言葉という物は多様な使われ方をする。
そのまま読むことは然り、換喩、逆説、同音異語に韻。挙げればきりがなく、どこまで続ければいいのか解らない程に。
そして言葉がある故に意志を言語化し、疎通を図る。もちろんそれは、相手がその言葉を知っていれば、だが。
少なくともこの場に関してはそれは問題ないだろう。対話の相手は、日本人と日本の鬼。紛れもない同郷の存在であり、同じ国の土を踏む者たちなのだ。
名前という物には意味がある。
言葉を以て付けられる名前には、言葉同様様々な意味を持つ。額面通りの言葉や、そこに秘められた意図。余人が気付かない真なる意味。
それらの名前は時として力を持ち、ある種の運命を呼び寄せる。似た者を引き合わせ、異なる者たちを憧憬に焦がれ合わせる。
この2人が今こうして顔を突き合わせ、会話をしているのも。彼につけられた名前と、彼女につけられた名前とが運命の一因なのだろうか。
男の名前は白竜(はくりょう)。水の名を意に持つ霊魂。
女の名前は雪姫。氷の結晶を名に背負う鬼の末裔。
2人は今、忌乃家奥の間で対話をしていた。
時は少し遡る。
* * *
砂滑早耶が雪姫に料理を教える為、忌乃家へ足を運んでいる時。
ごく簡単なパウンドケーキを作りながらも、雪姫の意識は早耶の少し後ろへ向いていた。
人間には災厄からの守護を担当する祖先の霊、守護霊と言うのが存在する。普通ならば人間1人に対し、守護霊も1人である筈だが、彼女の後ろにはなぜか2人いる。
片方は穏やかな表情の老婆。顔立ちから推測するに、恐らく彼女の祖母か曾祖母だろう。
けれどもう一人は、夫と同年代の男性の霊。
(…変ですね、これは)
深く観察していると、男性の霊は早耶を見守り、時折妃美佳に対して申し訳なさそうな顔をしている。耳を澄ませば、長い陳謝と不安や動揺の独り言しか聞こえてこない。
良い友人である早耶に、今し方知り合った妃美佳に対し、何か起ってしまわないか。それを考えると、この霊に対しすぐさま話を聞く必要があると思うのだが。
「もういいかな? 雪姫さん、焼き上がりを確かめてみて?」
「あ、はい。…何もついてませんね」
「もう大丈夫かな。後は形から取り出して少し冷ますの」
「これで…、完成ですね?」
「はい、よく出来ました」
とまぁ、この様に来客がいる状態では容易に動けないのだ。
人外は極力、常人の目に留まるように動いてはならない。さらに人間同士の闘争に極力関与してはならない。
そのような不文律が室町時代には出来ており、今なお続いているのだから。
「ところで雪姫さん、――は…?」
「――さんでしたら、先ほど跳びだして行きまして…」
「何だよせっかく作ってやったのに、ソイツもタイミング悪いな」
「良いんですよ、また作りますから。飯綱さん、良ければこれ食べます?」
「良いのか?そんじゃ遠慮なく」
少しだけ冷まして切り分け、皿に添えたフォークを手に取り、今しがた出来上がったパウンドケーキを妃美佳は食べ始める。
先ほどから感じている不審な霊の視線から、彼女にも何かあるのだろうという予測は付く。ではそれが“何”であるのかはいまだ想像の範囲でしかなく、今できることは警戒が精々であった。
「やっぱり雪姫さんって手際良いね。この前教えた時より、ずっと早くなってる」
「早耶さんの教えが良いからですよ。…やはり、――さんに作ってらしたからですか」
「……それは、うん、あるかな。小母さんの手が回らなかった時とかに、ね」
「羨ましいですね。早耶さんの料理は、――さんにとって第2のおふくろの味と言う所でしょうか」
「そんな事は無いよ、うん、きっと…」
「そんなに卑下しなくても良いんだけどな。早耶って素材が悪いわけじゃねぇんだしさ」
「ぅ…、そうかな…」
「そうですよ。早耶さんがその気だったら、私は負けてましたよ」
「ぅ…」
あえて触れまいとしていた、夫を介した“もし”の話を持ちかける。
雪姫の想像通りに早耶は消沈してしまうが、気になったのは彼女の後ろに居る男の霊。彼は今確かに、『早耶を落ち込ませた自分』への敵意を僅かに見せて、
(…こちらもですか)
同時に、妃美佳からも同質の視線を感じていた。早耶を気遣うような気配と同時に、その話を持ち出すんじゃない、という微かな敵意。
気になるのはその視線が同一に過ぎると言う事だ。
親しい相手ならば彼女を気遣うのは解るが、これは異質だ。他人ならばもう少し、向ける視線の質が異なっている筈だというのに、多少の差違しか無い同一の気配を感じてしまう。
果たしてそれは何なのだろう。
他にも幾つか簡単な菓子を習いながら、時折女同士の語らいを楽しんでいた最中。
「……わり、ちょっと急用を思い出した。戻らないと」
「そうなの?」
「そうなんだ。悪いな雪姫さん、お邪魔して、その上先にお暇させてもらうけどさ」
「いえいえ、用が有るようでしたら仕方ありません。玄関まで案内しますね」
「いいよいいよこのままで。そんじゃお先にー」
「またね、妃美佳」
「また来てくださいね、飯綱さん」
突然に妃美佳は帰宅し、居間に2人が取り残される。
家を出ていく気配を察し、それが不意に“消えた”と認識した時、忌乃雪姫は一つの確信を抱いた。
飯綱妃美佳は“人間のフリをした何か”と成っている。その回答をすぐに弾き出せるほど、雪姫は人外同士の戦闘に携わったわけでは無い。
そもそも人外は種族として存在する者の他、一属一種の存在さえいるのだ。自分の知らない人外など掃いて捨てるほどいるし、その全てを知っていることなど、ようやく齢19を数えた彼女は知る筈もない。
だが今は、それと解った事から推察することが必要となっている。
唐突に消えてしまった事から類推する。意図的に存在を希薄にすることができるような『都市伝説』の可能性。恐らくこれは無い。
噂話によって発生する『都市伝説』は一属一種だが、「妃美佳を題材にした話」や「他人になり替わる話」の内容が知られてない。
次に空間を渡る事の出来る魔族の可能性。これは僅かにありうる。
鬼と魔族とは、洋の東西を分けるとはいえ似通っている“怪異の象徴”だ。姿を変える事など容易にできるし、人間を装う誤魔化しを得意とする存在もいる。何かに成り替わられているのかもしれない。
その可能性を一度横に置いて、何かに憑依されている可能性もある。
幽霊やその他、人間に寄生する類の人外に意志を乗っ取られている事も無い訳ではない。しかしこれでは先ほどの「幽霊と同一に過ぎる視線」の説明がつかない。
憑依ならばそもそも幽霊が妃美佳に憑けば良いだけではあるし、寄生する類ならば視線の在り方が異なる筈だ。
(…他には何か…)
「…あの、雪姫さん?」
「え?あ、すみません早耶さん、ちょっと呆けてしまってました」
「もう、唐突過ぎるよ。…それで、どうしたんですか?」
思考を中断するように、早耶が言葉を投げかけてきた。慌てて表情に笑顔を浮かべながら、話題を取り繕う。
「いえ、また飯綱さんがいらした時の為に、何か用意しておこうかと思いまして。早耶さん、飯綱さんが好きなお茶菓子ってあります?」
「えっと、特に好き嫌いは無かった、かな? あ、でもよくチョコを食べてたかも」
「チョコレート系統ですか。用意してみますね」
「ごめんね、お金使わせちゃって。…そういえば雪姫さんは食べられるんですか?チョコ」
「はい。…通常のより、ホワイトチョコの方が好ましいです」
「そこも白いんだ、雪姫さんブレないね…」
2人だけになったが女同士の会話を行い、早耶が持った疑念を遠ざける。
あの人外の正体を類推するのは、ある程度落ち着いてからにするしかない。その手掛かりとして、彼女と似た視線を向けた幽霊に、僅かに意識を向けつつ会話に興じる。
時が流れ、暫し。
「…あ、もうこんな時間。ごめんね雪姫さん、この後仕事があるし、私ももう帰らなくっちゃ」
「そうでしたか、月並みな言葉ですが、時間が過ぎるのって早いですね」
「ホントに。…――は帰ってこなかったね」
「後で怒っておきましょうか?“どうして早耶さんが来てる時に帰ってこなかったの”と」
「いいですよ、――にも事情はあるんだし…、…それじゃあ失礼しますね」
妃美佳が帰途についてから、陽が落ちて早耶も帰り支度を始めていく。今度はきちんと見送る形にしたいと言う事で、外に出て正門前まで見送ることになった。
「それじゃあ、また来ますね」
「えぇ、お待ちしてます。それでは」
挨拶の後に早耶が背を向けた瞬間、彼女の背後に控える男の霊を、“むんず”と掴んだ。
『唐突に失礼します。…あなたにいくつか訊ねたい事があるので、引き続きお話をしたいのですが』
『え…!? まさかあなた、俺が見えるんですか…!?』
『えぇバッチリ。…先ほどからの視線に関しても存じてましたよ』
『そ、そうでしたか…』
常人の耳には届かぬ、霊同士にのみ通じる声音で会話をしあう。白竜の目の前で、少しずつ早耶の背中が遠ざかっていく。
白魚のような指から逃れようともがいても、如何なる能力か、白竜の肩から手は離れなかった。
『別に取って喰いはしませんよ。ただ単純に、あなたの事に興味があるだけです』
『…本当、ですか?』
『誓って嘘は申しません。宜しければお茶も出しますけど、どうします?』
薄く微笑みをむける少女に、白竜の霊魂は少しだけ悩む。
今の自分がどんな状態なのかは身を以って知っているのだ。建物はすり抜ける、生きてる人間に触れない、声を聞かせることも出来ない、見ることも出来ない。
尽くに物理的な干渉が不可能な、幽霊。それがオカルト知識に乏しい白竜でもすぐに持ち出せる結論であり、間違いではないと言うような数々の状況。
自分が何かに喰われて死んだことは確かに覚えている。その後に自分の状況を僅かに把握し、そして早耶の元へ到達したのも覚えている。
では、そこからは?
自分を喰らった存在はあの後消えていたけど、どうしていた?
今まで、早耶の心配ばかりが先に行って思考しきれていなかった事実を、今になって思い知る。
それと同時に頭の中に溢れるのは、あの場に行くよう指示した奈央、そして自分の兄達や母親のこと。
『そうだ、すぐに…! 皆無事なのかも確かめないと…!』
『少しばかり慌てるのはお察ししますが…、冷静になれないまま動いても、事態を悪化させるだけと思いますよ。
急いては事を仕損じるとも言いますし、せめて気持ちの整理をつけるだけでもすれば、今後の動きも決めやすいのではないでしょうか』
『…っ』
肩を掴んだまま、白い少女は語りかけてくる。
『ほんの一時でも構いませんし、事が事ならば助力も出来ると思いますよ』
『…本当に、できるんですか?』
『肉体の無いあなたに触れて語りかけている時点で、只者ではないという考えは無いようですね。…ふむ』
彼女の言う事を聞ければ、少しは道が開けるのか。そう問うような意識が視線に強く込められる。
値踏みをするような視線を向けながらも、彼女はそれを受け止めて、一つ頷いた後に、肩から手を離した。
『あなたの疑問に、こちらで用意できる限りの答えを出しましょう。
それで信用できないと思うのならば、どうぞ御随意に』
振り返り、立ち尽くす白竜を置いて屋敷の中へと戻っていく。
その背中は小さいながらも、白竜の目には酷く広大で、果ての見えない雪原のようにも見える、一種の冷たさが存在していた。
まるで無のように見える彼女の背に、白竜の採った行動はついて行くことだけだった。
自分の体が幽霊であり、何も出来ないという事実。そしてそれに触れて、あまつさえ言葉を交わすことをした彼女。
自分が逆のことをするまでにどれだけの時が掛かるか解らず、そして時をかけても本当に行えるか解らない。
ならば、可能な限りを識る。
技を、術を、技術を見て、独力で成し得ないことを助力によって成し遂げる。
その選択が、行動の理由だった。
* * *
時計の針を戻そう。
奥の間、雪姫の私室にて、2人は相対していた。白竜の前には、僅かに湯気を立てる緑茶と茶菓子。
白竜が座している場所には座布団が敷かれており、それらは確かに白流に対して供されている。
「…大凡の、人間が知らない世界のことはこんな所です」
『…妖怪や幽霊とか、…その、化物とかも、この世界にはちゃんと存在してるんですね』
「はい。普段の人間達が行っている厄払いの行事などから、表立って人前に姿を現すことを殆どしてないだけで、きちんと、居るんですよ」
この世界の、人間達が知らない側面を既に雪姫は語り終えていた。時間にして十数分という所だが、多少は端折ろうと語って聞かせるのなら充分な時間だった。
『そして…、あなたが本当は鬼だということも』
それは彼女自身の出自にも触れていた。
多くは語らずとも、その姿を現しているのを見れば解る。薄くなびく蒼みを持った髪と、額に抱く金色の3本角。
ただそれだけの変化だが、漂わせる気配はそれを見せる前から大きくかけ離れた、一種の恐ろしささえ見せている。
「はい。もっとそれらしく見たいのなら、虎柄の下着姿にでもなりましょうか?」
『い、いえ、結構です! 脱がなくていいですから!』
そんな気配に合わぬ様なおどけと笑顔は、不協和による恐怖を白竜に抱かせる。
決して雪姫が着物を脱ぐ為、帯に手を掛けていたからではない。ないのだ。
『…ともあれ、それは解りました。もしかしたら、俺が遭遇したアレも、そういった物なのかもしれませんね』
「あなたが見たという物に関しては存じませんが…、可能性はあるでしょうね」
『…そこで一つ、聞きたい事があります』
「はい、なんでしょう」
肉体が無いはずなのに、出てきそうな唾を飲み込む。座布団の上で正座して、膝の上においた手を握りこむ。
『俺は…、アレに勝てますか?』
「無理ですね」
にべもなかった。
「あなたの死の原因も、類推するに人外だろうと思いますが…。あなたがソレに勝つのは、不可能といって良いでしょう。
それほどまでに人間と、人外との間には隔たりがあるんです。
それ故に人間と人外はお互い距離を取ったのですから」
雪姫から告げられた言葉は、“何も出来ない”という事に等しかった。
口が開かれ、言葉が告げられた瞬間、白竜は無念の思いに歯を噛み締める。
「ただし…」
『…ただし?』
「あまり薦められた手段ではありませんが、あなたにも一時的に人外の領域に踏み込めれば、勝てはするでしょう。
その後に戻ってこれる保障は、私には出来ませんが」
『…………』
それを最後に、雪姫は言葉を打ち切った。次に白竜が何を言うのか、どうするのか。それをまるで見定めるかのように。
『…………』
「…………」
どうすれば良いのだろう。
このままで居るのか、それとも僅かながら人外の領域に足を踏み込むのか。その結果、早耶や兄弟たちを守れるのか。
悩んでいたけれど、答えは結局、一つしかない。
『…っ』
「あら?」
口を開こうとすると、足音が聞こえてきた。あまり迷いのない足音が縁側を鳴らし、こちらへ近付いてくる。
影が映る間もなく、障子ががらりと開けられた。
【誰がこの場にやって来たか】
>A:忌乃――(ドラゴン兄弟と一緒)
B:朱星(≒朱鬼蒼鬼の朱那)
C:砂滑早耶
障子戸を開けて入ってきたのは、男性だった。年の頃は白竜と同じほどで、腰まで伸びた長い髪が特徴的な。僅かに吊り上った眼は、それに見合うような意志の強さを視線から垣間見させている。
「お帰りなさい、――さん。お迎えできなくてすみません」
「ただいま、雪姫さん。そっちも事情があるみたいだし、仕方ないよ」
「もう、そういうことはあまり言わないで下さい。私だってちゃんと妻としての役目を果たしたいんですから」
入ってすぐに雪姫と会話をしているのは、今し方出てきた言葉や男の名前から察するに、彼女の夫なのだろう。
それは即ち、白竜としては早耶を差し置いて別の女性に走った男の事である。
『……っ』
可能なら一発殴りたい。詫びの言葉は要らないが、それでもこの心中に留まる鬱屈した思いを、何かしらの形でぶつけてやらないと気が済まない。
「そのですね、実は今、霊体のお客様が…」
「え、そっちも?」
「……と言う事は、――さんもですか。しかもお2人も」
開けられた障子戸からさらに入ってきたのは、今の白竜と同じく霊体の、しかも見覚えのある2人だった。
『……突然の事だが、失礼する』
『お邪魔しまー。この家すげぇな、文化財とか時代劇とかの中に出てきそうだよ』
『峰兄に、巻兄…っ!?』
それは誰であろう、自分の兄達の霊であったのだから。
『……お前、本当の白竜か!?』
『タナボタってなこの事か…。忌乃、感謝。そして白を引き留めてくれてたそちらの御嬢さん、感謝します』
「ちょい待てぃ、人の細君の手を取ろうとすな」
「大丈夫ですよ――さん、それが出来る程の霊体ではありませんから」
『……こら竜巻、いきなりは失礼だろう』
『おっとそうだった。白、お前本当に白か? 白だよな、身体無いみたいだし、俺達と同じ状態っぽいし』
『え、えぇと巻兄、峰兄…? 2人ともどうしたっていうの? 本当のって、それにその人…』
傍目には弟に詰め寄る兄2人の光景だが、普通と違うのはその誰もに肉体が存在しない事で。しかしそれさえ抜かせば互いを労わる確かな兄弟愛の在り方なのだが…。
その光景を見ている雪姫は、一つため息を吐く。
「…これは、少しお話が長くなりそうですね」
「ホントだね…。ここじゃなくて、居間に移動しようか」
「そうしましょう。折角ですし、お茶も淹れ直しますね」
「あぁいや、良いよ、俺が淹れるから雪姫さんは待ってて?」
「…私をこれ以上待たせるんですね、早耶さんが来たのに帰ってこなかった――さんは」
「……あ、はい、すいません、でした」
少しだけ脅すような、悲しむようなポーズを見せると、冷や汗と共に――は謝る。婿入りと言う関係上、彼の立場は、弱い。
『…………』
そしてそんな光景を、ドラゴン三兄弟は三様の視線で見ていた。
『……忘れられているのではないか、俺達は』
『そりゃねぇと思うが…、イチャつきやがって…』
『…………』
純粋に今後の事を心配している長男、少し妬みの籠った次男、そして男に隠しきれぬ敵意を向ける三男。特に三男、白竜の視線の在り方は、兄二人とも気付いているのだが今は特に言葉にすることも無かった。
まずは何よりも、自分たちが知っていることを、何も知らないだろう弟に伝えねば、これから先にどのような行動を起こすことも出来ないから。
いつの間にかじゃれ合いが終わったのか、角を仕舞い白髪の、人間の相に戻った雪姫は小さく咳払いをする。
「こほん。失礼しました、御三方。詳しいお話を聞きたいので、居間の方へどうぞ」
「お兄さん達は、弟君に言っておくこともあるだろうしね」
『待って、その前に一度家に戻って…』
「家の事なら、カザネとラウラを行かせてる。2人の力を合わせられれば閉じ込められるし、外に行くことも無いよ」
カザネとラウラと言うのは誰なのか。その根拠は何なのか。疑問を口にすることは、――の断定的な口調で遮られてしまった。
今の状態では何もできず、信じるしかないこの状態に歯噛みする。
それだけしか、出来なかった。
* * *
場所を変えて忌乃家、居間。今度は生者2人と死者3人がテーブルを囲んでいる。
上座側に雪姫と――の2人、下座側に辻三兄弟が座っており、全員分の座布団と茶が用意されている。
事ここに至るまで、全員は名乗り合い、雪姫は――の、――は雪姫の事情をお互いに聞いていた。
「『雷火』様の反応で跳びだしたとなると、やはり御三方は旧日本軍関連で命を落とされた…。そう考えるべきですね」
「2人が死んだ時の事は覚えてるみたいだし、その後の事も道々にな」
『…………』
『白…』
起った事を聞かされて、白竜は愕然としていた。
自分を喰った存在が【自分】に成りすまし、自分の知らない所で兄2人をも喰っていたのだ。
2人が命を落とす原因となった存在は確かに別にいるが、そんな事は慰めにもならない。ただ切欠が存在して、その結果取られた行動なのだから。
『……其方に聞きたいことがある。俺達が元の体に戻るには、どうすればいい?』
そんな態度の弟を見かねてか、竜峰が上座に座る2人に視線を向けた。
「――さん、まずは辻さん達を喰らったのは何か、解りますか?」
「『雷火』の知識を当てにするなら、恐らく『ウルティマ』かな」
『ウルティマ?』
――の言葉に、竜巻が首を傾げ疑問を口にする。思考と行動が直結するのが辻竜巻の利点であり、難点でもある。
しかしこの状況に限れば、それは利点なのだろう。提示された疑問に対して回答がすぐに与えられるのだから。
「『雷火』から何度か聞いていた事なんだけど、あらゆる局面に対応し成長していく究極生物、らしいんだが…。過去、戦時中での襲撃があっても完成の目途が立ってなかったらしい。
研究自体が続けられているのなら、その可能性がある」
『……確かに、そんな記述が草案にあったな』
『あったあった。見た時は何の事だか分らなかったけど、そんな名前もあるんだな』
竜峰の言葉に、その記述を同時に見たの竜巻もまた頷く。
「他に何か、思い出せる文面とかはありました?」
『確か南極で見つけた…異形?細胞?とかを使うって、そんな事があったか』
「え?/ん?」
こめかみに人差し指を当てながら思い出している竜巻の言葉に、2人は眉をしかめた。眉間に皺が寄り、何か嫌な心当たりがあるのでは。
その様子を見た3人は、一様にそう思わざるを得ないような、そんな顔だった。
「……南極?」
「…その、突かぬ事をお伺いしますが、竜峰さん、竜巻さん? あなたが見たという“弟”さんは、人の形以外にはどのような姿をしてました?」
最初に言葉を開いたのは――、次いで雪姫が訊ねてくる。
『……そうだな。不定形で、表面は玉虫色に光っていた』
『そそ。それに何か、意識しないと女の体っぽくなってたぞ』
『はぁっ!?ちょっと巻兄、それどういうこと!? 俺が女って、何があったんだ…!』
『知らねーよ、俺だってあいつから話を聞いただけだぞ!』
突然の聞き捨てならない事実に白竜が立ち上がり、それに応えるよう竜巻も声を荒げた。しばし言い争いを続けているが、その光景を横目に、竜峰はあの研究所であった事を、余さず伝えていく。
『……体の一部を分離して、俺と竜巻が逃げる為の車輪を脚に作ったな。どういった理屈で動いていたのかは解らんが、それも『ウルティマ』の為せる技なのか?』
「多分ね。車輪の形状なら子供でも分かるし、動かそうと思えばきっと出来る。伝達がどうなってるかは解らないが…」
竜峰の疑問に答えながらも、――の悩んだ顔は止まらない。“まさか”を問い、顔をあげて雪姫の顔を見ると、視線が絡み合った。
呼気を一つ。
「…………雪姫さん。俺、とても嫌な心当たりが一つあるんだが…ッ」
「偶然ですね、私も一つあります…」
『……何か、心当たりのある存在でも居たのか?』
「はい…。南極で、異形の細胞、そして不定形…。合致する存在が一体、記憶にあります」
「……ショゴスだ」
ショゴス。
辻竜峰が生きてから28年、ただの一度も聞いたことのない名前だった。人間の世界にしか生きていないならば無理からぬことだが、それは同時に、どのような危機に対しても無防備になるしかない。
知らなければ、備えることなどできないのだから。
『……すまない。そのショゴスと言う存在がどの様なものか、教えてくれないか?』
「…竜峰さん。この話を知ると、後戻りはできなくなっていきますよ?」
『……死んでしまった時点で、不可能だろう。出来ることは、深淵にはまり切らぬうちに歩みを止めるか、はまり切ってしまうかのどちらかだ』
「あんとまぁ、剛毅な…」
「仕方ありませんね、ではお話ししましょう…。その前に」
『しょうがねぇだろ、目の前でぐにょんってなって変身したんだぞ?もっと見てみたいだろ!』
『それを言える巻兄だって知ってるけど、俺の姿を取ったっていうならもうちょっと考慮してよ!』
『いーや出来ないね!興味があったらいかなきゃ損だろ!』
『ちょっとは危ないことを考えて止まってよ! そんなだから峰兄に怒られるんでしょ!?』
『……2人とも、いい加減止まれ』
後ろで言い争いをしている弟2人を、兄は鉄拳を持って静かにさせる。
霊体同士の接触は人間と同様には行いにくいが、竜峰が明確な意思を持って「殴る」と考えた為に、それが行えたのだ。
『『……ごめんなさい』』
頭部に巨大なたんこぶを載せて、正座をしている成人男性2人の霊は、思った以上に奇妙な光景だった。
しかもそれをやったのは、正座している2人の兄の霊である。一昔前の漫画よろしく、拳とたんこぶの両方から湯気が出ている。
『……感覚的なものだが、霊体としてどう動けばいいのかも、少しずつ掴めてきたな』
『峰兄ズリぃ』
『……やかましい。忌乃さん方に厄介になってる状況を忘れている方が問題だろう』
『…………』
『……手間を取らせました。どうぞ』
「…あぁ、もう良いのか?」
年長としての責務を果たしたような顔の竜峰、頬を膨らませる竜巻、何か納得いかないような表情の白竜を尻目に、――は呆けていたような表情を引き締めた。
「ではショゴスの事ですが…」
お茶で唇と喉を潤し、雪姫が語り始める。
ショゴスとは、かつて地球を支配していたという存在【古のもの】が作り出した奉仕種族。電車の車両ほどもある肉体は自在に形を変え、あらゆる存在になり、取り込んだ存在を喰らう。
その体内に脳髄を作製し知恵を得たことで、彼等は【古のもの】に反旗を翻し、多大な犠牲を出したが地底近くに封印される。
細かい事実は抜いて、必要な事だけを喋る。それはあまりにも深い所へ踏み込み過ぎないように、という配慮。
それは元々クトゥルフ神話という、人間が許容出来うる範囲をとうに超えた異形の物共の記述の一端だからだ。
只人が知れば精神の均衡を容易く崩し、廃人となるも多い。異形に魅せられ人道を踏み外しさえしかねない。
それ程の内容であるが故に、その全てを語ることはできず、雪姫も、――も表面的な最低限の内容にならざるを得なかった。
一つの事を尋ねられれば、さらに別の疑問が生まれるように新たな事柄が顔を出してくる。
そうなれば芋づる式に、全てを語らねばならない。そして話の内容全てに耐えられる程、辻兄弟は人外の世界を知らない。
今はただ、死んで霊体として活動しているだけの、人外の世界につま先を差し入れた程度の状態なのだから。
『…それが、『ウルティマ』の元、ですか』
「はい…。しかしどうしましょう――さん、私、ショゴスその物が出てきたら勝てる気なんて一切無いんですが…」
「正直言えば、俺も無い。…というか雪姫さんや、俺は『雷火』達の力を借りないと戦えない、体が強いだけなただの人間だよ?」
「それでも私より強いですよね?」
「借り物だって言ってるでしょ」
『……そのショゴスが一体どれほどに危険なものなのかは解らんが、恐らく本物ではないと思うぞ。企画書にも、それを応用し作るとの文面があった』
2人のやり取りを見て、思い出すために黙考していた竜峰が口を開く。
その内容を聞いて、――も雪姫も渋面を幾らか和らげた。
「なるほど、と言う事は模造品…。恐らくはデッドコピーの範疇に入るかもしれませんね」
「だが…、それならまだあんとかなるか?」
『…あなたは、なんとか出来るって言うんですか?』
――の弱気な声に、白竜は少しだけ棘の交じった言葉を投げかける。
帰宅してきてから今に至るまで、白竜が――に対して良い顔をしたことは、ただの一度も無い。
好もしく思っている女性を置き去り、別の相手に靡いた――という男に、どうしても心を開く気になれていないのだ。
それは早耶を好いている対抗心でも。
今尚憎からず思われているという嫉妬心でも。
この人物より早くこの事態に対処し、身体を取り戻さなければという敵愾心でもある。
「対抗と言う意味でなら可能だな。『雷火』の装備なら、完全に分裂されたりしない限りは倒せる…、筈だ」
『んじゃ質問。不安要素は?』
「1つ、起動してから今に至るまでに得た知識と形態の数。それが過多であれば、もしかしたら対応されかねない。
2つ、能力自体のバージョンアップが計られてる場合。模倣品が本物に近ければ、その段階で勝率は落ちる。
3つ、俺自身の戦闘経験の少なさ。技と体は鍛えてるけど、実戦経験は皆無に等しい。
…挙げるならこんな所かな」
『…戦闘技術とかも無いんですか』
「無いね。学校の授業で柔道をやっただけ。『雷火』指導の下、肉体鍛錬はしてるけど…、それで勝てるほど、人外同士の戦闘は簡単じゃないからな」
――は溜息を一つ吐きながら、ぎり、と音が聞こえる程に自らの手を握る。
その心中を探る事は、白竜には出来ないし、今の段階ではしたいとも思えない…。
『……俺達を殺した軍人は、そちらの接近に気付いて逃げていたが?』
「それは多分、相性の悪さかな。『雷火』を装着しているなら、術士…、魔術を使う人間相手なら、ほぼ勝てるだろう能力はあると自負してるよ」
『逆に言うと、装甲した上で、そういう相手にしか勝てないってことですね』
『……おい白竜』
「良いんですよ、事実ですから」
再び棘交じりの辛辣な言葉をかける。先ほどよりも確かに敵意を見せた言に、戒めを求めるような声が飛ぶが、――はそれを受け止めている。
「…そうしなければ、あにも出来ないんだ。大切な人を守る事も、攻めてくる敵と戦う事も…、そいつ等と同じ土俵に立つ事すらも」
手を握る音がまた、響く。壁時計の秒針が時を刻む音の中に、ぽたりという水音も混じり、そしてすぐに聞こえなくなった。
再びの秒針を遮り、場を動かす為に雪姫は目の前の男たちを見回す。
「…ではそうですね。次の話題としては、辻さん達の問題を提起しましょう」
『……問題?』
「はい。幽霊であり続ける事への問題なんですが…、――さん、蔵からアレを持ってきてください。
竜峰さんの最初の疑問は、その後でお答えします」
「え…?」
「いいから。…ちゃんと清めてから、持って来てくださいね」
「…解ったよ、雪姫さん」
その返事を最後に、――はその場から立ち上がり、襖を開けて出て行った。縁側を軋ませる音が遠くなっていく。
『……』
白竜の視線の先、――が手を掛けた襖の木目には、赤く鮮やかな、僅かな血痕が残っている。先ほどの水音、そして障子戸の血痕から、掌を強く握りしめていたのは確かだろう。その類推が精々だった。
男の背中を見送り、吐息一つと共に辻兄弟を見直すと、雪姫は問題を言葉にし始める。
「まずは魂自体の事に関してなのですが…、これは動植物問わず、様々な生命の中に存在しています。
生命体…物体の中に収めないと、魂が現世に存在できないからです」
『…どういうこった? じゃあ俺達がこうして存在出来てるのは?』
「まだ死んで間も無いからです。本来ならば、何かしら別の物質に魂を収めて、消滅を防がないといけません」
『……消滅、だと?』
「えぇ。そうして自分の存在をどこかに留めておかないと、人間の魂はすぐに消えてしまうんです」
『…なら、もし俺達がこのままで居続けたら、どうなるんですか?』
「世界に溶けて消えますね。…言うなれば湖の中に、色のついた水を一滴垂らした時のように」
『…………』
辻兄弟の言葉が止まる。自分達にもわかるように答えてくれるが、その内容があまりにも具体的で、あまりにも理解しやすい。その結果がどうなってしまうのか、大人である彼等は既に答えを知ってしまっているのだ。
ただ一滴の色水が、大量の水の中に交わればどうなるか。
答えは単純。薄まって消える。
今はまだ消えていないだけで、辻三兄弟の状態は、大量の水に落とされた色水一滴でしかない。そういう事なのだ。
「人形のような人型の器や、墓石。地縛霊は“自分の死んだ場所”に留まりますし、お盆にやってくる祖先の霊は、位牌に宿ります。
そうして自分の存在をどこかに留めておかないと、すぐに消えてしまうんです」
『……先ほどの話に準えると、世界は大量の水、魂は色のついた水で、肉体はいわば…、中身が漏れるのを防ぐ容器のようなもの、か』
「そう考えて差し支えはありません。…ですので可能な限り早く、元の体を取り戻すために必要な“代わりの体”に入って頂かないといけません」
『その代わりの体に入らないと、俺達はさっきの話通り、ってことか…』
「はい。そうなれば最早、戻る事すら叶いません…」
淡々と告げられていく事実に、3人は押し黙る。
さもありなん、今の状態でさえ放っておけば消滅に繋がるのだ。
「それと竜峰さんの最初の質問ですが…」
『……あぁ。俺達が元の体に戻る事だが…、一言で構わん。できるのか?』
「…完全に元の体、というのは無理でしょうね」
『……では、その理由を聞いても?』
「貴方たちの体がウルティマに食べられているのなら、分裂し形成し直しても、やはり肉体組織はウルティマの物になってしまうからです。
“人間としての体”に戻る事は、不可能でしょう」
『…それなら、質問しますけど』
「はい、白竜さん。何ですか?」
『…俺がウルティマに憑依したら、それの制御は出来ると思いますか?』
突然の内容に、雪姫の大きな目がさらに開かれる。驚きの他にも「それを言い出すか」というような有為の混じった視線を持って。
答えを用意しようと思考を巡らし、出てきた内容を口にしようとした所で、突如、水入りが入る。
『おい待て白、お前それで自分がどうなるのか、解ってるのか?』
『解ってるよ、峰兄。俺がウルティマに成るってことで…、…つまり、化け物になるって事だろ?』
『……それを理解しての行動か?』
『そうだよ。…元々は俺があそこに行ったから、今こうなってるんだ。自分が原因で、自分になったウルティマが原因なら…、やっぱり自分で問題を終わらせるしかないでしょ?』
『そりゃそうだけど、…なぁ峰兄! なんか俺は納得いかねぇよ! これってつまり、白が自分から人間辞めちまうんだぜ!?』
ある種の据わった、言い方を変えれば決意を固めた瞳をしている白竜に、竜巻はわずかに色めきだつ。腕を組みながら黙考していた竜峰は、僅かな沈黙の後、視線を雪姫に向けた。
それの意味する所は、白竜の意を汲むこと。例え人間をやめる結果になってしまおうとも、目的を達するまで止まりはしないだろう。
止める事は無駄だと、そう気づいた竜巻は、盛大にため息を一つ吐き出した。
『…そうかい。それが峰兄の、そして何より白の決定なら良いさ。少し腹立たしいけど納得するし、目的の為にも協力するぜ』
『ありがとう。…ごめんね、巻兄』
『謝らなくていいし気にすんなって。弟の決めたことを助けるのも、兄貴の役目だろ』
白竜の頭を、髪型が崩れるくらいの勢いで竜巻が撫でてくる。照れくさそうな、それでいて当たり前のような表情は互いが浮かべていて。
それは確かに兄弟同士のじゃれ合いだった。
微笑ましさと、僅かな羨望の籠った視線を悟られぬように一度目を伏せ、再度開いた後に確と、白竜を見据える。
「……それが出来るまで、どれほどの問題が出るかわかりませんよ?」
『覚悟の上です…』
「もしかしたら、白竜さんの意識がウルティマの本能に塗りつぶされるかもしれませんよ?」
『その可能性も、あるんでしょうね』
「そうなった場合、私も――さんも、あなたを全力で滅ぼしにかかります。それでもですか?」
『…随分念を押すんですね』
「…中途半端な覚悟で挑まれたく無いんです。死んでしまう可能性も、白竜さん自身でなくなる可能性もあるんです。危険ばかりが多い世界ですからこそ、自らの行動がどのような行為であるかを認識して欲しいんです」
沈黙が、しばし。
『…確かに、恐いですよ。けどね、それより【自分】のしてしまったことが許せなくて…、責任を取りたいんです。
峰兄も、巻兄も…。話を聞く限りだと、飯綱さんや尾長さんも…。もしかしたらもっと多くの人を襲ってるかもしれないし、それが何時早耶さんに行くかも解らない。
これ以上を止めたいと考えるのは、問題なんですか? あの――には出来て、俺には出来ないって言うんですか?』
「……そこまで言うのでしたら、私ももう止めはしません。
例え白竜さんの中にどの様な考えがあっても、最初に言った事を、誰かを真摯に思う事を違わなければ…、後は意思の強さが肝心です」
『その時は…、よろしくお願いします』
「最悪の可能性にならないよう、お力添えは致します」
『そんじゃ、俺たちも協力しないとな。お互い自分の身体に戻りたいし…、アレから【俺達】がどうなってんのか、めっちゃ気になるし』
『……確かにな』
兄の言葉に、白竜は少し息を呑む。自分を食べたウルティマが、先ほどの言葉のように気を抜くと女性化していたというのなら。
それに喰われ分裂した2人もどうなっているのか。想像するだけに恐ろしくなってしまいそうだ。
思案していると襖が開かれ、大きな桐の箱を3つ背負った――が戻ってきた。
「ただいま、雪姫さん。持ってきたよ」
「おかえりなさい、――さん。それでは台を退かしますね?」
「お願いね」
卓袱台を退かし、今の中心に大きな箱を置く。一つ置くごとに、ドスンと音がする。まるで棺のような箱には、今まで仕舞われていた筈なのに埃一つ乗っていない。
ただそれだけの事だが、不思議な寒気を辻兄弟は感じ取っていた。
『……それは?』
「御三方の仮の体です。…人形で申し訳ないですが、いつまでも霊体のままだと、いつ消えてしまうかも解りませんから」
雪姫の言葉を証明するように、――は棺の蓋を開け、中を曝す。
1体目は前髪を切り揃えられた長い黒髪の。
2体目はふわりとしたカールした金髪の。
3体目は乱雑に切り揃えられた銀髪の。
三者三様の人形が箱の中に入っているのだが……。
『…全部女性型じゃん』
竜巻の言葉が全てを物語っていた。どこか責めるような視線で忌乃夫婦を見るが、2人は疲れる事柄を思い出したようで、揃って溜息を吐き出している。
「これしか無かったんだよ…」
「4代前が人形師で、女性好きでしたから…」
「男なんか作りたくない、という我侭をぶちまけてくれたよな…」
「しかしそれ以上に高性能な人形も無いんですよね…」
高音と低音の溜息が、また吐かれる。白竜の視線は、2人と人形との間を交互に行き交い、どうしたものかと頭を悩ませていた。
少し突っ込んで聞いてみたのだが、他にあるような人形は、最大の大きさでも人間の腰の高さが精々のものや、副を着せる程度の使い方しか出来ないマネキンのような物しか無いのだという。
『…どうしようか、峰兄、巻兄…』
『どうするもこうするも、なぁ?』
『……入るしか無さそうだが…、これ等の性能差はどのような物だ?』
「1体目が絡繰機構での全面対応型。
2体目が内蔵火器での砲撃支援型。
3体目が強化四肢での近接格闘型、って事らしい」
「もし戦闘において破損や破壊が起こっても、問題ありませんよ。…使い道も他にありませんし、ね」
『……』
3体の人形を見据えて、口を開く。この中の、どれにするか…。
【どの身体を使うか】
A.黒髪人形(絡繰機構・全面対応型)
B.金髪人形(内蔵火器・砲撃支援型)
C.銀髪人形(強化四肢・近接格闘型)
>D.忌乃雪姫(術式・後方支援型) 1
E.忌乃――(降霊・近接武器型)
>F.砂滑早耶(想い人への暴走・ノーガード型) 2
どの体を使うのか。その思考を頭の中で幾度も考えながら人形を見つめた後、白竜は何かを決めたように顔を上げる。
『…あの、雪姫さん。貴女の体を使わせてくれませんか?』
『『「はぁっ!?」』』
「…その心は?」
突然の言葉に目を丸くする男3人を横目に、強い視線を雪姫は向けてくる。
気まぐれであるか否か。それとも何か別の目的が存在するのか、確かめようというかのごとき、凍りつくような刺してくる視線。
『俺がウルティマに憑依する事への危険性は、さっき何度も尋ねられました。…だからこそ、ぶっつけ本番は避けるべきだと思うんです。
可能なら別の、力を貸してくれる人外の方に、慣らす意味でも体を借りられたら、とも』
「ふむ…。確かに一理ありますね」
「いや、あの、ちょっと雪姫さん?」
「――さんの懸念も良くわかりますし、知ってるとはいえ別人に使わせる事へ逡巡があるのも解りますよ。
ですけど…、寄る辺を無くした存在の寂寥はご存知ですよね?」
その言葉で――の脳内に思い当たるのは、六柱の神霊。忘れられ、歪められ、信仰を無くした彼女たちの、出会った当初の表情。
思い出し、息を呑み、理解するけれど…。
「…、それは解るけど、それでもやっぱり男の霊に体を貸すってのは…」
「そこは白竜さんを信じましょう。悪い人ではないと、私が保証しますから。ね、――さん?」
夫へ向ける“ふんわり”とした笑顔に、――は一つため息を吐いた。
「…解ったよ。雪姫さんは一度決めたらよほどのことが無い限り意見を変えないし、俺がゴネても徒労に終わるのは目に見えてる。
でも、妻の心配をしたい夫の気持ちは解って欲しいな」
「そこはもうバッチリと。――さんの気持ちと同じくらい、私は夫の心配をする気持ちがありますから」
手を繋ぎ、見つめ合う。どちらからでもなくはにかみ合い、照れるような笑いが零れてきて。
そんな他人が見たら砂糖を吐きそうな光景を、これ以上蚊帳の外から見る必要が無いよう、白竜は強く声を出す。
『それで! 俺が入っても良いんですよね?』
「はい、構いません。白竜さんが入っている間は、私は外に出てますので…、節度もありますが自由に使って下さい」
「それと、お兄さん方はどっちを使うのか決めたか? 使わない人形は仕舞うぜ?」
ほんの少し、頬に朱が差したままではあるが、真顔を取り繕って向き直る。
竜峰も竜巻も、3体の人形を見下ろしながら悩みに答えを見いだした。
『……それなら俺は、この格闘型、銀髪の人形にさせてもらう』
『だったら俺は黒髪かな。どんなギミックがあるのか気になるし』
竜峰は銀髪、格闘型の人形に。竜巻は黒髪、絡繰の人形に入ると言う事を決めると、――は残った金髪人形の棺に、蓋をした。
「じゃあ、そのまま体に入ってくれ。本格的に体を動かすのは、慣れてからで頼む」
『オッケー』
『……解った』
「白竜さん、…あなたの道のりが一番険しくなりますが、決して心折れぬよう努めて下さい」
『…はい』
雪姫は畳の上に横になり、目を閉じる。一呼吸の後にその体から、今の辻兄弟のように霊体が起き上がってきた。身体から完全に離れ、――の隣に寄り添う。
3人はそれぞれの入るべき体に、霊体を重ね始めた。
人形に、肉体に身を沈めていく。最初は足からで、服を着るように足を延ばしていく。下半身が完全に入り切れば、次は上半身。体を横に倒していき、最後に頭を、重ねていく。
ぱちりと、閉じられた瞼が開いた。
「……2人とも、動かせるか?」
「あぁ、まずは口からってことでな」
「大丈夫だよ、峰兄、巻兄」
霊体の時より高くなった声が、音の振動として身体を叩いた。久々の肉声に不思議な感慨深さを得ながら、それぞれに上半身を起こす。
「うおすっげ、体のバランス全然ちげぇ。これが女の体なんだな」
「……確かに、無い物があると慣れが必要だ」
「ちょとこっち、帯で苦しいかも…」
さもありなん。武術家としての白竜が行う呼吸法の場合、胸部から腹部を覆う女性ものの帯では腹式呼吸がし辛いのも当然だろう。
「これで全員が入ったから、体を起こして待っててくれ。すぐに新しいお茶を淹れるよ」
「あれ、俺達の体でも飲み食いできんの?」
「あまり多くは出来ないけどね」
金髪人形の箱を縁側に動かしながら――が説明するには、人形は樹齢300年を越え霊力を溜めた樹木を用いて体を作り上げ、“人間と同じような反応をする”術式をかけているのだという。
「さすがに切り離されたら、その部分に術は機能しなくなるけどね」
「じゃ次に。…………夜の営みも同様にできんの?」
「……こら竜巻」
「ちょっ峰兄いてぇいてぇ!起き抜けにアイアンクローは止めてくれよ!」
いきなりにあんまりな質問を投げる竜巻に、竜峰はすぐさま手を伸ばして鷲掴み、親指と小指で両のこめかみを押しこんだ。
竜巻が叫び感じている「痛み」も、その術式が作用している証なのは言うまでも無いだろう。
「はぁ……。で、白竜君の方はどうだ?」
「…っ、…不思議な感じ、ですね。さっきまでとも、男の体の時とも違うような…、とんでもない力が中で渦巻いてるような、そんな気分です」
「そっか。まずはそれに慣れないといけないから、充分にそれを感じてくれ。…それと」
「…それと?」
「雪姫さんの顔で睨むのは、ちょっと勘弁して欲しいかな。あんか嫌われてるような気分になってくるよ」
言われて白竜は、――を睨んでいることに気付いてしまった。相手を好もしく思ってないことは確かだし、喋るにあたって近づかれたのもその理由。
「…すみません」
「いやまぁ、良いんだけどさ。じゃ、これだけ仕舞ってくるから」
『では私は、早耶さんの方を見てきます。何かあるようでしたら、念で伝えますので』
「よろしく、雪姫さん」
金髪人形が入ったままの棺を担ぎ上げ、雪姫と言葉を交わして――はまた部屋を辞した。恐らくは蔵へと向かったのだろう。
隣でじゃれ合っている兄達を横目に、一つため息を吐いてしまう。
(…ダメだな。やっぱり良い目で見れないよ…)
長い間傍にいたはずの早耶を見捨てて、今自分が借りている体の女性、雪姫に靡いてしまった男。恋敵とも言っていい存在は、自分の考えなど気付かないような言動ばかりをしている。
溜め込んでいるのは確かだし、吐き出したいと思っているのも事実だけれど、今そうするべきではない、という考えもまた、頭の中に存在している。
それより先にやるべき事があって、その為に動いているのだから…。
「……白竜?」
「え…?、わっ、峰兄っ!」
声がして視線を上げると、銀髪の女性…、今の竜峰の顔があった。
「……悩んでいるようだが、どうした?」
「えぇと、…何でもないよ」
「……何でもないと言う人間は、そのように何かしらがある顔をしていない」
図星だった。男の時より精緻に解る表情の動きは、自分が眉間に皺をよらせていることを、確かに伝えていたのだから。
伝えるのは情けない気もするが、きっと伝えなかったら、兄は自分が言えるまで待つつもりだろう。
けれど今、この機会を逃したらいつ言えるのだろう。
次があるか解らないと思う。このような状況になれば、尚のこと。
小さな口を開いて、目の前の竜峰を見据えて。
「…実はさ」
そこから吐露されるのは、自分が好いている相手を袖にした、忌乃――への悪感情。
少しずつ話すごとに、女々しさが心の中で育っていくような気がする。思い返して、思いを馳せて、その存在を言葉にする度に、少しずつ白竜の中に沈殿していくものがある。
「そりゃぁ雪姫さんだけなら、まだ良かったよ。霊になってた俺を見つけてくれたし、厳しいけど優しくしてくれた。
けど早耶さんを捨てた人が居て、その姿を直に見て…、気遣われて…」
「……」
「手を借りるしかない状況っていうのが、嫌で…、たまらないんだ…」
兄の前で出せる精一杯の感情を吐き出して、一息つく。嫌う相手の事を語るたびに雪姫としての記憶が蘇り、――との思い出を白竜の意識に語りかけてくる。
時に情けなさそうな顔をして、時に笑いかけてきて、人間だてらに傷つきながらも敵に立ち向かう『男』としての。体を貸してくれる忌乃雪姫がおぼえている、愛する男の顔が、チラつく。
それがまた、腹立たしい。
その表情を払うよう、少しだけかぶりを振って息を吐く。この心臓の高鳴りは気のせいだ、とも内心言い聞かせる。
「嫌でたまらない、つってもな…。解らなくもねぇけどそれは白自身の感情で、俺達は無力だろ?」
横で聞いている竜巻の言葉に頷く。記憶の内より湧き上がる愛の記憶は、そこに別の感情を植え付けそうになるけれど…。
「…だから、その力を借りるしかない。巻兄はそう言いたいんでしょ?」
「そりゃな。…俺達があのままで、どれだけの事が出来るかわかんねぇし…、白の意志を叶えてやりたいってのもある。
確かにこれが罠って可能性もあるだろうけど、…えぇと峰兄、なんだっけあの言葉、毒喰ったら…?」
「……毒食らわば皿まで、だ。ここまで来てしまったのなら、最後までやり通すしか、終着点に着く方法は無い」
「…解ってる。解ってるよ…」
兄2人は、解り切っていた答えを出してくる。
自分も含めて全員が武術家なのだ。禁欲的なものもあるし、中途半端を嫌う気概もある。進めた物を途中で投げ出すなど出来ないし、白竜としても進むしか道が無いのは解ってる。
だからこそこうして雪姫の体を借りて、女の身と人外の力に慣れようとしているのだから。
視界にかかる白髪に指先で触れる。男の指より頼りなく、男の肌より柔らかく、力もない筈の指だけれど。
「…細いよね、今の俺の体…」
「……女性の体だからな」
「それを言ったら俺達もだろ、峰兄。……ま、こっちは作りものだけどさ」
「……違いない」
互いが互いを見回して、笑う。顔は全く異なるけれど、竜峰は僅かにうつむいて口角を上げる。竜巻は上を向きながら大きく口を開ける。
そんな二人の笑い方を見て、話の内容を反芻して、思う事は一つだった。
(あぁやっぱり、この2人は峰兄と巻兄…、俺の2人の兄さんなんだな…)
白竜の心にあったのは安堵。見た目が違えど、兄弟である事を再認識して、ようやく肩の力が抜けた気がした。
そして一つの決意を固める。
(…うん、やっぱりあの人と話そう。彼の口から、どうしてこの家に入ったのか聞かないと…)
嫌悪は消えきってはいないけど、答えによってはさらに距離を取ってしまいそうだけれど、まずそこから聞いて、彼の人となりを確かめる。それによって体を取り戻すまでの付き合いとなるか、その後にも関係を保つのかを決めよう。本当に背中を預けられるのか決めよう。
ウルティマの体と言う毒を喰らう前に。まだ辻白竜が人間で在れる内に。
がらりと襖が開けられ、――が戻ってくる。手には盆があり、その上に湯気の立つ湯呑が3つ存在している。
「少しずつ動かせるようになりました? だったらどうぞ、粗茶ですが」
差し出された湯呑を手にし、熱を感じる。一気に口にしてはいけない気がして、ふぅと息を吹きかけ少し冷ます。
口にして、熱されたお茶を舌で味わい、呑み込んだ。ほんの少しの苦みと、味わい慣れた緑の香り。食道を通り、胃に向けて流れ落ちてゆく。
「……ふぅ」
安堵と、久しぶりに味わった感触に、思わず息を吐く。飲み物を嚥下した時の生理現象でもあるが、確かに肉体が取る行動である事を思い出して、また一つ。
その横で、
「あっち!? なんかすっげぇ熱い気がするんだけど!?」
「……舌が高温に慣れてないだけだろう。少し冷ませ」
「あはは、確かに男女の温感の違いって顕著だよな。解る解る」
男の時と同じように飲もうとして慌てる竜巻と、少し冷めるのを待っている竜峰。そしてそれを見て笑っている忌乃――。
他愛ない会話を、そこで行っていた。
「…………ッ!」
ぐい、と熱さに耐えながら残ったお茶を飲み干し、大きく息を吐く。僅かに舌が痛むのを堪えつつ畳の上にだん、と湯呑の底を叩きつけながら、白竜の視線は――へと向け、口を開いた。
「…――さん。2人きりで話したいことが、一つあります。時間はありますか?」
* * *
居間で2人を待たせるのもどうかと思った――は、体を動かすために庭を使っても良いと言伝し、茶と茶菓子を用意する為に台所へ向かう。
話を持ちかけた白竜は一足先に、話すために必要な場所へと歩いていた。どこに何があるのかなんて知らないけれど、雪姫としての記憶を使って、蔵の前へ。
空を見上げれば日が落ちて、夜の帳がかかっている。夜が来るのが早い時期だから、もう7時前ぐらいだろうか。
「実感ないけど、そんなに話していたのかな…」
ぽつりと、雪姫としての声音で呟く。いろんなことを立て続けに説明されて、時間間隔が無くなってきてたことも確かだけど。
それでもこれほどまでに経っていたことには、少しだけ、驚いた。
「や、お待たせ。遅くなったね」
庭に降りる為のサンダルに履き替えた――は、いつもと同じように声をかけてくる。表情もまるで、友達に語りかけてくるような笑顔。
先ほどと、何も変わらない。
「それで、話したいことってのは?」
彼の方でもあまり時間をかけられない事を知っているのか、前置きもろくに無いままに本題を切り出してくる。
そもそもこの話を持ちかけたのは白竜自身なのだから、心の準備は出来てるのだろう、と言いたいのだろうか。
けれどその前に、聞かないといけない事があった。
「しっかりと質問したい事の前に一つ。…あなたは、早耶さんの幼馴染だったんですよね」
少しだけ――の眉が反応した。理由はいくつかあるだろうが、たぶん解るのは「どうしてその話題を持ち出すのか」という所だろう。
それ程に解りやすい、拍子抜けしたような顔だったから。
「…どこでその話を知ったのかは聞かないけど、そうだ。小学校1年で同じクラスになってからの付き合いだよ。
高校卒業まで一緒にいたから、あんだかんだで12年か。…干支も一回りしたんだな」
「きっと、俺が知らない早耶さんの色々を知ってるんでしょうね…」
遠くを見て、昔を懐かしむような表情は、どこか白竜の癇に障ってくる。
…いや、どこかなんて曖昧な言葉では足りない位に、“自分が知らない物を知っている”事への嫉妬と羨望が、白竜の中には存在して、それを口に出させてしまっていた。
「俺が言っても、あんまり面白くない事だと思うけどな」
「あなたにとってはそうでしょうね。…でも俺は、あなたの知ってる彼女を殆ど知らないんですよ?」
小さくため息を一つ。
「…白竜君が早耶と知り合って、どれくらいだ?」
「1回生の時に、同じ講義を受けた時以来です。1年少々って所ですね」
同じ講堂のテーブルで、少し離れた場所に座っていた一番最初の出来事を思い出しながら、――と同じように自分も過去の思い出に意識をやっていた。
「そか。…いい奴だろ、早耶は」
「えぇ、本当にいい人です。…前の講義に出れず、ノートも取ってなかった俺に、親身になって教えてくれましたから」
講師の邪魔をせぬよう、小さな声で喋ったり、前回の内容をまとめたページを見せてくれたり。小さな丸い文字で書かれたノートは、どこか保護欲を駆り立たせるような、そんな気配さえしていた。
「早耶は犬みたいな奴だからなぁ。優しそうな奴によく懐くし後をついてきて、褒めたら褒めたら尻尾を振りそうな勢いで喜んでさ。
…声をかけられたんなら、白竜君は大丈夫だって思われたんだろうな」
「…いい人ですよね、早耶さんって」
「あぁ、いい奴だし見た目も…、身内びいきがやや入るが可愛い。そんな奴だ」
互いに知っている時期は違って、知らない時期も違うけれど。砂滑早耶という女性を通じて思う事は、一つだった。
確かに――は早耶を、恐らくは今でも大切に思ってくれている。
だからこそ、白竜は訊かねばならない。
脈打つ心臓を落ち着かせるように息を吸い、手を胸に当てる。絹製の服の上からでも解る膨らみは、少しだけ別の意味で心臓を高鳴らせるけれど。
――の目を見据え、決意と共に告げる。
「…じゃあ、ここからが本題です。
…どうしてあなたは、そんな彼女を選ばなかったんですか?」
少しだけ、空気が凍りついたような気がした。
「俺は…、早耶さんが好きです。何度も顔を合わせる内に好きになっていって、付き合たいと思ってます」
ぶちまける。
「…けれどそれを言い出せず、今じゃこの体たらくですけど…。あなた以上に大切に思ってる自信はあります」
本音をぶちまける。秘めた思いを、想いを寄せた女性を自分より知っている男に。
「だからこそ、あなたの行動が解らないし…、傷つけたのなら正直許せないとも思ってます。出来る事なら全力で殴りたい程です」
好意も敵意も同時に伝え、自分の美醜も見せつけてしまう。今の自分にできる事は言葉にすること位で、殴る事なんて、出来ないから。
2つ目の溜息が、――の喉から漏れる。
「…なるほどね。さっきからの視線の理由はそういう事か」
「気付いてたんですね…」
「気付いてないように振る舞ってたんだよ。…協力する関係上、ギクシャクはしたくないからな」
「確かに、峰兄と巻兄に対してはそうでしょうが…、俺はしてしまいそうです。…あなたからその理由を聞かない限り」
目を伏せて、頭を軽く掻き毟る。長い髪を乱しながら、――はどこかバツの悪そうな表情になっている。
「…あんまり昔語りってのも、したくないんだけどな」
「でも、話して貰わないとあなたを信じきれませんし、俺の気持ちだって定まりません。それに理由がわからないと…、俺はもしもの時、自分を抑える自信が無いです。
そうなればきっと、皆に迷惑をかけてしまう。峰兄にも巻兄にも、雪姫さんやあなたにも…、そしてきっと、早耶さんにも」
「……そこを引き合いに出すのは反則だぜ、白竜君」
「じゃあ答えてください。どうしてあなたは…、早耶さんを捨てたんですか?」
視線をそらさずに問い詰めていく。白竜にとって看過しがたい事実であり、――を許せない原因の一つを。
霊体になって彼女の傍にいた時、忌乃家に来る前、彼女の秘めていた言葉を聞いてしまった。
それを話している時の表情はとても辛そうで、そんな顔をさせてしまう男がそれ故に許せなかった。
話せば良し。話さなかったら…、そして話しても納得できなかったら…。
「捨てたというと語弊もありそうだが、確かにそうなんだろうな。…理由はどうあれ、俺が早耶から離れた事実は変わらないわけだから…」
蔵へ背を預けた――は空を見上げて、観念したように口を開き始めた。
「…ちと長くなるし、当事者しか知らない話だから一応言うけど、今の白竜君は雪姫さんの…、その事態の只中に居た人物の体を使ってるんだからさ。
記憶を探れば解りやすくなる筈だ。…ま、それも“思い出し”ながら聞いてくれ」
言われて、そういう事が出来るのだと気付いた。白竜はこの家の間取りを知らないのに、自然とここに来たのは、雪姫の記憶の賜物なのだろう。
思い出しながら、――の話に耳を傾ける。
「一番最初は、忌乃本家…つまりここからの招集が原因だった。子宝は女性しか恵まれず、家を続かせるために分家の中から最も優れた男を、婿として迎え入れるって話でな。
で、俺自身は知らなかったけど家はそういう家系だったらしく、拒否権も無いままに送り出されてね。期待と困惑と、半々の視線を受けながら家を出たっけ…」
雪姫の記憶の中で、父親が“自分”に向かって話している。
これからお前の婿候補達がやってくる。各々の心を見つめ、技を確かめ、体を預けられる存在を探せと言う、父の命令。
「俺の家も含めて…、柾(まさき)、穂村(ほむら)、石神(いしがみ)、白金(しろかね)、八重波(やえなみ)、の五家が参加した。…一家につき1人候補を出したから、俺を含めて5人だったわけだ。当時は婿入りする気なんて無かったし、どうせ選ばれる筈もないと思って手を抜くつもりだったんだが…」
彼の他に居たのは、鬼の血の影響で強い肉体を持て余していた格闘家、霊感が鋭く恐怖心ばかりが強い社会人と、変な感化をされて自らを特別と思い込む高校生、そしてまだ婿としても早いと断じざるを得ない少年だった。
――はその中で最も「普通」で、特記が不要な程の、気付こうとしなければ気付かない位の存在だったけれど…。
「その途中、そうも行かない事態が起きてな」
「…何が起こったんですか?」
何が起こったのかなんて解っている。いや、“覚えて”いるのだから、問う必要なんてない筈なのに。
「…旧日本軍の襲撃による水入りが起きてな。当時の俺は無力な人間のままだったし、他の候補が死にかけたりで、色々ご破算になった訳だよ」
周囲に気付かれないように張られた結界の中で、突然の襲撃があった。
改造された元人間の人外達が迫り、それを背後で指揮する存在がいた。父も母も、当時は家にいたお手伝いの付喪神達も、微力ながらに応戦をした。
格闘家は自信を振りかざして突撃し、右の手足を失った。
社会人は真っ先に逃げて、背中から銃弾を数発喰らった。
高校生はその光景に酔いしれて旧日本軍へ迎合し、捕獲された。
少年は何もわからず、鉄火の中で泣き叫ぶしかなかった。
「その中であなたは…、唯一逃げも、積極的に争いもしなかった…」
「逃げられなかったし戦えなかった、って言う方が正しいかな。当時の俺に戦闘経験はねぇし、向こうは人外ばっか。
…勝てる理由なんて見つからなかったし、見つけられなかった。…怪我人を抱えて下がるくらいしか、出来なかったよ」
戦闘力は多少あれど、持久力にやや欠ける雪姫は婿候補を守りながら、最も頑丈な建物の蔵に…、今話をしているここに、退いていた。
「そして、秘蔵されている『雷火』と出会い…」
「無力感を払拭したくて、戦うための手段を欲した俺は、それに手を伸ばしたわけだ…」
忌乃雪姫の記憶の中で、強化装甲『雷火』の姿は、まるで飾られた鎧具足のそれだった。台に坐して動かない、纏う者がなければ動くことのできない、鎧。
雪姫はそれを狙う敵と、傷ついた婿候補達を背に護りながら戦っていたけれど、相手の能力相性によって劣勢に立たされていた。雷は通らず、風は歯を立てられぬ決定的に不利な状況で、――と『雷火』が、言っている。
《戦った事が無いのだろう? 恐怖を押し殺した一時の意地で、命を無駄に散らすことはあるまい》
『あぁ無いさ、あんな殺し合いなんてした事無い! でもな…、目の前で女の子が戦ってるんだぞ!?』
《だが、お前のような人間ではないぞ》
『だからあんだよ! 人間だろうがそうじゃなかろうが…、俺は、女の子一人助けられない腑抜けになりたくねぇ…!』
《……》
『お前が鎧だというのなら、俺が纏う!お前を立たす、お前を動かす、お前を戦わせる!
だから俺に、力を寄こせよ、『雷火』!!』
傷ついた者を抱え血に濡れながらも、無力感に握りしめた拳を伸ばし、血を吐くような叫びと共に、――は『雷火』を纏った。
白竜としての知識で見ても、出鱈目な戦い方をして。戦った事など無いというその腕で。拳を叩きつけ、機構を放ち、先ほどまで背を見せていた少女を庇うように、立っていて…。
『雷火』の能力が高いのか、父母や付喪神達が善戦したのか。――の参戦と共に形勢は逆転し、何とか生き残れた。
けれど雪姫の父親は死にかけていて、その口で…、
「……それで…、あなたは私の家に…、忌乃家に、婿入りすることが決まって…。決められてしまって…。
逃げられ、なくなって…」
手が震える。思い出す事で恐怖心が湧き上がってくる。
父があんなことを言わなければ。
彼が戦わなければ。
旧日本軍が未だ人外の技術を用いた国防の意志を抱き続けていなければ。
候補者達が集まらなければ。
こんな事には…。
「止まれ。それ以上雪姫さんの深層心理に入り込むと、戻れなくなるぞ?」
強い語調と共に手首を掴まれ、驚きと共に――の顔を見上げる。表情は怒りとも戒めるとも取れるような、厳しさを感じさせている。
そうだ、今自分の事を何と言っていた。「私」と、忌乃雪姫の一人称で自分のことを言っていた…。
「…ま、そういう事だ。戦う事ができた結果、他の誰より優秀と言うことになった俺は、婿入りが決定した訳だ。
その時に、他の人もいなくなっちまったからな…」
手を放し、自嘲のような笑みを浮かべている――の表情に、雪姫の中に居る白竜は、記憶を読めるが故に理解せざるをえなかった。
そう、これは罪悪感。
――の未来を決定づけてしまった雪姫の、雪姫の孤独を埋める為にこの世界に入る事を決めた――の。
「それが理由で、早耶の隣から離れざるをえなくなったのさ」
それが事実とするのなら、どうして説明できるだろう。
まさか一から十まで全てを伝えたならば、きっと早耶は反対する。最初に嫌っていたのなら、その全容を知ってしまえば殊更嫌悪感をむき出しにするだろう。
「それにな、あぁいう連中が存在して、世には数えきれない人外が潜んでて、それが何時家族や早耶に牙を向けるか解らなかった。
それを止める力が欲しいとも思ったし、その為にも…、俺は人の道から外れるのを選ぶしか無かったんだよ」
彼の身は未だ人間であることを雪姫は知っている。それでも心を人の外に持っていき、人外魔境の中で生きる決意はどれ程のものだっただろう。
目を閉じ、拳を握る――は息を吐くと、険を解いた視線を白竜に向けてきた。
「……ちと説明が長くなったけど、これがその理由だ。納得してくれたか?」
納得できずにいられようか。雪姫の記憶の中から、目の前の――の言葉から、嫌と言う程に戦場の、殺し合いと言う闘争の場面を知らされて。
大切な人に類が及ぶというのなら、それを止めたいと思う事の理由を、納得できずにいられようか。
「…勝手ですね」
「…あぁ、勝手な理屈だ。言えない理由で早耶を泣かせて、哀しませたんだからな」
――の表情に陰りが覗き見え、彼が何を思っているのか、嫌というほどに理解してしまう。
白竜の意識は、憑依している雪姫の体と記憶に感化されてきているのかもしれない。自分にも罪悪感が生まれ、――の表情を見ることで更にそれが強くなる。
飲まれないよう、流されないように意識を強く保つ。
勝手な事かもしれないが、彼もその理屈を翳したんだ。だから自分も、勝手を言おう。
「そんな勝手なあなたじゃ、任せられませんから…。俺が早耶さんを守りますよ」
早耶と離れたことでそれを抱き続けているのなら、勝手な理屈でも良い。少しでも払おう。
そんな意図を抱いて告げた言葉に、――は少しだけ目を開いて驚いた顔をし、
「…そか。頼むな」
すぐに笑みを返した。
「…変に難癖は付けないんですね」
「俺に出来ない事をやる、と言ってる奴がいるんだ。そんな無粋はしねぇよ」
それはつまり、白竜のことを信じてくれるという事。これからウルティマの身体を自分の物にする事を、きっと成し遂げるという信頼なのだろう。
「…それと。今の話、早耶には内緒な」
「解ってますよ。こんな話、目の当たりにしない限り信じられませんからね」
「それもあるが、早耶と雪姫さんとの付き合いは、“そういった”関係抜きの人間同士って感じだから、白竜君も隠してくれると、とても助かる」
「大丈夫です、この先ウルティマの事を話したとしても、あなたの事は言いませんから」
少し男同士でイタズラをしたような、楽しそうな笑みを浮かべあう。
先ほど雪姫を心配したときに見せたような笑みとは違うものを向けられて、白竜も一つの確信を得られた気がした。
この人なら大丈夫だ。自分が表向きも本音も見せたように、信じられる相手には見せてくれる。
だから、次は自分の行動で示さねばならない。自分が言った事を現実にする為に。――の代わりに早耶を守る為に。
「あぁちなみに…、その、あんだ…」
「…?」
1人心中で決意を固めていると、突然――が口を開いた。顔を逸らし、何かを言い難そうに口篭って。
「…俺は女性を抱きしめたことはあっても、抱いたことは無い。いじょっ」
「それはどういう…」
「童貞ってことだよ、言わせんな」
「それって…、……あぁ、そういう事ですか」
「じゃ、先に戻ってるよ。あんか連絡が入るといけないからなっ」
抱きしめる事と、抱く事。その違いに少しだけ疑問が浮かんだけれど、わざわざ説明される事でようやく理解した。
足早に母屋へ戻る――の背中を見て、雪姫としての記憶を辿って知った事実に、少しだけはにかむ。
お互いに罪悪感が消えて、純粋に想い合えた時。本当の夫婦として契りあう約束と、
早耶と2人、まだ清い体ということを恥ずかしながら告白しあった事を。
* * *
白竜と――が互いの腹の底を伝え合っていたの頃より後、辻家。
夜が更けても母親が戻らぬ家の中では、“白竜たち”と化したウルティマが、変わらぬままに自ら等の体を貪り合っていた。
男も女も交じり合った肉体で、意識だけは辻兄弟のもののままに、時間さえ忘れてずっと。
「はんっ、っあ!峰兄っ、強すぎ、んぅ!」
「……っだが、止められん…!」
「巻兄さぁん、次はわたしに挿入させてくださぁい…」
「良いぜ…、でも一緒に挿入れるのも、させてくれよ…?」
妃美佳の姿をした竜峰が、股間に生えた男性器で妃美佳の姿をした白竜を犯している。その竜峰の秘所には、足元に蕩けた粘液から生える肉棒状の触手が突き刺さっている。
奈央の姿をした竜巻は、奈央と抱き合い下半身を融合させながら口の中で舌を絡ませあっている。それも良く見れば舌は性器の形をして繋がり合い、どこからか出した口で囁き合う。
一見して異常な光景だが、今の彼等にはそうではない、自然な光景であった。
映し出された互いの意識が求め、惹かれあうままに致している。姿形を問わず欲すままに。
疲れを知らないように体液を循環させて、放出して取り込みまた放つ。
そして、欲望が満たされれば『次』を求めるのは、ウルティマが意識を映した人間の業だろうか。
はっきりと宣言すれば、白竜(ウルティマ)は物足りなくなっていた。
辻白竜が、砂滑早耶という女性に思いを寄せている記憶はある。姿形を思い出して、表面的にその姿を取る事も。
竜峰の姿を一度早耶に変えて抱いてみて、一度は満足した事もあるけれど、どこかで違和感を拭えなかった。
『知らない』からだ。
記憶の中では知っているけれど、実物としての情報は無い。だから再現してもどこか違う。
竜峰に抱かれ、竜巻と奈央が絡み合う光景を見つめながら、彼はぽつりと呟いてしまう。
「あぁ…、早耶さんと…、一つになれたら…」
記憶の中に残るあの人物を捕喰できたのなら、
「どれだけ満たされるだろう……」
ウルティマとしての行動理念は、知識欲と食欲。ショゴスと言う怪異存在の模倣品は、真っ白の状態で作られた故に自律し思考する事さえ出来ていなかった。
他人の容(かたち)を用いねば、それが不可能なほどに。
ウルティマの肉体が蠕動し、姿を変えていく。
目の前で睦み合う2人も、自分を抱いている兄も、そして自分も。
身長を縮め骨格を変え、男の体系を変えて女の体系を整え、その場にいる全員を「砂滑早耶」の似姿に変える。
漏れ出る嬌声すらも彼女の物になり、部屋の中には同一人物の多重奏が響き始めた。
「は、あぁ…っ、峰兄っ、早耶さん…!」
「……っ、白…、早耶…!」
「巻兄さぁん…、早耶ぁ…」
「はは、奈央、早耶…っ」
「「「「あぁぁ…っ、、や、あぁぁ…っ!」」」
恐らく絶頂したのだろう。声が重なり合い、地面に広がる粘液が面積を広げていく。
それは自分に繋がっている早耶の姿の竜峰を取り込み、足りぬとばかりに早耶の姿の竜巻と、早耶の姿の奈央を飲みこんだ。
体内で混じり合いながら尚も睦み合う早耶の姿をした自分の一部と竜峰と竜巻と早耶と見知らぬ誰か達。
あぁでも足りない。
これでは足りないのだ。
分裂して活動している、妃美佳の姿の“自分”は外に居て、多分早耶の近くに居るのだろう。
彼女が足りない。彼女たちが足りない。
妃美佳の分も含めて感じる早耶の肉体は、どれほど甘美な“容”なのだろう。食欲も知識欲も、そして芽生えた性欲も。
知りたい。たまらない。止められない。
自分もそこに行く為に、妃美佳の分体に思念を送る。
彼女を捕獲し、足止めする事。その間決して捕喰しない事。
そして、自分も行こう。
彼女の姿に見つめ声を聞いて肌に触れ肉に潜り筋を舐めて血を啜り骨をしゃぶり臓腑を食み脳を融かし想い人の体と言う蜜を味わい内に取り込み自分と一つになる。
そうしたらきっと、焦げ付くような渇望と恋情も少しは落ち着く。その筈だ。
* * *
そしてウルティマが行動を始めるより少し前。
白竜に体を明け渡して以降、早耶の動向を探る目的で家を出た雪姫は、魂だけの状態になりながらある場所に居た。
現在いる場所は、
「お待たせしました、ミートコンビプレートです。鉄板が熱くなってるのでお気を付け下さい」
「お会計が3672円になります。4000円でよろしいですか?」
「12番テーブル提供お願いします!」
早耶の仕事先である、ファミリーレストランのチェーン店だった。
彼女の身に危険が及ばないよう、もし及んでもすぐに――を呼べるよう、看視の名目でこの場に来ている。
『…はぁ、早耶さんは精が出ますね。私だったらすぐに疲れちゃいそうです』
『にゃー』
道中発見した猫の霊を腕に抱きながら、空いている席に座って目まぐるしい店内の様子を眺めている。
お腹が空かない今はさほど気にならないが、肉体の方はどうなっているのか、気になってくる。
『白竜さん、大丈夫でしょうか…。きちんと食事を摂ってくれないと困るんですけど…』
生きていれば新陳代謝は発生し、空腹も排泄も発生するのだ。見られたりするのは恥かしいが、彼の決意を無碍にもしない為だ、多少の恥は我慢しよう。
互いに想いを交わしあい、結ばれる時まで清い体であれればそれで良い。無言でうなずき、納得する。
(ですけど、果たしてその時まで生きられるのでしょうか…)
忌乃家の鬼は、血こそ濃いが肉体的に頑健ではない。鬼のイメージにあるような、筋骨隆々で金棒を振り回すことなど、とうに諦めている。
それは世代を経るごとに弱さが顕著になっていき、雪姫は「人間よりは頑丈」というだけで、鬼を基準にしてしまえば病弱だ。頻度は高くないが、血を吐くことさえある。
だからこそ外部の血族を婿に迎え入れる事を決め、血を繋ごうと父は考え、また自分も頷いた。
それが結果的に、目の前で働いている彼女から大切な幼馴染を奪う事になってしまった…。
『…にゃー』
『あっ、ごめんなさい。強く抱き過ぎてしまったみたいですね』
腕に抱いている猫の声に気付いて、慌てて力を弱める。
この罪悪感がある内は、どうして抱かれる事ができるだろう。そう考えながら席を立つ。今まで座っていた場所に人が通され座られると、何とも居心地が悪い。
憑依して食事をしたい気分もあるが、他人の体と財布を使って、その上猫を放置してというのも嫌な気分になる物だ。
『何事もなければいいんですが…、そうも行きませんよね』
『にゃー…?』
何かに気付いたような、常人の耳に届かない霊の呟きに答えるのは、同じく霊の猫のみ。
店内には業務と談笑の喧騒ばかりが響いていた。
また時間が経って、時刻は22時を過ぎた。
明日は平日であり、早い時間から講義を受ける事が決まってる早耶はこの時間で仕事を上がり、帰途についていた。
「…早く帰らないと」
変な存在に声をかけられないよう、自らが危険に会わないよう少しだけ足早に歩いていく。
夜空に浮かぶ月は朔に近く、灯りは街灯とわずかな星明り程度。白竜のように自動車免許を取っていれば、もっと安心だったかなと心の中で1人呟いた。
その最中、バッグの中から携帯がメロディを鳴らす。指定された着信音は、妃美佳からの連絡だと理解してすぐに通話を始める。
『よぉ早耶、仕事終わったか?』
「うん、ついさっき。…もしかして終わるの待って、連絡してくれた?」
『そりゃぁな。大体この日はバイト入ってただろ』
「…それもそっか。それで妃美佳はどうしたの?」
『明日になる前に、ちっと話したいことがあってな。出来れば会いたいけど、いいか?』
「え、と…。うん、良いよ? それで、妃美佳は今どこにいるの?」
突然の内容に驚きつつも、明日になる前に、と言われれば気にもなる。その内容に承諾して、場所を聞こうとして、
『あぁ…、お前の後ろだ』
「え?」
後ろからした声に振り向くと同時に、ぬめりを帯びた「何か」が後方から迫り、早耶の意識を刈り取った。
「…やっちまった。アタシが、俺が、早耶を…、ふふ…」
気絶した早耶を抱え、妃美佳として活動するウルティマは含み笑いを漏らした。
指令と共に本体側の意識も僅かに流れ込み、辻三兄弟の記憶から当身を用いて早耶を気絶させる。
大切な人を喰らう為の前段階と、当身とはいえ彼女の肌に触れる事から、堪えなければいけない笑いが零れてくる。
「本当なら、今すぐにでも喰いたいけど…、ダメだ、『俺』が来るまで、早耶は喰っちゃ…」
本能と、本体からの指令との板挟みに合うけれど。
「でも…」
今この手に触れている、砂滑早耶の肢体を。
「ちょっとだけなら…」
味わいはせず、触れるだけなら、良い筈だ。
早耶を抱えて、人に見つからないように人気のない場所へ移る。
森林の多い公園の、人目に付かない草むらの中で早耶を横たわらせて、その身を睥睨する。
「は、はぁ…、早耶、さん…」
不思議と息が荒くなり、食欲の現れか涎が口の端から漏れる。ぽたりと落ちたそれは、やはりウルティマの一部であるが故に独自に動き、早耶の肌に触れる。
「柔らかい…、アタシのより、奈央のより…、俺の、より…」
ごく一部のウルティマからでも感じる早耶の肌の感触に、なおも息が荒くなる。
可能なら今すぐにでも喰らってしまいたい。でもダメだ、あぁけれど。
ごくりと唾を嚥下して、ウルティマとして知識を求める本能と、白竜として早耶を求める愛欲がせめぎ合う。
「喰っちゃダメだ、でも触りたい…、でも喰ったら…」
手を伸ばし、早耶の服の胸元を開ける。ブラウスの中から、3人の中で誰よりも大きい乳房がブラジャーに収められたまま飛び出した。
双丘を掴み、掌全体で包み込み指を沈めていく。
「…喰っちゃダメなら、こうして触るだけ…、触るだけなら、良い筈だ…」
想像でしか知らない柔らかさを手で堪能する。指を動かすごとに、下着越しとはいえ形を変えていく乳房。
しかしそれだけで満足するかと言われれば、否。これはコース料理の食前酒だけのようなものだ。これから味わうための、下準備のようなものでしかない。
ブラを上へずらし、乳房を露出させる。ふるんと自重で形を変えるそれを見て、白竜としての意識が求め始めてしまう。
触れたい。手だけじゃなくて、触りながら舐めたい。吸い付きたい。
その思考は妃美佳の両掌に「口」を作りだした。歯が生えそろい、その奥から舌が覗きこむ。美味を欲するように空気を舐めている。
掴み、握り、掌の口で乳頭を啄む。
「…っ」
気絶している最中、早耶が少しだけ息を漏らすが妃美佳は気にもかけず、掌全体で感じる柔らかさと味に酔いしれていた。
手の中で乳肉が形を変え、手から生えた口の中で乳頭を噛みしゃぶる。
一つの箇所で行う2つの行為に、“妃美佳”の貌は喜び、少しずつ形を崩していく。
「あは、は、柔らかい…。早耶さんの体、直に触ると舐めるとしゃぶると、こんなにも…」
妃美佳の、白竜の、そしてどちらのようでもある姿に変わり、蠢き、求める物を僅かにでも得られる喜びに、股座から男の肉棒がそそり立つ。
それはこれだけで感極まり白濁液を放とうと跳ねまわるが、残った理性か分体ゆえに本体に逆らえぬのか、自らの股座に残る女の秘裂にそれを突き入れる。
「あぁぁぁ…っ、本当はすぐにでも挿入したい味わいたい喰らいたい取り込みたい、でも出来ない、お預けが、本体が、まだ来ない来ない来ないぃぃぃくぅぅっ!」
自らの肉棒が自らの膣内に精液を注ぎ込むけれど、行為自体は止まらない。本当にやってはいけない事を押し留めるように、乳房を揉みながら吸いながら、本来ある口は早耶のうなじに舌を、文字通り伸ばす。
びちゃびちゃという水音を響き渡らせながら、草むらの中で続く“妃美佳”による強姦未遂は続く。
その瞬間、
「でぇいっ!!」
「ッ!?」
横薙ぎの銀光が閃き、“妃美佳”を早耶の上から飛び退かせた。
「決定的になる前には、間に合ったかな? …とはいえ、流石に見過せるモンじゃねぇな」
刀を持つ――と、その後ろに白竜が立っていた。
* * *
時を再び遡り、22時前頃。
「…っ!」
忌乃家、練武場。肉体のスペックを見る為に手合わせをしていた竜峰と竜巻は、突然立ち上がった――の動きを怪訝そうに見る。
「…どうかしました?」
「雪姫さんから連絡があった。ウルティマの分体が早耶の近くに居る」
「…っ!」
発言内容に、問うた白竜自身驚いた。【自分】がもう動き出していることと、その標的の事で2重に。
「カザネとラウラからも、本体が家を出ようとしているらしいのが同時に来た」
「なぁ、そのカザネとラウラってのは…、一体誰なんだ?」
先ほども聞いた名前のようなものに竜巻が問うと、それには白竜が答える。
「雪姫さんの記憶の中にあるよ。…彼が契約している小神(マイナーゴッド)の内二柱だって」
「……その、小神とは?」
「簡単に言えば、力の弱い神様だよ。八幡様やお稲荷様とは違う、殆ど知られてないような、ね」
竜峰の問いには――が答える。
神と言う存在は、信仰する人間が存在する故に「神」となる。信仰の念の過多により、神としての格や質が問われる。
八百万の神が信じられる日本ではそれ故に誕生する「神」は多く、しかしそれが故に「過去に信じられていたが今は忘れられた神」も存在する。
「俺はその六柱と契約して、力を借りてる。…で、さっきから監視の名目で二柱に行ってもらってたんだ」
「……『雷火』の他に、そのような対抗手段もあったのか」
「あんで、最悪の場合は『雷火』を白竜君にも貸せますよ。
…カザネ、ラウラ、本体をそこから出して分体と合流させろ。……あぁ、分体を消すだけじゃ話にならないからな」
竜峰への返答もそこそこに、米神に指を当て誰かと話すしぐさを取る。恐らくは遠くの存在と話しているのだろう。
「じゃ、俺達も行くとするか。どうにかして体を取り戻さないとな」
「……たとえウルティマの体であるとは言え、明日は月曜日だ。戻らないと、面倒な事になる」
「あ、確かに…」
今日が日曜だと言う事を思い出して、白竜は焦燥感に駆られる。
もし明日になっても取り戻せていなかったら、【自分】になったウルティマがきっと大学へも赴くだろう。そして、自分や兄達、妃美佳や奈央のように人を喰らうだろう。
それだけは止めなければならない。
「…行きましょう、――さん、一刻も早く」
「あぁ。…そんじゃ、ミイヅル!刀を!」
腕を真横に伸ばし、――の叫びと共に背後にうっすらと女性の霊が現れる。手にしている刀を――の方へ投げるとそれは瞬く間に実体化し、――の手に収まった。
装飾の施された鞘の中には、恐らく日本刀が収まっているのだろう。その形から三人はすぐに理解を示した。
「そんじゃ行きますか、御三方!」
「……あぁ」
「早く行こう。でないと早耶さんが狙われる…!」
「それと忌乃、場所は何処だ?」
「早耶がバイトしてる店の…、近く。ここからだと…走っても15分はかかるな」
脳内で地図を広げ、位置を思い出す。確かにここからだと多少遠く、急がねば間に合わなくなりそうだ。
「…竜巻さん。竜峰さんと一緒に、車輪絡繰で移動して下さい。白竜君は俺が『雷火』を纏って抱えていく」
「オッケ了解、任せろ!」
「……転ぶなよ?」
「転ばねぇよ、俺を誰だと思ってんだ?」
その返答と共に、竜巻の下半身は形状を変えて、形を組み替える。人としての上半身を残したままだが、下半身は車輪が2つ、前後に並んでいる。
まるで下半身が単車になったような姿だ。その背に竜峰が乗り、肩を掴んで体勢を整える。
「本来は横に車輪が並ぶのに、それを作り変えるとはねぇ。…竜巻さんの発想とそれが出来る人形と、どっちもとんでもないな」
「…じゃあ――さん、こちらもお願いします…」
「あぁ」
白竜の言葉と同時に、――は恋人にするように後ろから抱きしめる。
僅かに心臓が高鳴るが、すぐに纏われた鋼鉄によって伝達するのを遮られる。鬼のような装甲を、――は纏っていた。
「俺が先導するんで、着いてきてください。あと、あまり人に見つからないようにお願いします」
「無茶言うねぇ、解ったよ」
家を飛び出し、走行し続ける。車輪の音、鋼鉄の足音から周囲の耳目を誤魔化すように人気の少ない場所を通り、夜を駆ける。
竜巻が抜き去らないよう『雷火』の先導に合わせ、5分ほど走ると、
「…っ!?」
ふと、何かを突き破った気配を全員は感じた。
例えるなら、草むらの中を通った際に蜘蛛の巣にぶつかってしまったような、僅かにねばついた、しかしそれより確かな違和感。
「……何かを、突き破ったか?」
《…どうにも覚えのある結界だな。これは向こう側に先手を打たれていたらしい》
「そーいう事。そーっちが来てくれて良ーかった良かった」
『雷火』の声に応えるよう喋ったのは、どこか間と気の抜けるような間延びした声。
それにすぐさま反応したのは、誰であろう竜峰と竜巻の2人だった。
「声は違うけど…その喋り方っ、手前まさかっ!」
「……俺達を殺した、軍人か」
「おーれ達? …あーぁそっか、片っぽはりゅーほー先生だったぁ」
まるでSFの光学迷彩のように、周囲の景色に溶け込んでいた声の主は姿を現す。
昼間に遭遇した時とは異なる、9歳くらいの黒い髪を長く伸ばした少女。その姿に竜峰は目を見開いてしまった。
「……真宮か!?」
その姿は、竜峰が受け持つ教室の生徒、真宮雅弓という少女そのものだった。
「んー、そーだよぉ。りゅーほー先生に前の体ぼーろぼろにされたから、変えざるをえなくってねぇ。
そーっちも体変えたみたいで、気づくのおーそくなっちゃったぁ」
「……真宮の体を、どこで見つけた…!」
竜巻の背中から降り、真宮雅弓の体を借りる枢木を睨みつける。殺気さえ迸る程に怒気の篭った声は、粋がっているだけの子供なら思わず失禁してしまいかねない程の迫力を持っていた。
「調達班がみーつけちゃってねぇ。…正直俺だってヤなんだよ、女子供の体使うなんてさ」
「……ならばすぐさま出れば良いだろう」
「やーだよ、消えちまうもん」
竜峰の殺気を受け流すように、まるで意に介さないような返しをする枢木に向け、構えを取る。
「おー? 殴るの、りゅーほー先生生徒を殴っちゃうの?」
「……貴様の霊体だけを殴れるのなら、そうしたい所だ」
「そー言うってことは、つまりでーきないってことだね」
「……遺憾ながらな」
白竜の目には、子どもと竜峰が殺気を込めて会話をしているようにしか見えない。
けれど――には『雷火』が説明を付け加えていた。
《奴め、昼間に逃げられた術者か。…どうやら肉体を取り換えたようだな》
「竜峰さんが言うには骨をブチ折ったらしいから…、そうしたんだろうな」
「…ふぅ、しゃーねぇ」
下半身を人間としての二本脚に戻して、竜巻は竜峰の隣に並ぶ。
「白、忌乃。そっちは先に行きな。…俺達はちょーっと、こいつと話があるんでね」
「おー、おー? そーっちの白って、忌乃の嬢ちゃんじゃ…、まーぁいっか」
枢木は後方の――と白竜を一顧だにせず…、いや、目の前の二人から意識を放すとどうなるか解らない為、敢えて気にせず、腰に巻いているポーチから札を取り出し、放った。
「きーやがれ、黄泉軍-ヨモツイクサ-」
札が光を放ち消えた瞬間、そこには日本陸軍の軍装を纏った者達が存在している。けれどその顔色は一様に悪く、瞳に光りは無い。
死者が軍服を着て、武器を構えている。
《黄泉軍か。…死体まで使うとは、軍人はそこまで堕ちたか》
「わーるいねぇ『雷火』。…そこまで体裁整えられるような余裕は、うちに無い訳よ」
一瞥もくれぬまま、枢木は『雷火』の悪態にも答える。確かに、こうして人を「調達」してくるような軍に、余裕は無いのだろう。
だからこそ、成果を逃すはずもない。
「だーからまぁ、こっちとしても『ウルティマ』が欲しくってぇねぇ?」
枢木の合図と共に、黄泉軍は銃口を向け、刀を構え、ロケット砲を携える。
「…行くぞ、白竜君。向こうに取られたら、こちらの負けだ!」
「……っ、はい!」
砲火が放たれる直前に、血を吐くような叫びで答え、『雷火』は跳んだ。
そのまま雪姫が続けて指定してきた、公園の草むらが見えてくる。
大丈夫だ、兄2人なら、勝てなくとも負ける事は無いだろう。
白竜としては、今はそう信じるしかない。旧日本軍が存在し、自分と同時にウルティマを狙っているのなら、それを先に奪取しなければ。
【自分】が取られる。奪われる。――にも言って、信じてくれた自分が、失敗する訳にはいかないんだ。
《居たぞ――、前方十間先、『ウルティマ』だ!》
「でぇいっ!!」
左腕に抱えた白竜に刀を持ってもらい、そのままに抜刀し横へ薙ぐ。掛け声の所為か、それとも向こうの危機管理知識かは解らぬが、それは避けられる。
「決定的になる前には、間に合ったかな? …とはいえ、流石に見過せるモンじゃねぇな」
『雷火』を纏う――は刀を構える。白竜は妃美佳のような、自分のような姿のウルティマを見て、喉の奥から吐き気のような物が催してくる。
(あれが、【自分】を喰ったもの…)
怒りと共に、内のチカラを放とうと意識を右手に込める。紫電が右腕に絡みつき、引き絞られた弓のように発射を待ち望む。
「白竜君、早耶を頼む。…君が守ってくれ」
「…っ、はい!」
対峙し、前に進み出る――の言葉をかみしめるように、横たわる早耶の傍に寄り、見下ろす。
服を肌蹴られ、乳房を曝した彼女を見て、少しだけ赤面してしまう。
「大丈夫、早耶さん。…俺が守るから」
そうだ、自分が守らなければ。
腰を落として、背後に早耶を庇う。近づけさせないという意志を見せ、近づく者に攻撃を辞さない構えを見せる。
「俺が…、俺が守る。好きな人を、大切な人を…!」
雪姫のチカラが体内を巡り、自分の霊体に力を与えてくれるような、そんな気がして。
昂りすぎたそれは、彼にとって一つの予期せぬ出来事を起こしてしまった。
右腕に纏わせた紫電が弾け、バチンと意識が飛ぶ。
「…え?」
いつの間にか横になっていた事に気づき、体を起こす。視界に入るのは雪姫の髪とは違う、栗色の長い髪。
体を見下ろすと、開けられたブラウスとまろび出されたままの乳房。
「は、白竜さん!? 無理して電撃を使おうとしたんですか!?」
そして自分を心配そうに声を荒げる、生身の雪姫。
張りつめた弓のような紫電を、さらに高ぶらせた結果なのか。それとも白竜自身の想いの所為か。
張りつめた弓が壊れ紫電が飛び散り、白竜の魂だけが早耶の中に入ってしまった。
「この状況でこれか…!」
自らの不注意と、半ばの暴走。
それが今、白竜の魂が砂滑早耶の中に入ってしまうという現象を起こしてしまった。
【この後の状況】
A.このまま戦場で状況を見守る
B.『雷火』を貸してもらい、戦闘に参加する
>C.逃げて隠れ、不意を突いてウルティマに憑依する
「白竜君、あにを…っ、って今はんな事を言ってる場合じゃ!」
当惑し、振り向いて状況を確認しようとした――は、すぐに繰り出されるウルティマの一撃に気付き、即座に振り返る。
腕を振り子の要領で弧を描き叩きつけようとしてくる粘液の塊は、水の如くしなやかで水より遙かに重量を持っており、直撃を受ければ意識を刈り取られるだろう。
ガキン!と重い音を立てながら、左肩甲に一撃が加えられる。僅かに装甲が軋んで、――の肺からも息が漏れる。
「…っ、赤化-しゃっか-!!」
機構解放の言葉を唱え、心中で左肩甲部を指定。直後に高熱を発しウルティマの体組織を焦がすと、異変に気づいた粘液の塊はすぐに体の元へと退いていく。
迂闊に近づけば今の高熱で、体を焼かれる。
その事実に気付いたウルティマは歯噛みし、僅かながら距離を取った。
「…雪姫さん、白竜君の状態は?」
「私の力を無理に使おうとした影響でしょうか…、弾き飛ばされて、早耶さんの中にいます!」
その光景を見て、背中越しに白竜の様子を――は尋ね、雪姫は答える。前から視線を逸らすことはできず、抵抗は出来ても吸収されない事を保証できない状態では、判断の遅れが命取りになりかねない。
「それじゃあ早耶さんは!?」
「魂は…、白竜さんの中です」
言われ、自分の中へと白竜は意識を向ける。気の巡らせ方は生前からやっていた事であり、他人の体でも方法は変わらない事を、雪姫の体で僅かに知っていた。
発露の方法が自分と雪姫とでは異なったが故に、暴発の憂き目にあってしまったのは未だ彼の知らない所ではあるが…。
ともあれ、自分の体内に“自分以外の誰か”の存在がいる事を察知して、その気配が同時に早耶の物である事にも気付く。
「憑依による魂の同居は可能ですが、憑依側の魂が強ければ、元々の意識を押し込めてしまいます。この状況では、早耶さんが弾き出されたり、意識が残られるよりはありがたいんですが…」
「下手に慌てられ気付かれたりするよりは、な…」
――は手にした刀を構え、ウルティマと相対する。
方や鎧武者、片や表面を流動させる自分のようでそうでない【自分】。
(あれが、俺…。俺を喰った存在…)
確と見据えると、それの異様さが嫌と言う程に解ってしまう。
体型は妃美佳のような女性で、けれど腕が自分の物で、構えも習い覚えた劈掛掌のもの。踏みしめる地面や身を包む服を喰らい裸身を晒し、焦げた組織を修復していく。
顔貌もどこか自分のようで妃美佳のような、知っているけれど見慣れない異貌。
端的に言っても、恐い。
喰われた恐怖と、これから“アレ”に憑依するという事実が、白竜の喉を恐怖で鳴らす。
(俺は今から、アレに憑依するのか…)
目の前にいる、自分でない自分を見ていると、ウルティマの方から視線を感じる。
顔に付いた目は――を見ているが…、それとは別の眼球が脚にできていて、劣情を湛えた視線で、未だ開かれた乳房を見ているのだ。
「…ひっ!」
慌て、乱れた服装を雑に整えながら服の中に体を隠し、2歩3歩と後じさる。先ほどまでされていた行為と、目の前にして知った存在の異質さに、自然と後退していた。
その様子を察した雪姫は白竜の前に立ち、自らの身で視線を遮りながら白竜へと囁く。
「白竜さん、一度退いて下さい。その状況だと今憑依しても、恐らく弾き返されてしまいます」
「…だ、だいじょう、ぶ、です…」
「歯の根が合わないのに、無理をしないで。…今は私と――さんで抑えますから、心を落ち着かせて…、準備が出来たら行動してくださいね」
手を取られる。女性同士の小さな手は温かく、柔らかい。期待を込めたように握られながら、恐る恐る、握り返す。
「万一の事も考えて、障壁も張っておきますね。鬼法術『電陣』」
雪姫の呟きに応えるよう、白竜の周囲で火花が舞い始めた。
「…すみません。ありがとう、ございます…」
口から出てくるのは、謝罪と感謝の言葉だけ。いざ目的の存在を目の前にして震えてしまった自分と、それでも背を押してくれる雪姫への。
その言葉と共に背を向け、白竜は後ろへ下がっていく。離れていく背中を見届けながら雪姫も振り返り、――とウルティマを視界に収めた。
「――さん、お手伝い致します」
「解った。頼むよ、雪姫さん」
短い言葉と同時に、2人は構えを取る。いつでも踏み込めるように――は腰を落とし、雪姫は人の姿を辞めて右腕に雷、左手に風を纏わせる。
目の前に立つウルティマは、顔面の口と、喉元に作られた口を動かし始める。
「邪魔すんだな、雪姫は…。アタシが早耶を味わうのをさ…」
「だったら喰らって良いですよね、白くて柔らかくてお餅みたいで美味しそうだから」
「あぁでもアタシはそっちの男でも良いかも。肉体、タンパク質…、喰う前にヤってみてぇ…」
「確かに…、“俺”じゃないものもあなたから喰えれば、俺のものにできれば、早耶さんも喜んでくれるかも…」
「喰って良いよな、辻ぃ…?」
「早耶さんを喰らう前菜に…」
「「イタダキマス…!」」
2つの口で会話するように、ウルティマの本能が「喰らった人物の思考」というフィルターを通して、1人の存在が喋りつづける。
「生憎、前菜になる気はありませんよ」
「これ以上生身をお前に喰わせる気は、無いからな!!」
振りぬかれる粘液の鞭、身体強化を施された鎧武者の剣閃、左右の手から迸る風雷。
戦いの口火の一発目は、3人が同時に攻撃をすることで切られる事となった。
* * *
走り、離れる。交戦の音がまだ聞こえるけれど、耳に入らない個所まで逃げてしまえば、戻る事さえ出来なくなってしまう。
「は…っ、はぁ、っ、は…!」
乱れる息を何とか落ち着けようとする。
肩や胸を上下させながら息を吸い、吐き出す。何度も繰り返し、新鮮な空気を取り込んで疲労と共に外へ返す。
少しでもそれの助けになるよう、胸元に手を当てて、柔らかい乳房に触れてまた気付く。
「そうだ…、これは、早耶さんの体だから…」
ここまで走り続けての消耗度合いから、早耶の体力では、仮に結界の外までと仮定しても走り続けるのは難しいだろう。
女性としての体、雪姫の時と違う身長とバランス。その全てが、憑依したばかりの白竜の体力を必要以上に削り続けていた。
もし。もしもこれが本来の肉体ならば、ここまで走る程度なら息が軽く乱れる位で済むのに。
「…いや、今は考えるな、元の体じゃなくても…、【自分】の体の中に戻らないと…」
口に出して、自らの目的を再認識する。
先ほどの【自分】の姿を見て、人間の体で行われた、およそ人間ができるはずのない器官の創造を見て、内心に恐怖が浮かんだけれど。
自分の目的は、あの体を自らの物とする事なのだから。
「…だから、恐れちゃ…、いけないのに…」
けれど早耶の体…それを操る白竜の意志は、それを拒むように、小刻みに震えている。
思い返せば返すほど、恐怖がまざまざと脳裏によみがえる。
「もしかしたら…、勘違いしてたのかな…」
自分ができるという自信は、一番最初に遭遇した人外の“人間らしさ”から来る履き違えだったのかもしれない。
お伽噺に聞いた鬼があれほどまでに人間臭くて、その鬼の元に罪悪感を持ちながら婿入りした人間を見て。
ならば自分でもできる筈だ。
心の片隅で、そう己惚れていたのかもしれない。
対抗心と己惚れと、そして目の前の人外から「ウルティマもこんな物だろう」という見当を勝手につけていて、それが間違いだと気付かされてしまった。
どうしてアレに対して兄達は平気だったのだろう。
獲物という視線で見られなかったからか。それとも姿が自らを模していなかったからか。
それとも、兄達の精神の方が自分よりよほど強かったのか。
恐怖に震える頭で、取り留めもないことを考える。息の落ち着きと共に再燃した自らの震えを抑えるよう肩を抱き、歯の根を合わせようとする。
雪姫のより小さい、早耶の体。身を竦ませて見下ろすと解る、柔らかな体。
ウルティマはきっとこの身に欲情したのだろう。それも自分の所為かと思えば、また体が慄く。
「…ごめん、ごめん、早耶さん…!」
口からは謝罪の言葉が溢れる。不甲斐ない自分への、支えてくれる兄への、思いを寄せる早耶への、類を及ばせてしまった妃美佳への、力を貸してくれる雪姫への、侮った――への…。
事を起こしてしまったという罪悪感。
戦いの中で何もしないという焦燥感。
己は何もできないのだという無力感。
様々な思いが自らの中に生まれては消え、繋がっては千切れ、一つ一つが乱雑に現れては去っていく。
一際強く体を抱きしめて、自らにしか聞こえない声で、口は言葉を紡ぐ。
「チカラが、欲しい…」
あの時、忌乃家で話していた――の気持ちが、解ってしまった。
もしも人外がいるのなら。
もしも暴威を振るのなら。
もしもそれに遭うのなら。
もしも抗しえないのなら。
それを止める力が欲しい。
――と同じ気持ちで至った結論は、下を向いていた顔を前に向かせる。
「その為には…!」
今の自らを狙うウルティマに打ち克たねば、何もできない。戦うための人形に憑くことを蹴り、雪姫の体で人外の身に多少なりとも慣れたのだ。
遠くで足止めをしてくれている兄達の為にも。
ウルティマと戦ってくれている二人の為にも。
自らが守ると心の中に誓言した早耶の為にも。
「俺が守るって決めたんだ。俺がやらなきゃ、どうするんだ…!」
言葉にして、改めて決意を口にする。
恐怖に呑まれていてはそれさえ出来ないのなら、まずは口に出す。そして自らの耳に届かせ、それを心に染み渡らせる。
自己催眠のように何度も、何度も口にして、心に刻み込んで。
そうして己の中で思考を固め、行動に起こす。
すっくと立ち上がり、靴のズレを直す。次はスカートの皺を正し、ブラウスを着たままにブラジャーを位置を戻し、前を閉める。
この体には確かに、男として下衆な意味でも興味があるけれど、今はそれ所じゃない。
ウルティマを放置すれば、早耶も自分と同じような目に遭ってしまう。それは許せることじゃないし、その身を好きにさせることも同様だ。
告白して、然るべき時に堪能させてもらう事にしようと決意しながら。
白竜としての脳裏には、胸元を直す時に見えた乳頭が、どうしても残ってしまうけれど。
「…えぇいっ、今はそんなことを考えるな、今は…」
邪な考えを振り払うように頭を振ると、その動きにつられて後頭部で結んだ髪の毛も揺れる。振り終え、前に流れる髪を後ろに戻して、ひとたび深呼吸をする。
「…俺がやるべきことを、やると決めた事を、やるんだ」
振り返り、走ってきた道を戻る。疲労は完全に回復しきっていないけど、それでも向かうという意志によって、限界近くまで動かして。
きっと後で痛むだろうな、悪い事をしてるな、と、心の中に僅かな棘を残しながら。白竜は【自分】の元へとひた走る。
* * *
肌色の鞭がしなり、空を切る音が僅かに耳に残る。目の前のウルティマは、人の容をして人の動きをしたままに、人ならざる距離へと自らの身を伸ばしてくる。
達人ならば音速を越える鞭の動きは、『雷火』の補助を用いてようやく補足ができる程度。
《左右共に来るぞ!》
「応!」
左からは首元狙い、右からは足元狙いの肉鞭が迫る。肉体を硬直させぬよう息を吐きながら、インパクトの瞬間を狙う。
ウルティマの肉体は粘液のような物で、直接攻撃をしてもその身に沈み、ダメージを与えられる所か最悪そのまま捕喰されかねない。
何合もの打ち合いの中、打撃の瞬間にのみ粘液を肉体化させて来る為に、その瞬間こそが最も解りやすい反撃の時でもある。
だからこそ、その刹那を狙って刃と強化された腕を振るい、直撃の瞬間に狙いを定めて叩き、払う。
直後、
「爆進-ばくしん-ッ!」
機構解放、足裏に仕込まれた噴射孔から推進剤が噴き出て、――の肉体を前方へ押し出す。
ウルティマの腕は振り抜きを止められ、引き戻そうとする腕が眼前に迫る。
「赤化!」
鎧前面を指定して赤熱化、接触したウルティマの肉体を焼きながら突撃。吐き気を催すような焦げ付く臭いを放ちながら、鎧と粘体が触れ合おうとする。
接近を拒絶するように、ウルティマは自らの容を解いた。人の形を終わらせ、液体となって地面に広がる。
わずかな接触のみに終わらせて、――に体の上を通過させ、突撃をしのぐ。
この鎧武者の相手は危険だ。数合の打ち合いの内、そう判断したウルティマは後方の女性に目を向ける。
先ほどから後ろで牽制を続けている雪姫は、体自体は強くないという記憶がある。鎧武者より組し易いはず。
融け広がったまま、錐状の触手を伸ばして狙うが、
「『穿風』ッ!」
雪姫の左腕が風を手繰り、同じ形状の突風を当てて勢いを緩めさせた。それでも触手は止まらないが、当初の勢いを削がれたまま、張られた雷の壁に遮られ肉体を焦がされる。
攻撃と並行して鎧武者の方に目を作ると、左掌を開いてこちらへ向けていた。周辺には大きく風景を揺らがせる陽炎と、それを起こす熱の塊が見える。
まずい。
急ぎ着弾点と思しき場所から2つに分裂して逃げる。
「剛火-ごうか-っ!!」
分裂と同時に、『雷火』の左掌から火球が放たれた。赤熱化の温度と比べても遜色無い熱量の弾丸は、着弾点を焼きつくし、少し逃げ遅れたウルティマの細胞を燃やし尽くした。
2つに別れたウルティマは、それぞれ密度は薄くなりながらも、双方が全く同じ人の姿を形成する。
悪臭が漂う公園の中で、鎧武者と鬼と、スライムが対峙する。
数合の打ち合いの中、雪姫は焦燥感を隠しながらも感じていた。
(ウルティマは分体、――さんは『雷火』を纏い、私もいる。…負けはしませんし、恐らく勝てるでしょうが…。
だからと言って、焼滅させては白竜さんの取っ掛かりが無くなってしまう…。分体でさえあれほど恐れていたのに、本体が来たら…)
本体と分体の差は解らない。目の前にしている敵は、本体の何分の一なのかさえ。
分体と言う過程を通り越して本体と遭遇してしまったのなら、本当に憑依しての操作が可能なのかさえ分からない。
故に、白竜がウルティマと接触するための一歩目として、まずは分体に憑依させたいとも考えていた。
しかしこのままでは、白竜を待つ為に戦闘を長引かせる前に本体が来てしまいかねない。
倒したくても出来ず、本体が来るまでに白竜の到来を待たねばならない。
焦燥感は僅かにある。けれど、それを解りやすく表にしてもいけない。努めて平静を装いながらも、倒しきらない程度の雷撃を再度手に纏わせた。
(早く立ち直ってくださいよ、白竜さん…!)
* * *
腰を落とし、推進剤を噴射させる用意も出来た状態の中で、――と『雷火』は小声でつぶやき合う。
《…やはり、固体は存在せんな》
「このままじゃ憑依自体ままならないかもな…」
憑依と言う行動は、無差別に行えるように思えるがそうではない。
雪姫が話していた事のように、霊は自らを宿す物品や場所に憑依することによって存在を保つ事が出来る。
事実、『雷火』でさえ「魂の格納」をするために、関節部や四肢の先端といった末端の機構まで操作する為に、初期案として全ての部位に魂を格納させる事さえ考えられたのだ。
人外の魂と言う入手しにくい物のコストを鑑みられ、その案は廃棄され、そこから更に発展した技術の影響で、現在のような運用が可能になっている。
強化装甲の制御機関、つまりは「中枢」を用意し、そこに魂を格納させる事によって全体の運用を可能にする。
それによって現在の強化装甲が存在しうるのだが、しかしウルティマには中枢部分が存在しない。
その肉体全てが流動し、変形し、腕になり足になり目になり頭になり口になり臓腑になり骨格になり武器になり盾になり兵器になり全てになりうる。
単一の兵器として動くのならばそれは確かに利点だが、白竜にこの肉体を制御させる面では難点だ。外部から働きかけて固体部分を作らせても、それが常に形を成しているかと問われれば難しいだろう。
《…やはり、手はあまり無いのやもしれんな》
「すまない、『雷火』。そうさせるしか無いみたいだ…」
《良い。もとより我の手が無くとも戦えるように、小神達と契らせたのだ。今更気にするな》
「ありがとう、助かる…」
それを最後に言葉を打ち切り、刀を握る手に力を、ウルティマを見据える目に意志を込めた。
しかし――の内側では、いくつかの懸念が燻っている。
(果たして“これ”で上手くいくのか…。上手くいったとして、旧日本軍連中がそれを諦めるか?
いや、それは無い。制御できぬままの兵器が制御できたのなら、奴らは嬉々として鹵獲しに来る筈だ。
白竜君には、早耶の事以外にも面倒をかけさせちまうな…)
* * *
ウルティマの分体は2つに別れ合い、白竜としての意識、妃美佳としての意識に分断されている。
念での会話は誰に聞かれるでも、空気を震わせることも無く、互いの中でのみやり取りされる。
「おい辻、あいつ等なんなんだよ。簡単に喰えるかと思ったら、全然手ごわいじゃねぇか」
「それは俺もびっくりしてます。まさかあんな、漫画みたいなことが本当にあるなんて…」
本体からの念で、本体が何をしたのかも知っている。けれど知った知識以上に、目の前の存在は驚きに満ちていた。
お伽噺の中のような「鬼」に、それと寄り添う不思議な鎧を纏った人間。
そのどちらも漫画のような立ち回りをして、自分もそれに相対している。雷と炎で自らの身を焦がされながらも、周辺の物質を吸収し補填。決して目的はあきらめない。
いやむしろ、今のように邪魔をされているからこそ。
「…ますます早耶を喰いたくなっちまったな」
「本当に。…本体が来るまで我慢できなくなっちゃいそうですよ…」
空腹は最高のスパイスと言う言葉をよく聞くが、目の前の存在に邪魔をされ、体を削られていても尚、ウルティマとしての食欲は留まらない。
彼らを倒して、本体と合流してから味わう早耶は、どれだけ美味なのだろう。削れたこの身を早耶の情報で埋められるのは、どれだけ甘美なのだろう。
想像すると、ぶるりと身が震える。
* * *
互いへの言葉を交わさず、対峙して暫し。
重ねて攻撃すれば倒しきれるが後の為に倒せない忌乃夫婦と、分裂したが密度が低く思うように攻撃できぬウルティマ。
悪臭の中睨み合い、深く呼吸をする事、七度。
2人と2体、一領が同時に同じ方向を向いた。
「「《来たか!》」」
結界を通り抜けたと思しき気配を察知し、視線を向けた先。こちらへ近づいてくる白竜の後ろから、音も立てずに這いずり寄ってくる存在に気付く。
決して地を駆ける人間の速度でなく、決して坂を滑り落ちる水の速度でなく。明確な意思を持ち明確な目標を持ち近付いてくる。
眼前に対している敵と同じでありより強大な気配を。
自らと同じ存在でありながら本体とも呼べる存在を。
「白竜君! 止まるな、走れ!」
「…っ!!」
姿を現した白竜は、刀を放る――の怒号から状況を察する。
2体に別れてる分体が、先ほどとは異なる視線を以て近づいてくる。まるで「お預け」を解かれた犬のような視線。
なればこそ、本体が存在する。
疲労の溜まってきた細い脚を、あと少しだけと思い眼前の鎧武者を目指して、動かす。
一挙の間違いも許されないのなら、走れと言われたのなら、今この場で憑依は出来ないと踏んで。
目の前に分体が迫る。2つに解れていた分体が重なり、1人になって。
「雪姫さん、本体の足止めを2秒!」
「はい! 鬼法術『颶風-ぐふう-』!!」
雪姫の左腕から、猛烈な勢いの風が迸る。人間ならば立つ事すらままならず、巻き上げる砂埃でさえ凶器に成りうる程の風が。
大出力故に5秒と続かせることのできない風は早耶を、白竜を飲みこもうとしてその身を縦に広げているウルティマにぶつかり、大いに煽りを受けてのけぞらせた。
「爆進っ!!」
眼前に居るウルティマ分体を跳び越えて、本体と分体に挟まれている早耶の、白竜の元へと進む為、上昇と下降で二度推進剤を吹かし、『雷火』を進ませる。
轟音を立てて白竜の後ろに着地し、その腰を抱く。
そしてもう一度、推進剤を噴射。充填の足らぬ噴射孔は、吐き出す勢いも弱いままに2人の体を押し出し、
分体の中へと突き進ませた。
肌に触れてくる粘体は、人肌のようであり、水気のようであり、また油のようであり臓腑のようである。
そのおぞましい感触に身震いしながらも、腰を抱く鎧武者に向けて叫んだ。
「な…! ――さん、何を…! 早耶さんを喰わせる気ですか!?」
「喰わせるのは白竜君じゃなくて…、こっちだ! 『雷火』!!」
《うむ! 左腕赤化!》
突き進むのと同時に、また異なる力で前へと押し出され、篭手と足甲のみを纏った――と共にウルティマの体を突き破る。
その為に熱を放った左腕は供給源を無くし、すぐに冷めていった。
「っは! …――さん、鎧は!?」
「ウルティマに接続させて、今喰わせる所だ」
刀を放った位置まで戻り、振り返る。雪姫の風による脚止めも終わり、目の前には小さなウルティマが四肢を無くした『雷火』を取り込み始め、後方にはより大きな本体が蠢いている。
「細かい説明は省くぞ、白竜君。『雷火』に憑依して、ウルティマの体を乗っ取れ!」
「それで、本当に出来るんですか?」
「こっちとしては、少しでも可能性を作ったつもりだ。…あとは頼む!」
「…もし失敗しても、怨まないでくださいよ。絶対早耶さんは逃がしてくださいね!」
戻ってきて唐突に動いた戦場、後方に現れた「自分を喰った」ウルティマ、対抗手段としての鎧を捨てた――。その全てに慌てながらも、一つずつ冷静に受け止めていく。
少しばかりの不安はあるけれど、雪姫も――も兄達も、全てはこの時、自分がウルティマの体に憑く為に力を貸してくれている。
ならば。
「…いきます!!」
意を決し、早耶の体から抜け出て、同時に――は契約している薬神の力で早耶の身に麻酔を打ちこむ。
『雷火』のどこに憑依するのかは、すぐに見て取れた。鎧の中には確かに、自分より遙かに強力で恐るべき魂が、こっちへ来いと手招きをしている。
泰然とするその姿に、頼もしさも同時に感じながら。
魂の格納されている中枢機関へ、自らの魂を飛びこませた。
* * *
『雷火』に憑依してすぐに視界内に入ったのは、何もない部屋。上も見えなければ下も無く、奥行きも果ても見えない筈なのに、何故か「閉じ込められている」と解る程の、部屋。
そして同時に、そこで一人静かに座り込んでいる着物姿の女性がいた。
年を重ねた気配を漂わせ、しかし老けている印象は匂わせない、静かな雰囲気の女性。
『おぉ、よく来たな。あまり時間は作れんが歓迎するぞ。ささ、遠慮せず来ると良い』
こちらを向いて笑顔を作り、手を招く姿に既視感を覚える。これはそう、自分が飛び込む時に感じた泰然とした…。
「…はい、失礼します、『雷火』さん」
『うむ、理解があるようで何より。しかし我の本来の名はもう少し別にあるのだが…、それを話す間も惜しい』
思い当たった名前を口にすると綻んだ笑顔を見せるが、それもそこそこに表情を引き締めて、本題へと入り込む。
『お主がここに来た理由だが、我が封入されているこの中枢部分を核とし、ウルティマに接続する為だ』
「そのままウルティマの肉体に憑依、というのは出来なかったんですか?」
『不可能ではないが、霊になって日の浅いお主では至難だ。故に解りやすい憑依目標、兼肉体掌握の中枢として我の核部分を使わせることにした』
「…それだと、あなたの宿る鎧が無くなってしまうのでは?」
『構わんよ、承知の上だ。…子孫が心配で、強化装甲の中に身を窶し現世に留まっていたが、その懸念も必要なくなってきたからの』
「……」
恐らくそれの意図するところは、彼女は雪姫さん、つまり忌乃家の先祖なのだろう。父親は雪姫さんの記憶で知っていたから、恐らく彼女は母親…じゃないから、祖母か曾祖母か。
いや、それは今考える事じゃない。重要なのは目的の為に彼女が、現世に留まる為の寄代を自ら捨てると言う事。
そしてそれだけの期待を、俺が背負ってると言う事だ。
「…解りました。やります。やり遂げてみせます」
『うむ、良い返事だ。…そろそろ繋がり始めてきたかな、操作権をお主に渡すぞ?』
俺と『雷火』が話をしている最中にも、部屋の中には何か粘つくような、液体がにじむような感じがしていた。『雷火』の人が立ち上がり、座るように促されて正座をする。
どろどろに凝ったすべてに成りうる万能細胞の塊。得体の知れない、しかし座る事で知った事は、腹を括った事であまり恐怖を感じない。
『ウルティマの肉体は取り込み、再現可能と判断したものになら何であろうと成りうる。
まずは無理に意識を広げず、自らの肉体を意識せよ。そう、最初は命の流れ、血の流れを作るべき、心の臓腑を…』
肩に手を当て、『雷火』が教えてくれる。不定形の肉体の中に、今俺達が入り込んでいる中枢部を囲うように、握り拳大の肉体が作られる。
心臓、宿るべき場所。
俺の、核。
強化装甲の中枢機能、ウルティマと接続しそこから作った“中心部”として全身に接続し、俺の意識を肉体全部に広げる。
頭がおかしくなるかと思う程の膨大な量の情報が溢れだし、それをウルティマの肉体で処理する。
『拒否をするな。その流れの一つ一つに身を委ね、その全てが自分であると思え。
強大が故に逆らおうとすれば、身も心も耐えられん。事実として受け止め、ゆっくりと理解しろ』
『雷火』の言葉が聞こえてくる。
同時に、吐き気がするかのような【自分】の行為が頭を流れる。
俺を喰った後、俺のように振る舞い、本能のままに動いて、飯綱さんを、尾長さんを、犯して、喰らって、取り込んで。
再現できると肉体が伝える。吐き気を催すけど堪え、今は。
繋がる。
自分と繋がる。
自分の意識を核に伝える。核が肉体を動かしていく。
慣れない。思うように動かせない。
これを動かさなければ。
体を。
『形状定まらぬ体の端々へ、意志を通せ。
どのような形になれど消えぬ水の如く総身に巡らせ、その全てで自らの身体を動かせ。
疑うな、想像し、認識し、理解し、確信しろ。
それが自分の身体だと、意のままに動かせぬ筈は無いと』
そうだ、
動かせ、
自分の、
肉体を、
自身の、
意識の、
ままに。
肉体を形成する。骨格、神経、血管、臓腑、脂肪、筋肉、皮膚。
同じように顔を作る。骨格、歯、耳、眼球、脳髄。
全身を形成し、循環を形成し、代謝を形成し、生理を形成し、反応を形成する。
『武術を習っているのが役に立ったか。こうも肉体の把握が容易いのは、賞賛できる。
さぁ、辻白竜。水の名を持つ男よ。…目を開けろ。それがお前の、肉体だ』
『雷火』の最後の声を耳にして、閉じられていた瞼を開ける。
目の前には少し離れて、ウルティマの本体が。後ろには焦りと期待の視線を投げる雪姫と、刀を持つ――が映る。
二人とも状況を図りかねているのか、雪姫は残り少ない力を絞り出すように雷を溜め、――はタブレットケースの口を開けていた。
「…大丈夫ですよ、2人とも。…この体は俺の物になりましたから」
振り返り、静止するように高く、しかし優しい声音で2人に微笑む。ウルティマの動向は、先ほどやられた様に背部に作った眼で注視してる。
「いや、そりゃあによりだが…、白竜君、その体はわざとか?」
「え…、えっ!?」
呆れたような視線の――に気付いて、白竜は自分の体を見下ろしてみた。
裸だ。
(そういえば服を作ってなかった。いやそうじゃない。
平らな筈の胸板は何故か膨らんでいて、先端についている乳頭は存在を誇示している。
胸の隙間から見える股間には何もぶら下がってなくて、薄い毛が見える。
……まさか!!)
慌てて掌にも目を作り、そこから自分の姿を見てみると、
「巻兄の言ってたことはこういう事かぁ…!」
そう、体を作ることだけを意識しすぎて、「辻白竜としての体」を作る事は意識してなかったのだ。
だから、この体の中に多く残る飯綱妃美佳の情報と辻白竜の情報を掛け合わせて、白竜のような妃美佳のような、それも女の姿になっていた。
「白竜さん、後ろです!!」
背部の目と、自分の姿を見ている掌の目。二つの視界の中で、自分に迫る本体の姿が見える。その身は広がり、白竜の上に覆い被さろうとしてきた。
「っ!!」
脚を動かし、その場から跳び去る。女性としての肉体であっても、どうやら人間より強い体のようだ。
3mの距離を一足で跳び、ウルティマの捕喰を逃れる。危険かと思っていた着地も、想定していた以上に恙なく行えた。
(…大丈夫だ、今の所は。この体は動かせる!)
振り返り、顔の双眸で本体を見据える。
目の前には巨大な粘液のような肉体のような塊の、ウルティマ本体。自分はあれの中にあった内の2人分にも満たないかもしれないけれど。
「喰われた俺の体…、取り返させてもらう!」
改めて目的を言葉にする。その必要が無いほどに心は決まっており、足も震えずに済んだけれど、何よりもそれは目の前の本体に聞かせる為に放つのだから。
しかし、それに応えるように本体が蠢いて、顔と、体が生えてくる。一番最初に、“白竜”の体が。
「取り返す…、取り返す?」
“竜巻”の体が。
「俺達の体をお前が取り返すってのか?」
“竜峰”の言葉で。
「……どうやって分体を奪ったのかは解らんが、それができると?」
“妃美佳”の貌で。
「なぁ辻ぃ、ホントにそれが出来ると思ってんのか?」
“奈央”の喋りで。
「1人だけですもんねぇ、出来ない事は言わない方が良いよ、辻くぅん?」
“ウルティマ”の欲求を、告げてくる。
「できないよ、“俺”。…できない事はやめて、俺達と一つになろう?
まだ世界には俺達の知らない事が多く、喰った事のない物が多い。…早耶さんのことだって、そうさ」
揃ってウルティマの視線が早耶の方へ向く。それを隠すように――は立ちはだかり、右手に刀、左手に持ったタブレットケースから、一錠を口に含んでいた。
「…ほら、あんなふうに、捨てた人が喰らう邪魔をする。自分の意志で捨てたはずなのに、未練がましく立ちはだかる。
憎らしい、ムカつく、腹立たしい。でもそれ以上に俺達は早耶さんを喰らいたい。
“俺”なら解るでしょ、どれだけ早耶さんに想い焦がれてきたか。言いたくて言い出せず、2人の跡を着いてきた早耶さんを不憫に想って、隣に並んで。
パシリ扱いにだって甘んじて、あわよくば抱きたくて、その感触を想像して自分を慰めて欲望を吐き出して。
それが出来るんだよ、早耶さんの体を喰ってしゃぶって取り込んで、俺達の中に留めて俺達の体で作って早耶さんを抱いて早耶さんに抱かれて味わえるんだよ。
“俺”だってそうしたいはずだ、解る筈だ。でも“俺”は邪魔をする。捨てた人のように邪魔を…!」
たくさんの口で矢継ぎ早に、勝手な思いを口にする。
勝手。そう、勝手だ。
そこにあるのは早耶自身の事ではなく、早耶を喰らう事によって得られる快楽を自分が求める事。
あの中の【自分】は、歪んでいるけれど。
「…解るよ。解るけれど、俺は“お前”を認められない!」
言われるままは許せない。恥かしいことを言われた気もするけれど、そんな事は頭にも残らなかった。
「そうだ、確かに俺は早耶さんをそういう目で見ていた。
最初は優しさに触れて、小さくて可愛いと思って…、飯綱さんや尾長さんに連れ回される姿を不憫に想ってた。
その力になって、あわよくばなんて思った事もある。そこはお前の言うとおりだ」
「なら良いじゃねぇか。認めちまえよ、“白”。今なら出来るんだぜ、好きな女も、ムカつく男も、ついでにそこの女も。
俺達で包み込んで喰って味わって取り込んで、好きにできるんだぜ?」
「それは“お前たち”の欲望だ。…俺はそんな事を望まない。体を望むことはあっても、体だけを望んだ事なんて、一度も無い!」
「……ならば“白竜”は何を望む。彼女の思考か? 彼女の家族か?」
「それなら喰っちまえば簡単だぜ、思考の再現も家族の捕喰も、交わっちまえばすぐにできるじゃねぇか」
「それじゃ意味が無いんだ。思考は欲しくない、家族とはいい関係になりたい。
けれどそれは、一つになる事じゃ絶対に得られない」
「…辻くんは何を言ってるのぉ?」
ウルティマの思考は、自分とはかけ離れている。彼等は本能で、知る事と喰らう事で生きていて。
だから辻白竜という男の意志、魂の求める物を知らない。知っていても、思い当たらない。
息を吸って、吐く。
「俺は…、早耶さんと愛し合いたい。体だけじゃない、思考だけじゃない。
一個の命としての、心の繋がりが欲しいんだ!!」
それが自分の望みであると、吐きつける。
「その為には、早耶さんに生きててほしい。けれど“お前”が早耶さんを狙って、喰らおうとする。だからこそ認められない。
俺を取り込んで“お前”が我を通そうというのなら…」
意志を全身に張り巡らせる。核を中心として、肉体全てを動かすために気を練って、指先一つ、毛筋一本にまで通して。
「俺が“お前”を取り込んで、支配下に置いてやる。俺は俺の、意志を貫く!!」
決定的な一言と共に、本体へ向けて走る。
「――さん、一気に全体に触れるのは危険ですから…!」
「解ってるよ! キザン、憑け!」
後方での会話と、直後に飛んできた刃を振るう衝撃波。白竜の背を跳び越えて本体を刻み、切り口部分が雷に焼かれる。
別れた数は30近く、その最も大きい部分へとその身を跳びこませる。
切り飛ばされ、切断面を焼かれながらも、本体は支配を離れた分体を最優先目標とし、それを取り込むためにそれを受け止めた。
どぷん、という音がする。
粘液の中に包まれた白竜は、その身の形状を解いて自らの身も粘液と化し、本体の中に融かしこんでいく。
生前の情報を元に、丹田から発し気を練り込んだ肉体は確かに本体の中を巡り、突き進んでいく。
しかし逆に、本体も自分の中に侵入し、その支配権を乗っ取ろうとしてくる。
同時に流れ込んでくるのは、ウルティマとしての巨大な本能。
食欲と、知識欲。
喰いたい。そして知りたい。
単純明快で強い、化け物としての意志は、『雷火』の中枢機関越しにも強く、感じられる。
けれど、
(負けるか…! 負けられるか…!!)
妃美佳を喰らって犯した。
早耶を犯して喰らった。
甘美な女体を自らに取り込んで、2人を殺した。
研究所で自らが本能で生きる事を知った。
死に瀕している兄達を喰らった。
何十人もの知識と情報を得て、殺した数は膨れ上がった。
体のどこかで再現した性感に侵入される。突き進む自分が、本体の性感に繋がる。
作った脳髄を、それに繋がる魂を少しずつ蝕みながら、本能と意志が鬩ぎ合う。
『喰いたい』
「ダメだ!」
『知りたい』
「喰わなくても出来る!」
『喰いたい』
「人じゃなくても良いだろ!」
『知りたい』
「それ以外でも!」
『喰いたい』
「本能に抗うのが…!」
『知りたい』
「意志で…!」
『喰いたい』
「人間は、俺は…!」
『知りたい』
「意志の元に生きてる、から…!」
『喰いたい』
「この本能、ウルティマを…!」
『知りたい』
「俺の意志で、抑えるんだ…!!」
繋がり合い、塗りつぶされそうな中、必死に自己を奮い立たせる。
たった一つの命を携えて、異形の生物に立ち向かう。
切り飛ばされた体が徐々に帯電から逃れ、本体に寄り添ってくる。一つずつ、一つずつ。重なり合うごとに欲求が膨れ上がり、増していく。
けれどそれも、その一つずつの流れに逆らわず、添って理解していく。
何人も、何人も重なって欲求も流れも強くなり、身が引きちぎられてしまいそうだ。
どれほどそうしていただろう。疲労か、擦り減ったか。
いつの間にか「白竜」の意識は途絶えていて、今になって目を開けた。
「…お、レは…」
…自分は、どうなったのだろう。
【自分はどの「白竜」か】
>A.危険度10%。本能に打ち克ち、体を掌握するた「魂の白竜」
B.危険度50%。双方を併合し、欲望と理性の狭間で揺れ動く「人外の白竜」
C.危険度99%。意志に勝利し、目の前に存在する者達を喰らう「ウルティマの白竜」
簡易キャラクター紹介 Ver.2
ミイヅル
――と契約している小神。刀剣鍛冶を司る。
職人気質で少々融通は利きにくい。
カザネ
――と契約している小神。風と季節の運行を司る。
六柱の中で最も古株であり元寇時代から存在。
ラウラ
――と契約している小神。旅行の安全を司る。
旅先の美味しい物をねだる腹ペコ。
キザン
――と契約している小神。狩猟を司る。
物欲センサー常時発動中。
???
――と契約している小神。薬(毒)を司る。
元々は毒の神であり毒舌。
???
――と契約している小神。音楽を司る。
音ゲー万能だがダンスはダメダメ。
枢木括(くるるぎ・くくる) 終戦時28歳
自らの肉体は滅びた魔術師。魔術的素養の高い体を使っている。
現在は竜峰のクラスの生徒である、真宮雅弓という少女に憑依中。
そのまま読むことは然り、換喩、逆説、同音異語に韻。挙げればきりがなく、どこまで続ければいいのか解らない程に。
そして言葉がある故に意志を言語化し、疎通を図る。もちろんそれは、相手がその言葉を知っていれば、だが。
少なくともこの場に関してはそれは問題ないだろう。対話の相手は、日本人と日本の鬼。紛れもない同郷の存在であり、同じ国の土を踏む者たちなのだ。
名前という物には意味がある。
言葉を以て付けられる名前には、言葉同様様々な意味を持つ。額面通りの言葉や、そこに秘められた意図。余人が気付かない真なる意味。
それらの名前は時として力を持ち、ある種の運命を呼び寄せる。似た者を引き合わせ、異なる者たちを憧憬に焦がれ合わせる。
この2人が今こうして顔を突き合わせ、会話をしているのも。彼につけられた名前と、彼女につけられた名前とが運命の一因なのだろうか。
男の名前は白竜(はくりょう)。水の名を意に持つ霊魂。
女の名前は雪姫。氷の結晶を名に背負う鬼の末裔。
2人は今、忌乃家奥の間で対話をしていた。
時は少し遡る。
* * *
砂滑早耶が雪姫に料理を教える為、忌乃家へ足を運んでいる時。
ごく簡単なパウンドケーキを作りながらも、雪姫の意識は早耶の少し後ろへ向いていた。
人間には災厄からの守護を担当する祖先の霊、守護霊と言うのが存在する。普通ならば人間1人に対し、守護霊も1人である筈だが、彼女の後ろにはなぜか2人いる。
片方は穏やかな表情の老婆。顔立ちから推測するに、恐らく彼女の祖母か曾祖母だろう。
けれどもう一人は、夫と同年代の男性の霊。
(…変ですね、これは)
深く観察していると、男性の霊は早耶を見守り、時折妃美佳に対して申し訳なさそうな顔をしている。耳を澄ませば、長い陳謝と不安や動揺の独り言しか聞こえてこない。
良い友人である早耶に、今し方知り合った妃美佳に対し、何か起ってしまわないか。それを考えると、この霊に対しすぐさま話を聞く必要があると思うのだが。
「もういいかな? 雪姫さん、焼き上がりを確かめてみて?」
「あ、はい。…何もついてませんね」
「もう大丈夫かな。後は形から取り出して少し冷ますの」
「これで…、完成ですね?」
「はい、よく出来ました」
とまぁ、この様に来客がいる状態では容易に動けないのだ。
人外は極力、常人の目に留まるように動いてはならない。さらに人間同士の闘争に極力関与してはならない。
そのような不文律が室町時代には出来ており、今なお続いているのだから。
「ところで雪姫さん、――は…?」
「――さんでしたら、先ほど跳びだして行きまして…」
「何だよせっかく作ってやったのに、ソイツもタイミング悪いな」
「良いんですよ、また作りますから。飯綱さん、良ければこれ食べます?」
「良いのか?そんじゃ遠慮なく」
少しだけ冷まして切り分け、皿に添えたフォークを手に取り、今しがた出来上がったパウンドケーキを妃美佳は食べ始める。
先ほどから感じている不審な霊の視線から、彼女にも何かあるのだろうという予測は付く。ではそれが“何”であるのかはいまだ想像の範囲でしかなく、今できることは警戒が精々であった。
「やっぱり雪姫さんって手際良いね。この前教えた時より、ずっと早くなってる」
「早耶さんの教えが良いからですよ。…やはり、――さんに作ってらしたからですか」
「……それは、うん、あるかな。小母さんの手が回らなかった時とかに、ね」
「羨ましいですね。早耶さんの料理は、――さんにとって第2のおふくろの味と言う所でしょうか」
「そんな事は無いよ、うん、きっと…」
「そんなに卑下しなくても良いんだけどな。早耶って素材が悪いわけじゃねぇんだしさ」
「ぅ…、そうかな…」
「そうですよ。早耶さんがその気だったら、私は負けてましたよ」
「ぅ…」
あえて触れまいとしていた、夫を介した“もし”の話を持ちかける。
雪姫の想像通りに早耶は消沈してしまうが、気になったのは彼女の後ろに居る男の霊。彼は今確かに、『早耶を落ち込ませた自分』への敵意を僅かに見せて、
(…こちらもですか)
同時に、妃美佳からも同質の視線を感じていた。早耶を気遣うような気配と同時に、その話を持ち出すんじゃない、という微かな敵意。
気になるのはその視線が同一に過ぎると言う事だ。
親しい相手ならば彼女を気遣うのは解るが、これは異質だ。他人ならばもう少し、向ける視線の質が異なっている筈だというのに、多少の差違しか無い同一の気配を感じてしまう。
果たしてそれは何なのだろう。
他にも幾つか簡単な菓子を習いながら、時折女同士の語らいを楽しんでいた最中。
「……わり、ちょっと急用を思い出した。戻らないと」
「そうなの?」
「そうなんだ。悪いな雪姫さん、お邪魔して、その上先にお暇させてもらうけどさ」
「いえいえ、用が有るようでしたら仕方ありません。玄関まで案内しますね」
「いいよいいよこのままで。そんじゃお先にー」
「またね、妃美佳」
「また来てくださいね、飯綱さん」
突然に妃美佳は帰宅し、居間に2人が取り残される。
家を出ていく気配を察し、それが不意に“消えた”と認識した時、忌乃雪姫は一つの確信を抱いた。
飯綱妃美佳は“人間のフリをした何か”と成っている。その回答をすぐに弾き出せるほど、雪姫は人外同士の戦闘に携わったわけでは無い。
そもそも人外は種族として存在する者の他、一属一種の存在さえいるのだ。自分の知らない人外など掃いて捨てるほどいるし、その全てを知っていることなど、ようやく齢19を数えた彼女は知る筈もない。
だが今は、それと解った事から推察することが必要となっている。
唐突に消えてしまった事から類推する。意図的に存在を希薄にすることができるような『都市伝説』の可能性。恐らくこれは無い。
噂話によって発生する『都市伝説』は一属一種だが、「妃美佳を題材にした話」や「他人になり替わる話」の内容が知られてない。
次に空間を渡る事の出来る魔族の可能性。これは僅かにありうる。
鬼と魔族とは、洋の東西を分けるとはいえ似通っている“怪異の象徴”だ。姿を変える事など容易にできるし、人間を装う誤魔化しを得意とする存在もいる。何かに成り替わられているのかもしれない。
その可能性を一度横に置いて、何かに憑依されている可能性もある。
幽霊やその他、人間に寄生する類の人外に意志を乗っ取られている事も無い訳ではない。しかしこれでは先ほどの「幽霊と同一に過ぎる視線」の説明がつかない。
憑依ならばそもそも幽霊が妃美佳に憑けば良いだけではあるし、寄生する類ならば視線の在り方が異なる筈だ。
(…他には何か…)
「…あの、雪姫さん?」
「え?あ、すみません早耶さん、ちょっと呆けてしまってました」
「もう、唐突過ぎるよ。…それで、どうしたんですか?」
思考を中断するように、早耶が言葉を投げかけてきた。慌てて表情に笑顔を浮かべながら、話題を取り繕う。
「いえ、また飯綱さんがいらした時の為に、何か用意しておこうかと思いまして。早耶さん、飯綱さんが好きなお茶菓子ってあります?」
「えっと、特に好き嫌いは無かった、かな? あ、でもよくチョコを食べてたかも」
「チョコレート系統ですか。用意してみますね」
「ごめんね、お金使わせちゃって。…そういえば雪姫さんは食べられるんですか?チョコ」
「はい。…通常のより、ホワイトチョコの方が好ましいです」
「そこも白いんだ、雪姫さんブレないね…」
2人だけになったが女同士の会話を行い、早耶が持った疑念を遠ざける。
あの人外の正体を類推するのは、ある程度落ち着いてからにするしかない。その手掛かりとして、彼女と似た視線を向けた幽霊に、僅かに意識を向けつつ会話に興じる。
時が流れ、暫し。
「…あ、もうこんな時間。ごめんね雪姫さん、この後仕事があるし、私ももう帰らなくっちゃ」
「そうでしたか、月並みな言葉ですが、時間が過ぎるのって早いですね」
「ホントに。…――は帰ってこなかったね」
「後で怒っておきましょうか?“どうして早耶さんが来てる時に帰ってこなかったの”と」
「いいですよ、――にも事情はあるんだし…、…それじゃあ失礼しますね」
妃美佳が帰途についてから、陽が落ちて早耶も帰り支度を始めていく。今度はきちんと見送る形にしたいと言う事で、外に出て正門前まで見送ることになった。
「それじゃあ、また来ますね」
「えぇ、お待ちしてます。それでは」
挨拶の後に早耶が背を向けた瞬間、彼女の背後に控える男の霊を、“むんず”と掴んだ。
『唐突に失礼します。…あなたにいくつか訊ねたい事があるので、引き続きお話をしたいのですが』
『え…!? まさかあなた、俺が見えるんですか…!?』
『えぇバッチリ。…先ほどからの視線に関しても存じてましたよ』
『そ、そうでしたか…』
常人の耳には届かぬ、霊同士にのみ通じる声音で会話をしあう。白竜の目の前で、少しずつ早耶の背中が遠ざかっていく。
白魚のような指から逃れようともがいても、如何なる能力か、白竜の肩から手は離れなかった。
『別に取って喰いはしませんよ。ただ単純に、あなたの事に興味があるだけです』
『…本当、ですか?』
『誓って嘘は申しません。宜しければお茶も出しますけど、どうします?』
薄く微笑みをむける少女に、白竜の霊魂は少しだけ悩む。
今の自分がどんな状態なのかは身を以って知っているのだ。建物はすり抜ける、生きてる人間に触れない、声を聞かせることも出来ない、見ることも出来ない。
尽くに物理的な干渉が不可能な、幽霊。それがオカルト知識に乏しい白竜でもすぐに持ち出せる結論であり、間違いではないと言うような数々の状況。
自分が何かに喰われて死んだことは確かに覚えている。その後に自分の状況を僅かに把握し、そして早耶の元へ到達したのも覚えている。
では、そこからは?
自分を喰らった存在はあの後消えていたけど、どうしていた?
今まで、早耶の心配ばかりが先に行って思考しきれていなかった事実を、今になって思い知る。
それと同時に頭の中に溢れるのは、あの場に行くよう指示した奈央、そして自分の兄達や母親のこと。
『そうだ、すぐに…! 皆無事なのかも確かめないと…!』
『少しばかり慌てるのはお察ししますが…、冷静になれないまま動いても、事態を悪化させるだけと思いますよ。
急いては事を仕損じるとも言いますし、せめて気持ちの整理をつけるだけでもすれば、今後の動きも決めやすいのではないでしょうか』
『…っ』
肩を掴んだまま、白い少女は語りかけてくる。
『ほんの一時でも構いませんし、事が事ならば助力も出来ると思いますよ』
『…本当に、できるんですか?』
『肉体の無いあなたに触れて語りかけている時点で、只者ではないという考えは無いようですね。…ふむ』
彼女の言う事を聞ければ、少しは道が開けるのか。そう問うような意識が視線に強く込められる。
値踏みをするような視線を向けながらも、彼女はそれを受け止めて、一つ頷いた後に、肩から手を離した。
『あなたの疑問に、こちらで用意できる限りの答えを出しましょう。
それで信用できないと思うのならば、どうぞ御随意に』
振り返り、立ち尽くす白竜を置いて屋敷の中へと戻っていく。
その背中は小さいながらも、白竜の目には酷く広大で、果ての見えない雪原のようにも見える、一種の冷たさが存在していた。
まるで無のように見える彼女の背に、白竜の採った行動はついて行くことだけだった。
自分の体が幽霊であり、何も出来ないという事実。そしてそれに触れて、あまつさえ言葉を交わすことをした彼女。
自分が逆のことをするまでにどれだけの時が掛かるか解らず、そして時をかけても本当に行えるか解らない。
ならば、可能な限りを識る。
技を、術を、技術を見て、独力で成し得ないことを助力によって成し遂げる。
その選択が、行動の理由だった。
* * *
時計の針を戻そう。
奥の間、雪姫の私室にて、2人は相対していた。白竜の前には、僅かに湯気を立てる緑茶と茶菓子。
白竜が座している場所には座布団が敷かれており、それらは確かに白流に対して供されている。
「…大凡の、人間が知らない世界のことはこんな所です」
『…妖怪や幽霊とか、…その、化物とかも、この世界にはちゃんと存在してるんですね』
「はい。普段の人間達が行っている厄払いの行事などから、表立って人前に姿を現すことを殆どしてないだけで、きちんと、居るんですよ」
この世界の、人間達が知らない側面を既に雪姫は語り終えていた。時間にして十数分という所だが、多少は端折ろうと語って聞かせるのなら充分な時間だった。
『そして…、あなたが本当は鬼だということも』
それは彼女自身の出自にも触れていた。
多くは語らずとも、その姿を現しているのを見れば解る。薄くなびく蒼みを持った髪と、額に抱く金色の3本角。
ただそれだけの変化だが、漂わせる気配はそれを見せる前から大きくかけ離れた、一種の恐ろしささえ見せている。
「はい。もっとそれらしく見たいのなら、虎柄の下着姿にでもなりましょうか?」
『い、いえ、結構です! 脱がなくていいですから!』
そんな気配に合わぬ様なおどけと笑顔は、不協和による恐怖を白竜に抱かせる。
決して雪姫が着物を脱ぐ為、帯に手を掛けていたからではない。ないのだ。
『…ともあれ、それは解りました。もしかしたら、俺が遭遇したアレも、そういった物なのかもしれませんね』
「あなたが見たという物に関しては存じませんが…、可能性はあるでしょうね」
『…そこで一つ、聞きたい事があります』
「はい、なんでしょう」
肉体が無いはずなのに、出てきそうな唾を飲み込む。座布団の上で正座して、膝の上においた手を握りこむ。
『俺は…、アレに勝てますか?』
「無理ですね」
にべもなかった。
「あなたの死の原因も、類推するに人外だろうと思いますが…。あなたがソレに勝つのは、不可能といって良いでしょう。
それほどまでに人間と、人外との間には隔たりがあるんです。
それ故に人間と人外はお互い距離を取ったのですから」
雪姫から告げられた言葉は、“何も出来ない”という事に等しかった。
口が開かれ、言葉が告げられた瞬間、白竜は無念の思いに歯を噛み締める。
「ただし…」
『…ただし?』
「あまり薦められた手段ではありませんが、あなたにも一時的に人外の領域に踏み込めれば、勝てはするでしょう。
その後に戻ってこれる保障は、私には出来ませんが」
『…………』
それを最後に、雪姫は言葉を打ち切った。次に白竜が何を言うのか、どうするのか。それをまるで見定めるかのように。
『…………』
「…………」
どうすれば良いのだろう。
このままで居るのか、それとも僅かながら人外の領域に足を踏み込むのか。その結果、早耶や兄弟たちを守れるのか。
悩んでいたけれど、答えは結局、一つしかない。
『…っ』
「あら?」
口を開こうとすると、足音が聞こえてきた。あまり迷いのない足音が縁側を鳴らし、こちらへ近付いてくる。
影が映る間もなく、障子ががらりと開けられた。
【誰がこの場にやって来たか】
>A:忌乃――(ドラゴン兄弟と一緒)
B:朱星(≒朱鬼蒼鬼の朱那)
C:砂滑早耶
障子戸を開けて入ってきたのは、男性だった。年の頃は白竜と同じほどで、腰まで伸びた長い髪が特徴的な。僅かに吊り上った眼は、それに見合うような意志の強さを視線から垣間見させている。
「お帰りなさい、――さん。お迎えできなくてすみません」
「ただいま、雪姫さん。そっちも事情があるみたいだし、仕方ないよ」
「もう、そういうことはあまり言わないで下さい。私だってちゃんと妻としての役目を果たしたいんですから」
入ってすぐに雪姫と会話をしているのは、今し方出てきた言葉や男の名前から察するに、彼女の夫なのだろう。
それは即ち、白竜としては早耶を差し置いて別の女性に走った男の事である。
『……っ』
可能なら一発殴りたい。詫びの言葉は要らないが、それでもこの心中に留まる鬱屈した思いを、何かしらの形でぶつけてやらないと気が済まない。
「そのですね、実は今、霊体のお客様が…」
「え、そっちも?」
「……と言う事は、――さんもですか。しかもお2人も」
開けられた障子戸からさらに入ってきたのは、今の白竜と同じく霊体の、しかも見覚えのある2人だった。
『……突然の事だが、失礼する』
『お邪魔しまー。この家すげぇな、文化財とか時代劇とかの中に出てきそうだよ』
『峰兄に、巻兄…っ!?』
それは誰であろう、自分の兄達の霊であったのだから。
『……お前、本当の白竜か!?』
『タナボタってなこの事か…。忌乃、感謝。そして白を引き留めてくれてたそちらの御嬢さん、感謝します』
「ちょい待てぃ、人の細君の手を取ろうとすな」
「大丈夫ですよ――さん、それが出来る程の霊体ではありませんから」
『……こら竜巻、いきなりは失礼だろう』
『おっとそうだった。白、お前本当に白か? 白だよな、身体無いみたいだし、俺達と同じ状態っぽいし』
『え、えぇと巻兄、峰兄…? 2人ともどうしたっていうの? 本当のって、それにその人…』
傍目には弟に詰め寄る兄2人の光景だが、普通と違うのはその誰もに肉体が存在しない事で。しかしそれさえ抜かせば互いを労わる確かな兄弟愛の在り方なのだが…。
その光景を見ている雪姫は、一つため息を吐く。
「…これは、少しお話が長くなりそうですね」
「ホントだね…。ここじゃなくて、居間に移動しようか」
「そうしましょう。折角ですし、お茶も淹れ直しますね」
「あぁいや、良いよ、俺が淹れるから雪姫さんは待ってて?」
「…私をこれ以上待たせるんですね、早耶さんが来たのに帰ってこなかった――さんは」
「……あ、はい、すいません、でした」
少しだけ脅すような、悲しむようなポーズを見せると、冷や汗と共に――は謝る。婿入りと言う関係上、彼の立場は、弱い。
『…………』
そしてそんな光景を、ドラゴン三兄弟は三様の視線で見ていた。
『……忘れられているのではないか、俺達は』
『そりゃねぇと思うが…、イチャつきやがって…』
『…………』
純粋に今後の事を心配している長男、少し妬みの籠った次男、そして男に隠しきれぬ敵意を向ける三男。特に三男、白竜の視線の在り方は、兄二人とも気付いているのだが今は特に言葉にすることも無かった。
まずは何よりも、自分たちが知っていることを、何も知らないだろう弟に伝えねば、これから先にどのような行動を起こすことも出来ないから。
いつの間にかじゃれ合いが終わったのか、角を仕舞い白髪の、人間の相に戻った雪姫は小さく咳払いをする。
「こほん。失礼しました、御三方。詳しいお話を聞きたいので、居間の方へどうぞ」
「お兄さん達は、弟君に言っておくこともあるだろうしね」
『待って、その前に一度家に戻って…』
「家の事なら、カザネとラウラを行かせてる。2人の力を合わせられれば閉じ込められるし、外に行くことも無いよ」
カザネとラウラと言うのは誰なのか。その根拠は何なのか。疑問を口にすることは、――の断定的な口調で遮られてしまった。
今の状態では何もできず、信じるしかないこの状態に歯噛みする。
それだけしか、出来なかった。
* * *
場所を変えて忌乃家、居間。今度は生者2人と死者3人がテーブルを囲んでいる。
上座側に雪姫と――の2人、下座側に辻三兄弟が座っており、全員分の座布団と茶が用意されている。
事ここに至るまで、全員は名乗り合い、雪姫は――の、――は雪姫の事情をお互いに聞いていた。
「『雷火』様の反応で跳びだしたとなると、やはり御三方は旧日本軍関連で命を落とされた…。そう考えるべきですね」
「2人が死んだ時の事は覚えてるみたいだし、その後の事も道々にな」
『…………』
『白…』
起った事を聞かされて、白竜は愕然としていた。
自分を喰った存在が【自分】に成りすまし、自分の知らない所で兄2人をも喰っていたのだ。
2人が命を落とす原因となった存在は確かに別にいるが、そんな事は慰めにもならない。ただ切欠が存在して、その結果取られた行動なのだから。
『……其方に聞きたいことがある。俺達が元の体に戻るには、どうすればいい?』
そんな態度の弟を見かねてか、竜峰が上座に座る2人に視線を向けた。
「――さん、まずは辻さん達を喰らったのは何か、解りますか?」
「『雷火』の知識を当てにするなら、恐らく『ウルティマ』かな」
『ウルティマ?』
――の言葉に、竜巻が首を傾げ疑問を口にする。思考と行動が直結するのが辻竜巻の利点であり、難点でもある。
しかしこの状況に限れば、それは利点なのだろう。提示された疑問に対して回答がすぐに与えられるのだから。
「『雷火』から何度か聞いていた事なんだけど、あらゆる局面に対応し成長していく究極生物、らしいんだが…。過去、戦時中での襲撃があっても完成の目途が立ってなかったらしい。
研究自体が続けられているのなら、その可能性がある」
『……確かに、そんな記述が草案にあったな』
『あったあった。見た時は何の事だか分らなかったけど、そんな名前もあるんだな』
竜峰の言葉に、その記述を同時に見たの竜巻もまた頷く。
「他に何か、思い出せる文面とかはありました?」
『確か南極で見つけた…異形?細胞?とかを使うって、そんな事があったか』
「え?/ん?」
こめかみに人差し指を当てながら思い出している竜巻の言葉に、2人は眉をしかめた。眉間に皺が寄り、何か嫌な心当たりがあるのでは。
その様子を見た3人は、一様にそう思わざるを得ないような、そんな顔だった。
「……南極?」
「…その、突かぬ事をお伺いしますが、竜峰さん、竜巻さん? あなたが見たという“弟”さんは、人の形以外にはどのような姿をしてました?」
最初に言葉を開いたのは――、次いで雪姫が訊ねてくる。
『……そうだな。不定形で、表面は玉虫色に光っていた』
『そそ。それに何か、意識しないと女の体っぽくなってたぞ』
『はぁっ!?ちょっと巻兄、それどういうこと!? 俺が女って、何があったんだ…!』
『知らねーよ、俺だってあいつから話を聞いただけだぞ!』
突然の聞き捨てならない事実に白竜が立ち上がり、それに応えるよう竜巻も声を荒げた。しばし言い争いを続けているが、その光景を横目に、竜峰はあの研究所であった事を、余さず伝えていく。
『……体の一部を分離して、俺と竜巻が逃げる為の車輪を脚に作ったな。どういった理屈で動いていたのかは解らんが、それも『ウルティマ』の為せる技なのか?』
「多分ね。車輪の形状なら子供でも分かるし、動かそうと思えばきっと出来る。伝達がどうなってるかは解らないが…」
竜峰の疑問に答えながらも、――の悩んだ顔は止まらない。“まさか”を問い、顔をあげて雪姫の顔を見ると、視線が絡み合った。
呼気を一つ。
「…………雪姫さん。俺、とても嫌な心当たりが一つあるんだが…ッ」
「偶然ですね、私も一つあります…」
『……何か、心当たりのある存在でも居たのか?』
「はい…。南極で、異形の細胞、そして不定形…。合致する存在が一体、記憶にあります」
「……ショゴスだ」
ショゴス。
辻竜峰が生きてから28年、ただの一度も聞いたことのない名前だった。人間の世界にしか生きていないならば無理からぬことだが、それは同時に、どのような危機に対しても無防備になるしかない。
知らなければ、備えることなどできないのだから。
『……すまない。そのショゴスと言う存在がどの様なものか、教えてくれないか?』
「…竜峰さん。この話を知ると、後戻りはできなくなっていきますよ?」
『……死んでしまった時点で、不可能だろう。出来ることは、深淵にはまり切らぬうちに歩みを止めるか、はまり切ってしまうかのどちらかだ』
「あんとまぁ、剛毅な…」
「仕方ありませんね、ではお話ししましょう…。その前に」
『しょうがねぇだろ、目の前でぐにょんってなって変身したんだぞ?もっと見てみたいだろ!』
『それを言える巻兄だって知ってるけど、俺の姿を取ったっていうならもうちょっと考慮してよ!』
『いーや出来ないね!興味があったらいかなきゃ損だろ!』
『ちょっとは危ないことを考えて止まってよ! そんなだから峰兄に怒られるんでしょ!?』
『……2人とも、いい加減止まれ』
後ろで言い争いをしている弟2人を、兄は鉄拳を持って静かにさせる。
霊体同士の接触は人間と同様には行いにくいが、竜峰が明確な意思を持って「殴る」と考えた為に、それが行えたのだ。
『『……ごめんなさい』』
頭部に巨大なたんこぶを載せて、正座をしている成人男性2人の霊は、思った以上に奇妙な光景だった。
しかもそれをやったのは、正座している2人の兄の霊である。一昔前の漫画よろしく、拳とたんこぶの両方から湯気が出ている。
『……感覚的なものだが、霊体としてどう動けばいいのかも、少しずつ掴めてきたな』
『峰兄ズリぃ』
『……やかましい。忌乃さん方に厄介になってる状況を忘れている方が問題だろう』
『…………』
『……手間を取らせました。どうぞ』
「…あぁ、もう良いのか?」
年長としての責務を果たしたような顔の竜峰、頬を膨らませる竜巻、何か納得いかないような表情の白竜を尻目に、――は呆けていたような表情を引き締めた。
「ではショゴスの事ですが…」
お茶で唇と喉を潤し、雪姫が語り始める。
ショゴスとは、かつて地球を支配していたという存在【古のもの】が作り出した奉仕種族。電車の車両ほどもある肉体は自在に形を変え、あらゆる存在になり、取り込んだ存在を喰らう。
その体内に脳髄を作製し知恵を得たことで、彼等は【古のもの】に反旗を翻し、多大な犠牲を出したが地底近くに封印される。
細かい事実は抜いて、必要な事だけを喋る。それはあまりにも深い所へ踏み込み過ぎないように、という配慮。
それは元々クトゥルフ神話という、人間が許容出来うる範囲をとうに超えた異形の物共の記述の一端だからだ。
只人が知れば精神の均衡を容易く崩し、廃人となるも多い。異形に魅せられ人道を踏み外しさえしかねない。
それ程の内容であるが故に、その全てを語ることはできず、雪姫も、――も表面的な最低限の内容にならざるを得なかった。
一つの事を尋ねられれば、さらに別の疑問が生まれるように新たな事柄が顔を出してくる。
そうなれば芋づる式に、全てを語らねばならない。そして話の内容全てに耐えられる程、辻兄弟は人外の世界を知らない。
今はただ、死んで霊体として活動しているだけの、人外の世界につま先を差し入れた程度の状態なのだから。
『…それが、『ウルティマ』の元、ですか』
「はい…。しかしどうしましょう――さん、私、ショゴスその物が出てきたら勝てる気なんて一切無いんですが…」
「正直言えば、俺も無い。…というか雪姫さんや、俺は『雷火』達の力を借りないと戦えない、体が強いだけなただの人間だよ?」
「それでも私より強いですよね?」
「借り物だって言ってるでしょ」
『……そのショゴスが一体どれほどに危険なものなのかは解らんが、恐らく本物ではないと思うぞ。企画書にも、それを応用し作るとの文面があった』
2人のやり取りを見て、思い出すために黙考していた竜峰が口を開く。
その内容を聞いて、――も雪姫も渋面を幾らか和らげた。
「なるほど、と言う事は模造品…。恐らくはデッドコピーの範疇に入るかもしれませんね」
「だが…、それならまだあんとかなるか?」
『…あなたは、なんとか出来るって言うんですか?』
――の弱気な声に、白竜は少しだけ棘の交じった言葉を投げかける。
帰宅してきてから今に至るまで、白竜が――に対して良い顔をしたことは、ただの一度も無い。
好もしく思っている女性を置き去り、別の相手に靡いた――という男に、どうしても心を開く気になれていないのだ。
それは早耶を好いている対抗心でも。
今尚憎からず思われているという嫉妬心でも。
この人物より早くこの事態に対処し、身体を取り戻さなければという敵愾心でもある。
「対抗と言う意味でなら可能だな。『雷火』の装備なら、完全に分裂されたりしない限りは倒せる…、筈だ」
『んじゃ質問。不安要素は?』
「1つ、起動してから今に至るまでに得た知識と形態の数。それが過多であれば、もしかしたら対応されかねない。
2つ、能力自体のバージョンアップが計られてる場合。模倣品が本物に近ければ、その段階で勝率は落ちる。
3つ、俺自身の戦闘経験の少なさ。技と体は鍛えてるけど、実戦経験は皆無に等しい。
…挙げるならこんな所かな」
『…戦闘技術とかも無いんですか』
「無いね。学校の授業で柔道をやっただけ。『雷火』指導の下、肉体鍛錬はしてるけど…、それで勝てるほど、人外同士の戦闘は簡単じゃないからな」
――は溜息を一つ吐きながら、ぎり、と音が聞こえる程に自らの手を握る。
その心中を探る事は、白竜には出来ないし、今の段階ではしたいとも思えない…。
『……俺達を殺した軍人は、そちらの接近に気付いて逃げていたが?』
「それは多分、相性の悪さかな。『雷火』を装着しているなら、術士…、魔術を使う人間相手なら、ほぼ勝てるだろう能力はあると自負してるよ」
『逆に言うと、装甲した上で、そういう相手にしか勝てないってことですね』
『……おい白竜』
「良いんですよ、事実ですから」
再び棘交じりの辛辣な言葉をかける。先ほどよりも確かに敵意を見せた言に、戒めを求めるような声が飛ぶが、――はそれを受け止めている。
「…そうしなければ、あにも出来ないんだ。大切な人を守る事も、攻めてくる敵と戦う事も…、そいつ等と同じ土俵に立つ事すらも」
手を握る音がまた、響く。壁時計の秒針が時を刻む音の中に、ぽたりという水音も混じり、そしてすぐに聞こえなくなった。
再びの秒針を遮り、場を動かす為に雪姫は目の前の男たちを見回す。
「…ではそうですね。次の話題としては、辻さん達の問題を提起しましょう」
『……問題?』
「はい。幽霊であり続ける事への問題なんですが…、――さん、蔵からアレを持ってきてください。
竜峰さんの最初の疑問は、その後でお答えします」
「え…?」
「いいから。…ちゃんと清めてから、持って来てくださいね」
「…解ったよ、雪姫さん」
その返事を最後に、――はその場から立ち上がり、襖を開けて出て行った。縁側を軋ませる音が遠くなっていく。
『……』
白竜の視線の先、――が手を掛けた襖の木目には、赤く鮮やかな、僅かな血痕が残っている。先ほどの水音、そして障子戸の血痕から、掌を強く握りしめていたのは確かだろう。その類推が精々だった。
男の背中を見送り、吐息一つと共に辻兄弟を見直すと、雪姫は問題を言葉にし始める。
「まずは魂自体の事に関してなのですが…、これは動植物問わず、様々な生命の中に存在しています。
生命体…物体の中に収めないと、魂が現世に存在できないからです」
『…どういうこった? じゃあ俺達がこうして存在出来てるのは?』
「まだ死んで間も無いからです。本来ならば、何かしら別の物質に魂を収めて、消滅を防がないといけません」
『……消滅、だと?』
「えぇ。そうして自分の存在をどこかに留めておかないと、人間の魂はすぐに消えてしまうんです」
『…なら、もし俺達がこのままで居続けたら、どうなるんですか?』
「世界に溶けて消えますね。…言うなれば湖の中に、色のついた水を一滴垂らした時のように」
『…………』
辻兄弟の言葉が止まる。自分達にもわかるように答えてくれるが、その内容があまりにも具体的で、あまりにも理解しやすい。その結果がどうなってしまうのか、大人である彼等は既に答えを知ってしまっているのだ。
ただ一滴の色水が、大量の水の中に交わればどうなるか。
答えは単純。薄まって消える。
今はまだ消えていないだけで、辻三兄弟の状態は、大量の水に落とされた色水一滴でしかない。そういう事なのだ。
「人形のような人型の器や、墓石。地縛霊は“自分の死んだ場所”に留まりますし、お盆にやってくる祖先の霊は、位牌に宿ります。
そうして自分の存在をどこかに留めておかないと、すぐに消えてしまうんです」
『……先ほどの話に準えると、世界は大量の水、魂は色のついた水で、肉体はいわば…、中身が漏れるのを防ぐ容器のようなもの、か』
「そう考えて差し支えはありません。…ですので可能な限り早く、元の体を取り戻すために必要な“代わりの体”に入って頂かないといけません」
『その代わりの体に入らないと、俺達はさっきの話通り、ってことか…』
「はい。そうなれば最早、戻る事すら叶いません…」
淡々と告げられていく事実に、3人は押し黙る。
さもありなん、今の状態でさえ放っておけば消滅に繋がるのだ。
「それと竜峰さんの最初の質問ですが…」
『……あぁ。俺達が元の体に戻る事だが…、一言で構わん。できるのか?』
「…完全に元の体、というのは無理でしょうね」
『……では、その理由を聞いても?』
「貴方たちの体がウルティマに食べられているのなら、分裂し形成し直しても、やはり肉体組織はウルティマの物になってしまうからです。
“人間としての体”に戻る事は、不可能でしょう」
『…それなら、質問しますけど』
「はい、白竜さん。何ですか?」
『…俺がウルティマに憑依したら、それの制御は出来ると思いますか?』
突然の内容に、雪姫の大きな目がさらに開かれる。驚きの他にも「それを言い出すか」というような有為の混じった視線を持って。
答えを用意しようと思考を巡らし、出てきた内容を口にしようとした所で、突如、水入りが入る。
『おい待て白、お前それで自分がどうなるのか、解ってるのか?』
『解ってるよ、峰兄。俺がウルティマに成るってことで…、…つまり、化け物になるって事だろ?』
『……それを理解しての行動か?』
『そうだよ。…元々は俺があそこに行ったから、今こうなってるんだ。自分が原因で、自分になったウルティマが原因なら…、やっぱり自分で問題を終わらせるしかないでしょ?』
『そりゃそうだけど、…なぁ峰兄! なんか俺は納得いかねぇよ! これってつまり、白が自分から人間辞めちまうんだぜ!?』
ある種の据わった、言い方を変えれば決意を固めた瞳をしている白竜に、竜巻はわずかに色めきだつ。腕を組みながら黙考していた竜峰は、僅かな沈黙の後、視線を雪姫に向けた。
それの意味する所は、白竜の意を汲むこと。例え人間をやめる結果になってしまおうとも、目的を達するまで止まりはしないだろう。
止める事は無駄だと、そう気づいた竜巻は、盛大にため息を一つ吐き出した。
『…そうかい。それが峰兄の、そして何より白の決定なら良いさ。少し腹立たしいけど納得するし、目的の為にも協力するぜ』
『ありがとう。…ごめんね、巻兄』
『謝らなくていいし気にすんなって。弟の決めたことを助けるのも、兄貴の役目だろ』
白竜の頭を、髪型が崩れるくらいの勢いで竜巻が撫でてくる。照れくさそうな、それでいて当たり前のような表情は互いが浮かべていて。
それは確かに兄弟同士のじゃれ合いだった。
微笑ましさと、僅かな羨望の籠った視線を悟られぬように一度目を伏せ、再度開いた後に確と、白竜を見据える。
「……それが出来るまで、どれほどの問題が出るかわかりませんよ?」
『覚悟の上です…』
「もしかしたら、白竜さんの意識がウルティマの本能に塗りつぶされるかもしれませんよ?」
『その可能性も、あるんでしょうね』
「そうなった場合、私も――さんも、あなたを全力で滅ぼしにかかります。それでもですか?」
『…随分念を押すんですね』
「…中途半端な覚悟で挑まれたく無いんです。死んでしまう可能性も、白竜さん自身でなくなる可能性もあるんです。危険ばかりが多い世界ですからこそ、自らの行動がどのような行為であるかを認識して欲しいんです」
沈黙が、しばし。
『…確かに、恐いですよ。けどね、それより【自分】のしてしまったことが許せなくて…、責任を取りたいんです。
峰兄も、巻兄も…。話を聞く限りだと、飯綱さんや尾長さんも…。もしかしたらもっと多くの人を襲ってるかもしれないし、それが何時早耶さんに行くかも解らない。
これ以上を止めたいと考えるのは、問題なんですか? あの――には出来て、俺には出来ないって言うんですか?』
「……そこまで言うのでしたら、私ももう止めはしません。
例え白竜さんの中にどの様な考えがあっても、最初に言った事を、誰かを真摯に思う事を違わなければ…、後は意思の強さが肝心です」
『その時は…、よろしくお願いします』
「最悪の可能性にならないよう、お力添えは致します」
『そんじゃ、俺たちも協力しないとな。お互い自分の身体に戻りたいし…、アレから【俺達】がどうなってんのか、めっちゃ気になるし』
『……確かにな』
兄の言葉に、白竜は少し息を呑む。自分を食べたウルティマが、先ほどの言葉のように気を抜くと女性化していたというのなら。
それに喰われ分裂した2人もどうなっているのか。想像するだけに恐ろしくなってしまいそうだ。
思案していると襖が開かれ、大きな桐の箱を3つ背負った――が戻ってきた。
「ただいま、雪姫さん。持ってきたよ」
「おかえりなさい、――さん。それでは台を退かしますね?」
「お願いね」
卓袱台を退かし、今の中心に大きな箱を置く。一つ置くごとに、ドスンと音がする。まるで棺のような箱には、今まで仕舞われていた筈なのに埃一つ乗っていない。
ただそれだけの事だが、不思議な寒気を辻兄弟は感じ取っていた。
『……それは?』
「御三方の仮の体です。…人形で申し訳ないですが、いつまでも霊体のままだと、いつ消えてしまうかも解りませんから」
雪姫の言葉を証明するように、――は棺の蓋を開け、中を曝す。
1体目は前髪を切り揃えられた長い黒髪の。
2体目はふわりとしたカールした金髪の。
3体目は乱雑に切り揃えられた銀髪の。
三者三様の人形が箱の中に入っているのだが……。
『…全部女性型じゃん』
竜巻の言葉が全てを物語っていた。どこか責めるような視線で忌乃夫婦を見るが、2人は疲れる事柄を思い出したようで、揃って溜息を吐き出している。
「これしか無かったんだよ…」
「4代前が人形師で、女性好きでしたから…」
「男なんか作りたくない、という我侭をぶちまけてくれたよな…」
「しかしそれ以上に高性能な人形も無いんですよね…」
高音と低音の溜息が、また吐かれる。白竜の視線は、2人と人形との間を交互に行き交い、どうしたものかと頭を悩ませていた。
少し突っ込んで聞いてみたのだが、他にあるような人形は、最大の大きさでも人間の腰の高さが精々のものや、副を着せる程度の使い方しか出来ないマネキンのような物しか無いのだという。
『…どうしようか、峰兄、巻兄…』
『どうするもこうするも、なぁ?』
『……入るしか無さそうだが…、これ等の性能差はどのような物だ?』
「1体目が絡繰機構での全面対応型。
2体目が内蔵火器での砲撃支援型。
3体目が強化四肢での近接格闘型、って事らしい」
「もし戦闘において破損や破壊が起こっても、問題ありませんよ。…使い道も他にありませんし、ね」
『……』
3体の人形を見据えて、口を開く。この中の、どれにするか…。
【どの身体を使うか】
A.黒髪人形(絡繰機構・全面対応型)
B.金髪人形(内蔵火器・砲撃支援型)
C.銀髪人形(強化四肢・近接格闘型)
>D.忌乃雪姫(術式・後方支援型) 1
E.忌乃――(降霊・近接武器型)
>F.砂滑早耶(想い人への暴走・ノーガード型) 2
どの体を使うのか。その思考を頭の中で幾度も考えながら人形を見つめた後、白竜は何かを決めたように顔を上げる。
『…あの、雪姫さん。貴女の体を使わせてくれませんか?』
『『「はぁっ!?」』』
「…その心は?」
突然の言葉に目を丸くする男3人を横目に、強い視線を雪姫は向けてくる。
気まぐれであるか否か。それとも何か別の目的が存在するのか、確かめようというかのごとき、凍りつくような刺してくる視線。
『俺がウルティマに憑依する事への危険性は、さっき何度も尋ねられました。…だからこそ、ぶっつけ本番は避けるべきだと思うんです。
可能なら別の、力を貸してくれる人外の方に、慣らす意味でも体を借りられたら、とも』
「ふむ…。確かに一理ありますね」
「いや、あの、ちょっと雪姫さん?」
「――さんの懸念も良くわかりますし、知ってるとはいえ別人に使わせる事へ逡巡があるのも解りますよ。
ですけど…、寄る辺を無くした存在の寂寥はご存知ですよね?」
その言葉で――の脳内に思い当たるのは、六柱の神霊。忘れられ、歪められ、信仰を無くした彼女たちの、出会った当初の表情。
思い出し、息を呑み、理解するけれど…。
「…、それは解るけど、それでもやっぱり男の霊に体を貸すってのは…」
「そこは白竜さんを信じましょう。悪い人ではないと、私が保証しますから。ね、――さん?」
夫へ向ける“ふんわり”とした笑顔に、――は一つため息を吐いた。
「…解ったよ。雪姫さんは一度決めたらよほどのことが無い限り意見を変えないし、俺がゴネても徒労に終わるのは目に見えてる。
でも、妻の心配をしたい夫の気持ちは解って欲しいな」
「そこはもうバッチリと。――さんの気持ちと同じくらい、私は夫の心配をする気持ちがありますから」
手を繋ぎ、見つめ合う。どちらからでもなくはにかみ合い、照れるような笑いが零れてきて。
そんな他人が見たら砂糖を吐きそうな光景を、これ以上蚊帳の外から見る必要が無いよう、白竜は強く声を出す。
『それで! 俺が入っても良いんですよね?』
「はい、構いません。白竜さんが入っている間は、私は外に出てますので…、節度もありますが自由に使って下さい」
「それと、お兄さん方はどっちを使うのか決めたか? 使わない人形は仕舞うぜ?」
ほんの少し、頬に朱が差したままではあるが、真顔を取り繕って向き直る。
竜峰も竜巻も、3体の人形を見下ろしながら悩みに答えを見いだした。
『……それなら俺は、この格闘型、銀髪の人形にさせてもらう』
『だったら俺は黒髪かな。どんなギミックがあるのか気になるし』
竜峰は銀髪、格闘型の人形に。竜巻は黒髪、絡繰の人形に入ると言う事を決めると、――は残った金髪人形の棺に、蓋をした。
「じゃあ、そのまま体に入ってくれ。本格的に体を動かすのは、慣れてからで頼む」
『オッケー』
『……解った』
「白竜さん、…あなたの道のりが一番険しくなりますが、決して心折れぬよう努めて下さい」
『…はい』
雪姫は畳の上に横になり、目を閉じる。一呼吸の後にその体から、今の辻兄弟のように霊体が起き上がってきた。身体から完全に離れ、――の隣に寄り添う。
3人はそれぞれの入るべき体に、霊体を重ね始めた。
人形に、肉体に身を沈めていく。最初は足からで、服を着るように足を延ばしていく。下半身が完全に入り切れば、次は上半身。体を横に倒していき、最後に頭を、重ねていく。
ぱちりと、閉じられた瞼が開いた。
「……2人とも、動かせるか?」
「あぁ、まずは口からってことでな」
「大丈夫だよ、峰兄、巻兄」
霊体の時より高くなった声が、音の振動として身体を叩いた。久々の肉声に不思議な感慨深さを得ながら、それぞれに上半身を起こす。
「うおすっげ、体のバランス全然ちげぇ。これが女の体なんだな」
「……確かに、無い物があると慣れが必要だ」
「ちょとこっち、帯で苦しいかも…」
さもありなん。武術家としての白竜が行う呼吸法の場合、胸部から腹部を覆う女性ものの帯では腹式呼吸がし辛いのも当然だろう。
「これで全員が入ったから、体を起こして待っててくれ。すぐに新しいお茶を淹れるよ」
「あれ、俺達の体でも飲み食いできんの?」
「あまり多くは出来ないけどね」
金髪人形の箱を縁側に動かしながら――が説明するには、人形は樹齢300年を越え霊力を溜めた樹木を用いて体を作り上げ、“人間と同じような反応をする”術式をかけているのだという。
「さすがに切り離されたら、その部分に術は機能しなくなるけどね」
「じゃ次に。…………夜の営みも同様にできんの?」
「……こら竜巻」
「ちょっ峰兄いてぇいてぇ!起き抜けにアイアンクローは止めてくれよ!」
いきなりにあんまりな質問を投げる竜巻に、竜峰はすぐさま手を伸ばして鷲掴み、親指と小指で両のこめかみを押しこんだ。
竜巻が叫び感じている「痛み」も、その術式が作用している証なのは言うまでも無いだろう。
「はぁ……。で、白竜君の方はどうだ?」
「…っ、…不思議な感じ、ですね。さっきまでとも、男の体の時とも違うような…、とんでもない力が中で渦巻いてるような、そんな気分です」
「そっか。まずはそれに慣れないといけないから、充分にそれを感じてくれ。…それと」
「…それと?」
「雪姫さんの顔で睨むのは、ちょっと勘弁して欲しいかな。あんか嫌われてるような気分になってくるよ」
言われて白竜は、――を睨んでいることに気付いてしまった。相手を好もしく思ってないことは確かだし、喋るにあたって近づかれたのもその理由。
「…すみません」
「いやまぁ、良いんだけどさ。じゃ、これだけ仕舞ってくるから」
『では私は、早耶さんの方を見てきます。何かあるようでしたら、念で伝えますので』
「よろしく、雪姫さん」
金髪人形が入ったままの棺を担ぎ上げ、雪姫と言葉を交わして――はまた部屋を辞した。恐らくは蔵へと向かったのだろう。
隣でじゃれ合っている兄達を横目に、一つため息を吐いてしまう。
(…ダメだな。やっぱり良い目で見れないよ…)
長い間傍にいたはずの早耶を見捨てて、今自分が借りている体の女性、雪姫に靡いてしまった男。恋敵とも言っていい存在は、自分の考えなど気付かないような言動ばかりをしている。
溜め込んでいるのは確かだし、吐き出したいと思っているのも事実だけれど、今そうするべきではない、という考えもまた、頭の中に存在している。
それより先にやるべき事があって、その為に動いているのだから…。
「……白竜?」
「え…?、わっ、峰兄っ!」
声がして視線を上げると、銀髪の女性…、今の竜峰の顔があった。
「……悩んでいるようだが、どうした?」
「えぇと、…何でもないよ」
「……何でもないと言う人間は、そのように何かしらがある顔をしていない」
図星だった。男の時より精緻に解る表情の動きは、自分が眉間に皺をよらせていることを、確かに伝えていたのだから。
伝えるのは情けない気もするが、きっと伝えなかったら、兄は自分が言えるまで待つつもりだろう。
けれど今、この機会を逃したらいつ言えるのだろう。
次があるか解らないと思う。このような状況になれば、尚のこと。
小さな口を開いて、目の前の竜峰を見据えて。
「…実はさ」
そこから吐露されるのは、自分が好いている相手を袖にした、忌乃――への悪感情。
少しずつ話すごとに、女々しさが心の中で育っていくような気がする。思い返して、思いを馳せて、その存在を言葉にする度に、少しずつ白竜の中に沈殿していくものがある。
「そりゃぁ雪姫さんだけなら、まだ良かったよ。霊になってた俺を見つけてくれたし、厳しいけど優しくしてくれた。
けど早耶さんを捨てた人が居て、その姿を直に見て…、気遣われて…」
「……」
「手を借りるしかない状況っていうのが、嫌で…、たまらないんだ…」
兄の前で出せる精一杯の感情を吐き出して、一息つく。嫌う相手の事を語るたびに雪姫としての記憶が蘇り、――との思い出を白竜の意識に語りかけてくる。
時に情けなさそうな顔をして、時に笑いかけてきて、人間だてらに傷つきながらも敵に立ち向かう『男』としての。体を貸してくれる忌乃雪姫がおぼえている、愛する男の顔が、チラつく。
それがまた、腹立たしい。
その表情を払うよう、少しだけかぶりを振って息を吐く。この心臓の高鳴りは気のせいだ、とも内心言い聞かせる。
「嫌でたまらない、つってもな…。解らなくもねぇけどそれは白自身の感情で、俺達は無力だろ?」
横で聞いている竜巻の言葉に頷く。記憶の内より湧き上がる愛の記憶は、そこに別の感情を植え付けそうになるけれど…。
「…だから、その力を借りるしかない。巻兄はそう言いたいんでしょ?」
「そりゃな。…俺達があのままで、どれだけの事が出来るかわかんねぇし…、白の意志を叶えてやりたいってのもある。
確かにこれが罠って可能性もあるだろうけど、…えぇと峰兄、なんだっけあの言葉、毒喰ったら…?」
「……毒食らわば皿まで、だ。ここまで来てしまったのなら、最後までやり通すしか、終着点に着く方法は無い」
「…解ってる。解ってるよ…」
兄2人は、解り切っていた答えを出してくる。
自分も含めて全員が武術家なのだ。禁欲的なものもあるし、中途半端を嫌う気概もある。進めた物を途中で投げ出すなど出来ないし、白竜としても進むしか道が無いのは解ってる。
だからこそこうして雪姫の体を借りて、女の身と人外の力に慣れようとしているのだから。
視界にかかる白髪に指先で触れる。男の指より頼りなく、男の肌より柔らかく、力もない筈の指だけれど。
「…細いよね、今の俺の体…」
「……女性の体だからな」
「それを言ったら俺達もだろ、峰兄。……ま、こっちは作りものだけどさ」
「……違いない」
互いが互いを見回して、笑う。顔は全く異なるけれど、竜峰は僅かにうつむいて口角を上げる。竜巻は上を向きながら大きく口を開ける。
そんな二人の笑い方を見て、話の内容を反芻して、思う事は一つだった。
(あぁやっぱり、この2人は峰兄と巻兄…、俺の2人の兄さんなんだな…)
白竜の心にあったのは安堵。見た目が違えど、兄弟である事を再認識して、ようやく肩の力が抜けた気がした。
そして一つの決意を固める。
(…うん、やっぱりあの人と話そう。彼の口から、どうしてこの家に入ったのか聞かないと…)
嫌悪は消えきってはいないけど、答えによってはさらに距離を取ってしまいそうだけれど、まずそこから聞いて、彼の人となりを確かめる。それによって体を取り戻すまでの付き合いとなるか、その後にも関係を保つのかを決めよう。本当に背中を預けられるのか決めよう。
ウルティマの体と言う毒を喰らう前に。まだ辻白竜が人間で在れる内に。
がらりと襖が開けられ、――が戻ってくる。手には盆があり、その上に湯気の立つ湯呑が3つ存在している。
「少しずつ動かせるようになりました? だったらどうぞ、粗茶ですが」
差し出された湯呑を手にし、熱を感じる。一気に口にしてはいけない気がして、ふぅと息を吹きかけ少し冷ます。
口にして、熱されたお茶を舌で味わい、呑み込んだ。ほんの少しの苦みと、味わい慣れた緑の香り。食道を通り、胃に向けて流れ落ちてゆく。
「……ふぅ」
安堵と、久しぶりに味わった感触に、思わず息を吐く。飲み物を嚥下した時の生理現象でもあるが、確かに肉体が取る行動である事を思い出して、また一つ。
その横で、
「あっち!? なんかすっげぇ熱い気がするんだけど!?」
「……舌が高温に慣れてないだけだろう。少し冷ませ」
「あはは、確かに男女の温感の違いって顕著だよな。解る解る」
男の時と同じように飲もうとして慌てる竜巻と、少し冷めるのを待っている竜峰。そしてそれを見て笑っている忌乃――。
他愛ない会話を、そこで行っていた。
「…………ッ!」
ぐい、と熱さに耐えながら残ったお茶を飲み干し、大きく息を吐く。僅かに舌が痛むのを堪えつつ畳の上にだん、と湯呑の底を叩きつけながら、白竜の視線は――へと向け、口を開いた。
「…――さん。2人きりで話したいことが、一つあります。時間はありますか?」
* * *
居間で2人を待たせるのもどうかと思った――は、体を動かすために庭を使っても良いと言伝し、茶と茶菓子を用意する為に台所へ向かう。
話を持ちかけた白竜は一足先に、話すために必要な場所へと歩いていた。どこに何があるのかなんて知らないけれど、雪姫としての記憶を使って、蔵の前へ。
空を見上げれば日が落ちて、夜の帳がかかっている。夜が来るのが早い時期だから、もう7時前ぐらいだろうか。
「実感ないけど、そんなに話していたのかな…」
ぽつりと、雪姫としての声音で呟く。いろんなことを立て続けに説明されて、時間間隔が無くなってきてたことも確かだけど。
それでもこれほどまでに経っていたことには、少しだけ、驚いた。
「や、お待たせ。遅くなったね」
庭に降りる為のサンダルに履き替えた――は、いつもと同じように声をかけてくる。表情もまるで、友達に語りかけてくるような笑顔。
先ほどと、何も変わらない。
「それで、話したいことってのは?」
彼の方でもあまり時間をかけられない事を知っているのか、前置きもろくに無いままに本題を切り出してくる。
そもそもこの話を持ちかけたのは白竜自身なのだから、心の準備は出来てるのだろう、と言いたいのだろうか。
けれどその前に、聞かないといけない事があった。
「しっかりと質問したい事の前に一つ。…あなたは、早耶さんの幼馴染だったんですよね」
少しだけ――の眉が反応した。理由はいくつかあるだろうが、たぶん解るのは「どうしてその話題を持ち出すのか」という所だろう。
それ程に解りやすい、拍子抜けしたような顔だったから。
「…どこでその話を知ったのかは聞かないけど、そうだ。小学校1年で同じクラスになってからの付き合いだよ。
高校卒業まで一緒にいたから、あんだかんだで12年か。…干支も一回りしたんだな」
「きっと、俺が知らない早耶さんの色々を知ってるんでしょうね…」
遠くを見て、昔を懐かしむような表情は、どこか白竜の癇に障ってくる。
…いや、どこかなんて曖昧な言葉では足りない位に、“自分が知らない物を知っている”事への嫉妬と羨望が、白竜の中には存在して、それを口に出させてしまっていた。
「俺が言っても、あんまり面白くない事だと思うけどな」
「あなたにとってはそうでしょうね。…でも俺は、あなたの知ってる彼女を殆ど知らないんですよ?」
小さくため息を一つ。
「…白竜君が早耶と知り合って、どれくらいだ?」
「1回生の時に、同じ講義を受けた時以来です。1年少々って所ですね」
同じ講堂のテーブルで、少し離れた場所に座っていた一番最初の出来事を思い出しながら、――と同じように自分も過去の思い出に意識をやっていた。
「そか。…いい奴だろ、早耶は」
「えぇ、本当にいい人です。…前の講義に出れず、ノートも取ってなかった俺に、親身になって教えてくれましたから」
講師の邪魔をせぬよう、小さな声で喋ったり、前回の内容をまとめたページを見せてくれたり。小さな丸い文字で書かれたノートは、どこか保護欲を駆り立たせるような、そんな気配さえしていた。
「早耶は犬みたいな奴だからなぁ。優しそうな奴によく懐くし後をついてきて、褒めたら褒めたら尻尾を振りそうな勢いで喜んでさ。
…声をかけられたんなら、白竜君は大丈夫だって思われたんだろうな」
「…いい人ですよね、早耶さんって」
「あぁ、いい奴だし見た目も…、身内びいきがやや入るが可愛い。そんな奴だ」
互いに知っている時期は違って、知らない時期も違うけれど。砂滑早耶という女性を通じて思う事は、一つだった。
確かに――は早耶を、恐らくは今でも大切に思ってくれている。
だからこそ、白竜は訊かねばならない。
脈打つ心臓を落ち着かせるように息を吸い、手を胸に当てる。絹製の服の上からでも解る膨らみは、少しだけ別の意味で心臓を高鳴らせるけれど。
――の目を見据え、決意と共に告げる。
「…じゃあ、ここからが本題です。
…どうしてあなたは、そんな彼女を選ばなかったんですか?」
少しだけ、空気が凍りついたような気がした。
「俺は…、早耶さんが好きです。何度も顔を合わせる内に好きになっていって、付き合たいと思ってます」
ぶちまける。
「…けれどそれを言い出せず、今じゃこの体たらくですけど…。あなた以上に大切に思ってる自信はあります」
本音をぶちまける。秘めた思いを、想いを寄せた女性を自分より知っている男に。
「だからこそ、あなたの行動が解らないし…、傷つけたのなら正直許せないとも思ってます。出来る事なら全力で殴りたい程です」
好意も敵意も同時に伝え、自分の美醜も見せつけてしまう。今の自分にできる事は言葉にすること位で、殴る事なんて、出来ないから。
2つ目の溜息が、――の喉から漏れる。
「…なるほどね。さっきからの視線の理由はそういう事か」
「気付いてたんですね…」
「気付いてないように振る舞ってたんだよ。…協力する関係上、ギクシャクはしたくないからな」
「確かに、峰兄と巻兄に対してはそうでしょうが…、俺はしてしまいそうです。…あなたからその理由を聞かない限り」
目を伏せて、頭を軽く掻き毟る。長い髪を乱しながら、――はどこかバツの悪そうな表情になっている。
「…あんまり昔語りってのも、したくないんだけどな」
「でも、話して貰わないとあなたを信じきれませんし、俺の気持ちだって定まりません。それに理由がわからないと…、俺はもしもの時、自分を抑える自信が無いです。
そうなればきっと、皆に迷惑をかけてしまう。峰兄にも巻兄にも、雪姫さんやあなたにも…、そしてきっと、早耶さんにも」
「……そこを引き合いに出すのは反則だぜ、白竜君」
「じゃあ答えてください。どうしてあなたは…、早耶さんを捨てたんですか?」
視線をそらさずに問い詰めていく。白竜にとって看過しがたい事実であり、――を許せない原因の一つを。
霊体になって彼女の傍にいた時、忌乃家に来る前、彼女の秘めていた言葉を聞いてしまった。
それを話している時の表情はとても辛そうで、そんな顔をさせてしまう男がそれ故に許せなかった。
話せば良し。話さなかったら…、そして話しても納得できなかったら…。
「捨てたというと語弊もありそうだが、確かにそうなんだろうな。…理由はどうあれ、俺が早耶から離れた事実は変わらないわけだから…」
蔵へ背を預けた――は空を見上げて、観念したように口を開き始めた。
「…ちと長くなるし、当事者しか知らない話だから一応言うけど、今の白竜君は雪姫さんの…、その事態の只中に居た人物の体を使ってるんだからさ。
記憶を探れば解りやすくなる筈だ。…ま、それも“思い出し”ながら聞いてくれ」
言われて、そういう事が出来るのだと気付いた。白竜はこの家の間取りを知らないのに、自然とここに来たのは、雪姫の記憶の賜物なのだろう。
思い出しながら、――の話に耳を傾ける。
「一番最初は、忌乃本家…つまりここからの招集が原因だった。子宝は女性しか恵まれず、家を続かせるために分家の中から最も優れた男を、婿として迎え入れるって話でな。
で、俺自身は知らなかったけど家はそういう家系だったらしく、拒否権も無いままに送り出されてね。期待と困惑と、半々の視線を受けながら家を出たっけ…」
雪姫の記憶の中で、父親が“自分”に向かって話している。
これからお前の婿候補達がやってくる。各々の心を見つめ、技を確かめ、体を預けられる存在を探せと言う、父の命令。
「俺の家も含めて…、柾(まさき)、穂村(ほむら)、石神(いしがみ)、白金(しろかね)、八重波(やえなみ)、の五家が参加した。…一家につき1人候補を出したから、俺を含めて5人だったわけだ。当時は婿入りする気なんて無かったし、どうせ選ばれる筈もないと思って手を抜くつもりだったんだが…」
彼の他に居たのは、鬼の血の影響で強い肉体を持て余していた格闘家、霊感が鋭く恐怖心ばかりが強い社会人と、変な感化をされて自らを特別と思い込む高校生、そしてまだ婿としても早いと断じざるを得ない少年だった。
――はその中で最も「普通」で、特記が不要な程の、気付こうとしなければ気付かない位の存在だったけれど…。
「その途中、そうも行かない事態が起きてな」
「…何が起こったんですか?」
何が起こったのかなんて解っている。いや、“覚えて”いるのだから、問う必要なんてない筈なのに。
「…旧日本軍の襲撃による水入りが起きてな。当時の俺は無力な人間のままだったし、他の候補が死にかけたりで、色々ご破算になった訳だよ」
周囲に気付かれないように張られた結界の中で、突然の襲撃があった。
改造された元人間の人外達が迫り、それを背後で指揮する存在がいた。父も母も、当時は家にいたお手伝いの付喪神達も、微力ながらに応戦をした。
格闘家は自信を振りかざして突撃し、右の手足を失った。
社会人は真っ先に逃げて、背中から銃弾を数発喰らった。
高校生はその光景に酔いしれて旧日本軍へ迎合し、捕獲された。
少年は何もわからず、鉄火の中で泣き叫ぶしかなかった。
「その中であなたは…、唯一逃げも、積極的に争いもしなかった…」
「逃げられなかったし戦えなかった、って言う方が正しいかな。当時の俺に戦闘経験はねぇし、向こうは人外ばっか。
…勝てる理由なんて見つからなかったし、見つけられなかった。…怪我人を抱えて下がるくらいしか、出来なかったよ」
戦闘力は多少あれど、持久力にやや欠ける雪姫は婿候補を守りながら、最も頑丈な建物の蔵に…、今話をしているここに、退いていた。
「そして、秘蔵されている『雷火』と出会い…」
「無力感を払拭したくて、戦うための手段を欲した俺は、それに手を伸ばしたわけだ…」
忌乃雪姫の記憶の中で、強化装甲『雷火』の姿は、まるで飾られた鎧具足のそれだった。台に坐して動かない、纏う者がなければ動くことのできない、鎧。
雪姫はそれを狙う敵と、傷ついた婿候補達を背に護りながら戦っていたけれど、相手の能力相性によって劣勢に立たされていた。雷は通らず、風は歯を立てられぬ決定的に不利な状況で、――と『雷火』が、言っている。
《戦った事が無いのだろう? 恐怖を押し殺した一時の意地で、命を無駄に散らすことはあるまい》
『あぁ無いさ、あんな殺し合いなんてした事無い! でもな…、目の前で女の子が戦ってるんだぞ!?』
《だが、お前のような人間ではないぞ》
『だからあんだよ! 人間だろうがそうじゃなかろうが…、俺は、女の子一人助けられない腑抜けになりたくねぇ…!』
《……》
『お前が鎧だというのなら、俺が纏う!お前を立たす、お前を動かす、お前を戦わせる!
だから俺に、力を寄こせよ、『雷火』!!』
傷ついた者を抱え血に濡れながらも、無力感に握りしめた拳を伸ばし、血を吐くような叫びと共に、――は『雷火』を纏った。
白竜としての知識で見ても、出鱈目な戦い方をして。戦った事など無いというその腕で。拳を叩きつけ、機構を放ち、先ほどまで背を見せていた少女を庇うように、立っていて…。
『雷火』の能力が高いのか、父母や付喪神達が善戦したのか。――の参戦と共に形勢は逆転し、何とか生き残れた。
けれど雪姫の父親は死にかけていて、その口で…、
「……それで…、あなたは私の家に…、忌乃家に、婿入りすることが決まって…。決められてしまって…。
逃げられ、なくなって…」
手が震える。思い出す事で恐怖心が湧き上がってくる。
父があんなことを言わなければ。
彼が戦わなければ。
旧日本軍が未だ人外の技術を用いた国防の意志を抱き続けていなければ。
候補者達が集まらなければ。
こんな事には…。
「止まれ。それ以上雪姫さんの深層心理に入り込むと、戻れなくなるぞ?」
強い語調と共に手首を掴まれ、驚きと共に――の顔を見上げる。表情は怒りとも戒めるとも取れるような、厳しさを感じさせている。
そうだ、今自分の事を何と言っていた。「私」と、忌乃雪姫の一人称で自分のことを言っていた…。
「…ま、そういう事だ。戦う事ができた結果、他の誰より優秀と言うことになった俺は、婿入りが決定した訳だ。
その時に、他の人もいなくなっちまったからな…」
手を放し、自嘲のような笑みを浮かべている――の表情に、雪姫の中に居る白竜は、記憶を読めるが故に理解せざるをえなかった。
そう、これは罪悪感。
――の未来を決定づけてしまった雪姫の、雪姫の孤独を埋める為にこの世界に入る事を決めた――の。
「それが理由で、早耶の隣から離れざるをえなくなったのさ」
それが事実とするのなら、どうして説明できるだろう。
まさか一から十まで全てを伝えたならば、きっと早耶は反対する。最初に嫌っていたのなら、その全容を知ってしまえば殊更嫌悪感をむき出しにするだろう。
「それにな、あぁいう連中が存在して、世には数えきれない人外が潜んでて、それが何時家族や早耶に牙を向けるか解らなかった。
それを止める力が欲しいとも思ったし、その為にも…、俺は人の道から外れるのを選ぶしか無かったんだよ」
彼の身は未だ人間であることを雪姫は知っている。それでも心を人の外に持っていき、人外魔境の中で生きる決意はどれ程のものだっただろう。
目を閉じ、拳を握る――は息を吐くと、険を解いた視線を白竜に向けてきた。
「……ちと説明が長くなったけど、これがその理由だ。納得してくれたか?」
納得できずにいられようか。雪姫の記憶の中から、目の前の――の言葉から、嫌と言う程に戦場の、殺し合いと言う闘争の場面を知らされて。
大切な人に類が及ぶというのなら、それを止めたいと思う事の理由を、納得できずにいられようか。
「…勝手ですね」
「…あぁ、勝手な理屈だ。言えない理由で早耶を泣かせて、哀しませたんだからな」
――の表情に陰りが覗き見え、彼が何を思っているのか、嫌というほどに理解してしまう。
白竜の意識は、憑依している雪姫の体と記憶に感化されてきているのかもしれない。自分にも罪悪感が生まれ、――の表情を見ることで更にそれが強くなる。
飲まれないよう、流されないように意識を強く保つ。
勝手な事かもしれないが、彼もその理屈を翳したんだ。だから自分も、勝手を言おう。
「そんな勝手なあなたじゃ、任せられませんから…。俺が早耶さんを守りますよ」
早耶と離れたことでそれを抱き続けているのなら、勝手な理屈でも良い。少しでも払おう。
そんな意図を抱いて告げた言葉に、――は少しだけ目を開いて驚いた顔をし、
「…そか。頼むな」
すぐに笑みを返した。
「…変に難癖は付けないんですね」
「俺に出来ない事をやる、と言ってる奴がいるんだ。そんな無粋はしねぇよ」
それはつまり、白竜のことを信じてくれるという事。これからウルティマの身体を自分の物にする事を、きっと成し遂げるという信頼なのだろう。
「…それと。今の話、早耶には内緒な」
「解ってますよ。こんな話、目の当たりにしない限り信じられませんからね」
「それもあるが、早耶と雪姫さんとの付き合いは、“そういった”関係抜きの人間同士って感じだから、白竜君も隠してくれると、とても助かる」
「大丈夫です、この先ウルティマの事を話したとしても、あなたの事は言いませんから」
少し男同士でイタズラをしたような、楽しそうな笑みを浮かべあう。
先ほど雪姫を心配したときに見せたような笑みとは違うものを向けられて、白竜も一つの確信を得られた気がした。
この人なら大丈夫だ。自分が表向きも本音も見せたように、信じられる相手には見せてくれる。
だから、次は自分の行動で示さねばならない。自分が言った事を現実にする為に。――の代わりに早耶を守る為に。
「あぁちなみに…、その、あんだ…」
「…?」
1人心中で決意を固めていると、突然――が口を開いた。顔を逸らし、何かを言い難そうに口篭って。
「…俺は女性を抱きしめたことはあっても、抱いたことは無い。いじょっ」
「それはどういう…」
「童貞ってことだよ、言わせんな」
「それって…、……あぁ、そういう事ですか」
「じゃ、先に戻ってるよ。あんか連絡が入るといけないからなっ」
抱きしめる事と、抱く事。その違いに少しだけ疑問が浮かんだけれど、わざわざ説明される事でようやく理解した。
足早に母屋へ戻る――の背中を見て、雪姫としての記憶を辿って知った事実に、少しだけはにかむ。
お互いに罪悪感が消えて、純粋に想い合えた時。本当の夫婦として契りあう約束と、
早耶と2人、まだ清い体ということを恥ずかしながら告白しあった事を。
* * *
白竜と――が互いの腹の底を伝え合っていたの頃より後、辻家。
夜が更けても母親が戻らぬ家の中では、“白竜たち”と化したウルティマが、変わらぬままに自ら等の体を貪り合っていた。
男も女も交じり合った肉体で、意識だけは辻兄弟のもののままに、時間さえ忘れてずっと。
「はんっ、っあ!峰兄っ、強すぎ、んぅ!」
「……っだが、止められん…!」
「巻兄さぁん、次はわたしに挿入させてくださぁい…」
「良いぜ…、でも一緒に挿入れるのも、させてくれよ…?」
妃美佳の姿をした竜峰が、股間に生えた男性器で妃美佳の姿をした白竜を犯している。その竜峰の秘所には、足元に蕩けた粘液から生える肉棒状の触手が突き刺さっている。
奈央の姿をした竜巻は、奈央と抱き合い下半身を融合させながら口の中で舌を絡ませあっている。それも良く見れば舌は性器の形をして繋がり合い、どこからか出した口で囁き合う。
一見して異常な光景だが、今の彼等にはそうではない、自然な光景であった。
映し出された互いの意識が求め、惹かれあうままに致している。姿形を問わず欲すままに。
疲れを知らないように体液を循環させて、放出して取り込みまた放つ。
そして、欲望が満たされれば『次』を求めるのは、ウルティマが意識を映した人間の業だろうか。
はっきりと宣言すれば、白竜(ウルティマ)は物足りなくなっていた。
辻白竜が、砂滑早耶という女性に思いを寄せている記憶はある。姿形を思い出して、表面的にその姿を取る事も。
竜峰の姿を一度早耶に変えて抱いてみて、一度は満足した事もあるけれど、どこかで違和感を拭えなかった。
『知らない』からだ。
記憶の中では知っているけれど、実物としての情報は無い。だから再現してもどこか違う。
竜峰に抱かれ、竜巻と奈央が絡み合う光景を見つめながら、彼はぽつりと呟いてしまう。
「あぁ…、早耶さんと…、一つになれたら…」
記憶の中に残るあの人物を捕喰できたのなら、
「どれだけ満たされるだろう……」
ウルティマとしての行動理念は、知識欲と食欲。ショゴスと言う怪異存在の模倣品は、真っ白の状態で作られた故に自律し思考する事さえ出来ていなかった。
他人の容(かたち)を用いねば、それが不可能なほどに。
ウルティマの肉体が蠕動し、姿を変えていく。
目の前で睦み合う2人も、自分を抱いている兄も、そして自分も。
身長を縮め骨格を変え、男の体系を変えて女の体系を整え、その場にいる全員を「砂滑早耶」の似姿に変える。
漏れ出る嬌声すらも彼女の物になり、部屋の中には同一人物の多重奏が響き始めた。
「は、あぁ…っ、峰兄っ、早耶さん…!」
「……っ、白…、早耶…!」
「巻兄さぁん…、早耶ぁ…」
「はは、奈央、早耶…っ」
「「「「あぁぁ…っ、、や、あぁぁ…っ!」」」
恐らく絶頂したのだろう。声が重なり合い、地面に広がる粘液が面積を広げていく。
それは自分に繋がっている早耶の姿の竜峰を取り込み、足りぬとばかりに早耶の姿の竜巻と、早耶の姿の奈央を飲みこんだ。
体内で混じり合いながら尚も睦み合う早耶の姿をした自分の一部と竜峰と竜巻と早耶と見知らぬ誰か達。
あぁでも足りない。
これでは足りないのだ。
分裂して活動している、妃美佳の姿の“自分”は外に居て、多分早耶の近くに居るのだろう。
彼女が足りない。彼女たちが足りない。
妃美佳の分も含めて感じる早耶の肉体は、どれほど甘美な“容”なのだろう。食欲も知識欲も、そして芽生えた性欲も。
知りたい。たまらない。止められない。
自分もそこに行く為に、妃美佳の分体に思念を送る。
彼女を捕獲し、足止めする事。その間決して捕喰しない事。
そして、自分も行こう。
彼女の姿に見つめ声を聞いて肌に触れ肉に潜り筋を舐めて血を啜り骨をしゃぶり臓腑を食み脳を融かし想い人の体と言う蜜を味わい内に取り込み自分と一つになる。
そうしたらきっと、焦げ付くような渇望と恋情も少しは落ち着く。その筈だ。
* * *
そしてウルティマが行動を始めるより少し前。
白竜に体を明け渡して以降、早耶の動向を探る目的で家を出た雪姫は、魂だけの状態になりながらある場所に居た。
現在いる場所は、
「お待たせしました、ミートコンビプレートです。鉄板が熱くなってるのでお気を付け下さい」
「お会計が3672円になります。4000円でよろしいですか?」
「12番テーブル提供お願いします!」
早耶の仕事先である、ファミリーレストランのチェーン店だった。
彼女の身に危険が及ばないよう、もし及んでもすぐに――を呼べるよう、看視の名目でこの場に来ている。
『…はぁ、早耶さんは精が出ますね。私だったらすぐに疲れちゃいそうです』
『にゃー』
道中発見した猫の霊を腕に抱きながら、空いている席に座って目まぐるしい店内の様子を眺めている。
お腹が空かない今はさほど気にならないが、肉体の方はどうなっているのか、気になってくる。
『白竜さん、大丈夫でしょうか…。きちんと食事を摂ってくれないと困るんですけど…』
生きていれば新陳代謝は発生し、空腹も排泄も発生するのだ。見られたりするのは恥かしいが、彼の決意を無碍にもしない為だ、多少の恥は我慢しよう。
互いに想いを交わしあい、結ばれる時まで清い体であれればそれで良い。無言でうなずき、納得する。
(ですけど、果たしてその時まで生きられるのでしょうか…)
忌乃家の鬼は、血こそ濃いが肉体的に頑健ではない。鬼のイメージにあるような、筋骨隆々で金棒を振り回すことなど、とうに諦めている。
それは世代を経るごとに弱さが顕著になっていき、雪姫は「人間よりは頑丈」というだけで、鬼を基準にしてしまえば病弱だ。頻度は高くないが、血を吐くことさえある。
だからこそ外部の血族を婿に迎え入れる事を決め、血を繋ごうと父は考え、また自分も頷いた。
それが結果的に、目の前で働いている彼女から大切な幼馴染を奪う事になってしまった…。
『…にゃー』
『あっ、ごめんなさい。強く抱き過ぎてしまったみたいですね』
腕に抱いている猫の声に気付いて、慌てて力を弱める。
この罪悪感がある内は、どうして抱かれる事ができるだろう。そう考えながら席を立つ。今まで座っていた場所に人が通され座られると、何とも居心地が悪い。
憑依して食事をしたい気分もあるが、他人の体と財布を使って、その上猫を放置してというのも嫌な気分になる物だ。
『何事もなければいいんですが…、そうも行きませんよね』
『にゃー…?』
何かに気付いたような、常人の耳に届かない霊の呟きに答えるのは、同じく霊の猫のみ。
店内には業務と談笑の喧騒ばかりが響いていた。
また時間が経って、時刻は22時を過ぎた。
明日は平日であり、早い時間から講義を受ける事が決まってる早耶はこの時間で仕事を上がり、帰途についていた。
「…早く帰らないと」
変な存在に声をかけられないよう、自らが危険に会わないよう少しだけ足早に歩いていく。
夜空に浮かぶ月は朔に近く、灯りは街灯とわずかな星明り程度。白竜のように自動車免許を取っていれば、もっと安心だったかなと心の中で1人呟いた。
その最中、バッグの中から携帯がメロディを鳴らす。指定された着信音は、妃美佳からの連絡だと理解してすぐに通話を始める。
『よぉ早耶、仕事終わったか?』
「うん、ついさっき。…もしかして終わるの待って、連絡してくれた?」
『そりゃぁな。大体この日はバイト入ってただろ』
「…それもそっか。それで妃美佳はどうしたの?」
『明日になる前に、ちっと話したいことがあってな。出来れば会いたいけど、いいか?』
「え、と…。うん、良いよ? それで、妃美佳は今どこにいるの?」
突然の内容に驚きつつも、明日になる前に、と言われれば気にもなる。その内容に承諾して、場所を聞こうとして、
『あぁ…、お前の後ろだ』
「え?」
後ろからした声に振り向くと同時に、ぬめりを帯びた「何か」が後方から迫り、早耶の意識を刈り取った。
「…やっちまった。アタシが、俺が、早耶を…、ふふ…」
気絶した早耶を抱え、妃美佳として活動するウルティマは含み笑いを漏らした。
指令と共に本体側の意識も僅かに流れ込み、辻三兄弟の記憶から当身を用いて早耶を気絶させる。
大切な人を喰らう為の前段階と、当身とはいえ彼女の肌に触れる事から、堪えなければいけない笑いが零れてくる。
「本当なら、今すぐにでも喰いたいけど…、ダメだ、『俺』が来るまで、早耶は喰っちゃ…」
本能と、本体からの指令との板挟みに合うけれど。
「でも…」
今この手に触れている、砂滑早耶の肢体を。
「ちょっとだけなら…」
味わいはせず、触れるだけなら、良い筈だ。
早耶を抱えて、人に見つからないように人気のない場所へ移る。
森林の多い公園の、人目に付かない草むらの中で早耶を横たわらせて、その身を睥睨する。
「は、はぁ…、早耶、さん…」
不思議と息が荒くなり、食欲の現れか涎が口の端から漏れる。ぽたりと落ちたそれは、やはりウルティマの一部であるが故に独自に動き、早耶の肌に触れる。
「柔らかい…、アタシのより、奈央のより…、俺の、より…」
ごく一部のウルティマからでも感じる早耶の肌の感触に、なおも息が荒くなる。
可能なら今すぐにでも喰らってしまいたい。でもダメだ、あぁけれど。
ごくりと唾を嚥下して、ウルティマとして知識を求める本能と、白竜として早耶を求める愛欲がせめぎ合う。
「喰っちゃダメだ、でも触りたい…、でも喰ったら…」
手を伸ばし、早耶の服の胸元を開ける。ブラウスの中から、3人の中で誰よりも大きい乳房がブラジャーに収められたまま飛び出した。
双丘を掴み、掌全体で包み込み指を沈めていく。
「…喰っちゃダメなら、こうして触るだけ…、触るだけなら、良い筈だ…」
想像でしか知らない柔らかさを手で堪能する。指を動かすごとに、下着越しとはいえ形を変えていく乳房。
しかしそれだけで満足するかと言われれば、否。これはコース料理の食前酒だけのようなものだ。これから味わうための、下準備のようなものでしかない。
ブラを上へずらし、乳房を露出させる。ふるんと自重で形を変えるそれを見て、白竜としての意識が求め始めてしまう。
触れたい。手だけじゃなくて、触りながら舐めたい。吸い付きたい。
その思考は妃美佳の両掌に「口」を作りだした。歯が生えそろい、その奥から舌が覗きこむ。美味を欲するように空気を舐めている。
掴み、握り、掌の口で乳頭を啄む。
「…っ」
気絶している最中、早耶が少しだけ息を漏らすが妃美佳は気にもかけず、掌全体で感じる柔らかさと味に酔いしれていた。
手の中で乳肉が形を変え、手から生えた口の中で乳頭を噛みしゃぶる。
一つの箇所で行う2つの行為に、“妃美佳”の貌は喜び、少しずつ形を崩していく。
「あは、は、柔らかい…。早耶さんの体、直に触ると舐めるとしゃぶると、こんなにも…」
妃美佳の、白竜の、そしてどちらのようでもある姿に変わり、蠢き、求める物を僅かにでも得られる喜びに、股座から男の肉棒がそそり立つ。
それはこれだけで感極まり白濁液を放とうと跳ねまわるが、残った理性か分体ゆえに本体に逆らえぬのか、自らの股座に残る女の秘裂にそれを突き入れる。
「あぁぁぁ…っ、本当はすぐにでも挿入したい味わいたい喰らいたい取り込みたい、でも出来ない、お預けが、本体が、まだ来ない来ない来ないぃぃぃくぅぅっ!」
自らの肉棒が自らの膣内に精液を注ぎ込むけれど、行為自体は止まらない。本当にやってはいけない事を押し留めるように、乳房を揉みながら吸いながら、本来ある口は早耶のうなじに舌を、文字通り伸ばす。
びちゃびちゃという水音を響き渡らせながら、草むらの中で続く“妃美佳”による強姦未遂は続く。
その瞬間、
「でぇいっ!!」
「ッ!?」
横薙ぎの銀光が閃き、“妃美佳”を早耶の上から飛び退かせた。
「決定的になる前には、間に合ったかな? …とはいえ、流石に見過せるモンじゃねぇな」
刀を持つ――と、その後ろに白竜が立っていた。
* * *
時を再び遡り、22時前頃。
「…っ!」
忌乃家、練武場。肉体のスペックを見る為に手合わせをしていた竜峰と竜巻は、突然立ち上がった――の動きを怪訝そうに見る。
「…どうかしました?」
「雪姫さんから連絡があった。ウルティマの分体が早耶の近くに居る」
「…っ!」
発言内容に、問うた白竜自身驚いた。【自分】がもう動き出していることと、その標的の事で2重に。
「カザネとラウラからも、本体が家を出ようとしているらしいのが同時に来た」
「なぁ、そのカザネとラウラってのは…、一体誰なんだ?」
先ほども聞いた名前のようなものに竜巻が問うと、それには白竜が答える。
「雪姫さんの記憶の中にあるよ。…彼が契約している小神(マイナーゴッド)の内二柱だって」
「……その、小神とは?」
「簡単に言えば、力の弱い神様だよ。八幡様やお稲荷様とは違う、殆ど知られてないような、ね」
竜峰の問いには――が答える。
神と言う存在は、信仰する人間が存在する故に「神」となる。信仰の念の過多により、神としての格や質が問われる。
八百万の神が信じられる日本ではそれ故に誕生する「神」は多く、しかしそれが故に「過去に信じられていたが今は忘れられた神」も存在する。
「俺はその六柱と契約して、力を借りてる。…で、さっきから監視の名目で二柱に行ってもらってたんだ」
「……『雷火』の他に、そのような対抗手段もあったのか」
「あんで、最悪の場合は『雷火』を白竜君にも貸せますよ。
…カザネ、ラウラ、本体をそこから出して分体と合流させろ。……あぁ、分体を消すだけじゃ話にならないからな」
竜峰への返答もそこそこに、米神に指を当て誰かと話すしぐさを取る。恐らくは遠くの存在と話しているのだろう。
「じゃ、俺達も行くとするか。どうにかして体を取り戻さないとな」
「……たとえウルティマの体であるとは言え、明日は月曜日だ。戻らないと、面倒な事になる」
「あ、確かに…」
今日が日曜だと言う事を思い出して、白竜は焦燥感に駆られる。
もし明日になっても取り戻せていなかったら、【自分】になったウルティマがきっと大学へも赴くだろう。そして、自分や兄達、妃美佳や奈央のように人を喰らうだろう。
それだけは止めなければならない。
「…行きましょう、――さん、一刻も早く」
「あぁ。…そんじゃ、ミイヅル!刀を!」
腕を真横に伸ばし、――の叫びと共に背後にうっすらと女性の霊が現れる。手にしている刀を――の方へ投げるとそれは瞬く間に実体化し、――の手に収まった。
装飾の施された鞘の中には、恐らく日本刀が収まっているのだろう。その形から三人はすぐに理解を示した。
「そんじゃ行きますか、御三方!」
「……あぁ」
「早く行こう。でないと早耶さんが狙われる…!」
「それと忌乃、場所は何処だ?」
「早耶がバイトしてる店の…、近く。ここからだと…走っても15分はかかるな」
脳内で地図を広げ、位置を思い出す。確かにここからだと多少遠く、急がねば間に合わなくなりそうだ。
「…竜巻さん。竜峰さんと一緒に、車輪絡繰で移動して下さい。白竜君は俺が『雷火』を纏って抱えていく」
「オッケ了解、任せろ!」
「……転ぶなよ?」
「転ばねぇよ、俺を誰だと思ってんだ?」
その返答と共に、竜巻の下半身は形状を変えて、形を組み替える。人としての上半身を残したままだが、下半身は車輪が2つ、前後に並んでいる。
まるで下半身が単車になったような姿だ。その背に竜峰が乗り、肩を掴んで体勢を整える。
「本来は横に車輪が並ぶのに、それを作り変えるとはねぇ。…竜巻さんの発想とそれが出来る人形と、どっちもとんでもないな」
「…じゃあ――さん、こちらもお願いします…」
「あぁ」
白竜の言葉と同時に、――は恋人にするように後ろから抱きしめる。
僅かに心臓が高鳴るが、すぐに纏われた鋼鉄によって伝達するのを遮られる。鬼のような装甲を、――は纏っていた。
「俺が先導するんで、着いてきてください。あと、あまり人に見つからないようにお願いします」
「無茶言うねぇ、解ったよ」
家を飛び出し、走行し続ける。車輪の音、鋼鉄の足音から周囲の耳目を誤魔化すように人気の少ない場所を通り、夜を駆ける。
竜巻が抜き去らないよう『雷火』の先導に合わせ、5分ほど走ると、
「…っ!?」
ふと、何かを突き破った気配を全員は感じた。
例えるなら、草むらの中を通った際に蜘蛛の巣にぶつかってしまったような、僅かにねばついた、しかしそれより確かな違和感。
「……何かを、突き破ったか?」
《…どうにも覚えのある結界だな。これは向こう側に先手を打たれていたらしい》
「そーいう事。そーっちが来てくれて良ーかった良かった」
『雷火』の声に応えるよう喋ったのは、どこか間と気の抜けるような間延びした声。
それにすぐさま反応したのは、誰であろう竜峰と竜巻の2人だった。
「声は違うけど…その喋り方っ、手前まさかっ!」
「……俺達を殺した、軍人か」
「おーれ達? …あーぁそっか、片っぽはりゅーほー先生だったぁ」
まるでSFの光学迷彩のように、周囲の景色に溶け込んでいた声の主は姿を現す。
昼間に遭遇した時とは異なる、9歳くらいの黒い髪を長く伸ばした少女。その姿に竜峰は目を見開いてしまった。
「……真宮か!?」
その姿は、竜峰が受け持つ教室の生徒、真宮雅弓という少女そのものだった。
「んー、そーだよぉ。りゅーほー先生に前の体ぼーろぼろにされたから、変えざるをえなくってねぇ。
そーっちも体変えたみたいで、気づくのおーそくなっちゃったぁ」
「……真宮の体を、どこで見つけた…!」
竜巻の背中から降り、真宮雅弓の体を借りる枢木を睨みつける。殺気さえ迸る程に怒気の篭った声は、粋がっているだけの子供なら思わず失禁してしまいかねない程の迫力を持っていた。
「調達班がみーつけちゃってねぇ。…正直俺だってヤなんだよ、女子供の体使うなんてさ」
「……ならばすぐさま出れば良いだろう」
「やーだよ、消えちまうもん」
竜峰の殺気を受け流すように、まるで意に介さないような返しをする枢木に向け、構えを取る。
「おー? 殴るの、りゅーほー先生生徒を殴っちゃうの?」
「……貴様の霊体だけを殴れるのなら、そうしたい所だ」
「そー言うってことは、つまりでーきないってことだね」
「……遺憾ながらな」
白竜の目には、子どもと竜峰が殺気を込めて会話をしているようにしか見えない。
けれど――には『雷火』が説明を付け加えていた。
《奴め、昼間に逃げられた術者か。…どうやら肉体を取り換えたようだな》
「竜峰さんが言うには骨をブチ折ったらしいから…、そうしたんだろうな」
「…ふぅ、しゃーねぇ」
下半身を人間としての二本脚に戻して、竜巻は竜峰の隣に並ぶ。
「白、忌乃。そっちは先に行きな。…俺達はちょーっと、こいつと話があるんでね」
「おー、おー? そーっちの白って、忌乃の嬢ちゃんじゃ…、まーぁいっか」
枢木は後方の――と白竜を一顧だにせず…、いや、目の前の二人から意識を放すとどうなるか解らない為、敢えて気にせず、腰に巻いているポーチから札を取り出し、放った。
「きーやがれ、黄泉軍-ヨモツイクサ-」
札が光を放ち消えた瞬間、そこには日本陸軍の軍装を纏った者達が存在している。けれどその顔色は一様に悪く、瞳に光りは無い。
死者が軍服を着て、武器を構えている。
《黄泉軍か。…死体まで使うとは、軍人はそこまで堕ちたか》
「わーるいねぇ『雷火』。…そこまで体裁整えられるような余裕は、うちに無い訳よ」
一瞥もくれぬまま、枢木は『雷火』の悪態にも答える。確かに、こうして人を「調達」してくるような軍に、余裕は無いのだろう。
だからこそ、成果を逃すはずもない。
「だーからまぁ、こっちとしても『ウルティマ』が欲しくってぇねぇ?」
枢木の合図と共に、黄泉軍は銃口を向け、刀を構え、ロケット砲を携える。
「…行くぞ、白竜君。向こうに取られたら、こちらの負けだ!」
「……っ、はい!」
砲火が放たれる直前に、血を吐くような叫びで答え、『雷火』は跳んだ。
そのまま雪姫が続けて指定してきた、公園の草むらが見えてくる。
大丈夫だ、兄2人なら、勝てなくとも負ける事は無いだろう。
白竜としては、今はそう信じるしかない。旧日本軍が存在し、自分と同時にウルティマを狙っているのなら、それを先に奪取しなければ。
【自分】が取られる。奪われる。――にも言って、信じてくれた自分が、失敗する訳にはいかないんだ。
《居たぞ――、前方十間先、『ウルティマ』だ!》
「でぇいっ!!」
左腕に抱えた白竜に刀を持ってもらい、そのままに抜刀し横へ薙ぐ。掛け声の所為か、それとも向こうの危機管理知識かは解らぬが、それは避けられる。
「決定的になる前には、間に合ったかな? …とはいえ、流石に見過せるモンじゃねぇな」
『雷火』を纏う――は刀を構える。白竜は妃美佳のような、自分のような姿のウルティマを見て、喉の奥から吐き気のような物が催してくる。
(あれが、【自分】を喰ったもの…)
怒りと共に、内のチカラを放とうと意識を右手に込める。紫電が右腕に絡みつき、引き絞られた弓のように発射を待ち望む。
「白竜君、早耶を頼む。…君が守ってくれ」
「…っ、はい!」
対峙し、前に進み出る――の言葉をかみしめるように、横たわる早耶の傍に寄り、見下ろす。
服を肌蹴られ、乳房を曝した彼女を見て、少しだけ赤面してしまう。
「大丈夫、早耶さん。…俺が守るから」
そうだ、自分が守らなければ。
腰を落として、背後に早耶を庇う。近づけさせないという意志を見せ、近づく者に攻撃を辞さない構えを見せる。
「俺が…、俺が守る。好きな人を、大切な人を…!」
雪姫のチカラが体内を巡り、自分の霊体に力を与えてくれるような、そんな気がして。
昂りすぎたそれは、彼にとって一つの予期せぬ出来事を起こしてしまった。
右腕に纏わせた紫電が弾け、バチンと意識が飛ぶ。
「…え?」
いつの間にか横になっていた事に気づき、体を起こす。視界に入るのは雪姫の髪とは違う、栗色の長い髪。
体を見下ろすと、開けられたブラウスとまろび出されたままの乳房。
「は、白竜さん!? 無理して電撃を使おうとしたんですか!?」
そして自分を心配そうに声を荒げる、生身の雪姫。
張りつめた弓のような紫電を、さらに高ぶらせた結果なのか。それとも白竜自身の想いの所為か。
張りつめた弓が壊れ紫電が飛び散り、白竜の魂だけが早耶の中に入ってしまった。
「この状況でこれか…!」
自らの不注意と、半ばの暴走。
それが今、白竜の魂が砂滑早耶の中に入ってしまうという現象を起こしてしまった。
【この後の状況】
A.このまま戦場で状況を見守る
B.『雷火』を貸してもらい、戦闘に参加する
>C.逃げて隠れ、不意を突いてウルティマに憑依する
「白竜君、あにを…っ、って今はんな事を言ってる場合じゃ!」
当惑し、振り向いて状況を確認しようとした――は、すぐに繰り出されるウルティマの一撃に気付き、即座に振り返る。
腕を振り子の要領で弧を描き叩きつけようとしてくる粘液の塊は、水の如くしなやかで水より遙かに重量を持っており、直撃を受ければ意識を刈り取られるだろう。
ガキン!と重い音を立てながら、左肩甲に一撃が加えられる。僅かに装甲が軋んで、――の肺からも息が漏れる。
「…っ、赤化-しゃっか-!!」
機構解放の言葉を唱え、心中で左肩甲部を指定。直後に高熱を発しウルティマの体組織を焦がすと、異変に気づいた粘液の塊はすぐに体の元へと退いていく。
迂闊に近づけば今の高熱で、体を焼かれる。
その事実に気付いたウルティマは歯噛みし、僅かながら距離を取った。
「…雪姫さん、白竜君の状態は?」
「私の力を無理に使おうとした影響でしょうか…、弾き飛ばされて、早耶さんの中にいます!」
その光景を見て、背中越しに白竜の様子を――は尋ね、雪姫は答える。前から視線を逸らすことはできず、抵抗は出来ても吸収されない事を保証できない状態では、判断の遅れが命取りになりかねない。
「それじゃあ早耶さんは!?」
「魂は…、白竜さんの中です」
言われ、自分の中へと白竜は意識を向ける。気の巡らせ方は生前からやっていた事であり、他人の体でも方法は変わらない事を、雪姫の体で僅かに知っていた。
発露の方法が自分と雪姫とでは異なったが故に、暴発の憂き目にあってしまったのは未だ彼の知らない所ではあるが…。
ともあれ、自分の体内に“自分以外の誰か”の存在がいる事を察知して、その気配が同時に早耶の物である事にも気付く。
「憑依による魂の同居は可能ですが、憑依側の魂が強ければ、元々の意識を押し込めてしまいます。この状況では、早耶さんが弾き出されたり、意識が残られるよりはありがたいんですが…」
「下手に慌てられ気付かれたりするよりは、な…」
――は手にした刀を構え、ウルティマと相対する。
方や鎧武者、片や表面を流動させる自分のようでそうでない【自分】。
(あれが、俺…。俺を喰った存在…)
確と見据えると、それの異様さが嫌と言う程に解ってしまう。
体型は妃美佳のような女性で、けれど腕が自分の物で、構えも習い覚えた劈掛掌のもの。踏みしめる地面や身を包む服を喰らい裸身を晒し、焦げた組織を修復していく。
顔貌もどこか自分のようで妃美佳のような、知っているけれど見慣れない異貌。
端的に言っても、恐い。
喰われた恐怖と、これから“アレ”に憑依するという事実が、白竜の喉を恐怖で鳴らす。
(俺は今から、アレに憑依するのか…)
目の前にいる、自分でない自分を見ていると、ウルティマの方から視線を感じる。
顔に付いた目は――を見ているが…、それとは別の眼球が脚にできていて、劣情を湛えた視線で、未だ開かれた乳房を見ているのだ。
「…ひっ!」
慌て、乱れた服装を雑に整えながら服の中に体を隠し、2歩3歩と後じさる。先ほどまでされていた行為と、目の前にして知った存在の異質さに、自然と後退していた。
その様子を察した雪姫は白竜の前に立ち、自らの身で視線を遮りながら白竜へと囁く。
「白竜さん、一度退いて下さい。その状況だと今憑依しても、恐らく弾き返されてしまいます」
「…だ、だいじょう、ぶ、です…」
「歯の根が合わないのに、無理をしないで。…今は私と――さんで抑えますから、心を落ち着かせて…、準備が出来たら行動してくださいね」
手を取られる。女性同士の小さな手は温かく、柔らかい。期待を込めたように握られながら、恐る恐る、握り返す。
「万一の事も考えて、障壁も張っておきますね。鬼法術『電陣』」
雪姫の呟きに応えるよう、白竜の周囲で火花が舞い始めた。
「…すみません。ありがとう、ございます…」
口から出てくるのは、謝罪と感謝の言葉だけ。いざ目的の存在を目の前にして震えてしまった自分と、それでも背を押してくれる雪姫への。
その言葉と共に背を向け、白竜は後ろへ下がっていく。離れていく背中を見届けながら雪姫も振り返り、――とウルティマを視界に収めた。
「――さん、お手伝い致します」
「解った。頼むよ、雪姫さん」
短い言葉と同時に、2人は構えを取る。いつでも踏み込めるように――は腰を落とし、雪姫は人の姿を辞めて右腕に雷、左手に風を纏わせる。
目の前に立つウルティマは、顔面の口と、喉元に作られた口を動かし始める。
「邪魔すんだな、雪姫は…。アタシが早耶を味わうのをさ…」
「だったら喰らって良いですよね、白くて柔らかくてお餅みたいで美味しそうだから」
「あぁでもアタシはそっちの男でも良いかも。肉体、タンパク質…、喰う前にヤってみてぇ…」
「確かに…、“俺”じゃないものもあなたから喰えれば、俺のものにできれば、早耶さんも喜んでくれるかも…」
「喰って良いよな、辻ぃ…?」
「早耶さんを喰らう前菜に…」
「「イタダキマス…!」」
2つの口で会話するように、ウルティマの本能が「喰らった人物の思考」というフィルターを通して、1人の存在が喋りつづける。
「生憎、前菜になる気はありませんよ」
「これ以上生身をお前に喰わせる気は、無いからな!!」
振りぬかれる粘液の鞭、身体強化を施された鎧武者の剣閃、左右の手から迸る風雷。
戦いの口火の一発目は、3人が同時に攻撃をすることで切られる事となった。
* * *
走り、離れる。交戦の音がまだ聞こえるけれど、耳に入らない個所まで逃げてしまえば、戻る事さえ出来なくなってしまう。
「は…っ、はぁ、っ、は…!」
乱れる息を何とか落ち着けようとする。
肩や胸を上下させながら息を吸い、吐き出す。何度も繰り返し、新鮮な空気を取り込んで疲労と共に外へ返す。
少しでもそれの助けになるよう、胸元に手を当てて、柔らかい乳房に触れてまた気付く。
「そうだ…、これは、早耶さんの体だから…」
ここまで走り続けての消耗度合いから、早耶の体力では、仮に結界の外までと仮定しても走り続けるのは難しいだろう。
女性としての体、雪姫の時と違う身長とバランス。その全てが、憑依したばかりの白竜の体力を必要以上に削り続けていた。
もし。もしもこれが本来の肉体ならば、ここまで走る程度なら息が軽く乱れる位で済むのに。
「…いや、今は考えるな、元の体じゃなくても…、【自分】の体の中に戻らないと…」
口に出して、自らの目的を再認識する。
先ほどの【自分】の姿を見て、人間の体で行われた、およそ人間ができるはずのない器官の創造を見て、内心に恐怖が浮かんだけれど。
自分の目的は、あの体を自らの物とする事なのだから。
「…だから、恐れちゃ…、いけないのに…」
けれど早耶の体…それを操る白竜の意志は、それを拒むように、小刻みに震えている。
思い返せば返すほど、恐怖がまざまざと脳裏によみがえる。
「もしかしたら…、勘違いしてたのかな…」
自分ができるという自信は、一番最初に遭遇した人外の“人間らしさ”から来る履き違えだったのかもしれない。
お伽噺に聞いた鬼があれほどまでに人間臭くて、その鬼の元に罪悪感を持ちながら婿入りした人間を見て。
ならば自分でもできる筈だ。
心の片隅で、そう己惚れていたのかもしれない。
対抗心と己惚れと、そして目の前の人外から「ウルティマもこんな物だろう」という見当を勝手につけていて、それが間違いだと気付かされてしまった。
どうしてアレに対して兄達は平気だったのだろう。
獲物という視線で見られなかったからか。それとも姿が自らを模していなかったからか。
それとも、兄達の精神の方が自分よりよほど強かったのか。
恐怖に震える頭で、取り留めもないことを考える。息の落ち着きと共に再燃した自らの震えを抑えるよう肩を抱き、歯の根を合わせようとする。
雪姫のより小さい、早耶の体。身を竦ませて見下ろすと解る、柔らかな体。
ウルティマはきっとこの身に欲情したのだろう。それも自分の所為かと思えば、また体が慄く。
「…ごめん、ごめん、早耶さん…!」
口からは謝罪の言葉が溢れる。不甲斐ない自分への、支えてくれる兄への、思いを寄せる早耶への、類を及ばせてしまった妃美佳への、力を貸してくれる雪姫への、侮った――への…。
事を起こしてしまったという罪悪感。
戦いの中で何もしないという焦燥感。
己は何もできないのだという無力感。
様々な思いが自らの中に生まれては消え、繋がっては千切れ、一つ一つが乱雑に現れては去っていく。
一際強く体を抱きしめて、自らにしか聞こえない声で、口は言葉を紡ぐ。
「チカラが、欲しい…」
あの時、忌乃家で話していた――の気持ちが、解ってしまった。
もしも人外がいるのなら。
もしも暴威を振るのなら。
もしもそれに遭うのなら。
もしも抗しえないのなら。
それを止める力が欲しい。
――と同じ気持ちで至った結論は、下を向いていた顔を前に向かせる。
「その為には…!」
今の自らを狙うウルティマに打ち克たねば、何もできない。戦うための人形に憑くことを蹴り、雪姫の体で人外の身に多少なりとも慣れたのだ。
遠くで足止めをしてくれている兄達の為にも。
ウルティマと戦ってくれている二人の為にも。
自らが守ると心の中に誓言した早耶の為にも。
「俺が守るって決めたんだ。俺がやらなきゃ、どうするんだ…!」
言葉にして、改めて決意を口にする。
恐怖に呑まれていてはそれさえ出来ないのなら、まずは口に出す。そして自らの耳に届かせ、それを心に染み渡らせる。
自己催眠のように何度も、何度も口にして、心に刻み込んで。
そうして己の中で思考を固め、行動に起こす。
すっくと立ち上がり、靴のズレを直す。次はスカートの皺を正し、ブラウスを着たままにブラジャーを位置を戻し、前を閉める。
この体には確かに、男として下衆な意味でも興味があるけれど、今はそれ所じゃない。
ウルティマを放置すれば、早耶も自分と同じような目に遭ってしまう。それは許せることじゃないし、その身を好きにさせることも同様だ。
告白して、然るべき時に堪能させてもらう事にしようと決意しながら。
白竜としての脳裏には、胸元を直す時に見えた乳頭が、どうしても残ってしまうけれど。
「…えぇいっ、今はそんなことを考えるな、今は…」
邪な考えを振り払うように頭を振ると、その動きにつられて後頭部で結んだ髪の毛も揺れる。振り終え、前に流れる髪を後ろに戻して、ひとたび深呼吸をする。
「…俺がやるべきことを、やると決めた事を、やるんだ」
振り返り、走ってきた道を戻る。疲労は完全に回復しきっていないけど、それでも向かうという意志によって、限界近くまで動かして。
きっと後で痛むだろうな、悪い事をしてるな、と、心の中に僅かな棘を残しながら。白竜は【自分】の元へとひた走る。
* * *
肌色の鞭がしなり、空を切る音が僅かに耳に残る。目の前のウルティマは、人の容をして人の動きをしたままに、人ならざる距離へと自らの身を伸ばしてくる。
達人ならば音速を越える鞭の動きは、『雷火』の補助を用いてようやく補足ができる程度。
《左右共に来るぞ!》
「応!」
左からは首元狙い、右からは足元狙いの肉鞭が迫る。肉体を硬直させぬよう息を吐きながら、インパクトの瞬間を狙う。
ウルティマの肉体は粘液のような物で、直接攻撃をしてもその身に沈み、ダメージを与えられる所か最悪そのまま捕喰されかねない。
何合もの打ち合いの中、打撃の瞬間にのみ粘液を肉体化させて来る為に、その瞬間こそが最も解りやすい反撃の時でもある。
だからこそ、その刹那を狙って刃と強化された腕を振るい、直撃の瞬間に狙いを定めて叩き、払う。
直後、
「爆進-ばくしん-ッ!」
機構解放、足裏に仕込まれた噴射孔から推進剤が噴き出て、――の肉体を前方へ押し出す。
ウルティマの腕は振り抜きを止められ、引き戻そうとする腕が眼前に迫る。
「赤化!」
鎧前面を指定して赤熱化、接触したウルティマの肉体を焼きながら突撃。吐き気を催すような焦げ付く臭いを放ちながら、鎧と粘体が触れ合おうとする。
接近を拒絶するように、ウルティマは自らの容を解いた。人の形を終わらせ、液体となって地面に広がる。
わずかな接触のみに終わらせて、――に体の上を通過させ、突撃をしのぐ。
この鎧武者の相手は危険だ。数合の打ち合いの内、そう判断したウルティマは後方の女性に目を向ける。
先ほどから後ろで牽制を続けている雪姫は、体自体は強くないという記憶がある。鎧武者より組し易いはず。
融け広がったまま、錐状の触手を伸ばして狙うが、
「『穿風』ッ!」
雪姫の左腕が風を手繰り、同じ形状の突風を当てて勢いを緩めさせた。それでも触手は止まらないが、当初の勢いを削がれたまま、張られた雷の壁に遮られ肉体を焦がされる。
攻撃と並行して鎧武者の方に目を作ると、左掌を開いてこちらへ向けていた。周辺には大きく風景を揺らがせる陽炎と、それを起こす熱の塊が見える。
まずい。
急ぎ着弾点と思しき場所から2つに分裂して逃げる。
「剛火-ごうか-っ!!」
分裂と同時に、『雷火』の左掌から火球が放たれた。赤熱化の温度と比べても遜色無い熱量の弾丸は、着弾点を焼きつくし、少し逃げ遅れたウルティマの細胞を燃やし尽くした。
2つに別れたウルティマは、それぞれ密度は薄くなりながらも、双方が全く同じ人の姿を形成する。
悪臭が漂う公園の中で、鎧武者と鬼と、スライムが対峙する。
数合の打ち合いの中、雪姫は焦燥感を隠しながらも感じていた。
(ウルティマは分体、――さんは『雷火』を纏い、私もいる。…負けはしませんし、恐らく勝てるでしょうが…。
だからと言って、焼滅させては白竜さんの取っ掛かりが無くなってしまう…。分体でさえあれほど恐れていたのに、本体が来たら…)
本体と分体の差は解らない。目の前にしている敵は、本体の何分の一なのかさえ。
分体と言う過程を通り越して本体と遭遇してしまったのなら、本当に憑依しての操作が可能なのかさえ分からない。
故に、白竜がウルティマと接触するための一歩目として、まずは分体に憑依させたいとも考えていた。
しかしこのままでは、白竜を待つ為に戦闘を長引かせる前に本体が来てしまいかねない。
倒したくても出来ず、本体が来るまでに白竜の到来を待たねばならない。
焦燥感は僅かにある。けれど、それを解りやすく表にしてもいけない。努めて平静を装いながらも、倒しきらない程度の雷撃を再度手に纏わせた。
(早く立ち直ってくださいよ、白竜さん…!)
* * *
腰を落とし、推進剤を噴射させる用意も出来た状態の中で、――と『雷火』は小声でつぶやき合う。
《…やはり、固体は存在せんな》
「このままじゃ憑依自体ままならないかもな…」
憑依と言う行動は、無差別に行えるように思えるがそうではない。
雪姫が話していた事のように、霊は自らを宿す物品や場所に憑依することによって存在を保つ事が出来る。
事実、『雷火』でさえ「魂の格納」をするために、関節部や四肢の先端といった末端の機構まで操作する為に、初期案として全ての部位に魂を格納させる事さえ考えられたのだ。
人外の魂と言う入手しにくい物のコストを鑑みられ、その案は廃棄され、そこから更に発展した技術の影響で、現在のような運用が可能になっている。
強化装甲の制御機関、つまりは「中枢」を用意し、そこに魂を格納させる事によって全体の運用を可能にする。
それによって現在の強化装甲が存在しうるのだが、しかしウルティマには中枢部分が存在しない。
その肉体全てが流動し、変形し、腕になり足になり目になり頭になり口になり臓腑になり骨格になり武器になり盾になり兵器になり全てになりうる。
単一の兵器として動くのならばそれは確かに利点だが、白竜にこの肉体を制御させる面では難点だ。外部から働きかけて固体部分を作らせても、それが常に形を成しているかと問われれば難しいだろう。
《…やはり、手はあまり無いのやもしれんな》
「すまない、『雷火』。そうさせるしか無いみたいだ…」
《良い。もとより我の手が無くとも戦えるように、小神達と契らせたのだ。今更気にするな》
「ありがとう、助かる…」
それを最後に言葉を打ち切り、刀を握る手に力を、ウルティマを見据える目に意志を込めた。
しかし――の内側では、いくつかの懸念が燻っている。
(果たして“これ”で上手くいくのか…。上手くいったとして、旧日本軍連中がそれを諦めるか?
いや、それは無い。制御できぬままの兵器が制御できたのなら、奴らは嬉々として鹵獲しに来る筈だ。
白竜君には、早耶の事以外にも面倒をかけさせちまうな…)
* * *
ウルティマの分体は2つに別れ合い、白竜としての意識、妃美佳としての意識に分断されている。
念での会話は誰に聞かれるでも、空気を震わせることも無く、互いの中でのみやり取りされる。
「おい辻、あいつ等なんなんだよ。簡単に喰えるかと思ったら、全然手ごわいじゃねぇか」
「それは俺もびっくりしてます。まさかあんな、漫画みたいなことが本当にあるなんて…」
本体からの念で、本体が何をしたのかも知っている。けれど知った知識以上に、目の前の存在は驚きに満ちていた。
お伽噺の中のような「鬼」に、それと寄り添う不思議な鎧を纏った人間。
そのどちらも漫画のような立ち回りをして、自分もそれに相対している。雷と炎で自らの身を焦がされながらも、周辺の物質を吸収し補填。決して目的はあきらめない。
いやむしろ、今のように邪魔をされているからこそ。
「…ますます早耶を喰いたくなっちまったな」
「本当に。…本体が来るまで我慢できなくなっちゃいそうですよ…」
空腹は最高のスパイスと言う言葉をよく聞くが、目の前の存在に邪魔をされ、体を削られていても尚、ウルティマとしての食欲は留まらない。
彼らを倒して、本体と合流してから味わう早耶は、どれだけ美味なのだろう。削れたこの身を早耶の情報で埋められるのは、どれだけ甘美なのだろう。
想像すると、ぶるりと身が震える。
* * *
互いへの言葉を交わさず、対峙して暫し。
重ねて攻撃すれば倒しきれるが後の為に倒せない忌乃夫婦と、分裂したが密度が低く思うように攻撃できぬウルティマ。
悪臭の中睨み合い、深く呼吸をする事、七度。
2人と2体、一領が同時に同じ方向を向いた。
「「《来たか!》」」
結界を通り抜けたと思しき気配を察知し、視線を向けた先。こちらへ近づいてくる白竜の後ろから、音も立てずに這いずり寄ってくる存在に気付く。
決して地を駆ける人間の速度でなく、決して坂を滑り落ちる水の速度でなく。明確な意思を持ち明確な目標を持ち近付いてくる。
眼前に対している敵と同じでありより強大な気配を。
自らと同じ存在でありながら本体とも呼べる存在を。
「白竜君! 止まるな、走れ!」
「…っ!!」
姿を現した白竜は、刀を放る――の怒号から状況を察する。
2体に別れてる分体が、先ほどとは異なる視線を以て近づいてくる。まるで「お預け」を解かれた犬のような視線。
なればこそ、本体が存在する。
疲労の溜まってきた細い脚を、あと少しだけと思い眼前の鎧武者を目指して、動かす。
一挙の間違いも許されないのなら、走れと言われたのなら、今この場で憑依は出来ないと踏んで。
目の前に分体が迫る。2つに解れていた分体が重なり、1人になって。
「雪姫さん、本体の足止めを2秒!」
「はい! 鬼法術『颶風-ぐふう-』!!」
雪姫の左腕から、猛烈な勢いの風が迸る。人間ならば立つ事すらままならず、巻き上げる砂埃でさえ凶器に成りうる程の風が。
大出力故に5秒と続かせることのできない風は早耶を、白竜を飲みこもうとしてその身を縦に広げているウルティマにぶつかり、大いに煽りを受けてのけぞらせた。
「爆進っ!!」
眼前に居るウルティマ分体を跳び越えて、本体と分体に挟まれている早耶の、白竜の元へと進む為、上昇と下降で二度推進剤を吹かし、『雷火』を進ませる。
轟音を立てて白竜の後ろに着地し、その腰を抱く。
そしてもう一度、推進剤を噴射。充填の足らぬ噴射孔は、吐き出す勢いも弱いままに2人の体を押し出し、
分体の中へと突き進ませた。
肌に触れてくる粘体は、人肌のようであり、水気のようであり、また油のようであり臓腑のようである。
そのおぞましい感触に身震いしながらも、腰を抱く鎧武者に向けて叫んだ。
「な…! ――さん、何を…! 早耶さんを喰わせる気ですか!?」
「喰わせるのは白竜君じゃなくて…、こっちだ! 『雷火』!!」
《うむ! 左腕赤化!》
突き進むのと同時に、また異なる力で前へと押し出され、篭手と足甲のみを纏った――と共にウルティマの体を突き破る。
その為に熱を放った左腕は供給源を無くし、すぐに冷めていった。
「っは! …――さん、鎧は!?」
「ウルティマに接続させて、今喰わせる所だ」
刀を放った位置まで戻り、振り返る。雪姫の風による脚止めも終わり、目の前には小さなウルティマが四肢を無くした『雷火』を取り込み始め、後方にはより大きな本体が蠢いている。
「細かい説明は省くぞ、白竜君。『雷火』に憑依して、ウルティマの体を乗っ取れ!」
「それで、本当に出来るんですか?」
「こっちとしては、少しでも可能性を作ったつもりだ。…あとは頼む!」
「…もし失敗しても、怨まないでくださいよ。絶対早耶さんは逃がしてくださいね!」
戻ってきて唐突に動いた戦場、後方に現れた「自分を喰った」ウルティマ、対抗手段としての鎧を捨てた――。その全てに慌てながらも、一つずつ冷静に受け止めていく。
少しばかりの不安はあるけれど、雪姫も――も兄達も、全てはこの時、自分がウルティマの体に憑く為に力を貸してくれている。
ならば。
「…いきます!!」
意を決し、早耶の体から抜け出て、同時に――は契約している薬神の力で早耶の身に麻酔を打ちこむ。
『雷火』のどこに憑依するのかは、すぐに見て取れた。鎧の中には確かに、自分より遙かに強力で恐るべき魂が、こっちへ来いと手招きをしている。
泰然とするその姿に、頼もしさも同時に感じながら。
魂の格納されている中枢機関へ、自らの魂を飛びこませた。
* * *
『雷火』に憑依してすぐに視界内に入ったのは、何もない部屋。上も見えなければ下も無く、奥行きも果ても見えない筈なのに、何故か「閉じ込められている」と解る程の、部屋。
そして同時に、そこで一人静かに座り込んでいる着物姿の女性がいた。
年を重ねた気配を漂わせ、しかし老けている印象は匂わせない、静かな雰囲気の女性。
『おぉ、よく来たな。あまり時間は作れんが歓迎するぞ。ささ、遠慮せず来ると良い』
こちらを向いて笑顔を作り、手を招く姿に既視感を覚える。これはそう、自分が飛び込む時に感じた泰然とした…。
「…はい、失礼します、『雷火』さん」
『うむ、理解があるようで何より。しかし我の本来の名はもう少し別にあるのだが…、それを話す間も惜しい』
思い当たった名前を口にすると綻んだ笑顔を見せるが、それもそこそこに表情を引き締めて、本題へと入り込む。
『お主がここに来た理由だが、我が封入されているこの中枢部分を核とし、ウルティマに接続する為だ』
「そのままウルティマの肉体に憑依、というのは出来なかったんですか?」
『不可能ではないが、霊になって日の浅いお主では至難だ。故に解りやすい憑依目標、兼肉体掌握の中枢として我の核部分を使わせることにした』
「…それだと、あなたの宿る鎧が無くなってしまうのでは?」
『構わんよ、承知の上だ。…子孫が心配で、強化装甲の中に身を窶し現世に留まっていたが、その懸念も必要なくなってきたからの』
「……」
恐らくそれの意図するところは、彼女は雪姫さん、つまり忌乃家の先祖なのだろう。父親は雪姫さんの記憶で知っていたから、恐らく彼女は母親…じゃないから、祖母か曾祖母か。
いや、それは今考える事じゃない。重要なのは目的の為に彼女が、現世に留まる為の寄代を自ら捨てると言う事。
そしてそれだけの期待を、俺が背負ってると言う事だ。
「…解りました。やります。やり遂げてみせます」
『うむ、良い返事だ。…そろそろ繋がり始めてきたかな、操作権をお主に渡すぞ?』
俺と『雷火』が話をしている最中にも、部屋の中には何か粘つくような、液体がにじむような感じがしていた。『雷火』の人が立ち上がり、座るように促されて正座をする。
どろどろに凝ったすべてに成りうる万能細胞の塊。得体の知れない、しかし座る事で知った事は、腹を括った事であまり恐怖を感じない。
『ウルティマの肉体は取り込み、再現可能と判断したものになら何であろうと成りうる。
まずは無理に意識を広げず、自らの肉体を意識せよ。そう、最初は命の流れ、血の流れを作るべき、心の臓腑を…』
肩に手を当て、『雷火』が教えてくれる。不定形の肉体の中に、今俺達が入り込んでいる中枢部を囲うように、握り拳大の肉体が作られる。
心臓、宿るべき場所。
俺の、核。
強化装甲の中枢機能、ウルティマと接続しそこから作った“中心部”として全身に接続し、俺の意識を肉体全部に広げる。
頭がおかしくなるかと思う程の膨大な量の情報が溢れだし、それをウルティマの肉体で処理する。
『拒否をするな。その流れの一つ一つに身を委ね、その全てが自分であると思え。
強大が故に逆らおうとすれば、身も心も耐えられん。事実として受け止め、ゆっくりと理解しろ』
『雷火』の言葉が聞こえてくる。
同時に、吐き気がするかのような【自分】の行為が頭を流れる。
俺を喰った後、俺のように振る舞い、本能のままに動いて、飯綱さんを、尾長さんを、犯して、喰らって、取り込んで。
再現できると肉体が伝える。吐き気を催すけど堪え、今は。
繋がる。
自分と繋がる。
自分の意識を核に伝える。核が肉体を動かしていく。
慣れない。思うように動かせない。
これを動かさなければ。
体を。
『形状定まらぬ体の端々へ、意志を通せ。
どのような形になれど消えぬ水の如く総身に巡らせ、その全てで自らの身体を動かせ。
疑うな、想像し、認識し、理解し、確信しろ。
それが自分の身体だと、意のままに動かせぬ筈は無いと』
そうだ、
動かせ、
自分の、
肉体を、
自身の、
意識の、
ままに。
肉体を形成する。骨格、神経、血管、臓腑、脂肪、筋肉、皮膚。
同じように顔を作る。骨格、歯、耳、眼球、脳髄。
全身を形成し、循環を形成し、代謝を形成し、生理を形成し、反応を形成する。
『武術を習っているのが役に立ったか。こうも肉体の把握が容易いのは、賞賛できる。
さぁ、辻白竜。水の名を持つ男よ。…目を開けろ。それがお前の、肉体だ』
『雷火』の最後の声を耳にして、閉じられていた瞼を開ける。
目の前には少し離れて、ウルティマの本体が。後ろには焦りと期待の視線を投げる雪姫と、刀を持つ――が映る。
二人とも状況を図りかねているのか、雪姫は残り少ない力を絞り出すように雷を溜め、――はタブレットケースの口を開けていた。
「…大丈夫ですよ、2人とも。…この体は俺の物になりましたから」
振り返り、静止するように高く、しかし優しい声音で2人に微笑む。ウルティマの動向は、先ほどやられた様に背部に作った眼で注視してる。
「いや、そりゃあによりだが…、白竜君、その体はわざとか?」
「え…、えっ!?」
呆れたような視線の――に気付いて、白竜は自分の体を見下ろしてみた。
裸だ。
(そういえば服を作ってなかった。いやそうじゃない。
平らな筈の胸板は何故か膨らんでいて、先端についている乳頭は存在を誇示している。
胸の隙間から見える股間には何もぶら下がってなくて、薄い毛が見える。
……まさか!!)
慌てて掌にも目を作り、そこから自分の姿を見てみると、
「巻兄の言ってたことはこういう事かぁ…!」
そう、体を作ることだけを意識しすぎて、「辻白竜としての体」を作る事は意識してなかったのだ。
だから、この体の中に多く残る飯綱妃美佳の情報と辻白竜の情報を掛け合わせて、白竜のような妃美佳のような、それも女の姿になっていた。
「白竜さん、後ろです!!」
背部の目と、自分の姿を見ている掌の目。二つの視界の中で、自分に迫る本体の姿が見える。その身は広がり、白竜の上に覆い被さろうとしてきた。
「っ!!」
脚を動かし、その場から跳び去る。女性としての肉体であっても、どうやら人間より強い体のようだ。
3mの距離を一足で跳び、ウルティマの捕喰を逃れる。危険かと思っていた着地も、想定していた以上に恙なく行えた。
(…大丈夫だ、今の所は。この体は動かせる!)
振り返り、顔の双眸で本体を見据える。
目の前には巨大な粘液のような肉体のような塊の、ウルティマ本体。自分はあれの中にあった内の2人分にも満たないかもしれないけれど。
「喰われた俺の体…、取り返させてもらう!」
改めて目的を言葉にする。その必要が無いほどに心は決まっており、足も震えずに済んだけれど、何よりもそれは目の前の本体に聞かせる為に放つのだから。
しかし、それに応えるように本体が蠢いて、顔と、体が生えてくる。一番最初に、“白竜”の体が。
「取り返す…、取り返す?」
“竜巻”の体が。
「俺達の体をお前が取り返すってのか?」
“竜峰”の言葉で。
「……どうやって分体を奪ったのかは解らんが、それができると?」
“妃美佳”の貌で。
「なぁ辻ぃ、ホントにそれが出来ると思ってんのか?」
“奈央”の喋りで。
「1人だけですもんねぇ、出来ない事は言わない方が良いよ、辻くぅん?」
“ウルティマ”の欲求を、告げてくる。
「できないよ、“俺”。…できない事はやめて、俺達と一つになろう?
まだ世界には俺達の知らない事が多く、喰った事のない物が多い。…早耶さんのことだって、そうさ」
揃ってウルティマの視線が早耶の方へ向く。それを隠すように――は立ちはだかり、右手に刀、左手に持ったタブレットケースから、一錠を口に含んでいた。
「…ほら、あんなふうに、捨てた人が喰らう邪魔をする。自分の意志で捨てたはずなのに、未練がましく立ちはだかる。
憎らしい、ムカつく、腹立たしい。でもそれ以上に俺達は早耶さんを喰らいたい。
“俺”なら解るでしょ、どれだけ早耶さんに想い焦がれてきたか。言いたくて言い出せず、2人の跡を着いてきた早耶さんを不憫に想って、隣に並んで。
パシリ扱いにだって甘んじて、あわよくば抱きたくて、その感触を想像して自分を慰めて欲望を吐き出して。
それが出来るんだよ、早耶さんの体を喰ってしゃぶって取り込んで、俺達の中に留めて俺達の体で作って早耶さんを抱いて早耶さんに抱かれて味わえるんだよ。
“俺”だってそうしたいはずだ、解る筈だ。でも“俺”は邪魔をする。捨てた人のように邪魔を…!」
たくさんの口で矢継ぎ早に、勝手な思いを口にする。
勝手。そう、勝手だ。
そこにあるのは早耶自身の事ではなく、早耶を喰らう事によって得られる快楽を自分が求める事。
あの中の【自分】は、歪んでいるけれど。
「…解るよ。解るけれど、俺は“お前”を認められない!」
言われるままは許せない。恥かしいことを言われた気もするけれど、そんな事は頭にも残らなかった。
「そうだ、確かに俺は早耶さんをそういう目で見ていた。
最初は優しさに触れて、小さくて可愛いと思って…、飯綱さんや尾長さんに連れ回される姿を不憫に想ってた。
その力になって、あわよくばなんて思った事もある。そこはお前の言うとおりだ」
「なら良いじゃねぇか。認めちまえよ、“白”。今なら出来るんだぜ、好きな女も、ムカつく男も、ついでにそこの女も。
俺達で包み込んで喰って味わって取り込んで、好きにできるんだぜ?」
「それは“お前たち”の欲望だ。…俺はそんな事を望まない。体を望むことはあっても、体だけを望んだ事なんて、一度も無い!」
「……ならば“白竜”は何を望む。彼女の思考か? 彼女の家族か?」
「それなら喰っちまえば簡単だぜ、思考の再現も家族の捕喰も、交わっちまえばすぐにできるじゃねぇか」
「それじゃ意味が無いんだ。思考は欲しくない、家族とはいい関係になりたい。
けれどそれは、一つになる事じゃ絶対に得られない」
「…辻くんは何を言ってるのぉ?」
ウルティマの思考は、自分とはかけ離れている。彼等は本能で、知る事と喰らう事で生きていて。
だから辻白竜という男の意志、魂の求める物を知らない。知っていても、思い当たらない。
息を吸って、吐く。
「俺は…、早耶さんと愛し合いたい。体だけじゃない、思考だけじゃない。
一個の命としての、心の繋がりが欲しいんだ!!」
それが自分の望みであると、吐きつける。
「その為には、早耶さんに生きててほしい。けれど“お前”が早耶さんを狙って、喰らおうとする。だからこそ認められない。
俺を取り込んで“お前”が我を通そうというのなら…」
意志を全身に張り巡らせる。核を中心として、肉体全てを動かすために気を練って、指先一つ、毛筋一本にまで通して。
「俺が“お前”を取り込んで、支配下に置いてやる。俺は俺の、意志を貫く!!」
決定的な一言と共に、本体へ向けて走る。
「――さん、一気に全体に触れるのは危険ですから…!」
「解ってるよ! キザン、憑け!」
後方での会話と、直後に飛んできた刃を振るう衝撃波。白竜の背を跳び越えて本体を刻み、切り口部分が雷に焼かれる。
別れた数は30近く、その最も大きい部分へとその身を跳びこませる。
切り飛ばされ、切断面を焼かれながらも、本体は支配を離れた分体を最優先目標とし、それを取り込むためにそれを受け止めた。
どぷん、という音がする。
粘液の中に包まれた白竜は、その身の形状を解いて自らの身も粘液と化し、本体の中に融かしこんでいく。
生前の情報を元に、丹田から発し気を練り込んだ肉体は確かに本体の中を巡り、突き進んでいく。
しかし逆に、本体も自分の中に侵入し、その支配権を乗っ取ろうとしてくる。
同時に流れ込んでくるのは、ウルティマとしての巨大な本能。
食欲と、知識欲。
喰いたい。そして知りたい。
単純明快で強い、化け物としての意志は、『雷火』の中枢機関越しにも強く、感じられる。
けれど、
(負けるか…! 負けられるか…!!)
妃美佳を喰らって犯した。
早耶を犯して喰らった。
甘美な女体を自らに取り込んで、2人を殺した。
研究所で自らが本能で生きる事を知った。
死に瀕している兄達を喰らった。
何十人もの知識と情報を得て、殺した数は膨れ上がった。
体のどこかで再現した性感に侵入される。突き進む自分が、本体の性感に繋がる。
作った脳髄を、それに繋がる魂を少しずつ蝕みながら、本能と意志が鬩ぎ合う。
『喰いたい』
「ダメだ!」
『知りたい』
「喰わなくても出来る!」
『喰いたい』
「人じゃなくても良いだろ!」
『知りたい』
「それ以外でも!」
『喰いたい』
「本能に抗うのが…!」
『知りたい』
「意志で…!」
『喰いたい』
「人間は、俺は…!」
『知りたい』
「意志の元に生きてる、から…!」
『喰いたい』
「この本能、ウルティマを…!」
『知りたい』
「俺の意志で、抑えるんだ…!!」
繋がり合い、塗りつぶされそうな中、必死に自己を奮い立たせる。
たった一つの命を携えて、異形の生物に立ち向かう。
切り飛ばされた体が徐々に帯電から逃れ、本体に寄り添ってくる。一つずつ、一つずつ。重なり合うごとに欲求が膨れ上がり、増していく。
けれどそれも、その一つずつの流れに逆らわず、添って理解していく。
何人も、何人も重なって欲求も流れも強くなり、身が引きちぎられてしまいそうだ。
どれほどそうしていただろう。疲労か、擦り減ったか。
いつの間にか「白竜」の意識は途絶えていて、今になって目を開けた。
「…お、レは…」
…自分は、どうなったのだろう。
【自分はどの「白竜」か】
>A.危険度10%。本能に打ち克ち、体を掌握するた「魂の白竜」
B.危険度50%。双方を併合し、欲望と理性の狭間で揺れ動く「人外の白竜」
C.危険度99%。意志に勝利し、目の前に存在する者達を喰らう「ウルティマの白竜」
簡易キャラクター紹介 Ver.2
ミイヅル
――と契約している小神。刀剣鍛冶を司る。
職人気質で少々融通は利きにくい。
カザネ
――と契約している小神。風と季節の運行を司る。
六柱の中で最も古株であり元寇時代から存在。
ラウラ
――と契約している小神。旅行の安全を司る。
旅先の美味しい物をねだる腹ペコ。
キザン
――と契約している小神。狩猟を司る。
物欲センサー常時発動中。
???
――と契約している小神。薬(毒)を司る。
元々は毒の神であり毒舌。
???
――と契約している小神。音楽を司る。
音ゲー万能だがダンスはダメダメ。
枢木括(くるるぎ・くくる) 終戦時28歳
自らの肉体は滅びた魔術師。魔術的素養の高い体を使っている。
現在は竜峰のクラスの生徒である、真宮雅弓という少女に憑依中。
機能しているように感じます。作者さんの思うがままに書かれるのがよろしいかと。