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妬みの罰

2016/07/02 05:54:26
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「み、水着……きつくない?」
水着姿でプールにやって来た清彦だが、そのスクール水着はあまりに今の体形に合っていなかった。
胸が大きすぎて、水着に押し込められて、とても苦しそうだ。
この半年で胸がとても大きくなっていることは知っていたし、そのせいで水泳部をやめたのだろうとも予想はしていたけど、ここまでとは思っていなかった。いつもはあれでも胸を極力小さく見せようとしていたのか。
「うん……また大きくなったみたい」
「苦しいなら、外しちゃった方がいいんじゃない?」
普通なら、女子に男子ができる提案じゃない。
「……そうする」
でも、清彦の『今の身体』は本来ならわたしのもので。ここは『清彦』になったわたしが暮らす家の『清彦』専用屋内プールで、『清彦』が使っている間は家族や使用人の人たちが来ることはない。今日はリハビリのトレーナーさんが来る予定もない。
「上だけ、ね」
清彦が肩紐を外して水着を下ろすと、弾けるように乳房が飛び出した。

わたしの目は一瞬そこへ釘づけになる。『双葉』の身体に、双葉であるわたしが引きつけられ、股間が反応しそうになる。
そんな自分を認めたくなくて、わたしは少し乱暴にプールへ入る。
右足の傷がうずいた。

* * *

人生には、眩しく光り輝く一瞬というものがある。
わたしがそれを自分の実感として認識したのは、中二だった二年前の夏。水泳部の一員として県大会のメドレーリレーに参加した清彦の泳ぎを見た時のことだった。

隣に住む幼なじみの清彦とは幼稚園に入る前から水泳教室で仲良しで。金持ちなのに気さくな親御さんのおかげで、姉弟のようにいつも一緒だった(生まれたのは『双葉』の方が三日遅かったけど)。
でもあの日まで、清彦を男として意識したことはなかった。おとなしくて可愛い弟。家族のようなもの。

けれど、あの日、あの時。その前の個人戦では平凡な成績に終わっていた清彦の泳ぎは、神がかって見えた。十年以上泳ぎ続けて積み重ねていたものが一気に解き放たれたような、素晴らしい泳ぎ。
リレーなので上位進出とはいかなかったけれど、プールサイドから眺めていたギャラリーの空気が変わるのは、彼を一心不乱に見つめて声援していたわたしにも感じ取れた。
帰り道、わたしが褒めるだけ褒めてしまうと、清彦との会話はそれ以上弾まなかった。でもそれは心地好い沈黙でもあった。
清彦がわたしより背が高くなっていることに、その時気づいた。



水泳の強豪高から特待推薦の話が来た、なんて噂が聞こえてきた大会の数日後。
清彦は交通事故に巻き込まれて右足に大怪我をした。

退院までは病院へ毎日通った。清彦へ明るく話しかけた。リハビリも手伝った。
でも、わたしにできるのは「その程度」で。
わたし自身、女子水泳部の部長に選ばれると、そちらでしなければならないことはいくらでもあった。勉強もしなければならなかった。

三年になり、わたしは少しは伸びたけれど凡庸な記録で、清彦は日常生活はできるようになったものの本格的に泳げるようにはならないまま、それぞれに中学での水泳を終えることになった。



わたしと清彦は、同じ近所の高校を受けることになった。
清彦の成績なら少し遠くの名門校でも目指せたと思うのだけど、足に不安があるので近場にしたみたいだ。
……それを知って、わたしも志望校を変えた。正直、勉強はだいぶ楽になった。
そして中学の卒業式の翌日。その高校の合格発表を見に行ったわたしたちは、二人とも無事に合格していた。

中学に戻って進学用の書類を受け取り、家への帰り道を歩く。
わたしは満ち足りた気持ちでいた。また清彦と一緒にいられる。地道にリハビリを続けてきた清彦は、きっと高校になれば復帰できる。そしてまた、中二のあの時のようなすごい泳ぎを見せてくれる……。そんな都合のいい夢想をしていた。
「ちょっと、休まない?」
寂れた神社に差し掛かったところで、清彦が口を開いた。

「まだ誰にも言ってないんだけど」
人目につかない本殿の裏手、小さい頃から内緒話をする時にはよく来ていた場所。
でも、こんなことを言われるなんて思っていなかった。
「ぼく、水泳やめようと思う」

わたしは、みっともないほど取り乱した。最初はつまらない冗談を言われていると思い込み、清彦が本気で言っているとわかったら、自分でも不思議なほど腹を立てた。
「なんでそんなこと言うのよ!? リハビリは順調だって言ってたでしょ!」
わたしと清彦の間には、ほとんどずっと水泳があった。赤ん坊の時からの水泳教室。小学校の時に清彦のお父さんがぽんと自宅にプールを作ってからはわたしも入り浸った。そして中学での部活。
わたしは、水泳があるから清彦とつながっていられると思っていた。清彦だって泳ぐことが好きだと信じて疑わなかった。
「順調なのは、普通の生活をするためのリハビリだよ。でもその先の、水泳競技を再開できるほどの回復は全然進まなくて……」
「そんなの、もっとがんばればいいじゃない!」
清彦がどんな気持ちで水泳をやめると言ったのか、これっぽっちも考えようとしなかった。

人生の輝かしい一瞬というものは、呪いにもなり得る。
半年前のわたしは、そんな想像力を持ち合わせていなかった。

「どうしてそんな情けないこと言うのよ!?」
わたしが糾弾するたびに、清彦の顔が傷つくように歪む。なのにあの時のわたしは、それを被害者ぶっていると感じてしまった。
大きく平らな石に腰を下ろしていた清彦を、立って見下ろしながら、わたしは感情を持て余してなおも醜い言葉を募らせる。

喚きながら、傲慢にも考えてしまう。
――わたしが清彦だったら。
――わたしが清彦だったら、諦めたりしない。リハビリを続けて、いつかきっと復帰してやるのに。

もどかしさ、清彦のことがわからない焦り、苛立ち、それらが寄り集まって怒りとなる。
それが頂点に達したように感じた瞬間。
わたしは不意に立ちくらみのような感覚に襲われて、意識を手放した。



気がつくと、わたしは大きな石に腰を下ろしていた。
立ち上がると、右足がずきりと痛む。
急な貧血で腰を下ろした時に足を痛めてしまったんだろうか。
咄嗟にそう思って足を見下ろしたわたしは、自分が黒いズボンを穿いていることに気づいた。
……ついさっきまで、中学の女子制服である紺のスカートを穿いていたのに。
上半身に着ているのも、黒い詰め襟の学生服。まるで男子の制服のような。
「ええと……君、誰?」
隣にいる人影に声をかけられ、その声に驚いて振り返る。
今、ここにいるのはわたしと清彦だけのはずなのに、その声は女の子のものだったから。
そして目にしたのは、毎日鏡で見慣れていた『わたし』の姿だった。
「もしかして、あなた……清彦?」
「君は……双葉?」
早春の冷たい風が、異常事態に陥った二人の間を吹き過ぎた。

身体が入れ替わってしまったことはわかったけれど、どうすれば元に戻れるかなんてわかるわけがなくて。
それでも時間は過ぎていく。いつまでも帰らなかったら互いの親に心配されて騒ぎになるかもしれない。
なのでとりあえず、わたしは『清彦』の、清彦は『双葉』のふりをすることにした。
ついさっき難詰していた相手のふりをするなんて変な気分だけど、他にどうしようもない。
「じゃあ、後でメールするわね」
「『わね』はちょっと、わざとらしいと思う」
清彦に軽く駄目出し。
「それはともかく、電話でいいんじゃないの?」
「色々覚えなくちゃいけないことがあるし、後から読み返せるメールの方がいいと思う、の」
恥ずかしそうに「の」を付け足した清彦の顔が少し赤くなった。
「それと……ごめんなさい!」
清彦が両手を前に重ねて深々とお辞儀して詫びる。
「な、何が?」
「お風呂、入っちゃうから……」
「それは、しょうがないよ。お互い様だし」
清彦に謝られて、今の自分が『清彦』であることとともに『男』であることを認識させられる。
股間に生えている異物の存在を今さらながら強く意識してしまった。

本来の『わたし』の家を通り過ぎて、隣の清彦の家に『帰る』。
清彦のお母さんに合格を喜ばれながら昼食を食べ、『自分の部屋』に入ると鍵をかけた。

清彦とのメールのやり取りを重ねた結果、決まったこととしては。
○高校での人間関係はそれぞれの判断で。ただしいつ元に戻っても問題ないように、情報交換は密接に。
○家では臨機応変に。特に問題もないはずだけど、何かあったらすぐ連絡。
○元に戻った後で困らないように、進路は一致させる。進学先も同じ大学の同じ学部、できれば学科レベルまで揃える。
『それで』
半ばチャットのようにメールをやり取りする中、清彦に訊かれた。
『部活は、どうするの?』
『わたしは水泳部のつもりだった』
『なら、元に戻るまでは僕が水泳部に入る』
『いいの?』
返事まで、少し間があった。
『別に、水泳が嫌いになったわけじゃないし』
画面の向こうから、清彦の尖った声が聞こえてくるような気がした。もし今目の前にいても、その声は『双葉』のものなのだけど。
どう返すべきか考えていると、清彦からもう一言送られてきて、やり取りは途切れた。
『明日はその身体のリハビリだから。がんばってね』



清彦の家のプールで、リハビリに取り組む。
言葉にすれば簡単だけど。
わたしは、前日清彦に投げつけた言葉を残らず後悔した。自分の甘い考えをつくづく思い知らされた。

「前にも言いましたけれど」
その日のリハビリの最後に、トレーナーさんが深く息をついた。
「競技生活に復帰できる可能性はかなり低いです。それくらい深刻な怪我だった。それでも復帰したいと思うのなら、もっと真剣に打ち込むしかないと思います」
かけられる言葉と、右足の痛み。ともにわたしを責め立てる。
普通に過ごす分には問題のない右足。けれど速く泳ごうと思ったとたん、それは水中でわたしに対する重石となる。『双葉』だった時ならスムーズにわたしを進ませた両足が、この身体ではてんでばらばらに働いてしまう。
かと言って、右足を無視して泳げるわけもない。競技で勝負できるフォームなんて生み出せるとも思えないし、それどころか連鎖的に他の部位も痛めてしまいかねない。
だから、右足の訴える苦痛に逆らって、もう一度鍛え上げ、以前のフォームを取り戻すしかないのだけれど。
……それがこんなにつらいなんて。
清彦はいつも、わたしに何も言わずにいたのに。

トレーナーさんが引き上げた後、わたしはプールサイドにぼんやり立ち尽くした。
彼が来るのは週に三度。でも復帰のためには、毎日自主的にリハビリに取り組まなくてはならない。
明日も、今日と同じ苦痛に耐えなければならない。
水に入るのを、生まれて初めて嫌だと感じた。

重い気持ちを抱えて、更衣室に入る。
水着を脱ぎ捨て、シャワーを浴びた。
熱いお湯に打たれながら、自分の身体を見下ろす。『清彦』の、平らな胸板。その下の股間にぶら下がるモノ。
昨日お風呂に入った時は、混乱していてそそくさと上がった。リハビリ前に水着に着替えた時は、自分が清彦の代わりに復帰してやるんだと気持ちを高揚させていた。
混乱が少しは収まり、気持ちにも冷や水が浴びせられた今、自分の変化を改めて思い知る。
「わたし、双葉じゃなくなっちゃってるんだなあ」
呟く声も、『双葉』のものではなくて。
「元に戻れるのかな……」
戻れなかったら、どうなるんだろう。
この身体で生き続けて、そのうち、結婚? 誰と?
昨日の清彦、入れ替わった後の、『双葉』の身体の清彦を思い浮かべる。
「!」
股間に生じる変化。今朝目を覚ました時と同じように、硬くなっていくモノ。
自分の身体の一部なのに、別の生き物のように勝手に変化するソレを、気持ち悪いとしか思えなかった。
……心情に反して肉体が感じたものについては、無視するように努めた。



三週間ほどを経て、入学式。わたしたちは別のクラスになった。
たまに見かける清彦は、すごく自然に『岩崎双葉』を演じていた、と思う。『自分』を外から眺めるなんて初めてだし確言はできないけど。
わたしはわたしなりに、『小林清彦』らしく振る舞った。温和に、人当たりよく。
別の中学で水泳部だった古河くんに声をかけられた。気さくな相手でほっとする。同じ中学でクラスメートだった三井くんもいるし、『清彦』が孤立してしまうことはなさそうだ。
ただ、水泳部には入れない。リハビリのことを考えると文化部も難しくて、帰宅部になるしかなさそうだ。

中学もそうだったが、この高校にも屋内プールはない。水泳部は、シーズンオフの時季は走ったり筋トレをしたりする。
部活の見学期間中、さっそく男子水泳部に入った古河くんを、三井くんたちと見物しに行った。
「あ、岩崎はもう水泳部に決めたんだな」
わたしと並んで歩いていた三井くんが、わたしの……違う、『双葉』の苗字を口にした。
指さす先にはジャージ姿で走る清彦。今は男子水泳部と合同で練習してる。
わたしはすぐに目を逸らした。『双葉』の身体で元気に走る清彦。それを見ただけでずきりと痛む右足。
清彦へのあの時の言葉を悔やんだり、今の清彦が満足してるのならこれでもいいかもと考えたり、一方で清彦を羨んでしまったり、この身体で本当に復帰なんてできるのかと思い煩ったり、気持ちが落ち着かない。
「それにしても、小林よ」
三井くんが、不意に真剣な顔になってわたしに言った。
「何?」
「岩崎、胸がでかくなったよな」
「な、何言ってんだよ!」
「いや、岩崎と親しい小林に言うのも今さらとは思ったんだが、黙っているのもしんどくてな」
確かに、そうだけど。
入れ替わる前はAカップだったわたしの……『双葉』の胸は、この短い間に何が起きたのかCカップくらいに成長している。
三井くんに釣られてもう一度『わたし』に目を向けてしまうと、ゆさゆさ揺れる胸にさっきまでとは違う意味で複雑な気持ちにさせられた。

「また……」
部活見学をした夜。お風呂に入っていると、股間の存在がいきり立つように大きくなっていった。
清彦と入れ替わって三週間以上。さすがにトイレには慣れてしまったけど、これはわたしをずっと悩ませていた。
変なことを考えるから大きくなるというわけではなく、わたしの気持ちや状況なんて無視して膨らむことが珍しくない。今はお風呂だからいいけど、授業中なんてすごく焦る。
こんなことになる前、男子を嫌らしいと考えていたのは悪かったな……と今さらながら反省する。
これはたぶん、女子で言えば生理とかと同じ。女子の胸が大きくなったりするのと同じような、心とは関係ない変化。
「別に清彦だって、なりたくて胸が大きくなったわけじゃないだろうし」
連想は、放課後に見たものにつながる。制服だとあまり意識せずにいられたけど、運動しているとあの動きはどうしても目につく。
「あれって、重いのかな……」
本当はわたしの身体。でもああなったのは入れ替わってから。わたしは胸が大きくなったという感覚を知らない。
今のわたしは女じゃない。
今のわたしは……。
股間の存在が、何かを訴えるように硬くなっていく。
でもわたしはそれを無視した。
その時は、無視しようとした。



入れ替わってもうすぐ一ヶ月になろうという日に、限界に達した。

わたしは学校では表面上、ごく普通の男子生徒として振る舞っている。清彦らしく、人畜無害な男の子らしく。
でも、同じ班の女子と並んで化学の実験の準備をしたりしつつ考えてしまうのは、股間が訴えかけるうずくようなつらさ。
勃起――男子の雑談に時折挟まれるこんな言葉をわたしはもう学んでしまっている――は頻繁に起こるようになっていた。
漫画で描かれるみたいに露骨な変化は生じないし、男子の股間に目をやる女子なんていないから、ばれたりはしていないと思うけど、それでも若干前かがみになって歩いているとすごくみじめな気分になる。
わたし、軽蔑していた「スケベな男子」そのものじゃないか。
そんなことを考えながら、化学室から教室へ戻っていた時。
『双葉』になった清彦とすれ違った。
確か、向こうのクラスは芸術の選択授業だったはず。音楽の教科書を手にした『彼女』はクラスメートらしき女の子と談笑していて、こちらには気づいていない。
わたしたちが幼なじみであることは知られているけど、学校では必要以上に接触しないようにしている。相手の振りをしたまま「自分の振りをしている『自分』」と会話するというのは、ちょっとハードルが高すぎる。
それに、入れ替わったあの時以来、互いにぎくしゃくしていることも大きかった。
「それにしても双葉はおっぱいでかいよねー」
清彦と話していた子が、清彦の胸を揉もうとした。たぶん軽いじゃれ合いのつもり。
「や、やめてっ!」
なのに清彦はかなり本気で嫌がって、大きく飛び退いた。
その動きの先にいたのは、わたし。
わたしがよけると清彦が壁に激突しそうに思えて受け止めようとしたけれど、想像以上の勢いの強さにわたしまでよろける。結局わたしが壁にぶつかってしまった。
「ご、ごめんなさいっ……!」
振り向いた清彦と――『わたし』と――目が合う。
恥ずかしさとかみっともなさとか、そこに加えてわたしに見られた上にぶつかってしまったことの羞恥とか、恐らくはそれらの原因で顔を真っ赤にした清彦は、頭を下げると逃げるように自分の教室へ去っていく。
代わりに謝るクラスメートの子に「気にしてないから」とだけ言って、わたしも自分の教室へ戻る。
今日は化学の授業が最後。わたしは帰り支度を急いで済ませると、いつもより深く前かがみになって教室を出た。

あの大きな胸は、見ないように気をつけていた。現にさっきも、極力そちらに目は向けていない。
でも、それ以外の色々なものがわたしをおかしくした。
ぶつかった時の、身体の柔らかさ。水泳部で練習して引き締まっているはずなのに、筋肉や骨格が激しく主張することはなく、ふわりとした感触が伝わってきた。
たぶん髪から漂ってきた、甘い匂い。情報交換の時にシャンプーなどを変えたという話は聞かないけれど、入れ替わる前にわたしが使っていたものと同じとは思えない、いい匂い。
そして、わたしとまだ認識していない時に見せた、しおらしい表情。わたしが鏡の向こうに見たことのない『わたし』の顔。
股間が、うずく。

家には誰もいなかった。今日はリハビリの予定もない。
制服を脱ぎ捨て、浴室へ。
脱衣所で裸になると、ブリーフの束縛から解放されたアレが勢いよくそそり立った。
「……どうしよう」
いつもはこうなっても、しばらくすれば治まるのに。
清彦と接触してから、ずっとこのまま。
風呂場に入り、シャワーを浴びる。体を洗う。そんなことをしていても、股間の状態だけは変わらない。
無意識に思い返す。清彦の柔らかさを、清彦の匂いを、清彦の……愛らしい表情を。
鮮明に思い浮かべるたびに、股間は力を増す。
でも、どうすればいいかはわからない。
男子たちが言う「抜く」ことをすればいいんだろうけど、具体的にどうするのかまではよく知らなかった。
清彦に聞くわけにもいかない。
でも、どうにかするしかない。
恐る恐る、股間に手を伸ばした。

初めて触ったわけじゃない。こんな状態になった時、好奇心に駆られて触れてみたことはすでに何度かある。
でも、いつも短時間でやめていた。触り続けていると、引き返せないところまで行ってしまいそうで。
けれど今、わたしは一線を越えようとしている。

幼稚園の頃、清彦と一緒にお風呂に入ったことがある。
わたしにはついていないものを股間にぶら下げたその姿は不思議だった。
小学校時代の夏休みに一度、別荘へ行く清彦につきあった時、林の中で遊んでいたら清彦が木の陰で立ったまま用を済ませて、便利でうらやましいと思ったこともある。
その後は長い間、目にすることもなかった存在。
小学校の高学年になって、生理が始まって、保健の授業であれこれ教わったりして、ソレは次第に気持ち悪く恐ろしいものと感じるようになっていた。関わり合いになるのが怖かったし、なるべくそんなものには近づきたくないと思っていた。
でも今、わたしの心はソレに振り回されていて、自分からソレに手を伸ばしている。

指先に伝わる熱。弾力がありながらも硬くなっている。指が触れると気持ちよさを感じる。
おっかなびっくり弄っていると、指がぬるぬるしてきた。先端から透明な液体が少しずつ出ている。
思いきって、手で握りしめてこすり上げる。快感はさらに高まった。
液体が滑りを良くする。動きはより激しくなる。
今まで感じたことのない刺激が股間の一点に集中していく。『双葉』だった時の自慰とはまた別の快楽。
高まっていく。高まっていく。高まっていく。
何かが出そう。怖い。でも、出したらきっと、今よりもっと気持ちいい。
肉体の欲求が、精神のためらいをねじ伏せた。わたしは本能に命じられるように、握りしめた手でしごき続ける。
「あ……っ!」
先端から、白い粘液が勢いよく飛び出して、床や壁に飛び散った。
発射の瞬間に頂点に達した快感が、潮が引くように薄まっていく。手の中で、かちかちになっていたものがぐんにゃりとしぼんでいく。
「わたし……」
いつのまにか荒くなっていた呼吸を鎮めながら、わたしは呟いた。
「男の子になっちゃったんだ……」



入れ替わってから四ヶ月、あの初めての射精から三ヶ月。わたしたちはいまだに元に戻れていない。

清彦とは、メールは毎日、直接会うことも週に二度は続けている。でも、それはかなり形式的なものになっていた。
清彦が『双葉』として、女子水泳部でどんな状態にあるのか。本人の口からは聞かされていない。わたしからも聞いていない。
「胸が大きくなるのも場合によりけりなんだなあ」
ゴールデンウイークに入る前くらいの頃、男子水泳部の古河くんが、しみじみと言ったことがある。
それが誰の何を指しているかは明白に思えて、それ以来、わたしから水泳部の話は切り出しづらくなっていった。

入れ替わりが長引くうち、わたしの心は変化してきた。人格的に変わったつもりはないけれど、性欲が。
あの初めての射精以来、わたしは一日一度はオナニーするようになった。たまに二度、時には三度。
最初のうちはただ握ってこすってすぐに射精していたけれど、そのうちに慣れが出てきた。そうなると、頭の中で興奮できるイメージを探すようになっていく。
そのイメージとして最適だったのは、初射精のきっかけになった『双葉』の姿。あの顔や声や匂いを想像すると、股間はいつも硬さを増す。
そしてそれを繰り返すうち。わたしは、『双葉』以外の女子に対しても興奮するようになってしまっていた。
今のわたしは、性に関しては完全に男子だ。

リハビリは、遅々として進んでいない。
この膝の怪我は、日常生活と競技生活の間に超えられない断絶をもたらしている。
四ヶ月前に清彦が諦めようとした気持ちが痛いほどわかる。
でも、それを手酷くなじったわたしが、今さらどんな顔をして宗旨替えをすればいいのか。

もうすぐ夏休み。
水泳部の合宿に参加することにしたと報告する清彦に「がんばって」とメールしながら、わたしは帰路をとぼとぼ歩く。
夏休みは、リハビリだけでなく勉強にも力を入れないと。試験の結果は、双葉としては鼻高々だけど、『清彦』としては物足りないくらいの成績で、『清彦』のご両親のちょっと残念そうな顔はもう見たくない。
そんなことを思いつつも、すれ違ったにぎやかな女子高生たちが無防備なほどはしゃぐ姿に、股間が刺激される。
帰ったら、まずはオナニーしよう。



「小林、足は……まだきついか?」
夏休み明け。水泳部の古河くんに声をかけられた。
「うん」
これ以上、何をどうすればいいのか、もうわからない。リハビリは惰性で続けているようなもの。
「そっか」
こちらを気遣ってか、返事は軽い。でもそこには沈んだ気持ちが隠しきれずにじんでいる。
「……ごめん」
「いや、気合でどうにでもできるって話じゃないしな。小林も、岩崎も」
「岩崎?」
問い返すと、古河くんはしまったという顔になった。
「……岩崎は、夏休みに退部したんだ」

清彦がわたしに何も言わなかったことに、怒りは抱かなかった。
わたしが彼と同じ立場でも、言えるわけがない。
ただ、それを知ってしまうと、これまでと同じように振る舞うことはできなくなった。

その日から、メールを送るのはやめた。清彦も、わたしのその行動から察したのだろう、メールを送ってこなくなった。
学校でも、互いを避けるように動く。情報交換を通じて相手の時間割などを知っていたから、意識すれば驚くほど顔を合わせずに済むようになった。

わたしたちは何のために入れ替わったんだろう。
リハビリも、勉強も、その他あらゆる『清彦』としての生活もただノルマのようにこなしながら、時折考えてしまう。
例えわたしがリハビリに失敗しても、清彦が『双葉』として泳げるようになるなら意味はあったのに。「相手の気持ちを考えず暴言を吐いた女の子は自分のすべてを奪われました。めでたしめでたし」というのは、物語としては筋が通っているように思う。
でも結局、清彦は『双葉』として水泳を断念することになった。入れ替わりがもたらしたのは、たった半年弱の先延ばし。



土曜日の昼下がり、学校からの帰路をだらだらと歩く。
八月の狂気じみた暑さは去ったけど、残暑は残暑でやはり厳しい。陽射しに熱気に湿った空気。後から後から汗が噴き出す。目に入って痛い。
立ち止まってハンカチで顔を拭き、ふと顔を上げると、少し先を清彦が歩いていた。
こちらと同じように足を止め、ハンカチを額に当てている。天を仰ぐようにその顔は空を見上げていた。
――暑そうだな。
ただ、そう思った。他には何も考えなかった。
だから、少し足を速めて追いつくと、声をかけた。
「プールで泳がない?」
子供の頃、暑い日に、清彦がわたしを誘った時のように。

* * *

スクール水着から巨大な胸をさらけ出した清彦から、ひとまず目を逸らす。
「泳ごう」
「……うん」
恥じらうように小さな声で、けれどきっぱりと、清彦も応じてくれた。

楽しかった。
脚を怪我した『清彦』の身体になって、タイムを競う水泳の世界からわたしは弾き出された。
でも、水の中に入って泳ぐことは今でも楽しくて。
苦しくて忘れていたシンプルな事実を、すごく久しぶりに思い出せた気がする。
隣で水をかく清彦を見る。
脚を怪我して水泳をやめる決意をして、わたしと入れ替わって、女子としてでも水泳部に戻って、でも『双葉』の胸がものすごく大きくなって。紆余曲折を経てここにいる清彦。
清彦も喜んでくれていたらいいなと願った。

「疲れちゃった」
プールサイドにもたれて清彦が言う。
でも、その表情は、入れ替わって以来初めて見るほど生気に満ち溢れていた。
たぶん、それはわたしも同じ。
「楽しかった」
考えてみれば、入れ替わって以来、清彦と一緒にプールに入ったのは初めてな気がする。
「わたし、泳ぐのが好き」
「僕も」
「タイムが出せなくなっても」
「うん」
わたしは、清彦に深く頭を下げた。
「ごめんなさい。こんな簡単なこと、入れ替わる前に気づいていればよかったのに」
あの時、わたしは清彦を妬んだ。
リハビリさえ成功すれば、いい記録を出せるようになるのに諦めようとしている。そんな風に捉えて、何もわかってなかったくせに清彦を責めた。
「だからたぶん、罰が当たったんだ。しかも清彦まで巻き込むような形で……」
「違うよ」
なのに。
「僕こそごめん。あの時、僕は……双葉のことが羨ましかったんだ」
清彦はそんなことを言った。
「僕が先の見えないリハビリで苦労しているのに、双葉は何の問題もない元気な体で泳いでる。競技を続けていられる。羨ましかったし、妬ましかった。……いっそ双葉にこの身体を押しつけたいって、あの時思った」
「……あの瞬間だけは、同じだったのかな。わたしたち」
相手が持ってるものを欲しがって、『自分』を疎かにして。
それとも、もしかすると清彦はちょっと嘘を吐いているのかもしれない。あの出来事は、やっぱりわたしが清彦の決断を素直に受け止められずに反発したことがきっかけだったのだし、それを清彦がいくらか肩代わりしようとこんなことを言ってくれているのかもしれない。
だとしても、清彦がその嘘を今すぐ認めるはずもないけれど。

「もう少し、泳ご」
清彦がプールサイドから体を離し、わたしの手を取る。わたしたちの距離は、入れ替わる前の近さに戻れた気がした。
「うん」
応じて右足を踏み出した時、膝に痛みが走った。
態勢が崩れる。清彦にもたれかかってしまう。
「!!」
わたしは、清彦の巨大な胸に顔を埋めてしまっていた。
「ふ、双葉、離れてぇ……」
困惑しきった声の清彦。わたしは慌てて顔を離す。
プールサイドに戻る。清彦も隣に戻って来た。
「ごめんなさい……」
恥ずかしくて顔を見られず、ただただ謝ることしかできない。
「う、ううん、気にしないで」
裏返り気味の動揺した声が、言葉をおのずと否定していた。

気まずい沈黙が訪れそうになる。何か言った方がいいんだろうか。
「大きい胸って、重たいの?」
……わたしは何を訊ねているんだろう。
でも、わたしの頭の中はまださっきの衝撃がほとんどを占めていた。柔らかくも弾力のある膨らみ。呼吸を塞ぎそうになるほどの大きさ。塩素臭の奥にほんのりと漂っていた匂い。ピンク色の乳首。
「う、うん。普段はちょっと」
そしてなぜか素直に答えてくれる清彦。
「水の中に入ると軽くなるけれど、今度は抵抗が大きくなって、やっぱり邪魔。ブラも何度も買い替える羽目になっちゃったし」
「ふ、ふうん」
本来その胸はわたしのものなのに、わたしには何の実感もない。
「それに、男子が嫌らしい目で見てくるし」
――それはしかたないよ。そんなに大きいと見ちゃうから。
そう言いそうになって、自制する。
わたしは完全に、男子の目で清彦を――『双葉』の身体を見ていた。

「双葉も」
代わりに何を言おうか迷っているうち、清彦から切り出す。
「双葉も、この胸、気になる?」
「…………………………うん」
泳いでいる間は気にしないように努めていたけど、一旦意識し出すとやっぱり目が吸い寄せられる。
ごまかしなんて効かないだろうと考えて、率直に言った。
「そっか」
軽蔑されるかもと不安だったけど、清彦は予想外の行動に出る。
「双葉になら、いいよ」
言いながら、わたしに抱きついてきた。
わたしたちの間で、巨大な双丘がはちきれそうになる。
「え……?」
「入れ替わってから、毎日のように考えてるんだ。このまま元に戻れなかったら、僕、どうなるのかなって」
「う、うん」
それはわたしもよく考える。
「もう、女の子は同性としか思えなくなってる。水泳部で女子と一緒に着替えてドキドキしたなんて最初の何週間かだけ」
清彦も、わたしと同じなんだ。
今の身体になじんで、性別についての気持ちが変わって。
「でも、普通の男子はやっぱり嫌。わがままだとは思うけど、僕が元は清彦だったことを受け入れてくれる人じゃないと」
その言葉に、ほんの少し体が強張る。
感じ取ったのか、清彦は慌てたように言った。
「ごめん、こういう言い方だと消去法で双葉しかいないみたいに聞こえちゃうよね」
そしてわたしにさらにぴったりと身を寄せてきた。
「そうじゃなくて。僕は双葉が……双葉だけが好きだから。入れ替わる前から、入れ替わった今も」
ずっと、わたしが『双葉』だった時から、待っていた言葉。
「初めて、言ってくれたね」
うれしいけれど、胸の感触とか自分の股間とか色々なことに気が散りそうになる。返事はちょっとそっけないものになってしまった。
「そうだね。こうなる前に言っていたら、こんな風にはならなかったのかな」
清彦の声が沈む。
わたしも少し考える。
そんな関係だったら、あの時の清彦の言葉もおとなしく聞けていただろうか。素直に彼の選択を受け入れられただろうか。
「かもしれないけど」
わたしは清彦の顔を上げる。少し潤んだ瞳。
「わたし、今のわたしたちも嫌じゃないよ」
そう言って、キスをした。

プールサイドにバスタオルを敷き、わたしたちは水着を脱いで裸になって絡み合う。
「何これ、なんでこんなに大きくなっちゃったのよ」
言いながら、わたしは清彦のおっぱいを揉みしだく。張りがありつつ心地よい柔らかさも兼ね備えたそれは、今のわたしの手にも収まらない。
「わ、わかんないよぉ」
清彦は甘い声を上げる。わたしが一度も出したことのないような、雄に甘える雌の声。
すでに清彦はたまらないほどの女で。
わたしはどうしようもなく男だった。
「あんっ!」
左の乳首を口に含み、舌で弄ぶ。清彦の可愛い悲鳴。
左手では右の乳房を弄りつつ、わたしは清彦の股間に右手を伸ばす。
半年前までわたしのものだった股間。けれど向かい合う姿勢だと勝手が違う。それでも、清彦をなるべく痛くしないためには、丁寧に刺激してあげないと。
……成り行きとは言え、どうしてこうなっているんだろう。
興奮して頭に血が上っていても完全に我を忘れているわけではない。まずないとはわかっていてもプールへ誰か来たりしないかと警戒したり、こんなことを考えたり。
入れ替わる前に恋人になっていれば、その時点でこうなっていたかもしれない。とすれば、今こうしているのは遅いくらい? でもこれはやっぱりいけない気がする。
頭ではそれぐらいわかってる。でも、今にも暴発しそうなわたしの下半身は、行為をためらう冷静さなんてわたしに許そうとしなかった。
「濡れてきた、ね」
清彦の股間から指を抜き、透明な液体を指先でこすり合わせる。ツンと来る匂いは、『双葉』だった時のオナニーで嗅いでみたそれと同じ。
同じなのに、『わたし』のものなのに、わたしはそれに欲情する。
「そろそろ、いい?」
その前に、大きく勃起したペニスを持て余して少し無理のある態勢だったわたしは、一旦立ち上がる。わたしの股間を見て、清彦が目を丸くした。
「おっきい……『僕』って、そんなに大きかった?」
「清彦が可愛すぎるからだよ」
膝をつき、やや内股になろうとしていた清彦の脚を押し広げる。
「い、行くよ」
先端を清彦に宛がう。
「……優しくしてね」
清彦の浮かべる表情には見覚えがあった。注射をされる寸前の顔。もちろんその時は、清彦は『清彦』だったのだけど。
そして、それを見ているわたしは『双葉』だった。
今の清彦とのやり取りは、わたしが『双葉』だった時に夢想していたものとよく似ている。でもそれは、当然わたしが女の子として、男の子の清彦を受け入れる場合のもので。
心は身体に引きずられている。『双葉』を抱きたい『清彦』を、わたしの心は止められない。止めない。
でも、記憶とは齟齬が生じる。心が、かすかに軋む。
その軋みを感じながら、わたしは硬く硬くなった自身を清彦の中に突き入れた。
「んっ?!」
清彦が呻き、その目からたちまち涙が溢れ出す。
「いたい」
つい漏れた、というような、ほんの小さな悲鳴。
「ごめんね」
謝る。でも抜き出さない。萎えもしない。
想像はできるのに。わたしのものだったあそこ。こんな大きくなったものがすんなり収まるわけもない。無理矢理に突き立てて、押し広げて、そうなれば痛みが伴うことくらい、わかるのに。
わたしは、そのことにすら興奮してしまっている。
清彦という女の子に生涯唯一の痛みを与えることに快感を覚えている。自分が雄としてこの愛しい雌を初めて犯すことがうれしくてたまらない。
そして、清彦の内側。
わたしの怒張したペニスを熱く柔らかく隙間なく包み込むようだ。自分の手でするオナニーなんて比較にならない気持ち良さ。
快感に、ほとんど我を忘れた。
腰を激しく動かす。清彦が漏らす抑えた泣き声すらも、ちょっとした刺激としか感じない。
雄の性欲がわたしを支配した。
――冷静になった後で振り返ると、背筋が寒くなる。わたしたちはただの高校一年生で、もしも清彦があの時妊娠していたらたちまち生活は破綻していた。
でも、その瞬間はそんなことも考えられず。
わたしは清彦の中に、精液を思う存分注ぎ込んだ。

ことが終わると、わたしは清彦に寄り添って横たわる。
清彦は何も言わないけれど、初体験が痛かっただけなのは明らかだった。
わたしも黙って――何も言えなくて――、ただ清彦の頭を撫でる。
射精して性欲が鎮まった今になると、何をしてしまったんだろうと今さら自省の念が湧く。
わたしは『わたし』を抱いた。
わたしは男として清彦を抱いた。
そしてわたしは、そんな自分に興奮していた。
どうしようもない変態。
と、清彦がわたしの胸にしがみついてきた。
「あのね」
「う、うん」
「痛かった」
「ごめんね」
「でも……嫌じゃなかったよ」
そう言うと、キスしそうなほど顔を近づけてわたしを見つめてくる。わたしたちの間で清彦の巨乳が挟まれ、弾力豊かに形を変えた。
「双葉のおちんちんが入って来た時、すごく自然な気がした。僕、半年前まで男の子だったのにね」
「わたしも同じ」
清彦に、『双葉』に、かつての『わたし』にキスをする。
「半年前まで女の子だったのに、今じゃ毎日射精することばかり考えてる。清彦のことオカズにしてる」
「僕も、双葉に抱かれること毎日考えてた」
恥ずかしいことを告白し合いながら、キスを繰り返す。
わたしたちは二人揃って変態なのか、入れ替わったらこんな風に気持ちが変化してもおかしくないのか、わからない。
ただ、二人の気持ちが食い違わなくて良かったと思った。



「わかった。清彦が決めたことだものね」
あの春の日の神社で、入れ替わる前のわたしが、水泳をやめると言った清彦にそう応じている。
わたし自身はそれを外から見ている。
たぶんこれは夢だ。
起こらなかった出来事。本来ありえた未来。理想の未来。
早回しのように時間が進む。勉強に力を入れる清彦。水泳部に入るけど胸が大きくなってやっぱり退部した双葉。双葉を清彦が慰めて、二人は結ばれる。
……ただ。その後は二人ともすっぱり水泳から遠ざかる。二人が結婚して、その子が自宅のプールに興味を持つまで、プールは開かずの別館みたいなことになっていた。
――あれ?
理想の未来というには、何か、違うような。

「そっか。しかたないね。清彦が決めたことだし」
そして再び時間は巻き戻る。
けれど今度は、清彦が堕落した。高校でちょっと悪っぽい連中と友達づきあいを始めたのをきっかけに、水泳という目標を見失った彼はどんどん荒んでいく。
そして巨乳になった双葉を、夏休みにレイプした。
――ちょっとちょっと。
双葉は、そこで清彦に巻き込まれていった。あれはレイプなんかじゃないと自分に言い聞かせ、進んで清彦に身を任せるようになる。都合のいい女になった双葉と、彼女にしがみつかれてますます堕ちていく清彦。二人は鼻つまみ者として扱われるようになり、進学も就職もできず……。

「清彦が考えて決めたことだもの。応援する」

「清彦がそう言うなんてよっぽどのこと、だよね。やめるななんて勝手なことは言えないよ」

「そうなんだ……そんなに深刻だなんて思ってなかった。一人で悩ませてごめんね、清彦」

この夢の中で、わたしは何度入れ替わらなかった清彦と双葉の行く末を見てきたのか。たぶん、三十回は超えたと思う。
率で言うと、二割くらいは文句なく理想的な二人の未来を見ることができた。でも五割くらいはどこか不満の残ることになり、三割くらいは露骨なバッドエンド。
「変な夢……」
股間にすっかり馴染んだ朝勃ちの感触を覚えながら、呟いた。
念のため、日時を確認。今日は、入れ替わった清彦と仲直りして、初めて結ばれた、その翌日の日曜日。
合理化、というやつかもしれない。元に戻れない今を受け入れるため、入れ替わらなかったらむしろ今より悪くなっていたと、心がわたしに言い聞かせようとしているのかも。

「僕も今朝同じような夢を見たよ」
その日、清彦と彼女の水着を買いに行った後、プールで夢の話になった。
「子沢山になった双葉がすごく幸せそうで、ちょっと羨ましかった」
たわわな胸をきちんと包むのは、フリルのついた可愛らしいビキニ。わたしが『双葉』だった時には一度も着たことのなかったタイプ。
「わたしは、失敗した方がインパクト強かったなあ。浮気して何又もかけて愛人に殺される清彦とか、見てて情けなかった」
口にして自覚する。わたし、あの夢を清彦側から見ていたんだと。
清彦は清彦で双葉側から見ていたようだし、わたしたちの入れ替わりもずいぶん進んでしまったなと思う。今さら、それが耐えられないとも苦痛とも思いはしないけれど。
「なんでこんな夢、二人揃って見たんだろう」
「神社の神様?」
「嫌がらせのつもりかしら」
「そうじゃなくて……双葉も言ったでしょ? 今の方が、入れ替わらなかった時よりも良くなっているかもしれないって」
言いながら、清彦はわたしに抱きついてくる。彼女の胸がわたしの二の腕に押しつけられて弾力がすごい。
「それを確認させてくれて、これからの僕たちが間違えないようにって、教えてくれようとしたんじゃない?」
「……そう考えるのが、一番前向きかもね」

* * *

「スポーツは、オリンピックに出るような人たちだけのものではありません。誰にとっても大切なものだと思います」
清彦の澄んだ声が、プールの反対側から聞こえてきた。
彼女の前にいるのは、妊婦さんや小さい女の子や高齢の女性たち、あるいは運動の苦手な女子。
「歩くこと、走ること、物を持ち上げること、泳ぐこと。そういう普通のことを、楽にできるようになると、毎日の暮らしはもっと楽しくなると思います。そのお手伝いをさせてください」
清彦に、わたしの周りの男の子たちもプールの中から見とれている。
「ほら、動きが止まっているよ」
わたしが今指導しているのは着衣水泳。水着で泳ぐのと服を着て泳ぐのは勝手が違う。水泳教室の短い指導で熟達するところまではいかないだろうけれど、その感覚の違いを知っておくのと知らないのとではかなり違うはず。
この春大学へ進学したわたしたちは、かつて通った水泳教室でバイトを始めた。泳ぐのが得意な子たちを伸ばすのではなく、苦手な人たちに教える仕事が中心だ。
「岩崎せんせーおっぱいでかいなー」
小学生になったばかりの裕太くんが鼻の下を伸ばして言う。
「岩崎先生って、小林先生の彼女なんだよね?」
二年生の建次くんがわたしに訊ねてきた。誰から聞いたのやら。
「そうだよ」
「りあじゅうめー」
「ばくはつしろー」
認めると盛大に水をかけられた。予想よりも勢いが激しくて、たまらず逃げる。
と、プールに入った清彦と目が合う。
くすりと笑って小さく手を振る彼女は、とても可愛かった。
書き込みを保存していたテキストファイルを見てみたら、最初の投稿が去年の一月でした。前々からお読みくださっていた方には、長らくお待たせしてしまいました。
どうにか完走できたのは、好意的な感想をくださったり、スレが落ちるたびに新スレを立ててくださったりしていただいたおかげです。本当にありがとうございます。
0.3290簡易評価
1.100きよひこ
最高です
2.100きよひこ
初々しいさと、睦まじい2人がいい!
9.100E.S
え、このシリーズも、茶さんだったのですか。
互いに相手の持っていたものを欲しがり、入れ替わったこの二人の関係も好きです。毎回続きが楽しみでした。
他のシリーズの続きも楽しみにしています。
13.100きよひこ
Excellent!
36.100きよひこ
茶さんの作品だったんですね!すごく素晴らしかったです!!
77.100100
アップありがとうございます!!男性になってしまった元女性の描写が好きです。