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お嬢様は空手を嗜む

2015/12/12 00:22:27
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私立桜宮学園高校は、この地方の名家桜宮家によって設立された学園だ。
そしてその桜宮家の現当主が、学園の理事長をしていた。
ここまではよくある話なのだが(なのか?)、
現在その理事長の一人娘の桜宮双葉が、この学園に通っていた。
一人娘だったためか、わがままいっぱいに育てられたこのお嬢様は、この学園でもすき放題、理事長の一人娘ということで、教師も生徒も誰も彼女に逆らえなかった。
ここまでも、まあごくまれによくある話だろう(なのか?)。
それだけだったら、俺の通う同じ学園に、わがままなお嬢様がいるというだけで、俺には関係のない話だったかもしれない。
だがしかし、つまらないことでそのわがままお嬢様にかかわってしまって、目をつけられる羽目になってしまった。

その日、虫の居所が悪かった双葉お嬢様に、同じクラスの女子生徒が絡まれていた。
べつにその女子とは特別に親しかったわけじゃない。
だけど、些細なことであまりにしつこく責められて、その子はもうすっかりなみだ目でみていられなかった。
ほかのクラスメイトは、触らぬ神に祟りなし、との態度でかかわらないようにしていた。
それが正解だったんだろうけど、俺はそんなお嬢様もまわりの態度も気に入らなかったんだ。
もっとも、最初は俺も、穏便に対応していたんだけどな。

「この子もおびえ…反省しているみたいだし、その辺にしておけばいいだろ」
「あなた、いきなり横から出てきてなんですの?
このわたくしに意見するとは、どういうつもりなのですの!!」

双葉お嬢様は、自分に逆らう俺という存在を気に入らなかったらしい。
すぐにその矛先が俺に向き直った。
最初はお互いに口だけで応酬していた。

「先ほどからのあなたのわたくしへのその態度はなんなんですの、桜宮家の令嬢で、この学園のVIPであるこのわたくしへの敬意が感じられませんわね」
「敬意? 敬意っていうのは、立派な人間に抱くもんだ。自分より弱いものいじめをするあんたに、敬意なんて感じられるわけねえだろ!」
「弱いものいじめ、ですって!」
「違うのか? だから桜宮の名前を出さないと、あんたは俺に対抗もできないんだろ?」
「くっ、言わせておけば……」

双葉の名前や桜宮家の名前に屈服しない俺に、悔しそうな双葉が切れるその前に、事態が動いた。

「こいつ、双葉様に対してなんて態度を!!」
「双葉様、ここは我々にお任せください!」

双葉の側にいたとりまきの男子たちが、俺に向かってきた。
まさか実力行使にでるとは思わなかったが、俺はガキのころから空手をやっていて、腕っ節には自信があった。
へぼなとりまきの一人や二人くらいならどうってことはなくって、かるくなでてやっただけで撃退できた。
俺に撃退された取り巻き立ちは、まだ何かなにかわめいていたが、

「おだまりなさい、これ以上わたくしに恥をかかせないでくださいまし!」

双葉お嬢様に一喝されて黙った。
そして俺に向き直って質問してきた。

「あなた、お名前は?」
「俺は1年B組の清彦、岡野清彦だ」
「岡野清彦……よく覚えておきますわ!」

双葉お嬢様は、捨て台詞を残して去っていった。
その場はそれで済んだが、このお嬢様とはそのとき因縁で結ばれてしまったんだ。



いやまさかあの時は俺自身が、……こうなるとは思いもしなかったな。


ともかくも、その時の一件が切っ掛けで、俺は双葉お嬢様に目をつけられてしまったんだ。
何かと俺にちょっかいをかけてくるようになった。
たとえば先日なんか、廊下を歩いていたら、このお嬢様は、わざわざ俺の進路をふさぐように立ちはだかってみせた。

「じゃまですわ、どいてくださらない?」
「…………」

その程度で気が済むならと、俺はあっさり道を譲ったんだが、なぜかこのお嬢様のお気に召さなかったらしい。
美人だけど高慢そうなその顔に、なにやら失望の色を浮かべていた。

「こんなに簡単に、このわたくしに屈してしまうとは、やはりあなたもたいしたことありませんわね」

お嬢様の憎まれ口に、はいはいそうですね、とここは肯定しておけばよかったのに、なんかこのお嬢様相手だと意地になってしまうっていうか、俺はつい言い返していた。

「別に、こんな程度の低いことで、争ってもしょうがないからな」
「程度が低い、ですって!」
「違うか? 今あんたがやってた嫌がらせは小学生なみだろ?」
「このわたくしが小学生なみですって!」

挑発するような俺の台詞に、双葉お嬢様が悔しそうな表情をしていた。
だがそれ以上に、お嬢様の周りにいた取り巻きたちが騒ぎだした。

「こいつ、言わせておけば!」
「双葉様に対してなんて無礼な!」
「静まりなさい!!」

双葉お嬢様は、騒ぎだした取り巻きたちを一喝して、その場を鎮めた。

「今日のところは、わたくしの負けを認めてさしあげます。
ですが、いずれあなたを、わたくしの足元に跪かせてみせますわ!
いきますわよ!」

双葉お嬢様は、そう宣言して、取り巻きたちを引き連れて去っていった。

負けを認めるって、このお嬢様は、いったい何と戦ってるんだよ!
それにしても、俺を足元に跪かせるだなんて、やっかいなことになっちまったもんだな。


そうそう、それとは逆に、こんなこともあった。
同じクラスの小柄な女子が、俺に話しかけてきた。

「あ、あの、清彦くん、……先日はありがとう」
「……誰だっけ?」

この子が同じクラスの女子、というのは顔を見てわかるんだけど、この子の名前は覚えていなかった。

「若葉です! 牧野若葉! もう、クラスメイトの顔と名前くらい覚えておいてよ!!」
「すまん、同じクラスの者の顔は覚えていたんだが、俺は女子とはあまり接点がなかったし、君とは今まで話をしたこともなかったから、名前までは覚えていなかったんだ」
「んもう、……でもこれで、私の名前は覚えてくれましたよね?」
「ああ、これでばっちし」
「よかった」

牧野若葉さんは、うれしそうに微笑んだ。
そんな若葉さんを素直に『かわいい』って思った。

「それで牧野さん、俺になにか…」
「若葉! 若葉って呼んでください!」
「あ、ああ、若葉さん、でいいか?」
「はい!」

俺に名前で呼ばれて、若葉さんはうれしそうだった。
若葉さんは小柄で童顔な女の子なのに、この時はなんかえらい迫力に押されてしまった。

「ところで、俺にありがとうって?」
「先日、清彦くんは、私を助けてくれたじゃないですか」

若葉さんが言うには、双葉お嬢様に絡まれていた若葉を、俺が助けてくれた、ということだった。
ああ、あのときの女子か、そういわれてみれば、若葉さんだったっけ。
お礼を言われて悪い気はしないが、気恥ずかしいっていうか、ちょっと照れるな。
なので、なんでもねえよ、っていう風を装って、素っ気無く受け答えをした。

「別に若葉さんを助けようって思ったわけじゃねえよ、周りが見てみぬふりをしていたことと、あのお嬢様が気に入らなかっただけだ」
「そ、それでも清彦くんに、助けてもらえたことにはかわりません。私うれしくて」

まあ、そんなことがあって、俺と若葉さんは、少し親しくなったんだ。

「それで清彦くんは、空手部なんですか?」
「まあな」
「……空手部って、マネージャーとか募集してないでしょうか?」
「無理だと思うぞ、うちの部はマネージャーどころか、逆に女人禁制だ、なんて主将が言ってたからな、部の伝統とかなんとか言って」
「いまどきそんなのおかしいです!」
「そうは言ってもなあ……」

後日、若葉さんは、空手部の主将になにやら食って掛かったが、今のところは入部は認められていないようだ。

……ところで若葉さんは、なんで空手部なんかに入りたがるんだ?


そんななる日、俺は双葉お嬢様の親衛隊とやらに呼び出された。
やつらは、双葉お嬢様に対する、俺の無礼な態度が気に入らないらしい。

「これはあのお嬢様の命令か?」
「ふん、お前ごとき、双葉様のお手を煩わすまでのことはない」

つまり、独断ということか。
まあどっちにせよ、身に降りかかる火の粉は払わないとな。
というわけで、俺は親衛隊とやらと乱闘になってしまった。
連中はきっちりと叩きのめしたんだが、この乱闘が問題になった。
俺は処分が決まるまで謹慎、このままだと俺は退学になるだろうということだった。

そんな時、俺は双葉お嬢様に呼び出された。
いまさらいったい何のようだ?

「このままだとあなたは、退学ということになりますわ」
「だろうな」
「でも、心の広いわたくしは、あなたにチャンスをあげますわ」
「チャンス?」
「ええ、このわたくしへの今までの無礼を詫びて、わたくしに頭を下げれば、あなたの退学処分は取り消すようにしてさしあげますわ」

の家は貧乏で、高校へ行くのも大変だった。
だが、俺は中学時代がむしゃらに勉強をして、見かけによらずトップクラスの成績を収めた。
中学時代の空手の活動をこの学園の空手部の顧問にも認められて、この学園への特待生になることもできた。
正直にいって、この退学は回避したい。
一時の屈辱に耐えればそれがかなう。

「だが、断る!」
「!? 退学になっても良いのですの?」
「よくはないが、だからといってここであんたに頭を下げるのは筋違いだろ!」

そもそもこのお嬢様が突っかかってきて、その親衛隊とやらが暴走しての結果だった。
なのにそのお嬢様に頭を下げるなんて、できなかった。
俺にもプライドというものがある。

「結局あんたは、親の権力に頼って、こうやって俺の弱みに付け込むくらいしかできないんだな」
「今の言葉、取り消しなさい!」
「嫌だね! 退学になるのに、あんたに遠慮してもしょうがないからな」
「……今までわたくしに遠慮なんかしたことなかったくせに」
「ああそれと、親衛隊とやらのしつけはちゃんとしとけよ、そもそもあんたの不始末なんだからな。
俺だけ処分を受けて、あいつらが野放し、なんてことになったら、俺はあんたを一生軽蔑する」
「……よくわかりましたわ、もう行っていいですわ」

俺は双葉お嬢様の元から退出した。
後日、俺の処分が言い渡された。
一週間の停学、ということだった。
あと、親衛隊の連中も停学処分を受けたということだった。

それは、誰かさんが裏から手を回した結果だった。
どういうことだ、俺はあのお嬢様に嫌われているんじゃなかったのか?


謹慎中、俺は男子寮の自室にこもっていた。
基本的にすることがない。
まあ謹慎だもんな。
それでも身体がなまらないように、腕立てやスクワットで、できるだけ身体を動かすようにはしていた。
一応特待生なので、勉強が遅れないように自習もしていた。
でも、そんな単調な生活は退屈だった。
だがそれも昨日までで終わり、謹慎開けの今日から、学園生活の再開だ。
退屈な生活の後だったから、居ても起ってもいられず、俺は早めに朝食を済ませて、男子寮の外へ出た。
あれ、こんな朝の早い時間なのに、寮の玄関の外に誰かがいる、誰だろう?

「……若葉さん?」
「あ、清彦くん!!」

それは若葉さんだった。
若葉さんは嬉しそうに、俺の側に駆け寄ってきた。
もしかして、俺のことを待っていた?

「もう、この一週間、清彦くんのこと、心配してたんですからね」
「ごめん」
「ううん、謝るのは私のほうよ、私のせいでこんなことになっちゃったんだって、清彦くんに申し訳なくって」

そう言いながら若葉さんは、本当に申し訳なさそうな、今にも泣きそうな顔をしていた。

「若葉さんのせい、なんで?」
「それは…」

若葉さんが言うには、自分が双葉お嬢様とトラブルになって、俺がそれを助けたせいで今度は俺がお嬢様に目をつけられた。
私がそんなことにならなければ、俺がお嬢様とやりあうことも、取り巻きたちとトラブルになることはなかった。
だから私のせいだって。

「若葉さん、それは違う!」

確かにきっかけは若葉さんだった。
でもその後、双葉やそのとりまきたちとの衝突は、回避しようと思えば出来たのだ。
だけど俺は対決する道を選んだ。
それを選んだのは、紛れもなく俺の意思だったんだ。
……それに今から思えば、さすがに乱闘はやりすぎだったとも思えるしな。

それに、仮に双葉お嬢様から若葉を庇うイベントがなかったとしても、
同じ学園の同じ学年である以上、遅かれ早かれ双葉と衝突していた可能性は高かったと思う。

「だからさ、若葉さんはそんな風に、自分を責めることはないよ」
「で、でも……」
「それとも若葉さんは、あの時俺は、若葉さんを見捨てたほうが良かった、というのかな?」
「そんなことないです! あの時は私は、清彦くんに助けてもらえて嬉しかったんです!」
「じゃあ、あのときの俺の行動を否定しないでくれよ、俺はあの時若葉さんを助けられて、良かったと思っているんだからさ」
「……はい」

俺の言葉に、若葉さんは嬉しそうに頷いた。
どうやら納得してくれたみたいだ。

「じゃあ、せっかくだから、教室まで一緒に行こうか?」
「はい!」

若葉さんは、今度はもっと嬉しそうに、元気に頷いた。
あの一件以来、確かに色々あったけど、でもそのおかげで、俺は若葉さんとこうして親しく知り合えた。
悪いことばかりじゃない。
俺は嬉しそうにおしゃべりをする若葉さんと、教室まで一緒に歩いて行ったんだ。

そして、そんな俺たちを、少し離れた物陰から見つめる視線があったことを、俺も若葉さんも気づくことはなかったのだった。


謹慎開けの学園生活は、少し疲れたけれど、自室での退屈な生活よりはずっと良かった。
授業や、同じクラスの友人との交流など、普通の学園生活を楽しんでいた。
ああ、俺はここに帰ってきたんだな、って実感していた。
こうして俺の学園生活復帰の第一日目が終わり、放課後になった。
帰りの挨拶が終わり、若葉さんが真っ先に俺の所に来た。

「き、清彦くん、もしよかったらこの後……」

と、俺に何かを言いかけたその時、

「このクラスに、岡野清彦はいますか?」

俺を訪ねて客が来た。誰だ?

「私は二宮詩織です。あなたに双葉様からの伝言を伝えにきました」

この子のことはよく知らないが、彼女も双葉お嬢様のとりまきの一人のようだ。
落ち着いた感じ、といえば聞こえは良いが、声にも表情にも、あまり感情を表に出さないって印象だった。
ただ、親衛隊だとかなんだとかいう連中とは違い、この子からは品が感じられた。
多分この詩織とかいう子は、上流階級出身で、もっと双葉と親しい関係なんだろう。
そしてその詩織からの伝言だが、双葉が俺に話したいことがあるから、一人で指定の場所に来て欲しい、とのことだった。

「では、確かに伝えました」

そう言い残して、詩織は去っていった。

「清彦くん、もしかして行くの?」
「ああ、どうやら行かないわけにもいかなさそうだし、それに俺もあのお嬢様に言いたいことがあるしな」
「うう、せっかく清彦くんを誘おうと思っていたのに」
「それは、……すまん、次でよければまた誘ってくれ」
「きっとよ、約束したからね!」
「ああ、わかった、約束する!」

こうして俺は、若葉さんと次の約束をして別れた。
だけどこの後俺は、もう清彦として若葉さんに会うことはなく、
俺が清彦としてのこの約束を果たすことはなかったのだった。


俺は双葉お嬢様に指定された、学園にある双葉の私室の前までやってきた。
コンコンと、ドアをノックする。

「どうぞ」
「失礼します」

ドアを開けて中に入ると、双葉はゆったりとソファーに座って、俺を待っていた。
この部屋は、元は来客用の控え室のひとつだったらしいが、双葉の入学と同時に内装を改装して、高級なデスクやソファーなども置かれて、双葉専用の部屋に充てられたとのことだった。

「待っていましたわ、どうぞそこにお掛けになってくださいまし」
「あ、ああ」

俺は双葉に指定された、双葉の対面のソファーに腰掛けた。
高級そうで、座り心地もよい椅子だけど、このお嬢様と一対一で正面から向き合う形で座るなんて、なんだか落ち着かないな。
一対一?

「この部屋には、他に誰もいないのか?」
「あなたとは、一度ゆっくり話をしてみたいと思っていましたの、だから人払いをしましたわ」
「それで、俺に用とは?」
「せっかちですわね、その前に、お茶くらい飲んではどうですの」

そう言いながら、双葉は用意してあったティーポットから、ティーカップに紅茶を注いだ。

「どうぞ、このわたくしが自ら淹れた紅茶を飲めるなんてこと、滅多にありませんわよ」

そう言いながら、双葉はいたずらっぽく笑った。
その笑顔が意外に可愛いくて、おもわずドキッとした。
このお嬢様は、こんな表情もできるんだ。

でもまあ、今回は俺は、このお嬢様と喧嘩をしに来たわけじゃない。
お言葉に甘えて、まず出されたお茶を飲むことにした。
うん、うまい。

「どうですの?」
「あ、ああ、俺は紅茶の良し悪しなんてわかんねえけど、この紅茶がうまいってことはわかる」
「それは良かったですわ」

双葉お嬢様は、俺の言葉に、嬉しそうに笑った。
今までこのお嬢様とは、対決ばかりしてきたから気づかなかったが、こうしてみると年相応の女の子なんだな。
俺の中の、わがままで高慢なお嬢様だった双葉のイメージが、少しだけ緩和した。
……少しだけだからな。

何はともあれ、こうして一服することで、場の空気が和んだ。
いい機会だから、このお嬢様に、この場で俺の言いたかったことを言ってしまおう。

「ありがとうな」
「えっ? いきなりなんですの?」
「俺が退学になるところを、停学ですむように手を回してくれたのはあんたなんだろう?」
「それは、そうですが」
「だからありがとう」

俺と親衛隊とやらとのトラブルの原因は、双葉お嬢様にもある。
だけど、乱闘にまでなった責任は、俺のほうが大きい。
先日、双葉に頭を下げるように強要された時、俺は強がって拒否した。
だけど、退学することでかかる家族への迷惑を考えたら、特にこの学園への進学を喜んでくれた母さんを悲しませることになると思うと、心が痛かった。
だから、双葉の思惑はともかく、助けられたことに関しては、今は素直に感謝しているんだ。

「そ、そんなこと、別にたいしたことではありませんわ」

などと言い返しながら、双葉お嬢様は、俺にお礼を言われてなんだか照れくさそうだった。
これまた双葉の意外な一面に、結構可愛い所あるじゃん、と思った。

もしこのまま話がすすんで、普通に和解が出来たら、俺たちは普通に関係改善ができたのかもしれない。
だけどこのお嬢様は、俺の思いもしなかったことを考えていたんだ。

「それほどわたくしに感謝しているというなら、目に見える形で誠意が欲しいですわね」
「誠意? と言われても、俺はおまえを満足させられるほどのものを、持っていないぞ!」
「簡単ですわ、岡野清彦、あなたは、わたくしのモノになりなさい」
「はあ?」

俺にわたくしのモノになれ、だあ?
どういうことだ!!

「それは俺に、お前の手下になれってことかよ?」
「そこまでは言いませんわ、わたくしはあなたに、わたくしの庇護下にお入りなさい、と言っているだけですわ。
あなたの行動の自由を取り上げるつもりはありませんし、あなたにとっても悪い話ではないと思いますわよ」

ただし、わたくしの元に来たならば、わたくしに逆らうことは許しませんわ。と付け加えた。
ちょっと見直したらすぐこれとは、やっぱりこいつは、自分勝手でわがままお嬢様なんだな。
せっかく俺の中で上がっていた双葉の評価が、今回の提案でだだ下がりだった。

「断る!!」

俺の返答に、だけど断られることを予想をしていたのか、双葉は落ち着いたまま問いかけてきた。

「なんでですの?」
「なんでって、おまえは俺を馬鹿にしてるのか?
お前の提案は、俺にお前の家畜になれ、って言っているようなもんだぜ!」

これがもし、対等の立場で、関係を改善しようと提案されたのなら、受け入れていたかもしれないが。

「わたくしとあなたが対等の立場? それこそありえませんわ」

この双葉の言葉で、お互いの認識の違いを理解した。
ああ、お互いに住む世界が違うんだなって。
どちらかが認識を改めない限り、一緒に並び立つことは出来ないんだろうな。
そして俺は、そこまで双葉に譲歩するつもりはなかった。

「まあいい、とにかく返事はした。退学回避の件はありがとうな、あとお茶はおいしかったよご馳走さま、じゃあな」

ともかくお礼は言った。双葉の提案は断って、その用件も済んだ。
あとはこの場から立ち去るだけだ。
そのはずだった。

「……行かせませんわ!」

双葉は水晶のような青い石を取り出して、手のひらに載せた。
なんのまねだ?
その青い石が、淡く光ったように見えた。
次の瞬間、俺はゾクッとした。
上手くいえないけど、俺の心が何かにわしづかみされるような感覚、とでもいうのだろうか。
なんだあの石は!
あれで俺をどうにかしようっていうのかよ!!

今更だが、俺は双葉に呼び出されて、この部屋に来るときに、敵地に乗り込む覚悟はしてきた。
取り巻きだとか親衛隊などの力づくで、俺に言うことを聞かせる、なんて強硬手段もありえると思っていた。
まあ、ついさっきまで、わりと和やかに話し合いができて拍子抜けしていたが。
でもまさか、こんな方法でくるなんて、まったく予想していなかった。

青い石の力だろうか、俺の双葉を見る目がどんどん変わっていく。
美しい、双葉は、いや双葉様は、まるで美の女神様のようだ。
女神様?
そうか双葉様は、俺にとっての女神様だったんだ。

「もう一度聞きますわ、岡野清彦、わたくしのモノになりなさい」

俺が双葉様のモノになれるなんて、願ってもないことだ。
俺が、「はい」と返事をしようとした直前に、なぜだか脳裏にひとつの約束を思い出した。

「きっとよ、約束したからね!」

俺ははっと気づいた。
そうだった、俺は若葉さんと約束したんだ。
あの石だ、俺を惑わせているのは、あの青い石なんだ!
今は他の方法を考える余裕なんてなかった。
俺はほんの少しだけ正気に戻ったこの瞬間、一歩前進して、そして蹴り上げた。

俺の蹴りは、青い石を持つ双葉の手をかすった。

「あっ!」

青い石は、俺の蹴りがかすった勢いで、双葉の手を離れて宙に浮いた。
そして……、宙に浮いたその青い石が強く光り、青い石を中心に光の渦が現れて、俺と双葉を飲み込んだ。

「うわぁ――っ!!」
「キャ――ッ!!」

双葉の悲鳴が短く聞こえたような気がしたが、今の俺にはそれを気にする余裕はなかった。
俺自身、青い光の渦に巻き込まれて、上下左右の感覚がわからない状態で振り回されていたんだから。
ぐるぐるぐるぐると。
やがて気が遠くなり、俺は一旦意識を手放した。




う、うーん、……あれ、ここは?
目を覚ますと、俺は高級そうなソファーに、倒れこむように突っ伏していた。
俺はいったい何をどうしてたんだっけ?
寝起きの直後で、頭の中がまだぼーっとしているのか、俺は今の状況を飲み込めないでいた。
なんだか身体の感覚が、いつもと違うというか、しっくりこないっていうか、違和感がありまくりだった。
ともかく今の状況を確かめようと、俺はゆっくりと身体を起こした。
同時に、ふぁさっ、と、俺の頭から伸びる長い髪が揺れた。

「なんじゃこりゃ!?」

俺の髪は短髪のはずなのに、なんでこんなに急に長く伸びてるんだ!
いや、ただ伸びてるだけじゃない、なんだよこの縦にくるくるロールした髪は!!
それに、

「な、なんだよ今の俺の声は!」

まただ、なんで俺の声が、女みたいなキンキンに甲高い声になってるんだよ!!
俺は驚いて慌てて立ち上がった。
ぷるん、と、今度は俺の胸元で、何かが揺れる感覚。

「えっ?」

慌てて身体を見下ろしてみると、俺はなぜか女子の制服を着ていて、その胸元では大きな二つの膨らみが、その存在感を示していた。

「これって女のおっぱいか? なんで俺の身体にこんなもんが!!」

制服の上から触ってみた。
俺の手からはやわらかい弾力が、そして俺の胸元からは、胸を触られている感触が伝わってきた。
俺の胸元のそれは、幻でも作り物でもなく、紛れもない本物だったんだ。

「まさか!」

俺はそのまま自分の股間に手を滑らせて、スカートの上からそこを触ってみた。

「なっ、ないいっ! なくなってるぅ!??」

男ならあるはずの男のシンボルが、俺の股間から無くなっていた。

「俺の息子は、いったいどこに家出しちまったんだ!!」
「……うるさいですわね、いったい何を騒いでいるのですの?」
「…………えっ?」

パニクッて騒いでいた俺の声に反応して、倒れていた男子生徒が目を覚まして起きだしてきた。
その男子は、俺の反対側のソファーの陰に隠れて横になっていて、今まで気づかなかったんだ。
問題は、その倒れていた男子というのが、

「お、俺?」

岡野清彦、つまり俺だったんだ。

ちょっとまて、俺がここにいるのに、目の前にもう一人俺がいる?
じゃあお前は誰なんだ?
そしてこの俺は、一体誰なんだ?

清彦は上半身を起こしながら、寝ぼけ眼を擦っていた。

「わたくし、まだ夢を見ているみたいですわね。わたくしの目の前に、わたくしがもう一人いますわ」

清彦はまだ寝ぼけているせいなのか、のんきなものだった。
そんな清彦に、俺はつい声を掛け損なってしまって、そのまま清彦の推移を見守る形になってしまった。

「あー、あ――っ、声が変ですわね、わたくし、風邪でもひいたのですの?
えっ? この手、この手がわたくしの手なんですの!
えっ、えっ、え―っ!? なんですのこの服!
なんですのこの身体!!
わたくしの身体、一体どうなったんですの!?」

清彦は困惑しながら自分の手や身体を見回して、自分の身体を確かめるようにぺたぺたと触って、さらに困惑を深めていた。
そしてがばっと跳ね起きて、困惑しながら駆け出した。
つられて俺はその後を追った。

清彦の駆け出した先には、姿見の大きな鏡が設置されていた。
そして清彦は、その大鏡の前に呆然と立ちつくしていた。

「うそ、うそですわ、なんでわたくしが、清彦になっているのですの!!」

俺は、そんな清彦の斜め後ろから、そっと鏡を覗いてみた。
鏡には、焦った表情の清彦の姿と、
その斜め後ろに『ああやっぱり』と、何かに納得したような表情の双葉お嬢様の姿が映っていた。

俺だって馬鹿じゃない。
俺のほうが先に目を覚まして考える時間はあったし、焦ったり慌てたりしている清彦の姿をみているうちに、逆に冷静にもなれた。
そして、俺たちの置かれている状況が理解できてしまった。

俺と双葉お嬢様は、身体が入れ替わってしまったんだ。

鏡に映る双葉の姿に気づいた清彦は、振り返って俺に掴み掛かってきた。

「これはわたくしの、……わたくしの身体ですわ! 返して! わたくしの身体を返して!!」

咄嗟のことに、俺はまるで対応できなかった。
いや、油断なく身構えていても、結果は同じだっただろう。

「い、痛い! く、…くる…し……」

俺は清彦を振り払うことも、逃げることも出来ずに、捕まって締め上げられた。
締め上げられた俺は、だんだん気が遠くなってきて、そのまま気を失いそうになった。

「ち、違いますわ、わたくし、こんなことするつもりじゃなかったですわ」

はっと気づいた清彦は、慌てて俺をその場に下ろして、そして俺を横たえた。

けほっ、…はあはあはあ……し、死ぬかと思った。

「だ、大丈夫ですの? わたくしの身体は無事ですの!」

気がつくと、清彦は俺を介抱しながら、心配そうに俺をみつめていた。
お前のせいだろ!
なのに自分の身体の心配かよ!
と、怒鳴ってやりたい気分だったけど、息が切れてて何もいえなかった。
俺はそのまま清彦に身を任せながら、少しづつ呼吸と気持ちを落ち着かせた。
俺が落ち着くのを待って、清彦が俺に話しかけてきた。

「あなたは誰ですの?」
「俺、…俺は清彦、岡野清彦だ、……今はこのなりだけどな」

俺の中に少しわだかまりがあって、ついぶっきらぼうに答えた。

「そうですの、……わたくしは桜宮双葉ですわ。目が覚めたら岡野清彦に、あなたになっていましたの」
「……そうか」

ああ、やっぱり今の清彦の身体の中身は双葉お嬢様だったか、予想通りだ。
だけど色々複雑な思いがあって、やっぱりぶっきらぼうに返事をした。
ここで一旦会話がとまって沈黙して、俺たちの間に嫌な空気が流れた。

「わたくしたち、身体が入れ替わってしまったみたいですわね」
「……みたいだな」

俺は、できるだけ清彦の顔を見ないようにそっぽをむきながら、そっけなく返事を返した。
このとき俺は、怯えていたんだ。
清彦が怖かったんだ。

ついさっきまでの俺は、双葉お嬢様も、その取り巻きも怖くはなかった。
多少の危害が加えられたとしても、幼い頃から空手で鍛えられた身体でこの身を守ることが出来る。
その自信があったからだったんだ。

だけどこの入れ替わりで、その鍛えられた身体は、俺のものではなくなって、相手のものになってしまった。
逆に今の俺は、非力なお嬢様の身体になっていた。
入れ替わった直後は、その力関係が変わってしまった事に、俺は気づいていなかった。
だけどついさっき、清彦になったお嬢様に締め上げられた時に、俺はまるっきり抵抗できなかった。
相手の力が圧倒的に上で、それ以上に今の俺はあまりにも非力で、今の俺では絶対に勝てない、そのことをイヤというほど思い知らされた。
そしてその直後から、俺は清彦が怖いと感じて怯えていたんだ。
こんな心細い気持ちになったのは、いつ以来だろうか?

自信の源を根こそぎ奪われて、俺はこの後どうしていいのかわからなかった。
弱気になっていることを、あいつに気づかれないようにって、俺は必死に虚勢をはっていたんだ。
だけどそんな俺の消極的な態度が、清彦(になった双葉お嬢様)には気に入らなかったらしい。

「なんですのその態度は!
誰のせいでこうなったと思ってますの!!
こうなったのは、全てあなたのせいですわ!!」

その言い草には、さすがにカチンときた。

「何を言ってやがる、こうなったのはお前のせいだろうが!」

売り言葉に買い言葉、俺は勢いで清彦と舌戦を開始した。
こうなったらもう後には引けない。
だがそのおかげで、怖いとか怯えとか、そんな気持ちは吹き飛んでしまったんだ。

「そもそも身体が入れ替わるなんて、こんな非現実的なことになったのは、あの青い石のせいだろ!
何だよあの石は、あんなものに頼ったお前が悪いんだろ!」
「うるさいですわね、あなたがおとなしくわたくしのものになっていたなら、あの石は使いませんでしたわ。
それよりあなたがあの石を足蹴にしたせいで、わたくしの手を離れて暴走してしまった。あなたのせいですわ!!」
「冗談じゃねえ、それじゃ俺は、あの石に洗脳されて、あのままあんたの言いなりになってりゃ良かったっていうのかよ!」
「そうですわ、そうなっていれば、全てが丸く収まっていたのですわ!」

お互いに感情をぶつけ合い、でも清彦、元の双葉お嬢様は、その自分勝手な理屈で、俺への反論がどんどん苦しくなっていった。

「それこそごめんだね。じゃあ聞くが、そんな石の力で俺があんたの言いなりになったとして、あんたは本当にそれで満足したのかよ?」
「そんなことは、……そうですわ、どんな手を使っても、あなたをわたくしのものにしたかったのですわ!!」
「だとしたら、すくなくとも俺の身体は、あんたのものになったわけだ。良かったな清彦があんたのモノになって、これで満足か?」
「……意地悪ですわ」
「へっ? 意地悪?」
「満足なんかじゃありませんわ!
わたくしが本当に欲しかったものは、あなたの身体じゃない!
あなたの心が欲しかったのですわ!
なのにあなたはこんなにも意地悪で、なんでわたくしはあなたなんかに……ううっ……」

そこまでで、こらえきれなくなった清彦は、とうとう泣き出してしまった。
俺は急激な状況の変化に戸惑った。

あんな石を使って洗脳(?)しようとしておきながら、あなたの心が欲しかったって、勝手なことを言いやがって。
だけど、女の子に泣かれて、……見かけはガタイのいい男だけど、それでも中身は女の子なんだ。
その女の子を、俺が泣かせてしまったんだよな。

「ああもう、泣くんじゃねえよ! これじゃ俺のほうが悪いみたいじゃねえかよ!」

どうしていいのかわからないが、とにかく泣いている元お嬢様を宥めようとそっと触れた。

「わあっ、いきなり抱きつくんじゃねえよ!」

さっきつかみかかられた時と同様に、俺は咄嗟に反応できなかった。
そして俺に抱きついて、俺の胸に顔を押し当てて泣く筋骨たくましい男を、俺は実力では引き剥がすこともできない。

「……もう、しょうがねえなあ」

だけど、今度は不思議と怖くはなかったし、なぜだか嫌ではなかった。
逆に、なんでだか俺はこのでっかい子供を、放っておけない気分になったんだ。
その背中や頭をそっと撫でながら、泣き止むまでそのまま宥めつづけたのだった。
しばらく泣いて、泣き止んで、元お嬢様の気持ちは落ち着いた。

「わ、忘れてください、さきほどまでのことは忘れてくださいませ」
「あ、ああ、わかった、俺は忘れることにする」

だけど同時に、冷静になって、ついさっきの自分の醜態や台詞も思い出したのだろう。
恥ずかしそうに顔を赤らめながら、さきほどまでのことは忘れてくれと要求してきた。
正直、そう簡単に忘れられそうになかった。
だけど俺自身も、さっきのことは恥ずかしく感じてしょうがなかった。
きっと今の俺の顔も、恥ずかしさで赤くなっているんだろう。
だから、この件はできるだけ忘れたふりをして、触れないようにしよう。そう思ったのだった。
そんな気まずさをごまかすように、俺は話題を変えた。

「それはそうと、この後は、どうするんだ?」
「どうするって、……まずは元の身体に戻るのですわ」
「その意見には賛成だが、どうやって?」
「それは、……守り石、あの石を使えば、きっと元に戻れるのですわ」
「守り石?」

守り石とは、双葉お嬢様が、俺を洗脳しようとして使ったあの青い石のことだった。
双葉の先祖は、あの石の力を使って、巨万の富を築いたり、勢力を広げたりしたらしい。
桜宮家の敷地内にある、古い祠に祭られていたものを、双葉がこっそり持ち出してきたもののようだ。
手短にそんな話をしてくれた。

「そんなもの大切なもの、勝手に持ち出しても良かったのかよ、親父さんにばれたら大目玉なんてもんじゃないだろ?」
「大丈夫ですわ、お父様はお仕事とやらで、今は日本にはいませんもの。
それにお父様には、あの石のことは知らされいませんし、その資格もないのですわ」
「……親父さんが仕事で日本にいないってのはともかく、資格がないだって?」
「そうですわ、そして守り石の今の正式な継承者は、桜宮家の時期当主のわたくしで、今ではあの石のことを知っているのは、わたくしだけなのですわ」

双葉の口ぶりからは、双葉の親父さんが、あの石のことを知らなくても当然で、親父さんに対する隔意までも感じられた。
何だ? 双葉は親父さんと上手くいっていないのか?
その辺は、桜宮家にも色々と事情があるんだろう。
まあいい、他所の家の事情なんか、俺の知ったこっちゃないし、深入りしたくない。
それよりも、今は元の身体に戻ることが先決だ。
そんなわけで俺たちは、あの石を探しはじめた。
だけど、そうは簡単にはいかなかった。

「おかしいですわ、あの石はどこにいったのですの!」

俺たちは、あのドタバタのあったソファーやテーブル、その周辺を探したが、あの石が見つからない。
さらに捜索範囲を広げて探してみたけど、それでもみつからない。
そもそもここにあの石はあるのか?
俺が蹴りを入れたときに、石が砕けたとか、
あの暴走の時に、力を使い果たして消滅してしまったとか、嫌な考えが頭をよぎった。
今はそんな余計なことをできるだけ考えないようにしながら、とにかく石を探した。

だけどもし石が見つからなかったら?
もし元の身体に戻れなかったら?
時間の経過とともに、俺たちの焦りが、段々大きくなっていった。
そうこうしているうちに、時間切れになった。

「あ、あなたのせいですわ、あの時あなたがあの石を蹴らなければ!」
「今そんな話を蒸し返してもしょうがないだろ、それよりこの後はどうするんだ?」
「どうするって……」

そろそろ双葉お嬢様は桜宮家へ、そして俺は学園の男子寮へ帰らなければならない。
いや違う、今は俺が双葉お嬢様だから、俺が桜宮家に帰らなきゃいけないってことなのか?

「わ、わたくしが、男子寮へ行かなければいけないのですの?」

中身が双葉お嬢様な清彦は、戸惑いと、何より不安そうな表情を浮かべていた。
俺も内心不安だった。正直、どうしていいのかわからなかった。
だけど、清彦の不安そうな顔を見ていたら、俺が何とかしなきゃ、って気になったんだ。

「安心しろ、俺が何とかしてやる!」
「何とかって、あてはあるのですの?」
「そんなもんない、だけどなんとかしてやる!!」

俺の返事に、清彦はあっけに取られて、次にくすっと笑った。

「わかりましたわ、わたくしはあなたの言葉を信用して、あなたをあてにしますわ」

正直、安請け合いをしてしまったと思う。
だけど、それでもあいつが空元気でもいいから、元気を出してくれたのならいい。
そして俺自身も、何とかすると言ったからには、今やれることを何でもしないとな。
この後、俺たちは、必要最低限の情報交換をした。

「しかたがありませんわ、元の身体に戻れるまで、あなたを信用して、その身体を預けますわね。
わたくしの身体は、デリケートなのですから、丁重に扱ってくださいな」
「俺の身体は、ちょっとくらい手荒に扱っても大丈夫だが、それでもあんまり傷つけないでくれよな」
「傷つけるつもりなんてありませんわ、一応この身体は、今はわたくしが使っている身体なのですから」

そしてこの時から、俺は桜宮家の双葉お嬢様として、お嬢様だった双葉は岡野清彦として、
お互いの持っていたものを、全て取り替えての生活を始めることになったのだった。


清彦と別れた後、俺は学園の裏の来客用の駐車場まで来た。
そこには、桜宮家のリムジンが停まっていて、双葉お嬢様が来るのを待っていた。
元のお嬢様からは、これに乗って桜宮家まで帰るように言われていた。

『予定の時間より遅くなってるようだし、これ以上遅くなったら、待たせた運転手さんにわるいよな』

などと思いながら、俺はこの高級車に早足で近寄った。
だが、近づけば近づくほど、

『俺なんかが、こんな高級車に乗っていいのだろうか?』

などと、庶民的な場違い感を強く感じて、足取りが重くなった。
だが、

「お待ちしておりました。双葉お嬢様」

運転手さんが、リムジンのドアを開けて、深々と頭を下げて、そんな俺を出迎えた。
俺は一瞬戸惑って、リムジンに乗るのを躊躇した。

運転手さんは見た目は40台半ばくらい、元の俺の、つまり清彦の父親とほぼ同年代だった。
つまり自分の父親ほどの年齢の運転手さんが、子供の年齢の俺に頭を下げてるんだ、なんだか落ち着かない気分だ。
しかも俺は、外見は双葉お嬢様だが、中身は別人、つまりは偽者だ。そんな罪悪感も感じていた。
まさか中身が別人だなんてばれやしないだろうが、不自然な行動をしたら怪しまれるかもしれない。
まして今の俺がこのまま遠慮していたら不自然だ。
俺は覚悟を決めた、余計な詮索をされないうちに、無言でリムジンに乗り込んだ。

俺が生まれて初めて乗った高級車は、皮のシートの座り心地はよく、振動も少なく静かで、乗り心地はかなり良かった。
なるほど、高級車ってやつは、こういう風に金をかけてるんだな、と妙な事に感心もした。
そしてこの車の後部座席は、運転席とも隔離されたプライベート空間でもあった。
最初は緊張していたけれど、このプライベート空間に一人になれたおかげで、俺はホッと一息つけたんだ。
そうこうしているうちに、リムジンは桜宮家に到着した。


桜宮家は、大きな洋館だった。
場違い感は、リムジンの比ではなかった。
俺なんかが、こんな大きな屋敷に入って、本当にいいのだろうか?
だけど、それだけじゃ終わらない。
桜宮家の前では、何名ものメイドがずらりと並び、俺の帰りを出迎えた。

「「「「「お帰りなさいませ、双葉お嬢様」」」」」

ずらりと並んだメイドたちが、俺に向かって一斉に深々と頭を下げた。
その光景に圧倒されて、俺はその場違い感に、この場を逃げたくなった。

『本当なら俺なんかが、こんな扱いを受けるいわれはないのに』

だけど、ここで逃げたってしょうがない。
俺はなんとかこの場に踏みとどまった。

「お帰りなさいませ、双葉お嬢様」

リムジンから降りて、玄関に入ると、執事っぽい初老のおっさんが、俺にうやうやしく頭を下げた。
そして、双葉お嬢様の、今日の今後の予定を話し始めた。

「全部キャンセル」
「キャンセル、ですか?」
「ええ、体調が優れません、だから今日はもう部屋に戻って休みます」

実はこれは、清彦(元双葉お嬢様)からの提案だった。

「良いのかそんなことをして?」
「良いのですわ、わたくしの気が向かないときには、たまにそうしていましたの」
「つまり、ずる休みをしていたと言うことか?」
「ずる休みではありませんわ、人聞きが悪いですわね!」
「違うのか?」
「違いますわ、それともそうおっしゃるなら、帰ってから、あなたがわたくしのかわりに、桜宮家のお嬢様としての勤めを果たしますの?」

その問いに、俺にいきなりお嬢様らしく振舞え、お嬢様の勤めを果たせ、と言われても無理だ。と思った。
そのことが良くわかっていたから、関係者に悪いと思いつつ、俺はこの提案にのることにしたんだ。
そして実際に、この場で執事のおっさんと、この短い会話をしてみて思った。長く話しをしていたら、ぜったいにぼろがでる、と。

「承知しました。ではそのように手配します」

本物のお嬢様が、たまにそうしていた、と言っていただけあって、急な方針転換にも、執事もメイドも手馴れたものだった。
執事のおっさんが、メイドたちに次々と指示の変更をした。

「春奈、体調不良のお嬢様が倒れられてはいかん、お前は部屋までお嬢様に付き添いなさい」
「承知しました」

そして俺は、春奈と呼ばれた双葉お嬢様付きのメイドに付き添われながら、双葉の部屋まで移動したのだった。


桜宮家の中は、予想以上に広かった。
そして双葉の部屋の場所は、情報交換の時にメモに書いてもらっていた。
だけど実際に来てみると、部屋の数が多すぎて、簡略化されたメモでは、細かい位置関係まではよくわからなかった。
俺一人だけだったら、確実に迷子になっていただろう。
メモを片手に、自分の住む屋敷の中で迷子になるお嬢様、笑えないギャグだよな。
幸い、お嬢様の付き添いにつけられたメイドに、道案内をさせる形になった。
そのおかげで、俺は双葉の部屋まで無事にたどり着くことができて、さすがにほっとした。

「それでは、私はしばらく隣の部屋に控えていますので、ご用があればお呼びください」
「あ、うん、ありがとうね」
「えっ?」

一瞬、メイドさんは、驚いたような怪訝な表情で、俺の顔を見返した。
そして気まずい沈黙。

「し、失礼しました」

メイドさんは、慌てて頭を下げて、そそくさと部屋の外に出た。

あれ、ひょっとして、今のはまずかったのか?
俺は何気なく、普通に感謝の言葉を口にしただけのつもりだった。
だけど、普段の双葉お嬢様は、メイド相手に、そんな感謝の言葉なんて、いちいち口にしないのかもしれない。
というか、そんなのは、高慢で高飛車なお嬢様らしくないような気がしてきた。
今ので俺の正体が、怪しまれていなきゃいいんだが、……次からは気をつけよう。

そんなわけで、俺は部屋に一人きりになれて、改めてほっとした。
そして、今居る双葉の部屋の中を見回してみた。
一般の住宅の部屋とは比べ物にならない、だだっ広くて作りも立派で豪華な部屋だ。
この部屋に置かれている家具も装飾品も、素人目にも高級品だとわかるものばかりだった。
このいかにも年代物の置物ひとつの代金で、一般庶民ならどのくらい生活できるんだろうか?
一般庶民の俺には想像もつかない。
そしてこの部屋にあるもの全てが、あのお嬢様のものなんだ。
感想を一言でいうならば、まさに「住む世界が違う」だった。

正直に言おう。
俺の家は貧乏だったから、小さい子供の頃は金持ちには憧れていた。
脳内設定で、金持ちの家に生まれて、そこで贅沢な暮らしをする自分を妄想したこともある。
綺麗な服を着て、広い家に住んで、美味しい物を食べて、一度そんな生活がしてみたい。
小さい子供の頃は、金持ちの家の子と、代われるものなら代わりたい。と思ったこともあった。

そしてそんな子供時代から約十年後、
なんの因果か、俺はここ最近衝突することの多かった、桜宮家のお嬢様、双葉と身体が入れ替わってしまった。
そのおかげで、ある意味子供の頃の夢が、かなってしまったんだ。

そして実際にそういう世界に放り込まれて、俺は夢がかなった事を喜ぶどころか、かえって困惑していた。
桜宮家のお嬢様は、子供の頃に貧困な知識で想像したお金持ちなんかとはレベルの違う、本物のお嬢様だったんだ。
この豪邸にきて、そのことがよくわかった。
今更ながら、俺はその事実に圧倒されていたんだ。
すっかり庶民感覚の身についた今の俺には、なんで俺がここにいるのか、その場違い感が半端じゃなかった。
学園では、双葉お嬢様とやりあうことを恐れなかったくせに、この屋敷でのメイドや執事との短いやりとりに、俺は怖気づいていたんだ。

「あーもう、俺はこれからどうすりゃいいんだよ!」

俺はつい清彦だった感覚で、無意識に頭の髪をぐしゃぐしゃかき回して、その指に絡みつく、長くて柔らかい髪の感触に気づいた。

「いけねえ髪がぐしゃぐしゃ、……そうだった、俺は今は、双葉になってるんだった」

そうなったせいで、俺はこの場に居る。
なのにそのことがいまいちピンとこない。
まだ、俺は本当は男の清彦なんだ、という意識が強いんだ。
俺は鏡台の鏡を覗いて見た。
鏡の中には、岡野清彦の姿は無く、当たり前のように桜ヶ丘双葉の姿が映っていた。

「……こうしてよく見てみると、双葉って結構美人なんだな」

俺と双葉とは、出会ってから衝突してばかりで、そういう視点で見る機会がなかったんだ。
もっとも、清彦の記憶の中では双葉は、いつも勝気な表情でいつも強がっていた。
なのに鏡の中の今の双葉は、今まで俺に見せたことの無い、すっかり弱気な不安そうな表情を見せていた。

これが今の双葉?
いや違う、これはすっかり弱気になった今の俺だ!
このままじゃいけねえ!!

俺は、両手で両頬をパンと叩いて、気合を入れなおした。
鏡の中の双葉は、両頬を少し赤くしながら、だけどニカッと笑った。


鏡の中の双葉が元気を取り戻したことで、俺自身もだんだん元気が戻ってきた。
今度は穏やかな気持ちで、優しく笑ってみせた。
鏡の中の双葉も、優しい表情で笑っていた。
いい笑顔じゃないか、双葉はこういう表情もできるんじゃないか。
なんで普段から、こういう表情ができなかったんだ。

まだ、鏡の中の双葉=俺、とは、理屈はともかく感覚的にはすんなり受け入れられない。
だけど、なんだか鏡の中の双葉に、愛着が湧いてきた。
そんな調子で、俺はだんだん鏡に夢中になってきた。
そんな時、コンコン、と、ドアをノックする音が聞こえた。

え、ノック? いったい何?

「双葉お嬢様、お食事をお持ちしました」

双葉はいつもはダイニングルームで食事を取っている。
だけど今回は、双葉は体調不良と称して自室に篭ったので、この部屋に食事を持ってきた、ということだった。
あと、そういう事情なので、運ばれてきた食事の内容も軽いものだった。

普段のお嬢様の食べる豪華な食事、というものに興味はあった。
だけど、よくよく考えてみれば、俺はテーブルマナーだとかなんだとかよく知らない。
そういうものを双葉本人のように、お上品にこなす自信はない。
そんなわけで、今回はこれで良かったんだ、と思うことにする。

運ばれてきた食事は、スープにサラダにサンドイッチ、という軽めのものだった。
だけどお腹も空いていたし、ありがたくいただいた。
食後には、メイドさんが紅茶を淹れてくれた。
ああ、この味は、学園の双葉の私室で飲んだ紅茶と同じだ、たぶん同じ銘柄なんだ。
いや、だけど、こっちのほうが美味しい。と思った。
味覚が変わったせいか、それともこのメイドさんが紅茶を淹れる腕が双葉より上だからなのか?
どっちでもいいや。
俺は素直に感想を口にしていた。

「この紅茶美味しかった。ありがとう」

メイドさんは、信じられない、って表情で、俺を見つめていた。
……ひょっとして俺、またやっちゃった?

「も、もったいないお言葉です!」

なんだかよくわからないけど、メイドさんを感激させてしまった。
まあいい、怪しまれるよりはずっといい、そう思うことにする。

……やばい! 急にトイレに行きたくなってきた!!

まあ、食べるものを食べて、飲むものを飲んだら、一般人であろうと、お嬢様であろうと、生き物である以上、それを排泄するのは自然な行為だろう。
美少女はトイレに行かない、などという迷信を俺は信じてはいないし、お嬢様がトイレに行くのだって、別におかしなことだとは思わない。
そして今回は、食事の後の紅茶が、この身体の尿意を刺激したのだろうと思う。
この場合、何が問題なのかというと、この身体は双葉の身体で、つまり女の身体で、
「俺がこの身体でトイレに行くのか? 本当に行ってもいいのか?」ということだった。
俺はソファーに座り、内股でもじもじしながら、どうするか決めかねた。

いけねえ、これじゃ俺は、どう見ても挙動不審だよな?
メイドさんにばれたら、どう思われる? 思い切り怪しまれないだろうか?
俺は慌てて姿勢を取り繕いながら、メイドさんを見た。
メイドさんは、そんな挙動不審な俺の様子に気づくことなく、食器や紅茶のカップの後片付けに集中していた。
そして、最後まで俺の様子に気づくことなく、食器を載せたワゴンを押しながら、俺に退室の挨拶をしてこの部屋を出て行った。
お嬢様の異変に気づかないメイドってどうよ?
と思わないでもないが、正直な所、気づかれなくてホッとした。

食器を片付けに、メイドさんが出て行った後、どうするか改めて考えた。
元の身体に戻るまで、このままずっと我慢、なんてできるわけもない。
選択の余地はなかった。

「仕方ない、不可抗力だ、別に変なことをしようってわけじゃないんだし、今はあいつのかわりに、俺がトイレを済まるしかないんだから」

などと言い訳をしながら、これからの行為の自己正当化をした。
幸いなことに、このお嬢様の部屋のすぐ隣に、お嬢様専用のトイレが設置されていた。
あとついでに、お嬢様専用のシャワールームなんてものも設置されていたが、今はその事まで考えなくてもいいだろう。
メイドさんは食器を片付けに行っていて、今はこの場にいない。
用を済ませるなら、メイドが戻ってくる前に、さっさと終わらせたほうがいいだろう。
俺は顔を赤らめながら、トイレのドアを開けたのだった。

女はトイレは座って済ませるものだと、知識としては知っている。
男だって、大のほうは座って済ませている。
だから男だった時と同じように、座ってさっさと済ませればいい。
そう思っていた、思っていたはずだった。

「……どうしよう」

勢いで洋式トイレの便座に腰掛けたまでは良かったが、その後が続かなくて、一度止まってしまった。
まず尻の下敷きになったスカートが、用を足すのに意外に邪魔だった。
いや、仮にこれが男子のスラックスだったとしても邪魔なんだし、捲り上げるなり、ずり降ろすなりすればいいだけだ。
だが、いざそうしようと身体を見下ろしてみると、胸元の結構大きな二つの膨らみが目に入り、それより下の視界を遮っていた。
それらを避けるように視線をずらして、腰を浮かせながらスカートを捲くり上げると、今度は大きな尻が目に入った。
俺は今まではできるだけ、この身体が女だという事を、意識しないようにしてきた。
だけど、こういう女を感じさせるものを見るたびに、俺は今は女なんだ、ということを意識させられた。
ショーツを下ろして、再度便座に腰掛けた時には、俺は羞恥心ですっかり赤面していた。

意識するまいとして、かえって意識しすぎのような気がするな。
だけどこの場合、意識するなっていうほうが無理だよな。

心の中で言い訳をしながら、でもそんな俺の意識とは関係なく、この身体は尿意の限界がきた。
我慢して踏ん張っていた力がふっと抜けて、次の瞬間、俺の身体がブルッと震えて、俺の股間の割れ目から、熱い液体が勢いよく流れ出した。

「はあぁ………」

この身体が、それまで我慢して溜め込んでいたものを、一気に吐き出していた。
男だった時に、立ちションした時と、同じ開放感だった。
だけど、男だった時とは、明らかに感覚が違っていた。
男だった時に存在したホースの感覚がそこにはなく、ダイレクトに放出しているって感覚だった。

ことが終わった後、濡れた股間を拭くために、俺はトイレットペーパーをいつもの大の時より多めに引き出した。
このトイレは、ウォシュレットや乾燥機もついている、最新式のものだったが、今の俺にそんな機能に気づく余裕はなかった。
俺は引き出したトイレットペーパーで、股間を拭いた。
そこには当然男の象徴はなく、女の割れ目の感覚がダイレクトに感じられた。

『俺は、今は女なんだ』
そのことを文字通り、俺は身体で意識させられたんだ。

用を済ませて、洗面所で手を洗いながら、俺は気持ちを落ち着けようとしていた。
まだ少しドキドキしている。
顔も少し火照っていて熱い。
正面の鏡に映っている双葉も、少し恥ずかしそうに顔を赤らめていた。
俺は手を洗っていた水を手にすくって、ぱしゃっと顔にかけて顔も洗った。
うん、頭が冷えたのか、気持ちも落ち着いてきた。
俺はタオルで顔と手を拭き、トイレを出て双葉の部屋へと戻った。

まだ他に用事があるのだろうか、メイドさんは戻ってきていなかった。
今のうちに、確認できることを確認しておこう。
俺はスカートのポケットから、折りたたまれたレポート用紙のメモを取り出した。

これは、学園の双葉の私室で清彦と別れる直前に、清彦、元の双葉が書いたメモだ。
身体の入れ替わりを認識して、お互いの生活を取り替えるしかないと覚悟を決めたあの時に、
別れるまでの短い間に、お互いに必要だと思う情報や要望をメモに書いて、交換したんだ。
時間が限られていたから、本当に最低限の情報しか書かれていない。
それでも、今日一日くらいは、なんとかこれでごまかせるだろう。
あと、もっと細かい情報交換のために、明日の朝に再度会う約束をしていた。

……もしその時に、例の石がみつかって、元の身体に戻れるのなら、そのほうがいいのだがな。
それはともかく、今は双葉お嬢様の身代わり生活を、できるだけ無難に過ごすのが先だ。
俺はソファーに腰かけながら、メモに書かれた内容にさっと目を通した。


それからしばらくして、
コンコン、と、ドアのノックの音。
「失礼します」と言って、戻ってきたメイドさんが入室してきた。

「双葉お嬢様、湯浴みの準備が出来ております」
「湯浴み?」

つまりお風呂のことか。
正直な話、この身体で裸になったり、風呂に入ったりすることには、まだ抵抗は大きかった。
だけど、ついさっきトイレを経験したことで、俺はある一線を越えていた。
毒を食らわば皿まで、という気分にもなっていて、ハードルは低くなっていた。
普段は硬派を気取っている俺でも、今は女のこの身体に、色々と興味津々だった。

「いかがいたしますか?」

だけど、俺の返事は、「今回はお風呂ではなく、こっちでシャワーで済ませます」だった。

なんでそんな返事をしたかだって?
ぶっちゃけ、例のメモに書いてあった、あいつの指示だ。
メモには湯浴みに関して、こんなことが書かれていた。

『わたくしは、毎日の湯浴みは欠かしたことはありませんの。
ですが、わたくしの身体は不幸にも、あなたに占領されてしまいました』

……悪かったな、なんだか俺、エイリアンにでもなった気分だ。

『本来なら、わたくしの美しい身体を見ることが許されるのは、わたくしの伴侶となる殿方だけなのですわ。
ですから、あなたが湯浴みのために、わたくしの身体で素肌を晒しすなんてことは、本来は許されないことですの。
ですが、だからといって、湯浴みをしないために、わたくしの身体を清潔に保てないなんてこと、それこそありえませんわ』

伴侶だの許されないだの、なんだかあのお嬢様らしい言い草だなあ。
要するに、俺にこの身体の裸を見られたくないが、この身体が風呂に入らないで不潔になるのも嫌、とそういうわけか。
じゃあ、いったいどうしろと?
俺としては、そんなに嫌なら、一日くらい風呂に入らない選択もありなんだがな。

『ですので、不本意ですが、シャワーなら許可しますわ』

お風呂は駄目だがシャワーなら良い?
これ、譲歩になってるのか?
シャワーでもお風呂でも、俺に裸を見られる事にはかわりないだろうに。

だけど、……この偉そうな言い草から、あいつの必死さも伝わってくるような気もする。
あいつがどんなに禁止しようが、俺がその気になったら、この身体で好き勝手することを止められない。
これを書いていたあいつも、わかっていてはずだ。
いや、だからこそ、こういう書き方をしたのか?

『わたくしの身体、くれぐれも丁重に大切に扱ってくださいまし。
わたくしも、あなたの身体を、大切に扱いますわ』

……まあいい、あいつの気の済むようにしてやろう。
そんなわけで、今回はあいつの指示通りに、シャワーで済ますことにしたんだ。


話は戻す。

「今回はお風呂ではなく、こっちでシャワーで済ませます」
との俺の返答に、メイドさんは、

「わかりました、ではそのように手配してきます」

と言い残して、この部屋を退室していった。

「えっ、シャワーの準備をするんじゃないの?」

大浴場の準備や、手配されている人員をキャンセルしなければいけないので、そのことを伝えるのが先だったようだ。
この時点では、俺はそこまでの事情は、まだよくわかっていなかった。
これが、元の双葉なら、メイドさんが戻ってくるまで悠然と待っているか、
機嫌の悪いときは、メイドさんを引き止めて、先にシャワーの手配をさせている所だったが、俺は、

「まあいい、先に勝手にシャワーを済ませてしまおう」

と、シャワーの脱衣所へ、一人で移動した。

双葉の部屋のすぐ隣に、脱衣所とユニットバスがあった。
巣束の部屋のすぐ近くにトイレもあるし、双葉専属のメイドの控え室もある。
双葉の部屋の周辺だけでも、独立してある程度まかなえるようになっていたんだ。
そんな事情はともかく、俺は脱衣所で手早く身に着けていた服を脱いだ。
そして何も身につけていない、生まれたままの姿になった。
脱衣所の鏡には、俺ではなく双葉の姿が映し出されていた。

俺はできるだけ双葉の裸は見ないようにするつもりだった。
だけどつい見てしまう。

気の強そうな、だけど目鼻立ちが整っている美人顔。
白くてすべすべの肌。
形が良く大き目の胸。
やはり形の良いヒップライン。
すらりと長い手足。
その全てがバランスよく配置された、絶妙なプロポーションの双葉の身体。
これが、……今の俺?

「……きれいだ」

そのすべてに、俺はつい見とれてしまった。
鏡の中の双葉と目が合い、はっとした。
いけねえ、あいつは俺に、裸を見られたくないはずだったんだ!
なのに見とれてどうするんだ!
だけど、女の子の裸を、こんなにまともに見るのは初めての経験で、すごくドキドキしている。
意識するなというほうが無理だろう。
あいつとは、喧嘩ばかりの関係だったのに、なのにそれでも意識してしまう。
俺はふと、ついさっき読んだメモを、そして、別れ際での、あいつの言葉を思い出した。

『わたくしの身体、くれぐれも丁重に大切に扱ってくださいまし。
わたくしも、あなたの身体を、大切に扱いますわ』
「元の身体に戻れるまで、あなたを信用して、その身体を預けますわね。
わたくしの身体は、デリケートなのですから、丁重に扱ってくださいな」

あいつとは喧嘩ばかりで決していい関係ではなかったが、でもだからだろうか、そんなあいつの信用は裏切りたくない。
そしてなぜだかあいつに嫌われたくない、軽蔑されたくない、そんな気分になってきた。
俺は慌てて鏡から視線をはずして、ユニットバスへと移動した。

そんなこんなで、バスルームに移動した俺はシャワーを浴びた。

「はあ~、気持ちいい」

シャワーのお湯が肌を弾く感覚、肌を滑る感覚が心地よかった。
シャワーのお湯が、身体の汗や汚れと一緒に、疲労やストレスも洗い流してくれている、そんな気がした。





ところで、シャワーを浴びながら、双葉の身体や裸が気にならないか、と問われて、気にならないと言ったら嘘になる。
いやでも目に入るし、身体を洗っていれば、あちこち触ることになる。
だけど、いいかげん気にしてばかりいてもしょうがない。
それでも、できるだけ気にしないようにしていた。
ふと、そんなことから気を逸らすかのように、今日のことを思い返した。

謹慎明けで、ようやくいつもの日常が戻ってきたと思っていたら、俺は双葉お嬢様に呼び出された。
そこで、「わたくしのものになれ」とかいう誘いを受けて、それを断ったら、変な石で洗脳されそうになった。
それを文字通り蹴飛ばしたら、石が暴走して、なぜだか俺と双葉の身体が入れ替わってしまった。
普通の日常が戻ってくるどころか、思いもしなかった非日常な環境に迷い込んでしまった。

そして今、俺は双葉お嬢様の姿になって、ここでシャワーを浴びている。

「……大変な一日だったよな」

この後、俺はどうなるのか、想像もつかなくて、また不安になりそうになる。

「いけねえ、また余計なことを考えてた、今は余計なことは考えるな」

俺はシャワーを止めて、バスルームから出た。


脱衣所で、バスタオルで身体を拭いた。

「……長い髪が邪魔だなあ」

シャワーを浴びてる途中から気づいたんだが、長い髪は濡れると身体にまとわりついて邪魔だった。
そして今も、濡れた髪は身体に張り付いて邪魔だった。
しかもくるくるロールのくせっ毛で、こんなのどうすりゃいいんだ!!
双葉は普段どうしていたんだ?

「ともかく、こいつもタオルで拭いとこう」

俺は四苦八苦しながら、髪をタオルで拭いて、身体も拭いた。
このときも、双葉の身体のあちこちを見たり触ったりしていたが、これまた今更どうしようもない。
できるだけ気にしないようにしながら、さっさと済ませた。

身体を拭き終わり、着替えようとして気づいた。

「着替えがない!」

そういえば、俺は着替えを用意していなかったし、気づかなかった。
この家では、おそらくそういうのはメイドさんが用意しておくものなんだろうけど、シャワーの直前はあの子はこの部屋に居なかった。
俺はそのままここにきて、シャワーを浴びたんだ。
シャワーを浴びる前に着ていた服や下着は、脱いだままそこにあるけど、それをまた身につけるのもどうか、とも思う。
まあいい、双葉の部屋はすぐ隣だし、そこには着替えはあるだろう。
俺は、ドラマの女優がやるみたいに、バスタオルを身体に巻いてみた。
鏡に映る双葉は、スタイルが抜群で、つい見ほれてしまう。
はっとして、慌てて視線を逸らした。
なんだかまた顔が熱くなってきたような気がする。

「……とにかく双葉の部屋へ戻ろう」

俺は、バスタオルを身体に巻きつけた姿のまま、双葉の部屋へ移動した。


双葉の部屋へ入ると、メイドさんが戻っていた。

「えっ!」
「えっ?」

メイドさんは、部屋に入ってきた俺に驚いて、慌てて手に持っていたものを後ろ手に隠していた。

何をそんなに慌ててるんだ?
と思いながら、メイドさんのいた場所を見た。
中央のテーブルとソファーの置いてある場所だった。
あそこって確か、シャワーを浴びる直前まで、俺の座っていた場所だよな。
ちょっとまて、俺がその時までやっていた事って、確か例のメモを読んでいて……。

「も、申し訳ありません。シャワーを浴びられていたのですね。すぐにお召し替えの準備をいたします」
「待って! ……その前に、今あんたが後ろに隠したそれを、俺に返してくれないかな?」

俺は咄嗟の出来事に、あえて直球勝負に出た。

「えっ、えっ!? その口調は?
まさか本当に本当のお嬢様じゃないのですか? まさかこのレポート紙に書かれていることは本当なの?」
「やっぱりそのメモを、読んでいたんだ」
「あっ……」

双葉の書いたあのメモは、俺が双葉お嬢様として過ごすために、最低限必要な情報が書かれた物だった。
ただ、所々に湯浴みの所で書かれていたような、双葉の懇願や愚痴も書かれていて、
よく読めば、俺たちの身体が入れ替わっているらしいことも、推測できる内容だった。
そんな秘密のメモを、あんな所に置きっぱなしにして、メイドさんに読まれた俺が間抜けだった。失敗した。
ただ、メモを読んだだけでは、身体が入れ替わったなんて与太話が本当のことだなんて、普通は信じられないだろう。
だからメモの内容なんてでたらめだ、と、すっとぼけることも出来たかもしれない。
だけど、ここまで双葉らしくない、色々不自然な行動をしてきた俺が、ごまかしきれるだろうか?
双葉の専属のメイドという身近な相手に、正体を疑われながら、双葉を演じきれるだろうか?
無理だと思った。
下手をすれば芋づる式に、他のメイドや執事、双葉の家族にまで秘密がばれるかもしれない。
だからここは、下手にごまかしてぼろが出る前に、直球勝負に出たんだ。

「だとしたらあなたは誰? 本当の双葉お嬢様はどうなったのですか?」
「ちゃんと話す。なんでこんなことになったのか、それも含めてちゃんと話すから、とにかく俺の話を聞いて欲しい」
「……わかりました」

俺の主張がメイドさんに、ひとまず受け入れられてホッとした。

「でもその前に」
「その前に?」
「信じられません、この髪!! あなたは双葉お嬢様の髪をなんだと思っているのですか!!」
「ど、どうって……」
「髪は女の命! なのに……こんなに乱暴に扱って、この美しい髪が痛んで傷物になったら、本物のお嬢様になんといってわびるつもりですか!」
「わびって…」

どうやら、シャワーの浴びかたや、そのあとの髪の手入れに問題があったらしい。
どこがどう悪かったのか、今の俺には見当もつかないが、どうすればよかったんだよ!!
俺にはどうすることもできないぞ!

「とにかく、まずは髪の手入れが先です。そこに座ってください!」
「は、はい!」

というわけで、メイドさんの迫力と勢いに押されて、
話をする前に、まずはメイドさんに、髪の手入れをしてもらうことになったのだった。

メイドさんは、俺の髪になんかよくわからん液体をつけたり、丁寧にブラッシングをしてくれたりした。
その手馴れた様子に、俺はさすがだなと思った。
その後は、メイドさんが用意してくれた下着や部屋着に、俺は着替えさせてもらった。
女物の下着や、いかにもお嬢様風のワンピースを身につけさせられることに抵抗感はあったけれど、双葉の姿で嫌と言うわけにもいかない。黙って受け入れた。
それと、なんかこんな風に使用人に奉仕されることに、慣れてないっていうか、落ち着かない気分だけど、これも今は黙って受け入れた。
それらが終わった後、いよいよ話し合い、とはいかずに、メイドさんは「一息入れましょう」と紅茶を淹れてくれた。
食後に飲んだときにも思ったけれど、このメイドさんの淹れてくれた紅茶はおいしいや。
さすがに今回はお礼は言えなかったが、そのおかげで、俺の気分はすっかり落ち着いた。


そうして一息ついた所で、まずは俺が何者なのか、改めてメイドさんに自己紹介から始めた。

「見かけはこの通り双葉だが、本当の俺は、1年B組の岡野清彦っていうんだ。A組の双葉の隣のクラスの男子生徒だったんだ」
「それでは私も自己紹介しますね。私は川島春奈、双葉お嬢様付きのメイドを任されています」
「春奈さん? それとも川島さんと呼んだほうがいいのかな?」
「春奈、と呼んでください。双葉お嬢様は、私のことは普段は春奈と呼んでいます」
「わかりました、春奈さん」
「春奈、です!」
「は、はい、春奈」

とまあ、そんな調子でのお互いの簡単な自己紹介の後、俺は今までの経緯を話し始めた。
細かいところ、あるいは俺の都合の悪いところは、できるだけ話さないつもりでいたんだが、春奈は細かい所で、結構容赦なく突っ込んできた。
ちゃんと話すと言った手前、そういう所でごまかしきれず、結局、かなり詳しく話しをすることになった。

お嬢様にちょっかいをかけられていたクラスメイトを助けた所から、
その流れで、今度は俺が双葉お嬢様に目をつけられて、ちょっかいをかけられるようになった事。
双葉に逆らい続けたせいで、そのとりまきたちとトラブルになった事。
空手部の俺は、自力で撃退したのだが、そのおかげで停学処分を受け、今日が停学明けだった事。
放課後に双葉の呼び出しを受けて、面会に行ったら、「わたくしのモノになれ」と言われた事。
そしてそれを断ったら、変な石で洗脳されそうになり、その石を蹴っ飛ばしたら暴走した事。
気を失って、次に目を覚ましたら、双葉と俺の身体が入れ替わってしまっていた事。
あの後、例の変な石は探したけれど見つからず、元に戻れなかった事。
時間切れで、今日のところはひとまず覚悟を決めて、身体に合わせてお互いの生活を取り替えることになった事。
その結果、俺が双葉のふりをして、今ここにいる事。
結局、ほとんど全部、春奈に話をしてしまったのだった。

「そうだったんですか、双葉お嬢様の事情はよくわかりました」

春奈にわかってもらえて、俺はホッとした。

「そ、それでですね、できればこの話は、他のメイドさんや執事さんには話さないで欲しいんです」
「わかっています。私は双葉お嬢様付きのメイドです。お嬢様のフォローも私の役目、他の方にお嬢様の恥を広めるつもりはありません」
「お嬢様の恥?」
「はい、双葉お嬢様は、プライドの高いお方なんです。今の話は恥だと思っておられるでしょう。
だから誰にも知られたくないはずです。本当ならお嬢様は、私にも知られたくなかったでしょうね」

そう言いながら、春奈は寂しそうに笑った。

「そ、そんなことないですよ! 今の春奈を見て、今の話を聞いたら、あいつもきっとあんたを信頼してくれると俺は思う!」

俺がそう言うと、春奈は今度は表情をほころばせて笑った。
春奈が俺に初めて見せてくれた、いい笑顔だった。

「ありがとう、たとえ中身が本物じゃなくても、お嬢様の顔でそういってもらえて嬉しいわ」
そしてこうも言ってくれた。

「あの双葉お嬢様が、レポート用紙越しとはいえ、あなたを信頼して、あなたにその身体のことをお願いしている。
そして私も、今まであなたと話しをして、あなたは悪い人じゃない、信頼できる人だと感じました。私もあなたを信頼します」

その春奈の言葉に、俺が春奈に認めてもらえたと感じて嬉しかった。

「……ありがとう、俺もできるだけ元の状態のまま、あいつにこの身体を返してやりたい。春奈にも協力して欲しい」
「はい、そういうことなら、私たちは協力しあえます」
「じゃあ、元に戻るまでの短い間だけど、よろしく」
「私こそ、よろしくお願いします、清彦さん、いいえ今は双葉お嬢様ですね」

こうして俺と春奈は、俺と双葉が元の身体に戻るまでの期間限定で、協力しあうことになったのだった。


…………この時点では、俺は春奈とは長――――い付き合いになるなんて、これっぽっちも思っていなかったんだ。


この後、俺は春奈とは双葉のことで、色々な話をした。
その話の流れで、明日の朝は早くに清彦(元双葉)と会って、今後の話し合いをすることを話して、
明日の朝は早く出ることになるからと、春奈に明日の朝の手配をしてもらった。

その後、その清彦が清彦として過ごすために必要な情報を、レポート用紙に書いてまとめた。
これがなきゃ、明日あいつが困るだろうからな、ちゃんと書き上げて、あいつに渡さないと。
それを書き上げた頃には、俺は身体の疲労と、慣れない環境での気疲れで、すっかり眠くなっていた。
俺は眠くなったことをメイドの春奈に伝えた。

「承知いたしました。それでは私はお休みの準備をしておきますので、お嬢様はその間に洗面所に行って、歯を磨いてきてください」

歯磨きか、いつもと違う環境、いつもと違う生活で、ついうっかり忘れる所だった。
眠いし面倒なので、いつもの俺なら歯磨きをパスしてそのまま寝たかもしれないが、この身体でそういうわけにはいかないよな。
俺は、「わかった」と返事をして、洗面所に移動した。
そして歯を磨こうとして気がついた。

「これって電動歯ブラシか?」

さすがはお嬢様ってだけあって、歯磨きでもこういうものを使っているのか。
(いや、清彦が使ったことないだけで、普通の一般人でも使っていますって、作者注)
だけど電動歯ブラシなんてしゃれたものを、俺は使ったことはない。どうしていいのか一瞬困った。
それに、これはあいつが使っていたものだ。
俺が勝手に使ってもいいのだろうか?
俺は、メイドの春奈を呼んで、どうしたものかと相談した。

「何かと思えばそんなことでしたか」
「そんなことっていうけど、こういうのは気にするやつは気にするだろ、特にあいつは、俺が勝手なことをしたら絶対怒るとおもうぞ」
「それもそうですね、それなら、電動歯ブラシの、このブラシの部分を取り替えて使ってみればどうでしょう?」
「え、ブラシの部分って、取り替えられるのか?」
「あれ、お嬢様、知らなかったのですか?」
「う、うるさい、俺は今までこういうのは使ったことなかったんだ、知らなくてもしょうがないだろ!」
「そうでしたか、そうもすみませんでした」

くそ、春奈さん、口では謝ってるけど、顔が笑ってる。
なんか面白くないぞ。
でも俺は、この後その春奈さんに、電動歯ブラシの使い方のレクチャーを受けて、歯磨きを済ませた。
そして、双葉の部屋に戻る前に、トイレを済ませた。
二度目だったので、さっきほど動揺はしなかったけど、まだ少し恥ずかしかった。

部屋に戻ると、今度は春奈が用意しておいてくれたピンク色のネグリジェに、俺は着替えさせられた。
さすがについ数時間前まで男だった俺が、いきなりピンクのネグリジェは嫌だったので少し抵抗した。
だけどここまですっかり春奈に主導権を握られてしまっていた俺は、それを覆すことができなかった。
それに、うとうとと眠気がしていて、少しでも早く休みたかった俺は、最後は大人しくそれを受け入れるしかなかった。

ネグリジェに着替えた後、俺は双葉のベッドに潜り込んだ。
双葉のベッドは大きくてふかふかで、寝心地は良かった。
ベッドからは女の子の甘い香りがする、これは双葉の匂いだろうか?
双葉は特に気になる女の子じゃないのに、妙に意識してドキドキした。

ベッドの中で、改めて振り返った。
双葉と俺は、決して友好的な出会いではなかった。
その後、俺に干渉してくるわがままなお嬢様を、俺は快く思っていなかった。
だけど、何の因果か、その友好的とはいえないお嬢様と、こんな風に身体が入れ替わってしまった。
そして、双葉の身体になって、今まで俺が知らなかった双葉のことを知るうちに、だんだん双葉のことを嫌いになれなくなってきていた。
春奈との会話での、春奈の言葉を思い出す。

「これは私の憶測なんですが、お嬢様は、本当は清彦さんと仲良くなりたかったんだと思います」
「双葉お嬢様は、本当はすごくさみしがりやなんです」
「だけどお嬢様はプライドが高くて意地っ張りで、だから自分からはそう言えなかったんだとも思います」

その憶測、どこまで本当だよ。だけど思い当たる節は確かにある。
でもだとしたら、仲良くなりたいのに、俺の気を引こうとちょっかいをかけて嫌がらせって、あいつは子供かよ!!
意地っ張りで、プライドが邪魔をしたって、……本当に、……面倒くさいやつ…だよな。
それでこんなことに、なって……やばい、もう眠い、……まあいい、難しいことはまた明日考えよう。
今はもう……おやすみ。
俺の意識は、はまどろみの中に沈んでいった。

こうして俺の、岡野清彦としての最後の日が、そして桜宮双葉としての最初の一日が終わったのだった。
作者のE.Sです。
そして元No.131725でもあります。
この元Noとはどういう意味かといいますと、初代支援所で掲載されていた、お嬢様と奴隷のスピンオフ作、お嬢様と俊明を書いていた時の作者名です。

あの当時、(2010年)初代のふたば板で連載されていたお嬢様と奴隷に夢中になり、毎日更新が楽しみでした。
その衝撃のラスト(?)にショックを受け、お嬢様と俊明を書いたのも良い思いでです。
残念ながら、お嬢様と俊明は未完で終わりましたが、(分岐して横道に逸れたのが悪い)いつかまたお嬢様モノを書いてみたいと思っていました。
そして今回、妙に筆が乗ったので、今作をつづけてみようと思いました。
まだ序盤ですが、できた所まで図書館にあげておきます。
続きはわかば板で書く予定です。

そんな訳で今作『お嬢様は空手を嗜む』は、お嬢様と奴隷の作者、今は亡きD.S氏に捧げます。
勝手に殺すな、という声が聞こえてきそうだw

ちょっとだけ異色な内容ですが、続きもよろしくお願いします。

追記
イラストを追加してみました。
あと少し修正、寝る前の歯磨きのシーンも追加してみました。

感想コメントを書いてくれた方、ありがとうございました。
D.S氏も、コメントありがとうございました。
続きもがんばります。
E・S
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4.100きよひこ
続編が早く読みたいです
10.100きよひこ
続編が読みたいです
18.100かつてDSだったなにか
それでは……「勝手に殺すな」(笑) いやここでは死んだも同然ですかね。仕事が忙しく長文無理になって短編ですむ某画像掲示板文字コラスレに逃げたし(泣) というわけ続きを~
22.100きよひこ
二人の入れ替わりに若葉がどう絡むことになるのかなど、色々気になります。続きを楽しみにしています。
48.100モカモカ
面白いです。続き楽しみにしてます!
61.100きよひこ
続き待ってるよん