「姫様、ご無事でしたか」
「無事ではないわ。だが、賊は退けたようだの」
「はい。あっ、姫様! 姫様っ!」
「わらわはもう駄目だ」
「何を弱気なことをおっしゃいます」
「じい、幼少の頃より、父上が亡くなった後も、ようわらわを支えてくれたの」
「まだまだですぞ。これからも支え続けますぞ。姫様、お気をしっかり」
「そうだな。わらわがなくとも支えてもらおう。わらわ亡きあとは代わりをするのだ」
「は?」
というわけで、わたしは忠実な老執事、の筈なのだが、お姫様の姿になってしまっている。
息も絶え絶えの姫様が、手を結んで何かを言った。
次の瞬間、目の前で血だらけで倒れ亡くなっているのは、姫様のドレスを着た私だった。
それを見ていた私はというと、何かおかしい。まず目の前に自分のものらしき長い髪がかかっていた。私の髪は黒の短髪なのだが、どうしたことかそれは金色だった。さらに私の執事の服はぶかぶかで、視線を下に下げると、そのぶかぶかの服でも隠しようもない豊満な胸があった、
「姫様、ご無事でしたか」
姫様を案じた他の家来たちが、三々五々集まってきた。
「ああ、執事殿が。なんということ。姫様の服を着て、身代わりになったのですね」
いやいや、少々待て。
目の前で私が死んでいる。それが身代わりで死んだというのだな。これは集まってきた家来たち、彼、あるいは彼女の解釈だ。いま目の前にある出来事が、彼らにはそう見えるということだ。
それで、彼もしくは彼女、複数の家来たちが私のことを「姫様」と呼んでいる、と。
つまり、私は姫様ということか。
この目の前にある金髪や目の下にある膨らんだ胸とかは姫様のものであるわけか。
いやいや、わたしは老いた男であるから、股にあるべきものが、このところ萎えっぱなしだが、そこにあるはず。おや、その感触はないか。ちょっと手で確かめて。いや人前でやることではないな、それは。
それはそれとして、わたしが姫様であるわけか。
それで目の前にいたはずの姫様がわたしである、と。
さてさて、これはいったいなにがどうしてどうしたことやら私はなにごと姫様はいずこにいやここに……。
私は気を失った。
目が覚めると、姫様のベッドの上だった。
着ているものは変わっていた。姫様の寝衣と姫様の下着を着せられていた。女官たちが私を脱がせて着せたものだろう。
ひと眠りしたらもとの姿に、という願いはかなえられなかった。私の眼の下には姫のふくらみがあり、そっと下着の上に手を伸ばすと、そこに男性のものは無かった。
姫様の尊いお体だ。そう思うと、私はそれ以上、今の自分の体に触る気にはなれなかった。
なぜこんなことになったのだろう。
もちろん魔法だ。私のお仕えする王家は魔王・魔女の系譜なのだ。いくさの時には霧を出して敵を幻惑したなどという話を聞いている。
だが、体を取り換える魔法、などとは聞いたこともない。いや、私が知らないだけで必要が無かったから見たことがない、ということか。
体を取り換えられるくらいなら、瀕死の姫の傷を私に移していただけてもよかったのに、とも思った。だが、魔法で出来ることと出来ないことがあるのだろう。
さて、姫の体になってしまった私はどうすればいい。
「わらわ亡きあとは代わりをするのだ」
姫様の最期の言葉を思い出した。私は姫として生き、この国を治めていけ、ということか。姫様も無体なことをおっしゃる。
「姫様、お目覚めになられましたか」
女官の声がした。
「湯浴みの時間です。姫様」
湯浴み。そう、姫様は毎朝、体を清めてから下々の前に姿を現すのだった。
「あ、うむ」
湯浴みで女官と何をしていたのか、執事だった私には知る由もない。
「今日はよろしかろう」
「それはいけませぬ」
女官の声が鋭い。
「賊に襲われたごときで、大切な習慣をたがえたのでは民に示しが尽きませぬ」
そういうものかな。それではいたしかたがない。
「では参ろうか」
私たちは風呂場へと向かった。
「姫様。服はすべて脱いでここに置いてくだされ。何もかもお忘れになられましたか」
「ああ、そうであったか」
私は少々慌てた。
「すまぬ。激しい戦いをしたためか、記憶が飛んでおるのだ」
服を全て脱ぐ。素っ裸になって風呂場に入った。
王家の風呂場に入るのは初めてだった。執事には管轄外の場所だからだ。
裸の私は、座って鏡を見た。まごうかたなく姫様の顔であり、体だった。
「お美しい」
思わず、ため息をついた。その声が女官たちに聞かれなかったのは幸いだった。
「腕をお上げください」
言われて私は両腕を水平に上げた。そこで女官たちは私の、というか、姫様の体を隅々まで洗い清めていった。
ところどころ、くすぐったい場所もあった。あるいはくすぐったいだけではない感触の場所もあった。私はなるべくじっとしていた。胸の突起も女の秘所も洗われた。声を出さずにいるのは難儀だった。
「月のものはまだでございますね」
言っている意味がすぐにはわからなかった。意味がわかって頬がほてったのがわかった。姫様と女官はこうしたことも女どうしであけすけに話していたのだろうか。
「そうだ」
消え入るように言うのがやっとだった。
「それでしたら、ちょうど婚礼の日に、身ごもりやすい日になるのではありませぬか?」
女官の一人が突然そんなことを言ったので、息を呑んだ。
「おほほほほほ」
女官たちは品良く、しかし、大笑いした。
そうだ。そもそも姫様は四日後に婚礼を控えていた。昨日、純白のドレスを着ていたのも、その衣装合わせのためだった。姫様は新しいお召し物を着ると、まず一人になりたがったものだ。他の人の意見を入れずに、一人で歩いた時の感触などをお確かめになっていた。そんな時を襲われたのだ。
賊は明らかに姫のお命を狙っていた。あの時、着ていたのがドレスなどという面倒なものでなければ、致命傷を受けることはなかったかもしれない。
と思い返したが、その婚礼に自分が姫として出なければならない、と考えたら、真っ青になってしまった。気持ちの準備も何もありはしない。
「ああ、そう言えば、せっかくのドレスが血で汚れてしまったね」
一瞬、着る服が無ければ婚礼を延期できるのではないかと思った。
「出入りの仕立て屋や王宮の針子達が懸命に直しております」
「そうか。間に合いそうか。無理をせずとも……」
「間に合わせます。それが彼ら彼女らの仕事ですから。遅れるかも、などと弱音を吐く者はひとりとしておりません」
そう、この婚礼を滞りなく終わらせること、これには王国の威信がかかっている。隣国の使者、重臣たちも列席するからだ。賊に襲われたごときで日を違えていては、他国になめられてしまう。
姫の代わりをするとはそういうことなのだ。私は腹をくくった。姫を支えると誓った結果、姫の姿になってしまったのだから、姫の代わりをまっとうせねばならぬ。
というわけで、わたしは素直に湯浴みを終えた。女官たちは、それぞれに布を持ち、濡れた姫の体を今度は隅々まで拭いて乾かしていった。長い髪などは三人がかりだった。
体を洗われるのも妙な感触だったが、体を拭かれるのも変な気分だった。姫様のふくよかな胸やお尻がぷよよんと布から躍り出ようとする。そのたびに私は声を上げそうになり、歯を食いしばって耐えた。
湯浴みが終わると服が用意してあった。私がじっと立っているだけで、女官たちはその服を私に着せていった。姫は何もしなくてよいのだ。
着せられたのは昨日のドレスのような華美なものではなく、平服だった。
服を着せ終えると、女官たちはみな去ろうとした。私は一人だけ残れと言った。もっとも年齢が上の女官が残った。本来ならここから執事の仕事が始まる。しかし、私は公的には死んでしまったし、誰かが代わりをしてもらわないと人を呼ぶこともできない。
姫様が執務をしている部屋に入ると、私はまず大臣を呼ぶように言った。
大臣が来ると私は単刀直入に聞いた。
「昨日の賊は、何が目的だと思う?」
「わかりませぬ、が」
大臣の主たる仕事は外交である。
「早馬の知らせによれば、昨日、東の国の兵が国境に集まっていたようです。ですが、日が出る前に兵は引いて通常の物見の兵だけになったとか」
「偶然と思うか」
「いいえ」
となれば、あの賊はやはり王宮の財宝を狙った泥棒、などではない。姫を殺害し、この国の混乱を意図したものだ。だから殺害に失敗した、と判断して兵を引いたのだろう。
さらに言えば、これは姫様の婚姻という、この国全体が浮ついた気分にある時を狙ったものだ。
「我が国の兵と連絡を密に取れ。警戒を怠らないように」
「ははっ」
そう、式当日なら警護の兵も多数出る。式の五日前辺りを狙い目と見たわけか。
大臣が退くと、私は次に近衛兵長を呼んだ。
「この度は面目次第もござりませぬ」
部屋に入るなり、近衛兵長は土下座した。額を床にこすりつけんばかりであった。近衛兵は他の兵とは異なり、王宮を守ることが仕事だ。しかし、賊に入られ姫を危険な目に合わせ、執事を犠牲にしてしまった。責任を感じるのは当然のところだ。
「いかなる処分も甘んじて受ける覚悟です」
さて、姫ならどうするだろう。姫は怒りっぽいところもあるが、すぐに冷静にもなれる。すでに事件から一日経っている。姫ならば近衛兵の処分などよりも、賊の正体をまず知ろうとするだろう。
「面を上げよ」
姫様の口調を真似て言ってみた。
「まず昨日、何があったのか、話しなさい」
「ははっ」
近衛兵長によれば、南の城壁で大砲の音がしたという。その音は私も聞いた記憶がある。それで宮中に十人ほどを残し、近衛兵たちはそこへ急行した。
「ところがそれは、われらが驚かし玉と言うもので、音は大きいが城壁を壊せるようなものではなく」
つまり、陽動に引っかかったというわけか。
「急ぎ戻った頃には、仲間のうちの三人がすでにこと切れて倒れておりました」
やはり単なる賊ではない。草の者、それもかなり腕の立つ連中だ。
「賊は結局何人いたのだ」
「六人。そのうち二人は我らが切り倒しました」
草の者が正面切って戦えば勝つのは武人のほうだ。
「三人は姫様が自ら倒したと承っております」
姫様は剣に優れたかただった。しかし、男三人が相手では分が悪かった。その時、別間にいた私が真っ先に駆け付けた時には三人が倒れ、姫様も致命傷を負っておられた。
「残る一人は」
「プラセポリ公が斬った、と聞いております」
プラセポリ公とは姫様の結婚相手である。
プラセポリ公は姫様との結婚式を控えて二日前からこの王宮に滞在していた。
「六人の賊に入られて、一人も生き残っていないし、逃げた者もない、というのか」
「はい」
逃げた者がない、というのはありがたい、が。
「一人ぐらい、生け捕りにしたかったの」
「ははっ。しかし、腕の立つ草の者で、手加減が出来ませんでした」
なるほど。それは姫様を襲った三人についても同じことが言えるか。
「王宮内部に侵入した三人以外は、どこにいたのか」
「宮の南東、南西、北におりました」
三方を見張っていたということか。
「プラセポリ公がいたのは」
「北の庭園でございます。花と月を愛でておられた、とか」
そういえば公はそうした、下々にはわからぬ風流を重んじる人であった。
「賊の正体に心当たりはないか」
「あれだけの草の者を飼っている国となれば、限られます」
東の国、か。
「よしわかった。まず婚礼を無事に終わらせることだ。賊に入られた失態は当面不問とする。今後も忠勤に励め」
「ありがたき幸せ」
「それから、先ほどの知らせには誤りがひとつある」
「は。なんでございましょう」
「私一人で三人の賊を倒したのではない。私と執事で、だ」
正確に言えば、執事の姿で亡くなられた姫様が、だ。
近衛兵長を下がらせると、女官が急ぎ足で来て言った。
「プラセポリ公がお会いしたいと仰っておりますが、いかがいたしましょうか」
「わかった。通しなさい」
「はい、ところで」
「何?」
「執事殿の通夜に行ってもよろしいでしょうか」
そうだ、私は亡くなったことになっていたのだ。
「わかった。行ってよろしい。本当なら私も行きたいところだが」
慣習上、姫が下々の者の通夜に顔を出すわけにはいかない。
「ところで」
「はい」
「忙しいだろうが、セルリに時間を作ってこちらに顔を出すように言ってくれ。どうしても話したいことがある」
「わかりました」
セルリとは私の娘だ。
「おお麗しのフェリーナ。無事でなりよりだ。顔を見るまでは心配でならなかったぞ」
いきなりフェリーナ、と呼ばれて面食らった。それは姫様の名前だ。前王であるお父上様が亡くなって以来、私も女官も大臣も姫様と呼ぶばかりで、誰も名前で呼ぶ人はいなかったのだ。
さて、姫様はプラセポリ公のことをなんと呼んでいたであろう。
「コンラル。心配などいらぬ」
やっと思い出した。危ない危ない。
プラセポリ公コンラルは我が王家の血を引く貴族だ。姫様とは、はとこの関係に当たる。プラセポリとは彼の治めている地方の名で、王国の東端にあり、東の国と境を接している。姫様とプラセポリ公の婚姻は亡くなられた前王が決めたものだ。我が国にしばしば軍事的な揺さぶりをかけてくる東の国をけん制するため、プラセポリ公との間に強い関係が欲しかったのだろう。
婚姻は予定ではもっと早い筈だった。しかし、前王が亡くなって喪に服さねばならないため、一年間先延ばしになっていた。結婚と同時に姫様はこの国の女王に即位することにもなっていた。政治軍事に関して、実質的にはすでに姫様が女王の役割を果たしているのだが、即位式も慶事であるから喪が明けてからということになった。
結婚すれば、プラセポリ公は王になるのではなく、王の配偶者、王配になる。
プラセポリ公コンラルは幼いころから何度かこの城に来ており、姫様と許嫁である前に幼馴染だった。「フェリーナ」「コンラル」と呼び合っていた。さて、それで仲が良かったかというと、よくわからない。喧嘩をしたところは一度も見たことがないのだが、仲睦まじい様子も見た記憶が無い。もっとも夫婦というのは、夫婦であるべく過ごしていればそれらしくなっていくものだから、執事として見ていた私はお二人の関係を心配してはいなかった。
プラセポリ公は姫様と同じく兄弟がおらず、御両親もすでに亡くなられている。お二人ともお寂しいことになっていたので、良いご縁談ではないかと勝手に思っていた。
姫様らしく話しかけてみた。
「コンラルは賊を一人、倒したそうだな」
「ああ、この王宮の北の庭を踏みつけて来たものでね。思わず怒りに震えてしまったよ」
庭園のためか。
「せっかくの白薔薇に血が飛び散ってしまったのは残念だったね」
賊とはいえ人の命よりも薔薇か。こんな人と私は結婚するのか。
「そう言えば、執事殿が亡くなったそうだね」
ぎくり、とした。私のことをどう話すつもりだろう。
「残念だな。前々王から仕えていたのだったか。その頃はよく知らないが前王がいた頃は前王の影、前王が亡くなってからは君の影だった。忠義に篤いのは間違いないが、鋭いのかぼんやりしているのかわからない。ただ、いなくなってみると、あるべきものが失われたという気がする」
自分について評されているのを聞くのは、なかなか平常心ではいられなかった。私は彼から目をそらした。
その時だった。頬にひんやりしたものが触れた。プラセポリ公はいつの間にか私のすぐそばに歩み寄り、その左手で私の右ほおを撫でていたのだ。
「!」
魔法でも使ったのか。違う。私が顔をそむけた瞬間に、その視界の外から私の至近距離まで気配を消して入り込んだのだ。
「影がいなければ、君も寂しかろう。でもわたしがいるよ」
動揺した私は、次の瞬間、唇を奪われてしまった。
「今日のフェリーナは隙だらけだな。どうしたんだい。まるでお姫様の姿をした、うろのある木のようだ」
「くっ!」
私は思わずプラセポリ公を突き飛ばし、唇を手の甲で拭った。
「おやおや、婚約者に対してずいぶんじゃないか。いとしのフェリーナ」
しまった、のか。姫様はこの男に普段はどう接していたのだろう。
「まあ、正式な結婚までは肌も触らせない、という君らしいかな」
私の咄嗟の対応は、それほど間違ってはいなかったようだ。だが、婚約者に対してそれでいいのか、という気もする。あと何日かで結婚するのだ。親しく手ぐらい握っていても不思議はない。
「さて、影を亡くして不機嫌な姫様からは退散するとしよう。結婚式までには機嫌を直してくれよ」
私はひとり残された。唇には先ほどの接吻の感触が残っていた。女の体で男性と接したことで、胸が早鐘のように鳴っていた。
いや、これは胸の高鳴りとか、ときめきとかいうものではないか。
コンラルはすらりとして背が高く、目鼻立ちがはっきりとした美男子だ。私は黙って見送り、立ち去る彼の背中をただ見つめていた。この動揺が何に起因するものか、はっきりさせようという勇気は無かった。
私は姫様の体をした執事なのだろうか。
それとも執事の記憶を持つ、ひとりの女なのだろうか。
夕刻になり、動揺が収まった頃、セルリがやってきた。目が真っ赤だ。父が突然亡くなって泣いていたのだろう。
「執事が亡くなったのは残念だった。私のせいだ。すまなかったな」
セルリは驚いた顔をした。
「勿体ないお言葉。父は忠義者です。姫様のお役に立てて本望でしょう」
気丈だ。
「明日は葬儀か。顔を出したいところだが」
「いいえ。それはもったいのうございます」
前述したが王家の者が下々の葬儀に出ることはまずない。毎日そばで働いていた者であってもだ。貴人は好きに生きていけるようで、全然そうではない。
「セルリはこれからどうする」
「王宮に置いていただければ」
セルリが十歳の時、私の妻は流行り病で亡くなった。セルリは母を亡くして難しい年ごろに差し掛かっていたが、王宮のなかで女官たちや飯炊き女、お針子たちに囲まれて育った。朝の湯浴みで私は女官から月のものの話をされたが、その種の話を娘としたことはない。王宮の女たちにそうしたことを教わっていたのだろう。
現在セルリは、王宮の人々の中で情報を伝える連絡人のような仕事をしている。来客を知らせたり、姫様の支度が終わって食卓に行くまで、これこれの時間がかかります、などと伝える仕事だ。
「王宮に留まるなら、父の跡を継いでもらいたい」
「え? 執事をですか。わたくしは女ですが」
執事は代々男性が務めている。
「父の仕事はよく存じておろう。それに宮廷内の人々をそなたはよく知っておる。もっとも執事にふさわしい」
「わかりました。全力を尽くします」
「それでは執事の初仕事だが」
昨日のこともある。宮廷内はどこに間者がいるかわからない。わたしは黙って指で字を宙に書いた。
(ハト?)
セルリは口をそう動かした。
「探してもらいたい」
ハト、とは伝書鳩のハトだ。この宮廷内の情報を外に伝える鳩。昨日の一件は宮廷内のどこかに内通者がいることを示唆している。
「心得ました」
セルリは去った。
セルリを執事にした理由はもうひとつある。信頼できる人間が一人そばに欲しい。自分の娘ほど信頼のおける者は他にいないのだ。
夜になり、私は姫様の寝室に戻ってきた。考えてみれば朝食昼食夕食の時間もあった筈なのだが、何を食べたのか全く覚えていない。目の前にいた人が誰で何をどう話せばいいのか、そればかりを考えた一日だった。
もう疲れ切っていたが、昨日のこともある。万が一のために姫様の形見の短剣を寝台の隙間に、長剣を寝台の下に置いた。姫様も部屋のどこかに長剣を隠していたのだろう。だからこそ昨日咄嗟の時にあれだけの立ち回りが出来たのだ。
夜、私は泥のように眠った。それこそ、自分が泥なのか人間なのかもわからないほどだった。
翌日、朝の湯浴みの後、私はひとりで過ごすと言って人払いをした。婚礼まであと三日だが、来客の予定もなかった。この日は前執事、つまり私、という言い方も変だがその葬儀がある。セルリもこちらには来られまい。警護の者とドレスを直すお針子達、少数の料理人と給仕を残してみなその葬儀に行った。さて、私はそれほど惜しまれていたのかな、などと思う。
私は姫様の部屋で片っ端から探し物をした。姫様、数日後には女王様として生きていかなければならない私にとって、少しでも知識を得たかった。姫様が隠していたものなら申し訳がないが、日記でもありはしないかと願っていた。
見つけたのは、紙を紐で綴じた一冊の手作りの本だった。中を見ると見覚えのある字だ。前王が書かれた魔法の解説書だった。姫様、つまり娘のために書き残したものだろう。早速読んでみた。
「魔法が使えることで王家の者は尊敬され国を束ねることが出来た。中の国の王家と魔法は切っても切れない関係にある」
と、冒頭にある。中の国とは、この王国のことだ。興味を持って私は読み進めた。
「人を殺す魔法はない。人の寿命は神が定めるものであって、魔法で縮めることはできない」
なるほど、魔法は残酷な悪魔の技ではないのだ。と思ったら、その続きには、
「人を殺めるならば、剣で刺すなり毒を飲ませるなり、他にいくらでも手段がある」
とあった。前王は娘にはことのほか優しく、私のような家来には慈悲深い人であった。だが、敵に対しては冷酷なところがあった。そうしたことを思い出した。
本を開くと、まず魔法がかかるところを強く信じることとあった。次に魔法は手で印を結ぶと同時に魔法の名を称することで成る、と書いてあった。そう言えば、姫様が亡くなる直前にも、指を妙な形にして手を合わせると同時に何かを言っていた。もっとも姫様は息も絶え絶えだったから、あの時は何と言っているのかわからなかった。
重要なのは印を結んで名を称するその形式ではなく、自分の気を籠めて対象に当てることである。印も名もその気の形を変え方向性を定める程度の意味しかない、という。
それではその「気」とは何か。説明はなかった。王家の者なら説明が無くとも理解できるのだろうか。
紙をめくっていくと、様々な魔法とそれに対する印の結び方が書いてあった。物を浮かせる魔法、持っているものを取り落とさせる魔法、足止めをする魔法、気配を消す魔法、魔法を打ち返す魔法、霧が出たかのように幻惑する魔法、魔法が使われたかどうかを調べる魔法。
いくつか印を結んで試してみた。私がやっても何も起きない。
本を読むほうに戻った。後ろに行くほど難しい魔法になるようだ。そろそろ最後に近づいてきた、という所で、人と入れ替わる魔法があった。「転身」と魔法の名があり、印が書かれていた。そうだ、確かにあの時姫様は指をこの書の図の、鳴いている蛙のように組んでいた。
その魔法の説明には、死人と入れ替わることは出来ない、とあった。また、人が亡くなるときは魂も傷つきあるいは病に侵される。だから死んでいく魂をこの魔法で救うことは出来ない、ともあった。なるほど、だから私は姫様の体になり、魂が亡くなりつつあった姫様は私の体で亡くなったのか。
ふと、前王が病で亡くなった時のことを思い出した。姫様は自分が代わりになりますと取りすがって泣いていた。それをあやすように、魔法でもそれは出来ないことだ、と前王は諭していた。
「転身」の部分まで読み終えると、私は魔法を試したくなった。
最初に書いてあった、物を浮かせる魔法を試してみた。一枚の紙を机の上に置き、印を結んで魔法の名を称する。
「「浮上!」」
ぴくりとも動かない。やはり、「気」がわからないとどうしようもない。
手から何かを出すような感じなのだろうか。目を閉じて、手に何かを集めるような気持ちになってみる。
「「浮上!」」
おや、紙の端が少し動いたような気がする。
「「浮上!」」
いや、やはり動かない。さっきのは気のせいだったか。部屋の中でも多少の空気の動きはある。いや、もっと大きな気を集めたつもりでやってみよう。
「「浮上!」」
やはり少しばかり端が動いている。俄然、元気が出てきた。私はいま、姫様の体なのだ。姫様と同じことが出来てもよい筈だ。
「「浮上!」」
動いた。間違いない。
腕から気を出すことよりも、体の中に自分の気を集めることに集中したほうが良いらしい。どこに集めるのか。いろいろ試してみた。腕ではない。頭のほうが良い。いや、胸のほうがいいか。
結局、腹の下側が一番良いとわかった。
「「浮上!」」
ついに紙が一寸ばかり浮いて、落ちた。
気が付くと夜も更けていた。その日も三度の食事をしたのは覚えていたが、何を食べたのかはまったく意識の外だった。その夜もまた、泥のように眠った。
翌朝、湯浴みのあと、セルリが待っていた。黒い服を着ていた。
「父の喪中ですので」
「葬儀はどうであった」
「大勢のかたに来ていただきました。口々に、父を惜しんでおりました」
執事は姫様を助けるために身代わりになった、ということになっている。それに合った追悼の言葉を述べねばなるまい。
「そうか。執事は私にとっても命の恩人だ。亡くなったのは無念だ」
「もったいのうございます」
セルリの顔は一昨日と違って軽やかだった。もう心の整理がついたのだろう。その顔は亡くなった妻に似ている。妻との間には二十年近くも子が出来なかった。セルリが生まれた時はことのほか嬉しかったものだ。そのセルリは、年齢が姫様とそう変わらない。執事をやらせるよりも、嫁に行かせる算段をつけたほうが本人のためには良いのかもしれない。
「執事になれと言ったが、それで良かったのかな」
「父の後を継げて嬉しく思います。それに父を知るたくさんのかたが、それは良い、と喜んでくれました」
「そうか」
「それで……の話ですが」
……の所で声を出さずにセルリはハトと口を動かした。
「もう何かわかったのか」
「葬儀でたくさんの人がいらしたので、かえって尋ねやすかったです」
いや、そんな筈はない。葬儀には人が集まる。右に左にごった返していただろう。その中で必要な情報を得たというのなら、セルリは私が思う以上に優秀なのかもしれない。
「賊は短剣を何本も父に投げつけていました。そのうちのいくつかは腕をかすめただけでしたが、背中に受けたものが致命傷になりました」
その姿は私も記憶にある。
「その短剣ですが、我が中の国のものではなく、東の国のものです。刀工は国ごとに違いますから」
なるほど、やはり東の国か。
「それから脅かし玉が南の城壁で使われた以上、その時、城の北側にいた者が怪しいと思われます」
「その時、北側にいたのは誰だ」
「警護の近衛兵が二人、庭番が一人、それからプラセポリ公です」
プラセポリ公か。花と月を愛でていた、という。
「近衛兵は通常そこに五人配置しておりますが、驚かし玉に引っかかり号令がかかったため二人に減っていました。二人では王宮の城壁を漏れなく見ることは出来ません。その隙に賊はハトに導かれて壁を越え、城内に忍び込んだと思われます」
それが本当なら賊とハトは綿密な打ち合わせを前もって行っていたことになる。
「庭番は?」
「脅かし玉におののいて、小屋の中で震えていたそうです」
庭番のことはよく知っている。小男で気が弱い。ハトなど出来そうな気がしない。
「となるとコンラルが怪しいのか。疑いたくはない。明後日には彼と結婚式だ」
果たして、姫と結婚して王配になろうという者が中の国を裏切るだろうか。
「それにコンラルは賊を一人切り殺したと言うではないか」
「そう言えばプラセポリ公を昨日お見掛けしました」
執事の葬式に来ていたというのか。公も王族だ。一般に下々の葬儀に出ることは無い。
「葬儀の最後、夕刻に父の棺を土に埋めました。その様子を遠くから見ておられました」
どういうことだろう。プラセポリ公を執事として特にお世話した記憶もないのだが。
「また新しいことがわかりましたらお知らせいたします」
そこで話は終わり、セルリは通常の執事の職務に就いた。
結婚式まであと二日と迫り、客人たちが表敬訪問に訪れてきた。
最初に来たのは羊の国の使者だった。羊の国は東の国のさらに東にある。こうした時には、遠いところほど用心して早めに出立するものだから、遠くの使者ほど早く着く。
「この度は、おめでとうございます。中の国の姫様」
「遠路はるばる来ていただいて有難く思います」
たいていの使者は執事の時に顔見知りだったから、どうにか対応できた。
「最近、羊の国はどうですか」
「気候が良く、羊が肥えております。毛並みもよろしい」
羊の国の使者はまず羊の話をする。肝心な話はその後だ。
「王も王子たちも息災です。ところで東の国、いや羊の国からは西の国ですが、このところ国境の兵が減っておりまして」
重大な情報だ。羊の国は、領土拡大の野心が高い東の国の圧迫を常に受けている。その圧迫が緩んでいるというのか。
「中の国ではいかがでしたか」
「こちらは一時的に国境で東の国の兵が増えたようです。こちらのほうに回してきたということでしょうか」
「なるほど」
「ところで使者殿が東の国を抜けるのに、問題はありませんでしたか」
「東の国の国境は厳重でございました。ですが羊の国の王の文書を携えて、中の国の慶事であるから、と言えばどうにか通れました」
公式の使者を通さねば、宣戦布告と同等とみなされる。そうなっては大ごとだ。
「こうした国境の兵に関したお話などは、慶事に限らずしていきたいものですね」
「姫様の仰る通りです。例えば長期に滞在する使者というものがあっても良い、と羊の国の王は申しております」
「良き案です。こちらもそうした長期の使者を出しましょう。一年交代ぐらいで考えましょう」
「今日は良い話ができました。中の国の姫様にも羊が共にあらんことを」
羊の国の使者の話は、必ず羊で終わるのだった。
北の氷の国、西の砂の国、南の海の国の使者も来た。それぞれと歓談した。姫様らしく振舞えたか自信は無い。ともかく、懸命に姫を演じた。
午後になって東の国の使者も来た。太めの中年男だ。
「姫様にはご機嫌うるわしゅう」
相手が東の国とあっては、機嫌などうるわしくない。
「おや、執事が変わりましたかな」
「先日賊が入り込みまして。私のために身を挺して残念なことになりました」
「亡くなられたのですか。それは御不幸なことでございました」
さて、彼は賊の件についてどれほどのことを知っているのだろう。だが仮に知っていたとして、聞いてもシラを切るだけだろう。
「東の国の王は息災ですか」
「はい。着飾った姫様はどれだけ美しかろう。この目で見たいものだ、と仰っておりました」
「それなら王様自ら来ていただければ良かったのに。歓待いたしましたよ」
「あいにく我が王はお忙しく」
「それは兵の移動が大変だからですか」
使者は少しばかり目を見開いた。驚いたような顔だ。
「いえいえ、なぜにそのような」
「東の国境で兵が増えていた、という話を聞いております」
「まさかまさか。それは中の国が栄えていらっしゃるから、国の境で見物人が増えたのでございましょう」
この狸親父が。
「なるほど。しかし東の国もますます栄えましょうから、こちらの見物人も増えるかもしれませんね。何か面倒なことがなければよろしいのですが」
「そうですな。国境はお互い穏やかな場所にしたいものです」
「そうそう。国境で人が集まれば何かを売ってやろうと商売人も訪れるでしょう。交易がますます盛んになるのではありませんか」
「ごもっともです」
「交易と言えば、東の国には優秀な刀工がいるそうですね。ぜひ剣を売っていただきたいものです」
「いえいえ」
使者はどう答えようかと思案しているようだった。
「中の国に比べれば児戯のようなものでございますよ」
「それは残念です」
「もちろん、交易に反対するものではありません」
「それでは無駄に国境を厳重にするものでもない、とお思いではありませんか」
「もちろん我が国は、お互いの国の幸せとこれからの友好に力を尽くしていきたいと思っております」
「そう言えばコンラルには会いましたか」
なにげなく聞いてみた。さて、東の国とプラセポリ公の間には何か関係があるのだろうか。
「もちろん、結婚式の一方の主役ですからな。お会いしたかったのですが、まだお見掛けしてはおりません」
昨日は私が人払いをしたから、プラセポリ公は顔を出さなかったのかもしれない。だが今日も公は顔を出していない。昼に聞いた限りでは、今日の午前中には北の庭でも見かけなかったという。
「明後日には結婚式ですから、コンラルにはそこで会えるでしょう」
「そうですね。我が国はお二人の将来に幸多かれと祈っておりますよ」
使者が去ってから、
「この狸めが」
と呟いた。そばに執事として控えていたセルリが微笑みながら言った。
「姫様もなかなかでございました」
他国の使者が来た場合、王族がともに会食をすることもある。しかし二日後に結婚式を控えており、家来たちはその準備で忙しい。それぞれの使者には式での会食を愉しみに、今宵はお泊りの宿でごゆるりと過ごされよと告げておいた。そのごゆるりと使者が過ごしている所に、中の国の大臣が訪ねていく。これは重要な外交である。
というわけで夕食は私一人だった。姫様の姿になってからようやく私も食事を楽しむ余裕が出来た。だが姫様は下々の者とは食事をともになさらぬ。せっかくの晩餐だが、寂しい食卓だった。プラセポリ公を見かけたら声をかけようと思っていたのだが、この日は家来の誰も彼の姿を見かけなかったという。
夕食は麦のパン、蒸した鶏と野菜の煮物だった。私は貧しい田舎の出身で、豆と雑穀ばかり食べて育った。王宮で働くようになって鳥や獣の肉を初めて食べた時には、こんな旨いものがあるのかと思ったものだ。
しかし、慣れてみれば贅を尽くした食卓ではない。王宮で飼っている鶏と王宮内で耕している畑の麦と野菜だから自給自足だ。前王は自ら畑に鍬を入れることもあった。王族とはいえ普段は質素なものだ。
さらに一人の寂しい食事だ。姫様は前王が亡くなられてから毎日このような思いをしてきたのか。
それならば案外、プラセポリ公との婚姻を姫様は心待ちにしていたのかもしれぬ。そうした姫様の思いを、執事の私は尋ねたことが無かった。差し出がましいと思っていたのだ。今思えば、聞いておくのだった。
寝室に戻ってから、また魔法に取り組んでみた。正直、昨日紙が浮くところまで行ったので、続きをやりたくて仕方がなかったのだ。
「「浮上!」」
今夜始めた直後はなかなか浮かなかったのだが、次第に昨日の感覚を思い出してきた。少しばかり浮いて、落ちた。やる気が出てきた。
慌ててはいけない。まず気を臍の下にためる。気が溜まる感覚がわかる気がしてきた。
「「浮上!」」
今度は掌の長さぐらいまで上がった。気が溜まる感覚が少ないところで、浮上、と唱えてみた。浮いたが先ほどよりは低かった。やはりこの溜める感覚を操れば良いのだ。
「「浮上!」」
唱えると同時に、紙が上がっていくところを思い描いてみた。紙は机から目の高さまで上がった。魔法がかかるところを強く信じること、と本の最初のほうに書いてあった。なるほど、こういう意味か、と思った。
勢いよく紙が上がるところを想像しながら、目いっぱい気を溜めて、唱えた。
「「浮上!」」
紙は天井まで上がって、落ちて来なかった。
「浮上」の魔法が出来た以上、この本に書いてある他の魔法も出来るようになるはずと思った。
私は気が大きくなって、前王のまとめた本をめくった。昨夜は姫様に自分がかけられた「転身」の魔法のところで止めてその先は読まなかった。もっとも難しい魔法はなんだろうか。
最後に書かれているのは、「言写」の魔法だった。相手を傀儡とすることが出来るという。まず脅すなり拷問するなりして、相手に「あなたの奴隷になります」などと言わせる。その直後に「言写」の魔法をかける。すると相手は本当に、心の底から自分の奴隷になってしまう、という。
間違ってもこの魔法を自分の家来に使ってはならない、とも書いてあった。かけられた人は判断力を奪われてしまい、役に立たない家来になってしまうから、とある。
自分に出来るだろうか、と思ったが、印を結ぶのが複雑で難しい。姫様の華奢な小さな手では指の長さが微妙に足りない。といって自分が執事だった頃の武骨な手でも印を結べるとは思えなかった。実際、この魔法は興味本位で使えるものではないし、人が人で無くなるような魔法を使いたいとも思わなかった。
「浮上」で浮いた紙はまだ落ちて来なかった。魔法を本気で使うと疲れるようだ。私はそこまでで満足して眠った。紙は翌朝起きた時には落ちていた。
翌朝、湯浴みの後で下着を着た後、そのまま服を着ないで前に進んでください、と女官に言われた。なんのことかと言う通りにしたら、白のドレスが立ててあった。賊に入られた日に姫様が着ていて血を浴びた服だ。
(直してしまったのか)
「姫様、出来ました。お喜びください」
お針子が誇らしげに言った。全然喜べなかった。とはいえ、喜んだ振りぐらいはしなければいけないだろう。
「大儀であった」
ドレスが出来てしまった以上、結婚式を行わなければならない。
「姫様、まずは」
着なければならない、か。下着姿のまま立っていると、目の前が白くなった。ドレスを何人かで持ち上げて上から被せられたのだ。それから何人かの女官とお針子がまとわりついて私をドレス姿にした。
執事は姫のドレスを着て、姫の身代わりで亡くなったということになっている。さて、執事と姫は二人だけでどうやって服を取り換えたというのだろう。誰もそこを疑問に思わないのだろうか。
「腰が少々緩うございますね。明日までに直しますから」
「ああ、もうこれで良いのに」
「姫様に寸法の合わぬ服をお着せしたのでは針子の沽券にかかわります。直させてください」
明後日までかかってもいいぞ、と言おうとしたが、それは自重した。
「姫様、歩いて下さいまし」
歩くとドレスの裾が翻った。
「ああ、以前にお教えしましたのに。階段も楽に上がれるように裾の丈が短いのです。歩幅を狭くして歩いて下さい」
お姫様というのは面倒くさいものだ。
その時、聞き覚えのある声が響いてきた。
「おお麗しのフェリーナ。なんと美しい」
プラセポリ公コンラルの声だった。
どきりとした。どうしても三日前に接吻されたことを思いだしてしまう。動揺する心を抑えて尋ねた。
「コンラル、しばらく顔を見ませんでしたが、どこにいらしたのか」
「わたしはかくれんぼが得意なんだ。幼い頃から知っていただろう、フェリーナ」
そんなことは知らない。
「図書の部屋にいただけだよ。この城にはプラセポリには無い貴重な本がたくさんあるからね。中の国の歴史を調べていた。この国の王配になるわけだからね」
本当かどうかは知らないが、なかなか良い言い訳だ。
「そのドレス、腰の白薔薇がとても似合っているじゃないか。わたしも鼻が高いよ」
そう言えばここに薔薇をあしらうのは、プラセポリ公の発案だったか。
「お針子さん、この薔薇を作るのには苦労したんじゃないのかい?」
ぐい、と体を乗り出して、公はお針子に問うた。
「い、いえ、あの、それは大変でしたが、お二人に喜んでいただけて何よりです」
お針子は突然顔を真っ赤にしてあたふたと答えた。どうも、プラセポリ公に迫られると平静でいられなくなるのは私だけではないらしい。
「その、あの、姫様のドレスを直したいのですが」
とりあえず、公には向こうを向いてもらって、平服に着替えた。
「明日には夫婦になるのだ。着替えを見せてもらっても良いのではないか」
「まだ夫婦になったわけではない」
脱いだドレスはお針子たちが持って行った。明日にはあれを来てこの男と結婚式をしなければならないのだ。
その日の午前中は、結婚式の打ち合わせをした。
式場設営や司会進行の係や料理長らと、プラセポリ公と執事のセルリを交えて詰めた話をした。
「ここでドレスを着た姫様が会場に入っていただく、と」
「その間、わたしはどこで待てばいいのだ」
「プラセポリ公はいったん柱の裏で隠れていたほうが、出てきたときに驚きがあってよろしいのではないかと」
実を言うと私が執事の時に、姫様の意を受けて設営係や進行役と何度も打ち合わせをしていた。だからほとんどの段取りは前もって知っていた。むしろ、初めて聞いたふりをするのが大変だった。
「よし、理解した。結婚式については、もう後は明日を待つだけだ」
内容にはコンラルも納得したようだ。
「それでは、フェリーナ。晩餐会で会おう。今夜、君と踊るのを楽しみにしているよ」
しまった。それをすっかり、忘れていた。
結婚式の前日には客人も揃う。結婚式の後の会食は形式ばったものだ。だが、前日の客人たちを招いた晩餐会は服装こそ礼服だが、もっと気軽に楽しむことを目的としている。
広間の中央を空けて、周囲にテーブルを置く。椅子のあるテーブルも、椅子のないテーブルもある。気軽に人と話したい人は立食で、落ち着きたい人は座って過ごす。飲みたい人は飲み、食べたい人は食べる。楽隊も入る。そこで踊りたい人たちは、楽隊の曲に合わせて中央で踊る。舞踏会も兼ねた催しだ。
姫様はプラセポリ公と踊るのには難色を示した。翌日の結婚式本番に備えて休みたいと仰られた。そこで私は、
「とんでもない。主役がいないのでは、盛り上がりません」
と主張した。
主役が出ずっぱりの必要はない。だが宴たけなわの頃にプラセポリ公と二人でお出でいただいて、一曲踊っていただきましょう。お客様もお喜びになるし、盛り上がりますぞ、と私は主張した。それを姫様はお受け入れなされた。
なんということを姫様に申し上げたことか。私自身が踊ることになるとも知らず。
私の馬鹿!
私は踊った経験がないわけではない。最初は、もう四十何年前になるか。前王が五歳くらいの頃だ。中の国は東の国との小競り合いに勝利し、国境の丘を得るという有利な講和を結んだ。姫様の祖父にあたる二代前の王は、国内の領主や重臣、主だった将を招いて戦勝祝いの晩餐会を催された。私が執事になって数年ほど経った頃だ。
晩餐会が終わり、お客様も帰られて、私は使用人たちと広間の片づけをしていた。それも終わりかけて、女性の使用人と私が二人で広間にいた。さて、テーブルらを直すのは明日にして今日は引き上げようか、と思った頃、その女性の使用人が言った。
「一度、ここで王女様のように踊ってみたいものです」
その時は、そんな女性もいるのだな、と思っただけだった。
「執事殿、一緒に踊っていただけませんこと?」
いきなり言われて慌てた。
「私はそもそも田舎の出で、踊ったことなどありません」
「あら、それでは教えて差し上げます」
基礎から教わった。
「姿勢が大事です。顎を引いて、背筋はまっすぐ、反り過ぎたかな、くらいでちょうどいいのです」
基本のステップ、拍子の合わせ方、腕の持ち方、体の回し方、女性の支え方。
「女は殿方に導いていただきませんと」
どれだけの時間がかかったことか。ともかく二人で一曲分を、どうにか通して踊ることができた。
「楽しゅうございました。ずっと子供の頃から、ここで踊ってみたかったんですの」
聞けばこの宮中の使用人の娘で、幼いころから宮中で育ったようなものだという。
その女性が、やがて私の妻になった。
妻とは結婚後、何度か踊る機会があった。宮中の広間とは言わなくても、宮中の使用人の間で何かの会を催すことはあったし、そうした時には妻と踊った。妻が望んだからだ。
しかしセルリが生まれてからはそうした機会も減った。さらに妻が亡くなり、およそ十年間はほとんど踊っていない。
しかも私は今、姫様なのだから、女性の側として踊らなければならない。それは練習したことがない。
さて、女性はどんなステップを踏んで、どんな風に回って、どういう姿勢を取るものであったろうか。
午後は客の対応をしなければならなかった。領主たち、各地の直轄領にいる重臣、何人かの将軍。主として王国の領内から呼んだお客様だ。
その客たちを前にして、どうかすると私は頭の中が踊ることで一杯になってしまって、気もそぞろだった。
「姫様!」
セルリの声で我に返ることもしばしばだった。
「姫様は御結婚を前にして浮ついておられるようだ」
そんな声が聞こえてきたが、こちらはそれどころではない。
「コンラルはどこです。お客様のお相手をするつもりはないのですか」
思わず愚痴をこぼした。本音は彼と練習をしてみたかった。
「人をやって調べてみましょう」
セルリが調べてくれた。
「やはり図書の部屋にいるようです」
「来る気はないのか」
「まだ夫婦になったわけではない。そうした仕事は王配になってからだ、だそうです」
腹が立ったが、ここは動けない。姫様の務めを放り出すわけにもいかぬ。
うわの空でお客様を次々に迎えていると、夕刻にケンタス侯爵が来た。彼は前王の弟にあたる。
「叔父様、お久しぶりです」
ケンタス候は父親のいない姫様の、結婚式の付き添い人であると同時に、女王になる姫様の公証人の役割も果たすことになっていた。
「フェリーナ、美しくなったな。兄が見たらどれほど喜ぶだろう」
確かに姫様はお美しいですな、と中身の執事は思う。姫様の顔は自分の顔であって自分の顔ではない。だからほめられても別に嬉しくない。
「それに結婚式を控えて、なにか、変わったな。以前は誰かが下手なことを言えば空気が切り裂かれるような気性だった。だが雰囲気が柔らかくなったというか、まろやかになったというか」
若干、焦った。変わった、などと言われると、中身が執事であることが悟られたのかと疑ってしまう。
「まろやか、では、妻としては良くても、女王としては困りますまいか」
「は、は、は。どんなにまろやかでも、私よりはよほどフェリーナのほうが王として適しておろうよ。それは疑いもない」
かつて前王は王子がおらぬ、とお嘆きであった。内心国王を弟のケンタス候に継いでもらおうかという心持ちもあったらしい。その時、ケンタス候はフェリーナに婿を取らせて女王とすればよい、と助言した。
ケンタス候にはそもそも自分が王になろうという野心はなかった。王宮の近在に小さな領土のあった、子供のいないケンタス家の養子に入った。その侯爵家は前王の弟にしては格下だったが、そんなことには意を介さなかった。
実際、ケンタス候は気持ちのよい親しみやすい御仁だ。だが威厳に欠けるところがある。外交など、皆々のよろしいように、という言葉以外は言いそうにない。王家に伝わる魔法も不得手だと聞いている。私も傍から見ていて、姫様のほうが王にふさわしいのではないか、と思っていた。
「ところでコンラルはどうした?」
「図書の部屋におります」
「そうか。コンラルは昔、ケンタス候のように気軽に暮らすことが私にはできません、と言ったことがあってな。式を前にどんな気持ちか聞いてみたかったのだ」
それは初耳だった。
姫様に婿をと勧めたのはケンタス候だが、プラセポリ公を婿に選んだのは前王だ。公はこの縁談をどんな気持ちで受けたのだろうか。
ケンタス候との応対を最後に、私は自室に下がった。
一人で踊ってみた。小声で歌いながら、ああなって、こうして、と踊る姿は、もし傍から見たら滑稽だっただろう。
「男の時は、確か、こう腰に手を添えているわけだから、女の場合は、と」
時々、どうしても踊る動きが中断する。
「お客様が広間に集まっています。ケンタス候の挨拶で晩餐会を始めるところです。そろそろ準備に入ります」
セルリが呼びに来た。一人の時間はあまりにも短かった。
舞踏会用のドレスを着せてもらう。このドレスは結婚式のものとは違う。黄色を主体とした柄物で、丈は長いが足が絡まないように裾が容易に広がるつくりになっている。
ドレスを着て広間の前室に行くと、正装したプラセポリ公が待っていた。
さて、このプラセポリ公が姫様と踊るのはいつ以来であろうか。姫様はお小さいころは踊るのが好きで、プラセポリ公など似たような年齢の子供がいるとよく一緒に踊っていた。その頃は母親の王女様もお元気で、目を細めて姫様を見ていらしたのを覚えている。
姫様が娘らしく成長してからは、父親の前王と踊ったこともあるしケンタス候と踊ったこともある。ただ、プラセポリ公と踊っている所は見た記憶が無い。私のいないところで踊っていたことがなければ、かなり久しぶりの筈だ。
そのプラセポリ公の横に並んだ。ふと、妻の言葉を思い出した。
(女は殿方に導いていただきませんと)
「一曲、コンラルに導いてもらおう」
プラセポリ公は少し驚いた顔をしたが、頷いて言った。
「まかせてくれたまえ」
「曲は何になさいますか」
「仮面の舞曲」
妻と初めて踊った曲だ。
二人で広間に入っていくと、喧騒が止んだ。広間の中央にいた人々が、波が引くように隅のほうへと退いていった。プラセポリ公と私は、その中央に歩み出た。
楽隊が旋律を奏でた。
プラセポリ公の右手に自分の左手を合わせて伸ばし、公が私の腰に手を置くのに合わせて彼の肩に手を置いた。公が進む方向に顔を向けて同じように進み、腕を離されれば体を回して受け止めてもらった。公が腰を下げれば自分も下げてポーズを取った。
途中、二度ほどプラセポリ公の足を踏んでしまった。公は顔色一つ変えなかった。顔を近づけた時に、笑って、と囁かれた。それからは努めてにこやかな顔を作ろうとした。
仮面の舞曲は、最後に女が回りながら男の胸に飛び込む。そして女が体を反らせながら腕を伸ばしてポーズを取り、男は女を左手一本で支えながら右手でポーズを取って終わる。
私はプラセポリ公の体に回転しながら飛び込み、彼を信頼して思いっきり体をのけ反らせて真上を向いた。プラセポリ公は私を力強く受け止め、私の体を支えながらポーズを取った。曲が終わった。
広間に拍手が鳴り響いた。
プラセポリ公が私を見下ろしていた。彼の顔を見て、美しいと思った。思い返せば、男性の顔の美しさなど気にしたことはなかった。だがこの時、彼の美しさを好ましいと思った。顔だけではない。私を受け止めている、大きくて細長い手までも美しいと思った。その腕と胸板に私は抱かれていた。男の腕とは、胸とは、これほど逞しいものだっただろうか。
公の顔を見つめていると、その顔が自分に迫ってきた。また、接吻された。いつの間にか両腕で抱きしめられながら、接吻は長く続いた。
先ほど以上の、万雷の拍手が広間に響き渡った。
拍手の中で、プラセポリ公と並んで礼をしたのは覚えている。それが貴婦人にふさわしい礼だったかは覚えていない。
それからプラセポリ公と何か言い交しただろうか。それにいつドレスを脱いだのかも忘れた。
ともかく、一人になった私は、姫様の寝室に戻ってきた。
寝台に横になっても興奮は去らなかった。
プラセポリ公に体を預けた時、そして口づけした唇。その感触が、脳裏から去らなかった。
女の身になってみると、男とはなんと圧倒的な肉体を持つ生き物であろうか。
そして間近で見上げたプラセポリ公の顔。私を抱きしめた逞しい体。
眠れるわけがなかった。
私の手は、姫様の、いや、自分の秘所に伸びていった。
その部分、洞穴の周囲を自分の指でなぞってみた。目では見ていなくとも、疑いなく女の秘所であった。姫様にも、女の情欲の住処があったのだ。
そっと指を中に差し入れてみた。
(痛っ)
姫様はまだおとめであるらしい。
だがその中からは、とめどなく蜜があふれ出てくる。
(この中に、明日の夜、プラセポリ公のものが入ってくる)
それは恐ろしい想像だったが、恐ろしいだけでもなかった。待ち受けているとでもいったような。
私の指が、豆のようなものを探し当てた。
何十年か昔、この部分を撫で摩りすると、妻が悦んでいたことを思い出した。
上から指の腹で撫でてみた。
(う、おっ)
軽く撫でただけなのに敏感だ。小さなものなのに。男のものを右手で握りしめ、左手で上のほうを掌で強く撫でまわしたような感覚に陥った。
撫で続けてみた。普段以上に内またになり、思わず身をよじった。
(あ、あっ)
なにか切ないような気持ちが高まった。だが、その気持ちが続くばかりで先に進まない。まだなにか足りない。
妻は私がどうした時に一番悦んでいただろうか。
わりと乱暴に扱っても良かったような気がする。中指をすこし下に差し入れて、くいっと跳ね上げてみた。
(うおっ)
こ、これはたまらぬ。
私は中指の動きを続けた。その昔、妻を悦ばせていたときを思い出しながら。だが、この体は姫様の体だ。私が姫様を悦ばせているのではないか。
(許されぬことだ。一介の執事が姫様を、などと)
だが、私が姫様の体を弄んでいることは変わらぬ。そして悦んでいるのは私自身でもある。
(おお、姫様。姫様の体は、なんと)
蜜は絶え間なく流れ出し、単調な私の中指の動きは姫様の体の悦びを私に伝え続ける。
(指が、もはや、止められぬ)
空いた左の掌を右の胸のふくらみにあてがった。姫様の、寝ていても豊かな盛り上がりの感触が伝わる。
(これが姫様の胸。姫様の乳首)
頭が、体が、何かに包まれるような、感覚がしてきた。
(あ、声が)
声を出してはならぬ。姫様に何かしら所用がある時のために、隣の部屋では女官が代わり番で詰めている。そのさらに隣には、先日賊に入られて以来、警護の者がこれも代わり番で詰めている。大きな声を上げれば警護の者に聞かれるし、小声でも女官に悟られる。
私は身をよじってうつぶせになり、枕に口を押し当てた。それでも指の動きを止めることはなかった。止められないのだ。ここでもし手をつかまれ指を止められたら、私は狂乱していたかもしれぬ。だが、指を動かし続けることで、別の狂乱が訪れようとしていた。
(これが姫様の指、姫様の胸、姫様の秘所。これが、姫様の体)
何かに包まれる感覚はますますつよくなっていった。そしてどこかに連れていかれるような。体中が真っ白いものになっていくような。
(ああ、私はどうなってしまうのか)
耳を澄まして何も聞こえぬような、目を開けて目の見えぬような、得体のしれぬ感覚が襲ってきた。
そして私は、何かに包まれて、どこかに連れていかれて、真っ白いものになっていった。
(あ、あ、あっ)
全てが止まった。少しばかり意識が無くなっていたらしい。なにがこの体に起こったのだろう。これが気をやる、ということか。
(これが姫様のお体、か)
私は驚愕に震えた。
かつて妻は私と夜ごとに睦みあったものだ。しかし、妻が私のものを堪能し達するようになるまでには、いささかの月日が必要だった。
それに私は妻と、夜の一人の愉しみについて、あけすけに語り合ったことがある。妻は、女は男のように単純ではありませぬ、と言った。殿方は女の裸を頭に思い浮かべて、殿方のものを動かせば簡単に達せるのでしょう。しかし女は殿方の裸を思い浮かべて自ら慰めても、そうそう達したりは致しませぬ。もしや出来たとしても、体が達するよう慣れるまでには多少の月日がかかります、と言っていた。
それが真実なら、この姫様のお体はどうか。
私は生まれた時から姫様を存じ上げている。月日が経ち娘らしく成長されたが、そのお顔には今も幼な子のあどけなさが残っている。それに姫様は、女が男と夜に営むことについて、私に少しでもほのめかすことはなかった。
だから私は、姫様に縁談があったときも、姫様がやがて男の人に抱かれるということが信じられずにいた。姫様に女の秘所があることすら信じがたかったのだ。
ところが。
妻の話が本当なら、このお体を姫様が自らお慰めしたのは、今日の私の指が初めてではあるまい。姫様は、あのあどけないお顔で、いったい何度ご自分をお慰めしていたことだろう。
姫様は寝衣の薄衣の下で、これほどまでに淫らな体をお隠しになっていたのだ。
朝が来た。結婚式兼即位式の日だ。
昨夜の愉しみは頭から追い出した。それどころではない。あまり眠れなかったが、それだけに緊張感は高まってきた。
湯浴みの時も、普段は女官たちが姦しいのだが、この日に限っては静かだった。彼女たちも緊張しているのだ。
湯浴みが終わると、
「化粧をいたします」
と言われた。鏡を前にして座っていると、すべて女官がやってくれた。眉には墨を、唇には紅を塗られた。まだあどけない姫様が魅力的な大人の女に変わっていった。
化粧が終わるとドレスを着せられた。お針子の直したドレスは昨日よりも体に合っている気がした。
一回りしてみた。ふわりと裾が舞い上がる。
「お美しゅうございます、姫様」
口々に褒め称えられた。
「このお姿を、ひと目、前王様に……」
泣き出した古株の女官がいた。
「私を泣かせるでない。化粧が無駄になる」
その女官は目じりを拭いて無理にほほ笑んだ。亡くなった前王のことを思えば私も泣きそうだったが、危うく踏みとどまった。
結婚式と即位式は階段のある吹き抜けの間で行われた。
客は階段の前で並び、椅子に座って待った。階段を仰ぎ見る形になる。階段の両脇には柱がある。階段の最上部が二階部分になっている。そこに玉座がある。階段と玉座の下には赤い絨毯が敷かれている。打ち合わせの通りだ。
私はケンタス候に導かれて階段を上った。前に女官が言ったように、ドレスの丈が少し短くなっているのは、この階段を楽に上れるようにするためだ。
ここでのケンタス候の役目は、親のいない姫様の父親代わりである。
階段の最上部まで上ると、柱の陰からプラセポリ公が現れた。結婚式とは、父親の庇護下にあった娘を、一人の男性に引き渡す儀式である。
若い二人が見つめあった。ここからケンタス候の役割は公証人に変わる。
「死が二人を分かつまで、ともに支えあうことを誓いますか」
ケンタス候が問う。プラセポリ公も私も、誓います、と答えた。
指輪の交換をした。その次に接吻。プラセポリ公との接吻は何度目だろうか。
接吻ののち、ケンタス候が、二人の結婚が成立したことを宣言した。
宣言の後、プラセポリ公とケンタス候は二歩下がった。ここからは女王の即位式である。
下から見て、右手から神官が現れた。王冠を手にしている。神官の手で、その王冠は私の頭に乗せられた。
次に将軍が現れた。長剣を手にしている。恭しく差し出されたその剣を私は手にした。
最後に大臣が現れた。紫色の外套を手にしている。大臣はその外套を私に羽織らせた。
王冠は王が神に選ばれた人であることを示す。長剣は軍を統率することを表す。そして外套は政(まつりごと)の長であることの象徴だ。
神に選ばれた人が軍を統べり政を行う。これが王たる者だ。
「わたくし、フェリーナは、中の国の女王であることを宣言する」
外国から来た客人は拍手し、国内の客人は深く礼をし、軍人は敬礼をした。
私は玉座に座り、片手を差し出した。プラセポリ公が片膝をついてその手の甲に接吻した。次にケンタス候が同じように手の甲に接吻した。
これは臣下の礼である。夫である王配も、女王の叔父も、この国の者はすべからく女王の臣下であることを示したのだ。
これから私は女王として生きる。亡くなった姫様にそれを託された以上、生涯をかけてそれを全うしていかなければならぬ。
式の後は広間に場所を移して会食だ。
私の右にプラセポリ公、左にケンタス候が座った。プラセポリ公の右には公の母方の伯父にあたる人物が座った。この四人が中央の奥に並んで位置し、客人たちは右に二列左に二列、並んで座った。
客人たちの配置については、基本的には大臣や執事たるセルリらにまかせた。ただ、隣国の使者同士が席も隣り合うことだけは避けるように指示した。隣り合った国は何かしらの軋轢を抱えていることが多く、不測の事態が起こることもある。それを避けたかった。
この会食は中の国の威信をかけたものでもあり、卓には酒と馳走が並んだ。姫様の姿になる前の私は、年寄りだったのでそれほど健啖ではなかった。だが姫様の姿になってみると、さらに小食になってしまった。酒も好きだったのだが、あまり美味いと思えなくなっていた。
卓上の馳走珍味を眺めていると、酒杯を干しながらそれらを次々に平らげていくプラセポリ公が羨ましくもあった。女性になってみれば、自分に出来ないことを男性が為している姿に憧れる、ということはある。
形式ばった会食だが、そこかしこで歓談がなされていた。例えば海の国の使者の隣に座った砂の国の使者は、
「貴公は海の幸と申されるが、砂漠には砂の幸がありましてな。砂地に住む巨大虫は体の中に脂と水を貯めておりましてとても美味しい」
などと、姿をあまり想像したくない生き物の話をしていた。
「酒で失敗した者には、羊を見習え、と言うのが我が国の習わしです。羊は酒を嗜みませんからな」
と話していたのは、もちろん羊の国の使者である。
会食は和やかに終わった。最後にケンタス候が、
「お二人に幸あれ」
と声をかけると、
「中の国に幸あれ」
と客人たちが唱和してくれた。良い気分になることができた。
会食も終わり、客人たちも去り、夕刻になって化粧を落とした。
鏡の中の自分の顔を見て、今朝となにか違っているような気がした。
「姫様」
「もう女王様ですよ」
「すみません、その、女王様になったからでしょうか。今朝のお顔からなにかお変わりになったような」
女官たちも口々にそんなことを言う。自分でも目の印象が柔らかくなったような、肌がしっとりとしてきたような気がする。
「式を終えたから、ほっとしたのだろう」
自分の感想を述べた。
「そうでしょうか。女王様となられてなにか気品が増したような」
「違うでしょう。奥様になられたからではありませんの」
「なるほど。人妻の落ち着きというものでしょうか」
女官たちは勝手なことを言う。
「これから公と二人きりですね」
「お愉しみになってください」
「こら、はしたないことをお言いでないの」
「あら、どう言えばよろしいんですの」
朝と違って、女官たちは緊張が解けたらしく姦しかった。私はというと、今朝とは違う緊張を感じてきた。これからプラセポリ公と夜を過ごすのだ。
夜になり、私の、というか姫様の寝室にプラセポリ公を招き入れた。女王になったのだから前王の部屋を使っても良い筈だったが、プラセポリ公が姫様の部屋を見たがっていた。
「おお、この部屋。懐かしい。入れてもらえるのは十何年ぶりかな、フェリーナ」
そんなことを言うので、話を合わせるのに苦労した。
「人形があった筈だが、どうしたかな」
「捨ててはいない。大切にしまってある」
それは姫様の言葉として記憶にあったから、答えることが出来た。
「二人きりになれて嬉しいよ」
笑いながらプラセポリ公が言った。その笑顔からは、嬉しいのか楽しいのか、それとも違う思いが混じっているのか読み取りにくかった。私は、というと少し顔を赤らめていたような気がする。
「これから二人で、この国を良くしていきたい」
私が言うと、プラセポリ公は笑顔を崩さずに答えた。
「そうだな。その前に、二人の関係を良くしていこう」
公の顔が迫ってきた。また、接吻された。
プラセポリ公は私と接吻をしながら、私の体をまさぐった。
(この男、女の扱いに慣れている)
背中やお尻を手の平で撫でられているのだが、そこに不快なものはなく、心地よく触れられているのだ。
(その手に体をゆだねてしまいたくなる)
唇を合わせながら、彼の手は私の後ろから前側のほうへ移動してきた。私はその時、ドレスから平服に着替えていた。その服のボタンがひとつずつ外されていくのがわかった。さらに彼の手は下へ伸びた。腰から下を覆っていた布が、パサリ、と床に落ちた。
唇が、唇から外れた。
「寝衣に、着替えないと」
「どうせ全部脱ぐのだ。着替える必要はない」
そんな言葉を聞くと、ますます、これからこの男に抱かれるのだ、という思いが強くなった。
プラセポリ公の唇が、今度は私の首筋を這いまわった。
「は、あ」
思わず声が出てしまった。
(この男、慣れているだけではない。女の扱いに長けている)
プラセポリ公の唇が私の首筋を這いまわっている間に、私は服を脱がされていった。肩が、胸が、あらわにされて、いつの間にか下着一枚になっていた。
すると公は唇を離して私の体を見下ろした。
私自身、今の私の裸をじっくり見たわけではない。その体を鑑賞されているのは恥ずかしかった。
「いつまで見ているのだ」
「そうだな。見ているだけではいけない」
プラセポリ公は片腕を私のわきの下に通し、もう片方の腕で私の膝の後ろをすくい上げた。つまり、抱っこされてしまった。
「軽いな。フェリーナは」
誰と比べているのだ、と思う。その思いはどこから出てきたものか。
私はプラセポリ公に運ばれ、寝台の上に横たえられた。
次に私の秘所を覆っているものに彼の手がかかった。
「待て」
「待たない」
下着が脱がされ、一糸纏わぬ姿になってしまった。
「なんという美しさだ、フェリーナ。この姿をひと目見たいとどれだけ願ってきたことか」
プラセポリ公が私の裸を見下ろしていた。いや、見ていたのは姫様の裸だ。自分の本来の裸ではない。とは思いつつも、見られることへの恥ずかしさがあった。私は顔をそむけ、乳房を左手で、秘所を右手で隠した。
「フェリーナにも恥じらいがあるのか」
笑うプラセポリ公が憎らしくもあった。そうしている間に今度はプラセポリ公が脱ぎ始めた。凶悪な肉棒がその下半身から現れた。
(恐い)
自分もついこの間まで持っていたものだ。だが女の、それも昨日この体がおとめであることを確かめた身であると、恐ろしさが先に立った。
(あれが、自分に入ってくる)
「怖がることはない」
自分の心が見透かされていたようだった。
プラセポリ公の体が、私の体の上に覆いかぶさってきた。横になりながら、体全体を抱きしめられながら、また接吻された。
女は男に抱かれる時、男が重くて苦しいのではないかと疑っていた。だが、それは心地よいものだった。
(なにか、暖かい気持ちがする)
自分の心持ちが自分でも意外だった。
プラセポリ公の唇は、私の唇を離れて首筋を下り、鎖骨を経て乳房に達した。公は私の右胸を舌で舐め唇で吸いながら、左の胸を手で揉みしだいた。
(女の胸なのだ。いまの私の胸は)
「美しくて柔らかくて大きい。素晴らしいな」
それは姫様の乳房なのだが、褒められて嬉しかった。
「あ、はっ」
乳首をせめられていると、つい声が出てしまう。
(これが感じる、ということなのか)
自分の秘所から蜜が漏れ始めているのがわかった。
プラセポリ公の右手は乳房を離れ、その秘所へと向かっていった。
「はうっ」
プラセポリ公が豆を弾くように指を動かしたので、思わず声が出てしまった。
「濡れやすいのだな。フェリーナは」
(だからそれは誰と比べているのだ)
私は認めざるを得なかった。この感情は嫉妬だ。そして、女というものは、男の何気ない言葉やさりげない動作から、男性の背後にいる自分以外の女性の姿を察してしまうものなのだ。
「痛っ」
公の指が秘所の中へと入ってきたので、呻き声が出てしまった。
「フェリーナはおとめか。それなのにこれほど濡れている。さては独りで何度も慰めていたのかな」
私は顔を反らせた。図星を突かれたようで腹立たしかった。
「怒った顔も可愛いよ」
プラセポリ公は、微笑みながら、秘所にあてた指をうごめかせた。
(うっ、これは)
自分で慰めた時とは違う。昨日、私は自分の中指を前後に単調に動かしていただけだった。しかし、プラセポリ公は一本の指で豆をせめながら、それ以外の指で穴のすぐ外、土手の部分を撫でまわしていた。その指は自分で慰めた時のような恐る恐るとしたものではなく、大胆に蠢いていた。しかし、決して気持ちの悪いものでも痛いものでもない。
(これでは、あっという間に、高められてしまう)
「はっ、あっ」
思わず声が漏れてしまう。
「声が、出る、隣に、聞かれる」
今日も隣の部屋には女官が詰めており、さらにその隣では警護の者が控えていた。
「聞かせてやればよい。下々の者を楽しませるのも、王族の努めだ」
プラセポリ公は容赦なく私を高めていった。
「はっ、うっ、あうっ」
あっという間に気をやってしまった。
「ほう、フェリーナは感ずる時、そんな顔になるのか」
プラセポリ公は嬉しそうな声で言った。
「目を開けているのにどこも見ていない。頬を染めて、なんと淫らで、それなのにいっそう可愛らしい」
公は上半身を起こすと、私の膝と膝の間を開いていった。私の秘所は彼の眼の下にあらわになった。だが、気をやって力の抜けた私は、抗うことができない。
「こうしてみると、ますますいやらしいな、夜のフェリーナは。それを私だけが見ている。夫冥利といったところかな」
公の肉棒が私の目に入った。ぼんやりした頭だが、少しずつ最初に見た時の恐れがよみがえってきた。
「それではフェリーナ。体も、めおとになるとしよう」
それ、が、私の中に、入ってきた。
「うぐ、あっ」
猛烈に痛い。
肉か皮を無理矢理裂かれたような痛みだ。
「苦しいか」
プラセポリ公が優し気に声をかけてきた。
「豆の心地よさの中にあっても痛いか。ではしばらくじっとしていようか」
公は火箸を私の中に差し込んだまま、動かずにいた。わたしはそれでどうにか、息を吸い、吐くことが出来るようになっていった。
「落ち着いたかな」
公はゆっくりとその、肉棒を引いていった。
「このあたりかな」
引いても彼は引き抜かずにいた。私にはプラセポリ公が何をしているかもわからず、痛みの中で息をするのが精一杯だった。
破瓜の苦痛が無くなったわけではないが、次第にそれに慣れてきた。その痛みがあるものとして、公のしていることに頭を向ける余裕が出てきた。
彼は、ほんのわずかずつ腰を動かしていた。
最初は、何をしているのかと思った。何のためにこんな、わずかな出し入れを繰り返しているのかと訝っていた。だが、なにかむず痒いものを、中に感じてきた。
(あ、これは)
そのむず痒い感覚は、次第に炎のようなものに変わっていった。
「やはり、ここで良さそうだな」
満足げにプラセポリ公が呟いた。
「外であれだけ感じるのだから、フェリーナ。中はさらに具合がよろしかろう」
私はいつの間にか、体の中から湧き起こった炎に包まれていた。
(これは、なんだ)
豆で達した時の心地よさは、どこか男の頃の、肉棒を握りながら摩った時の感触に似たところがあった。だが、いま起きていることはいささか違う。体の中で、血流が沸き立つような心地がする。
「ほ、う、あ」
「そう、それでよい、受け止めるのだ、フェリーナ」
(あ、あ、)
プラセポリ公は微妙にしかし正確に律動を伝えてきた。私はもはや何も考えられなかった。体中が炎の中にあって、自分がどこにいるのかもわからない。
「はう、あぅ、う」
自分が何か声を出しているのは気づいていたが、それは何も意味の為さないものになっていた。
「そう、女の歓びを味わいなされよ、女王様」
「あああ」
私は焼き尽くされた思いで、心がどこかへ飛んでいってしまった。
(これが、閨房のけらくというものか)
次第に正気が戻ってきた。下から見上げたプラセポリ公は笑っていた。
「さて、それでは」
そのプラセポリ公が見えなくなった。私は体をひっくり返されたのだ。
(そういえば、公はまだ、私の中に精を放っていない)
公は私の腰を、ぐい、と上げた。私は四つん這いで腰を上げ、顔は寝台に押し付けているような姿勢になった。
(こんな、まるで犬のような)
そんな私の尻と陰部を、公は見下ろしている筈だ。
(あ、顔とかではなく、女の、恥ずかしい部分だけが、見つめられているのか)
体をひねろうとしたが、プラセポリ公ががっちりと尻を両手で捕まえているので、姿勢が変えられない。
「私も満足するとしよう。もう辛抱たまらんのだ」
また、公のものが私の中に突き入れられてきた。
「うぐっ」
痛い。
それも破瓜の痛みばかりではない。
(奥まで入ってきた)
体勢が変わったせいか、突き入れられた肉棒が、
(奥の、自分の、なにかに、当たっている)
「おお、締まるぞ、フェリーナ」
プラセポリ公はぐいぐいと抽送を続けていた。それが洞窟の奥にある、押されると痛む何かにぶつかるように当てられている。
「く、あ、ぅ」
思わず苦悶の声が出た。
「おお、痛むか。それではゆっくりと押すようにしようか」
公の動きがじわりとしたものなったおかげで、破瓜の痛みとその奥の何かの痛みが緩んできた。これならどうにか耐えられそうに思えた。
(うっ、これは)
なにかまた違う感覚が体内に生まれてきた。
下腹の中の何かが公の棒の先に当たっているような吸い付いているような気がする。そこを支点にして、
(体が、臓物が、中から揺らされている)
最初に奥まで入って来られたときには苦痛を伴うものだった。だが苦痛が弱まるとその揺れが次第にえも言われぬものに変わってきた。
「はぁ、あ」
思わず声が漏れた。
「なんと、初めてというのに、ここでも感ずるのか」
プラセポリ公が驚いていた。
「それでは、少し時をかけてみようか」
腹の下の中からゆっくりと中を揺らされていると、四つん這いになっている自分が、宙に浮いているような気になってきた。
「ああ、これが、ここが」
私の声はまたわけのわからぬものになっていった。公に突かれているのはわかるのだが、宙に浮いて漂ったまま突き入れられているように感じてきた。
宙に浮いた感覚のまま、何かを叫んでいたような気もする。
それこそ、雌の獣のような。
私は揺れながら我を忘れて何かをむさぼっている、一匹の雌だった。
(私、私でない、なにか、なにが、どこで)
何も考えられない。息をしていたかどうかもわからない。揺れて漂ったまま、私自身は違うどこかに去ってしまったかのようだ。
(あ、あ、ああ、あ)
ふうっ、と意識が消えていった。私がない。もうどこにもない。
どこにもないのに、何かが注がれてきて、揺れが止まったのがわかった。
私はうつぶせのまま、四肢を伸ばしていた。気を失っていたようだ。
(暖かい)
注がれたものの感触。精を放たれた。プラセポリ公は私の体で満足したのだ。それがどこかうれしかった。
(それにしても姫様のお体は)
つい先ほどまでおとめだったのに信じられぬ。これほどのけらくを一晩で得るとは。
妻との時はこうではなかった。抱き合って二人で深く満足できるようになるまで、何ヵ月もかかった。
「この頃は、夜が来るのが待ち遠しくなりました」
その何ヵ月かの後、妻が言ったものだ。
「女は、心をすっかり預けてしまえる殿方でないと、満足出来るものではないのです」
そういうものなのか、と答えた気がする。
「もう、離れませんことよ。ご主人殿」
甘い声で、そう囁かれた。
「ようやく、女に生まれてよかったと思うようになったのですから」
私も、姫様の体になってよかった、のか。
(いずれにしても、もはやこの男とは離れられぬか)
「フェリーナ」
うつぶせの私に対して、背中越しにプラセポリ公から声をかけられた。
「そなたが女王で、わたしが王配でかまわぬ。だが、寝台の上ぐらいは、わたしを主人と呼んでくれぬか」
男の誇りというものか。だが、それでいいかもしれぬ。心をすっかり預けるためには。
「主……」
その時、不穏なものを感じた。
背後で気を集める気配がした。
素早く振り向いた。
プラセポリ公は両手で印を結んでいた。
公の大きく細長い手が結んでいたのは、「言写」の魔法の印だった。彼を主人、と呼んでいたら、その魔法で私が彼の奴隷になっているところだった。
私はさらに体をひねった。寝台から床に体が落ちた。
衝撃を感じる間もなく、私は寝台の隙間に隠した短剣を手に取って立ち上がった。
「出合え!」
その短剣をプラセポリ公の喉元に突き付けて、声の限りに叫んだ。
「何事ですか」
振り向いた。まず女官が、続いてその女官を押しのけて警護の者が部屋に入ろうとしていた。
「謀反だ。こやつ、魔法で私を傀儡にしようとした。プラセポリ公を捕らえよ」
振り向いた、のがいけなかった。
プラセポリ公に再び目を向けた時、公は後方へ跳ね飛びながら印を組み替えていた。
「「足停!」」
(うぐっ)
足止めをする魔法だ。私も女官も警護の者たちも、膝から下が動かせなくなった。
驚く私に近寄り、プラセポリ公は私の手首に手刀を打った。短剣が私の手から落ちて、床に転がった。
公は服を羽織りながら言った。
「こうなっては仕方がない。逃げなければな。まず今ここにいる、皆に死んでもらおう」
私はその時、この男に裏切られたという思いで、怒りに震えていた。
「そう恐い顔をするな、フェリーナ」
笑みを浮かべながら、プラセポリ公は床に落ちた短剣を拾い上げようとした。
「おや、寝台の下に長剣も隠してあるではないか」
公が下を向いた。
今だ。膝から下が動かせなくても、印は組める。私はありったけの気を放った。
「「浮上!」」
次の瞬間、剣を拾おうとしていたプラセポリ公が、剣を床に残して消えた。
頭上から、バシン、という鈍い音がした。
頭を上げると、四肢を伸ばし大の字になった公が天井に張り付いていた。落ちてくる気配は無かった。
「縄をかけて、プラセポリ公を引きずりおろせ」
そう叫んだが、女官も警護の者も動きが鈍い。
「何をしておる」
「あの……、女王様」
おずおずと、女官が一人、声をかけてきた。
「何だ」
「あの、なにか、お召し物を」
私は素っ裸だった。股からは、処女血と淫液と男の精の混じったものが、流れ出たままになっていた。
服を着ている間に梯子が持ち込まれた。私が眠ればプラセポリ公が落ちてくるのはわかっていたが、そういうわけにもいかない。結局、公の胴体と手足四か所に縄をかけ、五人の男で縄を引き、天井から公を引きはがすことが出来た。公は印を結べないように後ろ手で縛った上で、王宮内の牢へ放り込まれた。
プラセポリ公が引っ立てられてから、その場にいた者に二日間だけでよいからと、かん口令を敷いた。せめて結婚式に列席した客人たちが帰るまで、体裁を保ちたかった。
翌日、遠方の客人たちが次々とお別れの挨拶に来た。王配は体調が悪く寝込んでいる、と伝えた。
「食べ慣れぬものを食べすぎましたかな」
などと客人たちは呑気に噂していた。
東の国の使者はプラセポリ公に会いたがっていたが、具合が悪くて会えないと言い続けた。使者は諦めて帰国の途に就いた。
羊の国の使者に、
「お二人に、羊が共にあらんことを」
と言われたときは辛かった。二人が共にあることはもうないのだ。
その日の夕刻、客人たちとの応対を終えた私は、プラセポリ公が閉じ込められている牢に出向いた。
牢番は驚いていた。王配は閉じ込められるは、そこに女王が会いに来るは。ここはそんな身分の高い方が来られるところではありませんと恐れ入っていた。
その牢番に、二人だけで話したいから席を外してくれ、と言った。
プラセポリ公は後ろ手に、木の枷を嵌められていた。手首が通せるだけの大きさの穴を、離して二ヵ所開けた枷だ。これなら印は結べない。
鉄格子を間にして、私とプラセポリ公が向かい合った。
「君は執事殿だね。フェリーナが『転身』の魔法を使ったんだろう」
いきなりそう言われた。
「気づいていたのか。いつから」
「賊が入った翌日。つまり初日からだ。フェリーナは警戒心が強い。隙を見て近寄り接吻までする、などということはとても出来ないからね。
君を侮っていたよ。それがわたしの最大の失敗だ。魔法のかけかたも印の種類も知らないと思っていた。ましてや、わたしが魔法をかけられるとは。
執事殿は王家に連なる者か?」
「私は田舎の村の出身だ。そこに若い頃、姫様の祖父、前々王が視察に来られた。さらに前々王は城の執事が高齢で後釜を探している、と仰られた。そこで村長が私を推薦した。前々王は私を気に入り、王都に連れ帰った。それまで私は王都に来たことはない。王宮も見たことが無かった」
「そうか。王家の魂を持つ者でなければ、魔法は使えないものと思っていた。入れ物が王家の者ならば使えるのか。『浮上』の魔法は、例えば馬で逃げる敵を少しばかり馬から浮かせて落馬させる、そんな時に使うものだ。天井に人を打ち付けるなど、わたしなどよりもよほど魔力が強くなければできない」
「侮っていたから『言写』の魔法で私を操ろうとしたのか」
「ああ。その『言写』だがね。わたしにはプラセポリの城内に愛人がいる」
愛人か。心に刺さる言葉だ。わかっていたことなのに、どうして胸が苦しくなるのだろうか。
「一度その愛人に、『言写』の魔法を使ってみた。わたしの事を主人と呼んでみろと言ってね。そうしたら、わたしの命令ばかり待っているつまらない女奴隷になってしまった。それまでは相手が誰だろうと言いたいことを言う小気味いい女だったのに。しかもこの『言写』は他のほとんどの魔法と違って解き方がわからない。その女は今頃プラセポリの城で、何をすることもなくぼんやりとしているだろう」
「私をそんな、つまらない女にしたかったのか」
「申し訳ないが君を傀儡にして、自分が実質的な王様になろうと思っていた」
プラセポリ公は私をその程度の者としか思っていなかったのだ。
「ところで執事殿、閉じ込められたわたしを慰めに来たのではあるまい。笑いに来たのでもなさそうだ。何をしに来たのだ」
どうしても公に聞いておかなければならないことがあった。
「姫様を襲った賊を城内に引き入れた者がいた筈だ。ハトはあなたか」
「ハト? ああ、内通者のことか。いかにも。それはわたしだ」
プラセポリ公はあっさりと内通者であることを認めた。
「なぜ姫様を殺そうとした」
「王配という地位に我慢がならなかったからだ。前王がわたしを養子にして王様にしてくれる、という話なら喜んだだろうがね。前王はそこまでわたしを信用していなかった。王配ではフェリーナの種馬でありかつ家臣ということになる。フェリーナに頭を押さえつけられて一生を送るのは我慢がならない。それに王配ではこの城の薔薇一輪すら自分のものではない」
「幼い頃から姫様と親しかったのではなかったのか」
「親しい? ふむ。執事殿からはそう見えたのか。そもそもわたしが父とともにしばしばこの城を訪れていたのもご機嫌伺いだ。親子で頭を押さえつけられていたようなものだ。
プラセポリの地は、かつては中の国の王の直轄領だった。東の国と境を接して、この国にとっては重要な土地だ。君は東の国に行ったことはあるか」
私は首を横に振った。東の国はもちろん、プラセポリの地に行ったこともない。
「東の国では、この国を黄昏の国と呼んでいる。中の国が東の国と呼び、その他の海の国や氷の国などもそう呼んでいるから東の国という呼び方に甘んじている。本当は自分たちが中の国になりたいのだ。
東の国は貧しい。耕せる土地は痩せていて狭い。金も銀も出ず砂鉄ぐらいしか採れない。中の国が東の国を攻めて領地にしても益はない。領民の恨みを買うだけだ。だが東の国は常に領土を拡げたいと思っている。だから貧しいのに兵に少ない金を注ぎ込んでいる。
というわけで東の国と境を接するプラセポリの地は、ここ、王都以上に、常に東の国との間に緊張した関係がある。
プラセポリ公の由来を話そう。中の国の三代前の王、わたしとフェリーナの曽祖父に当たる方が決めた。曽祖父はわたしの祖父に直轄領だったプラセポリの地を下された。フェリーナの祖父である前々王と、わたしの祖父は兄弟仲が良かった。この二人が協力して東の国に対抗しようというのだ。
執事殿はコプテラナの丘を御存じか」
「名前は知っている。前々王の頃、中の国は東の国との小競り合いに勝利して有利な講和を結んだ。その時に手に入れたのがコプテラナの丘だ」
その戦勝を祝した晩餐会の後、やがて妻となる女性と私は初めて踊った。忘れられるわけがない。
「あの丘は戦略上の要点だ。丘は国の境にあって、登ればどちらの軍も丸見えになる。そして大した高さでもないのに街道に崖が面していて、落とすのはとても難しい。わたしは伊達に図書の部屋にいたわけではない。中の国と東の国のいくさの歴史を調べていた。いくさはコプテラナの丘を先に押さえたほうが勝つ。私の祖父はいち早く丘を押さえ、前々王は国の境に兵を展開して東の国を破った。
祖父の代の頃はそれで良かった。
だが、私の父と中の国の前王の代になると様子が変わってきた。コプテラナの丘を取られた東の国は、うちと組んで中の国を攻めないか、そうすれば中の国の王はあなただ、と父に盛んに持ちかけてきた。他に攻め入る方法がないからだ。中の国の前王は東の国の企みを知っていた。だからプラセポリの地を直轄領に戻したいと願っていた。
わたしの父は東の国の誘いを断り続けた。そして中の国へ何度もご機嫌伺いに行った。忠誠心もあるだろうが、どちらについたほうが得か、考えた結果だろう。東の国がプラセポリ公と協力して中の国を攻めて成功したとして、次は東の国とプラセポリ公の戦いが待つだけだ。東の国が黙ってプラセポリ公、我が父に従うわけがない。
父がご機嫌伺いをしている間、子供は子供同士でということでわたしはフェリーナとよく二人で遊んだ。いやあれは遊びだったのか。
当時フェリーナとわたしはよく魔法の掛け合いをしたものだ。フェリーナの方が魔力が強い。気をぶつけ合えばわたしの魔法は通じず、フェリーナの魔法にかかる。
フェリーナは魔法でわたしを動けなくすると、自分のことを「好きか?」と聞くんだ。「愛しているか?」と。
「好きだ」
「愛している」
フェリーナにそう答えないと、魔法をいつまでも解いてくれない。
わたしは一度、癇癪を起して魔法を解いたばかりのフェリーナを突き飛ばした。ただの腕力なら男の方が強い。突き飛ばされた
フェリーナが目を丸くして驚いていた。
それ以来、フェリーナと共に遊ぶことはなくなった。下手に近寄ろうとすると「足停」の魔法をかけられる。そう、「足停」の魔法は、実はフェリーナの得意技だった。だから、君に近寄って接吻することが出来た時に、フェリーナではない、と気づいたわけだ。
それ以降は、この城に来てもフェリーナへの挨拶はそこそこに、図書の部屋に籠るようになった。
さて、そんなわたしとフェリーナの関係を知らない前王は、わたしをフェリーナの婚約者に定めた。その後、わたしの父と前王は相次いで亡くなった。わたしの父は亡くなる直前に言っていた。お前とフェリーナの子供が中の国とプラセポリの地を継ぐ。そしてプラセポリは中の国の直轄領に戻るのだと。それが前王の狙いだが、それでいいではないかと父は言うのだ。お前の子が王様になるのだからと。だが、フェリーナに頭の上がらない生涯を送るわたしはどうなる。そんな一生は御免だ。
わたしは寝返る、と東の国に伝えた。そして東の国の草の者を七人貸してくれと言った。七人は商人のなりをして中の国に入った。わたしが通してやれと言えば中の国に入るのは簡単だ。そして、プラセポリの兵にコプテラナの丘を押さえておけと伝えてから、わたしはこの城に来た。
作戦はこうだ。七人が驚かし玉用の大砲を組み立て、一人を残す。その一人は南側の城壁へ驚かし玉を打った後、東の国に帰って、作戦が始まったと伝える。そして六人を城壁の北側から私が隙を見て場内に入れる。
三人がフェリーナを襲う。二人は城内の南側へ行き、近衛兵たちがただの驚かし玉であることに気づいて戻ってきたら、三人に伝える役目だ。この二人は近衛兵に斬られたそうだね。恐らくは剣の腕が立つだけではなく、大砲の音が驚かし玉だといち早く気づき、陽動ではないかと疑った兵がいたのだろう。それが誰かを調べて近衛兵の参謀にした方が良い。ここの近衛兵長は熱い好人物で部下にも慕われているようだが、考えが単純に過ぎる。
フェリーナを襲う三人には別方向から気づかれぬように近寄れと伝えた。それでもフェリーナは用心深いから、すぐそばまで近寄れば気づかれる。そして『足停』の魔法で足止めされる。そこで短剣を投げろ、と。
作戦通りに進んだと聞いている。だが、短剣を背に受けながら三人倒したというのだから、フェリーナは大したものだ。相手の足が動かないとしてもね。
そして残る一人はわたしに結果を話し、それから城壁を越えて東の国へ作戦の結果を伝えに行く役目だ。中の国はフェリーナが姫、実質的な女王であり、代わりがいない。ケンタス候は良き人だが頼りにならぬ。フェリーナが死ねば中の国は混乱に陥る。そこで東の国が中の国に攻め込めばいい。そういう打ち合わせを東の国としていた」
「それなのに残り一人の草の者をプラセポリ公は斬った。なぜだ。そんなに庭が大事だったのか」
「ははは、まさか。もともと、賊は六人ともわたしが斬る気でいたよ」
私は混乱した。
「どういうことだ」
「中の国の王になりたい、と言っただろう。王になるためにはフェリーナがいなくなっただけでは駄目だ。周りの支持というものがいる。
賊を城内に引き入れたのが私でも、東の国とは口約束ばかりでなにも証拠は残していない。
わたしは亡くなった姫のもとに駆け付け、賊を斬り、婚約者の亡骸を抱きしめて泣く。誰が殺したと問う。東の国の草の者は東の国の剣を使う。短剣と言う動かぬ証拠がある。そこで弔い合戦だ。中の国から兵を引き連れ、プラセポリの兵も併せて国の境に集まっていた東の国の兵を蹴散らす。コプテラナの丘を前もって押さえておけば簡単なことだ。そして周りの支持を得て、フェリーナの意思を継ぐと宣言し、この国の王になる」
手前勝手な計画だ。だが実現していたらと思うと冷たいものを感じる。私も騙されていたかもしれない。
「だがそううまくはいかない。草の者がわたしに伝えてきたのは作戦の失敗だった。三人で倒したのは身代わりになった執事で姫は無事だと。北の庭を踏みつけてきた怒りも手伝ってすぐにその伝令を斬り殺した。彼はなぜ自分が殺されるのかわからない、という顔をしていた。
翌日、君に会うまでは、執事殿が亡くなったのだと信じていた。フェリーナに疑われないようにどうすればいいかな、などと考えていたのだ。まったく、あの草の者は伝令としてなっていない。冷静に見ていればフェリーナと執事殿が魔法で入れ替わったのがわかった筈だ。魔法が怖くて近寄れず、見間違えたのだろう。
ところが翌日になって亡くなっていたのはフェリーナだと気が付いた。そこで作戦を変えた。君を傀儡にしようと。あとは御存じの通りだ」
「もうひとつ聞きたい。あなたは姫様を愛していたのか。それとも殺したいほど憎んでいたのか」
「ふふ。愛とか憎しみとか、単純な言葉で言い表せるものではない。フェリーナのあの美しさ、年齢を重ねても変わらない愛らしさ。それでいて人の心を簡単に踏みつけにする残酷さ。誰よりも高い誇り、気高さ。そして王族の姫でなければ出せない気品。それでいて、女だ。男を惹きつけずにはおかないその豊満な胸、くびれた腰、丸みのある尻。どんな服を着ても隠しようもない蠱惑的な体。もっともその体だけはまだ目の前にあるな。
亡くなったのはフェリーナのほうだと知って、執事殿の葬式に行った。執事殿の棺を土に埋める所を見た。だが亡くなったのはフェリーナだ。殺すように手配したのはわたしなのに、自分の半身を失くしたような気がしたよ。わたしはあの時、半分死んだのだ。ここにあるのは残りものだ」
少し互いに黙り込んだ。聞くべきことは聞いた気がした。先に口を開いたのはプラセポリ公だった。
「わたしは死ぬのだな」
「そうだ。謀反人に死罪以外の刑罰はない。だが、王族ならば死に方は選べる。苦しまずにすむ毒もある」
「いや、断頭台がいい。死ぬ前に外を見たい。出来ればもう一度花を愛でたい」
「花か。それは難しい。庭を愛でて歩くような時間は取れない。だが、何か考えてみよう」
「ところで執事殿」
逆に質問を受けた。
「一日、いや、半日か。わたしと夫婦で過ごしてどうだった」
私は少し間を置いてから答えた。
「女王様のお体は、ことのほか、お喜びであった」
プラセポリ公は笑った。
「賊を場内に入れたハト、内通者にプラセポリ公が最も怪しいのはわかっていた。だが、私はその疑いを握りつぶそうとした。これから二人でこの国を良くしていきたい、と私が言ったのを覚えているか。あれは本音だ」
公は真顔になった。少し驚いていた。
「だが今日、あなたが私をフェリーナと呼ばなかったように、もう私があなたをコンラルと呼ぶことはない」
私は彼から顔をそらした。自分の顔を見られたくなかった。
「何を考えているのかわからない男に、つい惹かれてしまう、ということが女にはあるのだな。こんなことになってしまって残念だ」
私は牢を去った。去り際の私がどんな顔をしていたか。それは牢番にでも聞いてくれ。
翌日、各国の使者が国境を越えたのを確認してから、私は触れを出した。プラセポリ公の罪状についてだ。
一、賊を呼び込み、当時、中の国の姫だったフェリーナの暗殺を謀った。身代わりで執事が亡くなった。
二、暗殺に失敗すると、魔法を用いて女王フェリーナを傀儡にしようとした。さらにそれに失敗すると女王を殺害しようとした。
これは謀反であり、プラセポリ公を死罪とする。
触れから一時ほどの後、プラセポリ公の断首刑が行われた。この時、前もって庭師に命じ、断頭台を彼の好きな白薔薇で飾り立てておいた。
断頭台の薔薇を見た公は、
「執事殿に感謝する、と、女王様に伝えてくれ」
と刑の執行人に語った。執行人には意味がわからなかったらしいが、その言葉は人を介して私に伝わった。
刑は滞りなく行われた。
昼になると、ケンタス候が早馬を飛ばしてきた。
私はセルリに言って、二人きりで話したいと人払いをさせた。
「触れは本当か。勘違いと言うことはないのか。刑はもう終わったのか」
ケンタス候が止めに来ることはわかっていた。触れを出してから刑の執行まで時間を置かなかった理由は、邪魔が入らないようにという意図があった。
「本当です。賊に襲われた件については、内通したのは自分だと本人が私に告げました。それから魔法で私を傀儡にしようとしたばかりではなく、私を殺して逃げようとした件は、私ばかりではなく家来も見ています。刑はもう終わりました。本人の希望で断頭台を用いました」
「なんということだ」
ケンタス候はがっくりと肩を落とした。
「謀反人は死刑です。それは王配だろうと例外はありません」
冷静に語ろうとした私に、ケンタス候は感情を露わにした。
「フェリーナ。死が二人を分かつまでともに支えあう、と結婚式で誓ったではないか」
「その誓いに嘘はありません。死を与えたのは私でしたが」
「自ら死刑を、とは。前王も、お前が憎からず思っているからこそ、コンラルを婚約者に定めたのだろう。お前はそれでいいのか。結婚式を楽しみにしていたのではなかったのか」
「定められた刑を行うことは女王の務めです」
そう、私は女王だ。姫様が死後に代わりをせよ、と私に託して亡くなられたからだ。
私が仕えていたのは王様の娘だ。プラセポリ公の婚約者に仕えていたのではない。
「わたくしは、中の国の、女王なのですから」
気が付くと、私はケンタス候の胸に額を押し付けて泣いていた。ケンタス候が、子供にするように、ぽんぽんと私の頭を優しく叩いていた。
「王族とはつらいものよ。他国にも家来にも弱みを見せられぬ。気丈なお前は父親の前でもなかなか泣かなかった。だが、母御が亡くなってからは、時折私の胸で泣いていたの。泣きたくなったら、私を呼ぶがいい。胸ぐらい何時でも貸してやる」
私の出自について、プラセポリ公に説明したことに嘘はない。
だが言わなかったことがある。
私の母方の祖母は、実の父の名を知らない。その祖母の母である曽祖母は、縁あって子がいる田舎の男やもめに嫁いだ。だがそれまで曽祖母は王都に住んでいたという。祖母は王都で生まれ、連れ子として母と共に田舎へ行ったのだ。
祖母が実の父の名を尋ねた時、強張った顔で曽祖母はこう諭したという。
「それを聞いてはいけないよ。恐い人がお前をさらいに来るか、殺めに来るかもしれないからね」
それで聞くことができなかった。ただ、王都で何をしていたのかと聞いたら曽祖母は、宮中で働いていたことがあると答えたという。
もしそれが事実なら、曽祖母が働いていたのは姫様の高祖父(祖父の祖父)、四代前の治世である。
この高祖父というのが、のちに好色王などと揶揄されるかただった。女官、給仕、お針子その他、綺麗な娘がいれば、手当たり次第に同衾しようとしたという。そして高祖父の正妻である王女は嫉妬深い人だった。夫のお手付きの女と知るや宮中から問答無用で叩き出したらしい。王様御寵愛の女の中には王女の激しい折檻を受けて亡くなった人もいた、とまことしやかに伝えられている。
そして祖母の話では、曽祖母は若い頃はかくやと思われるほどの美しさだったという。
それならば、もしや曽祖母は四代前の王様と情を交わしていたのではないか。祖母は王の落胤なのではないか。曽祖母は王女の追及を恐れ、自分の娘と共に田舎に逃げたのではないか。
そう考えると、前々王の行動もわけありに思えてくる。王様が私の住むような辺鄙な田舎に視察に来ることは異例だった。王宮内で働く者をそんな田舎で求めるなど、さらに異例だった。
前々王は私に、執事は人の名を覚えて忘れてはならぬもの、と言い、私に親の名、祖父母の名、曽祖父母の名を語らせた。その中で、件の曽祖母の名を告げた時、前々王が若干、眉を上げられたのを覚えている。
前々王は自分の祖父の落とし胤が田舎で隠れるように暮らしていたのを何かのきっかけで知り、哀れに思ってその子孫をそばに置こうと思ったのではないか。もしそうなら私は前々王のいとこの息子にあたる。前王とは、はとこの関係だ。そして私は王家の魂を持つ者ということになる。
証拠は何もない。前々王は何も仰らなかった。私の妄想かもしれない。
ただ、こうも思うのだ。私の忠誠心は、自分の血族を守りたいという気持ちから出ているものかもしれないと。
プラセポリ公の刑の執行の後、プラセポリの地は王家の直轄領に組み入れた。
城の接収時、場内に呆然としている女がいたという。プラセポリ公の愛人で、公と主人がどうこうという会話をした後、記憶が無いという。それから何日も経っていて、公はその間に謀反で捕らえられ死刑に処せられたのだ、と聞いても何のことだか理解できなかったらしい。
プラセポリ公が亡くなったことで「言写」の魔法が解けたのだろう。
その女性と話したいと思った。プラセポリ公はどんな人だったのか。どんな会話をし、どんな考えでどんな行動を取る人だったのかと。だが、その公を死なせたのも私だ、と思い、会うのは止めた。彼女はプラセポリの城を去った。どこで何をしているのか知る由もない。
城の接収後、プラセポリの兵を、中の国の兵に組み入れた。その時、プラセポリの兵士の階級が下がらないよう、給金が以前と同じように出るよう気を使った。これを機会に軍を去る者には、規定の金を渡した。何よりも恐れたのはプラセポリの兵の反乱であり、そこまで行かなくとも兵の間に不協和音が生じることは避けたかった。中の国の将兵には、プラセポリ出身の兵への悪口やからかいの類いも固く禁じた。
兵の再編成が済んだところで、コプテラナの丘を押さえると同時に東の国の国境に兵を集めた。そして、賊が執事を刺した短剣は東の国の物だ、と公表した。返答次第では東の国に攻め込む、と言って返事を待った。
東の国は白を切った。
「そんななまくらな剣を作る刀工は我が国にはおらぬ」
とまで言った。
そこで、
「それならば、この剣を作れる刀工は中の国で貰い受ける。優遇する」
と返答した。
すると東の国の刀工のほとんどが、中の国にやってきた。兵の集まる国境を避け、けもの道を越えて来たのだ。東の国の刀工たちは、なまくらな剣と言われたことにたいそう誇りを傷つけられたらしい。また、東の国の待遇にも不満を抱いていた。彼らを王都に連れて来させ、約束通り優遇した。
これで東の国では剣をほとんど作れなくなってしまった。兵力という点では大打撃だっただろう。
その後、コプテラナの丘の上には苦労して櫓を建てた。戦時ばかりではなく平時も兵を常駐させるようにしたのだ。これで東の国から攻め込まれる心配は殆ど無くなった。
そうこうしている間にも時は流れた。
ある日、湯浴みの時に、女官から
「そう言えば女王様、月のものが来ませんね」
と言われた。
その後、気分が悪く、ものがろくに食べられない日が何日も続いた。医者に診てもらったら、おめでたですと言われた。
(セルリが生まれるまでには二十年近くかかったというのに、この子はたった一晩で、か)
悪阻がおさまると、私の腹は日増しに大きくなっていった。
そんなある日、私は執務室で手紙を書いていた。部屋にはセルリが控えていた。そろそろ書き上がるかという頃のことだ。
「うっ」
「どうかなさいましたか」
「ああ、腹の子に、中から蹴られたのだ。この子は修羅の子よの」
「修羅の子、とは」
「父がおらぬ。母が殺したからだ。この子は生まれながら修羅道にある」
するとセルリから、思わぬ返答を受けた。
「お父様も大変でございますね。姫様になる、結婚する、女王になる、夫を処刑して、子供が出来る」
「待て。いまなんと」
「お父様、と申しました」
「いつから知っておったのだ」
「お父様が亡くなられたと聞いた翌日、姫様に呼ばれて話をした時からです」
最初からではないか。
「なぜわかった」
「以前、姫様はご自分のことを何と仰っていました」
「わらわ、だな」
「お父様の事は何と」
「じい、と呼ばれていた」
「お父様はそれを何と仰っていますか」
「私、と、執事、と言ったかな」
「そこからもう違っています」
精一杯、姫様の真似をしたつもりだったが、全然駄目だったのか。意気消沈していると、さらに追い打ちを受けた。
「気づいているのは私一人ではありません。女官、針子、給仕、料理人、大臣、近衛兵長、警護のかた。毎日のように姫様と接していたかたがたは、たいてい気づいています」
「そうだったのか」
「近衛兵長など、あのかたは絶対に姫様ではないとすぐに仰いました。
前に姫様の御前で粗相をした者がいた。土に額を擦り付けて謝っているその者の首の背に姫様は長刀を当て、まことにすまぬと思っているのならその首を上げて自ら首を刎ねて見せよ、と仰られた。そ奴はあまりの恐ろしさに漏らしてしまった。すると、この汚い物を城外に打ち捨てい、と。だから私は首を刎ねられても良いからせめてそんな失敗はすまいと、姫様に会う前には必ず厠に寄ることにしているのだ。
それなのに、執事殿が亡くなっているにも関わらず、私の失態を不問にされた。信じられぬ。あのかたは実は中身が執事殿であろう、と」
姫様ならこうするだろう、と思って言ったことが全く外れていたようだ。
「女官など、湯浴みのとき鏡に映った自分の顔を見て、お美しい、って仰るのよ、と」
しまった。聞かれていたのか。
「その女官たちなどがうるさいのです。私たちが知っていることを伝えろ、と。もう気づかないふりを続けるのは耐えられないと」
「そんなことを言っているのか」
「気づいていないのはケンタス候ぐらいではありませんか」
ケンタス候か。あのかたは確かに私を姪だと思っている。私が身籠ったと聞いたら自分に子が生まれた時よりも喜んでいた。
「よし。皆が知っていることはわかった、と伝えてよい。ところで知っているのは城内の者だけだな」
「今のところは。しかし、殿方はともかく、女の口には戸を立てられませぬから」
歴代の執事が男性だったのはそんな理由だったのか。
「でも皆様、執事殿が女王様でもよいと仰っています」
「何故だ」
「まつりごとがうまく行っているからではないでしょうか。それと、御人徳でしょうかね」
その言葉に少々安心した。
「わかった。そのうち私は執事王とでも呼ばれるようになるのだろう。だがセルリ。二人きりの時にも私をお父様と呼ぶのはやめなさい。習慣というものは恐ろしい。客人がいるときにうっかりお父様などと言わないようにな」
「はい。わかりました、女王様」
改めてセルリを見た。私が王家の魂を持つ者であれば、セルリもまた王家の血を引く者ということになる。世が世ならばお姫様か。
「セルリは姫様や女王になりたいと思うことはあるか。お前の母は王宮で踊りたいと言っていたが」
「姫様のようなドレスを着たいと思うこともないではないです。ですが、私は誇るに足る執事というお仕事をしておりますので、それで十分でございます」
なるほど、そう思うか。
「執事を続けるのも良い。だが好いた男がいればいつでも暇を出してやるからの」
「それはご配慮有難く。しかし仮に嫁に行っても執事が続けられれば、と思っております」
セルリの母は私と一緒になってから王宮の使用人をやめた。だが、そこは人それぞれでいいのだろう。ところでセルリの母と言えば、
「あの世というものがあるとして、お前の母さんにあの世で会ったらどうしようか。この姿ではな。姫様に元に戻してもらおうか」
「姫様はあの世で、お父様の姿でお母様と仲良く過ごしていると思います。戻してもらえるとは限りません」
「ふむ。それは考えていなかった。あの世で姫様にお会いしたら、うまくやっておきました、とご報告できればいいとは思っているがな」
しばらくして手紙を書き終えた。
「セルリ。この2通の手紙をケンタス候に送ってくれ」
一通はケンタス候へ、もう一通は羊の国の王様へ、と宛名が書かれてある。
「差し支えなければ中身をお尋ねしてもよろしいですか」
「うむ。ケンタス候宛のものは、任免状だ。羊の国へ使者として行ってもらう。任期は一年だ」
「おや、お一人で、ですか」
「奥様もご一緒だ。前に打診したら、ケンタス候の子らも大きくなってきたから、そろそろ独り立ちのために置いていくと言っていた。もちろん不在の時期の警護は王家からも人を出して安心できるようにしておく。前に打診したらケンタス候は大乗り気でな。候はあれで旅が好きなのだ。奥様もだ。早く行きたいという口ぶりだった」
「使者のお仕事、とは」
「なに、平時であればまつりごとはいらぬ。羊の国の人たちと仲ようしてもらえればよい。それならばケンタス候ほどの適任はおるまい」
「なるほど」
逆に羊の国から中の国へは、あの使者が来るのだろうか。それならばこの城で会うたびに羊の話になるであろう。
「ところでもう一通は」
「私の縁談だ」
「は?」
「羊の国には三人の王子がいるという。その中には一人ぐらい羊に飽きている者もいるだろう。夫を刑死させた凶状持ちでコブ付きの女王の王配でよろしければ、婿に寄越しませんかと書いてある」
「政略結婚、でございますか」
「そうだ。東の国を挟んで羊の国と同盟を結ぶ」
敵の敵は味方だ。
「この話をしたら大臣に呆れられての。こうした御縁談は親が娘のために考えてやるものです。本人自ら申し出るなど、はしたなく思われます、とな。だがこちらは父も母もいないのだ。せめてケンタス候に手紙を持たせようと思う。叔父上ならばうまく話を持っていけるだろう。実際の結婚式は、子が無事に生まれたとして、今から二年後くらいになるかな」
「はあ。うまくいきましょうか。そもそもまず、東の国との国境をケンタス候が通れますか」
「使者を通さぬとあらばいくさだ。それはこちらが勝てる」
「密書を持っているとなれば、見せろと言われますよ」
「見せてやればいいのだ。羊の国と我が国が同盟を結ぶならば、東の国はどちらにも攻め込めなくなる。それを各国に知らしめるのが政略結婚の狙いだ」
「ははあ。でも女王様御本人とお腹のお子様はそれでよろしいのですか」
「さてな。だが、この子にも父親がいるだろうと思えてな」
私の母方の祖母は継父と血の繋がらぬ兄弟の間で育った。だが、家族が増えて楽しい子供時代だったと述懐されていた。そうした話を聞いていたので家族のことについては楽観している。
(それに腹に子がいる間は治まっているが、子が生まれればまた独り寝が寂しくなるだろうしの)
こちらの動機はセルリには言えない。
「このようにもう新たな政略結婚などと。プラセポリ公との結婚式からそれほど経っておりませんのに。お父……、いや、女王様は、実際のところ、プラセポリ公のことをどのように思っていたのです」
正直、公のことで夢想したことがある。どうすれば彼を死なせずにすんだだろうか、などと。
例えば牢番の目を盗み二人で手に手を取って牢を抜け出す。女王の顔も知らぬ田舎へと逃げて公とひっそりと暮らす。そこで子供の頃の私のように、雑穀と豆を育て食して暮らしていく。私がかつて住んでいたような粗末な家で、彼に抱かれるさまを想像して我が身を慰めたこともある。そのうち子供も出来て静かに家族と暮らしていく。
だがそんな日々はあり得ない。王になろうとした男と女王であろうとした女なのだから。
だから、プラセポリ公のことはなるべく思い出さないようにしていた。公との過去よりもこの腹の子との未来を考えなければならない。
それに公のことを思い出せば……。
ケンタス候は泣きたくなればいつでも呼べと言っていた。
「プラセポリ公か。それを聞くでない。ケンタス候を送り出せなくなるからな」
だがセルリには、私の言った意味がわからないようだった。
以上、執事が執事王となるまでの話である。これからも様々なことが私にも中の国にも起こるだろう。だが臨月でもあるし、いったんここで筆を置くことにする。
ただひとつ付記しておきたいことがある。
私はプラセポリ公との一件以来、姫様の部屋で寝るのは止めて、前王の寝所で寝ることにした。姫様の部屋にいると様々なことを思い出すからだ。
だが先日、久しぶりに姫様の部屋に入った。女の子が夢枕に立ったからだ。生まれてくる子は女かもしれぬ。それならば人形を好むだろう。さて、姫様はどのような人形を持っていただろうかと。
思ったよりも腹が邪魔して、臨月で物探しなどするものではないと悔いた。だが、その時に思わぬ物を見つけた。
部屋に隣接した納戸の中に人形を納めた箱があり、いくつか開けてみるとその中の一つに姫様の日記が隠してあった。
夢枕に立ったのは姫様だったのかもしれぬ。姫様があの世で、亡くなった時の姿をしているとは限らない。例えば本人が一番幸せだったと思う時期の姿でいるとか。
姫様の日記を読むのは気が引けた。だが、夢枕に立ったのが姫様なら、これを誰かに読んで心情を理解して欲しかったのかもしれない。それに私が今後女王として生きていくのに何かの参考になるかも、と、自分に言い訳をして読んでみた。
それは、読んでいる私が赤面するような赤裸々な文面だった。
しかし、生きていた頃の姫様を解するのにこれほど適したものもない。だから、この日記の中でほんの一部を抜粋することにする。
日記を読み終えて思った。あのお二人はお互いがもう少し素直になり、それぞれ相手の御心を理解しておれば、もっと幸せな現在を迎えられた筈だと。それならば私は女王様にお仕えし見守る、老執事のままでいられただろう。
[付記] 姫様の日記
某月某日
昨晩もまた、自分を慰めてしまった。
想像の中で、わらわの手足は縄で動かぬようにされている。魔法など使えぬように。実際には自分の両手が秘所に伸びているのだが。
「ああ、コンラル、許して」
わらわはコンラルに許しを請う。
「ははは。フェリーナ。普段と違ってずいぶん殊勝じゃないか」
コンラルはむんず、と私の胸を掴む。その空想に合わせて私は左手を秘所から離し、自分の右胸を掴む。少し痛くなるまで絞り上げてみる。
「痛い、痛いの、コンラル」
「本当に痛いのか。いやがっているのか、フェリーナ」
わらわの恥ずかしい場所を覆っている布は剥がされる。実際は自分で脱いでいるのだが、コンラルはその秘所をじっと見つめる。
「しとどに濡れているではないか」
わらわの恥ずかしい気持ちまで露わになってしまう。コンラルはわらわの秘所を弄びながら問う。
「本当にして欲しいことを言え」
わらわは素直に答える。
「ああ、コンラル、突いて、犯して、わらわの中に入ってきて、わらわをコンラルで満たして、わらわをコンラルのものにして」
「フェリーナの望むようにしてやろう」
コンラルがわらわの中に入ってくる。
「痛い、ああ、痛いコンラル」
まだ知らぬ破瓜の痛みをわらわは訴える。
「さあ、望み通り犯したぞ。わたしのものになると誓え」
「わらわは、わらわは、コンラルのもの!」
犯され隷従を誓う屈辱を想像しながら、わらわは気をやってしまう。
何度、こんな風に自らを慰めただろうか。それだけわらわはコンラルを求めているのだ。
それなのに、どうしてコンラルに会うと、きつく高飛車に当たってしまうのだろう。誇り高い振る舞いが習い性となってしまって素直になれない。わらわはいずれ女王になる。女王らしくあらねばと思うと、つい居丈高になってしまう。
前にコンラルが訪ねて来て帰ろうとした時など、
「もっと丁寧に挨拶なさい。わらわは女王、そなたは王配になる。身分をわきまえることね」
などと言い捨ててしまった。コンラルは悲しそうな顔を一瞬見せてプラセポリの地に帰っていった。
ずいぶん昔、怒ったコンラルに突き飛ばされたことがある。その時、コンラルに男を感じた。力強い男を。
わらわはそれ以来、コンラルに屈服する自分を夢想するようになった。やがてはコンラルから屈辱的な言葉を浴びせられる空想に興奮して、自らを慰めるようになっていった。
だが、わらわはコンラルに会う度に自分の願いを隠した。逆にますます憎まれ口を叩くようになった。彼よりも得意な魔法を駆使し「足停」で彼を足止めまでして。彼に跪いて犯されたい願いを封印して。
だが結婚し、彼に抱かれたら素直になれるだろうか。
いっそのこと、コンラルに「言写」の魔法をかけられて彼の奴隷になってしまいたい。「言写」は魔法の中で唯一彼のほうがわらわよりも優れている。わらわのこの指では「言写」の印を結ぶことは出来ぬ。その、彼だけがかけられる魔法にかかってしまいたい。何も考えずにいられる奴隷であれば、どれだけ楽であることか。
わらわはもう、姫様と呼ばれるのも、女王になるのもうんざりしているのだ。人に持ち上げられ、かしずかれるのも沢山だ。そんなものも、まつりごとも、全てコンラルにまかせてしまいたい。
明日はそのコンラルがこの城にやって来る。会いたい。そう思うだけでわらわの恥ずかしいところが濡れてくる。今夜もまた、己を慰めてしまうだろう。
親も兄弟もない。友人もいない。婚約者との仲も思うようにならぬ。そんなわらわには、自らを慰めることぐらいしか、楽しみが無いのだから。
姫様が賊に襲われたのは、この記述の二日後のことである。
<終>