ポタッポタッ
水の落ちる音。水…?そう…水だった。
空は淡い光を放つ月が嘲笑うかの如く、俺だけを照らしている。
「あら…あら…」
聞き覚えのある声。聞くだけで鳥肌が立つ妖美な声色。
絶対的な存在が俺の前に立ちはだかった。
「貴方が最後のようだし……選ばせてあげる」
選ばせる?こいつは何を言っている。この俺に向かって選ばせるだと。
王国一の貴族であるこの俺に……。
――そう言えば、王国は…ルクスベルク王国はどうなったのだ。
「…聞いてる?怖いのかしら?」
「怖い…だと」
事実。俺の体はガタガタと震え、心は震慴(しんしょう)していた。
「元気が良いわね」
俺の返答に彼女は笑みを浮かべる。その笑顔はまるで、猫が遊び相手を見つけたかのような笑みだった。
「じゃあ聞くわ。生きたい?…逝きたい?」
目が覚めると見慣れた天井があった。
絢爛(けんらん)な内装と広々とした室内。見慣れた俺の寝室だ。
「う……くっ」
起き上がると急な吐き気と立ちくらみが襲う。
「なんだよ、この気持ち悪さは……」
ただでさえ、嫌な夢を見たって言うのに。
俺はいつものように洗面台へ向かい、顔を力強く洗い流す。
洗面台は大理石に豪奢な装飾がされてあり、庶民には触れる事すら出来ない代物だ。
何せ俺はハクスブルク家の長男である。昔は世界を駆けまわり、様々な功績上げ、名誉をほしいままにした。
今では没落貴族とも言われているが、祖先が残した功績を超えるものはいない。
そして、今は世界一と言われるルクスベルク王国の庇護を受けている。
そう、昨日までは…。
「ふう………なんだ?」
とても静かだ。いつもならドジなメイドが俺を迎えに来るはず。
俺が早く起き過ぎたのか……?それとも…。
―――喉に魚の骨が引っ掛かったようなこの感じ。俺は何かに対して、異様な何かを感じていた。
そうだ、きっとこれは……。
静かすぎる違和感。
まるで世界から切り離されたかのような閉鎖的な感覚。
ゴクッと俺は唾を飲み込み、部屋を見渡す。
静寂なのは室内だけではない。部屋の外も窓の外も雑音一つしない。
「夢なら…覚めてくれ…」
俺は震える手を力強く握る。その手は氷のように冷たく、ヒンヤリとした感触が残る。
心臓の鼓動だけが鳴り響き、俺以外の全てが時の刻みを止めているようだ。
「…おい、誰か…誰か居ないのか!?」
俺は大声で人を呼び、脚は自然と兎の如く走り出す。
ドアノブをこじ開け、廊下を飛び出る。
大広間、客室、兄弟の寝室、台所、使用人室、親の書斎室。
俺は全てのありとあらゆるドアを開けていく。
「いない……いない……いない!……いないッ!!」
どういう事だ。どうして誰もいない。
どうして俺だけいる……。
――どうして俺だけ……生きている?
「もう慣れたかしら?」
ゾクッとした感触が背後を走り抜ける。
夢に出てきた声。聞きたくもない妖美な声色。
「いつから…そこに居た?」
「ずっと貴方の後ろに居たんだけど…気づかないわよね?」
ヒュンッ
俺は背後を敢えて確認せず、常に持ち歩いている護身用のナイフを後ろへ投げつける。
だが、ナイフは空を切り、壁を突き刺しただけだった。
「あらあら、純粋なのね」
「騙したのか!?」
「フフフ、騙してなんかいないわ」
うっすらとした影が一つ一つ重なり合い、やがて黒い人型の形を成す。
「さあ、始めましょう?」
影の黒色はだんだんと薄くなり、一人の女性へと姿を変えた。
顔は輝くように白く、長く艶やかな髪をなびかせる。
ツリ目気味の瞳は美しい琥珀色をしており、燃えるような赤い唇は鮮やかに輝いているように見える。
大きな乳房がはち切れんばかりに実り、桃形をした張りのあるお尻が女性を強調している。
服は両肩と両手両足に腰、豊満な乳房と股間を僅かに覆うだけの極端に露出した赤い服装をしていた。
「ば、化け物め……」
女性の姿ではある…が、人ではない。神話に出る悪魔か、それとも神の粛清か。
どちらにしろ、俺の救世主(メシア)ではないようだ。
「どうする気だ、こんな小僧一人残した所で」
「あら?一人じゃないわよー?」
「なにっ!」
女性の返答に俺は驚くしかなかった。
もしかすると、まだ無事な人間が残っているのかもしれない。
絶望的な状況だが、俺意外に生きている人間が居ることにほっとする。
「もうすぐ皆と会えるわ、だからゲームを始めましょう?」
「ゲーム…だと!」
「貴方が私のゲームに勝てば、この夢から生きて帰らせてあげる」
「夢?ここは夢だと言うのか」
「貴方の記憶から作った幻想郷よ。この館もこの場所も全て貴方の記憶」
ありえない……こんなことありえるはずが…。
――いや、父がよく言っていただろう。
『ありえない事はありえない。疑う事から始めても遅くはない』
父がよく口癖にしていた言葉だ。
これが偽りの状況であろうと、俺が生き残るには…ゲームに勝つしかない。
「乗ってやる。だが、約束は守れ」
「―――ルールは一つ。史実通り進め。正体を悟られるな。以上」
「史実通り?なんだそれは」
「すぐ分かるわ、フフフッ」
一瞬の暗転。急に視界が暗くなったと思ったが、すぐに視界を取り戻した。
「なんだったんだ……」
場所は先ほど話していた大広間だ。あの女が消えた事以外何も変わった所はない…はず。
「くそっ…ゲームならルールぐらい教えろよ、あの女」
虚勢を張るしか俺には出来ない。弱みを見せれば負けるのだ。
ハクスブルク家の長男として、俺は生きなければならない。
こんな所で死んでたまるか。
「この幻想から抜け出し、弟と妹を助け出す!」
と、啖呵を切ったは良いものの…何をしていいか分からない。
そうだな、まずは……他の人を探すか。
「何をしているの!ぼーっとしている暇はないでしょう?」
「ひっ!」
急な呼びかけに俺はびくっと驚いてしまった。情けない…。
後ろを振り向くと、一人の女性が眉間に皴を寄せ立っていた。
「お前は……メル?」
20歳程のメイド服を着た女性。
ツリ目で金髪のツインテール。容姿端麗でかわいいと言うよりは綺麗と言える女の子だ。
だが、いつも愛想が悪い。正直、性格は苦手なタイプだ。
「何?人の事じろじろ見て…」
「おい、言葉を慎め。俺はここの長男だぞ」
「はい?何言ってるの?大丈夫?…イリア?」
こいつ、俺に向かってなんて言い草だ…ってイリア?
「…イリア?」
「そうよ、貴方の名前でしょう?」
「……」
視界に見える自分の両手は白く細い指。そして、毛も生えていない透き通った腕にメルと同じメイド服が見える。
胸は服からでも分かるほど大きな乳房で、美麗な釣り鐘形をしていた。
視界の横からは銀色の髪がサラサラと流れ、花のようなフローラルの匂いがかすかにする。
「なんだ…これは」
今まで気づかなかったが、鈴を転がしたような高く可愛い声色。
聞いたことのある声。とても懐かしい声が自分の喉から出ている。
「イリア、熱でもあるんじゃない?」
メルは銀色の前髪をかきあげると、おでことおでこを密着させてくる。
「なっ!」
考え込んでいたためか、急にメルの顔で視界が埋まる。
「んー熱はないみたいだけど?」
「離れろっ」
俺がイリア?そんなはずは。
「人がせっかく心配してるのに…あ、どこに行くの!?」
「嘘だ、こんな…事が…」
俺は壁にかけられた鏡の前でそう嘆いていた。
雪のように白く綺麗な肌。柔らかく笑んだ控え目な唇。秀麗で整っているが、色白で物憂げな顔立ち。
銀よりも輝く銀色の髪。
全てが俺の物ではなくなっていた。
「なんで俺がイリアに……」
イリアは俺にとって姉的な存在でもある。歳は同じであるが…。
勉学だけでなく、護身用のナイフの使い方……そして、性について教えてもらった相手だ。
ただ、いつも何を考えているか分からない、変わった女性だ。
「まさか、これがゲームだというのか」
十中八九当たっているだろう。だとすれば史実とはなんだ?
カチッカチッ
時計の針が時を刻む音。
人は無音よりも、何か音があったほうが安心するのだと初めて気づく。
時計…針…そうか。俺は時計を見てこのゲームの内容がようやく分かった。
「史実……史実…そうか、そういう事か」
可愛らしい声で俺は納得する。
俺はもう一度大広間に戻ると、メルが悪魔のような形相でこちらを睨み付けてくる。
俺はそれを流し、館の全体を見渡す。
「やはり…そうか」
俺の予想は当たっていたようだ。一人納得しうんうんと頷く。
「何がうんうんよ!早く朝食の用意を手伝ってよ!」
「メル」
「は、はい」
腕を掴まれ真剣な表情で話しかけられ、メルは困惑する。
顔まで赤くなっているような気もするが、今は気にしない事にする。
「今は何年だ?」
「1344年だけど、それがどうしたの?」
「……ありがとう」
俺が生きていた時代は1348年。つまりこの世界は過去。
史実通り進めとは過去と同じように辿れということだ。
館をチェックしたのは、俺の時代より館が綺麗に感じたからだ。
さて、ということは……。これからどうすればいいのか。
と考えようとしたのだが、俺の思考をまたも邪魔しにくる。
「イリアさん!メルさん!そろそろ支度をしないと本当に……」
内気そうなメイドが調理場から手を振って近づいてくる。
新人のメイドであるアリサだ。とてもドジで使えないメイドである…。
カールのかかった黒髪で眼鏡をいつも掛けている。いつもオドオドしており、
それがムカつくのでストレス発散用に苛めていた。
そのせいで辞めてしまったのだが、この時代ではまだ辞めていないようだ。
「もーこんな時間!急いで支度して」
「ちょ、ちょっと待て。俺は」
メルに腕を引っ張られ、無理やり調理場に連行される。
自分が長男である事を告げようと思ったが、そんな時間はないようだ。
ただ、告げなくて正解だったのかもしれない。ここで正体を明かせば、それは終わりを意味する。
要するに俺は、イリアを演じ、あの女から妥協点をもらわなければならないのだ。
そのために、イリアを演じなければならない。それが、俺の生きる道だ。
「わーー!お湯沸かし過ぎでしょー!」
ガタガタと音を立て泡を吹きだすキャセロール。メルはキッチンミトンを付けるとキリッとした表情で指示を出す。
「イリアはパスタを持ってきて、アリサは拭く用のタオル!」
「は、はい!」「あ、ああ」
こうして慌ただしい朝が始まったのだった。
第2話
静かな食卓。
庶民から見れば、気品溢れた食事に見えるに違いない。
ただ、俺からすれば普通の、ごくありふれた食事風景だ。
「イリア、今日のパスタは固いぞ?」
それでも違う所はある。それは、自分自身が目の前に居る事。
そして、俺は食事にもありつけず、彼らの横で指を加えて待つしかない。
俺は今、ハクスブルク家の長男ではなく、イリアというメイドに過ぎないのだ。
「聞いているのか?イリア」
ギラギラと光る双眸、イリアと似た銀髪の髪。ただ、イリアのような綺麗な銀髪ではなく、
白髪に近い。これはハクスブルク家の証でもあり、全てのハクスブルク家の人間がこの様な髪の色をしている。
自分で言うのも何だが、端正な顔立ちでそれなりにモテていた。
「え…あ、はい」
「パスタが固いと言ってるんだ」
「は、はい…もうしわけ…ございま…せん、キヨ…様」
自分の名前を様付けで呼ぶ。これがゲームなのだとしても、割り切れるものではない。
数時間前までは、俺が長男キヨだったのだから。
「そう怒るな、キヨ。人は物ではない。調子の良い日もあれば、悪い日もある。
特に女性はそういう日が月に一度来るのだ」
がっしりとした風貌。威厳ある貫禄。低く、そして、落ち着いた声色。
俺の時代ではもう居ない父上が、優しく宥めてくれる。
「父上、いつも父上は甘やかし過ぎだ」
「兄さんは怒り過ぎだよ」
「お父様、そういう話は食事中に止して頂けませんか?」
「ハハハッ、これは失敬!紳士失格だ」
「それでは昔から紳士失格でしたのね、うふふ」
弟、妹、母上と一家団欒の会話が続いていく。
「………」
とても懐かしい団欒。
これが当たり前の日常だった。
父上が居て、母上が居て、俺を慕ってくれる弟と妹。そして、3人のメイド達。
この時間がいつまでも続くと思っていた。
でも、今はもう望む事は出来ない。
だからこそ辛い。この空気が心を突き刺し、悲しみという熱い血が流れていく。
父上と母上と会話がしたい。皆とまたあの時を過ごしたい。でも、もう出来ないんだ…。
顔は歪み、自然と目から熱いものがこみあげてくる。
「……すみません」
俺は耐え切れず、その場を抜け出した。
「泣いているの?」
自室、といってもイリアの部屋で俺は蹲っていた。
「ごめん、ノックしても返事がないから…」
メルは心配そうにドアの隙間から顔を覗かせていた。
「…いや、大丈夫」
「調子が悪いならお医者様に見てもらいましょう?」
「…ありがとう、もう…落ち着いたから」
「それなら良いんだけども…辛いなら言って。…あと、キヨ様がイリアの事を呼んでるわ」
「……俺が?」
「へっ?」
「い、いや。キヨ様が?」
「具合が悪いなら断ってもいいのよ?」
「ううん、確かめたい事もあるし、行ってくる」
鏡の前で服を整える。白い頬が赤くなり、目も少し赤くはれている。
「イリア……」
こんな弱気で泣きそうなイリアを俺は見た事がない。
イリアはいつも物思いに耽って、ポーカーフェイスのように無表情だった。
ただ、窓からの風景が好きで、鳥になれたらいいのに…、と呟いていたのが印象的だ。
「鳥か……」
イリアの境遇を思うと、俺の状況など大したものではないのかもしれない。
そう思うと、今さらながら自分がとても情けなく思えた。
「失礼致します」
「遅いぞ」
ドア開けると、椅子の上で腕を組み、足を組んだ俺がいた。
「謝罪は無いのか?」
高圧的で横暴な態度。いくら自分と言えども、自分にされると嫌なものだ。
「申し訳…ございません」
謝るのは元々好きではない。だが、イリアになってからは謝ってばかりだな、と思うと
自然に笑みがこみ上げてきた。
「何がおかしい……今日のお前は少し調子に乗っているようだな。
お前を救い出し、俺の専属メイドにしてやったのは誰だ?イリア」
俺の笑みに反感を買ってしまったらしい。まあ、当然と言えば当然だ。
「…キヨ様…です」
「そうだ、もう一度あの場所へ行きたいか?」
「い、いいえ」
あの場所……。それだけは避けなければならない。
俺は自分のプライドを押し殺し、イリアを演じるしかない。
今はイリアなんだ、イリアの言動、行動を思い出せ。
「――キヨ様、今日のパスタの件は本当に申し訳ございません。
今日は少し調子が優れなかったので、時間配分を間違えてしまいました。謝罪致します」
俺は自分、いやキヨの前で両手を地面に置いて跪く。
「わ、分かればいいんだ。顔を上げろ」
「はい」
「……俺も少々お前にきつく当たり過ぎた。すまない」
俺の性格は俺が一番分かっている。
元々俺は頭に血が上りやすい。だが、誠意を見せれば納得してくれる。
怒りやすい性格がコンプレックスの種なのだが、冷めるのもまた早い。
「イリア、また何か本を読んでくれ」
「畏まりました、では、本を持ってきますので」
くるりと反転。俺はドアノブに手を掛けた…のだが。
「なっ」
胸にムニュッとした感触。
「イリア、また大きくなったか?」
キヨは俺の胸を持ち上げるように触り続ける。
「や、やめろっ!この馬鹿!」
そうだった。俺はイリアの胸を良く揉んでいたんだ。なんでそんな大切な事を忘れていたんだ。
「良いではないか、俺とイリアの仲だろう」
「か、関係なあうっ!」
メイド服から胸を触っていた手が下着に入り込み、強引にブラジャーの隙間に入り込む。
「イリア、この香水つけてくれたのか」
「そ、それは――」
関係ない、そう言おうと思ったが辞めた。イリアがプレゼントにもらった香水を付けたのは事実。
要するに、好意を抱いているという事でもある…のか?
イリア本人の心情は分からない。だが、キヨの方は好意を抱いている、と勘違いするのも無理はない。
「やめて…くれっ!」
俺はキヨを思いっきり振り払う。キヨのほうは「うおっ!」とか言いながらバランスを崩し、転げていた。
「ハァハァ……」
体が熱い。特に胸はじんじんと熱を帯び、今でも揉まれた感触が残っているように感じる。
「イリア……」
「……本を…とってきます」
俺は体の余韻を出来る限り気にしないようにし、逃げるように廊下を抜けていく。
1日の終わり。キヨとはあれからぎこちない雰囲気のまま本を朗読をした。
ただ、まあそんな事はどうでも良かった。
これは過去の清算でもある。今まで自分がやった行いを、受け入れなければならないのだ。
これがゲームの本当の本質なのだろう。
俺が喜ぶゲームなど、あの女は仕掛けて来ない。
「疲れたな……」
色々あったためか、俺はすぐ眠りについた。
ここは…?
目の前には弱った父上がベットに横たわっており、弱弱しい父上の手を握り、必至に泣くのを堪えている…キヨ。
俺はいつの間にか壁際で立っており、その様子を見ているようだった。
「イリア……君と二人で話がしたい」
父上が俺の方を見た。
「父上……分かりました。イリア、父上の事を頼む」
キヨは俺の事をチラッと一瞥し、廊下へ出ていった。
視界を下に移すと、豊満な胸と整えられたメイド服を着けていた。
突如の事で混乱しそうになるが、俺が今イリアだという事だけは分かる。
「こちらへ…」
父上は俺に手招きする。
この状況はどういう事なんだ…。
落ち着いて考えよう……。
さっきまで元気だった父上がベッドで寝ている。
父は急な病で亡くなった…。
ということは……場面が飛んだ…という事なのか?だとすれば…。
そうだ、思い出した……忘れもしない。
父上が死ぬ前日だ……。
「私はもう……長くない」
父上の声はか細く、もう先が長くない事が分かる。
俺は白い両手で父上の手を握る。
イリアの手だからなのか、その手はとても無骨な感じで、とても大きく感じた。
「……父上」
「ははは、私の事を父と呼んでくれるか。ありがとう、イリア」
「……」
俺は感情を抑えるので精いっぱいだった。
父上が死ぬ前に聞きたい事が山ほどあった。
ハクスブルク家の長男として、主としてどう生きて行けばいいのか。
若造の俺がどう生きればいいのか。世間になめられず、一人前に認められるにはどうすればいいのか。
―――しかし、俺はそれを聞く事が出来ない。
それがとても歯痒くて、悔しくて、悲しかった…。
「イリア、キヨの事をお願いしたい。あいつはすぐ頭に血が上る。いつかちょっとした事で
道を踏み外すかもしれない。……だから、君があいつを止めてほしい。
キヨを止めれるのは、君だけだ…。勝手な願いだとは思っている。
頼む……。口は悪いが、根は悪いやつではないと思っている。
だから、あいつの事を頼む」
「それは……」
「正しい道へ導いてやってほしい…」
――正しい道。俺の道は…正しかったのか?何が正しくて何が悪なんだ。
教えて下さい、父上。俺は、どう生きればよかったんですか。
俺は……間違っていたんですか…。
「俺……どうすればいいか分からないんだ」
感情の言葉がぽつり。…あとは、蛇口の栓を捻ったように流れ出す。
「父上が死んで、母上が死んでアリサまで見離されて…。挙句の果てにイリアまで死んでしまった。
俺は……どうすれば良いんですか!?どう生きればよかったんですか?
イリアはどうすれば死ななかったんですか!!」
「……イリア?」
感情の爆発。いつもの悪い癖が出てしまった。頭に血が上ると自分を忘れてしまう悪い癖。
これはゲームだ。夢であって現実ではない。落ち着け。イリアを演じろ。
「……あっ、も、申し訳ございません。取り乱しました」
「……」
「それでは……これで」
「待て、君はイリアなのか?」
「……」
――違う、そう言いたかった。でも、それは禁句。
絶対に言ってはならない言葉。
「…私は…イリアです」
否定する…震える声で。
「そうか、ならこれは死に逝く人間の戯言だと思ってくれ。
……人の死は避けられない。今、私の死が避けられないように…。
人生とは誰もが平坦な所を歩いてはいない。
歳を取れば取るほど、その道は山を登るようにきつくなる。
時には険しく、時には避けられない問題も出てくるだろう。
そんな時、どうすれば良いか」
少しの沈黙。
「助け合う事だ。助けを求める事だ」
「でも、それは」
「一人で出来ない事でも、二人なら出来るかもしれない。
三人なら、四人なら…そうやって人は生きてきた。
人に助けを求める事を恥ずかしがってはならない。私だってそうやって生きてきたのだ」
父上はそっと手を頭に乗せて、ナデナデと撫でる。
子供の頃、いつもしてくれたように、温かく優しい手で…。
「……」
「……キヨを支えてくれ、イリア。責任という重さを知っている君だからこそ」
父上は笑う。
「………はいッ」
俺は……涙を流す事でしか、感謝を伝えられなかった。
数時間後、父は息を引き取った。
「俺の人生は変えられないけれど…。あいつの人生は、まだ間に合うかもしれない」
俺にとって…もうこれはゲームではない。史実などどうでも良い。
これは…償いだ。