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英雄は二度死ぬ(前編)

2012/09/04 13:50:16
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気付けば、森の中にいた。
辺りの高い木々は光の侵入するも拒むように生え茂っている。
人気は当然、少しもなかった。
居るのはただ一人、私だけ。
もうどれだけ歩いただろうか?
日は何度天を回っただろうか?

分からない

私には何も分からなかった。
考えるのを止めていた。
何か、夢を見ながら歩を進めるのみ。
その姿は、なんとも無機質。
思考を捨て、傀儡子に操られる人形の如く滑稽で…。
「こんな姿を皆が見たら、なんて言うだろう…?」
自分に投げかけた言葉に対し、自然と笑みが浮かぶ。
それは、『笑う』ではなく、『嗤う』という形容が正しい動作だった。
胸の中に痞える重荷を忘れたかったのかもしれない。
ユーモアとはかけ離れた、持ち重りのする重圧を忘れようとする空虚な努力。
そうでもしなければ、どうにかなってしまいそうだ。

私は、そうすることでしか己を保てない道化なのだな

刹那、ドス黒い何かが私の心の奥から湧き出るような錯覚を抱いた。
その得体のしれない何かは血流のように身体の内を余すことなく駆け巡り、そして脳を侵した。
そして、私は怪異に憑かれた狂人みたく、嗤い出す。
胸の痛みを消そうと、己の孤独を紛らわすために。
人は、その狂人を勇者と呼ぶ。

シンシア、そっちで待っててくれよ



………
……

かつて、世界は人間と魔族の二つの種族によって成り立っていた。
この二者は決して相容れない関係でもあった。
人間は魔族を迫害し、同時に魔族は自分たちが生きるための世界を渇望した。
そして時が経つ中、一人の魔族が地に降り立つ。
その者の名はピサロ。
彼は世界を魔族のものにするべく立ち上がった。
他者の追随を許さぬその圧倒的な力により、人間の滅亡は時間の問題のように思われた。
だが、その覇業はならず。
己を滅ぼしうる唯一の存在である、勇者が消えなければ世界は握れなかったのだ。
彼は勇者を滅ぼさんと、あらゆる障害を人の子にぶつけた。
しかし、勇者は時に人の助けを、時に己の力を以てその試練を乗り越えた。
最後には成長した勇者により魔王ピサロは討たれ、そして世界は光を取り戻した。
…今になると、思う。
結局、私は何のために戦っていたのか、と。
世界には光が、人々には笑いが再び戻ってきた。
だが、戻らないものもあった。
それは、『大切な人の姿』。
私にも、大切な人はいた。
そう、確かにいたのだ。
その人は私のため、世界のために儚くも命を散らせていった。
そして、私は世界を救った。
シンシアは戻っては来ない。
私にとって、親友であり、姉であり、母でもあった人だった。
あらゆる女性の特性を持った、神秘的な存在だった。
激しい戦いの中で忘れていた、その大事な人を失くした喪失感が平和な日々を取り戻した頃、私の胸の奥底から押し戻ってきた。
眠りから覚める度、考え事をする度、自分が勇者であることを自覚する度に彼女の面影が脳裏に付きまとうのだ。
それと同時に、私は時間と共に彼女の姿を忘れて来ていることを感じていた。

思い出せない。

血溜りに沈んだ、紅い彼女の姿しか、思い出せなかった。
今もそうだ。
静かな森の景色に、昔彼女と歩いた森の記憶を重ね合わせようとしても、シンシアの無垢な微笑みだけが消えていた。
朧気な記憶に隠れた彼女の笑顔が、私には分からない。
独善的な言葉とは裏腹に、彼女の存在を否定している自分が許せなくなり、私はいつもの償いを始めることにする。
丁度、行先に見つけた小さな泉もあった。
私は、そこで何時ぶりかも知りえない休憩を挟む。
草の上に腰を下ろし、水面に移った自分の顔を覗き込む。
木々の間から差し込む僅かな光と清水が合わさり淡く輝き、やつれた男の顔を揺らめく水鏡に浮かばせる。
私はその酷い顔をまじまじと見つめたまま、呪文の詠唱を始めた。
それは、私と彼女を結ぶ思い出の魔法だった。

変身呪文(モシャス)

呪詛と共に、身体から立ち上がる煙が拓けた視界を覆い隠す。
が、それも数秒のことである。
白煙は空に帰化し、泉には一人の可憐な少女の顔が残っているだけだった。
若草色の艶やかな長髪に、同色の瞳、それにエルフ族特有のトガリ耳。
シンシアだ。
消えかけていた彼女の面影が色を帯びる。

そんなことはなかった

彼女に良く似た少女の浮かべていた表情。
それは微笑みとは程遠い、陰鬱な、病んだものだった。
…足りない。
大事なものが欠けている。
そして道具袋からあるものを取り出す。
血赤染めの羽帽子。
そして彼女の、形見。
まだ少年だった頃、私が彼女の誕生日に贈った白の帽子だった。
『白と彼女の草色の対比は雪の中で春を待つ芽のように美しく映えるだろう』。
そう思って、贈ったのだ。
彼女も気に入ってくれたのだろう。
最後の瞬間までこの帽子を手放さなかった。
今では土と血で鈍った白が、水面の中で若草の髪を汚雪で覆うようにのる。
これで、かつての彼女と全く同じ姿だ。

分かっていた

こうして何度も何度も同じことをして、そしてその度にどうしようもない事実に愕然とする。
顔も、身体も、服装だってあの時と同じなんだ。
でも、何故だ。
シンシアは、笑ってはくれない。


………
……

我に返ると、続けて激しい自己嫌悪に陥る。
泉の中の『他人の自分』の視線を受けて初めて、自分のしたことを冷静に認識できるようになった。
乱れた藍染のワンピース、火照った身体、そして指先に残る粘液性の滑り。

また、やってしまった

その行動の意味は、亡者への冒涜。
私は彼女の意思に反して、いや、そもそも本人が知ることもできぬ方法で彼女を穢してしまったのだ。
彼女は、空虚に私を見ていた。
侮蔑、悲哀、憤慨、失望…。
負の感情が無秩序に入り混じり、私を苛む。

――彼女の形を真似て、自分の欲望の捌け口にするなんて

手淫の余韻を残すように、愛液が臀部を空に突き上げるようにして震える肢体を無造作に流れた。
「最低、だ……」
自己罵倒の言葉の、声までもがシンシアの影を纏っていた。
美しい歌を聞かせてくれたあの声と同じ声色。
しかし本物をは似ても似つかぬ、機械じみた、抑揚に欠けた声だった。
私は耐え切れず、身を包む魔法を解除する。
そして姿も見えぬ、誰かの眼を逃れるように泉を後にした。
「シンシア、シンシア…シンシア……」
行く先など、ない。
虚しく地の上を彷徨する。
ただ死に逝く者が死場を求めるように……。


私はなるべく考えるのを止めるよう努めた。
その行為の意味は、自分でもよく分からない。
そうすることで自己の崩壊を抑えようとしたかったのかもしれない。
そんな有様で、私は心を過去の反芻のみに向けて、ひたすらに何処かを彷徨った。
魔王が生きていればこんな虚しい旅は到底できる訳がない。
魔物に喰われて死ぬ、というのも悪くはなかったのだが…。
そう考えると、勇者の偉業はなんとも無益なものだろう。
平和を築けても、己自身の願いすらも叶えられないのだから。

いや、私の願いはもう何もなかったのか

あの運命の日、私は全てを失ったのだ。
とすれば、『死』は願いではなく自然の摂理、か。
糧を得られぬ生物は時と共に餓死に至る。
希望を失った英雄もまた…。
歪んだ真理が、脳裏に痺れるように鮮明に焼き浮かぶ。
そう、自然なのだ。
死すべくして死ぬのだ。
すると何故だろう、心身に圧し掛かっていた何かが不意に軽くなった気がした。
同時に、私の胸に確かな意思が生まれる。
勇者としての使命を終えた瞬間から始まった心の不在感が、初めて埋められた。
そしてまた、その意思の芽生えは私に確かな結末を突きつけてくれた。

次に行き着いた所、その場所で

終わりを迎えよう



………
……

まだ見ぬ墓地への憧憬を、悲壮な僥倖を胸にただひたすらに歩いた。
そしてまた何日かが経ったある日。
私は、行き着いた。
終わりの、地に。
そこはなんとも言えない、異様な空気に包まれた土地だった。
始めに鼻腔にまとわり付いたのは鉄の臭い。
それに混じる、火事場跡にも似た、焼けた木の焦げ臭さ。
その違和感は嗅覚だけに留まらない。
聴覚で感じる、白昼の山にしては深すぎる静寂。
視覚で感じる、辺りの長閑な自然との調和を乱す荒れ果てた大地。緋色の川。
そこは村の跡だった。
以前までは、人々が暮らしていた場所。
そして今は、何も、ない。

私の、せいで

「よりにもよって、ここに来るとはな……」
運命の悪戯に弄ばれる、小さな自分を嘲笑うかのように一笑する。
勇者としての始まりの地。そして終わりの地。
気づかぬ内に、私は帰ってきたのだ。
あの日、魔王軍によって滅ばされた故郷に。
……視界を遮る遮蔽物が綺麗に焼け落ちた、その村の景観はなんとも殺風景だった。
それと、かつての、心温かな人間たちのいた姿とを重ね合わせながら私は棒だけになった門を潜った。
小さな村落の変わり果てた姿を無機質に眺め、一回りする。
思い出の中の面影は何一つ残ってはいなかった。
初めから知っていたことだ。
それでいて、改めて向き合う真実は残酷だった。
記憶の影との距離は、決して縮まることはない。
そのことを、痛感した。
足は自然と廃墟の中央へと運ばれる。
人と魔族の血で汚れた大地が毒の沼と化していた。
噴出す瘴気を踏み越えていく。
毒が身体を蝕むが、苦痛は感じなかった。
この弱った身体には、もう痛みも感じる猶予もないのかもしれない。
私は進む。
歩くたびに、視界が霞む。
その白のぼやけが、眠る時の現と夢との間の空白を思わせる。
一歩、また一歩。
力の入らない四肢を意思だけで動かす。
そして、辿りついた。

かつての、花畑。

瘴気にあてられて、花は残らず死んでいた。
今や枯れた茎も残っておらず、他の荒地と区別もできない。
でも、分かる。
ここは彼女の思い出だ。
そして、彼女の身体が眠る場所でもある。
その土の盛り上がった所に歩み寄る。
そして、力なく、足を折り、倒れた…。
……寒い。
身体が言うことを聞かない。
まるで、自分の意思と切り離されたかのようだ。

これが『死』か

誰もが最後に経験することだ。
今、私にもその時が来たのだ。
眠くなってきた。
ものを考えるのも億劫になってきた。
…眠ろう。そう言いたい。
だけれど、まだ一つ心残りがある。

花が、あれば良かったのに

あの時みたいに、綺麗に咲いた花の中で死にたい

その時、私は見た。
鮮やかに咲く、一本の花を。
朦朧とした視界の中で、確かに見つけた。
「クチ…ナシだ……」
こんな場所でも、花は咲けるのか。
私はその花の純白を遠くなったまなざしで見つめた。
クチナシの花言葉。誰かが言っていたな。

『その花は、幸福、楽しい日々を示しているんですよ』

戦友の声が、不意に聞こえた気がした。
神官剣士であった彼。
聖職者の言葉が一筋の光明を私に与えてくれる。
「連れて行って、くれるかい…?私を、あの楽しかった日々へ……」
クリナシの甘い香りが鼻を撫でた。
もう、十分だろう。
私は、瞳を閉じる。
一本の花に見送られて私は旅立つ。
瞼の裏にはシンシアの笑顔が、あった。


※ ※


「ユ……」
…誰かの声が、聞こえる。
「ユ……ル」
抜かるんだ泥の中に沈む彼の意識に、誰かが語りかけている。
「ユー……ル」
蒙昧とした思考の中で、彼は聞いた。自分の名を、呼ぶ声を。
「ユーリル!」
頭の下にあった何かを、不意に引っ張られる。
続けて、頭が軽くなった錯覚を覚えた。
が、それも一瞬。そのまま支えを失い、彼は無様に首からベッドの柔らかい地に落ちてしまう。
脳を揺さぶる激しい衝撃で、一気に意識が覚醒した。
「急に何をするんだ…」
彼の思い当たるに、こんなことをするのはアリーナあたりだろう。
眠気眼を開くのに苦闘しながら、横にしていた身体を起こそうとする。
すると、指を柔らかな絹地が滑る感触がした。

――ベッドで眠っていたのか

不自然な違和感が、彼を掠める。

――私はさっきまで、何をしていた?

先刻までの記憶を思い出そうとする。
が、その思考を遮るものが一つ。
「こら!寝ぼけてないでさっさと起きる!」
芯の強そうな、女性の声。
聞き覚えのある、声。
彼は眼を剥く。

若草色の、髪と瞳。
エルフ族の、尖った耳。
頭の上の、羽根帽子。

勇者ユーリル。
彼はその日、亡霊に出会った。


※ ※


ベッドからたたき起こされ、だらしのない寝巻きを奪われ、装いを正されて、そして今彼はテーブルの前に座らされている。
その間全て、数分の出来事である。
座り心地の良い木造の椅子の上で、ユーリルは亡霊を呆と見つめていた。
シンシアが、焼け落ちてなくなったハズの彼の家の台所に立ち、炊事に勤しんでいるのだ。
ありえない。死者と出会うなど。

――ここは、何処なのか

答えのでない疑問がのしかかる。

――私は、死んだはずなのに

記憶を整理しながら、彼は考える。

――まさか…

思考を進めると、ある種の確信が頭を過った。
が、それも暫く、彼は現実へと呼び戻される。
何時の間にか隣に立っていたシンシアに、頬を突付かれたのだ。
虚を突かれたユーリルが驚いた様子を示すと、可笑しそうに彼女は笑う。
その華奢な肩と共に、新緑を映した髪がゆらゆらと揺れていた。
彼女はスープの入った皿二つテーブルの上にを置く。
続けてパンをバスケットの中から取り出すとユーリルの手に丁寧に乗せた。
慣れた手つきである。
それら一連の動作を終え、そして向かい側の席に自らも腰を下ろす。
「おはようユーリル。眠気は取れた?」
当のユーリルは無言のまま湯気を立てるスープをまじまじと見つめている。
そして、スプーンで一すくい、口に運んだ。
舌先で味を確かめながら、喉を大きく鳴らし、飲み込む。

――間違いない、シンシアの野菜スープの味だ

「スープが何か変?」
その様子を眺めていたシンシアは、不思議そうに口を切る。
ユーリルは、何も言わない。
ただ目の前の亡霊の顔をじっと見つめた。
そして暫く、徐に口を開いた。
「……今、私がいるのはあの世か何かなのか?」
場に、一瞬の沈黙が訪れる。
その静寂を破り、彼女は重々しく言った。
「……ちょっと、外に行って顔を洗って来たら?」


※ ※


「ここは、一体、何処なんだ…」
外へと出た彼は、眼前に広がる世界に対し思わず言葉を漏らした。
並ぶ、素朴で簡素な作りの家々。
朝日を受けて輝く、澄んだ小川。
様々な彩の花が咲き乱れる花畑。
その全てが既知の存在である。
あの日、滅んだ彼の故郷を鏡に映したように、寸分違わぬ有り様だった。
当然、井戸の在り処も彼の記憶の通りであり、顔を洗うことは容易く済んだ。
冷たい水が、淀んだ思考を解してくれる思い、彼は念入りに自身の顔を水をぶつけた。

――あの世ではないのか?

――死後の世界で、生前と同じように暮らしていると考えれば納得できる

その間にも、彼は考える。

――だが、それにしてはおかしい

もう一度、彼は水をすくいあげ、頭を冷やす。

――第一、死後の世界のイメージとはあまりにもかけ離れている

――シンシアも、魂だけの存在とはとても思えない

「よう、ユーリル。今日は早いじゃねぇか」
背後から、突然野太い男の声が聞こえてきた。
ユーリルが振り返ると、そこには一人のあらくれものが立っていた。
「そういや、さっきシンシアが出かけていくのを見たが…なるほど、そういうことか。ガハハハ!」
厳しいマスクを震わせ、あらくれものは笑う。
「若いってのは、いいねぇ」
そしてユーリルを大きな腕で肩を二、三度強く叩いた。
「おぉ、硬い硬い。知らない間に筋肉ついたな?やっぱり若いってのはいいなぁ!ガハハハ!」
陽気に騒ぎながら、男は井戸を離れていく。
去り際に一度だけ、振り向くと愉快そうに叫んだ。
「アレだ!間違いを犯すなよ?…まぁ、やる時は宿屋でも使ってやれ、あそこは外来者がいないんで、さっぱり利用者がいないからな!」
まさしくユーリルの良く知る、とあるあらくれものの、かつての姿だった。

――あれも、亡霊、なのか?

――いや、そうにも思えない

そのやり取りで、ユーリルは自らが打ち立てた死後の世界説を放棄するに至った。
すると、疑問は余計に大きくなる。
頭を抱えながら、彼は自宅へと戻る。
その途中にも、多くの知人に出会った。
「あ、ユーリル。朝から散歩かい?」
「ユーリル。明日はそなたにライデインを教えてしんぜよう!」
「あ、ユーリル。この村の宿屋って、存在意義があるのでしょうかね…?」
皆、彼の知っている人間たちである。

――私は、どうすればいいんだ

その念だけが、彼の胸の中で強く根を張っていた。

食事を終えてからも、ユーリルの困惑は晴れなかった。
彼は始終現実を疑い続けていたが、そんな折に、驚くべき話題が語られることとなる。
「さぁ。準備もすんだし、行こうよ」
何処に、と簡易な返事を返すと、シンシアは語気を強めて驚く仕草を示した。
「何処へ、て。約束してたじゃない!?」
それは彼の記憶に覚えのない話だった。
それ故、彼女の言葉の内に含まれた怒りに彼は口を噤んでしまう。
シンシアは言葉を続けた。

・・・
「一昨日約束したじゃない!『二人で山を歩こう』て、忘れたの!?」

――刹那、雷に似た何かが彼の頭を激しく打った。

衝動的に目の前の少女の肩を強く掴み寄せる。
突然のユーリルの行動。
若草の髪は大きく揺れ、困惑した瞳が向かい合った。
「ゆ、ゆ、ユーリル……?」
「……シンシア!」
当惑の声にも応じず、彼は短い言葉で問いた。
「今日は、何日だろう……」
「え?」
「教えてくれ…お願いだ」
彼は答えを請いた。
その姿一つの可能性にすがる様に、必死。
「き、今日は……」
続けて彼女の口から紡がれた言葉を聞き、彼は確信に至る。

――時間が、戻っている


突然彼は、大きく笑い出した。
この上なくほがらかに笑う。
そして掴んでいたエルフの少女の肩を、その体で強く抱きしめた。
「え、え………?」
腕の中で、シンシアが狼狽の声をあげる。
だが、彼は抱擁を解かない。
ただ、彼女の吐息、髪の香り、抱いた身に返る柔らかさの全てを感じ取っていた。

――私は戻ってきたのだ

――あの日に


※ ※


山道の二人の散歩は気まずかった。
両者とも、別に疚しいことがあったわけではない。
ただ、場の流れで抱擁を交わしてしまったことで、互いに振る舞いに困っているのだ。
「いつもより、山が静かだね」
年上としての余裕を見せたかったのか、自然を装おうとシンシアは硬く笑った。
「そ、そうか?私はそうは感じないけれど…」
言葉に困ったユーリルは、当たり障りのない返事を返すことにした。
すると、きょとんとした表情を浮かべるシンシア。
噴出したように爆笑した。
「な、何がおかしいんだ!?」
シンシアは腹をかかえて、なおも笑う。
「だって、その『私』て言い方がすごく合ってないんだもの!」
一人称が変、というのには理由があった。
ユーリルは故郷にいた頃、自らを『俺』と呼んでいたからだ。
「大人の真似なんかしたって、ユーリルはひよっこユーリルのままよ?」
かつてもした、やり取りだった。
懐かしさと、その日々を再び取り戻したという事実を喜び、彼は童心に返ることができた。
「なんだと!」
シンシアの羽根帽子を上から押し付け、髪に押し付ける。
「やめてよ。髪が乱れちゃうじゃない!」
「こら、待て!」
走り出すシンシアを追いかけ、ユーリルは山をひたすらに駆ける。
気づいた時には、もう日が沈み始めていた。
「こうして寝っ転がっていると、とてもいい気持ちね」
草のベッドの上に寝転がり、シンシアは赤い空を見上げていた。
隣のユーリルも彼女と同様に草の上で大の字になって寝ていた。
「あぁ、穏やかな気持ちになれていいな」
暫くの沈黙。
「ねえ、ユーリル…」
徐に、シンシアはつぶやく。
「私たち大きくなってもずっと、このままでいられたらいいね」
変わらぬシンシアの言葉だったが、不思議な雰囲気を纏っていた。
それを、青年は黙って聞いた。
「私ね、最近夢を見るの」
「大人になった私たちが、この村でいつまでも幸せに暮らしている夢……」
風が草原を走り、草木を穏やかに揺らした。
「私ね、この村が大好き!ユーリルのことも大好き!」
気づけば、彼女の白い手が自分の腕を掴んでいた。
「だから、いつまでも一緒よ。ユーリル…一緒に……なろう…」
起き上がった彼女は、彼に覆いかぶさるように体を重ねる。
二人の顔が近くにあった。
シンシアは彼いの顔をじっと見つめ、そして目を閉じる。
ユーリルも、何をすべきかは心得ていた。
顔をゆっくりと近づける。

――彼女を、穢して、いいのか

心のどこかで、理性が警鐘を鳴らす。
彼は冷静になり、己の行動を止めた。
「…ユーリルは、ダメなの?」
開かれたシンシアのグリーンの瞳が、悲しそうに彼を見る。
目の端が夕日を映してうっすらと赤く輝いていた。
「今は、ダメだ。…ごめん」
シンシアは首を横に振る。
「もう、帰ろ?おそくなっちゃったね」
二人は、村へと下りていく。
そして村に着いき、互いの家へと分かれた。
何事もなかったように、ことは済んだかのように見えた。


※ ※


満点の星が輝いていた。
その星明りの下に、青年はいた。
剣を高く構え、木の一本と対峙している。
全身からは、緊張した空気を放っていた。
呼吸を整え、剣先に気を送るように集中すると、彼は裂帛の気合を込めて一閃を振り下ろす。
銅の剣が唸りをあげ、硬い木を縦一文字に切り裂いた。
続けて体を回し、横に一振り。
更に返す太刀で斜めに剣を振るう。
巨木は一瞬の内に形を変えていた。
大きな音を立て、大地に幹を落とす。
その無残な木片を拾い上げ、青年は呪文を紡ぐ。

「最上級治癒呪文(ベホマ)」

淡い光が彼の掌に集まり、切り刻まれた木へと流れ込んで行った。
見る見る内に、木の死体は体を取り戻し、元の姿を取り戻す。

――やはり、力は残っている

――死ぬ前の能力を残したまま、私は身体一つ持って過去に戻って来れたのだ――

――後は、それなりの武器さえ揃えば

「過去を、救える」

青年、ユーリルは汗の滲んだ顔を大きく歪めて笑う。
彼はある作戦を考えていた。
今、彼が存在する場所は過去の世界である。間違いないだろう。
時を遡るという力は、導かれし者が女神より与えられた力だ。
魔物との戦いに傷つき、息絶えても、時間を戻して復活することができるのである。
だが、運命の加護は極めて近い時間、己の生死を分ける運命においてのみ力を発揮する。
これほどの長い時をかけたことは、一度もなかった。
それ故、今自分がこの時に蘇ることができたかは分からない。
だが、実際彼は存在するのだ。
それも、デスピサロを倒し、世界を救った勇者ユーリルの力を持ったまま。
ならば、過去の救済彼は、過去の清算のチャンスを得たのだ。
それはつまり、全ての人間を救う可能性が残されているということではないのか。

「……私は守ってみせる」

――自分の大切なものを

自身の力に耐え切れず、刀身が根元から折れてしまった銅の剣の柄を強く握った。
すると金属製の剣はガラス細工のように木っ端微塵に砕け散る。
後には、手の中には何も残らなかった。


※ ※


一通りの訓練を終えた後、彼は不意にシンシアの顔を思い出した。
別れ際の彼女のなんとも言えない表情が忘れられないのだ。
取り繕った笑顔の裏の哀愁を。
「まだ、起きているかな…」
汗を洗うと、ユーリルは彼女の家へと足を運んだ。
一人暮らしの少女の家には光がなく、暗かった。
もう眠っているのだろう、そう結論を下し、彼は来た道を戻ろうとした。
が、家の中から聞こえてきた誰かの声で、足を止めた。

――中に誰かいるのか

だが、異様だった。
この時間に、何処の男が女性の家に入っているのか。
ある種の不安が胸に芽生え、彼は失礼ながら家の中へと足を踏み込むことにする。
戸は開いており、侵入には用意だった。
足音を殺し、『誰か』の下へと近づいていく。

「……シン、シア。好き。シンシア」

――いた

男の唸るような声。
彼は得体の知れない男の顔を月明かりの下で見た。
そして、同時に己の目を剥いた。

――私が、いる

碧色の長髪。旅人の服。スライムを模した両耳のピアス。

鏡写しのユーリルが、シンシアのベッドの上で。

自慰行為に、耽っていた。

だが、ユーリル本人にとって、もう一人の自分の存在は大した問題にならなかった。
本物の自分がここにいる以上、目の前にいる自分は偽者である。
そう考えれば、自ずと答えは出てくる。
シンシアは、とある呪文の勉強をしていた。
その呪文は以前の世界で、勇者の命を救うべく影武者の術として力を成した。
自らの姿を別の姿に模写する術、モシャスである。
おそらく、あそこにいる彼は、シンシア本人だろう。
本来ならば、驚くべき事態だ。
幼馴染の少女が自分の姿を借りて耽っているなど、考えられない。
だが、彼自身にもそうした行動を行う気持ちは理解できなくなかった。
「シンシア!君の、ここ、気持ちいいよ…」
同じ声、同じ姿をした自分が、高まっていくのが見えた。
「中に、出して、いいかな…。もうダメだ。好きだ、シンシア。シンシアぁ!」
偽者の体が、大きく震え、そして力なくベッドに倒れこむ。
ユーリルは物陰から姿を出し、荒く息する自分と向かい合った。
「ユー…リル?」
その虚ろな目と交わると、『彼』は驚いたように眼を見開いた。
「や、やめて……みないで!みないでぇ!」
『彼』は化け物と会ったかのように身を強張らせ、恐怖に駆られベッドの奥へと逃げようとする。
やはり、間違いなく『彼』はシンシアだ。
その挙動を見て、彼は『彼』の腕を掴んだ。
「いいんだよ、シンシア……」
怯える自分の顔を優しく撫で、彼は呪文を呟いた。

「変身呪文(モシャス)」

瞬間、魔力の煙がユーリルの身体から吹き出る。
濃厚な魔煙が気化するとともに、『彼』は自分の腕を掴んでいた者の変化を感じ取り、表情を変えた。
そこにいたのは、『シンシア』だった。
「これで、あいこだよ」
『彼女』は悪戯っぽく微笑み、『彼』をベッドに組み伏せた。
「な、何で、私がいるの…?」
本来の自分の姿を映したエルフの少女に、『彼』は驚きを隠せなかった。
「オレも覚えていたんだよ。君と同じようにね」
服装までも模倣した『彼女』はソプラノの声でクスクス笑う。
そして、肉体の年相応に膨らんだ二つの丘を見せ付けるように、上体を相手の胸に押し付けた。
「ちょ、ちょっと、止めてよ!ユーリル!」
青年は顔を赤らめ、抵抗しようとするが強力な力で押さえつけてられ、かなわない。
少女の華奢な身体からは全く想像できない程だ。
「違う。私はシンシア。貴方がユーリルでしょう…?」
頬を桃色に染め、『彼女』は蠱惑的な甘い声で囁く。
盗んだ姿。盗んだ声。盗んだ色香。
それら全てを本人以上に巧みに用い、『彼女』は『彼』を誘惑した。
ユーリルという青年を知る者にとって、それは想像もできなかった行動である。

――今までだって、何度もやってしまっていた

以前の世界で、彼の中には二つ彼女に対して謝らなければいけないことがあった。
一つは、自分のために命を失わせてしまったこと。
これはある意味で彼女を殺したにも等しいことだと、彼は平生考えていた。
二つ目は、死者であったシンシアという人物を冒涜したことである。
モシャスの呪文を覚えてから、彼は彼女の影を追うたびに彼女の姿で、自らを慰めていたのだ。
…ちょうど、今さっきまで彼女が『彼』として身体を慰めていたように。
その罪の意識が、先ほどの戯れを横から盗み見ている内に蘇ったのである。
過去の冒涜を、そして彼女の行為をも受け入れ、許そうとした。
自らも彼女の姿を盗んで戯れることで。

――私と君は、似ていたんだな

「ねぇ、ユーリル…。さっきの答え、聞かせてくれる?」
他者として、自分の名前を呼ぶことに妙な錯覚を抱きながら、『彼女』は誘惑を続けた。
『彼』の首筋に細い指を当て、甘い吐息を吐きかける。
垂れる髪は下に寝かされた『彼』の頬にかかり、柔らかく擽る。
そしてその髪から出る、柑橘系の乙女の匂いが鼻腔を刺激する。
男の身体ならば、これら一連の動作がどれほどに効くかは、『彼女』自身がよく理解していた。
実際、『彼』の股間あたりに乗せた、女性の柔らかな臀部の下から当たる硬い感触がよくよく伝わっている。

――後一息だな

「お願い。キス、して……?」
自然と、涙腺が緩んで目の端から涙が流れていくのが分かった。
『彼女』は縛めの力を緩め、目をつむった。
そして、身体を起こした青年が、両者の位置を逆転させて、上に乗った。
男の身体で自分を組み伏せ、荒々しく桜色の唇に自分のものを重ねる。
予想よりも乱暴だったことに驚き、抵抗しようとした『彼女』を力の限り抱きしめ、味わい尽くす。
息が続かないほど、長いキスだった。
永遠にも思える時間。
月明かりが一筋差し込む世界で、男女の営みだけが生きた音を残していた。
互いを確かめるように、貪欲に交わす接吻。
次第に、男の舌使いが積極的になってゆく。
その変化を口の中で感じながら、『彼女』は女として身を任せた。
二人の立場は逆転する。
『彼』は男の腕で彼女の華奢な身体を強く抱きしめた。
「…もう、ユーリルでも私でもいい……」
唇の繋がりを解いた男は、獣のような息遣いを喉の奥でかみ締めるように唸る。
……男の眼。
タガの外れた眼が、息もつかぬ『彼女』に向けられた。
「…いい、君なら、いいよ…」
了解を聞くよりも先に、『彼』は『彼女』の衣服に手をつけた。
不器用な動きで、白のワンピースを奪い取る。
指は興奮と緊張で震えていた。
静かな衣擦れと共に、ゆっくりと身体を隠すものが取り去られる。
熱い体の火照りに耐えながら、『彼女』は『彼』に従った。
抵抗もせず、ただ女として、男の欲望を受ける。
「私の身体なのに、こうして見てみると結構キレイ……だね」
気づけば、胸と恥部を隠す下着一枚ずつを残し、女となった自分の身体がベッドの上に晒されていた。
硬い指で彼女の頬を優しく撫で、『彼』は女体を爪先から頭の天辺までまじまじと見る。
そこまで来て、『彼女』の胸に羞恥心が不意に芽生えた。
言葉を正せば、羞恥心は元よりあった。
芽生えたのは、女の心か。
身体に注がれる視線に耐えられず、薄い衣一枚だけとなった女性の部分をそれぞれの手で隠そうと試みた。

――バカ、何をやっているんだ私は

――こんなことしたって、しょうがないのに

――第一、私は男だぞ

――これは演技のはずなのに

――これじゃあまるで

顔が赤くなる。

――まるっきり、女じゃないか

意識した瞬間、身体の奥底に火がつく。
そんな比喩が合う、熱い感覚を『彼女』は覚えた。
何も、女の身体で戯れるのは初めてという訳ではない。
それ故、『彼女』は自分の身に起こった熱は既知の存在である。
だが『彼女』狼狽した。
男としての尊厳と、女として羞恥が事実を否定しようとする。

――濡れてるなんて、知られたくない

そんな胸中とは裏腹に、下着は早くも湿り気を帯びてきていた。
止め処なく溢れる愛液だけは、どうしても見られたくない。
劣情を悟られぬよう努める女の様に『彼女』は下着を手で覆い隠す。
「ユーリルってば、恥ずかしがって…カワイイ……」
皮肉にも、その仕草一つ一つが『彼』をより愉しませることになるとは知らなかった。
下手な作為を加えた所為で、却って恥部への視線を集めてしまうこととなった。
「恥ずかしがらなくてもいいんだよ…今は、二人っきりなんだからね…」
『彼』の手は股下へと伸びる。
そして『彼女』の手を掴み、抵抗を止めるよう促す。
その間にも、下着への浸液は次第に深まっていた。
片手では間に合わないと感じた『彼女』は胸部の守りを外し、下に回す。
が、これも誤算であった。
『彼』は目標を素早く切り替えると、無防備となった胸部の衣に手を掛ける。
「あ……ダメ…!」
その言葉も虚しく、衣一枚はいとも容易く奪い取られてしまった。
裸となった上半身。
『彼』は目の前に現れた乳房を、荒々しく揉み始める。
「い、痛いよ、シンシア……」
苦悶の表情を浮かべる『彼女』。
だが、『彼』は手を休めるどころか、執拗に双球を弄び続ける。
「でも乳首、立ってるよ。ユーリル…」
硬くなった先端部分に、舌を這わせる。
「そ、そんなころ…あ、あぁぅ…や、やぁ……!」
自慰の時には得られなかった、未知の刺激が『彼女』の身体中を電流のように走った。
快感が荒波の様に押し寄せ、脳を侵してゆく感覚を知る。
「ふふ…気持ちいいの?」
その様子を見ながら、『彼』は舌による愛撫をより激しくする。
「あ!ふぅ、ヤ、だ…あたまが、くふぅ…とけちゃ…うあぁ……」
身体が言うことを聞かなくなっていた。
快感に耐えるように、ベッドのシーツを強く握ることしかできない。
「下の方も、もういいかな……?」
パンツに手を掛ける。
『彼女』はと言うと、性感に飲まれて抵抗する気力も出なかった。
「濡れてるね……。ユーリルの、H」
股間部だけ色の変わった白を暗闇の中で確認する。
「や、やめて、言わないでよぅ……」
隠したかった秘密を見られて、『彼女』は恥辱で胸が潰れそうになるのを感じた。
恥ずかしさに、眼の端から涙が零れてくる。
「泣かなくて大丈夫。別に、恥ずかしいことじゃないんだから…」
涙目の『彼女』の頭を軽く撫でる。
「だから、もっと気持ちよくなろう……?」
下着越しに、指を秘裂に沿って上下に動かす。
元々自分の身体の所為か、性感帯を知り尽くしているように攻めてゆく。
「ふああぁぁぁん……」、
『彼女』も腰を震えさせながら、嬌声を上げていた。
「そろそろ、パンツも脱ごうか…もうグチョグチョになってるね」
最後の一枚を太ももの位置まで下ろす。
「暗くてイマイチよくみえないけれど…こんな感じになっていたんだ、ココ…」
そして、自分の花弁に、口を当てた。
滴る愛液を、すするように女陰を味わう。
「いい…、いいぃ……」
弓なりに身体をしならせ、体中で快感を受け止める『彼女』。
「んちゅ…じゅる……もう、ユーリルも夢中になってるね…」
すると、突然秘所から顔を離してしまった。
「ど、どうしたの……?」
『彼女』は潤んだ瞳で、相手を見つめた。
その様子に『彼』の男心が揺れ動く。
「…こっちも、少しは愉しませてもらいたいじゃない?」
そう言って、ベルトを外し、ズボンを脱ぐ。
下着まで一気に引きおろすと、そこから怒張した男の象徴が姿を現した。
血液の集まった肉の棒はその呼吸に合わせて震えている。
真っ直ぐ立ったその姿は、『彼女』自身が知るものより二周りも大きく見えた。
「なんだか、凄いことになっちゃってて。…どうにかしてくれる?」
「そ、それは……」
『彼女』は逡巡した。
他人としての立場から、自分の性器を触るという行為は受け入れ難い。

――演技だったはずが、何時の間にかシンシアに主導を取られるとは…

――女みたいに喘いで、バカみたいだな私は

――しかし、その快感を肯定しようとしている自分もいる

『彼女』は悩んだ。
自分の心が、演技なのか、それとも本心から来る欲求なのか、区別できなくなってきた。

――だが、私は元々男だ

――男なのに、こんなことができるものか

男としての心が、欲求を押しのけようとする。

――女としての譲歩はしてきたが、流石に男のものなど触れない

――でも、待てよ…

――最後には、やはりこれを私の中に…するんだろう

――女として

『彼』の股間にある、いきり立つ男を見ていると恐怖に近い感情が湧き上がってきた。

――こんな大きなものを、私のあそこに……

――怖い

かつて魔物の大群を切り抜けてきた勇者さえも、その恐怖は抗い難いものだった。
「ユーリル…お願い……」
戸惑っている『彼女』の膣に指を浅く入れて描き回す。
「あぁん…。や、やめろよ…ふぅ…ぁ…」
甘い快感が『彼女』の男の心を溶かそうと、燃え上がる。
「嫌。してくれないと、やめないから」
巧みな動きで翻弄する。
「う…あぅ……わ、わかったから……」
しかし、『彼』の指は止まらない。
「本当に?」
「ほ、ほんとうだからぁ…くふぅ…」
念入りに答えを聞き、そして漸く指を抜き放つ。

――これでは、性奴隷の女みたいではないか

――とはいえ誘ったのも私だ

――こうなったら、行くところまで行ってやる

――私はシンシア、ユーリルの幼馴染で、彼のことが大好きなオンナです

自分に暗示をかけるように言い聞かせ、『彼女』は心を決めて肉棒に口をつけた。

舌の中に硬い何かが当たるのが分かった。
少々生ぐさい臭いが口から鼻へ抜けてゆく。

『ブヒー。最近の遊女は、口での奉仕が下手でいけませんね。特に、歯を立てるなんて最悪ですよ』――

以前、仲間の商人から聞いた色事の話を思い出す。
こういう時は絶対に歯を立てないように気をつけるのが大事だと『彼女』は聞いていた。
「うぅ……舐めてくれてる…」
恍惚とした表情で、『彼』は『彼女』を見下ろす。

『逆に、経験の足らない女でも、一生懸命な娘はいいですねぇ。拙い動きながらも、上目遣いで見上げられた時はなんとも気分が良いものですよ。ブフフ…』

――見上げる、というとこんな感じだろうか

「ペチャ…チュ…きほひいい?」
拙い手探り感覚でペニスを舌で転がしながら、記憶で聞いた話を真似るように、

――『男は征服感が得られればそれだけでセックスが愉しいのですよ。ワタシもそういうの、大好きですよ。ブッヒッヒ…』

「ん…ふぅ…。とてもいいよ…」
頭上の『彼』も腰を震わせている。
深い雁首に沿うように舌先で半時計周りに回し、そして口をすぼめて亀頭を刺激する。
だんだん要領を掴んできたのか、様々な動きを思いつく限り行うことができた。

――こっちにも手をつけてみたら、もっと良いんじゃないかな

自分の膣部に指を持ってゆく。
滴る愛液を指に十分つけ、その指で『彼』の睾丸を弄んだ。
ねっとりとした愛液が潤滑機能を果たし、袋の刺激を高める。
「うぅ…出る…」
彼の身体が大きく震える。
そして…口の中に苦く、なんとも言えない臭いが広がった。

――これは強力な臭いだ

「だ、大丈夫…?」
表情の変化を読み取ったのか、『彼』は困ったように『彼女』を見る。

――今なら、多分、いける

だが、敢えて『彼女』はその精液を飲み込んだ。
ねばり気の強い液、喉に引っかかりながらも全て飲むことができた。
「今度は、そっちの番だね…」
口の端に精液を残したまま、『彼女』は笑う。

――『ブプププ…。色々話しましたが、一番上手いのは男の征服感を満たしながらも、巧みに上手に回るヒトですかね。尤も滅多にいませんが』

何時の間にか男女の営みにおける攻の立場は、女性の側へと転じていた。
『彼女』はベッドの上で仰向けになる。
そして、脚をMの字を描くように曲げた。
脚の向こうには、『彼』がいる。
早くも回復した性器を下に、緊張した面持ちで『彼女』を見ていた。
「ねぇ、シンシア…ここ、さわって……」
『彼女』は自分の胸を指差す。
そこは乳房ではなく、心臓だった。
言われるがままに、腕を当てる『彼』
「凄く鼓動が高まっているだろう…?」
「こっちだって、ほら…」
同様に、『彼』も『彼女』の手を自らの胸に持っていって触らせた。
「お互い様だな…」
二人とも、顔を真っ赤にしたまま困ったように笑う。
そしてもう一度キスを交わした。
「シンシア…来て……」
「行くよ…ユーリル……」
性器を握り、『彼』は彼女と重なる。
膣口に亀頭がゆっくりと収まってゆく。
処女の狭い肉の壁を押しながら、『彼』は突き進む。
「く…うぅ…」
『彼女』は苦しそうに呻く。
「大丈夫!?」
「だ、だいじょうぶだから…きに、しないで……」
眼の中に一杯の涙を溜めながら無理やり笑った。
挿入された『彼』が膜を破る。
股から血が一筋、二筋と太ももを伝って流れる。
彼女は再び苦しい表情を浮かべた。
長い時間をかけて、『彼女』の臀部と『彼』の骨盤が密着するに至った。
「オレの中に、シンシアのものが入ってるんだ……」
「苦しくない?」
「大丈夫、だから…動いて、いいよ……」
ゆっくりとピストン運動が始まる。
上下、上下と肉の棒が『彼女』の中で激しく動き続ける。
「あぁ!うぅあ…これが女の快感なんだ……」
次第に、処女を失った痛みが快楽へと変化していた。
快楽の悦びの中、『彼女』自らも腰を振っていることに気づいた。
二人の身体が、意識が高ぶってゆく。
「あぁぁ……好き、好きだよ、シンシア……!」
「私も、好き!大好きだよ!ユーリル……!」
二人は互いを強く抱きしめる。
「「一緒にいこう……」」
二人の言葉が重なる。
そして最後にもう一度長いキスをして、二人は果てた…。


※ ※


モシャスも解け、彼はベッドの中で深い思考に入っていた。
隣では、同じく元の姿を取り戻したシンシアが心地よい寝息を立てて眠っている。
二人で入るにはあまりにも狭いベッドだった。
本来は自分も家に帰るべきなのだが、シンシアが強く服の裾を掴んで離さない。

――参ったものだ

そんなことを考えながらも、そんな彼女の姿さえも愛しい思えた。
「でもな…私にはまだやらなくちゃいけないことがあるんだよ…ごめんな」
彼女の頭を優しく撫でて、裾を掴む手を丁寧に外した。
ベッドから出てる。
足音を立てないように気をつけながら、彼女の家を出てゆく。
辺りは明るくなりつつあった。
連なる山の後ろから伸びる光の筋が、藍色の空に交わりつつある。
夜明けはもう近かった。
そしてこれから始まる。
……運命の日が。


※ ※


その日の山は悲しみを湛えていた。
エルフが泣いたからだ。
自然と通ずる存在であるエルフは、自身の感情を木々や花に伝えることができる。
それゆえ、彼女の悲しみを知り、山は哭いていた。
大樹の幹の下で泣きじゃくる、小さな子供の心を慰めるように。
彼女は、先日父を亡くした。
唯一の肉親だった。
かつては、エルフ族一の弓の達人とまだ呼ばれた男も病には勝てなかった。
亡骸はついさっき、天に帰っていった。
灰になった父親を見ることができず、少女は気づけば山へと駆けていた。
ここで泣いていれば、いつものように弓を背負った父親がやってきて、大きな胸の中に自分を抱き寄せて頭を撫でてくれる気がした。
まだ八歳の子供である。
彼女は、父親の死を受け止めるにはまだ幼すぎた。
「おとぅさん…おとぅ…さん……シンシアは…ここにいるよぅ……」
何時間も泣いた。
声をあげる気力もすでに無くなっていた。
もういない父親に、届かない助けを求めることしかできなかった。
……すると、辺りに根を張る茂みの、その奥から誰かがやってくる。
現れたのは、小さな身体に木でできた剣を背負った少年だった。
碧の髪が印象的な、その少年は少女の元に歩み寄り、そして手を差し伸べた。
「…かえろう。みんなもしんぱいしてるよ?」
少女はその手を強く払いのける。
そして彼を睨んだ。
涙きはらした赤い目が無機質に彼の眼に向けられる。
どこか冷たく、悲しそうな眼だった。
「…帰らない」
呟くその言葉は、自分に言い聞かせているようにも思えた。
少年は何かを思案するように自分の来た道と彼女とを交互に見やる。
「それなら、ボクもいっしょにいる」
そう言って彼女の隣に座った。
小さな身体を幹に預ける。
それきり何も言わず、ただぼんやりと空の彼方を眺めていた。
それから何時間も二人はそのままだった。
日が傾き初めていた。
そして更に時が経ち、辺りがすっかり真っ暗になった頃、沈黙は破れた。
「おなか、すいてない?」
少年は懐からパンを取り出した。
包みの紐を苦戦しながら解いてゆく。
そして出てきたパン一つを半分くらいの大きさに割って、少女の懐に置いた。
「さめてかたくなっちゃったけど、おいしいとおもうよ。…あ、バターもあるからね」
暗がりの中で姿はよく見えなかったが、少女の嗚咽はもう既に止んでいた。
それからまた暫くの時が空く。
少年は隣の少女をじっと見た。
呆とパンに視線を落としていた少女は、その手でパンを掴み、ゆっくりと、口に運ぶ。
乾いた音を立てて、パンを一口かじった。
その姿を見て、少年も初めてパンを口にする。
「おいしいね」
返事はなかった。
返ってきたのは、短い質問。
「……お父さんは、もう帰ってこないんだよね?」
少年はパンを膝の上に戻し、ゆっくりと、彼女の顔を向いた。
「しんだひとは、もうかえってこないよ」
幼い少年の、何の偽りもない言葉。
それは紛れもない真理だった。
「あたしは…どうすればいいの……」
少女の肩が、震える。
彼は視線を逸らさなかった。
「いきるんだよ。みんなといっしょに」
強い、言葉だった。
「おじさんのかわりにむらのみんながシンシアをまもるよ。それに……」
自分のパンを少女に委ね、少年は徐ろに立ち上がる。
そして背中の木剣に手をかけた。
身の丈に合わない剣は、抜くのに苦労を要した。
派手に転びながらも、なんとか剣を抜く。
そして土まみれの身体を起こし、剣の先を天に高く掲げた。
「ボクだっておとこだもん。ボクがきみをまもってあげる」
「…そんなちびで、守れるわけないじゃない」
少女は、少しだけ笑ったように口の端を歪めた。
それも一瞬のことで、再び父の姿を思い出したのか途端に悲しみにくれる子供に戻っていた。
だが、それでも彼女は確かに笑ってくれたのだ。
少年は幼いながらにも、自分の言葉が相手に届いたことを察し、喜んだ。
「せだってたかくなるもん!だれよりもがんばって、みんなをまもれるくらいつよくなるんだ!」
ムキになったように、少年は剣に振り回されながら怒った真似をした。
「……なら、なってくれる勇者に?」
少女に暗い様子はあった。
が、その声は少しだけ光を取り戻していたようだった。
「いいよ、ゆうしゃにだってなってやるさ!」
大きく首を振る少年。
すると少女はゆっくりと重い腰を上げて、立った。
少年の元に歩みを進め、小指を向けた。
「……なら、約束」
「うん!」
少年も応じて、小指を出す。
まだ、彼女より小さな手だった。
二人は指を交わし、硬く組んだ。
「ユーリルはあたしの勇者様になる。…嘘じゃない?」
少年は元気に声を張り上げ、答える。
「うん、ヤクソク!」
それは遠い日の思い出。
まだ幼い少年と少女との、誓いの日。
そして、小さな勇者が生まれた日。
十年近くも昔の話。


※ ※


虚空の海を浮き沈みしていた首が不意に固まる。
「うぅ」と、短く唸り、青年は碧の双眸をゆっくりと開く。
そこで初めて、ユーリルは自分が気付かぬ内に眠ってしまっていたことを知った。
机の端に落ちている薬草は、彼が最後に意識を留めていた時に握っていた物だ。
ユーリルはそれを掴み、指先で軽く弄び、それから携帯鞄の中に丁寧にしまう。
「準備は……これで終わりか」
昨晩、シンシアの家を出た後、彼は村の倉庫に入り込み、道具を物色したのだ。
そして勝手ながらも、備蓄されていた、戦闘の際に役立ちそうな代物を勝手ながら自宅に運び込んでしまった。
魔物の襲撃を想定していない所為か、強力なアイテムはなかったが、それなりの物は少数ながらも存在した。
薬草の束、魔法の聖水、それに各種の種である。
以前とは異なり、仲間の補助が期待できない彼には、それらのアイテムが頼もしく思えた。
「後は……」
ユーリルは真新しい、皮の鞄の膨らみを手で軽く二、三度叩き、腰を上げる。
「剣だけか……」
ドアノブを掴むと、扉がきぃ、と短い音を立てて動き出す。
そして開かれたドアの隙間から眩しい陽光が伸びて、彼の視界に光輪を彩る。
見知った村人たちの笑い声が、日々の営みの音がそこにはあった。
それは彼の知る、村の最後の日、あの日と寸分とも変わらぬ朝の景色。

――行こう――

勇者は口内に溜まる唾液を喉の奥へと飲み込み、そして力強く一歩を踏み出した。

『今日、この村が火の海に消えることになる』。

――皆にそう語ったところで、彼らは信じるだろうか――

山村を包む喧騒の中で、彼はふとそんなことをふと、考えた。

――いや、信じられる訳がない――

彼らは、今を永遠に続く日々の内の一日と思っている。
身近に迫る危険にも気付かぬほどに、放埓に生きているのだ。

――丁度、私がかつてそうであったのと全く同じように――

ユーリルはそこまで考えて、初めて胸の中の躊躇を捨てた。
もし、村人たちが彼の言葉に耳を傾けて、従ってくれる可能性があれば、彼はすぐにでも彼らを村の外に逃がすつもりだったのだ。
確信は、彼の迷いを断ってくれた。
分岐点で留まっていた計画は、たちまち一つの結末に収束する。
ユーリルはその過程をひどく冷静に分析していた。
起こり得る事象の全てを吟味し、計算の中に組み込むのだ。
失敗は許されない。
誰一人をも傷つけさせず、誰一人をも捨てない。

――全員を守りきること、それだけは譲れない――

脳に取り付けられた撃鉄が彼を忽ち歴戦の戦士へと変えていた。
すでにその思考は戦場の中にあるのだ。
自分の持てる力の全てを目標の達成だけに使う。
それは、彼がもう一つの世界での冒険で身に着けた、一つの能力だ。
人の限界を遥かに凌駕する怪異との対立。夥しい魔物の軍隊との衝突。
その全ての場にて必要とされたことは効率的な思考、動作だった。
余計なことは何一つと考える必要はない。
どうすれば大事な人を守れるか。どうすれば効果的に魔物を屠れるか。
それだけを考えれば良い。

――目標達成のためなら、この手はどれだけ汚れたって構わない

硬く握っていた拳を開き、掌をまじまじと見つめる。
これまで切り捨ててきた、魔物の数百の返り血が、今もこの手の中に滲んでいるような錯覚を抱いた。
魔物の血も人と大体が変わらない。
赤黒い血液が剣を振る度にぐっしょりと纏わりつく、あの感覚がはっきりと脳神経に浮かび上がる。
己の命を奪った者を怨むかのように、その血は洗っても簡単には落ちないのだ。

――私も、魔物にとっては殺人鬼だったのだろうな

だが、と彼は湧き上がる感情の炎を胸に灯した。

――この願望だけは譲れない

――皆を守るためなら修羅にもなろう

――手を汚すだけではない、必要ならばこの身さえ……

「何してるの……?」
突然背後から聞こえてきた声に、ユーリルは思考を凍らせた。
慌てて、振り返る。
「シ、シンシア……」
見慣れた少女の姿を認め、彼は胸に詰まった息を大きく吐き出した。
「ちょっと考え事をしていたんだよ」
取り繕うように言葉を続ける。
だが、当の彼女の表情はどこか暗かった。
平生の元気さが抜けたような、そんな様子である。
「なんだか、ユーリル。怖い……」
ぼそり、と彼女は小さく呟きを漏らした。
その本質を突いた言葉に、ユーリルは背筋を粟立てる。
目の前の少女は、自分の中の暗い感情を見抜いているのだ。

――この私の醜い本性も……

恐ろしい疑惑が脳裏を掠める。
『穢れた部分を見つけられたのではないか』。
もやもやと疑問が立ち上り、そして異様に怖くなった。
自分と彼女が、恐ろしく遠いところにいることが、弁明の余地がないほどに明らかだった。

――何か話さなくっちゃ

そう考えるも言葉が続かない。
ただ、何かの音を発しようとする口だけがぱくぱくと無意味に動くだけだ。
そんな動作を繰り返している内に、シンシアが言葉を続けていた。
「私には、ユーリルが何を考えているかは分からないけど……何か、少しでも悩んでることがあったら、教えてよ」
そして「……私たちは家族なんだから」と、一息に重ねた。
『家族』という語を強く強調した言葉。
不思議なくらいに、あったかい言葉だった。
その意味を反芻しようとする。
だが、自らの胸に何かが飛び込んで来て、彼は不意を打たれた。
「シン、シア……?」
視界の下。小さな少女が胸の中に収まっていた。
彼女は自らの額を押し当てている。
もがくように暴れて、それから数度、男の硬い今日版に頭突きを加えて顔を上げる。
「昔から、何を考えているのか分からないところがあったよね……」
翠緑の眼の端に涙が浮かんでいた。
「ただの馬鹿かと思ったら、それでとんでもないことを仕出かしたりする」
ユーリルは彼女の話を黙って聞くことしかできなかった。
「人の為にやっているんでしょうね。そんな時のユーリルって、自分のことを何も考えない。当たり前のように無茶なことして、大ケガして、平気な顔して笑ってる。まるで、『自分のしていることが当然』だと言わんばかりに。『他人のためなら、自分はどうなってもいい』。そう言いたいんでしょう。今だってそう。どんな大きな悩むも。、一人で抱え込んでる。」
言葉は滔々としていた。まるで独り言のように、止め処なくあふれ出てくる、まさしく水。
「でもね、アナタのことを心配している人間だっているんだよ? ……私ってそんなに頼りない? 普段は大人ぶってるだけで、ユーリルのこと、全然分かってないようにみえる?」
涙粒が膨らむ。泣くのを堪えようと眦を絞るシンシア。だが、そんな努力も無駄だった。
朝日を映した水滴が小金色に煌いた。
堰を切ったように、また一粒、一粒、涙が零れ落ちる。
声涙、倶に下る。そんな様子であった。
「……嫌な夢をみたの。ユーリルがいなくなる夢。そんなことある訳がないと思っていたのに、思いつめたような表情を見たら、なんだか夢が現実になる気がして……怖くな……」
言葉尻が嗚咽に呑まれて消える。シンシアは、泣いていた。
こんな風に泣く彼女を見たのは実に十年ぶりだ。
涙を流すことはあったが、嗚咽を鳴らして子供のように泣いたことは一度もなかった。
唯一の肉親である父親を亡くしたその日から、彼女は泣くのを止めた。
子供であることを辞めたから。小さな子供が、親の庇護なしに生きていかなければならなかったからである。
そして今日まで、彼女は大人であった……はずだ。
だが、ユーリルの目の前にいたのは小さな子供。
彼自身、この少女が昨晩身体を重ねた、シンシアと異なる人間なのではないかと、錯覚した程だ。
彼女の変化に戸惑いを隠すことはできなかった。しかし、この場をどうにか収拾せなばならないと考え、ユーリルは焦る。
悩んで、悩んで、悩んだその末に、目の前の子供をあやすことを考え付いた。
子供と言うには少々大きすぎるが、それしか彼には思い浮かばなかったのだ。
震える背中を優しく叩いて、それから優しく抱いていた。
「ごめん、ごめんよシンシア……」


※ ※


男は一人、夜道を駆けていた。
豊満な体の輪郭を浮き上がらせてしまう、緑地の小さい布の服。
やや浅い頭の茂みを隠すように被った皮の帽子。
その出で立ちはいかにも商人然としていた。
実際、彼は商人として身を立てている者である。
山暮らしとはいえ、運動に慣れていない男には過酷か。
丸ばった顔から大粒の汗が滴り落ちる。
『少々帰るのが遅くなりすぎた』。
彼は己の強欲さを後悔した。
定期的に山から下りて町へ行く。
そして採った薬草を売り、生活に必要な物資を揃えるのが彼の仕事の一つだった。
今回は売れ行きが予想以上によく、売れ残りを残すことなく商売を終えることができたのだが…。
その結果、こうして帰路を急ぐ身に至った訳だ。
客との交渉を長引かせても、日が暮れる前には戻れると思っていた。
しかし、更に帰り道、山中で偶然魔物に遭遇したのも失敗だった。
魔物を撒いた時には月が頭上にあった。
…最近は、何かがおかしい。
魔物の数が増えたのだ。
本来、魔族は闇の世界に生きる存在。
そんな彼らが、太陽の刻にも外界に姿を見せるなんてことはそうそうない。
確かに、上級魔族ともなれば話は別である。
しかし、夕暮れ前にスライムやももんじゃなどの下級魔族に襲われるなど過去に経験したことはなかった。
加えて言えば、薬草の売れ行きが良かったのもこの事に無関係ではない。
最近、とみに薬草を求める人々の数が増えてきた。
生活に用いるには高価すぎる薬草。
それを求めるのは余程の金持ちか、戦いを生業とする者たちだけだ。
すると、身の危険、すなわち戦いが各地で増加している可能性が浮かぶ。
最近活発になった魔族の活動との関係は否定できないだろう。
商人としての勘が、警告を発していた。
それに噂だが、魔族に指導者が現れたという話を耳にしたこともあった。
世界が、彼の見えないところで徐々に動いてきているのかもしれない。
……人間と魔族。
長い歴史の中で形作られた両者の確執が、何らかの形で爆発を起こす日も、近いかもしれない。
もし、そんな時が本当に訪れたなら、自分はどうしなければならないか。
碧の髪の青年の顔が思い浮かぶ。
その青年は、勇者だった。
世界の希望、まさしく光。
彼が秘めたる力に目覚めれば、闇は必ず滅するはずだ。
闇がその光を小さな内に蹂躙しようと近づくならば、男はその身を犠牲にしてでも光を守らねばならない。
…どんなことをしてでも。
覚悟を胸に抱き、彼は夜道を駆ける。
己の背後に忍び寄る闇の眷属に気づくことはなかった。
闇の住人、ドラキーは小さな身体に備わった羽根で男の首下へと近寄ってくる。
そして鋭い牙を月影の下に晒した。
男は目を剥く。脳裏では警鐘が鳴っていた。
だが、逃げる間もない。漠然とした「死」が確かに迫っている。
男は自分の終わりを悟った。
だが、彼の諦めは幸運な形で裏切られることになる。
突然、両者の間を割るように横から飛んできた閃光に阻まれたのだ。
ドラキーは小さな悲鳴を上げると林の中に消えていく。
遅れて、男は自分の身に降りかかった危険に気づいた。
身体を震わせながらも、閃光呪文(ギラ)の描いた光の軌跡を眼で追う。
「大丈夫、ですか……?」
人の声が聞こえた。
若い、男性の声。
数メートルの距離を置いた横道に、人がいた。
闇の中でも輝きを失わぬ銀の髪を持った青年。
何故か地面に伏した彼は、心配そうに男の顔を見上げていた。
「あぶなかったですね。もう、大丈夫ですよ」
そんな青年の姿を見て、男は顔色を変える。
「あ、あなた、大丈夫ですか!?」
男は青年の下に駆け寄り、カバンから出した非常用のランプに火をつける。
小さな炎が、青年の身体を照らす。
足と、腕に傷があった。
深い傷だ。放っておけば命に関わるだろう。
「モンスターに襲われてしまいまして…。なんとか追い払ったのですが、こっちもタダではすみませんでした。今の呪文で魔力も切れてしまいましたし…そうすることもできません」
「大丈夫、これがありますから!」
再びカバンから、今度は薬草を二つ取り出す。
「少し痛むでしょうが、ガマンしてくださいね」
それぞれの傷口に丁寧にこすり合わせる。
すると、見る見る内に傷が塞がっていった。
出血まで完全に止めるには至らなかったが、傷の程度は大きく違う。
「歩けますか?」
男は驚いた様子の青年に手を差し伸べる。
「えぇ、なんとか…」
手を掴み、青年はゆっくりと立ち上がった。
「私の村に行きましょう。あっちならば、薬草も沢山ありますよ」
男の肩を借りて、青年は歩き出す。
「ありがとうございます……」
「なに、大したことではありません。貴方がいなければこっちも死んでるところでしたからね。お互い様ですよ」
肉の張った顔を朗らかに歪めて男は笑う。
「私は、ピサロ。旅の詩人です。よろしく」
そう言って、青年も男に応じるように穏やかに笑う。
その瞳の真紅の輝きに、男は気づくことはなかった。


元々旧図書館に投稿されていた作品なのですが、原文のテキストを破棄してしまうのも勿体ないということを作者の汗の人さんに言ってみたところ、再編集と再掲載を許可してくれたのであげてみました。他人の作品に手を入れるというのがかなり難しかったのでおかしかった文章部分を一部なおした程度にとどまっています。
続きは自由に書いていいといってくれたので、ゆっくり後編を書いてみたいですね…。
汗の人(執筆) 123568(一部編集)
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