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魔法学院の生徒会長(前編)

2016/03/31 21:30:40
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本来の『自分』をオカズにした翌日。
わたしは裏庭で飛行魔法を試そうとしていた。
でも、気持ちは重い。成功できそうに思えない。
たった一週間。たった一週間で、わたしはすっかり変わり果ててしまった。単に身体や立場が入れ替えられたというだけでなく、精神的に。
いや、変わったのではなく、地金が出たと言うべきだろうか。
恵まれた立場に支えられていただけの、才能なんて何もない愚か者だと痛感させられた。そして今は、新たな境遇に甘えて、たぶん心のどこかでは馴染んでしまおうとしている。
そうでもなければ、たった一週間で本来の自分の身体を思い浮かべてオナニーしようなんて、できるわけがないじゃないか。
飛行魔法を試す。やっぱり飛べない。
なら、わたしはいつまで無駄な努力を続けるんだろう。でも、やめる勇気もない。完全に諦めて『キヨヒコ』として生きる決心も定まらない。
こうしてだらだらと、元に戻るというポーズを取り続けて、そのうちに時間の経過に流されて、今を不承不承受け入れる。そんな無様な未来が見えるのに、それ以外の道も選べない。
わたしは本当にダメな人間だ。
精神的に疲れ果て、その場にへたり込んだ時。
「お兄ちゃん」
友達の家から帰って来たのか、ワカバが裏庭に来ていた。

入れ替わって以降のこの一週間、わたしとワカバの距離はやや微妙なものだった。
最初の日はわたしが倒れたから無理もないけれど、それが回復してからもワカバの方に遠慮がちな空気がある。
どうも『キヨヒコ』の記憶より兄妹の関係が少し遠いような気はするのだけど、ワカバに関する記憶はまだ虫食い部分も多く、それが何か関係しているのかもと推測するくらいしかできずにいた。
「ワカバ、」
わたしが「どうしたの?」と声をかけるより先に、ワカバが近寄って来た。
「やっぱり……できないの?」
ワカバは、何について訊いているのだろう。へたり込んだわたしを見下ろして、ひどくがっかりした顔をして。
もしわたしが今一番気にしていることだとしたら、魔法が使えないことだとしたら、それは耐えられない屈辱。すぐにでもこの子を突き飛ばして逃げ出してしまいたい。
けれどワカバの表情は、強い失望の中にも、わたしを気遣う思いも強く滲ませていた。それがわたしを辛うじてその場に縫い止めていた。
「ワカバと約束しちゃったから、倒れちゃったの? 一週間ずっとつらそうな顔をしてるの? 無理してるの? 苦しいの?」
約束? それは何? わたしは『キヨヒコ』じゃない。約束なんてしていないし、思い出すこともできない。
でも、今の『妹』にそんなことを言えるわけもなかった。
わたしを見つめる瞳が潤んでいく。涙がたちまち溢れそうになっていく。
――この子に泣いて欲しくない。
「だったら、もう、あの約束も……」
「守るよ。約束は守る」
身を起こしてワカバを抱きしめた。思い出せない約束を、守ると誓った。

口にした瞬間、色々なことを『思い出した』。



『僕は立派な魔法使いになる。そしてワカバも魔法使いになれるようにする』
キヨヒコは、この春にワカバに誓っていた。

七つ違いのキヨヒコとワカバは仲のいい兄妹だ。そして二人とも魔法が好き。キヨヒコは一般人レベルの魔力だから母親に咎められていたけれど、ワカバの魔力はもっと高く、母親も期待を寄せていた。
けれどこの春に小学校へ入学し、魔力を正確に測定した結果、ワカバの魔力は母親より少し高い程度だとわかった。
わかったその晩、母親はワカバに魔法を諦めるようにと告げた。そのくらいの魔力では何もできないと。勉強して魔法学院に進学できても、低い成績で卒業して挫折感を味わうだけだと。
その場ではおとなしく言うことを聞いたワカバは、キヨヒコと二人だけになった時に泣きじゃくった。
その姿を見て、キヨヒコは思ったのだ。この子の夢を叶えたい、少なくともスタートラインに立てるようにはしたい、と。
ワカバに誓いを立てたキヨヒコがまず考えた道筋は、魔力においてワカバよりはるかに劣る自分が大きな功績を挙げてみせることだった。
魔力量という現在絶対視されている基準を崩してしまえばいい。そうすれば、ワカバも将来魔法学院で、独特のセンスなり何かに突出した才能なり、今は軽視されている能力を認められやすくなるはずだ。

そのために、ひとまず飛行魔法に的を絞って、これまで以上に真剣に研究した。
あの入れ替わりが起きる前日の晩、ブレイクスルーとなりうる閃きを得た。寝床に向かうワカバに言った。「明日、飛べるようになるかもしれない」と。

けれど、その成功は、たちまち苦いものに変わる。
フタバと名乗るその少女のことは、ニュースなどで時折目にしていたものの、自分とは別世界の存在として認識していた。上手くいけば魔法学院で同級生になるかもしれないと考えたことすらなかった。
彼女との出会いは、衝撃的すぎた。
飛行魔法と隠形魔法の同時使用は当然――同時に使えないキヨヒコの方が特殊すぎる――にしても、溢れるほどの高い魔力まで完璧に隠していた隠形魔法のレベルの高さ。そして衝突しても取り乱さず、二人とも怪我一つなく安全に着地してみせる技量。さらには、ほんの少しキヨヒコを訊問しただけでその工夫を理解する賢さ。
生まれ持ったものが違い過ぎる。そこから積み上げてきたものの差があり過ぎる。
今の『自分』じゃ、『キヨヒコ』のままじゃ、彼女のように「立派な魔法使い」になんて、なれない。
羨ましかった。妬みに近い感情を覚えた。
その時、フタバの元から青い宝石がこちらへ飛んで来た。

宝石――魔具がキヨヒコの額に触れると、脳内に語りかけてくる。

――フタバはお前の才能に怖気づいた。そんな臆病者は一族当主にそぐわない。
――お前ならばフタバよりも『フタバ』にふさわしい。
――『フタバ』の魔力溢れる肉体と立場を譲り渡す。
――そうすればお前は「立派な魔法使い」になれる、妹の役にも立てるだろう。
――もちろん記憶の不備などで不自由はさせない。身体を交換してもだいたいの記憶は肉体にも残るし、『フタバ』の記憶は完全に思い出せるようにする。

ごく短い、ほんのわずかな時間に流し込まれる大量の情報。と同時に、不思議と自信が湧いてくる。
うん、自分の方が、同じ条件なら彼女より立派な魔法使いになれそうじゃないか。それに『フタバ』なら、学院で生徒会長という話の彼女なら、権力を駆使すれば……。
――承諾せよ。
――承諾せよ。
――承諾せよ。
脳内でしつこいくらいに繰り返される声に、応じた。
「うん。……なら、僕が当主になる」



「……お兄ちゃん?」
ワカバの声で、わたしは現実に戻る。
まだ今にも泣き出しそうな顔。『お兄ちゃん』が、「飛べる」と言った翌日に倒れて、それ以降も様子が変わって悩んでいて。この子にしてみればさぞ不安だったことだろう。むしろこの一週間よく我慢できたものだと思う。
わたしはワカバの頭を撫でた。
「見ていて」
少し下がってもらって、わたしは魔法を試す。
重要なピースをたった今『思い出す』ことができた。今はそれに従うだけ。
成功。
わたしは重力の影響を離れて宙に浮く。
一週間前まで、『フタバ』だった時なら意識するまでもなく容易にできていたこと。でも『キヨヒコ』の少ない魔力では全然違う。とても頼りない感覚で、ジャンボジェットを操縦するのとハンググライダーで飛ぶことくらいの落差がある。
あの時、キヨヒコがフタバに出会って、フタバを羨んだのも無理はない。
けど、こうして空にたゆたう感触は、『フタバ』だった時には味わえなかった。魔力という殻を脱ぎ捨て、裸の自分がそのまま世界に包まれているような、不安と裏腹の安らぎ。
そこには、『フタバ』の飛び方を奪われて『キヨヒコ』として飛ぶしかない現状を納得するための強がりや負け惜しみもあるのかもしれないけれど。

「お兄ちゃん……すごいすごい!」
数メートルの上昇と水平移動。ひとまずはそれだけにするけれど、やろうと思えば普通の飛行魔法並みの距離と速度で行けるという手応えはある。
それらを無事に終えて着地すると、ワカバが飛びついてきた。受け止めて、頭を撫でる。
「ワカバのおかげだよ、ありがとう」
キヨヒコの記憶を思い起こせたきっかけは、間違いなくこの子だ。ワカバが様子のおかしくなった『お兄ちゃん』へ一歩踏み込んできてくれなかったら、わたしは何もできずに『キヨヒコ』として腐っていくばかりだった。
感慨に耽ろうとすると、ワカバが血相を変えて周囲を見渡し始めた。
「ア、アブ!」
遅れて気づく。不安をそそる羽音。甦る『キヨヒコ』の記憶。数年前刺されたことがあって、とても痛かった。ワカバも去年刺されている。
気がついた時には、わたしの腕に止まっていた。
まだ刺さずにわたしの腕を這い回っている。おぞましさに悲鳴を上げたくなるけれど、下手に刺激してもいけない。
「ワカバは離れてて」
言い聞かせ、離れてもらう。
アブをじっと見据え、火の魔法を放った。『フタバ』だった時には極力小さくしても手のひらほどの大きさになった火球だけど、今のわたしではどれほど魔力を振り絞ってもそんなに大きくはできない。
けれど、大きさはこの場合必要ない。
成功した魔法は、わたしの皮膚を焦がすこともなくアブだけを包み込んで焼いた。

――魔法は、魔力の使い方次第でもっと変わっていく。
あの日キヨヒコの飛行魔法を見て、理論を聞いて。キヨヒコと入れ替わって、膨大な魔力から遠ざけられて。そして今日、『キヨヒコ』として魔法を使うことに初めて成功して。
一週間前までのわたしと、この一週間のわたし。まったく別の境遇と経験を経て、わたしの中で何かが生まれつつあった。

そして、わたしはキヨヒコのことを考える。
記憶の扉が開いたことで、彼の思考と感情をもっと深く知ることができた。
たった一人ですごいことをやり遂げてみせたのに、それを噛みしめるより先に、出会うべきでない相手と出会ってしまったのだと、今のわたしにはわかる。
他人の目から見た『自分』の姿を振り返るというのも妙な話だけど……あの時のわたしは、キヨヒコにしてみれば彼のコンプレックスを刺激しまくる羨望の対象でしかなかった。
実際は、ふんだんにある魔力を力任せに使っていただけだと、魔法を使い慣れていただけだと、『今』ならわかるのだけれど。
あの時、もしもわたしがキヨヒコの立場だったら、どうだったろう。いきなり魔具が持ちかけてきた誘惑をきっぱりと退けて、『自分』のままでいられただろうか。
退けたい。他人の立場を奪ったりしたくない。自分の人生を投げ出したくない。異性になりたいわけでもない。
……けれど、本当にそうできるかは怪しかった。

裏庭から戻る。何となしに、ワカバと手をつないだ。
「ワカバ」
わたしを見上げる無垢な瞳に告げる。
「僕、立派な魔法使いになるからね」
元に戻るためという理由があるし、望んで今の立場になったわけではないけれど。
――わたしが、あなたの代わりに『キヨヒコ』として「立派な魔法使い」になる。
ここにいないキヨヒコにも誓うつもりで、ワカバに宣言した。



けれどそうなるための具体的な方法についてはまだ決めかねていた。
魔法学院へアピールするのが、『フタバ』に近づくためにも妥当だと思う。けれど魔法学院は入試の際に魔力量による足切りをしている。
少ない魔力消費での飛行魔法は大きなアピールになるはずだ。けれど、うまくやらないといけない。その段取りをどうつけるか。

その日の晩、夕食を食べながらニュースを見ていたら、道が示された。
首都の魔法学院が、来年春から魔力量に関係なく生徒を若干名入学させることにしたという。
「生徒会からの提言によるものです。魔法をより発展させていくためには、魔力量を問わず門戸を広げていくことが重要ではないかと考えました。もちろん、入学後差別などがなされないよう尽力するつもりです」
画面で『フタバ』が優雅に微笑んでいた。


お風呂に入り、頭と顔を洗いながら考える。
あの『フタバ』の行動は、たぶんワカバのため。魔力量の多寡が半ば絶対視されている現在の空気を、彼女が将来魔法学院へ入学できた時までに変えておくための布石。もちろん、インタビューに答えたあの言葉も建前ではないのだろうけど。
まあ、それをわたしが利用して悪いこともない。『キヨヒコ』のような一般人が入れば、それはキヨヒコの目的にも合致するのだし。

洗い終えると、わたしは腰掛けに座って股間に手を伸ばした。
元に戻るための道筋が、入れ替わって以来初めて、はっきりと見えてきた。けれどその時が訪れるまで、わたしが男の子なことは動かしようがない。それまではこの身体の性欲を御していくしかなかった。
……それはしかたないとしても。
「どうして……?」
脳裏に思い浮かぶのは、昨夜以上に『フタバ』の姿ばかりだった。
特に、今日甦った記憶の中の『フタバ』。キヨヒコの目から見た『わたし』の姿が、昼前に思い出して以降、一向に離れない。
ぶつかって墜落する中、キヨヒコを抱きかかえたフタバ。その時の顔を包んだ豊かな胸の感触。甘い匂い。
キヨヒコから話を訊き出すフタバ。真剣な表情の凛々しい美しさ。話を訊き終えた後にキヨヒコへ向けた、優しさのこもった眼差し。
きれいだ。可愛い。抱きしめたい。
……一つになりたい。
あの日『キヨヒコ』の目から見た『フタバ』――わたしは、おかしなほど魅力的に見えた。
自分が、女の子としてかなり可愛いことは自覚していた。まして田舎育ちのキヨヒコにしてみれば、あの時の『わたし』は同じ中学のまだまだ野暮ったい子たちに比べてさぞ映えたことだろう。
でも、こんなにも鮮烈な印象を残すほどとは。

もしかしてこれは、キヨヒコの初恋なのだろうか。そこまではいかなくとも、特別な状況での特別すぎる出会いにのぼせ上がった心が、勘違いした記憶を脳に刻み込んでしまったのだろうか。
何にせよ、それは本来キヨヒコのものだ。
なのに今は、『フタバ』だったわたしが彼の残した感情に振り回されるなんて。
理屈ではおかしいと思っていても、わたしはあの日の『フタバ』を思い浮かべてオナニーする手を止められなかった。
わたしのおちんちんは、脳内で再生される『わたし』の姿に反応していつも以上に大きく硬く勃起する。わたしがしごく度に、透明な先走り液をぬらぬらと垂れ流す。
そしてわたしは、これまでで最も大量の精液を放出した。
昨夜のように自己嫌悪に陥りはしない。現実逃避のために『失われた自分』を虚しく求めた昨夜とは違うはず。
でも、自分という存在がひどくあやふやなものに思えたことは、否定できなかった。



「野に遺賢あり、という言葉をわたくしはかなり真剣に信じております」
入学式の始まる少し前、わたしたち今年度の特別入学者――魔力量に乏しくて本来なら足切りされていた五人は、『フタバ』に生徒会長室へと招かれていた。
「昨年高等部の門を潜り抜けた特別入学者三名は、魔力痕跡の解析手法の確立、魔法発達史の詳細な研究、効果的な幼少期魔法教育の実践と、入学一年目にしていずれも多大な功績を上げています。皆様もそれに続くことと期待しています」
去年、高等部で始まったこの試みは、今のところ成功しているようだ。「苦労してきた皆さんに今さら言うことでもないでしょうが」と前置きして、『フタバ』は話す。
「飛行魔法、転移魔法、火炎魔法や氷結魔法……様々な魔法は実際にその魔法を体験、あるいはそれに近い現象を経験することによって、初めて把握できます。新たな魔法を開発するにも、それらの蓄積があるかないかで効率は段違いです」
それは紛う方なき事実。すべての魔法は他の魔法と網の目のようにつながっていて、空想をいきなり形にすることは極めて難しい。例えば転移魔法は空間跳躍魔法からの発展、空間跳躍魔法は高速移動魔法からの発展だ。
「通常の物理現象からかけ離れた高度な魔法ほど、誰かに教えてもらえなければ理解できない理屈です。が、魔力量の低い場合、そもそも誰も手ほどきしてくれないという弊害があります。学院の環境を利用して、存分に学んでください」
にこやかな微笑みは真心に溢れたもので、場の空気を和ませる。
わたしも、事情がなければたちまち『彼女』に陥落していたはず。
「あなた方への偏見はまだ強いでしょう。実績で黙らせるのが一番ではありますが、それが出せない段階での――あるいは実績を示した後ですらの――不当な迫害・差別・暴力・暴言などがありましたら、生徒会へご連絡ください。それが生徒であろうと教師であろうと、然るべき対応を取ることにいたします」
わざわざ断るということは……ニュースで報じられたことはないが、きっと昨年度は教師による何らかの攻撃もあったのだろう。
「常時録画や録音をしておく必要はありません。わたくしは昨年、特別入学者の協力を得て、魔法使いが空間に残した痕跡をある程度再現できる魔法を開発しましたので」
すごいことをさらりと言う。
ここ一~二世紀、一般技術の急速な発展に対して魔法技術は、トップクラスでは洗練されつつも新魔法の開発などはあまり進んでこなかった。数年前ならこれすら大きなニュースになったかもしれない。
でも今は、一昨年の夏以降、『フタバ』自身の様々な活躍と活動が世を賑わせている。
まあ、これを敢えて伏せているのは使い道が限定的だからだろう。学院内ではすでに周知されているかもしれないが。
「では、それぞれのクラスへどうぞ。入学式でまたお会いいたしましょう」
促され、わたしたち五人は会長室を退出しようとする。
「あ、キヨヒコくん」
そこを、『フタバ』に呼び止められた。
「あなたとは特別に話をしたいので、三日後の放課後にここへまた来ていただけません?」
「わかりました」

他の四人は、わたしたちのやり取りを不審に思いはしなかったろう。
学院では入試の際に魔力測定がされる。
一般人の魔力平均値は1000。
飛行魔法に必要な魔力は22000。
学院の一般入試における足切りのラインは25000。ちなみにワカバの魔力は25700。
わたし以外の特別入学者四人の魔力は24000から18000。去年の三人もほぼこれくらい。
そんな中、わたしの魔力は993だった。
合格通知を受け取って以後、入学手続きなどで学院へ来た時、生徒たちの噂話に「三桁」という単語が何度か聞かれた。たぶん、わたしのことなんだろうと見当はついた。
魔力を基準にすれば、かつてなく不出来な、なぜここにいるのかが疑わしいような生徒。それが今のわたし。
改革の旗を掲げた心優しい『生徒会長』が目をかけるのも、無理はない。
ちなみに『フタバ』の魔力は715000。



二人きりの生徒会長室、『フタバ』に情報遮断の魔法をかけてもらった空間で、わたしは『フタバ』……いや、キヨヒコと向かい合う。
「元に戻すつもりは、ありませんの?」
「あなたがわたくしの立場として、そんな気持ちになれますかしら?」

キヨヒコは行儀悪くも執務机に腰掛けて、長い足を悠然と組んでみせた。
肉付き豊かな太ももと細い脚、それらを包む白いソックスが、窓から射し込む陽光に映えてわたしの目に焼きつく。
「……確かに、腹を空かした貧乏人が、なぜか使用人に懇切丁寧に手引きしてもらえたら、お屋敷の乗っ取りくらいはするでしょうし、それをむざむざ本来の持ち主に返しもしないでしょうね」
「ご理解いただけて幸いですわ」
敢えて怒らせてみるつもりで言ってみたのに、キヨヒコはわたしの嫌味を平然と受け止めた。
わたしは『フタバ』だった時、多少癇癪持ちだった。もしキヨヒコもその記憶の影響を受けているならば、弱点として利用できるかもしれないと思っていたのだけれど。
「では、そのお屋敷を追い出された元金持ちの目から見て、貧乏人によるお屋敷の運営はどう映っているかしら? わたくしはあなたより劣る、『フタバ』にふさわしくない存在ですか?」
「……今のところ、わたしよりも上ですわね」
キヨヒコと出会うまで、わたしの世界に一般人なんていないも同然だった。魔力に秀でた数少ない魔法使いたちのごく狭い領域に閉じこもっていて、それを広げる試みなんて考えなかった。
たぶん、あの夏、彼と出会って無事に別れていたとして。個人的に認識を改めたとしても、学院を変えようとまではしなかっただろう。
また、万一変えようと思い立ったとして、これほどうまくやれているだろうか。
「あなたも優秀でしたけれど、いささか癇が強い気はありましたわね。周囲の方からの評判が多少良くなったように自負しております」
わたしの思考を読んだかのようなタイミングでキヨヒコが言葉を投げかけてくる。
「それも、認めざるを得ませんわね」
けれどわたしは足に力を込めて踏みとどまる。本来の『わたし』の身体で生きるキヨヒコに言う。
「でもそれらは、あなたがわたしを無視してわたしの身体と人生を奪ってよかった理由にはなりません」
入れ替えられた直後は落ち込んだ。自分を負け犬のように思い込み、負け犬としての境遇に甘んじかけていた。
だけど、ワカバの優しさがわたしを立たせてくれた。『キヨヒコ』の記憶に促され、この立場での目標を決めた。わたし自身の過去の経験のおかげで、この身体での魔力の使い方に気づくことができた。
わたしは、昔思っていたほどご立派ではないけれど、自分を卑下し続けねばならないほどダメではない。

「わたしを元に戻してください」

男子にしては高めの、けれど最近は入れ替わった頃より低くなりつつある、『キヨヒコ』の声でわたしは話す。
「今すぐ『フタバ』を返していただけるなら、この二年弱のことは貴重な経験として不問といたします。また、あなたが今進めている動きをあなたの代わりに続けます。あなたがよろしければ、今後も協力していただきたいと考えています」
キヨヒコは怪訝そうな顔をした。
「……嘘でも下手に出ているわけでもなさそうですわね。わたくしに媚びへつらいたいなら『キヨヒコ』を婿にとるくらいのことは言い出すでしょうし」
「悪逆非道な相手ならどんなペテンでも企んだでしょうし、性根の腐りきった相手ならいくらでも不寛容になれますけれど、こんなところで駆け引きをするつもりはありませんわ」
キヨヒコが『フタバ』の地位か何かに目が眩んだだけの悪党なら、そんな手も打ったろうけれど。
「けれどそれは、誠意くらいしか示すものがないということでは?」
「解釈はお任せいたします」
わたしをしばし見つめて、キヨヒコは吐息をつく。
「あれこれ申しましたけれど」
口を開いて、髪をかき上げる。
「わたくしとしても、何があっても現状に固執したいわけではありませんわ」
「え……」
「別にわたくし、性転換願望があったわけではありませんのよ」
キヨヒコはちょっと唇を尖らせると、表情を引き締めた。
「今のあなたなら、魔力に乏しい『キヨヒコ』としてそれなりに苦労してきたであろうあなたなら、『フタバ』に戻ってもわたくしの方針を撤回したりはなさらないでしょう。この身体をお返しするにやぶさかではありません」
しかし、「ただ」と続ける。
「そのためには、あなたがわたしを魔法で打ち倒してくださらないとなりません」
「……結局、そうなりますの」
「一昨年の夏のことは覚えているでしょう?」
忘れられるわけがない。
「心の入れ替えなんて魔法は誰も開発できていません。できるのはこの魔具だけであり、するかどうかを決めるのも魔具ですわ」
首元の青い宝石に触れる。
「示し合わせても八百長ができるわけではありません。あなたが魔法に関する何かを示し、わたくしがそれに脅威を覚え、怖気づく。その過程を経なければ――」
「つまり、わたしがあなたより『立派な魔法使い』であるとわかればよいのでしょう?」
わたしが口にした単語に、キヨヒコは初めて美しい顔をしかめた。
「その身体で、ですわよ」
「やるしかないのでしょう? 今すぐにとはいきませんが」
誠意云々のキヨヒコの言葉は的を射ていた。
さすがに、一般人になったわたしが、環境にも恵まれない中、二年足らずの独学で、サラブレッド中のサラブレッドである『フタバ』――しかもキヨヒコのセンスが上乗せされている――を上回るなんて不可能な話だった。
だから、今はまだ仕掛けようがない。
「それでも、大学卒業までには必ず……」
わたしの小さくなった声を、キヨヒコが聞きとがめる。
「何をのんきなことを言っていますの?」
「え?」
「わたくし、高等部を卒業したら海外へ出ますわよ。魔法のゆるやかな衰亡は世界的な問題。その状況にささやかながら変化をもたらしたわたくしは、各地から注目されていますの」
まくし立てたキヨヒコは、さらに言い募る。
「それを抜きにしても、大学卒業なんて七年後の春ですわ。九年近く男として生きたあなたが、その後で女に戻れますの?」
「それは……」
難しいだろうな、と自分でも思った。
今でも『フタバ』の記憶は損なわれていない。でもこの二年近くわたしが積み重ねてきたのは『キヨヒコ』としての記憶だ。
短い髪が当たり前になり、毛が次第に濃くなってきて、暑い夏の日には上半身裸で過ごすことにも抵抗がなく、腰を下ろせばあぐらになるこの身体。学校に通っても女子とはすっかり縁遠くなった生活。……そして、『フタバ』に向かう性欲。
二年足らずでこれでは、七年後ともなればどれだけ女性らしさが残っていることか。
わたしは、覚悟を決めたように肯く。
「そうですね。では、三年後までにあなたを上回れるよう、努力に励むといたします」
要求し、断られ、宣戦布告。「話すべきこと」はこれ以上ない。
でも、少し話したいことはあった。
「ワカバは、元気ですわ。お父さんも、お母さんも」
「……そうですか」
キヨヒコは、立ち上がると居住まいを正す。
「『お兄ちゃん』みたいな魔法使いになると、言っています」
「ありがとうございます」
わたしへと、深々と頭を下げた。
わたしは『フタバ』の家族については問わなかったし、キヨヒコからも言わない。新生児が一族当主になってしまったあの家は、世間一般の家族の情愛のようなものとは外れていると、互いにわかっているから。
「元に戻って会いたいとは思いませんの?」
「どの面下げて、というやつですわね。わたくしはあの子の兄であることをやめて、それどころか他人に押しつけた」
わたしに答えるキヨヒコは、初めて自嘲するような笑みを浮かべた。
「あの時、この人生を選んでしまった時点で、弁解の余地もありませんわ」

「お手間をかけましたわね。返礼いたします」
会長室を出る直前、わたしが情報遮断魔法を解除した。
魔法の解除は、かけた魔法と対になる。そして魔法の発動にかかる時間は、使用した魔力量と技術の高度さの積に反比例する。わたしの場合は、そこに魔力抑制技術も大きく関わるが。
両手を駆使して、補助に詠唱も用いる。それなりに時間がかかる。
「『わたし』は一昨年の夏の時点で、片手に詠唱の補助ですぐに解除できましたわね」
わたしを眺めていたキヨヒコが呟いた。
事実であり、反論はできない。
解除を済ませると無言で頭を下げ、部屋を出た。

「予想の範囲内。大して伸びていない」
学院の廊下を歩きながら、独りごちる。
部屋に入って早々、片手で魔法をかけたキヨヒコ。一昨年よりは上達している。しかし、詠唱の補助がなくなった程度のこと。
あちらにしてみれば、『フタバ』の立場ですべきことこそが重要。魔法の鍛錬に費やす時間は減らさざるを得なかったのだろう。
――わたしは、指一本で解除できる。
いきなり本気で警戒させても意味がないから伏せておいたが。
今日挑んでも、ひょっとしたら大番狂わせはできたかもしれない。けれどわたしにとっての切札は一つしかない。できるだけ勝算の高いタイミングで使いたかった。
交渉だけでうまくいかなかった以上、しばらくはこういう駆け引きの積み重ねで状況を引き寄せるしかない。
今日のやり取り、特に最後の魔法解除で、キヨヒコはわたしを少しは警戒しただろう。一昨年のわたしよりは劣る、しかし一昨年のキヨヒコからすれば長足の進歩を目の当たりにしたのだから。
けれどその少し前、「大学卒業までに」なんてわたしが先に言い出したことで、警戒度としてはかなり低く抑えられたと思う。
元より、何の見込みもなしに本拠地へ乗り込んできた無鉄砲と見なしてくれていたはずもない。だから完全に隠すのは得策でなかった。多少身構えさせ、しかし注意を払うのは最低限に、という状態へ持ち込むのがこちらの狙い。
向こうが、三年の終盤に仕掛けてくると判断してくれればベスト。
わたしの目標は、二年生――来年の秋。

寮の自室に戻る。
入学者が去年から増加してきている関係とかで、わたしに与えられたのは去年まで物置だったのを工事した部屋。二人部屋の半分未満の狭さだが、個室なのはむしろありがたい。
鍵をかけ、情報遮断の魔法も使い、完全なプライベートを確保する。
夕食までは時間がある。わたしは小さなバスタブに湯を張った。
暖かいお湯に浸かりながら、わたしはすっかり慣れた手つきでペニスを弄る。
考えるのはもちろん『フタバ』のこと。ただし、ペニスを弄ぶ今のわたしにとっては、入れ替わりなどの問題は二の次で。
ニュース画面や新聞の写真越しには何度も見ていた。けれど実際に再会したのは三日前の入学式が久しぶりのもの。まともに言葉を交わしたという意味では今日こそが本当の再会。
入れ替わった時に中学二年生だった『わたし』は、高校一年生の今、さらに可愛く美しくなっていた。
今は特に、むっちりした太ももが、頭から離れない。あのすべすべした太ももに触ったら、どんなに気持ちいいんだろう。
彼女の方からほのかに香る甘い匂いもよかった。香水? 化粧品? シャンプーか洗顔料? 彼女自身の匂い?
入れ替わりなんて事態が起きる以上、真に重要なのは自分の意識、心あるいは魂と呼ぶべき部分だと、入れ替わって以来わたしは考えるようにしている。そう考えるからこそ、わたしはフタバであり続け、『フタバ』に戻ることが正当な要求なのだという思いを保ち続けられている。
けれど、わたしの性欲は完全に『キヨヒコ』の身体に――『キヨヒコ』のペニスに――引きずられたものになっていた。
身体に、性別に、心の方が合わせてしまい、有り様を変えていく。
わたしは『フタバ』の容姿を見てペニスを硬くしてしまう。硬くなったこれを彼女に突き入れたいと願ってしまう。
これは、元に戻ればまた変わっていく感情なのだろうか。『フタバ』の身体になれば、きれいに雲散霧消してくれるのだろうか。
考えてもわからないことを考えつつ、ペニスを弄っていないもう片方の手で栓を抜く。お湯が流れていく。
激しい欲求と未来への不安を抱えながら、わたしはペニスをしごき上げて精液を吐き出した。

最後まで書き上げてから首尾一貫させて修正できればよかったのですが、なかなか進まず、区切りの着いたところまでひとまず投稿いたします。後々、設定部分など手直しするかもしれません。
0.2760簡易評価
2.100きよひこ
おおう、図書館での更新が来た!
このシリーズは好きなので、再び読めてうれしいです。
元お嬢様の双葉と、清彦との決着がどうなるのか、続きも楽しみにお待ちしています。
9.100きよひこ
男性にされた方のキャラを応援する気持ちになるなんてはじめてです
続き楽しみにしています
10.100きよひこ
頑張れ!女の子!
ですね。
元に戻れるよう応援するよ!
14.100きよひこ
うん、確かに元フタバお嬢様を応援したくなる。
続きが楽しみです。
17.100きよひこ
面白い
元のキヨヒコの心境を考えると更に面白いですね
悪いやつでは無さそうだし妹の事含め結構罪悪感抱えてそう
だからこそ殊更に自分がこの体を使ったほうが色々出来て世の中の為になると主張してるんだろうし
21.100きよひこ
元お嬢様を応援したくなるのはそうだけど、スレにもあったように原因は元お嬢様のほうにあるからなぁ
確かにいろいろとかわいそうな立場ではあるけど、・・・・・・

元キヨヒコとしても、あっちから連絡を取って謝ろうとしていたとかなら、それなりの対応をする気にもなるだろうけど、
一方的に被害者みたいなことを言われたら、そりゃまともに取り合う気にはならんだろうし
23.100きよひこ
普通にラノベとしても面白い
どんな策を練ってるのかすごく気になる!続き頼むぜ
27.100きよひこ
加筆もあってさらに続きが待ち遠しい
32.100きよひこ
キヨヒコはフタバの全てを奪ったけれど、
それでもなお、全てを失ったはずのフタバに
何かを期待しているような・・・・

とにかく続きに期待!
38.100きよひこ
時間を置いて読み直したとき気づいたけど
意外とキヨヒコに思い入れしてましたね

そういう意味では
自分自身を見捨てて、フタバと入れ『替わる』のではなく
自分を『変える』道を選んで欲しかった・・・かな

TSFではなくなるあたりがジレンマだけど
42.無評価きよひこ
続き気になります
44.100きよひこ
熱くてクールなこの物語の続きが読みたい!
49.無評価きよひこ
続きはは・・・有る?
69.100きよひこ
そろそろ続きが読みたいです。
71.無評価セカンド
続きを待ってる人は多そうだ
茶さんは今、何してるのかなぁ