飴を拾ったよ
それは、その日の小学校の授業が終わり、いつものように帰り支度をしている時のことだった。
「圭くん、一緒に帰ろう」
と俺に声をかけてきたのは、俺とは同い年で、家の隣に住んでいる幼馴染の川島桜子だった。
ツインテールな髪型に、目がパッチリとした幼い顔立ちの小柄な女の子だ。
そしてその女の子に「圭くん」と呼ばれた俺は、山本圭介という名前の小学6年生の男子だ。
「あ、ああ……」
と、俺はいつものように、気のなさそうに返事を返す。
そんな俺の返事を肯定と受け取って、桜子はニコニコしながら、俺の帰り支度が済むのを待っていた。
そして俺と桜子は、一緒に学校を出て、帰り道を一緒に歩いて帰るのだった。
ちょっと前まで、俺にとっての桜子は、お隣に住んでいる、やることがちょっとガキっぽくて手のかかる幼馴染、という存在だった。
だけど最近は、俺はなぜだか桜子のことが気になるようになってきた。
なんでだろう? わからない。
だけど、そんな事を認めるのは、何だか照れくさいし、恥ずかしいし、癪に障るから、俺は態度に出さないようにして隠していた。
とはいえ、『桜子のやつ、最近背も伸びてきたし、なんだか大人びてきたよな』とも感じてもいた。
とまあ、そんな風に思っていたら、
「ねえ圭くん、こんなもの拾ったよ」
と、桜子が俺に声をかけてきた。
何だろう? と思って、桜子の拾ってきたモノを見てみると、紙袋の中に飴玉が一個だけ入っていた。
「ねえ、これ食べてもいいかな?」
「……やめておけよ、拾ったものだろ」
「でも飴玉じゃ、交番に届けても、落とし主みつからないよね?」
「まあ、飴玉じゃな、たった一個だし」
「結局捨てる事になるんだよね、だったらもったいないから私が食べるね」
とかいいながら、桜子は俺が止める間もなく、その飴玉をぱくっと口の中に入れた。
「えへへ、ちょっと甘ったるいけど、けっこういけるよ」
とか言いながら、甘いものが好きな桜子は、幸せそうにほっぺたを膨らませながら、飴を舐め続けた。
桜子のやつ、背が伸びてきて、大人びてきたとか思っていたけど、こういう所はまだ子供だよな。色気より食い気みたいだな。
しょうがないな、などと少し呆れながら、僕はそんな桜子の幸せそうな顔を、ちらっと見つめていた。
異変が起こったのは、そのホンのちょっと後だった。
ふう、はあ、はあ、ふう……。
「ん、どうしたんだ桜子?」
なぜだか急に桜子の息が荒くなり、その小柄な体が小刻みに震えはじめた。
桜子の顔が少し赤くなってきて、だんだん目も潤んできた。
「もしかしてその飴のせいか!! いわんこっちゃない、早く吐き出せ!!」
と言いながら、俺は様子のおかしい桜子を、咄嗟に近くの家の庭先まで運んだ。
そこで介抱しようと、腰掛けるのに程よい庭石に座らせた。
そして桜子の背中をさすろうと、俺がしゃがんだその時、桜子が急に俺に抱きついてきた。
「さ、桜子?」
いや、抱きついてきたというより、まるで俺を逃がすまいとして、強く絡みついてきたという感じだろうか。
後から思った、俺はこの時、桜子を引き剥がすべきだったんだと。
だけど実際は、抱きついてきた桜子の体の柔らかさや温もりにドギマギして、引き剥がすのを躊躇った。
それどころか、もう少しこのまま桜子を感じていたい、などという下心で、なにもできなかった。
何も出来ないでいるうちに、桜子は今度は俺にキスをしてきた。
「!!?」
桜子の舌が俺の口をこじ開けて、舐めかけで小さくなった飴と一緒に進入してきた。
俺にとっての初めてのキスは、飴玉の甘みとなぜか苦味の混じった味だった。
『キスしてる、俺は今、桜子とキスをしてるんだ』
こんな形でとはいえ、俺は今、好きな女の子とキスをしてるんだ。
好きな女の子? そうか、そうだったのか!!
俺は桜子の事が好きだったんだ!!
俺は桜子のことが気になっていた理由を、この時初めて自覚した。
そうと自覚してしまったら、キスを止めて桜子を引き剥がすなんて出来なかった。
そして当の桜子は、キスを止めるどころか、俺のことをより強く抱きしめながら、より激しくキスをしてきた。
舌と舌とを激しく絡ませながら、桜子の舌が運んできた飴玉は、俺の喉の奥に押し込まれた。
『だ、駄目だ!!』
本能的にそう思ったけれど、もう止められなかった。
飴を飲み込んだ直後、全身に悪寒が走り、俺まで気持ち悪くなってきた。
汗が肌から噴き出して、体が震えはじめていた。
だけど同時に、
『ああ、桜子、さくらこぉ、欲しい、俺はお前が欲しい!!』
いつの間にか、俺は桜子が欲しくてたまらなくなっていた。
着ている服も、俺と桜子を隔てるなにもかもが邪魔に感じた。
せめて少しでも桜子と一つになりたくて、桜子を抱きしめる手に力を込め、キスをした舌で桜子の口の中を貪り続けた。
そうこうしているうちに、俺は意識を失った。
……どのくらい時間が経過しただろうか?
「う、うーん」
俺の上げたうめき声は、妙に甲高かった。
だけどその事に気付く余裕が無いくらいに、頭が痛くて、気持ち悪くてふらふらして、体調も悪かった。
「一体何がどうなってるんだ?」
……確か、桜子が変な飴を舐めてたら、急に気分を悪くしたんだっけ?
そういえば、口の中がなんだか甘くて苦い、キスしたときに、俺も飴を舐めちゃったんだっけか。
「キス!? そうだった、俺はさっきまで桜子とキスをしてて……」
はっとしながら、俺は上半身を起こした。
なんだかまだ気分が悪いが、色々と確かめなきゃいけない。
俺のことより桜子は、……桜子はどうなったんだ?
そっと辺りを見回す。
俺のすぐ側には、誰かが倒れていた。
「桜子……じゃない? 俺!? 何でだ???」
俺のすぐ側で倒れていたのは、桜子ではなく、鏡などで見慣れた顔の短髪の少年だった。
山本圭介、つまり俺だった。
「そんなはずあるかよ、だって俺はここにいる……のに……」
そう言いかけて、俺は自分の体を見下ろしながら呆然とした。
俺はなぜだか女物のノースリーブの白いシャツを着て、赤いチェックの柄のスカートを穿いていた。
ちょっとまて、これって確か、桜子が着ていたのと同じ服じゃないか!!
何で俺が、桜子が着ていたのと同じ服を着ているんだ?
俺は慌てて、すぐ近くの窓ガラスに、自分の姿を映して確かめてみた。
窓ガラスに映っていたのは、ツインテールな髪型に、目がパッチリとした幼い顔立ちの女の子の姿だった。
「さ、桜子? なんで俺が桜子になってるんだ???」
そういう俺の声が、女の子みたいな甲高い声になっている事にも、ようやく気付いた。
俺はTシャツの上から、恐る恐る胸の辺りを触ってみた。
微かに膨らみがあり、俺の手からは何か柔らかな感触が伝わってきた。
そして俺の胸から、特にその先っちょからは、ピリッと敏感に痺れるような、触られているって感触が伝わってきた。
「……そんな、まさかこっちも」
スカートの上から、そっと股間を撫でてみた。
そこには、男ならあるはずのものがなかった。
「…ない…ないないない、俺のちんちんがない!!」
大切なモノを失ってしまったような、激しい喪失感を感じながら、俺は必死で股間をまさぐった。
そうしていれば、なくなった俺のちんちんが見つかるんじゃないかって気がして……。
「う、…ううん……」
「!?」
だけど、そんな焦る俺の都合とは関係なく、事態は動き始めた。
俺のすぐ側で気を失っていた、山本圭介の体が目を覚ました。
「あたまがいたい、…わたし……どうなったの?」
目を覚ました俺の体が、声変わりしたばかりの低い声で、女の子みたいな口調でしゃべった。
仕草も女みたいになよなよしていて、おかまみたいでなんだか嫌だった。
ここにいる圭介は、いったい誰なんだ?
「あれ? 私、声が変、あー、あー、私、風邪引いちゃったの?」
……思い当たる答えは一つ。だけど、何だかそれを確かめるのが怖かった。
だけどもう誤魔化しも先送りも出来ない。俺はそれを確かめるために、おそるおそる圭介に声をかけた。
「お前、もしかして桜子か?」
「そうだけど……えっ? わ、私!? なんで私の目の前に私がいるの!!」
俺の顔を見て、圭介が驚きの声を上げた。
ああ、やっぱり。
その圭介の返事を聞いて、俺は俺たちの身に起きた異変が、想像通りだった事を知った。
だけどその事を、目の前の圭介(?)に、どうやって説明しよう。
……面倒だ、ストレートに言ってしまおう。
「どうやら俺たち、体が入れ替わってしまったらしい」
「体が入れ替わった? って、そんな事あるわけ……?」
圭介は、ついさっきの俺がしたみたいに、窓ガラスに自分の姿を映して、そして見た。
「嘘!!……私、圭くんになってる!?」
ぺたぺたと、自分の体を確かめるように触り、股間を触った直後、ばっちいものを触ったみたいに、慌てて嫌そうに手を放した。
圭介のその反応に、俺は俺の大切なものが否定されたみたいに感じて、ちょっとむかついた。
「何だよその反応は!! 俺のちんちんがそんなに嫌かよ!!」
その俺の声に反応して、圭介が振り向いた。その目には涙が浮かんでいた。
「ヤダ、私こんなのヤダよ……、返して、私の体を返してよ!!」
そう言いながら、圭介はその場にぺたんと座り込んで、そしてめそめそと泣き出した。
「俺の姿でめそめそ泣くなよ、情けないだろ!! 俺だって、俺だって……ううっ」
「体を返して」と言われて泣かれても、俺にはどうする事も出来なかった。
なぜだか俺の涙腺までゆるくなってて、圭介につられて俺まで泣いた。
しばらく二人で抱き合って一緒に泣いたのだった。
たくさん泣いたら、少しだけ気持ちが落ち着いた。
そして少しづつ、お互いの事を確かめるように話しはじめた。
「……圭くん? もしかして、あなたは圭くんなの?」
「ああ、この見た目じゃ信じられないかもしれないけど、俺は圭介だ」
「そっか、やっぱりそうなんだ」
「やっぱりって、そんなんわかるのかよ」
「うん、なんとなく、見た目は私だけど、雰囲気がなんとなく圭くんかなって」
そう言いながら、圭介はちょっとだけ笑った。
その笑った顔が、一瞬、桜子に見えて、なんだか変な気分だった。
「ねえ圭くん、何で私たちこんなことになっちゃったのかな?」
知るか、そんなの俺が教えて欲しい。
だけど、こうやって話をしているうちに、仮説らしいものは浮かんでいた。
「多分、あの飴のせいだと思う」
「飴?」
あの飴を舐めてから、桜子の様子がおかしくなった。
その桜子にキスをされて、一緒に飴を舐めた俺まで同時におかしくなってしまった。
そして気を失って目が覚めたら体が入れ替わっていた。
あの飴が原因だとしか考えられない。
などと話をしていたら、圭介は恥ずかしそうに顔を赤らめて、俯いてしまった。
「……私、圭くんと、……ちゅー、しちゃったんだ…ね……」
……あっ。
俺、桜子とキスしたんだ。それもあんなに激しく。
そして俺は桜子が欲しいって……。
あの時のことを思い出して、俺の頭の中が、カーッと熱くなった。
あ、あの時は、俺も桜子もあの飴のせいで、気持ちが高ぶって変になっていたんだ。
だから気がついたらキスして、それを受け入れていたっていうか……。
桜子はどうだったんだろうか? あんな事、本当はイヤじゃなかったんだろうか?
「そ、それよりも、……圭くん、私たちこれからどうしたらいいの?」
圭介が、話題を変えてきた。
……正直ほっとした。この話題は、お互いにもう少し落ち着いてから話をしよう。
それに、これからどうするのか、今の俺たちにとっては、確かに大きな問題だった。
元の体に戻れれば問題はなかった。
だけど、例の飴は無くなってしまったし、他に手がかりもなし。
少なくとも、今すぐ元の体に戻れる当てはなかった。
だとしたら、少なくとも元の体に戻れる方法を見つけるまでは、今の体にあわせて生活を取り替えるしかないだろう。
幸いな事に、俺たちはお隣同士で、小さい頃からお互いのことはよく知っている。
後はお互いの細かいフォローをすれば、どうにかできるだろうし、今はそうするしかないだろう。
「ヤダ」
「えっ?」
「やっぱりそんなのイヤ!! 私、私の家に帰りたい!!」
「帰りたいって、もうあの飴はないし、元に戻る当てがないんだから、今はそうするしかないだろ!!」
「それに私、男の子なんていや、元の桜子に戻りたい」
「そんな事言ったって、だいたい元はといえば、お前があの飴を拾い食いしたせいじゃないか!!」
「ううっ、そうかも、そうかもしれないけど、……でもやっぱりこんなのヤダーッ、ヤダよぉ……ううっ」
圭介がまた泣きそうになり、俺まで釣られて泣きそうになる。だけど堪えながら言った。
「元の体に戻る方法を、俺が必ずみつけてやる。この体も必ず桜子に返してやる。だから泣くな!!」
「……本当に?」
「ああ、俺が嘘をついたことあるか?」
「圭くんは、約束を守ってくれなかった事のほうが多いよ」
「う、今度はちゃんと守る。だからさ、それまで俺を信じて待っててくれよ」
「……うん、信じる。私、圭くんを信じるよ」
そんな訳で、俺たちは元の体に戻る方法を見つけるまで、今の体にあわせてお互いの生活を取り替えることになった。
そしてこの日から、俺と桜子の入れ替わり生活がはじまったのだった。
桜子な俺、初めての帰宅(追加で加筆)
俺(山本圭介)と川島桜子は、家がお隣同士で幼馴染だ。
そんな俺と桜子が小学校から帰宅の途中、桜子が変な飴を拾って食べてしまった。
その直後、その飴のせいなのか、なぜだか俺と桜子体が入れ替わってしまった。
俺は泣いてしまった桜子、いや、圭介の姿の桜子(ややこしいな)を宥めながら、どうにか俺たちの家の前まで来た。
「じゃあ、さっき話をした通り、俺が桜子の家に帰るからな。で……」
「私が圭くんの家に帰るんだよね、わかっているよ、今は私が圭くんだものね」
そう言いながら、圭介(桜子)は表情を引き締めた。
入れ替わった直後は、すごく嫌がって泣いたりしていたけど、今の圭介(桜子)は何かの覚悟を決めたみたいだ。
「その「私」という言い方とか、なよなよした態度はできるだけ直せよ、俺がおかまみたいでなんだか嫌だぞ」
「そっちこそ、「俺」なんて言い方やめてよね、今の圭くん、ううん桜子は女の子なんだからね」
「わかってるよ、そっちこそ、俺の体でいつまでもめそめそしてるんじゃないぞ」
お互いに、言いたいことを言い合いながら、でもまだ未練が残っているのか、この期に及んでなんだか別れ辛かった。
「じゃあ、そろそろ俺は行くからな」
俺は、その未練を断ち切るように、圭介に背を向けて、桜子の家のほうに歩き始めた。
「あ、待って! もうちょっとだけ!!」
「えっ? あっ!!」
そう言いながら、圭介はいきなり俺を抱きしめてきた。
急だったので、俺は対処できなかった。
圭介の薄い胸板に、顔を埋める形に抱きしめられて、俺は困惑した。
「ありがとう。じゃあ、私も行くね」
そう言い残して、圭介は山本家のほうに走り去って行った。
俺は呆然としながら、その後姿を見送った。
「な、いったいなんだったんだよ!!」
俺の胸の奥がドキドキして、なぜだか止まらなかった。
俺は胸のドキドキが治まるまで、しばらくその場に立ち尽くしたのだった。
「……ただいま」
と言いながら、俺は恐る恐る、桜子の家の玄関のドアを開けた。
桜子の家と俺の家とは仲のいいお隣さんだから、小さい頃はよく遊びに来ていた。
だから俺にとってはこの家は、通い慣れた場所のはずだった。
だけど俺が桜子としてこの家に帰って来る事になるなんて、なんだか変な気分だった。
「おかえりなさい桜子ちゃん」
桜子のママが、そんな俺を出迎えてくれた。
「今日は遅かったわね、帰りに何かあったの?」
そう言いながら、桜子のママは心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
俺は思わずドキッとした。
もしかして、入れ替わりの事がばれた?
俺は慌てて咄嗟に言い訳した。
「さ、桜子と一緒に帰っただけで、途中何でもなかったよ!!」
「えっ、桜子と一緒って?」
俺の言葉に桜子のママは、一瞬怪訝そうな顔をした。
しまった、『桜子が桜子と一緒に帰る』なんてありえないだろ、怪しまれたか?
けれど桜子のママは、すぐに何かに納得したように、意味ありげに笑った。
「なあんだ、桜子はお隣の圭介くんと一緒に帰って来た、というわけなのね」
「う、うん、そうなんだ、今日は圭……くんと一緒に帰ってきたんだ」
「うんうん、やっぱりそうなのね」
何をどう納得したのかわからないけど、俺の返事に桜子のママは、なぜだか楽しそうに頷いた。
桜子のママ、あの顔は絶対何か勘違いしているよ。
だけど、だからといってバカ正直に、
「俺は本当は圭介なんです。桜子が変な飴を拾い食いしたせいで、体が入れ替わっちゃったんです」
なんて言えないし……、今は桜子のママに、このまま勘違いしていてもらおう。
そんな訳で、俺はこれ以上怪しまれたり、話をこじらせないように、曖昧に頷いてみせた。
「まあいいわ、おやつを用意してあるから、早く手を洗ってらっしゃい」
「は、はい……」
「詳しい話は、その時にゆっくり聞いてあげるわね」
なんて桜子のママの声を背中で聞きながら、俺は桜子の家の中に上がり込んだ。
桜子のママは、桜子の帰って来るのをずっと待っていたらしく、俺は急かされた。
俺は手を洗ったあと、桜子のママに促されて、ダイニングのテーブルの席についた。
「じゃーん、なんと今日のおやつは、桜子ちゃんの大好きな、三日月堂のフルーツケーキよ」
桜子のママがなんだか楽しそうに、今日のおやつを披露した。
俺はそんなおやつのケーキを見つめながら、そっとため息をついた。
……桜子のやつ、こうなるとわかっていたら、あんな変な飴を拾い食いなんてしなかっただろうな、はあっ。
「どうしたの? いつもの桜子ちゃんなら大喜びなのに、嬉しくないの?」
桜子のママは、このフルーツケーキで、桜子を驚かせて、喜ばせようとしたのだろう。
なのに、俺の反応がいまいちだったせいで、がっかりしたみたいだ。
桜子のママの、がっかりした顔を見て、俺はなんだか悪い事をしたような罪の意識を感じて、慌ててフォローした。
「そ、そんなことないよ……、わーケーキ嬉しいな、じゃ、いただきます」
ちょっと白々しい気もしたけど、俺は喜んだフリをしながら、ケーキに手を付けた。
う、うまいっ!! 何だよこれは。
ケーキの生クリームが、いつもよりも甘く感じた。
だけど、それは不快な甘味ではなく、うっとりするような甘さだった。
クリームが俺の口の中でじゅわっと溶けると、俺の脳までも一緒にとろけそうになる。
三日月堂のケーキって、こんなに甘かったっけ?
生クリームだけじゃない、フルーツもいつもより美味しいや、なんだろうこの満足感。
俺も甘いものは好きなほうだけど、こんなに美味しいと感じたのは初めてだ。
これが甘いものに対する、桜子の感覚なのか?
だとしたら、桜子が甘いものに目がないのも、今ならよくわかる。
「あらあら桜子ちゃん、お行儀が悪いわよ。そんなに慌てて食べなくても、ケーキは逃げはしないわよ、しようのない子ね」
桜子のママのその言葉に、俺はハッと気がついた。
いつの間にか、俺はフルーツケーキを、つい夢中になってがっついて食べていたんだ。
そんながっついた俺を、桜子のママは少しあきれたような表情で見つめていた。
なんだか急に恥ずかしくなってきて、頭の中がカーッと熱くなった。
やっちまった!! 甘いケーキに夢中になって、いつもの俺の感覚でやっちまった!!
いくら桜子が甘いものに目がないといっても、女の子だもんな、普段はもっときれいに食べているよな。
……まあ、あいつは、飴を拾い食いするような所もあるけどな。
とにかく今は、これ以上桜子のママに変な目で見られないように、もっとお行儀よく食べるように心がけよう。
そう思いながら食べるのを再開しようとして、皿の上のケーキに目をやった。
あああっ、お行儀よく食べるもなにも、ケーキはあと一口分しか残ってない。
せっかくの美味しいケーキなのに、もっと食べたいのに、もう終わりだなんて。
こんなことなら、もっと味わって食べるんだった。
なんだろうこのがっかり感、俺ってこんなに食い意地がはっていたっけ?
俺はしゅんとしながら、残りの一口を味わいながら食べた。
「そのケーキ、そんなに美味しかったのなら、もう一個食べる? ママの分も桜子ちゃんにあげるわ」
「え、ママの分? で、でも……」
桜子のママのその言葉に、俺はごくり、と唾を飲み込んだ。
俺の今の正直な気持ちは、もっとケーキを食べたい、だった。
だけど、桜子のママの分まで食べるなんて、なんだか悪いような気がした。
「遠慮するなんて、なんだか桜子ちゃんらしくないわね」
桜子らしくない? その言葉に俺は反応した。
そうか、こういう時、桜子なら遠慮しないで食べるのか。
しょうがないよな、俺は今は桜子なんだ、桜子らしく演じなきゃいけないんだし。
心の中でそんな言い訳しながら、俺は自己正当化した。
「ありがとう、ママ」
そう言いながら、俺は桜子のママの分のケーキに手を伸ばした。
桜子のママ、こういう所は桜子には甘いんだよな。
でも今は素直に桜子のママの心遣いが嬉しかった。
俺は桜子のママに感謝しながら、今度はゆっくり味わうように、おやつのケーキを食べた。
ケーキを食べながら、俺は同時に、幸せな気分も味わっていたのだった。
そしてそんな俺の姿を、桜子のママは、嬉しそうにニコニコしながら見つめていたのだった。
その後も、細かい試練は続いた。
おやつのケーキを食べた時に、一緒に飲んだ紅茶のせいだろうか?
「どうしたの桜子ちゃん?」
「……と、トイレ!!」
「んもう、しょうがない子ね」
急にオシッコがしたくなって、桜子のママの呆れたような声を背中で聞きながら、俺はトイレに駆け込んだんだ。
洋式トイレの便座を持ち上げ、いつもと同じように立ってオシッコを済ませようとして、直後に固まった。
今の俺はスカートを穿いていて、そのスカートの下には女物のパンツを穿いている。
そしてそのパンツの下には、あるべきはずの男の証がなかった。
そうだった、これは桜子の体だったんだ。
「ど、どうすればいいんだよ?」
どうしていいのか、俺はこの時は軽くパニックに陥って、すぐには思いつかなかった。
ただ、いつもよりオシッコが我慢できそうになくて、俺は咄嗟に便座を倒してその上に座ることが出来た。
しゅわあああぁぁぁっ!
パンツを下ろすと同時に、我慢の限界を超えたのか、俺の股間の割れ目からオシッコが放出された。
いつものおちんちんのホース越しとは違う、オシッコが股間からダイレクトに放出される感覚の違いに俺は戸惑った。
それでもどうにか無事にオシッコを済ませることが出来て、ホッとした。
ホッとすると同時に気がついた。
「俺、桜子の体でオシッコをしちゃったんだ!!」
その事に気付いて、急に恥ずかしくなり、俺の頭の中がカーッと熱くなった。
「お、女って、紙で拭くんだっけ?」
この時点では、俺はウォシュレットや温風乾燥機の存在のことを忘れていた。
なので、トイレットペーパーで、普通に濡れた股間を拭いた。
ちんちんのない股間を紙で拭くなんて、なんだか変な感じだった。
紙越しとはいえ、桜子のあそこに触れているんだ。
桜子……ごめん、でも、今はちょっとくらい仕方ないよな。
そう思ったら変に意識して、あそこが敏感に感じたりしてしまった。
こんなことをするのは、桜子に悪いと思って、これ以上はそこに触れなかった。
俺は、股間を拭くのを適度に切り上げて、パンツを引きあげた。
そのせいで拭き方が不十分だったのか、引き上げたパンツが、濡れた股間に張り付いて、少しだけ気持ち悪かった。
うう、こんなことなら、もっとちゃんと拭くんだった。
それに、と、後始末をしながら思った。
たかがトイレなのに女っていろいろ面倒だ、男のほうが面倒が無くて楽だったよな、って。
これから先もこの面倒くさい状態が続くのか、そう思ったら気分が落ち込んで、思わずため息が出たのだった。
夕食の時間、俺は桜子の姿になってから初めて桜子のパパと顔をあわせた。
俺は桜子のパパにどう接していいのかわからなくて困った。
そういえば、圭介だった時の俺は、桜子のママとは接っする機会は多かったけど、桜子のパパとはあまり会ったことがなかったっけ?
それでも、桜子のパパは優しそうな人、という印象はあった。
そしてその優しそうなパパは、桜子のことを気にかけているのか、「学校ではどうだ?」とか、優しい声で俺に話しかけてきた。
返事をしないわけにもいかないし、俺は、適度に相槌を打ちながら、どうにかこの場を乗り切った。
はあ、桜子の家はお隣さんだし、ここの事はよく知っているから、少しの間なら誤魔化せると思っていたんだけど、甘かったよな。
とにかく、ぼろが出ないうちに、一旦この場を離れよう。今後の事はゆっくりそれから考えよう。
そう思っていたら、
「桜子ちゃん、お風呂が沸いているから、早く入っちゃいなさい」
との桜子のママの声が聞こえて、俺は硬直した。
「はあ、本当にいいのか?」
俺は、浴室前の脱衣所で、途方にくれた。
お風呂に入るためには、服を脱がなきゃいけない。
でもそうすると、桜子の体で裸になって、それを見ることになる。
こんな形で、桜子の裸を見るなんて卑怯だ!!
「とはいえ、後がつかえているから、早く風呂に入らなきゃいけないし……」
桜子の家では、普段は桜子が一番風呂で、その後にパパ、最後にママ、という順番らしい。
だから今は桜子の俺が、さっさと風呂に入ってしまわないといけないのだ。
それでも、体調が悪いとか何とか言って、今日のお風呂を回避する手もあったかもしれない。
ただ、どうやって断ろうか? と考えながらぐずぐずしていたら、桜子のママに、
「着替えの準備はしておいてあげるから、早く入っちゃいなさい」
先にそう言われて、入らないわけには行かなくなってしまった。
いっそ目隠しでもして、風呂に入ろうか?
「そ、そうだ、服を脱ぐ前に、このリボンから解いて……」
問題を先送りしながら、何気なく髪を留めてるリボンに手をかけた。
しゅる、と音がして、髪を留めていたリボンが解けた。
ツインテールが解け、脱衣所の鏡の中には、髪を下ろした桜子の顔が映っていた。
「あっ!」
普段はガキっぽいって思っていた桜子の顔が、いつもより大人びて見えて、つい、ドキッとした。
俺は、桜子のことは、何でも知っているつもりだった。
だけど、まだまだ知らない、こんな一面があったんだ。
「俺は今、俺の知らない桜子を、見ているんだ……」
俺は、「いけない」と思いながら、こう思った。
「俺、桜子のこと、もっとよく知りたい」
だって桜子は、俺にとっては気になる女の子なんだから。
俺は、今身に付けている服を、そっと脱ぎ始めたのだった。
俺はお風呂から上がり、用意されていたパジャマに着替えて、桜子の部屋に戻ってきた。
だんだん落ち着いてくると、お風呂の中での出来事を、色々と思い出してきて赤面した。
圭介(桜子)からは、
「ちょっとくらいはしょうがないけど、私の体、できるだけ変なところを見たり触ったりしないでよ」
と、お願いはされていた。
だけど、まったく見ないとか触らないとかは無理だよな。
それが、気になる女の子の体だとしたら、余計にそうだよな、と思った。
結果的に、お風呂の中での俺は、ちょっとテンションが高くなっちゃって、つい、桜子の体を、余計に見たり触っちゃったりしてしまった。
そのことに、ちょっと罪悪感も感じて、
「ごめん、桜子」
俺は、この場にいない、圭介(桜子)に謝った。
それにしても、初日からこの調子で大丈夫かよ。
てか、桜子のほうこそ大丈夫か?
俺でさえ子の調子なのに、あいつが俺の両親や、弟や妹と上手くやってるだろうか?
気になったけど、今は確かめようがない。
明日、今後の事も含めて、改めてその話しをしよう。
「はあ、疲れた」
俺はベッドに横になった、そうしたらどっと疲れが出て、眠気が襲ってきた。
俺は向こうの家、家族、弟や妹のこと、桜子のことを気にしながら、眠りについたのだった。
翌日、俺はスカートやひらひらした女物の服を着たくなくて、
それを避けて着ていった服のことで圭介(桜子)と揉めたり、
上手くツインテールが結えなくて、最初の朝はママに髪を結ってもらうことになったり、
しばらくはこんな調子で、俺の桜子としての生活は、気苦労が続くことになるのだった。
飴を拾ったよ、後日談
そして、俺と桜子の体が入れ替わってしまったあの日の出来事から、二ヶ月が経った。
俺はあれから、俺たちが元の体に戻る方法がないか、図書館の本やインターネットなど、色々調べてみた。
あの怪しい飴の事、他の方法、何でもいいから元の体に戻る方法がないだろうか?
……残念だけど、なんの手がかりも見つけられなくて、俺たちはまだ元の体に戻れないでいた。
そして今日も、新しい朝が来た。
「……なんか今日は体がだるいな」
もう少しこのまま寝ていたい気分だけど、そんなわけにはいかないか。
俺はいつものようにもそもそとベッドを這い出て、洗面所に向かった。
朝、目を覚ました俺がいつも最初にするのは、洗面所の鏡で自分の顔を確認することだ。
鏡に映っていたのは、幼馴染の女の子、川島桜子の顔だった。
そしてそれが、今の俺の顔だった。
最初のうちは、鏡を見るたびにため息をついたり、がっかりしたり落ち込んだりもした。
とはいえ、二ヶ月もすればさすがに見慣れてきたし、自分の顔を見ながらいちいち落ち込んでなんていられない。
俺はいつものように顔を洗い、歯を磨き、髪をブラシで梳かし、梳かした髪をツインテールに結い直す。
最初は面倒だったけど、これも二ヶ月もやっているとずいぶん慣れた。
それどころか、男だった時には考えられないほど、俺は髪型や服装など、身だしなみには気を使うようになった。
ちゃんとしておかないと、桜子のママや桜子がうるさいからな。
……よし、これでばっちりだ。
それがなんだか嬉しくて、鏡を見ながら、俺はフッと表情を緩めた。
鏡の中の桜子も、嬉しそうに表情を緩めていた。
お昼休みの時間
「はあっ」
俺は6年1組の教室の窓際から、外を見下ろしながらため息をついていた。
窓の外のグラウンドでは、お昼休みで多くの児童が遊んでいた。
うちのクラスの男子は、隣のクラスの男子とドッジボールをしているようだ。
「みんな楽しそうだな」
俺は今朝から体調が悪かった、だからここから見ているだけだ。
いや、たとえ体調が良くても、せいぜい近くで見ているだけしかできないだろう。
今の俺は、体が運動音痴な桜子で、しかも女で、あの輪の中に入り込めない。
今でも気持ちはあそこにあるのに。
だけど、今の俺の入れないその輪の中に、山本圭介が入り込んで、一緒に遊んでいた。
入れ替わった直後の圭介(中身は桜子)は、落ち込んでいて元気がなかったし、男子の中に入り込めなくて浮いていた。
だけどそんな圭介を、親友の高木遼一が引っ張っていって、男子の輪の中に入れてくれた。
最初はぎこちなかった圭介も、最近はすっかり男子の中に溶け込んだように見える。
今は他の男子と一緒に、ドッジボールを楽しんでいた。
そんな今の圭介の姿を見て、ホッとすると同時に、羨ましく思った。
「本当なら、あそこは俺の居場所だったのに」
今の圭介に居場所を取られたみたいに感じて、なんか悔しく感じてもいた。
「どうしたの桜子ちゃん、一人でため息なんかついて」
「ああ、美由紀ちゃんか」
俺に声をかけてきたのは、桜子の親友の柴田美由紀だった。
結構お節介で、入れ替わる前から桜子の面倒を見ていてくれていた。
桜子と入れ替わった直後の、戸惑っていた俺の世話をやいてくれたりもした。
女子のノリやルールについていけなくて、浮いていた俺を引っ張ってくれた。
そのお節介のおかげで、俺は女子の中に少しづつ居場所が出来て、そのことには感謝している。
……それでもたまに、余計なお節介だなって思うことがある。
「美由紀ちゃんか、じゃないわよ、今日は朝から元気がなかったけど、どこか具合が悪いの?」
「え、ああ、なんともない、体のほうはなんともない…わよ」
本当は、朝から体がだるかったけど、正直にそれを言ったら、美由紀に余計な心配させるので誤魔化した。
「ふうん、それならどうして、……あ、なるほど」
と、窓の外を見ながら、美由紀は意味ありげに笑った。
「桜子ちゃんは、愛しの圭介くんを見ながら、ため息をついてたんだ」
「そ、そんなんじゃない…わよ!!」
「あ、やっぱり図星なんだ」
「だから、そんなんじゃないんだって!!」
だから、どうして女はそういうノリに話を持っていくんだよ!!
そんな調子で、集まってきた他の女子にも一緒に、俺はいじられながら、お昼休みをにぎやかに過ごしたのだった。
「ただいま」
「おかえりなさい桜子ちゃん」
放課後、俺は桜子の家に帰って来た。
桜子のママが、出迎えてくれた。
ここ二ヶ月で、すっかり慣れたやりとりだった。
「早く着替えてらっしゃい。おやつも用意してあるわよ」
「うん、……ちょっと後でね」
そう言いながら、俺はトイレに駆け込んだ。
なんだか午後から、下腹が少し痛くなってきたし、あそこの方が気になっていたんだ。
トイレの中でごそごそしながら、なぜだか圭介との立ちションの会話を思い出した。
「一度慣れちゃうと、男って楽でいいよね、立ちションがこんなに楽だなんて思わなかった」
最初は嫌がっていたくせに、最近の圭介は楽しそうだ。
いや、ずっとめそめそ泣かれるよりはずっといいけど、なんだか面白くなかった。
かわりに不便(?)な女の体を押し付けられて、俺はやりたい事もできなくなったんだ。
そう思うと、怒りがふつふつこみ上げてきた。なんだかイライラする。
「何だよ、元はといえば、こうなったのは桜子のせいなのに、なのになんで俺ばっかり……」
愚痴りながらパンツを下げて、便座に腰掛ける。……そして気がついた。
パンツが赤黒い何かで汚れている事に、そして俺のあそこから、赤い何かが垂れていることに。
「な、何で? 俺いったいどうなって? ま、ママ―――ッ!!」
俺は、軽くパニックに陥りながら、桜子のママに助けを求めた。
そしてこれが、俺にとって、いや桜子にとっての、初めての生理の経験なのだった。
気が動転して軽くパニックに陥った俺を、桜子のママが安心させるように、優しく抱きしめながら教えてくれた。
「大丈夫よ桜子ちゃん、これは病気じゃないのよ」
「病気じゃない?」
「そうよ、これはね、女の子が大人の体に成長した証なの」
そこまで言われたら、さすがに鈍い俺でも気がついた。
「生理……なの?」
「そうよ、桜子ちゃんは初めての生理だから、これが初潮ね、おめでとう」
その後、桜子のママは、今の俺に必要な生理の知識や対処法を、色々と教えてくれた。
その日の夜は、赤飯とケーキで、桜子のパパとママが、俺の初潮のお祝いをしてくれた。
本当は男だった俺が、生理だの初潮だの、そのお祝いだの言われても、全然嬉しくなかった。
だけどせっかく桜子の両親がお祝いしてくれてるんだ、そんな内心を隠しながら、俺は精一杯嬉しそうに明るく振舞った。
そして翌朝、
「ううっ、痛い……」
目が覚めたら、前日とは比べ物にならないくらいにお腹が痛かった。
いや、お腹だけじゃなく頭も痛いし、体もだるい、とてもじゃないが、学校に行けそうになかった。
「しょうがないわね、でも桜子ちゃんは今回が初めてだし、いいわ、学校には風邪って連絡しておくから、今日はゆっくり休みなさい」
そんな訳で、桜子のママからすんなりと休みの許可が下りて、今日は俺は学校を休む事になった。
痛み止めの薬を貰って飲んで、ベッドの中に潜り込み、俺はお腹の痛みに耐えていた。
桜子のママは、なんだか嬉しそうに、そんな俺の世話を焼いてくれた。
すっかり気が弱っていた俺は、そんな桜子のママに頼った。桜子のママはますます嬉しそうだった。
「嬉しいわ、桜子ちゃんがママを頼ってくれて、最近桜子ちゃんは、全然ママに甘えてくれなかったから」
「そ、そうだっけ?」
「そうよ、最近はママに頼らないで、何でも自分で片付けちゃって、桜子ちゃんも大人になったんだなって思ったりもしたけど、でもやっぱり寂しかったんだから」
……そうかもしれない。
元々桜子は甘えん坊だ。俺も桜子には甘かったけど、桜子が一人娘のためか、両親も少し甘やかしぎみだったからだ。
だからといって、いくら俺が桜子の身代わりとはいえ、桜子の両親に桜子のように甘えるなんて、色々と遠慮や抵抗を感じてできなかった。
というか、山本家では長男だった俺は、弟や妹の手前、物心がついてからあまり親に甘える機会もなく、そういうのが苦手でもあった
それどころか、弟や妹の面倒や世話を(ついでに隣の子の面倒も)見ることが多く、自分で出来る事は自分できちんとしていた。
そのせいで桜子のママに寂しい想いをさせたとしたら、悪い事をしちゃったかもな。そう思った。
それでもいつもなら、俺が桜子のママに甘える事には、抵抗を感じたかもしれない。
だけどこの時の俺は、精神的に弱っていたせいもあって、俺に優しく接してくれる桜子のママに甘える事に抵抗を感じなかった。
それまで感じていた心の壁が、この件をきっかけに取り払われたように感じていた。
そしてこの日を境に、俺はママに遠慮をしなくなり、少しづつママに頼るようにもなり、だんだんママの娘になっていったんだ。
ふと目を覚ますと、時刻は午後4時を過ぎていた。
どうやら俺は、眠ってしまっていたらしい。
幸い、痛み止めが効いているのか、それとも半日寝ていたおかげでか、今はあまりお腹は痛くなかった。
まだ少しだるいけど、体を動かすことに支障はなかった。
俺はじっとしていられなくて、そっとベッドの上から起きあがって、ひとまずリビングへと移動した。
「ママ、……いないの? ママー」
ママは俺が眠っている間に、買い物にでも出かけたのだろうか留守だった。
つまり、今はこの家にはママは居ない、俺一人しかいない、その事に気がついたら、なぜだか急に寂しくなって心細く感じた。
こんなに心細い気持ちになったのは、小さな子供の頃に迷子になって以来だった。
と、その時、インターホンの呼び出し音が鳴った。誰だ?
俺は慌ててインターホンのモニターを見た。
「あ、圭介……」
モニターに映っていたのは、体は隣の同級生の山本圭介で、中身は桜子な元の俺だった。
寂しさを感じていた時に、圭介が来てくれて、なんだか嬉しかった。
「今玄関を開けに行くから、ちょっと待ってて」
玄関のドアを開けて、俺は圭介を出迎えた。
「こんにちは『桜子』」
「こんにちは、いらっしゃい『圭介』」
俺たちは、挨拶を交わしながら、お互いの名前を、今の体に合わせた名前で呼び合った。
普段はお互いの体にあわせた生活をする。当然名前も取り替える、そうする約束だった。
それが、俺たちなりのケジメだった。
「宿題と連絡のプリントを持ってきたよ」
「……わざわざありがとう」
お礼を言いながら、俺は圭介からプリントを受け取った。
圭介は、俺を見つめながら、なぜだか少し戸惑ったような表情をしていた。
なぜ? 俺は自分の姿を見下ろて、ハッと気がついた。
「うわ、パジャマ姿でごめん」
「……いいよ、風邪で寝ていたんでしょ、なら仕方ないよ」
お客さんを出迎えるのに、パジャマ姿で出てきたんじゃ、だらしなく見えても無理ないか。
元の体の、そんなだらしない姿を見せられたせいで、きっと恥ずかしいんだろうな。
圭介の顔が、恥ずかしさのせいでか、少し赤くなっているように見えた。
そして俺自身、なぜだか少し恥ずかしく感じていた。……男のときは、平気だったんだけどな。
「じゃあ、今日のところはこれで帰るね、おだいじに」
「あ、待って! ……ちょっと寄ってってよ」
「え、でも桜子は風邪を引いているんでしょ? あまり無理をしないほうが……」
「いいから、本当は風邪じゃないし、……それに俺、圭介に、ううん『桜子』に伝えたいこともあるんだ」
わざわざ『桜子』と言い直して、圭介を強く引き止めた。
暗に、元の体の事で話がある、と伝えたつもりだった。
「……わかった…わ。じゃあちょっとだけ、お見舞いに寄っていくわね、『圭くん』」
俺の思いが伝わったのか、『桜子』は俺のことを『圭くん』と呼んでくれた。
そう呼ばれたのは、いつ以来だろうか? 何か少しだけ嬉しかった。
こうして、俺は圭介を、今の俺(桜子)の部屋に招き入れた。
「へえ、私の部屋、配置とかあまり変わっていないわね」
「ああ、できるだけいじらないようにしていたし、掃除や後片付けはまめにしていたしね」
圭介は部屋を見回しながら、なにやら感慨深げだった。
つい二ヶ月前まで、この部屋は圭介、の中に居る『桜子』の部屋だったんだ、無理もないか。
「それで、伝えたい事って?」
「うん、実はね、この体、……生理になっちゃった」
俺の告白に、圭介が驚いたように目をぱちくりさせた。
「生理、生理って、女の子が月一でなるあの生理?」
「うん、桜子のママが、初潮だと言っていた」
「そう…なんだ……その体が生理に……」
「う、うん……」
圭介は俺の告白に、動揺したように目を泳がせながら俺を見た。
そんな圭介の視線に、俺はなぜだか急に気恥ずかしさを感じた。
これ以上、生理のことを圭介に知られるのは、なぜだか嫌だった。
生理の事を、圭介にしゃべったのは間違いだったか?
圭介に知らせなきゃ良かったんだろうか?
だけど、この体の元の持ち主に、その事を伝えない訳にはいかないよな。そうとも思いなおした。
俺は淡々と、昨日の出来事から今の状況までを、『桜子』に話すことにした。
最初は淡々と話しをしているつもりだった。だけど、だんだん愚痴っぽくなっていった。
「もう気分は最悪だよ、……おなかは痛いし、体はだるいし、ナプキンを換えるたびに血を見てたら気が滅入るし」
「そう、そんなに大変なんだ」
「ああ、本当は俺は男だったのに、何で俺がこんな目にあわなきゃいけないんだ」
「…………」
「俺、もう女なんて嫌だ! 俺、本当は女になんてなりたくなかったのに……男に戻りたい、生理のないお前が羨ましいよ」
それは憂鬱な気分で言った愚痴だった。
だけどその発言が、それまで黙って俺の愚痴を聞いていた、圭介の癇に障ったらしい。
「……だったら返してよ、私の体」
「えっ?」
「女が嫌なんでしょう? 男に戻りたいんでしょう? だったら私が代わってあげる、だから私の体を返してよ!!」
「そんなこと出来る訳ないだろう!! それが出来るならとっくにそうしてる!!」
「できなくても返してよ! 本当だったら初めての生理も、パパやママからのお祝いも、私のものだったんだよ!!」
俺は、圭介……いや『桜子』が怒った理由を知った。
俺は桜子の女としての初めてや、両親からの祝福を、たとえそういうつもりじゃなかったとしても、色々横取りしちまったんだ。
だけど俺だって、なりたくてこうなった訳じゃない、今度は俺がかちんと来て言い返していた。
「何だよ、黙って聞いてりゃ好き勝手なこと言って、俺ばっかり悪者かよ!! こうなったのは、元はといえばお前のせいだろ!!」
それは俺の心からの叫びだった。
溜まっていた何かを、言わないように我慢していた何かを吐き出すかのように、俺は圭介(桜子)に本音をぶつけた。
「あの飴を、お前が拾い食いさえしなきゃ、こんな事にはならなかったんだ!!」
俺の剣幕に押されたのか、圭介は何も言い返さなかった。
「お前はいつもそうだ、困った事があったら、いつも泣きながら俺に面倒ごとを押し付ける」
どんどんと圭介の胸板を叩きながら、言いたいことを言いつづけた。
「その度に、後始末をするのはいつも俺だ、何で俺ばっかり。俺はどうすれば良かったんだよ!!」
言いたいことを言った俺は、いつしか圭介の胸に顔を埋めながら、わんわん泣いた。
気が済むまで、そのまま圭介の胸の中で泣いていた。
圭介は、そんな俺の背中を優しく撫でてくれていた。心地よかった。
圭介の胸の中は、感触は硬いけど、暖かくて大きくて、不思議と安心できた。
だんだん気分も落ち着いてきて、やがて俺は泣き止んだ。
同時に、俺は泣いている間、圭介に慰められていたことに気付いた。
急に恥ずかしくなって、圭介から慌てて体を放した。……そしてなぜだか名残惜しかった。
「…………ごめん、言い過ぎた。俺、こんなこと言うつもりじゃなかったのに」
どうにか気分が落ち着いた俺は、圭介(桜子)に謝った。
「私のほうこそごめん、こうなっちゃったのは私のせいなのに、さっきは圭くんに酷いこと言っちゃって」
「いいよ、お互い様だろ、俺ももう少し我慢してみる。……だって俺、桜子の代わりに、この痛みを感じてるんだもんな」
そう言いながら、俺はパジャマの上からそっとお腹を撫でた。
不思議な事に、さっきまでの不快感は薄れていて、今はこの生理の痛みですら、俺たちの絆のように思えた。
「圭くんのいじわる、私もその痛みを感じてみたかったな。本当なら、私が感じるはずの痛みだったんだからね」
「……ごめん、わるかった」
「んもう、いちいち謝らなくてもいいよ」
俺たちはお互いの顔を見合わせて、そして笑った。
俺たちは、物心ついた時からお隣同士で、いつも一緒に居た。
その分よく喧嘩もしたけど、同じ数だけ仲直りもしてきた。
そして今回も、俺たちは体や立場が入れ替わってしまったせいで仲違いしたけど、すぐ仲直りができた。
俺たちは、まだ元の体に戻ることが出来ないでいる。
だけど、もし元に戻れなくても、今の俺たちならこのままでもやっていける、なんだかそんな気がした。
そして俺たちは、元に戻れないまま、入れ替わり生活を続ける事になるのだった。
翌日、俺は小学校に登校した。
まだ体調は万全ではないけれど、痛みは和らいできたし、今は我慢できる。
これから生理のたびに休むと言うわけにも行かないし、少しは慣れておかないとね。
「おはよう」
「おはよう桜子ちゃん、マスクなんかしてて、風邪は大丈夫なの?」
「無理をしないでいいから、調子が悪かったら、私に言ってね」
美由紀など、桜子と仲のいい女子が、心配そうに声をかけてきた。
昨日は風邪で休んだということになっていたから、当然の心配だろう。
だけど、みんなを騙しているみたいで、ちょっと心苦しかった。
「その事で、みんなにお話が……」
俺は、特に仲のいい女子だけに、初潮のことをこっそり打ち明けた。
みんな驚いたけど、すぐに納得してお祝いの言葉をかけてくれた。
「おめでとう桜子ちゃん」
「これで桜子ちゃんも、大人の仲間入りだね」
「体調のほうは大丈夫? 昨日休んだくらいだから、きつかったんでしょ?」
「大丈夫だよ、今は落ち着いているから」
非難されることも覚悟していたから、みんなに優しい言葉を掛けてもらえて、俺は何だか嬉しかった。
「でもそれなら、どうしてマスクなんかしてきたの?」
「それは、……何か知られるのが恥ずかしかったから」
それは俺の本心だった。
生理の事を他人に知られるのが、なぜだか恥ずかしく感じていたんだ。
だからマスクをして、風邪を装って来た。
これで体調が悪くなっても、風邪のせいだと誤魔化せるだろう。
昨日は風邪で休んだという事になっているから、好都合だった。
「わかるわかる、私も最初はそうだったから」
「私もだよ」
「そっか、それでマスクか、いいアイデアね」
「……私のときは、学校で来ちゃったから、誤魔化せなかったのよね……特に男子に知られたら最悪」
と、なぜだか男子の悪口に移行していった。
「あいつら面白がってはやしたてるものね」
「そうそう、特に原口、あいつは最悪よ」
そういわれて、原口の事を思い出す。
そういえばあいつは、女の子にちょっかいを掛けては、反応を面白がるようなやつだったっけ。
にやにやしながら、「〇〇は今生理なんだぜ、機嫌が悪いのはそのせいなんだぜ」なんて、面白がって言っていたのも思い出す。
思い出すと同時に、激しい嫌悪感を感じた。
「……あいつにだけは知られたくない」
原口だけじゃない、男子全員に知られたくないと思った。
生理でこんな辛い目にあって、それなのにその辛さのわからないあいつらに、面白がられるのは何かイヤだった。
「大丈夫よ、桜子ちゃんには、私たちがついている」
「桜子ちゃんのフォローは、私たちがしてあげるから」
「……みんな…ありがとう」
男子にはこの辛さがわからない。だけど経験した女子にはわかる。
他の子の話してくれる生理体験を聞きながら、俺は親近感や共感を感じていた。
男子の悪口でも盛り上がる。不思議に擁護しようと言う気がおきなかった。
休みの時間ごとに、俺をガードするかのように女子が集まってくれた。
俺のことを気遣ってくれる、そんなみんなの心遣いが嬉しかった。
後で思う。これをきっかけに、それまで女子との間にあった、俺の心の壁が取っ払われたんだと。
俺の自覚しないうちに、俺は精神的にこっち側へ、女子の仲間入りをしていたんだ。
そしてお昼休みの時間
教室の窓の外、グラウンドで、男子がドッジボールしているのをみていた。
つい二日前までは、あの男子の輪の中に戻りたいと思っていた。
だけど今は、あそこに戻りたいとは思わなかった。不思議と気持ちが醒めていた。
なのに俺の目は、一人の男子の姿を追いかけていた。
ドッジボールをしている圭介の動きがすごかった。
相手の投げたボールを、無駄のない動きで、ひらりと紙一重でかわし、相手を翻弄する。
かと思うと、味方の受け損なったボールを、あっさりキャッチして、すかさず反撃する。
中身が元は運動音痴だった桜子とは思えないほど、すっかりドッジボールに慣れた動きだった。
「あのくらい、俺にだって出来た」
「いや、俺だったら、もっと上手くやれたかも」
男の圭介だった時のプライドで、俺はそう思い続けていた。
だけど今は、圭介(桜子)が活躍している姿が、素直にすごいと思えた。
最初の頃は、いくら圭介の体の運動神経が良いとはいっても、ぎこちなくて無駄な動きの多かった。
圭介の中の桜子が、痛い目にあって、泣きださないかと心配していた程だった。
だけど今は、明らかにドッジボールの実力は上達していた。
悔しいけれど、ドッジボールに関しては、元の圭介より今の圭介のほうが上手いかもしれない。
俺の場合、お昼のドッジボールは遊びだったけど、今の圭介はそれより真剣だった。
そして俺は、そんな真剣な圭介の姿から目が放せなかった。
相手から、圭介を目がけて、鋭いボールが投げられた。
あっ、と思っていたら、圭介はそのボールをしっかり受け止めていた。
思わずホッとする。
すかさず反撃、圭介は自分を狙った相手を、逆に返り討ちにした。
そんな圭介を見ていたら、胸の奥がドキドキする、何でだ?
胸の奥が、体全体が熱く感じる。何でだ?
きっとまだ生理のせいで、体調が万全でないからだ、きっとそうだ。
「桜子ちゃん、圭介くんを見ながら、また赤くなってる」
「おーおー、お熱いことで、焼ける焼ける」
「圭介くんを見る目が、全然違うものね、恋する乙女って感じで」
「ち、ちがうわよ、そんなんじゃないんだってば!!」
慌てて否定したけど、みんな納得してくれなくて。
俺は今日も他の女子にいじられながら、お昼休みをにぎやかに過ごしたのだった。
女の状態で女体に欲情するのなら良いのだけど
以前わかば板で投稿していた部分は、これでほぼ全部だと思います。
続きは準備中です。近いうちにわかば板に投稿する予定です。
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