一学期の期末テストの結果が発表された日、わたしは会長室へ三ヶ月ぶりに呼び出された。
肝煎りの特別入学生たちに生徒会長は関心を寄せていて、たまにこんな風に呼び出すことはあるようだ。だからこれ自体は周囲におかしく思われはしないだろう。
でも、わたし自身が腑に落ちない。
……何か不審に思われたのだろうか?
「期末テストの結果、拝見しましたわ。中間テストに続いての学年一位、おめでとうございます」
わたしが部屋に入ると、キヨヒコは情報遮断の魔法。そして第一声が、そんなありきたりな話題だった。
「実技がないので、このくらいはがんばりませんと、ね」
入学審査の際に披露した魔力抑制技術だが、これについてはまだ公開されていない。一般人が飛行魔法などを自由に使えるようになることについて、教育制度や法が整備されていないからだ。
政治家とのパイプは強い。転移魔法などは今なお一般技術をはるか凌駕する力であり、優秀な魔法使いは太古から権力に近い。ゆえに法改正などは問題ない。上級魔法なら既得権との兼ね合いで揉めたかもしれないが、この技術で開放されるのは飛行魔法など中級から初級の魔法であり、まあ大丈夫だろう。
が、それでもどんな変化が生じるかは自明と言えない。
そこで、まずは条例で実験的に地域を限定して教習所を開く、そこで魔法を使えるようになった一般人にも助手になってもらい人手を増やす、問題がないとわかれば地域を拡大していき、最終的には法改正で全国規模に、という順序で普及させる予定で、それらは現在急ピッチで進めているらしいけれど、情報自体はまだ伏せられている。
教師らはそれを知っているが、生徒には伝わっていない。結果、わたしは魔力三桁なのになぜか学院に在籍していて、教師には不思議と一目置かれている、という正体不明の立場になっていた。
今のところ実技は免除されていて、こうなると、こちらとしてはせいぜい学業に励むしかない。わたしは実技の時間は図書館に入り浸る毎日を送っていた。
「放課後にもよく勉強なさっていると、図書委員から評判を伺ってますわ。学生の鑑ですわね」
「大したことではありませんわ」
自室に長時間いると次第にむらむらして何度も射精したくなるからだ、とはさすがに言えない。
「ところで、もうすぐ夏休みですわね」
「はい」
「学院ではオープンスクールを夏休みに催しますの。中等部、高等部、大学部のすべてで」
「……参加しろと?」
「いえ、そんなつもりはないのですけど」
即座に否定された。
「ワカバは、どうかしら?」
「忘れてしまったかもしれませんが、あの子はまだ小学三年生ですわ」
「忘れるわけがありません。七月十二日生まれ、一昨昨日誕生日を迎えた九歳。さぞ可愛い盛りでしょうね……」
早口で即答される。
「あなたも『キヨヒコ』の記憶でご存知と思いますが、あの子は生まれた時から可愛らしくて――」
「そこに関しては、あまり思い出せないのですけれど」
「お可哀想に」
心底哀れむような目を向けられた。
「こんな可愛い子がこの世に本当にいるのかと、幼心に衝撃を受けたものでした。この子のためなら何だってできると本気で思いました」
「……嘘ではなさそうですわね」
彼女の将来のためと、キヨヒコは『自分』すら捨てたのだから。巻き込まれたわたしはいい迷惑だが。
ともあれ、相手の言いたいことをようやく理解した。
オープンスクールの見学者と生徒会長なら、出会っても何らおかしくない。
「誘ってみますわ。『お兄ちゃん』が言えば、上京ぐらいするかもしれませんし、帰りはわたしも一緒に帰省――」
「はあ?! ワカバにこちらへ一人で来させるなんて冗談にしても聞き捨てなりませんわ! 誘拐されたらどう責任取りますの!? あなたが一旦実家へ向かうのが筋でしょう!」
この前挑発しても実に落ち着き払っていたのに、今日は大騒ぎだ。
「それはちょっと、交通費が……」
「わたくしが出しますわ」
「それは、お母さんたちにどんな理屈で説明すればいいのかが全然……それにそんな依怙贔屓はよくないんじゃないかと思いますけれど」
わたしが抗弁すると、キヨヒコは頭を抱えて唸る。茶化すこともできそうにない真剣な苦悩。
「決めました。今回以降、オープンスクールに参加する子には交通費をわたくしのポケットマネーから支給するといたしましょう。未来の魔法使いのためです。理屈は立ちます」
「そこまで……」
わたしだってワカバは大切な妹だと思っているけれど。二年間の離別がおかしくしているのか。
「その、それで、あの、わたくし、あの子と初対面ということになりますので、その、スムーズに接することができないかもしれなくて……」
「お手伝いはしますわよ」
「ありがとうございます!」
土下座せんばかりの勢いで頭を下げる『フタバ』は、初めて年相応の十六歳の女の子に見えた。
*
オープンスクールからそのままワカバとともに帰省。
数日後、学院へ戻ると、待ち構えていたようにキヨヒコへ会長室に呼ばれた。
「その……ワカバは、わたくしについて何か話していましたかしら?」
あの日以降、ワカバが『フタバ』について具体的に話したのは二度。
一つ目は「生徒会長って暇な仕事なの?」(「そんなことはないはずだよ」と答えておいた)。
そして二つ目は、「お兄ちゃん、生徒会長さんに恋されてるの?」(「そんなわけないじゃないか。どうしてそんなことを考えたのさ」と応じると、「将を射んと欲せばまず馬を射よって言うじゃない?」と真面目な顔で返された)。
他に、当日の晩に電車の中で「可愛がられ過ぎておかしくなるペットの気持ちがわかった気がする……」と、ひどく大人びた口調で言っていたが、これはひとまずノーカウントとする。
でも、いずれ元に戻ったらわたしがワカバにあんな変人と思われるわけで。
こうして会ったら文句の一つも言ってやろうと考えていたのだけれど。
期待に顔を輝かせる『フタバ』はあまりに無邪気な可愛らしさに満ちていて。
「…………」
「その沈黙は何ですの!?」
「えーと、別に、悪口は言っていませんでした」
「奥歯に物が挟まったような言い方が激しく気になりますけれど……まあ、いいですわ。初対面ですから控え目を心がけていましたし」
キヨヒコが聞きたかったのはそれだけだったらしく、しばし沈黙が漂う。あちらとしても、ワカバの話は聞けたからもういいやというのはさすがに気まずいのだろうか、まだ追い出しにはかからない。
わたしとしては、せっかくの機会なのでキヨヒコの成長度合いなどを調べておきたくはあるのだが、迂闊な探り方では警戒を強くさせてしまう。
微妙な間合いにある剣道の試合のような、睨み合い。
「ところで、図書館では時折、童話なども読んでいるそうですわね」
先に沈黙を破ったのはキヨヒコだった。
「図書委員の子から訊き出しましたか?」
「学年一位の生徒がどんな本を読んでいるのか、少々興味が湧きまして」
「学年二位が、何をおっしゃるのやら」
「わたくしも、以前はよく図書室へ行きましたわ。小さい頃は童話が好きでした」
少し、冷やりとする。しかし急に話題を変えたら、たぶん一番まずい。
「その記憶はないのですけれど……どんな童話をお読みに?」
白々しい嘘を吐いて、話を促した。
どうにか会話を逸らし、切り上げ、会長室を出た。
精神的な疲労が激しい。たぶん悟られてはいないと思うけど。
わたしの切り札は、『キヨヒコ』の記憶に強く焼きついていたある童話。すでに理論は定まっていて、実践は帰省した時にワカバ相手に経験を積んでいる。
少し確認したくて二、三度いくつかの民話や童話を拾い読みしただけだったのが、まさか目に留まっていたとは。
二度と読まないのは当然として、今後は他にも気をつけよう。ワカバにも「生徒会長にしゃべってしまわないように」と釘を刺しておくべきだろう。
*
「よう、三桁」
学園祭の準備で慌ただしい廊下を歩いていると、明らかにわたしへ向かって声がかけられた。
けれど反応してはいけない。反応すれば、「三桁」を呼び名として認めたことになる。少なくとも、彼らはそういう理屈を言い立てる。
無視して歩いていると、馴れ馴れしく肩を叩かれる。
「キヨヒコくぅん、無視することねえだろ」
叩いてきたのは、彼らのリーダー格であるトシアキ。
夏休み明けに『キヨヒコ』のしたことがわかると、わたしに対する生徒の反応はいくつかに分かれた。
一つは、評価。特別入学者や学院内基準で魔力の低い者に多いが、魔力が高い者の中にも、魔法の普及は魔法の発展につながると考える者はいた。
もう一つは、それまで通りの無視あるいは様子見。一般人が一般人に魔法の手ほどきなど勝手にやってろというところか。かつてのわたしと似ているこの層が、まだ一番多い。
そしてもう一つは、敵視。『フタバ』の去年からの施策によって表向きは数を減らしているようだけれど、魔力の低い魔法使いなんて出来損ない、そもそも学院に来るなという見方はわたしが『フタバ』だった時から根強かった。今回の件も、そういう立場の者にしてみれば、数だけ多い愚民におもちゃを与えるだけで有害無益、ということ。
全体としては、様子見から評価、敵視から様子見といった変化が多いが、トシアキは無視から敵視に転じた珍しいタイプだ。敵視派の頭目のようになり、何かと絡んでくるようになった。
彼はわたしたちと同学年で、一学年で五人といない魔力六桁だ。頭は悪いが魔法ではエリートで、『フタバ』だった時に関わる機会は多かった。
かつてはわたしを畏怖の眼差しで見つめていたのが、この春からは蟻でも見るような目を向けられ、今は蠅を見るような扱い。
彼が接してくるたび、自分の立場の変化を突きつけられるようで、心がざわざわする。
「呼ばれてたの? 気づかなかったよ」
「つれないじゃん。それともあれか? 魔力が低い奴って耳とかも悪いの?」
「そんな事実はないね」
「ところでさ、お前は出ないの? 学園祭の勝ち抜き戦」
学園祭の昔からの名物企画に、魔法による一対一の試合がある。炎や雷光が飛び交う戦いは派手で、試合場全体に防護魔法や障壁魔法の使い手が魔法を重ね掛けしているから致命傷には至らないし観客にも危険はなく、万一重傷ということになっても治療魔法のエキスパートが多数控えている。
「出るつもりはないよ」
今年は。
「まだまだ力不足だし」
魔法の撃ち合いともなれば、出力とスタミナに関係する魔力が大きく影響するのは常識だ。トシアキとしては、そこへわたしを引きずり出して恥をかかせたいのだと簡単に見当がつく。
「いやいや、出りゃいいじゃねえかよ。お前の何ちゃら言うアレなら俺たちと同じように魔法使えるんだろ?」
キヨヒコの功績を軽んじられるのは、非常に腹立たしい。でもそれこそ相手の思う壺なので、我慢する。
相手をしないでいると、トシアキも苛立ちを募らせる。
「怖いのか? 腰抜け」
忍耐。忍耐。
「返事くらいしろよ、童貞」
……ちょっと限界点を超えた、その時。
「何の騒ぎですの?」
わたしたちの前に『フタバ』が現れた。
その声を聞いた時、ほっとした。トシアキは『フタバ』に歯向かうことはないだろう。何もないとごまかして、尻尾を巻いて逃げていくはず。
入学時の『フタバ』の発言からしても、約半年学内を観察したことからも、それは確実に思えた。『フタバ』が開発した再現魔法があれば、魔力の高いトシアキの行動なんて間違いなくばれるし、キヨヒコの姿勢からすればあれでも充分処分の対象になりうる。表沙汰にしたくなければすべてを有耶無耶にして逃げる以外ありえない。
「な、何でもないっすよ、フタバ様」
そう言えば、こいつはわたしがフタバだった頃から、様を付けて呼んでいた。あの時はわたしより背が低かったし声変わりしていなかったからまだマシだったけど、長身になってごつくなった今、そんな猫なで声を出されると、自分に向けられてなくとも気持ち悪い。
昔は歯牙にもかけていなかったけど、今見るとわかる。こいつは『フタバ』に惚れている。キヨヒコも以前のわたし同様相手にしていないようだが。
この場ではことが済んだと観察していると、トシアキが言い募った。
「学園祭の勝ち抜き戦に、キヨヒコくんを誘っただけっすよ。それ以外は何も」
「!?」
見え見えの嘘に、わたしは思わずトシアキを見てしまう。
そして、目を細めたキヨヒコに気づき、自分のその行動こそが最大のミスだったと悟った。
トシアキの行動は、再現魔法について知らないならごく普通のごまかしだ。その可能性を失念していた。
そして、わたしがトシアキが再現魔法を知らないことを知っていると仮定した場合に、わたしのトシアキへの反応はキヨヒコの目にどう映るか。
学園祭の魔法試合への参加、そこで勝ち抜きキヨヒコを引っぱり出して、衆人環視の場で破ることこそがわたしの狙い。キヨヒコにギリギリまで隠そうとしていたその意図をトシアキに言い触らされたから……そう考えておかしくない。
実際の目標は来年に設定していたわけだけど。
どうすればリカバリーできる? 一度キヨヒコにその可能性へと注目させてしまったこの時点で、来年の奇襲は難しくなった。ここで今年の参加を否定しようと意味はない。
唯一の可能性としては、本来のわたしの勘違いをキヨヒコにも気づいてもらうこと。つまりこのまますっとぼけてトシアキを泳がせて、キヨヒコに再現魔法を使わせて、処分させる。
……ただ、それは、したくなかった。
「そうですね、特に何も。お誘いを受けたことですし、検討してみようかなと思っただけです」
わたしの言葉に、トシアキは思いがけない幸運が転がり込んできたとばかりに歯を剥き、キヨヒコは眉をひそめる。
「キヨヒコくん。事情聴取をさせていただきますわ」
言ってわたしの手を取ると、キヨヒコは片手を振り呪文を唱えた。
廊下の只中にぽっかりとドアほどの穴が開く。転移魔法だ。
「フ、フタバ様!」
キヨヒコはわたしを連れてその穴を潜った。
ちらりと振り返ると、トシアキは野性的な顔を歪めてわたしたちを見送っていた。
その憤りは、わたしが『フタバ』に贔屓されていると思ったからか、わたしが『フタバ』のすべすべした手に手を取られているからか。両方かもしれない。
「トシアキとやらを庇い立てする義理でもありましたかしら?」
キヨヒコは不機嫌そうに口を開いた。
「それより……ここが会長室なことに驚いているのですけれど」
転移魔法は、いわば飛行機。短距離の移動には技術を要し、不向きとされている。
「これが一番早いですもの」
キヨヒコはしれっと言う。
「それより、話を逸らさないでいただけます?」
ここで嘘を吐いても勝手に調査されればそこまで。わたしは率直に言うことにした。
「あなたの裁量次第ではけっこう重い処分になるかもと不安になりまして。それには及ばないということです」
「何か不都合でも? 魔力の高さに胡坐をかいていた連中ごとき、悪さを仕出かし次第罰していけば済む話ですのに」
「あなたのしようとしていること、『キヨヒコ』のしたこと、それらの意味がわからないで傲りを捨てられないような相手なら、そんな扱いでもいいかもしれませんが」
「彼は違うと?」
「これまで黙殺していた『キヨヒコ』を厄介な相手だと認識した、危機感を抱いたというのは、取ろうとした手段は愚かしいにせよ、方向性は正しいのではないかなと」
「それが何か? 考えなしにせよ、嗅覚がしっかりしてるにせよ、新しい芽を摘む輩には変わりません。きちんと反省させ――」
「だから、『フタバ』の手を借りず、『キヨヒコ』が相手をしたいと思いました」
わたしの言葉に、キヨヒコは少し目を大きくする。
「相手ができるのかしら? 半年前は卒業するまでにどうこうと頼りないことを言っていた方が」
「まあ、努力してみます」
量るようにわたしを見つめるキヨヒコ。ごまかしは効いてなさそうだが、これ以上自分から何も言うことはない。
自室に戻り、大きく息を吐く。
かなり重大な決断をしてしまった気がする。今年で本当にキヨヒコに勝てるのだろうか。
トシアキを倒した後、わざと負ける? いや、トシアキを今年倒した時点で要注意人物になるのは明白だ。
やるしかない。
……それにしても、なんでわたしは「童貞」という煽り文句にまで怒りを覚えてしまったのか。
深く考え出すと泥沼にはまりそうだったので、努めて忘れることにした。
*
学園祭に向けて、やることが増えてきた。
今のわたしは一介の学生ではあるが、魔力抑制の件で注目されたことや、学科で学年一位なことから、色々な場所に引っ張り出されたり、様々な仕事を頼まれるようになっている。
そんな中、意外に早く当面の仕事が片づいたことで、次の用事との合間に少しまとまった空き時間ができた。
どうしようかと考えて、図書館へ行く。『キヨヒコ』としてのわたしは、学院内で一番落ち着くのはこの場所になっていた。
「あら」
「あ」
キヨヒコと鉢合わせした。
「……よろしかったら、個室で一緒にご覧にならない?」
言いながら、キヨヒコは手にした映像ソフトを掲げる。学院で制作されたもののようで、ラベルによると昨年の学園祭のもの。
「いいですよ」
応じながらも周囲の視線が気になる。トシアキが噂を耳にしたらさらに怒りそうだ。
「あなたも図書館に来るんですね」
個室に入ってすぐに音声を遮断して、話しかける。
「仕事が終わった夜間に来ることが多いですわね。今日はぽっかりと時間が空いたので来ましたが」
似たようなことを考えている。
「こういうものを観たり語学を学習したりしますわ」
翻訳魔法もなくはないが、少しアップデートを怠るとたちまち古びるのが悩ましい。
「学園祭に向けての研究ですか?」
「いえ? 単に大規模魔法が好きなだけですわ」
「へえ」
少し意外だ。
「ワカバのことや最近のあちこちでの発言から、むしろ大規模魔法は嫌いなのではないかと思っていましたけど」
「大規模魔術への拘泥が、魔力量偏重の流れを作り、ワカバのような子が苦労する世界にしたことは間違いありません」
かつて一般技術が発展し始めて、魔法が独占していた領域を脅かし始めた時、魔法使いたちは一般技術では追いつけないほど高度で大規模なレベルへ魔法を引き上げる路線を選択した。それは転移魔法など一部で今もうまくいっているが、むしろ魔法は多くの人が便利に使えるような開発へも力を割くべきだったろう――そうキヨヒコはあちこちで主張していて、今はわたしも賛同している。
「でも、それと好き嫌いはまた別物ですわ」
どこか開き直るように、言う。
「詠唱に応じて術者の眼前に現れる、美しい魔力の塊。それが花火のように鮮やかに高速で広がって、その中から生まれる炎や氷や雷。まあ、そちらは意外と単調なのですけれど、魔力塊の形や色合いとその広がり方に関しては個々人で千差万別。見飽きることはありませんわ。殊に、魔力が五十万以上ある人の場合、魔力塊の中心に宝石のような核が見えて……」
美しい顔を珍しくも上気させて、魔法について語っている。
わたしの――『フタバ』の――記憶の中にもいくらでもあるのに、わざわざ映像で見たがるとは、キヨヒコは本当に魔法が好きなのだなと改めて知る。
かつてのわたしが当たり前のように享受し、かつてのキヨヒコが切望していた世界に咲く花火。
「今のあなたに、あれほど美しいものが作り出せますの?」
わたしを見つめるキヨヒコの目を見れば、その言葉を額面通りに受け取るような鈍感な受け答えはできなかった。
「先日のトシアキとの一件、勝算があってのことか、成り行きと虚勢で参加を言い張る羽目になったのか、わたくしには判断しきれないところがあります」
声にも、キヨヒコなりの気遣いは感じ取れる。
「あなたのすべてを奪っておいて言えた義理ではありませんが、あなたに不幸になって欲しいわけではないのです」
はなはだ身勝手な言い草ではあるけれど、本心ではあるのだろう。
あのまま『キヨヒコ』として田舎で暮らしていくのも、特別入学者として低い魔力をわきまえて学院の片隅でひっそり過ごすのも、わたしのかつての立場さえ忘れてしまえば、たぶん、不幸とまでは言わない。
それに対して、学園祭の魔法試合への参加は、魔力を誇る層へ喧嘩を売るような行為。勝ち抜ければいいが、失敗すれば以後の生活は針の筵となる。
わたしたちは何て面倒な関係なのだろうと改めて思う。キヨヒコはわたしを叩き潰したいわけではない。わたしもキヨヒコのしようとしていることを止めたいわけではない。
あるいは、ここでわたしさえ引けば、わたしたちはもう丸く収まってしまうのかもしれない。
今の自分にできることを、周囲に波風立たないように進めていく。そのための環境整備や下準備はキヨヒコがしてくれるだろう。もしかしたら適材適所という意味では、それが一番なのかもしれない。
ほんの一瞬、妄想する。過去を水に流して穏やかに接するわたしたち。ワカバがいるから、わたしたちのつながりは簡単には途切れない。わたしが『キヨヒコ』として挙げる業績次第では、わたしが『フタバ』の夫になるなんて未来も……
……でも。
「春に言ったことの繰り返しみたいなものかもしれませんけれど」
わたしはかぶりを振るしかない。
「身体も、立場も、魔力さえも、わたしのものとは言い難いならば、後に残るのは生き方だけでしょう」
「これが、あなたをあなたたらしめる生き方だと?」
問うキヨヒコに、「その通り」と答える。
「あなたが、『キヨヒコ』としてのほとんどすべてを捨てて、『フタバ』として『立派な魔法使い』になると決めたように」
半年前と同じように、キヨヒコが顔をしかめる。
「こんな目に遭わされたわたしは、あなたへ殴り返さないと気が済まないということです」
「……癇性なのは、相変わらずのようですわね」
肝煎りの特別入学生たちに生徒会長は関心を寄せていて、たまにこんな風に呼び出すことはあるようだ。だからこれ自体は周囲におかしく思われはしないだろう。
でも、わたし自身が腑に落ちない。
……何か不審に思われたのだろうか?
「期末テストの結果、拝見しましたわ。中間テストに続いての学年一位、おめでとうございます」
わたしが部屋に入ると、キヨヒコは情報遮断の魔法。そして第一声が、そんなありきたりな話題だった。
「実技がないので、このくらいはがんばりませんと、ね」
入学審査の際に披露した魔力抑制技術だが、これについてはまだ公開されていない。一般人が飛行魔法などを自由に使えるようになることについて、教育制度や法が整備されていないからだ。
政治家とのパイプは強い。転移魔法などは今なお一般技術をはるか凌駕する力であり、優秀な魔法使いは太古から権力に近い。ゆえに法改正などは問題ない。上級魔法なら既得権との兼ね合いで揉めたかもしれないが、この技術で開放されるのは飛行魔法など中級から初級の魔法であり、まあ大丈夫だろう。
が、それでもどんな変化が生じるかは自明と言えない。
そこで、まずは条例で実験的に地域を限定して教習所を開く、そこで魔法を使えるようになった一般人にも助手になってもらい人手を増やす、問題がないとわかれば地域を拡大していき、最終的には法改正で全国規模に、という順序で普及させる予定で、それらは現在急ピッチで進めているらしいけれど、情報自体はまだ伏せられている。
教師らはそれを知っているが、生徒には伝わっていない。結果、わたしは魔力三桁なのになぜか学院に在籍していて、教師には不思議と一目置かれている、という正体不明の立場になっていた。
今のところ実技は免除されていて、こうなると、こちらとしてはせいぜい学業に励むしかない。わたしは実技の時間は図書館に入り浸る毎日を送っていた。
「放課後にもよく勉強なさっていると、図書委員から評判を伺ってますわ。学生の鑑ですわね」
「大したことではありませんわ」
自室に長時間いると次第にむらむらして何度も射精したくなるからだ、とはさすがに言えない。
「ところで、もうすぐ夏休みですわね」
「はい」
「学院ではオープンスクールを夏休みに催しますの。中等部、高等部、大学部のすべてで」
「……参加しろと?」
「いえ、そんなつもりはないのですけど」
即座に否定された。
「ワカバは、どうかしら?」
「忘れてしまったかもしれませんが、あの子はまだ小学三年生ですわ」
「忘れるわけがありません。七月十二日生まれ、一昨昨日誕生日を迎えた九歳。さぞ可愛い盛りでしょうね……」
早口で即答される。
「あなたも『キヨヒコ』の記憶でご存知と思いますが、あの子は生まれた時から可愛らしくて――」
「そこに関しては、あまり思い出せないのですけれど」
「お可哀想に」
心底哀れむような目を向けられた。
「こんな可愛い子がこの世に本当にいるのかと、幼心に衝撃を受けたものでした。この子のためなら何だってできると本気で思いました」
「……嘘ではなさそうですわね」
彼女の将来のためと、キヨヒコは『自分』すら捨てたのだから。巻き込まれたわたしはいい迷惑だが。
ともあれ、相手の言いたいことをようやく理解した。
オープンスクールの見学者と生徒会長なら、出会っても何らおかしくない。
「誘ってみますわ。『お兄ちゃん』が言えば、上京ぐらいするかもしれませんし、帰りはわたしも一緒に帰省――」
「はあ?! ワカバにこちらへ一人で来させるなんて冗談にしても聞き捨てなりませんわ! 誘拐されたらどう責任取りますの!? あなたが一旦実家へ向かうのが筋でしょう!」
この前挑発しても実に落ち着き払っていたのに、今日は大騒ぎだ。
「それはちょっと、交通費が……」
「わたくしが出しますわ」
「それは、お母さんたちにどんな理屈で説明すればいいのかが全然……それにそんな依怙贔屓はよくないんじゃないかと思いますけれど」
わたしが抗弁すると、キヨヒコは頭を抱えて唸る。茶化すこともできそうにない真剣な苦悩。
「決めました。今回以降、オープンスクールに参加する子には交通費をわたくしのポケットマネーから支給するといたしましょう。未来の魔法使いのためです。理屈は立ちます」
「そこまで……」
わたしだってワカバは大切な妹だと思っているけれど。二年間の離別がおかしくしているのか。
「その、それで、あの、わたくし、あの子と初対面ということになりますので、その、スムーズに接することができないかもしれなくて……」
「お手伝いはしますわよ」
「ありがとうございます!」
土下座せんばかりの勢いで頭を下げる『フタバ』は、初めて年相応の十六歳の女の子に見えた。
*
オープンスクールからそのままワカバとともに帰省。
数日後、学院へ戻ると、待ち構えていたようにキヨヒコへ会長室に呼ばれた。
「その……ワカバは、わたくしについて何か話していましたかしら?」
あの日以降、ワカバが『フタバ』について具体的に話したのは二度。
一つ目は「生徒会長って暇な仕事なの?」(「そんなことはないはずだよ」と答えておいた)。
そして二つ目は、「お兄ちゃん、生徒会長さんに恋されてるの?」(「そんなわけないじゃないか。どうしてそんなことを考えたのさ」と応じると、「将を射んと欲せばまず馬を射よって言うじゃない?」と真面目な顔で返された)。
他に、当日の晩に電車の中で「可愛がられ過ぎておかしくなるペットの気持ちがわかった気がする……」と、ひどく大人びた口調で言っていたが、これはひとまずノーカウントとする。
でも、いずれ元に戻ったらわたしがワカバにあんな変人と思われるわけで。
こうして会ったら文句の一つも言ってやろうと考えていたのだけれど。
期待に顔を輝かせる『フタバ』はあまりに無邪気な可愛らしさに満ちていて。
「…………」
「その沈黙は何ですの!?」
「えーと、別に、悪口は言っていませんでした」
「奥歯に物が挟まったような言い方が激しく気になりますけれど……まあ、いいですわ。初対面ですから控え目を心がけていましたし」
キヨヒコが聞きたかったのはそれだけだったらしく、しばし沈黙が漂う。あちらとしても、ワカバの話は聞けたからもういいやというのはさすがに気まずいのだろうか、まだ追い出しにはかからない。
わたしとしては、せっかくの機会なのでキヨヒコの成長度合いなどを調べておきたくはあるのだが、迂闊な探り方では警戒を強くさせてしまう。
微妙な間合いにある剣道の試合のような、睨み合い。
「ところで、図書館では時折、童話なども読んでいるそうですわね」
先に沈黙を破ったのはキヨヒコだった。
「図書委員の子から訊き出しましたか?」
「学年一位の生徒がどんな本を読んでいるのか、少々興味が湧きまして」
「学年二位が、何をおっしゃるのやら」
「わたくしも、以前はよく図書室へ行きましたわ。小さい頃は童話が好きでした」
少し、冷やりとする。しかし急に話題を変えたら、たぶん一番まずい。
「その記憶はないのですけれど……どんな童話をお読みに?」
白々しい嘘を吐いて、話を促した。
どうにか会話を逸らし、切り上げ、会長室を出た。
精神的な疲労が激しい。たぶん悟られてはいないと思うけど。
わたしの切り札は、『キヨヒコ』の記憶に強く焼きついていたある童話。すでに理論は定まっていて、実践は帰省した時にワカバ相手に経験を積んでいる。
少し確認したくて二、三度いくつかの民話や童話を拾い読みしただけだったのが、まさか目に留まっていたとは。
二度と読まないのは当然として、今後は他にも気をつけよう。ワカバにも「生徒会長にしゃべってしまわないように」と釘を刺しておくべきだろう。
*
「よう、三桁」
学園祭の準備で慌ただしい廊下を歩いていると、明らかにわたしへ向かって声がかけられた。
けれど反応してはいけない。反応すれば、「三桁」を呼び名として認めたことになる。少なくとも、彼らはそういう理屈を言い立てる。
無視して歩いていると、馴れ馴れしく肩を叩かれる。
「キヨヒコくぅん、無視することねえだろ」
叩いてきたのは、彼らのリーダー格であるトシアキ。
夏休み明けに『キヨヒコ』のしたことがわかると、わたしに対する生徒の反応はいくつかに分かれた。
一つは、評価。特別入学者や学院内基準で魔力の低い者に多いが、魔力が高い者の中にも、魔法の普及は魔法の発展につながると考える者はいた。
もう一つは、それまで通りの無視あるいは様子見。一般人が一般人に魔法の手ほどきなど勝手にやってろというところか。かつてのわたしと似ているこの層が、まだ一番多い。
そしてもう一つは、敵視。『フタバ』の去年からの施策によって表向きは数を減らしているようだけれど、魔力の低い魔法使いなんて出来損ない、そもそも学院に来るなという見方はわたしが『フタバ』だった時から根強かった。今回の件も、そういう立場の者にしてみれば、数だけ多い愚民におもちゃを与えるだけで有害無益、ということ。
全体としては、様子見から評価、敵視から様子見といった変化が多いが、トシアキは無視から敵視に転じた珍しいタイプだ。敵視派の頭目のようになり、何かと絡んでくるようになった。
彼はわたしたちと同学年で、一学年で五人といない魔力六桁だ。頭は悪いが魔法ではエリートで、『フタバ』だった時に関わる機会は多かった。
かつてはわたしを畏怖の眼差しで見つめていたのが、この春からは蟻でも見るような目を向けられ、今は蠅を見るような扱い。
彼が接してくるたび、自分の立場の変化を突きつけられるようで、心がざわざわする。
「呼ばれてたの? 気づかなかったよ」
「つれないじゃん。それともあれか? 魔力が低い奴って耳とかも悪いの?」
「そんな事実はないね」
「ところでさ、お前は出ないの? 学園祭の勝ち抜き戦」
学園祭の昔からの名物企画に、魔法による一対一の試合がある。炎や雷光が飛び交う戦いは派手で、試合場全体に防護魔法や障壁魔法の使い手が魔法を重ね掛けしているから致命傷には至らないし観客にも危険はなく、万一重傷ということになっても治療魔法のエキスパートが多数控えている。
「出るつもりはないよ」
今年は。
「まだまだ力不足だし」
魔法の撃ち合いともなれば、出力とスタミナに関係する魔力が大きく影響するのは常識だ。トシアキとしては、そこへわたしを引きずり出して恥をかかせたいのだと簡単に見当がつく。
「いやいや、出りゃいいじゃねえかよ。お前の何ちゃら言うアレなら俺たちと同じように魔法使えるんだろ?」
キヨヒコの功績を軽んじられるのは、非常に腹立たしい。でもそれこそ相手の思う壺なので、我慢する。
相手をしないでいると、トシアキも苛立ちを募らせる。
「怖いのか? 腰抜け」
忍耐。忍耐。
「返事くらいしろよ、童貞」
……ちょっと限界点を超えた、その時。
「何の騒ぎですの?」
わたしたちの前に『フタバ』が現れた。
その声を聞いた時、ほっとした。トシアキは『フタバ』に歯向かうことはないだろう。何もないとごまかして、尻尾を巻いて逃げていくはず。
入学時の『フタバ』の発言からしても、約半年学内を観察したことからも、それは確実に思えた。『フタバ』が開発した再現魔法があれば、魔力の高いトシアキの行動なんて間違いなくばれるし、キヨヒコの姿勢からすればあれでも充分処分の対象になりうる。表沙汰にしたくなければすべてを有耶無耶にして逃げる以外ありえない。
「な、何でもないっすよ、フタバ様」
そう言えば、こいつはわたしがフタバだった頃から、様を付けて呼んでいた。あの時はわたしより背が低かったし声変わりしていなかったからまだマシだったけど、長身になってごつくなった今、そんな猫なで声を出されると、自分に向けられてなくとも気持ち悪い。
昔は歯牙にもかけていなかったけど、今見るとわかる。こいつは『フタバ』に惚れている。キヨヒコも以前のわたし同様相手にしていないようだが。
この場ではことが済んだと観察していると、トシアキが言い募った。
「学園祭の勝ち抜き戦に、キヨヒコくんを誘っただけっすよ。それ以外は何も」
「!?」
見え見えの嘘に、わたしは思わずトシアキを見てしまう。
そして、目を細めたキヨヒコに気づき、自分のその行動こそが最大のミスだったと悟った。
トシアキの行動は、再現魔法について知らないならごく普通のごまかしだ。その可能性を失念していた。
そして、わたしがトシアキが再現魔法を知らないことを知っていると仮定した場合に、わたしのトシアキへの反応はキヨヒコの目にどう映るか。
学園祭の魔法試合への参加、そこで勝ち抜きキヨヒコを引っぱり出して、衆人環視の場で破ることこそがわたしの狙い。キヨヒコにギリギリまで隠そうとしていたその意図をトシアキに言い触らされたから……そう考えておかしくない。
実際の目標は来年に設定していたわけだけど。
どうすればリカバリーできる? 一度キヨヒコにその可能性へと注目させてしまったこの時点で、来年の奇襲は難しくなった。ここで今年の参加を否定しようと意味はない。
唯一の可能性としては、本来のわたしの勘違いをキヨヒコにも気づいてもらうこと。つまりこのまますっとぼけてトシアキを泳がせて、キヨヒコに再現魔法を使わせて、処分させる。
……ただ、それは、したくなかった。
「そうですね、特に何も。お誘いを受けたことですし、検討してみようかなと思っただけです」
わたしの言葉に、トシアキは思いがけない幸運が転がり込んできたとばかりに歯を剥き、キヨヒコは眉をひそめる。
「キヨヒコくん。事情聴取をさせていただきますわ」
言ってわたしの手を取ると、キヨヒコは片手を振り呪文を唱えた。
廊下の只中にぽっかりとドアほどの穴が開く。転移魔法だ。
「フ、フタバ様!」
キヨヒコはわたしを連れてその穴を潜った。
ちらりと振り返ると、トシアキは野性的な顔を歪めてわたしたちを見送っていた。
その憤りは、わたしが『フタバ』に贔屓されていると思ったからか、わたしが『フタバ』のすべすべした手に手を取られているからか。両方かもしれない。
「トシアキとやらを庇い立てする義理でもありましたかしら?」
キヨヒコは不機嫌そうに口を開いた。
「それより……ここが会長室なことに驚いているのですけれど」
転移魔法は、いわば飛行機。短距離の移動には技術を要し、不向きとされている。
「これが一番早いですもの」
キヨヒコはしれっと言う。
「それより、話を逸らさないでいただけます?」
ここで嘘を吐いても勝手に調査されればそこまで。わたしは率直に言うことにした。
「あなたの裁量次第ではけっこう重い処分になるかもと不安になりまして。それには及ばないということです」
「何か不都合でも? 魔力の高さに胡坐をかいていた連中ごとき、悪さを仕出かし次第罰していけば済む話ですのに」
「あなたのしようとしていること、『キヨヒコ』のしたこと、それらの意味がわからないで傲りを捨てられないような相手なら、そんな扱いでもいいかもしれませんが」
「彼は違うと?」
「これまで黙殺していた『キヨヒコ』を厄介な相手だと認識した、危機感を抱いたというのは、取ろうとした手段は愚かしいにせよ、方向性は正しいのではないかなと」
「それが何か? 考えなしにせよ、嗅覚がしっかりしてるにせよ、新しい芽を摘む輩には変わりません。きちんと反省させ――」
「だから、『フタバ』の手を借りず、『キヨヒコ』が相手をしたいと思いました」
わたしの言葉に、キヨヒコは少し目を大きくする。
「相手ができるのかしら? 半年前は卒業するまでにどうこうと頼りないことを言っていた方が」
「まあ、努力してみます」
量るようにわたしを見つめるキヨヒコ。ごまかしは効いてなさそうだが、これ以上自分から何も言うことはない。
自室に戻り、大きく息を吐く。
かなり重大な決断をしてしまった気がする。今年で本当にキヨヒコに勝てるのだろうか。
トシアキを倒した後、わざと負ける? いや、トシアキを今年倒した時点で要注意人物になるのは明白だ。
やるしかない。
……それにしても、なんでわたしは「童貞」という煽り文句にまで怒りを覚えてしまったのか。
深く考え出すと泥沼にはまりそうだったので、努めて忘れることにした。
*
学園祭に向けて、やることが増えてきた。
今のわたしは一介の学生ではあるが、魔力抑制の件で注目されたことや、学科で学年一位なことから、色々な場所に引っ張り出されたり、様々な仕事を頼まれるようになっている。
そんな中、意外に早く当面の仕事が片づいたことで、次の用事との合間に少しまとまった空き時間ができた。
どうしようかと考えて、図書館へ行く。『キヨヒコ』としてのわたしは、学院内で一番落ち着くのはこの場所になっていた。
「あら」
「あ」
キヨヒコと鉢合わせした。
「……よろしかったら、個室で一緒にご覧にならない?」
言いながら、キヨヒコは手にした映像ソフトを掲げる。学院で制作されたもののようで、ラベルによると昨年の学園祭のもの。
「いいですよ」
応じながらも周囲の視線が気になる。トシアキが噂を耳にしたらさらに怒りそうだ。
「あなたも図書館に来るんですね」
個室に入ってすぐに音声を遮断して、話しかける。
「仕事が終わった夜間に来ることが多いですわね。今日はぽっかりと時間が空いたので来ましたが」
似たようなことを考えている。
「こういうものを観たり語学を学習したりしますわ」
翻訳魔法もなくはないが、少しアップデートを怠るとたちまち古びるのが悩ましい。
「学園祭に向けての研究ですか?」
「いえ? 単に大規模魔法が好きなだけですわ」
「へえ」
少し意外だ。
「ワカバのことや最近のあちこちでの発言から、むしろ大規模魔法は嫌いなのではないかと思っていましたけど」
「大規模魔術への拘泥が、魔力量偏重の流れを作り、ワカバのような子が苦労する世界にしたことは間違いありません」
かつて一般技術が発展し始めて、魔法が独占していた領域を脅かし始めた時、魔法使いたちは一般技術では追いつけないほど高度で大規模なレベルへ魔法を引き上げる路線を選択した。それは転移魔法など一部で今もうまくいっているが、むしろ魔法は多くの人が便利に使えるような開発へも力を割くべきだったろう――そうキヨヒコはあちこちで主張していて、今はわたしも賛同している。
「でも、それと好き嫌いはまた別物ですわ」
どこか開き直るように、言う。
「詠唱に応じて術者の眼前に現れる、美しい魔力の塊。それが花火のように鮮やかに高速で広がって、その中から生まれる炎や氷や雷。まあ、そちらは意外と単調なのですけれど、魔力塊の形や色合いとその広がり方に関しては個々人で千差万別。見飽きることはありませんわ。殊に、魔力が五十万以上ある人の場合、魔力塊の中心に宝石のような核が見えて……」
美しい顔を珍しくも上気させて、魔法について語っている。
わたしの――『フタバ』の――記憶の中にもいくらでもあるのに、わざわざ映像で見たがるとは、キヨヒコは本当に魔法が好きなのだなと改めて知る。
かつてのわたしが当たり前のように享受し、かつてのキヨヒコが切望していた世界に咲く花火。
「今のあなたに、あれほど美しいものが作り出せますの?」
わたしを見つめるキヨヒコの目を見れば、その言葉を額面通りに受け取るような鈍感な受け答えはできなかった。
「先日のトシアキとの一件、勝算があってのことか、成り行きと虚勢で参加を言い張る羽目になったのか、わたくしには判断しきれないところがあります」
声にも、キヨヒコなりの気遣いは感じ取れる。
「あなたのすべてを奪っておいて言えた義理ではありませんが、あなたに不幸になって欲しいわけではないのです」
はなはだ身勝手な言い草ではあるけれど、本心ではあるのだろう。
あのまま『キヨヒコ』として田舎で暮らしていくのも、特別入学者として低い魔力をわきまえて学院の片隅でひっそり過ごすのも、わたしのかつての立場さえ忘れてしまえば、たぶん、不幸とまでは言わない。
それに対して、学園祭の魔法試合への参加は、魔力を誇る層へ喧嘩を売るような行為。勝ち抜ければいいが、失敗すれば以後の生活は針の筵となる。
わたしたちは何て面倒な関係なのだろうと改めて思う。キヨヒコはわたしを叩き潰したいわけではない。わたしもキヨヒコのしようとしていることを止めたいわけではない。
あるいは、ここでわたしさえ引けば、わたしたちはもう丸く収まってしまうのかもしれない。
今の自分にできることを、周囲に波風立たないように進めていく。そのための環境整備や下準備はキヨヒコがしてくれるだろう。もしかしたら適材適所という意味では、それが一番なのかもしれない。
ほんの一瞬、妄想する。過去を水に流して穏やかに接するわたしたち。ワカバがいるから、わたしたちのつながりは簡単には途切れない。わたしが『キヨヒコ』として挙げる業績次第では、わたしが『フタバ』の夫になるなんて未来も……
……でも。
「春に言ったことの繰り返しみたいなものかもしれませんけれど」
わたしはかぶりを振るしかない。
「身体も、立場も、魔力さえも、わたしのものとは言い難いならば、後に残るのは生き方だけでしょう」
「これが、あなたをあなたたらしめる生き方だと?」
問うキヨヒコに、「その通り」と答える。
「あなたが、『キヨヒコ』としてのほとんどすべてを捨てて、『フタバ』として『立派な魔法使い』になると決めたように」
半年前と同じように、キヨヒコが顔をしかめる。
「こんな目に遭わされたわたしは、あなたへ殴り返さないと気が済まないということです」
「……癇性なのは、相変わらずのようですわね」
>……まあ、いいですわ。初対面ですから控え目を心がけていましたし
控えめだったんだ。
何があったのか機会があったら見てみたいです。
あと、真面目な話、フタバとの決着をどうつけるのか、続きの後半も楽しみにしています。
結構なシスコンだったんだなキヨヒコ………
元に戻ってほしいけど元に戻らない方が美味しいというか面白くなりそうな気もするし
でもフタバには勝ってほしいし
先が気になってドキドキする
質は文句なく高いのだけど、もう少しボリュームが欲しかったという思いと
出てくれただけ有り難いという思いが交錯して複雑だ。
フタバ(現キヨヒコ)が戻れるかというのは作品の主題ではあるけれど、
戻れても戻れなくてもそれなりに納得はできると思う。
ただ、前編で丁寧に描いた背景を活かすためにも中編のイベントは
後編に引っ張らず、中編2とでもしてそこでまとめた方が良さそう。
シスコン描写は時間経過によるキヨヒコ(現フタバ)感情の移ろいを
上手く表現できてて良いなぁと思った。
やはりいい話だ
前に読んだときは
・フタバに認められて、新しいフタバになる
・元の体に戻ってフタバと付き合う
といった 『勝ち組』エンドになるのかなぁと思ってた
でもひょっとすると、その反対、つまり
絶大な魔力、美しい容姿、万人から憧れらる立場、地位、名声 そして 『好きになった子』も
全て失い、外から見たら、元の木阿弥・・・といったエンドも在り得るかも
何故なら、キヨヒコはそれらよりも、もっと大事なものを既に持っていたんじゃないかと思ったもんで
フタバの全てを奪った事で、見失ったかもしれないそれを
取りも戻せるんじゃないかと、ふと思ってしまった
まあ、何もかも失って、ニヒルな笑みを浮かべて
一人、夕陽に消えていく、キヨヒコを想像してしまっただけですが