忌乃家。
鬼の棲家にして、人と人外との間を繋ぐ橋渡し役の者達が住む家。
古式ゆかしい黒電話の受話器を手に、当主の雪姫は通話をしている。
『で、どうなのだ』
「どう、とは?」
『彼女を戻せるかだ。我々の知らない事も、人外のお前達ならば知っているのではないかと思ってな』
「今は心当たりはありませんね。蔵書を探れば別かもしれませんが」
『本当に見つかるかは信じていないがな』
「そうですか。それにしても…」
『……』
「依子ちゃんを元に戻すことに、随分と躍起になられているんですね」
『お前たちの所に預けられてなければ、すぐに消しに行っているところだ』
「その心積もりでしたら、ぜひいらして下さい。全力でお迎えしますよ」
『…結構だ』
「そうですか、それは残念です」
『言っておくが、元に戻せないのならば要らん。そこまでの存在だったということだ』
「随分と情のない事を仰るんですね?」
『着いてこれなかったなら、切り捨ててきた。これまでそうしてきた、これからもそうするだけの事だ』
「そうですか。それにしては彼女の事を惜しんでいるようですが?」
『…お前達人外には関係ない事だ』
その言葉を最後に、ガチャリと通話が断ち切られた。無機質な電子音を聞かせる受話器を本体に置くと、チン、と小さな音が鳴った。
結局のところ、彼らは惜しいのだ。
柏葉依子と言う少女の素質を認識しているらしい様子で、彼女を取り戻したいと考えている。
けれど自らの、力を得るために魔の力を借りている状態から、これ以上卑屈になれるものかとどこか歪んだプライドが、それを素直に言葉にすることを拒絶させている。
「捻くれていますねぇ、柏葉の方々は…」
独り言ちながら、先ほどの通話で渇いた喉を潤すために台所に向かう。
緑茶を淹れる為の湯を沸かしていると、少し離れた場所から声が聞こえてくきた。
「おいコラコルヴォ! お前人が寝ている間に落書きしやがったな!?」
「ダラダラ気付かず寝てる兄ちゃんの問題じゃねぇのかぁ? イイ顔になってるぜ!」
辻白竜の頼みで預かっている柏葉依子、の肉体を乗っ取っている悪魔コルヴォレスと、自らの伴侶の声だ。
悪魔と言うよりは小悪魔のようなイタズラをしているコルヴォに、――が軽く怒っている。
彼女が来てから何度となく行っている、遊戯みたいなものだ。
「…仕方ないですねぇ」
念力を用い、2人が言い争っている――の部屋の襖を開放する。
その瞬間に2人は外に飛び出して、手合わせを始めていく。とはいえ、双方人の身と力だけで行う、簡単なものだけど。
お湯を沸かし、お盆に湯呑と急須、茶葉を乗せて縁側に向かう。
「おぉっと、おいおい兄ちゃん本気か?」
「あぁ、降ろさないけど本気だよっ! イタズラ好きな悪い奴にはお仕置きしないといけないからな!」
「ちょいちょい待てって、おまっ、依子の体傷物にする気かよっ!」
「ンな事するか! やって精々尻叩きだ!」
コルヴォを抑える為に組み付きを仕掛けようとする――に、それを回避し、足を払おうとするコルヴォの蹴りを、――は跳びあがり避ける。
着地の瞬間に合わせて放たれたコルヴォの拳を、まるでボールを払うかのように手の甲や掌で――はいなす。
決して本気ではない、それでも一切の手は抜かない手合せを、何度も繰り返していく。
「2人とも、程ほどにしておいてくださいねー。特にコルヴォさんは、学校もあるんですからー」
「解ったよ雪姫さん。けどせめてコルヴォに一発尻を叩くまでは止められん!」
「待て待て兄ちゃん、どうしてそこまで尻に固執すんだよ!」
「理由はさっき言ったぁ!!」
真剣な表情をしている――の顔には、油性マジックで書かれたカイゼル髭やら額の皺やらの落書きがされている。
水性や墨であるなら良かったのだが、油性はいただけないらしい。
しかも耳の裏まで書かれている。
「…平家の亡霊に見つかる手抜かりはないみたいですね」
茶を一口含むと同時に、
パシィン!
「あいだーーー!?」
――の平手が、コルヴォの丸い尻を捉えていた。
Side:コルヴォ
「あーいて…、なかなか力強くでひっぱたきやがって…」
全力で動く朝の運動後、俺様は風呂に入っている。少しだけ赤くなった尻を擦りながら、刺激を与えないようにして。
総檜の風呂は、あったかいだけじゃなくて香りも良い。…と、思う。
自信が持てないのは、「依子」の感覚と俺様の感覚が、どこかすれ違ってるからじゃないかと思う。まぁ確証は持てないんだが。
「…まぁ、まだまだあれでも本気じゃねぇんだろうけどな。…変な兄ちゃんだよなぁ」
スライムの兄ちゃんから言われて俺様を預かる事になった筈だけど、あの2人は何の文句もなく受け入れてきた。
半ば柏葉の家から捨てられた俺様だったが、どうにかする目処が立つまで住んでいいと言って、家から荷物まで持ってきてくれた。
「全然わかんねぇ、何考えてんのかさ…」
スライムの兄ちゃんは、「依子」からすれば「師匠」な訳で、俺様としちゃ屈服させた…、主人なわけだ。
けれど2人はそれと異なる関係で、俺様から見ればどちらでもない。ただの「悪い事した居候の悪魔」な訳なんだが、その割には「軒を貸してる立場」よりは距離がなんとなく近い気がする。
「学校の時間も近いし、そろそろ出るかねぇ」
湯船から上がり、バスタオルで体を拭いていく。
あの2人と俺様。どんな関係なのか、ちょっとわかんねぇ。
「全然わかんねぇけど…」
パートナーと違う関係って、こんなモンなのかねぇ。
「ぐちゃぐちゃして言葉が出てこねぇし…、これで良いのかって気もするけどさ…」
出会ってまだ一週間くらいだけれど、兄ちゃんも鬼の姉ちゃんも、俺様の事を一切の色眼鏡で見ずに接してくれる。
…悪いことすりゃ起こるし、役に立てば「ありがとう」と言ってくれる。
なんっつぅかまぁ、アレだ。
「こんなに嬉しいのは、ほぼほぼ初めてだよなぁ」
共同体、って意味だけど、家族みたいな気がする。
きっと二人ともお人好しなんだろうね。
「よっし、ダラダラしてぇけど今日もがんばっか!」
依子の代理をする為にも、風呂を出てしっかり水をふいていく。
濡れた下着を替えて、制服を着て。
髪をドライヤーでブローしながら櫛を通して整え、カチューシャをセットしてもう一度髪を整える。
「うっし、依子になった俺様だ。今日も男子をメロメロにしてやるぜ」
鏡の前でにんまりと笑いながら、今の自分を再確認する。
これが俺だ、今の俺様だ。
柏葉依子の素質に惹かれ、その体を得る為に取り入って、けれどボロボロに負かされた俺様だ。
悪魔が実力主義な事もあり、…体の快感に惹かれた事もあり、今はスライムの兄ちゃんの言う事に従っているけど。
「まぁまぁ、悪くねぇかな」
脱衣所を出て、縁側で刀を構えてる兄ちゃんに声をかける。
「おーい兄ちゃん、俺様出たからちゃかちゃか風呂入ってきなー」
「あぁ、急かすようで悪いな。尻は痛くないか?」
「じみじみ痛ェよ。パンツ穿く時ひぇってしたぜ」
「すまん、ちょいとやり過ぎちったな」
「別に良いよ。まぁまぁ手加減されてるのは解ってたし」
納刀して、契約してる刀剣神に刀を渡している様子を見て、何となく思う。
兄ちゃんも依子…、っつぅか柏葉家に近い事をしているが、決定的な部分は違う。
「…ズリぃよなぁ兄ちゃんは。ほぼほぼその体持て余してんだからよぉ」
「あんだよ、早く人間辞めろってか?」
「別にぃ? 俺様の言ってる事なんて全然気にしなくていいんだぜ?」
「そっかよ。じゃあ気にしないでおくから、はよ学校行ってこい。今はお前が『柏葉依子』やってんだから」
「はーいはい、言われなくともやりますよーだ」
「あ、コルヴォさん。今日のお弁当ですよ、どうぞ?」
兄ちゃんとすれ違うように、鬼の姉ちゃんが鞄と一緒に弁当箱を持ってやってきた。
それを受け取り、玄関に向かう。
「どもども、鬼の姉ちゃん。……んじゃ二人とも、行ってくるわ」
「はい、行ってらっしゃい」
「おーぅ、気を付けろよー?」
2人の声を背にしながら、ちょっと歩く距離の増えた学校への道をゆくことにする。
* * *
「おはよー」
「おー」「おはよう」
周りの人間達が口々に挨拶をしていく訳だが、俺様も思考を「依子」のものにして、それに倣う。
本来は依子が通っていた学校なので、俺様が通うのもどうかと思うのだが、スライムの兄ちゃんが行けと言うので、まぁ渋々行ってる訳だが。
「ん、おはよう。変な事あったら私に言いなさいね?」
「そうそうねぇってンなこと」
「だよな、柏葉は気にし過ぎだよ」
とか笑われるが、仕方ねぇじゃねぇか、依子が言ってた言葉なんだし。
…解っちゃいたが、依子は正義感が強い。人外の事とか、柏葉の家の事とかをさて置いても、厄介事を引き受けて解決しようとするきらいがあるので、こちらとしちゃたまったモンじゃない訳で。
だから半ば暴走してスライムの兄ちゃんに襲い掛かったりしたのもあるんだが…。
「変な事ってねぇ。そういや柏葉はこの話聞いたか?」
「何かあったの?」
依子の席に座ると、右隣の男子生徒が話を振ってくる。
「いや、最近ちょっとした噂レベルの話なんだけど…、最近交通事故が多いよな」
「…そうだったっけ?」
「多いんだよ。俺、電車で来るから駅前の交番の所必ず通るんだけどさ、必ず負傷者とか出ててさ…。
で、今日お巡りさんに声かけられたんだよ。事故の被害者に学生とか、若い奴が多いから気を付けろってさ」
「あ、それ僕も聞いたよ。隣町の方でも、僕たちと同じくらいの子が轢かれたんだって」
「ウソっ、何か狙ってる人がいるって事?」
「だとしたら目撃者とか無いの?」
「それが聞いた事無いんだって。車は同じなんだけどすぐ逃げて解らなくなるし、パトロールしても見つからないんだとさ」
「…なんか怖いね、それ」
「被害にあった人に、他に共通点とか無かったの?」
「1人でいる時にやられたらしいけど、最近じゃ何人かで居ても…」
最初の男子生徒が発した言葉を皮切りに、みんながその話題に寄ってきた。
確かに交通事故が最近よくよく多いし、サイレンを度々耳にしているけど、そこまで不審な事になってるとはねぇ。
「さすがにこれを柏葉がどうにかするって事は…」
「…うん、まぁ、確かにね。相手が車なんだもん」
口では一応そう言っておくけれど、神出鬼没の、若年層を狙う車ねぇ。
…なーんか、臭うな。
「…ん?」
不穏な気配が頭を過った瞬間、心の奥底で動いたのは、じっとしていられない感覚。
俺様の中の「依子」が、どうにかしないといけないと思っているのか、すぐに動きたがっているのだけれど。
(何の確証もねぇんだし、軽々に動くもんじゃねぇよな…)
ざわつく心を抑えるように、一度だけ長く静かに深呼吸をする。
「…ま、まぁ、そういう訳でさ」
「うん、私も気を付けろって言うんでしょ? ありがとう、気にしてくれて」
話題が他のメンツに移動したのか、発端になった男子生徒が俺様に話したかったことを言おうとして、それを勝手に解釈する。
まぁ、これでそうそう間違っちゃいねぇ筈だ。
「そう、そうなんだ。…だからさ、柏葉を家まで送っていって、良いか?」
「へ?」
と思ったら、追撃が来たよ。ちぃっとだけニヤけちまうねこいつぁ。
「え、でも…柊くんって電車でこっちに来てるよね?」
「それでもだよ。ちょっと帰るのが遅くなるくらい、何でもないって」
「そうなの? 心配してくれてありがとね」
なんとなーく青臭い恋心みてぇなモンを感じたので、からかう意味も込めてはにかんでみる。
その柊って奴は、まぁ顔を赤くして少しだけ下を向きながら、
「お、おぅ。そりゃ心配するっていうかさ…、柏葉はちょっと危なっかしいから、これも解決しに行こうとすんじゃないかって思ってさ…」
「まぁ、ちょっと思ってたかな?」
「だから、こんな話だから、危険な目に合うかもしれないって思うとさ、なんか、ヤなんだよ」
はっは、甘酸っぺぇなぁ。ニヤニヤしちまうぜ。
さらに追い打ちかけると誤解されそうな気がするけど、やってみよう…、
と思った瞬間、授業の予鈴が鳴った。
それと同時に入ってきた担任の先生によって、ホームルームが始まった。
「えー、もしかしたら皆、既に知ってるかもしれないが、最近は交通事故が多い。
登下校時は、なるべく複数人で帰るように。あと、出来れば寄り道はしないように」
まだ若い、やる気のある先生の言葉に周囲は軽くブーイングが出てきてる。
まぁそうだろうな、遊びたい盛りもいい所だし、寄り道は学生の貴重な時間だしさ。
「暗い時間に事故が起きたら、人に気付かれにくくなるかもしれないんだぞ? 事故に限らず、事が起きたら初動が肝心なんだ。
複数人でいたら、誰か一人がけがをしてもすぐに助けに入れる。明るかったらその行動の精度も上がる。
場合によっちゃ、車のナンバーとかも解るかもしれない」
確かに、と頷く気配が教室の中に数人現れる。言わんとしている事は最もだし、俺様だって解らなくもない。
「みんなの親御さんたちにも心配はかけさせたくないんだ。ちょっと不満だろうが、我慢してくれ。
なぁに、警察のみなさんだって頑張ってるんだし、すぐ解決するさ!」
…その警察がアテになるかどうか、妖しいんだけどね。
教師の言葉を軽く聞き流しながら、その後すぐにホームルームは終わった。
一時間目の授業の準備をしつつ考える。
(やっぱり臭うな。俺様達側の臭いが、ぷんぷんしやがる)
* * *
その日の授業は、面白い事らしい面白い事は全然ないままに終わっちまった。
せいぜい体育の授業で、着替えの際に男子連中が覗きに来たくらいか。
今日の授業はすべて終わり、との意を込めて鳴るチャイムを聞いて、俺様の意識は晴れ晴れしていた。
「はーぁ…、今日もとうとう終わったー…」
「お、おぅお疲れ。…それでさ、柏葉。朝に言ってた事なんだけど…」
あぁそうそう。そんな話もあったっけ。
…だがまぁ、易々と忌乃家の場所を教える訳にもいかねぇんだよなぁ。あそこ、屋敷の住人が門戸を開かない限り、あちこち廻らないとたどり着けない結界が張られてるし。
あそこに住んでる俺様や、兄ちゃんや鬼の姉ちゃんに誘われないと、延々と辿り着けずに終わるのが殆どだ。
「うーん、ごめんね柊くん。今ちょっと、知り合いの所にお世話になってるんだ」
「そうなのか? …って事は、寝泊りもそっちでしてるんだ」
「うん。だから気持ちだけもらっておくね、ありがと」
「あぁ…」
ちょっとどころじゃなく肩を落とす、けれどもそれを見せまいとする柊の姿を見て、内心ニヤニヤしたくなるのを抑えながら鞄を手に取る。
「それじゃ、また明日ね。ばいばーい」
「え? あ、また明日…」
さかさか出ていく俺様の背を見送るように、柊は重々しく手を振っていた。
「んー…っ、かっはぁ! あー…、依子のフリは疲れるぜ。なんか肩がゴリゴリいってる気がする」
人気のない道に入ると、そこでようやく俺様は肩の力を抜いた。
学校じゃどうしても俺様の意識に戻ることは出来ないし、それが8時間続くとなると、肩がこる気がする。
…ま、気のせいなんだけどな。肩がこる要素もありゃしないし。
……引っ張る胸なんて、無いし。無いんだし。
「…あぁ止め止め! こんな所まで依子に引っ張られてどうするんだっての!」
胸に関する事は、そこそこ依子の中にもあったみたいだ。だからかね、スライムの兄ちゃんが見せた「未来予想図」で、胸に注意が行ってたのは。
そりゃぁ俺様だって胸はあった方が良いと思ってるが、今の所「ない物ねだり」をキャンキャン叫んでるだけでしかないからな。
「…欲しいなぁ、たぷたぷしたおっきいおっぱい…」
…まぁ、俺様と依子じゃ全然意味が違うんだがな!
とりとめのない事をぽつぽつ考えながら帰途を歩いていると、ふと違うルートを通ってしまっていたことに気付く。
あぁ、このルートはそうそう…。
「柏葉家の方じゃん。違うぜ依子ー、俺様達を軽々に捨てた家じゃなくて、兄ちゃん姉ちゃんたちのいる方に帰るんだぜー?」
俺様が喰った依子の意識に教え込むように、胸元をぽんぽん叩きながら伝える。
…やっぱり急ぎすぎたかねぇ。ちょいちょい依子の意識が出てくるよ。
いやいや、んなこと言っても仕方ない。少しだけ頭を掻きながら方向転換し、忌乃家の方に足を向けていく。
どうにも時間を喰っちまった。日が落ちようとする前に戻ろうと思ったんだが、目立たない様歩いてれば、どんどんと陽が落ちて夕方になっていきやがる。
「ん?」
ローファーの足音を鳴らしながら進んでいくと、ある路地の片隅に献花しながら手を合わせている少女が居た。
少し茶色がかった髪で、ショートボブ。…体の起伏にゃ少々乏しい子だ。なんとなく親近感。
制服は着ているが、どうやら俺様が通ってる所とは別の場所みたいだ。確かアレ、3駅隣の学校のだったっけ?
「もしもしお嬢ちゃん、お供えかい?」
「ふぇ? あ、は、はい…」
後ろから声をかけると、驚いた表情で少女が振り向いた。
赤い日差しに照らされる顔は、どことなく愁いを帯びているように見える。
改めて献花された場所を見ると、何度も来ているのか、花の数の割に枯れたか弁が落ちていない。ペットボトルの飲み物も、生前そいつが好んでいたのか同種類の物ばかりが並んでいる。
「……」
「……」
少しだけ言葉に詰まる。少女の方も同じようだ。
そりゃそうだ、こんな状態で何を話せっていうんだか。空気はそれなりに読むし、ホイホイ口説くような存在じゃねぇんだぜ?
それに…、
「……」
俺様の中の依子の影響か、自然と手を合わせていりゃ、そんな気も失せるってモンだ。
「あの、手を合わせてくれて、ありがとうございます」
「良いんだよ。たまたま居合わせたからそうしたまでさ。…知り合いのか?」
「…兄です。数か月前に、ここで偶然…」
礼を言われ、つい聞いてしまったことにも、彼女はちゃんと答えてくれた。
「そっかい…。ここには何度も来てるんだな」
「どうして、そう思うんです?」
「いや何、綺麗な場所だと思うとな。ちょいちょい掃除とかしてるのか?」
「はい…。本当はお墓は別にあるんですけど、お兄ちゃんの事を思うと、どうしても…」
沈んだ顔をしている少女と話していると、何となく心が痛い。
思った以上に依子の割合が大きいのか…、それとも俺様が依子としての日常をなぞっているから、少なからず影響されているのか。
この現場には人外の気配が何もなくっても、こうして間近に「喪った者」の顔を見ていると、ちくちくと刺さる物がある。
けれどその考えを遮るように、少し離れた場所からエンジン音が聞こえる。視線を向ければ、走ってくるのは一台の車。
「おいお嬢ちゃん、そろそろ動かないと。あっちから車来てるぜ?」
「本当だ。手を合わせてくれて、ありがとうございました」
少女も立ち上がり、めいめいにその場を離れようとした。
その瞬間だ、車が突然スピードを上げてきた。しかも俺様の方には目もくれず、明らかに少女の方を狙い、壁側に寄せてくる。
距離が縮まっていくと同時に、色濃くなる気配に気付く。これは、
「おいおいマジかっ!」
「え…?」
加速と同時に立ち昇り始めた魔の気配に、瞬間だが青ざめてしまう。
まさかこんな堂々と昼間に仕掛けてくるか。あぁ昼間じゃねぇ、夕方近いもんな、『逢魔が時』だもんなぁ!
有無を言わさず少女の手を引いて駆け出す。
「あっ、あの、一体なんなの、どうしたのっ?」
「小耳に挟んでねぇか? 多分あれ、最近バンバン事故を起こしてる車だ!」
「えぇ…っ! あれが…?」
「ゴタゴタぬかさないで走れ!」
事件に心当たりがあるのか、少女の走る脚にも力が籠りはじめてきた。近づいてくる車は、彼女の兄の現場を踏み荒らし、まだまだ俺達を追走してくる。
瞬間、俺様の頭の中にはやるべき事が二つ、出てきた。
「(チラチラ人目を気にしてる場合じゃ…、ねぇよな!)お嬢ちゃん、悪ぃな!」
「え、ひゃっ!?」
魔力を足元に流し、靴と靴下の中で変異させる。脚力を強化、同時に少女をお姫様抱っこの形で抱きかかえる。
人間の脚のままじゃ振り切る事なんてできねぇ、まずは加速と立体軌道で逃げ延びる!
ゴゥッ!
初速としちゃまずまずの速度を出し、地面を蹴り、壁を足場にして近場の家の屋根に飛び乗る。
けど安心は出来ねぇ、そのまま速度を殺さずに屋根を走り、家の合間合間を飛び越えていく。
「えっ、ちょっ! 何、これぇっ!? 何このアクション映画! まさか聖闘士!?」
「ペラペラ喋らず黙ってろ! あとできれば、俺様のカバン探って携帯出してくれ!」
「あ、う、うんっ、えぇと…!」
少女は慌てながらも了承してくれて、続けざまに頼んだ通話も、携帯を俺様の耳元に当てる事もやってくれた。
電話帳の二番目に設定した、兄ちゃんへの電話。
出来ればちゃっちゃと出てほしい。その願いは叶った。
『コルヴォ? どうしたよ』
「兄ちゃん、本題にから入る。バケモノに襲われた。女の子抱えてる。どんどん追ってくるから逃げてる!」
『解った、まずは距離を取れ。俺も合流するから逃げ続けろ!』
「できれば足があった方がありがてぇなぁ! 走ってたらへとへとになっちまう!」
『どうにかするさ! 場所はラウラに探させるんで、見つけるまでは逃げてろよ?』
それだけを最後に、兄ちゃんからの電話は切れた。
さてさて、兄ちゃんがくるまでは逃げ続けないといけねぇな! こんな人外の仕業で、これ以上泣く人がいちゃいけないんだから!
……ん?
* * *
存外、人目に付かないよう逃げ続けるのはまぁまぁ難しい。帰宅で人通りが増える時間帯となりゃ尚更で、それを避けながら、人通りの多い所を避けながら、という制約も加われば難度は跳ね上がる。
逃げ続けて8分は経ったか。
「っは、っは…、なかなか、しつこいねぇ…」
「あの、さっきから来てる車…、ずっと私達を追いかけてるし、あなたもそれから逃げてるし…」
「まぁまぁ、言いたい事は解るし、疑問に思うのももっともだ。…けど、ちょっと質問は待っててくんねぇかな?」
「う、うん…」
気力も体力も削がれていくようで、額に汗がぽつぽつと滲んでいく。
このままだとまずい、かな…?
(あーもぅ、ちゃっちゃと来てくれよ兄ちゃん…!)
内心でぐちぐち思いながら走り続けていると、開けた場所に出てしまった。
マズい、ここは柊の奴がいつも使ってる駅前のロータリーだ。近くに飛び移れる建物も少ないし、車をここまで誘導しちまえば惨劇は必至だ。
どうする、戻って引き返すか?
「ねぇ、あれ、あれ!」
「え? …うおぉ!?」
馬鹿な! 今まで律儀に地面を走ってた車が、急に跳び上がった!
そこまでして俺達を狙いたいのか、バンパーをぶつけに掛かってきやがる!
慌ててこちらも跳び上がりその一撃を避けると、一拍遅れて車体が地面と再会し、ゴガァン!と大きな音が鳴りやがった。
周りの人に気付かれたかな、ありゃ。ざわざわして来やがる。
「ちゃっちゃと誘導しないとまずいことになるな、ホントによぉ!」
高さのアドバンテージもものともしないなら、上に居続けると今のジャンプによって建物の二次災害が出ちまう。
けど…、
「だからさ…、待ってたんだぜ、兄ちゃん!」
迫ってくる車の後方から近づいてくる、二つ目のエンジン音。
サイドカーに乗って、俺達を探していた兄ちゃんが走ってくるのが見える。
「コルヴォ、乗れ!!」
「応よ!」
「乗るって、ちょ、ちょっと待ってぇぇぇ!?」
俺達を轢こうと速度を上げる車と、同時にスピードを増すサイドカー。
真っ直ぐ走ってきた車を引き寄せるように俺様も車に向けて走り、ぶつかる直前で、跳躍!
兄ちゃんのサイドカーも車体を上げて、車の後ろから飛び出してきた。
交差する直前に少女を側車部分に無理やり乗せ、俺様は兄ちゃんの背中にしがみ付く。瞬間、跳躍と反対側に引き寄せられる力に負けない様、手に力を込めた。
ゴドン!
車よりはやや軽い音が、二度目の轟音が駅の近辺に響いてしまう。
「おちおちしてらんねぇや。逃げるぜ兄ちゃん!」
「この状況じゃ已む無しか、人目も多いしな!」
アクセルを吹かし、俺様達の乗ったサイドカーが速度を上げていく。
あぁ、自分の脚で走らない状況ってのは楽だねぇ。
車両を振り切る前に一度後ろを見て中をまじまじと確認すると、
「…スカスカだねぇ」
当然のことながら、運転してる奴なんていなくて。運転手不在の車は、まるで意思を持ってるように俺達を追いかけていた。
依子としての目と俺様としての目は、うっすらと奴の本質を見つけていく。
ただの車の時、何度か事故に遭ってしまったんだろう。んで、きっと血の味を覚えてしまった奴だ。
確か魔剣や妖刀の類がそんな形、自らの身で浴びた血と魂の影響で、意志を宿して生まれてくる。
「兄ちゃん。アイツ、妖(あやかし)化してる。どんどん追いかけてくるぜ」
「解ってるよ。今はこの場から離れるしかねぇけどな!」
抱き付いてる兄ちゃんの体と、それを乗せたサイドカーが、速度を一気に上げて走り出していく。
* * *
Side:――
人の多い場所を避けて、サイドカーを走らせ続ける。
最近舞い込んできた相談事には、「曰くつきの車」に関する内容があったが、まさかそれに早速遭遇するとはね。
それに…、側車に乗ってる少女が1人。
コルヴォと俺となら、このまま人気のない場所に誘導して戦うのもアリだが、彼女がいるとなると話が別だ。
(出来る事なら、こんな世界に関係し続けさせたくねぇしな…)
白竜くん達辻家兄弟とか、石神を含んだ五家も、気付けばこんな底なし沼の人外の世界に踏み込んでしまっている。
抜けられない世界に、人が早々入り込んでほしくはない。それは偽らざる真実だ。
…正直な事を言えば、「こちら側」だけで済ませておきたい事だよ。
右ハンドルを強く握り込み、加速。解っちゃいたがこれでも奴を振り切るには速力が足りない。
側車無しの全開で回せば可能性はあるが、向こうは人外に“成った”車だし、ぶつけられ続けたらアウトだ。
「まだ追ってくる…、あの、どうするんですか?」
「そうだね、あにはともあれ逃げの一手だ。ちょーっと目をつぶっててくれよ?」
「え? あ、は、はい…」
側車に座る少女が言われた通りに目を瞑ってくれると、その間にサイドミラーを介し後ろの車を見やる。
まだ走り近付いてくる奴は、目的がちっとも見えないのが空恐ろしい。いや、目的の為に追いかけてるのか。
「兄ちゃん、ちょいちょい手伝うか?」
「大丈夫だ。あにもしなくていいから、しっかり捕まってろ」
「おぅ」
腕をまわし抱き付いてくるコルヴォの力が強くなる。
右腕でハンドルを保持しながら、左手はスピードメーターを撫でる。同時に心中では契約している二柱の神に繋がりを持ち、バイクを介して力を現出させる。
(アニス、ラウラ。会話終了の3秒後に同時に動けるか?)
《私を何だと思っているのかしら。で、やる事は?》
(アニスは軽く毒の煙幕を。こびり付いたらはがれない、強力な奴を撒いてくれ)
《毒性はいか程にするの?》
(視界を防ぐのが目的だから、可能な限り弱く。それと撒いた毒、自分で探査できるよな?)
《当然じゃない。アンタの芥子粒みたいな脳味噌は、私がそれ位出来ないと思ってるの?》
(うんにゃ、思ってるから聞いてるんだよ。ラウラは聞こえるか?)
《んー。こっちはどうすればいいの? さっきから人気の無いルートを探す事で疲れてるんだけどー》
(すまない。ラウラはそれと同時にこの道と別の…、俺が指定する場所を繋げてくれ)
《いーよー。んで、この会話はいつ終わるの?》
(すぐだ。…行くぞ!)
右手のアクセルを捻る力を籠めると同時に、サイドカーに二柱の神の力を降ろす。
アニスの力は排気筒から放つ。毒々しい色の煙を後方に散らし、眼前の視界を完全に遮る。
同時にラウラの力を込めた車輪が、車体をわずかに浮き上がるような気配と共に、周囲の風景が一変する。
異なる道同士を繋げる力を用いて、簡易的な瞬間移動を行ったのだ。
「……、ふぅ」
アニスからのリンクによって、例の幽霊車両の場所は判明している。該当車は現在は遠くに放れているようだ。
俺達が跳んだ場所はカーチェイスをしていた所から3駅ほど離れている為、すぐに追いつく事は無いだろう。
ゆっくりと速度を落とし、側車の少女に語り掛ける。
「もう目を開けて良いよ」
「はい…。あれ? 場所が違うような…」
「思いっきりとばしたからね。……ゴメンね、こんな事に巻き込んでしまって」
「あぁいえ…、何か抜き差しならない状況だったのは何となくわかったから、そこまで謝らなくても良いですよ」
「そうそう、兄ちゃんは悪い方に考えすぎなんだよ」
「そっかねぇ…」
車体を路肩に停め、ようやく俺も少女も一息つく。
過ぎた事は過ぎた事として解決していかなければいけないのは、痛いほど解る。解っているんだ。
渋面をしながら考え事をしていると、側車の少女が不安そうに俺を見てきていた。
「あの…、私、ここからどうやって帰ればいいんですか?」
「え? あ、そっか、ごめん。迷惑かけちゃったついでに、家まで送っていくよ」
「安心しとけ、この兄ちゃん女の子襲おうってつもりは全然無いから」
「うるさいよコルヴォ。…そうそう、俺は忌乃――って言うんだ。君の名前を聞かせてもらっていいかな?」
少女は少しだけ逡巡した後に、仕方ないかとばかりに頷いてから口を開いた。
その名前は、俺の血の気を別の意味で引かせる相手だった訳で。
「私は三条、三条六月っていいます」
「三条…、……三条ッ!? も、もしかして君、親族に五十六さんって人がいない?」
「え、はい、おじいちゃんですけど…。ご存じなんですか?」
「ご存じもあにも、お仕事の取引先です、はい…」
「そ、そっかー…。そうなんだー…」
どうやら変な所で奇縁が生まれていたみたいだ。
彼女の家は、忌乃家としての、ごく簡単な仕事における取引先でもあるのだ。
その名は三条組。
広域指定暴力団ではない、侠客にして己の身も行為も愧じる事の何一つない『極道者』達の家であるからだ。
速度を落として走行し、三条組本拠である住所へと向かっていく。
時速20kmとゆったりした速度だけれど、話をする関係上これ位の方が周りに気を向ける事も出来て、事故のリスクを減らせる訳で。
「んで兄ちゃん、そもそもこのお嬢ちゃんの家の…三条組ってのと、忌乃家がどう繋がりがあるってのさ?」
「それ、私も気になります。おじいちゃん達のお仕事とか、聞いた事無かったので」
「あーそれなー…。言うと七~八割がた笑われるか、信じられないかの話になるぞ?」
「いーのいーの。どうせ除霊とかそっちの方だろ? ペラペラ喋れよー」
「おいコルヴォ、解っちゃいるだろうが今俺の脇腹をくすぐろうとするなよ? 遅くしてても事故は起こるんだぞ?」
「ちっ」
考えてたのかこんにゃろう。
舌打ちが聞こえたのか、六月ちゃんも驚いているようだ。
「あのっ、そんな事されたら私まで巻き添えなんですけどっ!?」
「あー…、そうだったな。わりわり」
「もぅ。コルヴォは後先考えないんだから…」
走行しているサイドカーの上とは言え、コルヴォと六月ちゃんはそれぞれに談笑している。落ちついて話し合える状態になれたのだろうか。
吊り橋効果って奴かね。極限状態の2人が心拍数の上昇を共有し、それを恋愛感情と取り違えるとかあんとか。
あ、コルヴォは今は女か? でも中身は男だしな。どっちだ、これ。
「なぁなぁ兄ちゃん、黙々と思考に耽ってないで、答えろよー。ホントにくすぐるぞ」
「だから止めろって。……まぁ、俺も忌乃家に入ってまだ短いけど、ちょいちょいそっちの方面で仕事してるんだよ」
「…おじいちゃんが忌乃さんに頼む事って、一体何なんですか?」
「ざっくり言うと、部屋に憑いた霊を祓う事だな」
三条組の主な収益は、不動産経営とボディーガードや屋台の運営、建設業やアクションスタントなどへの人材派遣業だ。
その中で俺も担当している除霊は、人が自殺することで出来てしまった「曰くつきの部屋や土地」を浄化する意味合いがある。
当然の事ながら霊を消した所で、悪評は消えない訳で。
ではその悪評はどうすれば消えるか? 答えは、「無害だと証明してもらう」ことだ。
安く貸し出される部屋に住んでもらい、そこに「何もない」ことを証明してもらう。
その後に家賃を適正価格に戻して、すでに契約している人には金額を変える旨を伝え、契約の継続か否かを問う。
部屋を移るという選択をした人も、当然ながらそのまま放り出すわけにもいかないので、比較的条件の似通った、安めの部屋を用意したりする。
「そんなアフターケアもしているんだってさ」
「へー。中々筋通してんじゃん」
「おじいちゃんよく言ってましたよ。『ワシ等はヤクザではなく、極道だ。決して外道になっちゃあならねぇ』って」
「…まぁ、俺だって最初はヤクザ者だって思って恐かったな」
「で、実際はいい人でしたパターンって奴? 言っちゃ悪いけどベタベタじゃん」
「おじいちゃん、強面だからねぇ…。でも、すっごく優しいよ?」
実際の人となりは会って話してみないと解らないものだ、と本当に思う。
一仕事終えた後で五十六組長から直接酒の席に誘われた時も、下手に豪華なクラブとかじゃなくて、行きつけの飲み屋というアットホームな場所だったからだ。
変に気取らないし、店に来ていた他の客も組長相手に仲良く談笑していた。
アレが本来あるべき侠客の形なのかもね、と思ったりした訳で。
あ、料理はめっちゃうまかったです、ハイ。
「ふむふむ。って事はアレか? 六月は祖父さんの所で世話になってんのか?」
「うん…。さすがに一人暮らしは許してもらえなかったから…、ね…」
少しばかり、六月ちゃんの表情に影が挿す。孫娘を家で引き取り育てていることを、酒の席で聞いた事もある。
その内容も、無念の言葉も、息子の忘れ形見の名前も、忘れていなかった。
…まぁ、顔は本日初めて見た訳でございますが。
「確かこの道だから…、うん、もうじき着くよ」
「良かった…。ありがとうございます、忌乃さん。助かったよコルヴォ」
「ようやく一息つけるわけだ。冷や冷やさせて悪かったな」
広い和風建築の敷地を周るように走ると、次第に見えてくるのは敷地の大きさに即したような門。
門前には体格の良い組員が一人履き掃除をしていて、こちらのエンジン音に気付くと、六月ちゃんの存在を認識したのか駆け寄ってきた。
「六月お嬢ちゃん! どうしたんですか!?」
「あ、えぇと、…この人、忌乃さんと色々あって、送ってもらったんだけど…」
「ホントですか?」
「…ども。東金さんだったっけ」
見覚えのある組員、東金の険しい視線を受けながら挨拶をして、六月ちゃんの言う事は間違ってないのでお茶を濁す。
「…感謝しやす。最近、六月お嬢ちゃんはちょっと遠出をしたがってましてね」
「私が出かけようとすると、みんな護衛とかつけようとするんだもん。必要ないって言ってるのに…」
「いや、でも六月お嬢ちゃんを1人にして、万一何かがあったら俺たちゃ組長に顔向けできませんって!」
さもありなん。万一がありすぎました。
「顔向けできなくならなくて良かったな。たまたま俺様が通ってたから、六月はやられなくて済んだんだぜ?」
「あ゛ぁっ!? どういう事だそいつぁ!?」
しかしコルヴォの一言で台無しだ。こんにゃろ、後でまた尻叩いたろか。
凄んでくる東金を宥めながら、ボカシていた事のあらましを話す。一応彼も知ってはいるので、今度ははっきりと。
「…なるほど。そいつぁ六月お嬢ちゃんが世話になりやした。感謝します」
「あぁいや、それならコルヴォの方に言ってやってくれ。こいつが会わなきゃ、俺だって気付けなかったんだからさ」
「きひひ。遠慮せずにドンドン褒めやがれべしっ!?」
調子に乗って胸を張るコルヴォの額にデコピンを当てながら、東金に対して考えていた今後の目論見を話していく。
「憶測が多分に入るけど、あの車は今後も彼女、六月ちゃんを付け狙うと思う」
「んじゃあ、その事で忌乃さんに撃退の依頼をするって事は…」
「その話は良いよ。警戒しろって退魔組織側から話があって、必要があれば討てとも言われてる。で、必要が出来たから頼まれなくてもやるつもりさ」
「そいつぁ有り難いんですが、六月お嬢ちゃんが世話になったとなるとこのまま『ハイそうですか』って事は出来ません。組長にも話は通させてもらいますよ?」
「構わないさ。あに事もなければ事後報告って形にしようと思ってた位だし」
「でしたか。出来れば直に会って話してほしかったんですが…」
「また後にして欲しいかな。ある程度引き離したとはいえ、追ってこない保障は無いからさ」
あの妖化した車は、可能な限り早急に対処しなければいけない。
確か資料には、十数件もの交通事故を起こしている。そこには必ず傷を負ったものが存在し、中には死者もいる訳で。
そうなれば、奴はそれなりの血を吸った事になる。味を占めただろうし、死傷者から吸った血で力も強くしてるだろう。
だからこそ「普通の車」には到底不可能な、8メートル近い高さへのジャンプも単独で行えた。
放置しておけば惨事は避けられない。
「それに…」
付着させたアニスの毒の気配を察知すると、次第にこちらに近付いてくる。
あんまり長く話はしていられないだろう。狙われている六月ちゃんを、側車から降ろす。
「六月ちゃん、危険な目に遭わせてゴメンね。後は俺がどうにかするから」
「え? でも…、大丈夫なんですか? さっきの話だと、私を追ってくるって言ってたような…」
「そこはそれ。目晦ましも騙しの技術も、色々あるのさ」
ポケットを探り、一枚の符を取り出す。
「…それは?」
「俺も使ってる護符だよ。身に着けてれば霊的な存在から身を護る術がある。
少し強めに力を込めて作られてるから、それを付けてれば多分あいつは感知できない筈だ」
…最近、霊的な事への耐久力が下がってきている事もあって常備していた、東北の一族が使用している護符と同じものだ。
これ一枚しかないが、俺よりは六月ちゃんに渡した方が良いだろう。
「良いんですか?」
「勿論。後は出来れば、あんでもいいから、あにか身に付けているものを貸してほしいんだけど…」
「ふむふむ。六月の存在を隠して、身に付けてるもので存在を臭わせるって訳か?」
「そゆ事。引き寄せるには、相手に“目標がそこにいる”と思わせればいいんだ」
「…それで、その存在感を増す為に身に付けてるものが必要なんですね」
東金との会話に混じってこなかったコルヴォが補足を入れてくれたおかげで、六月ちゃんも納得してくれた。
彼女の理解が速いのが、個人的にはとても有難い。
「でしたら、これを使ってください。…お兄ちゃんがプレゼントでくれた物です」
そう言って、六月ちゃんは髪飾りを渡してくれる。花飾りのついたシンプルなヘアピン。
直前まで身に付けていて、想いが籠っているのなら申し分ない。これなら引き寄せられるだろう。
「ありがとう。返しに来るから、少しだけ借りるよ?」
「はい。…無事に返してくださいね?」
「そりゃ勿論。…持っててくれ、コルヴォ」
「あいあい。無くすなってんだろ? わぁってるよ」
俺の後ろから降りたコルヴォは、ヘアピンを受け取ると側車の上に移った。
じぃと、そのヘアピンを見つめている。
「…わぁってる」
バイクから降りずに、俯瞰の形で見たコルヴォの横顔は、どことなく寂しそうに見える。
こいつは今、あにを考えているんだろう。思うだけで、その答えは解らない。
Side:コルヴォ
兄ちゃんの後ろから離れて、側車に移る。
まじまじと見つめるのは、六月の着けていた花の飾りがついたヘアピン。
(キラキラしてやがる。六月が兄ちゃんから大事にされてて…、これも大事にしてたんだろうな…)
ちぃっとだけ、羨ましい。
早々に亡くなっちまった六月の兄ちゃん。きっとそいつは六月を愛してたんだろうな。
それにこの東金って奴の話から、組の奴らにも大切にされてるんだろう。
私は…、家族に愛された事が無かったな…。
(…イヤイヤ、何を考えてんだ俺様は!)
ずいぶんと依子側の意識が強くなってる気がする。
落ちこぼれって事で、冷遇されてた記憶を俺様もまざまざと味わって…もとい、依子の中から見てたわけだが。
それと比べりゃ、ここは羨ましい場所だと思う。たとえここに住んでる理由が、兄の死亡によるものだとしても。
(…ごちゃごちゃして来やがる。なんか、気に入らねぇ…)
ひねくれてるってのは理解してるぜ。なんたって俺様は悪魔だからな。
けれども、今心中を渦巻いているのは、六月への嫉妬と羨望、同時に嘲笑だ。
愛されてるよなぁ、心地良さそうだな。でもその空間を得る為にお前は兄貴を失ってるんだぜ、ざまぁみろ!
そんな言葉が喉につっかえ、出ようとさえしている。
「…バカバカしい」
そう、呟くしか出来なかった。
「…ねぇ、コルヴォ? 今のって…」
「ん? なんなんだ、聞こえて気に障ったか?」
呟きに気付いたのか、六月が側車側に回って声をかけてくる。
その表情はどことなく不安そうで…、イライラした様子も、ムカムカした気配も、何も見えねぇ。
「うぅん、そうじゃなくって…。えぇと、なんていうのかな…」
「早々にしてくれよ? これの気配を追って、あの車がやって来るんだからな」
「解ってる、解ってるけど。…その、……」
言いたげな表情で逡巡して、六月は意を決したように、口を開いた。
「コルヴォって、家族に愛されてなかったの…?」
ずきずきと、心が痛む。
愛された記憶なんて、依子は元より俺様にもありゃしない。
柏葉家の連中は依子の素質だけを見ていて、それを表に出しはしない。
俺様にはそもそも…、家族なんて存在はいやしなかった。
だから、
「…全然知らねぇよ、家族なんて。居た記憶もねぇし覚えもねぇ」
吐き捨てる位しか出来やしねぇ。
「同情なんかすんなよ? 元々そうだったんだからな」
六月の顔を見れずに、側車のシートに深々と座り込んで目を伏せる。
…できる事なら、これ以上六月の言葉を聞きたくない。
最初から愛されてない依子と俺様と、今でも愛されてる六月は、最初から違うんだ。別物なんだ。
そう、無理矢理思い込まざるをえなくって。
「…うん。きっと、同情しちゃってる。
大切にされてるって自分でも思ってるから…、ちょっとだけ心苦しくって。でもどこか嬉しくって…、
同時に、1人だけ残されて、みんな私を好きじゃないのかな、って思っちゃって…。
…何言ってるんだろうね、私。頭ごちゃごちゃしちゃって…。ちょっと待ってて」
わざとらしい深呼吸が3回くらいダラダラ続いた。
そこからもう一度だけ深呼吸され、どうにか落ち着いたのか口を開いた
「…多分、コルヴォは私が知らなかった人なんだと思う」
「…そりゃそうだろうよ。全然関係なくて、今日初めて会ったじゃねぇか」
「うん、確かに全然知らないし、会ってまだ一時間経ってないけど…、それ以上に、会った事が無かった類の人なんだって、思ってる」
それに関しては、ちょっとだけ同感だ。六月は、俺様の取り憑いた依子とは違う。見た事が無いしあった事が無い、知らない類の奴だ。
「何だよ、初めて見た人間だからもっとマジマジ見せてくださいってか? かっ、持ってた人間ってのは図々しいねぇ!」
「おいコルヴォ…!」
「…良いんです、忌乃さん。…そう言われても、文句は言えませんから」
見かねたのか、兄ちゃんが止めようとしたけれどそれを六月が制してきた。
「…確かにそうかもしれない。けどね、それで良いんじゃないかな、って思ってるよ。
知らないから、知りたくなるんだって。そう思ってる」
「俺様はハナから全然教えたくないんだが?」
にべもなく突き返す。思う程に、聞く度に、ムカムカしたものが心の中に募っていく。
消化しきれねぇ。何なんだ、これは。
「それでも、教えてほしい。今じゃなくていい、ずっと後ででもいい。…あなたの事を、知りたいと思うから…」
瞬間、顔を両手で掴まれ、目を開けて正面を向かされた。
驚いた俺様の視線は開かれて、六月の顔を見ざるをえなくなっている。
同時にそれを認識した瞬間、六月は少々辛そうで、けれど気丈そうに、微笑んだ。
「戻ってきて、私のヘアピンを返しに来て。他の誰でもない、コルヴォに頼みたいの」
「…、あ、ぁ…?」
正直な所、驚いていた。
いきなり掴まれた事も、向けられたことも。六月の奴がこんなにも。
「…良しっ、言いたい事終わりっ!」
知り合って僅かにしか経ってないけれど、こんなにも気丈に振る舞えるなんて、思ってなかったから。
「…六月ちゃん、コルヴォ。すまないがそろそろ行くぞ。…アイツが近づいて来てる」
「忌乃さん、よろしくお願いします」
「あんとか撃退してみせるさ。…約束が出来たみたいだし、な?」
深々と頭を下げる六月に向けてほんのりと笑う兄ちゃんは、ハンドルを握りエンジンの火を強く噴かす。
その言葉だけを最後に、サイドカーは走り出す。奴を誘導する為に、存分に戦える場所に向けて。
顔を抑えられていた感触を、思い出す。
わずかに震えていた手で、隠そうとした恐怖がスケスケになっていて。
「……」
ムカムカする。
六月の存在に対して。六月の感情に対して。
突然の死によっていなくなられる恐怖と同時に、相手を送り出すことの危惧。
どっちも抱えて、それでもなお俺様に約束をした。
「…ギチギチに縛られちまうじゃねぇか。守れってか?」
内心に渦巻くムカムカに、別の理由も混じり出す。
「あんな顔されたんじゃ…、帰らない訳にいかないじゃない」
それは喰った依子の想いと、確かに重なっていた。
* * *
「兄ちゃん、アイツ速度をガンガンに上げてきやがる!」
「見えてる! あんにゃろう、どこかで力を吸い上げてきやがったな?」
ハーフフェイスだから解る兄ちゃんの口元は、苦々しそうな感じで歪んでいる。
奴の力の源ってのは、まぁ間違いなく血の類だ。ボンネットやバンパーの辺りに、少し前にはなかったはずの血痕が多数見えている。
恐らくはリアバンパーにもある筈だ。人を傷つけた、その跡が。
「で、どうすんの? どんどん近づいてくるけど、逃げ切れるのかよ?」
「ちょっと難しいかもな。こちとら乗ってるのはただのバイクだぜ?」
確かこれ、兄ちゃんが鬼の姉ちゃんと出かける為にローンを組んで買ったサイドカーの筈だ。
カーチェイスの為にチューンされてるのならガンガンに噴かせてたかもしれないが、そんなモンじゃないらしい。
サイドミラーから後ろを見ると、突撃を仕掛けてきやがった。
「うわっ!?」
「遠慮無しかっ! ボコボコにされんじゃねぇか?」
「あ゛ー! こっちで来たの間違いだった気がするー!」
ゴンゴンとぶつけられ、後部ライトが砕けた音がした。一撃もらうごとに兄ちゃんの顔が青ざめているような気がするが、多分間違いじゃないと思う。
信号の無い狭い道を走り、後ろには徐々にスピードを上げていく妖怪車。顔があったらニヤニヤ笑ってそうだ。
「そういや兄ちゃん、ダラダラ逃げても仕方ないけど、どこまで行くつもりなんだ?」
「ちょっとルートがややこしいけど、人外同士の厄介事を人知れず解決する為の場所がある。そこまで逃げ込めれば…」
「れば?」
「…思う存分戦える!」
なるほど、解決ってそっちの類の事なのね。けどそいつぁなかなか好都合だ。
けれど展望があるにも関わらず、兄ちゃんの顔色は先ほどと変わらず全然優れない。
チラチラとメーターを気にしているようで…、確かそっちは、ガソリンタンクの…。
まさか。
「おいおい兄ちゃん、スカスカなタンクで逃げ切れんのかよ!」
「多分持つ、かもしれない!」
「確証全然ねぇのかよ!」
「経験則だ!」
少しごちゃごちゃしている路地裏、民家が軒を連ねている所で、道路にはいくつか家庭菜園のプランターや、外に留めてある自転車が置かれてある。
俺様達がそこを通った少しあと、ドカン! ガシャン!と音が鳴って、
「…でぇええ!? アイツ、バンバンその辺のモノ跳ね飛ばして来やがるぜ!?」
「コルヴォ、顔を出すな。中に入ってろ!」
ぶつかれば痛いどころじゃ済まないのもちょいちょいあるのだが、兄ちゃんは俺を気にして、うけても構わないものは背中で受け止めている。
自転車やごみステーションなんかの、冗談じゃ済まないものは全力で逃げるが。
急加速をする度に、兄ちゃんの表情に暗澹としたものがじわじわ混じっていく気配がする。
ガソリンが少ない状態でブーストをかければ、仕方ないかと思うわけだが…。
突如、猫が俺様達と車の間を走ろうとして、それは妖怪車に当然のように跳ね飛ばされた。
ドンッ、と嫌な音がして猫は跳ね飛ばされ、同じように俺様達の方に向けて跳んでくる。
悲鳴が聞こえて兄ちゃんの後頭部にぶつかり地面に落ち、直後に妖怪車に改めてひき潰されてしまった。
「……っ」
多分、その光景をサイドミラーで確認していた俺様と兄ちゃんの考えは同じだ。
これが人間であったなら。
あの妖怪車は容赦なく猫と同じようにするだろう。
いや、きっと猫より丹念にひき潰して自分の力にしてるだろう。
だからこそ許せねぇ…、あいつの存在が他人に害をなしているのなら、それを放置する理由なんてどこにも無い。
「バンバン回せ兄ちゃん! アイツ、早く壊して潰す!」
「あぁ、解ってるけど…っ」
どうやら本当にガソリンの残りが芳しくないみたいだ。
だんだんと速度が落ちてきている感じすらして、
「なっ!?」
後ろを確認しようとしたら、粗大ごみのカラーボックスが、こちらに目掛けて跳んできてるじゃねぇか!
数は4つ、兄ちゃんは操縦で後ろを見ているから解ってるが、確実に叩き落せない。
…なら、やるしかねぇ。
「ちぇいッ!」
側車から立ち上がり後ろを向く。身体に隅々まで魔力を流し込み、身体を変異させる。足で身体を固定し、両の腕で飛来する代物を叩き落す。
1つを横に叩き落とし、2つ目を左腕の防御でどうにか兄ちゃんにぶつからない様逸らし、3つ目を爪で薙いで壊す。
4つ目はどうにか掴めたので、妖怪車に向けてぶつけてやった。
ガシャン、とフロントガラスにビシビシヒビを入れて、妖怪車は少しだけ後退、したかと思ったら、
「わりぃ兄ちゃん、火に油ドバドバ注いじまったかも!?」
「あにやってんだ!」
さらに速度を上げて、こちらに突撃を仕掛けてきた。兄ちゃんも逃げる為にエンジンを噴かそうと、して、
ブスンッ
燃料が尽きた。
勢いのままに少しだけ進んでいくバイクにぶつかろうとした瞬間、
「……っ!!」
兄ちゃんが俺様の体を掴み、前方に投げ飛ばす。そのまま宙に体を浮かしてぶつけられる前にバイクを横に蹴り飛ばした。
思惑通りにバイクへの直撃は避けられたけど、それは兄ちゃんがぶつけられることになる訳で、
ドガン、と鈍い音を立てて、兄ちゃんがこちらへゴロゴロと転がってきた。
投げ飛ばされた俺様は、魔力をみなぎらせたおかげで問題なく着地していたが、兄ちゃんはまだ人間の筈だ。
少しだけ喀血しながら、立ち上がろうとしている。
そしてそれをさせきる前に、とばかりに車は近付いて来て。
「兄ちゃん、ちゃちゃっと立て!」
「…青嵐丸!」
虚空から取り出された日本刀を、鞘に入ったままに盾にし、二度目の激突を受けた。
再び跳ね飛ばされ、兄ちゃんの体は大地を転がっていく。2度の追突でようやく近くまで来た兄ちゃんの所に駆け寄った。
「何であんな事すんだよ! 兄ちゃんがゴロゴロ転がされる必要なんてねぇじゃねぇか!」
「確かに、そうかもしれないけどさ…、コルヴォに、怪我してほしくなかったってのが、あってな…」
ひびの入った鞘と、その刀を杖に、兄ちゃんはそれでも立ち上がる。
「それに…、どうやら間に合ったようだからな。その姿だから、先に入っててほしかった…」
「え? …ピリピリ来る空間、そうか、ここが!」
どうやら本当にギリギリだったみたいだ。
俺様が兄ちゃんに投げられて、兄ちゃんが転がされてきた場所。ここが人外同士の厄介事を、知られずに解決する為の場所。
人の入り込めぬ、一種の閉鎖空間に来ていたのか。
「…じゃあ、準備は良いか、コルヴォ…?」
「…あぁ。ダラダラしてられねぇ。徹底的に、潰すぜ!」
ここなら、全力を出せる!
* * *
人目に触れぬ為の人外の決闘場。
運転手を持たず自律している車を挟むように、前方に――、後方にコルヴォが立ち、距離を取っている。
(解っちゃいるが…)
(やすやすと近寄れねぇ…)
声に出さないが、二人の考える事は同じだ。
人外としての力を持ってはいるものの、コルヴォは依子としての素質を十全に引き出している訳ではない。
――は自らの肉体のダメージによって、降霊に耐えられえないと判断したため、誰も女神を降ろしていない。
その二人が相手にしているのは、妖怪化している自動車だ。
エンジン音が鳴り響き、自分の手番だと言わんばかりに吼えあげる。
排気筒から炎が、洗浄液の噴射口から強い勢いの液体が、それぞれ前後に存在する2人に向けて放たれる。
「「ッ!!」」
攻撃に反応し、コルヴォはさらに後方に飛び退く。――は手にした刀を射線に沿わせ、刃の曲線によって弾き飛ばす。
勢いのままに噴射された洗浄液は、多少離れた場所にある樹木を、ウォーターカッターの勢いで削り、切った。
「…やっぱり、か」
内心で――は歯噛みする。あの車は自分が傷を負っていることを理解して、こちらに攻撃を仕掛けてきている。
同時に自分の負った傷が決して軽い物では無いと自覚していた。脚に力を入れ、意識を強く保ち、倒れないようにするだけで精一杯だ。
ロクに動けない――を目掛け、車は急速に前進する。既に二度も轢かれた身で、これ以上貰う事は出来ないと判断し、気力を振り絞って足に力を籠めた。
ゴムのタイヤが地面を削り、肉薄してくる鋼鉄の塊は、確実に被害者の血を求めて近づいてくる。
「っく…!!」
思った以上に気力の込められた脚は、突撃してくる撤回の攻撃を横に跳んで避ける事は出来た。
しかし落ちついて振り返る暇もなく、車体は前輪を軸としてすぐさま方向を転換し、執拗に狙いを定める。
再び加速し、突撃を当てようとした瞬間、車の体に電撃が放たれた。
「兄ちゃんっ、タラタラしてんなっ!」
それを放ったコルヴォの声に、また――は足に力を込め、感電したのか一時的に動きの鈍くなり、肉薄していた車から回避行動を取る。
攻撃の軌道上から逸れたのと硬直が解けたのは、ほぼ同時。
それでもなお、狙うは――のみと言わんばかりに、攻撃を仕掛けようと方向を定める。
「まだまだ、もいっちょっ!」
先ほどの電撃が有効だと思ったのか、もう一度放とうとする。
だが、コルヴォが陣取るのは先ほどと同様に車の後方。エンジンが1つ唸り、排気筒から先ほどとは異なり、非常に臭う気体が吐き出された。
その異臭の原因は何か。それを感じた瞬間、轟音が響いた。
(アイツ、気化したガソリンを吹き出した!?)
排気筒から続けざまに出した炎により、着火された気体は爆炎を巻き上げる。
多少避けられたとはいえ、不意打ちに近い爆炎はコルヴォを確かに焼いて、衝撃は身体をさらに吹き飛ばした。
これで邪魔はされないと判断したのか、後輪の回転を上げて――の方へと走ってくる。
まだ足に力は籠められる。何度か回避をすることは可能だろうし、それまでコルヴォが起き上がってくれれば。
そう考えながら――は、先ほどと同じように敵の攻撃を、避けられる限界の距離まで引き付けようとする。
妖怪化した車のエンジンは唸りを上げて、その体を当てる為に、洗浄液のウォーターカッターを放つ。
「ッ!」
青嵐丸をかざし、再度その攻撃を逸らす。その間にも確かに近づいて来る存在に対し、防御から回避へと意識の切り替えをする為に、一瞬のタイムラグが発生する。
(まだ遠い、避けられる!)
そう確信し、突撃を横へ避けようとする刹那、
バギリ、と異音を立て、妖怪化した車のバンパーが『開いた』。
まるでクワガタの顎のような、鋭利な棘を伴ったバンパーは、近過ぎる距離で避けようとしていた――の身を、その棘で制してしまった。
「こいt、っ!?」
顎を閉じると同時にボンネットが開かれる。バンパーと同じく、そこにも鋭利な棘が並び、
バグンと、――を挟みこんだ。
まるで縦と横の三方に割けた口のように開かれたボンネットは、鉄である身を最大限に利用して、バタン!バタン!と何度も――の体を咀嚼していく。
「がっ! ぐ、ぐぁ…!」
棘で身体に穴を開け、血を吹き出させる為に肉体を叩く。
まるでガソリンなど不要とばかりに、車は――の血をうまそうに吸っていく。
同時に「血」、命の力を得る事で、その身は更なる力を得ていくのを実感していた。
「ゲッホ、ぐえっほ! っくそ、チリチリしやがる…、!?」
爆炎から逃れられたコルヴォは、顔に着いた煤を払いのけた直後に、その光景を見る。
まるで甚振るように――の体に喰らいつきながら、その身をバキリバキリと変えていく車の姿を。
シャーシから肋骨のように何本も生えだした鋼の板は、まるで肢のように地面を踏み締める。
ルーフは縦に割け、羽のように広がっていく。内装の布も甲虫の薄羽のようにはためく。
変異していく。ただの車から、さらに『命』を持った姿を模すように。
「なん、だ、アイツ…。器物がメチャメチャに変化してやがる…」
コルヴォは自分の背筋に、冷たい汗が一筋流れるのを自覚してしまった。
魔化された『器物』の事なら、自分でも知っている。
「念を込めて作られる」か、「命を吸う」かで発生する人外の一種族。「魔剣」に限らず命を持った『器物』。
今回は明らかに後者の筈だ、あんな大量生産品の車が最初から「そうなる」ように念を込めて作られるはずが無い。
もしそうなら、
「今頃ジャンジャン“成って”やがる筈だ…」
頭の中だけで圧し留められない考えが、口をついて出てしまう。
かぶりを振ってその考えを振り払う。もし仮にそうだとしても、今目の前で成った存在をどうにかしない限り、今後の事を考える事などできない。
まるで甲虫のような姿に変異していく車は、――の身を咀嚼している。鋼と肉体がぶつかり合う音の中に、ぐちゃ、ぐちゃ、ばき、という音が混じって、
「バリバリ喰ってんじゃ…ねぇぇぇッ!!」
それを認識した瞬間に、コルヴォは脚に全ての力を込める。
咀嚼の為に開いた口、その一瞬の隙を突いて、――の体をもぎ取っていった。
けれどそこで脚は止めず、踏み締めた大地をさらに蹴って、踏んでは蹴って、走っていく。
「ぐったりしてねぇで起きろよ兄ちゃん! グダグダ力抜いてんじゃねぇよ!」
コルヴォの、ひいては依子の体格では抱えるのに苦労してしまう――の体は、度重なる叩き付けと穿孔によって血塗れだ。
どこまで広がってるか解らないこの場所で、力の入らない――の体を抱えて逃げる。
(あぁ、クソッ…!)
後ろから、まるで獲物を狙うように、追い詰めるのを楽しむように、こぼれ落ちる血を辿って、あの車がやってくる。
シャーシから生えた肢で、ゆっくりと。
(ダメダメだ、逃げられる訳がねぇ…! アイツは執念のように血を求めてやがる!)
焦りからか、思考速度の早くなった頭の中で考える。どうすればいいのか。
(アイツがここから出てったら、俺様達を潰したら、きっと際限無く外に出ていく…!)
混乱しながら、その光景を、考えてしまう。
(そうしたらきっと、鬼の姉ちゃんが今度は戦うんだろう…。でも前に出る兄ちゃんはこうなってて…)
ぐちゃぐちゃした頭の中で。
(こんなんじゃ、戦えるはずがねぇ…)
そうなったら、代わりが必要で。
(スライムの兄ちゃんも戦うのか? その上に二人いるって聞いたし、きっと強いんじゃねぇかな)
でも、それで良いの?
(でも、それより先に狙われるのはきっと…)
きっと、『彼女』だ。
(六月が…、狙われるかも、しれない…)
そうだよ、コルヴォ。
(……)
それで、良いの?
(そんなわけねぇ…。そんな光景、考えるだけでムカムカしてきやがるじゃねぇか…!)
それだけで終わらないから、止めなきゃいけないの。
(止められんのかよ、俺様が! 無様にバタバタ逃げてる状態で!)
絶対に出来るって解ってなきゃ、行動しないの?
(下手打ってやられたくねぇ…。弱いんだよ、俺様は! だから依子の体を狙ったのに、結局このザマだ!)
…私だって、弱いよ。弱いけど、諦めたくないの。
(…あぁ、そうだ。そうだったな…)
だから……。
「あぁ、だから…」
脚を止める。
力なく倒れた――の体を横たえると、追い詰める事を楽しむような車の方へ向き直り、瞑目し、深く深呼吸を一つする。
「すぅー……、はぁー……」
ガチャ、ガチャ、と肢音が近付いていく。
『コルヴォ、良いの?』
「あぁ…、やっぱ俺様は弱ぇや。喰ったつもりでも消化しきれず、グズグズの食べかすにも責められてるんだぜ?」
『バカね。だから私はコルヴォを選んだのよ。私と一緒で、弱いから』
内なる心の相手と、声を出しながら会話をしていく。
それはコルヴォが喰った筈の、消化しきれていない存在の、
『だから、1人で何でもやろうとしないで』
「…そうだな、俺様ガチガチに肩肘張りまくってたよ」
『それじゃ、あの時みたいに2人でやりましょう!』
「アイアイサー!!」
柏葉依子の声だった。
* * *
《ギチ、ギチッ!》
「とうとう吼えるまでになりやがったか!」
『思った以上に成長が速いわね。鬼の血を吸ったからかしら』
鍬形のような顎を用い、依子の意志が動き出した身体を捉える為に、何度も近づいて顎を閉じる。
一度捕まれば、先ほどの――のように勢いよく喰われるのは間違いないだろう。
ガチン、と噛みつかれようとする度に、「今の」妖怪車では一足で動けない距離まで飛び退く。
無論それだけでは勝てる筈もなく、鬼の血の影響かじわりじわりと、さらに有機的に姿が変わっていくのが見える。
『そうそう放置は出来そうにないわね?』
「あぁ、早々と片付けないといけないんだが…、なぁっ!!」
近づかれ、今度は顎の代わりに背を向け、爆炎を見舞われる。さっきから何度も見ている手だ、対処法も理解していた。
『コルヴォ、跳んで!』
「てりゃいっ!!」
ガソリンに火が付き、爆発が起こるその直前。跳び上がり、炎が放つ上昇気流に後押しを受ける形で大きく身を舞わせる。
相手の目がどこにあるのかは知らないが、上を取る事で、それなりに理想的な位置を取った。
剣印を結び、依子の魔力をコルヴォの力で増幅し、形にして放つ。
「『雷降!』」
落ちる稲妻は、光の速さで眼下の鋼鉄に直撃をする。
《ギ、ギギッ!》
ダメージがあるのか、妖怪車はわずかに鳴き声を上げた。
上空で身を捻り、妖怪車の側面に降りると同時に相手へ向けて跳びかかる。
無作為に爪を作るのではなく、剣印の先に、先ほどとは異なる形で雷を纏わせ、剣のように伸ばしていく。
「ほうほう、こう作りゃ良いんだな?」
『電刃!』
変異した爪での攻撃では、ともすれば押し負ける可能性がある。ならばそれ以外の方法を、と依子が考え、コルヴォが実践する。
実体を持たない雷の刃は放電音を鳴らしながら車体を切りつけ、開かれていたドアの一部を斬り落す。
ゴトン、という金属音と共に、妖怪車は自らの一部が切り落とされた事に気付き、悲鳴のような唸り声を上げた。
『…いける。直接攻撃するよりはこっちの方が良いわ!』
「おいおい依子、それって俺様が考え無しってことかよ」
『まぁ、もうちょっと力任せじゃない方法を探しても良かったかもね?』
「俺様の中でスヤスヤしてた癖に、言うじゃねぇか依子は。…だったら、こんな感じはどうだ?」
主導権を握る側、握られる側。逆転している筈なのに、2人の会話は変わらない。
拳を握り、開く。先ほどの『電刃』のような雷の刃が、今度は爪の先に延びる。
『なるほど、折衷案ってこと? …良いわね、それ』
「諸々不足してる所は、俺様の力で補ってやるからよ。…依子は内側から、ちゃーんと見ててくれや」
『はいはい。調子に乗らないようにね』
《ギッ、ギチ、イィィッ!》
成長し、言葉にこそできないが明確な意思を持ってきた妖怪車は、自らを攻撃してきた存在に対してハッキリとした敵意を向けていた。
言語として形成できないが、彼は内心で驕っていた。初めての交通事故によって吸った血で得たのは、自らの鋼鉄の肉体の誇り。
ぶつけさえすれば大抵の人物は、たとえ乗り手であれ、倒れ伏す。潰せば血が滴り、自らの糧となる。
その力に奢り溺れ、「敵」の存在を認識していなかった。
だが今、目の前には自らの優位性を崩す存在が現れた。
それが妖怪車には何より許せなかった。自分は強いと信じている。それを否定する存在は許さない。
子供じみた癇癪のままに、エンジンを限界近く回して加速する。地を踏む肢と同時に車輪を、意味もなく動かし苛立ちを形にしている。
この憤りをぶつける為に、どうするか。
上が居てはいけない。自分の上は。
一瞬の溜めの後に、妖怪車は跳びかかる。新たに生やした機関を最大に活用し、車輪で走るより速く。
『コルヴォ、来るわ!』
「イライラしてるみたいだ、なっ!」
角度を高くしない形での跳躍。コルヴォの上に圧し掛かる勢いで、勢いと速度を求めた突撃を行う。
バックステップを行う事で、コルヴォもそれを辛うじて避ける。
だが、互いの距離は先ほどより確実に近づいている。
《ギィッ、ギッ、ギシィィ!》
『コルヴォ、組み付かれたら押し負けるわ。力で勝負だけはしないで』
「言われなくても解ってるっての! 強化しても勝負にゃならない事は、重々承知だ!」
体格差、重量差。そのどちらを取ってもコルヴォは妖怪車より下に位置している。
いくら魔力で身体を強化させても、その差は妖怪車と真正面からやり合える程には縮まらない。
顎に、肢に、どこかが引っ掛かってしまえば――の二の舞になるのは目に見えている。
詰められた距離を再度離す事も出来ず、至近距離での応酬を繰り返す。
バンパーの顎を避け、雷の衝撃を与える事で怯ませ、ウォーターカッターを紙一重で躱し、コルヴォは小柄故の戦い方をする。、
雷の爪を後ろに下がって避けられ、放たれた雷は喰らって耐えて、その身の大きさで威圧をし、妖怪車は体格差を生かして攻めていく。
(依子が見てくれてるのは有難いんだが…、こいつはジリジリ押されてってるな…!)
だが、果たしてコルヴォの旗色は悪いと言わざるをえない。
一撃を貰えば結果は見えている。喰われている最中に内側に電撃をぶち込めば、まだ勝機はあるかもしれないが、それに身体が耐えられるかどうか。
もしこの場に白竜が居れば、遠慮せず後を頼む事さえできただろうが…。
(ま、そいつが無理だってのは解ってるけどよ、この状況はほとほと困るぜ…!)
金属音、電撃から起こる空気の破裂音、肢と足が地面を踏む音。
絡まった糸をほどくように、これ以上絡まらぬように、高速で間違いを起こすことなく、捌いていく。
『……っ』
今は膠着状態になっているが、それが故に依子の事で、頭を抱えたくなる事態になる。
偶然とはいえ起き上がってきた依子の意識だが、元々コルヴォと契約していた時は状態が違う。依子としての力をコルヴォに使われている関係上、能力の消耗に関して言えば彼女の方が大きい。
そして、
『…、コルヴォッ、下がって!』
「おおぉっ!?」
妖怪車が車体を前に押し出してくる。顎の中に身体を収められてしまいかねない為、避ける為に大きく後方へ飛び退いた。
直前まで自分が居た空間を、ガチン!と音を立てて顎が挟み込む。
『危なかった…、ゴメン、ちょっと判断力落ちてきたかも…』
「おいおい勘弁してくれよ…、依子が見てくれなかったら、俺様やられちまうかもしれねぇよ」
依子は意識体という現状、能力の消耗はすなわち意識の消耗になりうる。このままじりじりと戦闘が続いていけば、依子の意識が落ちてしまう。
そうなれば、コルヴォ一人で妖怪車に対処するのは難しいだろう。
(はやく終わらせねぇと…。けどコイツ…)
顎を捌く時、接触と同時に雷を何度も流しているが、堪えた様子はない。
反撃と同時の小手先だけでは、どう足掻いても手が足りないのだ。
『…コルヴォ、焦りを表情に出さないで。相手に勘付かれるわよ?』
「そうはいっても、ヒヤヒヤモンだよこんなのは…」
額に冷や汗が浮かぶ。眉根に皺が寄り、口元が苦悶で歪む。
弱いなりに、それなりに戦えると思ったが、自分が弱く相手が強いと、隙を作る事にもこんなに苦労するとは思わなかった。
ガストの時は依子の精神力で耐えていたが、アレは彼女が主導を取っていたからだ。踏ん張ろうにも、その為の体が無い。
『もうちょっと踏ん張るから…、早い所勝機を探らないと…!』
だというのに、彼女は変わらない。自分が喰らった筈なのに、何も変わらない彼女がこうまで疲労している。
その現実に、内心で歯噛みしてしまう。
一度呼気を整え、雷を両手に纏い構え直す。妖怪車もその場でコルヴォを見据えている。
じりじりと距離を詰め、互いに一足飛びの距離になった瞬間、
『まずいわコルヴォ! あっちには鬼の人が!』
「アイツ、ボロボロの兄ちゃん狙いに行きやがった!」
さらに力を得る為か、妖怪車は踵を返し、倒れ伏したままの――の方へ走った。
距離が近付き、最後の血を吸い切ろうと、顎を開いた瞬間、
その顎が止められた。
血に塗れた腕が迫る顎に添えられ、指が音を立ててめり込んでいる。
まるで果実を握りつぶすように掌が閉じられると、鈍い金属音を立てて、顎の先端が取れて落ちた。
「やべぇ…。まさか兄ちゃん、こんなギリギリで片鱗を出しやがった…!」
驚いているのはコルヴォだけではない。妖怪車も、幽鬼のように立ち上がった――に狼狽しているように見える。
「ガハァ…」
ひと目で満身創痍と解る――は血を流しながらも、瞳が紅に染まっている。その光に、正気の色は無い。
覚束ない足取りで――は妖怪車に近付き、握りつぶした顎を再度掴む。
直後、そこを掴んだままで、無造作に妖怪車の車体を振り回した。
ギギ、バキンッ!
バンパーであった顎の片方が腕の勢いに負け、引き千切れる。他に支えを無くした車体は、慣性の法則のままに放られる。
地面をゴロゴロと転がり、どうにか止まった妖怪車は、瞬時に距離を詰められている事に気付いた。
眼前に、血に濡れた――が立っている。狂気の光を目に宿し、狂喜の笑みを口に浮かべ、驚喜の如き叫びと共に、何度も何度も、握りもしない拳を叩き付ける。
《ギィッ、ギィィ! ギィィィッ!?》
破壊作業もかくや、と言わんばかりの金属音が鳴り響き、コルヴォも、妖怪車に、動けずにいた。
『アレが、鬼…』
「脚がガクガクしてやがる…」
2人が同時に抱いたのは、恐怖だ。
隠されていた力の解放は、精神に重篤な変調を及ぼす事が殆どだ。正気を保っていられる事例は、依子としての記憶の中では見た事も聞いた事もない。
そしてその変調は、力が強ければ強い程に激しい物となる。
2人の目の前で、妖怪車が作り変えられていく。
一撃毎に鋼がへこみ、悲鳴のような鳴き声が上がる。
一撃毎に拳が裂け、変異するように肉体が歪んでいく。
一撃毎に血がしぶき、妖怪車の体を癒してしまう。
一撃毎に届かぬ手ごたえを感じ、更に殴りつけていく。
いたぶり、相手が死なない事を喜んでいるように何度となく拳を叩き付けて、相手と同時に自らも壊していく様は、恐ろしさと同時に、別の感情を起こしていく。
(止めてくれよ、そんなボロボロの姿見たくねぇよ…)
コルヴォの中には、胸を抉られるような想いが過る。
僅か一週間程度の付き合いでしかないが、まるで自分よりも悪魔らしい顔と行為に、“らしくない”と思えている。
そして依子は、
『……コルヴォ、聞こえる?』
「…なんなんだ、依子」
『あの鬼の人を、止めるわよ』
コルヴォとは異なる、決意があった。
「おいおいマジかよ…、あの状態の兄ちゃん、どうやって止めるっていうんだ!?」
『方法は解らないけど、とにかくやらなきゃ! あのままじゃ鬼の人、人の心を無くしちゃうわ!』
力が強く解放されれば、強い程に理性を立ち戻らせることが難しくなる。狂気の濁流の中で、一縷の正気を手繰り戻る事。
それが時間をかければかけてしまう程、行う事はむずかしくなる。
『それ、嫌なんでしょう? だったら早くしないと』
「何で依子がそれを解るんだよ…?」
『バカね、私の体だったのよ? 表情からどんなこと考えてるのかなんて、解らないと思ってるの?』
そんなに顔に出ていたのだろうか。コルヴォは自分の顔に手を当ててみた。
自分ではわからないけれど、きっと悲しそうな、嫌そうな顔をしているのだろう。そしてそれが、彼女には手に取るように解っていたようだ。
「…依子、兄ちゃんを正気に戻す方法はあるか? 頬でもバンバン叩くかね?」
『一番簡単なのはショックね。ほっぺたよりはお尻の方が良いかも』
「…おいおいまさか、今朝の事も覚えてるのか?」
『……一応、記憶にはあるわよ』
憮然とした気配で依子は呟いている。やはり尻を叩かれるという事に、思う所はあるのだろうか。
後は、今の状態の――をどうやってかいくぐり、掌打を当てるかだ。
「危険なのは重々承知じゃねぇのか?」
『勿論。だけどね、あのまま放置もしておけないでしょ』
「はいはい、そうだ、なっ!」
その言葉と同時に駆け出す。
柏葉依子は、危険だからと言ってその場で留まるような人間じゃない。その想いはひたすらに、柏葉の思想を気高く持ち続けている。
「人外の暴威から人を守る為」。
それは外側だけでなく、内側からの暴威にも適応されている。まだ――が人間であるのなら、見捨てるわけにはいかないのだ。
(ほとほと無謀だよな…)
危険だ、とコルヴォは思う。その為にいくらでも身を投げ出しそうな危うささえ秘めている。
(だから――、御目付だろうとなんだろうと、ギラギラ目を光らせて俺様が着いていてやんないといけないよな、こいつぁさ!)
悪魔故に、悪意を以て来る相手を見極めないと、いけないと、考える。
妖怪車への苛みを一度止め、――は狂気の瞳をコルヴォに向ける。先ほどより元気のいい相手が来ると考え、放り捨て向かい合う。
『コルヴォ、加速して!』
「あいあい!」
リニアレールのような、反発する電磁力を足裏に纏い、加速する。振り下ろす――の拳が頭を掠め、髪を攫う。
止まらず、すり抜けようとする瞬間、掌に雷を纏わせて、
「朝のお返しだぜ、ビリビリしな!」
脊髄を通り脳天に通るように、尾てい骨を中心として、
バシィン!と、打音を鳴らした。
「アギギギギギッ!?」
打音と共に電撃が走り、狙い通りに脳髄にまで痺れるような感覚が通っていく。
全身の筋肉が硬直し身体が脳のコントロールを離れ、――の体が膝をつく。妖怪車は好機とばかりに力の抜けた手を振り切り、距離を取った。
同時に、これ以上自らを責め立てられれば、死が見えてしまう事に気付き、自らの脅威を一刻も早く排除せねばと考える。
『…どう?』
「わかんねぇ…、ビクビクしてるけど、正気に戻ったかは…」
スパンキングから3歩後ずさった2人は、緊張し、固唾を飲んで見守っている。これでもまだ戻らないのなら、続けて衝撃を与えるつもりだが、果たしてそれを妖怪車の方が許してくれるだろうか。
視線をわずかばかり、妖怪車の方へ向けると、やはり見逃そうとする筈もない。
歪まされた体や千切れた肢をどうにか修復し、車体を深く沈める。
新たに生えた箇所を千切られ、手傷を負わされた。ならば自分が最も得意とした攻撃を。
勢いをつけた、時速にして150キロはある、単純な突撃。それが妖怪車の取った選択で、動かない――目掛けて向けられる。
「やべぇっ! 兄ちゃん、キリキリ目ぇ覚ませ!」
アレを受け流せるだけの余力が自分にはない、見てるだけしか出来ないコルヴォの目の前で、――の目が開き、
「でぃえいっ!!」
車体を掴み、投げ飛ばした。
慣性の法則に従い、さらに膂力を込めて投げられた車体は轟音と共にバウンドし、地面と体を擦りながら滑っていく。
その様子をじぃと見つめる――の視線は、
「……、まだ動くか」
凶暴さはなりを潜め、冷静になっていた。
戻れたのだ、と理解したコルヴォは、途端に肩の力が抜けて頽れそうになるが、
『コルヴォ、倒れちゃダメよ。…向こうはまだ動くわ』
「ハイハイ、解ってるっての…、お、ぉっ」
依子による叱咤に、膝に力を入れて奮い立たせる。
その様子に気付いた――は、血濡れたままの腕を腰に添えて、倒れるのを防いでくれた。
「助かったよコルヴォ。ありがとう。それと、悪かった」
「…良いんだよ。いちいち気にしてたら心の方がもたねぇぜ?」
「恩を気にしないほど図太くなれねぇよ」
腰に腕を添えられたまま、もう一度足に力を入れて、今度はしっかりと立つ。
――が手で支えなかったのは、血に濡れていたからだろう。満身創痍の身でありながら、そんな所まで気を使わなくてもいいだろうに、と考えながら、――の顔を見上げる。
「兄ちゃん、ギリギリ動けなくなるまで、あとドン位だ?」
「そうだな…。今の所リミッターが外れてるみたいだから、正直解らん。…となれば、時間はかけられない訳で」
『一発か二発。それで終わらせた方がお互いに楽よね』
「なら、ガンガンいくしかねぇな。依子、兄ちゃん!」
「…あぁ、そうだな!」
一瞬だけ訝しんだ顔をするも、――は体に力を入れる。瞬間、傷口から血がしぶくが、気にしていられない。
今はこの身に迸る暴威を、どうにかしてあの妖怪車にぶつける事。それだけを考える。
《ギ、ギ…ッ!》
妖怪車は混乱する頭の中に、一抹の「自らの不利」を悟ってしまっていた。
自らの優位性を確立するために、瀕死の男の血を吸おうとしていたが、なぜこんな事になっているのか。
解っている事は、あの男からはもう血は吸えない。恐ろしいのだと感じている。
ならば。あの相手から吸えないのならば、目の前にいるもう一人から吸えばいい。
そう考え、思考を巡らせた瞬間、
「でぃえいっ!!」
一足で接近していた――に、蹴り上げられていた。
訳もわからぬままに中を舞う。何をされたのか解らず、攻撃してきた――を見ようとして地に視線を向けると、そこに姿は既になく、
「ぶった切れろ!」
視界とは別の方向から、右手に雷の爪を伸ばしたコルヴォが跳んできた。火花を散らしながら鋼鉄を焼き千切り、何も出していない左手で車体を掴む。
腹を見せた妖怪車にマウントを取り、雷の爪を突き刺して流し込む。
《ギィィィィィ!?》
もがくように肢をバタつかせ、コルヴォの体に引っ掻けて引きはがす。
中空に投げ出され、洗浄液のウォーターカッターが身体を切り裂いていく。
「依子、ギリギリ撃てて後何発だ!?」
『全力で一発! それでもう寝るわ!』
「余力なんて全然ありゃしねぇな!」
『でも今は…!』
2人の心はこの場において、一致していた。
致命には至らないが、深く切られた身体から血を流し、それでも動かそうする。
妖怪車が蹴り上げられ、放物線を描いて着地する場所には、既に――が立っていた。
自らの調子を確かめるように、拳を握れるほどに回復した右腕を何度も確かめるように握り、開く。
「直接も行けそうだが…、今はコイツの出番だな」
取り落していた青嵐丸を握り直し、深く息をつくと同時に刀身に蒼い焔が迸った。自らの魔力の発露を、ほぼ無意識に行いながら、途切れそうな命の集中力を基に練り上げていく。
「コルヴォ、俺が合わせる!」
「あいあい!」
中空のまま、魔力で足場を作り、コルヴォは跳ねる。
蒼い焔を纏い、刃を構えて、――は腕に力を籠める。
《ギィィィィィィ!》
2人の狙いに気付いた妖怪車は、怨嗟の様な叫びを上げる。自らの優位を信じて、一度は潰した相手にも責め立てられ、そして追い詰められた。
何故そうなったか。その理由に気付くことは、もう無い。
「でぃぃえいっ!!」
「『雷降脚!!』」
雷を纏ったコルヴォの脚と、焔を放つ――の刃が、妖怪車の体と交錯し、
断末魔のように、その身が爆発した。
コルヴォは爆炎を背に着地し、脚を地面にこすりつけて勢いを殺す。
「…どうだっ! ここまでやってりゃとうとう死んでんだろ!」
快哉とした笑顔で振り向き、妖怪車の果てを確認しようとするコルヴォの視界に真っ先に入ったのは、
妖怪車の着地地点に居ることと、攻撃に際し交錯したこと、そして爆炎。
つまり、爆発の直撃を受けていた――の姿が、そこにあった。
小規模のクレーターの中心で身を横たえ、倒れ伏している。
「兄ちゃぁぁぁん!? トドメ刺した後に気ぃ抜いてガンガンにオチをぶっ込んでくんなぁぁ!」
『あの倒れ方はマズいわコルヴォ! 電気ショック電気ショック!』
「心臓確認してねぇんだから依子も落ち着け! ドクドク脈打ってるかもしんねぇだろ!?」
どうにも見覚えがありそうな倒れ方をしている――を…、幸い揺するだけで起きたが、起こし、とりあえず回復するまで待った。
これから家に戻るのは大変そうだ。
――は動けない、サイドカーはガソリン切れ、雪姫を呼んでもどうにかなると思えない。
溜息と共に、痛む身体を押しながら、六月から預かったヘアピンを取り出し、じぃと見つめる。
「なぁなぁ依子…、――」
声をかけても、もう彼女から声が返ってくる事は無かった。
けど、
「…俺様、守れたよな。アイツの事をさ」
ほんのわずかな満足感と共に、小さく呟いた。
* * *
Side:雪姫
「お加減は如何ですか?」
「んー…。どうにか体を起こせる位には…」
「あまり無理はなさらず、横になったままで良いですからね?」
荒事の翌日。私の住む忌乃家の一室で、夫の――さんが布団から起きようとするのを押し留める。
ただでさえ血を抜かれ、身体を痛めつけられと、死んでしまってもおかしくない怪我をしたのだから、出来る限り身体を労わってほしい。
「…ごめん、雪姫さん」
「どうして謝るんですか? 何か悪い事でもされましたか?」
「いや、無理し過ぎたと思って…。心配も掛けさせちゃって…」
「そうですね。確かに少し心配しましたよ。ですが…」
布団の中に手を差し入れ、強く握りしめていた彼の手をほどく。
あぁやっぱり。汗と違うものが、手のひらに滲んでいるのが分かる。
「必要以上に自分を責めるのは止めましょう? 血が活性化して治った手を、また傷つけちゃ何の意味も無いですよ?」
「……」
強く握りしめられて、血が滲んだ掌。――さんの血が暴走する事で、一時的に鬼の力を得たこと。それによって強化された治癒力で、とりあえず腕だけは戻っているけれど。
それでも、無事でいる事を望まないように、彼は自らを傷つけている。
私に対する引け目を感じているのか、それとも自らの不甲斐無さを悔いているのか。それは心の中を覗けない身としては、推し量る事しか出来なくて。
(…もし、さとりが居たとしても、聞くつもりはありませんけどね)
全てを知る事ほど、怖い事は無いと思う。知らぬが仏、とはよく言ったもので、知らないからこそ安寧を得られる事も、確かにあるのだろう。
私にとってその一つは、――さんの本心。
知りたいと思う心と、知るべきではないと考える頭とで、危ういところでバランスを取っているような気がする。
「…これ以上、徒に自らを傷つけてほしくありませんから。…ね?」
「……善処するよ」
バツが悪そうに、確約しないで――さんは私から目を逸らす。
その行動がほんの少しだけ頭にきたような気がする。
「あー、――さんの事を心配したら少し頭がふらついてきましたー。体が弱いというのはダメですね。
横になりたいのですけど部屋まで戻るのも億劫ですし、良い所に――さんが寝てらっしゃるのでご一緒させてもらいますね」
「えっ、ちょ、ちょっと雪姫さんっ?」
「はぁ、温かいですね。…動かないでくださいね、――さん?」
我ながらわざとらしい言葉と共に同じ布団の中に潜り込んで、体を寄せ合い息がかかるほどに近づく。目の前では慌てた顔で距離を取ろうとする彼が居たので、予め釘を刺しておいた。
それと一緒に、逃げられないよう、左腕を抱きしめる。
密着するにつれ、汗と少しの血の匂いが強く感じられる。
「…傷付くのは嫌です。――さんは、私の隣から居なくならないでください…」
「……うん、善処するよ」
本音を吐露して、身を寄せる。布団の中で、服越しに熱を分け合う。
偽らざる本心であり、言うべきではないとどこかで思う、彼を縛る言葉。これ以上いなくなられるのは、死なれるのは嫌なのだ。
たとえ男の矜持で強くなろうとして、その結果傷だらけになったとて。
(我が儘ですかね、これは…)
自分の背に添えられる彼の手に、温かさと同時に後ろめたさも感じてしまう。
お互いを大切に思っているけれど、どこかで拭い切れない罪悪感が私達の中にあって、それが本当のつながりを遮っている。
同じ褥は温かいが、風呂を共にした事、肌を重ねた事、果ては唇を重ねた事も無い。本当に、歪な夫婦関係だ。
(それでも…)
それでも、攻め立てられる心と併せて私の中に息づく暖かさは嘘じゃないと信じたい。
たとえこれが、早耶さんの隣から結果的に奪ってしまった末の関係だとしても。
「――さん」
「どうしたの、雪姫さん?」
「…何でもありません。体調も気分も優れませんから、しばらく横になってます。離れないでくださいね」
「ん、解ったよ」
我が事ながら、
本当に、救いがたい。
* * *
Side:コルヴォ
「イヤイヤ別に良いんだけどな、2人がどうなろうとさ!」
なんか兄ちゃんと鬼の姉ちゃんがゴロゴロしてるのが目に入ってきて、居たたまれなくなって忌乃家を出ようと思った。
まぁ、アレだよ。別にイチャイチャするのが悪い訳じゃないし、俺様も見てて楽しいんだけど、どうにも鬼の姉ちゃんのほうが悲愴な感じを出してやがるので、そっちの方面で見てたくない。
もっと安心して弄れる方向なら、俺様も気にするつもりは一切無いんだよ。
適当に着るものを探しつつ、俺様に宛がわれた部屋をゴチャゴチャにしながら、ふと制服のポケットに挟まった物に目を向ける。
「あ、そっか。そろそろコイツも返しに行かないとな…」
それなりに激しい戦闘をしていても外れない様、ヘアピンをポケットに挟んでいた。
小さな花の飾りがついたヘアピンは、小さく存在を自己主張して、俺様に「早く持ち主の所へ戻せ」と訴えているようだ。
適当に私服を見繕って着替え、財布と定期を鞄に突っ込んで、ヘアピンを制服から取って同じく鞄の中へ。
確か六月の家がある方向はアッチで、今俺様が居る忌乃家の場所はここだから…。
「そうそう時間をかけずに行けるかな…」
居間のテーブルに書置きを残して、考えながら家を出る。
果たして依子が家にいるかも解らないけど、そこは東金とかいう奴がまたまた掃き掃除してりゃ、伝言なりなんなりを済ませて終わる筈だし…、
「まぁまぁ、イケんだろ」
楽観視しながら駅へと向かい、電車に乗って3駅隣に。
思えば初めて降りる場所だけど、ここからどう行けば三条組の敷地に辿り着けるのか。それも何となくわかったので、とりあえず向かってみた。
住宅街というが、全然静かな休みの日。
たまに走ってくるドライバーの乗った車が通る以外に、あまり人の声も聞こえてこない、閑静ともいえるような場所。
歩いて20分くらいはしたような三条組の敷地に向けて歩いていると、厚着気味で、帽子とマスクとサングラスという、全方位から「疑ってください」と言わんばかりの格好をしている奴が、誰かから隠れるように、こそこそと歩いている。
「あー…、ちょいちょい、何やってんだ?」
「ひぇっ!?」
見覚えのありすぎる気配だったので、気になった途端に声をかけると、まぁ面白い位に反応してくれた。
よっぽど見つかるとマズいと考えてたのか、フリーズして5秒くらい経過したら、ようやく俺様の方に気付いたようだ。
「あー驚いた…。いきなりは困るよコルヴォ…」
俺様としちゃお前のカッコに困ったよ六月。
話を聞くと、まぁ先日みたいに家を出てきた直後だったようで、まさか気付かれたと思いあそこまで硬直したのだと。
そこまで困る事ならいっそ開き直って「家の外出たいです」って言やぁ良いのに。
「…だって、やっぱりおじいちゃんが護衛とか付けようとするから…」
とぼとぼ肩落として歩いてる六月の隣で、適当に受け答えしてる。
けど昨日と違うのは、お互いに私服であり、軽装であるという事だ。
「顔をガンガンに隠して、今日は何しに出てきたんだよ?」
「今日は…、やっぱりこれ、ちゃんと返そうと思ってね。もう、終わったんでしょ?」
ポーチからごそごそ取り出されたのは、昨日兄ちゃんが六月に渡していた護符。そういやずっとアレ無かったんだな、大丈夫か?
「まぁなぁ。おかげで兄ちゃんボロボロだけど…、ありゃ自業自得みたいなもんだし」
「やっぱり。昨日の事をおじいちゃんに話してもらったけど、仕事が速いっていう印象持たれてたし…、もう良いかなって思っちゃってね」
「もし俺様達が全然終わらせてなかったら、どうするんだよ?」
「それは…、無いかな?」
「何でまた、是非是非理由を聞かせてほしいね」
「だって、コルヴォがこうして来てくれたじゃない?」
マスクもサングラスも外した六月は、俺様に屈託のない笑みを向けてくる。
信頼、されてるのかね?
「…そうかい。そんじゃとうとう答え合わせの時間といこうか」
「あ、これって…」
自分のカバンをごそごそと漁り、持ってきたものを見せる。視界に収めた六月は顔をほころばせる。それはおそらく喜びで作られたものだろう。
「そう、六月のヘアピン。…ホイホイ無くせるモンじゃねぇし、早い所返してやりたかったからな」
「ありがとう…。それじゃあ、本当に機能の事は終わったんだね?」
「ちゃちゃっと終わらせたよ。あんな後に続くかどうかの事件なんて、元を断てばそれで終わるんだ」
「もう、あの車に傷つけられる人はいないんだね?」
「ゾロゾロ出てこなきゃ、まず無いだろ」
「…良かった…」
安堵の声と共に、六月はヘアピンを大事そうに撫でた後、慣れた手付きで髪につけた。
それだけ大事な代物で、何度も髪につけたのだろう。
「本当にありがとう。…でも私、こんなにされて、返せるものが何にも無いや…」
けど、笑った直後に六月の顔は曇る。気にしなくてもいいだろう事なのに、返礼が出せない事を気に病んでいるようだ。
本来の『俺様』…、悪魔としての存在なら、行動の代価を求める存在が大半だ。契約を交わさない相手への代償なんて、暴利というのが生温いレベルであらゆるものを毟り取っていく。
本来なら俺様もそうして然るべき、だったんだが…。
出てきた言葉は、驚くような物だった。
「気にするなって。アイツの行動にゃムカムカしてたし、ブッ潰すいい理由になったからさ」
「え、でも…」
「だから気にすんなって! ウジウジ引っ張られるのもヤなんでね!」
六月の頭を、ヘアピンに干渉しない形でぐしゃぐしゃにかき乱す。
少しだけ不満そうな顔と共に、髪の毛を整える六月に向けて、もう一度告げる。
「礼とか気にすんな。…もともと“あぁいう奴”の手口で傷付く人が出るのが、個人的に嫌だっただけだからな」
「…、うん…」
我が言ながらキザっぽいというか、清々しくないというか。
正直なことをぶっちゃけるなら、他人を気遣う言葉なんて思い浮かばなかったってのがある。
依子としての人間生活なんて、記憶の中と一週間程度の生活しか体験してない俺様が、そうポンポンと語彙から引き出せるかと言われたら…、難しいんだよなぁ。
だから、こんな事しか言えない。
…当然の事ながら、六月の方はあんまり納得いってない感じだ。
「難しく考えなくて良いんだっつの。困ってる人を助けて、礼はいらねぇって去ってく奴がいたって、こんな広い世界じゃ何の不思議もねぇだろ」
「個人的にはすっごい不思議だよ。…どうしてそう思えるの?」
「それか? …、そいつぁな…」
一度だけ空を見て、小さく呟く。
「俺様がスカスカに底抜けのお人好しな奴を知って、それに影響されちまったからさ」
依子と一緒に過ごした時間と、依子として過ごした時間。俺様の中に存在する彼女の大きさは、思っていた以上に俺様に影響を与えていたようで。
人間の倫理観で言うところの「悪い事」なんて、もうできなくなってるんじゃねぇか。そんな気さえするような思いがある。
「そっか…、そんな人いるんだ。その人って…、忌乃さん?」
「全然違うよ。兄ちゃんよりもっと前に知り合って、ずっと知ってる奴…、知ってるつもりだった奴だ」
「つもり、かぁ…。…ねぇコルヴォ」
「あん?」
足を止めて、依子が俺様に真剣な目を向けてくる。
「コルヴォは、その人とまた会える?」
「…さぁなぁ。俺様が裏切っちまったから、易々とは会えねぇような気はするな」
「でも、会えるかもしれないでしょ?」
「……、だな」
確かに、俺様が裏切って喰っちまった依子と、あの時だけとはいえもう一度会えた。
あれが戦闘の途中でなければ、俺様と依子はもっと話し合えたかもしれない。
ちぃっとだけ、後悔するには遅かったような気がするよ。
「だったら、また会えた時にいっぱい話をしようよ。その人との関係を“知ってるつもり”で終わらせるのって、なんだか寂しいよ」
「…かも、しんねぇなぁ」
六月の言葉に、なんでだか納得しちまう。
思えば俺様と依子の関係は「利害の一致」と言うより、「互いの目的の為にお互いを利用し合っている」という言葉の方がしっくり来た。
依子は戦うための力を欲するために、悪魔の中では弱い俺様に目を付けた。
俺様はもっと上に上がる力を欲するために、潜在力の高い依子の体に目を付けた。
だから依子のことを深く知ろうとしないで、外側から軽く突いたりからかったりするだけで終わらせていたんだ。けど、今となっちゃ…。
俺様が依子に「力」をやった以上に、俺様が依子に「心」を残された気がする。
(この気持ちは…、俺様一人じゃ飲み込めねぇよ…)
「…コルヴォ、泣いてるの?」
知らぬ間に上を向いていた俺様に、六月が声をかけてきた。
そう言われて初めて、眦から涙が出ていることに気付く。
「え? あ、マジだ…、なんか、ぽろぽろ出てきやがる…」
拭っても出てくる涙に困惑しながら、それだけ依子の存在が俺様の中で大きくなっていた事に、少しだけ戸惑ってしまう。
あぁダメだ、止まらねぇ。でもダメだ、六月の前だ。
「…っ、…、…っ」
これはきっと、後悔の涙だ。俺様の中の依子と、依子を食った俺様の、二人分の涙。
もっと話せばよかった。もっと知ればよかった。もっと、深く繋がっていればよかった。
止まらない涙を袖で拭いながら、心の中で、依子の名前を呼び続けた。
「…もう大丈夫?」
「おう…」
グジュグジュになった顔をどうにか元に戻して、六月から借りたハンカチを返す。
袖で涙をぬぐう俺様に、ハンカチを差し出してくれていたのだ。
「助かった。けど悪ぃな、ハンカチ濡らしちまって…」
「良いんだよ別に。あそこまで泣かれてたら、何もしないっていうのもさすがにね…」
「ん…」
力なく応える裏で、一つ、思う事が出来た。
やっぱり俺様は、依子と話がしたい。自分がやってしまったことへの償いを、どうにかしてやらなきゃならない。
その為には…、
「…悪い、六月。俺様もう帰んないといけねぇや。ちょっと兄ちゃんと話したいことが出来たんだ」
「え、そ、そう? それじゃあこれ、忌乃さんに渡しておいてくれるかな?」
「あぁもちろん。任せときな」
六月から、崩れないように封筒に入れられた護符を受け取る。紙越しにでも解る退魔の力は、ちょっとだけ持っているのが辛いが、それも鞄に入れれば平気だ。
「そんじゃぁな、六月。……ありがとう」
「え? う、うん、またね。次に会う時は、もっと色んな事話そうね?」
「……」
また、という言葉には何も言わずに、手だけを振って応えた。
多分その約束は叶えられそうにないから。出来ない事を約束するつもりは、今の俺様には無かったから。
きっとその時には…、俺様はもう、いないだろうから。
* * *
「…なるほどね。だからあんな真剣な顔してたのか」
「うん…。兄ちゃん、鬼の姉ちゃん。俺様がやっちまったことで今更ウダウダ言っちまってるが…、どうにか出来ねぇか?」
六月と別れてすぐに忌乃家に戻ると、二人が同じ布団で寝てたのにはちょいちょい度肝を抜かれたが、気にする事としては小さかった。
思っていたこと、「依子の意識を復活させる方法」を、何か当てがないか尋ねる必要があったからだ。
「どうにか、ですか…。…方法が無いわけではありませんが、懸念は沢山ありますね」
「何でもいいんだ、あったなら喋ってくれ。頭も下げる、へこへこもする。お願いだ…!」
未だ兄ちゃんと同じ布団から出てこない鬼の姉ちゃん相手に、土下座をする。もう俺様のプライドなんて構いやしない。
「…コルヴォ、顔を上げろ。俺も少し雪姫さんと話をしてたから、少し面倒くさい事になるのを知ってる。そのままで聞いていい話じゃないんだ」
「…うん」
兄ちゃんに促されて顔を上げ、佇まいを直して話を聞く姿勢に入る。
目くばせをされた鬼の姉ちゃんが、目を伏せて喋り始める。
「まず…、コルヴォさんが食らった依子さんの復活と言う事ですが、道理では不可能と言うほかはありません。
先日の事も聞きましたが、あれは消化しきれていない残滓が出てきただけで…、あと数日もすれば、それさえも消えてしまうでしょうね」
悔しいが、鬼の姉ちゃんの言う通りだ。
あの時、俺様が依子の意識と会話できたとしても、戦闘の為に力を使ってしまった。それはすなわち、「力を引き出すために依子を消化してしまう」事に他ならない。
昨日と同じような状況になったとしても、もうきっと、起き上がってこないだろう。
もしそうなったとしても…、あんなふうに理性的にはならないはずだ。
「ですが」
ですが?
「…実は忌乃家には、頭を抱えたくなる位に“何をやっているんだ”という方々が居ましてね…」
「…その話が、今の話とどうやって関わってくるんだ?」
「『雷火』が収められてた蔵の中に、こんな巻物があってな。…読めるか?」
兄ちゃんが枕元に置いていた巻物を広げ、読んでいく。
確かに現代文ではない為読みにくい。頭の中がぐるぐるしてきやがった。
冷や汗が出てきたのを察されたのか、鬼の姉ちゃんが助け舟を出してきた。
「それは忌乃家に伝わっている、道理の外に連なる技術の一つです。
二人の鬼の力…、陰陽二つの力を用いて、対象の存在をあらゆる方面から変換し“書き換える”。そんな技術が書かれています」
「ンな事、できるのか…?」
「出来てしまったからこそ、その文面なんですよ」
『双転証』と、ひと際大きく書かれていたその名前が、巻物の中に存在していた。
その技術が語られるまでの経緯を、鬼の姉ちゃんの口からきいた。
双子の鬼が、それぞれが愛した存在を娶る為、存在を書き換える為にその技術を生み出したこと。
薬とかじゃなくて、存在の根本から書き換える為に、わざわざ一から作った事に、ちょっとだけ頭が痛くなった。
「…な? そうなるだろ?」
「あぁ…。頭がガンガンしてきやがる。何考えたんだこいつら…」
「その血を引いてると思うと、先祖の方の行動に私も頭が痛くなりましたよ…」
だろうな。
どこから分化したのか知らねぇが、鬼の姉ちゃんは確実にそのどちらかの血を継いでる筈だし、兄ちゃんは自分の源流がその相手を生み出したとなると、他人事じゃねぇ訳だ。
傍から聞いてる俺様だって、頭痛がしてきてたまらねぇ。
「…んでんで。この『双転証』とやらを使えば…、依子は元に戻るのか?」
「確約は出来かねますが、恐らくは可能でしょう」
その言葉に少しだけ顔がほころんだ気がした。けれどその希望は、すぐに手が届かない距離に逃げていく。
「ですが、今はまだ行えません」
「さっきの雪姫さんの言葉、覚えてるか? 『双転証』は2人の男女の鬼がいないと、発動できないんだ」
「何でだよ、兄ちゃんが鬼になれば…、あ…」
そこまで言って、考えてしまう。
兄ちゃんが鬼の力を、一時的とはいえ覚醒させた時に、どれだけの怪我が必要だった?
そして今の状態はどうだ?
無理矢理覚醒させたとして、昨日みたいに意識が人外の衝動に押し流されて、人間性を無くしたバケモノにならないという保証がどこにある?
そして今この場で“そうなった”として…、
俺様と鬼の姉ちゃんだけで、止められるのか?
「…すみません、コルヴォさん。もう一人、男の鬼が見つかるか、――さんがきちんと鬼にならない限り、『双転証』は使えないんです」
「…そうそう、上手く事は運ばないって訳か」
「悪い…」
「気にすんなって。兄ちゃんが悪いわけじゃねぇからさ…」
今すぐには、無理なんだ…。
そう考えると、兄ちゃんにあぁ言ったものの、やはり気分が少し落ち込んでしまう。
「けどけど、可能性が無いわけじゃないんだな?」
「えぇ。コルヴォさんの存在を依子ちゃんから引き剥がすことも、現在の関係を逆転させることも…、存在を二つに分ける事も、すべてを全く別の存在に作り替える事も。
『双転証』なら起こせます」
「…解った。だったらひとまず安心したぜ」
しばらくは俺様が依子として生きるしかない。それだけは確実な事だ。
それならば、と次に思考を向けていると、兄ちゃんが聞いてきた。
「そうだ、コルヴォ。…退魔業は続けて行うのか?」
「ガンガンに続けるぜ」
それには迷うことなく応える。
「依子が俺様の力を求めたのも、元はといえばその為だったんだしな。
…俺様がその時まで『柏葉依子』として生きなきゃならないなら、ちゃんとその役目は果たしてやらないといけないと思ってな」
「その為に、魔界の存在と敵対することになってもいいのか?」
「ならなら逆に聞くけどさ、兄ちゃん? 兄ちゃんは退魔師相手や人間相手に戦う事になったとしても、この家に居続けるつもりだろ?」
「…っ、まぁ、そうなるよな……」
少しだけ苦い顔をした兄ちゃんは、俺様の顔を見てため息を吐いた。
納得してくれたのか、それとも渋々なのか。そこん所は微妙な感じがするけれど。
「俺様は逃げねぇよ。やった事からも、敵からも、依子からもよ」
返さなきゃいけなくなる時まで、依子として生きる事の全てから、逃げねぇ。
人間に仇なす化け物を倒し、力無い人々を守る。そして『双転証』が行われた時に、依子と別れるようにしてもらう。
その時に改めて…、依子がどうするのか、その沙汰を委ねよう。
俺様から離れても、別の相手と契約しても、消滅を願われても、その全てを受け入れよう。
「だから…、お願いします。まだここに置かせてください」
もう一度、深く頭を下げる。それに返された言葉は…、
「そうですね、でしたら夕飯の作る量を減らす必要はありませんね」
鬼の筈の女性の、優しい声だった。
* * *
「ん…、ふぁふ…。目がショボショボする…」
朝の鳥が鳴きわめく時間帯。忌乃家の客室…もとい、俺様の部屋で目が覚める。
寝巻のまま洗面所に向かおうとすると、もう兄ちゃんが起きて体操を行うように身体を軽く動かしている姿が目に入った。
庭で運動してる兄ちゃんに向けて、縁側からのん気に声をかける。
「おーい兄ちゃん、身体動かして平気か? バキバキ言ってんじゃねぇの?」
「あぁコルヴォ、おはよう。体はまぁ…まだ辛いけど、治りが速かったんでそこまでじゃないさ」
「無理しない形で早々と鬼になってくれよ? 兄ちゃんが変わる事で、ようやく第一歩なんだからな?」
「解ってるって。…ただ、軽々に鬼には成れないかもしれないけどな」
「ほーん? 近々に何か予定でもあんの?」
「いや、実はな…。今日は雪姫さんとデートで…」
あぁ、そういや昨日飯の場で何か言ってたな。出かけるから早めに準備してほしいとかなんとか。
「ずっり、俺様だけ置いて二人でイチャイチャしに行くのかよ。怪我人の分際で、もちっと治療に専念するとか考えねぇの?」
「俺だってそうしたいけど、白竜くんとダブルデートするって約束だったんだから…。放りだす訳にもいかなくてな」
「スライムの兄ちゃんか…。なぁなぁ、俺様も着いt「ダメだ」何でだよー!」
スライムの兄ちゃん…、白竜の事を聞いて、着いていきたかったけど即座にNGを出された。
曰く、白竜の相手は人外の世界のことを何も知らない、極々普通の一般人だかららしい。
可能な限り人外としての力を見せたくもないし、感じさせたくもない為、出来る限り近付けさせたくないんだとか。
「えー…。スライムの兄ちゃんに、鬼の姉ちゃんに、兄ちゃんだろ? これ以上近付いたって全然大差ねぇじゃん」
「大アリ。…あんか、デートで行く場所にちょいと不穏な気配を感じてな。そういう意味でも人外の存在を増やして、下手に刺激をしたくねぇんだ。最悪、気配の主が出てきて大乱闘…とかに成りかねないしな」
「ふーん…。それならしょうがねぇかなぁ? 精々二人でイチャイチャしてきやがれってんだ」
負け犬みたいなどうにも情けない捨て台詞を吐きながら、最初の目的だった洗顔に向かう。
冷たい水で顔を濡らし、泥石鹸で夜の間に浮かんできた皮脂を融かし、洗い流す。しっかり水気を落としたら、鏡を見る。
「…ん、よしよし」
ちゃんとこの体を依子に返すまで、俺様が代わりをしっかり務めていかないといけない。
体のケアも勿論だし、退魔師としての行動もそうだ。…依子の手柄、という意味では横取りする事になるんだが、人外の連中が人間相手に迷惑かけてるのを見過ごすなんて、俺様の中の「依子」がする筈もねぇ。
俺様は今この瞬間から、戦う時は「コルヴォレス」でなく「柏葉依子」として名乗るんだ。
「“私”の顔に泥を塗ることなんて、できないからね」
口調も依子の物に変えて、俺様の痕跡を可能な限り消していく。
…どう思われるのかなんて考えたくないけれど、自己満足だって解っているけど。
ここから始めていこう、俺様の償いを。
「あ、そうだ」
そうして一つ、やりたい事を見つけて、バタバタと縁側に戻る。
「兄ちゃん! 暇があったらちょいちょい頼みたい事があるんだけど!」
…口調に関しては、頑張るしかないな。
* * *
Side:六月
「六月ちゃん、お手紙来てるわよ?」
「ホント? ありがとう、一二三お姉ちゃん。……あれ?」
居間で東金さん一押しの今期のドラマを見ていると、五十六おじいちゃんの長男の娘…、私にとっての従姉の、一二三お姉ちゃんが手紙を持ってきてくれた。
けれど受け取った封筒は、なぜか消印が付いてない。直接郵便受けに投函された、という物みたい。
「一二三お姉ちゃん、このお手紙どうしたの?」
「それね、お爺ちゃんが忌乃さん…、えぇと、男の人の方から直接渡されたみたいでね。その人も居候伝手に手紙を渡されたみたいなのよ」
「へぇ…。……、そっか、そうなんだ」
裏側を見ると、送り主の名前がちゃんと書かれていて、それでようやく納得がいった。
「その送り手の人、大丈夫なの?」
「大丈夫だよ、前に助けてもらったから。ありがとう、一二三お姉ちゃん」
録画しているのでドラマは後で見ればいいやと思い部屋に戻り、封筒を開く。
4つ折りにされた便箋を開いて、書かれた内容を見ていく。
「…もう、コルヴォったら。……しょうがないなぁ」
ちょっとだけ乱暴な感じの文字で綴られた、コルヴォの思い。
女の子の筈なのに行動も文字も男の子っぽくて、見てると本当に、しょうがないなって思う。
「付き合ってあげようかな、今度会った時に…」
今度会う時は、コルヴォじゃなくて、「柏葉依子」という存在として接してくれだなんて。
無茶苦茶な言い分だってのは解るけど、会えなくなるって訳じゃない。それだけでとっても嬉しくて、こんな頼みごとだって聞いてしまいたくなる。
「詳しく聞くのは、後で良いよね。また会えるんだもん」
彼女にもう一度会う時が、楽しみになりそうだ。
* * *
Side:コルヴォ
「さてさて…、目撃証言によればこの近辺らしいけど…」
兄ちゃんから渡された、人間の仇なす人外の情報を頼りに付近まで来ている。
そういう存在が出てきていて、悪さをしているというのなら。その存在を放置する理由なんてどこにも無い。
「……」
気を落ち着ける為に、深呼吸を一つする。
呪いをかけて人間を不安に陥れて、弱った心につけ込んで私服を肥やす悪徳宗教。そこに力を貸している呪術師の悪魔。
何を以てそんな事をしているのかは知らねぇが、見過ごす理由は何一つ無い。
ぶっ潰さないと、安心して眠れる人がいなくなる。
「…んじゃ、行きますかね」
魔力を全身に漲らせて、身体能力を上げる。
結局できるのはこれだけだけど、精度は上がってきている。
「シィッ!!」
脚に力を込めて、跳び上がる。
不思議と身体も、心も軽かった。
俺様の中には依子がいて、約束をした六月がいる。
依子に俺様の行動の答えを聞く為に。もう一度六月と話し合うために。2人に会う為に、生きて戦っていかないといけない。
できる事なら、許される事なら。俺様と依子と六月と、3人で話し合ったり笑ったりしてみたい。
けれど、今は無理だ。だからその時になるまでは。
俺様は、「柏葉依子」は、強く在り続けなければいけない。
俺様の役割、その全てが終わる時が来るまでは。
「その時まで…、待ってろよ、依子!」
コルヴォ番外編 END
オマケ 種族解説
妖器-Artifact-
一般的に「魔剣」「妖剣」と言われた方が通りが早い。
実際は刀剣に限らず、自らの意識を持った器物全般を指す。
発生する理由は大別して二通り。
「念を込めて作られる」か、「命を吸う」かである。
前者は制作者の念が込められ、最初から器物に命が宿って生まれてくる。その場合、製作者の思考から所持している能力を予め持っている事がある。
後者は他者の命を吸い、自らの身に命を宿して生まれてくる。こちらの場合多少の差異はあるが、大抵は「他者の命を奪う」事に特化していく。
今作に出てきた妖怪車は後者である。
鬼の棲家にして、人と人外との間を繋ぐ橋渡し役の者達が住む家。
古式ゆかしい黒電話の受話器を手に、当主の雪姫は通話をしている。
『で、どうなのだ』
「どう、とは?」
『彼女を戻せるかだ。我々の知らない事も、人外のお前達ならば知っているのではないかと思ってな』
「今は心当たりはありませんね。蔵書を探れば別かもしれませんが」
『本当に見つかるかは信じていないがな』
「そうですか。それにしても…」
『……』
「依子ちゃんを元に戻すことに、随分と躍起になられているんですね」
『お前たちの所に預けられてなければ、すぐに消しに行っているところだ』
「その心積もりでしたら、ぜひいらして下さい。全力でお迎えしますよ」
『…結構だ』
「そうですか、それは残念です」
『言っておくが、元に戻せないのならば要らん。そこまでの存在だったということだ』
「随分と情のない事を仰るんですね?」
『着いてこれなかったなら、切り捨ててきた。これまでそうしてきた、これからもそうするだけの事だ』
「そうですか。それにしては彼女の事を惜しんでいるようですが?」
『…お前達人外には関係ない事だ』
その言葉を最後に、ガチャリと通話が断ち切られた。無機質な電子音を聞かせる受話器を本体に置くと、チン、と小さな音が鳴った。
結局のところ、彼らは惜しいのだ。
柏葉依子と言う少女の素質を認識しているらしい様子で、彼女を取り戻したいと考えている。
けれど自らの、力を得るために魔の力を借りている状態から、これ以上卑屈になれるものかとどこか歪んだプライドが、それを素直に言葉にすることを拒絶させている。
「捻くれていますねぇ、柏葉の方々は…」
独り言ちながら、先ほどの通話で渇いた喉を潤すために台所に向かう。
緑茶を淹れる為の湯を沸かしていると、少し離れた場所から声が聞こえてくきた。
「おいコラコルヴォ! お前人が寝ている間に落書きしやがったな!?」
「ダラダラ気付かず寝てる兄ちゃんの問題じゃねぇのかぁ? イイ顔になってるぜ!」
辻白竜の頼みで預かっている柏葉依子、の肉体を乗っ取っている悪魔コルヴォレスと、自らの伴侶の声だ。
悪魔と言うよりは小悪魔のようなイタズラをしているコルヴォに、――が軽く怒っている。
彼女が来てから何度となく行っている、遊戯みたいなものだ。
「…仕方ないですねぇ」
念力を用い、2人が言い争っている――の部屋の襖を開放する。
その瞬間に2人は外に飛び出して、手合わせを始めていく。とはいえ、双方人の身と力だけで行う、簡単なものだけど。
お湯を沸かし、お盆に湯呑と急須、茶葉を乗せて縁側に向かう。
「おぉっと、おいおい兄ちゃん本気か?」
「あぁ、降ろさないけど本気だよっ! イタズラ好きな悪い奴にはお仕置きしないといけないからな!」
「ちょいちょい待てって、おまっ、依子の体傷物にする気かよっ!」
「ンな事するか! やって精々尻叩きだ!」
コルヴォを抑える為に組み付きを仕掛けようとする――に、それを回避し、足を払おうとするコルヴォの蹴りを、――は跳びあがり避ける。
着地の瞬間に合わせて放たれたコルヴォの拳を、まるでボールを払うかのように手の甲や掌で――はいなす。
決して本気ではない、それでも一切の手は抜かない手合せを、何度も繰り返していく。
「2人とも、程ほどにしておいてくださいねー。特にコルヴォさんは、学校もあるんですからー」
「解ったよ雪姫さん。けどせめてコルヴォに一発尻を叩くまでは止められん!」
「待て待て兄ちゃん、どうしてそこまで尻に固執すんだよ!」
「理由はさっき言ったぁ!!」
真剣な表情をしている――の顔には、油性マジックで書かれたカイゼル髭やら額の皺やらの落書きがされている。
水性や墨であるなら良かったのだが、油性はいただけないらしい。
しかも耳の裏まで書かれている。
「…平家の亡霊に見つかる手抜かりはないみたいですね」
茶を一口含むと同時に、
パシィン!
「あいだーーー!?」
――の平手が、コルヴォの丸い尻を捉えていた。
Side:コルヴォ
「あーいて…、なかなか力強くでひっぱたきやがって…」
全力で動く朝の運動後、俺様は風呂に入っている。少しだけ赤くなった尻を擦りながら、刺激を与えないようにして。
総檜の風呂は、あったかいだけじゃなくて香りも良い。…と、思う。
自信が持てないのは、「依子」の感覚と俺様の感覚が、どこかすれ違ってるからじゃないかと思う。まぁ確証は持てないんだが。
「…まぁ、まだまだあれでも本気じゃねぇんだろうけどな。…変な兄ちゃんだよなぁ」
スライムの兄ちゃんから言われて俺様を預かる事になった筈だけど、あの2人は何の文句もなく受け入れてきた。
半ば柏葉の家から捨てられた俺様だったが、どうにかする目処が立つまで住んでいいと言って、家から荷物まで持ってきてくれた。
「全然わかんねぇ、何考えてんのかさ…」
スライムの兄ちゃんは、「依子」からすれば「師匠」な訳で、俺様としちゃ屈服させた…、主人なわけだ。
けれど2人はそれと異なる関係で、俺様から見ればどちらでもない。ただの「悪い事した居候の悪魔」な訳なんだが、その割には「軒を貸してる立場」よりは距離がなんとなく近い気がする。
「学校の時間も近いし、そろそろ出るかねぇ」
湯船から上がり、バスタオルで体を拭いていく。
あの2人と俺様。どんな関係なのか、ちょっとわかんねぇ。
「全然わかんねぇけど…」
パートナーと違う関係って、こんなモンなのかねぇ。
「ぐちゃぐちゃして言葉が出てこねぇし…、これで良いのかって気もするけどさ…」
出会ってまだ一週間くらいだけれど、兄ちゃんも鬼の姉ちゃんも、俺様の事を一切の色眼鏡で見ずに接してくれる。
…悪いことすりゃ起こるし、役に立てば「ありがとう」と言ってくれる。
なんっつぅかまぁ、アレだ。
「こんなに嬉しいのは、ほぼほぼ初めてだよなぁ」
共同体、って意味だけど、家族みたいな気がする。
きっと二人ともお人好しなんだろうね。
「よっし、ダラダラしてぇけど今日もがんばっか!」
依子の代理をする為にも、風呂を出てしっかり水をふいていく。
濡れた下着を替えて、制服を着て。
髪をドライヤーでブローしながら櫛を通して整え、カチューシャをセットしてもう一度髪を整える。
「うっし、依子になった俺様だ。今日も男子をメロメロにしてやるぜ」
鏡の前でにんまりと笑いながら、今の自分を再確認する。
これが俺だ、今の俺様だ。
柏葉依子の素質に惹かれ、その体を得る為に取り入って、けれどボロボロに負かされた俺様だ。
悪魔が実力主義な事もあり、…体の快感に惹かれた事もあり、今はスライムの兄ちゃんの言う事に従っているけど。
「まぁまぁ、悪くねぇかな」
脱衣所を出て、縁側で刀を構えてる兄ちゃんに声をかける。
「おーい兄ちゃん、俺様出たからちゃかちゃか風呂入ってきなー」
「あぁ、急かすようで悪いな。尻は痛くないか?」
「じみじみ痛ェよ。パンツ穿く時ひぇってしたぜ」
「すまん、ちょいとやり過ぎちったな」
「別に良いよ。まぁまぁ手加減されてるのは解ってたし」
納刀して、契約してる刀剣神に刀を渡している様子を見て、何となく思う。
兄ちゃんも依子…、っつぅか柏葉家に近い事をしているが、決定的な部分は違う。
「…ズリぃよなぁ兄ちゃんは。ほぼほぼその体持て余してんだからよぉ」
「あんだよ、早く人間辞めろってか?」
「別にぃ? 俺様の言ってる事なんて全然気にしなくていいんだぜ?」
「そっかよ。じゃあ気にしないでおくから、はよ学校行ってこい。今はお前が『柏葉依子』やってんだから」
「はーいはい、言われなくともやりますよーだ」
「あ、コルヴォさん。今日のお弁当ですよ、どうぞ?」
兄ちゃんとすれ違うように、鬼の姉ちゃんが鞄と一緒に弁当箱を持ってやってきた。
それを受け取り、玄関に向かう。
「どもども、鬼の姉ちゃん。……んじゃ二人とも、行ってくるわ」
「はい、行ってらっしゃい」
「おーぅ、気を付けろよー?」
2人の声を背にしながら、ちょっと歩く距離の増えた学校への道をゆくことにする。
* * *
「おはよー」
「おー」「おはよう」
周りの人間達が口々に挨拶をしていく訳だが、俺様も思考を「依子」のものにして、それに倣う。
本来は依子が通っていた学校なので、俺様が通うのもどうかと思うのだが、スライムの兄ちゃんが行けと言うので、まぁ渋々行ってる訳だが。
「ん、おはよう。変な事あったら私に言いなさいね?」
「そうそうねぇってンなこと」
「だよな、柏葉は気にし過ぎだよ」
とか笑われるが、仕方ねぇじゃねぇか、依子が言ってた言葉なんだし。
…解っちゃいたが、依子は正義感が強い。人外の事とか、柏葉の家の事とかをさて置いても、厄介事を引き受けて解決しようとするきらいがあるので、こちらとしちゃたまったモンじゃない訳で。
だから半ば暴走してスライムの兄ちゃんに襲い掛かったりしたのもあるんだが…。
「変な事ってねぇ。そういや柏葉はこの話聞いたか?」
「何かあったの?」
依子の席に座ると、右隣の男子生徒が話を振ってくる。
「いや、最近ちょっとした噂レベルの話なんだけど…、最近交通事故が多いよな」
「…そうだったっけ?」
「多いんだよ。俺、電車で来るから駅前の交番の所必ず通るんだけどさ、必ず負傷者とか出ててさ…。
で、今日お巡りさんに声かけられたんだよ。事故の被害者に学生とか、若い奴が多いから気を付けろってさ」
「あ、それ僕も聞いたよ。隣町の方でも、僕たちと同じくらいの子が轢かれたんだって」
「ウソっ、何か狙ってる人がいるって事?」
「だとしたら目撃者とか無いの?」
「それが聞いた事無いんだって。車は同じなんだけどすぐ逃げて解らなくなるし、パトロールしても見つからないんだとさ」
「…なんか怖いね、それ」
「被害にあった人に、他に共通点とか無かったの?」
「1人でいる時にやられたらしいけど、最近じゃ何人かで居ても…」
最初の男子生徒が発した言葉を皮切りに、みんながその話題に寄ってきた。
確かに交通事故が最近よくよく多いし、サイレンを度々耳にしているけど、そこまで不審な事になってるとはねぇ。
「さすがにこれを柏葉がどうにかするって事は…」
「…うん、まぁ、確かにね。相手が車なんだもん」
口では一応そう言っておくけれど、神出鬼没の、若年層を狙う車ねぇ。
…なーんか、臭うな。
「…ん?」
不穏な気配が頭を過った瞬間、心の奥底で動いたのは、じっとしていられない感覚。
俺様の中の「依子」が、どうにかしないといけないと思っているのか、すぐに動きたがっているのだけれど。
(何の確証もねぇんだし、軽々に動くもんじゃねぇよな…)
ざわつく心を抑えるように、一度だけ長く静かに深呼吸をする。
「…ま、まぁ、そういう訳でさ」
「うん、私も気を付けろって言うんでしょ? ありがとう、気にしてくれて」
話題が他のメンツに移動したのか、発端になった男子生徒が俺様に話したかったことを言おうとして、それを勝手に解釈する。
まぁ、これでそうそう間違っちゃいねぇ筈だ。
「そう、そうなんだ。…だからさ、柏葉を家まで送っていって、良いか?」
「へ?」
と思ったら、追撃が来たよ。ちぃっとだけニヤけちまうねこいつぁ。
「え、でも…柊くんって電車でこっちに来てるよね?」
「それでもだよ。ちょっと帰るのが遅くなるくらい、何でもないって」
「そうなの? 心配してくれてありがとね」
なんとなーく青臭い恋心みてぇなモンを感じたので、からかう意味も込めてはにかんでみる。
その柊って奴は、まぁ顔を赤くして少しだけ下を向きながら、
「お、おぅ。そりゃ心配するっていうかさ…、柏葉はちょっと危なっかしいから、これも解決しに行こうとすんじゃないかって思ってさ…」
「まぁ、ちょっと思ってたかな?」
「だから、こんな話だから、危険な目に合うかもしれないって思うとさ、なんか、ヤなんだよ」
はっは、甘酸っぺぇなぁ。ニヤニヤしちまうぜ。
さらに追い打ちかけると誤解されそうな気がするけど、やってみよう…、
と思った瞬間、授業の予鈴が鳴った。
それと同時に入ってきた担任の先生によって、ホームルームが始まった。
「えー、もしかしたら皆、既に知ってるかもしれないが、最近は交通事故が多い。
登下校時は、なるべく複数人で帰るように。あと、出来れば寄り道はしないように」
まだ若い、やる気のある先生の言葉に周囲は軽くブーイングが出てきてる。
まぁそうだろうな、遊びたい盛りもいい所だし、寄り道は学生の貴重な時間だしさ。
「暗い時間に事故が起きたら、人に気付かれにくくなるかもしれないんだぞ? 事故に限らず、事が起きたら初動が肝心なんだ。
複数人でいたら、誰か一人がけがをしてもすぐに助けに入れる。明るかったらその行動の精度も上がる。
場合によっちゃ、車のナンバーとかも解るかもしれない」
確かに、と頷く気配が教室の中に数人現れる。言わんとしている事は最もだし、俺様だって解らなくもない。
「みんなの親御さんたちにも心配はかけさせたくないんだ。ちょっと不満だろうが、我慢してくれ。
なぁに、警察のみなさんだって頑張ってるんだし、すぐ解決するさ!」
…その警察がアテになるかどうか、妖しいんだけどね。
教師の言葉を軽く聞き流しながら、その後すぐにホームルームは終わった。
一時間目の授業の準備をしつつ考える。
(やっぱり臭うな。俺様達側の臭いが、ぷんぷんしやがる)
* * *
その日の授業は、面白い事らしい面白い事は全然ないままに終わっちまった。
せいぜい体育の授業で、着替えの際に男子連中が覗きに来たくらいか。
今日の授業はすべて終わり、との意を込めて鳴るチャイムを聞いて、俺様の意識は晴れ晴れしていた。
「はーぁ…、今日もとうとう終わったー…」
「お、おぅお疲れ。…それでさ、柏葉。朝に言ってた事なんだけど…」
あぁそうそう。そんな話もあったっけ。
…だがまぁ、易々と忌乃家の場所を教える訳にもいかねぇんだよなぁ。あそこ、屋敷の住人が門戸を開かない限り、あちこち廻らないとたどり着けない結界が張られてるし。
あそこに住んでる俺様や、兄ちゃんや鬼の姉ちゃんに誘われないと、延々と辿り着けずに終わるのが殆どだ。
「うーん、ごめんね柊くん。今ちょっと、知り合いの所にお世話になってるんだ」
「そうなのか? …って事は、寝泊りもそっちでしてるんだ」
「うん。だから気持ちだけもらっておくね、ありがと」
「あぁ…」
ちょっとどころじゃなく肩を落とす、けれどもそれを見せまいとする柊の姿を見て、内心ニヤニヤしたくなるのを抑えながら鞄を手に取る。
「それじゃ、また明日ね。ばいばーい」
「え? あ、また明日…」
さかさか出ていく俺様の背を見送るように、柊は重々しく手を振っていた。
「んー…っ、かっはぁ! あー…、依子のフリは疲れるぜ。なんか肩がゴリゴリいってる気がする」
人気のない道に入ると、そこでようやく俺様は肩の力を抜いた。
学校じゃどうしても俺様の意識に戻ることは出来ないし、それが8時間続くとなると、肩がこる気がする。
…ま、気のせいなんだけどな。肩がこる要素もありゃしないし。
……引っ張る胸なんて、無いし。無いんだし。
「…あぁ止め止め! こんな所まで依子に引っ張られてどうするんだっての!」
胸に関する事は、そこそこ依子の中にもあったみたいだ。だからかね、スライムの兄ちゃんが見せた「未来予想図」で、胸に注意が行ってたのは。
そりゃぁ俺様だって胸はあった方が良いと思ってるが、今の所「ない物ねだり」をキャンキャン叫んでるだけでしかないからな。
「…欲しいなぁ、たぷたぷしたおっきいおっぱい…」
…まぁ、俺様と依子じゃ全然意味が違うんだがな!
とりとめのない事をぽつぽつ考えながら帰途を歩いていると、ふと違うルートを通ってしまっていたことに気付く。
あぁ、このルートはそうそう…。
「柏葉家の方じゃん。違うぜ依子ー、俺様達を軽々に捨てた家じゃなくて、兄ちゃん姉ちゃんたちのいる方に帰るんだぜー?」
俺様が喰った依子の意識に教え込むように、胸元をぽんぽん叩きながら伝える。
…やっぱり急ぎすぎたかねぇ。ちょいちょい依子の意識が出てくるよ。
いやいや、んなこと言っても仕方ない。少しだけ頭を掻きながら方向転換し、忌乃家の方に足を向けていく。
どうにも時間を喰っちまった。日が落ちようとする前に戻ろうと思ったんだが、目立たない様歩いてれば、どんどんと陽が落ちて夕方になっていきやがる。
「ん?」
ローファーの足音を鳴らしながら進んでいくと、ある路地の片隅に献花しながら手を合わせている少女が居た。
少し茶色がかった髪で、ショートボブ。…体の起伏にゃ少々乏しい子だ。なんとなく親近感。
制服は着ているが、どうやら俺様が通ってる所とは別の場所みたいだ。確かアレ、3駅隣の学校のだったっけ?
「もしもしお嬢ちゃん、お供えかい?」
「ふぇ? あ、は、はい…」
後ろから声をかけると、驚いた表情で少女が振り向いた。
赤い日差しに照らされる顔は、どことなく愁いを帯びているように見える。
改めて献花された場所を見ると、何度も来ているのか、花の数の割に枯れたか弁が落ちていない。ペットボトルの飲み物も、生前そいつが好んでいたのか同種類の物ばかりが並んでいる。
「……」
「……」
少しだけ言葉に詰まる。少女の方も同じようだ。
そりゃそうだ、こんな状態で何を話せっていうんだか。空気はそれなりに読むし、ホイホイ口説くような存在じゃねぇんだぜ?
それに…、
「……」
俺様の中の依子の影響か、自然と手を合わせていりゃ、そんな気も失せるってモンだ。
「あの、手を合わせてくれて、ありがとうございます」
「良いんだよ。たまたま居合わせたからそうしたまでさ。…知り合いのか?」
「…兄です。数か月前に、ここで偶然…」
礼を言われ、つい聞いてしまったことにも、彼女はちゃんと答えてくれた。
「そっかい…。ここには何度も来てるんだな」
「どうして、そう思うんです?」
「いや何、綺麗な場所だと思うとな。ちょいちょい掃除とかしてるのか?」
「はい…。本当はお墓は別にあるんですけど、お兄ちゃんの事を思うと、どうしても…」
沈んだ顔をしている少女と話していると、何となく心が痛い。
思った以上に依子の割合が大きいのか…、それとも俺様が依子としての日常をなぞっているから、少なからず影響されているのか。
この現場には人外の気配が何もなくっても、こうして間近に「喪った者」の顔を見ていると、ちくちくと刺さる物がある。
けれどその考えを遮るように、少し離れた場所からエンジン音が聞こえる。視線を向ければ、走ってくるのは一台の車。
「おいお嬢ちゃん、そろそろ動かないと。あっちから車来てるぜ?」
「本当だ。手を合わせてくれて、ありがとうございました」
少女も立ち上がり、めいめいにその場を離れようとした。
その瞬間だ、車が突然スピードを上げてきた。しかも俺様の方には目もくれず、明らかに少女の方を狙い、壁側に寄せてくる。
距離が縮まっていくと同時に、色濃くなる気配に気付く。これは、
「おいおいマジかっ!」
「え…?」
加速と同時に立ち昇り始めた魔の気配に、瞬間だが青ざめてしまう。
まさかこんな堂々と昼間に仕掛けてくるか。あぁ昼間じゃねぇ、夕方近いもんな、『逢魔が時』だもんなぁ!
有無を言わさず少女の手を引いて駆け出す。
「あっ、あの、一体なんなの、どうしたのっ?」
「小耳に挟んでねぇか? 多分あれ、最近バンバン事故を起こしてる車だ!」
「えぇ…っ! あれが…?」
「ゴタゴタぬかさないで走れ!」
事件に心当たりがあるのか、少女の走る脚にも力が籠りはじめてきた。近づいてくる車は、彼女の兄の現場を踏み荒らし、まだまだ俺達を追走してくる。
瞬間、俺様の頭の中にはやるべき事が二つ、出てきた。
「(チラチラ人目を気にしてる場合じゃ…、ねぇよな!)お嬢ちゃん、悪ぃな!」
「え、ひゃっ!?」
魔力を足元に流し、靴と靴下の中で変異させる。脚力を強化、同時に少女をお姫様抱っこの形で抱きかかえる。
人間の脚のままじゃ振り切る事なんてできねぇ、まずは加速と立体軌道で逃げ延びる!
ゴゥッ!
初速としちゃまずまずの速度を出し、地面を蹴り、壁を足場にして近場の家の屋根に飛び乗る。
けど安心は出来ねぇ、そのまま速度を殺さずに屋根を走り、家の合間合間を飛び越えていく。
「えっ、ちょっ! 何、これぇっ!? 何このアクション映画! まさか聖闘士!?」
「ペラペラ喋らず黙ってろ! あとできれば、俺様のカバン探って携帯出してくれ!」
「あ、う、うんっ、えぇと…!」
少女は慌てながらも了承してくれて、続けざまに頼んだ通話も、携帯を俺様の耳元に当てる事もやってくれた。
電話帳の二番目に設定した、兄ちゃんへの電話。
出来ればちゃっちゃと出てほしい。その願いは叶った。
『コルヴォ? どうしたよ』
「兄ちゃん、本題にから入る。バケモノに襲われた。女の子抱えてる。どんどん追ってくるから逃げてる!」
『解った、まずは距離を取れ。俺も合流するから逃げ続けろ!』
「できれば足があった方がありがてぇなぁ! 走ってたらへとへとになっちまう!」
『どうにかするさ! 場所はラウラに探させるんで、見つけるまでは逃げてろよ?』
それだけを最後に、兄ちゃんからの電話は切れた。
さてさて、兄ちゃんがくるまでは逃げ続けないといけねぇな! こんな人外の仕業で、これ以上泣く人がいちゃいけないんだから!
……ん?
* * *
存外、人目に付かないよう逃げ続けるのはまぁまぁ難しい。帰宅で人通りが増える時間帯となりゃ尚更で、それを避けながら、人通りの多い所を避けながら、という制約も加われば難度は跳ね上がる。
逃げ続けて8分は経ったか。
「っは、っは…、なかなか、しつこいねぇ…」
「あの、さっきから来てる車…、ずっと私達を追いかけてるし、あなたもそれから逃げてるし…」
「まぁまぁ、言いたい事は解るし、疑問に思うのももっともだ。…けど、ちょっと質問は待っててくんねぇかな?」
「う、うん…」
気力も体力も削がれていくようで、額に汗がぽつぽつと滲んでいく。
このままだとまずい、かな…?
(あーもぅ、ちゃっちゃと来てくれよ兄ちゃん…!)
内心でぐちぐち思いながら走り続けていると、開けた場所に出てしまった。
マズい、ここは柊の奴がいつも使ってる駅前のロータリーだ。近くに飛び移れる建物も少ないし、車をここまで誘導しちまえば惨劇は必至だ。
どうする、戻って引き返すか?
「ねぇ、あれ、あれ!」
「え? …うおぉ!?」
馬鹿な! 今まで律儀に地面を走ってた車が、急に跳び上がった!
そこまでして俺達を狙いたいのか、バンパーをぶつけに掛かってきやがる!
慌ててこちらも跳び上がりその一撃を避けると、一拍遅れて車体が地面と再会し、ゴガァン!と大きな音が鳴りやがった。
周りの人に気付かれたかな、ありゃ。ざわざわして来やがる。
「ちゃっちゃと誘導しないとまずいことになるな、ホントによぉ!」
高さのアドバンテージもものともしないなら、上に居続けると今のジャンプによって建物の二次災害が出ちまう。
けど…、
「だからさ…、待ってたんだぜ、兄ちゃん!」
迫ってくる車の後方から近づいてくる、二つ目のエンジン音。
サイドカーに乗って、俺達を探していた兄ちゃんが走ってくるのが見える。
「コルヴォ、乗れ!!」
「応よ!」
「乗るって、ちょ、ちょっと待ってぇぇぇ!?」
俺達を轢こうと速度を上げる車と、同時にスピードを増すサイドカー。
真っ直ぐ走ってきた車を引き寄せるように俺様も車に向けて走り、ぶつかる直前で、跳躍!
兄ちゃんのサイドカーも車体を上げて、車の後ろから飛び出してきた。
交差する直前に少女を側車部分に無理やり乗せ、俺様は兄ちゃんの背中にしがみ付く。瞬間、跳躍と反対側に引き寄せられる力に負けない様、手に力を込めた。
ゴドン!
車よりはやや軽い音が、二度目の轟音が駅の近辺に響いてしまう。
「おちおちしてらんねぇや。逃げるぜ兄ちゃん!」
「この状況じゃ已む無しか、人目も多いしな!」
アクセルを吹かし、俺様達の乗ったサイドカーが速度を上げていく。
あぁ、自分の脚で走らない状況ってのは楽だねぇ。
車両を振り切る前に一度後ろを見て中をまじまじと確認すると、
「…スカスカだねぇ」
当然のことながら、運転してる奴なんていなくて。運転手不在の車は、まるで意思を持ってるように俺達を追いかけていた。
依子としての目と俺様としての目は、うっすらと奴の本質を見つけていく。
ただの車の時、何度か事故に遭ってしまったんだろう。んで、きっと血の味を覚えてしまった奴だ。
確か魔剣や妖刀の類がそんな形、自らの身で浴びた血と魂の影響で、意志を宿して生まれてくる。
「兄ちゃん。アイツ、妖(あやかし)化してる。どんどん追いかけてくるぜ」
「解ってるよ。今はこの場から離れるしかねぇけどな!」
抱き付いてる兄ちゃんの体と、それを乗せたサイドカーが、速度を一気に上げて走り出していく。
* * *
Side:――
人の多い場所を避けて、サイドカーを走らせ続ける。
最近舞い込んできた相談事には、「曰くつきの車」に関する内容があったが、まさかそれに早速遭遇するとはね。
それに…、側車に乗ってる少女が1人。
コルヴォと俺となら、このまま人気のない場所に誘導して戦うのもアリだが、彼女がいるとなると話が別だ。
(出来る事なら、こんな世界に関係し続けさせたくねぇしな…)
白竜くん達辻家兄弟とか、石神を含んだ五家も、気付けばこんな底なし沼の人外の世界に踏み込んでしまっている。
抜けられない世界に、人が早々入り込んでほしくはない。それは偽らざる真実だ。
…正直な事を言えば、「こちら側」だけで済ませておきたい事だよ。
右ハンドルを強く握り込み、加速。解っちゃいたがこれでも奴を振り切るには速力が足りない。
側車無しの全開で回せば可能性はあるが、向こうは人外に“成った”車だし、ぶつけられ続けたらアウトだ。
「まだ追ってくる…、あの、どうするんですか?」
「そうだね、あにはともあれ逃げの一手だ。ちょーっと目をつぶっててくれよ?」
「え? あ、は、はい…」
側車に座る少女が言われた通りに目を瞑ってくれると、その間にサイドミラーを介し後ろの車を見やる。
まだ走り近付いてくる奴は、目的がちっとも見えないのが空恐ろしい。いや、目的の為に追いかけてるのか。
「兄ちゃん、ちょいちょい手伝うか?」
「大丈夫だ。あにもしなくていいから、しっかり捕まってろ」
「おぅ」
腕をまわし抱き付いてくるコルヴォの力が強くなる。
右腕でハンドルを保持しながら、左手はスピードメーターを撫でる。同時に心中では契約している二柱の神に繋がりを持ち、バイクを介して力を現出させる。
(アニス、ラウラ。会話終了の3秒後に同時に動けるか?)
《私を何だと思っているのかしら。で、やる事は?》
(アニスは軽く毒の煙幕を。こびり付いたらはがれない、強力な奴を撒いてくれ)
《毒性はいか程にするの?》
(視界を防ぐのが目的だから、可能な限り弱く。それと撒いた毒、自分で探査できるよな?)
《当然じゃない。アンタの芥子粒みたいな脳味噌は、私がそれ位出来ないと思ってるの?》
(うんにゃ、思ってるから聞いてるんだよ。ラウラは聞こえるか?)
《んー。こっちはどうすればいいの? さっきから人気の無いルートを探す事で疲れてるんだけどー》
(すまない。ラウラはそれと同時にこの道と別の…、俺が指定する場所を繋げてくれ)
《いーよー。んで、この会話はいつ終わるの?》
(すぐだ。…行くぞ!)
右手のアクセルを捻る力を籠めると同時に、サイドカーに二柱の神の力を降ろす。
アニスの力は排気筒から放つ。毒々しい色の煙を後方に散らし、眼前の視界を完全に遮る。
同時にラウラの力を込めた車輪が、車体をわずかに浮き上がるような気配と共に、周囲の風景が一変する。
異なる道同士を繋げる力を用いて、簡易的な瞬間移動を行ったのだ。
「……、ふぅ」
アニスからのリンクによって、例の幽霊車両の場所は判明している。該当車は現在は遠くに放れているようだ。
俺達が跳んだ場所はカーチェイスをしていた所から3駅ほど離れている為、すぐに追いつく事は無いだろう。
ゆっくりと速度を落とし、側車の少女に語り掛ける。
「もう目を開けて良いよ」
「はい…。あれ? 場所が違うような…」
「思いっきりとばしたからね。……ゴメンね、こんな事に巻き込んでしまって」
「あぁいえ…、何か抜き差しならない状況だったのは何となくわかったから、そこまで謝らなくても良いですよ」
「そうそう、兄ちゃんは悪い方に考えすぎなんだよ」
「そっかねぇ…」
車体を路肩に停め、ようやく俺も少女も一息つく。
過ぎた事は過ぎた事として解決していかなければいけないのは、痛いほど解る。解っているんだ。
渋面をしながら考え事をしていると、側車の少女が不安そうに俺を見てきていた。
「あの…、私、ここからどうやって帰ればいいんですか?」
「え? あ、そっか、ごめん。迷惑かけちゃったついでに、家まで送っていくよ」
「安心しとけ、この兄ちゃん女の子襲おうってつもりは全然無いから」
「うるさいよコルヴォ。…そうそう、俺は忌乃――って言うんだ。君の名前を聞かせてもらっていいかな?」
少女は少しだけ逡巡した後に、仕方ないかとばかりに頷いてから口を開いた。
その名前は、俺の血の気を別の意味で引かせる相手だった訳で。
「私は三条、三条六月っていいます」
「三条…、……三条ッ!? も、もしかして君、親族に五十六さんって人がいない?」
「え、はい、おじいちゃんですけど…。ご存じなんですか?」
「ご存じもあにも、お仕事の取引先です、はい…」
「そ、そっかー…。そうなんだー…」
どうやら変な所で奇縁が生まれていたみたいだ。
彼女の家は、忌乃家としての、ごく簡単な仕事における取引先でもあるのだ。
その名は三条組。
広域指定暴力団ではない、侠客にして己の身も行為も愧じる事の何一つない『極道者』達の家であるからだ。
速度を落として走行し、三条組本拠である住所へと向かっていく。
時速20kmとゆったりした速度だけれど、話をする関係上これ位の方が周りに気を向ける事も出来て、事故のリスクを減らせる訳で。
「んで兄ちゃん、そもそもこのお嬢ちゃんの家の…三条組ってのと、忌乃家がどう繋がりがあるってのさ?」
「それ、私も気になります。おじいちゃん達のお仕事とか、聞いた事無かったので」
「あーそれなー…。言うと七~八割がた笑われるか、信じられないかの話になるぞ?」
「いーのいーの。どうせ除霊とかそっちの方だろ? ペラペラ喋れよー」
「おいコルヴォ、解っちゃいるだろうが今俺の脇腹をくすぐろうとするなよ? 遅くしてても事故は起こるんだぞ?」
「ちっ」
考えてたのかこんにゃろう。
舌打ちが聞こえたのか、六月ちゃんも驚いているようだ。
「あのっ、そんな事されたら私まで巻き添えなんですけどっ!?」
「あー…、そうだったな。わりわり」
「もぅ。コルヴォは後先考えないんだから…」
走行しているサイドカーの上とは言え、コルヴォと六月ちゃんはそれぞれに談笑している。落ちついて話し合える状態になれたのだろうか。
吊り橋効果って奴かね。極限状態の2人が心拍数の上昇を共有し、それを恋愛感情と取り違えるとかあんとか。
あ、コルヴォは今は女か? でも中身は男だしな。どっちだ、これ。
「なぁなぁ兄ちゃん、黙々と思考に耽ってないで、答えろよー。ホントにくすぐるぞ」
「だから止めろって。……まぁ、俺も忌乃家に入ってまだ短いけど、ちょいちょいそっちの方面で仕事してるんだよ」
「…おじいちゃんが忌乃さんに頼む事って、一体何なんですか?」
「ざっくり言うと、部屋に憑いた霊を祓う事だな」
三条組の主な収益は、不動産経営とボディーガードや屋台の運営、建設業やアクションスタントなどへの人材派遣業だ。
その中で俺も担当している除霊は、人が自殺することで出来てしまった「曰くつきの部屋や土地」を浄化する意味合いがある。
当然の事ながら霊を消した所で、悪評は消えない訳で。
ではその悪評はどうすれば消えるか? 答えは、「無害だと証明してもらう」ことだ。
安く貸し出される部屋に住んでもらい、そこに「何もない」ことを証明してもらう。
その後に家賃を適正価格に戻して、すでに契約している人には金額を変える旨を伝え、契約の継続か否かを問う。
部屋を移るという選択をした人も、当然ながらそのまま放り出すわけにもいかないので、比較的条件の似通った、安めの部屋を用意したりする。
「そんなアフターケアもしているんだってさ」
「へー。中々筋通してんじゃん」
「おじいちゃんよく言ってましたよ。『ワシ等はヤクザではなく、極道だ。決して外道になっちゃあならねぇ』って」
「…まぁ、俺だって最初はヤクザ者だって思って恐かったな」
「で、実際はいい人でしたパターンって奴? 言っちゃ悪いけどベタベタじゃん」
「おじいちゃん、強面だからねぇ…。でも、すっごく優しいよ?」
実際の人となりは会って話してみないと解らないものだ、と本当に思う。
一仕事終えた後で五十六組長から直接酒の席に誘われた時も、下手に豪華なクラブとかじゃなくて、行きつけの飲み屋というアットホームな場所だったからだ。
変に気取らないし、店に来ていた他の客も組長相手に仲良く談笑していた。
アレが本来あるべき侠客の形なのかもね、と思ったりした訳で。
あ、料理はめっちゃうまかったです、ハイ。
「ふむふむ。って事はアレか? 六月は祖父さんの所で世話になってんのか?」
「うん…。さすがに一人暮らしは許してもらえなかったから…、ね…」
少しばかり、六月ちゃんの表情に影が挿す。孫娘を家で引き取り育てていることを、酒の席で聞いた事もある。
その内容も、無念の言葉も、息子の忘れ形見の名前も、忘れていなかった。
…まぁ、顔は本日初めて見た訳でございますが。
「確かこの道だから…、うん、もうじき着くよ」
「良かった…。ありがとうございます、忌乃さん。助かったよコルヴォ」
「ようやく一息つけるわけだ。冷や冷やさせて悪かったな」
広い和風建築の敷地を周るように走ると、次第に見えてくるのは敷地の大きさに即したような門。
門前には体格の良い組員が一人履き掃除をしていて、こちらのエンジン音に気付くと、六月ちゃんの存在を認識したのか駆け寄ってきた。
「六月お嬢ちゃん! どうしたんですか!?」
「あ、えぇと、…この人、忌乃さんと色々あって、送ってもらったんだけど…」
「ホントですか?」
「…ども。東金さんだったっけ」
見覚えのある組員、東金の険しい視線を受けながら挨拶をして、六月ちゃんの言う事は間違ってないのでお茶を濁す。
「…感謝しやす。最近、六月お嬢ちゃんはちょっと遠出をしたがってましてね」
「私が出かけようとすると、みんな護衛とかつけようとするんだもん。必要ないって言ってるのに…」
「いや、でも六月お嬢ちゃんを1人にして、万一何かがあったら俺たちゃ組長に顔向けできませんって!」
さもありなん。万一がありすぎました。
「顔向けできなくならなくて良かったな。たまたま俺様が通ってたから、六月はやられなくて済んだんだぜ?」
「あ゛ぁっ!? どういう事だそいつぁ!?」
しかしコルヴォの一言で台無しだ。こんにゃろ、後でまた尻叩いたろか。
凄んでくる東金を宥めながら、ボカシていた事のあらましを話す。一応彼も知ってはいるので、今度ははっきりと。
「…なるほど。そいつぁ六月お嬢ちゃんが世話になりやした。感謝します」
「あぁいや、それならコルヴォの方に言ってやってくれ。こいつが会わなきゃ、俺だって気付けなかったんだからさ」
「きひひ。遠慮せずにドンドン褒めやがれべしっ!?」
調子に乗って胸を張るコルヴォの額にデコピンを当てながら、東金に対して考えていた今後の目論見を話していく。
「憶測が多分に入るけど、あの車は今後も彼女、六月ちゃんを付け狙うと思う」
「んじゃあ、その事で忌乃さんに撃退の依頼をするって事は…」
「その話は良いよ。警戒しろって退魔組織側から話があって、必要があれば討てとも言われてる。で、必要が出来たから頼まれなくてもやるつもりさ」
「そいつぁ有り難いんですが、六月お嬢ちゃんが世話になったとなるとこのまま『ハイそうですか』って事は出来ません。組長にも話は通させてもらいますよ?」
「構わないさ。あに事もなければ事後報告って形にしようと思ってた位だし」
「でしたか。出来れば直に会って話してほしかったんですが…」
「また後にして欲しいかな。ある程度引き離したとはいえ、追ってこない保障は無いからさ」
あの妖化した車は、可能な限り早急に対処しなければいけない。
確か資料には、十数件もの交通事故を起こしている。そこには必ず傷を負ったものが存在し、中には死者もいる訳で。
そうなれば、奴はそれなりの血を吸った事になる。味を占めただろうし、死傷者から吸った血で力も強くしてるだろう。
だからこそ「普通の車」には到底不可能な、8メートル近い高さへのジャンプも単独で行えた。
放置しておけば惨事は避けられない。
「それに…」
付着させたアニスの毒の気配を察知すると、次第にこちらに近付いてくる。
あんまり長く話はしていられないだろう。狙われている六月ちゃんを、側車から降ろす。
「六月ちゃん、危険な目に遭わせてゴメンね。後は俺がどうにかするから」
「え? でも…、大丈夫なんですか? さっきの話だと、私を追ってくるって言ってたような…」
「そこはそれ。目晦ましも騙しの技術も、色々あるのさ」
ポケットを探り、一枚の符を取り出す。
「…それは?」
「俺も使ってる護符だよ。身に着けてれば霊的な存在から身を護る術がある。
少し強めに力を込めて作られてるから、それを付けてれば多分あいつは感知できない筈だ」
…最近、霊的な事への耐久力が下がってきている事もあって常備していた、東北の一族が使用している護符と同じものだ。
これ一枚しかないが、俺よりは六月ちゃんに渡した方が良いだろう。
「良いんですか?」
「勿論。後は出来れば、あんでもいいから、あにか身に付けているものを貸してほしいんだけど…」
「ふむふむ。六月の存在を隠して、身に付けてるもので存在を臭わせるって訳か?」
「そゆ事。引き寄せるには、相手に“目標がそこにいる”と思わせればいいんだ」
「…それで、その存在感を増す為に身に付けてるものが必要なんですね」
東金との会話に混じってこなかったコルヴォが補足を入れてくれたおかげで、六月ちゃんも納得してくれた。
彼女の理解が速いのが、個人的にはとても有難い。
「でしたら、これを使ってください。…お兄ちゃんがプレゼントでくれた物です」
そう言って、六月ちゃんは髪飾りを渡してくれる。花飾りのついたシンプルなヘアピン。
直前まで身に付けていて、想いが籠っているのなら申し分ない。これなら引き寄せられるだろう。
「ありがとう。返しに来るから、少しだけ借りるよ?」
「はい。…無事に返してくださいね?」
「そりゃ勿論。…持っててくれ、コルヴォ」
「あいあい。無くすなってんだろ? わぁってるよ」
俺の後ろから降りたコルヴォは、ヘアピンを受け取ると側車の上に移った。
じぃと、そのヘアピンを見つめている。
「…わぁってる」
バイクから降りずに、俯瞰の形で見たコルヴォの横顔は、どことなく寂しそうに見える。
こいつは今、あにを考えているんだろう。思うだけで、その答えは解らない。
Side:コルヴォ
兄ちゃんの後ろから離れて、側車に移る。
まじまじと見つめるのは、六月の着けていた花の飾りがついたヘアピン。
(キラキラしてやがる。六月が兄ちゃんから大事にされてて…、これも大事にしてたんだろうな…)
ちぃっとだけ、羨ましい。
早々に亡くなっちまった六月の兄ちゃん。きっとそいつは六月を愛してたんだろうな。
それにこの東金って奴の話から、組の奴らにも大切にされてるんだろう。
私は…、家族に愛された事が無かったな…。
(…イヤイヤ、何を考えてんだ俺様は!)
ずいぶんと依子側の意識が強くなってる気がする。
落ちこぼれって事で、冷遇されてた記憶を俺様もまざまざと味わって…もとい、依子の中から見てたわけだが。
それと比べりゃ、ここは羨ましい場所だと思う。たとえここに住んでる理由が、兄の死亡によるものだとしても。
(…ごちゃごちゃして来やがる。なんか、気に入らねぇ…)
ひねくれてるってのは理解してるぜ。なんたって俺様は悪魔だからな。
けれども、今心中を渦巻いているのは、六月への嫉妬と羨望、同時に嘲笑だ。
愛されてるよなぁ、心地良さそうだな。でもその空間を得る為にお前は兄貴を失ってるんだぜ、ざまぁみろ!
そんな言葉が喉につっかえ、出ようとさえしている。
「…バカバカしい」
そう、呟くしか出来なかった。
「…ねぇ、コルヴォ? 今のって…」
「ん? なんなんだ、聞こえて気に障ったか?」
呟きに気付いたのか、六月が側車側に回って声をかけてくる。
その表情はどことなく不安そうで…、イライラした様子も、ムカムカした気配も、何も見えねぇ。
「うぅん、そうじゃなくって…。えぇと、なんていうのかな…」
「早々にしてくれよ? これの気配を追って、あの車がやって来るんだからな」
「解ってる、解ってるけど。…その、……」
言いたげな表情で逡巡して、六月は意を決したように、口を開いた。
「コルヴォって、家族に愛されてなかったの…?」
ずきずきと、心が痛む。
愛された記憶なんて、依子は元より俺様にもありゃしない。
柏葉家の連中は依子の素質だけを見ていて、それを表に出しはしない。
俺様にはそもそも…、家族なんて存在はいやしなかった。
だから、
「…全然知らねぇよ、家族なんて。居た記憶もねぇし覚えもねぇ」
吐き捨てる位しか出来やしねぇ。
「同情なんかすんなよ? 元々そうだったんだからな」
六月の顔を見れずに、側車のシートに深々と座り込んで目を伏せる。
…できる事なら、これ以上六月の言葉を聞きたくない。
最初から愛されてない依子と俺様と、今でも愛されてる六月は、最初から違うんだ。別物なんだ。
そう、無理矢理思い込まざるをえなくって。
「…うん。きっと、同情しちゃってる。
大切にされてるって自分でも思ってるから…、ちょっとだけ心苦しくって。でもどこか嬉しくって…、
同時に、1人だけ残されて、みんな私を好きじゃないのかな、って思っちゃって…。
…何言ってるんだろうね、私。頭ごちゃごちゃしちゃって…。ちょっと待ってて」
わざとらしい深呼吸が3回くらいダラダラ続いた。
そこからもう一度だけ深呼吸され、どうにか落ち着いたのか口を開いた
「…多分、コルヴォは私が知らなかった人なんだと思う」
「…そりゃそうだろうよ。全然関係なくて、今日初めて会ったじゃねぇか」
「うん、確かに全然知らないし、会ってまだ一時間経ってないけど…、それ以上に、会った事が無かった類の人なんだって、思ってる」
それに関しては、ちょっとだけ同感だ。六月は、俺様の取り憑いた依子とは違う。見た事が無いしあった事が無い、知らない類の奴だ。
「何だよ、初めて見た人間だからもっとマジマジ見せてくださいってか? かっ、持ってた人間ってのは図々しいねぇ!」
「おいコルヴォ…!」
「…良いんです、忌乃さん。…そう言われても、文句は言えませんから」
見かねたのか、兄ちゃんが止めようとしたけれどそれを六月が制してきた。
「…確かにそうかもしれない。けどね、それで良いんじゃないかな、って思ってるよ。
知らないから、知りたくなるんだって。そう思ってる」
「俺様はハナから全然教えたくないんだが?」
にべもなく突き返す。思う程に、聞く度に、ムカムカしたものが心の中に募っていく。
消化しきれねぇ。何なんだ、これは。
「それでも、教えてほしい。今じゃなくていい、ずっと後ででもいい。…あなたの事を、知りたいと思うから…」
瞬間、顔を両手で掴まれ、目を開けて正面を向かされた。
驚いた俺様の視線は開かれて、六月の顔を見ざるをえなくなっている。
同時にそれを認識した瞬間、六月は少々辛そうで、けれど気丈そうに、微笑んだ。
「戻ってきて、私のヘアピンを返しに来て。他の誰でもない、コルヴォに頼みたいの」
「…、あ、ぁ…?」
正直な所、驚いていた。
いきなり掴まれた事も、向けられたことも。六月の奴がこんなにも。
「…良しっ、言いたい事終わりっ!」
知り合って僅かにしか経ってないけれど、こんなにも気丈に振る舞えるなんて、思ってなかったから。
「…六月ちゃん、コルヴォ。すまないがそろそろ行くぞ。…アイツが近づいて来てる」
「忌乃さん、よろしくお願いします」
「あんとか撃退してみせるさ。…約束が出来たみたいだし、な?」
深々と頭を下げる六月に向けてほんのりと笑う兄ちゃんは、ハンドルを握りエンジンの火を強く噴かす。
その言葉だけを最後に、サイドカーは走り出す。奴を誘導する為に、存分に戦える場所に向けて。
顔を抑えられていた感触を、思い出す。
わずかに震えていた手で、隠そうとした恐怖がスケスケになっていて。
「……」
ムカムカする。
六月の存在に対して。六月の感情に対して。
突然の死によっていなくなられる恐怖と同時に、相手を送り出すことの危惧。
どっちも抱えて、それでもなお俺様に約束をした。
「…ギチギチに縛られちまうじゃねぇか。守れってか?」
内心に渦巻くムカムカに、別の理由も混じり出す。
「あんな顔されたんじゃ…、帰らない訳にいかないじゃない」
それは喰った依子の想いと、確かに重なっていた。
* * *
「兄ちゃん、アイツ速度をガンガンに上げてきやがる!」
「見えてる! あんにゃろう、どこかで力を吸い上げてきやがったな?」
ハーフフェイスだから解る兄ちゃんの口元は、苦々しそうな感じで歪んでいる。
奴の力の源ってのは、まぁ間違いなく血の類だ。ボンネットやバンパーの辺りに、少し前にはなかったはずの血痕が多数見えている。
恐らくはリアバンパーにもある筈だ。人を傷つけた、その跡が。
「で、どうすんの? どんどん近づいてくるけど、逃げ切れるのかよ?」
「ちょっと難しいかもな。こちとら乗ってるのはただのバイクだぜ?」
確かこれ、兄ちゃんが鬼の姉ちゃんと出かける為にローンを組んで買ったサイドカーの筈だ。
カーチェイスの為にチューンされてるのならガンガンに噴かせてたかもしれないが、そんなモンじゃないらしい。
サイドミラーから後ろを見ると、突撃を仕掛けてきやがった。
「うわっ!?」
「遠慮無しかっ! ボコボコにされんじゃねぇか?」
「あ゛ー! こっちで来たの間違いだった気がするー!」
ゴンゴンとぶつけられ、後部ライトが砕けた音がした。一撃もらうごとに兄ちゃんの顔が青ざめているような気がするが、多分間違いじゃないと思う。
信号の無い狭い道を走り、後ろには徐々にスピードを上げていく妖怪車。顔があったらニヤニヤ笑ってそうだ。
「そういや兄ちゃん、ダラダラ逃げても仕方ないけど、どこまで行くつもりなんだ?」
「ちょっとルートがややこしいけど、人外同士の厄介事を人知れず解決する為の場所がある。そこまで逃げ込めれば…」
「れば?」
「…思う存分戦える!」
なるほど、解決ってそっちの類の事なのね。けどそいつぁなかなか好都合だ。
けれど展望があるにも関わらず、兄ちゃんの顔色は先ほどと変わらず全然優れない。
チラチラとメーターを気にしているようで…、確かそっちは、ガソリンタンクの…。
まさか。
「おいおい兄ちゃん、スカスカなタンクで逃げ切れんのかよ!」
「多分持つ、かもしれない!」
「確証全然ねぇのかよ!」
「経験則だ!」
少しごちゃごちゃしている路地裏、民家が軒を連ねている所で、道路にはいくつか家庭菜園のプランターや、外に留めてある自転車が置かれてある。
俺様達がそこを通った少しあと、ドカン! ガシャン!と音が鳴って、
「…でぇええ!? アイツ、バンバンその辺のモノ跳ね飛ばして来やがるぜ!?」
「コルヴォ、顔を出すな。中に入ってろ!」
ぶつかれば痛いどころじゃ済まないのもちょいちょいあるのだが、兄ちゃんは俺を気にして、うけても構わないものは背中で受け止めている。
自転車やごみステーションなんかの、冗談じゃ済まないものは全力で逃げるが。
急加速をする度に、兄ちゃんの表情に暗澹としたものがじわじわ混じっていく気配がする。
ガソリンが少ない状態でブーストをかければ、仕方ないかと思うわけだが…。
突如、猫が俺様達と車の間を走ろうとして、それは妖怪車に当然のように跳ね飛ばされた。
ドンッ、と嫌な音がして猫は跳ね飛ばされ、同じように俺様達の方に向けて跳んでくる。
悲鳴が聞こえて兄ちゃんの後頭部にぶつかり地面に落ち、直後に妖怪車に改めてひき潰されてしまった。
「……っ」
多分、その光景をサイドミラーで確認していた俺様と兄ちゃんの考えは同じだ。
これが人間であったなら。
あの妖怪車は容赦なく猫と同じようにするだろう。
いや、きっと猫より丹念にひき潰して自分の力にしてるだろう。
だからこそ許せねぇ…、あいつの存在が他人に害をなしているのなら、それを放置する理由なんてどこにも無い。
「バンバン回せ兄ちゃん! アイツ、早く壊して潰す!」
「あぁ、解ってるけど…っ」
どうやら本当にガソリンの残りが芳しくないみたいだ。
だんだんと速度が落ちてきている感じすらして、
「なっ!?」
後ろを確認しようとしたら、粗大ごみのカラーボックスが、こちらに目掛けて跳んできてるじゃねぇか!
数は4つ、兄ちゃんは操縦で後ろを見ているから解ってるが、確実に叩き落せない。
…なら、やるしかねぇ。
「ちぇいッ!」
側車から立ち上がり後ろを向く。身体に隅々まで魔力を流し込み、身体を変異させる。足で身体を固定し、両の腕で飛来する代物を叩き落す。
1つを横に叩き落とし、2つ目を左腕の防御でどうにか兄ちゃんにぶつからない様逸らし、3つ目を爪で薙いで壊す。
4つ目はどうにか掴めたので、妖怪車に向けてぶつけてやった。
ガシャン、とフロントガラスにビシビシヒビを入れて、妖怪車は少しだけ後退、したかと思ったら、
「わりぃ兄ちゃん、火に油ドバドバ注いじまったかも!?」
「あにやってんだ!」
さらに速度を上げて、こちらに突撃を仕掛けてきた。兄ちゃんも逃げる為にエンジンを噴かそうと、して、
ブスンッ
燃料が尽きた。
勢いのままに少しだけ進んでいくバイクにぶつかろうとした瞬間、
「……っ!!」
兄ちゃんが俺様の体を掴み、前方に投げ飛ばす。そのまま宙に体を浮かしてぶつけられる前にバイクを横に蹴り飛ばした。
思惑通りにバイクへの直撃は避けられたけど、それは兄ちゃんがぶつけられることになる訳で、
ドガン、と鈍い音を立てて、兄ちゃんがこちらへゴロゴロと転がってきた。
投げ飛ばされた俺様は、魔力をみなぎらせたおかげで問題なく着地していたが、兄ちゃんはまだ人間の筈だ。
少しだけ喀血しながら、立ち上がろうとしている。
そしてそれをさせきる前に、とばかりに車は近付いて来て。
「兄ちゃん、ちゃちゃっと立て!」
「…青嵐丸!」
虚空から取り出された日本刀を、鞘に入ったままに盾にし、二度目の激突を受けた。
再び跳ね飛ばされ、兄ちゃんの体は大地を転がっていく。2度の追突でようやく近くまで来た兄ちゃんの所に駆け寄った。
「何であんな事すんだよ! 兄ちゃんがゴロゴロ転がされる必要なんてねぇじゃねぇか!」
「確かに、そうかもしれないけどさ…、コルヴォに、怪我してほしくなかったってのが、あってな…」
ひびの入った鞘と、その刀を杖に、兄ちゃんはそれでも立ち上がる。
「それに…、どうやら間に合ったようだからな。その姿だから、先に入っててほしかった…」
「え? …ピリピリ来る空間、そうか、ここが!」
どうやら本当にギリギリだったみたいだ。
俺様が兄ちゃんに投げられて、兄ちゃんが転がされてきた場所。ここが人外同士の厄介事を、知られずに解決する為の場所。
人の入り込めぬ、一種の閉鎖空間に来ていたのか。
「…じゃあ、準備は良いか、コルヴォ…?」
「…あぁ。ダラダラしてられねぇ。徹底的に、潰すぜ!」
ここなら、全力を出せる!
* * *
人目に触れぬ為の人外の決闘場。
運転手を持たず自律している車を挟むように、前方に――、後方にコルヴォが立ち、距離を取っている。
(解っちゃいるが…)
(やすやすと近寄れねぇ…)
声に出さないが、二人の考える事は同じだ。
人外としての力を持ってはいるものの、コルヴォは依子としての素質を十全に引き出している訳ではない。
――は自らの肉体のダメージによって、降霊に耐えられえないと判断したため、誰も女神を降ろしていない。
その二人が相手にしているのは、妖怪化している自動車だ。
エンジン音が鳴り響き、自分の手番だと言わんばかりに吼えあげる。
排気筒から炎が、洗浄液の噴射口から強い勢いの液体が、それぞれ前後に存在する2人に向けて放たれる。
「「ッ!!」」
攻撃に反応し、コルヴォはさらに後方に飛び退く。――は手にした刀を射線に沿わせ、刃の曲線によって弾き飛ばす。
勢いのままに噴射された洗浄液は、多少離れた場所にある樹木を、ウォーターカッターの勢いで削り、切った。
「…やっぱり、か」
内心で――は歯噛みする。あの車は自分が傷を負っていることを理解して、こちらに攻撃を仕掛けてきている。
同時に自分の負った傷が決して軽い物では無いと自覚していた。脚に力を入れ、意識を強く保ち、倒れないようにするだけで精一杯だ。
ロクに動けない――を目掛け、車は急速に前進する。既に二度も轢かれた身で、これ以上貰う事は出来ないと判断し、気力を振り絞って足に力を籠めた。
ゴムのタイヤが地面を削り、肉薄してくる鋼鉄の塊は、確実に被害者の血を求めて近づいてくる。
「っく…!!」
思った以上に気力の込められた脚は、突撃してくる撤回の攻撃を横に跳んで避ける事は出来た。
しかし落ちついて振り返る暇もなく、車体は前輪を軸としてすぐさま方向を転換し、執拗に狙いを定める。
再び加速し、突撃を当てようとした瞬間、車の体に電撃が放たれた。
「兄ちゃんっ、タラタラしてんなっ!」
それを放ったコルヴォの声に、また――は足に力を込め、感電したのか一時的に動きの鈍くなり、肉薄していた車から回避行動を取る。
攻撃の軌道上から逸れたのと硬直が解けたのは、ほぼ同時。
それでもなお、狙うは――のみと言わんばかりに、攻撃を仕掛けようと方向を定める。
「まだまだ、もいっちょっ!」
先ほどの電撃が有効だと思ったのか、もう一度放とうとする。
だが、コルヴォが陣取るのは先ほどと同様に車の後方。エンジンが1つ唸り、排気筒から先ほどとは異なり、非常に臭う気体が吐き出された。
その異臭の原因は何か。それを感じた瞬間、轟音が響いた。
(アイツ、気化したガソリンを吹き出した!?)
排気筒から続けざまに出した炎により、着火された気体は爆炎を巻き上げる。
多少避けられたとはいえ、不意打ちに近い爆炎はコルヴォを確かに焼いて、衝撃は身体をさらに吹き飛ばした。
これで邪魔はされないと判断したのか、後輪の回転を上げて――の方へと走ってくる。
まだ足に力は籠められる。何度か回避をすることは可能だろうし、それまでコルヴォが起き上がってくれれば。
そう考えながら――は、先ほどと同じように敵の攻撃を、避けられる限界の距離まで引き付けようとする。
妖怪化した車のエンジンは唸りを上げて、その体を当てる為に、洗浄液のウォーターカッターを放つ。
「ッ!」
青嵐丸をかざし、再度その攻撃を逸らす。その間にも確かに近づいて来る存在に対し、防御から回避へと意識の切り替えをする為に、一瞬のタイムラグが発生する。
(まだ遠い、避けられる!)
そう確信し、突撃を横へ避けようとする刹那、
バギリ、と異音を立て、妖怪化した車のバンパーが『開いた』。
まるでクワガタの顎のような、鋭利な棘を伴ったバンパーは、近過ぎる距離で避けようとしていた――の身を、その棘で制してしまった。
「こいt、っ!?」
顎を閉じると同時にボンネットが開かれる。バンパーと同じく、そこにも鋭利な棘が並び、
バグンと、――を挟みこんだ。
まるで縦と横の三方に割けた口のように開かれたボンネットは、鉄である身を最大限に利用して、バタン!バタン!と何度も――の体を咀嚼していく。
「がっ! ぐ、ぐぁ…!」
棘で身体に穴を開け、血を吹き出させる為に肉体を叩く。
まるでガソリンなど不要とばかりに、車は――の血をうまそうに吸っていく。
同時に「血」、命の力を得る事で、その身は更なる力を得ていくのを実感していた。
「ゲッホ、ぐえっほ! っくそ、チリチリしやがる…、!?」
爆炎から逃れられたコルヴォは、顔に着いた煤を払いのけた直後に、その光景を見る。
まるで甚振るように――の体に喰らいつきながら、その身をバキリバキリと変えていく車の姿を。
シャーシから肋骨のように何本も生えだした鋼の板は、まるで肢のように地面を踏み締める。
ルーフは縦に割け、羽のように広がっていく。内装の布も甲虫の薄羽のようにはためく。
変異していく。ただの車から、さらに『命』を持った姿を模すように。
「なん、だ、アイツ…。器物がメチャメチャに変化してやがる…」
コルヴォは自分の背筋に、冷たい汗が一筋流れるのを自覚してしまった。
魔化された『器物』の事なら、自分でも知っている。
「念を込めて作られる」か、「命を吸う」かで発生する人外の一種族。「魔剣」に限らず命を持った『器物』。
今回は明らかに後者の筈だ、あんな大量生産品の車が最初から「そうなる」ように念を込めて作られるはずが無い。
もしそうなら、
「今頃ジャンジャン“成って”やがる筈だ…」
頭の中だけで圧し留められない考えが、口をついて出てしまう。
かぶりを振ってその考えを振り払う。もし仮にそうだとしても、今目の前で成った存在をどうにかしない限り、今後の事を考える事などできない。
まるで甲虫のような姿に変異していく車は、――の身を咀嚼している。鋼と肉体がぶつかり合う音の中に、ぐちゃ、ぐちゃ、ばき、という音が混じって、
「バリバリ喰ってんじゃ…ねぇぇぇッ!!」
それを認識した瞬間に、コルヴォは脚に全ての力を込める。
咀嚼の為に開いた口、その一瞬の隙を突いて、――の体をもぎ取っていった。
けれどそこで脚は止めず、踏み締めた大地をさらに蹴って、踏んでは蹴って、走っていく。
「ぐったりしてねぇで起きろよ兄ちゃん! グダグダ力抜いてんじゃねぇよ!」
コルヴォの、ひいては依子の体格では抱えるのに苦労してしまう――の体は、度重なる叩き付けと穿孔によって血塗れだ。
どこまで広がってるか解らないこの場所で、力の入らない――の体を抱えて逃げる。
(あぁ、クソッ…!)
後ろから、まるで獲物を狙うように、追い詰めるのを楽しむように、こぼれ落ちる血を辿って、あの車がやってくる。
シャーシから生えた肢で、ゆっくりと。
(ダメダメだ、逃げられる訳がねぇ…! アイツは執念のように血を求めてやがる!)
焦りからか、思考速度の早くなった頭の中で考える。どうすればいいのか。
(アイツがここから出てったら、俺様達を潰したら、きっと際限無く外に出ていく…!)
混乱しながら、その光景を、考えてしまう。
(そうしたらきっと、鬼の姉ちゃんが今度は戦うんだろう…。でも前に出る兄ちゃんはこうなってて…)
ぐちゃぐちゃした頭の中で。
(こんなんじゃ、戦えるはずがねぇ…)
そうなったら、代わりが必要で。
(スライムの兄ちゃんも戦うのか? その上に二人いるって聞いたし、きっと強いんじゃねぇかな)
でも、それで良いの?
(でも、それより先に狙われるのはきっと…)
きっと、『彼女』だ。
(六月が…、狙われるかも、しれない…)
そうだよ、コルヴォ。
(……)
それで、良いの?
(そんなわけねぇ…。そんな光景、考えるだけでムカムカしてきやがるじゃねぇか…!)
それだけで終わらないから、止めなきゃいけないの。
(止められんのかよ、俺様が! 無様にバタバタ逃げてる状態で!)
絶対に出来るって解ってなきゃ、行動しないの?
(下手打ってやられたくねぇ…。弱いんだよ、俺様は! だから依子の体を狙ったのに、結局このザマだ!)
…私だって、弱いよ。弱いけど、諦めたくないの。
(…あぁ、そうだ。そうだったな…)
だから……。
「あぁ、だから…」
脚を止める。
力なく倒れた――の体を横たえると、追い詰める事を楽しむような車の方へ向き直り、瞑目し、深く深呼吸を一つする。
「すぅー……、はぁー……」
ガチャ、ガチャ、と肢音が近付いていく。
『コルヴォ、良いの?』
「あぁ…、やっぱ俺様は弱ぇや。喰ったつもりでも消化しきれず、グズグズの食べかすにも責められてるんだぜ?」
『バカね。だから私はコルヴォを選んだのよ。私と一緒で、弱いから』
内なる心の相手と、声を出しながら会話をしていく。
それはコルヴォが喰った筈の、消化しきれていない存在の、
『だから、1人で何でもやろうとしないで』
「…そうだな、俺様ガチガチに肩肘張りまくってたよ」
『それじゃ、あの時みたいに2人でやりましょう!』
「アイアイサー!!」
柏葉依子の声だった。
* * *
《ギチ、ギチッ!》
「とうとう吼えるまでになりやがったか!」
『思った以上に成長が速いわね。鬼の血を吸ったからかしら』
鍬形のような顎を用い、依子の意志が動き出した身体を捉える為に、何度も近づいて顎を閉じる。
一度捕まれば、先ほどの――のように勢いよく喰われるのは間違いないだろう。
ガチン、と噛みつかれようとする度に、「今の」妖怪車では一足で動けない距離まで飛び退く。
無論それだけでは勝てる筈もなく、鬼の血の影響かじわりじわりと、さらに有機的に姿が変わっていくのが見える。
『そうそう放置は出来そうにないわね?』
「あぁ、早々と片付けないといけないんだが…、なぁっ!!」
近づかれ、今度は顎の代わりに背を向け、爆炎を見舞われる。さっきから何度も見ている手だ、対処法も理解していた。
『コルヴォ、跳んで!』
「てりゃいっ!!」
ガソリンに火が付き、爆発が起こるその直前。跳び上がり、炎が放つ上昇気流に後押しを受ける形で大きく身を舞わせる。
相手の目がどこにあるのかは知らないが、上を取る事で、それなりに理想的な位置を取った。
剣印を結び、依子の魔力をコルヴォの力で増幅し、形にして放つ。
「『雷降!』」
落ちる稲妻は、光の速さで眼下の鋼鉄に直撃をする。
《ギ、ギギッ!》
ダメージがあるのか、妖怪車はわずかに鳴き声を上げた。
上空で身を捻り、妖怪車の側面に降りると同時に相手へ向けて跳びかかる。
無作為に爪を作るのではなく、剣印の先に、先ほどとは異なる形で雷を纏わせ、剣のように伸ばしていく。
「ほうほう、こう作りゃ良いんだな?」
『電刃!』
変異した爪での攻撃では、ともすれば押し負ける可能性がある。ならばそれ以外の方法を、と依子が考え、コルヴォが実践する。
実体を持たない雷の刃は放電音を鳴らしながら車体を切りつけ、開かれていたドアの一部を斬り落す。
ゴトン、という金属音と共に、妖怪車は自らの一部が切り落とされた事に気付き、悲鳴のような唸り声を上げた。
『…いける。直接攻撃するよりはこっちの方が良いわ!』
「おいおい依子、それって俺様が考え無しってことかよ」
『まぁ、もうちょっと力任せじゃない方法を探しても良かったかもね?』
「俺様の中でスヤスヤしてた癖に、言うじゃねぇか依子は。…だったら、こんな感じはどうだ?」
主導権を握る側、握られる側。逆転している筈なのに、2人の会話は変わらない。
拳を握り、開く。先ほどの『電刃』のような雷の刃が、今度は爪の先に延びる。
『なるほど、折衷案ってこと? …良いわね、それ』
「諸々不足してる所は、俺様の力で補ってやるからよ。…依子は内側から、ちゃーんと見ててくれや」
『はいはい。調子に乗らないようにね』
《ギッ、ギチ、イィィッ!》
成長し、言葉にこそできないが明確な意思を持ってきた妖怪車は、自らを攻撃してきた存在に対してハッキリとした敵意を向けていた。
言語として形成できないが、彼は内心で驕っていた。初めての交通事故によって吸った血で得たのは、自らの鋼鉄の肉体の誇り。
ぶつけさえすれば大抵の人物は、たとえ乗り手であれ、倒れ伏す。潰せば血が滴り、自らの糧となる。
その力に奢り溺れ、「敵」の存在を認識していなかった。
だが今、目の前には自らの優位性を崩す存在が現れた。
それが妖怪車には何より許せなかった。自分は強いと信じている。それを否定する存在は許さない。
子供じみた癇癪のままに、エンジンを限界近く回して加速する。地を踏む肢と同時に車輪を、意味もなく動かし苛立ちを形にしている。
この憤りをぶつける為に、どうするか。
上が居てはいけない。自分の上は。
一瞬の溜めの後に、妖怪車は跳びかかる。新たに生やした機関を最大に活用し、車輪で走るより速く。
『コルヴォ、来るわ!』
「イライラしてるみたいだ、なっ!」
角度を高くしない形での跳躍。コルヴォの上に圧し掛かる勢いで、勢いと速度を求めた突撃を行う。
バックステップを行う事で、コルヴォもそれを辛うじて避ける。
だが、互いの距離は先ほどより確実に近づいている。
《ギィッ、ギッ、ギシィィ!》
『コルヴォ、組み付かれたら押し負けるわ。力で勝負だけはしないで』
「言われなくても解ってるっての! 強化しても勝負にゃならない事は、重々承知だ!」
体格差、重量差。そのどちらを取ってもコルヴォは妖怪車より下に位置している。
いくら魔力で身体を強化させても、その差は妖怪車と真正面からやり合える程には縮まらない。
顎に、肢に、どこかが引っ掛かってしまえば――の二の舞になるのは目に見えている。
詰められた距離を再度離す事も出来ず、至近距離での応酬を繰り返す。
バンパーの顎を避け、雷の衝撃を与える事で怯ませ、ウォーターカッターを紙一重で躱し、コルヴォは小柄故の戦い方をする。、
雷の爪を後ろに下がって避けられ、放たれた雷は喰らって耐えて、その身の大きさで威圧をし、妖怪車は体格差を生かして攻めていく。
(依子が見てくれてるのは有難いんだが…、こいつはジリジリ押されてってるな…!)
だが、果たしてコルヴォの旗色は悪いと言わざるをえない。
一撃を貰えば結果は見えている。喰われている最中に内側に電撃をぶち込めば、まだ勝機はあるかもしれないが、それに身体が耐えられるかどうか。
もしこの場に白竜が居れば、遠慮せず後を頼む事さえできただろうが…。
(ま、そいつが無理だってのは解ってるけどよ、この状況はほとほと困るぜ…!)
金属音、電撃から起こる空気の破裂音、肢と足が地面を踏む音。
絡まった糸をほどくように、これ以上絡まらぬように、高速で間違いを起こすことなく、捌いていく。
『……っ』
今は膠着状態になっているが、それが故に依子の事で、頭を抱えたくなる事態になる。
偶然とはいえ起き上がってきた依子の意識だが、元々コルヴォと契約していた時は状態が違う。依子としての力をコルヴォに使われている関係上、能力の消耗に関して言えば彼女の方が大きい。
そして、
『…、コルヴォッ、下がって!』
「おおぉっ!?」
妖怪車が車体を前に押し出してくる。顎の中に身体を収められてしまいかねない為、避ける為に大きく後方へ飛び退いた。
直前まで自分が居た空間を、ガチン!と音を立てて顎が挟み込む。
『危なかった…、ゴメン、ちょっと判断力落ちてきたかも…』
「おいおい勘弁してくれよ…、依子が見てくれなかったら、俺様やられちまうかもしれねぇよ」
依子は意識体という現状、能力の消耗はすなわち意識の消耗になりうる。このままじりじりと戦闘が続いていけば、依子の意識が落ちてしまう。
そうなれば、コルヴォ一人で妖怪車に対処するのは難しいだろう。
(はやく終わらせねぇと…。けどコイツ…)
顎を捌く時、接触と同時に雷を何度も流しているが、堪えた様子はない。
反撃と同時の小手先だけでは、どう足掻いても手が足りないのだ。
『…コルヴォ、焦りを表情に出さないで。相手に勘付かれるわよ?』
「そうはいっても、ヒヤヒヤモンだよこんなのは…」
額に冷や汗が浮かぶ。眉根に皺が寄り、口元が苦悶で歪む。
弱いなりに、それなりに戦えると思ったが、自分が弱く相手が強いと、隙を作る事にもこんなに苦労するとは思わなかった。
ガストの時は依子の精神力で耐えていたが、アレは彼女が主導を取っていたからだ。踏ん張ろうにも、その為の体が無い。
『もうちょっと踏ん張るから…、早い所勝機を探らないと…!』
だというのに、彼女は変わらない。自分が喰らった筈なのに、何も変わらない彼女がこうまで疲労している。
その現実に、内心で歯噛みしてしまう。
一度呼気を整え、雷を両手に纏い構え直す。妖怪車もその場でコルヴォを見据えている。
じりじりと距離を詰め、互いに一足飛びの距離になった瞬間、
『まずいわコルヴォ! あっちには鬼の人が!』
「アイツ、ボロボロの兄ちゃん狙いに行きやがった!」
さらに力を得る為か、妖怪車は踵を返し、倒れ伏したままの――の方へ走った。
距離が近付き、最後の血を吸い切ろうと、顎を開いた瞬間、
その顎が止められた。
血に塗れた腕が迫る顎に添えられ、指が音を立ててめり込んでいる。
まるで果実を握りつぶすように掌が閉じられると、鈍い金属音を立てて、顎の先端が取れて落ちた。
「やべぇ…。まさか兄ちゃん、こんなギリギリで片鱗を出しやがった…!」
驚いているのはコルヴォだけではない。妖怪車も、幽鬼のように立ち上がった――に狼狽しているように見える。
「ガハァ…」
ひと目で満身創痍と解る――は血を流しながらも、瞳が紅に染まっている。その光に、正気の色は無い。
覚束ない足取りで――は妖怪車に近付き、握りつぶした顎を再度掴む。
直後、そこを掴んだままで、無造作に妖怪車の車体を振り回した。
ギギ、バキンッ!
バンパーであった顎の片方が腕の勢いに負け、引き千切れる。他に支えを無くした車体は、慣性の法則のままに放られる。
地面をゴロゴロと転がり、どうにか止まった妖怪車は、瞬時に距離を詰められている事に気付いた。
眼前に、血に濡れた――が立っている。狂気の光を目に宿し、狂喜の笑みを口に浮かべ、驚喜の如き叫びと共に、何度も何度も、握りもしない拳を叩き付ける。
《ギィッ、ギィィ! ギィィィッ!?》
破壊作業もかくや、と言わんばかりの金属音が鳴り響き、コルヴォも、妖怪車に、動けずにいた。
『アレが、鬼…』
「脚がガクガクしてやがる…」
2人が同時に抱いたのは、恐怖だ。
隠されていた力の解放は、精神に重篤な変調を及ぼす事が殆どだ。正気を保っていられる事例は、依子としての記憶の中では見た事も聞いた事もない。
そしてその変調は、力が強ければ強い程に激しい物となる。
2人の目の前で、妖怪車が作り変えられていく。
一撃毎に鋼がへこみ、悲鳴のような鳴き声が上がる。
一撃毎に拳が裂け、変異するように肉体が歪んでいく。
一撃毎に血がしぶき、妖怪車の体を癒してしまう。
一撃毎に届かぬ手ごたえを感じ、更に殴りつけていく。
いたぶり、相手が死なない事を喜んでいるように何度となく拳を叩き付けて、相手と同時に自らも壊していく様は、恐ろしさと同時に、別の感情を起こしていく。
(止めてくれよ、そんなボロボロの姿見たくねぇよ…)
コルヴォの中には、胸を抉られるような想いが過る。
僅か一週間程度の付き合いでしかないが、まるで自分よりも悪魔らしい顔と行為に、“らしくない”と思えている。
そして依子は、
『……コルヴォ、聞こえる?』
「…なんなんだ、依子」
『あの鬼の人を、止めるわよ』
コルヴォとは異なる、決意があった。
「おいおいマジかよ…、あの状態の兄ちゃん、どうやって止めるっていうんだ!?」
『方法は解らないけど、とにかくやらなきゃ! あのままじゃ鬼の人、人の心を無くしちゃうわ!』
力が強く解放されれば、強い程に理性を立ち戻らせることが難しくなる。狂気の濁流の中で、一縷の正気を手繰り戻る事。
それが時間をかければかけてしまう程、行う事はむずかしくなる。
『それ、嫌なんでしょう? だったら早くしないと』
「何で依子がそれを解るんだよ…?」
『バカね、私の体だったのよ? 表情からどんなこと考えてるのかなんて、解らないと思ってるの?』
そんなに顔に出ていたのだろうか。コルヴォは自分の顔に手を当ててみた。
自分ではわからないけれど、きっと悲しそうな、嫌そうな顔をしているのだろう。そしてそれが、彼女には手に取るように解っていたようだ。
「…依子、兄ちゃんを正気に戻す方法はあるか? 頬でもバンバン叩くかね?」
『一番簡単なのはショックね。ほっぺたよりはお尻の方が良いかも』
「…おいおいまさか、今朝の事も覚えてるのか?」
『……一応、記憶にはあるわよ』
憮然とした気配で依子は呟いている。やはり尻を叩かれるという事に、思う所はあるのだろうか。
後は、今の状態の――をどうやってかいくぐり、掌打を当てるかだ。
「危険なのは重々承知じゃねぇのか?」
『勿論。だけどね、あのまま放置もしておけないでしょ』
「はいはい、そうだ、なっ!」
その言葉と同時に駆け出す。
柏葉依子は、危険だからと言ってその場で留まるような人間じゃない。その想いはひたすらに、柏葉の思想を気高く持ち続けている。
「人外の暴威から人を守る為」。
それは外側だけでなく、内側からの暴威にも適応されている。まだ――が人間であるのなら、見捨てるわけにはいかないのだ。
(ほとほと無謀だよな…)
危険だ、とコルヴォは思う。その為にいくらでも身を投げ出しそうな危うささえ秘めている。
(だから――、御目付だろうとなんだろうと、ギラギラ目を光らせて俺様が着いていてやんないといけないよな、こいつぁさ!)
悪魔故に、悪意を以て来る相手を見極めないと、いけないと、考える。
妖怪車への苛みを一度止め、――は狂気の瞳をコルヴォに向ける。先ほどより元気のいい相手が来ると考え、放り捨て向かい合う。
『コルヴォ、加速して!』
「あいあい!」
リニアレールのような、反発する電磁力を足裏に纏い、加速する。振り下ろす――の拳が頭を掠め、髪を攫う。
止まらず、すり抜けようとする瞬間、掌に雷を纏わせて、
「朝のお返しだぜ、ビリビリしな!」
脊髄を通り脳天に通るように、尾てい骨を中心として、
バシィン!と、打音を鳴らした。
「アギギギギギッ!?」
打音と共に電撃が走り、狙い通りに脳髄にまで痺れるような感覚が通っていく。
全身の筋肉が硬直し身体が脳のコントロールを離れ、――の体が膝をつく。妖怪車は好機とばかりに力の抜けた手を振り切り、距離を取った。
同時に、これ以上自らを責め立てられれば、死が見えてしまう事に気付き、自らの脅威を一刻も早く排除せねばと考える。
『…どう?』
「わかんねぇ…、ビクビクしてるけど、正気に戻ったかは…」
スパンキングから3歩後ずさった2人は、緊張し、固唾を飲んで見守っている。これでもまだ戻らないのなら、続けて衝撃を与えるつもりだが、果たしてそれを妖怪車の方が許してくれるだろうか。
視線をわずかばかり、妖怪車の方へ向けると、やはり見逃そうとする筈もない。
歪まされた体や千切れた肢をどうにか修復し、車体を深く沈める。
新たに生えた箇所を千切られ、手傷を負わされた。ならば自分が最も得意とした攻撃を。
勢いをつけた、時速にして150キロはある、単純な突撃。それが妖怪車の取った選択で、動かない――目掛けて向けられる。
「やべぇっ! 兄ちゃん、キリキリ目ぇ覚ませ!」
アレを受け流せるだけの余力が自分にはない、見てるだけしか出来ないコルヴォの目の前で、――の目が開き、
「でぃえいっ!!」
車体を掴み、投げ飛ばした。
慣性の法則に従い、さらに膂力を込めて投げられた車体は轟音と共にバウンドし、地面と体を擦りながら滑っていく。
その様子をじぃと見つめる――の視線は、
「……、まだ動くか」
凶暴さはなりを潜め、冷静になっていた。
戻れたのだ、と理解したコルヴォは、途端に肩の力が抜けて頽れそうになるが、
『コルヴォ、倒れちゃダメよ。…向こうはまだ動くわ』
「ハイハイ、解ってるっての…、お、ぉっ」
依子による叱咤に、膝に力を入れて奮い立たせる。
その様子に気付いた――は、血濡れたままの腕を腰に添えて、倒れるのを防いでくれた。
「助かったよコルヴォ。ありがとう。それと、悪かった」
「…良いんだよ。いちいち気にしてたら心の方がもたねぇぜ?」
「恩を気にしないほど図太くなれねぇよ」
腰に腕を添えられたまま、もう一度足に力を入れて、今度はしっかりと立つ。
――が手で支えなかったのは、血に濡れていたからだろう。満身創痍の身でありながら、そんな所まで気を使わなくてもいいだろうに、と考えながら、――の顔を見上げる。
「兄ちゃん、ギリギリ動けなくなるまで、あとドン位だ?」
「そうだな…。今の所リミッターが外れてるみたいだから、正直解らん。…となれば、時間はかけられない訳で」
『一発か二発。それで終わらせた方がお互いに楽よね』
「なら、ガンガンいくしかねぇな。依子、兄ちゃん!」
「…あぁ、そうだな!」
一瞬だけ訝しんだ顔をするも、――は体に力を入れる。瞬間、傷口から血がしぶくが、気にしていられない。
今はこの身に迸る暴威を、どうにかしてあの妖怪車にぶつける事。それだけを考える。
《ギ、ギ…ッ!》
妖怪車は混乱する頭の中に、一抹の「自らの不利」を悟ってしまっていた。
自らの優位性を確立するために、瀕死の男の血を吸おうとしていたが、なぜこんな事になっているのか。
解っている事は、あの男からはもう血は吸えない。恐ろしいのだと感じている。
ならば。あの相手から吸えないのならば、目の前にいるもう一人から吸えばいい。
そう考え、思考を巡らせた瞬間、
「でぃえいっ!!」
一足で接近していた――に、蹴り上げられていた。
訳もわからぬままに中を舞う。何をされたのか解らず、攻撃してきた――を見ようとして地に視線を向けると、そこに姿は既になく、
「ぶった切れろ!」
視界とは別の方向から、右手に雷の爪を伸ばしたコルヴォが跳んできた。火花を散らしながら鋼鉄を焼き千切り、何も出していない左手で車体を掴む。
腹を見せた妖怪車にマウントを取り、雷の爪を突き刺して流し込む。
《ギィィィィィ!?》
もがくように肢をバタつかせ、コルヴォの体に引っ掻けて引きはがす。
中空に投げ出され、洗浄液のウォーターカッターが身体を切り裂いていく。
「依子、ギリギリ撃てて後何発だ!?」
『全力で一発! それでもう寝るわ!』
「余力なんて全然ありゃしねぇな!」
『でも今は…!』
2人の心はこの場において、一致していた。
致命には至らないが、深く切られた身体から血を流し、それでも動かそうする。
妖怪車が蹴り上げられ、放物線を描いて着地する場所には、既に――が立っていた。
自らの調子を確かめるように、拳を握れるほどに回復した右腕を何度も確かめるように握り、開く。
「直接も行けそうだが…、今はコイツの出番だな」
取り落していた青嵐丸を握り直し、深く息をつくと同時に刀身に蒼い焔が迸った。自らの魔力の発露を、ほぼ無意識に行いながら、途切れそうな命の集中力を基に練り上げていく。
「コルヴォ、俺が合わせる!」
「あいあい!」
中空のまま、魔力で足場を作り、コルヴォは跳ねる。
蒼い焔を纏い、刃を構えて、――は腕に力を籠める。
《ギィィィィィィ!》
2人の狙いに気付いた妖怪車は、怨嗟の様な叫びを上げる。自らの優位を信じて、一度は潰した相手にも責め立てられ、そして追い詰められた。
何故そうなったか。その理由に気付くことは、もう無い。
「でぃぃえいっ!!」
「『雷降脚!!』」
雷を纏ったコルヴォの脚と、焔を放つ――の刃が、妖怪車の体と交錯し、
断末魔のように、その身が爆発した。
コルヴォは爆炎を背に着地し、脚を地面にこすりつけて勢いを殺す。
「…どうだっ! ここまでやってりゃとうとう死んでんだろ!」
快哉とした笑顔で振り向き、妖怪車の果てを確認しようとするコルヴォの視界に真っ先に入ったのは、
妖怪車の着地地点に居ることと、攻撃に際し交錯したこと、そして爆炎。
つまり、爆発の直撃を受けていた――の姿が、そこにあった。
小規模のクレーターの中心で身を横たえ、倒れ伏している。
「兄ちゃぁぁぁん!? トドメ刺した後に気ぃ抜いてガンガンにオチをぶっ込んでくんなぁぁ!」
『あの倒れ方はマズいわコルヴォ! 電気ショック電気ショック!』
「心臓確認してねぇんだから依子も落ち着け! ドクドク脈打ってるかもしんねぇだろ!?」
どうにも見覚えがありそうな倒れ方をしている――を…、幸い揺するだけで起きたが、起こし、とりあえず回復するまで待った。
これから家に戻るのは大変そうだ。
――は動けない、サイドカーはガソリン切れ、雪姫を呼んでもどうにかなると思えない。
溜息と共に、痛む身体を押しながら、六月から預かったヘアピンを取り出し、じぃと見つめる。
「なぁなぁ依子…、――」
声をかけても、もう彼女から声が返ってくる事は無かった。
けど、
「…俺様、守れたよな。アイツの事をさ」
ほんのわずかな満足感と共に、小さく呟いた。
* * *
Side:雪姫
「お加減は如何ですか?」
「んー…。どうにか体を起こせる位には…」
「あまり無理はなさらず、横になったままで良いですからね?」
荒事の翌日。私の住む忌乃家の一室で、夫の――さんが布団から起きようとするのを押し留める。
ただでさえ血を抜かれ、身体を痛めつけられと、死んでしまってもおかしくない怪我をしたのだから、出来る限り身体を労わってほしい。
「…ごめん、雪姫さん」
「どうして謝るんですか? 何か悪い事でもされましたか?」
「いや、無理し過ぎたと思って…。心配も掛けさせちゃって…」
「そうですね。確かに少し心配しましたよ。ですが…」
布団の中に手を差し入れ、強く握りしめていた彼の手をほどく。
あぁやっぱり。汗と違うものが、手のひらに滲んでいるのが分かる。
「必要以上に自分を責めるのは止めましょう? 血が活性化して治った手を、また傷つけちゃ何の意味も無いですよ?」
「……」
強く握りしめられて、血が滲んだ掌。――さんの血が暴走する事で、一時的に鬼の力を得たこと。それによって強化された治癒力で、とりあえず腕だけは戻っているけれど。
それでも、無事でいる事を望まないように、彼は自らを傷つけている。
私に対する引け目を感じているのか、それとも自らの不甲斐無さを悔いているのか。それは心の中を覗けない身としては、推し量る事しか出来なくて。
(…もし、さとりが居たとしても、聞くつもりはありませんけどね)
全てを知る事ほど、怖い事は無いと思う。知らぬが仏、とはよく言ったもので、知らないからこそ安寧を得られる事も、確かにあるのだろう。
私にとってその一つは、――さんの本心。
知りたいと思う心と、知るべきではないと考える頭とで、危ういところでバランスを取っているような気がする。
「…これ以上、徒に自らを傷つけてほしくありませんから。…ね?」
「……善処するよ」
バツが悪そうに、確約しないで――さんは私から目を逸らす。
その行動がほんの少しだけ頭にきたような気がする。
「あー、――さんの事を心配したら少し頭がふらついてきましたー。体が弱いというのはダメですね。
横になりたいのですけど部屋まで戻るのも億劫ですし、良い所に――さんが寝てらっしゃるのでご一緒させてもらいますね」
「えっ、ちょ、ちょっと雪姫さんっ?」
「はぁ、温かいですね。…動かないでくださいね、――さん?」
我ながらわざとらしい言葉と共に同じ布団の中に潜り込んで、体を寄せ合い息がかかるほどに近づく。目の前では慌てた顔で距離を取ろうとする彼が居たので、予め釘を刺しておいた。
それと一緒に、逃げられないよう、左腕を抱きしめる。
密着するにつれ、汗と少しの血の匂いが強く感じられる。
「…傷付くのは嫌です。――さんは、私の隣から居なくならないでください…」
「……うん、善処するよ」
本音を吐露して、身を寄せる。布団の中で、服越しに熱を分け合う。
偽らざる本心であり、言うべきではないとどこかで思う、彼を縛る言葉。これ以上いなくなられるのは、死なれるのは嫌なのだ。
たとえ男の矜持で強くなろうとして、その結果傷だらけになったとて。
(我が儘ですかね、これは…)
自分の背に添えられる彼の手に、温かさと同時に後ろめたさも感じてしまう。
お互いを大切に思っているけれど、どこかで拭い切れない罪悪感が私達の中にあって、それが本当のつながりを遮っている。
同じ褥は温かいが、風呂を共にした事、肌を重ねた事、果ては唇を重ねた事も無い。本当に、歪な夫婦関係だ。
(それでも…)
それでも、攻め立てられる心と併せて私の中に息づく暖かさは嘘じゃないと信じたい。
たとえこれが、早耶さんの隣から結果的に奪ってしまった末の関係だとしても。
「――さん」
「どうしたの、雪姫さん?」
「…何でもありません。体調も気分も優れませんから、しばらく横になってます。離れないでくださいね」
「ん、解ったよ」
我が事ながら、
本当に、救いがたい。
* * *
Side:コルヴォ
「イヤイヤ別に良いんだけどな、2人がどうなろうとさ!」
なんか兄ちゃんと鬼の姉ちゃんがゴロゴロしてるのが目に入ってきて、居たたまれなくなって忌乃家を出ようと思った。
まぁ、アレだよ。別にイチャイチャするのが悪い訳じゃないし、俺様も見てて楽しいんだけど、どうにも鬼の姉ちゃんのほうが悲愴な感じを出してやがるので、そっちの方面で見てたくない。
もっと安心して弄れる方向なら、俺様も気にするつもりは一切無いんだよ。
適当に着るものを探しつつ、俺様に宛がわれた部屋をゴチャゴチャにしながら、ふと制服のポケットに挟まった物に目を向ける。
「あ、そっか。そろそろコイツも返しに行かないとな…」
それなりに激しい戦闘をしていても外れない様、ヘアピンをポケットに挟んでいた。
小さな花の飾りがついたヘアピンは、小さく存在を自己主張して、俺様に「早く持ち主の所へ戻せ」と訴えているようだ。
適当に私服を見繕って着替え、財布と定期を鞄に突っ込んで、ヘアピンを制服から取って同じく鞄の中へ。
確か六月の家がある方向はアッチで、今俺様が居る忌乃家の場所はここだから…。
「そうそう時間をかけずに行けるかな…」
居間のテーブルに書置きを残して、考えながら家を出る。
果たして依子が家にいるかも解らないけど、そこは東金とかいう奴がまたまた掃き掃除してりゃ、伝言なりなんなりを済ませて終わる筈だし…、
「まぁまぁ、イケんだろ」
楽観視しながら駅へと向かい、電車に乗って3駅隣に。
思えば初めて降りる場所だけど、ここからどう行けば三条組の敷地に辿り着けるのか。それも何となくわかったので、とりあえず向かってみた。
住宅街というが、全然静かな休みの日。
たまに走ってくるドライバーの乗った車が通る以外に、あまり人の声も聞こえてこない、閑静ともいえるような場所。
歩いて20分くらいはしたような三条組の敷地に向けて歩いていると、厚着気味で、帽子とマスクとサングラスという、全方位から「疑ってください」と言わんばかりの格好をしている奴が、誰かから隠れるように、こそこそと歩いている。
「あー…、ちょいちょい、何やってんだ?」
「ひぇっ!?」
見覚えのありすぎる気配だったので、気になった途端に声をかけると、まぁ面白い位に反応してくれた。
よっぽど見つかるとマズいと考えてたのか、フリーズして5秒くらい経過したら、ようやく俺様の方に気付いたようだ。
「あー驚いた…。いきなりは困るよコルヴォ…」
俺様としちゃお前のカッコに困ったよ六月。
話を聞くと、まぁ先日みたいに家を出てきた直後だったようで、まさか気付かれたと思いあそこまで硬直したのだと。
そこまで困る事ならいっそ開き直って「家の外出たいです」って言やぁ良いのに。
「…だって、やっぱりおじいちゃんが護衛とか付けようとするから…」
とぼとぼ肩落として歩いてる六月の隣で、適当に受け答えしてる。
けど昨日と違うのは、お互いに私服であり、軽装であるという事だ。
「顔をガンガンに隠して、今日は何しに出てきたんだよ?」
「今日は…、やっぱりこれ、ちゃんと返そうと思ってね。もう、終わったんでしょ?」
ポーチからごそごそ取り出されたのは、昨日兄ちゃんが六月に渡していた護符。そういやずっとアレ無かったんだな、大丈夫か?
「まぁなぁ。おかげで兄ちゃんボロボロだけど…、ありゃ自業自得みたいなもんだし」
「やっぱり。昨日の事をおじいちゃんに話してもらったけど、仕事が速いっていう印象持たれてたし…、もう良いかなって思っちゃってね」
「もし俺様達が全然終わらせてなかったら、どうするんだよ?」
「それは…、無いかな?」
「何でまた、是非是非理由を聞かせてほしいね」
「だって、コルヴォがこうして来てくれたじゃない?」
マスクもサングラスも外した六月は、俺様に屈託のない笑みを向けてくる。
信頼、されてるのかね?
「…そうかい。そんじゃとうとう答え合わせの時間といこうか」
「あ、これって…」
自分のカバンをごそごそと漁り、持ってきたものを見せる。視界に収めた六月は顔をほころばせる。それはおそらく喜びで作られたものだろう。
「そう、六月のヘアピン。…ホイホイ無くせるモンじゃねぇし、早い所返してやりたかったからな」
「ありがとう…。それじゃあ、本当に機能の事は終わったんだね?」
「ちゃちゃっと終わらせたよ。あんな後に続くかどうかの事件なんて、元を断てばそれで終わるんだ」
「もう、あの車に傷つけられる人はいないんだね?」
「ゾロゾロ出てこなきゃ、まず無いだろ」
「…良かった…」
安堵の声と共に、六月はヘアピンを大事そうに撫でた後、慣れた手付きで髪につけた。
それだけ大事な代物で、何度も髪につけたのだろう。
「本当にありがとう。…でも私、こんなにされて、返せるものが何にも無いや…」
けど、笑った直後に六月の顔は曇る。気にしなくてもいいだろう事なのに、返礼が出せない事を気に病んでいるようだ。
本来の『俺様』…、悪魔としての存在なら、行動の代価を求める存在が大半だ。契約を交わさない相手への代償なんて、暴利というのが生温いレベルであらゆるものを毟り取っていく。
本来なら俺様もそうして然るべき、だったんだが…。
出てきた言葉は、驚くような物だった。
「気にするなって。アイツの行動にゃムカムカしてたし、ブッ潰すいい理由になったからさ」
「え、でも…」
「だから気にすんなって! ウジウジ引っ張られるのもヤなんでね!」
六月の頭を、ヘアピンに干渉しない形でぐしゃぐしゃにかき乱す。
少しだけ不満そうな顔と共に、髪の毛を整える六月に向けて、もう一度告げる。
「礼とか気にすんな。…もともと“あぁいう奴”の手口で傷付く人が出るのが、個人的に嫌だっただけだからな」
「…、うん…」
我が言ながらキザっぽいというか、清々しくないというか。
正直なことをぶっちゃけるなら、他人を気遣う言葉なんて思い浮かばなかったってのがある。
依子としての人間生活なんて、記憶の中と一週間程度の生活しか体験してない俺様が、そうポンポンと語彙から引き出せるかと言われたら…、難しいんだよなぁ。
だから、こんな事しか言えない。
…当然の事ながら、六月の方はあんまり納得いってない感じだ。
「難しく考えなくて良いんだっつの。困ってる人を助けて、礼はいらねぇって去ってく奴がいたって、こんな広い世界じゃ何の不思議もねぇだろ」
「個人的にはすっごい不思議だよ。…どうしてそう思えるの?」
「それか? …、そいつぁな…」
一度だけ空を見て、小さく呟く。
「俺様がスカスカに底抜けのお人好しな奴を知って、それに影響されちまったからさ」
依子と一緒に過ごした時間と、依子として過ごした時間。俺様の中に存在する彼女の大きさは、思っていた以上に俺様に影響を与えていたようで。
人間の倫理観で言うところの「悪い事」なんて、もうできなくなってるんじゃねぇか。そんな気さえするような思いがある。
「そっか…、そんな人いるんだ。その人って…、忌乃さん?」
「全然違うよ。兄ちゃんよりもっと前に知り合って、ずっと知ってる奴…、知ってるつもりだった奴だ」
「つもり、かぁ…。…ねぇコルヴォ」
「あん?」
足を止めて、依子が俺様に真剣な目を向けてくる。
「コルヴォは、その人とまた会える?」
「…さぁなぁ。俺様が裏切っちまったから、易々とは会えねぇような気はするな」
「でも、会えるかもしれないでしょ?」
「……、だな」
確かに、俺様が裏切って喰っちまった依子と、あの時だけとはいえもう一度会えた。
あれが戦闘の途中でなければ、俺様と依子はもっと話し合えたかもしれない。
ちぃっとだけ、後悔するには遅かったような気がするよ。
「だったら、また会えた時にいっぱい話をしようよ。その人との関係を“知ってるつもり”で終わらせるのって、なんだか寂しいよ」
「…かも、しんねぇなぁ」
六月の言葉に、なんでだか納得しちまう。
思えば俺様と依子の関係は「利害の一致」と言うより、「互いの目的の為にお互いを利用し合っている」という言葉の方がしっくり来た。
依子は戦うための力を欲するために、悪魔の中では弱い俺様に目を付けた。
俺様はもっと上に上がる力を欲するために、潜在力の高い依子の体に目を付けた。
だから依子のことを深く知ろうとしないで、外側から軽く突いたりからかったりするだけで終わらせていたんだ。けど、今となっちゃ…。
俺様が依子に「力」をやった以上に、俺様が依子に「心」を残された気がする。
(この気持ちは…、俺様一人じゃ飲み込めねぇよ…)
「…コルヴォ、泣いてるの?」
知らぬ間に上を向いていた俺様に、六月が声をかけてきた。
そう言われて初めて、眦から涙が出ていることに気付く。
「え? あ、マジだ…、なんか、ぽろぽろ出てきやがる…」
拭っても出てくる涙に困惑しながら、それだけ依子の存在が俺様の中で大きくなっていた事に、少しだけ戸惑ってしまう。
あぁダメだ、止まらねぇ。でもダメだ、六月の前だ。
「…っ、…、…っ」
これはきっと、後悔の涙だ。俺様の中の依子と、依子を食った俺様の、二人分の涙。
もっと話せばよかった。もっと知ればよかった。もっと、深く繋がっていればよかった。
止まらない涙を袖で拭いながら、心の中で、依子の名前を呼び続けた。
「…もう大丈夫?」
「おう…」
グジュグジュになった顔をどうにか元に戻して、六月から借りたハンカチを返す。
袖で涙をぬぐう俺様に、ハンカチを差し出してくれていたのだ。
「助かった。けど悪ぃな、ハンカチ濡らしちまって…」
「良いんだよ別に。あそこまで泣かれてたら、何もしないっていうのもさすがにね…」
「ん…」
力なく応える裏で、一つ、思う事が出来た。
やっぱり俺様は、依子と話がしたい。自分がやってしまったことへの償いを、どうにかしてやらなきゃならない。
その為には…、
「…悪い、六月。俺様もう帰んないといけねぇや。ちょっと兄ちゃんと話したいことが出来たんだ」
「え、そ、そう? それじゃあこれ、忌乃さんに渡しておいてくれるかな?」
「あぁもちろん。任せときな」
六月から、崩れないように封筒に入れられた護符を受け取る。紙越しにでも解る退魔の力は、ちょっとだけ持っているのが辛いが、それも鞄に入れれば平気だ。
「そんじゃぁな、六月。……ありがとう」
「え? う、うん、またね。次に会う時は、もっと色んな事話そうね?」
「……」
また、という言葉には何も言わずに、手だけを振って応えた。
多分その約束は叶えられそうにないから。出来ない事を約束するつもりは、今の俺様には無かったから。
きっとその時には…、俺様はもう、いないだろうから。
* * *
「…なるほどね。だからあんな真剣な顔してたのか」
「うん…。兄ちゃん、鬼の姉ちゃん。俺様がやっちまったことで今更ウダウダ言っちまってるが…、どうにか出来ねぇか?」
六月と別れてすぐに忌乃家に戻ると、二人が同じ布団で寝てたのにはちょいちょい度肝を抜かれたが、気にする事としては小さかった。
思っていたこと、「依子の意識を復活させる方法」を、何か当てがないか尋ねる必要があったからだ。
「どうにか、ですか…。…方法が無いわけではありませんが、懸念は沢山ありますね」
「何でもいいんだ、あったなら喋ってくれ。頭も下げる、へこへこもする。お願いだ…!」
未だ兄ちゃんと同じ布団から出てこない鬼の姉ちゃん相手に、土下座をする。もう俺様のプライドなんて構いやしない。
「…コルヴォ、顔を上げろ。俺も少し雪姫さんと話をしてたから、少し面倒くさい事になるのを知ってる。そのままで聞いていい話じゃないんだ」
「…うん」
兄ちゃんに促されて顔を上げ、佇まいを直して話を聞く姿勢に入る。
目くばせをされた鬼の姉ちゃんが、目を伏せて喋り始める。
「まず…、コルヴォさんが食らった依子さんの復活と言う事ですが、道理では不可能と言うほかはありません。
先日の事も聞きましたが、あれは消化しきれていない残滓が出てきただけで…、あと数日もすれば、それさえも消えてしまうでしょうね」
悔しいが、鬼の姉ちゃんの言う通りだ。
あの時、俺様が依子の意識と会話できたとしても、戦闘の為に力を使ってしまった。それはすなわち、「力を引き出すために依子を消化してしまう」事に他ならない。
昨日と同じような状況になったとしても、もうきっと、起き上がってこないだろう。
もしそうなったとしても…、あんなふうに理性的にはならないはずだ。
「ですが」
ですが?
「…実は忌乃家には、頭を抱えたくなる位に“何をやっているんだ”という方々が居ましてね…」
「…その話が、今の話とどうやって関わってくるんだ?」
「『雷火』が収められてた蔵の中に、こんな巻物があってな。…読めるか?」
兄ちゃんが枕元に置いていた巻物を広げ、読んでいく。
確かに現代文ではない為読みにくい。頭の中がぐるぐるしてきやがった。
冷や汗が出てきたのを察されたのか、鬼の姉ちゃんが助け舟を出してきた。
「それは忌乃家に伝わっている、道理の外に連なる技術の一つです。
二人の鬼の力…、陰陽二つの力を用いて、対象の存在をあらゆる方面から変換し“書き換える”。そんな技術が書かれています」
「ンな事、できるのか…?」
「出来てしまったからこそ、その文面なんですよ」
『双転証』と、ひと際大きく書かれていたその名前が、巻物の中に存在していた。
その技術が語られるまでの経緯を、鬼の姉ちゃんの口からきいた。
双子の鬼が、それぞれが愛した存在を娶る為、存在を書き換える為にその技術を生み出したこと。
薬とかじゃなくて、存在の根本から書き換える為に、わざわざ一から作った事に、ちょっとだけ頭が痛くなった。
「…な? そうなるだろ?」
「あぁ…。頭がガンガンしてきやがる。何考えたんだこいつら…」
「その血を引いてると思うと、先祖の方の行動に私も頭が痛くなりましたよ…」
だろうな。
どこから分化したのか知らねぇが、鬼の姉ちゃんは確実にそのどちらかの血を継いでる筈だし、兄ちゃんは自分の源流がその相手を生み出したとなると、他人事じゃねぇ訳だ。
傍から聞いてる俺様だって、頭痛がしてきてたまらねぇ。
「…んでんで。この『双転証』とやらを使えば…、依子は元に戻るのか?」
「確約は出来かねますが、恐らくは可能でしょう」
その言葉に少しだけ顔がほころんだ気がした。けれどその希望は、すぐに手が届かない距離に逃げていく。
「ですが、今はまだ行えません」
「さっきの雪姫さんの言葉、覚えてるか? 『双転証』は2人の男女の鬼がいないと、発動できないんだ」
「何でだよ、兄ちゃんが鬼になれば…、あ…」
そこまで言って、考えてしまう。
兄ちゃんが鬼の力を、一時的とはいえ覚醒させた時に、どれだけの怪我が必要だった?
そして今の状態はどうだ?
無理矢理覚醒させたとして、昨日みたいに意識が人外の衝動に押し流されて、人間性を無くしたバケモノにならないという保証がどこにある?
そして今この場で“そうなった”として…、
俺様と鬼の姉ちゃんだけで、止められるのか?
「…すみません、コルヴォさん。もう一人、男の鬼が見つかるか、――さんがきちんと鬼にならない限り、『双転証』は使えないんです」
「…そうそう、上手く事は運ばないって訳か」
「悪い…」
「気にすんなって。兄ちゃんが悪いわけじゃねぇからさ…」
今すぐには、無理なんだ…。
そう考えると、兄ちゃんにあぁ言ったものの、やはり気分が少し落ち込んでしまう。
「けどけど、可能性が無いわけじゃないんだな?」
「えぇ。コルヴォさんの存在を依子ちゃんから引き剥がすことも、現在の関係を逆転させることも…、存在を二つに分ける事も、すべてを全く別の存在に作り替える事も。
『双転証』なら起こせます」
「…解った。だったらひとまず安心したぜ」
しばらくは俺様が依子として生きるしかない。それだけは確実な事だ。
それならば、と次に思考を向けていると、兄ちゃんが聞いてきた。
「そうだ、コルヴォ。…退魔業は続けて行うのか?」
「ガンガンに続けるぜ」
それには迷うことなく応える。
「依子が俺様の力を求めたのも、元はといえばその為だったんだしな。
…俺様がその時まで『柏葉依子』として生きなきゃならないなら、ちゃんとその役目は果たしてやらないといけないと思ってな」
「その為に、魔界の存在と敵対することになってもいいのか?」
「ならなら逆に聞くけどさ、兄ちゃん? 兄ちゃんは退魔師相手や人間相手に戦う事になったとしても、この家に居続けるつもりだろ?」
「…っ、まぁ、そうなるよな……」
少しだけ苦い顔をした兄ちゃんは、俺様の顔を見てため息を吐いた。
納得してくれたのか、それとも渋々なのか。そこん所は微妙な感じがするけれど。
「俺様は逃げねぇよ。やった事からも、敵からも、依子からもよ」
返さなきゃいけなくなる時まで、依子として生きる事の全てから、逃げねぇ。
人間に仇なす化け物を倒し、力無い人々を守る。そして『双転証』が行われた時に、依子と別れるようにしてもらう。
その時に改めて…、依子がどうするのか、その沙汰を委ねよう。
俺様から離れても、別の相手と契約しても、消滅を願われても、その全てを受け入れよう。
「だから…、お願いします。まだここに置かせてください」
もう一度、深く頭を下げる。それに返された言葉は…、
「そうですね、でしたら夕飯の作る量を減らす必要はありませんね」
鬼の筈の女性の、優しい声だった。
* * *
「ん…、ふぁふ…。目がショボショボする…」
朝の鳥が鳴きわめく時間帯。忌乃家の客室…もとい、俺様の部屋で目が覚める。
寝巻のまま洗面所に向かおうとすると、もう兄ちゃんが起きて体操を行うように身体を軽く動かしている姿が目に入った。
庭で運動してる兄ちゃんに向けて、縁側からのん気に声をかける。
「おーい兄ちゃん、身体動かして平気か? バキバキ言ってんじゃねぇの?」
「あぁコルヴォ、おはよう。体はまぁ…まだ辛いけど、治りが速かったんでそこまでじゃないさ」
「無理しない形で早々と鬼になってくれよ? 兄ちゃんが変わる事で、ようやく第一歩なんだからな?」
「解ってるって。…ただ、軽々に鬼には成れないかもしれないけどな」
「ほーん? 近々に何か予定でもあんの?」
「いや、実はな…。今日は雪姫さんとデートで…」
あぁ、そういや昨日飯の場で何か言ってたな。出かけるから早めに準備してほしいとかなんとか。
「ずっり、俺様だけ置いて二人でイチャイチャしに行くのかよ。怪我人の分際で、もちっと治療に専念するとか考えねぇの?」
「俺だってそうしたいけど、白竜くんとダブルデートするって約束だったんだから…。放りだす訳にもいかなくてな」
「スライムの兄ちゃんか…。なぁなぁ、俺様も着いt「ダメだ」何でだよー!」
スライムの兄ちゃん…、白竜の事を聞いて、着いていきたかったけど即座にNGを出された。
曰く、白竜の相手は人外の世界のことを何も知らない、極々普通の一般人だかららしい。
可能な限り人外としての力を見せたくもないし、感じさせたくもない為、出来る限り近付けさせたくないんだとか。
「えー…。スライムの兄ちゃんに、鬼の姉ちゃんに、兄ちゃんだろ? これ以上近付いたって全然大差ねぇじゃん」
「大アリ。…あんか、デートで行く場所にちょいと不穏な気配を感じてな。そういう意味でも人外の存在を増やして、下手に刺激をしたくねぇんだ。最悪、気配の主が出てきて大乱闘…とかに成りかねないしな」
「ふーん…。それならしょうがねぇかなぁ? 精々二人でイチャイチャしてきやがれってんだ」
負け犬みたいなどうにも情けない捨て台詞を吐きながら、最初の目的だった洗顔に向かう。
冷たい水で顔を濡らし、泥石鹸で夜の間に浮かんできた皮脂を融かし、洗い流す。しっかり水気を落としたら、鏡を見る。
「…ん、よしよし」
ちゃんとこの体を依子に返すまで、俺様が代わりをしっかり務めていかないといけない。
体のケアも勿論だし、退魔師としての行動もそうだ。…依子の手柄、という意味では横取りする事になるんだが、人外の連中が人間相手に迷惑かけてるのを見過ごすなんて、俺様の中の「依子」がする筈もねぇ。
俺様は今この瞬間から、戦う時は「コルヴォレス」でなく「柏葉依子」として名乗るんだ。
「“私”の顔に泥を塗ることなんて、できないからね」
口調も依子の物に変えて、俺様の痕跡を可能な限り消していく。
…どう思われるのかなんて考えたくないけれど、自己満足だって解っているけど。
ここから始めていこう、俺様の償いを。
「あ、そうだ」
そうして一つ、やりたい事を見つけて、バタバタと縁側に戻る。
「兄ちゃん! 暇があったらちょいちょい頼みたい事があるんだけど!」
…口調に関しては、頑張るしかないな。
* * *
Side:六月
「六月ちゃん、お手紙来てるわよ?」
「ホント? ありがとう、一二三お姉ちゃん。……あれ?」
居間で東金さん一押しの今期のドラマを見ていると、五十六おじいちゃんの長男の娘…、私にとっての従姉の、一二三お姉ちゃんが手紙を持ってきてくれた。
けれど受け取った封筒は、なぜか消印が付いてない。直接郵便受けに投函された、という物みたい。
「一二三お姉ちゃん、このお手紙どうしたの?」
「それね、お爺ちゃんが忌乃さん…、えぇと、男の人の方から直接渡されたみたいでね。その人も居候伝手に手紙を渡されたみたいなのよ」
「へぇ…。……、そっか、そうなんだ」
裏側を見ると、送り主の名前がちゃんと書かれていて、それでようやく納得がいった。
「その送り手の人、大丈夫なの?」
「大丈夫だよ、前に助けてもらったから。ありがとう、一二三お姉ちゃん」
録画しているのでドラマは後で見ればいいやと思い部屋に戻り、封筒を開く。
4つ折りにされた便箋を開いて、書かれた内容を見ていく。
「…もう、コルヴォったら。……しょうがないなぁ」
ちょっとだけ乱暴な感じの文字で綴られた、コルヴォの思い。
女の子の筈なのに行動も文字も男の子っぽくて、見てると本当に、しょうがないなって思う。
「付き合ってあげようかな、今度会った時に…」
今度会う時は、コルヴォじゃなくて、「柏葉依子」という存在として接してくれだなんて。
無茶苦茶な言い分だってのは解るけど、会えなくなるって訳じゃない。それだけでとっても嬉しくて、こんな頼みごとだって聞いてしまいたくなる。
「詳しく聞くのは、後で良いよね。また会えるんだもん」
彼女にもう一度会う時が、楽しみになりそうだ。
* * *
Side:コルヴォ
「さてさて…、目撃証言によればこの近辺らしいけど…」
兄ちゃんから渡された、人間の仇なす人外の情報を頼りに付近まで来ている。
そういう存在が出てきていて、悪さをしているというのなら。その存在を放置する理由なんてどこにも無い。
「……」
気を落ち着ける為に、深呼吸を一つする。
呪いをかけて人間を不安に陥れて、弱った心につけ込んで私服を肥やす悪徳宗教。そこに力を貸している呪術師の悪魔。
何を以てそんな事をしているのかは知らねぇが、見過ごす理由は何一つ無い。
ぶっ潰さないと、安心して眠れる人がいなくなる。
「…んじゃ、行きますかね」
魔力を全身に漲らせて、身体能力を上げる。
結局できるのはこれだけだけど、精度は上がってきている。
「シィッ!!」
脚に力を込めて、跳び上がる。
不思議と身体も、心も軽かった。
俺様の中には依子がいて、約束をした六月がいる。
依子に俺様の行動の答えを聞く為に。もう一度六月と話し合うために。2人に会う為に、生きて戦っていかないといけない。
できる事なら、許される事なら。俺様と依子と六月と、3人で話し合ったり笑ったりしてみたい。
けれど、今は無理だ。だからその時になるまでは。
俺様は、「柏葉依子」は、強く在り続けなければいけない。
俺様の役割、その全てが終わる時が来るまでは。
「その時まで…、待ってろよ、依子!」
コルヴォ番外編 END
オマケ 種族解説
妖器-Artifact-
一般的に「魔剣」「妖剣」と言われた方が通りが早い。
実際は刀剣に限らず、自らの意識を持った器物全般を指す。
発生する理由は大別して二通り。
「念を込めて作られる」か、「命を吸う」かである。
前者は制作者の念が込められ、最初から器物に命が宿って生まれてくる。その場合、製作者の思考から所持している能力を予め持っている事がある。
後者は他者の命を吸い、自らの身に命を宿して生まれてくる。こちらの場合多少の差異はあるが、大抵は「他者の命を奪う」事に特化していく。
今作に出てきた妖怪車は後者である。
いや、期待以上でした。GJです。
早耶編、いやデート編も楽しみにしています。
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