先輩……みたいになれますか……?」

「ええ、もちろんです、すみれさんも私のようになれますよ、……具体的にはもうすぐ」

微妙にずれつつある綾乃との会話の内容にもすみれは違和感を覚えることなく、上気した顔でうっとりと綾乃のことを見つめている。

「わ、私が、本当に……?」

「……信じられませんか?」

妖しげに笑う綾乃。

「い、いえっ、そういうわけでは……、でも、わ、私」

「すみれさん、私を信じてください、……すみれさんもすぐに私のようにおっぱいを揉むのも揉まれるのも大好きな、巨乳好きのおっぱいマイスターになれるのですから」

「…………え?」

すみれは綾乃の言った台詞がすぐには理解できず、ぽかんと口を開けたまま放心してしまっていた。

「正直な所、先ほどから目の前にこんな美味しそうなものを見せ付けられていて、私、もう我慢の限界でした」

「え、え、え?」

「でもっ! 私もう駄目です、限界です! はぁ、はぁ、うふふふ」

荒い息をつきながら興奮した綾乃はがばっとすみれに抱き付く。

「ね、いいですよね、はぁ、はぁ、ちょ、ちょっとだけですから、痛くしませんから! で、ですからすみれさんのそのイヤらしい身体」

「わ、私に使わせてくださいっ!」

「え? …………あ、…………う、…………」

そして抱き付かれたすみれは、結局綾乃が何を言っているのかもわからず、そのまま意識を手放してしまうのだった。











「はぁ……、まったく、どうしてこんな事になったんだか……」

早乙女千鶴は二年二組の教室にある自分の机にやっとの思いでたどり着くと椅子に座り込み疲れ果てたようにその場で突っ伏した、まるで女剣士を思わせるその端正な顔立ちは心労のためか随分とその精彩を欠き、そんな千鶴の様子をクラスメイト達が気遣うように遠巻きに眺めている。

クラスメイト達の心配そうな視線に気が付いたのか千鶴は突っ伏していた身体をなんとか起こし、大丈夫ですよと皆に軽く笑みを送る。


『――総一郎様、私の体を使ってください』


前日、神代探偵事務所にやってきた依頼人いや、宗家の代理人、早乙女千鶴はそう言って自らの身体を捜査に使うよう嘆願してきた。

事務所の所長である神代総一郎は千鶴に何度も考え直すように説得したものの、結局の所良い代案を出す事のできなかった彼は最終的に根負けしてしまい千鶴の案を採用することになってしまったのだ。

そして現在彼はこうして千鶴の身体を使い、なれない身体に戸惑いながら教室の窓際にある千鶴の席に座りこみ、つかれた顔で机に突っ伏している。


妖怪とのパワーバランスが圧倒的に人間側の有利に傾いた現代、いわば掃討戦ともいえる現代の戦いはその時代に則した多くの術を編み出した、巧妙に姿を隠し人間社会に紛れ込む妖怪達を見つけるために編み出された術の一つ、それが今現在総一郎が使っている『タマガカリ』と呼ばれる人体操作の術である。

被術者の精神とリンクを結びその身体を掌握する、方法こそ違うものの結果として妖怪達の使う憑依と同じような効果をもたらすその術は宗家の人間でも使いこなせるものが一握りしかいないと言われている高度な術式である。

現役時代、総一郎はこの術を使い幾多の妖怪を発見、調伏してきた、もちろん異性の身体に乗り移るのもこれが初めてというわけではない、しかしその何れも短時間または見知らぬ他人のものであり、今回のように長時間の調査しかも自分のよく知っている女性に乗り移るという経験は初めての事であった。

ひらひらとしたスカートとふとももを撫でる風の感覚に違和感を覚えつつも、千鶴の身体に乗り移った総一郎は紅潮する頬を必死で隠し、任務の達成のためだと心に言い聞かせ教室へと続く長い廊下を戸惑いながらも歩きぬいた。

もともと無口であった千鶴でもそれなりの友達付き合いはあるらしく、代わる代わるに挨拶をしてくる同級生達をなんとかいなし、ようやく千鶴のいや自分の席までたどり着いたのだ。

「はぁ……」

一際大きなため息をつきながら千鶴(総一郎)はクラスの中を見渡す、今回の依頼の期限は一週間、つまりその間、早乙女千鶴の身体で年頃の少女達に混じってこの乙女達の園で暮らさなければいけないのだ。

晴菜と一葉がこの事を知ったらどう思うだろうか、総一郎は事務所の助手である成瀬晴菜と妹の神代一葉の事を思い出す、彼女達には総一郎が副業にしている裏の仕事の詳しい所までは知らせていない、唯、総一郎が宗家からいまだに危険な仕事を請け負っているというのはどうやら察しているらしく、今回の仕事を請け負うと伝えたときも晴菜は本当は反対したいという心を押し殺したかのような悲しげな微笑をするだけだった。

(詳しい内容まで教えておかなくて良かった……)

千鶴(総一郎)は視線を下に向ける、そこには制服の上からでも判る女性特有のなだらかな曲線が見て取れる、白く細い指先、頬に掛かる髪の感触、その全てが現在の彼の身体が現役時代の自分の愛弟子、早乙女千鶴の身体であることを示していた。

そして千鶴はもう一度大きなため息をつくとぼんやりと朝の教室で世間話に花を咲かせる彼女達を眺めていた、いくら名門のお嬢様学校といえども溢れる様な生命力に満ちた彼女達は静かに座って待つ事など論外だと言わんばかりに、友人達と笑いあい雑談をしながら黄色い声を響かせホームルームが始まるまでの僅かな時間を楽しんでいる。

「あれ? 千鶴ちゃん、なんかお疲れみたいだねー」

「……え、ええ……大丈夫」

疲れた顔をして席に座っていた千鶴にまだ幼さの残る可愛らしい顔をした少女が話しかけてくる、この子は確か……新島結花と言う名前だったか、千鶴は自分の交友関係を記憶の中から慌てて探り出す。

「どうしたの? 寝不足? 駄目だよー、ちゃんと寝ないと」

「……ええ、ありがとう新島さん、気をつけるわ」

「まあそういう私も昨日夜更かししちゃって寝不足気味なんだよねー、夕子ちゃんの持ってきたゲームで盛り上がっちゃって」

「……そうですか」

新島結花という少女は人懐っこい性格なのだろう、そっけない返答をする千鶴に対してもひまわりのような笑みを浮かべたまま明るい調子で話し続けている。

「――で、結局風紀委員長の鈴音さんに怒られちゃったの、貴方達騒ぎすぎですよって、私達そんなにうるさかったのかなあ?」

聞いてもいないのに昨日の出来事を楽しそうに話す結花、可愛らしい表情がくるくると変わる様は見ていて飽きず、疲労した心が癒されていくのを感じる。

つられてこちらまで伝染しそうな笑顔で話したてる結花の話を千鶴の記憶と照合しつつ聞いていると千鶴は不意にある違和感に気が付く。

「……新島さん」

「ん? なにー?」

「……よければ、もう少し詳しくお話を聞かせてくれないかしら?」

「うん、いいよー」

千鶴はかすかに感じた違和感の正体がなんであるか確かめるため、もう一度詳しく結花の話を聞きだそうとする。

しかし運の悪い事に丁度そのとき、授業開始の時刻が迫っている事を知らせる予鈴が学園内に鳴り響く。

「あ、もうチャイムが鳴っちゃった、先生が来るまでに席についてないとまた怒られちゃう、じゃあ千鶴ちゃんまたあとでねー」

「ええ、また後ほど」

そういってぱたぱたと自分の席にかけて行く結花の後姿を見送ると、千鶴はいつものような凛とした佇まいに戻り何かに思考をめぐらせる様に目を閉じるのだった。











校舎の入り口で他の兄弟達と別れた雨宮鈴音は自分のクラスである二年二組と描かれているプレートを確認するとドアを開け静かに部屋に足を踏み入れた。

時計の針は授業開始までまだ幾分の余裕を残していたものの、教室内にはもう何人もの生徒が先に登校しており生徒達は各々授業の用意をしていたり、友人と雑談をしていたりして、すでに教室内は年頃の女生徒たちのあふれ出るような活気で満たされていた。

(えへへ、可愛い子が多くてうれしいなあ)

普段の風紀委員長としての涼やかな表情を崩しはしないものの、席に着いた鈴音(四郎)はクラスメイトを見回しながら一人その様な事を考えていた。

二つほど前の席では先程まで兄の身体であった新島結花が若干眠そうな顔をしながらも楽しげな様子で他の女生徒と会話をしている、会話とは言っても結花が一方的に相手に話しかけているようにも見えるが、相手の子は元々無口なのか時折頷きつつ話しかける結花の聞き役に回っている様子だった。

(そっか、鈴音ちゃんって結花ちゃん達と同じクラスだったんだ)

昨日の夜の事を思い出し頬が緩みそうになるのを必死に抑えて鈴音はいつもの自分がしているように授業の準備を始める、クールな性格に反して意外とかわいい物好きなのか動物の絵が描かれたペンケースやキャラクター物のシャープペンシルを取り出すとそれらを順に机の上に並べていく。

(そういえば下着もやたら可愛い柄だったよね……)

新しい鈴音の一面を発見したことが嬉しいのか鈴音は表情こそ崩さないがファンシーな文具たちを感慨深そうにじっと見つめている。

そうして鈴音の嗜好や昨日の出来事などに思いをはせている内に教室内にはクラスメイト達もあらかた揃い終わり、朝の挨拶を終えた生徒達が授業の開始に向けて各々席に戻っていく。

そして予鈴の鳴り響く時間まであと少しといったところで教室のドアを開ける音が聞こえ、息を切らしながら久世綾乃が教室に入ってくる。綾乃はその様子を見ていた鈴音と目が合うと昨日の不祥事を思い出したのかすこし気まずそうな顔で軽く会釈をして自分の席に歩いていく。

(葵ちゃんと先に走って行っちゃったけどあの様子だと二郎兄ちゃんは無事に移動したみたいだね)

綾乃の様子を横目で観察しながら鈴音はそう考えていた、最近の穏行術はかなり進化していて、ある程度まで近づかないといくら同族であろうとも取り憑いて居るかどうかまったく見分ける事ができない、それ故に仲間と判別する為にそれと分かるような合図を決めておく事がよくあるのだが、今回の任務では特にそのような合図は取り決めていなかった、兄の一郎が言うには未熟な者が合図を使用すると敵に見破られる可能性があるのだとか。

(一郎兄ちゃんはすこし過保護すぎる所があるんだよね、僕達のことをもうすこし信頼してくれてもいいのに)

もちろん兄の一郎のことは大好きだし、尊敬もしている、だからこそ兄の役に立ちたいという気持ちもまた大きいのだ、そう考えるたびに四郎の心の中にもやもやとした感情が湧き上がる。

そんなことを考えているうちに既に予鈴が鳴っていたらしく、担任の教師が一人の生徒を連れて教室に入ってくる。担任の姿を見た生徒達は一瞬静まり返ったものの、すぐに連れられている見慣れない生徒の姿を確認すると自制よりも好奇心が上回ったのかたちまち教室がざわざわと色めき立つ。

「皆さん静かに、今日は転入生を紹介します」

教壇に立った先生は開口一番にそう言うと後ろの黒板にその生徒の名前らしきものを描き始める。

先生に促されるようにして一歩前に出たその転入生と思われる少女はクラスメイト達の好奇の視線に物怖じする様子もなく、周りを見渡しペコリと頭を下げる。

(え……、え……!? な、なにこれ!?)

そのまま頭を上げ、ふんわりとした笑顔をクラスメイトに向ける彼女。

そしてその姿を見た鈴音は突然心臓が跳ね上がるかのような衝撃をうける、理由も分からないまま困惑している鈴音の理性を無視するようにぞくぞくという震えにも似た衝動が鈴音の身体を駆け巡る、今すぐにでもあの人に襲い掛かりたい、思い切り彼女の生気を味わいたい、そんな原始的な欲望が湧き上がってくる。

「皆さん始めまして、今日から皆と一緒に勉強をさせて貰う事になりました、御子柴ほのかって言います」

御子柴ほのかと名乗った彼女はのんびりとした声で挨拶をするともう一度緩やかに頭を下げた。

「私、堅苦しい挨拶って苦手でこんな時どう言っていいか分からないんですけど、これから皆と仲良くできたらいいなって思います。いろいろと分からない事も多いですがどうかよろしくお願いしますね」

(あ……あ……)

心臓がどきどきと痛いぐらいに鼓動する、鈴音は必死に冷静な表情を保とうとするが視線はその少女から外すことが出来ず、きつく閉じていたはずの唇がいつの間にかだらしなく半開きになってしまっていた。

御子柴ほのかという少女はたしかに目の覚めるような美少女ではあるが、それだけではない何かが彼女から発せられているのを鈴音は感じ取っていた、妖怪達のエネルギー源でもある人間の生気、その生気は個人によって様々な違いがあるものの、こんなにも甘美で魅力的に感じる生気というものは始めてであった。

(…………え!?)

不意に鈴音は下半身に強烈な甘い疼きを覚える、確かめるまでもなくその感覚を鈴音は知っていた、昨日の夜、学生寮の部屋で綾乃達と共に何度も味わった感覚、そのとろけるような淫靡な快感がただ彼女を見ていただけで再現されたのだ。

さすがにこれはおかしいと鈴音は気がつく、沸騰しそうになる思考を何とか取り戻し考えを巡らす。

(というか、このタイミングで転校生って明らかにおかしいよっ!)

もじもじと足を動かしながらなぜか発情してしまった身体を押さえようとする、もしあの転校生が退魔士であった場合、こちらの反応を知らせてはいけない、周りの反応を見るにこんな状態になっているのは自分だけで、他の生徒は普段通りの表情で新しく加わる事になる仲間に純粋な興味の視線を向けているだけだった。

(あ……まずい、まずいよこれ!? ど、どうして……? あ……ああっ!)

鈴音の身体に電流のような快感が走る、視界が一瞬白く染まり鈴音は自分が軽い絶頂に達してしまったのだと理解する。かくかくと震える太ももの動きを周りの生徒に悟られないように必死でいつものクールな優等生を演じようとする、しかしどんなに抑えようとしても鈴音の身体はまるで媚薬でも打たれたかのように昂ぶっていく。

「じゃあほのかさんは向こうの開いている席に座ってください、教科書は隣の人に見せてもらうように」

「はぁい」

簡単な自己紹介を終えたほのかは鈴音の席とは大分離れた位置にある空席に歩いていった。

(た、助かった……)

たまたま空席が鈴音から離れた位置にあったのは純粋に運が良かっただけだった、もし近くの席に座られていたら授業中きっと耐え切れなかったであろう、びりびりと襲い来る快感と欲望の波に震える身体をなんとか押しとどめ鈴音はとりあえず安堵の息をつく。

しかし依然として状況は改善されていない、すこしでも気を抜けばきっと鈴音はふらふらとほのかの元に歩いていきそのまま押し倒してしまうだろう。

(う、すでにショーツが湿ってるのが分かるよ……、耐えられるかなあ……、うう、一郎兄ちゃん)

鈴音は下半身に鉛のように重く圧し掛かる甘いうずきに耐えようと必死で歯を食いしばるのであった。



このとき、転校生「御子柴ほのか」が退魔士ではないかという鈴音の予想は実は半分ほど当たっていた、彼女は退魔士である神代総一郎が敵を割り出す為に学園の転校生として送り込んだ刺客であった、そして鈴音が本当の意味で運が良かったと言えるのは鈴音とほのかの席が離れていたという事ではなく、鈴音の席が総一郎が乗り移っている早乙女千鶴の席の後方に位置していたという事だったのだ。

不慣れな身体に戸惑い集中を欠いていた千鶴は自分の後方にまで気が回らず、結果として鈴音の反応を見逃すことになる。

まだ妖怪として未熟である四郎は訪れた最大の危機を自分も知らないうちに回避することに成功していた。











「ふふ、すーずねっ、私と離れて寂しかった?」

一時間目の授業が終わるとツインテールの小柄な三年生、如月沙耶香がいつものように休憩時間に教室に現れ、鈴音の姿を確認するや否や飛び掛るように後ろから抱きついてきた。

「…………ううう」

抱きついた沙耶香はすぐに鈴音の様子がおかしい事に気がつく、普段の冷静な鈴音の面影は見る影もなく、頬を紅潮させ目じりに涙まで浮かべた鈴音は抱きついてきた沙耶香のことを確認するとへなへなともたれかかる様に脱力する。

「い、……一郎兄ちゃぁん」

潤んだ瞳で何かを訴えかけようとしている鈴音を視線で制して、何があったのかと誰にも聞こえないように鈴音に囁く。

ちらりと教室に出来ている人だかりの方を見て沙耶香に合図を送る鈴音、その視線の先を確認するとどうやら一人の生徒を取り囲んで何人もの生徒が興味深そうにその生徒に代わる代わる質問を投げかけていた。

(なるほど、そういうことでしたか……、良くがんばりましたね四郎)

微笑みながらクラスメイトからの質問に答えている転校生を一目見ると沙耶香はあらかたの事情を察したらしく、鈴音の手を引いて教室から出るように促す。

「すずねー、ちょっと付き合ってよ、ほら行こう?」

「え、ええ……」

足取りのおぼつかない鈴音の手を取りすこし強引に教室から連れ出す沙耶香。
そのまま校舎の奥側にある文化部棟のトイレまで連れて行くと、周りに人がいないのを確認して鈴音を中に招き入れる。

「うう、兄ちゃん、兄ちゃあん」

沙耶香はトイレの中を見渡し人気がないことを確認すると個室に鈴音に招き入れそのままドアに鍵を掛ける、鈴音はやっと二人きりになって安心したのかぐったりと倒れこむように沙耶香に抱きついてくる。

瞳は潤み荒い息をつきながら紅潮した顔で何かを懇願するように沙耶香のことを見つめる鈴音。

「ええ、分かってますよ、とりあえず説明は後にしないといけませんね」

沙耶香はそう言って鈴音の頬をその細い指で撫でながらもう片方の手をスカートの中に這わせる。

すでに鈴音のそこは十分すぎるほど湿っており沙耶香が指を少し動かすだけでくちくちと粘液質な音を響かせる、相当な我慢をしていたのか鈴音はその動作だけで身体を大きく震わせ、わきあがる快感にくぐもった声を上げる。

「あっ……、んんっ……、この鈴音ちゃんの身体……さっきからずっと……発情してて……触られただけで、もう……ああぁ……」

「ええ、今までよく我慢したわね鈴音、すぐに楽にしてあげるからね?」

そう沙耶香の口調で語りかけると、そのまま鈴音の唇を乱暴に奪う、貪るように口腔内に舌をねじり入れると鈴音もそれ以上の貪欲さで舌を動かし沙耶香に応えてくる。

「ん……、ちゅ……、んん……」

「んん、ちゅう……、ふ……ん、ん、ん」

激しいキスを交わしながら沙耶香はスカートの中に入れた手を動かして器用にショーツを下げると、そのまま鈴音の膣内に指を差し入れていく。熱く濡れそぼったソコはようやく与えられたその刺激に悦び、差し込んだ沙耶香の指に絡みつくように吸い付いてくる。

「んふ……ぷはっ……、あまり……時間が、ん、ちゅぱっ、ないから、すぐに逝かせてあげる……、ん、ちゅ」

「んんんんーー、んんー!」

沙耶香は片方の手を鈴音の上着の中に滑らせその上から鈴音の張りのある胸を揉みしだく、服の中に進入した沙耶香の手はブラを上に押し上げ、ぐにぐにとその膨らみを掴み変形させながらすでに硬くなっている乳首にも指を乗せやさしく刺激する。

そしてもう片方の手を股間に這わせ的確に鈴音の感じる所を弄る、あどけない少女のものとは思えないその指捌きに鈴音はまるで陸に揚げられた魚のように口をパクパクと動かし声にならない喘ぎ声をあげる。

「んあっ……き、気持ちいいよぉ、あっ……あっ……ああっ……っ!」

「んふ、……可愛いわ、……鈴音、……いいわ……もっと激しくしてあげる」

さらに激しくなる沙耶香の愛撫にじゅぷじゅぷと粘り気のある音が鈴音のスカートの中から漏れ出てくる、すでに発情状態であった鈴音の身体はその乱暴な愛撫にも激しく反応し沙耶香の指からもたらされる快感に身を任せている。

「んちゅ、さあ、鈴音……逝っちゃいなさいっ!」

「んんん!? んんんんんんーーーっ!!?」

ぐっしょりと濡れた沙耶香の指が鈴音のクリトリスと膣口を同時に攻め立てる、その強烈な快感に鈴音はがくがくと震え絶頂の叫び声を上げるが、その口はすばやく沙耶香の唇で塞がれる、目を大きく見開いたままくぐもった絶頂の声を上げた鈴音はそのまま沙耶香に倒れ掛かるように身体を預ける。

「ふあぁ……、あぁぁ……」

「はぁ、はぁ、どう鈴音? すこしは落ち着いた?」

放心状態の鈴音の頭を優しく撫でながら沙耶香は微笑む。

沙耶香の肩に顎を乗せ、虚ろな表情で荒い息を吐いていた鈴音は沙耶香のいたわる様な抱擁に身体を預け脱力する、そして絶頂の余韻も少し収まってきたのか、その瞳にはだんだんと意思の光が戻ってきている。

「はぁ、はぁ、一郎兄ちゃん、僕……」

「ほら、鈴音? ちゃんと鈴音らしくしなさい」

「……え、ええ、ごめんなさい沙耶香、それと……ありがとう……」

「うん、それでこそ私の大好きな鈴音よ、っと、もう時間が殆どないからこれだけは伝えておくね」

抱きついている鈴音の頭を撫でながら沙耶香は真剣な目をして視線を合わせる。

「さっき教室に居たあの子」

「……ええ」

「あの子には気をつけなさい、しっかり気を持てば今度は耐えられるはずよ」

「うん……わかった、やってみる」

「それと私はちょっとやる事が出来たからお昼までは鈴音の所に行けないかも」

「うん、……了解、あ、一つ聞いてもいい? あの転校生の事なのだけど」

「……ええ」

「一体あの子は……なんなの?」

「…………まだはっきりとは分からないけれど、あの子は多分――」



「――式神よ」
二章です。
正露丸憑依A
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