むかし、むかし。
具体的に1年ほどむかし。
とある商社に定年間近のひとりのサラリーマンがいました。
サラリーマンは健康診断の結果入院することになり、精密検査で、余命半年と宣告されました。
死にたくなかったサラリーマンは、“遺伝子交換治療”という療法を受けることにしました。
治療の結果、命は助かりましたが、サラリーマンの身体は女に変わってしまいました。
どうしようもないサラリーマンは、男なのに女の武器を使って仕事に逃避することにしました。
――おしまい――
……って言うのはウソ。
サラリーマンの本当のお話は、そこから始まる。
◆ ◇ ◆
鏡に映った彼女は濡れてまとわりつく長い髪を、振り払うようにしてかき上げた。
それだけの動作で、存在感あるバストが「ぷるん!」と揺れる。
(……でかい)
そんな感想が頭をよぎった。
若い男性が相手ならそれだけで悩殺できそうな、戦略級のおっぱいを持つ女性。
大学生か……せいぜい社会人になりたてのOLにしか見えない若き美女。
そんな彼女の正体。
それは、定年退職まであと数年を残すのみとなった冴えない中年サラリーマン。
……つまり、わたしだった。
……今から約1年前のことになる。
まだ中身も外見も冴えないオッサンだったわたしは、健康診断に引っ掛かり、精密検査を受けた。
その結果はよもやの余命半年という宣告。
まだ死にたくなかったわたしは、医師に勧められて“遺伝子交換治療”という療法を試みることにした。
文字通り遺伝子を他人のものと書き換えてしまう療法なのだそうだ。
身体が変わるのは嫌だったが、生きるためには他に選択肢はなかった。
幸い治療のおかげで病気は快癒した。
リハビリを経て、おおよそ2ヶ月前にわたしは退院できた。
……だが病院を出たわたしを待っていたのは、闘病生活に劣らず過酷な現実だった。
まずは妻からの離婚宣告。
妻曰く。「だって、女性同士で夫婦生活でもないでしょ?」
彼女はわたしが女性化したことによる精神的被害を訴え、離婚を主張したのだ。
次に家をなくした。
妻に慰謝料として譲ることになったのだ。
こうしてローンの支払いが終わったばかりの我が家は他人のものとなった。
最後に娘をなくした。
というか、彼女は元々妻が浮気相手の男性との間に作ってしまった子だったと打ち明けられた。
妻―――今となっては元の妻―――はその男と再婚し、改めて人生をやりなおすのだそうだ。
ちなみに娘……いや元妻の子とは入院後一度も顔を会わせていない。
それどころか、入院前も何年間か会話を交わしていなかったことに気がついた。
わたしの両親はすでに他界し、兄弟もいない。
気がつけば、わたしは天涯孤独の家なしになっていたのだった。
借金がないだけ儲けものというところだ。
とはいえ、悪いことばかりでもなかった。
かつてのパッとしない一営業マン。
そんなわたしが、復職後は立て続けに大型プロジェクトの受注に成功するようになった。
今までと特別「なにか」を変えたつもりはない。
しかし、「なにが」変わったかについてはよくわかっている。
というより、商談相手の視線でイヤでもわからせられた。
商談相手の男性は、例外なくわたしのある部分を見つめてくる。
胸を!
バストを!
おっぱいを!
これまでわたしの話を訊くどころか、はなも引っかけなかった連中。
そいつらの前でわたしがタイトスカートを履いた脚を組み替えてみせる。
するとあら不思議。
なんと、契約書にサインまでしてくれるようになったのだ。
今までわたしが培ってきた交渉術や、プレゼンのテクニックなど、この身体の前ではものの数ではない。
……そう考えるなら失ったものはもうひとつあるな。
わたしの、これまでの人生の営みだ。
まあ、会社のお情けで寮に入れてもらい、なんとか雨露をしのいでいる身だ。
仕事だけでも順調なのはありがたい。
……そういえば、この入寮のさい、わたしの性別を男女どちらとして扱うかについてひと悶着があった。
“遺伝子交換治療”では、多くの場合患者の外見が大きく変化する。
わたしのように性別まで変わるケースも多く、事態に対処するために法改正までなされたとか。
そのため、患者の多くは退院前に“リハビリ”と呼ばれるレッスンを受けることになっている。
リハビリにより患者は変貌した身体に必要な知識を獲得する。
それと同時に、新たな自己認識―――変化した身体が自分のものだという確信―――を得る。
そんな段取りになっているのだそうだ。
リハビリの前後で性格どころか人格が変わったかのような患者。
そういう例を、わたし自身何度か目にしていた。
ところが、わたしにはリハビリの効果が発揮されなかったのである。
厳密に言うと、女性として生活できるだけの知識や所作は身につけた。
だが、自己認識は元のまま。
鏡に映る女性を、わたしはどうしても他人としか思えなかったのだ。
一方、病院側は「リハビリの効果は発揮されている」と強く主張してきた。
幾度かのやり取りの後、結果としてわたしは相手の主張をのんだ。
一刻も早く退院したかったし、実生活には問題なさそうだと判断したからだ。
会社への復帰のさい、わたしは会社に男性扱いを望んだ。
自分が女性として扱われることへの違和感がぬぐえなかったからだ
だが、退院時に病院の主張を認めたことを理由に、わたしの希望は却下されてしまった。
そんなわけで今、わたしは新米女子として会社の女子寮の隅っこで小さくなって暮らしている。
だがまあ、そうしていられることすらさほど長い期間ではない。
あと数年でわたしの定年退職時期がくるからだ。
それまでのあいだ、男として女の武器を使い、せいぜいお給料を稼がせてもらおう。
半ば自棄になり、そんなことを考えながら、わたしは仕事に逃避していたのだった。
◆ ◇ ◆
そんなこんなで、“女の武器を持つ男”として営業に励んでいたある日。
わたしと、わたしの部下の清彦は、営業先のビルを出たとたんにゲリラ豪雨に出くわした。
こんなところで都会の夏の新名物にぶつかるとは、まったくもって運が悪い。
わたしと清彦は、あっという間に、下着までびしょ濡れになってしまった。
「どうしたものか?」と考えるわたしに、清彦が言った。
「俺のマンションがすぐ近くにありますよ」
わたしたちがいたその場所は、有名な繁華街だ。
テレビのニュースで路線価格が話題になると、真っ先に名前があがる土地である。
「お前……ずいぶん家賃の高そうなところに住んでるんだなぁ」
「いろんな事情がありまして」
「しかし、お前の家に行くのかぁ……うーん……」
「俺はともかく、主任はそのままの格好じゃ会社にも戻れないでしょ?」
まあ、確かにこんな下着が透けてるような格好、他人に見せられないけど。
でも……。
「だから女扱いするなっていうのに!」
「女扱いは嫌がるのに、男の家に行くことは気にするんですか?」
「うっ!」
あっさり言い負かされてしまった……。
こうして、わたしはありがたく彼の好意を受けさせてもらうことになった。
歩くことしばし……。
確かに先ほどいた場所のすぐ近くに清彦のマンションは建っていた。
ただし、その外見は一般的なマンションのイメージとはかけ離れている。
その建物は……いわゆる高層ビルだった。
下層階には企業のオフィスや店舗が入り、高層部に居住用のスペースが取られている。
大都会で最近増えだしたタイプの複合施設だったのだ。
専用のエレベーターに乗り込むと、あっという間に最上階にある清彦の部屋の玄関前に着いた。
清彦は電子キーを操作して部屋のドアを開ける。
わたしにも自分に続くようにうながすと、最上階ぶち抜きだというその部屋……というか家へと入っていった。
正直、わたしは目の前のゴージャスな家に少々怖じ気づいていた。
しかし、部下になめられるのは癪である。
なるべく平然を装って玄関の中へと進んだ。
「おじゃましまぁす」
わたしはよそ行きの、なるべく可憐な声を作って挨拶した。
……返事はない。
「ああ、この部屋に住んでるの、俺だけですから」
「ひとり暮らし!? この広い家に?」
「西日本にうちの実家の本宅がありますけど、ここの3倍はありますよ。
本家の屋敷だけで」
「おまえん家、どんだけ金持ちなんだよ!?」
清彦は玄関でわたしにタオルを手渡すと、「とにかく風呂に入っちゃってください」と言う。
ずぶ濡れになった黒のパンプスを脱いだわたしは、そのまま家に上がらせてもらった。
わたしは、清彦に案内されてバスルームを目指す。
濡れた髪の毛を借りたタオルで拭きつつ、結構な距離を歩き、ようやく目的の場所に到着した。
……なお、バスルームにたどり着くまでに通過した部屋のドアの数は、多すぎて数え損なった。
ドアを開けると、そこは―――その部屋だけで十分暮らせそうな―――広々とした脱衣所だった。
脱衣所のドアを閉め、鍵を掛けようとしたところで、ドアの向こうから清彦の声が聞こえた。
「あ、着替えを持ってきますから脱衣所の鍵は開けておいてください」
「バスルームの方の鍵は?」
「そっちは自己判断で」
……わたしは脱衣所の扉に耳を当て、様子をうかがった。
清彦がぱたぱたという足音をさせて歩み去ったことを確認。
それからようやく安心して濡れた服を脱ぎはじめた。
しゅるり。
まずは、びしょ濡れになっているグレーのスーツを脱いだ。
続いてグレーのスカートと、黒のストッキングを脱ぎ去る。
そのときふと、わたしの視線が部屋の奥に設えられた大きな鏡に向いた。
そこには、下着と黒のドレスシャツだけを身につけた、半裸の女性が映っていた。
ドレスシャツは濡れて透け透けで、艶めかしい白い肌に貼り付いている。
シャツに合わせた、黒いブラジャーとショーツもやはり透けていた。
シャツの下からは、白くて柔らかそうな2本の生足が露わになっている。
裸でいる以上に扇情的な格好だった。
鏡に映った彼女は濡れてまとわりつく長い髪を、振り払うようにしてかき上げた。
それだけの動作で、存在感あるバストが「ぷるん!」と揺れる。
(……でかい)
そんな感想が頭をよぎった。
(本当にイヤらしい身体だよなあ……)
わたしはしばらくの間、相変わらず違和感の消えない鏡像を見ていた。
……こんなことをしていても仕方ない。
わたしは鏡から目を逸らし、服を脱ぐのに専念することにした。
脱いだ服を、脱衣カゴに放り込むと浴室のドアを開けた。
まずは、ドアを閉めて施錠だ!
ステンレス製のかんぬき錠を浴室の内側から掛けたわたしは、改めて風呂場を見渡した。
マンションの風呂場の定番である合成樹脂でできたユニットバスではない。
そこには本格的な風呂場があった。
壁も天井も大理石と覚しき高級感のある素材が貼られていて、豪華なホテルのようだ。
大人でもふたり一緒に入れそうな浴槽には、すでにお湯が満ちていて、すぐにでも浸かることができた。
多分、清彦が遠隔操作でお湯を張っておいたのだろう。
スマートハウスか!
わたしは広い洗い場を横切ると、浴槽の近くに取り付けられたコントロールパネルをチェックした。
コントロールパネルには風呂場の機器を操作するためのスイッチがまとめられていた。
(ジェットバスにミストサウナ……テレビもあるな)
あまりの多機能ぶりに呆れつつスイッチ確認していると、目当てのものを見つけた。
「ポチッとな!」
懐かしいアニメのセリフに合わせてスイッチをオンにする。
すると、浴室に降ろされていたブラインドがするすると開いた。
夕暮れの大都会の景色が、わたしの視界いっぱいに広がる。
ゲリラ豪雨をもたらした雨雲はすでに視界か消え去り……。
沈みかけた太陽に照らされた世界は、オレンジ色の光に染められた幻想空間と化していた。
「うわぁ……」
思わず感嘆の声が出た。
その景色を楽しみつつ、わたしは「ちゃぽん! 」と音を立てながら、浴槽に入った。
肩までゆっくり湯に浸かる。
豊かなバストが浮力で浮き上がる。
「ふぅ……」
わたしは文字通りひと息ついた。
今、大勢の人々が、わたしの遙か下方でそれぞれの日常を過ごしているだろう。
家路につく人、夜の街に繰り出す人、これから仕事が始まる人。
大都会の喧騒は日の沈んだあとも続くのだ。
せっかくの機会である。
わたしはセレブにでもなったつもりで、ゴージャスな風呂と景色を堪能することにした。
(双眼鏡でも使えば遠くのビルからわたしの入浴シーンをのぞけるかな?)
ぼんやりとそんなことを考えていたら、急に恥ずかしくなった。
なんだか未知の性癖に目覚めそうな気がして、それ以上想像するのをやめた。
◆ ◇ ◆
8ヶ月におよぶ治療を終え、わたしは業務に復帰した。
会社はわたしに、主任の肩書きを与えるとともに、一人の新入社員のトレーナーを命じた。
その新入社員こそが清彦だった。
同じ世代の男性社員と並んでも、頭ひとつ高い身長。
(なお、わたしは女性の身体にしては背が高い方なので、清彦と並ぶとなかなかサマになる)
スラリとしているが、肩幅はそれなりにあるので、華奢な印象はない。
容貌は美形というほどではないが、常に浮かべた柔和な笑顔が親しみやすい印象をあたえている。
短めに切りそろえられた髪は、さわやかで清潔感がある。
背が高くても機敏で、動作がいちいち格好いい。
ついたあだ名は“営業部の王子様”。
略して“営業王子”。
まあ、納得のネーミングだ。
……風呂につかりながらぼんやりしていたら、いつの間にか清彦のこと考えていた。
なんとなく恥ずかしくなったわたしは、ついぶくぶくと湯船に顔を沈めて照れを誤魔化したりする。
風呂はいいね。
バストが浮いて軽くなるしね。
……再び清彦のことを、ぼーっと考える。
これだけの高スペックなのだから、当然女子社員の人気は高い。
しかし、彼の浮ついた話はさっぱり聞こえてこなかった。
会社の休憩時間の清彦は率先して男子社員たちとバカ話に興じている。
こんなにいい男なら嫉妬の対象になりそうなものだが、そんな心配は必要なさそうだった。
実は一度、若い女子社員に清彦に交際相手について探りを入れたことがある。
彼女は、驚いた顔でわたしをまじまじと見つめて言った。
「あれ? 王子は主任とつきあってるんじゃないの?」
なにを馬鹿な!
オッサンのわたしが清彦とつきあうはずがないじゃないか!
それでは清彦の仕事ぶりはというと、新人とは思えないくらいスマートだ。
たとえば、仕事上わたしは清彦をあちこちに連れまわしている。
そして、わたしは彼が話題に困っているところをみたことがない。
相手が日本人でも外国人でも、セレブでもオタクでも同じ。
清彦は老若男女を問わず話を合わせ、楽しく会話を弾ませることができるのだ。
加えて言うと、日本語の他、国連の6つの公用語。
さらにドイツ語とイタリア語をこなすマルチリンガルでもある。
ちなみに、スポーツも万能らしい。
一度得意な種目を聞いたらこんな答えが返ってきた。
「クレー射撃でならオリンピックに出られると言われたことはあります」
……どんだけ完璧超人なんだよ、こいつ。
わたしが清彦と出会ったのは会社の会議室。
わたしを見た瞬間の彼の「ポカン」とした顔は今でも憶えている。
まあ、自分より若い―――下手をすれば学生にも見える―――女性。
そんな人物にいきなり、「自分がトレーナーだ」と言われたら、混乱もするだろう。
わたしはわたし自身の事情をかいつまんで清彦に説明した。
精神の自己認識は男性のままなので、「女性扱い無用」とも言った。
……ところが、わたしの話をどう理解したのだろうか。
清彦はことあるごとにわたしのことを「レディ」として扱おうとする。
抗議をするのだが、彼にはあっさりと言いくるめられてしまう。
これじゃトレーナーの面目がたたないよ!
でもまあ、こんな関係もOJTが終わるまでのことだ。
清彦は幹部候補だ。
あっという間に課長以上に出世してわたしの元から離れていくだろう。
最終的には社長にもなろうかという逸材だからな。
それを見届ける前に、わたしは定年退職しているけれど。
……それだけはちょっと心残りである。
◆ ◇ ◆
わたしが風呂場から出ると、脱衣所に女性用のナイトガウンが用意してあった。
起毛素材ではなく、光沢のある薄いピンク色の生地に、明るい赤い糸で縁取られている。
……これ、シルクだよな?
しっかりバスタオルで汗を拭き、ドライヤーを使って髪を乾かす。
ガウンを身にまとったわたしはこの家のダイニングへと向かった。
ガウンには清彦からのメモが添えられていたのだ。
そこには、入浴後「ダイニングへきて欲しい」というメッセージが書かれていた。
ご丁寧に、ダイニングルームまでの行き方を説明した簡単な地図まで添えられていた。
なお……メモによればわたしの衣類は全部回収して乾燥室に持っていったとのこと……。
……まあ、下着を見られたからってどうってことはないし!
男同士だし!
すでに清彦はダイニングルームで待っていた。
当然、彼もずぶ濡れのスーツ姿ではない。
白いシャツに薄茶色のスラックスという服装に着替えていた。
そういえば、こいつも風呂に入った方がいいんじゃないか?
そう思って清彦に聞いてみると……。
「別のシャワールームで、とりあえず汗だけは流しました」
……なんなんだこの家。
バスルームと別にシャワー室があるの?
「それから、会社には電話で事情を説明して、直帰扱いにしてもらいました」
清彦はイスを引いてわたしを座らせると、優しい笑みを浮かべながらそう報告した。
……まずい。
これで「会社に戻るから」と早々に立ち去ることができなくなった。
続いて清彦は、わたしに食事を薦めてきた。
一見して、真っ当なディナーがテーブルに並べられる。
食欲をそそるブラウンソースの香りがダイニングルームに広がる。
「これ、清彦が作ったの?」
「いえ、懇意にしているビストロにお願いしてケータリングを頼みました。
冷めないうちにどうぞ」
……ケータリングって、普通はこんなに素早く対応してくれないだろ?
どんだけお得意様なんだよ!?
ダイニングからもやはり外の景色はよく見渡せた。
そろそろ完全に太陽は西の大地に沈み、色とりどりの照明が大都会を彩っていた。
そんな絶景を見ながら、わたしは清彦と料理に舌つづみを打ちながら会話をしていた。
清彦と話していると楽しくて、つい色々なことをしゃべってしまう。
中東のある国で油田を掘り当てたら、革命が起こってプロジェクトがおじゃんになった話。
東南アジアに食品工場を作ったら、宗教的問題で騒動がおこり、操業停止になった話。
南米から地下資源を輸入しようとしたら取引先の正体が麻薬王で、FBIにマークされた話。
……どれも今では笑い話だが、当時は巨額の損失に胃を痛くしたものだった。
清彦はわたしの過去の失敗談を、相づちを交えつつ笑いながら聞いていた。
なお、清彦の感想は……。
「主任ってマゾっ気がありますよね?」
とのこと。
「普通はどれかひとつで心が折れてますよ。
もしかすると酷い目に会うのが好きなんじゃないですか?」
うるさいやい!
好きでひどい目に遭ってきたわけじゃないやい!
……などという会話を繰り広げつつ、このときのわたしは、内心で焦りまくっていた。
この家を辞するタイミングが、まったくつかめない!
とにかく、こちらは服が乾くまでは身動きがとれない。
集中して機会を待ち、服が乾いたら早々に立ち去らねば……。
……と、思ってたのもつかの間。
清彦が彼のワインセラーから取り出してきたワインが美味すぎた!
わたしは、いけないと思いつつ、つい深酒をしてしまっていた。
すっかり出来上がってしまったわたしは、清彦に対して素面では絶対にできない質問をしていた。
「清彦は彼女いないの?」
「……残念ながら」
「そっかぁ。わたしもひとり身だぞぉ?」
「はぁ……」
「にょーぼも子供も、いなくなっちゃった」
「…………」
「帰る家もなくなっちゃった」
「…………」
「これでもがんばって……家族を大切にしてたつもりだったんだがなあ……」
わたしはなんだか悲しくなって、ポロポロと涙をこぼし始めた。
どうも、今のこの身体は泣き上戸らしい。
……そのあとの記憶は定かではない。
どうも酔いにまかせて重大な発言を清彦にしてしまったような気もするのだが……。
わたしはダイニングテーブルに突っ伏し、そのまま寝てしまった。
清彦はそんなわたしを抱き上げ、どこかへと運んでくれた。
なんだよ、わたしは男だぞ!
なんで男がお姫様だっこされるんだ?
あ、でもいいのか清彦は王子様だもんな……。
そんな、完全に脈絡のないことを考えつつ、わたしの意識は深い眠りについた……。
◆ ◇ ◆
気がつくと、わたしは失ったはずの自宅にいた。
(あ、これは夢だ……)
わずかに覚醒している意識が、今感じていることが現実ではないと告げる。
夢の中のわたしは、男だったときの姿で、かつてわたしがローンを組んで買った家の庭にいた。
窓から家の中の様子をのぞく。
そこでは、妻―――元妻―――と、その娘、そして見知らぬ男が幸せそうに談笑していた。
「おーい! ここを開けてくれ! わたしも中に入れてくれ!」
わたしがそう言って泣き叫んでも、中の連中には聞こえないらしい。
和やかな談笑を続ける妻たちに向かって、わたしは叫ぶ!
必死になって窓ガラスを叩く!
わたしはここにいるぞ!
お願いだからひとりにしないでおくれ!
なんでも……なんでもするから!
やがて、部屋の中で娘が立ちあがり、窓を開けた。
わたしは必死の思いで娘に話しかける。
「わたしだ! お父さんだ!
ここはわたしの家だ! わたしも中に入れてくれ!」
泣き叫ぶわたしに向かって娘は言った。
「……お姉さん……誰?」
いつの間にかわたしは女の姿になっていた。
そうだった……。
わたしはもう……お父さんではないのだ……。
わたしは声にならない悲鳴をあげた!
夢の中のわたしの足元が崩れる!
わたしは、妻と娘の名前を叫びながら落下していった。
どこまでもどこまでも……。
……ずいぶん長い時間がたった気も、一瞬しか過ぎていなかったような気もする。
気がつくと、わたしは病院の診察室にいた。
もちろんこれも夢だろう。
かつて“遺伝子交換治療”を受けた病院の殺風景な診察室で、わたしは医師に相談をしていた。
「なぜわたしの身体は女性になってしまったのでしょう?」
「その身体の遺伝子が、最もあなたに適合したからです」
「なぜわたしの心は男のままなのでしょう?」
「それは誤解です。あなたは身も心もすっかり魅力的な女性です」
「そんな馬鹿な……」
「今のあなたなら王子様だっていちころですよ」
……さすが夢。
全然論理的じゃない上に、あり得ないことを話している。
「あなたが『自分は変われていない』と思い込んでいるのは、魔法のせいです」
「魔法?」
「あなたには“幸せになれない魔法”がかかっているのです」
「“幸せになれない魔法”?」
「そうです。その魔法のせいであなたは本当の自分を見つけられないでいるのです」
「本当の自分?」
「自分で自分を縛る必要はないのです。人の営みとは、禁忌を破り続けた歴史なのですよ」
この医師はなにを言っているのだろう?
「じゃあ、じゃあ……」
わたしは勢い込んで医師に質問した。
「その魔法をかけたのは……わたしが幸せになれないようにしたのは誰?」
「それは……」
夢の中の医師の声が小さくなり、聞こえなくなる。
ゆっくりとわたしの意識は覚醒していった。
◆ ◇ ◆
……ふと気がつくと、わたしは大きなベッドの上に寝ている自分を発見した。
なんであんな夢を見たんだろう。
すっかり忘れていたのに……。
……いや待て。
それどころじゃないぞ!?
掛かっていたダークブルーの毛布を跳ね上げ、わたしは上半身を起こす。
わたしの寝ていたベッドは……天空に浮かんでいた!
……違う!
そんな錯覚をするのは、この部屋の造りのせいだ。
ここは、他の部屋から突き出るように作られている。
そのため、部屋の視野が尋常じゃなく広い……おそらく200度以上あるだろう。
窓ガラスは床から天井まで届いている。
これならベッドの側から正面を見る限り、ほとんど視界はさえぎられない。
天井部分にも傾斜のついたガラスがはめられていて、展望台のような構造になっている。
窓の外には宝石箱の中身をぶちまけたような、キラキラと輝く都会の夜景が広がっていた。
高所恐怖症の人間であれば、身体がすくんで動けなくなるだろう。
だが、それ以上に大問題があった。
まず、わたしは全裸だった。
そしてわたしのいる大きなベッドの上には……清彦も一緒に寝ていたのだ!
しかも……裸!
なんで!?
「……あれ? 目が覚めました?」
わたしが起きたことに気づいた清彦が、のんきな声をかけてきた。
「こっ、こっ、こっ……」
「こけこっこー?」
わたしはベッドの上に掛けられていたダークブルーの毛布をたぐった。
自己主張の強いバストを、清彦の視線から隠したかったからだ。
結果として、それまで毛布に隠れていた清彦の下半身がわたしの視線にさらされる。
……こいつ……こんなところも完璧超人だ。
寝室の壁や床の絨毯、寝具までもが濃い青系の色で統一されていた。
それもこの部屋が天空に浮いているような錯覚を与えるのに役立っているようだ。
室内の照明はほの暗く、わずかにベッド脇のフットライトがぼんやりとした光を放っている。
窓ガラスは恐らく二重構造になっているのだろう。
自動車の騒音や風の音などはさえぎられ、室内は静寂が保たれていた。
つまりそれは、わたしが騒いでも外の人間には聞こえないということなわけで……。
わたしは身の危険を感じながら清彦に質問した。
「こ、ここはどこだ?」
「この家のベッドルームです。ビルを建てるときに設計士さんに頼んで造ってもらいました」
「頼んでって……」
「言ったじゃないですか。“俺のマンション”って」
……このビルはまるごと清彦の所有物なんだそうだ。
普通、「俺のマンション」って言われたからってビルのオーナーだなんて連想しないよ!
「そ、そんなことより、なんでわたしがお前と一緒に寝ているんだ?」
「……主任、憶えてないんですか?」
「な、なにを?」
「ひとりにしないでくれって、主任が俺に言ったんですよ?」
…………。
酔っ払っていたとはいえ、わたしはそんなことを言ったのか!?
「『なんでもするからひとりにしないで』って泣きながらすがりついてきたんじゃないですか」
「う、ウソ……」
うろたえるわたしに向かって、清彦は彼のスマートホンをかざすと、録音されていた音声を再生した。
「おねがぁいぃ……ひとりにしない……でぇ」
「なんでも……なんでもぉ……するからぁ」
ちょっと鼻にかかった妖艶なメゾソプラノ。
酔っ払っているせいでろれつが十分に回っていない。
今のわたしの身体から発せられる女としての声が、とんでもないことを言っている!
かああああああああああああああああああっ!
わたしの身体が羞恥で赤く染まる!
「大変だったんですよ? 主任が酔っ払ってワインをこぼしちゃって。
仕方がないからガウンを脱がして。
俺も服を着替えたかったけど主任がすがりついてきて着替えられないし。
主任を着替えさせるなんてもっと難しいし……」
とりあえず、彼自身の服を脱ぐ以上のことはあきらめ、裸でベッドルームへと移動したそうな。
「ご、ごめん」
わたしは清彦に謝ると、そのまま裸で部屋を飛びだそうとした。
恥ずかしくて、それ以上清彦の顔を見ていられなかったからだ。
だが、それより早く清彦のたくましい右腕が、わたしの細くてしなやな左腕をつかむ。
ちょうどそのとき、どこかで時計の鐘が鳴った。
多分あれは、日付が変わる音だったのだろうと、あとでそう気がついた。
「ちょっと待ってくださいよ」
清彦は笑みを浮かべながら言う。
「なんでもするって言ってましたよね?
まだ、俺の“お願い”を聞いてもらっていませんよ」
◆ ◇ ◆
天空に浮かぶ部屋のベッドで、清彦はわたしに“お願い”の内容を告げる。
「俺が今からすることが気に入らなかったら、やめろと言ってください」
「お、おう……」
「『やめろ』とか、『イヤ』とか、ひと言でも言ったら俺はそれ以上のことはしません」
「そ、それが“お願い”?」
「そうです」
うちの会社の女子社員が見たら大騒ぎするようなとびきりの笑顔。
そんな表情のまま清彦は、自然な動作でわたしを抱きすくめた。
わたしのバストが清彦の胸板に押しつけられ、平たく変形する。
「い!」
「イヤですか?」
思わず声を出しそうになったわたしに清彦が問いかける。
「イヤじゃない……」
「じゃあ続けますよ」
清彦はわたしを抱きしめる手に力を加える。
トクン……トクン……。
清彦の心臓の鼓動がわたしの身体に伝わってくる。
なぜだかわたしは安心してしまい、身体から力が抜ける。
それを待っていたかのように、清彦は動いた。
左手でわたしを抱きかかえつつ、右手を使ってわたしの頭を固定し……。
ちゅっ……。
優しく唇にキスをした。
それは小鳥がついばむような優しい口づけ……。
けれど、このとき……。
「ふわぁ、あぁぁぁあぁぁぁぁぁぁ!」
わたしがそれまでに体験したことのなかった感覚が、身体の中にあふれ出した!
未知の感覚に戸惑った身体は痺れたように動けなくなっていた。
そんなわたしの変化を知ってか知らずか、清彦はリズミカルに軽いキスをし続ける。
彼の与える刺激のせいで、わたしの中からはしたない気持ちが染み出てくる。
少しずつわたしの鼻息が荒くなる。
なんだか身体が熱くなってきて、全身の力がうまく入らない。
清彦はそのタイミングで顔を上げ、問いかけてくる。
「イヤですか?」
「い、イヤじゃない……」
「では次に進みます」
清彦はわたしの身体をゆっくりと横たえると、その上に覆い被さる。
「い!」
「イヤですか?」
「な、何度も言うなぁ!」
「……アプローチを変えることにしたんですよ」
清彦はわたしの耳元でささやく。
「これでも紳士的に、主任がその気になるのを待っていたんですけど……」
「そ、その気ってなんだよ!」
「でも、いつまでたってもらちがあかないんで……攻め方を変えることにしました」
「せ、攻め方?」
「だって主任……マゾでしょ?」
清彦の言葉に、全身の細胞が沸騰しそうなほど熱くなる!
それと同時に、わたしの背中をこれまで感じたこのない快感が走り抜けた!
「え! い……」
「イヤなんですか?」
「へ、変なことをいうなぁぁぁ!」
「でも、感じてるんでしょ?」
……見透かされてる?
「失礼ながら、主任にトレーナーになっていただくことが決まったとき。
主任の経歴を調べさせていただきました」
そんなことを!?
「主任はどんな失敗プロジェクトでも、最後まで残って進んで貧乏くじを引いてきましたよね?」
「そ、そんなこと……」
「自分は悪くないのに、浮気した奥さんに家を譲りましたよね?」
「あ、ぅあ……」
「仕事を取ってきても、それは自分のエロいボディのお陰だって悩んでましたよね?」
「そんなの、どうやって調べたんだよ!」
必死に抗議するわたしに向かって、清彦は宣告する。
「主任は……自分では気がついていないみたいですけど……。
あなたはですね、極端に自己評価の低い、率先して不幸になりたがる。
幸せな自分を肯定できない……。
変態なんですよ」
「へ、へんたい!?」
酷い!
でも、そう言われた瞬間、わたしの身体はまたも「ゾクッ!」とした快感に包まれる!
「あぅぅ……」
「そんなわけで、アプローチを変えてイジワルをすることにしたわけです」
「…………」
「だからって、無理矢理言うことを聞かせたりしませんよ。
イヤならイヤだって言ってください。そこで終わりにします」
「そ、そんな……」
「じゃあ、次に進みますね」
清彦は再びわたしに口付ける。
今度は濃厚な熱いキスだ。
同時に清彦はわたしの豊満な双丘を両手で鷲掴みにする。
柔らかなそれの感触を楽しむように、ゆっくりと揉みはじめた。
(んー! んー!)
清彦はぴちゃぴちゃとわざとイヤらしい音を立てて、わたしの口内を彼の唇と舌で攻め立てる。
緩急をつけながらキスを繰り返し、わたしの身体を高ぶらせる!
清彦の両手がわたしの胸のふたつの柔らかな肉塊を弄ぶ。
わたしはこれまでに味わったことのない快感で、全身が蕩けそうになっていた。
脳みそは痺れっぱなしで、思考がはたらかない。
自分の身体なのに、こんな風になるなんて全然知らなかった……。
「ぷはあ」
しばらくして口づけるのを止めた清彦は、今度は順番にわたしの全身にキスをしていく。
首筋に、胸の双丘の上にある突起に、白いなめらかな腹に、柔らかな太股に、肉厚の尻に……。
そのたびにわたしの身体は反応する。
「あっ! あっ! あぁっ!!」
わたしはベッドの上でのたうち回った。
羞恥でつい「いやっ!」と言いそうになる。
けれど―――。
その都度、まるでわたしの心を先回りするかのように、清彦は問いただしてくる。
「イヤなんですか?」
「い、いじわるぅ!」
淫猥な音をたてながら、清彦はわたしの白い肌を蹂躙するように全身くまなくキスをしていく。
その合間に柔らかなわたしの乳房をいじり続けることも止めない。
快感が高まってきた……と思うと、清彦はそこでしばらく手を止めて、その先に行かせない。
「あぁん! くぅん! くうぅぅん!」
わたしの声がだんだんすすり泣くようなものに変化する。
このまま焦らされ続けたら、きっとわたしはおかしくなってしまう!
……そう、思ったそのとき、清彦の手が止まった。
ぼぉっとした頭でいぶかしがるわたし。
清彦がわたしの顔を見つめて言った。
「これから俺がする質問に正直に答えてください」
「し、しつもん?」
「主任は、俺のこと好きですか?」
え! ……そんなこと、急に言われても……。
慌てるわたしの身体を清彦はくるりと回転させ、うつぶせの状態にする。
わたしとベッドの間で、わたしのおっぱいがむぎゅぅと潰れる。
清彦は天井を向いたわたしの白い尻に、右手でスパンキングをした!
パーン!
小気味よい音とともに、わたしの全身に快感が走る!
「ひゃぁぁぁあうぅっ!」
「回答が遅いですよ? 質問には速やかに答えてください?」
「で、でも……」
「余計なことは言わなくて結構です」
スパーン!
再びの打擲。
力任せでではなく、決して痛くはない。
ただ、音だけはやたらと響いて、わたしの羞恥心が刺激される。
「う、うぅぅぅ!」
「もう一度質問します。主任は俺のこと好きですか?」
「……す、き、嫌いじゃない……」
「回答が不明瞭です!」
パーン!
三度目のスパンキングの音がベッドルームに響き渡る。
歓喜の成分が混じったわたしの悲鳴がそれに唱和する。
「明確に答えてください。主任は俺のことが好きですか?
今度答えてくれなかったら、これ以上なにもしません。
ここで終了です。なにもかも」
冷静な清彦の声に、わたしはパニックした!
「や、やめないで……」
「回答をどうぞ」
「…………です」
「声が小さくて聞き取れません」
恥ずかしさに気が遠くなりそう!
そんな感覚を覚えながら、わたしはついに清彦の質問に大声で答えた。
「好きです! 大好きです!」
「もう1回お願いします」
「大好き! 大好きぃ!」
「もう1回!」
「大好き! 清彦のこと大好きなのぉ!」
「本当ですか?」
「ほんとぅなのぉ! 好き! 清彦大好き! 大好きぃぃぃ!!」
なんだか、傷ついて針飛びするレコードのようだった。
わたしは、繰り返し「大好き!」と絶叫する。
「よくできました」
清彦がスパンキング!
ゾクリという快感が尻から背筋を駆け昇る!
「はあぁぁぁん! な、なんで叩くのぉ! ちゃんと言ったのにぃぃぃ!」
「今のはご褒美ですよ」
そう言うと、清彦はベッドにうつぶせに寝かされているわたしの上に覆い被さる。
わたしの背後に回り込んだ清彦が、わたしの耳元に顔を近づけ、甘くささやく。
「気持ち、良かったでしょ?」
今度は言葉だけなのに、快感でわたしの意識が飛びそうになった。
清彦は意地悪だ!
「では、大好きって言ってくれたので、主任に頼まれていた案件を実行しますね?」
そう言うと、清彦はわたしの身体を背後から抱き上げ、そのまま立ちあがる。
ベッドからも降りてしまったわたしと清彦はそのまま窓へと近づいていき……。
「ま、まさか……」
「まさかって、主任が自分で言ったんですよ?」
「え?」
「外から見られながらやったら、きっと燃えるだろうって」
う、うそ。
本当にわたしがそんなことを!?
「録音を聞かせましょうか?」
「ごめんなさい! 勘弁してください!!」
「じゃあ、いきますよ?」
わたしはふかふかの、くるぶしまで埋まるような濃いブルーの絨毯の上に降ろされた。
そのまま、膝をついた体制で、上半身を窓に押しつけられる。
ひっくり返らないように、わたしは窓ガラスに両手をついて支える。
わたしの胸の双丘が冷んやりとしたガラスに密着し、平たく変形する!
……窓の向こうには、真夜中の大都会が広がっていた。
航空障害灯が点滅し、網の目のように張り巡らされた高速道路を次々と自動車が駆け抜けていく。
毎日繰り広げられる光のカーニバルが、今わたしの目の前で展開されている。
一瞬外の光景に見とれたわたしの背後から、清彦の股間のそれが押しつけられる。
「ひっ!」
「もう十分濡れてますね。そんなに見られるのが嬉しいですか?」
「い、いわないでえぇぇぇ!」
だって……恥ずかしい!
「では、このまま進めますが、かまいませんか?」
「…………」
「回答がない場合は即座に終了します」
「や、やめないでぇ!」
すでに脳が快感に支配されている。
このあとどうなるのかわかっているのに、止めることができない!
「では、いきます!」
「ぎ! ぐあああああああああああ――――っ!」
メリメリという音でも聞こえそうな勢いで、清彦のそれがわたしの中に入ってくる。
わたしはガラス窓に、両手をついて支えつつ、上半身を窓に押しつけてその痛みに耐えた。
二度、三度……幾度となく清彦がわたしの中を出入りする。
だんだんと痛み以外の感覚がわたしの中で放たれはじめた。
「主任のここ、びしょびしょですね。
こんなに濡れちゃったら業者を呼んで絨毯を取り替えてもらわないといけないなあ」
くやしいけど、清彦がいじわるを言うたびにわたしは気持ちよくなってしまう。
こんな感覚がこの身体の中に眠っていたなんて……。
「では、ビジネスの基本として、ホウ・レン・ソウをお願いします」
「ほ、ほうれんそう? なにを言って……」
「まずは報告から。主任は今どんな顔をしていますか?」
「え、そんな……」
「窓に映っている自分の顔が見えるでしょ? どんな顔が見えますか?」
思わず窓ガラスに映った自分の顔を凝視する。
そこに映っているのは……。
何十年も見慣れた冴えない中年の顔ではない。
快感と羞恥で顔を真っ赤に染めた、ひとりの女性の……。
……わたし自身の顔だった。
「報告遅い!」
スパンキング!
頭のネジが23本まとめて飛び散ったような感覚がわたしの意識を朦朧とさせる。
「わ、わたしのぉ、かおわぁ、ま、まっかになっていますぅ!」
「なぜ真っ赤になっているんですか?」
「き、きもちいぃのおぉぉぉ!」
「言葉づかいが乱暴ですね。もっと丁寧に」
「き、きもちよくて、快感でかおがまっかになってますぅ!」
「他には?」
「く、くちがしまりなく開きっぱなしになってますぅ!
よ、よだれがぽろぽろたれてますうぅぅぅ!
まるでメス犬みたいに、だらしなくよだれたらしてますぅぅぅ!」
呆れ果てたような声で清彦が問いかける。
「主任は人間ですよね? 恥ずかしくないんですか?」
「は、恥ずかしいですぅ! でもぉ! それがぁいいのおぉぉぉ!!」
「では、次は連絡です。主任の中は今どうなっていますか?」
「きよひこのぉそれがぁぁぁあ! でたりはいったりしてますうぅ!
も、もう、わたしのあそこがびしょびしょで、洪水みたいになってますうぅ!
突かれるたびにに気持ちよくなってくるんですぅぅぅ!
いっちゃう! いっちゃいましゅうぅぅぅ!」
頭の中は真っ白で、もう自分でもなにを言っているのかよくわかっていなかった。
普段口にしたら羞恥のあまり死んでしまいそうな卑猥な言葉が、次々とわたしの口から紡がれる。
その恥ずかしさが、さらにわたしの快感を押し上げていく!
清彦はそのまま達しそうになったわたしから、彼のものを引き抜いた。
「くるり」と、今度はわたしの身体を彼に正対するように回転させ、こう言った。
「……では最後に相談です。このあと主任はどうしたいですか?」
「ど、どうって!?」
「最後までやっていいですか?」
「!? そ、そんなこと訊かれても……」
「部下からの相談なんだから、ちゃんと答えてください。
上司であるあなたから命令してください」
「ちょ!」
「命令してください!」
有無を言わせぬ清彦の態度に、わたしは覚悟を決めた!
「め、命令です!
わ、わたしの中に清彦の……それを入れてください!
ぶち込んでかき回してください!
何度も突いてください!
最後までいってくださいぃぃぃ!!」
恥ずかしくて心が砕け散ってしまいそうだった!
しかし、わたしのイヤらしい身体はそれすらも快感に変えてしまう。
「いいんですか?
男の主任にそんなことをしていいんですか?」
「いいから! 男じゃなくていいから!
女でいいから!
お願いします! なんでもします!
おねがいぃぃぃっ」
もはやわたしには、ひとかけらのプライドも残っていなかった。
……あるいはそう思い込むことで、快感を増大させようとしていたのかもしれない。
そんな浅ましい考えが脳裏をよぎったが、もうそんなことはどうでも良かった。
「了解です。それでは……」
清彦はそう言うと、ベッドルームの床からわたしを抱き上げ、再びベッドに戻る。
四畳半以上あろうかという広さのベッドに優しくわたしを降ろす。
「それでは具体的な指示をお願いします」
すこし焦らされて、落ち着いていたわたしの精神が今度こそ羞恥で沸騰する!
「いれてぇ! ここにいれてぇぇぇ!」
「命令ですか?」
「命令です! わたしの中にはいってぇぇぇ!」
清彦がわたしを正面から抱きしめながらわたしの中に入ってくる。
彼の胸に押しつけられたわたしの胸が柔らかく形を変える。
激しく腰を振る清彦の中から、熱いものが勢いよくわたしの奥に放たれる!
ドクン、ドクン、ドクン……。
わたしの中が大好きな清彦から放たれたもので満たされていく!
びくん! びくん!
痙攣するように快感で身体を震わせながら、わたしの意識が飛んでいく……。
そのとき、唐突に夢の中での医師との会話が頭の中で再生された。
“その魔法をかけたのは……わたしが幸せになれないようにしたのは誰?”
“それは……”
……そうか。
わたしに“幸せになれない魔法”を掛けていたのは……。
わたし自身だったのか……。
そんなことを考えながら、わたしは意識を手放した。
◆ ◇ ◆
夏の大都会の朝は早い。
わたしの意識が戻ると、まだ5時にもなっていないのに外は明るくなっていた。
街の喧騒が戻ってこようとしている。
考えてみると、わたしがゲリラ豪雨でびしょ濡れになってから12時間ほどしかたっていなかった。
わたしはダークブルーのベッドの上で、ぼぉっと窓の外の景色を眺めていた。
いつの間にか白のナイトガウンを羽織っている。
優しい清彦が掛けてくれたんだろう。
目の前に「すっ」とホットコーヒーの入ったマグカップが差し出される。
もちろん差し出したのは清彦だ。
彼も白系のナイトガウンを着衣していた。
熱いコーヒーの入ったカップを、わたしはおずおずと受け取った。
恥ずかしくて清彦の顔が直視できない。
わたしは視線を上げないようにして、カップの中のコーヒーをすすった。
挽きたてのコーヒーのかぐわしい香りがわたしの鼻孔をくすぐる。
「……あのさ」
「なんですか?」
「そういえば……さ」
「はい」
「わたしの気持ちは伝えた……と思うんだけど」
「はい」
「清彦の気持ちって……言ってもらってたっけ?」
その瞬間。
珍しく清彦が間の抜けた顔をした。
年齢相応のその表情は、とても好ましかった。
「……言ってなかったような気がします」
「じゃあ、言って」
「今ですか?」
「うん」
「命令ですか?」
わたしは否定の意志を込めて首を横に振った。
「ちがうよ。これは、お、ね、が、い」
リズムを着けてそう言うと、清彦の顔が赤く染まった。
あ、こんなところに弱点があったのか。
「言ってくれないの?」
「……好きですよ。はじめて会ったときから、大好きでした」
「そっか……」
わたしはコーヒーの残っているマグカップを枕元の台に置いた。
ベッドの上に手を突き、四つん這いになって清彦に近づく。
「そういえば、魔法を解くのが王子様のキスっていうのは定番だよね」
「……なんの話ですか?」
さっきまでの荒々しさがどこかに行ってしまった王子様の横に、ちょこんとわたしは座る。
ふたりの目の前には、もうすでに起きだした大都会が広がっていた。
大好きな清彦の肩にもたれかかりながら、わたしは少しずつ自分の思いを語り出した。
もちろんはじめの言葉はこうだ。
「むかし、むかし、あるところに……」
――終わり――
次回作期待です!
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