いつもは生真面目で、大人しい友人の敏明が、今日は朝から妙にハイテンションで、様子がおかしかった。
昨日の放課後までは何ともなかったのに、あの後何かあったのか?
ちょっとあいつのことが心配になってきたので、今日は放課後に、気晴らしに遊びにでもいかないかと誘ってみた。
もし悩みでもあるなら、その時にあいつからさりげなく聞こうと思ったんだ。
そうしたらあいつ、今日は放課後に用事があるからと言って、俺の誘いを断りやがった。
そして放課後、あいつ、こそこそと、どこへ行くつもりだ?
俺はつい興味をもって、いや、あいつのことが心配になって、こっそり後をつけてみた。
敏明は人気のない神社の敷地へと入っていった。
どうやら誰かと待ち合わせをしているようだ。いったい誰だ?
「あれは……、双葉さん!?」
あいつ俺の誘いを断って、双葉さんと待ち合わせをしていたのか!!
なんであいつが双葉さんと?
もしかして敏明のやつ、双葉さんと付き合いはじめたのか?
なるほど、それで今日のあいつは、ハイテンションだったのか。
あーちくしょう、敏明のやつ、うまくやりやがって、羨ましいな。
双葉さんは、俺の好みのタイプで、俺も憧れていたのにな。
それにしても、なんで二人はこんな所で、こっそりこそこそ会ってるんだ?
もっと堂々と付き合ってるって宣言して、堂々と会えばいいのに。
イケメンの敏明と、うちのクラスでも一位二位を争うほどの美少女の双葉さん、表向きには似合いのカップルだと思うんだけどな。
たとえば双葉さんが、周りに騒がれるのが嫌だからって、隠しているのかな?
それとも敏明が、俺に気を使って隠していたのかな?
まあいい、友人の恋路の邪魔をするほど、俺は野暮じゃない。
今日の所は知らないフリをして、この場は立ち去ろう。
敏明が双葉さんと付き合っているって、正式に報告してきたら、その時は祝福してやろう。
……やっぱりちょっと悔しいし、ちょっと焼けるけどな。
俺は二人に気づかれないように、遠くからちらっと様子を見ただけで、すぐにその場を立ち去った。
なので俺は気づかなかった。
二人の表情や雰囲気が、とても恋人同士の甘いものではなく、ちょっと硬くて深刻そうなものだったことに。
さらに数日後、敏明の様子が少し落ち着いてきた。
と思ったら、また挙動不審な行動をしていた。
うちの学校の場合、体育の授業時間、男子は男子更衣室、女子は女子更衣室に移動して体操服に着替える。
俺たちは、体育の授業のために、男子更衣室に移動していたのだが、この時なぜか敏明は、興味深そうにきょろきょろと、他の男子の着替えを見ていた。
「……おい敏明」
「え、な、なに、清彦?」
「お前、ヤローの裸なんか見て、楽しいのか?」
「そ、そんなわけないわよ。じゃない、じゃねえよ」
敏明は否定したが、なぜだか目つきがおかしかったんだよな。
「……よく見てみると、清彦って身長高いし、筋肉質で引き締まってるんだ」
「な、何言ってやがる! お前そんな目で俺を見て、お前ヘンタイだったのか!」
「そ、そんなわけないじゃん、冗談だよ冗談!」
今、背筋がぞくっとした。とても冗談には思えなかったが、この場ではそういうことにしておいた。
深く追求したら、やぶへびになりそうな気がしたからな。
……敏明とは、しばらく距離をおいたほうがいいのかもな。
今日の体育の授業は、男子はバスケットボール、女子はバレーボール、男女とも体育館での授業だった。
今日の敏明は、なぜかハイテンションではりきっていた。
最初は意気込みすぎて空回りしていたけど、落ち着いてくるとシュ-トは決めるは、相手は止めるは、攻守にわたって大活躍だった。
「清彦見た、今のシュート! シュートを決めるって、なんかすごく気持ちいい!」
「あ、ああ、そうだな」
いや、運動神経抜群で、スポーツ全般が得意な敏明なら、これくらいは普通にできるってことを俺は知っている。
だけど、いつもだったら敏明は、「疲れるし、あまり目立ちたくないから、程ほどにしておく」と、いつもは適度に手を抜くんだ。
なのに今の敏明は、嬉しそうっていうか、はっちゃけているっていうか、らしくないんだよね。
ふと、なぜか視線を感じて、俺は体育館の反対側、女子のほうを見た。
バレーをやっているコートの外には、人数があぶれて座って見学をしている女子がいた。
その中に、双葉さんもいた。双葉さんて、身体が弱くて、あまり運動が得意じゃないらしい。
一瞬、俺はその双葉さんと視線が合った。
双葉さんは、慌てて俺から視線を逸らした、ような気がした。
双葉さんが、俺の事を見ていた?
……気のせいだよな。きっとさっきから大活躍をしている、敏明の事を見ていたんだ。
その双葉さんの表情が、俺にはなぜだか寂しそうに見えたのだった。
基本的に敏明は、根は真面目で、実力はあるけれど、目立つのが嫌いな大人しい人間だった。
だけど最近は、何か開き直ったのか、色々と積極的に行動するようになってきた。
最近は早弁をするようになり、その流れでお昼休みにグラウンドなどで、他の男子とのサッカーやドッジボールなどに積極的に参加していた。
そうかと思えば、いつの間にか、ちょっと根のスケベな男子のお誘いの、エロ本の鑑賞会にも、積極参加するようにもなっていた。
あいつは根はお子様っていうか、純情っていうか、今までそういう催しには恥ずかしがって、ほとんど参加していなかったんだが、どういう心境の変化なんだろうか。
それでも最初のうちは、エロ本やエロDVDを見ても、つまらなそうで反応は薄かったらしい。
ところが急にエロに目覚めたのか、ある日を境に、エロ本や女の子に反応するようになった。
「ねえ清彦、あの子身体つきがエロイよね。とくに胸が大きくてこう形もよくてさ」
「あ、ああ、そうだな、……おまえは、胸が大きい子のほうが好みなのか?」
「う、うん、まあね、……オレ、ちょっと前まで、なんで男子が女の子をエロイ目で見るのか理解できなかったんだけど、今ならよくわかるよ」
「って、お前、ちょっと前までって、そういえば、そういう話は嫌がってたよな?」
「あはは、そうだっけ?」
「そうだったぞ。そういう話のときは、お前はいつも、恥ずかしそうに顔を赤くしていた」
「そうか、彼は嫌がってたんだ、そういわれてみれば、確かに彼は、オレが少しくらいは体を好きにしていいって言ってるのに遠慮したり、恥ずかしそうに赤くなったり、反応が生真面目だったんだよね」
「彼? 遠慮? 生真面目? お前、自分の事なのに、まるで他人事みたいな変な言い草だな」
「え、あ? 違う違う、勘違いだよ勘違い!」
「勘違い? まあいいけどな、……そういえば、胸が大きいっていえば、双葉さんも結構大きいよな、お前はああいう人が好みなのか?」
ふと、以前放課後に、敏明がこっそり双葉さんに会っていたことを思い出して、ちょいとカマを掛けてみた。
そうしたら敏明は、その問いかけに、予想以上に動揺して慌てた。
「あた……双葉さんが好みって、別にそんなんじゃなくて! あーもう、この話はやめやめ!」
敏明のやつ、何か都合が悪くなったのか、強引に話を切り替えて、結局この件はうやむやにしてしまった。
それはともかく敏明のやつ、エロに目覚めただけでなく、最近なんか急に大人びてきたような気がする。
一人称も、ちょっと前まで『僕』だったのに、今は『俺』だもんな。
そんなこんなで、敏明の様子が変わってから、一ヶ月ほど経過した。
つい先日、中間テストが終わり、廊下にテストの成績上位者の名簿が張り出された。
うちの学校では、テストの成績上位の者の、順位と総合点が発表されることになっていた。
ちなみにだいたいいつもは、俺は中の下、敏明は中の上くらいの成績で、俺たちは成績上位者の名簿とは無縁だった。
「すごいぞ敏明の名前が、成績上位の名簿に載ってるぞ」
えっ?
そんな声が聞こえて、敏明よりも俺のほうが驚きながら、思わず廊下に張り出されたテストの名簿を見直した。
そこには確かに、敏明の名前が載っていた。
ベスト10入り、点数も満点に近かった。
お前、いつのまにこんなに、勉強ができるようになったんだ?
敏明を褒めたり冷やかしたりするクラスメイトの言葉に、たいしたことじゃないよ。と謙遜する敏明。
だけど、敏明は言葉とは裏腹に、このくらいできて当然、みたいなドヤ顔をしていた。
そんな敏明に、俺は違和感を感じていた。
いや、違和感は前から感じていたんだ。
……確かに最近の敏明は、以前より積極的に授業を受けるようになった。
だけど、だからって、こんな急に変わるだろうか?
ふと気が付くと、少し離れた所で、数人の女子が、一人の女子に何やら慰め(?)の言葉をかけていた。
あれは、双葉さん? なんで?
そういえば、いつも成績上位の名簿の常連の双葉さんの名前が、今回は張り紙の名簿に載っていない。
今回は双葉さんは、成績を落としたのか?
「……まあ、そうなるよね、仕方がないか」
敏明は、何か理由を知っているのか、淡々とした口調でつぶやいていた。
「仕方がないって、敏明は双葉さんが成績を落とした理由に、何か心当たりがあるのか?」
「そんなこと、オレは知らないよ! 知っていても、清彦には関係ないだろ!」
「……それはそうだが」
だからといって、そんなにムキになることないだろうに。
「彼女の成績がどうなろうと、今のオレにはもう関係ない。もうどうでもいいんだ」
関係ない? もうどうでもいい?
お前、双葉さんと付き合っていたんじゃなかったのか?
「オレが双葉と付き合っていたって、清彦も、ちょっと前のあの噂を信じていたのか?」
「いや、そういうわけじゃないが……」
噂とは、敏明と双葉さんが、裏でこっそり付き合っている。というものだった。
一ヶ月ほど前のあの日の俺以外にも、敏明と双葉さんがこっそり会っているところを見た者がいたらしくて、そういう噂がたったんだ。
そして、その噂を聞いて、敏明をはやし立てたり、実際はどうなのかと、敏明に直接聞きにくるやつが出た。
その時は、敏明は強い口調で、「オレは双葉と付き合っていない」と、はっきりと否定した。
ほぼ同時に、女子の間でも、敏明との関係を噂されていた双葉さんが、「敏明くんとお付き合いはしていない」と否定。
敏明は女子に、双葉さんは男子に人気があり、二人がフリーであると信じたい者は結構多かった。
そんなこともあり、最近はその噂は、沈静化していたんだ。
だけど俺は、一ヶ月ほど前に、敏明が双葉さんと会っている姿を見ていた。
だからそうだと言われても、簡単には納得はいかなかったんだ。
「とにかく、彼女とオレは無関係だからな!」
「わかった、わかったから、そんなにムキになるなよ」
こんな調子だから、あの日俺が見たことを指摘しても、敏明は認めないだろう。
敏明は、双葉さんと付き合っていたっていう噂どころか、関係そのものを否定して、なかったことにしているんだから。
それからさらに数日が経過して、びっくり仰天の展開になった。
敏明が、若葉さんと付き合い始めたんだ。
若葉さんは、外見は小柄で平凡だけど可愛くて、性格も気立てが良い女の子だった。
例の噂を払拭するために、若葉さんと付き合い始めたのか?
最初はそう疑ったが、偽装でもなんでもなく、どうやら敏明は、本気で若葉と付き合いはじめたようだった。
「彼女のどこに惚れたって? 可愛くて根が優しい所かな?」
「彼女、あまり胸が大きくないが、敏明的にはいいのか?」
「そうなんだよね、若葉ももうちょっと胸が大きければ良かったのに、……って、違う違う!
別に、胸の大きさで若葉を好きになった訳じゃないし、若葉だってオレのことを好きって言ってくれてるんだからね!」
なんてのろけて、満更でもなさそうだった。
まあ確かに、若葉さんは可愛いし性格も良さそうだし、敏明が惚れて、相手がOKしたのならありだと思う。
だけど、何か引っかかるっていうか、何か納得できないんだよな。
まあいい、敏明の人生なんだし、敏明が決めたことに俺が文句をいう話じゃない。今は素直に祝福してやろう。
女子のほうでも、あっという間にこの話は伝わって、祝福とやっかみと、両極端な反応があったようだった。
ふと、双葉さんはどうしているんだろう?
敏明はあんな感じだけど、双葉さんは敏明の事は、今はどう思っているんだ?
と気になって、少し離れた所から様子を見た。
双葉さんは、この噂話には加わらず、無関心って感じだった。
いや、お節介な女子数名が、双葉さんの周りに集まって、しきりに何か話しているようだ。
俺には双葉さんは、作り笑いをしながら、そんな女子に気を使って話をしているように見えた。
こういう時は、そっとしておいてあげればいのに。
そう思いながら、でも俺も彼女に何もしてあげられない、部外者の俺には関係のない話だ。
俺は双葉さんから、そっと視線を外したのだった。
そしてその日の放課後。
俺は担任の先生に用事を頼まれて、帰りが少し遅くなった。
教室に戻って、荷物を取って帰ろうとしたそのとき、教室の出入り口で、ドン、と誰かとぶつかった。
「……ご、ごめんなさい」
「いや、俺のほうこそ、前をよく見てなかった。すまん」
「…………き、きよ…ひこ…」
「え、双葉さん?」
俺とぶつかったのは、双葉さんだった。
ぶつかったのが俺だと気づいた双葉さんの表情は、なぜだかみるみる崩れて、今にも泣きそうな顔になった。
「うええええぇ~ん、きよひこ、きよひこぉ~~~っ!」
「え、えっ? 何で?」
そして、……双葉さんはそのまま俺に抱きついて、俺の胸に顔を埋めて泣き出したのだった。
こんな所を、人に見られたら誤解される。
俺は泣いている双葉さんに抱きつかれたまま教室に入り、扉を閉めた。
幸い、時間が遅くて、廊下にも教室にも、俺たちの他に誰もいなかった。誰にも見られずに済んだ。
しょうがないな、双葉さんが泣き止むまで、こうしててあげるか。
しばらくそうしているうちに、やがて気持ちが落ち着いたのか、双葉さんは泣き止んでくれた。
「落ち着いた?」
「う、うん、ありがとう。……あ、ご、ごめん!!」
自分の体勢に気づいて、双葉さんは慌てて俺の胸から顔を離した。
本来美少女で、整った顔立ちのはずの双葉さんの今の顔は、涙と鼻水でぐちゃくちゃだった。
俺はポケットから、ハンカチとティッシュを取り出した。
「これで、涙を拭いたほうがいいよ」
「ありがとう。……!? ごめん、本当にごめん!!」
自分の醜態に気づいた双葉さんは、自分の顔の涙をさっと拭いたあと、俺の制服も、涙と鼻水で汚してしまったことに気が付いた。
双葉さんは慌てて、俺の制服の胸元につけてしまった涙と鼻水を、そのティッシュで拭いてくれたのだった。
そして、拭き終わった後、改めておれに謝った。
「清彦にまで迷惑をかけて、本当にごめんなさい」
「まあいいって、たいしたことじゃないから気にするな」
「くすっ、清彦って、こういうときは、相変わらず優しいんだね」
「別にそんなことないって、……あれ、相変わらず優しいって?」
俺は、双葉さんに優しくするどころか、今までこんなに長く接したことなんてなかったはずなんだけどな?
軽い気持ちで、思い浮かんだ疑問を、双葉さんにぶつけてみた。
「俺、以前に双葉さんに、優しくしたことなんてあったっけ?」
「えっ、それは、その……」
何でだか双葉さんが、あわあわあたふたと慌て始めた。
何でだろう、そんな双葉さんの慌てた姿に、近視感っていうか、俺の知ってる誰かに似ているって感じがした。
誰だっけ?
俺の脳裏に、なぜだか身近な友人の姿が浮かんて、今の双葉さんの姿と重なって見えた。
「……敏明?」
「えっ!?」
「そんなわけないよな。あ、ごめん双葉さん、なんでもない、俺の勘違いだから!」
慌てて否定しようとした俺に、ぱっと表情が明るくなった双葉さんが抱きついてきた。
「清彦、きよひこぉ~、やっぱり清彦だった。清彦は僕に気づいてくれたんだ!」
「あのお~、それってどういう意味?」
「清彦の感じた通りだよ。僕だよ、僕は敏明だよ!」
「えーっと双葉さん、じゃなくて敏明……でいいのかな?」
「うん♪」
俺の問いかけに、双葉さんは、自分が敏明であることを肯定するかのように、嬉しそうにうなずいた。
双葉さんの態度の劇的な変化に、俺はなかなかついてこれなかった。
双葉さんが、自分が敏明だと言い出して、だからといって簡単には信じられなかった。
「言いだしっぺの俺が言うのもなんだけど、双葉さんは、俺をからかっているわけじゃないよね?」
「僕は双葉じゃなくて敏明だよ! こんなときに、僕がふざけたりしないのは、清彦がよく知ってるだろ!」
確かに根が生真面目な敏明だったら、こんなときにふざけたりしない。
だけど、今俺の目の前にいるのは、敏明ではなく双葉さんなんだ。どう見ても双葉さんにしか見えない。
だけど同時に、双葉さんの態度が変わってから、その仕草や口調が敏明っぽくなって、まるで敏明と話をしているみたいに感じているのも確かだった。
「どういうことなのか、説明してくれるかな?」
「……うん」
俺の問いかけに、自称敏明の双葉さんは、自分の身の上に何があったのかを、ぽつりぽつりと話しはじめた。
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#これより敏明(?)視点
今から一ヶ月と少し前のその日は、僕は日直だった。
放課後に、クラス日誌に必要事項やコメントを記入して、職員室の担任の先生の所へ持ってきた。
その時、双葉さんが別の用件で、職員室の先生の所に、先に来ていたんだ。
二人で難しい顔をして、何かあったのかな?
いま声をかけたら邪魔かな?
とは思ったけれど、こっちも日直の用件があったから、かまわずに先生に声をかけたんだ。
「先生、クラス日誌を記入して、持ってきました」
「日直ご苦労様。……あ、そうだ敏明くん、ちょうどいい所に来てくれたわ、ひとつお願いがあるの」
「なんでしょうか?」
内心、面倒くさそうなのは嫌だな、とか思いながら、だけどそんなことは態度に出さずに、先生の話を聞いた。
お願いと言うのは、今度女子の家庭科の授業で使う教材を、家庭準備室まで運んで欲しいというものだった。
ちなみにうちのクラスの担任は、担当は家庭科の女の先生だった。
「本来なら、何人かのうちのクラスの女子生徒に頼んでいたんだけど、
ここにいる双葉さん以外の子は、部活とか別の用事とかで、みんな急に来られなくなったのよ。
なので、敏明くんには、それを運ぶ双葉さんの手伝いをして欲しいのよ、お願い!」
「私一人じゃ、簡単に運べないの、敏明くんお願い」
担任の先生と、双葉に頼まれて、さすがに嫌とはいえなかった。
しょうがないな、でも、女の子の手助けをするのも男の務めだ、とか思いながら引き受けた。
「わかりました。お手伝いします」
「ありがとう、敏明くん」
双葉さんは満面の笑みを浮かべながら、僕にお礼を言った。
双葉さんの満面笑みに、さすがに僕も少しどぎまぎした。
「じゃあ、よろしくお願いね」
そんな訳で、ダンボール箱に入った重いほうの荷物を僕が持ち、軽いほうの荷物を双葉が持って、僕たちは職員室を後にした。
双葉さんが前を歩き、僕はその後から続いて歩いていた。
双葉さんがちらっと振り返って、重い荷物を持って歩く僕を見て褒めてくれた。
「そんな重い荷物を軽々持てちゃうなんて、敏明くんすごいわ! さすが男の子だね!」
「これくらい、別にたいしたことじゃないよ」
「そんなことないわよ、私なんてこんな軽い荷物でもきついんだよ、やっぱりすごいわよ」
「それは双葉さんが、か弱い女の子だからだよ。僕は一応男だからね。もっとも僕は男の中でも、そんなに力のあるほうじゃないんだよ」
「たいしたことないって言いながらそれ、……なんか羨ましい」
とか何とか会話をしながら、でも双葉さんにおだてられたりして、この時までは、なんだか悪い気はしなかった。
僕は別に、双葉さんが特別好きってわけじゃなかった。
双葉さんほどの美少女と、二人きりのこのシチュエーションに、僕もやっぱり男として、色々双葉さんを意識してドギマギしていた。
双葉さんが美人なのは、前からわかっていた。
こうして双葉さんを、改めて間近で見てみると、やっぱり端整ですごく綺麗な顔をしていた。
身体つきはすらっとして細身なのに、胸とかお尻とか、出てるところは出ていて、かえってその細い身体で、その存在感を示しているんだよね。
特に胸が意外に大きくて、いけないって思いながら、つい見ちゃってた。
気分も高揚していて、なんだか楽しかった。
清彦のやつが、もし今の僕のこのシチュエーションを知ったら、羨ましがるかな?
そういえば清彦は、双葉さんが好みのタイプだとか、双葉さんに憧れている。とか言っていたっけ。
でも双葉さんは高嶺の花だから、俺には縁がないだろうなって言って、笑ってもいたっけ。
もしこの場にいたのが清彦だったら、きっと大喜びで、双葉さんのお手伝いをしただろうな。
……なんでだろう、そんなことを考えていたら、なんでだか急に、面白くないって感じて、双葉さんへの気持ちが醒めてきた。
本当に何でだろう?
だけどこのままそれを態度に表したら、この場の空気が冷めちゃう。
そう感じて、僕は咄嗟に話題を変えた。
「それにしても、双葉さん以外、手伝いに来られなかったって、みんな忙しかったんですね」
「え、そ、そうね、あはは、おほほ……」
話題転換した、何気ない僕の言葉に、双葉さんは乾いた笑いで答えた。
何でだか、話題転換をして、かえって場の空気が冷めた、いや重くなったような気がした。
あれ、もしかして僕、なんかまずいこと言った?
この時、僕の前を歩いていた双葉さんの表情は、僕からは見えなかった。
でも、なぜだか双葉さんはその表情を、引きつらせているような気がした。
この時点では、僕は双葉さんや他の女子の事情は知らなかった。
双葉さんも、わざわざ部外者の僕に、話すつもりはなかっただろう。
だけど、皮肉なことに、この少し後で、僕自身が当事者になって、その事情を知ることになるのだけれど……。
それはともかく、今度は双葉さんが、この気まずい空気を変える様に話題を変えた。
「そうだ、若葉から聞いた話なんだけど、敏明くんて運動がすごく得意なんだってね」
「いや、僕なんて、ちょっと器用なだけで、全然たいしたことないよ」
「そう? でもそれって、起用になんでもこなせるってことだよね?
私は運動が苦手で、スポーツは何をやってもダメなのよね。
そんな私から見たら、敏明くんはすごいよ、たいしたことない、なんてこと絶対ないよ!」
「え、あ、ごめん、別にそういうつもりで言ったわけじゃ……」
まずい、またそうだと意識しないで、双葉さんの地雷を踏んじゃった?
この場はどうフォローしよう?
「だからさ、私、正直敏明くんが羨ましいなって。敏明くんみたいに、なんでも器用に運動をこなす、なんて憧れちゃうな」
「双葉さんが、僕が羨ましい? 僕なんかに憧れるって?」
「うん、もし良かったら、ほんのちょっとだけでいいから、敏明くんと代わってみたいな。なんてね」
なんて言いながら、双葉さんは冗談ぽく笑ってみせた。
この時、僕はなぜだか双葉さんのその言葉を、素直に受け取れなくて、心の中でなぜか反発していた。
何を言ってるんだ、羨ましいのは僕のほうだ!
さっきもいったが、僕は双葉さんのことは、別に特別好きだとは思っていなかった。
なのにこの時、なぜだか僕は、双葉さんのことを、すごく羨ましいと感じていたんだ。
そして、僕と代わってみたい、と言った双葉さんの言葉が、その僕の思いに方向性を持たせてしまったんだ。
そんなに僕が羨ましいのなら、僕なんかと代わってみたいのなら、代わってあげるよ!
そう思った瞬間、僕の頭の中に、不思議な声が聞こえた。
『その望み、叶えよう』と。
えっ?
と思ったその時、双葉さんが僕に振り返って、口を開いた。
「敏明くん、いま何か言……」
次の瞬間、不意に立ちくらみのような感覚に襲われて、一瞬感覚が途切れた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
感覚が途切れたのはほんの一瞬で、すぐに全感覚が回復した。
「……った?」
その直後、僕の口は、何か言いかけていた言葉を発し終えていた。
妙に甲高い声だった。
あれ、今のはなんだったんだ?
それに、身体全体から感じる、この違和感は何なんだろう?
気が付くと、僕の視点は、180度廊下の反対側に向いていた。
そして僕の目の前には、重そうなダンボールの荷物を持った、男子生徒が立っていた。
えっ、その男子生徒って?
「ぼ、僕!? 僕がいる!」
「えっ、わたし! なんで目の前に私…がいるの?」
僕の目の前には僕が、敏明が立っていたんだ。
いったい何がおきたんだ?
その異変がなんなのか、まずさっきから違和感だらけの自分の身体を確かめようと、慌てて見下ろすと、僕は手に小さめのダンボールを持っていた。
これって、さっきまで双葉さんが手にもって運んでいた、ダンボールじゃないか。
何で僕が持っているんだ?
それによく見てみると、僕の手が小さくて細くなっている。
あれ、それになんで僕、女子の制服を着ているんだ?
それに僕のこの胸元、なんで女みたいに膨らんでいるんだ?
幸か不幸か、僕はこの時、手に荷物を持っていた。
だから、胸の膨らみが気になったけど、触って確かめることはできなかった。
だけど、今のこの身体は、男の僕の身体じゃない、女の身体なんだってことに、薄々気づいていた。
だとしたら、この身体は、誰の身体なの?
いやそれ以前に、今の僕は、いったい誰なんだ?
「うそ、やだ、ほんとうに、ここに、……変なものがついてるぅ!!」
そんな僕の目の前では、もう一人の僕は、荷物を下ろして、股間を触って呆然としていた。
ちょ、ちょっと待ってよ、目の前の僕、いったいどこ触ってるんだよ!!
というか、そんなに嫌そうに触るなら、股間から手を放せよ!!
もうしばらくそんな風にパニクッて、少し気持ちが落ち着いた後、僕たちはお互いが誰なのかを確かめ合った。
「私の姿のあなた、もしかして敏明くん?」
「うん、僕は敏明だよ。……そういう僕の身体のあなたは、双葉さん?」
「ええ、そうよ、私は双葉よ」
「やっぱりそうなんだ」
薄々そうなんじゃないかと思っていた。
「わたしたち、身体が入れ替わっちゃったんだね」
「うん……多分」
だけど本当に、身体が入れ替わっているなんて。
僕たちは、お互いの顔を見合わせて、そしてほぼ同時にため息をついていた。
なんでこうなった?
これからどうしよう?
「とにかく、今はこんな所で、こうしていても始まらないわ」
「始まらないって、どうするの?」
「一旦、この荷物を持って、家庭準備室まで行くわよ」
「行くわよって、こんな状況なのに?」
「こんな状況だからよ! いくら放課後で人がいないからって、まさか、廊下のど真ん中で、この後のことなんて話せないでしょう?」
「それは、……そうだけど」
「こんな状況だからって、教材の荷物を放り出して良いって理由にはならないわ。
それに、家庭準備室まで行ってしまえば、人目を気にしないで話し合いもできる。
悩んだり、今後の対策をするのは、家庭準備室まで行って、片付けるものを片付けてからよ!」
「……わかったよ」
そんなわけで、僕たちは、身体が入れ替わった状態で、荷物運びを再開した。
そして早速、身体が入れ替わって、僕が双葉さんの身体になってしまったことを、実感させられた。
「う、思っていたより重い」
今手に持っている荷物は、最初に敏明だった時の僕が持っていた荷物よりも、小さくて軽いはずなのに、今の僕には少し重く感じられた。
そのうえ、胸元の異物の感覚だとか、スカートの足元のすーすーする頼りない感じだとか、いつもとの僕は違う感覚も気になって戸惑い、注意力が分散した。
その結果、慣れていない身体の扱い方が元の双葉さんよりも悪く、少し歩いただけで荷物が余計に重く感じられるようになり、少し手も痛くなってきた。
「ちょっとタイム、荷物を持ち直していい?」
「いいわよ、ついでに私も持ち直す」
一旦休んで、荷物を持ち直した。
「うう、この程度の荷物が、こんなにきついなんて」
「私の身体だもん、仕方ないわよ。今は無理をしなくていいわよ」
「だ、だけど、ついさっきまでの双葉さんは、この身体でも普通に荷物を運んでいたのに、なのに僕は……なんか情けない」
「敏明くんは、その身体に慣れていないから、力の使い方や、ペース配分が上手くいかなかっただけだよ。情けなくなんかないわよ」
「うう、慰めになってない。それにペース配分だなんて、そんなに簡単に言われても……」
こんな今の僕とは対照的に、目の前の敏明になった双葉さんは、重そうなダンボールを、軽々と持ち上げて運んでいた。
ついさっきまで、たいしたことないと思っていた元の自分の身体が、今の非力な身体から見て、実はすごかったんだって実感させられた。
そう、ついさっきまでは、あの身体は僕の身体だったんだ。
失ってはじめて、そのありがたさや価値に気づかされた。
口には出さないし、出せないけど、でも急に悔しくなってきた。
幸い、目的地の家庭準備室は、もうすぐそこだった。
距離は短かったのに、どうにかそこまでたどり着いたって気分だった。
「つ、着いた……」
持ってきた荷物を、準備室の机の上に降ろして、僕はホッと一息ついた。
ホッとしたと同時に、すっかり非力になった今の自分の身体に、気持ちが落ち込んだ。
「さっきも言ったけど、やっぱり敏明くんの身体はすごいよ。私でもこんな重い荷物を、軽々と運べちゃったんだから」
僕とは対照的に、敏明な双葉さんは、何か嬉しいのか、テンションが高かった。
「……そりゃ良かったね」
「ごめん、あなたの気持ちを考えないで、はしゃぎすぎた」
入れ替わる前とは違い、気持ちに余裕のなくなった僕は、つい棘のあるきつい口調になってしまった。
敏明な双葉さんは、さすがにばつが悪そうに、僕に謝った。
家庭準備室には鏡がある。
僕は、今の自分の姿を改めて確認するために、その鏡の前に立ってみた。
鏡の中には、男の敏明の姿はなく、さらさらした長い髪の、端正な顔立ちの美少女の姿が映っていた。
「やっぱり今の僕は、双葉さんなんだな」
ついため息をついた。
鏡の中の美少女も、憂いを帯びた表情で、ため息をついていた。
家庭の授業の教材を、家庭準備室に運ぶ用件は終わった。
この後はどうするのか、僕たちは引き続きこの場で、話し合いをすることになった。
「とは言っても、突然身体が入れ替わっちゃって、なのになんでこうなったのか原因もわかんなし、この後、何をどうすればいいのかもわかんないよ」
「まず最初に、あなたに謝っておくわ。ごめんなさい」
「え、ごめんなさいって、何で?」
「入れ替わりの原因まではわからないけど、その切っ掛けは私かもしれない。だからよ……」
「切っ掛けって?」
「身体が入れ替わる直前、私は、敏明くんが羨ましい、憧れちゃう。ちょっとだけ代わってみたい。って言ったわよね」
「う、うん、確かに言ってた」
「あれ、さっきは冗談っぽく言っていたけど、
あの時は直前に嫌なこともあって、私は女の子の双葉が、ちょっと嫌になっちゃってたのよ。
そのおかげで、半分以上本気で思っちゃったのよ。なれるものなら、敏明くんになってみたいって」
「半分以上本気だったって、……でも、それだけで、身体が入れ替わっちゃうもんじゃないでしょ?」
そう返事を返しながら、僕は内心ドキッとしていた。
だってあの時、僕はそんな双葉さんに反発して、僕も思ってしまったんだから。
『そんなに僕と代わってみたいなら、代わってあげる』って。
そして、僕もこうも思ってた。『僕は双葉さんになりたい』って。
「その時ね、私、変な声が聞こえたのよ。『その望み、叶えよう』って」
「えっ?」
「あの時、私が振り返ったのは、その声が聞こえたからなのよ。
てっきり敏明くんが、私に何か言ったのかと思って、「何か言ったの?」って聞いちゃったけど、
でも、あの直後に、身体が入れ替わっちゃったから、今はそうじゃないって思っているけどね」
そんな所まで、僕の体験と一緒なの?
あの時、僕もその声を聞いた。
もしかしたら、僕たちの身体を入れ替えたのは、その声の主だったってこと?
僕は少し動揺した。
双葉さんは、僕のそのほんの少しの動揺を、見逃さなかった。
期待のこもった表情で、僕に問いただしてきた。
「敏明くん、もしかして何か知ってるの?」
「ううん、なんでもないよ。ちょっと不思議な話に、びっくりしただけだよ」
僕は咄嗟にごまかした。
あの時、僕も双葉さんと同じ、あの不思議な声を聞いた。
そしてあの時の僕は、ついカッとなって『双葉さんと代わりたい』『双葉さんになりたい』って、思ってしまった。
先に話題を振ったのは双葉さんだったけど、だからって、なんでそうまで思ってしまったのか、自分でもよくわからない。
そんな願望が僕にあったのかって、後で自分でも驚いているくらいだ。
だけど、そう思ったことを、双葉さんに、知られたくないって思ったんだ。
「そう、……でも何か気が付いたことがあったら、些細なことでもいいから教えてね。何かの手がかりになるかもしれない」
「うん、わかったよ」
そう返事を返しながら、ひとまずこの話題が誤魔化せそうで、ホッとした。
ホッとしながら、つい何気なく気になる点を聞いてみた。
「もしかして、双葉さんは、その頭の中に聞こえたっていう、不思議な声が怪しいって思っているの?」
「…………うん、私はそう思っている」
なぜだかこの瞬間、双葉さんが敏明の僕の顔で、僕を見つめる目がすっと細まり、僕に対する空気も、どこか張り詰めた真剣なものになった。
そんな空気の急変に、ドキッとして僕の緊張も高まった。
せっかく話を逸らしたのに、この話題を出したのは、やっぱりまずかったかな?
「こんなこと言っちゃったら、敏明くんは怒るかもしれないけど、でも言うね。
だから私は、今はこの状況を、めいっぱい楽しもうって思っている。
それでもし私たち二人とも満足できたら、またあの声が聞こえてきて、戻れるんじゃないかってね」
「満足できたらって、そんなあやふやな」
「そうね、あやふやね」
そう言いながら双葉さんは、敏明の表情を緩ませて苦笑した。
同時に、張り詰めた空気も緩んだ。
そんな双葉さんの、緩んだ雰囲気と表情に、僕もホッとした。
「でもね、今は他に手がかりはないし、元に戻れるあても保証もない。
ついさっき、突然身体が入れ替わったみたいに、突然元に戻る可能性もないとはいえないけど、それこそあてにはできない。
だったら、ほんのわずかでも、あやふやでも可能性があるのなら、そのあやふやな可能性にかけたほうが、希望が持てると思うのよ。
敏明くんはそう思わない?」
「う、うん」
「だからね、こうなったら敏明くんも、私に遠慮しないで、状況を楽しんでもいいよ」
「遠慮しないで、状況を楽しんでもいいって……」(汗)
「そうね、具体的には、その体を見たり触ったり、好きにしてもいいわよ」
「そんな事言われたって、やっぱり気が引けちゃうよ」(滝汗)
「だって、今の状況で、その身体を見たり触ったりするなって言うのは、どうしたって無理だもの、止めるだけ無駄よ。
だったらお互いにそこは割り切って、この状況を楽しまない損よ」
「それはそうかもしれないけど……」
双葉さんは、身体が入れ替わった直後もそうだったけど、こんなときの切り替えや行動が早かった。
僕はこんな状況で、何をどうすればいいのかわからなくて、そんな双葉さんの行動力に圧倒されていた。
何も決められないで、ぐずぐずしている僕よりも、双葉さんのほうが思い切りが良いって思った。
認めたくないけど、もしかしたら元の僕より、今の敏明な双葉さんのほうが、男らしいかもしれない。
この後僕たちは、今後の事を具体的に話し合った。
たとえば……。
「そういうことだから、今からはボクは敏明って名乗るから、そして、あなた…キミのことは双葉って呼ぶからね。あと言葉遣いも気をつけて」
「う、うん、わかったよふたばさ……」
「ちがう、ボクは敏明、キミは双葉!!」
「わかったよ、としあきくん!」
「言葉遣い!」
「わかったわよ!」
とまあ、元の身体に戻れるまでは、僕が双葉さんで、双葉さんが僕で、ぎくしゃくしながらも、今の外見に合わせて、お互いの立場を取り替えて生活することを確認しあった。
そして、その入れ替わり生活のために、お互いに協力しあうことも確認しあった。
「双葉の事は、おおまかな情報はそのレポート用紙に書いておいたけど、わからないことがあったら、後でまた質問してね」
「うん、僕…わたしの方も、こっちのレポート用紙に書いてみたけど、ちょっと上手く書けなくて、わかりにくくてごめん」
「いいよ、その辺はアドリブでやるから。どうしてもわからないことは、ボクも後で確認するから。
あとそうだ……今回の入れ替わりのことで、何か手がかりわかったら、些細なことでもいいから、教えてね」
そう言って、『敏明』はにっこり笑った。その笑顔に、僕はプレッシャーを感じた。
「う、うん、わかってる…わよ」
どうにか生返事は返して、この場は流した。
だけど、僕は気づいていなかった。
この時点で、僕と双葉さ……いや敏明との間に、小さなすれ違いが生じていることに。
そのすれ違いが、僕たち二人の間に、やがて大きな亀裂を作っていくことに。
「それじゃ、ボクは、敏明の家に帰るね」
「うん、それじゃわたしも、双葉の家に帰るわね」
「さようなら双葉さん、また明日」
「さようなら、……としあきくん」
こうして双葉さんは、、いや敏明は、敏明の家へと帰っていった。
僕も、ついさっきまでは男の敏明だったのに、今は女子の双葉さんとして、双葉さんの家へと帰った。
そしてこの日のこの時から、僕の双葉さんとしての生活がはじまったんだ。
そして、僕たちの身体が入れ替わった翌日の放課後、
学校から少し離れた人気のない神社の敷地で、先に来ていた僕は、待ち合わせの人を待っていた。
「遅くなってごめん、待った?」
「うん、少しね」
僕より少し遅れてやって来たのは『敏明』だ。
入れ替わりの後の、お互いの近況報告や、今後の相談をするために、こうして直接会って話をする約束をしていたんだ。
え、同じ学校の同じクラスなんだから、こんな所でこそこそ会わないで、そこで直接話をすれば良いんじゃないかって?
入れ替わる前の僕たち、『敏明』と『双葉』は、同じクラスのクラスメイトという以外、それまでほとんど接点がなかった。
教室で顔を合わせたら、挨拶くらいはするし、短い会話くらいならできるかもしれない。
だけど、込み入った長い話なんてしていたら、変に目だって周りに余計な誤解をまねいてしまうかもしれない。
それに、僕たちの身体が入れ替わっているなんて話を、教室で堂々とするわけにもいかない。
そういう訳で、こうして人気のない所で、こっそり会って話をすることになったんだ。
この時、誰かが敏明の後をつけてきていて、少しだけ僕たちの様子を見た後、そのまま何もせずに立ち去っていたんだけど、僕たちがその誰かに気が付くことはなかった
「双葉としての、今日の学校での一日はどうだった?」
「なんとか無事にこなせた。でも若葉ちゃんや、他の双葉さんの友達に、正体が怪しまれないかって緊張したし、なんかいつもよりどっと疲れた」
「ご苦労様。ボクのほうも、初日にしては上手くいったかな? 緊張もしたけど、いつもと違う生活は、新鮮で面白かった」
「面白かったって……、わたしはそんな余裕はなかったよ!
さっきも言ったけど、若葉ちゃんたちに、正体が怪しまれないかってずっとひやひやしていたんだよ!
でもそれ以上に、なんだよあれ、太刀葉さんたちの嫌がらせ! いつもああなの?」
「……やっぱり嫌がらせ受けたんだ。一応、レポート用紙にも書いて警告はしておいたんだけど、見てなかった?」
「レポートは見てたけど、それでも太刀葉さんたちが、あんな陰湿だとは思わなかったよ!」
「あはは、あいつら男子の前では、猫かぶってるからね。知らなくてもしかたがないか」
猫をかぶっていた、ってことに関しては、双葉さんも人の事は言えない。
いや、後で実感したのは、ほとんどの女子が、猫をかぶっているってことだった。
そして僕も、女子の生活に慣れていくうちに、段々猫のかぶりかたを覚えていくことになるんだけれど。
それはともかく、うちのクラスの美少女ナンバーワンは誰か? と問われれば、双葉さんと太刀葉さんの名前が挙がる。
そして太刀葉さん、ううん太刀葉は、そんな双葉さんのことが気に入らなくて、取り巻きも使って、こっそり嫌がらせをしていたんだ。
昨日の放課後に、本当なら手伝いに来るはずだった他の女子が来なかったのも、双葉への嫌がらせのために、太刀葉が手を回したからだったんだ。
結果的に太刀葉は、僕が双葉さんと入れ替わる切っ掛けを、間接的に作ってくれた。
そして双葉になった僕に、いきなり女の嫌な所を見せてくれたんだ。
正直な話、双葉さんの身体の体力や運動能力の無さよりも、こういう女子の人間関係のほうが面倒で厄介だなと思った。
幸い、双葉さんも友人が多く、本人もメンタルは強かったので、太刀葉たちの嫌がらせに、今までは対応できていたみたいだ。
僕のほうも、今日は太刀葉たちに嫌がらせをされた時、すぐ側に若葉ちゃんがいて助けてくれたので、戸惑いながらもどうにか対応できたんだ。
「とにかく、太刀葉たちの嫌がらせに、弱気になっちゃダメだよ。弱いと見たらあいつら付け込んで来るから」
「……うまくやれる自信なんてないよ」
そうは言われても、つい弱気になってしまう。
「双葉は一人じゃない。仲の良い若葉や他の子も助けてくれるし、いざとなったらボクも助けるから。だから弱気にならないで」
「……うん、わかってる。実際今日は若葉ちゃんのおかげでなんとかなったし、がんばってみるよ。弱気になってごめん」
「こっちこそ、あなたにこんな面倒ごとを、押し付けちゃってごめんね」
この後僕は敏明から、太刀葉たちの嫌がらせに対しての、ケースごとの対処法を伝授された。
あとはそれらを応用して、臨機応変に対処するように、と言われたのだった。
落ち着いた所で、ふと思い出す。
そういえば、ずっと昔に、こんなことがあったような気がする。いつだったっけ?
ああそうだ、小学生の低学年の頃は、僕は身体が小さくて弱くて、気持ちも弱気で、よくいじめられていたんだっけ。
今では敏明の身体は成長して、ある程度大きく強くなって、いじめられるなんて考えもしない状況になった。
だけどあの頃の僕は、どうやっていじめられっ子の状態から、抜け出したんだっけか?
僕は一人の、腕白な男の子の顔を思い出した。
そして、その男の子の顔が成長して、僕のよく知ってる男子の顔になった。
清彦?
そうだった、あの時は清彦が、僕を助けてくれたんだった。
あの件がきっかけで、清彦と仲良くなって、よくつるむようになったんだっけ。
もし今この場に清彦がいたら、今でも僕を助けてくれるだろうか?
などと、色々と思い出しかけていたその時、敏明がニヤリと笑って、不意打ちのように話題を変えた。
「ところで双葉ちゃん、その身体の具合はどうだった?」
「ぐ、具合はどうって?」
「またまたとぼけちゃって、したんでしょ、オナニー」
ぶっ!!
さすがに噴き出した。
「し、してないよ! そんな……、オナニーだなんて」
双葉さんの身体は、今は僕の身体だ。
僕自身の今の身体を、まったく見たり触ったりしないってわけにはいかない。
この身体で着替えもしたし、トイレにも行ったし、お風呂にも入った。
でもオナニーは、仕方がないから、なんて言い訳はきかない。
さすがにその一線は、越えていなかった。
「赤くなっちゃってかわいい」
「あ、赤くもなるよ」
かわいいと言われた部分には、あえて触れなかった。
「それはともかく、男子は女の子の性には、興味津々だと思っていたんだけど」
「きょ、興味はあったよ。だけど、さすがにそれはまずいでしょ!」
「ボクの身体って、そんなに魅力がない?」
「魅力がないって、そんなことないよ! すごく綺麗だし、すごく魅力的な身体だったよ!」
特に、おっぱいが意外に大きくて形も良くて、なんかこうぐっとくるものがあった。
だけどだからって、この身体で、好き勝手にオナニーをしてもいいって理由にはならないと思う。
「あなたってへたれ、……優しいんだね」
「……ちょっとぐさっときた」
「でも、遠慮しなくてもいいんだよ。昨日も状況を楽しめばいいって言ったでしょ。
それに、ボクも昨日、この身体でしちゃったしね、オナニー」
「えっ? えええっ!?」
僕の方がヘタレ、いや遠慮してるのに、敏明、いや女子だった双葉さんのほうが積極的って、それってどうなんだよ!
とまあ、そんな調子で今日の話し合いが終わり、敏明と別れた後、僕は双葉さんの家に帰ってきた。
そして双葉さんの部屋に戻って、部屋着に着替えるために、制服を脱ぎ始めた。
邪魔するものは何もなく、僕はたちまち下着姿になった。
そして姿見の鏡に、今の自分の姿を映し出して見た。
昨日まで、いやついさっきまでは、元の双葉さんに遠慮して、あまりじっくり見ないようにしていた。
でも今は、少し思う所があって、僕は鏡に映る今の自分の姿を、じっくり見ていた。
ストレートなさらさらの髪は綺麗で、色白で整った顔立ちの美少女で、
身体つきはスレンダーで、なのに胸は意外に大きくて、意外にスタイルは良いように感じた。
もっとこの身体をよく見てみたい。大事な部分を隠す下着が邪魔だな。
僕は、わずかに身に着けていた下着を脱ぎ捨てて、何も身に纏わない生まれたままの姿になった。
「これ、今は僕のからだ、なんだよね、……綺麗だ」
今は自分の身体なのに、つい見とれてしまった。
なんだかぞくぞくしてきた。
見とれているうちに、段々この身体を、僕の好き勝手にしたい、そんな男の欲望がわいてきた。
同時に、今のこの身体は女だけど、僕の意識はまだ男なんだと、変な安心感も感じていた。
「なんだよ、双葉さんたら、僕の身体でオナニーしちゃったなんて言って、おまけに僕がヘタレだって?
好き勝手なこと言って、好き勝手なことしちゃって、そっちがその気ならこっちだって」
僕は双葉さんのベッドにそっと横になり、そしてそのまま、今の自分の身体を、弄びはじめたのだった。
そして、僕たちの身体が入れ替わった、さらに数日後、
今日は双葉さんの身体になってから、初めての体育の授業だった。
体操服に着替えるために、僕はクラスの女子と一緒に、女子更衣室に移動していた。
女子更衣室で、他の女子と一緒に着替え。
少しドキドキする。
今の僕なら、合法的に女子の生着替えの見放題、男なら憧れるシチュエーションだ。
そのはずなんだけど……、覗きをしているみたいで、なんだかやっぱり気まずいって気分になってきた。
双葉さんの家などで、この身体で一人で着替えるのには慣れてきたけど、他の女の子たちと一緒に着替えるのは初めてで、つい気後れしていたんだ。
元の双葉さんが、先日僕の事をへたれって言ったけど、これじゃ本当にへたれだよな。
そんな僕の側に、若葉ちゃんが心配そうに寄って来た。
「どうしたの双葉ちゃん、なんで今日はそんな隅っこで、一人で着替えてるの?」
「え、別になんでもないよ。今日はなんとなく一人で着替えたかっただけだよ」
「そうなんだ、いつもは私と一緒に着替えていたのに、避けられているのかなって
「え、ご、ごめん、そんなつもりじゃなくて……」
まずい、そういえば双葉さんと入れ替わってからは、若葉ちゃんと一緒にいることが多かった。
そんなつもりは無くても、その若葉ちゃんを避けてどうするんだよ。
「最近の双葉ちゃん、様子がおかしいから、なんだか心配で……」
「ごめん、若葉ちゃんに心配かけて……一緒に着替えよう」
「……うん」
そんな調子で多少へたれながらも、女子更衣室での初の生着替えというミッションを、どうにかクリアしたのだった。
今日の体育の授業は、男子はバスケットボール、女子はバレーボール、男女とも体育館での授業だった。
今日のバレーの授業は試合の予定らしいが、その前にまずは柔軟体操、僕は若葉ちゃんと組んで、ストレッチを始めた。
双葉さんの身体は、意外に柔らかかった。
敏明は男子としては身体が柔らかいほうだったけど、それよりもこの身体は柔らかくて、よく曲がった。
コンビを組んだ、若葉ちゃんの身体も柔らかくて良く曲がった。
でも、それ以上に気になったのは、若葉ちゃんの身体を押してる時の手の感触も、柔らかで触り心地が良かった。
この数日でわかっていたことなのに、改めて女の子って、柔らかいんだなって思った。
なんだかドキドキした。
ごめんよ若葉ちゃん、悪気があって、こんなことしてるわけじゃないだからね。
ストレッチが終わった後、今度はバレーボールを使ってのラリーをした。
ここで、双葉の運動能力の無さがもろに出た。
この身体が思ったより反応しない、まともにボールが打ち返せない。
この身体は体力が無い、運動能力が悪い、ということはこの数日でわかっていたつもりだったけど、思っていた以上に動けなかったんだ。
そして、対戦形式で、バレーボールの試合が始まった。
チーム分けのとき、人数の関係で何人かあぶれてしまう。
こういうとき、運動音痴の双葉さんは、見学に回るのがお約束ならしい。
そんな訳で、僕はあぶれてしまった。それは全然かまわない。
試合に出たら疲れるし、それにどうせ今の僕が試合に出ても、周りの足を引っ張るのは目に見えているのだから。
だけど、双葉さんと入れ替わってから、わりといつも僕の隣にいた若葉ちゃんも、今は隣にいない。
女子の中では、小柄だけどわりと運動の得意な若葉ちゃんは、双葉とは逆に引っ張りだこで、見学に回ることはありえない。
今回は、わりと双葉さんと親しい他の女子も、試合のほうに参加していた。
なので、今の僕は、隅っこのほうに体育座り座りながら、バレーの試合を見学していた。
小柄な若葉ちゃんは、エース級の活躍をするタイプじゃない。
だけど、こまめに素早く反応して、相手ボールをレシーブしたり、周りのフォローをしたり、縁の下の力持ちって感じで活躍していた。
「若葉ちゃん、さすがだな」って思いながら、ここ数日で親しくなった、若葉ちゃんの活躍を見ながら、僕は最初は喜んでいた。
だけど、ふと気づいてしまった。
その若葉ちゃんが僕の隣にいないことで、女子の集団の中で、僕という異物が、ぽつんと一人で孤立していることに。
なんで僕は、一人でこんな所に居るの?
なんでこんなに寂しいの?
僕は急に孤独を感じ始めた。
僕の目の前では、女子がバレーの試合をしていて、若葉ちゃんも活躍しているのに、もう僕の目には入ってこなかった。
ふと、男子のほうを見た。
男子はバスケの試合をしていた。
ちょうど敏明が、シュートを決めた所だった。
その直後、敏明が清彦に、何か得意げに話しかけていた。
そんな敏明を、清彦はどうどう、って感じで、軽くあしらっていた。
清彦とは、ここ数日まともに話をしていないけど、そういうところは相変わらずだなって思った。
そしてその清彦の隣に、敏明が当たり前のように立っていて、当たり前のように話しかけている。
そんな敏明が羨ましい、妬ましい、僕の心の中に、急にそんな感情が沸きあがった。
『本当なら、僕が敏明だったのに、あそこにいて、あの隣に立っていたのは、本当なら僕だったのに!』
僕は今の敏明に対して強い嫉妬を感じて、そして同時に、激しく後悔もしていた。
なぜ入れ替わったあの時に、双葉さんが羨ましい、双葉さんと換わりたい、なんて思ってしまったんだろう?
わからない、わからないけど、あの時に戻れるなら戻ってやり直したい。
戻りたい、本当なら僕の場所だった、あの場所へ。
そう思ったその時、清彦がこっちを見た。
一瞬、僕と清彦と視線が合った
「あっ」
僕の胸の奥の鼓動が、なぜだかドキッと跳ね上がった。
理由はわからないけど、清彦に今の僕の姿を見られて、なぜだか恥ずかしい。
僕は慌てて、清彦から視線を逸らしていた。
なんだろう、今の感じは?
僕は恐る恐る、また視線を清彦のほうに戻して見た。
試合に戻っていた清彦は、もう僕を見てはいなかった。
僕はなぜだかがっかりした。なんでだろう?
僕はこの後、体育の授業が終わるまで、なぜだか清彦のことばかり考えていたのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
体育の授業の日から、さらに数日後、うちのクラスにある噂が広がり、その噂話でもちきりだった。
それは、『敏明と双葉さんが、裏でこっそり付き合っている』というものだった。
どうやら僕と敏明(元双葉)が、こっそり会っている所を、誰かに見られていたらしい。
誰にも見つからないように、こっそり会っていたつもりだったけど、短期間のうちに何度も会っていたから、やっぱり見つかってしまったんだな。
そして、その噂話を信じた、わりと双葉さんと親しい女子数名が、僕のところに押しかけてきた。
「ねえねえ双葉、それで実際の所はどうなの?」
「どうって?」
「またまた、とぼけちゃって、敏明くんと付き合ってるんでしょう?」
みんな興味津々って表情で、僕の返事を待っていた。
はあ、女の子って、どうして他人の恋話に、こんなにも興味をもつんだろうだろうね。
他人事ならまだいいけど、今の僕は当事者なんだよな。
この様子だと、下手なことを言ったら、かえっておかしなことになりそうだし、うやむやになんて出来ないだろうな。
なので、きっぱりはっきり言った。
「わたしは、敏明くんとは、お付き合いはしていないわよ」
「敏明くんとは付き合っていないって、本当に?」
「本当よ!」
とにかく今は、噂話を全否定することにした。
この噂話が広がったのは突然で、僕は今の敏明と打ち合わせをする余裕が無かったけど、多分敏明も、今頃この噂を否定しているだろう。
今の敏明とは短い付き合いだけど、なんとなく彼なら、この噂を否定しているだろうなって思うのだ。
この噂話の件で、後で敏明と打ち合わせをする必要はあるだろうけど、ひとまずこの方向で行くことにする。
噂好きの女の子たちは、まだ納得いかないって顔をしていたけれど、一旦引き下がってくれた。
僕はひとまずほっとした。
と、思っていたら、一人だけ、引き下がってくれなかった。
「それで、双葉ちゃん、本当の所はどうなの?」
食い下がってきたのは、若葉ちゃんだった。
若葉ちゃんは、他の女子のように興味本位って感じではなく、表情もいつになく真剣だった。
これは、いい加減な返事はできない。
「今も言ったけど、わたしは敏明くんとは、付き合ってはいないわよ」
そう返事を返しながら、こっそりメモを書いて、若葉ちゃんに手渡した
『その話は後で、他に人のいない所で』
こんな他に人のいる所(教室)で、込み入った話なんてできないからね。
「そう、そうだよね、へんなことを聞いてごめんね双葉ちゃん」
若葉ちゃんは、さっとメモに目を通して、こっそりスカートのポケットに押し込んだ。
「じゃあ、また後でね」
それだけ言い残して、ひとまず自分の席へ戻っていったのだった。
……これで若葉ちゃんには、後で話をしておかないとな。どこまで話そう?
双葉さんと入れ替わる直前での会話で、双葉さんは言っていた。
若葉から敏明くんは運動が得意だって聞いていたと。
そして、僕が双葉さんと入れ替わって、双葉さんとして若葉ちゃんに接するようになると、
たまに若葉ちゃんとの会話に、敏明の話題が登場することがあった。
たとえば、この前の体育の授業の直後にも、若葉ちゃんが敏明のことを話題にしていた。
「ねえ、双葉ちゃんは男子の授業のバスケの試合見ていた?」
「うん、ちょっとだけだけど、それがどうしたの?」
「敏明くんのシュートすごかったね。私、つい見とれちゃった」
「……たしかにすごかったけど、あの時は若葉も試合中だったでしょ!」
「あ、あの時は、相手がサーブを打つ前で、ちょうど試合が止まっていたタイミングだったのよ!」
まあ確かに、バレーボールの試合はターン制だし、そういう間ができることはあるけどさ、目の前の試合より、隣のコートの男子を気にしてるってどうなんだろう?
それはともかく、そんな感じで若葉ちゃんは、熱っぽく敏明の話しをしていたっけ。
「敏明くんは、いつもかっこいいけど、さっきの試合の敏明くんは、なんだかいつもよりかっこよかった」
なんて言いながら、表情を綻ばせていた。
いつもの僕よりかっこいいって、どういうことだよ!
たしかに適度に手を抜いていたいつもの僕より、あの時の敏明のほうが真剣に試合をやっていて、活躍もしていたけどさ。
まあ、それもともかく、そんな若葉ちゃんの様子を見ていたら、いくら色恋沙汰に鈍い僕でも嫌でもわかる。
若葉ちゃんは、敏明の事が好きなんだなって。
若葉ちゃんは、今、目の前にいる友人の双葉が、実はその中身の僕が、その敏明だなんて知らない。
だからそうとは知らないで、自分の素直な気持ちを、僕にさらけだしていた。
こんな形で、僕が若葉ちゃんの気持ちを知ってしまうなんて、なんだか反則だよな。
「でも、……私なんかじゃ、敏明くんとは釣り合いがとれないよね」
「そんなことないわよ! ぼくっ、じゃない、……敏明くんも、若葉ちゃんみたいな子と一緒にいたら楽しいし、きっと好きになるわよ!」
「……そうかな?」
「そうよ、だから若葉ちゃんは、もっと自分に自信を持っていいのよ!」
「……うん、そうだね、ありがとう双葉」
若葉ちゃんは、僕が双葉さんになってから、一番お世話になって、一番親しくなった女の子だ。
この短い間に、僕はすっかり若葉ちゃんのことが好きになっていた。
いや、僕が双葉さんとしてではなく、敏明として出会っていても、きっとこの子のことが好きになっていただろう。
あ、でも、僕が若葉ちゃんと親しくなったって言うのも変かな?
だって、僕が双葉さんになるずっと前に、双葉さんと若葉ちゃんが小学生の時から、二人はずっと仲良しだったっていう話なんだから。
「わたしは、幼い頃は今より身体が病弱だったの。そのせいで運動が苦手だったし体力もなくて、いつも苦労していたの。そんなわたしを、若葉ちゃんはいつも助けてくれていたの」
以前、僕と入れ替わった直後の元双葉さんは、若葉ちゃんのことを、そんな風に語っていた。
そして、そんな若葉ちゃんが好きなんだと言っていた。
その時の敏明の口調や表情は珍しく熱っぽくて、元双葉さんにとって、若葉ちゃんは特別な存在なんだなって感じた。
そして双葉さんになった僕も、実際に若葉ちゃんに会ってみて、その後も若葉ちゃんに色々助けられたりして、双葉さんが若葉ちゃんのことが好きだっていう理由がよくわかったんだ。
もしこの件で、そんな若葉ちゃんとの仲がこじれてしまったら、敏明(になった双葉)から、きっと恨まれるだろうな。
いや、僕自身、せっかく仲良くなった若葉ちゃんとは、疎遠になりたくない。
だから、若葉ちゃんにはいい加減な話はしないで、ある程度本当の事を言わなくちゃって思う。
でも本当に、どこまで話せばいいんだろう?
まさか、僕と双葉さんの身体が入れ替わってる。って話までするわけにもいかないだろうし。
「あれ、スマホに着信が来てる。……敏明から!」
僕と敏明は、放課後などにこっそり会って、お互いの現状報告をしたり、情報交換やアドバイスをしていた。
だけど僕たちは、表向きは付き合っていないことになっているから、こういう非常時に、堂々と直接会って話をすることが難しい。
なので、スマホの電話番号、ライン、メールアドレスなどの交換などもしていた。
敏明からのメールの内容は、簡単に言えば敏明の現状の報告だった。
そして、「オレは双葉と付き合っていない」と、例の噂を否定したから、その口裏あわせをするようにという内容だった。
やっぱり敏明も、例の噂を否定したんだ。
僕は双葉側の今の状況を、簡単にメールにまとめて打ち込んだ。ここでふと思う。
「……若葉ちゃんのことも、知らせておくべきなんだろうね」
ついさっきも思ったことだけど、この件で若葉ちゃんとの仲がこじれたら、敏明に恨まれるだろう。
いや、若葉ちゃんとの仲がこじれなくても、僕が若葉ちゃんに、今回の噂の裏の事情を勝手に伝えたら、後で敏明に文句をいわれるような気がする。
ここはひとこと断っておこう。
メールを返信するまえに、少し内容を追加したのだった。
そして放課後になった。
「それじゃ双葉ちゃん、私は、先に資料室に行ってるね」
「うん、もう少ししたら、私も行くね」
敏明との噂の件については、放課後に人気の無い資料室で、こっそり話す約束をしていた。
まず先に、若葉ちゃんが一人で、資料室へと向かった。
時間差をつけて、僕は若葉ちゃんより少し遅れて資料室へ行って、そこで若葉ちゃんと合流する手はずになっていた。
「十分ほど経った、そろそろいいかな」
僕は資料室へと向かった。
資料室の周りに誰もいないことを確認してから、そっとドアを開けて中に滑り込んだ。
資料室の中には、先に来ていた若葉ちゃんと、……敏明が待っていた。
若葉ちゃんは、僕と敏明の顔を交互に見比べて、困惑の表情を浮かべながら声を上げた。
「双葉ちゃん、敏明くんの話って本当なの?
ここにいる敏明くんが、今は中身は双葉ちゃんで、
双葉ちゃん、あなたが本当は敏明くんだったって、本当に本当なの!」
敏明からの例のメールに返信したあと、またすぐに敏明から返信がきた。
『若葉は例の噂話について、なんて言っていたの?』
若葉ちゃんとの会話の詳細を求める内容と、そして、
『若葉への状況説明は、ボクからしたい』
と希望する内容だった。
そりゃまあ、元の双葉さんが、双葉さんと若葉ちゃんとの関係を気にするのはわかる。
だけど、今は敏明になっている元双葉さんが、この状況で若葉ちゃんに直接会って言い訳なんてしたら、余計に関係を疑われて、おかしなことにならないだろうか?
やんわりと指摘して、しぶったんだけど、
『そこはボクのほうから、若葉にうまく説明するから』
そんな訳で、今の敏明に押し切られる形で、その後の何度かのメールでの打ち合わせを経て、二人が直接会って話をする舞台のセッティングをした。
機会を作ったんだけど……。
「ちょ、ちょっと待ってよ敏明くん! いや双葉さん!
もしかして、入れ替わりの事も、若葉ちゃんに全部ぶっちゃけちゃったの?」
「あはは、ごめん、ついうっかり」
僕の悲鳴交じりの追及に、敏明はあっけらかんとしていた。
なにがついうっかりだよ、これは絶対確信犯だ。
若葉ちゃんは、僕がここに来るまでの間に、敏明から僕たちが入れ替わった経緯と、その後の説明を聞いていた。
「敏明くんの話が本当なのかどうか、『双葉』ちゃんからも話が聞きたい」
「本当も何も、今話した通りだよ……」
「今は『敏明』くんには聞いていない。私は今は双葉ちゃんに聞いているの!」
「……はい」
若葉ちゃん、ちょっとばかりオコだった。
口を出しかけた敏明は、若葉ちゃんの剣幕に、しゅんとなっておとなしくなった。
そんなわけで、若葉ちゃんは、今の所は、僕の事を双葉さんとして扱いながら、僕からの説明も求めた。
こうなったら仕方が無い。観念して僕は入れ替わったあの日から、今までの事を若葉ちゃんに話し始めたのだった。
「ねえ、『敏明』くん!」
「は、はいっ!」
僕の話を聞き終わった若葉ちゃんは、今度は怒りをおさえた声で、僕の事を『敏明』くんと呼んだ。
若葉ちゃんは、今の僕の中身が、敏明なんだって認めてくれたってことなんだけど、それを嬉しいって思うより、隠し事がばれて気まずいって気分が強かった。
緊張感が高まる。
「それって、敏明くんは、双葉ちゃんになりすまして、ずっと私の側にいたってことだよね?
一緒に着替えをしていた時に、私の恥ずかしい所も、敏明くんに見られちゃったってことだよね?」
「ご、ごめんなさい、そんなつもりは、……悪気があったわけじゃないんです」
「でも、それ以上に、何も知らない私は、自分の気持ちを敏明くんに、べらべらしゃべっちゃったってことだよね」
若葉ちゃんは、最後は怒りを通り越して、鳴きそうな声で、そして涙目だった。
「本当にごめんなさい!」
僕としては、今は若葉ちゃんに、謝ることしかできなかったんだ。
「もういいわよ、敏明くんが悪い人じゃないことはないことは、ここ数日双葉ちゃんになった敏明くんと一緒にいて、よくわかったから。……まだちょっと恥ずかしいけど」
「ごめんなさい」
「だから、ごめんなさいはもういいから、この件でのごめんなさいは禁止! いいわね!」
「……はい」
若葉ちゃんは、まだ少し表情や口調はきつかったけど、僕を許してくれたのはわかってホッとした。
そして、僕との会話は一旦区切って、今度は敏明と向き直った。
「敏明くんのことは、もう仕方がないって思うけど、私、双葉ちゃんにはまだ怒っているんだよ、なんでだかわかる?」
「え、えーっと、入れ替わりの事を、若葉ちゃんに内緒にしていたから、……かな?」
「そうよ、わかってるじゃない! こんな大事なことを私に内緒にして、私のことを除け者にして、私ってそんなに信用できなかったの?」
「そ、そんなつもりはなかったわよ、事が事だから、若葉ちゃんにも簡単には話せなかったのよ」
若葉ちゃんに強い調子で責められて、さすがの敏明もしどろもどろで、防戦一方だった。
最初はどうにか言い訳をしていたけれど、そのうち若葉ちゃんに、「ごめんなさい」と謝り倒していた。
若葉ちゃんは普段は優しいんだけれど、怒ると怖いんだなと、思い知らされた。
それでも、僕も敏明も、若葉ちゃんにどうにか許してもらえた。
「最近、双葉ちゃんの様子がおかしいとは思っていたわ。でも、まさか中身が入れ替わってるなんて、思っていなかったわ」
「でしょ、だから若葉ちゃんには悪かったと思っているけど、そう簡単には話せなかったのよ」
「……もう、調子がいいんだから。見た目は敏明くんなのに、そういうところは双葉ちゃんなのね」
「あは、やっぱり若葉ちゃんは、姿形が変わっても、私が双葉だってわかってくれるんだ」
「付き合いが長いからね、でもだからって、あまり調子に乗らないで!」
最初は手探りで、ぎこちなかった二人の会話は、段々かみ合ってきた。
並んだ二人の見た目は、敏明と若葉ちゃんなのに、僕には二人が長年の友人みたいに見えた。
敏明と掛け合いをしている若葉ちゃんが、なんだか生き生きしていた。
僕がこんな生き生きしている若葉ちゃんを見るのは、初めてかもしれない。
そういえば、僕と一緒にいるときの若葉ちゃんは、どこか僕に気を使っていたっけ。
僕の反応が悪かったから、調子が悪いと思われていたらしいけど、薄々おかしいと気づかれていたのかもしれない。
そんな二人を見ていたら、正直羨ましいって思った。
僕にもこんな風に、今の僕のことをわかってくれる人がいるのだろうか?
もし、今の僕を敏明だとわかってくれる人がいるとすれば、それはきっと……。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そしてその翌朝、家が近所の若葉ちゃんが、双葉さんの家まで僕を迎えに来た。
「おはよう双葉……ちゃん」
「おはよう若葉さん」
昨日の今日で、なんだかお互いに気まずかった。
若葉ちゃんは、今の僕との距離感を計りかねて、戸惑っているように見えた。
と思っていたら、僕に急に頭を下げてきた。
「き、昨日はごめんなさい! ついかっとなっちゃって、敏明くんにはきついことを言っちゃって!」
「若葉さん、頭を上げてよ、そのことで謝らなくてもいいよ!
双葉さんのフリをして、結果的に若葉さんをだましていた僕も悪かったんだからさ」
「で、でも……」
昨日の怒った若葉ちゃんは怖かった。
普段あまり怒らない人が、本気で怒ったら怖いって本当だったんだなって思った。
だけど今朝の若葉ちゃんは、すっかり冷静さが戻っていて、昨日の事で申し訳なさそうだった。
「もし若葉さんが良かったら、僕が元の僕に戻れるまで、これまでみたいに僕を助けて欲しい。ダメかな?」
「え、う、うん、いいよ、そんなことくらいでよければ、というよりそんなの当たり前のことだよ」
そんな調子で、僕と若葉ちゃんは、改めて協力関係を築いていくことになった。
そして若葉ちゃんは、僕たちが元の身体に戻れるまで、双葉さんになった僕の面倒を見てくれることになった。
「そういうわけだから、あらためてよろしくね、敏明くん、ううん双葉ちゃん」
「はい、よろしくおねがいします、若葉さん」
「違うわよ、若葉ちゃん、でしょ、急に呼び方を変えたら、まわりに変に思われちゃうでしょう?
それに、私と双葉ちゃんの間で、その言い方じゃ、なんだか他人行儀よ」
「それはそうなんですけど、……わかったよ、若葉ちゃん」
「うん、双葉ちゃん」
そして僕たちは、そのまま一緒に学校へ登校することになった。
ついさっきまでの重苦しい雰囲気はすっかり晴れて、今の僕たちの通学路での足取りも口調も軽かった。
「今の双葉ちゃんには、もうばれちゃったけど、私は前から敏明くんと、仲良くなりたかったんだ」
「えーっと、……ずるしてごめん」
「何度も謝ってもらっているし、このことでもう謝らなくてもいいわよ」
「でも、結果的に、僕は若葉ちゃんを騙していたわけだし」
「だからこのことはもういいわよ、それこそ不可抗力だったんだし、それに……」
(結果的に、こうして敏明くんと、仲良くなれるきっかけになったんだし)
「それに、何か?」
「な、なんでもないわよ!」
僕の問いかけに、若葉ちゃんの顔は、なぜか赤くなっていた。
「そ、そうだ、不慣れな女の子の生活、今まで大変だったんでしょう?」
「まあね、最初は大変だったけど、でも最近は、少し慣れてきたよ。それに」
「それに?」
「僕が困っている時は、いつも若葉ちゃんが助けてくれていたから、すごく助かっていたよ、ありがとうね」
「も、もう、なんで真顔でそんな風に言えるのよ」
「なんでって、思った通りのことを言っただけだよ」
「……敏明くんて、天然の……だったのね」
若葉ちゃんは、なぜかまた赤くなっていた。
「でも私に言わせれば、今の双葉ちゃんはまだまだだよ。たまに普通の女の子なら見せないような隙をみせてるし」
「そ、そうなの?」
「そうだよ、元の双葉ちゃんだったら、逆に隙なんて見せなかったわよ。
だから最近の双葉ちゃんは様子が変だなって、思ってたんだよ。
まさか中身が敏明くんと入れ替わってるなんて、思ってもいなかったけどね」
「あはは……」
そんな訳で、僕と双葉さんとの入れ替わりの秘密を共有した若葉ちゃんは、秘密を知る前よりも親身になって、僕の世話を焼いてくるようになった。
僕に遠慮しなくなった若葉ちゃんは、僕に色々とダメ出しもするようにもなった。
でも遠慮の無い若葉ちゃんの指導のおかげで、僕の女の子としてのスキルは、急速に上達していった。
そして正体がばれる前よりも、僕は若葉ちゃんと仲良くなっていったんだ。
逆に敏明、元の双葉さんとは、今は距離をとっていて、やや疎遠になっていた。
例の噂を打ち消すために、あれから僕たちは、直接会うことを避けていたからだった。
僕たちが入れ替わってから、お互いの生活に慣れる時間はあったから、今は直接会わなくても、どうにか今の身体の立場での生活ができるようにはなっていたんだ。
些細な事なら自分で判断できるし、電話やメールでも連絡できる。
あるいは、僕たちの事情を知った若葉さんが、僕たちの間を取り持ってくれたりもした。
だから、このまま入れ替わり生活を続けたとしても、不自由はしなくなっていたんだ。
あれ、でもこのままお互いに会わない生活を続けたら、元の身体に戻る機会もなくて、このまま入れ替わりが固定されない?
ちょっとだけ、このままじゃまずいような気がしてきた。
いや、もうしばらくの間だけだ。
今は若葉さんも協力してくれているんだし、例の噂が沈静化して、ほとぼりが醒めた頃に、また直接会って今後のことを話し合えばいいんだ。
それまでは、周りに怪しまれないように、双葉さんらしくふるまいながら、おとなしくしていよう。
この時は、そう思っていたんだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そうこうしているうちに、僕と双葉さんの身体が入れ替わってから、そろそろ一ヶ月が経とうとしていた。
「もうすぐ中間テストだよね、双葉ちゃん、今度のテストは大丈夫?」
「ある程度は出来ると思う。だけど元の双葉さんのように、いきなり成績上位は難しいかも……」
「……だよね」
うちの学校では、テストの成績が三十位以上の上位の者の、順位と総合点が廊下に張り出されて、発表されることになっていた。
それの何が問題なのか?
元の双葉さんは、三十位どころか、常に上位一桁の成績優秀者だった。
そして僕は、いつもは中の上くらいの成績で、決して勉強ができないわけじゃないけれど、そういう成績上位者の順位発表とは無縁だった。
その差は大きい。そんな僕が、元の双葉さんのように、今度のテストで上位の成績が出せるだろうか?
いや実は、今の僕は、勉強自体は絶好調だった。
敏明だった時に比べて、今の僕は頭の回転が速くて、記憶力も抜群だった。
授業を受けていて、あるいは自宅で自習をしていて、敏明だったときは手こずっていた内容が、するすると頭の中に入っていくのがよくわかるんだ。
頭のいい人って、こんな感じで内容を理解できるんだ。ってことを、この身で実感していた。
「何でだろう? そうか、脳ミソの出来が、敏明と双葉さんとでは違うんだ」
敏明の脳ミソが、普通のスペックのPCだとしたら、双葉さんの脳ミソは、処理速度が速くて高容量の高スペックのPCなんだ。
双葉さんと入れ替わったことで、僕は双葉さんの身体の体力の無さと、運動音痴を引き継いだ。
ちょっと悔しかった。
だけど、それとは逆に、僕は双葉さんの頭のよさを引き継いでいた。
敏明だった時より勉強が出来るようになり、最近は授業を受けるのが、敏明だった時より楽しくなってきていた。
だから、勉強の時間さえあれば、元の双葉さんのように、成績上位になれるかもしれない。
だけど今回は、そのための時間が足りなかった。
たとえば体育だったら、敏明になった元の双葉さんのように、すんなり身体の運動能力を引き出すことは出来るけど、勉強は知識の積み重ねが必要だ。
いくら高性能のPCでも、必要なデーターが入ってない空っぽな状態では、宝の持ち腐れなんだ。
双葉さんの脳ミソの頭のよさに気づいて、僕が積極的に勉強をするようになったのはつい最近なんだ。
せめて、入れ替わった直後の一ヶ月ほど前に、双葉さんの頭のよさに気づいて、もっと積極的に勉強をしていたら、もう少し違っていたかもしれない。
いや、身体が入れ替わった直後は、今の生活に慣れることや、別の事に気を取られたりして、それどころではなかったからなあ。
それはともかく、いつも成績上位の常連だった双葉さんが、いきなりランク外になったら、周りに怪しまれるかもしれない。
元の双葉さんにも申し訳ないし、せめて成績が張り出される三十位以内には、入れるようにしたい。
テスト前にテストの範囲のヤマを張って、ある程度詰め込めば、今の僕ならそれくらいできるような気はする。
「テスト前の休みには、家でテスト勉強をするつもりだよ」
「じゃあ私も、双葉ちゃんの家で、一緒にテスト勉強をしてもいいかな?」
若葉ちゃんが、私がお邪魔してもいい? てな感じで、上目遣いでのおねがい。
う、若葉ちゃん、かわいいじゃないか。
「いいよ、若葉ちゃんなら大歓迎だよ」
「わあい、じゃあ決まりだね。今度の休みは、双葉ちゃんの家に行くわね」
僕の返事に若葉ちゃんが大喜び、ということで、テスト前の休みに、勉強会をすることが決まった。
若葉ちゃんに、入れ替わりのことがばれてから約半月、すっかり仲良くなっていた。
たとえば先週末の日曜日なんか、若葉ちゃんが服を買いたいから、僕に見て欲しいとお願いされて、買い物に付き合ったりもした。
「ごめーん、待った?」
「いや、私も今来たところ」
「そう、なら良かった」
とか言いながら若葉ちゃんは、僕の腕に腕を絡めてきた。
「なんだかデートみたいね」
うれしそうにそうのたまう若葉ちゃん。
最初からそのつもりだったくせに、と心の中で突っ込む僕。
だけど、そんな様子に苦笑しながらも僕は、しょうがないな、まあいいか。と今のこの状況を受け入れていた。
その日の僕は、女物のTシャツにデニムのジャケット、レディースのデニムのパンツスタイルで、
若葉ちゃんは、ふわっとした感じの、かわいいワンピース姿だった。
女子としては身長がある、双葉さんの身体の僕が男役で、小柄な若葉ちゃんが女役だった。
「今日の双葉ちゃん、なんだか格好いいわよ」
「ありがとう、そういう若葉ちゃんも、そのワンピース、よく似合っていてかわいいよ」
「そう言ってくれてありがとう、でも少し子供っぽくない?」
「そんなことないと思うけど、若葉ちゃんはそういうの気にしているの?」
「うん、ちょっとね。……いいなあ、双葉ちゃんはスタイルが良くて、大人っぽい服も似合っていて、
敏明くんばっかりずるい、私も一度、双葉ちゃんになってみたいな」
「そんなこと言われたって……」
この後、なぜか機嫌が悪くなった若葉ちゃんを、宥めるのが大変だった。
ところで女の買い物は長いとか、ウインドウショッピングは男には苦痛だとか、色々聞いていたけど、意外に苦痛じゃなかった。
「ねえ、この服、私に似合うかな?」
「悪くないけど、こっちのほうが、若葉ちゃんには似合うんじゃないかな?」
「うん、双葉ちゃんがそういうなら、こっちの服も着てみる」
そんな調子で、若葉ちゃんの服選びは、着せ替え人形みたいで結構楽しかった。
「今度は双葉ちゃんの服を見てみようよ」
「ちょっとまってよ、今日は双葉の服の予定はなかったでしょ、だから余計なお金は持ってきてないよ」
「だから、今日は見るだけよ、もし気に入った服があれば、次に来る時に買えばいいのよ。
それに、双葉ちゃんてスタイルがいいから、選びがいがあるっていうか、一度思う存分コーディネイトしてみたかったんだよね」
どうも元の双葉さんは、意外にガードが固かったらしい。
なので、若葉ちゃんが今まで心の奥に秘めていたその欲望を、双葉の中身が僕に変わったこの機会に、かなえることにしたようだった。
あの後は、結構大変だった。
僕はと言うと、ここ最近の女としての生活で、女物の服を着ることには慣れてきたつもりだった。
だけど若葉ちゃんが選んで持ってきた服は、肩や胸元の露出が大きかったり、スカートの丈が短かかったり、身体のラインがはっきり出たり、デザインも派手だったり、なんでこんな服ばっかり持ってくるんだよ。
これを着るのは、さすがに難易度が高いし、少し恥ずかしかった。
「だって、双葉ちゃんはスタイルが良いし、こういう服も良く似合うだろうなって、前から思っていたんだもん」
「だからって、なにもこんな露出の大きい服を選ばなくても……」
「いいから、試しに着てみてよ」
「そうですよお客様、ぜひ試着してみてください」
若葉ちゃん、ノリノリだった。
若葉ちゃんだけではなく、なぜか店員さんもノリノリだった。
店員さんは僕たちのために、なぜか普段は店の奥に仕舞われているとかいう服まで、持ってきてくれた。
「あーもう、こうなったらやけくそだ!」
そんな調子で、僕はしばらく着せ替え人形状態になっていたのだった。
でも何でだろう、最初は恥ずかしかったけど、何度も着替えてそういう服を着ているうちに、コスプレみたいで段々楽しくなってきた。
確かに双葉さんは、美人でスタイルが良いから、こういう服もよく似合っていた。
着替えた後、鏡の前でポーズをとってみる。
『僕って結構美人じゃん』
そうしているうちに、いつの間にか僕自身も楽しくなってきて、気分もノリノリになっていた。
前半はそんな調子で、結構ワルノリしていた。
だけどさすがに後半は、段々落ち着いてきて、若葉ちゃんは真面目に、落ち着いた大人っぽい服を選んで持ってきてくれた。
「双葉ちゃんは、こういう服も似合うと思うんだけど、どうかな?」
「……いいんじゃない、悪くない、いや、良いと思うよ」
「はい、お客様に、すごくお似合いですよ」
鏡の中には、今までよりも大人っぽくて、落ち着いた雰囲気の双葉さんがそこにいた。
今まで気づいていなかった、今の自分の魅力に、気づかされたような気がした。
なんでだろう、女物の服なのに、僕は妙にこの服が気に入っていたんだ。
「良かった。実は本当はこの服は、私が着てみたかったんだ」
「えっ、だったらなんで?」
「でもくやしいけれど、小柄で子供っぽい私には、この服は似合わないから。だから代わりに、双葉ちゃんに着てみて欲しかったんだ」
「そう、……だったんだ」
「双葉ちゃん、もう一度言うね、その服、よく似合ってるよ」
「……ありがとう」
若葉ちゃんや店員さんに、この服が似合うと褒められて、なんだかくすぐったかった。
僕はすっかりその服が気に入ったんだけど、お値段を聞いてしゅんとした。
女物の服って、どうしてこんなに高いんだよ!
良い物なので、他の服に比べても、その服はやや割高だった。
その時は持ち合わせが無かった。でも僕は、どうしてもその服が、欲しいって思った。
女物の服がこんなにも欲しいって思うなんて、自分でも意外だった。
僕が気に入ったっていうのもあるけど、若葉ちゃんが選んでくれた服だからっていうのもあるだろうか?
それはともかく、その日は一旦諦めて、その服は後日に買う約束をして、その店を出たのだった。
その後は、若葉ちゃんと他の店を回ったり、ファミレスで一緒にご飯を食べたりした。
楽しかった。
話は逸れたが、だからそんな訳で、テスト前の若葉ちゃんとの勉強会も、今から楽しみだった。
多少勉強の効率は落ちるかもしれないけれど、若葉ちゃんと仲良く楽しく勉強ができるのならばいいやって。
だけど、約束のその日、僕と若葉ちゃんとの勉強会が、行われることはなかった。
勉強会の約束の日の前日の夜辺りから、急に体調が悪くなった。
その少し前から、あれ、なんだか体がだるい、体調がおかしい、とは感じていた。
それにいつもよりも、おりものも多くて、すぐパンツが汚れて嫌だな、女って、こういう所が面倒なんだよな、とも思った。
だけどそれは、前哨戦でしかなかった。
この後僕は、女のもっと面倒で嫌なことを、この身で体験することになったのだから。
「うう、なんだよこれ、さっきからお腹がしくしくして、すげー痛い!」
僕はトイレに駆け込んだ。
穿いていたパンツを下ろすと、パンツの中はおりもので、……いや違う、赤黒い血で汚れていた。
「な、何だよこれぇ! なにがどうなってるんだよ!」
僕の今のこの身体は、月一の女の子の日が、生理が始まっていたんだ。
この身体が、成長期の健康な女の子のものである以上、いずれはこの日がくるのはわかっていたはずだった。
そういえば確か、身体が入れ替わった直後の情報交換で、だいたい今頃生理が来るって事も知らされていたっけ。
その時のメモの中に、生理が来た時の対処法が、わりと細かく書いてあったっけ。
あと、「私の生理は重いから、その時が近くなったら、覚悟をしておくように」と、さらに一言書かれていたっけ。
だけどあの時は、まだ一ヶ月近く猶予がある、ラッキー、とか思っていた。
一ヶ月もあれば、心の準備をする余裕があるし、そもそもそれまでに元の身体に戻れれば、なんの問題も無いって思っていたんだ。
実際は、僕は現実を甘く見ていて、このときが来るまで、生理の事はすっかり忘れていて、何の準備も覚悟もしていなかった。
そんな訳で、事前情報や知識はあったはずなのに、僕は股間の割れ目からの血を見て、軽くパニックになってすぐに対処できなかった。
だって現実に生理の血はグロくて、臭いも生臭かったんだよ、こんなのすぐには受け入れられなかったよ。
それでも、気持ちが落ち着いてきてから、トイレで色々始末をしたり、仕舞ってあった生理用品を引っ張り出してきたりして、どうにか対処はした。
今は僕自身の問題なんだから、僕が自分で対処するしかないんだ。
さて、生理への対処が済んで、状況が落ち着いてきてから、今後の事を考えた。
約一ヶ月前は、まだ時間的余裕がある、ラッキー、なんて思ってしまったが、現実にこの時がきて、
「なんでこのタイミングなんだよ、今はタイミングが悪い!」って思った。
以前書いてもらったメモを引っ張り出してきて、そのタイムスケジュールを確認してみた。
僕の生理は、そのメモの予想の日付より、やや遅れて始まった。
後のタイムスケジュールを、そのメモにあわせて見てみると、テスト勉強期間と、生理で体調が悪い期間はほぼ重なっていた。
それどころか、テスト期間にも影響が残りそうだ。
それに……。
「若葉ちゃんと、一緒にテスト勉強をする約束をしていたけれど、どうしよう?」
思っていたよりも、今の体調はよろしくなかった。
しかもメモによると、これでもまだ生理が始まったばかりで、これからもっと体調は悪くなっていくらしい。
今でもきついのに、更に本格的に体調がきつくなれば、どこまでまともにテスト勉強ができるのか、今は見当もつかなかった。
「僕のせいで、若葉ちゃんにまで、迷惑はかけられないよ」
僕は若葉ちゃんにラインで、体調不良を理由に、テスト勉強のお断りのコメントを送った。
すぐに返事が来た。
体調不良って、どうしたの?
もしかして病気?
お見舞いに行かなくても良い?
僕のことを気遣いながら、色々と訊ねて来た。
なんだか生理だとコメントするのが気恥ずかしくて、最初は曖昧にごまかそうかとは思ったけれど、かえって病気なのかと心配された。
それに女の子を相手に、生理の事でごまかしきれるとも思えなかった。
なので正直に、「生理が始まったので、体調が優れない」と答えた。
そうだったんだ。
そういえば、双葉ちゃんは、そろそろそんな時期だったわね。
さすがに、双葉さんとは仲の良い友人だった若葉ちゃんは、双葉さんのおおよその生理の時期も知っていたのだろうか、あっさり納得してくれた。
双葉ちゃんは、私にはいつも強がってごまかしてたけど、本当は辛そうだった。
敏明くんは、初めての経験だけど、大丈夫?
やっぱり明日は、私がそっちに行ってあげようか?
状況を知って、僕を気遣ってくれた。
お見舞いに来て、僕の面倒を見てくれようか、とも言ってくれた。
若葉ちゃん、いい子だな、その気持ちは嬉しかった。
ありがとう、その気持ちだけ受け取っておくよ。
だけど、さすがに断った。
若葉ちゃんに、迷惑はかけたくなかったんだ。
そう、わかったわ。おだいじに。
まさかこの選択が、後でちょっとした運命の分岐点になっていたなんておもわなかった。
もしこの後の展開を知っていたら、僕はどうしていただろうか?
若葉ちゃんのお言葉に甘えて、無理にでもお見舞いに来てもらっただろうか?
それとも……。
昨日の放課後までは何ともなかったのに、あの後何かあったのか?
ちょっとあいつのことが心配になってきたので、今日は放課後に、気晴らしに遊びにでもいかないかと誘ってみた。
もし悩みでもあるなら、その時にあいつからさりげなく聞こうと思ったんだ。
そうしたらあいつ、今日は放課後に用事があるからと言って、俺の誘いを断りやがった。
そして放課後、あいつ、こそこそと、どこへ行くつもりだ?
俺はつい興味をもって、いや、あいつのことが心配になって、こっそり後をつけてみた。
敏明は人気のない神社の敷地へと入っていった。
どうやら誰かと待ち合わせをしているようだ。いったい誰だ?
「あれは……、双葉さん!?」
あいつ俺の誘いを断って、双葉さんと待ち合わせをしていたのか!!
なんであいつが双葉さんと?
もしかして敏明のやつ、双葉さんと付き合いはじめたのか?
なるほど、それで今日のあいつは、ハイテンションだったのか。
あーちくしょう、敏明のやつ、うまくやりやがって、羨ましいな。
双葉さんは、俺の好みのタイプで、俺も憧れていたのにな。
それにしても、なんで二人はこんな所で、こっそりこそこそ会ってるんだ?
もっと堂々と付き合ってるって宣言して、堂々と会えばいいのに。
イケメンの敏明と、うちのクラスでも一位二位を争うほどの美少女の双葉さん、表向きには似合いのカップルだと思うんだけどな。
たとえば双葉さんが、周りに騒がれるのが嫌だからって、隠しているのかな?
それとも敏明が、俺に気を使って隠していたのかな?
まあいい、友人の恋路の邪魔をするほど、俺は野暮じゃない。
今日の所は知らないフリをして、この場は立ち去ろう。
敏明が双葉さんと付き合っているって、正式に報告してきたら、その時は祝福してやろう。
……やっぱりちょっと悔しいし、ちょっと焼けるけどな。
俺は二人に気づかれないように、遠くからちらっと様子を見ただけで、すぐにその場を立ち去った。
なので俺は気づかなかった。
二人の表情や雰囲気が、とても恋人同士の甘いものではなく、ちょっと硬くて深刻そうなものだったことに。
さらに数日後、敏明の様子が少し落ち着いてきた。
と思ったら、また挙動不審な行動をしていた。
うちの学校の場合、体育の授業時間、男子は男子更衣室、女子は女子更衣室に移動して体操服に着替える。
俺たちは、体育の授業のために、男子更衣室に移動していたのだが、この時なぜか敏明は、興味深そうにきょろきょろと、他の男子の着替えを見ていた。
「……おい敏明」
「え、な、なに、清彦?」
「お前、ヤローの裸なんか見て、楽しいのか?」
「そ、そんなわけないわよ。じゃない、じゃねえよ」
敏明は否定したが、なぜだか目つきがおかしかったんだよな。
「……よく見てみると、清彦って身長高いし、筋肉質で引き締まってるんだ」
「な、何言ってやがる! お前そんな目で俺を見て、お前ヘンタイだったのか!」
「そ、そんなわけないじゃん、冗談だよ冗談!」
今、背筋がぞくっとした。とても冗談には思えなかったが、この場ではそういうことにしておいた。
深く追求したら、やぶへびになりそうな気がしたからな。
……敏明とは、しばらく距離をおいたほうがいいのかもな。
今日の体育の授業は、男子はバスケットボール、女子はバレーボール、男女とも体育館での授業だった。
今日の敏明は、なぜかハイテンションではりきっていた。
最初は意気込みすぎて空回りしていたけど、落ち着いてくるとシュ-トは決めるは、相手は止めるは、攻守にわたって大活躍だった。
「清彦見た、今のシュート! シュートを決めるって、なんかすごく気持ちいい!」
「あ、ああ、そうだな」
いや、運動神経抜群で、スポーツ全般が得意な敏明なら、これくらいは普通にできるってことを俺は知っている。
だけど、いつもだったら敏明は、「疲れるし、あまり目立ちたくないから、程ほどにしておく」と、いつもは適度に手を抜くんだ。
なのに今の敏明は、嬉しそうっていうか、はっちゃけているっていうか、らしくないんだよね。
ふと、なぜか視線を感じて、俺は体育館の反対側、女子のほうを見た。
バレーをやっているコートの外には、人数があぶれて座って見学をしている女子がいた。
その中に、双葉さんもいた。双葉さんて、身体が弱くて、あまり運動が得意じゃないらしい。
一瞬、俺はその双葉さんと視線が合った。
双葉さんは、慌てて俺から視線を逸らした、ような気がした。
双葉さんが、俺の事を見ていた?
……気のせいだよな。きっとさっきから大活躍をしている、敏明の事を見ていたんだ。
その双葉さんの表情が、俺にはなぜだか寂しそうに見えたのだった。
基本的に敏明は、根は真面目で、実力はあるけれど、目立つのが嫌いな大人しい人間だった。
だけど最近は、何か開き直ったのか、色々と積極的に行動するようになってきた。
最近は早弁をするようになり、その流れでお昼休みにグラウンドなどで、他の男子とのサッカーやドッジボールなどに積極的に参加していた。
そうかと思えば、いつの間にか、ちょっと根のスケベな男子のお誘いの、エロ本の鑑賞会にも、積極参加するようにもなっていた。
あいつは根はお子様っていうか、純情っていうか、今までそういう催しには恥ずかしがって、ほとんど参加していなかったんだが、どういう心境の変化なんだろうか。
それでも最初のうちは、エロ本やエロDVDを見ても、つまらなそうで反応は薄かったらしい。
ところが急にエロに目覚めたのか、ある日を境に、エロ本や女の子に反応するようになった。
「ねえ清彦、あの子身体つきがエロイよね。とくに胸が大きくてこう形もよくてさ」
「あ、ああ、そうだな、……おまえは、胸が大きい子のほうが好みなのか?」
「う、うん、まあね、……オレ、ちょっと前まで、なんで男子が女の子をエロイ目で見るのか理解できなかったんだけど、今ならよくわかるよ」
「って、お前、ちょっと前までって、そういえば、そういう話は嫌がってたよな?」
「あはは、そうだっけ?」
「そうだったぞ。そういう話のときは、お前はいつも、恥ずかしそうに顔を赤くしていた」
「そうか、彼は嫌がってたんだ、そういわれてみれば、確かに彼は、オレが少しくらいは体を好きにしていいって言ってるのに遠慮したり、恥ずかしそうに赤くなったり、反応が生真面目だったんだよね」
「彼? 遠慮? 生真面目? お前、自分の事なのに、まるで他人事みたいな変な言い草だな」
「え、あ? 違う違う、勘違いだよ勘違い!」
「勘違い? まあいいけどな、……そういえば、胸が大きいっていえば、双葉さんも結構大きいよな、お前はああいう人が好みなのか?」
ふと、以前放課後に、敏明がこっそり双葉さんに会っていたことを思い出して、ちょいとカマを掛けてみた。
そうしたら敏明は、その問いかけに、予想以上に動揺して慌てた。
「あた……双葉さんが好みって、別にそんなんじゃなくて! あーもう、この話はやめやめ!」
敏明のやつ、何か都合が悪くなったのか、強引に話を切り替えて、結局この件はうやむやにしてしまった。
それはともかく敏明のやつ、エロに目覚めただけでなく、最近なんか急に大人びてきたような気がする。
一人称も、ちょっと前まで『僕』だったのに、今は『俺』だもんな。
そんなこんなで、敏明の様子が変わってから、一ヶ月ほど経過した。
つい先日、中間テストが終わり、廊下にテストの成績上位者の名簿が張り出された。
うちの学校では、テストの成績上位の者の、順位と総合点が発表されることになっていた。
ちなみにだいたいいつもは、俺は中の下、敏明は中の上くらいの成績で、俺たちは成績上位者の名簿とは無縁だった。
「すごいぞ敏明の名前が、成績上位の名簿に載ってるぞ」
えっ?
そんな声が聞こえて、敏明よりも俺のほうが驚きながら、思わず廊下に張り出されたテストの名簿を見直した。
そこには確かに、敏明の名前が載っていた。
ベスト10入り、点数も満点に近かった。
お前、いつのまにこんなに、勉強ができるようになったんだ?
敏明を褒めたり冷やかしたりするクラスメイトの言葉に、たいしたことじゃないよ。と謙遜する敏明。
だけど、敏明は言葉とは裏腹に、このくらいできて当然、みたいなドヤ顔をしていた。
そんな敏明に、俺は違和感を感じていた。
いや、違和感は前から感じていたんだ。
……確かに最近の敏明は、以前より積極的に授業を受けるようになった。
だけど、だからって、こんな急に変わるだろうか?
ふと気が付くと、少し離れた所で、数人の女子が、一人の女子に何やら慰め(?)の言葉をかけていた。
あれは、双葉さん? なんで?
そういえば、いつも成績上位の名簿の常連の双葉さんの名前が、今回は張り紙の名簿に載っていない。
今回は双葉さんは、成績を落としたのか?
「……まあ、そうなるよね、仕方がないか」
敏明は、何か理由を知っているのか、淡々とした口調でつぶやいていた。
「仕方がないって、敏明は双葉さんが成績を落とした理由に、何か心当たりがあるのか?」
「そんなこと、オレは知らないよ! 知っていても、清彦には関係ないだろ!」
「……それはそうだが」
だからといって、そんなにムキになることないだろうに。
「彼女の成績がどうなろうと、今のオレにはもう関係ない。もうどうでもいいんだ」
関係ない? もうどうでもいい?
お前、双葉さんと付き合っていたんじゃなかったのか?
「オレが双葉と付き合っていたって、清彦も、ちょっと前のあの噂を信じていたのか?」
「いや、そういうわけじゃないが……」
噂とは、敏明と双葉さんが、裏でこっそり付き合っている。というものだった。
一ヶ月ほど前のあの日の俺以外にも、敏明と双葉さんがこっそり会っているところを見た者がいたらしくて、そういう噂がたったんだ。
そして、その噂を聞いて、敏明をはやし立てたり、実際はどうなのかと、敏明に直接聞きにくるやつが出た。
その時は、敏明は強い口調で、「オレは双葉と付き合っていない」と、はっきりと否定した。
ほぼ同時に、女子の間でも、敏明との関係を噂されていた双葉さんが、「敏明くんとお付き合いはしていない」と否定。
敏明は女子に、双葉さんは男子に人気があり、二人がフリーであると信じたい者は結構多かった。
そんなこともあり、最近はその噂は、沈静化していたんだ。
だけど俺は、一ヶ月ほど前に、敏明が双葉さんと会っている姿を見ていた。
だからそうだと言われても、簡単には納得はいかなかったんだ。
「とにかく、彼女とオレは無関係だからな!」
「わかった、わかったから、そんなにムキになるなよ」
こんな調子だから、あの日俺が見たことを指摘しても、敏明は認めないだろう。
敏明は、双葉さんと付き合っていたっていう噂どころか、関係そのものを否定して、なかったことにしているんだから。
それからさらに数日が経過して、びっくり仰天の展開になった。
敏明が、若葉さんと付き合い始めたんだ。
若葉さんは、外見は小柄で平凡だけど可愛くて、性格も気立てが良い女の子だった。
例の噂を払拭するために、若葉さんと付き合い始めたのか?
最初はそう疑ったが、偽装でもなんでもなく、どうやら敏明は、本気で若葉と付き合いはじめたようだった。
「彼女のどこに惚れたって? 可愛くて根が優しい所かな?」
「彼女、あまり胸が大きくないが、敏明的にはいいのか?」
「そうなんだよね、若葉ももうちょっと胸が大きければ良かったのに、……って、違う違う!
別に、胸の大きさで若葉を好きになった訳じゃないし、若葉だってオレのことを好きって言ってくれてるんだからね!」
なんてのろけて、満更でもなさそうだった。
まあ確かに、若葉さんは可愛いし性格も良さそうだし、敏明が惚れて、相手がOKしたのならありだと思う。
だけど、何か引っかかるっていうか、何か納得できないんだよな。
まあいい、敏明の人生なんだし、敏明が決めたことに俺が文句をいう話じゃない。今は素直に祝福してやろう。
女子のほうでも、あっという間にこの話は伝わって、祝福とやっかみと、両極端な反応があったようだった。
ふと、双葉さんはどうしているんだろう?
敏明はあんな感じだけど、双葉さんは敏明の事は、今はどう思っているんだ?
と気になって、少し離れた所から様子を見た。
双葉さんは、この噂話には加わらず、無関心って感じだった。
いや、お節介な女子数名が、双葉さんの周りに集まって、しきりに何か話しているようだ。
俺には双葉さんは、作り笑いをしながら、そんな女子に気を使って話をしているように見えた。
こういう時は、そっとしておいてあげればいのに。
そう思いながら、でも俺も彼女に何もしてあげられない、部外者の俺には関係のない話だ。
俺は双葉さんから、そっと視線を外したのだった。
そしてその日の放課後。
俺は担任の先生に用事を頼まれて、帰りが少し遅くなった。
教室に戻って、荷物を取って帰ろうとしたそのとき、教室の出入り口で、ドン、と誰かとぶつかった。
「……ご、ごめんなさい」
「いや、俺のほうこそ、前をよく見てなかった。すまん」
「…………き、きよ…ひこ…」
「え、双葉さん?」
俺とぶつかったのは、双葉さんだった。
ぶつかったのが俺だと気づいた双葉さんの表情は、なぜだかみるみる崩れて、今にも泣きそうな顔になった。
「うええええぇ~ん、きよひこ、きよひこぉ~~~っ!」
「え、えっ? 何で?」
そして、……双葉さんはそのまま俺に抱きついて、俺の胸に顔を埋めて泣き出したのだった。
こんな所を、人に見られたら誤解される。
俺は泣いている双葉さんに抱きつかれたまま教室に入り、扉を閉めた。
幸い、時間が遅くて、廊下にも教室にも、俺たちの他に誰もいなかった。誰にも見られずに済んだ。
しょうがないな、双葉さんが泣き止むまで、こうしててあげるか。
しばらくそうしているうちに、やがて気持ちが落ち着いたのか、双葉さんは泣き止んでくれた。
「落ち着いた?」
「う、うん、ありがとう。……あ、ご、ごめん!!」
自分の体勢に気づいて、双葉さんは慌てて俺の胸から顔を離した。
本来美少女で、整った顔立ちのはずの双葉さんの今の顔は、涙と鼻水でぐちゃくちゃだった。
俺はポケットから、ハンカチとティッシュを取り出した。
「これで、涙を拭いたほうがいいよ」
「ありがとう。……!? ごめん、本当にごめん!!」
自分の醜態に気づいた双葉さんは、自分の顔の涙をさっと拭いたあと、俺の制服も、涙と鼻水で汚してしまったことに気が付いた。
双葉さんは慌てて、俺の制服の胸元につけてしまった涙と鼻水を、そのティッシュで拭いてくれたのだった。
そして、拭き終わった後、改めておれに謝った。
「清彦にまで迷惑をかけて、本当にごめんなさい」
「まあいいって、たいしたことじゃないから気にするな」
「くすっ、清彦って、こういうときは、相変わらず優しいんだね」
「別にそんなことないって、……あれ、相変わらず優しいって?」
俺は、双葉さんに優しくするどころか、今までこんなに長く接したことなんてなかったはずなんだけどな?
軽い気持ちで、思い浮かんだ疑問を、双葉さんにぶつけてみた。
「俺、以前に双葉さんに、優しくしたことなんてあったっけ?」
「えっ、それは、その……」
何でだか双葉さんが、あわあわあたふたと慌て始めた。
何でだろう、そんな双葉さんの慌てた姿に、近視感っていうか、俺の知ってる誰かに似ているって感じがした。
誰だっけ?
俺の脳裏に、なぜだか身近な友人の姿が浮かんて、今の双葉さんの姿と重なって見えた。
「……敏明?」
「えっ!?」
「そんなわけないよな。あ、ごめん双葉さん、なんでもない、俺の勘違いだから!」
慌てて否定しようとした俺に、ぱっと表情が明るくなった双葉さんが抱きついてきた。
「清彦、きよひこぉ~、やっぱり清彦だった。清彦は僕に気づいてくれたんだ!」
「あのお~、それってどういう意味?」
「清彦の感じた通りだよ。僕だよ、僕は敏明だよ!」
「えーっと双葉さん、じゃなくて敏明……でいいのかな?」
「うん♪」
俺の問いかけに、双葉さんは、自分が敏明であることを肯定するかのように、嬉しそうにうなずいた。
双葉さんの態度の劇的な変化に、俺はなかなかついてこれなかった。
双葉さんが、自分が敏明だと言い出して、だからといって簡単には信じられなかった。
「言いだしっぺの俺が言うのもなんだけど、双葉さんは、俺をからかっているわけじゃないよね?」
「僕は双葉じゃなくて敏明だよ! こんなときに、僕がふざけたりしないのは、清彦がよく知ってるだろ!」
確かに根が生真面目な敏明だったら、こんなときにふざけたりしない。
だけど、今俺の目の前にいるのは、敏明ではなく双葉さんなんだ。どう見ても双葉さんにしか見えない。
だけど同時に、双葉さんの態度が変わってから、その仕草や口調が敏明っぽくなって、まるで敏明と話をしているみたいに感じているのも確かだった。
「どういうことなのか、説明してくれるかな?」
「……うん」
俺の問いかけに、自称敏明の双葉さんは、自分の身の上に何があったのかを、ぽつりぽつりと話しはじめた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
#これより敏明(?)視点
今から一ヶ月と少し前のその日は、僕は日直だった。
放課後に、クラス日誌に必要事項やコメントを記入して、職員室の担任の先生の所へ持ってきた。
その時、双葉さんが別の用件で、職員室の先生の所に、先に来ていたんだ。
二人で難しい顔をして、何かあったのかな?
いま声をかけたら邪魔かな?
とは思ったけれど、こっちも日直の用件があったから、かまわずに先生に声をかけたんだ。
「先生、クラス日誌を記入して、持ってきました」
「日直ご苦労様。……あ、そうだ敏明くん、ちょうどいい所に来てくれたわ、ひとつお願いがあるの」
「なんでしょうか?」
内心、面倒くさそうなのは嫌だな、とか思いながら、だけどそんなことは態度に出さずに、先生の話を聞いた。
お願いと言うのは、今度女子の家庭科の授業で使う教材を、家庭準備室まで運んで欲しいというものだった。
ちなみにうちのクラスの担任は、担当は家庭科の女の先生だった。
「本来なら、何人かのうちのクラスの女子生徒に頼んでいたんだけど、
ここにいる双葉さん以外の子は、部活とか別の用事とかで、みんな急に来られなくなったのよ。
なので、敏明くんには、それを運ぶ双葉さんの手伝いをして欲しいのよ、お願い!」
「私一人じゃ、簡単に運べないの、敏明くんお願い」
担任の先生と、双葉に頼まれて、さすがに嫌とはいえなかった。
しょうがないな、でも、女の子の手助けをするのも男の務めだ、とか思いながら引き受けた。
「わかりました。お手伝いします」
「ありがとう、敏明くん」
双葉さんは満面の笑みを浮かべながら、僕にお礼を言った。
双葉さんの満面笑みに、さすがに僕も少しどぎまぎした。
「じゃあ、よろしくお願いね」
そんな訳で、ダンボール箱に入った重いほうの荷物を僕が持ち、軽いほうの荷物を双葉が持って、僕たちは職員室を後にした。
双葉さんが前を歩き、僕はその後から続いて歩いていた。
双葉さんがちらっと振り返って、重い荷物を持って歩く僕を見て褒めてくれた。
「そんな重い荷物を軽々持てちゃうなんて、敏明くんすごいわ! さすが男の子だね!」
「これくらい、別にたいしたことじゃないよ」
「そんなことないわよ、私なんてこんな軽い荷物でもきついんだよ、やっぱりすごいわよ」
「それは双葉さんが、か弱い女の子だからだよ。僕は一応男だからね。もっとも僕は男の中でも、そんなに力のあるほうじゃないんだよ」
「たいしたことないって言いながらそれ、……なんか羨ましい」
とか何とか会話をしながら、でも双葉さんにおだてられたりして、この時までは、なんだか悪い気はしなかった。
僕は別に、双葉さんが特別好きってわけじゃなかった。
双葉さんほどの美少女と、二人きりのこのシチュエーションに、僕もやっぱり男として、色々双葉さんを意識してドギマギしていた。
双葉さんが美人なのは、前からわかっていた。
こうして双葉さんを、改めて間近で見てみると、やっぱり端整ですごく綺麗な顔をしていた。
身体つきはすらっとして細身なのに、胸とかお尻とか、出てるところは出ていて、かえってその細い身体で、その存在感を示しているんだよね。
特に胸が意外に大きくて、いけないって思いながら、つい見ちゃってた。
気分も高揚していて、なんだか楽しかった。
清彦のやつが、もし今の僕のこのシチュエーションを知ったら、羨ましがるかな?
そういえば清彦は、双葉さんが好みのタイプだとか、双葉さんに憧れている。とか言っていたっけ。
でも双葉さんは高嶺の花だから、俺には縁がないだろうなって言って、笑ってもいたっけ。
もしこの場にいたのが清彦だったら、きっと大喜びで、双葉さんのお手伝いをしただろうな。
……なんでだろう、そんなことを考えていたら、なんでだか急に、面白くないって感じて、双葉さんへの気持ちが醒めてきた。
本当に何でだろう?
だけどこのままそれを態度に表したら、この場の空気が冷めちゃう。
そう感じて、僕は咄嗟に話題を変えた。
「それにしても、双葉さん以外、手伝いに来られなかったって、みんな忙しかったんですね」
「え、そ、そうね、あはは、おほほ……」
話題転換した、何気ない僕の言葉に、双葉さんは乾いた笑いで答えた。
何でだか、話題転換をして、かえって場の空気が冷めた、いや重くなったような気がした。
あれ、もしかして僕、なんかまずいこと言った?
この時、僕の前を歩いていた双葉さんの表情は、僕からは見えなかった。
でも、なぜだか双葉さんはその表情を、引きつらせているような気がした。
この時点では、僕は双葉さんや他の女子の事情は知らなかった。
双葉さんも、わざわざ部外者の僕に、話すつもりはなかっただろう。
だけど、皮肉なことに、この少し後で、僕自身が当事者になって、その事情を知ることになるのだけれど……。
それはともかく、今度は双葉さんが、この気まずい空気を変える様に話題を変えた。
「そうだ、若葉から聞いた話なんだけど、敏明くんて運動がすごく得意なんだってね」
「いや、僕なんて、ちょっと器用なだけで、全然たいしたことないよ」
「そう? でもそれって、起用になんでもこなせるってことだよね?
私は運動が苦手で、スポーツは何をやってもダメなのよね。
そんな私から見たら、敏明くんはすごいよ、たいしたことない、なんてこと絶対ないよ!」
「え、あ、ごめん、別にそういうつもりで言ったわけじゃ……」
まずい、またそうだと意識しないで、双葉さんの地雷を踏んじゃった?
この場はどうフォローしよう?
「だからさ、私、正直敏明くんが羨ましいなって。敏明くんみたいに、なんでも器用に運動をこなす、なんて憧れちゃうな」
「双葉さんが、僕が羨ましい? 僕なんかに憧れるって?」
「うん、もし良かったら、ほんのちょっとだけでいいから、敏明くんと代わってみたいな。なんてね」
なんて言いながら、双葉さんは冗談ぽく笑ってみせた。
この時、僕はなぜだか双葉さんのその言葉を、素直に受け取れなくて、心の中でなぜか反発していた。
何を言ってるんだ、羨ましいのは僕のほうだ!
さっきもいったが、僕は双葉さんのことは、別に特別好きだとは思っていなかった。
なのにこの時、なぜだか僕は、双葉さんのことを、すごく羨ましいと感じていたんだ。
そして、僕と代わってみたい、と言った双葉さんの言葉が、その僕の思いに方向性を持たせてしまったんだ。
そんなに僕が羨ましいのなら、僕なんかと代わってみたいのなら、代わってあげるよ!
そう思った瞬間、僕の頭の中に、不思議な声が聞こえた。
『その望み、叶えよう』と。
えっ?
と思ったその時、双葉さんが僕に振り返って、口を開いた。
「敏明くん、いま何か言……」
次の瞬間、不意に立ちくらみのような感覚に襲われて、一瞬感覚が途切れた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
感覚が途切れたのはほんの一瞬で、すぐに全感覚が回復した。
「……った?」
その直後、僕の口は、何か言いかけていた言葉を発し終えていた。
妙に甲高い声だった。
あれ、今のはなんだったんだ?
それに、身体全体から感じる、この違和感は何なんだろう?
気が付くと、僕の視点は、180度廊下の反対側に向いていた。
そして僕の目の前には、重そうなダンボールの荷物を持った、男子生徒が立っていた。
えっ、その男子生徒って?
「ぼ、僕!? 僕がいる!」
「えっ、わたし! なんで目の前に私…がいるの?」
僕の目の前には僕が、敏明が立っていたんだ。
いったい何がおきたんだ?
その異変がなんなのか、まずさっきから違和感だらけの自分の身体を確かめようと、慌てて見下ろすと、僕は手に小さめのダンボールを持っていた。
これって、さっきまで双葉さんが手にもって運んでいた、ダンボールじゃないか。
何で僕が持っているんだ?
それによく見てみると、僕の手が小さくて細くなっている。
あれ、それになんで僕、女子の制服を着ているんだ?
それに僕のこの胸元、なんで女みたいに膨らんでいるんだ?
幸か不幸か、僕はこの時、手に荷物を持っていた。
だから、胸の膨らみが気になったけど、触って確かめることはできなかった。
だけど、今のこの身体は、男の僕の身体じゃない、女の身体なんだってことに、薄々気づいていた。
だとしたら、この身体は、誰の身体なの?
いやそれ以前に、今の僕は、いったい誰なんだ?
「うそ、やだ、ほんとうに、ここに、……変なものがついてるぅ!!」
そんな僕の目の前では、もう一人の僕は、荷物を下ろして、股間を触って呆然としていた。
ちょ、ちょっと待ってよ、目の前の僕、いったいどこ触ってるんだよ!!
というか、そんなに嫌そうに触るなら、股間から手を放せよ!!
もうしばらくそんな風にパニクッて、少し気持ちが落ち着いた後、僕たちはお互いが誰なのかを確かめ合った。
「私の姿のあなた、もしかして敏明くん?」
「うん、僕は敏明だよ。……そういう僕の身体のあなたは、双葉さん?」
「ええ、そうよ、私は双葉よ」
「やっぱりそうなんだ」
薄々そうなんじゃないかと思っていた。
「わたしたち、身体が入れ替わっちゃったんだね」
「うん……多分」
だけど本当に、身体が入れ替わっているなんて。
僕たちは、お互いの顔を見合わせて、そしてほぼ同時にため息をついていた。
なんでこうなった?
これからどうしよう?
「とにかく、今はこんな所で、こうしていても始まらないわ」
「始まらないって、どうするの?」
「一旦、この荷物を持って、家庭準備室まで行くわよ」
「行くわよって、こんな状況なのに?」
「こんな状況だからよ! いくら放課後で人がいないからって、まさか、廊下のど真ん中で、この後のことなんて話せないでしょう?」
「それは、……そうだけど」
「こんな状況だからって、教材の荷物を放り出して良いって理由にはならないわ。
それに、家庭準備室まで行ってしまえば、人目を気にしないで話し合いもできる。
悩んだり、今後の対策をするのは、家庭準備室まで行って、片付けるものを片付けてからよ!」
「……わかったよ」
そんなわけで、僕たちは、身体が入れ替わった状態で、荷物運びを再開した。
そして早速、身体が入れ替わって、僕が双葉さんの身体になってしまったことを、実感させられた。
「う、思っていたより重い」
今手に持っている荷物は、最初に敏明だった時の僕が持っていた荷物よりも、小さくて軽いはずなのに、今の僕には少し重く感じられた。
そのうえ、胸元の異物の感覚だとか、スカートの足元のすーすーする頼りない感じだとか、いつもとの僕は違う感覚も気になって戸惑い、注意力が分散した。
その結果、慣れていない身体の扱い方が元の双葉さんよりも悪く、少し歩いただけで荷物が余計に重く感じられるようになり、少し手も痛くなってきた。
「ちょっとタイム、荷物を持ち直していい?」
「いいわよ、ついでに私も持ち直す」
一旦休んで、荷物を持ち直した。
「うう、この程度の荷物が、こんなにきついなんて」
「私の身体だもん、仕方ないわよ。今は無理をしなくていいわよ」
「だ、だけど、ついさっきまでの双葉さんは、この身体でも普通に荷物を運んでいたのに、なのに僕は……なんか情けない」
「敏明くんは、その身体に慣れていないから、力の使い方や、ペース配分が上手くいかなかっただけだよ。情けなくなんかないわよ」
「うう、慰めになってない。それにペース配分だなんて、そんなに簡単に言われても……」
こんな今の僕とは対照的に、目の前の敏明になった双葉さんは、重そうなダンボールを、軽々と持ち上げて運んでいた。
ついさっきまで、たいしたことないと思っていた元の自分の身体が、今の非力な身体から見て、実はすごかったんだって実感させられた。
そう、ついさっきまでは、あの身体は僕の身体だったんだ。
失ってはじめて、そのありがたさや価値に気づかされた。
口には出さないし、出せないけど、でも急に悔しくなってきた。
幸い、目的地の家庭準備室は、もうすぐそこだった。
距離は短かったのに、どうにかそこまでたどり着いたって気分だった。
「つ、着いた……」
持ってきた荷物を、準備室の机の上に降ろして、僕はホッと一息ついた。
ホッとしたと同時に、すっかり非力になった今の自分の身体に、気持ちが落ち込んだ。
「さっきも言ったけど、やっぱり敏明くんの身体はすごいよ。私でもこんな重い荷物を、軽々と運べちゃったんだから」
僕とは対照的に、敏明な双葉さんは、何か嬉しいのか、テンションが高かった。
「……そりゃ良かったね」
「ごめん、あなたの気持ちを考えないで、はしゃぎすぎた」
入れ替わる前とは違い、気持ちに余裕のなくなった僕は、つい棘のあるきつい口調になってしまった。
敏明な双葉さんは、さすがにばつが悪そうに、僕に謝った。
家庭準備室には鏡がある。
僕は、今の自分の姿を改めて確認するために、その鏡の前に立ってみた。
鏡の中には、男の敏明の姿はなく、さらさらした長い髪の、端正な顔立ちの美少女の姿が映っていた。
「やっぱり今の僕は、双葉さんなんだな」
ついため息をついた。
鏡の中の美少女も、憂いを帯びた表情で、ため息をついていた。
家庭の授業の教材を、家庭準備室に運ぶ用件は終わった。
この後はどうするのか、僕たちは引き続きこの場で、話し合いをすることになった。
「とは言っても、突然身体が入れ替わっちゃって、なのになんでこうなったのか原因もわかんなし、この後、何をどうすればいいのかもわかんないよ」
「まず最初に、あなたに謝っておくわ。ごめんなさい」
「え、ごめんなさいって、何で?」
「入れ替わりの原因まではわからないけど、その切っ掛けは私かもしれない。だからよ……」
「切っ掛けって?」
「身体が入れ替わる直前、私は、敏明くんが羨ましい、憧れちゃう。ちょっとだけ代わってみたい。って言ったわよね」
「う、うん、確かに言ってた」
「あれ、さっきは冗談っぽく言っていたけど、
あの時は直前に嫌なこともあって、私は女の子の双葉が、ちょっと嫌になっちゃってたのよ。
そのおかげで、半分以上本気で思っちゃったのよ。なれるものなら、敏明くんになってみたいって」
「半分以上本気だったって、……でも、それだけで、身体が入れ替わっちゃうもんじゃないでしょ?」
そう返事を返しながら、僕は内心ドキッとしていた。
だってあの時、僕はそんな双葉さんに反発して、僕も思ってしまったんだから。
『そんなに僕と代わってみたいなら、代わってあげる』って。
そして、僕もこうも思ってた。『僕は双葉さんになりたい』って。
「その時ね、私、変な声が聞こえたのよ。『その望み、叶えよう』って」
「えっ?」
「あの時、私が振り返ったのは、その声が聞こえたからなのよ。
てっきり敏明くんが、私に何か言ったのかと思って、「何か言ったの?」って聞いちゃったけど、
でも、あの直後に、身体が入れ替わっちゃったから、今はそうじゃないって思っているけどね」
そんな所まで、僕の体験と一緒なの?
あの時、僕もその声を聞いた。
もしかしたら、僕たちの身体を入れ替えたのは、その声の主だったってこと?
僕は少し動揺した。
双葉さんは、僕のそのほんの少しの動揺を、見逃さなかった。
期待のこもった表情で、僕に問いただしてきた。
「敏明くん、もしかして何か知ってるの?」
「ううん、なんでもないよ。ちょっと不思議な話に、びっくりしただけだよ」
僕は咄嗟にごまかした。
あの時、僕も双葉さんと同じ、あの不思議な声を聞いた。
そしてあの時の僕は、ついカッとなって『双葉さんと代わりたい』『双葉さんになりたい』って、思ってしまった。
先に話題を振ったのは双葉さんだったけど、だからって、なんでそうまで思ってしまったのか、自分でもよくわからない。
そんな願望が僕にあったのかって、後で自分でも驚いているくらいだ。
だけど、そう思ったことを、双葉さんに、知られたくないって思ったんだ。
「そう、……でも何か気が付いたことがあったら、些細なことでもいいから教えてね。何かの手がかりになるかもしれない」
「うん、わかったよ」
そう返事を返しながら、ひとまずこの話題が誤魔化せそうで、ホッとした。
ホッとしながら、つい何気なく気になる点を聞いてみた。
「もしかして、双葉さんは、その頭の中に聞こえたっていう、不思議な声が怪しいって思っているの?」
「…………うん、私はそう思っている」
なぜだかこの瞬間、双葉さんが敏明の僕の顔で、僕を見つめる目がすっと細まり、僕に対する空気も、どこか張り詰めた真剣なものになった。
そんな空気の急変に、ドキッとして僕の緊張も高まった。
せっかく話を逸らしたのに、この話題を出したのは、やっぱりまずかったかな?
「こんなこと言っちゃったら、敏明くんは怒るかもしれないけど、でも言うね。
だから私は、今はこの状況を、めいっぱい楽しもうって思っている。
それでもし私たち二人とも満足できたら、またあの声が聞こえてきて、戻れるんじゃないかってね」
「満足できたらって、そんなあやふやな」
「そうね、あやふやね」
そう言いながら双葉さんは、敏明の表情を緩ませて苦笑した。
同時に、張り詰めた空気も緩んだ。
そんな双葉さんの、緩んだ雰囲気と表情に、僕もホッとした。
「でもね、今は他に手がかりはないし、元に戻れるあても保証もない。
ついさっき、突然身体が入れ替わったみたいに、突然元に戻る可能性もないとはいえないけど、それこそあてにはできない。
だったら、ほんのわずかでも、あやふやでも可能性があるのなら、そのあやふやな可能性にかけたほうが、希望が持てると思うのよ。
敏明くんはそう思わない?」
「う、うん」
「だからね、こうなったら敏明くんも、私に遠慮しないで、状況を楽しんでもいいよ」
「遠慮しないで、状況を楽しんでもいいって……」(汗)
「そうね、具体的には、その体を見たり触ったり、好きにしてもいいわよ」
「そんな事言われたって、やっぱり気が引けちゃうよ」(滝汗)
「だって、今の状況で、その身体を見たり触ったりするなって言うのは、どうしたって無理だもの、止めるだけ無駄よ。
だったらお互いにそこは割り切って、この状況を楽しまない損よ」
「それはそうかもしれないけど……」
双葉さんは、身体が入れ替わった直後もそうだったけど、こんなときの切り替えや行動が早かった。
僕はこんな状況で、何をどうすればいいのかわからなくて、そんな双葉さんの行動力に圧倒されていた。
何も決められないで、ぐずぐずしている僕よりも、双葉さんのほうが思い切りが良いって思った。
認めたくないけど、もしかしたら元の僕より、今の敏明な双葉さんのほうが、男らしいかもしれない。
この後僕たちは、今後の事を具体的に話し合った。
たとえば……。
「そういうことだから、今からはボクは敏明って名乗るから、そして、あなた…キミのことは双葉って呼ぶからね。あと言葉遣いも気をつけて」
「う、うん、わかったよふたばさ……」
「ちがう、ボクは敏明、キミは双葉!!」
「わかったよ、としあきくん!」
「言葉遣い!」
「わかったわよ!」
とまあ、元の身体に戻れるまでは、僕が双葉さんで、双葉さんが僕で、ぎくしゃくしながらも、今の外見に合わせて、お互いの立場を取り替えて生活することを確認しあった。
そして、その入れ替わり生活のために、お互いに協力しあうことも確認しあった。
「双葉の事は、おおまかな情報はそのレポート用紙に書いておいたけど、わからないことがあったら、後でまた質問してね」
「うん、僕…わたしの方も、こっちのレポート用紙に書いてみたけど、ちょっと上手く書けなくて、わかりにくくてごめん」
「いいよ、その辺はアドリブでやるから。どうしてもわからないことは、ボクも後で確認するから。
あとそうだ……今回の入れ替わりのことで、何か手がかりわかったら、些細なことでもいいから、教えてね」
そう言って、『敏明』はにっこり笑った。その笑顔に、僕はプレッシャーを感じた。
「う、うん、わかってる…わよ」
どうにか生返事は返して、この場は流した。
だけど、僕は気づいていなかった。
この時点で、僕と双葉さ……いや敏明との間に、小さなすれ違いが生じていることに。
そのすれ違いが、僕たち二人の間に、やがて大きな亀裂を作っていくことに。
「それじゃ、ボクは、敏明の家に帰るね」
「うん、それじゃわたしも、双葉の家に帰るわね」
「さようなら双葉さん、また明日」
「さようなら、……としあきくん」
こうして双葉さんは、、いや敏明は、敏明の家へと帰っていった。
僕も、ついさっきまでは男の敏明だったのに、今は女子の双葉さんとして、双葉さんの家へと帰った。
そしてこの日のこの時から、僕の双葉さんとしての生活がはじまったんだ。
そして、僕たちの身体が入れ替わった翌日の放課後、
学校から少し離れた人気のない神社の敷地で、先に来ていた僕は、待ち合わせの人を待っていた。
「遅くなってごめん、待った?」
「うん、少しね」
僕より少し遅れてやって来たのは『敏明』だ。
入れ替わりの後の、お互いの近況報告や、今後の相談をするために、こうして直接会って話をする約束をしていたんだ。
え、同じ学校の同じクラスなんだから、こんな所でこそこそ会わないで、そこで直接話をすれば良いんじゃないかって?
入れ替わる前の僕たち、『敏明』と『双葉』は、同じクラスのクラスメイトという以外、それまでほとんど接点がなかった。
教室で顔を合わせたら、挨拶くらいはするし、短い会話くらいならできるかもしれない。
だけど、込み入った長い話なんてしていたら、変に目だって周りに余計な誤解をまねいてしまうかもしれない。
それに、僕たちの身体が入れ替わっているなんて話を、教室で堂々とするわけにもいかない。
そういう訳で、こうして人気のない所で、こっそり会って話をすることになったんだ。
この時、誰かが敏明の後をつけてきていて、少しだけ僕たちの様子を見た後、そのまま何もせずに立ち去っていたんだけど、僕たちがその誰かに気が付くことはなかった
「双葉としての、今日の学校での一日はどうだった?」
「なんとか無事にこなせた。でも若葉ちゃんや、他の双葉さんの友達に、正体が怪しまれないかって緊張したし、なんかいつもよりどっと疲れた」
「ご苦労様。ボクのほうも、初日にしては上手くいったかな? 緊張もしたけど、いつもと違う生活は、新鮮で面白かった」
「面白かったって……、わたしはそんな余裕はなかったよ!
さっきも言ったけど、若葉ちゃんたちに、正体が怪しまれないかってずっとひやひやしていたんだよ!
でもそれ以上に、なんだよあれ、太刀葉さんたちの嫌がらせ! いつもああなの?」
「……やっぱり嫌がらせ受けたんだ。一応、レポート用紙にも書いて警告はしておいたんだけど、見てなかった?」
「レポートは見てたけど、それでも太刀葉さんたちが、あんな陰湿だとは思わなかったよ!」
「あはは、あいつら男子の前では、猫かぶってるからね。知らなくてもしかたがないか」
猫をかぶっていた、ってことに関しては、双葉さんも人の事は言えない。
いや、後で実感したのは、ほとんどの女子が、猫をかぶっているってことだった。
そして僕も、女子の生活に慣れていくうちに、段々猫のかぶりかたを覚えていくことになるんだけれど。
それはともかく、うちのクラスの美少女ナンバーワンは誰か? と問われれば、双葉さんと太刀葉さんの名前が挙がる。
そして太刀葉さん、ううん太刀葉は、そんな双葉さんのことが気に入らなくて、取り巻きも使って、こっそり嫌がらせをしていたんだ。
昨日の放課後に、本当なら手伝いに来るはずだった他の女子が来なかったのも、双葉への嫌がらせのために、太刀葉が手を回したからだったんだ。
結果的に太刀葉は、僕が双葉さんと入れ替わる切っ掛けを、間接的に作ってくれた。
そして双葉になった僕に、いきなり女の嫌な所を見せてくれたんだ。
正直な話、双葉さんの身体の体力や運動能力の無さよりも、こういう女子の人間関係のほうが面倒で厄介だなと思った。
幸い、双葉さんも友人が多く、本人もメンタルは強かったので、太刀葉たちの嫌がらせに、今までは対応できていたみたいだ。
僕のほうも、今日は太刀葉たちに嫌がらせをされた時、すぐ側に若葉ちゃんがいて助けてくれたので、戸惑いながらもどうにか対応できたんだ。
「とにかく、太刀葉たちの嫌がらせに、弱気になっちゃダメだよ。弱いと見たらあいつら付け込んで来るから」
「……うまくやれる自信なんてないよ」
そうは言われても、つい弱気になってしまう。
「双葉は一人じゃない。仲の良い若葉や他の子も助けてくれるし、いざとなったらボクも助けるから。だから弱気にならないで」
「……うん、わかってる。実際今日は若葉ちゃんのおかげでなんとかなったし、がんばってみるよ。弱気になってごめん」
「こっちこそ、あなたにこんな面倒ごとを、押し付けちゃってごめんね」
この後僕は敏明から、太刀葉たちの嫌がらせに対しての、ケースごとの対処法を伝授された。
あとはそれらを応用して、臨機応変に対処するように、と言われたのだった。
落ち着いた所で、ふと思い出す。
そういえば、ずっと昔に、こんなことがあったような気がする。いつだったっけ?
ああそうだ、小学生の低学年の頃は、僕は身体が小さくて弱くて、気持ちも弱気で、よくいじめられていたんだっけ。
今では敏明の身体は成長して、ある程度大きく強くなって、いじめられるなんて考えもしない状況になった。
だけどあの頃の僕は、どうやっていじめられっ子の状態から、抜け出したんだっけか?
僕は一人の、腕白な男の子の顔を思い出した。
そして、その男の子の顔が成長して、僕のよく知ってる男子の顔になった。
清彦?
そうだった、あの時は清彦が、僕を助けてくれたんだった。
あの件がきっかけで、清彦と仲良くなって、よくつるむようになったんだっけ。
もし今この場に清彦がいたら、今でも僕を助けてくれるだろうか?
などと、色々と思い出しかけていたその時、敏明がニヤリと笑って、不意打ちのように話題を変えた。
「ところで双葉ちゃん、その身体の具合はどうだった?」
「ぐ、具合はどうって?」
「またまたとぼけちゃって、したんでしょ、オナニー」
ぶっ!!
さすがに噴き出した。
「し、してないよ! そんな……、オナニーだなんて」
双葉さんの身体は、今は僕の身体だ。
僕自身の今の身体を、まったく見たり触ったりしないってわけにはいかない。
この身体で着替えもしたし、トイレにも行ったし、お風呂にも入った。
でもオナニーは、仕方がないから、なんて言い訳はきかない。
さすがにその一線は、越えていなかった。
「赤くなっちゃってかわいい」
「あ、赤くもなるよ」
かわいいと言われた部分には、あえて触れなかった。
「それはともかく、男子は女の子の性には、興味津々だと思っていたんだけど」
「きょ、興味はあったよ。だけど、さすがにそれはまずいでしょ!」
「ボクの身体って、そんなに魅力がない?」
「魅力がないって、そんなことないよ! すごく綺麗だし、すごく魅力的な身体だったよ!」
特に、おっぱいが意外に大きくて形も良くて、なんかこうぐっとくるものがあった。
だけどだからって、この身体で、好き勝手にオナニーをしてもいいって理由にはならないと思う。
「あなたってへたれ、……優しいんだね」
「……ちょっとぐさっときた」
「でも、遠慮しなくてもいいんだよ。昨日も状況を楽しめばいいって言ったでしょ。
それに、ボクも昨日、この身体でしちゃったしね、オナニー」
「えっ? えええっ!?」
僕の方がヘタレ、いや遠慮してるのに、敏明、いや女子だった双葉さんのほうが積極的って、それってどうなんだよ!
とまあ、そんな調子で今日の話し合いが終わり、敏明と別れた後、僕は双葉さんの家に帰ってきた。
そして双葉さんの部屋に戻って、部屋着に着替えるために、制服を脱ぎ始めた。
邪魔するものは何もなく、僕はたちまち下着姿になった。
そして姿見の鏡に、今の自分の姿を映し出して見た。
昨日まで、いやついさっきまでは、元の双葉さんに遠慮して、あまりじっくり見ないようにしていた。
でも今は、少し思う所があって、僕は鏡に映る今の自分の姿を、じっくり見ていた。
ストレートなさらさらの髪は綺麗で、色白で整った顔立ちの美少女で、
身体つきはスレンダーで、なのに胸は意外に大きくて、意外にスタイルは良いように感じた。
もっとこの身体をよく見てみたい。大事な部分を隠す下着が邪魔だな。
僕は、わずかに身に着けていた下着を脱ぎ捨てて、何も身に纏わない生まれたままの姿になった。
「これ、今は僕のからだ、なんだよね、……綺麗だ」
今は自分の身体なのに、つい見とれてしまった。
なんだかぞくぞくしてきた。
見とれているうちに、段々この身体を、僕の好き勝手にしたい、そんな男の欲望がわいてきた。
同時に、今のこの身体は女だけど、僕の意識はまだ男なんだと、変な安心感も感じていた。
「なんだよ、双葉さんたら、僕の身体でオナニーしちゃったなんて言って、おまけに僕がヘタレだって?
好き勝手なこと言って、好き勝手なことしちゃって、そっちがその気ならこっちだって」
僕は双葉さんのベッドにそっと横になり、そしてそのまま、今の自分の身体を、弄びはじめたのだった。
そして、僕たちの身体が入れ替わった、さらに数日後、
今日は双葉さんの身体になってから、初めての体育の授業だった。
体操服に着替えるために、僕はクラスの女子と一緒に、女子更衣室に移動していた。
女子更衣室で、他の女子と一緒に着替え。
少しドキドキする。
今の僕なら、合法的に女子の生着替えの見放題、男なら憧れるシチュエーションだ。
そのはずなんだけど……、覗きをしているみたいで、なんだかやっぱり気まずいって気分になってきた。
双葉さんの家などで、この身体で一人で着替えるのには慣れてきたけど、他の女の子たちと一緒に着替えるのは初めてで、つい気後れしていたんだ。
元の双葉さんが、先日僕の事をへたれって言ったけど、これじゃ本当にへたれだよな。
そんな僕の側に、若葉ちゃんが心配そうに寄って来た。
「どうしたの双葉ちゃん、なんで今日はそんな隅っこで、一人で着替えてるの?」
「え、別になんでもないよ。今日はなんとなく一人で着替えたかっただけだよ」
「そうなんだ、いつもは私と一緒に着替えていたのに、避けられているのかなって
「え、ご、ごめん、そんなつもりじゃなくて……」
まずい、そういえば双葉さんと入れ替わってからは、若葉ちゃんと一緒にいることが多かった。
そんなつもりは無くても、その若葉ちゃんを避けてどうするんだよ。
「最近の双葉ちゃん、様子がおかしいから、なんだか心配で……」
「ごめん、若葉ちゃんに心配かけて……一緒に着替えよう」
「……うん」
そんな調子で多少へたれながらも、女子更衣室での初の生着替えというミッションを、どうにかクリアしたのだった。
今日の体育の授業は、男子はバスケットボール、女子はバレーボール、男女とも体育館での授業だった。
今日のバレーの授業は試合の予定らしいが、その前にまずは柔軟体操、僕は若葉ちゃんと組んで、ストレッチを始めた。
双葉さんの身体は、意外に柔らかかった。
敏明は男子としては身体が柔らかいほうだったけど、それよりもこの身体は柔らかくて、よく曲がった。
コンビを組んだ、若葉ちゃんの身体も柔らかくて良く曲がった。
でも、それ以上に気になったのは、若葉ちゃんの身体を押してる時の手の感触も、柔らかで触り心地が良かった。
この数日でわかっていたことなのに、改めて女の子って、柔らかいんだなって思った。
なんだかドキドキした。
ごめんよ若葉ちゃん、悪気があって、こんなことしてるわけじゃないだからね。
ストレッチが終わった後、今度はバレーボールを使ってのラリーをした。
ここで、双葉の運動能力の無さがもろに出た。
この身体が思ったより反応しない、まともにボールが打ち返せない。
この身体は体力が無い、運動能力が悪い、ということはこの数日でわかっていたつもりだったけど、思っていた以上に動けなかったんだ。
そして、対戦形式で、バレーボールの試合が始まった。
チーム分けのとき、人数の関係で何人かあぶれてしまう。
こういうとき、運動音痴の双葉さんは、見学に回るのがお約束ならしい。
そんな訳で、僕はあぶれてしまった。それは全然かまわない。
試合に出たら疲れるし、それにどうせ今の僕が試合に出ても、周りの足を引っ張るのは目に見えているのだから。
だけど、双葉さんと入れ替わってから、わりといつも僕の隣にいた若葉ちゃんも、今は隣にいない。
女子の中では、小柄だけどわりと運動の得意な若葉ちゃんは、双葉とは逆に引っ張りだこで、見学に回ることはありえない。
今回は、わりと双葉さんと親しい他の女子も、試合のほうに参加していた。
なので、今の僕は、隅っこのほうに体育座り座りながら、バレーの試合を見学していた。
小柄な若葉ちゃんは、エース級の活躍をするタイプじゃない。
だけど、こまめに素早く反応して、相手ボールをレシーブしたり、周りのフォローをしたり、縁の下の力持ちって感じで活躍していた。
「若葉ちゃん、さすがだな」って思いながら、ここ数日で親しくなった、若葉ちゃんの活躍を見ながら、僕は最初は喜んでいた。
だけど、ふと気づいてしまった。
その若葉ちゃんが僕の隣にいないことで、女子の集団の中で、僕という異物が、ぽつんと一人で孤立していることに。
なんで僕は、一人でこんな所に居るの?
なんでこんなに寂しいの?
僕は急に孤独を感じ始めた。
僕の目の前では、女子がバレーの試合をしていて、若葉ちゃんも活躍しているのに、もう僕の目には入ってこなかった。
ふと、男子のほうを見た。
男子はバスケの試合をしていた。
ちょうど敏明が、シュートを決めた所だった。
その直後、敏明が清彦に、何か得意げに話しかけていた。
そんな敏明を、清彦はどうどう、って感じで、軽くあしらっていた。
清彦とは、ここ数日まともに話をしていないけど、そういうところは相変わらずだなって思った。
そしてその清彦の隣に、敏明が当たり前のように立っていて、当たり前のように話しかけている。
そんな敏明が羨ましい、妬ましい、僕の心の中に、急にそんな感情が沸きあがった。
『本当なら、僕が敏明だったのに、あそこにいて、あの隣に立っていたのは、本当なら僕だったのに!』
僕は今の敏明に対して強い嫉妬を感じて、そして同時に、激しく後悔もしていた。
なぜ入れ替わったあの時に、双葉さんが羨ましい、双葉さんと換わりたい、なんて思ってしまったんだろう?
わからない、わからないけど、あの時に戻れるなら戻ってやり直したい。
戻りたい、本当なら僕の場所だった、あの場所へ。
そう思ったその時、清彦がこっちを見た。
一瞬、僕と清彦と視線が合った
「あっ」
僕の胸の奥の鼓動が、なぜだかドキッと跳ね上がった。
理由はわからないけど、清彦に今の僕の姿を見られて、なぜだか恥ずかしい。
僕は慌てて、清彦から視線を逸らしていた。
なんだろう、今の感じは?
僕は恐る恐る、また視線を清彦のほうに戻して見た。
試合に戻っていた清彦は、もう僕を見てはいなかった。
僕はなぜだかがっかりした。なんでだろう?
僕はこの後、体育の授業が終わるまで、なぜだか清彦のことばかり考えていたのだった。
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体育の授業の日から、さらに数日後、うちのクラスにある噂が広がり、その噂話でもちきりだった。
それは、『敏明と双葉さんが、裏でこっそり付き合っている』というものだった。
どうやら僕と敏明(元双葉)が、こっそり会っている所を、誰かに見られていたらしい。
誰にも見つからないように、こっそり会っていたつもりだったけど、短期間のうちに何度も会っていたから、やっぱり見つかってしまったんだな。
そして、その噂話を信じた、わりと双葉さんと親しい女子数名が、僕のところに押しかけてきた。
「ねえねえ双葉、それで実際の所はどうなの?」
「どうって?」
「またまた、とぼけちゃって、敏明くんと付き合ってるんでしょう?」
みんな興味津々って表情で、僕の返事を待っていた。
はあ、女の子って、どうして他人の恋話に、こんなにも興味をもつんだろうだろうね。
他人事ならまだいいけど、今の僕は当事者なんだよな。
この様子だと、下手なことを言ったら、かえっておかしなことになりそうだし、うやむやになんて出来ないだろうな。
なので、きっぱりはっきり言った。
「わたしは、敏明くんとは、お付き合いはしていないわよ」
「敏明くんとは付き合っていないって、本当に?」
「本当よ!」
とにかく今は、噂話を全否定することにした。
この噂話が広がったのは突然で、僕は今の敏明と打ち合わせをする余裕が無かったけど、多分敏明も、今頃この噂を否定しているだろう。
今の敏明とは短い付き合いだけど、なんとなく彼なら、この噂を否定しているだろうなって思うのだ。
この噂話の件で、後で敏明と打ち合わせをする必要はあるだろうけど、ひとまずこの方向で行くことにする。
噂好きの女の子たちは、まだ納得いかないって顔をしていたけれど、一旦引き下がってくれた。
僕はひとまずほっとした。
と、思っていたら、一人だけ、引き下がってくれなかった。
「それで、双葉ちゃん、本当の所はどうなの?」
食い下がってきたのは、若葉ちゃんだった。
若葉ちゃんは、他の女子のように興味本位って感じではなく、表情もいつになく真剣だった。
これは、いい加減な返事はできない。
「今も言ったけど、わたしは敏明くんとは、付き合ってはいないわよ」
そう返事を返しながら、こっそりメモを書いて、若葉ちゃんに手渡した
『その話は後で、他に人のいない所で』
こんな他に人のいる所(教室)で、込み入った話なんてできないからね。
「そう、そうだよね、へんなことを聞いてごめんね双葉ちゃん」
若葉ちゃんは、さっとメモに目を通して、こっそりスカートのポケットに押し込んだ。
「じゃあ、また後でね」
それだけ言い残して、ひとまず自分の席へ戻っていったのだった。
……これで若葉ちゃんには、後で話をしておかないとな。どこまで話そう?
双葉さんと入れ替わる直前での会話で、双葉さんは言っていた。
若葉から敏明くんは運動が得意だって聞いていたと。
そして、僕が双葉さんと入れ替わって、双葉さんとして若葉ちゃんに接するようになると、
たまに若葉ちゃんとの会話に、敏明の話題が登場することがあった。
たとえば、この前の体育の授業の直後にも、若葉ちゃんが敏明のことを話題にしていた。
「ねえ、双葉ちゃんは男子の授業のバスケの試合見ていた?」
「うん、ちょっとだけだけど、それがどうしたの?」
「敏明くんのシュートすごかったね。私、つい見とれちゃった」
「……たしかにすごかったけど、あの時は若葉も試合中だったでしょ!」
「あ、あの時は、相手がサーブを打つ前で、ちょうど試合が止まっていたタイミングだったのよ!」
まあ確かに、バレーボールの試合はターン制だし、そういう間ができることはあるけどさ、目の前の試合より、隣のコートの男子を気にしてるってどうなんだろう?
それはともかく、そんな感じで若葉ちゃんは、熱っぽく敏明の話しをしていたっけ。
「敏明くんは、いつもかっこいいけど、さっきの試合の敏明くんは、なんだかいつもよりかっこよかった」
なんて言いながら、表情を綻ばせていた。
いつもの僕よりかっこいいって、どういうことだよ!
たしかに適度に手を抜いていたいつもの僕より、あの時の敏明のほうが真剣に試合をやっていて、活躍もしていたけどさ。
まあ、それもともかく、そんな若葉ちゃんの様子を見ていたら、いくら色恋沙汰に鈍い僕でも嫌でもわかる。
若葉ちゃんは、敏明の事が好きなんだなって。
若葉ちゃんは、今、目の前にいる友人の双葉が、実はその中身の僕が、その敏明だなんて知らない。
だからそうとは知らないで、自分の素直な気持ちを、僕にさらけだしていた。
こんな形で、僕が若葉ちゃんの気持ちを知ってしまうなんて、なんだか反則だよな。
「でも、……私なんかじゃ、敏明くんとは釣り合いがとれないよね」
「そんなことないわよ! ぼくっ、じゃない、……敏明くんも、若葉ちゃんみたいな子と一緒にいたら楽しいし、きっと好きになるわよ!」
「……そうかな?」
「そうよ、だから若葉ちゃんは、もっと自分に自信を持っていいのよ!」
「……うん、そうだね、ありがとう双葉」
若葉ちゃんは、僕が双葉さんになってから、一番お世話になって、一番親しくなった女の子だ。
この短い間に、僕はすっかり若葉ちゃんのことが好きになっていた。
いや、僕が双葉さんとしてではなく、敏明として出会っていても、きっとこの子のことが好きになっていただろう。
あ、でも、僕が若葉ちゃんと親しくなったって言うのも変かな?
だって、僕が双葉さんになるずっと前に、双葉さんと若葉ちゃんが小学生の時から、二人はずっと仲良しだったっていう話なんだから。
「わたしは、幼い頃は今より身体が病弱だったの。そのせいで運動が苦手だったし体力もなくて、いつも苦労していたの。そんなわたしを、若葉ちゃんはいつも助けてくれていたの」
以前、僕と入れ替わった直後の元双葉さんは、若葉ちゃんのことを、そんな風に語っていた。
そして、そんな若葉ちゃんが好きなんだと言っていた。
その時の敏明の口調や表情は珍しく熱っぽくて、元双葉さんにとって、若葉ちゃんは特別な存在なんだなって感じた。
そして双葉さんになった僕も、実際に若葉ちゃんに会ってみて、その後も若葉ちゃんに色々助けられたりして、双葉さんが若葉ちゃんのことが好きだっていう理由がよくわかったんだ。
もしこの件で、そんな若葉ちゃんとの仲がこじれてしまったら、敏明(になった双葉)から、きっと恨まれるだろうな。
いや、僕自身、せっかく仲良くなった若葉ちゃんとは、疎遠になりたくない。
だから、若葉ちゃんにはいい加減な話はしないで、ある程度本当の事を言わなくちゃって思う。
でも本当に、どこまで話せばいいんだろう?
まさか、僕と双葉さんの身体が入れ替わってる。って話までするわけにもいかないだろうし。
「あれ、スマホに着信が来てる。……敏明から!」
僕と敏明は、放課後などにこっそり会って、お互いの現状報告をしたり、情報交換やアドバイスをしていた。
だけど僕たちは、表向きは付き合っていないことになっているから、こういう非常時に、堂々と直接会って話をすることが難しい。
なので、スマホの電話番号、ライン、メールアドレスなどの交換などもしていた。
敏明からのメールの内容は、簡単に言えば敏明の現状の報告だった。
そして、「オレは双葉と付き合っていない」と、例の噂を否定したから、その口裏あわせをするようにという内容だった。
やっぱり敏明も、例の噂を否定したんだ。
僕は双葉側の今の状況を、簡単にメールにまとめて打ち込んだ。ここでふと思う。
「……若葉ちゃんのことも、知らせておくべきなんだろうね」
ついさっきも思ったことだけど、この件で若葉ちゃんとの仲がこじれたら、敏明に恨まれるだろう。
いや、若葉ちゃんとの仲がこじれなくても、僕が若葉ちゃんに、今回の噂の裏の事情を勝手に伝えたら、後で敏明に文句をいわれるような気がする。
ここはひとこと断っておこう。
メールを返信するまえに、少し内容を追加したのだった。
そして放課後になった。
「それじゃ双葉ちゃん、私は、先に資料室に行ってるね」
「うん、もう少ししたら、私も行くね」
敏明との噂の件については、放課後に人気の無い資料室で、こっそり話す約束をしていた。
まず先に、若葉ちゃんが一人で、資料室へと向かった。
時間差をつけて、僕は若葉ちゃんより少し遅れて資料室へ行って、そこで若葉ちゃんと合流する手はずになっていた。
「十分ほど経った、そろそろいいかな」
僕は資料室へと向かった。
資料室の周りに誰もいないことを確認してから、そっとドアを開けて中に滑り込んだ。
資料室の中には、先に来ていた若葉ちゃんと、……敏明が待っていた。
若葉ちゃんは、僕と敏明の顔を交互に見比べて、困惑の表情を浮かべながら声を上げた。
「双葉ちゃん、敏明くんの話って本当なの?
ここにいる敏明くんが、今は中身は双葉ちゃんで、
双葉ちゃん、あなたが本当は敏明くんだったって、本当に本当なの!」
敏明からの例のメールに返信したあと、またすぐに敏明から返信がきた。
『若葉は例の噂話について、なんて言っていたの?』
若葉ちゃんとの会話の詳細を求める内容と、そして、
『若葉への状況説明は、ボクからしたい』
と希望する内容だった。
そりゃまあ、元の双葉さんが、双葉さんと若葉ちゃんとの関係を気にするのはわかる。
だけど、今は敏明になっている元双葉さんが、この状況で若葉ちゃんに直接会って言い訳なんてしたら、余計に関係を疑われて、おかしなことにならないだろうか?
やんわりと指摘して、しぶったんだけど、
『そこはボクのほうから、若葉にうまく説明するから』
そんな訳で、今の敏明に押し切られる形で、その後の何度かのメールでの打ち合わせを経て、二人が直接会って話をする舞台のセッティングをした。
機会を作ったんだけど……。
「ちょ、ちょっと待ってよ敏明くん! いや双葉さん!
もしかして、入れ替わりの事も、若葉ちゃんに全部ぶっちゃけちゃったの?」
「あはは、ごめん、ついうっかり」
僕の悲鳴交じりの追及に、敏明はあっけらかんとしていた。
なにがついうっかりだよ、これは絶対確信犯だ。
若葉ちゃんは、僕がここに来るまでの間に、敏明から僕たちが入れ替わった経緯と、その後の説明を聞いていた。
「敏明くんの話が本当なのかどうか、『双葉』ちゃんからも話が聞きたい」
「本当も何も、今話した通りだよ……」
「今は『敏明』くんには聞いていない。私は今は双葉ちゃんに聞いているの!」
「……はい」
若葉ちゃん、ちょっとばかりオコだった。
口を出しかけた敏明は、若葉ちゃんの剣幕に、しゅんとなっておとなしくなった。
そんなわけで、若葉ちゃんは、今の所は、僕の事を双葉さんとして扱いながら、僕からの説明も求めた。
こうなったら仕方が無い。観念して僕は入れ替わったあの日から、今までの事を若葉ちゃんに話し始めたのだった。
「ねえ、『敏明』くん!」
「は、はいっ!」
僕の話を聞き終わった若葉ちゃんは、今度は怒りをおさえた声で、僕の事を『敏明』くんと呼んだ。
若葉ちゃんは、今の僕の中身が、敏明なんだって認めてくれたってことなんだけど、それを嬉しいって思うより、隠し事がばれて気まずいって気分が強かった。
緊張感が高まる。
「それって、敏明くんは、双葉ちゃんになりすまして、ずっと私の側にいたってことだよね?
一緒に着替えをしていた時に、私の恥ずかしい所も、敏明くんに見られちゃったってことだよね?」
「ご、ごめんなさい、そんなつもりは、……悪気があったわけじゃないんです」
「でも、それ以上に、何も知らない私は、自分の気持ちを敏明くんに、べらべらしゃべっちゃったってことだよね」
若葉ちゃんは、最後は怒りを通り越して、鳴きそうな声で、そして涙目だった。
「本当にごめんなさい!」
僕としては、今は若葉ちゃんに、謝ることしかできなかったんだ。
「もういいわよ、敏明くんが悪い人じゃないことはないことは、ここ数日双葉ちゃんになった敏明くんと一緒にいて、よくわかったから。……まだちょっと恥ずかしいけど」
「ごめんなさい」
「だから、ごめんなさいはもういいから、この件でのごめんなさいは禁止! いいわね!」
「……はい」
若葉ちゃんは、まだ少し表情や口調はきつかったけど、僕を許してくれたのはわかってホッとした。
そして、僕との会話は一旦区切って、今度は敏明と向き直った。
「敏明くんのことは、もう仕方がないって思うけど、私、双葉ちゃんにはまだ怒っているんだよ、なんでだかわかる?」
「え、えーっと、入れ替わりの事を、若葉ちゃんに内緒にしていたから、……かな?」
「そうよ、わかってるじゃない! こんな大事なことを私に内緒にして、私のことを除け者にして、私ってそんなに信用できなかったの?」
「そ、そんなつもりはなかったわよ、事が事だから、若葉ちゃんにも簡単には話せなかったのよ」
若葉ちゃんに強い調子で責められて、さすがの敏明もしどろもどろで、防戦一方だった。
最初はどうにか言い訳をしていたけれど、そのうち若葉ちゃんに、「ごめんなさい」と謝り倒していた。
若葉ちゃんは普段は優しいんだけれど、怒ると怖いんだなと、思い知らされた。
それでも、僕も敏明も、若葉ちゃんにどうにか許してもらえた。
「最近、双葉ちゃんの様子がおかしいとは思っていたわ。でも、まさか中身が入れ替わってるなんて、思っていなかったわ」
「でしょ、だから若葉ちゃんには悪かったと思っているけど、そう簡単には話せなかったのよ」
「……もう、調子がいいんだから。見た目は敏明くんなのに、そういうところは双葉ちゃんなのね」
「あは、やっぱり若葉ちゃんは、姿形が変わっても、私が双葉だってわかってくれるんだ」
「付き合いが長いからね、でもだからって、あまり調子に乗らないで!」
最初は手探りで、ぎこちなかった二人の会話は、段々かみ合ってきた。
並んだ二人の見た目は、敏明と若葉ちゃんなのに、僕には二人が長年の友人みたいに見えた。
敏明と掛け合いをしている若葉ちゃんが、なんだか生き生きしていた。
僕がこんな生き生きしている若葉ちゃんを見るのは、初めてかもしれない。
そういえば、僕と一緒にいるときの若葉ちゃんは、どこか僕に気を使っていたっけ。
僕の反応が悪かったから、調子が悪いと思われていたらしいけど、薄々おかしいと気づかれていたのかもしれない。
そんな二人を見ていたら、正直羨ましいって思った。
僕にもこんな風に、今の僕のことをわかってくれる人がいるのだろうか?
もし、今の僕を敏明だとわかってくれる人がいるとすれば、それはきっと……。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そしてその翌朝、家が近所の若葉ちゃんが、双葉さんの家まで僕を迎えに来た。
「おはよう双葉……ちゃん」
「おはよう若葉さん」
昨日の今日で、なんだかお互いに気まずかった。
若葉ちゃんは、今の僕との距離感を計りかねて、戸惑っているように見えた。
と思っていたら、僕に急に頭を下げてきた。
「き、昨日はごめんなさい! ついかっとなっちゃって、敏明くんにはきついことを言っちゃって!」
「若葉さん、頭を上げてよ、そのことで謝らなくてもいいよ!
双葉さんのフリをして、結果的に若葉さんをだましていた僕も悪かったんだからさ」
「で、でも……」
昨日の怒った若葉ちゃんは怖かった。
普段あまり怒らない人が、本気で怒ったら怖いって本当だったんだなって思った。
だけど今朝の若葉ちゃんは、すっかり冷静さが戻っていて、昨日の事で申し訳なさそうだった。
「もし若葉さんが良かったら、僕が元の僕に戻れるまで、これまでみたいに僕を助けて欲しい。ダメかな?」
「え、う、うん、いいよ、そんなことくらいでよければ、というよりそんなの当たり前のことだよ」
そんな調子で、僕と若葉ちゃんは、改めて協力関係を築いていくことになった。
そして若葉ちゃんは、僕たちが元の身体に戻れるまで、双葉さんになった僕の面倒を見てくれることになった。
「そういうわけだから、あらためてよろしくね、敏明くん、ううん双葉ちゃん」
「はい、よろしくおねがいします、若葉さん」
「違うわよ、若葉ちゃん、でしょ、急に呼び方を変えたら、まわりに変に思われちゃうでしょう?
それに、私と双葉ちゃんの間で、その言い方じゃ、なんだか他人行儀よ」
「それはそうなんですけど、……わかったよ、若葉ちゃん」
「うん、双葉ちゃん」
そして僕たちは、そのまま一緒に学校へ登校することになった。
ついさっきまでの重苦しい雰囲気はすっかり晴れて、今の僕たちの通学路での足取りも口調も軽かった。
「今の双葉ちゃんには、もうばれちゃったけど、私は前から敏明くんと、仲良くなりたかったんだ」
「えーっと、……ずるしてごめん」
「何度も謝ってもらっているし、このことでもう謝らなくてもいいわよ」
「でも、結果的に、僕は若葉ちゃんを騙していたわけだし」
「だからこのことはもういいわよ、それこそ不可抗力だったんだし、それに……」
(結果的に、こうして敏明くんと、仲良くなれるきっかけになったんだし)
「それに、何か?」
「な、なんでもないわよ!」
僕の問いかけに、若葉ちゃんの顔は、なぜか赤くなっていた。
「そ、そうだ、不慣れな女の子の生活、今まで大変だったんでしょう?」
「まあね、最初は大変だったけど、でも最近は、少し慣れてきたよ。それに」
「それに?」
「僕が困っている時は、いつも若葉ちゃんが助けてくれていたから、すごく助かっていたよ、ありがとうね」
「も、もう、なんで真顔でそんな風に言えるのよ」
「なんでって、思った通りのことを言っただけだよ」
「……敏明くんて、天然の……だったのね」
若葉ちゃんは、なぜかまた赤くなっていた。
「でも私に言わせれば、今の双葉ちゃんはまだまだだよ。たまに普通の女の子なら見せないような隙をみせてるし」
「そ、そうなの?」
「そうだよ、元の双葉ちゃんだったら、逆に隙なんて見せなかったわよ。
だから最近の双葉ちゃんは様子が変だなって、思ってたんだよ。
まさか中身が敏明くんと入れ替わってるなんて、思ってもいなかったけどね」
「あはは……」
そんな訳で、僕と双葉さんとの入れ替わりの秘密を共有した若葉ちゃんは、秘密を知る前よりも親身になって、僕の世話を焼いてくるようになった。
僕に遠慮しなくなった若葉ちゃんは、僕に色々とダメ出しもするようにもなった。
でも遠慮の無い若葉ちゃんの指導のおかげで、僕の女の子としてのスキルは、急速に上達していった。
そして正体がばれる前よりも、僕は若葉ちゃんと仲良くなっていったんだ。
逆に敏明、元の双葉さんとは、今は距離をとっていて、やや疎遠になっていた。
例の噂を打ち消すために、あれから僕たちは、直接会うことを避けていたからだった。
僕たちが入れ替わってから、お互いの生活に慣れる時間はあったから、今は直接会わなくても、どうにか今の身体の立場での生活ができるようにはなっていたんだ。
些細な事なら自分で判断できるし、電話やメールでも連絡できる。
あるいは、僕たちの事情を知った若葉さんが、僕たちの間を取り持ってくれたりもした。
だから、このまま入れ替わり生活を続けたとしても、不自由はしなくなっていたんだ。
あれ、でもこのままお互いに会わない生活を続けたら、元の身体に戻る機会もなくて、このまま入れ替わりが固定されない?
ちょっとだけ、このままじゃまずいような気がしてきた。
いや、もうしばらくの間だけだ。
今は若葉さんも協力してくれているんだし、例の噂が沈静化して、ほとぼりが醒めた頃に、また直接会って今後のことを話し合えばいいんだ。
それまでは、周りに怪しまれないように、双葉さんらしくふるまいながら、おとなしくしていよう。
この時は、そう思っていたんだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そうこうしているうちに、僕と双葉さんの身体が入れ替わってから、そろそろ一ヶ月が経とうとしていた。
「もうすぐ中間テストだよね、双葉ちゃん、今度のテストは大丈夫?」
「ある程度は出来ると思う。だけど元の双葉さんのように、いきなり成績上位は難しいかも……」
「……だよね」
うちの学校では、テストの成績が三十位以上の上位の者の、順位と総合点が廊下に張り出されて、発表されることになっていた。
それの何が問題なのか?
元の双葉さんは、三十位どころか、常に上位一桁の成績優秀者だった。
そして僕は、いつもは中の上くらいの成績で、決して勉強ができないわけじゃないけれど、そういう成績上位者の順位発表とは無縁だった。
その差は大きい。そんな僕が、元の双葉さんのように、今度のテストで上位の成績が出せるだろうか?
いや実は、今の僕は、勉強自体は絶好調だった。
敏明だった時に比べて、今の僕は頭の回転が速くて、記憶力も抜群だった。
授業を受けていて、あるいは自宅で自習をしていて、敏明だったときは手こずっていた内容が、するすると頭の中に入っていくのがよくわかるんだ。
頭のいい人って、こんな感じで内容を理解できるんだ。ってことを、この身で実感していた。
「何でだろう? そうか、脳ミソの出来が、敏明と双葉さんとでは違うんだ」
敏明の脳ミソが、普通のスペックのPCだとしたら、双葉さんの脳ミソは、処理速度が速くて高容量の高スペックのPCなんだ。
双葉さんと入れ替わったことで、僕は双葉さんの身体の体力の無さと、運動音痴を引き継いだ。
ちょっと悔しかった。
だけど、それとは逆に、僕は双葉さんの頭のよさを引き継いでいた。
敏明だった時より勉強が出来るようになり、最近は授業を受けるのが、敏明だった時より楽しくなってきていた。
だから、勉強の時間さえあれば、元の双葉さんのように、成績上位になれるかもしれない。
だけど今回は、そのための時間が足りなかった。
たとえば体育だったら、敏明になった元の双葉さんのように、すんなり身体の運動能力を引き出すことは出来るけど、勉強は知識の積み重ねが必要だ。
いくら高性能のPCでも、必要なデーターが入ってない空っぽな状態では、宝の持ち腐れなんだ。
双葉さんの脳ミソの頭のよさに気づいて、僕が積極的に勉強をするようになったのはつい最近なんだ。
せめて、入れ替わった直後の一ヶ月ほど前に、双葉さんの頭のよさに気づいて、もっと積極的に勉強をしていたら、もう少し違っていたかもしれない。
いや、身体が入れ替わった直後は、今の生活に慣れることや、別の事に気を取られたりして、それどころではなかったからなあ。
それはともかく、いつも成績上位の常連だった双葉さんが、いきなりランク外になったら、周りに怪しまれるかもしれない。
元の双葉さんにも申し訳ないし、せめて成績が張り出される三十位以内には、入れるようにしたい。
テスト前にテストの範囲のヤマを張って、ある程度詰め込めば、今の僕ならそれくらいできるような気はする。
「テスト前の休みには、家でテスト勉強をするつもりだよ」
「じゃあ私も、双葉ちゃんの家で、一緒にテスト勉強をしてもいいかな?」
若葉ちゃんが、私がお邪魔してもいい? てな感じで、上目遣いでのおねがい。
う、若葉ちゃん、かわいいじゃないか。
「いいよ、若葉ちゃんなら大歓迎だよ」
「わあい、じゃあ決まりだね。今度の休みは、双葉ちゃんの家に行くわね」
僕の返事に若葉ちゃんが大喜び、ということで、テスト前の休みに、勉強会をすることが決まった。
若葉ちゃんに、入れ替わりのことがばれてから約半月、すっかり仲良くなっていた。
たとえば先週末の日曜日なんか、若葉ちゃんが服を買いたいから、僕に見て欲しいとお願いされて、買い物に付き合ったりもした。
「ごめーん、待った?」
「いや、私も今来たところ」
「そう、なら良かった」
とか言いながら若葉ちゃんは、僕の腕に腕を絡めてきた。
「なんだかデートみたいね」
うれしそうにそうのたまう若葉ちゃん。
最初からそのつもりだったくせに、と心の中で突っ込む僕。
だけど、そんな様子に苦笑しながらも僕は、しょうがないな、まあいいか。と今のこの状況を受け入れていた。
その日の僕は、女物のTシャツにデニムのジャケット、レディースのデニムのパンツスタイルで、
若葉ちゃんは、ふわっとした感じの、かわいいワンピース姿だった。
女子としては身長がある、双葉さんの身体の僕が男役で、小柄な若葉ちゃんが女役だった。
「今日の双葉ちゃん、なんだか格好いいわよ」
「ありがとう、そういう若葉ちゃんも、そのワンピース、よく似合っていてかわいいよ」
「そう言ってくれてありがとう、でも少し子供っぽくない?」
「そんなことないと思うけど、若葉ちゃんはそういうの気にしているの?」
「うん、ちょっとね。……いいなあ、双葉ちゃんはスタイルが良くて、大人っぽい服も似合っていて、
敏明くんばっかりずるい、私も一度、双葉ちゃんになってみたいな」
「そんなこと言われたって……」
この後、なぜか機嫌が悪くなった若葉ちゃんを、宥めるのが大変だった。
ところで女の買い物は長いとか、ウインドウショッピングは男には苦痛だとか、色々聞いていたけど、意外に苦痛じゃなかった。
「ねえ、この服、私に似合うかな?」
「悪くないけど、こっちのほうが、若葉ちゃんには似合うんじゃないかな?」
「うん、双葉ちゃんがそういうなら、こっちの服も着てみる」
そんな調子で、若葉ちゃんの服選びは、着せ替え人形みたいで結構楽しかった。
「今度は双葉ちゃんの服を見てみようよ」
「ちょっとまってよ、今日は双葉の服の予定はなかったでしょ、だから余計なお金は持ってきてないよ」
「だから、今日は見るだけよ、もし気に入った服があれば、次に来る時に買えばいいのよ。
それに、双葉ちゃんてスタイルがいいから、選びがいがあるっていうか、一度思う存分コーディネイトしてみたかったんだよね」
どうも元の双葉さんは、意外にガードが固かったらしい。
なので、若葉ちゃんが今まで心の奥に秘めていたその欲望を、双葉の中身が僕に変わったこの機会に、かなえることにしたようだった。
あの後は、結構大変だった。
僕はと言うと、ここ最近の女としての生活で、女物の服を着ることには慣れてきたつもりだった。
だけど若葉ちゃんが選んで持ってきた服は、肩や胸元の露出が大きかったり、スカートの丈が短かかったり、身体のラインがはっきり出たり、デザインも派手だったり、なんでこんな服ばっかり持ってくるんだよ。
これを着るのは、さすがに難易度が高いし、少し恥ずかしかった。
「だって、双葉ちゃんはスタイルが良いし、こういう服も良く似合うだろうなって、前から思っていたんだもん」
「だからって、なにもこんな露出の大きい服を選ばなくても……」
「いいから、試しに着てみてよ」
「そうですよお客様、ぜひ試着してみてください」
若葉ちゃん、ノリノリだった。
若葉ちゃんだけではなく、なぜか店員さんもノリノリだった。
店員さんは僕たちのために、なぜか普段は店の奥に仕舞われているとかいう服まで、持ってきてくれた。
「あーもう、こうなったらやけくそだ!」
そんな調子で、僕はしばらく着せ替え人形状態になっていたのだった。
でも何でだろう、最初は恥ずかしかったけど、何度も着替えてそういう服を着ているうちに、コスプレみたいで段々楽しくなってきた。
確かに双葉さんは、美人でスタイルが良いから、こういう服もよく似合っていた。
着替えた後、鏡の前でポーズをとってみる。
『僕って結構美人じゃん』
そうしているうちに、いつの間にか僕自身も楽しくなってきて、気分もノリノリになっていた。
前半はそんな調子で、結構ワルノリしていた。
だけどさすがに後半は、段々落ち着いてきて、若葉ちゃんは真面目に、落ち着いた大人っぽい服を選んで持ってきてくれた。
「双葉ちゃんは、こういう服も似合うと思うんだけど、どうかな?」
「……いいんじゃない、悪くない、いや、良いと思うよ」
「はい、お客様に、すごくお似合いですよ」
鏡の中には、今までよりも大人っぽくて、落ち着いた雰囲気の双葉さんがそこにいた。
今まで気づいていなかった、今の自分の魅力に、気づかされたような気がした。
なんでだろう、女物の服なのに、僕は妙にこの服が気に入っていたんだ。
「良かった。実は本当はこの服は、私が着てみたかったんだ」
「えっ、だったらなんで?」
「でもくやしいけれど、小柄で子供っぽい私には、この服は似合わないから。だから代わりに、双葉ちゃんに着てみて欲しかったんだ」
「そう、……だったんだ」
「双葉ちゃん、もう一度言うね、その服、よく似合ってるよ」
「……ありがとう」
若葉ちゃんや店員さんに、この服が似合うと褒められて、なんだかくすぐったかった。
僕はすっかりその服が気に入ったんだけど、お値段を聞いてしゅんとした。
女物の服って、どうしてこんなに高いんだよ!
良い物なので、他の服に比べても、その服はやや割高だった。
その時は持ち合わせが無かった。でも僕は、どうしてもその服が、欲しいって思った。
女物の服がこんなにも欲しいって思うなんて、自分でも意外だった。
僕が気に入ったっていうのもあるけど、若葉ちゃんが選んでくれた服だからっていうのもあるだろうか?
それはともかく、その日は一旦諦めて、その服は後日に買う約束をして、その店を出たのだった。
その後は、若葉ちゃんと他の店を回ったり、ファミレスで一緒にご飯を食べたりした。
楽しかった。
話は逸れたが、だからそんな訳で、テスト前の若葉ちゃんとの勉強会も、今から楽しみだった。
多少勉強の効率は落ちるかもしれないけれど、若葉ちゃんと仲良く楽しく勉強ができるのならばいいやって。
だけど、約束のその日、僕と若葉ちゃんとの勉強会が、行われることはなかった。
勉強会の約束の日の前日の夜辺りから、急に体調が悪くなった。
その少し前から、あれ、なんだか体がだるい、体調がおかしい、とは感じていた。
それにいつもよりも、おりものも多くて、すぐパンツが汚れて嫌だな、女って、こういう所が面倒なんだよな、とも思った。
だけどそれは、前哨戦でしかなかった。
この後僕は、女のもっと面倒で嫌なことを、この身で体験することになったのだから。
「うう、なんだよこれ、さっきからお腹がしくしくして、すげー痛い!」
僕はトイレに駆け込んだ。
穿いていたパンツを下ろすと、パンツの中はおりもので、……いや違う、赤黒い血で汚れていた。
「な、何だよこれぇ! なにがどうなってるんだよ!」
僕の今のこの身体は、月一の女の子の日が、生理が始まっていたんだ。
この身体が、成長期の健康な女の子のものである以上、いずれはこの日がくるのはわかっていたはずだった。
そういえば確か、身体が入れ替わった直後の情報交換で、だいたい今頃生理が来るって事も知らされていたっけ。
その時のメモの中に、生理が来た時の対処法が、わりと細かく書いてあったっけ。
あと、「私の生理は重いから、その時が近くなったら、覚悟をしておくように」と、さらに一言書かれていたっけ。
だけどあの時は、まだ一ヶ月近く猶予がある、ラッキー、とか思っていた。
一ヶ月もあれば、心の準備をする余裕があるし、そもそもそれまでに元の身体に戻れれば、なんの問題も無いって思っていたんだ。
実際は、僕は現実を甘く見ていて、このときが来るまで、生理の事はすっかり忘れていて、何の準備も覚悟もしていなかった。
そんな訳で、事前情報や知識はあったはずなのに、僕は股間の割れ目からの血を見て、軽くパニックになってすぐに対処できなかった。
だって現実に生理の血はグロくて、臭いも生臭かったんだよ、こんなのすぐには受け入れられなかったよ。
それでも、気持ちが落ち着いてきてから、トイレで色々始末をしたり、仕舞ってあった生理用品を引っ張り出してきたりして、どうにか対処はした。
今は僕自身の問題なんだから、僕が自分で対処するしかないんだ。
さて、生理への対処が済んで、状況が落ち着いてきてから、今後の事を考えた。
約一ヶ月前は、まだ時間的余裕がある、ラッキー、なんて思ってしまったが、現実にこの時がきて、
「なんでこのタイミングなんだよ、今はタイミングが悪い!」って思った。
以前書いてもらったメモを引っ張り出してきて、そのタイムスケジュールを確認してみた。
僕の生理は、そのメモの予想の日付より、やや遅れて始まった。
後のタイムスケジュールを、そのメモにあわせて見てみると、テスト勉強期間と、生理で体調が悪い期間はほぼ重なっていた。
それどころか、テスト期間にも影響が残りそうだ。
それに……。
「若葉ちゃんと、一緒にテスト勉強をする約束をしていたけれど、どうしよう?」
思っていたよりも、今の体調はよろしくなかった。
しかもメモによると、これでもまだ生理が始まったばかりで、これからもっと体調は悪くなっていくらしい。
今でもきついのに、更に本格的に体調がきつくなれば、どこまでまともにテスト勉強ができるのか、今は見当もつかなかった。
「僕のせいで、若葉ちゃんにまで、迷惑はかけられないよ」
僕は若葉ちゃんにラインで、体調不良を理由に、テスト勉強のお断りのコメントを送った。
すぐに返事が来た。
体調不良って、どうしたの?
もしかして病気?
お見舞いに行かなくても良い?
僕のことを気遣いながら、色々と訊ねて来た。
なんだか生理だとコメントするのが気恥ずかしくて、最初は曖昧にごまかそうかとは思ったけれど、かえって病気なのかと心配された。
それに女の子を相手に、生理の事でごまかしきれるとも思えなかった。
なので正直に、「生理が始まったので、体調が優れない」と答えた。
そうだったんだ。
そういえば、双葉ちゃんは、そろそろそんな時期だったわね。
さすがに、双葉さんとは仲の良い友人だった若葉ちゃんは、双葉さんのおおよその生理の時期も知っていたのだろうか、あっさり納得してくれた。
双葉ちゃんは、私にはいつも強がってごまかしてたけど、本当は辛そうだった。
敏明くんは、初めての経験だけど、大丈夫?
やっぱり明日は、私がそっちに行ってあげようか?
状況を知って、僕を気遣ってくれた。
お見舞いに来て、僕の面倒を見てくれようか、とも言ってくれた。
若葉ちゃん、いい子だな、その気持ちは嬉しかった。
ありがとう、その気持ちだけ受け取っておくよ。
だけど、さすがに断った。
若葉ちゃんに、迷惑はかけたくなかったんだ。
そう、わかったわ。おだいじに。
まさかこの選択が、後でちょっとした運命の分岐点になっていたなんておもわなかった。
もしこの後の展開を知っていたら、僕はどうしていただろうか?
若葉ちゃんのお言葉に甘えて、無理にでもお見舞いに来てもらっただろうか?
それとも……。
楽しみに待ってます
過去作も図書館に追加されると嬉しいです
あと、他の過去作ですが、私は中途半端に中断が多いですからね……。
でも、現在更新中の田舎の女の子の話と、あと一応キリをつけた話を、図書館に掲載しようと思っています。
つづき、がんばります。
田舎娘と入れ替わるTS娘と同じく、楽しみに待ち続けます!
よろしくお願いいたします!