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現代妖怪のためのリスクマネジメント入門 三章 お狐様の作戦会議

2012/08/10 09:22:36
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三章 お狐様の作戦会議











昼休み、聖心学園の中央のあるカフェテラスでは沢山の生徒たちが思い思いの席に座り友人達と和やかなランチタイムを楽しんでいた。

日の光を十分に取り入れられるように設計されたその場所は初秋の肌寒い空の下でもまるで春の陽だまりの中にいるような暖かさで、和洋中と取り揃えられた豊富なメニューと喫茶店も顔負けの本格的なサイドメニューを頼めるということもあって昼食時のみならず放課後でも授業を終えた生徒達がお茶を飲みながら談笑をする憩いの場として機能していた。

「先輩、お昼ご一緒してもよろしいでしょうか?」

午前の授業を終え、昼食をとるために合流した大河内葵と羽崎すみれの二人は生徒達で溢れかえるカフェテラスの片隅でランチを食べている二人組の生徒を発見すると、きつねうどんを載せたトレイを手に持ち涼やかな笑顔でそう話しかけた。

「ええ、もちろん、どうぞ座って?」

サラダを突いていた手を止め、如月沙耶香は相席を持ちかけてきた下級生二人を見ると柔らかな笑みを浮かべ椅子に座るように促した、隣には沙耶香の幼馴染の二年生、雨宮鈴音がすこし憔悴した様子でアイスティーの入ったグラスを両手で掴み、琥珀色の水面から伸びたストローを口でくわえている。

「ありがとうございます沙耶香先輩、鈴音先輩。では失礼しますね」

「……えーと……葵ちゃん? 朝に言っていたお友達というのはその子のことかしら? 随分とその……誰かさんが好みそうなお友達ね……」

沙耶香はそう言うと葵の後ろに隠れるようにしてこちらを伺っていた少女に視線を向ける、結んだ髪を胸の前で左右に垂らしたいわゆるお下げ髪のその少女は、勝気で芯の強そうな容貌の沙耶香とはまるで反対の優しげで大人しそうな印象の女の子だった。

もじもじとしながらこちらを見つめる彼女はとても可愛らしい容姿をしていたが、中でも特に沙耶香の目を引いたのが制服を押し上げるその二つの大きな膨らみであった。そのおとなしそうな外見とは正反対の自己主張の激しいその胸は演劇部のアイドル、久世綾乃と比べても負けずとも劣らない大きさで、綾乃よりも背の低い分余計にその存在感を際立たせていた。

「あ、あああ、あのっ、先輩方、始めましてっ! わ、私、羽崎すみれと申しますっ。ど、どうか、よろしくお願いします!」

沙耶香と視線が合ったすみれは何かに怯えるような表情でおずおずと前に出ると、テーブルに額をぶつけそうな勢いで頭を下げ、先輩達に挨拶をする。

「ええ、すみれちゃん、こちらこそよろしくね、さ、貴女も座って?」

「は、はいっ!」

顔を真っ赤に染めながら椅子に座ったすみれは嬉しそうに目を細める。

「わ、わ、私、こんな素敵な先輩方と一緒にお話ができるなんて光栄ですっ」

「ありがとうすみれちゃん、私も貴女みたいな可愛らしい子と知り合えて嬉しいわ」

涼やかな笑みを浮かべて後輩の緊張をほぐせるように優しく語り掛ける沙耶香であったが、その言葉を聞いたすみれは顔を紅潮させまるで謝罪をするかのように何度も頭を下げる。

「そ、そんな、か、可愛いだなんて……、私なんて先輩方と違って気も小さいし引っ込み思案だし、人前に出るとあがっちゃってうまく喋れなくなるし、運動とかも全然だめでしかも良く道で転ぶし、その癖、私まだ一年なのに胸だけはこんなに大きくなっちゃって、本当に……私って……最高です」

「ん? すみれ?」

隣に座っていた葵がふと会話に違和感を覚え、すみれの方を見る。

「さっきも体育の時間に葵にじゃれつかせる振りをさせて胸を揉みしだかせてたんですけど、私の胸こんなに大きいのに凄く感度が良くて、なにこれこんなの反則じゃない、こんなおとなしそうな顔をして淫乱ボディとか私大勝利もいい所じゃない、って思っちゃって」

「すみれ、すみれ! 出てる、素が出ちゃってますよ!?」

すみれの異変に気がついた葵は語気を荒げる、しかしどうやら何かのスイッチが入ってしまったらしいすみれは葵の諌める言葉も通じていないようだった。

「え? あ、ご、ごめんなさいっ、つい興奮しちゃって、それもこれも全部私のおっぱいが悪いんです! このおっぱいのせいで授業中も気になってノートとか取れたものじゃなかったですし、廊下を歩くだけでもゆさゆさ揺れるんですよ! 一体これはどういうことなんですか! もう私、興奮しすぎて過呼吸になる所でしたよっ! このっ! 悪いおっぱいさんめ! この! このっ!」

そう言って自らの胸を激しく揉み始めたすみれを葵が必死に止める、沙耶香はそんな二人の様子を見て疲れた顔で頭を抱える。

「……葵ちゃん、もしかして昼までずっとこうだったの?」

げんなりとした顔をしながら沙耶香はすみれを押さえ込もうとしている葵に向かって問いかける。

「え、あ、はい、昼休み前まではなんとか我慢していたみたいなのですが、もう限界だってさっきうわ言みたいにぶつぶつと言ってまして……」

「ち、違うんです! 私は悪くないんです! この悪いおっぱいさんが私をずっと誘惑してて、これでも私必死に耐えていたんですよ!? 授業中谷間に鉛筆を差し込んでみたら何本立つかなとか、圧力で消しゴムを飛ばしたら前の人に当たるかなとか、そんな発想が次々に浮かんできて堪えるのが大変だったんですから!」

「二郎兄ちゃん……、授業中なんか静かだなと思ってたらずっとそんなこと考えてたんだ……、すごいよ兄ちゃんある意味完敗だよ」

すみれを押さえつけながらもへなへなと脱力する葵。

「……これはあれね、今回の件が終わったら一度二人とも一度みっちり鍛えなおす必要がありそうね……」

「えええええっ!?」

沙耶香の言葉にまるで死刑宣告を受けたかのように驚いた葵はがっくりと肩を落とす。頬を上気させながら胸を揉みしだいていたすみれも頭が冷えたのか、胸を揉む手を止め愕然とした表情になっている。

「二人とも、もっと危機意識をもって行動しなさい。まあその様子なら特に危険はなかったみたいだけど、ん……てことは鈴音の所だけか」

「え、それって? もしかしてなにかあったの?」

二人は驚いて鈴音の方を見る、先ほどから気だるそうな顔をしてストローをくわえていた鈴音はそんな二人の視線に気がつくと顔を上げて疲れた笑みを見せる。

「うん、すっごく疲れたよ……、僕あんなの初めてだったし、もうくたくただよ……」

「そ、それで!? 四郎! 大丈夫だったのか!?」

すみれと葵は突然男のような言葉使いになり慌てて鈴音に詰め寄る。

「落ち着きなさい二人とも、その話をするにはここだと人が多すぎるわ」

詰め寄ろうとしていた二人を沙耶香が制する。

「で、でも……」

「新聞部の部室を使えるようにしておいたから続きはそっちで話します、だから二人ともまずは昼食を済ませてしまいなさい、いいわね?」

「う、うん……」

心配そうに鈴音を見ていた下級生二人はその言葉に渋々頷くと、テーブルに置かれていた各々の料理を口にし始めたのだった。













「ごめんなさい新島さん、時間を取らせてしまったわね」

「ううん、いいよー、私も千鶴ちゃんと話せて楽しかったし。でも何でそんなに昨日の話を聞きたかったの?」

「……ええ、ちょっと気になることがあって」

「へー、ま、いっか。じゃあ千鶴ちゃん。折角だから一緒にご飯食べようよー、夕子ちゃん達が学食で待ってるって言ってたから一緒に座れるよ」

「……ごめんなさい新島さん、私は少しやる事があるから……」

「そっかあ、残念、じゃあまた今度一緒に食べようね」

「……ええ」

「それじゃまたねー」

「ええ、それではまた」



「…………ふぅ」

早乙女千鶴はぶんぶんと元気良く手を振る新島結花を見送ると大きく息を吐き出した、任務のためとはいえ長い時間年頃の女生徒としてふるまうのは精神にかなりの負担が掛かる。いくら千鶴の記憶が読めるといってもどこでぼろがでるか分からないのだ。

千鶴は結花から聞き取りをした内容を頭の中で整理する、前日の夜起こった出来事、新島結花、三条夕子、久世綾乃の三人が部屋でゲームに熱中して騒ぎすぎたあまり駆けつけて来た風紀委員長雨宮鈴音に説教をされたというささいな事件。

一見この出来事に違和感は無い様に思えるが、この件を千鶴の記憶と照らし合わせると不審な点を二つほど見つけることが出来る。

一つは何故かゲームはゲーム機のある三条夕子の部屋ではなく久世綾乃の部屋で行われたという事、そしてもう一つはおっとりとした性格ではあるが学園の規律はきちんと守り、いつもは他二人のなだめ役であるところの久世綾乃まで二人と一緒に騒いでいたという事。

これらを鑑みるに昨日の晩、綾乃の部屋には妖怪が存在し、そしてそこで行われたのはゲームなどではなく『食事』であったのではないかという疑念が湧いてくる。

おそらく事件に関わった四人はなんらかの記憶操作をされているのだろう、この仮説を裏付けるためにも一度学生寮に出向き現場の調査をする必要がある。

妖怪は人間から生気を吸収するときに微量とはいえ妖気を出さざるを得ない、それは普段完全に近い形で人間達の間に溶け込む事が出来る現代の妖怪達の唯一の弱点とも言っていい、しかしやっかいなことに証拠となるその妖気も丸一日ほど経つと察知できないほどに薄れてしまう。

故に少しでも食事の可能性があった場所を探し、速やかに調査をする事が奴らの手がかりを掴む第一歩といえるのだ。

そして学生寮に足を運ぼうと歩き出した千鶴はあることを思い出す、今回の任務にあたって学園側に話をつけ設置した罠、御子柴ほのかとして学園に転入させた総一郎の式神が運のいいことに昨日の関係者と同じクラスであったのだ。

もし妖怪がその中に潜んでいた場合ほのかを見たときに何らかの反応をした可能性がある。

総一郎はあの時、なれない千鶴の身体に戸惑いクラス全員を上手く監視できていなかった。

その霊力の高さから逸材と言われ本家に期待をされていた総一郎といえども一人の人間である、ましてや健康な若い男ともなれば、近頃ますます女性としての艶やかさを帯びてきた自分の弟子、早乙女千鶴の身体を好きなように使う事ができるという状況に対して自らの平常心を保ちきれなかった事は仕方のないこととも思えた。

しかし、あの時注意を欠いていた総一郎に代わって壇上に立ちクラス全員を見渡していた人物がいる、それは式神として転入生に偽装させた御子柴ほのか本人である。

式神が得た情報は随時保存され、術者は式神に接触する事によりそれを読み取る事ができる。その記録を読み取ればあの時総一郎が見逃していた何らかの有意義な情報を得られるかもしれない。

そして今は昼休み、現在術者とのリンクが切れ自由行動をしているほのかを操作し接触するには格好のタイミングと言える。

「……よし」

何かを決心したように千鶴は呟き、その場から早足で歩き始めると人気のない空き教室を探しはじめる、さすが名門の学園と言うべきか生徒数の割に校舎は広く教室の数もかなりの数が存在していて、使われていなそうな教室を見つけるのもさほど時間はかからなかった。

千鶴は文化部棟の二階に都合よく使われていない教室を見つけると扉を開け静かに足を踏み入れた。そして教室の中央に立ち周りを確認すると瞼を閉じ精神を集中しはじめる。

中央に立ったままの千鶴は両手を奇妙な形に結び何か呪文のような物を唱え始める。

左手を胸元に固定したまま右手を上下左右に払うように動かす、慣れた手つきでその一連の動作を何度か繰り返した千鶴はようやく動きを止め、緊張から開放されたかのように力を抜き、近くにあった椅子に座り込んだ。

そうして千鶴はしばらく座り込んだまま休憩をしていると、静まり返った教室に突然引き戸の開く音が聞こえた。

「……………………」

開かれた扉の向こうに立っていたのは転入生の御子柴ほのかだった、しかし先程まで同じ教室で明るく皆の質問に答えていたほのかの表情はまるで人形の様に無表情でその瞳には意思の光が感じられない。

ほのかは椅子に座り込んだままの千鶴を確認すると、抜け落ちた表情のままゆっくりと千鶴の前まで歩いてくる。

そして千鶴の目の前に立つと、虚ろな瞳を向け、気をつけの体制をしたままピクリとも動かなくなる。

少しだけ色素の抜けたセミロングの髪にきめの細かい白い肌、整った顔立ちにふんわりとした笑顔が良く似合う彼女。好奇心旺盛で学園内を見てキラキラと目を輝かせていたその瞳もいまは霞が掛かったかのように曇り、ぼんやりとどこか遠くを見つめている。

静まり返った教室の中まるで電源の切れた機械のようにその場で立ち尽くす彼女、美しい顔を凍らせたまま規則正しい呼吸と共にゆっくりと胸元だけが上下に動いている、普段の快活な彼女からは想像もできない能面のように抜け落ちた表情はまるで精巧に製作されたビスクドールのようで、見るものに倒錯した感情を抱かせてしまう。

千鶴は雑念を振り払うように二度ほど頭を振ると、椅子から立ち上がり彼女の額に指を置く。

すると彼女の額に星の様な文様が浮かび上がり、それを確認した千鶴はほのかの肩に手を乗せて自分の額をその文様にあわせるようにゆっくりと近づけていく、そしてほのかの額にぴたりと自分の額を触れ合わせると千鶴は静かに目を閉じる。

そのまま千鶴も動きを止め、二人の少女はお互いの額を付けたまま、まるで時間が止まってしまったかのように静止する。

静寂に包まれた教室で身体を寄せ合っている二人。

実際の所はほんの僅かの間であったが、その固定された時間はまるで永遠に続いてしまうかのように感じられ、千鶴はそんな固まった時間を強引に破るようにしっかりと瞼を開く、そして何かを確信したかのように顔を上げる。




「…………雨宮……鈴音」




千鶴はほのかの肩から手を離しその瞳に冷徹な光をたたえると、静かに自分のクラスメイトの名前を呟いた。











早々と昼食を終えた三人は新聞部部長の如月沙耶香に連れられ文化部棟の三階の一番奥にある『新聞部』とプレートの掛かった部屋の前まで来ていた。

沙耶香は先に部室に入り中に誰もいないことを確認すると扉に手を当てて聞きなれない単語を呟く、すると部屋の中に薄い光のようなものが一瞬きらめいたかと思うとすぐにその輝きは消え、何の変哲もない部室に戻る。

その様子を見届けた沙耶香はもう一度周りを確認をすると、ようやくそわそわと落ち着きのない様子で立っていた三人に声をかけ、皆を部屋の中に招き入れた。

そして部屋の中に案内されたすみれと葵の二人は部室の扉をしめるやいなや沙耶香の方を向くと、鈴音に起こった出来事の詳細を聞こうと左右から押し寄せるようにして沙耶香に詰め寄った。


「ええ!? し、式神!?」

「ええ、どうやらむこうは本腰を入れてきてるみたいね」

沙耶香は三人に空いている椅子に座るように促すと、一拍間を置いてから鈴音に起こった事をいまだ落ち着かない様子の二人に話し出した。

「じゃあ、もう調査の段階は終わってるってこと?」

「そういうことになるわね、だから今学園内に潜んでいるのは妖怪を退治する能力のある一線級の退魔士って事、ところで二人とも……さっきから全然同調できてないわよ?」

「あっ、ごめんなさい、つい鈴音のことが心配で……」

沙耶香に指摘された二人はそう言ってしょんぼりと肩を落とす。

「……まあいいでしょう、先程この部屋には人払いの術を掛けておきましたし、お前達の気持ちも分かります、なので今だけ元に戻っても構いません」

「ほんと!? ありがとう一郎兄ちゃん! 同調は少しなら良いんだけどやっぱり長時間なりきるのは疲れるんだよな」

「うんうん、俺も途中からなんか混ざって来ちゃって、大本の性格からずれて来てたような気がするもん」

「それは兄ちゃん達が欲望を前面に出しすぎてるせいじゃないかな……」

元に戻った三人の少女はそれぞれ何かから開放されたように顔を輝かせ、大きく背筋を伸ばすと嬉しそうに話し始めた。

「えー、そうかな? 結構上手く同調できてたと思うぜ? なあ三郎?」

「うんうん、問題なしだな!」

「いやいや、兄ちゃん達さっきめっちゃ暴走してたじゃない? お昼の時だって『この悪いおっぱいさんめ!』とか言って胸揉んでたよね? あれ絶対混ざってたよね?」

「あれはまあ、仕方がなかったんだよ! だって実際このすみれちゃんのおっぱいすげえんだぜ? ほら揉んでみ? ほれほれ」

「まあ、そりゃ出されたら揉むけど、……うわ確かに凄いねこれ」

「だろだろ? こんなの反則だよな?」

「うーん、そう言われてみると確かに……、じゃなくてっ! 僕が言ってるのはちゃんとなりきらないと駄目じゃないかなってことで……」

「まったく四郎は強情だなあ、よし三郎、お前も加われ!」

すみれはそう言うとその豊満な乳房を鈴音の顔にぐいぐいと押し当て葵の方を見て合図を送る。

「よし来た兄ちゃん!」

すると葵もニヤニヤとした笑いを浮かべながらすみれと共に両側から胸で挟み込むように押し当てる、大小大きさの違う二人分の胸に挟まれ口を塞がれた鈴音は苦しそうにもがき始める。

「むぐぐ、ちょ、ちょっと兄ちゃん達、まだ話は……、ぷはっ……終わってないってば、ああ……、でも……やわらかくて、いい匂いがして……もうどうでもよくなってきた……」

「よし、ミッションコンプだ、よくやった三郎」

「光栄であります、兄ちゃん!」

へなへなと脱力してしまった鈴音を見下ろしながら二人は視線を交わし笑いあう。

「三人とも……、すこしは真面目になれないのですか……、まったく」

沙耶香がそういってぎろりと睨むと流石にやりすぎたと思ったのかすみれと葵はぐったりとしている鈴音を見て反省する。

「はぁ、やはりまだまだ修行が足りないみたいですね……、まあ、いいです。今はその話は置いておきましょう」

沙耶香は小さくため息をつくと、部室に備え付けてあるPCの前に座り電源を入れる、少しうるさめのファンの音と共にPCが起動し画面にロゴマークが出力される。
待つ事十数秒、無事に起動したOSを沙耶香は慣れた手つきで操作し、どこかのサーバーに繋いだかと思うとカタカタとパスワードらしきものを入力していった。

操作を終えたらしい沙耶香がキーボードから両手を離し真っ白な画面を見つめている、すると突然画面上に愛らしいイタチのようなキャラクターがぴょこんと現れてそのまま沙耶香に視線を向けたと思うとスピーカー越しに陽気な声で話しかけてきた。

「お、誰かと思えば一郎さんじゃねえか、こりゃまた随分と可愛らしくなっちまって」

「お久しぶりです橘さん、お元気そうで何よりです」

「え!? に、兄ちゃん、なにそれ?」

画面上に現れたキャラと会話をしだした兄に驚き、三人は興味深くモニターを覗き込む。

「ああ、データベースの管理をしてもらっている雷獣の橘さんですよ。この方のおかげで我々は組合のデータを安全に使う事ができるんです」

「へへっ、よせやい一郎さん、褒めてもなにもでねえぜ」

褒められてまんざらでもないのか画面上のキャラがぴょんぴょんと動き回る。

「おおぉ……、すごい……」

三人は目を輝かせながら画面を見つめている。

「てことはそこの三人のべっぴんさんは一郎さんの弟さんたちだな、俺は橘ってんだ、よろしくな坊主達」

「うん、橘さんこちらこそよろしくっ」

「雷獣ってすごいな、橘さんって有名所の妖怪じゃないか、俺始めて見たよ」

「へへへ、だから褒めてもなにもでねえっつーの、それに俺はそんな綺麗な娘に乗り移れるあんちゃん達の方がよっぽど凄いと思うぜ」

「そ、そうかなー、へへ、じゃ、じゃあ折角だからさこの子すみれって言うんだけど、この子のおっぱいでも見ていきなよ、すげえんだぜコレ! モニターに押し付けたら少しは伝わるかな? よいしょっと、ほら、どうかな橘さん?」

「お、おお、悪くねえ、悪くねえな! 画面越しでも結構いけるもんだな!」

「甘い、甘いな二郎兄ちゃん! 一般的にはこの葵ちゃんみたいなちょうどいい大きさのおっぱいが好まれるんだ、橘さん! 清楚な純和風美少女であるこの葵ちゃんのストリップも是非見ていってくれ!」

「へっへっへっ、おれぁ、どっちでもいける口だぜあんちゃんたち、大きいのも小さいのもそれぞれに良さがあるってもんだ」

「おおー、流石だぜ橘さん、貫禄のあるエロさだな!」

どうやら波長が合うらしく橘と言うその妖怪と三人の弟たちは楽しげに会話をし始める。一体どの様な仕組みでこちらを認識しているのかは分からないが、橘さんと呼ばれたイタチに似た動物のキャラは興味深く質問をしてくる三人にそれぞれ視線を合わせ機嫌良さそうに受け答えをしていた。


「へー、橘さんそんな事もできるんだ、最近の進歩はすげーな、まさに妖術革命って感じ」

「だろだろ? 今度あんちゃんたちにも見せてやるよ、始めてみる奴の驚く顔がまた見ものなんだこれが」

「あはは、楽しそう」

「ほら、三人ともその辺にしておきなさい、橘さんにも迷惑でしょう?」

すっかり打ち解けて放って置けばいつまでも雑談を続けていそうな三人を沙耶香が諌める。

「はっはっはっ、そんなこたーねーよ一郎さん、ずいぶんとノリの良い弟さん達で俺も話してて楽しいぜ」

「そーだよ一郎兄ちゃん、橘さんの話ってすごく面白いよ? もっと聞かせて欲しいな」

「……はぁ、まったくうちの弟たちときたらすぐに調子に乗るのですから」

と、沙耶香はいつもの仕草で頭を抱える。

「まあ、とはいえあんまり長話してるとあんちゃん達が後で怖ーい兄貴に怒られっちまうからな、この辺にしておくか」

「うん、ありがとう橘さん、またお話聞かせてね」

「おーともさ、いつでも呼んでくれ」

そう言って橘は快活な笑顔を三人に向ける、そして気持ちを切り替えるように大きく伸びをすると沙耶香の方に向き直り、幾分真剣な表情に変わる。


「……さってと、じゃあそろそろ本題に入るとしますか」

「ええ、お願いします橘さん」











「ほほー、人間と見分けが付かない式神ね、しかもえらく旨そうな生気を放ってると、ふむふむ」

沙耶香からこれまでの経緯を聞いた橘は考え込むような仕草を見せると画面上でくるくると飛び回った。

「ええ、該当しそうな術を検索していただけますか、それと学園に他の転校生や新任の教師が来ていないかの確認もお願いします」

「おうよ、ちっとまってくれな」

そう言うや否やモニターに写されていたイタチのキャラがまるで飛び込むように画面の中に消え、そしてそのまましばらく待つと真っ白な画面の中を水面から飛び出るようにしてまた戻ってくる。

「ただいまっと、一郎さん。結果が出たぜ」

橘はそう伝えると幾つものウィンドウを画面に映し出す、そして自分が邪魔にならないようにと画面の端までてくてくと歩いていきちょこんと座り込む。
沙耶香はカチカチとマウスを操作して情報を確認すると、何かに納得をしたかのように「なるほど」と呟いた。

「……わかりましたよ」

「え? もう分かったの?」

同じように画面を覗き込んでいた三人も沙耶香の言葉を聞いて驚く。

「ええ、早速説明に移りたいところですが、その前に、橘さん、もう一つだけ検索をしてもらえませんか?」

「あいよ、次は何を調べればいいんだい?」

「この少女の『本物』がどこにいるか調べてください」

そう言って沙耶香は橘に一枚の写真を見せる。

「ほほー、なるほどな、いいぜ、そんじゃちょっくら行ってくらあ」

その写真を見た橘はニヤリと笑うと、またくるくると画面上で回転をして飛び込んでいった。

「え、本物ってなんのこと?」

先程から隣で興味深げに見ていた鈴音は訳が分からないのか沙耶香に不思議そうに尋ねてくる。

「橘さんが戻ってくれば、すぐに四郎にも分かりますよ」

沙耶香がその言葉を言い終えたかどうかの所で画面上に可愛らしい動物のキャラが戻ってくる、そしてそのままなにやら嬉しそうに跳ねたと思うと沙耶香の方を見てガッツポーズを決める。

「ビンゴだぜ、一郎さん、なんと隣の県に居やがった。まったくやっこさん意外と適当なとこあるよな、俺らのことを舐めてるんじゃねえかって思うときがあるぜ」

「まあ舐めていてもらったほうがこちらとしてはやりやすいんですけどね」

「はは、ちげえねえや」

橘はそう言って笑うと画面上にいくつかのの窓を開く、そこには一人の少女のプロフィールと顔写真、そしてどこかの監視カメラが撮影したであろうと思われる彼女の姿が数枚、今日の日付と共に映し出されていた。

「え? これって、あの転校生じゃない!? それに映像の日付が今日ってどういうこと?」

「その通り、この子が『本物』の御子柴ほのかです。偽名だと思っていましたがまさか本名のままとは……、やっぱり舐められてるんですかね私達」

画面上には件の転校生「御子柴ほのか」のプロフィールが掲載されていた、しかし彼女の所属している学校は聖心学園ではなく、隣接する県にある別の高校の物であった、そしてそれを証明するようにファイルにあるほのかの写真にも聖心の落ち着いた色の学生服とは違い明るく爽やかな青色のセーラー服を着ている姿が写っていた。

「一郎兄ちゃん、これってなんなの? もしかして双子とか?」

鈴音は先程まで同じ教室で授業を受けていた彼女と瓜二つの人物が画面に写っている事に驚き、モニターをまじまじと見つめる。

「いえ、御子柴ほのかに姉妹はいません、四郎、私は先程あの転校生は式神ではないかと言いましたよね」

「うん」

沙耶香はPCに目をむけ、表示されているファイルを何枚か切り替えたと思うと、操作を止め鈴音にも見えるように席を少し横にずらした。

そのまま画面を操作して一つのファイルを開く、するとそこには過去から現在に至るまでの退魔士の使う術の効果や特徴、得意とする術者の名前まで利用者が使いやすいよう系統ごとに分類、整理された術の一覧がずらりと表示されていた。そして沙耶香はその内の一つのデータを開くと鈴音に視線を送り画面を見るようにと促す。

『剪紙模身法の術特性とその応用技術に関する研究』と題されたその文書には術の内容や派生する術式などが詳しく書かれているらしく、鈴音は一通り目を通してみたものの上手く理解が出来ず沙耶香に助けを求めるように視線を送る。

沙耶香はそんな鈴音の意図を読み取り、概要だけを掻い摘んで説明し始める。

「言わばあの術は実際に存在する人物の肉体や性格などを完全にコピーし自分の式として使役する術なのです」

「えええ? なんてうらやま、じゃない、なんて恐ろしい術なんだ」

後ろで何故か全裸になっていたすみれと葵の二人も興味深そうに身を乗り出してくる。それに気がついた沙耶香は頭を抱え何か言いかけようとしたがどうやら耐えたらしくそのまま言葉を続ける。

「もちろんそれだけではありません。鈴音は体験したとは思いますが、その式神は我々にとって抗う事が困難なほどの非常に魅力的な生気を放ちます。そしてその生気によって妖怪を誘惑し誘い込む言わば釣り餌のような役割をするのです」

「つ、釣り餌って……、じゃ、じゃあもしその餌に食いついちゃったらどうなるの?」

餌という単語から不穏な気配を感じ取った鈴音が恐る恐る尋ねる。

「ええ、我々は人間から生気を吸収する瞬間どうしても妖気を隠すことはできません、そしてその式神は自らを餌とすることで妖怪に自分自身を襲わせ、吸収の時に出る妖気を感知します」

「か、感知?」

「そして妖気を感じ取った瞬間、式神の中に埋め込まれた術が発動し、我々を捕縛するのです」

「ひぃー」

がくがくと震える三人。

「さらに」

「ま、まだあるの!?」

「ええ、術者は式神の保存している視覚情報を定期的に読み取る事ができます、つまり餌としての役割だけではなく何かしらの反応をした相手を察知する探知機としての機能もあるのです」

「えっ!? じゃ、じゃあ僕のことももうばれちゃってるかも……、僕、今朝教室に入ってきたあの人を見たときすごい驚いちゃって……」

沙耶香の言葉を聞いて顔を青ざめる鈴音。

「式神の溜め込んだ情報をどのタイミングで読み込むのかは分かりませんが、可能性としてはこの昼休み、もしくは放課後でしょうね、ですからこれからは鈴音のことは既にばれていると考えて行動するべきでしょう」

「うう、ごめんなさい、一郎兄ちゃん……」

「いいのですよ、四郎。お前は悪くありません、むしろ良くがんばりました」

沙耶香はそういって鈴音の頭をやさしく撫でる。

「それにばれたらばれたなりに幾らでもやりようはある物なのです」

「で、でもさ、今僕らが分かっているのは相手の使っている式神、いわゆる釣り餌のことだけでしょ? その例えで言うなら針を垂らしている『釣り人』の正体が分からないとどうしようもないんじゃ?」

「そうですね、その通りです。この場合水中にいる魚の立場である私達は釣り餌を見ることが出来ても陸の上で釣竿を下げている釣り人を見ることが出来ません、確実ではありませんがリスクが少ない、その点で言ってもこの式神は非常に優れた、我々にとって厄介な術だと言えるでしょう」

「じゃ、じゃあさ、その転校生から何か情報を得られないのかな? 一郎兄ちゃんたしか催眠術とか使えたよね? うまく催眠を掛ける事ができたら退魔士のことをききだせるんじゃないかな」

なにか方法が無いかと考え込んでいた葵は名案を閃いたとばかりに手を打つと、沙耶香に問いかけてくる。

「……残念ながら、それは無理ですね」

「え、どうしてさ?」

「式神である彼女は自分が餌であることすら知りません、つまり彼女はこの学園に転校してきたと思い込んでいるだけで、御子柴ほのか本人と同じ、何も知らないただの学生に過ぎないのです」

「そ、そんな……、じゃあ手詰まりってこと?」

「ど、ど、ど、どうしよう……、に、逃げたほうがいいのかな……?」

落ち着きを失い泣きそうになりながらわたわたと周りを回りだす鈴音。

「落ち着きなさい四郎、確かに厄介な術だとは言いましたが、幾らでもやりようがあると言ったでしょう?」

「え、そ、そうなの?」

「ええ、分かりやすく説明をするために今回の事を釣り人と魚で例えましたが、実際私達は魚ではありません、妖怪です」

「う、うん、確かにそうだけど」

「それに見たところ、相手はとても重大で、致命的な『勘違い』をしていますしね」

「え? え? 勘違い?」

「正直な所、少々がっかりしているぐらいです、こんなぬるい術がいまだに我々に通じると思っているのですから、はっきり言って肩透かしもいい所です」

「ええええええ!?」

普段から慎重すぎるぐらいの兄が放ったその強気な言葉に三人は目を見開き驚きの声をあげる。

「三人ともこっちに来なさい、今から作戦を伝えます」

沙耶香はそう言うと三人を近くに呼び寄せ、一人一人に顔を近づけると耳元に何かの指示を与える。

「え? そんなのでいいの? ちょっと拍子抜けっていうかなんていうか」

指示を受け取った鈴音はぽかんとした顔で沙耶香を見る。

「そんなことはありませんよ、四郎、あなたがこの作戦の鍵です。頼みましたよ」

「う、うん」

「そして二郎と三郎は作戦の詰めの部分を受け持ってもらいます。大丈夫ですか?」

「うん、でもいいのかな? こんなに簡単で……」

「言ったでしょう? こんなのは楽勝の部類に入ると」

「分かった、一郎兄ちゃんが言うなら俺信じるよ、任せてくれ、ちゃんとやってのけるからさ」

「うんうん、俺たちにまかせてよ」

すみれと葵の二人も決意を固めたらしく、しっかりと沙耶香の瞳を見る。

「どうやら、作戦はきまったみてーだな」

先程から画面上で様子を見ていた橘がくるりと一回りして話しかけてくる。

「ええ、橘さん、助かりました」

「いいってことよ、また必要になったらいつでも呼んでくれ。俺たちは仲間なんだからな」

「ありがとうございます、ええ、確かにそうです。私達は一人ではなく協力しあう『仲間』なのですから」











普通の学校よりも幾分時間に余裕のある聖心学園の昼休みもようやく終わりに近づき、思い思いの場所で昼食を取っていた生徒達が次々と教室に戻ってくる。

他のクラスと同じようにここ二年二組の教室でも、昼食を終え自分達の教室に戻ってきた生徒達は残りの休み時間を有意義に使うべく各々自分の席に戻り午後の授業が始まるまでの間、雑談や予習などをしながらゆったりとした時間を過ごしていた。


「御子柴さん、……ちょっといいかしら?」

真新しい教科書を開いて内容を確認していた転入生、御子柴ほのかがその声に顔を上げると、風紀委員長でこのクラスの学級委員でもある雨宮鈴音が机の前に立ち彼女に話しかけてきた。

「あ、うん、……えっと?」

「ああ、ごめんなさい、私はクラス委員の雨宮鈴音、よろしくねほのかさん」

「あ、こちらこそごめんなさい、じゃあ雨宮さん……でいいかな?」

「鈴音でかまいませんよ」

「じゃあ私もほのかでいいよー、それで鈴音さん、私になにか?」

「ええ、ほのかさんは転入してきたばかりでこの学園の事もまだ分からない事が多いでしょう?」

「うん、そうなんだよね、この学園って結構広くてまだ何がどこにあるのか全然わからなくて」

「……そう、それなら丁度良かったわ」

「ん?」

「放課後、もし時間が空いているようだったらこの学園内を案内しようと思って」

「え、いいの?」

「ええ、転入生に早く学園に馴染んで貰うのもクラス委員の役目だもの」

「うわぁ、ありがとー鈴音さん、これぞ渡りに船ってやつだね。実は朝ここに来るときに先生に見取り図は貰っていたんだけど、どうにも紙だと感じが掴めなくて」

「本当は授業が終わったら一人で探索してみるつもりだったんだけど、私って方向音痴だからすぐ迷子になっちゃうんだよね。だからほんとに助かるよー」

あはは、と朗らかにほのかは笑う。

周りまで癒されてしまいそうな彼女のほんわかとした笑顔に反応するように鈴音も微笑みを返すがその笑みはどこか冷たく、その瞳はほのかの事をじっと観察するように彼女の顔を捉えていた。

「……本当に、凄いものね」

「え? 何?」

「……いえ、何でもありません。では放課後になったらまたそちらに行きます」

「うん、ありがとう鈴音さん、じゃあまた後でね」

「……ええ」

鈴音はそう言ってもう一度ほのかに微笑むと涼やかな足取りで自分の席に戻っていく。



「…………」

そして先程からそんな二人のやり取りを教室の隅で注意深く監視をしている人物がいた。退魔士、早乙女千鶴である。

そ知らぬ振りをして午後の授業の準備をしながら、千鶴は意識だけを鈴音に向け術で強化した聴覚を使い会話を聞き取る、どうやら雨宮鈴音は御子柴ほのかに学園の案内を持ちかけていたらしく、放課後、一緒に校内を回る約束をしたらしい。

(……なるほど、どこかに連れ込むつもりか)

千鶴は二人の会話の一部始終を聞き終えると、静かに瞼を閉じ考えを巡らせる。

(……あちらから来てくれるのなら好都合だな)

昼休みに読み取ったほのかの視覚情報から、ほのかが壇上に立ち自己紹介をしている間、事件の関係者の中で唯一人、雨宮鈴音だけが明らかに不自然な挙動を見せていた。

昨日の出来事と合わせて考えるに現在、ターゲットは雨宮鈴音に乗り移っていると考えていいだろう。

容疑者が固まった以上、あとはどの様に相手にばれずに接近するかを考えていた千鶴であったが、その心配はどうやら無用であったようだ、向こうから罠に掛かってきてくれるというなら危ない橋を渡る手間も省け確実に敵を捉える事ができる、千鶴はそう考え頭の中で作戦を練り直すことにする。

もし妖怪が見つけられなければ最大で一週間と言う長期間、この学園で過ごす事になる。生真面目な総一郎は千鶴の身体で過ごす学園生活にこの時既にその精神をかなり削られていて、意外と早く敵の目星が付いた事で憂鬱であった総一郎の気分は少しだけ改善し、ずっと張り詰めていた肩の力を少しだけ抜く事が出来たのだった。

「千鶴ちゃーん、とーりゃー!」

と、その時、気を抜いていた千鶴に後ろから忍び寄ってきていた何者かの両手が制服越しに彼女の胸を鷲掴みにする。

「ひぃっ!?」

「ふっふっふ、千鶴ちゃん、随分と可愛らしい声を出しちゃって、そんなに良かったのかこのこのー」

突然後ろから胸を揉まれその千鶴はその不思議な感覚に驚いて情けない悲鳴を上げてしまう、そしてそんな声を出してしまった自分に戸惑いつつも後ろを振り向くと、手をわきわきとさせながら、クラスメイトの新島結花がなにやらニコニコと笑顔を向けていた。

「に、新島さん!?」

「いやー、なんかね、千鶴ちゃん朝から元気が無さそうだったから、ちょっとした景気づけって奴をしようと思って」

「そ、そう……」

「でも、なんだか少しは回復したみたいだねー、よかったよかった」

そう言って結花は安心したかのように明るい笑顔を見せる。

「ごめんなさい、どうやら心配をさせていたみたいね、でももう大丈夫、明日にはきっといつもの自分に戻れていると思う」

「そっかー、うんうん、なら大丈夫だね」

「ゆかー! またあんたは変な事ばっかりして! 気を遣うにしてももう少し別な方法があるでしょうが」

そんな結花の行動を見ていたらしく、近くで雑談をしていた三条夕子が肩をいからせて足早に歩いてくる。

「あはは、ごめんごめん夕子ちゃん」

結花は近づいてきた夕子に謝ると、もう一度千鶴の方を向いて話しかけた。

「それじゃあ私もう行くね? またね千鶴ちゃん、…………早く元気になってね」

「……ええ、ありがとう」

そう言って小さく手を振った結花はどうやら今度は夕子に目標を変更したらしく、えへへと可愛らしい笑みを浮かべながら彼女に飛びついていた。

席に戻っていく二人を見送りつつ、千鶴は気が緩んでいたとはいえ後ろから近づいてきた結花に気がつかなかったことを反省し、先程感じてしまった奇妙な感触を頭から振り払うように目を瞑り、放課後の決戦に向けてもう一度精神を集中するのであった。











新聞部の部室で三人の弟達と別れた如月沙耶香は自らの教室である三年三組に戻ると、昼食後のすこし気だるげな雰囲気の生徒達を尻目に自分の席に座りこみなにやら考え込むように頭に手を当てて唸っていた。

つり目がちの瞳をぼんやりと中空に漂わせ右手でペンをくるくると回し何かに思いをはせているツインテールの小柄な美少女、時折発せられる唸り声のような声は沙耶香が何かアイデアを練っているときに自然に出てきてしまう癖のような物であった。

そして沙耶香がそんな仕草をしているときには大抵良い考えが浮かばず悩んでいる状態であり、そのことをよく知っているクラスメイトの新宮寺水蓮は悪戯っぽい笑みを浮かべながら自分の好奇心を満たすべく彼女の悩み事について根掘り葉掘り聞き出してやろうと興味深く覗き込んできた。


「沙耶香、どしたの? そんなに考え込んじゃって」

「ああ、水蓮かー、いやちょっとね、舞台設定を考えていたの」

「舞台? へー最近の新聞部って脚本も手がけるようになったの? 沙耶香って意外と多才なんだねー」

「いや、そうじゃなくってね、うーん、どういえばいいのかしら」

頬杖を付きながらもう片方の手でペンをくるくると回し、沙耶香は話しかけてきた水蓮にどう説明をすればいいか悩んでいるようであった。

「むむ、なんだか面白い事になりそうな気配を感じる……、よしよし、ここは一つ学園の生徒会長であるこの新宮寺水蓮様に相談してみなさいな」

そういってこの聖心学園の生徒会長である新宮寺水蓮は悪戯っぽく笑う、曰く完全無欠、鉄血にして冷血、学園の支配者、下級生の間でそんな呼び名が付くほど全校生徒に怖れられているこの学園の生徒会長であるが、彼女の本性を知る人たちからすればそのような呼び名はまるで的が外れていると笑い飛ばされるだろう。

腰まで伸びているポニーテールをなびかせて壇上に立つ彼女の姿は、周りに突き刺さるような冷たく美しい眼差しに流麗な立ち振る舞いと相まって、見るもの全てを威圧しそして魅了するようなオーラを放つ、そして一度口を開けばその透き通った張りのあるその声に生徒達は無意識のうちに耳を傾け誰もが彼女に従いたくなってしまうだろう。

しかしそんな彼女の姿は言わば表向きだけの仮面のようなもので、普段気の置けない友人達と戯れる彼女は、壇上で見せる人を寄せ付けない超然とした雰囲気は欠片も無く、悪戯好きで人懐っこい彼女本来の性格を隠すことなく存分に発揮するのだった。

「……相談かあ、じゃあ取りあえず要点だけを軽く説明しておくよ」

「うんうん」

「いわゆる正義の使者って奴がね、とある学園に潜む悪を見つけ出して退治をするために身分を偽ってその学園に潜入するわけよ」

「おおっ、いいねいいね、燃えるシチュエーションじゃない」

「でね、正義のヒーローいやヒロインかな? ま、どっちでもいいけど、それでなんだかんだあってようやく黒幕の尻尾を掴む事ができて、そいつを誘き出すの、で放課後の教室でいざご対面、事件の黒幕の正体は如何にって感じなんだけど」

「言わば物語の見せ場ってとこだねー、うんうん、ドラマだったらそこで絶対CM入ってるよ、あれって私、焦らされてるみたいで嫌いなんだけどね」

水蓮は腕を組みながら沙耶香の話に相槌を打つ。

「確かに重要な所よね、でもそれがね、困った事に肝心の黒幕の役所がまだ決まってないのよ」

「ええー、普通そういうのは最初に決めるものなんじゃないの?」

「うーん、まあそうなんだけどねえ、それで、その黒幕はどんな人物が良いかなって考えてた所なのよ、こう、折角の山場なんだしインパクトが欲しいじゃない?」

「なるほどねー、ラスボス役となるとやっぱあれかなー、校長先生とか?」

「校長先生かあ、えっと、ちなみにうちの校長先生って幾つぐらいだったっけ?」

「えっとね、この前聞いたときは還暦まであと数年とか言ってたような?」

「……却下」

「えー、即却下ってひどいよー、ん? ていうか登場人物はこの学園の人たちなの?」

「まあ、そうなるかな?」

「それなら簡単じゃない、うってつけの人物がいるよ」

「ん? 誰?」

「私よ私、これでも一応生徒会長だしラスボスの役柄としてはピッタリだと思うんだ。『学園を裏から操っていたのは実はこの学園の生徒会長だった!』みたいな! それに自分で言うのもなんだけど私ってば鉄血とか冷血とかすんごいあだ名が付いてるじゃない? 失礼しちゃうよねー、こんな可愛い私をまるで冷酷な支配者みたいに扱うしさー」

「あれ? 意外と気にしてたんだ?」

「そりゃそうよ、あ、思い出した! 聞いてよ沙耶香! 昨日ね、一年生の子が生徒手帳を落としたから拾ってあげたんだけど、それで『落としましたよー』って後ろから声を掛けたら、その子私の顔を見るなり驚いて固まった挙句泣き出したのよ!? どんだけ怖がられてるのよ私!」

「ありゃりゃ、それは災難だったわね」

「それでさ、結局生徒手帳を渡せないままその子逃げちゃうし、流石の私もそりゃ凹むっつーの! だからね今日の放課後直接渡しに行こうと思って、ふふふ、見てなさいよ羽崎すみれ! 絶対仲良くなってやるんだから」

「あー……、すみれちゃんねえ……、あの胸の大きな子でしょ?」

「そうそう私びっくりしちゃった、って、あれ? 沙耶香あの子のこと知ってるの?」

「うん、ちょっと話す機会があってね。でもあの子人見知りなだけで悪い子って訳じゃないからあんまり苛めたりしちゃ駄目よ?」

「うわ、ひどいなー、苛めないってば。ちょっと後ろから抱きつくだけだって」

「そういうことをするから逃げられるのよ、まったく」

「はっはっは、何事も当たって砕けろというのが私の信条だからねー、ま、この話は続報を期待してもらうとして、それで結局の所どうなのよ私黒幕説? いいと思わない?」

「うん、確かに悪くないわね……、ありがとう水蓮、そのアイデア使わせてもらうわ」

「お、じゃあ採用ってことだね、ふっふっふ、悪の親玉かあ、そういうのもなんか悪くないねー」

「そうね、じゃあもし水蓮が黒幕だったとして、登場シーンはどんなのがいい?」

「無論、ど派手な方がいいね、うーん、そうだなー、例えばこんな感じかな」

そう言うと、水蓮は沙耶香に即興で作ったらしい台詞を身振り手振りを交えながら熱演する。

「――って、わけよ、どうよこの登場シーン」



「……ぷっ、あははは、良いわ水蓮、完璧すぎるわ、それで行きましょう」
ようやく折り返し
正露丸憑依A
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