「あら提督、何をご覧になってるんです?」
「あぁ高雄。ちょっと目安箱への投書をな」
「それですね。俺も見たんですけど…、そんなにあったんですか?」
提督の執務机の上にある、口の開けられた鉄の箱。そしてその横に積まれている沢山の紙を見ながら、提督は俺にも対応する。
「あぁ、想っていた以上にな。日常のちょっとした問題から、不満とか改善の要望とか…」
うち一つを取り、目を向けると、それを俺の方にも見せてくる。
「こんな風に、中の人間の苦悩も書かれてる」
「あらホント。やっぱり私や高雄みたいに、提督に打ち明けるのは怖いのかしら?
提督、書類整理は終わりましたよー」
「ありがとう愛宕。
…ま、その通りだな。俺が着任してから5年も経ってるし、話を聞くのが遅すぎた位だとは思うが…」
「やらないよりマシ、という事ですね?」
「全く以てだ。心の問題が体に反映されて、それが戦果に繋がる事もあるし、戦場での最悪もありうる。
懸念は取っておくに限る。たとえその歩みが遅々としていたとしてもだ」
「そうそう。何もやらないよりはずっと良いわ、ねぇ高雄?」
「そうね。こうして打ち明けてるからこそ、気兼ねなく素の俺も出せるからな」
「ま、そういう事でだ。一気にみんなにバラす訳にもいかないし、少しずつ聞けるところから聞いていくつもりだよ」
「…ねぇ高雄。どうして全員に知らせちゃいけないの?」
「そうね…。もし“他人も自分と同じだったら”、“今まで知り合ってた艦娘の正体が全くの別人だったら”。それが全員分、しかも受け入れる余裕も無いのだとしたら…、愛宕はどう思う?」
「ん…、…混乱しちゃう、わね。あの時“僕”がそうだったから、よく解るわ」
互いの事を打ち明け合った時の事を思い出しながら、愛宕が“自分”を表に出してくる。
その様子を見ながら、提督は直前まで読んでいた投書を元通りに折りたたむ。
「そういう事だ。愛宕の場合は高雄が居てくれて、なおかつ高雄も当事者だったからこそ、そこまでショックもなく受け入れられただろ?
全員が全員、そうとは限らないからな。受け入れられない可能性もある事は念頭に置いておいてくれ。
ま、表に出す必要が無ければ俺の内に留めるさ」
「へぇ…。て・い・と・く。私達に教えてくれないの?」
「愛宕、提督ににじり寄って胸を押し付けないの。必要が無ければ、って言ったでしょ? もしあるのなら、ちゃんと教えてくれるから。
そうでしょう、提督?」
「当たり前だ。相談者がSSの事を受け入れて、尚且つ他の艦娘にも疑念を向けたら…、その時は2人が窓口になってくれ。
伊勢や日向じゃ少し不安だし、扶桑だとなおの事…、な。
そういう意味では一番最初に、一緒に打ち明けてくれた2人は信頼してるよ。必要なら相談役も任せたいくらい…、そろそろか」
提督の執務机が少しだけ振動している。その中に入っている「間宮」のSSが、疲労を湛えた艦隊の帰投を察知したのだろう。
下段の引き出しを開けると、提督は間宮の皮を取出し、物陰に移動した。
「今日は間宮の皮を使うんですか?」
「あぁ。今回の遠征任務は長期に渡ったしな。きちんと労ってやらないといけないだろ」
「はーい提督、私もアイスクリン食べたいでーす♪」
「皆の分は用意するから、心配するな」
一応俺達の事を考えてくれてるのか、見えない所で服を脱ぎ始める。
物陰の中で何をしているのか、音だけで判断できるのは、俺達が既に同じことを行ったからに他ならない。
提督の、今日は男としての体が、間宮の皮に包まれていくのが想像できる。
「先ほども言ったが、内容によっては二人にも相談役になってもらうかもしれないから。その時は頼むな?」
そう言いながら、まだ皮の着用も中途半端な状態で、提督は顔を出してくる。
下半身は既にピンク色のショーツに包まれている女性としての脚なのに、腰から上は未だ男としての体のまま。
服を着るように腕を通し、肩を合わせる。
多分俺や愛宕より大きな二つの胸が、存在を示すように“ぶるんっ”と震えた。
ブラジャーをよどみなく着用してから頭を着用…する前に、間宮の服を着ていく。
いつもの桃色の上着に紺色の長いプリーツスカート。足には足袋と水上移動用の下駄を履いて、フリルの付いた割烹着を上から羽織る。
「…よし、いつも通りに感覚は繋がってる。それじゃあ行こうか、高雄、愛宕」
「はい、提督。…じゃなくて、間宮さん」
「はーい♪」
俺達に告げてからようやく提督は顔を被り、茶色の長い髪を赤いリボンとヘアピンで留めた。
間宮さんになった提督はどこか楽しそうだ。
きっとこうしてSSを着ることで、俺達と同じになれてると思っているのだろう。
本当にこの人は、俺達の事をしっかりと考えてくれる人だ。
食堂で振る舞われた氷菓子に、遠征から帰ってきた子たちと一緒に舌鼓を打ちながら、しみじみと思っていた。
* * *
壱枚目 差出人:大井
投書内容:北上さんを編入させないでほしい
「で、一通目がこれですか。大井さんが北上さんを避けてるのは、珍しいですね…」
間宮さんになった提督が作ったアイスを堪能した後、急を要するだろうと言う事で出された投書を見やる。
高雄の中にある、「大井」と「北上」の情報を思い返すと、互いは仲睦まじく、珍しい重雷装巡洋艦ということもあって連帯感もひとしおだったという。
SSとして記憶が刷り込まれてからも、よほどの事が無ければ互いを想いあっている筈だが…。
「それ程までに理由があるのねぇ…。ねぇ提督、どうやって大井さんに相談を持ちかけるの?」
「こうして投書すると言う事は、真正面から聞かれる事も覚悟の上だろうがな。
これに関しては一つ、確信に近い疑惑がある」
「お聞きしても良い事なのですか?」
「あぁ、2人にも記憶にとどめて欲しい事だ。…「大井」だが、SSとの相性が悪すぎた可能性がある」
「それってつまり…?」
「彼女は大井さんのフリをしているだけ、ということですね…?」
オリジナルの「高雄」から聞いた話と、提督が知っている情報を照らし合わせて、自分の中でも結論付ける。
SSと着用者の相性が悪すぎた場合、記憶の書き換えが起らず、最悪本人とSSとの記憶が逆転する事があるのだという。
「あぁ。大井がどういう性格なのかは軍内部の記録を当たればすぐに判明するから、フリをすることはそこまで難しい事じゃなかっただろう。
北上が在籍している場合、離れることは少ないだろう。ならば四六時中「大井」として振る舞わねばならず、精神的に圧迫されていくだろうな」
「だから…、なのね。もしかしたら「アンタは大井っちじゃない、誰だ」って聞かれる可能性も出てくる訳だものね」
「もし北上が普通の艦娘SSだったら、“俺”みたいに受け入れられない可能性もあるわけですし…」
「そういうことだ」
提督が大井さんからの投書を折りたたみ、執務机にある鍵付きの引き出しに仕舞いこむ。
姿勢を直すように改めて椅子に腰かけ、その上で俺達にレンズの視線を向けてきた。
「このケースは鎮守府全体で見れば珍しいかもしれないが、うちに限ればそうでもない。
「大井」にはありのままでも居られるように、高雄と愛宕が仲間として受け入れられるよう、協力してほしい」
「…提督、それは今更ですわ。その為にも俺達に話してたんじゃないですか」
「そうよ提督、大井ちゃんが気を張り続けてたのなら、どこかで甘えさせてあげなきゃ。
そのためだったら、私のこの胸、いくらでも貸してあげるんだから」
ため息を吐きそうになった俺の隣で、誇らしそうに背を逸らし自分の胸を見せつける愛宕。
ブラジャーと制服に包まれてなお、柔らかさを誇るように揺れた胸を、ついつい指先で突いてしまう。
「やん、もぅ高雄ったら♪」
「2人とも、そういう事は自室でやれと言ってるだろうに」
「あら、他の人の目が無いなら良いじゃない。それとも提督、羨ましかったりする?」
「胸なら今現在、間宮の皮を着ているから事足りている。母性の象徴はたっぷりだ」
そういえば忘れていたが、火急の件と言う事で提督は、頭だけは外しているが体は間宮さんのままだったりする。
今でも執務机の上に、重いからという理由で胸を乗せているのだ。
話題を切り替えるように、一度小さく咳払いをした。
「ん、こほん。…それで提督は、どうやって大井さんに話を聞くのですか? 本人に直接か…、それとも私達が対応をするのですか?」
「俺が行くつもりだ。その為には少々小細工を弄して、大井から本音を引き出しやすい状態にする必要がある」
「……提督、何をするおつもりで?」
少し不穏な気配を感じていると、執務室の後ろの壁が音を立てずにスライドしていく。その奥には地下へ続く階段があった。
提督は立ち上がり、地下への階段を降りはじめる。2・3歩歩いた所で俺達にもついてくるよう促し、俺も愛宕もそれに従った。
「…な、なんですかこれ?」
「私費を投じたものの一つだ。恐らくこれから何度も使う事になるだろうし、2人にも遠からず知ってもらうつもりだったよ」
降りていった先で見たものは、多数の妖精さんが働く工廠と開発室のような施設。そして多数の成果が収められているだろう保管室だった。
俺も愛宕も物珍しく周囲を何度も見まわしてしまっていると、ある事に愛宕が気付いた。
「…あれ。これって“私”の頭?」
その言葉に驚いて視線を向けると、確かにそこには愛宕の頭があった。ただし、頭だけだ。
理髪店の練習用などに使う頭髪付きマネキンのような、頭部だけのもの。
驚くべきことに、愛宕の隣には麻耶や鳥海、それに俺こと「高雄」の頭もあった。
「提督、これは…」
「2人とも、俺の本体が“こう”なのは知っているだろう? 貌はいくつあっても良いと思ってな」
提督が男としての顔に手をかけ、引っ張った途端に、顔の皮が外れる。その奥に潜んでいた鋼鉄製の髑髏が露わになった。
体は間宮さんで、顔は鋼鉄の髑髏。一見しなくても異常で、何度見ても見慣れない提督の“素顔”。
彼はもう、かつての自分の名前も姿も何もかも、手繰り寄せられないサイズの記憶の残り滓としてでしか認識していない。
「…でも、提督が仮に私達になって、どうするって言うの?」
愛宕の問いには、提督は少し黙ってしまう。
記憶の残滓と軍人としての記憶、そして俺達との触れ合いでようやく今の形に作られた提督の性格は、時折斜め上の行動を起こす事もあるのだ。
きっと今は、問いの答えを探しているのだろう。
「愛宕、高雄共に知ってると思うが、俺は自分の事が大事じゃない。しかしお前たちは俺の部下で、同時に戦いの場を共にする仲間だ。
逆説的に言えば、俺はお前たち“しか”大事じゃない。掛かる火の粉から守ってやりたいし、大事だから知りたい。
同時に、お前たちみたいな「艦娘」じゃないが故に、同じ存在になりたいという意識が、俺の中にはあるんだろう」
答えとしてはやや纏まりのない形容。機械としては弱く優秀で、人間としては優しく危うい人の、答え。
だから、と提督は続けた。
だから、姿だけでも近づいてみたいと思って、こうしたのだという。
「正直な事を言えば、使う事は無いと思ってたんだがな。ここでの成果はSSのバージョンアップと、大本営への戦果報告という形で出せれば良いと思っていたんだが」
吐く筈の無い息を吐きながら、提督はここに来た目的を告げた。
「これから俺は一時的に「北上」に変装し、大井に対し精神的ゆさぶりをかける」
そこから提督は方法を俺達に説明していく。
艦娘SSの原形となる「皮」は、何もしない状態での形状は肌色のラバースーツのような物だ。そこに各種艦娘のデータを書き加える事で、体型や肉体への補正能力を持たせた「艦娘SSの体」が出来るようになる。
頭も同様のマスクを用意し、データや記憶を投入することでマスクが完成する。
その2つを一つの形にすることで、艦娘の皮、SkinShipが完成するのだと。
「工程を妖精さんから聞いていく内に考えたんだ。分けられている2つを別々に着用したらどうなるんだろう、とな。
結論から言えば、体ならば今の俺のように、身体の感覚だけが、脳に来るし、ぁ、ふ、頭だけならば思考や記憶の書き換えが起る」
突き出た胸を自ら揉んで、艶の混じる声で提督は答えていく。脳だけは通常の人間の物故に、艦娘SSになった時の感覚はきちんと脳に伝わるのだという。
「なるほど。一つにする事で“全部を装着せねばならない”状態にさせ、かつ容易に脱げない状態にする、ということですね」
「やろうと思えば、身体だけでも良かったのかしら?」
「戦闘に投入する事を考えるなら、身を守るためにやはり全身を覆うべし、という考えもあったようでな。
高雄が言うように、容易に脱げなくするためにも、頭と体を1つにしているようだ」
「じゃあさっき、頭が並んでいたのは何の為なの?」
「アレは記憶の書き換えを起こさず、戦闘経験の刷り込みや、意図的に艦娘の意識と自分の意識を切り替えられるように調整した、テストヘッドとしての物だ。
結果としては、さほど上手くはいかなかったがな」
遠くで機械がアラームを鳴らし、何かが完成したことを告げる。提督の跡を着いていくと、そこにはたくさんの妖精さん達と、その中心にある何かの機械。そして中から出てくる、艦娘SSの身体だけが存在していた。
「うん、ありがとう。いつも通りにいい出来だよ」
皮を受け取ると、提督は間宮さんの皮を脱いでいく。中から出てくる男としての体を見ると、恥かしくないと思われるレベルで絞り込まれている。
男性用の生体ボディは儀礼や式典などの出席の際に使う事が多い為、鍛錬をしたのだ。
体だけのSS、その背中にある裂け目にを広げて、足から入っていく。
着ていく毎にぎし、と言わんばかりの気配をさせながら、提督の肉体が少しずつ縮んでいく。男としての体を包んでいくのは、成長途上と形容するのが一番正しいような、女の子の体。
僅かに膨らむ胸と、ほんのりくびれを主張する腰回り、そして丸みを増したお尻。
背中の裂け目を閉じた瞬間に、高雄も、愛宕も覚えている「北上」としての体に、提督はなっていた。
間宮のSSの調整を妖精さん達に頼んで、提督は裸のまま進む。先程の頭だけがあったスペースの、軽巡洋艦と記された場所へ。
「球磨型」のプレートが張られた棚の前に立つと、下にある引き出しの中から制服と、一枚の肌色をした布地のような皮を取り出した。
それをぺたりと顔に張り付け、形を調整していく。同じく引き出しの中にあった化粧道具を用い、ウィッグを被ると。
「これでよし、と」
「…わぁ、本当に北上ちゃんだ」
「ここまで綺麗に変装できるんですね…。お見事です、提督」
「流石に体の補正までは出来ないからな。そこは妖精さんとSSの体部分の力を借りないといけないが、と、声を忘れていたな」
姿は北上さんなのだが、声は確かに提督としての男の声のまま。
首元に手を当て、マッサージするように手を動かしたら、
「ん、あー、んー。こんなもんかな?」
声音も、口調も、姿そのままの「北上」そのものに、提督は変わっていた。
「はぁ…、ここまで見事に変装できるんですね…」
「ホント。見た目だけじゃなくて雰囲気とか…、完全に記憶の中の“北上さん”そのものだわ」
「ここに全艦娘のデータが入ってるからね。喋り方とか癖とか、全部さ。それを使えば楽なわけよ」
自分の頭を軽く指でさす提督。今の言葉が本当なら、艦娘であるなら誰にでも偽装できてしまうのだろうか。
「んじゃま、2人は大井っち呼んできてくれる? 話すにあたってワンクッション置いておきたいしさ」
「それは構いませんが…、俺達の事は教える必要ありますか?」
「あからさまに言う必要は無いかなー? 別れる最中にそれとなく匂わせときゃ、大井っちだって気付くっしょ」
「それじゃあ、最後に私の事を“僕”とか言えば良いかしら。高雄が“俺”って言うと、知らない人はきっとすごい気になると思うわよ」
「そんな感じでお願いね、高雄さん、愛宕さん」
軽く、後は任せたと言わんばかりに手を振ってくる姿に、一つの疑問が浮かび上がってしまう。
「どうにかできると、“北上さん”は思ってるの?」
「んー、まぁなんとかなるっしょ。大井っちが悩んでて、球磨ねーちゃんや多摩ねーちゃんにも言えないんなら、それこそ“アタシ”の出番じゃない?」
にっこりとも、にんまりとも言えるような北上さんの表情で、提督が笑った。
* * *
「あの…、高雄さん。提督からお話とはいったい…?」
「さぁ? 私は提督から、大井さんを呼んできてくれ、としか聞いてませんから…」
「そう、ですか…」
提督ふんする北上さんの待つ執務室へ、大井さんを連れ添って歩く。
呼び出すに当たり、詳しい話は知らない体で進める事は既に話がついている為、詳しい内容には触れないよう、話をぼかしながら進んでいく。
少しだけ彼女の方を盗み見ると、恐怖と覚悟が綯交ぜになったような表情で、額にはいくつかの冷や汗が流れている。
そのまま少し歩いていけば、執務室が見えてきた。
「あの…、高雄さんは部屋に入るんですか?」
「いいえ、大井さんだけを通してくれ、とも提督に言われてます。何かあった時様に別室にて待機してますから、必要になったら俺を呼んでくれよ? それじゃあね」
「え? 今のって、高雄さん!?」
大井さんの反応を待たずに、足早に角を曲がり、隠し部屋の戸をあけて入り込む。
中には愛宕が既に待機していて、提督の視界と聴覚にリンクするモニターとスピーカーがあった。
「相手の知らない所で覗き見するのって、少し変な気分ね…」
「そぉ? 私は楽しいかなぁ。“愛宕”ってこういうの好きみたいだしね」
「静かに、愛宕。大井さんが入って来たぞ」
* * *
「大井、出頭いたしました。提督、お話と言うのは…、提督?」
大井に背を向けたまま身を預ける椅子を、くるりと反転させる。その身を彼女の視界の中に収まると、当然のごとくに表情がこわばった。
思考形態を「北上」の物に切り替えて…。
「大井っち久しぶり! 北上さまだよ、元気してた?」
「え、あ、…北上、さん?」
「そうだよー。どうしたのさ、そんな驚いた顔しちゃって。大井っちは喜んでくんないの?」
「あぁ、その、私も嬉しいわ、北上さん」
思った以上に大井は動揺している。
…少しばかり気は引けるが、もう少し揺さぶりをかけておこう。
すまん、大井。すまん艦隊の皆。俺はこれから、5年間守っていた禁を破ろうと思う。
「んー? なんか変だよ、いつもの大井っちじゃない感じ」
「そ、そんなことないわ。私は北上さんの知ってる「大井」で…、たった二人の重雷装艦でしょ?」
「そう? だったらさ…」
席から立ち上がり、執務机を跨いで大井に近づいて、身を寄せ合う。
布地越しに感じる大井の柔らかさを感じながら、吐息を絡ませ、
軽く唇を重ねた。
「このいつもの“挨拶”、どうしてしてくんないの?」
当然のことながら、これはブラフだ。大井と北上がこのような関係にあったかどうかは、俺は正確には知らないしデータ上でしか知識もない。
だが、これは思っていた以上に効果があるようだ。
「う、うそ、そんな事してたのか…? 北上さんと、“自分”が…?」
「大井っち、どうしたのさ。ほらほら、お返しちょーだい」
目を閉じるフリをしながら、大いに向けて唇を突き出す。少しだけ、高雄と一緒にいる時の愛宕を参考にしてみるのだが。
「ま、待ってくれ北上…、じゃなくて、北上さん、そんなこと言われても、その…、恥ずかしい…」
眼前の大井は、思った以上にこちらとの接触を避けている。唇同士だからか?
「そんなこと言っても今更じゃん。それとも大井っちは忘れちゃった? あんなことしたり、こんな事したことも…」
大井の太ももに手を這わせ、膝から上へ撫で上げていく。その度に身を強張らせ、密着させた体から伝わる、大井の鼓動が激しさを増す。
「や、やめ、北上さん…、違う…、違うんだ…、自分は大井じゃないんだ…」
限界が近い事を悟り、体を離す。思考形態も完全に自分のものへと戻して、北上としての顔をはぎ取ると。
「…ようやく言ってくr「ほぎゃぁぁぁぁぁ!?」
女性らしくない恐怖の悲鳴を上げた大井がいた。
…あ。顔の重ね着をしてなかったと、メタル髑髏の俺は思い出した。
* * *
その後、大井さんの悲鳴を聞いて駆けつけてきた鎮守府の皆は、執務机の上に置かれた剥き身の提督(メタル髑髏)を見て、すぐに状況を察してくれた。
電ちゃんに怒らてる提督を横目に、未だ震えの残る大井さんを隠し部屋に避難させ、震えが納まるまで撫で続けている。
「はい、ミルクティーよ。これ飲んで落ち着いて?」
「感謝します…、いただきます」
愛宕が持ってきたティーカップを受け取り、一口ずつ飲み下していく姿は、やはり恐怖に震えた少女のそれにしか見えない。
けれど先ほどから、その口調は大井さんのものでなく、中の彼本来のものになっているのは明白だった。
喉を熱で満たした後、大井さんは僅かに不審を湛えたまま、こちらに視線を向ける。
「…それで、高雄さんも愛宕さんも、この事は存じているのですか?」
「えぇ。貴様があの投書をしたことも含めてな。悪い事をしたと思っているけど…」
「そこは後で提督を怒ってね? 今みたいに、ちゃんと聞いてくれるはずだから」
モニターに視線を向けると、未だ続いている電ちゃんの説教を、提督は真摯に聞き続けている。決して受け流そうとしないのは、艦娘達を思ってくれてるが故か。
「それで…、疑問があるのですが。高雄さんや愛宕さんも…、もしかして自分と同じような状況なのでしょうか?」
「そうよ。俺達も貴様と同じように、艦娘SSとして成りきってないの」
「あなたと違うのは、私達の場合は艦娘の記憶も同時に持ってる、という所なのよね」
「そう、ですか…」
希望を見つけたような大井さんの表情が、俺達の答えで少しだけ曇ってしまう。
さもありなん。常に大井のフリをしていなければいけない彼にとっては、俺達のような“半分は艦娘でもある”事に対して、思う所があるのだろう。
「でも大丈夫よ。この場所や、私たちの前でなら、大井ちゃんじゃなくてあなたの素をさらけ出していいのよ」
「…勿論、提督もこの事実はすべて把握しています。俺達の前だけでなら、気にしないで」
「……、…はい…」
支えるように愛宕が寄り添い、俺も揃って大井の隣に座る。
彼は落ち着けるような場所を見つけられたのか、強張らせていた肩から力が抜けていくのを、すぐ傍で感じられる。
提督が俺達に期待した事はこういう事なのだろう。そう思わざるを得ない。
「ところで…、えぇと、愛宕さんで良いのでしょうか…? 必要なら本名で呼びますけど…」
「大丈夫よ、私達は艦娘の記憶もあるから違和感は無いし、そっちで呼んでくれて構わないわ。むしろあなたの方こそ、本名で呼んだ方が良い?」
「いえ、その…、自分も大井で良いです。自分の名前で呼ばれたい欲求もありますが…、先任の二人がそういうなら、自分もそう呼ばれないといけない気がして…」
「そこまで気にしなくても良いと思いますけど…」
少しずつ大井さんと話していく事で察する事ができたのは、彼女はどうにも軍人然とした、所謂「堅物」な性格をしていることだった。
上からの命令に従って軍務をこなし、その結果艦娘SSを着ることになったのだろう。
話を聞いていくうちに身の上話になって良き、かつては「初春」として水雷戦を担当していたが、雷撃への適性を見抜かれ「大井」に改装された、らしい。
少々朧気なのは彼自身も大井になって後、自分の足跡を辿ってから判明した為だという。
「となると、かつて「初春」だった時は問題なく記憶処理が行われていたのね」
「提督の見立ては正解だったのね。となると、次の問題が出ちゃうかも」
「え…っ? まさかこれ以上の問題があるというのですか? 高雄さんも愛宕さんも、それをご存じなのですか?」
大井さんが慌てるのも、無理からぬことだと思う。むしろ内容を話せばさらに混乱し、絶望すらする可能性もある。
当然だ。本人と皮との記憶が逆転したというのなら、彼がSSを脱ぐ時に、頭の中に「大井」の意識が流し込まれる。
そうなってしまえば、中の彼の記憶や意識は抽出され、皮の中に留まってしまうだろうというのが、提督の見立てだ。
「知ってはいるけれど…、これは提督に話してもらった方が良いかもしれませんね」
「そうね…。そろそろ提督へのお説教も終わる頃だし、話してもらっちゃいましょう」
モニターに視線を向けると、最後の注意をしながら電ちゃんが執務室の外へと向かっていった。
それを確認すると、提督への通信機をONにしてマイクに向かい話しかける。
「提督。大井さんに一つ、重要な説明をお願いしたいのですが、任せてよろしいですか?」
『それは…、SS艤装解除時の問題で良いのか?』
「…はい」
『……解った。直ぐそちらに向かう』
提督が立ち上がったのをモニター越しに確認した後、リンクが切られて、画面には黒一色しか映らなくなった。
果たして説明を受けた後、大井さんはどうするのだろう。本人の判断を尊重したいけれど、場合によっては…。
* * *
自分は悩んでいた。
便宜上の頭を装着した提督が、自分に向けて説明してくれた「相性が悪すぎたSSの解除時」における問題。
逆転した意識や記憶の問題から、解除時には「大井」の記憶が「自分」の体に刷り込まれる事。
それはつまり、今の自分が直面している問題に、「大井」も強制的につきあわせてしまう事になる。
正直な事を言うと、これは記憶の置換ミスだと思っていたのだけれど、妖精さん達の主導するドック入りで正確に判明してしまった。
愛宕さんの体験を基にするならば、頭部への強打によって記憶の混乱が起こればこの問題の懸念は小さくなるかもしれないが、自分にも同様の結果が起こるかと問われれば、疑問が高まる。
艦種の違いから耐久性の違いは元より、敵の攻撃によって頭部へ発声する影響が、SS内に保管された記憶の統合だけで済むはずも、無いだろう。
運が悪ければ最悪頭が無くなってしまうかもしれない。提督みたいに身体を自発的に行動させられるならまだしも、自分は人間だ。頭が無くなれば、当然、死ぬ。
それを考えると、愛宕さんの方法を試す訳にはいかないと思えてしまうのだ。
彼女の運が良かっただけ。そう思う事しか出来なくなる。
ならば自分はいっそ…。
「それで、俺の部屋へ来たと」
「はい。愛宕さんの事例が偶然の産物だという事は、工廠の妖精さん達にも確認した次第です。
自分には適応されない可能性であるのならば、やはり自分は自分のまま「大井」になろうと判断しました。
その為の第一歩として、提督には自分に「女」をご教授して頂きたいと愚行します!」
「どこで思考が捩じれたらそうなる!」
「提督、声が大きいです!」
提督の仕事が終わる頃合いを見計らい、私室前にて待ち伏せ。そして今の状況に至る。
少しだけ頭を抱えるような仕草をしながら、提督は自分を私室に案内してくれました。
他者を迎えるのに過不足無い内装の部屋で、自分と提督は向かい合って座ります。
「……言いたい事は解った。その判断は尊重するし、今後の展開をどうするかの判断をした事は評価する。
しかし些か早急に過ぎるのではないか?」
「最早悩み続ける時間さえ惜しいと、自分は考えました。ただでさえ同型艦…、球磨さんや木曾さんに心配され続け、心苦しい日々が続いていました。
一刻も早く安心させてあげたいと、自分はそう思うのです」
「…そう、か。……そうか…」
額を抑えている提督は、何やら悩んでいるようで。
しばしの沈黙の後に、すっと自分の方を見据えてきます。
「……俺はずっと、お前たち艦娘に対して一定の距離を取ってきた。好意は受け取っても、決してそれを行為に移す事は無かった。
何故だか解るか?」
「いえ、解りません」
「失うことが恐ろしいからだ。見た目は同じでも、艦娘SSはそれぞれ中の人間に起因していることで、細部が微妙に異なっている。
俺のセンサーはそれに気付けてしまうからこそ、お前たちを「兵器」としてではなく、「人間」と思えてしまう」
「だから…、戦死してしまう事が恐ろしいと」
「あぁ。この鎮守府に来た…、余所では厄介者扱いされた艦娘達は全員記憶に残っている。同じ見た目の別人達も、全員だ」
この鎮守府内で、提督の指揮の下で積み重ねられた戦績を見た時のことが思い出される。3年と言う任期の満了者、余所の鎮守府へ引き抜かれた艦娘。
余所と比べれば確かに多いけれど。それでも轟沈し、戦死した者達が居るのは確かで。
思い出している提督のレンズの瞳は、しかしそこに哀しみと後悔が湛えられていた。
「…部下を大事にして下さる事は、とても有難いです。兵卒の事を覚えてくださって、死に悔やむ姿は、とても。
けれど提督。失礼を承知で言わせていただきます。貴方は将校で、上に立つ者です。
苦悩は隠して…、命令を下さい。提督を信頼している者たちは、沢山いるんですから」
言い過ぎたかと思った。けれど提督は眉間の皺をほどき、眉根の険を緩めていく。
「……そうまで言われるとはな。これだけでも目安箱を設置した甲斐があったようなものだ」
「そう思っていただけるなら、光栄です」
「ならば『大井』、今からお前にいくつか問う。想った通りに答えろ」
「はいっ」
「艤装の身を解除し、軍属から離れることも可能だ。それでもお前は艦娘SSの任務を継続するか?」
「はい。今後も重雷装巡洋艦としての能力を活かしていく所存です」
「俺を、こんな弱い機械を信頼してくれるか?」
「はいっ。ですが一つ訂正を。自分達の事を気に掛け悩む提督は、決して機械などではありません」
「俺は生身の頃から女性を抱いた事はないが、それでも俺に「女」を教えてもらうか?」
「はい! 提督だからこそです!」
「そうか…。……ならば大井、今から夜戦を開始する。着いて来い」
「はいっ!」
言いにくい事を言ってもらった事。弱い所を見せてくれた事。提督も人間である事。
「大井の皮」を被ったままだと見えなかったかもしれない所が見れて、とても嬉しく思う反面。
今から自分は女として抱かれるのだと思うと、少しばかり不安に思うけれど。
きっと提督なら受け入れてくれると、自分は勝手に考えている。それはきっと、間違いないと思えるほどに。
* * *
「なぁ大井、本当にこの姿でいいのか…?」
「えぇ勿論。提督がその姿だからこそ、“私”もその気になれますから」
「…口調は、変えるか?」
「お好きになさってください。…あ、でもできれば北上さんの方が良いかしら」
まるで秘め事をするように、いや事実するのだが、それも床の上でなく倉庫の中ですることになった。
場所も、再び「北上」の姿になった事も、全部大井の決めた事。
軽巡時代の制服を着用したのも、大井を最初からなぞるようにしているのかとさえ思えてくる。
「……んー、それでもさー。結局大井っちはアタシに抱かれるんだし、こうしなくても良かったんじゃない?」
「ダメよ提t…北上さん。“私”は他の球磨型の誰よりも北上さんを大切に思ってる。だからこそ、初めての相手は北上さんが良かった。
それがたとえ見た目だけだとしても。…何か悪い事はあります?」
「いやー無いけどさー…、俺としてはちょっと複雑な気分だよ」
決して本心からの言葉じゃないけれど、俺の口から出てきた言葉にお互い少しはにかむ。見た目も中身も違うのだから、複雑な気分なのはお互い様なのだ。
「んじゃ大井っち、始めよっか?」
「えぇ…」
どちらからともなく抱き付き、顔を寄せ合う。肌には大井からの興奮した感覚の吐息がかかる。
唇同士が触れ合って、舌の絡まる音がし始めた。
「ん、ぁふ…」
「ちゅ、ちゅ…」
柔らかい唇を何度も触れ合わせ、唾液を交換していく。自分の唇で感じる大井とのキスは、なぜかとても心地よく思える。
恋人相手にするように、俺の首に腕をからませ抱き付いてきて、さらにキスをする。
密着する身体は、制服越しとはいえ彼女の柔らかな双丘の感触を、俺の胸越しに伝えてくる。
「大井っち…、胸、当たってるよ?」
「えぇ、ドキドキしてる…。北上さんは、どう…?」
恥ずかしさか興奮か、大井は顔を赤らめて聞いてくる。
「アタシもドキドキしてる。なんか今日の大井っち、えろいかも」
「そうだとしたら、それは相手があなただから…。だからもっと…」
密着した体は直に感触を伝えない。けれどだからこその、じんわりと伝わる快感が、俺の脳を甘く蝕んでいく。
「そんじゃ大井っちのお望み通り、このままやっちゃいましょっか」
大井に抱き着き、背中に回した手を下に持っていき、丸い臀部を撫でる。直に触れた瞬間に驚き跳ねたが、手は止まらない。
スカートを捲りあげ、ショーツの中に指先をもぐりこませ、彼女の花園に触れる。
「ひゃ…! 北上さん、いきなりそこ…」
「すごいや大井っち…、もうこんなに濡れちゃってるや」
指先に触れただけで、彼女の蜜が絡まってくる。高雄と愛宕が絡んだ時と同じように、これが女性の性的快楽の現れなのだろう。
それはつまり、大井が自分との関係を悪く思っていないだろう事。それに少しだけ安心してしまう。
同様の反応は俺の方にも起こっていて、“女の快感”を知ってはいれど体験する事なかったが故に感じる、初めての感覚が募る。
「ね、大井っち。…アタシも感じちゃってるんだ」
「本当ね…」
大井が片手を俺の股間に持っていき、手に絡む愛液のぬめりを確かめる。
酷く熱くなっているそこは、大井が撫でる事に忘れかけていた俺の快楽中枢に火をくべる。
「なんかもう我慢出来ないや。大井っち、良いかな…?」
「えぇ、私もこんなの初めてで…、我慢できないの。北上さん、早く来て…」
求めるモノが同じなのだと理解した瞬間に、身体は次の行動をとっていた。
燃えたぎる劣情を重ね合うように、ショーツをずらして互いの秘所を重ね合う。
「ひゃぁぅ!」
「ふぅぅ…!」
同時に出たのは黄色い嬌声。ぬめり合った貝が重なり、水音が響く。
そこからは脳に刻まれた、生殖行動の記憶に釣られるよう、腰を動かし始める。
ぬぢゅ、じゅ、ちゅぷぁ…。
音にするならそのような、絡みつく水音を繰り返し、何度も何度も。
股間の女芯を擦る度に、2人の脳に電流が走る。その度に火の付いたボイラーが火力を上げていく。
回り出したタービンが壊れてしまいかねない速度で回転をし、歯止めが効かなくなっていく。
「大井っち…、ん、っふぅ…! 良いよ、ぉ…」
「私も…、北上さんのが、熱くて気持ちよく、てぇ…!」
互いの名を呼ぶ、だらしなく開かれた口は、互いを求めるように貪り合って。
恐怖に耐えるように、快楽に応えるように、また大井が俺の体に抱き着く。
何度も何度もしていれば、その内限界が扉を開けてくる。
「北上さん…っ、クる…、私、キちゃぅ…!」
「大井っち…、イこ、一緒に…」
「はい…、一緒に…!」
「はぁぁぁ…っ!!」
深い繋がりを持っている二人の体だからこそ、女として達したのは全く同時で。
北上の尿道口と繋がっている俺の男性器からも、疑似的な精液が溢れてしまった。
少しだけ朦朧とする頭の中で、身体だけで分けたことが問題なのか、と考えながら。
男女両方の快楽の痺れという波に、しばし頭を預けた。
* * *
「ありがとうございました、提督。おかげで「大井」としてやっていく決心が、どうにかつけられたと思います」
「俺としてはあのような手段で良かったのか、甚だ疑問に思うのだがな」
「いえ、はじめの一歩は肝心です。今回の事で本当にそう思いました」
行為を終えての、入渠と言う意味ではない風呂に肩を並べて入っている。うちの風呂はこの大風呂一基のみ。俺は男と言う事実上、艦娘達とかち合う事が無いよう区分けられた、提督用の時間での入浴の為に闖入者はおらず、安心して入っていられる。
隣ではタオルで体を隠した大井が、わざわざ肩を寄せている。
「私って球磨型の中では、唯一大きいじゃないですか。「初春」時代では限りなく小さかった部分が主張するからこそ、そこからの感覚が不思議に思えて…。
こう、大きな“女”の感覚が、男の自分の考えでは馴染めなくて…。正直、胸に触れることも忌避してました」
そう言えば大井に触れようとして雷撃を加えられた事もあったが、過去の話だ。掘り返さずにしまっておこう。
「ですがこう、受け入れる覚悟をすると…、とても気持ちいいものなんだなって思いました。
これも全部、提督のおかげですね」
風呂で温まった所為か、大井は頬を染めながら肩に頭を預けてくる。
…これは客観的に観れば、恋人同士のように見えるのかもしれない。
「だが、無理して常に「大井」であろうとしなくても良いんだ。一人の時や、知っている者と一緒の時くらいは、素の自分を曝け出せ。
でなければ、自分が誰なのかが解らなくなるぞ」
「…そうですね、そうしておきます。提督の前くらいではそうさせてもらいますが…」
「…が?」
「自分は、沈む事が無ければ永世着用を申し出ます。自分のようになった状況がSSを脱いだ時に起きる事態を、自分は知っています。
対処法が見つからぬ以上…、“自分”で居られる間は「大井」でいる間しかないんです。
ですから自分は…「馬鹿者」へひゅっ」
言葉を繋げようとした大井の鼻を軽く摘まみ、すぐに放す。大方考えているのは、自分が「大井」に“成りきって”も良い、と思っているのだろう。
「SSの定着は着用者の意志に一任しているが、判断を急ぐな。…このような状態になった者達が送られてくる、この「厄介払い鎮守府」で、対策を考えていない訳がないだろう。
反転した意識の上書をしないままにSSを脱ぐ方法も、大本営の指令で目下の所研究中だ。…あと半年もあれば一つの目処も立つだろう」
「…それは、自分のままに脱げる可能性もあると言う事ですか?」
「精神に作用する事だから、すぐに研究を進められる物でもないのだがな。それでも、だ」
「…結果が出たら、教えて下さい。その内容如何で考えます…」
「解っているよ」
温かい湯船の中でも、何故かわずかに震える大井は、俺の腕を抱き締める形でさらに寄り添ってくる。
それは恐怖か、それとも一縷の希望へ縋る思いなのか。
“視る”事は出来ても、知ることのできない俺は、詳細を推し量ることくらいしか出来なかった。
* * *
震える肩に手を添えてくれる提督は確かに優しくて、つい縋ってしまいたくなる。
初春として、そして大井として過ごしたこの「女」の1年以上の年月は、どうやら自分を本当の「女」に近づけてしまっていたようで。
誰かがいるということ以上に、自分に「女」を教えてくれた提督が居ることに安堵の念を覚えている。
自分は本当に女になってしまったのかもしれない。
今回は守られてしまった“初めて”を捧げても良いかと思ってしまった。
提督も愛している。敬愛か、恋愛感情かは、まだ少し判別がつかないけれど。
大井篇 了
日本人がドイツ艦のSSを被ったらどうなるのかちょっと気になる・・・
>3様、26様
ありがとうございます。そう言っていただけるのが物書きにとって何よりの感想です。
>17様
味覚などの感覚もゲルマンナイズドされるでしょうね。
中の人の意識が出た状態での食事は、日本料理よりドイツ料理の方が“慣れ親しんだ味”になってしまうやもしれません。
食べ慣れた筈の肉じゃがの味が違う。これは結構なストレスになると思いますよ。