水の章
前回までのあらすじ
魔女の呪いで女体化した騎士・マリクことマーリンと、大聖剣に選ばれた勇者・アーサーは封印された大精霊を解放するために旅立つ。
そして、北の大地にいる地の大精霊・ノームを解放し新たな力を得た二人は水の大精霊・ウンディーネの神殿に赴くため、西の地を治める漁夫王・ペラムの領地へ向かうことにしたのだった。
ペラム領は西の地の気候はとても暑いものの、王国の農作物の七割を一手に引き受けるほどの肥沃な国土に恵まれており、広大な海に面しているためリゾート地としても注目されている・・・はずだったのだが。
「「寒っ?!」」
オレとアーサーは声を震わせながら言った。
それもそのはず、西の地に辿り着いたはいいが、暑いどころか雪がちらつくほど寒かったのだ。
その雪のおかげで辺り一面が真っ白に化粧され、見事な雪景色を眺めることができる。
しかし、今はそれどころではない。暑いところへ行くと思い、防寒具を一切用意していなかったのだ。
「いっ、いくらなんでもおかしいぞ。どうして西の地がこんなに寒くなってるんだ?!」
「もしかして、これも大精霊の封印と何か関係があるのかな?」
「そうかもっ…ヘックショイッ?! とにかく次の街まで急ぐぞ。」
震える身体に鞭打つように歩みを進めて数分後。
目的地にたどり着いたオレ達はすぐに宿を取ることができた。
運のいいことにその宿には温泉があり、オレは凍えきった身体を癒すために一目散に飛び込んだのだった。
「ふうっ、生き返るなぁ。極楽極楽!!」
久しぶりのゆったりしたお風呂にオレは非常に満足した。
「はあ、こんなにゆっくり足を伸ばして入れるなんて、なんて幸せなんだろう!」
「ふふっ、長旅御苦労様です。」
「?!」
唐突にかけられた声に驚いたオレはふと顔を上げると、湯気の向こうに何かが見えた。
何と、湯気の向こうには女性がいるではないか。
「うわ!す、すいません。女性が入っているなんて知らなかったもので・・・???」
「当然じゃない。今の時間は女性しか入れないのよ。」
「女性、しか?」
そういえば、慌てて駆け込んだから気づかなかったけど、浴場への入り口は一つだけだった。
女湯と男湯に分かれている様子がないのは時間で入れる性別が決められていたからだったのか。
「あのう、オレもう出ますから心配しないでくださいね。オレは痴漢じゃないし、あなたの裸を見てませんから・・・。」
「痴漢も何も女同士なんだから別にいいんじゃないの?」
「あっ、ああそうです、よね。大丈夫ですよね。」
彼女に指摘され、オレは湯船から出るのを止めた。
目の前の女性はオレに気にすることなく、足を伸ばしている。
長い銀髪に切れ目の青い瞳、均整のとれたプロポーション、おまけに美人の彼女がオレの目の前でその裸体をさらけ出してるのだ。
これ以上のお色気イベントに遭遇することがあるだろうか。
しかし、これでもオレは王国の騎士。
女に姿を変えられたとはいえ、男であるオレが女性のみに許された場所に進入するなど許されるはずがない。
こうして、俺の中で興奮と後ろめたさがどんどん膨らんできた。
「あの、やっぱりもう出ます。」
オレはそそくさと湯船から出て浴室を出ようとした時だった。
「ちょっと待って。何か変ね、あなた。」
彼女の疑惑の視線にオレはドキッとしてしまう。
元が男だとばれたか、と焦った時だった。
彼女はオレの両胸を後ろから掴んできた。
「ひゃあっ?! な、何ですか??」
彼女の手の動きによって、オレの胸はぐにゅぐにゅと形を変えていく。
「うーん、この触り心地に温かさ、伝わってくる心臓の鼓動。本物の胸ね。それじゃ・・・。」
彼女の右手が胸から離れ、股間の方に手を伸ばした。
濡れた音がした瞬間、オレの背筋に電気が走った。
「ひうっ?! いやぁ、そこ・・・。」
彼女はオレの反応もお構いなしに弄ってくる。
その度に音が浴室に鳴り響く。
「ふむふむ、こっちも本物ね。」
数分後、彼女は納得してオレを解放した。
力が入らないオレは床に膝をつけて四つん這いになった。
「な、何を?」
「いやね、もしかしたら変化の術とか使ってるのかなと思ったんだけど。私の勘違いだったみたい、ごめんなさいね。」
「いえいえ、そんな。」
「まだ時間はあるんだし、もうちょっとゆっくりしていきなさいよ。」
「はっ、はい。」
結局、彼女に止められてオレはもうしばらく温泉に浸かることになってしまったのだった。
―――――――――
一方、アーサーはどうしているかというと。
「あのぉ、男の入浴時間はまだですか?」
「あと数十分の辛抱だ。ほら茶を入れてやったから元気だしな。」
店主に止められ、毛布にくるまりながら震えていたのだった。
――――――――――――――――
「ところで、あなたも『聖杯』を探すためにここまで来たの?」
「えっ、聖杯って??」
「あら違うの? 随分前に水の神殿に異変が起こったらしいのよ、そのせいでここら辺の気候がめちゃくちゃになるはでもう大騒ぎ。領主ペラムはその原因を解明しようと水の神殿に向かったのだけれど、その途中で海に潜む何者かの槍に貫かれて重傷を負ってしまったらしいわ。」
「あの『漁夫王』の異名をとるペラム様が?!」
領主ペラムとは、「アヴァロン」の国王・ユーサーと同等の権力を持つ三人の貴族の一人で、海をこよなく愛し、海から這い寄る魔物を返り討ちにする技量を持つことから「漁夫王」という異名がついたのだ。
その人が重傷を負ったと聞いた時にはさすがに驚いた。
「しかも、その槍には呪いが掛かっていたらしくて、医者がどんなに手をつくしても傷を癒すことができなかった。そこで治療することができるのは水の神殿にある宝物『聖杯』が必要だということでそれを取ってきた者には多額の賞金を与えるって話になってるのよ。だから腕に覚えのある強者がこぞって集まって来てるわけ。私もその一人よ。」
「そうだったんですか。それじゃあなたはもう水の神殿に??」
「それがねぇ。その肝心の水の神殿だけど、ペラムが近付いて以来、氷に覆われてしまったのよ。だから外からじゃ近づけなくなっちゃって。」
「えっ?? じゃあどうするんですか??」
「それがわからなくて困ってるのよ。話では神殿の内側に続く洞窟があるらしいけど、随分と昔から海水に満たされてるせいでたどりつく前に窒息しちゃうみたいだし。」
神殿には近づけない、これにはオレも困ってしまった。
神殿に入れないのなら水の大精霊・ウンディーネを解放することができない。
一体どうすればいいのか、と悩んでいた時だった。
どこからか鈴の音色が響いた。
どうやら、男女交代の時間が迫った合図らしい。
「あら、そろそろ時間みたいね。もう出ましょう。」
「あっ、はい。」
やっと湯船から出られたオレは、置かれていたタオルで身体を拭き、服を着始める。
彼女もハイレグタイプの黒いアーマーを身に着けていた。
「そう言えば、まだ名乗ってなかったわよね。あたしはラン、さすらいの女剣士ってとこかな。」
「オレはマーリンと言います。どうぞよろしく。」
「マーリンか、それにしてもマーリン、あなたいい身体してるわね。」
「えっ?? ああ、ありがとうございます。」
彼女はそう言うと、オレを後ろから抱き締めた。
「??」
「ねえ、あなた一人? だったら私の部屋で一夜を過ごさない?」
「えっ、ちょぉ?!」
彼女は唇を舐めながら、オレの耳元で囁いた。
距離を取ろうにも、彼女の手がオレの身体を絡め取り、身動きできない。
「『オレ』なんて言葉を使って男らしく振舞ってるつもりかしら。ふふ、可愛い。」
「いや、それは・・・。」
中身は本物の男なんですけど、と言いたいところだが言えない。
すると、リンはさらに近付いてくる。
「知ってる? 女同士でも結構いいのよ。」
「いやぁ、ちょっと待って。」
彼女の身体が密着し、服越しでありながらもその柔らかさが伝わってくる。
しかも、女性特有の甘い。癖になるかも。
こうして、今まさに百合の世界が展開しそうな時だった。
ドンドンドン。
誰かがドアを叩いた。
そして、ドアの向こうから男の声が聞こえてきた。
「お客さん、まだ着替え中なら急いでくれるかい? 坊主が凍えかけてるんだ。」
「んもう、いいとこだったのに。」
「坊主? やば、アーサーのこと忘れてた!!」
オレはランを振り払い、着替え場を出てアーサーの所に駆け寄ったのだった。
「何だ、連れがいたんだ。しかも男。ふふ、また会いましょう、マーリン。」
ランはそれだけ言って宿屋を後にしたのだった。
――――――――――――――
数時間後。
凍えていたアーサーを風呂にブチ込み、無事に回復させたオレは部屋でランから聞いたことを話した。
「水の神殿がそんなことになってなんて・・・。」
「ああ、完全に足止めだよ。これじゃ動こうにも動けない。」
「でも神殿に続く洞窟があるんでしょ。そこからなら・・・。」
「お前、長く息を止める自信はあるか? 地図で確認してみたけど、水の神殿までかなりの距離がある。洞窟を通るにしても途中で窒息してしまうよ。」
「うう、じゃあ一体どうすれば・・・。あっ!そう言えば僕も店主のおじさんから興味深い話を聞いたんだ。」
「何だよ。話って。」
「人魚の伝説だよ。」
「人魚??昔海に住んでいたっていうあの?」
「うん、この領地に伝わる昔話なんだけど・・・。」
『むかしむかし、あるところにこの地を治める領主の息子がおりました。
ある日、領主の息子は浜辺を歩いていると、何かが網に絡まって暴れているのが目に入りました。彼は何かと思い、網をほどいてみると中から人魚の娘が現れたのです。
彼は驚きました。なぜなら人魚は人間を食べると言い伝えられていたからです。
しかし、人魚の娘は元気がありません。
よく見ると彼女の身体には無数の傷がありました。
気の毒に思った領主の息子はあまり人が寄り付かない洞窟に彼女を匿いました。
警戒していた人魚の娘ですが、彼の良心に胸を打たれ次第に心を開いていきました。
領主の息子も話のイメージとは違う彼女の無邪気な笑顔に心癒されていきました。
やがて、二人は恋に落ち、共に暮らすことを夢見るようになりました。
人魚の娘は彼と共に暮らせる方法を考えました。
そこで自分の足のウロコを一枚一枚はがして練り上げ、一つの『鎧』を作ったのです。
これがあれば共に海の中で暮らすことができる。
人魚の娘はそう思い、彼が来るのを待ちました。
しかし、どういうわけか領主の息子は現れません。
実は領主の息子は別の女性との婚姻のために遠くの地にいっていたのです。
そうとも知らず、人魚の娘は今でも愛する人のことを待っているという・・・。』
「っていう話なんだけど。」
「よくある昔話じゃないか。」
真剣に聞いたのがバカらしく思い、オレはため息混じりに答えた。
すると、アーサーは慌てて続きを話し始める。
「ほっ本題はここから、実は何人かがその洞窟に入って傷だらけになって戻ってくるらしいんだ。そして、皆口をそろえて『人魚に襲われた』って言ってるんだよ」
「それ、本当なのか?」
「おじさんの友人も犠牲になってるって。」
「もし、昔話の人魚が実在してたなら・・・。」
「うん、たぶん『人魚の鎧』もあると思うんだ。それを使えば、洞窟をたどって水の神殿に行けるかも。」
昔話のストーリーに希望を見るのもどうかと思ったが、他に頼る当てもないのも事実。
今はわずかな可能性であろうと、それを試さない手はない。
オレ達は、人魚がいるという洞窟に向かうことにしたのだった。
―――――――――――――――
ひとまず、一通りの準備を済ませるために宿屋から出たオレ達は、何かの人だかりができていたのを見かけた。
「マーリン、何だろう?」
「あれは、アヴァロン王国騎士団の鎧?」
ちらりとだが、なつかしき祖国の鎧を身に纏った騎士たちが人だかりの中心にいたのが見えた。
すると、男の声が聞こえてきた。
「俺はマーハウス。円卓の騎士(ラウンズナイト)が一人、トリスタン様の命により、この地の異常を解決しに来た。」
『トリスタン』の名前を聞いた途端、人々がざわめきだした。
それも当然、彼は国王直属の選任騎士『円卓の騎士(ラウンズナイト)』にして、騎士団を束ねる隊長の一人なのだから。
「トリスタン様の右腕である、この俺様が来たからにはもう安心だ。こんな寒空を切り裂き、温かい地を取り戻して見せよう。」
マーハウスの威勢に押されるように、人々は歓声をあげた。
相当な実力と技量を持っているのだろうと呟く人もいるが、あえて言わせてもらおう。
あいつにそんな力はない、断じて。
あいつも騎士学校にいたから知っている。
マーハウスは名門貴族出身だけに高慢で自信過剰なナルシスト、しかも目的のためには手段を選ばない卑劣で騎士の風上にも置けない男だ。
トリスタンの右腕を自称しているのも彼の優しさに付け込んでいるからだ。
おそらく、あいつがここに来たのは、自分の出世のためであり、失敗した場合はトリスタンに庇ってもらう算段なのだろう。
「行こう、アーサー。時間の無駄だ。」
「う、うん。」
正直あいつのことが大嫌いだ。だから、いつまでもここにいるのが耐えられない。
それにアーサーもマーハウスにだけは会いたくないはずだ。
オレはアーサーの手を引っ張り、急いで立ち去ろうとした時だった。
「おやおや?? そこにいるのは、落ちこぼれのアーサー君じゃないか。」
後ろから不意に声をかけられる。
「マーハウス、さん・・・。」
アーサーは震えながら答えた。
オレがアーサーとマーハウスを会わせたくなかった理由、それは騎士学校時代にあいつがアーサーを執拗に虐めていたからだ。
騎士学校時代のマーハウスは多くの取り巻きを率いて力の弱い生徒を、特に落ちこぼれだったアーサーを虐めていたのだ。
「お前みたいな落ちこぼれがここで何してる? それどころかよく生きてたな、てっきりどこかでのたれ死んでると思ってたよ。ぎゃはははは。」
マーハウスの取り巻きたちも彼につられるように笑い出す。
相変わらずこの笑う声には耳にさわるよまったく。
「まあ、ちょうどいいや。人手不足だったんだ。荷物持ちに使ってやるから付き合えよ。」
マーハウスがそう言うと、取り巻き達がアーサーの捕まえ始めた。
オレは間に割って入り、アーサーを取り巻き達から引き離した。
「何だ、お前?」
「俺達はこいつの『友達』だよ。怪しいもんじゃないって。」
取り巻き達の威勢をものともせず、オレは軽くあしらう。
「悪いけど、こいつはオレの仲間なんだ。知人であろうと勝手に連れ出されては困るんだよ。」
「ちっ、おい女。俺達をなめてると痛い目を見るぞ。」
「待て。お前らは下がれ。」
マーハウスが取り巻き達を押しのけたと思うと、俺の手を取った。
「お美しい。」
「はっ??」
突拍子もないことを言われて状況が理解できなかった。
「あなたほどの美貌を持った女性を見たことがない。」
「いや、ちょっ・・・。」
マーハウスはそう言いながらさらに距離を縮めていく。
すると、握られた手からなんとも言えない気持ち悪さが伝わり、鳥肌が立ち始める。
何より気持ち悪かったのはマーハウスの欲望に濁った目だった。
まるで獣欲を満たすことにしか頭にないことがわかった。
「悪いけど、先を急いでいるから・・・。」
「どうです、これから一緒にお食事でも・・・。」
ダメだ。引き下がるどころか、さらに詰め寄ってくる。
その目もどす黒さをさらに増していた。
オレはこれまで感じた事のない危機感を覚え、そして。
「放せこの野郎おおおおお!!!」
「ぶへぇぇぇっ。」
激しい怒号とともに鋭いストレートパンチをマーハウスの顔面に放ち、彼を吹き飛ばしたのだった。
「ちょ、マーリン?!」
「行くぞ、アーサー。」
オレはアーサーの手を引っ張り、そそくさとこの場を後にした。
「大丈夫ですか??マーハウス様。」
「俺の顔に、傷を、親父にも殴られたこともないのに、許せん、覚えてろよ。」
憤怒に顔を歪めるその表情は、取り巻き達を圧巻させた。
オレはマーハウス達が追ってこないことを確認し、アーサーを連れて隠れるように酒場へと入り込んだ。
ちょうど空腹になった所だし、食事をしながらこれからのことを相談することにした。
「全く、面倒な奴に出くわしたよ。な、アーサー。」
「・・・。」
あいつに出くわしてから、アーサーは無言だった。
アーサーにとって、一番会いたくない人物と出くわしたのだから無理もないだろう。
だけど、嫌な間が開いてしまった。空気を変えようにも言葉が見つからない。
すると、さっきまで口を閉ざしていたアーサーが語りかけてきた。
「ねえ、マーリン・・・。」
「ど、どうした?」
「僕、強くなれたのかな?」
「何を言ってる、当たり前だろ。」
「でも、何もできなかった。昔と同じように、何も。」
アーサーの顔は初めて会った時のように沈んでいた。
それほど、アーサーはマーハウスに畏怖の念を抱いているのだろう。
過去に受けた傷は時間が経てば消える。
しかし、心の傷は魔法の力を持ってしてもそうそうに消えるものではない。
方法があるとすれば、それは自分自身で乗り越えるほかないんだ。
とはいえ、誰もがそれほど強い心を持ち合わせているわけじゃない。
だからこそ、誰かが手を差し伸べなければいけない。
「アーサー、鎮守の森での戦いを思い出せ。オレは剣を失ってくじけそうになったのに、お前は最後まであきらめなかっただろ。しかも、あの巨大な魔物を相手して勝ったんだ。強くなってるのは当たり前じゃないか。」
「だけど、それは大聖剣があったから・・・。」
「そうだ。何より今のお前は大聖剣に選ばれた勇者だろ。昔のお前とは明らかに違うんだよ。」
オレはアーサーの手を握り、必死に励ました。
アーサーが強くなっていることを証明できるのは、ずっと一緒に旅をしてきた俺だけだからだ。
「自信を持てよ。お前は強くなっている、あの頃よりもずっと。それでも弱いって言い張るなら、オレが一から鍛えなおしてやる。」
「・・・ぐすっ、はい。ありがとう、ありがとうございます。」
アーサーは涙と鼻水を混じらせながら何度も答えた。
その顔にはいつもの明るい笑顔が戻っていた。
どうやらまだまだ鍛えなおす必要がありそうだ。
思わぬ再会で遠回りになってしまったが、酒場を後にしたオレ達は準備を整え、例の洞窟の前に立った。
そこには『危険、入るべからず。』という真新しい標識が打ちつけられていた。
「ここがそうなんだな、アーサー。」
「うん。」
洞窟の奥は真っ暗だ。
まるで入るもの全てを飲み込むくらいに。
間違いなく中には魔物が潜んでいるだろう。
オレ達は覚悟を決めてたいまつを手に中に入るのだった。
―――――――――――――
洞窟に入って数十分が経過。
オレ達はたいまつの明かりを頼りに暗闇の中を歩き続けていた。
「やけに静かだな。」
「うん、魔物もいないみたい。」
「アーサーが聞いた話では、『人魚』に襲われた犠牲者は何人もいるんだろ?」
「それは間違いないはずなんだけど・・・。」
洞窟の中は不気味なくらい静かだった。しかし、よく見ると所々に争ったような形跡があった。
どうやらオレ達以外に手練れの先客がいるらしい。
「もしかして、騎士団がもう入って来てるのかな?」
「かもな。ついさっき遭遇したばかりだし。」
オレは憎たらしいマーハウスの顔を思い浮かべながら、棘があるように言った。
すると、前方に壁が見えてきた。行き止まりかと思ったが、左右に道が続いている。
どうやら分かれ道にさしかかったようだ。
「さて、どっちを行くか。」
「とりあえず右に行ってみる?」
アーサーはそう言って右の道を選んで進もうとした。
その時だった。
突然天井が崩れ始める。
「うわあああ!!」
「アーサー?! うおっ!!」
瓦礫の山に遮られ、オレとアーサーは引き離されてしまった。
「アーサー、大丈夫か?」
オレは大声でアーサーに呼び掛けるが、反応はない。
あいつのことだか潰されてはいないだろうけど、この瓦礫の山では向こう側にいくことができない。
「聖杖ドルイドを使ってみるか、いやアーサーを巻き込む危険があるし・・・。」
オレはアーサーと合流するための方法をいろいろ考え始める。
すると、後ろの方でカチャッという音がした。
慌てて振り向くと同時に、突然ナイフが飛んできてオレの左腕を切った。
「だっ、誰だ?!」
オレは左腕を押さえながら前を見ると、何やら人影があった。
「やあ、また会えたね。」
たいまつの火によって、影が鮮明になっていく。
その正体はあろうことか、あのマーハウスだった。
「お前、どうしてここに?」
「お前らがここにくる、『とある女』から聞いてね。」
マーハウスは得意気に答えた。
「じゃあ、この瓦礫はお前らの仕業か?」
「いや、俺じゃねえ。おかげで巻き添えをくう所で危なかったつうの。まあ、目障りな奴が消えたから良しとするか。」
オレはマーハウスの最後の言葉が気に食わなかった。
「アーサーのことか? 仲間が危機かもしれないって時にそんな言い方・・・。」
「仲間? 冗談よしてくれよ、あんな落ちこぼれ。騎士学校でのあいつのレベルの低さといったら。」
「確かにあいつは落ちこぼれだったよ。でも、今のあいつとお前が戦えば間違いなくお前が負けるぞ。」
「はあ? 何言っちゃってんの? そんなわけないだろう。どっちにしろ、あいつは瓦礫の下でもうとっくに死んでるっての。落ちこぼれにはお似合いの最後だ。ぎゃはははは・・・。」
マーハウスの言動に、我慢できなくなったオレは槍を構えようとした時だった。
突然、手が痺れ始める。
(な、何だ??)
「その様子、そろそろ効いてきたな。」
オレの反応を面白がるようにマーハウスはあやしい笑みを浮かべる。
「おまえ・・・なに・・・を?」
「さっきのナイフに毒を塗っておいたのさ。毒性は低くて殺傷力はないが、麻痺と昏睡の効果がある。お前のように生意気な奴には打ってつけのものさ。」
どんどん意識と耳が遠くなっていく。
そして、立っているのもままならず、オレは膝をついてしまった。
槍を杖代わりに立とうとするが、マーハウスに蹴り飛ばされる。
「諦めろ。ここへは誰も助けにこないぞ。ここにいた魔物も『あの人』が全滅させたし、俺達は安心してお前と『お楽しみ』できるってわけだ。」
オレの意識は最早風前の灯。
何も言い返せぬまま、闇の中へと堕ちていった。
―――――――――――――
(アーサー視点)
「ううっ・・・。」
ピチョンと水滴が顔に落ちたことで、僕は目を覚ました。
「マーリン? マーリン、どこ?」
僕はマーリンの気配がないことに気づいて辺りを見渡した。だけど、たいまつを無くしたせいで真っ暗だったため、辺りの状況が全くわからない。
「どうしよう、困ったな・・・。」
僕は何か灯りをつける方法はないかと考えていた時だった。ふと大精霊ノーム様がくれた防具のことを思い出した。
「そういえば、たしかゴスウィットってここをいじると・・・。」
僕は聖兜ゴスウィットの額にある宝石をカチャカチャといじっていると、ピカッとその宝石が光ったのだ。
すると、その光の先に瓦礫の山が壁のように道を遮っていた。
「これってさっき天井が崩れた時に・・・。もしかしてマーリンはっ!!」
僕は瓦礫の壁を叩いてマーリンを呼び掛けた。
だけど、返事がない。
彼女が瓦礫の下敷きになっているとは考えられない。
おそらく壁の向こうにいるはず。
「この壁、どうしよう・・・。」
瓦礫は隙間なく、積み重なっている。力ずくでどかすのは僕だけでは無理だ。
「こうなったらエクスカリバーで・・・、ダメだ、マーリンを巻きこむかもしれないし、洞窟がさらに崩れる危険も。」
僕は瓦礫をどかす方法を考えたけど、どれも安全に成功するとは思えなかった。
振り向くと反対側の道はまだ奥まで続いていた。
「奥まで行ってみようかな? もしかしたら別の洞窟につながっていてマーリンと合流できるかも・・・。」
このまま瓦礫の前を立っていても、時間が過ぎるだけ。
マーリンの安否も気になるし、一刻もはやく合流するのが先決だと考えた僕は装備を手に奥へと歩いて行った。
数分くらい歩いた頃。
洞窟の先で一筋の光が見えてきた。
その光に向かって歩いて行くと、広い場所に出た。
天上の穴が開いて、そこから光が入り込んでいたみたいだ。
よく見ると、向こうにもう一つの洞窟があった。
あそこから行けばマーリンと合流できるかもしれないと足を動かした時、後ろに人の気配を感じた。
「誰だ?!」
僕は振り向き、剣を構える。
しかし、そこにいたのは銀髪の美女だった。
「気配を消した私に気づくなんて、坊やはただ者じゃないわね。」
「あなたは?」
「あたしはラン。坊やは・・・、アーサーでよかったわよね?」
「どうして僕のことを・・・、ラン? もしかしてマーリンが宿屋で会ったっていう?」
「あらご存知なら光栄だわ。改めまして、よろしく勇者様。」
「こちらこそ。ところでどうしてあなたがここに?」
「この洞窟に『人魚の鎧』があるって聞いてね。それさえあれば水の中でも窒息しないらしいじゃない。」
「そうですか、あなたも。」
「ところで、マーリンはどうしたの?」
「実はさっきの分かれ道で逸れてしまって・・・。」
「それだったら、向こうの洞窟は反対側の道に繋がっているわ。そこから行けば合流できるはずよ。」
「ありがとうございます。」
僕は洞窟に向かおうとしたけど、彼女の言動に違和感があることに気がついた。
「ランさん。さっき僕のことを『勇者様』って。」
「えっ? だって坊やは大聖剣エクスカリバーに選ばれた勇者様でしょ。」
「どうして知っているんですか?」
「マーリンから聞いたのよ。鎮守の森では大活躍だったみたいじゃない。」
彼女のその言葉で僕の中の違和感は疑惑へと変わった。
僕はすかさず彼女に剣を向ける。
「ちょっ?! 一体どうしたのよ?」
「あなたはさっき『マーリンから聞いた』って言いましたね?」
「ええ、そうよ。宿屋のお風呂でね。」
「だったらそれは嘘だ。マーリンは大聖剣のことも、鎮守の森のことも、誰にも話さない。」
僕には確信があった。
それは旅を始めてすぐのことだ。
マーリンは僕と一つの約束を交わした。
それは、『僕が大聖剣の勇者であることは秘密にしておくこと。』。
どこに魔女の手先が潜んでいるかわからないため、狙われないように正体を隠そうという考えからきたものだ。
あの人は約束を決して破らない。
だから、マーリンから聞いたなんて嘘であると断言できる。
「もう一度聞きます。あなたはどうして僕のことを知ってるんですか?」
僕はもう一度彼女を問いただした。
「ふふっ、あはははは。何だ、勇者なのは名前だけじゃないみたいね。」
ランは細身の剣を抜き、僕に切り掛かる。
僕は咄嗟に自分の剣でガキンとはじき返し、後ろに下がって距離を取った。
「坊やに恨みはないけど、これが『あたし達』の仕事なのよね。」
ランは剣を振りかざした。すると、剣が伸びて蛇のようにしなりながら僕に向かってきた。
「うわっ?!」
ギリギリ避けることができた。
立っていた場所を見てみると、地面に細長い切れ目が刻まれている。
そして、攻撃が終わるとランの剣が元に戻っていた。
蛇のようにしなる伸縮自在の剣、そんなものは王国でも聞いたことがない。
何より剣から発するどす黒いオーラは尋常じゃない雰囲気を醸し出している。
「どうかしら、魔剣サーペントの威力は?」
「その剣、一体どこで手に入れたんだ? その禍々しさ、人が作れるものじゃないだろう?」
「さすがは大聖剣の勇者。坊やには見えてるのね、この子の本当の姿が。」
オーラはさらに吹き出し、さながら蛇のようにうねりをあげる。
それと同時に、背中に携えていたエクスカリバーが震え始める。
「その剣、まさか悪魔が封じ込められている?」
「正解。元は普通の剣だったけど、悪魔を封じ込めることで魔剣に生まれ変わったの。」
そう言いながらランは剣を振り回す。
すると、彼女の周囲が鋭く切り刻まれていく。
その光景はまるで巨大な蛇が縦横無尽に這いずり回っているようだった。
「さて、おしゃべりはここまで。さあ坊や、大人しく死んで。」
「そうはいかない。」
ランの攻撃がさっきよりも激しくなって襲いかかってきた。
僕は聖盾プリトウェンを構え、防御に入った。
凄まじい衝撃と共に、金属音と振動が盾から伝わってくる。
「その盾、随分と頑丈ね。でも坊や自身がこれに耐えられるかしら。」
「くっ・・・。」
彼女の言う通りだ。
盾を支える僕の手が痺れ始めてきた。
このままでは盾がはじき返され、僕はあの斬撃の嵐に切り刻まれてしまう。
一か八か、自分の前に壁を作るイメージをしながら僕は盾に魔力を集中させた。
そして。
「鉄鋼壁(アイアンウォール)」
そう叫びながら、盾を強く押し出し目前に魔力の壁を生み出した。
ランの斬撃はその壁に遮られていく。
「魔力の壁を作るとはやるわね、でも横ががら空きよ。」
ランの斬撃は横に逸れ、僕に再び襲いかかる。
僕は急いで次の手をうつ。
今度は自分を覆い隠すイメージ、そう亀の甲羅みたいな。
「玄武壁(アイアンドーム)」
ランの斬撃を再び防ぐことに成功した。
しかしその直後、斬撃が止まってしまった。
「そこよ。」
「えっ?」
気がつくと、ランはいつの間にか剣を地面に突き刺していた。
その時だった、僕の足元に刃が飛び出してきた。
「ぐあ?!」
防御が間に合わず、僕は右腕を負傷してしまう。
「地面からの攻撃は予想外だったみたいね。」
「くそっ・・・。」
このままではまずい。
あの蛇のような魔剣は厄介だ。
距離を取っていてはこっちが不利になる。
ここは距離をつめて接近戦を仕掛けるしかない。
しかし、彼女はそれを見透かしていたのか、自分の周囲に魔剣の刃を振り回し、さながら『玄武壁』と同じ技を繰り出している。
「坊やの攻撃も防御も全部、私には無意味。さあ、どうする?」
本当にどうしよう。
右腕が負傷していてエクスカリバーはうまく使えないし、遠距離攻撃を繰り出してもあの魔剣に防がれちゃうのが目に見えている。
かといって防御し続けても、あの不意打ちを食らってしまう。
(まずいよ、あの魔剣を防ぐ手段が思い浮かばない。)
僕が持っている装備はエクスカリバーの他に、騎士団で支給された剣、そして大精霊ノーム様から貰った聖盾プリトウェンと聖兜ゴスウィットだけ。
「何もしないなら、こっちから行くわよ。」
「っ?!」
痺れをきらしたのか、ランは再び攻撃を始める。
横に飛んで最初の一撃をかわしたと思うと、刃がこちらに向かって戻ってきた。
「うわっ!!」
これもかろうじてかわした。と思ったらまたこっちに向かってくる。
「どうして、こう何度も僕に向かって・・・。」
「私の魔剣はただ伸びるだけじゃない、こうして相手に攻撃が当たるまで追い続けることだってできるの。坊や一人ならこっちの攻撃の方が手っ取り早いわ。」
僕は何度も向かってくる刃をかわしている内に、自分の周りがその刃に包囲されていたことに気づいた。
「しまった!!」
「もう逃げ場はないわよ、坊や。」
ランは剣を強く引くと、僕の周囲の刃が距離を縮めて向かってきた。
もう横に跳ぼうが、後ろに跳ぼうが逃げられない。
(まずい、どうすれば・・・。よし、こうなったら。)
僕は大きく上に飛び上がり、迫りくる刃の輪を避けた。
「その手も予測済みよ。空中では避けられないわよね?」
ランの言葉で刃の先が僕に向かってくる。
足場のない空中では確かに動けない。
だけど、こうなることは僕も予測していた。
僕はプリトウェンを構えて刃の攻撃を防いだ。そして、プリトウェンに足を乗せて、そのまま魔剣の刃に乗り掛かった。
そして、刃の上を滑るようにしてランの元へと向かう。
「何?!」
「うおおおおっ。」
よっぽど呆気にとられたのか、彼女は混乱して動けないようだ。
攻撃するなら今しかない。
僕は彼女の目前まで辿り着き、渾身の一撃を込めて剣を振り下ろした。
ガキィィィン。
その一撃はあと少しの所で止められてしまった次の瞬間、僕は目を疑った。
僕の剣を受け止めた彼女の魔剣が姿を変えた。
正確に言うと、細身のレイピアから幅広い刀身の大剣にだ。
そして、そのまますごい力で押し投げられた。
「うわああ??」
投げ飛ばされた僕はズザーッと地面を転がりながらも、ブレーキ代わりに剣を突きたて、体勢を立て直す。
「いったい・・・、何が?」
何が起きたのか、僕は慌ててランがいる方向に視線を向ける。
しかし、変形した魔剣が彼女の姿を隠していた。
すると、魔剣の後ろから声が聞こえた。
「やるじゃねえの、勇者様よぉ。」
それは、低くて女性のものとは思えない声だった。
「え?? 誰だ?!」
「全くランの奴、やばい時に変わりやがって。」
誰かが魔剣を振り上げ、後ろの地面に突き刺す。
そこに現れた人影は明らかに男の体格をしていた。
しかも、その人影には見覚えがあった。
「お、お前はベイリン?!」
そこにいたのは、かつて『円卓の騎士(ラウンズナイト)』に選ばれるほどの実力を持っていながら戦いを好み、仲間や民間人を巻き添えにすることも厭わない残虐さから騎士団を追放された男、ベイリンだった。
次回に続く・・・。
前回までのあらすじ
魔女の呪いで女体化した騎士・マリクことマーリンと、大聖剣に選ばれた勇者・アーサーは封印された大精霊を解放するために旅立つ。
そして、北の大地にいる地の大精霊・ノームを解放し新たな力を得た二人は水の大精霊・ウンディーネの神殿に赴くため、西の地を治める漁夫王・ペラムの領地へ向かうことにしたのだった。
ペラム領は西の地の気候はとても暑いものの、王国の農作物の七割を一手に引き受けるほどの肥沃な国土に恵まれており、広大な海に面しているためリゾート地としても注目されている・・・はずだったのだが。
「「寒っ?!」」
オレとアーサーは声を震わせながら言った。
それもそのはず、西の地に辿り着いたはいいが、暑いどころか雪がちらつくほど寒かったのだ。
その雪のおかげで辺り一面が真っ白に化粧され、見事な雪景色を眺めることができる。
しかし、今はそれどころではない。暑いところへ行くと思い、防寒具を一切用意していなかったのだ。
「いっ、いくらなんでもおかしいぞ。どうして西の地がこんなに寒くなってるんだ?!」
「もしかして、これも大精霊の封印と何か関係があるのかな?」
「そうかもっ…ヘックショイッ?! とにかく次の街まで急ぐぞ。」
震える身体に鞭打つように歩みを進めて数分後。
目的地にたどり着いたオレ達はすぐに宿を取ることができた。
運のいいことにその宿には温泉があり、オレは凍えきった身体を癒すために一目散に飛び込んだのだった。
「ふうっ、生き返るなぁ。極楽極楽!!」
久しぶりのゆったりしたお風呂にオレは非常に満足した。
「はあ、こんなにゆっくり足を伸ばして入れるなんて、なんて幸せなんだろう!」
「ふふっ、長旅御苦労様です。」
「?!」
唐突にかけられた声に驚いたオレはふと顔を上げると、湯気の向こうに何かが見えた。
何と、湯気の向こうには女性がいるではないか。
「うわ!す、すいません。女性が入っているなんて知らなかったもので・・・???」
「当然じゃない。今の時間は女性しか入れないのよ。」
「女性、しか?」
そういえば、慌てて駆け込んだから気づかなかったけど、浴場への入り口は一つだけだった。
女湯と男湯に分かれている様子がないのは時間で入れる性別が決められていたからだったのか。
「あのう、オレもう出ますから心配しないでくださいね。オレは痴漢じゃないし、あなたの裸を見てませんから・・・。」
「痴漢も何も女同士なんだから別にいいんじゃないの?」
「あっ、ああそうです、よね。大丈夫ですよね。」
彼女に指摘され、オレは湯船から出るのを止めた。
目の前の女性はオレに気にすることなく、足を伸ばしている。
長い銀髪に切れ目の青い瞳、均整のとれたプロポーション、おまけに美人の彼女がオレの目の前でその裸体をさらけ出してるのだ。
これ以上のお色気イベントに遭遇することがあるだろうか。
しかし、これでもオレは王国の騎士。
女に姿を変えられたとはいえ、男であるオレが女性のみに許された場所に進入するなど許されるはずがない。
こうして、俺の中で興奮と後ろめたさがどんどん膨らんできた。
「あの、やっぱりもう出ます。」
オレはそそくさと湯船から出て浴室を出ようとした時だった。
「ちょっと待って。何か変ね、あなた。」
彼女の疑惑の視線にオレはドキッとしてしまう。
元が男だとばれたか、と焦った時だった。
彼女はオレの両胸を後ろから掴んできた。
「ひゃあっ?! な、何ですか??」
彼女の手の動きによって、オレの胸はぐにゅぐにゅと形を変えていく。
「うーん、この触り心地に温かさ、伝わってくる心臓の鼓動。本物の胸ね。それじゃ・・・。」
彼女の右手が胸から離れ、股間の方に手を伸ばした。
濡れた音がした瞬間、オレの背筋に電気が走った。
「ひうっ?! いやぁ、そこ・・・。」
彼女はオレの反応もお構いなしに弄ってくる。
その度に音が浴室に鳴り響く。
「ふむふむ、こっちも本物ね。」
数分後、彼女は納得してオレを解放した。
力が入らないオレは床に膝をつけて四つん這いになった。
「な、何を?」
「いやね、もしかしたら変化の術とか使ってるのかなと思ったんだけど。私の勘違いだったみたい、ごめんなさいね。」
「いえいえ、そんな。」
「まだ時間はあるんだし、もうちょっとゆっくりしていきなさいよ。」
「はっ、はい。」
結局、彼女に止められてオレはもうしばらく温泉に浸かることになってしまったのだった。
―――――――――
一方、アーサーはどうしているかというと。
「あのぉ、男の入浴時間はまだですか?」
「あと数十分の辛抱だ。ほら茶を入れてやったから元気だしな。」
店主に止められ、毛布にくるまりながら震えていたのだった。
――――――――――――――――
「ところで、あなたも『聖杯』を探すためにここまで来たの?」
「えっ、聖杯って??」
「あら違うの? 随分前に水の神殿に異変が起こったらしいのよ、そのせいでここら辺の気候がめちゃくちゃになるはでもう大騒ぎ。領主ペラムはその原因を解明しようと水の神殿に向かったのだけれど、その途中で海に潜む何者かの槍に貫かれて重傷を負ってしまったらしいわ。」
「あの『漁夫王』の異名をとるペラム様が?!」
領主ペラムとは、「アヴァロン」の国王・ユーサーと同等の権力を持つ三人の貴族の一人で、海をこよなく愛し、海から這い寄る魔物を返り討ちにする技量を持つことから「漁夫王」という異名がついたのだ。
その人が重傷を負ったと聞いた時にはさすがに驚いた。
「しかも、その槍には呪いが掛かっていたらしくて、医者がどんなに手をつくしても傷を癒すことができなかった。そこで治療することができるのは水の神殿にある宝物『聖杯』が必要だということでそれを取ってきた者には多額の賞金を与えるって話になってるのよ。だから腕に覚えのある強者がこぞって集まって来てるわけ。私もその一人よ。」
「そうだったんですか。それじゃあなたはもう水の神殿に??」
「それがねぇ。その肝心の水の神殿だけど、ペラムが近付いて以来、氷に覆われてしまったのよ。だから外からじゃ近づけなくなっちゃって。」
「えっ?? じゃあどうするんですか??」
「それがわからなくて困ってるのよ。話では神殿の内側に続く洞窟があるらしいけど、随分と昔から海水に満たされてるせいでたどりつく前に窒息しちゃうみたいだし。」
神殿には近づけない、これにはオレも困ってしまった。
神殿に入れないのなら水の大精霊・ウンディーネを解放することができない。
一体どうすればいいのか、と悩んでいた時だった。
どこからか鈴の音色が響いた。
どうやら、男女交代の時間が迫った合図らしい。
「あら、そろそろ時間みたいね。もう出ましょう。」
「あっ、はい。」
やっと湯船から出られたオレは、置かれていたタオルで身体を拭き、服を着始める。
彼女もハイレグタイプの黒いアーマーを身に着けていた。
「そう言えば、まだ名乗ってなかったわよね。あたしはラン、さすらいの女剣士ってとこかな。」
「オレはマーリンと言います。どうぞよろしく。」
「マーリンか、それにしてもマーリン、あなたいい身体してるわね。」
「えっ?? ああ、ありがとうございます。」
彼女はそう言うと、オレを後ろから抱き締めた。
「??」
「ねえ、あなた一人? だったら私の部屋で一夜を過ごさない?」
「えっ、ちょぉ?!」
彼女は唇を舐めながら、オレの耳元で囁いた。
距離を取ろうにも、彼女の手がオレの身体を絡め取り、身動きできない。
「『オレ』なんて言葉を使って男らしく振舞ってるつもりかしら。ふふ、可愛い。」
「いや、それは・・・。」
中身は本物の男なんですけど、と言いたいところだが言えない。
すると、リンはさらに近付いてくる。
「知ってる? 女同士でも結構いいのよ。」
「いやぁ、ちょっと待って。」
彼女の身体が密着し、服越しでありながらもその柔らかさが伝わってくる。
しかも、女性特有の甘い。癖になるかも。
こうして、今まさに百合の世界が展開しそうな時だった。
ドンドンドン。
誰かがドアを叩いた。
そして、ドアの向こうから男の声が聞こえてきた。
「お客さん、まだ着替え中なら急いでくれるかい? 坊主が凍えかけてるんだ。」
「んもう、いいとこだったのに。」
「坊主? やば、アーサーのこと忘れてた!!」
オレはランを振り払い、着替え場を出てアーサーの所に駆け寄ったのだった。
「何だ、連れがいたんだ。しかも男。ふふ、また会いましょう、マーリン。」
ランはそれだけ言って宿屋を後にしたのだった。
――――――――――――――
数時間後。
凍えていたアーサーを風呂にブチ込み、無事に回復させたオレは部屋でランから聞いたことを話した。
「水の神殿がそんなことになってなんて・・・。」
「ああ、完全に足止めだよ。これじゃ動こうにも動けない。」
「でも神殿に続く洞窟があるんでしょ。そこからなら・・・。」
「お前、長く息を止める自信はあるか? 地図で確認してみたけど、水の神殿までかなりの距離がある。洞窟を通るにしても途中で窒息してしまうよ。」
「うう、じゃあ一体どうすれば・・・。あっ!そう言えば僕も店主のおじさんから興味深い話を聞いたんだ。」
「何だよ。話って。」
「人魚の伝説だよ。」
「人魚??昔海に住んでいたっていうあの?」
「うん、この領地に伝わる昔話なんだけど・・・。」
『むかしむかし、あるところにこの地を治める領主の息子がおりました。
ある日、領主の息子は浜辺を歩いていると、何かが網に絡まって暴れているのが目に入りました。彼は何かと思い、網をほどいてみると中から人魚の娘が現れたのです。
彼は驚きました。なぜなら人魚は人間を食べると言い伝えられていたからです。
しかし、人魚の娘は元気がありません。
よく見ると彼女の身体には無数の傷がありました。
気の毒に思った領主の息子はあまり人が寄り付かない洞窟に彼女を匿いました。
警戒していた人魚の娘ですが、彼の良心に胸を打たれ次第に心を開いていきました。
領主の息子も話のイメージとは違う彼女の無邪気な笑顔に心癒されていきました。
やがて、二人は恋に落ち、共に暮らすことを夢見るようになりました。
人魚の娘は彼と共に暮らせる方法を考えました。
そこで自分の足のウロコを一枚一枚はがして練り上げ、一つの『鎧』を作ったのです。
これがあれば共に海の中で暮らすことができる。
人魚の娘はそう思い、彼が来るのを待ちました。
しかし、どういうわけか領主の息子は現れません。
実は領主の息子は別の女性との婚姻のために遠くの地にいっていたのです。
そうとも知らず、人魚の娘は今でも愛する人のことを待っているという・・・。』
「っていう話なんだけど。」
「よくある昔話じゃないか。」
真剣に聞いたのがバカらしく思い、オレはため息混じりに答えた。
すると、アーサーは慌てて続きを話し始める。
「ほっ本題はここから、実は何人かがその洞窟に入って傷だらけになって戻ってくるらしいんだ。そして、皆口をそろえて『人魚に襲われた』って言ってるんだよ」
「それ、本当なのか?」
「おじさんの友人も犠牲になってるって。」
「もし、昔話の人魚が実在してたなら・・・。」
「うん、たぶん『人魚の鎧』もあると思うんだ。それを使えば、洞窟をたどって水の神殿に行けるかも。」
昔話のストーリーに希望を見るのもどうかと思ったが、他に頼る当てもないのも事実。
今はわずかな可能性であろうと、それを試さない手はない。
オレ達は、人魚がいるという洞窟に向かうことにしたのだった。
―――――――――――――――
ひとまず、一通りの準備を済ませるために宿屋から出たオレ達は、何かの人だかりができていたのを見かけた。
「マーリン、何だろう?」
「あれは、アヴァロン王国騎士団の鎧?」
ちらりとだが、なつかしき祖国の鎧を身に纏った騎士たちが人だかりの中心にいたのが見えた。
すると、男の声が聞こえてきた。
「俺はマーハウス。円卓の騎士(ラウンズナイト)が一人、トリスタン様の命により、この地の異常を解決しに来た。」
『トリスタン』の名前を聞いた途端、人々がざわめきだした。
それも当然、彼は国王直属の選任騎士『円卓の騎士(ラウンズナイト)』にして、騎士団を束ねる隊長の一人なのだから。
「トリスタン様の右腕である、この俺様が来たからにはもう安心だ。こんな寒空を切り裂き、温かい地を取り戻して見せよう。」
マーハウスの威勢に押されるように、人々は歓声をあげた。
相当な実力と技量を持っているのだろうと呟く人もいるが、あえて言わせてもらおう。
あいつにそんな力はない、断じて。
あいつも騎士学校にいたから知っている。
マーハウスは名門貴族出身だけに高慢で自信過剰なナルシスト、しかも目的のためには手段を選ばない卑劣で騎士の風上にも置けない男だ。
トリスタンの右腕を自称しているのも彼の優しさに付け込んでいるからだ。
おそらく、あいつがここに来たのは、自分の出世のためであり、失敗した場合はトリスタンに庇ってもらう算段なのだろう。
「行こう、アーサー。時間の無駄だ。」
「う、うん。」
正直あいつのことが大嫌いだ。だから、いつまでもここにいるのが耐えられない。
それにアーサーもマーハウスにだけは会いたくないはずだ。
オレはアーサーの手を引っ張り、急いで立ち去ろうとした時だった。
「おやおや?? そこにいるのは、落ちこぼれのアーサー君じゃないか。」
後ろから不意に声をかけられる。
「マーハウス、さん・・・。」
アーサーは震えながら答えた。
オレがアーサーとマーハウスを会わせたくなかった理由、それは騎士学校時代にあいつがアーサーを執拗に虐めていたからだ。
騎士学校時代のマーハウスは多くの取り巻きを率いて力の弱い生徒を、特に落ちこぼれだったアーサーを虐めていたのだ。
「お前みたいな落ちこぼれがここで何してる? それどころかよく生きてたな、てっきりどこかでのたれ死んでると思ってたよ。ぎゃはははは。」
マーハウスの取り巻きたちも彼につられるように笑い出す。
相変わらずこの笑う声には耳にさわるよまったく。
「まあ、ちょうどいいや。人手不足だったんだ。荷物持ちに使ってやるから付き合えよ。」
マーハウスがそう言うと、取り巻き達がアーサーの捕まえ始めた。
オレは間に割って入り、アーサーを取り巻き達から引き離した。
「何だ、お前?」
「俺達はこいつの『友達』だよ。怪しいもんじゃないって。」
取り巻き達の威勢をものともせず、オレは軽くあしらう。
「悪いけど、こいつはオレの仲間なんだ。知人であろうと勝手に連れ出されては困るんだよ。」
「ちっ、おい女。俺達をなめてると痛い目を見るぞ。」
「待て。お前らは下がれ。」
マーハウスが取り巻き達を押しのけたと思うと、俺の手を取った。
「お美しい。」
「はっ??」
突拍子もないことを言われて状況が理解できなかった。
「あなたほどの美貌を持った女性を見たことがない。」
「いや、ちょっ・・・。」
マーハウスはそう言いながらさらに距離を縮めていく。
すると、握られた手からなんとも言えない気持ち悪さが伝わり、鳥肌が立ち始める。
何より気持ち悪かったのはマーハウスの欲望に濁った目だった。
まるで獣欲を満たすことにしか頭にないことがわかった。
「悪いけど、先を急いでいるから・・・。」
「どうです、これから一緒にお食事でも・・・。」
ダメだ。引き下がるどころか、さらに詰め寄ってくる。
その目もどす黒さをさらに増していた。
オレはこれまで感じた事のない危機感を覚え、そして。
「放せこの野郎おおおおお!!!」
「ぶへぇぇぇっ。」
激しい怒号とともに鋭いストレートパンチをマーハウスの顔面に放ち、彼を吹き飛ばしたのだった。
「ちょ、マーリン?!」
「行くぞ、アーサー。」
オレはアーサーの手を引っ張り、そそくさとこの場を後にした。
「大丈夫ですか??マーハウス様。」
「俺の顔に、傷を、親父にも殴られたこともないのに、許せん、覚えてろよ。」
憤怒に顔を歪めるその表情は、取り巻き達を圧巻させた。
オレはマーハウス達が追ってこないことを確認し、アーサーを連れて隠れるように酒場へと入り込んだ。
ちょうど空腹になった所だし、食事をしながらこれからのことを相談することにした。
「全く、面倒な奴に出くわしたよ。な、アーサー。」
「・・・。」
あいつに出くわしてから、アーサーは無言だった。
アーサーにとって、一番会いたくない人物と出くわしたのだから無理もないだろう。
だけど、嫌な間が開いてしまった。空気を変えようにも言葉が見つからない。
すると、さっきまで口を閉ざしていたアーサーが語りかけてきた。
「ねえ、マーリン・・・。」
「ど、どうした?」
「僕、強くなれたのかな?」
「何を言ってる、当たり前だろ。」
「でも、何もできなかった。昔と同じように、何も。」
アーサーの顔は初めて会った時のように沈んでいた。
それほど、アーサーはマーハウスに畏怖の念を抱いているのだろう。
過去に受けた傷は時間が経てば消える。
しかし、心の傷は魔法の力を持ってしてもそうそうに消えるものではない。
方法があるとすれば、それは自分自身で乗り越えるほかないんだ。
とはいえ、誰もがそれほど強い心を持ち合わせているわけじゃない。
だからこそ、誰かが手を差し伸べなければいけない。
「アーサー、鎮守の森での戦いを思い出せ。オレは剣を失ってくじけそうになったのに、お前は最後まであきらめなかっただろ。しかも、あの巨大な魔物を相手して勝ったんだ。強くなってるのは当たり前じゃないか。」
「だけど、それは大聖剣があったから・・・。」
「そうだ。何より今のお前は大聖剣に選ばれた勇者だろ。昔のお前とは明らかに違うんだよ。」
オレはアーサーの手を握り、必死に励ました。
アーサーが強くなっていることを証明できるのは、ずっと一緒に旅をしてきた俺だけだからだ。
「自信を持てよ。お前は強くなっている、あの頃よりもずっと。それでも弱いって言い張るなら、オレが一から鍛えなおしてやる。」
「・・・ぐすっ、はい。ありがとう、ありがとうございます。」
アーサーは涙と鼻水を混じらせながら何度も答えた。
その顔にはいつもの明るい笑顔が戻っていた。
どうやらまだまだ鍛えなおす必要がありそうだ。
思わぬ再会で遠回りになってしまったが、酒場を後にしたオレ達は準備を整え、例の洞窟の前に立った。
そこには『危険、入るべからず。』という真新しい標識が打ちつけられていた。
「ここがそうなんだな、アーサー。」
「うん。」
洞窟の奥は真っ暗だ。
まるで入るもの全てを飲み込むくらいに。
間違いなく中には魔物が潜んでいるだろう。
オレ達は覚悟を決めてたいまつを手に中に入るのだった。
―――――――――――――
洞窟に入って数十分が経過。
オレ達はたいまつの明かりを頼りに暗闇の中を歩き続けていた。
「やけに静かだな。」
「うん、魔物もいないみたい。」
「アーサーが聞いた話では、『人魚』に襲われた犠牲者は何人もいるんだろ?」
「それは間違いないはずなんだけど・・・。」
洞窟の中は不気味なくらい静かだった。しかし、よく見ると所々に争ったような形跡があった。
どうやらオレ達以外に手練れの先客がいるらしい。
「もしかして、騎士団がもう入って来てるのかな?」
「かもな。ついさっき遭遇したばかりだし。」
オレは憎たらしいマーハウスの顔を思い浮かべながら、棘があるように言った。
すると、前方に壁が見えてきた。行き止まりかと思ったが、左右に道が続いている。
どうやら分かれ道にさしかかったようだ。
「さて、どっちを行くか。」
「とりあえず右に行ってみる?」
アーサーはそう言って右の道を選んで進もうとした。
その時だった。
突然天井が崩れ始める。
「うわあああ!!」
「アーサー?! うおっ!!」
瓦礫の山に遮られ、オレとアーサーは引き離されてしまった。
「アーサー、大丈夫か?」
オレは大声でアーサーに呼び掛けるが、反応はない。
あいつのことだか潰されてはいないだろうけど、この瓦礫の山では向こう側にいくことができない。
「聖杖ドルイドを使ってみるか、いやアーサーを巻き込む危険があるし・・・。」
オレはアーサーと合流するための方法をいろいろ考え始める。
すると、後ろの方でカチャッという音がした。
慌てて振り向くと同時に、突然ナイフが飛んできてオレの左腕を切った。
「だっ、誰だ?!」
オレは左腕を押さえながら前を見ると、何やら人影があった。
「やあ、また会えたね。」
たいまつの火によって、影が鮮明になっていく。
その正体はあろうことか、あのマーハウスだった。
「お前、どうしてここに?」
「お前らがここにくる、『とある女』から聞いてね。」
マーハウスは得意気に答えた。
「じゃあ、この瓦礫はお前らの仕業か?」
「いや、俺じゃねえ。おかげで巻き添えをくう所で危なかったつうの。まあ、目障りな奴が消えたから良しとするか。」
オレはマーハウスの最後の言葉が気に食わなかった。
「アーサーのことか? 仲間が危機かもしれないって時にそんな言い方・・・。」
「仲間? 冗談よしてくれよ、あんな落ちこぼれ。騎士学校でのあいつのレベルの低さといったら。」
「確かにあいつは落ちこぼれだったよ。でも、今のあいつとお前が戦えば間違いなくお前が負けるぞ。」
「はあ? 何言っちゃってんの? そんなわけないだろう。どっちにしろ、あいつは瓦礫の下でもうとっくに死んでるっての。落ちこぼれにはお似合いの最後だ。ぎゃはははは・・・。」
マーハウスの言動に、我慢できなくなったオレは槍を構えようとした時だった。
突然、手が痺れ始める。
(な、何だ??)
「その様子、そろそろ効いてきたな。」
オレの反応を面白がるようにマーハウスはあやしい笑みを浮かべる。
「おまえ・・・なに・・・を?」
「さっきのナイフに毒を塗っておいたのさ。毒性は低くて殺傷力はないが、麻痺と昏睡の効果がある。お前のように生意気な奴には打ってつけのものさ。」
どんどん意識と耳が遠くなっていく。
そして、立っているのもままならず、オレは膝をついてしまった。
槍を杖代わりに立とうとするが、マーハウスに蹴り飛ばされる。
「諦めろ。ここへは誰も助けにこないぞ。ここにいた魔物も『あの人』が全滅させたし、俺達は安心してお前と『お楽しみ』できるってわけだ。」
オレの意識は最早風前の灯。
何も言い返せぬまま、闇の中へと堕ちていった。
―――――――――――――
(アーサー視点)
「ううっ・・・。」
ピチョンと水滴が顔に落ちたことで、僕は目を覚ました。
「マーリン? マーリン、どこ?」
僕はマーリンの気配がないことに気づいて辺りを見渡した。だけど、たいまつを無くしたせいで真っ暗だったため、辺りの状況が全くわからない。
「どうしよう、困ったな・・・。」
僕は何か灯りをつける方法はないかと考えていた時だった。ふと大精霊ノーム様がくれた防具のことを思い出した。
「そういえば、たしかゴスウィットってここをいじると・・・。」
僕は聖兜ゴスウィットの額にある宝石をカチャカチャといじっていると、ピカッとその宝石が光ったのだ。
すると、その光の先に瓦礫の山が壁のように道を遮っていた。
「これってさっき天井が崩れた時に・・・。もしかしてマーリンはっ!!」
僕は瓦礫の壁を叩いてマーリンを呼び掛けた。
だけど、返事がない。
彼女が瓦礫の下敷きになっているとは考えられない。
おそらく壁の向こうにいるはず。
「この壁、どうしよう・・・。」
瓦礫は隙間なく、積み重なっている。力ずくでどかすのは僕だけでは無理だ。
「こうなったらエクスカリバーで・・・、ダメだ、マーリンを巻きこむかもしれないし、洞窟がさらに崩れる危険も。」
僕は瓦礫をどかす方法を考えたけど、どれも安全に成功するとは思えなかった。
振り向くと反対側の道はまだ奥まで続いていた。
「奥まで行ってみようかな? もしかしたら別の洞窟につながっていてマーリンと合流できるかも・・・。」
このまま瓦礫の前を立っていても、時間が過ぎるだけ。
マーリンの安否も気になるし、一刻もはやく合流するのが先決だと考えた僕は装備を手に奥へと歩いて行った。
数分くらい歩いた頃。
洞窟の先で一筋の光が見えてきた。
その光に向かって歩いて行くと、広い場所に出た。
天上の穴が開いて、そこから光が入り込んでいたみたいだ。
よく見ると、向こうにもう一つの洞窟があった。
あそこから行けばマーリンと合流できるかもしれないと足を動かした時、後ろに人の気配を感じた。
「誰だ?!」
僕は振り向き、剣を構える。
しかし、そこにいたのは銀髪の美女だった。
「気配を消した私に気づくなんて、坊やはただ者じゃないわね。」
「あなたは?」
「あたしはラン。坊やは・・・、アーサーでよかったわよね?」
「どうして僕のことを・・・、ラン? もしかしてマーリンが宿屋で会ったっていう?」
「あらご存知なら光栄だわ。改めまして、よろしく勇者様。」
「こちらこそ。ところでどうしてあなたがここに?」
「この洞窟に『人魚の鎧』があるって聞いてね。それさえあれば水の中でも窒息しないらしいじゃない。」
「そうですか、あなたも。」
「ところで、マーリンはどうしたの?」
「実はさっきの分かれ道で逸れてしまって・・・。」
「それだったら、向こうの洞窟は反対側の道に繋がっているわ。そこから行けば合流できるはずよ。」
「ありがとうございます。」
僕は洞窟に向かおうとしたけど、彼女の言動に違和感があることに気がついた。
「ランさん。さっき僕のことを『勇者様』って。」
「えっ? だって坊やは大聖剣エクスカリバーに選ばれた勇者様でしょ。」
「どうして知っているんですか?」
「マーリンから聞いたのよ。鎮守の森では大活躍だったみたいじゃない。」
彼女のその言葉で僕の中の違和感は疑惑へと変わった。
僕はすかさず彼女に剣を向ける。
「ちょっ?! 一体どうしたのよ?」
「あなたはさっき『マーリンから聞いた』って言いましたね?」
「ええ、そうよ。宿屋のお風呂でね。」
「だったらそれは嘘だ。マーリンは大聖剣のことも、鎮守の森のことも、誰にも話さない。」
僕には確信があった。
それは旅を始めてすぐのことだ。
マーリンは僕と一つの約束を交わした。
それは、『僕が大聖剣の勇者であることは秘密にしておくこと。』。
どこに魔女の手先が潜んでいるかわからないため、狙われないように正体を隠そうという考えからきたものだ。
あの人は約束を決して破らない。
だから、マーリンから聞いたなんて嘘であると断言できる。
「もう一度聞きます。あなたはどうして僕のことを知ってるんですか?」
僕はもう一度彼女を問いただした。
「ふふっ、あはははは。何だ、勇者なのは名前だけじゃないみたいね。」
ランは細身の剣を抜き、僕に切り掛かる。
僕は咄嗟に自分の剣でガキンとはじき返し、後ろに下がって距離を取った。
「坊やに恨みはないけど、これが『あたし達』の仕事なのよね。」
ランは剣を振りかざした。すると、剣が伸びて蛇のようにしなりながら僕に向かってきた。
「うわっ?!」
ギリギリ避けることができた。
立っていた場所を見てみると、地面に細長い切れ目が刻まれている。
そして、攻撃が終わるとランの剣が元に戻っていた。
蛇のようにしなる伸縮自在の剣、そんなものは王国でも聞いたことがない。
何より剣から発するどす黒いオーラは尋常じゃない雰囲気を醸し出している。
「どうかしら、魔剣サーペントの威力は?」
「その剣、一体どこで手に入れたんだ? その禍々しさ、人が作れるものじゃないだろう?」
「さすがは大聖剣の勇者。坊やには見えてるのね、この子の本当の姿が。」
オーラはさらに吹き出し、さながら蛇のようにうねりをあげる。
それと同時に、背中に携えていたエクスカリバーが震え始める。
「その剣、まさか悪魔が封じ込められている?」
「正解。元は普通の剣だったけど、悪魔を封じ込めることで魔剣に生まれ変わったの。」
そう言いながらランは剣を振り回す。
すると、彼女の周囲が鋭く切り刻まれていく。
その光景はまるで巨大な蛇が縦横無尽に這いずり回っているようだった。
「さて、おしゃべりはここまで。さあ坊や、大人しく死んで。」
「そうはいかない。」
ランの攻撃がさっきよりも激しくなって襲いかかってきた。
僕は聖盾プリトウェンを構え、防御に入った。
凄まじい衝撃と共に、金属音と振動が盾から伝わってくる。
「その盾、随分と頑丈ね。でも坊や自身がこれに耐えられるかしら。」
「くっ・・・。」
彼女の言う通りだ。
盾を支える僕の手が痺れ始めてきた。
このままでは盾がはじき返され、僕はあの斬撃の嵐に切り刻まれてしまう。
一か八か、自分の前に壁を作るイメージをしながら僕は盾に魔力を集中させた。
そして。
「鉄鋼壁(アイアンウォール)」
そう叫びながら、盾を強く押し出し目前に魔力の壁を生み出した。
ランの斬撃はその壁に遮られていく。
「魔力の壁を作るとはやるわね、でも横ががら空きよ。」
ランの斬撃は横に逸れ、僕に再び襲いかかる。
僕は急いで次の手をうつ。
今度は自分を覆い隠すイメージ、そう亀の甲羅みたいな。
「玄武壁(アイアンドーム)」
ランの斬撃を再び防ぐことに成功した。
しかしその直後、斬撃が止まってしまった。
「そこよ。」
「えっ?」
気がつくと、ランはいつの間にか剣を地面に突き刺していた。
その時だった、僕の足元に刃が飛び出してきた。
「ぐあ?!」
防御が間に合わず、僕は右腕を負傷してしまう。
「地面からの攻撃は予想外だったみたいね。」
「くそっ・・・。」
このままではまずい。
あの蛇のような魔剣は厄介だ。
距離を取っていてはこっちが不利になる。
ここは距離をつめて接近戦を仕掛けるしかない。
しかし、彼女はそれを見透かしていたのか、自分の周囲に魔剣の刃を振り回し、さながら『玄武壁』と同じ技を繰り出している。
「坊やの攻撃も防御も全部、私には無意味。さあ、どうする?」
本当にどうしよう。
右腕が負傷していてエクスカリバーはうまく使えないし、遠距離攻撃を繰り出してもあの魔剣に防がれちゃうのが目に見えている。
かといって防御し続けても、あの不意打ちを食らってしまう。
(まずいよ、あの魔剣を防ぐ手段が思い浮かばない。)
僕が持っている装備はエクスカリバーの他に、騎士団で支給された剣、そして大精霊ノーム様から貰った聖盾プリトウェンと聖兜ゴスウィットだけ。
「何もしないなら、こっちから行くわよ。」
「っ?!」
痺れをきらしたのか、ランは再び攻撃を始める。
横に飛んで最初の一撃をかわしたと思うと、刃がこちらに向かって戻ってきた。
「うわっ!!」
これもかろうじてかわした。と思ったらまたこっちに向かってくる。
「どうして、こう何度も僕に向かって・・・。」
「私の魔剣はただ伸びるだけじゃない、こうして相手に攻撃が当たるまで追い続けることだってできるの。坊や一人ならこっちの攻撃の方が手っ取り早いわ。」
僕は何度も向かってくる刃をかわしている内に、自分の周りがその刃に包囲されていたことに気づいた。
「しまった!!」
「もう逃げ場はないわよ、坊や。」
ランは剣を強く引くと、僕の周囲の刃が距離を縮めて向かってきた。
もう横に跳ぼうが、後ろに跳ぼうが逃げられない。
(まずい、どうすれば・・・。よし、こうなったら。)
僕は大きく上に飛び上がり、迫りくる刃の輪を避けた。
「その手も予測済みよ。空中では避けられないわよね?」
ランの言葉で刃の先が僕に向かってくる。
足場のない空中では確かに動けない。
だけど、こうなることは僕も予測していた。
僕はプリトウェンを構えて刃の攻撃を防いだ。そして、プリトウェンに足を乗せて、そのまま魔剣の刃に乗り掛かった。
そして、刃の上を滑るようにしてランの元へと向かう。
「何?!」
「うおおおおっ。」
よっぽど呆気にとられたのか、彼女は混乱して動けないようだ。
攻撃するなら今しかない。
僕は彼女の目前まで辿り着き、渾身の一撃を込めて剣を振り下ろした。
ガキィィィン。
その一撃はあと少しの所で止められてしまった次の瞬間、僕は目を疑った。
僕の剣を受け止めた彼女の魔剣が姿を変えた。
正確に言うと、細身のレイピアから幅広い刀身の大剣にだ。
そして、そのまますごい力で押し投げられた。
「うわああ??」
投げ飛ばされた僕はズザーッと地面を転がりながらも、ブレーキ代わりに剣を突きたて、体勢を立て直す。
「いったい・・・、何が?」
何が起きたのか、僕は慌ててランがいる方向に視線を向ける。
しかし、変形した魔剣が彼女の姿を隠していた。
すると、魔剣の後ろから声が聞こえた。
「やるじゃねえの、勇者様よぉ。」
それは、低くて女性のものとは思えない声だった。
「え?? 誰だ?!」
「全くランの奴、やばい時に変わりやがって。」
誰かが魔剣を振り上げ、後ろの地面に突き刺す。
そこに現れた人影は明らかに男の体格をしていた。
しかも、その人影には見覚えがあった。
「お、お前はベイリン?!」
そこにいたのは、かつて『円卓の騎士(ラウンズナイト)』に選ばれるほどの実力を持っていながら戦いを好み、仲間や民間人を巻き添えにすることも厭わない残虐さから騎士団を追放された男、ベイリンだった。
次回に続く・・・。
豪天波瀾の展開に続きが待ち遠しいです。