#後編は清彦(元双葉)視点
今から一週間ほど前まで、私はまだ双葉だった。
その日は、家に帰りたくなくて、近所の公園のベンチに座ってため息をついていた。
「どうしたの? そんなに暗い顔をして、ため息なんかついて」
優しそうな声で、いきなり声をかけられて、驚いて声のした方を見た。
私に声をかけたのは、白いワンピースを着た、腰まである長い黒髪が綺麗なお姉さんだった。
女の私が、ついぼーっと見惚れてしまうほどの、清楚で綺麗なお姉さんだった。
ママは美人だし、私も美人のほうだとうぬぼれていたけど、上には上がいるんだなと、この時思い知らされた。
「悩みがあるのね、もし良かったらお姉さんに話してみない?」
話をするかどうか、少しだけ迷った。
私の悩みは、普通は初対面の人に話すようなことじゃない。
「話をしてみれば、少しは気が楽になるかもしれないわよ」
だけど、そのお姉さんに優しくされて、寂しかった私はつい悩みを打ち明けた。
ひょっとしたら、私は誰かに話しを聞いて欲しかったのかもしれない。
私の家は、普通の一般家庭よりも裕福だった。
だけどパパが一流企業のエリートだとか何だとかで、出張だとか単身赴任だとかで、普段から家に居なかった。
幼い頃は一緒にいることもあったけど、最近はたまに帰ってきた時に顔をあわせるだけの人、私はパパにはあまり愛情を感じなかった。
その代わりに、ママは私に惜しげもなく愛情を注いで育ててくれた。
美人で優しい自慢のママ、私はそんなママが大好きだった。あの日までは。
あの日、夜中に目が覚めて、トイレに行ったその帰りに、私は見てしまった。
あれ、リビングから明かりが漏れている。
ママはまだ寝ていないのかな?
私はリビングをそっと覗いてみた。
そこにはママともう一人、若い男の人がいた。
『だ、大介さん? 何であなたがここに?』
その時は、つい声が出そうになったのを、なんとか口を押さえて止める事が出来た。
大介さんは、同じマンションの住人だ。
クラスのガキっぽい男子とは違って、頼りになりそうなお兄さんって感じの人で、私は密かに憧れていた。
なのに、『ママ、大介さんと何をやってるのよ!!』
大介さんは半裸になって、そのたくましい体を晒していた
ママは、大介さんのそのそそりたつ男性器を美味しそうにしゃぶっていた。
まるで発情したメスのように。
それを見た瞬間、私の中の今までの価値観が、がらがらと崩れていった。
パパに相手にしてもらえなくて、ママが寂しかったのは、側にいた私にはわかる。
そんなママがかわいそうだ、とも思っていた。
だけど、だからといって、まさかママが大介さんとこんな関係になっていたなんて。
もうママも大介さんも信じられない。
とくにママには裏切られたという気持が強かった。
汚らわしい
浅ましい
あんなことをするなんて、まるで発情したオスとメスじゃない。
ママも大介さんも大嫌いだ!!
だけど、それ以上にショックだったのは、
これ以上見たくない光景だったはずなのに、
私はその光景に目が釘付けになって、目が放せなかったことだった。
私のおまんこが、その奥の子宮が、きゅんきゅんいっていた。
まるであれがほしいとねだっているみたいに。
何で? 私もママと同じなの?
いつか私もママのようになるの?
嫌、あんなふうになりたくない。
あんな発情したメスになりたくない。
私は体が疼くのを我慢して必死に堪えた。
その日以来、私とママの仲は険悪になった。
ううん、私が一方的にママを嫌ってるだけで、ママは必死に関係を修復しようとしていた。
だけど無理、あの日の事を忘れようにも忘れられない。
せめて何でもなかったと思いたいのに、あの時のママを思い出すと、汚らわしくて触られるのも嫌だった。
私って潔癖症の自覚はあったけど、こんなにも潔癖症だったんだ。
そして、ママと大介さんは、数日に一度、同じように関係をもっていた。
ママは、何で私がママを嫌っているのか、気づいていないんだ。
そう思ったら、ますますママを許せなくなった。
皮肉な事に、私がママと距離を取ることで、かえって破局を先送りしている状態だったんだ。
そんな話を、お姉さんにした。
お姉さんは黙って聞いてくれた。
「お姉さんありがとう、話を聞いてくれて」
「そう、良かったわ、私で役に立てたのなら嬉しいわ」
うん、確かに話を聞いてもらえたおかげで、少しだけ気持が晴れた。
「はあ、いっそのこと、男の子にでも生まれていれば、こんな気持にならなくてもすんだのかもね」
それは本気で言ったわけじゃなかった。
つい気が緩んで、愚痴まじりに冗談半分でもらした言葉だった。
「それはいい方法ね」
「えっ?」
「もし双葉ちゃんが望むなら、男の子に生まれ変わる方法があるって言ったら信じる?」
お姉さんの問いかけに、なんと答えていいのかわからなかった。
私の理解の範囲を超えていて、すぐに判断できなかった。
「私がその方法を教えてあげる」
私が判断できないでいるうちに、お姉さんの雰囲気に飲み込まれるように、私はお姉さんの言葉に耳を傾けたのだった。
「これ、どうしよう?」
昨日、お姉さんに貰ったものを手にしながら、私は途方にくれた。
お姉さんに貰ったそれは、魂の入れ替わり契約書だった。
魔法の文字で契約内容が書かれていて、血の契約をすることで、そのおまじないで入れ替わりの契約が発動するのだという。
「その契約書のおまじないで、気に入った男の子と入れ替われば、双葉ちゃんはその男の子に生まれ変われるのよ」
お姉さんのその話を、なぜだかその時の私は熱心に聞いていた。
おまじないの発動の仕方。
入れ替わった後、必要最低限の情報は引き出せる、など、
このおまじないの入れ替わりの効果なんかも教えてくれた。
「早ければ一週間、遅くても一ヵ月あれば、不自由ないくらいに馴染めるはずよ」
普通なら信じられないその内容を、その時の私はなぜだか欠片も疑っていなかった。
「このおまじないは、使えるのは一度きりだから、どうするのかよく考えて使ってね」
「はい、ありがとうお姉さん」
「じゃあね、双葉ちゃん、がんばってね」
そう言い残して、お姉さんは去っていった。
その後姿が見えなくなった後、私ははっと気づいた。
「入れ替わりって、本当にそこまでしないといけないの?」
冷静になった後、もう一度よく考えてみた。
ママとの関係修復は、困難だ。
私はママの事が許せそうにないし、いまや生理的に受け付けない。
そして私自身が、そのママと同じメスだと自覚してしまった。
ママと同じ女であることが、嫌になってしまった。
ママのようになりたくないのに、体はママのようにオスを求めて反応してしまっている。
今は我慢できても、いずれ我慢できなくなるのは時間の問題のように感じられた。
冷静になって考えてみても、自力ではこの閉塞状況から逃げられない。
何とかなるのなら、そもそも見ず知らずのお姉さんに、あんな悩みを打ち明けたりしない。
この状況から逃れるには、やっぱり誰かと入れ替わるしかないのかな?
変な話だった。
普通なら、誰かと入れ替わるなんて選択肢、ありえないし考えもつかない。
だけどこの時の私は、真面目に選択肢として考えて、そして本気で悩んでいた。
確かに私は女が嫌になった。
だからといって、私は積極的に男になりたいわけじゃない。
いや、正直な所、気が進まない。
それにこの体は、今まで私と一緒に成長してきた。
元から顔は良かったけど、より綺麗になれるように努力もしてきた。
そんな私自身を捨てるのは、やっぱり惜しいし抵抗もあった。
それに一番の問題、
そもそも誰と入れ替わる?
誰でもいいわけじゃない。
どうせ男になるなら、できるだけいい男になりたい。
だけど、私とつりあいの取れる男なんて、そうはいないし、そう簡単にはみつからないわよね。
とくに、うちのクラスの男子なんて、みんなガキすぎてお話にならない。
だけど、そんな時、
「なあ双葉、最近ため息ばかりついてるけど、何か悩みでもあるのか?」
清彦君が私に声をかけてきた。
「清彦君に言ったって、どうなる物でも、……よく見たら清彦君……悪くないかも」
ピンと来た。悪くない。ううん、清彦君しかいない。
こんな言い方は変かもしれないけど、
『ひとめぼれ』
という表現がぴったりだった。
もっとよく探せば、もっと条件のいい誰かがみつかるかもしれない。
だけど私は思った、それでも清彦君がいい、ううん、清彦君じゃなきゃ嫌。
もう他の誰かなんて考えられない。
ママの事や、入れ替わりの事で悩む前の、少し前の私から見ても、清彦君は結構いけてると思っていた。
ただ、私はどちらかといえば、例えば大介さんみたいな、大人の男性に憧れていた。
だから恋愛対象としては、清彦君はまだ子供で物足りないとも思っていたから、対象外だった。
それなのに、その清彦君にこんな気持になるなんて、自分でも不思議だった。
「清彦君、本当に私を助けたいと思っている?」
「ああ、思っている」
「何に変えても、例え清彦君のその身に変えても?」
私の意味深な問いかけに、
清彦君は少し考えて、真剣な表情で返事をしてくれた。
「ああ、双葉のためなら、俺は何だってするよ」
「嬉しい、それじゃ放課後にもう一度会って、続きはその時に」
清彦君と放課後に会う約束をして、その場を離れた。
放課後、清彦君と約束していた学校の裏庭に先に来て、例のお呪いの契約書を用意して待っていた。
少し遅れて清彦くんが来た。
私が手に持っている契約書が何なのか、不思議そうに尋ねてきた。
「内緒、それより清彦君こっちに来て」
「あ、ああ」
清彦君がこっちに歩いてくる。
その姿を見ているだけなのに、なぜだか惚れ惚れした。
「じゃあ、もう一度聞くわね、私のためなら、本当にその身に変えてもなんでもする、それで良いわね?」
私は、もう一度念を押して聞いた。おまじないの発動に必要な事だから。
清彦くんは一瞬躊躇して、でも真剣な表情で返事を返してくれた。
「あ、ああ、いいよ、俺でよければなんでもする」
私の望んでいた答えだった。
「嬉しい、じゃあまずこの紙のここに、清彦君の名前を書いて」
「俺の名前?」
私のお願いに、今度は清彦君の表情が不安そうに曇った。
まずい、もしかして不審に思われた?
だけど、清彦君は躊躇いながらも、契約書に名前を書いてくれた。
準備完了、だけど清彦君に不審がられている?
これ以上怪しまれないうちに、早く済ませてしまおう。
「ありがとう、じゃあ手を出して」
「こうか?」
私は隠し持っていた小型のカッターで、清彦君の指を素早く切った。
その指先から流れる血で、契約書に清彦君の血の契約をする。
「何でこんなことを?」
「黙ってて」
さすがに不審に思った清彦君は、不安そうな顔で私に理由を聞こうとした。
だけど、ここまできたらもう後には引けない。
説明なんてしたら、止められるかもしれない。
止めさせるわけにはいかない、もうこのまま突っ切るだけ。
私は清彦君を黙らせた後、自分の指を切って契約書に血の契約をした。
「これで契約完了ね」
「契約完了って何だよ!」
と、清彦君が私に問いかけてきたのとほぼ同時に、契約書が光り出し、換魂のおまじないが発動した。
私と清彦君の周りに光が集まり、足元に魔方陣のような輪が浮かび上がった。
そして私と清彦君は、魔方陣の光の輪に飲み込まれていった。
そしてそれが、私の双葉としての最後の記憶だった。
私は目を覚ました。
最初は体が痺れていて、感覚が麻痺していた。
だけど、だんだん痺れが取れてきた、感覚も戻ってきたみたい。
「う、ううっ……」
私の口からはうめき声がもれた。
あれ、どうなってるの?
私の声、なんか変?
それに私の体も、なんかいつもと感覚が違う、変な感じ。
「お、俺?」
そんな私を見て、私の目の前にいる『双葉』が驚いていた。
「えっ、わ、わたし!?」
何で私の目の前に双葉がいるの?
そう思いかけて、はっと気がついた。
そうだった、私はあのお姉さんから貰った、入れ替わりのおまじないを使ったんだ。
ということは、今の私は……。
確か手鏡を持ってきていたはず。
私は、さっきまで私のものだった双葉のバッグを開けて、中から手鏡を取り出した。
鏡の中には、驚いた表情の清彦君がいた。
「……本当に、清彦君になっちゃったんだ」
なんだろう、この喪失感は。
私、清彦君になれれば、もっと気分が高揚するかと思っていた。
なのに、大切なものを失ってしまったような、ひどい喪失感と脱力感を味わっていた。
どうしてそう感じるのか、本当はわかっている、わかっているんだ。
だけどそれでも私は……。
「お前は誰だよ! 何で俺がもう一人居るんだよ!!」
そんな私に、『双葉』がイラついた声で怒鳴ってきた。
今は落ち込んでばかりはいられない、私は気を取り直して『双葉』に問いかけた。
「もしかして、あなたは清彦君?」
「そうだよ、見りゃわかるだろ」
どうやら今の『双葉』の中身は、やっぱり清彦君らしい。
だけど見りゃわかるって?
「……案外鈍いのね」
「なんだと!」
「それとも気づかない振りをしているの、薄々気づいているんでしょう?」
私は『双葉』に、手鏡を手渡した。
「な、何で双葉の顔が!!」
『双葉』は、自分が双葉であることにやっと気づいたみたい。
もしかして、本当に気づいていなかったの?
でも、『双葉』が状況に気づいたこの後は、話が早かった。
「そういうお前は、双葉か?」
「ピンポン、正解です」
「ふざけないで、これはどういうことだよ!!
何で俺たちの体が、入れ替わっているんだよ!!
いや、何で入れ替えたんだよ!!」
やっぱり気がついた。
ううん、気がつかないほうがおかしいわよね。
どうしてこんなことをしたのか、ちゃんと話をしないと、納得はしないわよね。
「私ね、もう女は嫌なの」
「えっ?」
「正確には、もうこれ以上、あの人みたいなメスにはなりたくないの!!」
私の言葉に、でも『双葉』は、訳がわからないという顔をしていた。
もしそれが目に見えたら、頭の上にクエスチョンマークを浮かべていただろう。
まさか体を入れ替えられるなんて、しかもそんな理由だなんて思わなかったみたいで、
清彦君は、ううん『双葉』は必死だった。
「だからって、何で俺なんかと、体を入れ替えたんだよ!!」
「だって清彦君、言ったじゃない、俺でよければ力になる、その身に変えてもなんでもするって、念を押して聞いたじゃない」
「えっ?……た、確かに言ったけどさ」
さっきはわざと曖昧な言い方をしたけど、私は嘘は言っていないわよ。
その身に変えてもなんでもするって、清彦君も言ってくれたじゃないの。
だからこの結果には、何も問題はないはずよ。
「双葉だって、本当はこんなの気が進まないんだろ、さっきだって、俺になったのに、あまり嬉しそうじゃなかった」
「よく見ていたわね、確かにそうよ、本当はこんな事までしたくなかった」
そう、多分私は、今でも『双葉』に未練がある。
本当は私は、『双葉』を捨てたくはなかった。
ずっと双葉のままでいたかったんだ。
その事に清彦君が気づいてくれて、私に気づかせてくれて、少しだけ嬉しかった。
あのお姉さんよりも先に、清彦君とこういう話が出来ていたら、ひょっとしたら別の結果があったのかもしれない。
「だ、だったら、もう一度元の体に戻って考え直そう。俺だって双葉の悩みに協力するからさ」
入れ替わりを覚悟していた私でも、未練を感じているんだ。
清彦君が諦めきれないのも無理はないわ。
だけどもう遅い、もう遅いのよ。
「無理よ、このおまじないは一度きりなんだから」
「えっ、嘘だろ!!」
「本当よ、あの術式の契約書をくれた親切な人が言っていた。これは使えるのが一度きりだから、よく考えて使えって」
「そ、そんな……」
もう戻れない、その事実を知らされて、ショックを受けた『双葉』は、その場にへたりこんでしまった。
「清彦君、大丈夫?」
私は罪悪感を感じながら、尻餅をついていた『双葉』を助け起こそうと、そっと手を差し伸ばした。
『双葉』は、意地を張ってそんな私の手を無視して、自力で立ちあがろうとした。
だけど、ショックでまだ力が入らないのか、それとも慣れてない体のせいなのか、うまく立てなかった。
結局私が強引に、『双葉』の手を引っ張り上げて、助け起こした。
その時私は『清彦』の、今の私の男としての力強さを実感した。
双葉より、今の清彦になった私のほうがずっと強い!!
逆に双葉は、今の自分の非力さに気づいたのか、なんだか弱々しくて、今にも泣きそうな顔をしていた。
その両者の力関係を理解して、私は今の双葉に対して、優越感を感じはじめていた。
「こんなことをしてまで嫌がるなんて、双葉の悩みってどんな悩みなんだ?」
「口ではうまく言えないし、言いたくない。そのうちわかるわよ、嫌でもね」
そう、私はもうあの人の事なんか、考えたくもないし、もう相談しても意味がない。だから今更私からは言わない。
今はあなたが『双葉』なんだから、あなたが双葉としてあの家に帰れば、いずれママと大介さんの関係を知る事になると思うわ。
「い、嫌でも……」
「あ、ごめん、言い方が悪かったわね。別にその身に危害が加えられるわけじゃないから、安心して」
もっとも、最初に不安になるようなことを言っておいて、今更その程度のフォローでは安心なんてできないのか、双葉のその表情は、不安そうなままだった。
入れ替わった直後は、思っていた以上に自分が双葉ではなくなった喪失感を感じて、私は気持ちが落ち込んだ。
だけど、『双葉』とこんな会話をしているうちに、私はだんだん『清彦』になった実感が湧いてきて、気分もだんだん高揚してきた。
「じゃあ、そろそろ私、ううん俺、家に帰るから」
気持ちを切り替えるように、男言葉に切り替えてみる。
思っていたよりも男言葉に違和感がなく、すんなり切り替えられたように感じた。
「ええっ! ちょ、ちょっと待てよ!! 家に帰るってどこの家だよ!!」
双葉は、まるで捨てられた子犬のような不安そうな表情で、必死に私にすがりついてきた。
そんな双葉に対して、私は罪悪感が湧いていた。
だから今は、双葉とは距離を置きたかった。
「もちろん俺の家は、今は清彦の家に決まってるだろ」
必要な話はしたし、もう良いでしょう?
それより新しい自分の家に、早く行ってみたい。
早く新しい生活を感じてみたい。気持ちのほうも飛んでいた。
「そんなこと言って、俺の家がどこにあるのか知ってるのかよ!!
俺の家族のこととか、他にも色々大丈夫なのかよ!!」
「大丈夫だよ、必要な情報は、すぐにでも引き出せるはずだから。
重要な記憶も、必要な時に思い出せるはずだから」
そう言いながら、私も清彦の家の場所を思い浮かべてみる。
双葉の家とは反対方向にある住宅地の一戸建てが、スーッと私の脳裏に思い浮かんだ。
なるほど、必要な情報はすぐにでも引き出せるとは、こういうことなんだ。
これなら家族のことや、友達や他の事も大丈夫そうだ。
私自身、今後の不安が薄れていくのを感じた。
「あなたも思い出せるはずだよ、双葉の家の場所、わかる?」
私にそう言われて、双葉は何かを思い返そうとした。
ハッと何かに気がついたように、表情が変わった。
どうやら、双葉の家の場所が、思い浮かんだらしい。
「早ければ一週間、遅くても一ヵ月あれば、不自由ないくらいに馴染めるはずだから。って、これは受け売りだけどね」
そう言いながら、私は肩をすくめた。
私はまだ自覚してないけど、それは清彦くんのよくする仕草だった。
「ちょっと待って、いくら記憶が読めるとか言われても、それでいいのかよ!!
このままだと、俺が双葉の体を好き勝手にするかもしれないんだぜ、本当にそれでいいのかよ?」
「今はあなたが双葉なんだから、双葉の好きにすればいい。
そのかわり、俺は清彦として俺の好きにする。
お互いに相手に干渉しない、双葉もそのほうがいいだろう?」
なんとか私を引きとめようとする双葉を、だけど私は振り切るように突き放した。
そんな私の態度に、双葉は唖然として言葉も出ないようだった。
「じゃあな、双葉」
双葉が唖然としている間に、私はこの場を後にした。
双葉と別れた後、私は学校の外まで一気に駆け出した。
運動音痴で足の遅い双葉じゃありえない足の速さに、はあはあと息を整えながら、私はゾクゾクしていた。
すごいすごい、清彦君て、ううん今の私って、こんなに足が速かったんだ。
私は改めて入れ替わりを、私が清彦君になったことを実感した。
学校を出た私は、清彦君の家のある住宅地の方へ、ゆっくりと歩きはじめた。
この住宅地は、私は初めて来た場所なのに、前からよく知っている場所のような不思議な感じがした。
わかるわかる、この道をもう少し行くと、その角にコンビニ、さらにその先に児童公園があるんだっけ。
小さい頃はこの公園で良く遊んだっけ?
って違う! 子供の頃にここで遊んだのは、私じゃなくて清彦君だ。
なのに、そういう感覚まで感じるんだ。
そして私は、清彦君の家の前に到着した。
ごく普通の一軒家だった。
清彦君の記憶によると、この家の玄関は、昼間は特に鍵はかけていないみたい。
セキュリティの厳しいマンションに住んでいた双葉の感覚だと、清彦君の家はちょっと無用心すぎるように感じた。
でも、清彦君の感覚だと、これで普通なのかな?
この様子だと生活のランクも、双葉の時より数段落ちそう。
……何を今更、そんなことはわかっていて、私が望んだ入れ替わりでしょう?
まあいいわ、とにかく今日からここが私の家なんだ。
でも、こんな私が、この家の人たちに受け入れられるだろうか?
ここでの生活に馴染めるだろうか?
そう思ったら、やばい、なんだか不安になってきた。
大丈夫よ、今の私は清彦君なんだから、『俺は清彦、俺は清彦』そう自分に言い聞かせた。
「ただいま」
私は思い切って玄関のドアを開けた。
「あら清彦、おかえりなさい、今日は遅かったわね」
そう言いながら、奥から少し小太りなおばさんが出てきた。
誰? と思う間もなく「お母さん」って言葉が、私の脳裏に浮かんだ。
そうか、この人が清彦君のお母さん、ううん、今から私のお母さんなんだ。
若くて美人な双葉のママに比べたら、容姿では劣るけど、思っていた以上に上品そうだった。
それに何より、この人からは、ビッチなママみたいな不快感は感じない。
今はそれだけでも良かった。
「おやつはいつものところに置いてあるからね」
「あ、はいっ!」
「どうかしたの? おかしな子ね」
そう言いながら、お母さんはくすっと笑った。
しょうがない子ね、みたいな感じの柔らかな笑みに、
このお母さんからは、なんだか安心できるような、不思議な感じがした。
大丈夫、この人となら上手くやっていけそう。
そう思ったら、私は緊張が解けていくのを感じた。
緊張が解けると同時に、急に尿意を感じた。
私はトイレに行きたくなった。
私は急いで家の中に駆け込んだ。
「どうしたのよ急に」
「と、トイレ!」
「……もう、しょうがない子ね」
初めて来た家のはずなのに、私はトイレの場所はわかっていた。
お母さんの呆れたような声を背中で聞きながら、私は迷わず真っ直ぐにトイレに駆け込んだ。
トイレの個室に入って、私はハーフパンツとトランクスをずり下げた。
私の股間には、ママが舐めていた大介さんとあれと同じもの、男の子の象徴がぶら下がっていた。
『私の体にこんなものがついてるなんて、やっぱり嫌だ!』
そう感じたけれど、今更もうどうにもならないし、もう逃げられない。
戸惑っているうちに、だんだん尿意が我慢できなくなってきた。
『女の子が嫌になって、清彦君との入れ替わりを望んだのは私なんだ。このくらいは我慢しなきゃ』
私は覚悟を決めた。
私はトイレの便座を起こして、元の清彦君がしていたように、手でちんぽをつまんだ。
そしてトイレに狙いを定めた。
「はあ、すっきりした」
終わってみればあっけなかった。
「案ずるより生むが易しって、よく言ったものよね」
立ってオシッコをするほうが楽だったし、なんだか新鮮な気分だった。
ううん、終わった後も面倒がないし、男の子のほうが断然いい。男の子ばかりずるい。って思った。
私は男の子の立ちションを、すっかり気に入っていた。
同時に、ちんぽに対する嫌悪感も、かなり薄れた。
「私、ううん俺、男の子としてやっていけそう」
私は男の子として、そして清彦君として上手くやっていく自信を深めた。
夕食の時間になった。
ダイニングルームには、清彦君の家族が全員揃っていた。
清彦君の家族は、お父さんとお母さん、妹の仁美ちゃん、それと私の四人だった。
一家団欒なんていつ以来だろう?
双葉だった時に、家族が揃って夕食を食べた記憶は、物心がついた幼い頃に少しだけだった。
双葉の家は、普段パパが家にいない。
かわりにママが私に愛情を注いでくれたけど、そのママとの関係も壊れてしまった。
だけど、清彦君の家は、今のところはお父さんもお母さんも暖かい人だった。
妹の仁美ちゃんは、お兄ちゃん子で、最初から私に懐いていた。
一人っ子で弟か妹が欲しかった私には、かわいい妹が出来て嬉しかった。
暖かい家族。
これは私がどんなに欲しくても手に入らなかったもの。
本来は清彦君のもの。
これは私が横取りした、仮初めの関係だった。
それでも私は嬉しかった。
「お兄ちゃん、これ貰ってもいい?」
「……いいよ」
「わあい、ありがとう、お兄ちゃん大好き」
「もう、仁美ったら、おかずはちゃんと分けてあるんだから、清彦もあまり仁美を甘やかさないで」
そうは言うけど、なんだかこの子がかわいいんだもの。
私はこの人たちと家族として接しているうちに、だんだん自然にこの人たちが好きになってきた。
この人たちと本当の家族になってもいいのかな、いいよね、だって今は私が清彦君なんだもの。
もう双葉が嫌、女の子が嫌、ということよりも、清彦君の家族や環境がすっかり気に入っていた。
私は清彦君と入れ替わって、清彦君になって、本当に良かった。そう思った。
私はこんな風に、清彦君の生活に馴染んでいったのだった。
そんな調子で、私が清彦君と入れ替わってから数日が経った。
私は思った以上に上手く清彦君として、男子の生活に馴染めていた。
そして双葉のほうも、上手く今の生活に馴染めているみたいだ。
女子の輪の中で、他の女子と話をしている姿には、違和感が感じられなかった。
こんな事を言ったら、自画自賛って言われるかもしれないけれど、清彦君になった今の私の目から見ても、
双葉(元の私)ってうちのクラス一、いやうちの小学校一の美少女よね。
他の女子と、憂いの無い笑顔で楽しそうに話をしている姿を見ていたら、思わずドキってしてしまった。
元は私の体なのにって、
自分の捨ててしまったモノの価値を、こんな形で改めて知らされて、少し双葉に未練を感じたみたい。
そんな未練を、頭を振って追い払う。
ううん、清彦君だってそんなに悪くない。
清彦君自身は、それほど自己評価は高くなかったみたいだけど、
双葉だった時の私の目から見て、結構いけてると思っていたくらいなんだから。
まあ、まだちょっとお子様かな、とも思っていたけれど。
平凡で普通の家庭の、清彦君の家の生活も、私は気に入ってる。
入れ替わった直後に私は、
お互いに好きにする、お互いに干渉しない、そう言って双葉と別れた。
そしてこの数日、実際にお互いに干渉どころか接触さえしないでいた。
私はもう元の双葉には戻れないんだから、双葉の事を気にしたってしょうがない。
今は清彦としての生活を頑張らなきゃ。
とは言うものの、私は、なぜだかやっぱり双葉の事が気になってしょうがなかった。
「どうしたんだ清彦、さっきから女子のほうばかり見て、ははん、さては双葉を見ていたな?」
「そ、そんなんじゃねえよ!」
敏明にからかわれて、慌てて否定した。
でも実際にそうだったから、余り説得力がなかった。
「けどまあ、気持ちはわかる。双葉っていいよな、顔はクラスでいちばんいけてるし、
体だってなんかこう、細いのに意外に胸やお尻が出ていて、すげーHそうな体つきだよな」
なんて、いやらしい目で双葉を見ながら言われて、なんか嫌だった。
今は私の体じゃないけど、双葉をそんな目で見ないでよ!!
Hそうな体つきって、スケベでお調子者のあなたに、そんな風に言われたくないわよ!!
そんな私と敏明の会話が聞こえていた訳じゃないだろうけど、
双葉が女子の輪から外れて、こっちのほうに歩いてきた。
「清彦君、ちょっとだけお話、いいかな?」
「う、うん」
双葉は、中身が元は男の子だったとは思えないほど、言葉使いや仕草、雰囲気がすっかり女の子していた。
元は私だったはずなのに、そんな双葉に声をかけられて、なぜだか私はどぎまぎした。
「ごめんね敏明君、ちょっとだけ清彦君を借りていくね」
「あ、ああ、いいぜ」
双葉ににっこり微笑みかけられて、敏明もどぎまぎしていた。
私と双葉は、そっとクラスの端に移動して、二人だけになった。
「こうして話をするのは、あの日以来よね」
「うん」
あの日とは、入れ替わったあの日のことを指すのは、二人の間では今更言うまでもないことだ。
そして、確かにあの日から、会って話をしていなかった。
あの日別れる時、相手に干渉しないとか言って、お互いに相手を避けていたからだけど、双葉は、あの日以来はじめて私に話しかけてきた。
「清彦君は、さっきからあたしのほうを見ていたけど、やっぱり気になる?」
気づかれていた?
ううん、私が双葉だった時も、男子からの視線には気づいていたし、いつも気になっていた。
今の双葉が気が付かない筈はない。
「ご、ごめん、そんなつもりじゃなかったんだけど」
「くすくす、謝らなくてもいいわよ、元の自分のことは、やっぱり気になるわよね、あたしもそうだもの」
「えっ、双葉もそうなんだ。うん、俺もそうだ」
「あの日、お互いに干渉しない、なんて言って別れたけど、やっぱり一度話し合うべきだと思うの、だから」
放課後にもう一度、学校の裏庭のあの場所で会って話をしよう。双葉はそう提案してきた。
私はそれを受けた。願ってもないことだった。
「じゃあね清彦君、放課後に例の場所で」
そう言って双葉は、女子の輪の中にもどっていった。
双葉と別れて、自分の席に戻ってきたら、
私を待っていた敏明が、双葉とのことを興味深そうに聞いてきた。
「おい清彦、双葉と何を話してたんだ?」
「内緒」
「畜生、羨ましいぞ!」
たったこれだけの事なのに、私は敏明に対して、なぜだか優越感を感じていた。
「それにしても、俺も今気づいたんだが、双葉、少し印象変わったなよな」
「え、そ、そう? 俺は気づかなかった」
双葉の印象が少し変わった。なんて敏明に言われて、内心ドキッとした。
入れ替わりの事がばれたわけじゃないだろうけど、どう変わったと感じたんだろう?
「なんかさ、前より色気が出てきたっていうか、より女っぽくなったって感じないか?」
……なんかショック。
元の私より、今の双葉のほうが女っぽいって、
元の私が女として、男だった清彦君に負けたってこと?
いや、敏明の言うことなんて気にしちゃ駄目、気にするもんか!!
でも……。
そういわれて、ちょっとだけ気になった。
以前の双葉(元の私)が、清彦君や敏明にどう見えていたのか、私にはわからない。
でも、今の双葉は、誰かに似ているって、そう感じていた。
誰に?
ママに、(あ、この場合のママとは、双葉のママのことね)雰囲気が少しだけ似ているんだ。
それも、私が嫌だった、発情したメスみたいになったママに、……!!?
か、考えすぎよね、そんなはずないわよね。
でも、一度そうだと思ったら、だんだんそんな気がして気になってきた。
確かめなきゃ、放課後にもう一度双葉に会ったときに確かめなきゃ。