てんこうせい
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朝のHRの時間、担任が女子生徒をつれて入ってきた。
「転校生の紹介をする。さ、自己紹介をして」
転校生か、結構かわいいな。……だけどどっかで見たことあるような?
「はい、転校生の江藤双葉です。父の仕事の都合で東京から来ました。皆さんよろしくお願いします」
転校生は頬を赤らめ、表情は恥ずかしそうで、初々しくて、だけど、
「江藤双葉だって!!」
俺は思わず叫んでいた。
「いきなりどうしたんだ清彦?」
担任が不思議そうに尋ねてくる。
だけど俺は、あまりのことにとっさに言葉が出ない。
だけどそんな俺よりも先に、その転校生が、
「清彦って、まさかあなたは、小学生の頃までうちの隣に住んでいた江藤清彦くんなの!!」
転校生、双葉も俺に気づいて驚いていた。
「なんだ、お前たちは知り合いだったのか。よし、それなら双葉さんの席は江藤清彦の隣にしよう」
おい担任、そんなこと勝手に簡単に決めるなよ。
だけど、転校生が早くクラスになじめるようにって、そう決められてしまった。
この状況に、俺は男子には冷やかされ、女子には好奇の目で見られた。
こりゃあとが大変だぞ。
「よろしくね、清彦君」
隣の席に座った双葉が、ぺこりと頭を下げて俺に挨拶をした。
「あ、ああ、よろしく双葉さん」
俺は複雑な思いを抱きながら、挨拶を返した。
「やだなあ、双葉さんだなんて、そんな他人行儀な昔のように……」
そう言ってから、彼女は言葉を区切り、急にいたずら小僧のようににやりと笑って小声で言った。
「きよくんって呼んでくれてもいいんだぜ?」
それは、すっかり美少女に成長したのに、昔のいたずら小僧だったきよくん、清彦を思わせるいたずらっぽい笑い顔だった。
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休み時間になると、転校生が珍しいのか、双葉に興味のあるクラスメイトが集まってきた。
男子のほうが多いのは、双葉の美少女ぶりをみればまあ納得だが、結構女子もいた。
そして、双葉にいろいろ質問をしていた。
にぎやかなのは良いが、隣の席の俺にはいい迷惑だ。
それにしても、双葉、すごく可愛く成長したな。
それに、体だけじゃなく、言葉遣いや仕草もすっかり女らしくなっちゃったな。
あれからもう五年も経ってるんだ、俺だって男になじめたんだから、双葉が女らしくなってても不思議はないか。
だけど、もしかしたら、あのときあんなことがなかったら、俺がああなっていたのかもしれない。
そんなことも考えてしまって、今は複雑な心境だった。
「ねえ清彦、ちょっとこっちに来て」
「うん? なんだかえで」
俺は内海かえでに呼ばれて席を立った。
かえでとは、五年前に俺がこっちに転校してきてからは、いつも同じクラスになるほどの腐れ縁だ。
ただ、腐れ縁というだけではない。俺は五年前からかえでの世話になりっぱなしだった。
だから俺は、かえでにはなかなか頭が上がらない。
「さっき双葉さんに、転校する前の清彦の話を聞いてみたんだけど」
「話ってどんな?」
「向こうでは清彦はいたずらっこで、双葉さんを、カエルや虫で脅かして泣かせたっていうのは本当?」
「……一応本当だ」
「うそ、だってわたしの知ってる清彦は、泣き虫で、いつも他の男子にいじめられていたもの、双葉さんの話とは印象が逆なのよ」
そう、五年前に、こっちに転校してきたばかりのころの俺は、泣き虫でいじめられっこだったんだ。
印象が逆か、そりゃそうだろうな。
それにしても、双葉のやつめ、かえでにややこしくなるようなことを言いやがって。
ぜったいにわざとだろ!
すっかり女らしく成長していたから、てっきり中身のほうも成長しているって思っていたのに、
面白がって余計なトラブルを起こすのは相変わらずなのか?
五年前のあの出来事は、俺の中ではもうすっかり過去のことだったんだ。
今ではほとんど意識しないで、男の清彦として、普通に生活していたんだ。
あのときの思いは、そっと心の奥にしまっておいたのに、あいつが現れたせいで、掘り起こされてしまった。
「話を振っておいてなんだけど、嫌なら無理に話さなくてもいいわよ」
難しい顔をしている俺に気を使ってくれたのか、かえでは話さなくてもいいと言ってくれた。
「……いや、話すよ」
かえでの気遣いに、逆に決心がついた。
双葉がこっちに転校してきて、しかも席は隣、これから毎日顔をあわせることになるだろう。
意識しないでいるのは無理だ。
それに、あいつが空気を読まないで、余計なことを言って状況をこじらせるかもしれない。
だったら俺のほうから、かえでだけにでも、話をしておいたほうがいいだろう。
「今から突拍子もない、嘘みたいな話をするけど、嘘と決め付けないで最後まで聞いてほしい」
もし、嘘だって否定されたら、話はそこで終わり。もう二度とその話はしない。
そう言って、一応釘を刺しておいた。
正直に言って、今から話す内容を、かえでに完全に受け入れてもらえるかどうか、自信がなかった。
普通なら与太話扱いだからな、実際五年前も、清彦の家族や双葉の家族も、信じてくれなかった。
かえでに受け入れられなかったら、それならそれでしょうがない、と覚悟も決めた。
「そこまで言うほどの話なのね、わかったわ」
だけど、俺の真剣さが伝わったのだろう。かえでも真顔でうなずいた。
これなら信じてくれるかもしれない。
ちょっとだけ期待しながら、それでは、と、俺はあのときの話をはじめた。
「今から五年前に、俺がこっちに転校してくる直前まで、今の双葉が清彦で、俺が双葉だったんだ」
「はあ?」
俺の発言に、かえでがおもわず間抜けな声を上げていた。
「それってもしかして、五年前に双葉さんと清彦の体が入れ替わった、という意味?」
「ああ、そういう意味だよ」
かえでは、やや首をかしげながら、額に手を当てて考え込んだ。
それは考え込むときのかえでのくせだった。
俺の話が本当かどうか、吟味しているんだろうか?
「普通なら、何の冗談? って、切り捨てるところだけど」
「やっぱり、信じられない?」
「ううん、信じるも信じないも、私はまだ清彦の話を聞いてないよ」
判断するのは話を聞いてからにする、だから話を続けろと促した。
「それじゃあ……」
と俺は、五年前に何があったのか、あの日の話をはじめた。
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江藤清彦と江藤双葉、二人の家はお隣同士で、両家は仲が良かった。
血縁関係はなかったけれど、苗字が同じということで、親近感もあったのだろう。
そんな仲の良い両家の子供、幼い頃のふたりは仲が良かった。
実際、双葉はいつも清彦と一緒に遊んでいたし、
清彦の事を、親しみを込めて「きよくん」と呼んでいたくらい大好きだった。
幼い頃は、双葉は清彦に結構意地悪な事もされていたが、それでも清彦が大好きだった。
だけど、小学五年生くらいになると、男女はわりとわかれて行動するようになる。
幼い幼児の好き、と、小学五年生の好き、では意味が違ってきたということもあるのだろうけれど、
その頃には、双葉は清彦の事は嫌いではないが、幼い頃よりは清彦が好きだったその気持ちは醒めていた。
そんな五年前のあの日、双葉は放課後に清彦に呼び出された。
「俺、父さんの仕事の都合で、転校することになったんだ」
清彦の突然の告白に、その時はまだ双葉だった俺は驚いた。
そんな話は聞いていなかったからだ。
「転校って、いつ?」
「来週末には引っ越すんだってさ」
「来週って……」
それはあまりに急な話だった。
だからどう答えていいかわからなくて戸惑った。
その時点では、まだ双葉だった俺でさえ、急な話に戸惑ったんだ。
あの当時の清彦は、もっと戸惑っていたのだろう。
だからって、その直後に切り出した清彦の告白は、あまりに性急だった。
「双葉、俺、お前の事が好きだ!」
清彦としては、離れ離れになるまえに、双葉に自分の気持ちを伝えたかったのだろう。
もっと落ち着いた状況での告白だったら、別の答えを言えたかもしれない。
だけど、突然の事に、俺は清彦の告白を受け止める事が出来なかった。
「ごめん、いきなりそんなことを言われても、私……困る」
「そ、そうか、そうだよな……」
後で振り返ってみて、その時のことを後悔する。
なんであの時、あの後、もっと別の言葉を選ばなかったんだろう、って。
俺は清彦に、「きよくんのことは嫌いじゃない、だから、離れ離れになっても、ずっとお友達で居ましょうね」
と告げたんだ。
そんな俺の返事に、清彦はショックで放心状態になった。
あの時の俺は、清彦がなぜ俺の返事にショックを受けたのか、理解できなかった。
今の俺になら理解できるのは、すごく皮肉なことだけどな。
居たたまれなくて、ショックで放心状態の清彦をその場に残して、俺はその場を後にしようとした。
その直後、
「うわあああ~~~っ!!」
清彦の叫び声に、俺は何事かと振り返った。
その直後、俺は清彦の体当たりを受けた。
体に激しい衝撃。
自分の体の芯がぶれるような、奇妙な感覚と同時に浮遊感を感じて、直後に五感の喪失。
それまで双葉だった俺は、双葉としての最後の意識を失った。
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「う、う~ん」
その時の目覚めは、最悪の気分だった。
酷い乗り物酔いにでもなったような、気持ちの悪さを感じていた。
上半身を起こそうとすると、簡単な動作のはずなのに、なぜだかぎこちなく感じた。
だんだん目が覚めてきて、気分の悪さは収まってきたけれど、
感覚がはっきりしてくるにつれて、逆に体の違和感が大きく感じられるようになってきた。
「なん…で…?」
呟いた声も、いつもと違って聞こえた、風邪でもひいたのかな?
その時はそう思った。
そして俺の目の前で、自分と同じ年恰好の女の子が、頭を振りながら起き上がってきた。
「え? 嘘? わたし?」
その女の子は双葉だった。
「え? お、俺?」
起き上がった双葉は、こっちを見て驚きの表情。
「なんで俺の目の前に俺が居るんだ?」
「それは私の台詞よ、なんで私がもう一人いるのよ!」
「もう一人の私?」
目の前の双葉は、急に何かに気づいたかのか、自分の体を見下ろした。
「スカート、なんで俺、スカートなんか穿いてるんだ? それにこれ、双葉のと同じ服じゃんか……」
そして何かを確かめるかのように、ぺたぺたと自分の体を触りはじめた。
双葉が、自分の胸や股間を、変な手つきで撫でている姿を見せられて、
「な、何やってるのよ! そんなの止めてよ、もう!」
急に恥ずかしくなって、双葉に抗議した。
「おまえ、もしかして双葉か?」
「もしかしなくても、私は双葉よ!」
「お前、まだ気づいていないのか?」
まだ気づいてないって?
「いいから自分の姿を確かめてみろ!」
双葉に言われて、俺は今の自分の体を見下ろしてみた。
「う、嘘?」
その時になって、俺はようやく気がついた。
俺はさっきまで清彦が着ていたのと同じ、男物のTシャツとハーフパンツを着ていることに。
いや、着ている服だけではない。
体つきも、男の子のそれになっていた。
自分の股間の違和感に気づいて、つい触ってしまった。
手が固く膨らんだなにかに触れて、慌てて手を離した。
「違う、これは私じゃない。私の体じゃない!!」
だとしたら誰? 私は誰になっているの?
「お前も薄々気づいてるんだろう? 今のお前は清彦だ」
「私がきよくん、ということは私たち……」
「ああ、俺たち、体が入れ替わっちまったみたいだ」
清彦と体が入れ替わっているなんて、
「こんなの嘘よ、こんなのありえないわよ!」
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あの後、二人の体が入れ替わってしまったと、俺は両家の家族に必死に訴えた。
だけど信じてもらえなかった。
非現実的で、普段でも信じてもらえなかっただろうけれど、タイミングも悪かった。
清彦が、引越しや転校が嫌で、双葉を巻き込んで狂言をしたと思われたからだった。
「この馬鹿息子が、双葉ちゃんまで巻き込んで、こんな騒ぎを起こして、どういうつもりだ!!」
「痛っ!!」
俺は清彦の父親に、清彦として拳骨で殴られて、痛くて涙目になった。
『ううっ、酷いよ、パパにさえぶたれたことなかったのに』
清彦と入れ替わった俺は、当然のように清彦として扱われたんだ。
そして俺は清彦として、清彦の家族と一緒に引越し、転校する羽目になってしまった。
『嫌よ、なんで私が、清彦のかわりに転校しなきゃいけないのよ!』
そうなるまえに、元の体に戻らなきゃ、と焦った。
だけどさらにまずいことに、この狂言(?)の件で、双葉を巻き込んだことが問題にされた。
「引越しの日まで、お前は必要以上に双葉ちゃんに近づくな!」
と釘を刺されてしまった。
おまけに、俺が転校していなくなるまで、双葉の自宅までの送り迎えに、双葉のママがついていくことになった。
『そんな、本当は私が双葉なのに!』
そんなこんなで、何もできないうちに、引越しの日が来てしまった。
引越しの当日、清彦の友達がお見送りに来てくれた。
やんちゃ坊主だった清彦には、お見送りに来てくれる男子の友達が結構いた。
クラスの友達の、寄せ書きとか、餞別とか、色々と贈られた。
「元気だしなよ、離れ離れになっても、俺たちはいつも一緒だ」
清彦の親友だった山本敏明が、俺の背中をたたいて励ましてくれた。
ここ数日、元気のなかった清彦が、別れを惜しんで落ち込んでいると心配してくれたんだ。
「……ありがとう」
状況が状況菜だけに、全然うれしくないけど、俺はそれでもどうにか敏明へお礼の言葉を搾り出していた。
そしてさすがに出発の直前に、隣の家から双葉が、両親と一緒(監視つき)にお見送りに来てくれた。
双葉の顔は、どこか申し訳なさそうな、浮かない表情だった。
乗用車の窓越しのお別れの挨拶、双葉は耳打ちするように、小さな声で俺に謝ってくれた。
「双葉、俺のせいでこんなことになっちまってごめんな。双葉の体は俺が大切に扱うから心配すんな。それじゃ、さようなら元気でな」
それだけ言うと、双葉は走り去っていった。
そんな、そんなのないよ!!
『嫌、行きたくない、やっぱり私、行きたくないよ!』
『パパやママ、若葉(妹)とも離れ離れになりたくないよ!』
『何よりも、双葉に戻れないなんて、そんなのってないよ!!』
だけど、無常にも乗用車は走り出し、俺は清彦の家族と一緒に、清彦として住みなれた街から離れることになったのだった。
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引越し先で与えられた部屋で、俺は運び込まれた清彦の荷物の荷解きもせずに、ずっと落ち込んでいた。
俺は双葉の体と離れ離れになってしまった。
もう元の双葉には戻れないだろう。
絶望するしかなかった。
なにもしないでぼんやりと過ごした。
出されたご飯だけ食べて、夜には布団だけ引っ張り出して眠るだけだった。
幸いなことに、引っ越してきたのは週末の休みの日だったので、その日はそれでもよかった。
さすがに落ち込む清彦のことを心配した、清彦の母親が俺のことを慰めてくれたけれど、その時は俺の心には届かなかった。
そして、休み明けの月曜日、俺は新しく転校した小学校に登校することになった。
「行きたくない」
といって抵抗したら、清彦の父親の拳骨が飛んできた。
「これ以上わがまま言うんじゃない!」
この人は、俺が双葉だったときは、隣の優しいおじさんだった。
だからすごく好きな人だった。
なのに、清彦になった俺には、すごく厳しかった。
俺は殴られた頭をさすりながら『痛い、なんで私がこんな目に』その時はそう思った。
「いつまでもうじうじと、お前は男だろ!」
その言葉に、俺は激しく反発した。
「私だって好きで男になったわけじゃない!」
また拳骨、痛い!
結局、清彦の父に、家から追い出されるように、転校先の小学校に送り出された。
ちなみに、この一件の後、俺はしばらくこのくそ親父に反発しつづけて、嫌うようになったのだった。
転校先では、暗く落ち込んでいた俺は、クラスの意地悪な男子たちの格好のいじめの的だった。
元の清彦なら、こんなやつらは返り討ちにしただろうけど、そのときの俺には無理だった。
相手の成すがままにいじめられた。
もういやだ、何で私がこんな目に。
いじめられて私は泣いた。
「男のくせに、こんなことくらいで泣くのかよ」
「おまえ、本当に男かよ、なよなよしていて、おかまじゃねえのか」
泣いたら相手が喜ぶだけってわかってた。
だけどそれでもそのときの俺は、泣くしかできなかった。
「あんたたち、よって集って弱いものいじめをして、恥ずかしくないの!」
そんな時、颯爽と現れて、そんな俺をかばってくれたのが、かえでだったんだ。
かえでは、取り立てて美人というわけではないが、姉御肌のかっこいい女の子だった。
「へ、男のくせに、女にかばわれて情けねえの」
いじめっ子たちは悪態をついた。
とはいえ、このクラスの女子に影響力の大きいかえでと、ことを構えるつもりはないらしい。
悪態をつきながらその場は引いてくれた。
「大丈夫だった、怪我はない?」
「助けてくれて、あ、ありがとう。私……」
「あーもう、なんでそこでまた泣くのよ」
「だって、私、嬉しくて」
「……もう、なんでこんな子、助けちゃったんだろう」
最初かえでは、男子の問題だから、余計な口出しはしないつもりだったらしい。
だけど、一方的にいじめられていた俺を見かねて、つい啖呵を切ってしまったのだという。
そしてこの日から、俺とかえでの腐れ縁が始まったんだ。
その後も、かえでは色々と、俺のフォローをしてくれた。
特に、女子を見方につけてくれたことが大きかった。
かえでのおかげで、俺はいじめっ子の男子たちに、おおっぴらにはいじめられなくなった。
だけど、かえでの目の届かないところでいじめられたり、影で嫌がらせをされたりした。
それでも状況が少しましになっただけでも、そのころの俺にはありがたかった。
清彦の家にも、学校にも、居場所のなかったそのころの俺にとって、かえでは心のオアシスだったんだ。
まだまだ嫌な事もあるけど、少しづつ、学校に来るのが楽しみになってきた。
「ふん、男の癖に、女に取り入るなんて、なさけねえやつ」
そういう陰口もたたかれた。
あるいは家で、くそ親父に、
「お前、最近めそめそして、どうしたんだ、男なんだからもっとしゃんとしろ!」
男の癖に、とか、男なんだから、とか、そう言われるのが嫌だったし辛かった。
『私は本当は女の子なのに』『男なんかになりたくなかったのに』
だけど、かえではそういうことは言わなかった。
そんな女を引きずった、なよなよした俺を、そのまま受け入れてくれたんだ。
後でそのことを聞いたら、かえではこう言っってくれた。
「男らしいとか、女らしいとか、そんなの関係ないよ。だって清彦は清彦なんでしょう?」
さらに、
「それに、男の癖に情けない。とか言われた時の清彦、すごく辛そうだった。
だからさ、私はそのことには触れないようにしようと思ったんだ」
私は嬉しかった。
清彦の両親でさえ、ちゃんと見てくれなかったこんな私を、かえではちゃんと見てくれていたんだと。
そのうちに、かえでは清彦の長所に気づいて、色々アドバイスをしてくれるようになった。
「清彦ってさ、運動が得意だよね、特に足が速いじゃない」
「そ、そう?」
そういえば、元の清彦は運動が得意で、向こうのクラスでは一番足が速かったっけ。
ただ、双葉だったころの俺は、逆に運動が苦手で足も遅かったから、体育も嫌いだったし、清彦になった後も自信をもてなかったんだ。
それに、元々闘争本能の薄かった俺は、競争で勝とうという意識も薄かったんだ。
「私の見たところ、あんたを苛める陰険な男子より、あんたのほうがずっとすごいんだから、もっと自信をもちなさいよ」
「そ、そうかな?」
「そうよ、今度の運動会で、いいところを見せれば、きっとみんなあんたのことを見直すわよ」
かえでのはげましに、俺はだんだんその気になってきた。
「う、うん、わかった。がんばってみる」
そして俺は、その後の運動会でがんばった。
百メートル走やハードル走では、ぶっちぎりの一位だったし、
最後のクラス対抗のリレーでは、バトンを受けるまで三位だったチームを、トップにまで引き上げた。
「なんだよ清彦、おまえやるじゃん!「
「お前、すごいじゃねえか!」
「なんで今まで、その実力を出さなかったんだよ!」
クラスのみんなが、いじめっ子も含めて、俺を見直して賞賛してくれた。
この日を境に、俺は清彦としてやっていく自信がついたんだ。
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運動会の後、俺の中で、何かが吹っ切れた。
それまで嫌だった清彦としての自分を、受け入れられるようになって、俺はだんだん行動が積極的になっていった。
それと同時に、クラスのみんなに認められて、受け入れられるようになっていったんだ。
この後、成長期だった俺は、中学生になったころから背がぐんぐん伸びて、体つきがたくましくなっていった。
声変わりもして、顔からも幼さが抜けて、すっかり男らしい顔つきになった。
だけどもう嫌じゃなかった。
たくましく男らしく成長していく清彦を、むしろ俺は喜んで受け入れていったんだ。
そして今の俺がある。
こんな話、誰も信じてはくれないだろうし、誰にも言うつもりはなかった。
それに、双葉が転校生として現れるまでは、俺にとってもすっかり過去の出来事になっていたんだ。
「清彦の話を聞いていて、色々思い出したわ。そういえばあのころの清彦はそうだったわね」
かえでは懐かしそうにつぶやいた。
「どう、今の話を聞いて、俺が双葉だったって話、やっぱり信じられない?」
「ううん、信じるわ。むしろあの頃に疑問に思っていたことが、今の話を聞いて、色々と納得できたわ」
かえでが俺の話を信じてくれた。そのことがうれしかった。
それと同時に、申し訳ない気持ちにもなった。
「そういうわけでごめん、俺は本当は双葉だったのに、ずっと清彦だと偽っていたんだ。本当にごめん」
「……何を馬鹿なことを言っているのよ?
私の知ってる清彦はあなただけよ。私にとってはあなただけが本物の清彦よ」
「ありがとう。かえでにそう言ってもらえて、俺、すげー嬉しい」
実際、俺がかえでに認められたことが、すごく嬉しかった。
だって俺が男のままでもいい、いや、男らしくなりたい。
そう思えるようになったのは、俺が男としてかえでのことが好きになったからなんだ。
そんな自分の気持ちに気づいて、俺はかえでの横に立ちたい。
かえでに相応しい男になりたい。と思った。
だからかえでへの恋心を自覚して以来、俺は男らしくなろうと努力してきた。
そうしているうちに、女の双葉への未練は、だんだん薄れていったんだ。
今はまだこっ恥ずかしくて、かえで本人の前では、そんな事は言えないけどな。
そのかわりに、この場では、別の形で意思表示をした。
「なあかえで、今日は久しぶりに、一緒に帰らないか?」
かえでとは、さすがに都合よくお隣さんではなかったが、わりと家は近所だった。
小学生の頃は、かえでは泣き虫な俺のことを心配して、一緒に帰ったりしてくれていた。
ただ、さすがに中学生になる頃には、自然消滅していた。
「そ、そうね、久しぶりに一緒に帰ろうか」
かえでにしてはめずらしく顔を赤らめながら、俺の提案を受け入れてくれた。
友達以上、恋人未満で止まっていた俺たちの関係が、
今更な双葉の登場に、少し動揺したけれど、
これを切っ掛けに再び動き出したように感じた。
かえでに俺の過去の話をして良かった。おかげでずいぶん気が楽になった。
お昼休みが終わり、午後の授業が始まる直前に、俺たちは教室に戻った。
「もう、質問攻めにあっている幼馴染を放っといて、どこに行っていたのよ」
俺は隣の席の双葉から、拗ねたような声で話しかけられた。
「悪い、双葉がクラスの皆と仲良くなる機会を、邪魔しないように遠慮してたんだ」
かえでと話をして、気が落ち着いたおかげで、朝と違って今は平常心で双葉と話をすることができた。
少なくとも、五年前の恨み言を、今更引きずるようなことはなかった。
「んもう、さっきまで別の女の子と一緒だったくせに、……まあいいわ」
この後双葉に、この五年間のことを色々と聞かれた。
双葉はこの五年間、俺がどう過ごしてきたのか、心配だったと言ってくれた。
その様子から、双葉が本気で俺のことを心配してくれていたのはわかった。
だけど、今更そんなことを言われてもね。
さすがに、『最初は苛められて泣いて過ごした』などという余計な事は言わずに、俺は無難な内容で素っ気無く答えたんだった。
そして放課後。
約束どおり、かえでと一緒に帰ろうと、待ち合わせをしていた。
「遅くなってごめん、待った?」
「いや、俺も今来た所だから。じゃあ行こうか」
そして一緒に帰ろうとしたその時、乱入者が現れた。
「あ、やっとみつけた。清彦ったら、ねえ待ってよ」
乱入者は双葉だった。
「ねえ、さっきの話だと私たち、こっちでも家が近所なんでしょ? もし良かったら一緒に帰ろうよ」
いいわけねえだろ! 見てわからないか? 空気読め!!
ついそう叫びそうになったのを、ぐっと堪えた。
「へえ、双葉さんも、私たちとご近所だったんだ」
そんな双葉と俺の間に、かえでが割って入った。
なぜだろう、今のかえでからは、五年前にいじめっ子から庇ってくれた時以上に、迫力を感じた。
「うん、そうみたい。そっか、かえでさんもご近所だったのか」
かえでの迫力に、一瞬たじろぎながら、双葉はその場に踏みとどまっていた。
「じゃあ、もし良かったら、かえでさんも私たちと一緒に帰りませんか?」
踏みとどまるどころか、双葉はさらに踏み込んできた。
「ええそうね、私たちと一緒でよければ」
「あはははは……」
「うふふふふ……」
ちょっと待て、何で俺抜きで話が進むんだ?
それにお前達は、なんで笑いながらにらみ合いをするんだ?
「じゃあ清彦、行きましょう」
そう言いながら、かえでは俺の手を取った。
「あーん、きよくん、私、この辺の地理、まだよくわからないの、教えてよ」
猫なで声でそう言いながら、双葉はかえでに対抗するかのように、俺の反対側の手を取った。
さっきから女二人のつばぜり合いに、俺は翻弄されっぱなしだった。
今日は久しぶりに、かえでと一緒に仲良く帰るはずだったのに、
なんでこうなった?
少なくとも、この五年で、俺が男として男らしく成長したように、
双葉のほうも女らしく成長した、ということのようだ。
それも、かえでに対抗できるくらいに強かに。
こんな調子で、奇妙な三角関係が形成された。
この後も、二人は何かと対抗して、俺はそんな二人に翻弄されていくことになるのだった。
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ひとまずエンド
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朝のHRの時間、担任が女子生徒をつれて入ってきた。
「転校生の紹介をする。さ、自己紹介をして」
転校生か、結構かわいいな。……だけどどっかで見たことあるような?
「はい、転校生の江藤双葉です。父の仕事の都合で東京から来ました。皆さんよろしくお願いします」
転校生は頬を赤らめ、表情は恥ずかしそうで、初々しくて、だけど、
「江藤双葉だって!!」
俺は思わず叫んでいた。
「いきなりどうしたんだ清彦?」
担任が不思議そうに尋ねてくる。
だけど俺は、あまりのことにとっさに言葉が出ない。
だけどそんな俺よりも先に、その転校生が、
「清彦って、まさかあなたは、小学生の頃までうちの隣に住んでいた江藤清彦くんなの!!」
転校生、双葉も俺に気づいて驚いていた。
「なんだ、お前たちは知り合いだったのか。よし、それなら双葉さんの席は江藤清彦の隣にしよう」
おい担任、そんなこと勝手に簡単に決めるなよ。
だけど、転校生が早くクラスになじめるようにって、そう決められてしまった。
この状況に、俺は男子には冷やかされ、女子には好奇の目で見られた。
こりゃあとが大変だぞ。
「よろしくね、清彦君」
隣の席に座った双葉が、ぺこりと頭を下げて俺に挨拶をした。
「あ、ああ、よろしく双葉さん」
俺は複雑な思いを抱きながら、挨拶を返した。
「やだなあ、双葉さんだなんて、そんな他人行儀な昔のように……」
そう言ってから、彼女は言葉を区切り、急にいたずら小僧のようににやりと笑って小声で言った。
「きよくんって呼んでくれてもいいんだぜ?」
それは、すっかり美少女に成長したのに、昔のいたずら小僧だったきよくん、清彦を思わせるいたずらっぽい笑い顔だった。
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休み時間になると、転校生が珍しいのか、双葉に興味のあるクラスメイトが集まってきた。
男子のほうが多いのは、双葉の美少女ぶりをみればまあ納得だが、結構女子もいた。
そして、双葉にいろいろ質問をしていた。
にぎやかなのは良いが、隣の席の俺にはいい迷惑だ。
それにしても、双葉、すごく可愛く成長したな。
それに、体だけじゃなく、言葉遣いや仕草もすっかり女らしくなっちゃったな。
あれからもう五年も経ってるんだ、俺だって男になじめたんだから、双葉が女らしくなってても不思議はないか。
だけど、もしかしたら、あのときあんなことがなかったら、俺がああなっていたのかもしれない。
そんなことも考えてしまって、今は複雑な心境だった。
「ねえ清彦、ちょっとこっちに来て」
「うん? なんだかえで」
俺は内海かえでに呼ばれて席を立った。
かえでとは、五年前に俺がこっちに転校してきてからは、いつも同じクラスになるほどの腐れ縁だ。
ただ、腐れ縁というだけではない。俺は五年前からかえでの世話になりっぱなしだった。
だから俺は、かえでにはなかなか頭が上がらない。
「さっき双葉さんに、転校する前の清彦の話を聞いてみたんだけど」
「話ってどんな?」
「向こうでは清彦はいたずらっこで、双葉さんを、カエルや虫で脅かして泣かせたっていうのは本当?」
「……一応本当だ」
「うそ、だってわたしの知ってる清彦は、泣き虫で、いつも他の男子にいじめられていたもの、双葉さんの話とは印象が逆なのよ」
そう、五年前に、こっちに転校してきたばかりのころの俺は、泣き虫でいじめられっこだったんだ。
印象が逆か、そりゃそうだろうな。
それにしても、双葉のやつめ、かえでにややこしくなるようなことを言いやがって。
ぜったいにわざとだろ!
すっかり女らしく成長していたから、てっきり中身のほうも成長しているって思っていたのに、
面白がって余計なトラブルを起こすのは相変わらずなのか?
五年前のあの出来事は、俺の中ではもうすっかり過去のことだったんだ。
今ではほとんど意識しないで、男の清彦として、普通に生活していたんだ。
あのときの思いは、そっと心の奥にしまっておいたのに、あいつが現れたせいで、掘り起こされてしまった。
「話を振っておいてなんだけど、嫌なら無理に話さなくてもいいわよ」
難しい顔をしている俺に気を使ってくれたのか、かえでは話さなくてもいいと言ってくれた。
「……いや、話すよ」
かえでの気遣いに、逆に決心がついた。
双葉がこっちに転校してきて、しかも席は隣、これから毎日顔をあわせることになるだろう。
意識しないでいるのは無理だ。
それに、あいつが空気を読まないで、余計なことを言って状況をこじらせるかもしれない。
だったら俺のほうから、かえでだけにでも、話をしておいたほうがいいだろう。
「今から突拍子もない、嘘みたいな話をするけど、嘘と決め付けないで最後まで聞いてほしい」
もし、嘘だって否定されたら、話はそこで終わり。もう二度とその話はしない。
そう言って、一応釘を刺しておいた。
正直に言って、今から話す内容を、かえでに完全に受け入れてもらえるかどうか、自信がなかった。
普通なら与太話扱いだからな、実際五年前も、清彦の家族や双葉の家族も、信じてくれなかった。
かえでに受け入れられなかったら、それならそれでしょうがない、と覚悟も決めた。
「そこまで言うほどの話なのね、わかったわ」
だけど、俺の真剣さが伝わったのだろう。かえでも真顔でうなずいた。
これなら信じてくれるかもしれない。
ちょっとだけ期待しながら、それでは、と、俺はあのときの話をはじめた。
「今から五年前に、俺がこっちに転校してくる直前まで、今の双葉が清彦で、俺が双葉だったんだ」
「はあ?」
俺の発言に、かえでがおもわず間抜けな声を上げていた。
「それってもしかして、五年前に双葉さんと清彦の体が入れ替わった、という意味?」
「ああ、そういう意味だよ」
かえでは、やや首をかしげながら、額に手を当てて考え込んだ。
それは考え込むときのかえでのくせだった。
俺の話が本当かどうか、吟味しているんだろうか?
「普通なら、何の冗談? って、切り捨てるところだけど」
「やっぱり、信じられない?」
「ううん、信じるも信じないも、私はまだ清彦の話を聞いてないよ」
判断するのは話を聞いてからにする、だから話を続けろと促した。
「それじゃあ……」
と俺は、五年前に何があったのか、あの日の話をはじめた。
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江藤清彦と江藤双葉、二人の家はお隣同士で、両家は仲が良かった。
血縁関係はなかったけれど、苗字が同じということで、親近感もあったのだろう。
そんな仲の良い両家の子供、幼い頃のふたりは仲が良かった。
実際、双葉はいつも清彦と一緒に遊んでいたし、
清彦の事を、親しみを込めて「きよくん」と呼んでいたくらい大好きだった。
幼い頃は、双葉は清彦に結構意地悪な事もされていたが、それでも清彦が大好きだった。
だけど、小学五年生くらいになると、男女はわりとわかれて行動するようになる。
幼い幼児の好き、と、小学五年生の好き、では意味が違ってきたということもあるのだろうけれど、
その頃には、双葉は清彦の事は嫌いではないが、幼い頃よりは清彦が好きだったその気持ちは醒めていた。
そんな五年前のあの日、双葉は放課後に清彦に呼び出された。
「俺、父さんの仕事の都合で、転校することになったんだ」
清彦の突然の告白に、その時はまだ双葉だった俺は驚いた。
そんな話は聞いていなかったからだ。
「転校って、いつ?」
「来週末には引っ越すんだってさ」
「来週って……」
それはあまりに急な話だった。
だからどう答えていいかわからなくて戸惑った。
その時点では、まだ双葉だった俺でさえ、急な話に戸惑ったんだ。
あの当時の清彦は、もっと戸惑っていたのだろう。
だからって、その直後に切り出した清彦の告白は、あまりに性急だった。
「双葉、俺、お前の事が好きだ!」
清彦としては、離れ離れになるまえに、双葉に自分の気持ちを伝えたかったのだろう。
もっと落ち着いた状況での告白だったら、別の答えを言えたかもしれない。
だけど、突然の事に、俺は清彦の告白を受け止める事が出来なかった。
「ごめん、いきなりそんなことを言われても、私……困る」
「そ、そうか、そうだよな……」
後で振り返ってみて、その時のことを後悔する。
なんであの時、あの後、もっと別の言葉を選ばなかったんだろう、って。
俺は清彦に、「きよくんのことは嫌いじゃない、だから、離れ離れになっても、ずっとお友達で居ましょうね」
と告げたんだ。
そんな俺の返事に、清彦はショックで放心状態になった。
あの時の俺は、清彦がなぜ俺の返事にショックを受けたのか、理解できなかった。
今の俺になら理解できるのは、すごく皮肉なことだけどな。
居たたまれなくて、ショックで放心状態の清彦をその場に残して、俺はその場を後にしようとした。
その直後、
「うわあああ~~~っ!!」
清彦の叫び声に、俺は何事かと振り返った。
その直後、俺は清彦の体当たりを受けた。
体に激しい衝撃。
自分の体の芯がぶれるような、奇妙な感覚と同時に浮遊感を感じて、直後に五感の喪失。
それまで双葉だった俺は、双葉としての最後の意識を失った。
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「う、う~ん」
その時の目覚めは、最悪の気分だった。
酷い乗り物酔いにでもなったような、気持ちの悪さを感じていた。
上半身を起こそうとすると、簡単な動作のはずなのに、なぜだかぎこちなく感じた。
だんだん目が覚めてきて、気分の悪さは収まってきたけれど、
感覚がはっきりしてくるにつれて、逆に体の違和感が大きく感じられるようになってきた。
「なん…で…?」
呟いた声も、いつもと違って聞こえた、風邪でもひいたのかな?
その時はそう思った。
そして俺の目の前で、自分と同じ年恰好の女の子が、頭を振りながら起き上がってきた。
「え? 嘘? わたし?」
その女の子は双葉だった。
「え? お、俺?」
起き上がった双葉は、こっちを見て驚きの表情。
「なんで俺の目の前に俺が居るんだ?」
「それは私の台詞よ、なんで私がもう一人いるのよ!」
「もう一人の私?」
目の前の双葉は、急に何かに気づいたかのか、自分の体を見下ろした。
「スカート、なんで俺、スカートなんか穿いてるんだ? それにこれ、双葉のと同じ服じゃんか……」
そして何かを確かめるかのように、ぺたぺたと自分の体を触りはじめた。
双葉が、自分の胸や股間を、変な手つきで撫でている姿を見せられて、
「な、何やってるのよ! そんなの止めてよ、もう!」
急に恥ずかしくなって、双葉に抗議した。
「おまえ、もしかして双葉か?」
「もしかしなくても、私は双葉よ!」
「お前、まだ気づいていないのか?」
まだ気づいてないって?
「いいから自分の姿を確かめてみろ!」
双葉に言われて、俺は今の自分の体を見下ろしてみた。
「う、嘘?」
その時になって、俺はようやく気がついた。
俺はさっきまで清彦が着ていたのと同じ、男物のTシャツとハーフパンツを着ていることに。
いや、着ている服だけではない。
体つきも、男の子のそれになっていた。
自分の股間の違和感に気づいて、つい触ってしまった。
手が固く膨らんだなにかに触れて、慌てて手を離した。
「違う、これは私じゃない。私の体じゃない!!」
だとしたら誰? 私は誰になっているの?
「お前も薄々気づいてるんだろう? 今のお前は清彦だ」
「私がきよくん、ということは私たち……」
「ああ、俺たち、体が入れ替わっちまったみたいだ」
清彦と体が入れ替わっているなんて、
「こんなの嘘よ、こんなのありえないわよ!」
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あの後、二人の体が入れ替わってしまったと、俺は両家の家族に必死に訴えた。
だけど信じてもらえなかった。
非現実的で、普段でも信じてもらえなかっただろうけれど、タイミングも悪かった。
清彦が、引越しや転校が嫌で、双葉を巻き込んで狂言をしたと思われたからだった。
「この馬鹿息子が、双葉ちゃんまで巻き込んで、こんな騒ぎを起こして、どういうつもりだ!!」
「痛っ!!」
俺は清彦の父親に、清彦として拳骨で殴られて、痛くて涙目になった。
『ううっ、酷いよ、パパにさえぶたれたことなかったのに』
清彦と入れ替わった俺は、当然のように清彦として扱われたんだ。
そして俺は清彦として、清彦の家族と一緒に引越し、転校する羽目になってしまった。
『嫌よ、なんで私が、清彦のかわりに転校しなきゃいけないのよ!』
そうなるまえに、元の体に戻らなきゃ、と焦った。
だけどさらにまずいことに、この狂言(?)の件で、双葉を巻き込んだことが問題にされた。
「引越しの日まで、お前は必要以上に双葉ちゃんに近づくな!」
と釘を刺されてしまった。
おまけに、俺が転校していなくなるまで、双葉の自宅までの送り迎えに、双葉のママがついていくことになった。
『そんな、本当は私が双葉なのに!』
そんなこんなで、何もできないうちに、引越しの日が来てしまった。
引越しの当日、清彦の友達がお見送りに来てくれた。
やんちゃ坊主だった清彦には、お見送りに来てくれる男子の友達が結構いた。
クラスの友達の、寄せ書きとか、餞別とか、色々と贈られた。
「元気だしなよ、離れ離れになっても、俺たちはいつも一緒だ」
清彦の親友だった山本敏明が、俺の背中をたたいて励ましてくれた。
ここ数日、元気のなかった清彦が、別れを惜しんで落ち込んでいると心配してくれたんだ。
「……ありがとう」
状況が状況菜だけに、全然うれしくないけど、俺はそれでもどうにか敏明へお礼の言葉を搾り出していた。
そしてさすがに出発の直前に、隣の家から双葉が、両親と一緒(監視つき)にお見送りに来てくれた。
双葉の顔は、どこか申し訳なさそうな、浮かない表情だった。
乗用車の窓越しのお別れの挨拶、双葉は耳打ちするように、小さな声で俺に謝ってくれた。
「双葉、俺のせいでこんなことになっちまってごめんな。双葉の体は俺が大切に扱うから心配すんな。それじゃ、さようなら元気でな」
それだけ言うと、双葉は走り去っていった。
そんな、そんなのないよ!!
『嫌、行きたくない、やっぱり私、行きたくないよ!』
『パパやママ、若葉(妹)とも離れ離れになりたくないよ!』
『何よりも、双葉に戻れないなんて、そんなのってないよ!!』
だけど、無常にも乗用車は走り出し、俺は清彦の家族と一緒に、清彦として住みなれた街から離れることになったのだった。
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引越し先で与えられた部屋で、俺は運び込まれた清彦の荷物の荷解きもせずに、ずっと落ち込んでいた。
俺は双葉の体と離れ離れになってしまった。
もう元の双葉には戻れないだろう。
絶望するしかなかった。
なにもしないでぼんやりと過ごした。
出されたご飯だけ食べて、夜には布団だけ引っ張り出して眠るだけだった。
幸いなことに、引っ越してきたのは週末の休みの日だったので、その日はそれでもよかった。
さすがに落ち込む清彦のことを心配した、清彦の母親が俺のことを慰めてくれたけれど、その時は俺の心には届かなかった。
そして、休み明けの月曜日、俺は新しく転校した小学校に登校することになった。
「行きたくない」
といって抵抗したら、清彦の父親の拳骨が飛んできた。
「これ以上わがまま言うんじゃない!」
この人は、俺が双葉だったときは、隣の優しいおじさんだった。
だからすごく好きな人だった。
なのに、清彦になった俺には、すごく厳しかった。
俺は殴られた頭をさすりながら『痛い、なんで私がこんな目に』その時はそう思った。
「いつまでもうじうじと、お前は男だろ!」
その言葉に、俺は激しく反発した。
「私だって好きで男になったわけじゃない!」
また拳骨、痛い!
結局、清彦の父に、家から追い出されるように、転校先の小学校に送り出された。
ちなみに、この一件の後、俺はしばらくこのくそ親父に反発しつづけて、嫌うようになったのだった。
転校先では、暗く落ち込んでいた俺は、クラスの意地悪な男子たちの格好のいじめの的だった。
元の清彦なら、こんなやつらは返り討ちにしただろうけど、そのときの俺には無理だった。
相手の成すがままにいじめられた。
もういやだ、何で私がこんな目に。
いじめられて私は泣いた。
「男のくせに、こんなことくらいで泣くのかよ」
「おまえ、本当に男かよ、なよなよしていて、おかまじゃねえのか」
泣いたら相手が喜ぶだけってわかってた。
だけどそれでもそのときの俺は、泣くしかできなかった。
「あんたたち、よって集って弱いものいじめをして、恥ずかしくないの!」
そんな時、颯爽と現れて、そんな俺をかばってくれたのが、かえでだったんだ。
かえでは、取り立てて美人というわけではないが、姉御肌のかっこいい女の子だった。
「へ、男のくせに、女にかばわれて情けねえの」
いじめっ子たちは悪態をついた。
とはいえ、このクラスの女子に影響力の大きいかえでと、ことを構えるつもりはないらしい。
悪態をつきながらその場は引いてくれた。
「大丈夫だった、怪我はない?」
「助けてくれて、あ、ありがとう。私……」
「あーもう、なんでそこでまた泣くのよ」
「だって、私、嬉しくて」
「……もう、なんでこんな子、助けちゃったんだろう」
最初かえでは、男子の問題だから、余計な口出しはしないつもりだったらしい。
だけど、一方的にいじめられていた俺を見かねて、つい啖呵を切ってしまったのだという。
そしてこの日から、俺とかえでの腐れ縁が始まったんだ。
その後も、かえでは色々と、俺のフォローをしてくれた。
特に、女子を見方につけてくれたことが大きかった。
かえでのおかげで、俺はいじめっ子の男子たちに、おおっぴらにはいじめられなくなった。
だけど、かえでの目の届かないところでいじめられたり、影で嫌がらせをされたりした。
それでも状況が少しましになっただけでも、そのころの俺にはありがたかった。
清彦の家にも、学校にも、居場所のなかったそのころの俺にとって、かえでは心のオアシスだったんだ。
まだまだ嫌な事もあるけど、少しづつ、学校に来るのが楽しみになってきた。
「ふん、男の癖に、女に取り入るなんて、なさけねえやつ」
そういう陰口もたたかれた。
あるいは家で、くそ親父に、
「お前、最近めそめそして、どうしたんだ、男なんだからもっとしゃんとしろ!」
男の癖に、とか、男なんだから、とか、そう言われるのが嫌だったし辛かった。
『私は本当は女の子なのに』『男なんかになりたくなかったのに』
だけど、かえではそういうことは言わなかった。
そんな女を引きずった、なよなよした俺を、そのまま受け入れてくれたんだ。
後でそのことを聞いたら、かえではこう言っってくれた。
「男らしいとか、女らしいとか、そんなの関係ないよ。だって清彦は清彦なんでしょう?」
さらに、
「それに、男の癖に情けない。とか言われた時の清彦、すごく辛そうだった。
だからさ、私はそのことには触れないようにしようと思ったんだ」
私は嬉しかった。
清彦の両親でさえ、ちゃんと見てくれなかったこんな私を、かえではちゃんと見てくれていたんだと。
そのうちに、かえでは清彦の長所に気づいて、色々アドバイスをしてくれるようになった。
「清彦ってさ、運動が得意だよね、特に足が速いじゃない」
「そ、そう?」
そういえば、元の清彦は運動が得意で、向こうのクラスでは一番足が速かったっけ。
ただ、双葉だったころの俺は、逆に運動が苦手で足も遅かったから、体育も嫌いだったし、清彦になった後も自信をもてなかったんだ。
それに、元々闘争本能の薄かった俺は、競争で勝とうという意識も薄かったんだ。
「私の見たところ、あんたを苛める陰険な男子より、あんたのほうがずっとすごいんだから、もっと自信をもちなさいよ」
「そ、そうかな?」
「そうよ、今度の運動会で、いいところを見せれば、きっとみんなあんたのことを見直すわよ」
かえでのはげましに、俺はだんだんその気になってきた。
「う、うん、わかった。がんばってみる」
そして俺は、その後の運動会でがんばった。
百メートル走やハードル走では、ぶっちぎりの一位だったし、
最後のクラス対抗のリレーでは、バトンを受けるまで三位だったチームを、トップにまで引き上げた。
「なんだよ清彦、おまえやるじゃん!「
「お前、すごいじゃねえか!」
「なんで今まで、その実力を出さなかったんだよ!」
クラスのみんなが、いじめっ子も含めて、俺を見直して賞賛してくれた。
この日を境に、俺は清彦としてやっていく自信がついたんだ。
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運動会の後、俺の中で、何かが吹っ切れた。
それまで嫌だった清彦としての自分を、受け入れられるようになって、俺はだんだん行動が積極的になっていった。
それと同時に、クラスのみんなに認められて、受け入れられるようになっていったんだ。
この後、成長期だった俺は、中学生になったころから背がぐんぐん伸びて、体つきがたくましくなっていった。
声変わりもして、顔からも幼さが抜けて、すっかり男らしい顔つきになった。
だけどもう嫌じゃなかった。
たくましく男らしく成長していく清彦を、むしろ俺は喜んで受け入れていったんだ。
そして今の俺がある。
こんな話、誰も信じてはくれないだろうし、誰にも言うつもりはなかった。
それに、双葉が転校生として現れるまでは、俺にとってもすっかり過去の出来事になっていたんだ。
「清彦の話を聞いていて、色々思い出したわ。そういえばあのころの清彦はそうだったわね」
かえでは懐かしそうにつぶやいた。
「どう、今の話を聞いて、俺が双葉だったって話、やっぱり信じられない?」
「ううん、信じるわ。むしろあの頃に疑問に思っていたことが、今の話を聞いて、色々と納得できたわ」
かえでが俺の話を信じてくれた。そのことがうれしかった。
それと同時に、申し訳ない気持ちにもなった。
「そういうわけでごめん、俺は本当は双葉だったのに、ずっと清彦だと偽っていたんだ。本当にごめん」
「……何を馬鹿なことを言っているのよ?
私の知ってる清彦はあなただけよ。私にとってはあなただけが本物の清彦よ」
「ありがとう。かえでにそう言ってもらえて、俺、すげー嬉しい」
実際、俺がかえでに認められたことが、すごく嬉しかった。
だって俺が男のままでもいい、いや、男らしくなりたい。
そう思えるようになったのは、俺が男としてかえでのことが好きになったからなんだ。
そんな自分の気持ちに気づいて、俺はかえでの横に立ちたい。
かえでに相応しい男になりたい。と思った。
だからかえでへの恋心を自覚して以来、俺は男らしくなろうと努力してきた。
そうしているうちに、女の双葉への未練は、だんだん薄れていったんだ。
今はまだこっ恥ずかしくて、かえで本人の前では、そんな事は言えないけどな。
そのかわりに、この場では、別の形で意思表示をした。
「なあかえで、今日は久しぶりに、一緒に帰らないか?」
かえでとは、さすがに都合よくお隣さんではなかったが、わりと家は近所だった。
小学生の頃は、かえでは泣き虫な俺のことを心配して、一緒に帰ったりしてくれていた。
ただ、さすがに中学生になる頃には、自然消滅していた。
「そ、そうね、久しぶりに一緒に帰ろうか」
かえでにしてはめずらしく顔を赤らめながら、俺の提案を受け入れてくれた。
友達以上、恋人未満で止まっていた俺たちの関係が、
今更な双葉の登場に、少し動揺したけれど、
これを切っ掛けに再び動き出したように感じた。
かえでに俺の過去の話をして良かった。おかげでずいぶん気が楽になった。
お昼休みが終わり、午後の授業が始まる直前に、俺たちは教室に戻った。
「もう、質問攻めにあっている幼馴染を放っといて、どこに行っていたのよ」
俺は隣の席の双葉から、拗ねたような声で話しかけられた。
「悪い、双葉がクラスの皆と仲良くなる機会を、邪魔しないように遠慮してたんだ」
かえでと話をして、気が落ち着いたおかげで、朝と違って今は平常心で双葉と話をすることができた。
少なくとも、五年前の恨み言を、今更引きずるようなことはなかった。
「んもう、さっきまで別の女の子と一緒だったくせに、……まあいいわ」
この後双葉に、この五年間のことを色々と聞かれた。
双葉はこの五年間、俺がどう過ごしてきたのか、心配だったと言ってくれた。
その様子から、双葉が本気で俺のことを心配してくれていたのはわかった。
だけど、今更そんなことを言われてもね。
さすがに、『最初は苛められて泣いて過ごした』などという余計な事は言わずに、俺は無難な内容で素っ気無く答えたんだった。
そして放課後。
約束どおり、かえでと一緒に帰ろうと、待ち合わせをしていた。
「遅くなってごめん、待った?」
「いや、俺も今来た所だから。じゃあ行こうか」
そして一緒に帰ろうとしたその時、乱入者が現れた。
「あ、やっとみつけた。清彦ったら、ねえ待ってよ」
乱入者は双葉だった。
「ねえ、さっきの話だと私たち、こっちでも家が近所なんでしょ? もし良かったら一緒に帰ろうよ」
いいわけねえだろ! 見てわからないか? 空気読め!!
ついそう叫びそうになったのを、ぐっと堪えた。
「へえ、双葉さんも、私たちとご近所だったんだ」
そんな双葉と俺の間に、かえでが割って入った。
なぜだろう、今のかえでからは、五年前にいじめっ子から庇ってくれた時以上に、迫力を感じた。
「うん、そうみたい。そっか、かえでさんもご近所だったのか」
かえでの迫力に、一瞬たじろぎながら、双葉はその場に踏みとどまっていた。
「じゃあ、もし良かったら、かえでさんも私たちと一緒に帰りませんか?」
踏みとどまるどころか、双葉はさらに踏み込んできた。
「ええそうね、私たちと一緒でよければ」
「あはははは……」
「うふふふふ……」
ちょっと待て、何で俺抜きで話が進むんだ?
それにお前達は、なんで笑いながらにらみ合いをするんだ?
「じゃあ清彦、行きましょう」
そう言いながら、かえでは俺の手を取った。
「あーん、きよくん、私、この辺の地理、まだよくわからないの、教えてよ」
猫なで声でそう言いながら、双葉はかえでに対抗するかのように、俺の反対側の手を取った。
さっきから女二人のつばぜり合いに、俺は翻弄されっぱなしだった。
今日は久しぶりに、かえでと一緒に仲良く帰るはずだったのに、
なんでこうなった?
少なくとも、この五年で、俺が男として男らしく成長したように、
双葉のほうも女らしく成長した、ということのようだ。
それも、かえでに対抗できるくらいに強かに。
こんな調子で、奇妙な三角関係が形成された。
この後も、二人は何かと対抗して、俺はそんな二人に翻弄されていくことになるのだった。
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ひとまずエンド