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バニーになった『わたし』(たち)

2015/10/18 08:30:17
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○双葉

「ど、どう? 双葉さん……」
バニーガールの衣装に着替えた清彦くんが、『双葉』の顔で上目使いにわたしを見上げる。
「どうって……」
わたしは口ごもる。状況がよくわからない。
三日後の文化祭の準備に取り組んで帰宅したら、後を追うように清彦くんがやって来た。そしていきなり着替えを始めて今に至る。
「その……可愛いんじゃない?」
どうしてわたしは『自分』の姿にこんなことを言っているんだろう。
「よかった……」
清彦くんは、安堵したように微笑む。
それは花がほころぶような可憐さで、わたしも相手を安心させたくて微笑み返す。
でも、同時に思わずにいられない。
どうして清彦くんが、『双葉』の顔で『清彦』をそんな風に見つめるのかなと。
それは、二週間前に入れ替わるまでは、わたしがこっそりしていたことだったのに。



ある日の放課後、学校でぶつかったわたしと清彦くんは心が入れ替わってしまった。
最初は混乱したし、どうすれば元に戻れるのかわからなくて泣きそうになったし、ひとまずお互いの振りをすると決めても知らないことだらけで苦労したけれど……片思いしていた清彦くんになったことは、ちょっとだけうれしかった。
でも、入れ替わって三日目の朝。情報交換や打ち合わせのために少し早く登校するようになった学校の、人目のない片隅で。
前日まで女の子の振る舞いにいかにも不慣れだった清彦くんは、急激に女の子らしくなっていた。
「もっと双葉さんらしくならなきゃって思いながら寝たら、こんな風になって……」
自分の突然の変化に戸惑う清彦くんは今にも泣き出しそうで。だからわたしはその背中を優しく撫でながら必死にあれこれ言った。今の清彦くんは別におかしくないよと。身体に合わせて心が変わるのはきっと自然なことだよと。可愛くて素敵だよと。
それで落ち着いてくれたのは良かったのだけど……どうも、女の子としての清彦くんは、その時に男の子としてのわたしを好きになってしまったみたいで。



バニーガールの姿のまま、わたしの隣に清彦くんはちょこんと座る。

清彦くんは女の子の感覚になってしまったけど記憶としては男の子のものしかなくて。だから、女の子としてわたしにアプローチしようにも、男の子時代の知識に基づいて男子のエッチな気持ちに訴えかけようとしてしまうものらしい。
さらに、わたしたちが入れ替わっていること、わたしの側の精神的な変化が乏しいことも、絡んでいるとは思う。普通の男子にこんなアタックを仕掛けたらその日のうちに間違いが生じかねないくらいのことは、清彦くんも理解しているはずだし。
清彦くんのことはいじらしく感じる。それにわたしだって清彦くんのことが好き。
だから、『彼女』のどこかずれた行動にも引いたりはしないけれど……わたし自身は「男子の身体になってしまった女子」という意識なわけで。女の子に好意を寄せられても単純に喜んで受け入れられるものではない。

ともあれ、話をするとしよう。文化祭の準備は男子と女子で分かれがちで、今日はあまり話ができてなかったし。
「この衣装は、衣笠さん?」
文化祭では喫茶店をやる。女子の衣装は演劇部の衣笠さんが作ることになっていた。
「うん。わたしは白耳で、若葉さんは黒耳なの」
ぴょんと生えているウサギ耳に両手を添える清彦くん。かわいい。



◇若葉

「どう? 敏明。衣笠ちゃん渾身のバニースーツだよ」
わたしの身体の敏明が、いたずらっ子のような笑みを浮かべてわたしに問いかける。その身を包むのは、文化祭の喫茶店で着るバニーガールの衣装。



「敏明はあんたでしょ」
二ヶ月前に入れ替わってしまったわたしたち。戻る方法もわからなくて互いの振りをしてるけど、敏明は『若葉』の生活をすごく満喫しているように見える。
「でも今は若葉だし? 元に戻れるかもわからないしねえ」
「つくづくお気楽だよね、敏明って」
「いやいや、それは入れ替わったのが若葉だからだよ。しっかりしてるから、『敏明』を任せても何の心配もない」
言いながら敏明は部屋を見渡す。確かに、『敏明』の家はかなりの金持ちで、毎月の小遣いもとんでもない額で、かと言ってわたしは自堕落になってしまったりはしていないけれど。
「いつ元に戻るかわからないんだし、勝手ができるわけないでしょ」
「いつ戻っちゃうかわからないから好き放題やろうって考えもあるよ?」
「今のあんたみたいに?」
言い返すと、敏明はウインクした。
「若葉の魅力を最大限に活用してるだけだってば」
まあ、敏明も別にめちゃくちゃなことをしているわけじゃないけれど。喫茶店で誰かがバニーガールになるという時に自分から立候補したくらいのもので。
「双葉ちゃん可愛いよね。前から楚々として素敵だったけど、最近小動物っぽさが増量でさらに可愛くなった感じ」
敏明は、一緒にバニーガールをすることになった子について嬉々として語る。入れ替わる前、あまり付き合いのあった子ではないけど、おとなしそうで悪い子ではなかったと記憶している。
「セクハラしてないでしょうね」
「スキンシップだけだよー」
いまいち信用ならない自己申告だけど、本当に嫌がるほどはしていないだろう。それくらいには敏明のことをわたしは信用している。
「あの子、最近は前より積極的に清彦に絡んでるけど……告白できたのかな?」
彼女がお調子者の清彦に片思いしてるのは、たいていのクラスメートが気づいているところ。
「どうだろね? 今の二人って、恋人同士と言うよりは、親鳥と雛みたいに見えるけど」
「確かに。最近は清彦がずいぶん落ち着いちゃって。いったい何があったんだか」
河原で拾ったエロ本が意外と好みに合っていて捗った、なんてことをべらべらしゃべっていた彼が猥談に参加しなくなるなんて、変われば変わるものである。



○双葉

ちらと、『双葉』を眺める。
入れ替わる前はよく自覚してなかったけど、『わたし』は男子目線で見ればかなり魅力的なようだ。入れ替わってから雑談の中で「おとなしくて清楚そうなところがいい」と男子たちに言われたこともある。
……そんな『双葉』が最近は『清彦』へ何かと近づくようになったわけで、わたしは『元の自分』への褒め言葉と『今の自分』への恨み言を同時に聞かされたのだけど。
とにかくそんな理由からか、『双葉』は喫茶店のウエイトレスの中でも特別にバニーガールに推薦された。
「若葉さんはどう?」
もう一人のバニーガールは、自分から立候補した若葉さん。わたしはあまり付き合いがなかったけど、一学期までは控えめなしっかり者という感じだった。それが夏休み明けから妙に陽気で積極的になったので、驚いたものである。敏明くんと付き合い始めたともっぱらの噂で、それで自信がついたのかなとわたしは見ている。
「優しくしてくれてるよ。……ちょっと、スキンシップが激しいけど」
その一言で、わたしの脳裏にはバニーガールの衣装に着替える途中の二人が絡み合う姿が容易に浮かんだ。
「もし嫌だったらちゃんと嫌って言うんだよ」
わたしの言葉にこくんと肯く清彦くん。どうも、今の『彼女』に対しては、保護者めいた物言いをしてしまうことが多い。
入れ替わる前は想像もしていなかった清彦くんとの関係。そもそも入れ替わりなんてものが想像の範囲外だったけど。

清彦くんが、軽く身を震わせた。
「寒くない?」
清彦くんが着替えた時から暖房は入れておいたけれど、それでもバニーガール姿は日本の秋に適した服装とは言い難い。
「えっと……こうすれば、だいじょぶ」
言いながら、清彦くんはわたしに寄り添い、抱きつく。わたしの腕に『わたし』の胸が当たる。
女の子の体って、男子に比べると柔らかい。一部分は、特に。それにとってもいい匂い。
鼓動が少し速くなる。呼吸が少し荒くなる。その他にも、色々。
けど、肉体的な影響とは裏腹に、心は却って冷めてしまうところがある。
本来の『自分』に抱きつかれている、ということもある。ただそれ以上に、その中にいる心が清彦くんだということが……彼の心が大きく変化してしまったという事実が、男の子の彼に恋していたわたしにとっては、やはりつらい。
清彦くんはお調子者なんて言われていたけれど、周りのことを気遣った上で誰よりも早く動ける男の子で。
それが、女の子になったらこんな風に相手へ強引なほどの勢いで迫ってくるなんて。
と。
清彦くんが、わたしの股間にいきなり手を伸ばしてきた。
ゆったりした部屋着だから目立たないけど、さっきからすっかり硬くなっていたところに。
「きゃっ!」
可愛い悲鳴を上げると、清彦くんは這うように部屋の隅まで逃げてしまった。
四つん這いの姿勢で、顔を赤らめて、恐る恐るという顔でわたしへ振り向く。



「そんな反応されると、ちょっと傷ついちゃう」
「ご、ごめんなさい……」
でも、少し安心した。女の子としての清彦くんは、別に色ボケしてるわけではないらしい。それならどうして自分から触りに来たのかという疑問はあるけど。
なんて思っていたら。
「ふ、双葉さんは、その……」
顔を真っ赤にして、口ごもりながら、それでもこっちへにじり寄ってきて。
「しゃ、しゃしゃしゃ、射精とかは、まだしてないよね? な、なら、わたわたわたしがやり方教えてあげる……!」
そんな上ずった声で言われても。
「あの……わたし、もう、してるよ」
「え?」
「一週間くらい前に初めて。それからは毎日」
男の子の性欲ってすごくて、無視することなんて結局できなかった。
「そ、そうなの……」
若干後ずさりする。こっちだってこんなこと口にしたくなかったのに。
「なのに……双葉さんはまだ男の子っぽくなれてないんだ……」
ん?
「じゃ、じゃあ、わたしがお口でしてあげる!」
叫ぶように言いながら、わたしの股間めがけて飛びかかってきた。

でも、わたしは冷静に対処する。清彦くんが考えていることがわかったから、動揺はしない。
体格も力もこちらが上だ。わたしは清彦くんを強く抱きしめて動きを封じた。
「ええと、気遣ってくれてありがとうね」
まずは清彦くんにお礼を言う。
自分のように身体に合わせて心が変われば過ごしやすくなる。そのためには今の身体でのエッチな経験が必要。そんな風に考えて、清彦くんはわたしを誘っていたのだろう(そう考えるに至った理由を想像すると、かなり複雑な気分になるが)。
そして今日、大きく一線を越えようとした。
「けど、わたしは大丈夫だから。清彦くんが無理しなくてもいいんだよ」
「だって……つらいよね? 心が女の子なのに、身体が男の子なんて」
入れ替わったばかりの時わたしはつらかったよ、と清彦くんは呟いた。
「長い髪の毛も、膨らんだ胸も、何もない股間も、大きなお尻も、華奢な体つきも、小さな手も足も、逆側に付いたボタンも、スカートも、全部違和感にしか思えなかったの。だからあの朝、そういうのが全部なくなった時は、怖いと感じるよりも先にすごくほっとして……」
気持ちはわかる、わかると思う。
だけど。
「わたしは、そこまでつらく感じていないから。こういうのは、個人差があるんだと思うよ」
男の子の身体や生活は、女子とあれこれ違う。わたしも初めて射精をしてしまった時は泣いてしまった。
でも、わたしはそれに激しい拒絶反応を起こすほどではなかった。それだけのこと。拒絶した清彦くんとどっちがどうという話ではない。
そんなことをできるだけ丁寧に説明するうち、ようやく清彦くんは落ち着いてきた。
「清彦くんは一気に慣れた。わたしは少しずつ慣れていくの」
「うん……」
まあ、慣れてしまう前に元に戻れれば一番いいんだけど。たぶんそうなれば、清彦くんも男の子の感覚はまたすぐ取り戻せると思うし。
「あの……双葉さん、ごめんなさい」
どうにか一件落着かと思ったら、清彦くんが不思議なことを言う。
「え?」
「その……好きでもない相手にまとわりつかれて。それも、その相手は女子で、双葉さんの身体を使っていて……」
「気にしないで」
改めてぎゅっと抱きしめる。わたしの思いと安心が伝わればいいなと願いながら。
清彦くんは、女の子の心になっても本質的なところは何も変わっていなかった。少しそそっかしくはあっても、他人のことを気遣ってすぐに行動に移せる優しい人。
「入れ替わる前、女の子のわたしは男の子の清彦くんに片思いしてました」
つい口調が硬くなる。でも生まれて初めてのことだし、しかたないよね。
「え……」
「そして今、わたしは、女の子の清彦くんが大好きです」
「双葉さん……」
抱き合う胸の鼓動が激しい。わたしのもの? それとも清彦くんのもの?
「付き合ってください。元に戻れても、戻れなくても」
「……はい」
しばしの沈黙の後、小さな声で、清彦くんは答えてくれた。

抱き合ったまま、今さら自分のしでかしたことに驚いてしまう。清彦くんがバニーガールの衣装でまた変わったことをしてるなあなんて思っていたら、いつの間にか告白してしまっていた。
入れ替わる前、わたしは清彦くんに片思いしてて、でも自分から告白なんて恥ずかしくて、ずっと隠れていたのに。
でも今は、清彦くんはわたし以上に恥ずかしがりの女の子だし、性別的にはわたしが男子だし、これはこれでおかしくないのかな。
入れ替わってよかった……のかな? 付け加えれば、ここから元に戻れれば一番なんだけど。
頭に血が上って、清彦くんを抱きしめたまま固まって、よくわからないことをぐるぐると考えてしまう。
「あの……」
清彦くんが、わたしの胸の中で呟くように言った。
「は、はい!」
「着替えて、いい? 今になって、この格好恥ずかしくなってきちゃった……」
「う、うん、どうぞ!!」
清彦くんに背を向けて、目をつぶる。

「もういいよ」
弾むような声で、制服に着替えた清彦くんがわたしの隣に座った。ベッドが軽く弾む。
「えっと、入れ替わる前に気づかなくてごめんね。わたし、鈍感すぎたね」
「ううん、それは気にしないで」
わたしだって隠してたつもりだし。……なぜか入れ替わる前の友達にはみんなにばれてたし、入れ替わってから話すようになった男子にも知られていた節があるけれど。
……って、あれ?
「入れ替わってからお友達に色々言われていたけれど、本当なのかなって気持ちもあったし、わたしがこんな風になったからなかったことになっちゃったのかなって考えて」
「わたしこそごめん」
そうだよね、おしゃべりの中でそんな話は出ていて当然だよね。そこに今の今まで気づかないふりをしていた自分を殴りたくなる。
「今でもまだ、ちょっと信じられないけど」
「……なら、全部話すね」
男の子の清彦くんをどうして好きになったか。入れ替わった後の清彦くんの変化をどう感じたか。そして今、なぜ告白したのか。

「ありがとう」
少し長い話が終わった後、清彦くんはわたしにしがみつくように抱きついた。これまでのアピールするようなものとは違う、もっと親しみのこもった感じ。
「双葉さんは、『清彦』をずっと見てくれてたんだね。わたしが自分で見失いそうになっていた『清彦』のことを……」
声が少し湿っている。わたしはうつむいている清彦くんの頭をそっと撫でた。
「双葉でいいよ」
「じゃあ、双葉ちゃん。わたしも、清彦でいいけど」
「そこは、清彦くんのままで」
「わかった」
ようやく顔を上げて、微笑んでくれた。
わたしを見つめる『わたし』の顔。まるで『わたし』のように変わってしまった清彦くんの心。
でも、その芯にあるのはやっぱり清彦くんで。
わたしは、清彦くんにそっと口づけをした。



△みどり

「で、これはどんな状況なの?」
教室の机を寄せ集めて布を敷いた即席のテーブル。その上にバニーガール姿の『わたし』が乗っている。



網タイツにハイヒールまで履き、胸元のリボンが乱れていて妙に扇情的。「みどり」と名前の書かれたピンバッジが、間抜けなような却っていかがわしいような。 まあ、それらは衣装の問題としても、太ももに挟んだワインだかシャンパンだかの瓶(たぶんそれらを模したノンアルコール飲料だとは思うけど)は何なのか。
「その……一年生の喫茶店でバニーガールやる子たちがいて……」
「うん。君のクラスだよね」
「可愛かったから、先生もバニーやってみてってみんなに……」
「どういう理屈だよ!」
軽音部は無駄にノリがいいなあ。衣装やら何やらもどこから集めてきたのやら。
「あの、この瓶抜いていい? 冷たいから身体冷えそうで……」
「言われなくても抜きなよ!」
「だって、『薫先生が来るまではそのままね』ってみんなが……」
どうしよう、この主体性のない顧問。部員のみんなに可愛がられてると好意的に見るべきか、おもちゃにされてると取るべきか。
「とにかく早く着替えてきなよ。他の先生に見つかったらさすがに怒鳴られるよ」


ここしばらく文化祭の準備で慌ただしい校舎も、さすがに午後九時を過ぎると静まり返る。特別棟の戸締まりなどを確認していき、部室アパートを確認していた薫と合流した。
本棟の職員室でまだ仕事をしている先輩方に報告とあいさつをして、外へ出る。
すると、駐車場まで薫もついてきた。
「今夜、いい?」
「うん」
学校近くの、わたしが借りているマンションへ。
薫が台所で料理を作り始める。指示に従い手伝うわたし。わたしも料理は普通にできるけど、こういう時に変に手を出すと薫は微妙に不機嫌になる。
――七年前は料理なんて全然できなかったのにね。
今のわたしより少し背の低い薫を見ながら、しばし感慨に耽った。
あの時、『みどり』が音楽の教師になるなんて誰も思わなかったろう。
あの時、『薫』が国語の教師になると考える人も、あまりいなかったと思う。
今の職場でもあるこの私立の学園で、高校二年の時に二人が入れ替わるまで。


「大学はどこ行ってもいいけど、教員免許は取りなさい」
入れ替わりが戻らないまま三年生になった時、わたしは薫に言った。
「卒業までに戻れれば一番だけど、駄目だったら教師になってこの学校にまた来る。しっかり調べ上げて、必ず元に戻るから」
そして本当に元に戻れないまま、けれど大学受験や採用試験は首尾よく運び、わたしたちは去年の春母校へ教師として戻ってきたのだった。
けれど、戻る方法は一向にわからなかった。


「ごちそうさま」
「お粗末さまでした」
薫が『わたし』の顔で柔らかく微笑み、片づけを始める。こちらはわたしも手伝う。
入れ替わって七年。
刺々しい表情で誰も寄せつけず本を読んでいた『みどり』は、ぽやんとした顔立ちの音楽好きな少女になり、大学に入ってからはサークル活動で音楽にも人にもより親しむようになり……今では生徒に好かれる音楽の先生。
一方、自分の声変わりとうまく付き合えず、音楽に関してだけは殻にこもってしまっていた『薫』は、小説に興味を転じて文学部に進み、今は国語の先生。
そんな風に傍から見れば、『みどり』も『薫』もまあまあうまくやっているのかなとは思う。
(今元に戻れても……それはそれで、困るし)
わたし自身、もうそんな風に考えざるを得なくなっている。
「おとうさんとおかあさんへの挨拶、いつがいい?」
訊いてくる薫。立場上は『お義父さんとお義母さん』だけど、本人の意識としてはもちろん『お父さんとお母さん』だろう。わたしにとっても『みどりの両親』を義父母と考えられるわけがない。今の『両親』も大切に思うようにはなっているけれど。
「年末でいいんじゃないかな」
入れ替わり直後から互いの家を頻繁に行き来している二人である。挨拶も形式的なものに過ぎない。式は来年。
「あ、やん……」
薫を抱きしめると、声を上げる。軽く拒むような、誘うような、女の声。わたしを男として興奮させる声。
「あのね……着替えてきていい?」
「何に?」
「さっきのバニーの衣装。演劇部で昔作ったものだからもらっていいって言われて、持って来たの」
「破いちゃいそうだからやめなさい」



○◇△

「さあ双葉ちゃん! あたしたちの魅力で売り上げ最高額を叩き出してやるよ!」
「わ、若葉さん、スーツずれちゃうよぉ……」
黒耳バニーの若葉が、白耳バニーの双葉に抱きつく。双葉は可愛い悲鳴を上げて胸元を押さえた。
「若葉さん、元気なのはいいけどやり過ぎないようにねー」
「はーい」
担任のみどりに窘められ、若葉はぺろと舌を出す。
「ところで、先生のバニーも似合ってましたよ」
「な、ななな、なんでそれ知ってるの?!」
「軽音部の友達が画像見せてくれたんで」
「え? 若葉さん、それ何の話?」
双葉が不思議そうに小首を傾げる。
「へへ、実はみどり先生、薫先生が喜ぶからって唆されて……」
「若葉さん、言わないで、言い触らさないで!」

「悪いね清彦、若葉が双葉さんに迷惑かけて」
「いや、まあ、あれくらいならスキンシップじゃないかな……と言うか、なんで僕に敏明が謝るの?」
「保護者として、うちの子が迷惑かけたと相手の保護者に謝るようなものだよ」
「別に僕、双葉、さんの保護者じゃ……」
「そうかい? 一昨日辺りから、はっきり二人の間の空気が変わった気がしてたんだけど」
「う……」
「B組はまだ先生の話が終わらないのかな?」
隣のクラスの担任である薫が、廊下近くで話していた清彦と敏明に声をかけてきた。
「いえ、何となくなし崩しに準備に突入していて……」
清彦が答えると、薫は困ったもんだと小さくぼやく。
「先生、行きますよ」
「は、はーい」
ずかずか踏み込むと、みどりの手を強引に引いて教室を出て行った。
みどりを崇拝する男子生徒たち――半月ほど前までは清彦もその一員だった――から、怨嗟の声が漏れる。しかし婚約者にケチがつけられるわけもない。
「さて。開店まで時間もないし、最後に点検をしとこうか」
「うん」
敏明に肯いて、清彦も動き始めた。



* * *

○双葉

「お邪魔しますっ」
階下の玄関から清彦くんの明るい声がする。
「あ、お久しぶりです、おばさま。あの、これ、よろしかったらどうぞ。……いえいえ、上手じゃなくてごめんなさい」
わたしが動くより先に『母さん』が出迎えて、清彦くんが話をしてる。
階段を軽やかに上がってきて、清彦くんが部屋に入ってきた。
「おかえり、清彦くん」
「ただいま」
この家は、清彦くんにとっては我が家。だから毎回二人だけの最初の挨拶はこれ。それはわたしが『双葉』の家に『行った』時も同様だ。
「あのねあのね」
うれしそうに清彦くんがしゃべり出す。
三ヶ月前のあのバニー絡みであれこれあった日以来、わたしたちは付き合っている……ことになってはいるものの、わたしの変化がスローペースなこともあって、男女の関係からは程遠い。わたしの側の感覚としては、無邪気な妹ができた感じ。
「おうちで作ったクッキー持って来たら、お母さん喜んでくれたの。『双葉ちゃんみたいなしっかり者の可愛い娘が欲しい』だって!」
「よかったね」
頭を撫でると幸せそうに笑う。
わたしが『清彦』としてこの家で暮らし始めた時、『母さん』との関係は少しよくなくて苦労したものだけど、こういう姿を見ると素直になれなかっただけなんだろうなとよくわかる。


二人で宿題や授業の復習予習をする。最近は清彦くんも成績が上がってきて、勉強はすごく順調に進むようになってきた。
「双葉ちゃんの頭を使ってるからよくわかるのかな?」
でもわたしも『双葉』だった時から成績が落ちたわけではない。メリットだけというのは少し都合がよすぎる気もするけど、まあ入れ替わりなんて迷惑な事態の代償と考えればまだ安いくらいかも。
ともあれ、今日は予定よりずっと早く勉強が終わった。
「終わったー」
一度ごろんと寝っ転がった清彦くんが、少ししたらよちよちとわたしの側へ寄ってくる。頭を撫でると気持ちよさそうに目を細める。
と思ったら、本棚へ。清彦くんは気まぐれな猫みたいなところがあって、そんなところはわたしが『双葉』だった時とはずいぶん違うなと思う。
「あ、新刊買っておいてくれたんだね」
少年漫画の最新刊。清彦くんが買い続けていたシリーズの一つ。
「うん。読んでみたら面白くて」
他人の本棚を眺めるのは元々興味深いけれど、それが恋してた男の子の棚で、しかも今は『自分』の所有物となると、不思議なものだ。
全部を読み終わったわけでも、読んだすべてを気に入ったわけでもないけれど……清彦くんが手にしているその漫画のように、この入れ替わりがなければ一生読んでいなかったかもしれないものもあって。妙な縁だと思い入れも強くなる。
「もしかして、そっちで買っちゃった?」
「ううん。入れ替わってから色々あったし、忘れちゃってた。でも、双葉ちゃんに買わせちゃっていいのかな」
所有に関しては、難しいところ。『双葉』と『清彦』の経済状況に少し差があるのも、この話を複雑にしている。
「これくらいは大丈夫だよ。わたしも読みたいって思ったから買ったんだし」
「でも、わたしけっこうやり繰りに苦労してたから、古本で集めてたのに……」
うーん。清彦くん、どうして苦労してたかは忘れてるんだろうか。
エロDVDとかに注ぎ込むことをやめれば(そしてわたしは当然買っていない)、集めてるシリーズを全部新刊で買っても余裕ができるくらいなんだけど。
わたしがどう答えたものかわからず少し黙って見つめていると、清彦くんはそのうち見る見る顔を赤くして、本棚から離れるとこちらへ戻ってきた。
わたしの腕にしがみついて顔を隠す。耳まで真っ赤。
とりあえず、もう一度頭を撫でた。

「え、えっと! お掃除しない?」
話を変えるように、清彦くんは言い出した。
「やっぱりもっときれいにしなくちゃダメだと思うの」
さすがにそれにはカチンとくる。
「元々この部屋に住んでたのは清彦くんで、わたしとしてはいきなりきれいにしたらお母さんたちに不審がられるから、少しずつ片づけを進めてたんだけど」
「ご、ごめんなさい……」
しゅんとしおれる清彦くん。いちいち仕草が可愛い。『わたし』の姿で、というところは今でも気になるけれど。
「で、でもでも! 彼女のわたしがお節介で掃除を始めたってことにすれば、怪しまれることもないと思うの!」
名案を思いついたとばかりに動き出す。
「ほら、この辺りなんか古雑誌を積み上げて……っ!」
無造作に雑誌の山を動かして、途中で言葉が止まる清彦くん。
その手には、清彦くんが『清彦』だった時に入手したエロ雑誌。表紙グラビアには何カップあるのかよくわからないような胸の大きな女性があられもない姿をさらしている。
「わたしが勝手に捨てるのもどうかなと思って、そこに置いておいたんだけど……どうする? 捨てる?」
「う、うう……」
固まっていた清彦くんが呻く。
「捨てたい……捨てたいけど……これ買うのは隣町まで行って顔隠して、苦労して……それに、お気に入りで……」
女の子としての感覚と男の子だった時の記憶が激しく衝突している模様。
「どこかから拾ってきたような汚れたものもあるけど?」
「そ……それも……意外と好みに合っていて捗ったもので……」
「何が捗ったの?」
「聞かないで……お願いします……」
ついに土下座を始めてしまった。

とりあえず、エロ雑誌の処分は保留になった。
「男の子って、変だよね」
清彦くんは自嘲するように言ってから、慌てて首を振る。
「あの! 双葉ちゃんは男の子になっちゃってるけど、変じゃないと思うから……」
「どうなんだろうね」
隣に座る清彦くんに近づき、手に手を重ねる。清彦くんはわたしにもたれかかって、肩に頭を預けてきた。
「そのうちわたしも普通の『変』な男の子になっちゃうかもしれないし、元に戻ったら清彦くんがまたそうなるかもしれない」
清彦くんがかすかに身を縮める。
「男の子の『変』と、向き合っていきたい。付き合っていきたい。わたしはそう思うよ」
――元に戻っても、戻れなくても、わたしはこの身体とずっと一緒に過ごしていくのだから。
わたしがそう言うと、清彦くんはぎゅっとしがみついてきた。
その身体は、とても温かかった。
こちらの図書館を利用させていただくのは、前身の図書館へ以来、六年ぶりとなります。
支援所への書き込み(途中で止まってばかり)、自前のブログ(放置中)、「小説家になろう」への投稿(底辺)、その他も動けなかったり動かせなかったりと、パッとしないここ数年でしたが、今回は素敵な画像に刺激され、応援もいただけて、どうにか区切りがつくところまで終えられました。ありがとうございます。
0.3860簡易評価
9.100きよひこ
六年ぶりの投稿、すばらしかったです。
とても良い作品でした。
入れ替わった者同士がハッピーになったところや、第三者目線から見た入れ替わった人たちの関係がとてもツボに入りました。

でももっとえっちパートも欲しいかも・・・
10.100きよひこ
他の方が貼ったバニーガールの画像に便乗して日替わりで一枚づつ
お気に入りのバニーガールの画像を貼ったのですが
その全てに 茶さんが素晴らしいお話を書いて下さり感謝しております。
ありがとうございました。
19.100きよひこ
好きな話です。
でも、贅沢をいえば、もう少し先の二人も見てみたいですね。
ともあれGJです。
22.100きよひこ
良いなぁ 素晴らしいと思う。 ふんわりとして優しい話ですよね♪
38.100きよひこ
GJ
40.100きよひこ
面白かったです。
75.100きよひこ
GJです