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母の日 一輪の記憶

2021/05/12 04:05:40
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母の日。
それは日頃の母の苦労をねぎらい、母への感謝を表す日である。
母子家庭でいつも苦労ばかりかけていた俺は、その日はプレゼントを持って家に帰ろうとしていた。どんな形でプレゼントを渡そうかと考えていた時、俺の目に飛び込んできたのは、赤信号の横断歩道を渡ろうとする子供とその子に追突しようとする車の姿だった。
車に気づいていない子供を抱え、自分の位置を入れ替えるように後ろへ投げ飛ばした俺だったが、バランスを崩して倒れてしまう。そして、強い衝撃が体に走った瞬間、視界は真っ暗闇になってしまった。
何も聞こえず何も感じない。「俺は死んだのか」と思ったその時、誰かの声が聞こえてきた。それが自分に対して向けられていると感じた俺は、声が聞こえる方向に意識を集中させた。そして、一筋の光が差し込むと、俺は吸い込まれるように光の先へと突っ込んだ。
気がつくと、目の前に一輪のカーネーションを持った男の子がいた。

「これプレゼント。」

そう言ってカーネーションを差し出してきた男の子。「俺にくれるのか?」と混乱する俺の気持ちを感じ取ったのか、何度もうなづいてカーネーションを俺の手に持たせた。すると、その左手の薬指に指輪がはめられていたのに気がついた。「どうしてこんなものを」と思っていると、男の子が恥ずかしがりながら言った。

「今日は母の日だから、いつも頑張ってるお母さんに何かしようって思ったんだ。それで何をすればいいか先生に聞いたら、『お花をプレゼントしたらいい。』って教えてくれたの。だからそれはプレゼントだよ、”お母さん”。」

「お母さん」という男の子の言葉を聞いた瞬間、俺の体は何かに乗っ取られる感覚に襲われ、その口はひとりでに言葉を発し始めた。

「ありがとう、トシちゃんからプレゼントをもらえるなんてとっても嬉しいわ。(く、口が勝手に・・・てか、なんだよこの声?!)」

色っぽさのある甲高い声で女言葉を使いながら男の子の体を抱きしめる俺。そのとき目にしたのは、俺に頭を撫でられて喜ぶ男の子の笑顔と、その笑顔を埋められて形をかえる自分のおっぱいだった。

(なんで俺の胸がこんなに膨らんで・・。それにこの子、俺のことを『お母さん』って・・。)

この時、俺はようやく気がついた。自分の体が女になっていること、しかも子持ちの人妻になっていることを。

俺(?)に褒められてよほど嬉しかったのか、男の子はウキウキしながら自室へと戻った。その瞬間、乗っ取られるような感覚が消え、体の自由を取り戻した俺はとりあえず視線を下ろしてみる。
そこにあったのは視界を塞いでしまうほどに膨らんだ自分の胸。思わず手を当ててみるとその時に感じたのは、触られているという胸の感覚と、掌に伝わってくる柔らかくも弾力と重みのある感覚だった。

「これ、本物なのか・・。」

唖然とする俺は全身をくまなく確認した。束ねられた長い髪、胸と同じように膨らんだ尻、あるはずのものがなりすっきりしてしまった股間。自分が女になってしまったと改めて思い知った俺は、気持ちを整理するために辺りを見回した。



なかなかの広さがあるリビングに立派なキッチン、値がはりそうな家具の数々。そして、さっきの男の子と両親らしき大人二人が写った写真立て。

「ここに写っている女の人って・・・俺か?」

確認しようと近づいた時、写真立てが反射して自分の顔が映し出された。その顔は写真の女性と瓜二つ、というより本人で間違いなかった。
自分の身に何が起きたのか、手がかりはないかと考えていると俺は懐から板のような機械を取り出した。初めてみるはずなのにそれが「スマホ」だと知っていた俺は、慣れた手つきでいま置かれている自分の状況を検索していた。
「異世界転生」ものというアニメや小説の情報が出てくる中、「輪廻転生」という言葉に目が止まった。

「命あるものが何度も転生し、人だけでなく動物なども含めた生類として生まれ変わること・・、つまり俺はあの日死んで生まれ変わったってことになるのか?」

その後も情報を集めていき、今の俺は「前世の記憶が戻った人妻兼母親」だと結論づけた。実際、俺は元の自分のことを思い出そうとしても母の姿と例の事件前後の記憶しかなく、名前さえも思い出せなかったからだ。代わりに今の自分のことは手に取るようにわかる。
名前は若葉。30年以上前に一般家庭の長女として生まれ、ごくごく平凡に暮らしていたが、就職先で上司の女性軽視扱いと先輩のセクハラ行為にあい、一時期かなり気を病んでしまった。その時に相談に乗ってくれたのが、今の夫である敏徳(としのり)だ。彼のおかげで不貞を働いていた上司と先輩は制裁を受け、若葉は恵まれた環境で働くことができたのだ。その後、敏徳にプロポーズされ結婚。敏明という思いやりのある優しい息子まで設け、順風満帆の人生を送っているといえるだろう。
ふと時計に目をやると、また乗っ取られるような感覚に襲われた。

「もうこんな時間だわ。ご飯の支度しなくっちゃ。」



そう言って俺はキッチンに入り、鼻歌交じりに料理を始めた。さっきの敏明とのやり取りのようにふとしたことで若葉本来の人格が蘇るようだ。この時の俺は若葉視点のテレビドラマを見ているような立ち位置にいる。
家族三人で談笑しながらの食事、以前の生活では考えられないくらいのほんわかした光景。それを見ていた俺は、ふと母のことを思い出した。少なくとも俺が事故にあってから30年以上もの月日が流れている。
「俺がいなくなった後、母はどうなったのか」、そんな考えが頭をよぎり続けていた。いてもたってもいられなくなった俺は体の主導権が移ったのを見計らいながら、前世の自分と母のことを調べ始めた。

それから数日後。

紆余曲折を得て、病気を患い親戚の援助のもとで母が施設に入れられたことを知った俺はそこを訪れていた。
職員に案内された俺は、変わり果てた母の姿を目の当たりにする。

「清美さんは認知が進んでいて、目の前にいる人物が老若男女問わず亡くなられた息子さんだと思い込んで話をされます。」

職員はそれだけ言って、俺を残して部屋をあとにした。
俺は母が眠るベッドに近づくと、それに気づいた母が俺を見て言った。

「あら”清彦”。帰ってきたの?」

久しぶりに聞いた懐かしい響き。これまで忘れていた前世の自分の名前だ。女性として生まれ変わった息子と人を認識できなくなった母親というあまりにも歪んだ形となってしまったが、俺は「清彦」として母と再会できたことに涙を浮かべてしまった。

「うん、ちょっと道に迷ってさ。やっと帰ってきたところだよ」
「そんなこと言って、どうせ道草でも食ってたんでしょ。ほんとにしょうがないんだから。」

それから母は昔話を持ちかけては同じ内容を繰り返し、話し続けた。それには俺と過ごした日々がこと細やかに再現され、おぼろげだった清彦の記憶が少しずつ呼び覚まされていった。



「そんなことまで覚えてたのかよ。」
「当然。息子との思い出は何よりの宝物よ。忘れたりするもんですか。」

俺は母の言葉に胸を打たれ、そんな母を一人にさせてしまった自分の情けなさに憤りを覚えた。

「母さん、本当にごめんよ。今まで一人にして・・・。親不孝な息子でさ。」
「親不孝なんて思ってないわよ。ついさっき、清彦に助けてもらったっていう男の子が尋ねてきたの。車にひかれそうになったんですって。その男の子がね、清彦のように人を助けられる大人になりたいってたのよ。」

母が言っていた男の子というのは、おそらく事故の時に俺がかばった子供のことだろう。母のことを調べて行く中で、警察官になったと風の噂で聞いたことがある。

「息子が誰かの命を救って、その人の生きる道標になる。母としてこんなに誇らしいことはないわよ。」

母のその言葉にこれ以上にないくらいの喜びを覚えていた。
このまま母との時間を取り戻したい。そんな考えで頭がいっぱいだった。しかし、清彦はもういない。あの事故で亡くなったのだ。
今ここにいる俺は、前世の記憶が呼び覚まされただけでの縁もゆかりのない赤の他人。これ以上は「若葉」の人生に影響を及ぼしかねないだろう。

「そろそろ行かないと。」
「あら、帰ってきたばかりなのにどこ行くの?」
「大事な約束があってさ。もう行かないと。」
「わかった。じゃあ、今度は道草食わずにまっすぐ帰ってきなさい。あなたの好物作って待ってるから。」
「ありがとう・・・。じゃあ行ってくるから。」
「行ってらっしゃい・・・。」

俺はあの日渡しそびれたプレゼントのカーネーションを置いて、施設をあとにした。それから一週間後、母は眠るように息を引き取った。

一年後。
母の死を知った瞬間、俺は私になった。記憶の統合というのだろうか。前世の記憶を持ちながらも私は若葉として人生を謳歌していたのだ。

「お母さん!はやくはやく〜!」
「あんまり急がせないで。お母さん走れなんだから。」

一段と大きなった敏明が私の前を走りながら呼んでいる。しかし、私のお腹には第二子が宿っていることから走ることもままならないのだ。
元気に育つのはいいが、手間がかかってきたと思っていたその時。息子が渡ろうとしている横断歩道が赤信号になっていることに気づいた。

「敏明っ、止まって!!」
「へっ??」

私の声に気づいた敏明だったがすで歩道の上にいて、しかもすぐそこに車が迫っていた。私の脳裏にあの時の光景が蘇ってくる。しかし、あの時とは違い、体が前に進まむことができなかった。
最悪の状況が頭をよぎったその時、一人の警官が敏明を救ってくれた。

「大丈夫かいっ!?」
「う、うん。」
「ダメじゃないか、周りに気をつけて歩かないと。」

敏明に怪我がないことを知った警官は私に気づいて、連れてきてくれた。

「ありがとうございます。」
「いえいえ、そちらこそ身重の体で大丈夫でしたか?」

私は敏明の体を抱きしめながら、警官に何度もお礼を言っていた。

「坊や、赤信号には本当に気をつけるんだよ。おじさんも坊やくらいの歳に、車にひかれそうになってね。その時は近くにいたお兄さんに助けてもらったんだ。」

警官のその言葉に私はもしかしてと思い、あることを尋ねた。

「それって30年くらい前にあった・・・。」
「ご存知なんですか? あの事件があったからこそ、今の自分がいるようなもんなんです。助けてくれたお兄さんに恥ずかしくない大人になろうと思ってそれで警察官になったんですよ。」

警官はそれ以上のことは何もいわず、私たち親子の前から立ち去って行きました。あの時、前世の自分が助けた子供が今度は自分の息子を助けてくれた。
こんな奇跡があるのだと感動を覚えていた。

「お母さん、あのおじさんかっこよかったね。」
「そうね。」
「僕も、大人になったらお母さんや生まれてくる赤ちゃんを守れるようにおまわりさんになるよ。」
「じゃあ、帰ったらいっぱいお手伝いしてもらおうかな。」
「げっ。」

そんな他愛のない話をしながら、今度は息子を話さないように手を繋いで家路につく。
私は願う。
敏明がかつての自分のように誰かの命を救い、未来の道標になること。そして自分のように生まれ変わることができた母の人生がより良いものになることを・・・。

母の日にふと思いつきました。
きよひこ
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