この館には呪いがかかっている。
中に入ってくる男を女に変えてしまうのだ。
私はこの館に来る前は男だった。父母を幼いうちに亡くして施設で暮らしていた。ある日、君に養子の話がある、と施設の職員が伝えてくれた。まず先方の家で会うことにした。
車が施設に迎えに来た。女性の運転手は不思議そうに言った。
「男の人ですか」
そう言った意味が、その時はわからなかった。
車がその家の門柱の間を通り過ぎた。扉はなく、門柱だけが二本並んで立っているのだ。
変化はその時に起こった。
体が、頭の上から足の先まで、痛かったりかゆかったりしびれたり、あらゆる感覚が総出でやってきた。
自分が何か違うものに作り変えられている、ということだけはわかった。
最初に気づいたのは自分が縮んでいることだった。男物のシャツやズボンや靴がぶかぶかになっていた。
髪が長くなって額にかかっている感覚があった。何が自分の体に起きたのかと思った。股にあるべきものが無くなった、とか、胸が膨らんでいる、とかがわかったのはその後だ。
車が停止した。
「奥様がご説明なさいますので」
運転手が言った。私は車を降りた。
「ごめんなさい。かおるさん、って聞いたから女の子だとばかり」
奥様、自分が養子になれば母親になるという人は、痩せて落ち着いた、高貴な雰囲気のある女性だった。五十代くらいだろうか。
「帰りたくなった?」
「あの、その前にどうして私を養子にしようとしたのか教えて下さい」
その時の私は、奥様が若い頃に着ていたというワンピースをメイドに着させられていた。
「下着は申し訳ありませんがそのままで」
何が申し訳ないのかわからないが、ワンピースの中は男物のブリーフにノーブラだった。
「今の若い人の流行とは違うんでしょうけど、結構、似合ってる」
とは、奥様の感想だった。
「ああそう、養子の話だった」
奥様は順を追って話してくれた。
「まず、後継ぎが欲しかったの。わたしも老い先が短いと思って」
奥様はこの館の他に、あちこちにビルや土地を持っていて、その家賃収入だけでも相当な額になるという。相続税対策のため会社組織にもした。だが、肝心な相続人がいない。
「でも、わたしも実は孤児から拾われた養女で、親類という人がいないの。それで昔の友達の娘さんならと思って探したら」
「私の母の友達だったんですか」
「いいえ。あなたのお父様の友達」
恋人ではなくて?
「あなたのお父様の恋人は、あなたのお母様。わたしはただの友達。あなたのお父様とお母様は本当に仲が良くて。でも事故で二人とも亡くなられて」
涙腺が緩んだらしい。奥様は目元に指先を当てた。
「最近になって、お二人にお子さんがいたという話を思い出して調べたの。それで施設にいるというから」
性別を調べるのももどかしく、即座に養子にすると申し出たという。
「お願い。わたしの養子になってほしいの」
奥様は、性急に頼み込んだ。
その時に私は、この家の財産とか、それまでに暮らした施設とか、女になってしまったこととか、父と奥様との昔の関係とか、法律上の手続きとか、そうしたことが頭から消えてしまっていた。
私が見ていたのは、奥様の眼だった。
その黒目はまっすぐに私を見て、強く訴えかけていた。まるで奥様の人生が、この一瞬に凝縮されているかのような強い想いが伝わってきた。
この眼に応えなければならない、と思った。
「わかりました。養子になります」
その時から、奥様は私のお義母様になった。
「ありがとう」
お義母様は一気に緊張が解けたような表情になった。そのまま倒れ込むかとまで思ったが、まだ立っていた。
「ところで、私はどうして女になったんですか」
「ああ、肝心なことを言い忘れていた。この館には呪いがかかっているの」
「呪い?」
「わたしは写真でしか知らない人だけど、わたしの義母の母が、妊娠までしていたのに好きだった男の人に逃げられて捨てられて。明治の頃のことだから、親が決めたわけでもない男の人の子供を産むって大変なこと。それでも女の立場が弱い時代だから泣き寝入りするしかなかった。それで、この館に男は二度と入れさせない、と呪いをかけたの。魔法か、妖術が使えたのね」
「信じられない」
「でも事実。かおるさんも現に女になっているし」
その通りだ。信じるしかない。
「その男の人とか、相手の女の人とかを呪ったりはしなかったんですね」
「人を呪わば穴二つよ。だからそれは避けて、男さえいなければこの館の女は失敗しない、だから女しかこの館には入れさせない、男が入ろうとしたら女に変えてしまおう、と考えたらしいの。昔はね、本当に魔法も妖術もあったの。でもなぜ無くなったと思う? 信じる人がいなくなったから」
そういうものなのか。
「その人が産んだのが、わたしの義母。そのお祖母さんは義母を産んだ後、女だてらに馬車馬のように働いたらしい。自分を捨てた男が資産家の娘と結婚したというから、自分が負けないくらいの資産家になってやると言って。この家の資産はそのお祖母さんのおかげなの」
義母との会話を終えると、義母は仕事があるとかで、かおるはメイドに自室を案内された。
「お嬢様のお部屋はこちらです」
「お嬢様はやめてください」
仰々しいし、それに女性への呼称は勘弁してほしかった。
「しかし、この館の後継ぎになられたということですから、わたくしどもからはお嬢様ということになります」
メイドにしてみれば、いずれご主人様になられるかた、であるらしい。
「とは言っても、ついさっきまで男だったのだし」
「それでは、かおる様とお呼びします」
様はいらない、と思ったが、それくらいなら仕方がないと思い直した。
「わかりました。そうしてください」
部屋の中に入ったら、メイドもついてきた。
「かおる様のお体を採寸します」
「採寸、って?」
「下着や部屋着、庭に出る時の外着など、急いでご用意しなければなりませんから」
メイドの手には、いつの間にかメジャーが握られていた。
「鏡の前で、お召し物をお脱ぎになっていただけますか」
「勘弁してください」
そう言うと、メイドが途端に情けない顔になった。
「お願いいたします。わたくしが奥様にきつく叱られますので」
しかし、裸を見せろと言われるのは、
「今朝まで男だったのだから見せるのは恥ずかしい」
「今は女同士ですから恥ずかしくありません。なんでしたら、私が先に脱ぎますので」
彼女はメイド服を脱いで、上半身ブラジャー一枚になった。さらにはそれも外そうとした。
「やめてください」
今朝まで男だった人の前で、知らない女性を裸にさせるのはまずい。
「わかりました。脱ぎます」
私は上半身裸になった。見下ろすと確かに自分の胸が膨らんでいた。目の前の鏡を見ると、まごうかたなき女の裸があった。私は女の裸など施設で見る機会は無かった。それが目の前にあって、それも自分の裸だ。
(わりと、綺麗というか、出る所がはっきり出ている体だな)
一方、顔を見ると、やや細面で、垂れ目なところが可愛らしい。女性がいつまでも鏡で自分の顔を見つめている気持ちがわかるような気がした。
(それにしても妙な気がする)
私は今朝まで健康な男子だった。下着姿の女性を見たり、女の裸を見たりすれば、当然興奮してしかるべきだ。しかし股間に立つべきものはない。裸を見せている恥ずかしさはある。しかしそれ以外の、例えば裸の女性と性的に繋がりたいという気持ちが全然湧いてこなかった。
(例えば、この胸を揉んだら、むらむらした気持ちになるものだろうか)
「ひゃっ」
胸に妙な感触を覚えて驚いた。メイドが私の胸にメジャーを当てていた。
「トップは84、と」
胸のサイズを測る時は乳首ではなくそのすぐ下にメジャーを当てるものらしい。
「アンダーは70。ブラジャーは70のB、いや、Cですね」
私は可愛らしい顔の割に胸は大きい、のか?
「ウェストは61。それから、」
私は朝から穿いていた男物のブリーフ一枚になっていた。メイドはそれを見ても何も言わない。感情を抑える訓練でもしているのだろうか。そのブリーフの上からメジャーを当てられた。
「ヒップは85、と」
モデルになれるほどではないが、割と肉感的な体型かもしれない。
それからメイドは、肩幅、裄丈、股下(!)などを、次々に測っていった。
「終わりました。服を着て下さい」
メイドは自分の服も着た。首周りにフリルのついた可愛らしいメイド服だ。慌てて私も義母のワンピースを身につけた。
「今日中に下着類は届けます。それから、明日には洋装の布生地を用意しますので、ご覧になってください」
「布生地、って、この館で作るの?」
「簡単な服であれば、買うよりも早いです」
「そうなの?」
「お裁縫の仕事が無くなるとわたくしは職を失くしてしまいます。是非、作らせてください」
そう言って、メイドは去っていった。性別ばかりではない。私の暮らしは衣服ひとつとってもまるっきり変わってしまうようだった。
その日の夕方には、女物の下着とパジャマが部屋に届けられた。翌日に布生地を選んだ。するとその二日後には部屋着が、四日後には外着が、その生地から仕立てられていた。
この館には本当に女性しかいなかった。主人である義母、メイド、運転手、料理人、執事、いずれも女だった。それだけではなく、この館の財産を管理するために出入りする人たちも女性だった。聞いてみると、出入りする弁護士、司法書士、税理士、医師、みな女の人であるらしい。
頻繁にそうした人たちがこの館を出入りしていた。一方、義母は館を出ることがなかった。常にこの館の中心にいるのだった。
どうしてお義母様は外に出ないのか、と聞いてみた。
「わたしね、アゴラフォビアなの」
「あごら?」
「広場恐怖症とも言います。この館を出るのが恐いの」
彼女は少女のようないたずらっぽい笑い方をして、そう答えた。義母は孫がいてもおかしくない年齢なのだが、時々、とても可愛らしい顔をするのだった。
館で働く女性たちの中に、庭師兼ボイラー係とでも言うか、学校の用務員のような仕事をしている使用人がいた。その人に庭を案内してもらった。
「奥様は外にお出にならないので、せめて庭で季節を感じられるようにと思っています。ここ一・二ヶ月でしたら、藤に紫陽花、百日紅」
他に庭では色とりどりの草花が咲いていた。
「これだけの庭を維持するのは大変ではありませんか」
「力仕事もありますから、男手が欲しい時もあります」
「本当に女の館なんですね、ここは」
「そうです。でも運べる力が男の半分なら、男の倍歩けば良いと」
気合の入った言葉だった。
「義母を奥様とみなさん呼んでいますが、ご主人がいるわけではないのですね」
「奥様は生涯独身です。かおる様もそうなさるおつもりですか。まだお若くてお綺麗なのに」
「それは……、まだわかりません」
お綺麗なんですか私は、とも言いかけたが、それはやめた。有難く誉め言葉を受け取ることにした。
「ずいぶん立派な門柱ですね」
一メートルくらいの幅の、石を組んだ門柱が、三メートルくらい隔てて二本、立っていた。
「でも門柱は立派なのに、門は無いんですね」
「かつては鉄製の立派な門があったそうです。ですが戦時中の金属供出で無くなったとか。戦後は車での出入りが頻繁になって邪魔だから門は無いままということです」
門ひとつ取っても、この館には歴史があるのだった。
「でも門が無いのは不用心ではありませんか」
「この家の女たちは、わたくしを含めて、護身術・合気道などに長けた者が多くいます。三人組の強盗を撃退したこともあります」
その三人組も敷地内に入った途端に女になったのだろうか。それなら驚いて撃退されるのも無理はない。
私はその後、彼女のことを心の中で用務員さんと呼ぶようになった。
それから、私は空いた時間に庭先を歩くことが多くなった。夏だけに向日葵が咲いていた。私は植木、ガーデニングの類いに詳しいわけではなかったが、向日葵が整然と並んでいる姿を見ていると、丹精、という言葉はこの庭のためにあるのだな、と思った。
ふと、視線を感じた。館の塀の向こう側から自分を見つめている人がいた。
自分と同い年くらいの若い男性だ。背が高めの、端正な顔をした人だった。彼の目線は私の顔をまず見て、胸や足に下がって、また顔を見て止まった。
見つめ返すと、彼は目をそらせて去っていった。自分が今、若い娘だったことを思い出した。若い男が好奇の目で若い女を見ていたのだ。彼の目に、女として自分はどう映っただろうか。私は、胸が高鳴るのを覚えた。
翌日も庭に出ていると、またその男性が通りがかった。今回は目が合っても顔を反らされはしなかった。ぺこりとお辞儀をされた。
「ぼくは近所に住んでいるんです。初めまして、ですよね」
話しかけられた。
「そうですね」
男はやはりスラリとして、整った顔立ちをしていた。女性にもてそうだなと思った。そう言えば、今の自分は女だった、とまた思った。
「ご近所のよしみ、ということでよろしく」
ふと、一般の若い女は、知らない男の人を警戒するものではないか、と思った。
「はい。あ、すみません、家に戻りますので」
振り向いて、逃げてしまった。もう少し、話をしても良かったかな、とその後何度も思い直した。
「学校に行かないといけませんね」
館で女として暮らして一週間ほど経った時、お義母様が言った。そう言えば忘れていたが、まだ夏休み中だった。
「まず、転校手続きを取らないと」
今まで施設から通っていた高校は、館からは遠過ぎた。この館の近くに私立高校があり、お義母様が理事をしているという。寄付金の額が高いものだから、理事会に自分は出られないのに理事にさせられてしまった、と言う。理事会には代理の者を出しているそうだ。
「かおるさんには、そこに通っていただきましょう。それに受験生でしょう」
「大学ですか。高校を出たら働く気でいたので、あまり勉強していませんでした」
「それなりの成績を取れれば、大学にもエスカレータで上がれます。しっかり勉強してください。この館を継ぐのですから」
そういうことになるのか。
「女子の制服を着て行くことになるのですか」
「この館を出れば、かおるさんは男に戻りますよ」
「え?」
そんな話は聞いていなかった。
曽祖母の呪いはこの館に効いているもので、住んでいる個々人に効いているものではないという。その後、義母と私は養子縁組をするのだが、私は対外的には男性で、戸籍も男性のまま変わることはなかった。
どこからこの呪いが効いているのか、門の所で調べてみた。すると、外に出て男に戻るときは館から見て門柱の外側、中に入り女になるときは館から見て門柱の内側であることがわかった。
門柱はあるが門は無いので、境界がはっきりしない。例えば男に戻るときは、門柱の内側で「こいつは男に戻るぞ」と呪いのセンサーが働き、門柱の外側で実際に呪いが解除される。女になるときは逆に外側でセンサーが働いて内側で呪いが発動する、そんな仕組みなのかなと想像した。
一方、腕だけを門柱の外側に出しても体は変わらない。どうも体の半分ぐらいが出たところで、がらりと性別が変わってしまうようだった。ただ、性別が変わるのは体が痛かったり気持ちが悪くなったりするので、あまり何度も試す気にはならなかった。特に用が無ければ、私は学校に行くことが無い限り、館の中で女として暮らした。
学校に行く時と帰る時は車で送ってもらった。性別が変わるところをうっかり近所の人に見られるのは避けたかった。この館にある呪いは館の人はみな知っていたが、館の外の人は知らない。外の人に好奇の目で見られることは避けたい、と義母に言われた。それはそうだろう、と私も思った。
学校に行く時、私は女の体でありながら、男物の下着や学生服を着こんで車に乗り込んだ。そして車の中で男子学生に変わった。困るのは生理中の時だった。血が流れ出るまま男物の下着を着ているわけにもいかない。ナプキンを股下にテープで貼り付け、車の中で男に変わったらそれを外す、といったことをしなければならなかった。運転席の後ろの座席で股に手を突っ込んで生理用品を出して、というのは恥ずかしかったが、運転手も委細承知をしていたし、やがては慣れた。
生理中は頭痛や腹痛があり気分が悪かったりするもので、学校に行く時にそこから解放されるのは有難かった。しかし、学校から戻る時はナプキンの取り付けや体調悪化が復活するので気が重かった。だが、それはそれで仕方がないものと受け入れるしかなかった。
転校生として初めて教室に入った時、同級生の顔を見渡すと、庭から見かけた男の人がいた。一瞬、どきりとした。いや、自分は今は男だから知らない相手だ、と思い直した。彼の席は離れていたので、すぐに話しかけられることはなかった。
だが、二週間ぐらいしたら声をかけられた。
「かおる君って、うちの近所の洋館に住んでるんだって?」
「羊羹?」
一瞬、言っていることが理解できなかった。しばらくして、外からは洋館に見えるのかと思った。実際には中に仏間も茶室もあった。
「洋館じゃないよ。日本間もある」
「そうなのか。いや、あの家は女の館と近所で言われていて、君のような男の人が住んでいるとは知らなかった」
「縁があって養子になったんだ。ぼくが住み始めたのは最近だよ」
そう言うと、納得したようだった。彼は、佐藤たけし、と名乗った。
「ところであの家に可愛い女の子がいるだろう。君の妹か?」
(可愛い、可愛い、男の人に可愛いって言われた)
その衝撃で、しばらく時間が止まった気分になった。
「おい、かおる君」
「あ、ああ」
私は今は男だ、と思い直した。今の自分のことを可愛いと言われているわけではない。
「ああ、そうだよ。兄妹だ。双子の」
適当に話を合わせた。
「紹介してくれないか。タイプだ、というか、好きだ。ぜひお付き合いしたい」
好きだ、と言われたのはさらに衝撃だった。また時間が止まった。
「おーい、かおる君、ひょっとして君はシスコンでショックを受けているのか」
「あ、あーっと。そういうわけじゃない。妹とつき合うのは難しいよ。あの家から出られない」
「病気か何かで? 庭で見かけた時は元気そうだったが」
「その時は、たまたま気分が良かったんだろう」
「名前は何て言うの」
「かおり」
かおる、と自分の名を言うわけにはいかない。
「かおりさんか。ううむ、諦めきれん」
たけしは真剣に悩んでいるようだった。
受験生だからたけしは部活動を引退しているが、バレー部のレギュラーだったらしい。顔はイケメンの部類だろう。学校の成績も良いらしく、女性にいかにももてそうで、欠点らしい欠点が見当たらない。
君の家に遊びに行きたいのだが、と強くそのたけしに言われた。断ろうとしても、頑として譲らない。
「深窓の病弱な令嬢。ぼくは彼女に恋をしてしまった。一途な恋だ。もう他の女性は考えられない」
当の本人を前にして何を言っているんだ。
「まず君の家に遊びに行きたい。兄とは親友だ。別にかまわないだろう」
いつの間にか、私は親友扱いになっていた。とりあえず、家の者に相談してみる、と答えた。
その日、家に帰って車の中で女になった時、自分の心理も激変してしまった。
(たけしさんに、好きだと言われた)
頭の中は男性の告白を受けた事実で一杯になってしまった。
(どうしよう)
女になってみれば、自分は憎からず思っていた男に言い寄られた乙女だった。館にいる時間、私はたけしのことばかり考えてうろたえてしまっていた。
無駄だと思いつつも義母に尋ねてみた。
「学校の友達が、この家に来たいと言っているのですけど、よろしいでしょうか」
「男の人? 女の人?」
「男の人です」
「それじゃ無理ね。来たら女になってしまいました、では本人がとんでもなく驚いちゃう。それに帰ってから何を言いふらすかわからない。呪いの話は知られたくないし」
「ですよね」
と答えた私の顔を義母はじっと見つめていた。
「その人を、かおるさんは好きなの?」
「え、いや、その、彼と会う時は男ですし、私はただの友達ですし」
「ただの友達の家に行きたいと彼が言うのね。どういうことなの」
それから簡単に事情を話した。女の自分を庭で見かけて彼が自分とつき合いたいと言っている、と。
「それで、男の時は友達、と。女の今はどうなの」
「え、あの」
へどもどしてしまった。
「好きなんでしょう? 顔を見ればわかる」
私は顔にハートマークでもつけているのだろうか。
「でも仮にかおるさんが男の人に恋をしたとしても実らない。塀を挟んだ時しか男と女ではないんだもの。外では男同士、この館に来れば女同士。かおるさん、男の時はゲイなの? 違うでしょう。女の時もレズじゃないでしょう?」
義母に言い切られて、私は気落ちしてしまった。
自分の寝室に入った。
たけしには、この家に呼ぶのは無理だと伝えよう。
それよりも、もう一つ問題があった。私の気持ちだ。わたしは既に、たけしに恋をしている。私自身認めたくなかったが、義母に指摘されてはっきりした。
こうしている今も、たけしの顔、立ち姿、たけしの声を思い出す。そうすると胸の鼓動が早まってくる。男としてたけしと向かいあっている時は違った。かおりが好きだという彼に、動揺することはあっても胸苦しく思うことはなかった。私は学校では身も心も男だ。しかし館で女の姿になると、心も女になってしまうらしい。彼を好きな一人の女に。
だが私はこれまで男として生きてきた。だから通常の恋する乙女がまだ知らない男の生理を、生々しく知っている。男というものは、女の裸が好きだ。女の裸を想像しては自慰行為に耽るものだ。そして好きな女を見れば、その人が裸である姿を想像し、性行為を行いたいと思うものだ、と。
ベッドに横になると、私はたけしとの行為を想像せざるを得なかった。
男だった私は女の体になった時、当然その体に興味を持っていた。夜、裸で自分の体を鏡に映したり、自分で自分の胸を揉んでみたりした。しかし、男に抱かれたいという気持ちはなかなか湧いてこなかった。女の性衝動は男よりも弱いものであるらしい。それに自分の胸を揉んでも、柔らかいとは思ったがそれ以上のことを思うことはなかった。クリトリスを撫でるのは刺激的だったが、気持ちよさはさほど感じなかった。それほど濡れることもなく、湿る程度だった。女の快感などこんなものかと思った。
しかし、たけしのことを想うと様子が違った。
彼は当然私の裸を見たいだろう。彼の手で脱がされることを想像しながらベッドの上で全裸になった。男なら女の胸を揉みたい筈だ。彼の手を想像しながら左手で右胸を揉んだ。
「あ、」
思わず声が漏れた。いつになく尖った乳首は敏感だった。揉んでみると、触る前から自分の陰部が湿ってきたのがわかった。
右手を伸ばすと、やはりしとどに濡れていた。自分がこんなにいやらしい体だったのかと驚いた。
クリトリスをつまんでみた。
(はうっ)
電流のようなものが脳まで響いてくる。これが女の快感なのか。
膣口を撫でまわしてみた。
(ああ、)
ここにたけしのペニスが入ってくるところを想像した。私は処女だ。当然、初めては痛いだろう。それでもたけしは突き入れて激しく出し入れをしようとするだろう。
右手でクリトリスを撫でた。膣内に指を深く差し入れる度胸はなかった。だが左手で陰唇の中に指先を少し入れてみた。
(ああっ)
いい。自分で自分の指が止められない。
(あっあっあっ、ああっ)
頭が真っ白になった。イったのだ。
翌日も学校があった。昼休みに、たけしが私の席にやってきた。
前夜は彼に抱かれることを想像して自慰をしていた。だから彼の顔を見ただけで真っ赤になった。
「どうした?」
声をかけられて、むしろ冷静になった。恥ずかしさはあった。だが、男の体でいる時にときめきはない。彼への感情は恋ではなく友情で、妹を心配する兄の役を務めるのに支障はなかった。
まず彼の、館を訪ねたい、という希望に対して回答した。
「やはり無理だよ。あの館はぼく以外は男子禁制だ。君がかおりに会いにいくことはできない」
「そうか。無念だな。無念だと伝えてくれ、かおりさんに」
「それはかまわない。妹もたけしには良い印象を持っているようだ」
良い印象どころか、恋に落ちている、とは言えなかった。
「おう、たけし。最近よくかおると一緒にいるな」
クラスの他の友人から声がかかった。
「ああ、かおるの妹とつき合いたいんでいろいろ相談している。だが、病弱な深窓の令嬢でなかなかうまくいかん」
「なるほど」
たけしは開けっ広げな性格で、誰に対しても気さくだ。友達が多く、彼と一緒にいるとぼくの友達も増えていく。
(いい奴だな)
と思う。これが問題なのだ。男の時にいい奴だ、と思っていると、女になった時にそれが恋しい人に変わってしまう。
学校を終え、車に座って館の門を通り過ぎる時、私は瞬時に女に変わる。体が変化する感覚はいつになっても慣れないが、それに心が変化する感覚も加わってきた。
恋する女になってしまうのだ。
さっきまでただの友達だったたけしの顔が目に浮かぶ。彼に触れたい。彼と話したい。彼のそばにいたい。男の時にはとても簡単で、特に願いもしないことだ。それが女になればとても困難で、焦がれることに変わってしまう。
食事時など、たけしのことを考えてぼんやりすることが増えた。その度に義母に注意された。だがその回数が多いので、義母も呆れてしまっていた。
「年頃の娘の恋は麻疹のようなものだとも言うけれど。困ったものね。実らないことがわかっているのに」
義母はため息をついた。だが義母のため息を聞いてもどうにもならない。
そして部屋で独りになると、彼に抱かれたい、という思いが加わる。彼に貫かれることを想像しながら、また自分を慰めてしまうのだった。
休日に庭を歩いていると、たけしが金属製のフェンスの向こうからこちらを見ているのに気がついた。思わず駆け寄ってしまった。
「また、お会いしましたね。お兄さんから話は聞いているでしょうか、かおりさん」
気さくに話しかけられた。
「ええ、佐藤たけしさん、でしたね」
男の時は何度も話をしているが、女の時は二度目だ。それらしい会話にしなければならない。
「ええ、たけしです。名前を覚えてもらえて嬉しいです」
そう言いながら彼は爽やかに笑った。笑顔が魅力的だなと感じた。
「お兄さんから聞いていますか。かおりさんとお付き合いしたいと話したこととか」
「私もたけしさんが好きですよ」
言ってから、あっ、と自分で驚いた。こんなことを唐突に言うつもりは無かった。
「え? それは、驚いたな。この間は話している最中に逃げられたし」
「兄がいけないんです。たけしさんのことを、いい奴だ、友だちも多い、スポーツマンだ、ってほめてばかりいるから、勝手にとても素敵な人なんだろうと想像していました」
どこまでが本当でどこからが嘘だか、自分でもわからない言葉を私はまくしたてていた。
「それは、お兄さん、かおる君に感謝しないといけないな。それで、今日は具合が良いんですか」
「ええ」
「差し支えがなければ教えて下さい。どんなご病気なんです」
「差し支えがあります。遺伝的なところもあるので。でも他の人には感染らないから安心してください」
病名は言わないことにした。下手に突っ込まれても困る。
「そうですか。あの、手ぐらいは握ってもいいですか」
「はい」
彼が伸ばしてきた手を握った。腕を出すくらいなら境界を出ても性別が変わることはない。
「たけしさんの手って、大きいですね」
男の時の自分の手よりも大きい。だが、女になっていなければこれほど差があると思わなかっただろう。
「いつまでも握っていたい」
「すみません。お薬の時間なので」
何か言い訳を言って彼から離れないと、そのままずっと離れられなくなりそうだった。手を離すと、私は後ろも見ないで館の中に入ろうとした。
その時、
「かおりさーん」
と、後ろから声が聞こえた。
それに続いて、どすっ、ばたっ、という鈍い音が微かに聞こえてきた。
振り向くと、そこに彼はいなかった。こちらを向いて歩いてきたのは、用務員さんだった。
「あの人、フェンスを越えようとしたんですよ」
「え? それで」
「みぞおちに正拳を入れておきました。彼はフェンスの向こうで腹を抑えて蹲っています。手加減したので、御心配にはおよびません」
ささ、館に戻りましょう、と続けて用務員さんに言われた。後ろ髪を引かれる思いで私は館に入った。
翌日、学校に行くとたけしが私の席にやってきた。
「かおる、聞いていると思うが、昨日、かおりさんの手を握った」
「聞いたよ。妹も喜んでいたようだ」
「そうか。途中で逃げるように去っていったから」
「薬の時間だったのは本当だ。別にたけしから逃げようとしたわけじゃない」
すでに私とたけしはタメ口になっていた。
「そうか。それは良かった」
適当に嘘を交えて話を合わせた。男でいる限りたけしは友人だ。私には本当に妹がいて、その妹と友人の恋愛を成就させようとしている気分になっていた。
「それでかおりさんが館に戻っていくので、思わずフェンスによじ登ろうとしたら、くのいちみたいな女の人が音もなく現れて胸の下のところをズコッと」
用務員さんのことを女忍者と言っている。彼女に伝えたらどんな反応をするだろうか。
「ああ、ぼく以外の男が敷地内に入ろうとしたらそうなる。あの館は女ばかりだが、武術の達人が揃っている」
「かおりさんの手を握るその先に進みたいんだが、フェンス越しではな。かおりさんは敷地の外には出ないみたいだし。中には入れないし。何かいい方法がないものかな」
「まあ、無理だな」
その時に、閃いた。
「いや、無理じゃない。ひとつ方法がある」
「義母は十時には寝るから、十時半に門まで来てくれ」
たけしにはそう伝えた。話した通り、彼は家を抜け出して十時半にやってきた。
門柱の外側に出れば私は男に戻る。門柱の内側に入ればたけしは女になってしまう。この1メートル幅の間だけが、二人が男と女でいられる場所だった。
門柱の内側にセンサーがあって、それを越えると泥棒だと見なされ殴られ蹴られ叩き出される。門柱の外側から一歩でも出ればかおりは連れ戻される。と、もっともらしくたけしに話しておいた。彼は律義にそれを守って門柱の横に立っていた。
「たけしさん。来てくれたんですね」
「かおりさん。会いたかった」
月は出ていない。街灯は遠く、薄明かりしかない。互いの顔もよく見えない場所で二人は見つめ合った。その顔は互いを確かめようとでもいうようにゆっくりと近づいた。そして唇と唇が接触した。
長いキスの後、二人はただ抱き合っていた。抱き合っているのが一番幸せで、何かを話せばそれが壊れてしまうとでも思っているかのように。
だが、たけしが先に口を開いた。
「君が欲しい」
「私もあなたが欲しいです」
「君を抱きたい」
「私も抱かれたい」
たけしは私を抱きしめていた腕を離して、本当に? という顔をした。
「私、いやらしい娘なんです。あなたに抱かれることを何度も想像していました」
私は自分の頬が染まっているのを感じた。
「ここで抱いてください」
私は門柱に背中をもたれて立った。その時、上はブラウス、下はスカートだった。メイドの仕立てた服だ。そのブラウス越しに門柱表面のざらざらした感触が伝わっていた。
彼は両の手の平を門柱に当てて、上から覆いかぶさるように、私にもう一度キスをした。唇から唇を離すと、彼の唇は私の首筋を這った。
全身がぞわっとした。
それから彼は私のブラウスのボタンを全て外した。脱がすことはせず、前を開いてブラジャーに覆われた私の胸を見つめた。その後、彼は苦労してブラジャーの背中のホックを外すと、ブラジャーを摺り上げて私の胸を露わにした。
「これを見たかった」
「これを見せたのは、メイドとあなただけです」
「ぼくより先に見たメイドが妬ましいよ」
両の手でゆっくりと彼は私の胸を揉みしだいた。これから彼に抱かれるのだ。そう思うと興奮してきた。自分で自分の胸を揉むのとは全く違っていた。
(いつまでも揉まれていたい。でも違う刺激も欲しい)
そんなことを思い始めた頃、たかしの両手が私の胸から離れた。
(あっ)
目線の上にいた筈の彼の顔がない。見下ろすと、彼は片膝を立てた姿勢でうずくまり、私のスカートをたくし上げていた。思わず手で抑えようとした。その手を彼の手が包み込んだ。
「ダメ」
その一声で私の手は動かなくなった。彼がスカートをたくし上げると、私の恥ずかしい所を包んでいる布一枚が露わになった。その布を彼は下ろしていった。
「左、いや右足か。少し上げて」
言われるままに右足を上げると、彼は靴を脱がせて布を右足から外した。それは私の左足の足首に落ちた。彼は脱がせた靴を履かせると、またスカートをたくし上げた。
「暗いからよく見えない」
「見ちゃだめ」
「見たい」
「ダメ」
最後の、ダメ、は消えるような声だった。そのダメな部分に彼の指が触れた。
「濡れてる」
「言わないで」
彼が立ち上がった。
たけしは私のスカートの中に手を入れて、指で探った。陰毛を撫でた後に指はその下に下がって、クリトリスを探り当てた。私の体は、ピク、と反応した。
「ここ?」
黙って私が頷くと、指は穴の中に入っていった。
「あっ」
「そうか、ここに入れればいいのか」
たけしも童貞なのだ。愛撫する余裕もなく、それよりも先に、まず入れる場所を確かめなければならなかった。
「下半身だけ裸だと間抜けかな」
「誰にも見えないから大丈夫」
彼は私の右ひざを左腕で持ち上げて、私のその場所に男のものをあてがった。
一気に突き入れてきた。
「うぐっ」
激痛が私を貫いた。
私はたけしの首の後ろに回した腕を、知らず知らずのうちに、ぐっ、と狭めていた。
「痛かった?」
耳元でたけしが囁いた。
「いったん、抜こうか?」
「いいえ」
「それなら、しばらく動かないでいよう」
「いいえ。遠慮なしに動いてください。痛い思いをしたかったんです」
彼は最初はゆっくりと、しかし次第に激しく上下に突き入れてきた。
「かはっ」
頭まで痺れるほどの痛みを感じながら、私は自分が女になったのだ、と実感していた。
ふと、異物が動いている感触がなくなった。彼が私の中に放出したのだ。
「中に出しちゃったけど、大丈夫?」
たけしが心配そうに聞いてきた。
「大丈夫です」
慌てて頭の中で計算してみたが、まだ安全な日、の筈だった。ただ、行為の最中にそんな計算はしていなかった。彼に抱かれるのならどうなってもいい、という気分でいた。
次はいつ来ようか、まだ痛いから明日すぐはやめて、などと次の約束をした。その後に、簡単な後始末をして別れた。股にまだ残る違和感と、少し誇らしい達成感を胸に玄関に入った。
そこに義母が立っていた。
「門柱の幅の間、あんなやりかたがあるなんてね」
厳しい声が、空から降ってくるようだった。
「説明をしませんでしたか。この館に来た時に、いろいろなことを一度に話したから忘れたかもしれませんね。あの門は、左右から防犯カメラが見ていて、24時間監視しています。夜は赤外線で見ています。そして、泥棒が入ったら夜でもわたしを起こすことになっています。かおるさんとたけしさんがしたことは、最初から最後まで見ていました」
見られてしまった。ふしだらな娘だと義母は思っているだろう。私は言葉もなかった。
「かおるさん。これからは、学校に行っては駄目。何かの病気、精神的なものでもいいけど、懇意のお医者様に診断書を書いてもらって、休学してもらいます。この家を出てはいけません」
愕然とした。
「もう、たけしさんと会ってはいけない、ということですか」
義母は唇の端を少しだけ上げて笑った。
「今日みたいな逢瀬をやめろ、なんて言ってはいないの」
どういうことだろう。真意を測りかねた。
「わたしね、孫の顔を見たいの」
「え?」
「かおるさんに、たけしさんとの子供を作ってほしいの。でもせっかく身籠っても、男に一瞬でも戻ったら子宮が消えて、赤ん坊がいなくなってしまうじゃない。だからずっと女のままでいてほしい。私は好きな人の子供を産むことが出来なかった。だからせめてあなたには産んで欲しいの」
義母は、否、とはとても言えない鋭い眼差しをしていた。初めてこの館に来て、養子になってほしいと言われた時と同じだ。
「わかりました」
そう言うしかなかった。
「ありがとう。子供が出来るといいね」
義母はまた唇の端を上げて微笑んだ。
「でも、かおるさんも随分大胆なことをするものね。わたしもこんな年なのに、少し興奮してしまったもの」
義母は通常はお婆さんで、時折可愛らしい顔になる。でも、この時の笑顔は「女」の顔に思えた。
数日後、またたけしが門にやってきた。
「かおる君が学校を休んでいるね」
「兄も同じ病気なんです。私よりも軽くて学校に行けたのに、急に私よりも重くなってしまって」
口から出まかせを言ったが、たけしは納得したようだった。
それから、またキスをした。
抱き締めようとするたけしを、軽く押し戻した。
「この間は少し背中が擦れたので、門柱に背中を押し付けるのではなくて、こう、両手をつきますから」
「後ろから、ってこと?」
「はい」
私は門柱に両の掌をついて、お尻を少し突き出してみた。たけしは私のスカートをするするとたくし上げた。
「ノーパン?」
「はい。たけしさん、脱がせたかったですか」
「いや、でもいい眺めだ」
「そんな風に言わないでください。恥ずかしいですから」
もっと恥ずかしいことがある。この二人の光景は、赤外線カメラで見られている。
女の噂話は広まるのが早い。見ているのは、義母と防犯担当者だけではないかもしれない。そう思うと、恥ずかしさがさらなる興奮を生んでいた。
一方、たけしが自分のお尻に顔を近づけているのがわかった。暗闇の中で私の女の部分を見つめているのだ。
「そんなに見ないでください」
「見たいけど、見えないよ」
その後、何かをポケットから取り出したような気配がした。
「避妊具ならいりません。子供の出来にくい体質なんです。この間みたいにそのまま出していいんです」
それは嘘だ。私はたけしにどれだけ嘘をついただろう。
「それでは」
愛撫なしでも、私のそこはもうすっかり濡れていた。
彼が入って来た。
動いて!
突いて!
犯して!
私の中をあなたで満たして!
あなた以外なにも考えられないようにして!
私が女だって
あなたの前では
ただの女だってことをこの体に刻み付けて!
たけしは週に二度ほど館の門にやってきた。怪しまれずに家を抜け出すのはそれぐらいが限度であるらしい。毎日でも来たいようだったが、たけしの父親の帰りが遅い日があり、家を出て鉢合わせをする危険は避けたいと言っていた。それに彼は受験生でもある。高校からエスカレータで大学に進めるにしても、それなりの成績は必要だから勉学に励む時間も取らなければならない。
私は、そんなたけしの来る日が待ち遠しかった。
ある日、彼がぐるぐるに巻いた銀色のマットを持ってきた。
「それ何?」
「キャンプ用のマット」
「この上でするの?」
「そう。立位と後背位ばかりだったから、正常位というものをやってみたくなって」
そう言いながら、たけしは門柱と門柱の間、一メートル幅のところにマットを敷いた。
「ここに仰向けに寝てくれ」
私は来ていた服をすべて脱いで、畳んでマットの端に置き、裸の体をマットの上に横たえた。たけしも服を全て脱いで、着ていた服をマットの端に置いた。そして四つん這いになって私の裸を上から見つめた。
「最近、夜目が利くようになった。この明るさでもかおりの裸が見える」
「私も」
たけしのおちんちんがよく見える、と言うのは憚られた。
しかし夜目が利くようになったのは私とたけしだけではない。この二人の行為は館の女たちの皆が見ている、そう私には確信があった。それまで夜には点いていた部屋の明かりが消えていたり、普段夜には閉められていた部屋のカーテンが開いていたりするのだ。
見られている。それはもちろん恥ずかしかった。だが私をさらに興奮させてもいた。
「もう濡れている」
たけしは、見られていることを知らない。
「言わないでってば」
キスを首筋へ、たけしの手は腿を這い、陰部を弄った。何度か経験を重ねて、たけしも愛撫に長けてきていた。
「ああ」
たけしに身をまかせながら、私の体は次第に高まっていった。
たけしに抱き締められながら、たけしのものが中に入って来た。
「ああっ」
たけしの顔を見ながらだと、欲望のままに犯されているというよりも、大切に愛されているという気がした。包まれて満たされているという感覚があった。たけしが動いた。私は幸福感の中でそれに応えた。
見て、と思った。今の幸せな私を見て、と館の女たちに言いたかった。
彼が果てると同時に、私の頭も真っ白になった。足の指先をピンと伸ばして、体中でそれを受け止めた。これが絶頂だ、と知った。いまこの瞬間は、女で良かった、と思った。
生理が遅れた。妊娠検査薬で調べたら陽性だった。女性の産科医に来てもらった。女医は超音波診断の機器も持ち込んできた。おめでたです。順調に育っています、と言われた。
私以上に、義母が喜んでいた。
「ああ、孫の顔が見られる。ここまで生きてきて良かった」
義母と血は繋がらないのに、大袈裟な言い方だと思った。しかし、義母が本気で喜んでいるのを見ると自分も嬉しくなった。それにこの子は私の愛する人の子供なのだ。
だが、この妊娠をこの子の父親と共に祝うわけにはいかなかった。
たけしとの連絡は、「兄」のスマホを通じて行っていた。そこから、
「お別れしなければなりません」
と伝えた。
この子を産んで育てるのは、私と義母の我儘なのだ。たけしの同意はない。彼はまだ十代の高校生で、父親という重責を担わせるわけにはいかなかった。
「病気のせいか」
と、たけしは返事をしてきた。誤解をしてくれるのなら有難い。そうです、と答えた。たけしには嘘ばかり伝えている。でもこれで最後だ。たけしからの連絡は着信拒否にした。
たけしは一度だけ、夜に館を訪ねて来たという。しかし、体術の達人である用務員さんとメイド二人が、門に立ちはだかって追い返したと聞いた。
たけしが来なくなって何週間かした頃、執事に言われた。
「メイドが一人辞めます。結婚するそうです。それから、住み込みで働いていたんですけど、通いにしたいと言っている者が一人います」
「どうしてですか」
「言いにくいのですが、かおる様たちの姿を見て、殿方に慰めてほしくなったのではないでしょうか」
私は恥ずかしさのあまり、返答が出来なかった。
つわりが厳しかったころ、義母がほっとしたような声で言った。
「高校の卒業は出来るみたい」
これまで施設から通っていた高校での出席日数と、転校してからの出席日数だけでは足りないが、定期的にレポートを提出し、定期試験を自宅で受け、理解度を測ることは可能ということだった。その結果、学業成績が良ければ卒業出来るし、系列大学への進学も認められるだろうという。
ただ、赤ん坊が産まれる予定日は6月だった。産まれた後はさらに乳児を育てなければならない。
「仮に大学への入学許可を得ても、一年間の休学は仕方ないですね」
そこは同意せざるを得なかった。
「この子が産まれたら、誰の子供ということにしましょう」
私は戸籍上は男性だから、シングルマザーにすらなれない。
「ここの門で捨てられていたのを拾ったということにしましょう。かおるさんは未成年だし、私の養子にします。かおるさんからは義理の弟か妹ということになりますね」
義母がそう言って、手続きに関しては請け負った。
つわりが治まると日に日にお腹が大きくなっていった。義母は嬉しそうにそれを眺めていた。
ただその頃、次第に義母の食が細くなってきたのが気になっていた。それに義母は昼間、横になっている時間が増えてもいた。
ある日、義母が食事後にお腹を押さえてうずくまった。
「いいの。持病だから」
しかし、なかなか動こうとしない。メイドと二人で寝室まで運び、かかりつけの医師に往診してもらった。
「癌なんです」
女医が私に告げた。驚いた。
「奥様は外にお出にならないから健康診断といっても出来ることに限りがあって。昨年の6月に癌を見つけた時にはもう転移が進んでいて手遅れでした。本人の希望で緩和ケアだけを行っています」
「初めて聞きました」
「それで、かおるさんを探して養子に、という話を急いで進めた、と聞いています。かおるさんに黙っていたのは、あまり心配をかけたくなかったのでしょう」
「そうなんですか」
「癌が見つかった時は、よくもって一年、と診断しました。次の6月です」
6月は私のお腹の子が産まれる予定の月だった。
次第に義母は一日のほとんどを横になって過ごすようになった。
その間も、訪問者は絶えなかった。義母は自分がいなくなった後に、この館や会社をどう運営していくか教えようとした。訪問者と義母との会話に私は必ず同席した。
「経営の話は胎教によくないかもね」
義母はそう言って笑ったが、この館が成り立っている仕組みを知ることが出来たのは有難かった。もちろん、訪問者それぞれに対して、私が後継ぎであると義母は紹介していた。
「もって一年、と診断しましたが、もう少し伸びそうです」
義母の主治医がそう話してくれた。
「かおるさんに子供が産まれる、ということが励みになっているのでしょう。気力が湧くような出来事があると、死期が伸びることがあるものです」
やがて私は臨月を迎えた。
病院に入院するわけにはいかないので、産科の医師と看護婦を呼んでもらった。陣痛に耐えるのは大変だった。しかし、この館でどうしても産まなければならない、と思って耐えた。自然分娩で出産出来たのは幸いだった。救急車に乗って病院へという事態になっていたら、門を越えた途端に私は男に戻り、腹の中の赤ん坊は消え去っていたかもしれない。
赤ん坊の泣き声を聞いたときにはほっとした。次に、女の大仕事をやり遂げたのだ、という充実感が湧いてきた。
しわくちゃの赤子を義母に見せた。その頃、義母はベッドで起き上がることはほとんど無かったが、その時ばかりは起き上がって、抱っこをしてくれた。
「お祖母ちゃんよ。わたしがお祖母ちゃんだからね。覚えておいてね」
ひとつ気になることがあった。取り上げたお医者さんがこう言っていたのだ。
「生まれた瞬間はおちんちんがあった気がしたんですけどね。いつの間にか無くなっていましたね」
何日かして赤ん坊を抱きながら義母の部屋に入ると、ヘルパーが介護用ベッドを調節して、会話がしやすいように義母の体を起こしてくれた。
「可愛いわ。ずっと抱っこしていたい」
義母は目を細めて赤子を見つめた。
「本当は男の子なのね」
「乳母に聞いたら、門を出るとおちんちんが生えてくると言っていました。戸籍上は男の子ということになります」
「名前は決めた?」
「じゅん、にします」
「ふふ、男か女か、わからない名前ね。手続きは急いで代理人に取ってもらいましょう。かおるさんが産んだのだけれど、当面は年の離れた義理の弟ということになりますね」
「おっぱいもあげているのに。少々もやもやしますけど、仕方ないですね」
「今日は気分がいいから、二人きりでもっと話がしたいの」
じゅんは乳母に預けた。ヘルパーには席を外してもらった。
「わたしね、名前はあすか、って言うんだけど、男だったの」
それは知っていた。養子縁組の際には、親と子、双方の戸籍が必要になる。その時、義母の戸籍を見たことがあった。
「わたしの義母はわたしの父に大恩があったらしくて、それでわたしの父母が亡くなった時に養子にしたいと言ってくれたのだけれど、わたしの名前を聞いて女だと思い込んだらしいのね。でもわたし自身が、同じ間違いをかおるさんに対してするとは思っていなかったけれど」
そう言いながら義母は微笑んだ。
「それでね、わたしはあなたのお父様が好きだったの。学校の同級生だったのだけれど、学校で男として会う時は友達なの。でもこの館に帰って女になると……、恋焦がれたものね。もう好きで好きで仕方がないの。あなたのお父様がお母様とお付き合いをし始めて、そして結婚して。男の時は祝福しているのだけれど、女になると辛かった。嫉妬もしたし、泣いたし。あの頃は館に戻りたくないとも思った。女にならないで、男のままで」
つらい話をしているようでいて、義母は楽しそうだった。
「でも、それがわたしの青春だった」
そう言って義母はまた笑った。
「あなたのお父様とお母様が事故でお亡くなりになった時、館から出ないで女として生きようと思ったの。ねえ、人は二度亡くなる、って話を聞いたことがある? 一度目は亡くなった時。二度目はその人を記憶している人がいなくなった時。だからわたしは、彼が二度目の死を迎えないように、ただの友達じゃなくて、彼を好きで好きで、そんな女のままでいようとしたの」
義母は懐かしむように遠い目をしていた。
「それにね、女は実らなかった恋を心の支えにして生きていくことが出来るの」
そこまで話して疲れたのだろうか。義母は目を閉じた。
「もうお休みになりますか」
「いいえ、わたしはもう長くないから、話せる時に話しておかないと」
義母はまた目を開けた。
「ごめんなさいね。かおるさんの人生をずいぶん曲げてしまった。普通の男の人だったのに、女になって、子供まで産んで」
「いいえ、いいえ」
私はこの館で女になり、愛することを知って、愛されて、愛した人の子を得た。何を恨むことがあるだろう。それに、
「私はずっと一人でした。でも、お義母様のおかげで家族が出来たんです」
「そう言ってくれると嬉しい」
義母は私の言葉に、ほっとしたようだった。
「じゅんちゃんはちゃんと育ててほしい。でもね、かおるさん。あなたはわたしと同じ生き方をしなくてもいいの。どうにかして、たけしさんと生きていく道を選んでもいいし、この館を出て男として生きてもいい。それに、この館の呪いだってわたしが死んだら解けるかもしれない。呪いを信じている人がいなくなるのだから」
そこまで話すと、義母は疲れたのか眠ってしまった。
私は義母の寝室を出て、仏間に入った。そこには曽祖母の写真があった。私はその写真の前で手を合わせた。
(あなたの力を信じます)
祈りを籠めた。
(ですから、呪いを解かないでください。私はたけしに愛されてじゅんを産みました。彼に愛された記憶を失くしたくありません。それに、この館にいる間は、じゅんの母親でいたいのです)
義母は日増しに衰えていった。唸ったり顔をしかめたりすることも増えてきた。
「鎮痛剤を使ってはいますが、相当痛い筈です。奥様は我慢強いですね」
それでも、じゅんを連れていくと笑顔を見せた。
「可愛い。本当に、この子を見ることが生きがいになっているの」
主治医も同じことを言っていた。孫が生きがいになって、さらに死期が伸びていると。
しかし、それにも限界があった。じゅんが産まれて四ヶ月後に、義母は亡くなった。あまり苦しまずに、眠るような最期だったのは幸いだった。
義母が亡くなっても、私は女のままだった。呪いは解けなかったのだ。
弁護士が遺書を公開した。遺産は全てかおるが相続すること、かおるが成人したら義理の弟であるじゅんを養子にすること、と記されていた。
義母の葬儀は私が喪主として取り仕切った。葬式は館の外の葬祭会館で行ったので、私は久々に男の体に戻った。それは、館の後継ぎが男性であることを世間に知らしめることになった。葬儀の参加者の中には、館の呪いは知らないが、館の中で女性の私と会っている人もいた。その方には、彼女は病弱で館から出てこれない妹で、とたけしに話したのと同じ説明をした。
今後は学業や仕事の時は男性、館に戻って家族といる時は女性、という二重生活になるだろう。
義母から館の資産と会社組織について教わった時、当主が館の中から出て来ずに人を指揮するだけなら、どうしても現状維持が精一杯、と私は感じていた。それに義母は信頼できる女性の協力者と、部下を多く抱えていたが、彼女たちの高齢化も進んでいた。組織の活性化と人脈の再構築を館の中だけで行うのは限界がある。それは館の外で、私自身が行う必要があると思った。そして館の外では、私は男性にならざるを得ない。
それに本格的に館の財産について経営に参画する前に、義母と約束していた大学進学の話があった。私は高校を卒業し、系列の大学に進学したが休学している状態になっていた。来春から、平日は乳母にじゅんを預けて学業に復帰することにした。キャンパスでは男子学生として過ごすことになる。大学では経営学を学ぶ予定だ。
じゅんも幼稚園や学校に通うようになれば二重生活になる。彼・彼女の生活をどうしていくかは成長した時に本人に選ばせたいと思っている。
義母は、私が義母と同じ生き方をしなくてもよい、と語っていた。私とじゅんも、同じ生き方をする必要はないだろう。
季節は冬に向かっていた。その中でも日が差して暖かい時があり、私はじゅんを抱っこしながら庭に出た。
「じゅんちゃんは、おねむですかぁ。おっぱい飲んで、おむつ替えて、もう満足ですかぁ。お庭は見る気ないですかぁ。いいお天気ですよぉ」
などと言って、じゅんをあやしながら枯葉の落ちた庭木などを眺めていると、聞き覚えのある声がした。
「かおりさん」
たけしがフェンスの向こうから私を見つめていた。
「その子は、まさか……」
その時、義母の言葉をまた思い出した。
(あなたはわたしと同じ生き方をしなくてもいいの)
たけしには何もかも本当のことを話してしまおう、と思った。真実を全て伝えて、これからどうするかは彼と二人で話し合って決めればいい。
「かおり、という名前の女は本当はいないんです。私はかおるです」
たけしは怪訝な顔をした。
「それは、どういう?」
「全てお話しします。館の中にご案内しますので、門まで来てください」
私はそう言って、館の門柱に向かって歩き始めた。
<終>
たけしが女の子になってるところと2人と子供の未来が気になるー。