俺の名前は山下清彦、高校二年生の男子だ。
秋の連休期間、俺は家族と一緒に、温泉旅行に出かけた。
両親、特に母親が温泉好きで、穴場のこの温泉の噂を聞いて、行きたがったからだった。
山奥にあるその温泉は、秋は紅葉で風景が美しかった。
そんな秋の風景を見ながらのんびり温泉に浸かるのも、たまにはいいもんだ。
そして俺は、外の風景がよく見える露天風呂に入った。
この露天風呂は、男女時間交代制で、今は男風呂の時間だった。
今は時間が早いせいなのか、露天風呂に入っているのは俺一人、貸しきり状態で気分がよかった。
ふと俺は、露天風呂の隅っこの外れに、小さなお地蔵さんをみつけた。
目立たないところに、それはまるで隠されているように置かれていた。
何でだ?
興味が沸いた俺は、ついそのお地蔵さんに触ってしまった。
その瞬間、一瞬俺の意識が暗転した。
なんだ、何が起こったんだ!!
何が起こったのかわからない。
だけど、体がまるで石になったかのように、まったく動せない。
そして俺の目の前には、腰にタオルを巻いた巨大な男が立っていた。
「やった、やっと人間に戻れたわ」
目の前の大男は、うれしそうに声を上げていた。
って、この大男は俺?
「この子の名前は清彦くん、高校生の男の子か。
うーん、性別が男の子に変わっちゃったか。
でも、人間に戻れたんだし、それにちょっと若返れたわけだし、このさい贅沢はいわないわ」
ちょ、ちょっとまってよ、これはどういうことだよ!!
「あ、元の清彦くんには訳がわからないだろうから、教えておいてあげるわ。
この地蔵は身代わり地蔵といって、触った人間と中身が入れ替わっちゃうのよ。
そうやって今まで、触った人間と、地蔵の中身が次々入れ替わってきたみたい。
私は元は温泉旅行好きなOLだったんだけど、半年前にうっかりこの地蔵に触っちゃって、入れ替わっちゃったのよ」
な、なんだって!!
「あれから半年、清彦くんがこの地蔵に触ってくれたおかげで、私はやっと開放されたってわけ」
お、俺を返してくれ。もう一度触れば元に戻れるんだろ?
「あ、私は嫌だからね。やっと人間に戻れたんだから。
あなたのかわりに私が、ううん俺が上手く清彦に成りすましてやるよ。
入れ替わった人間の記憶や知識は使えるから、そのままなり済ませるみたいだし、心配するな。
じゃ、俺は親父やお袋のところにいってくるから。
おまえも、いつかその地蔵から解放されることを祈っててやるぜ、じゃあな」
そう言い残して、清彦は行ってしまった。
そしてこの露天風呂に、再び姿を現すことはなかった。
そ、そんなあ!
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
季節はめぐって冬になった。
露天風呂の隅にあるこの地蔵には、普段は誰も気づかない。
温泉の関係者は、この地蔵のことを知らないのか、それとも知っていながらないものとして扱っているのか、誰も触れようとしない。
俺はできれば元の俺に戻りたい。だけど元はOLだったと言っていた今の清彦は、絶対にこの地蔵には触らないだろう。
動けない地蔵の中に閉じ込められているのは苦痛だった。
こうなったら誰でもいい、この地蔵に気づいてくれ。
そして触ってくれ。
俺をここから出してくれ。
「あれ、こんなところに何かある」
その願いがかなったのだろうか?
少し肌が色黒で、なんだか好奇心旺盛で活発そうな小学生くらいの女の子が、温泉の外れの地蔵の存在に気づいた。
「なんでこんなところにお地蔵さんが?」
女の子は持ち前の好奇心で、地蔵に興味を持って、そして触った。
その瞬間、俺の意識は暗転した。
気がついたら、俺は素っ裸で、冬の肌寒さを感じていた。
「やった、俺は人間に、人間に戻れたんだ!!」
俺は小さくて細い手を動かして、ぺたぺたと今の俺の体に触ってみた。
「すごい、手が動く、足も動く、それにからだが柔らかい」
人間なら当たり前の事なのに、二ヶ月ぶりに身代わり地蔵から解放されて、それを実感できることがすごく嬉しかった。
頭の中に、この子の記憶が流れ込むように思い浮かんだ。
「この子の名前は本郷双葉、……女の子なんだ」
本郷双葉ちゃんは、小学四年生の女の子。
パパとママとお兄ちゃん、それと双葉ちゃんの家族四人でこの温泉に来たらしい。
その他に、この温泉に来た双葉ちゃんの気持ちとか、色々とわかった。
なるほど、こうやって乗り換えた相手の記憶や経験が自分のものになって、相手になりすますことが出来るんだ。
俺はそっと今の自分の股間に触れてみた。
「ちんちんがない、俺は本当に女になっちゃったんだ」
なんだか変な感じだった。
性別が男から女に変わってしまった。
そのうえ女と言ってもつるぺたなお子様で、見ても触ってもおもしろくもなんともない。
だけど、ついさっきまで身代わり地蔵に閉じ込められていたことを思えば、贅沢はいえない。
元の俺の体になった、自称元OLの女も、贅沢は言えないとか言っていた。
皮肉なことに、今の俺はその意見に同感だった。
そういえば、と気がついて、さっきまで自分が閉じ込められていた身代わり地蔵を見た。
その小さな地蔵の中に、俺の変わりに閉じ込められた双葉ちゃんが、泣き喚いているような気がした。
「双葉ちゃんも、何がどうなったのかわからないよね? 俺が状況を説明してあげるよ」
思えば、俺の前に閉じ込められていたOLも、俺に身代わり地蔵の説明をしてくれた。
そうやって閉じ込められていた者が、次の犠牲者へ申し送りすることが、義務のように感じていた。
「この地蔵は身代わり地蔵と言って、触れた人間と中身が入れ替わっちゃうんだ。
今までこの身代わり地蔵に触ってきた人間は、今の俺たちみたいに、次々中身が入れ替わってきたらしい」
そう言って、一旦言葉を区切った。
身代わり地蔵からは、何の反応もない。
だけど地蔵の中の双葉ちゃんは、間違いなく今の俺の話を聞いているはずだ。
二ヶ月前の俺のように。
「あ、俺は二ヶ月前までは、普通の男子高校生だったんだ。
この地蔵のことを何も知らないで、ついうっかり触っちゃったんだ。
その結果、俺は元の体を前の犠牲者に取られて、その地蔵に閉じ込められてしまったんだ。
……今の双葉ちゃんみたいに」
今の俺の話を聞いて、双葉ちゃんはどう感じているんだろう?
身代わり地蔵からは、やはり何の反応もないのでわからない。
だけど、なんとなく双葉ちゃんが言いそうな言葉が、俺の脳裏に思い浮かんだ。
そう、今の俺は双葉ちゃんなんだ。双葉ちゃんのことならなんでもわかるんだ。
だからしゃべることのできない双葉ちゃんの代わりに、俺が言葉にして言ってやった。
「勝手な事を言わないでよ! あたしの体を返してよ!! って、言いたいんでしょ?」
そういった後、俺はにやりと笑った。
多分今の俺は、口の端がつりあがった、いやらしい笑みを浮かべているだろう。
「いやよ、俺は、いやあたしは、その地蔵から開放されるこの日を、ずっと待ってたんだからね!
今日からあなたの代わりに、あたしが双葉になってあげるわ」
双葉ちゃんらしい口調でそう宣言した。
元の俺のままだったら、恥ずかしくてしゃべられない女言葉が、まるで長年しゃべりなれたように、すんなり俺の口から出た。
「あなたにあたしの代わりなんてできるわけがない?
心配しなくても大丈夫よ。
こんな風に入れ替わった人間は、その入れ替わった相手の記憶や知識が使えるの。
だから今のあたしは、双葉ちゃんのことならなんでもわかるのよ。
たとえば、……せっかくの冬休みなんだから、本当はこんな山奥の温泉なんかじゃなく、
友達みたいに海外旅行とか、せめて東京ディズニーランドでも行きたかった、とかね」
今回の温泉旅行で双葉ちゃんが抱いていた不満を、俺が代わりに言ってやった。
これで、俺が双葉ちゃんの記憶が読めることも、身代わりができることもわかっただろう。
「じゃあね、元の双葉ちゃん。あなたも早く人間に戻れるといいわね」
もっとも、それがいつになるかわからないし、条件のよい体になれるかどうかもかわからない。
小学生の女の子が、もし爺さん婆さんになったら、可哀相すぎるが、こればっかりは運しかない。
でもせめて、元の双葉ちゃんが、よい条件の人間になれるように祈っていてあげよう。
「あら、双葉ちゃん、そんなところで何してるの?」
身代わり地蔵から離れようとしたそのとき、俺は声をかけられた。
誰だ? 俺は声のした方を見た。
「えっ? あ、ママ……」
露天風呂に入ってきて、俺に声をかけたのは、双葉ちゃんのママだった。
双葉ちゃんのママは、おっとりした雰囲気の大人の女性だった。
俺がその大人の女性に会うのは、もちろんこれが初めてだ。
なのに、一目で双葉ちゃんのママだとわかってしまった。
双葉ちゃんの記憶にあるとか、そんな理屈じゃなく感覚的に、『この人は俺のママなんだ』と感じていた。
そのママが、俺に優しい声色で声をかけてくる。
「そんな隅っこに行って、何か面白いものでも見つけたの?」
やばい、もしママが身代わり地蔵に気づいて、興味を持ってしまったらどうなるか?
きっと色々とややこしいことになる。
ママを身代わり地蔵に近づけないように、その気を逸らさなきゃ。
「う、うん、雪が珍しくて、近くで見ていたの」
これは嘘ではない。
実際に双葉ちゃんは、都会では珍しい雪に惹かれてここに来たんだ。
そして雪に触っているうちに、この身代わり地蔵をみつけてしまい、つい気まぐれで触ってしまったんだ。
それが、俺とチェンジする直前までの、双葉ちゃんの記憶だった。
俺はママに怪しまれる前に、俺のほうから行動を起こした。
「ねえママ、雪っておもしろいよ、ほら」
そう言いながら、俺はちかくの雪を両手ですくって、露天風呂まで持ってきた。
そして、温泉のお湯の中に投げ入れてみせた。
雪のかたまりが、温泉のお湯の中で、みるみる溶けていく。
これも入れ替わる直前までの双葉ちゃんが、実際に面白がってやっていたことだった。
そして、もし俺が元の清彦のままだったら、こんな当たり前のこと、さほど面白いとは思わなかっただろう。
なのに今の俺は、その程度のことが、すごく面白いと感じていた。
おそらくこれは、双葉ちゃんの感性なんだろう。
だから説得力があった。
「ね、面白いでしょう?」
「ええ、面白わ、すごく面白いわ、よく思いついたわね、さすがは双葉ちゃんね」
ママは、一瞬俺の行動に意外そうな顔をして、
でも次の瞬間、嬉しそうに満面の笑みを浮かべながら、俺のことを褒めてくれた。
何で、もしかして失敗したか?
……そうだった、双葉ちゃんは、ママとは冷戦中だったんだ。
今回この温泉に、家族で行こうと決めたのは、双葉のママだった。
敏明お兄ちゃんも双葉ちゃんも、東京ディズニーランドとか、もっと別の所に行きたいと反対したんだ。
でも、どうしても温泉に行きたいママが押し切った。
それ以来、この温泉に来るまで、双葉ちゃんは不機嫌だった。
「ママとは必要以上に口をきくもんか!」
と、双葉ちゃんは、意地になってもいたんだ。
そしてママは、そんな不機嫌な双葉ちゃんに気を使っていたんだ。
だけど、この露天風呂にママが登場した時、双葉と入れ替わった直後だった俺は、
どうやってママの気を、身代わり地蔵から逸らそうかという点に気をとられて、そのことまで気が回らなかったんだ。
「ねえ双葉ちゃん、いつまでもそんなところにいたら寒いでしょう。ママと一緒にお風呂に入らない?」
ママの誘いに俺は、チャンスだ、と思った。
元の双葉ちゃんのままなら、まだ意地をはり続けていたかもしれないが、俺はこの流れに乗ることにした。
「うん」
俺はママと一緒に露天風呂に入って、温泉のお湯に浸かった。
素っ裸でずっと外に出ていたせいで、この体はすっかり冷えていた。
それが温泉のお湯で温められたんだ。
はあ~、生き返った。
それが正直な感想だった、
久しぶりに感じる温泉の温かさに、俺は文字通り生きていることを実感していた。
そう、俺は生きた人間として、人間の世界に帰ってきたんだ。
「ごめんね双葉ちゃん、本当は温泉じゃなくて、ディズニーランドに行きたかったのよね」
ママと一緒に温泉に浸かり、良い雰囲気になってきた所で、ママが俺に謝ってきた。
すこし驚いたけど、いい機会だから、このままママと仲直りしてしまおう。
双葉ちゃんとママのの冷戦まで、俺が引き継ぐ必要はないんだし。
「もういいよ、この露天風呂も雪も面白いし、ここに来て良かったと思ってるよ」
これは半分演技だけど、もう半分は俺の本心だった。
こんなこと双葉のママには言えないけど、ママが温泉に行きたいと主張して、ここに双葉ちゃんをつれてきてくれたおかげで、俺は双葉ちゃんになれたのだから。
「ありがとう双葉ちゃん」
そうとは知らない双葉のママが、嬉しそうに俺を抱きしめた。
わわっ、ママのおっぱいが俺の顔にあたってるよ!!
うわあっ、ママの体、柔らかくて温ったけー!!
俺はママとのスキンシップにどぎまぎしながらも、ママと仲直りしたのだった。
「春休みにはディズニーランドに行きましょうね」
「本当、わー嬉しいな、ありがとうママ大好き!」
これも、半分演技で言ったつもりだった。
だけどもう半分、春休みのディズニーランドに行きの約束が、今から本気で楽しみになってきた。
俺はママと一緒に温泉に浸かりながら、改めてママを見た。
ママはすごい美人だった。
それに二児の母親とは思えないくらい若々しくて、プロポーションも抜群で、特に胸が大きかった。
ふと、自分の胸元と見比べた。
まだ子供だから当たり前なのだが、俺の胸はぺったんこだ。
なんだろうこのがっかり感は、思わずため息が出た。
「大丈夫よ、双葉ちゃんはママの子だもの、胸だって大人になったらママみたいに大きくなるわよ」
「本当?」
「本当よ」
いくら親子だからって、本当にママみたいに胸が大きくなれるとは限らない。
だけど俺は、ママにママの子だと言われて、なんだか嬉しく感じていた。
そうか、俺はこの人と、本当の親子になったんだ。
いつの間にか俺は、本当にこのママが好きになっていたんだ。
「えへへ、ママ大好き♪」
今度は演技ではなく、本気でそう言いながら、今度は俺からママに抱きついた。
「あらあら、双葉ちゃんたら、甘えん坊さんね」
そういいながら、ママは嬉しそうに俺を抱き返してくれた。
この人が、俺のママで良かった。
ママと一緒に温泉から上がり、脱衣所へ戻った。
ふと姿見の鏡を見た。
鏡には、ちょっと勝気な、だけどかわいい顔の女の子の姿が映っていた。
成長したら将来は美人になるだろう。
つい見惚れた。
今は双葉になった、今の自分の外見も立場も、すっかり気に入っていた。
入れ替わった直後は、ちんちんがないだとか感じていた違和感が、今は感じなくなっていた。
この短期間のうちに、すっかり馴染んでしまったらしい。
これが今の俺、ううん、女の子が自分のことを俺なんて言ったら変だよね。
これが今のあたしなんだ。
「どうしたの双葉ちゃん、鏡に見惚れちゃったりして」
ママが楽しそうに、あたしに声をかけてきた。
「え、これは…その……」
今の自分の姿に見惚れている所を、ママに見られて、あたしは急に恥ずかしくなった。
「うふふ、恥ずかしがることはないわよ。だって双葉ちゃんはこんなにかわいいんだもの。
女の子が、自分のかわいい姿に見惚れるのは当たり前よ」
ママにそういわれて、恥ずかしいけど、なんだか嬉しくなった。
「かわいい、あたしはかわいい」
その魔法の言葉に、あたしはだんだんうっとりとしてきた。
「でも、体が冷えて風邪を引くから、いいかげん体を拭いて、早く着替えましょうね」
「あわわっ! いいよ、体ぐらい自分で拭くわよ」
「いいからここはママに任せて、久しぶりにママが双葉ちゃんを拭いてあげる」
ママはそう言いながら楽しそうに、バスタオルであたしの体を拭き始めたのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そんな調子で脱衣所で着替えた後、
家族で泊まっている客室へ、あたしはママと一緒に戻ってきた。
客室では敏明お兄ちゃんが、一人で携帯ゲームで遊んでいた。
パパは今は、露天風呂ではない、普通の浴場のほうに行っているらしい。
「ただいま、敏明ちゃん、いい湯だったわよ」
「おかえりママ、……えっ、ママ、双葉と一緒に戻って来た!!」
「何? お兄ちゃん、あたしがママと一緒に戻って来たら悪いの?」
「そんなんじゃないけど、お前、ママとけんかしてただろ」
「うふふ、それがね、お風呂で仲直りしてきちゃった」
ママが敏明お兄ちゃんに、露天風呂での出来事を、嬉しそうに話はじめた。
敏明お兄ちゃんは、あたしより三つ年上の中学生の男子で、性格がおとなしい草食系のインドア派だ。
だから、温泉に来たのに、部屋に寝転がって、携帯ゲームで遊んだりしている。
そして特にこれは重要なことだが、マジイケメンだ。
(敏明はイラストの女の子が、そのまま男の子になって、成長した感じの美少年だと思ってくれ)
もしあたしが元の清彦のまま敏明お兄ちゃんに会ったら、けっ、男のくせに軟弱そうなやつ、とか思ってケチをつけただろう。
だけど今のあたしの目には、お兄ちゃん素敵、マジかっこいい、って見えていた。
優しい敏明お兄ちゃんは、物心ついた頃から、いつも双葉と遊んでくれて、双葉の面倒を見ていてくれた。
幼い頃の双葉は、そんなお兄ちゃんが、「ふたばは、おにいちゃんのおよめさんになる」と言っていたくらい大好きだった。
さすがに今はそんなことは言わないが、それでも敏明お兄ちゃんが大好きだった。
だから今は、お兄ちゃんにちょっとだけベタベタ甘えてみせたり、
お兄ちゃんに甘えながら、悪い虫がつかないように、監視をするのにとどめていた。
そう、元の双葉はお兄ちゃん大好きっ子、お兄ちゃんラブな、ブラコンだったのだ。
そして今のあたしは、そんな元の双葉の気持ちまで、引き継いでしまっていた。
『も、もう、ブラコンって言ったって、物には限度があるでしょうが!』
それではまずい、お兄ちゃんに甘えると言ったって、常識的なラインで程々にしておかなきゃ。
清彦の感覚で、そう思い直したはずなのに、敏明お兄ちゃんが素敵に見えてしょうがなかった。
「へえ、露天風呂では雪が積もっていて、双葉はそんな事をしていたのか」
ママの話を聞いて、どうやら敏明お兄ちゃんは、露天風呂に興味を持ったらしい。
「じゃあ僕も、露天風呂に入ってみようかな、そろそろ男湯への切り替えの時間みたいだし」
「あ、お兄ちゃんが入るなら、あたしも入る」
あたしは反射的に名乗りを上げた。
こ、これは、敏明おにいちゃんが、例の地蔵に近づかないように監視するためだからね。
決して、お兄ちゃんと一緒にお風呂に入りたいからじゃないからね。
本当だからね。
「だめだよ、露天風呂は、もうそろそろ男湯になる時間なんだから」
「で、でも、小さい頃は、一緒にお風呂に入ってたじゃん」
「小さい頃は、だろ、双葉はもう四年生なんだから、男湯に入っちゃだめだよ」
お兄ちゃんに諭すように駄目と言われて、あたしはしゅんとしてしまう。
「……わかったよ、夜に混浴の時間があるから、ならその時に一緒に入ろうか」
「本当! わあ、お兄ちゃん大好き!」
「しょうがないやつだなあ」
敏明おにいちゃんは、苦笑いしながら、タオルを持って一人で露天風呂のほうに歩いていった。
直後に、あたしは急に不安になった。
お兄ちゃん、例の身代わり地蔵に触ったりしないだろうか?
目立たない所、しかも奥にあるから、普通なら気づかないだろう。
普段の敏明お兄ちゃんなら、地蔵の所までは行かないだろう。
だけど、ママがあんな話をして、興味を持った後だ、見つけてしまうかもしれない。
お兄ちゃんが、もし地蔵に触ってしまったら……。
だからといって、今から男風呂の時間に行って、お兄ちゃんが地蔵の所に行かないように見張るわけにもいかないし。
そんな不安を感じながら、あたしはお兄ちゃんが戻ってくるのを待った。
そして、戻って来たところで、勢い込んで感想を聞いた。
「お兄ちゃん、露天風呂どうだった!」
「どうだったって、普通に露天風呂だったぞ」
そんなあたしに、お兄ちゃんはやっぱり苦笑していた。
「それだけ?」
「それだけって、雪景色はきれいだったし、双葉がやっていたみたいに雪を入れて溶かしたら面白かったよ」
普通に露天風呂での話をしてくれた。
良かった、お兄ちゃん、どうやら例の地蔵には、触るどころか気付きもしなかったみたいだ。
思わずホッとした。
「変なやつだな」
お兄ちゃんは、相変わらず苦笑しながら、あたしの頭を、優しく撫でてくれた。
あたしはえへへ、と機嫌よく笑った。
露天風呂から戻ったお兄ちゃんは、中断していた携帯ゲームを再開した。
いつも通りのお兄ちゃんに、あたしは完全に安心したが、でも面白くなかった。
「ねえお兄ちゃん、ゲームなんていつでも出来るでしょ、一緒にこの旅館を探検しようよ」
「ああ、今いい所なんだから、後で、それに夜に一緒に露天風呂に入る約束してるだろ」
「それとこれとは別なのに……」
とはいえ、こうなったらお兄ちゃんは、なかなか動いてくれない。
それは過去の双葉の記憶からわかっていた。
「いいもん、一人で探検してくるから」
本当はお兄ちゃんに構ってほしいから、気を引きたくてそんな事を言う。
でもお兄ちゃんは、もうゲームに夢中で動かない。
あたしはしぶしぶ一人で旅館の探検に出かけたのだった。
「はあ~、双葉に馴染むのはいいけど、すっかり体の記憶や感覚に、引っ張られちゃってるわね」
少し冷静になって、あたしはすっかり双葉になりきっていた自分に気がついた。
でも、気分は悪くなかった。
どうせこの先、あたしは双葉として生きていかなきゃいけないんだ。
だったらこれでいい。
でもこの先、もう少しくらい、ブラコンを抑えたほうがいいかな。
なんてことを冷静に考えながら、一人でこの旅館の探検を始めたのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
秋の紅葉のシーズンが終わり、冬になると、交通の便が悪いここに来るお客は少なくなる。
だけど、それだけにゆったり泊まることが出来るし、温泉からの雪景色も美しい。
後で知ったことだけど、この旅館は隠れた穴場扱いだった。
最初はお兄ちゃんの気を引こうと、思いつきで言ってはじめた旅館の探検だったけれど、だんだん楽しくなってきた。
山奥の古い作りのこの旅館は、後から増築などで継ぎ足されたりして、中の作りがちょっとした迷路みたいになっていた。
見るもの聞くもの触るもの、全てが珍しくて新鮮で、あたしの好奇心が刺激された。
これも双葉になった影響なのだろう、あたしは清彦だった時よりも、好奇心が強くて、ずっと行動的な女の子になっていた。
もっとも前の双葉は、その好奇心が裏目に出て、あの地蔵に触って、あたしとチェンジしちゃったんだけどね。
だからあたしは、そうならないように気をつけなきゃ。
でも今は、この状況を楽しもうと思った。
旅館の探検をしていると、双葉の家みたいな家族連れとか、老夫婦とか、意外なことに若いカップルとか、何組かのお客さんとすれ違ったりもした。
シーズンオフのわりに、意外にお客さんが多いかも。
そんな探検中、あたしは珍しいお客さんとも出会った。
ちょっときょろきょろ余所見をしたまま歩いていて、あたしは誰かとぶつかってしまった。
「あ、ごめんなさい」
あたしは慌てて頭を下げて謝った。
「ワタシはダイじょーぶでス。アナタこそダイじょーぶでスか?」
発音の変な日本語で返事を返されて、あたしは頭を上げてその人を見た。
銀髪の白人のお姉さんが、あたしの目の前に立って居た。
長身で、変な言い方だけど、日本人離れをしたスタイル抜群な女の人だった。
整った顔がきりっと引き締まっていて、格好いいひとだなって、あたしはつい思わず見とれてしまった。
「ドウしたのでスか? ドコかイタイのでスか?」
どこか変なアクセントの日本語で、心配そうに声をかけられて、あたしははっと気づいた。
「いえ、大丈夫です。あたしのほうこそ余所見をしていて、ぶつかってごめんなさい」
「ソレならヨかったでス、ワタシはダイジョーブでス、タイシタことないでス」
にっこり笑ったお姉さんの顔は、すごく魅力的だった。
その後、そのお姉さんと、短いやりとりを二言三言かわしてから別れた。
緊張していて、その時お姉さんと何を話したのか、細かい事は覚えていない。
ただ、こんな田舎の温泉に、外国から来た、変な日本語をしゃべる珍しいこのお客さんのことは、強くあたしの印象に残った。
それどころか、銀髪の格好いいこのお姉さんに、あたしは憧れを感じたんだ。
でもだからといって、後であたしの運命が、この銀髪のお姉さんと大きく関わってくるなんて、この時は思ってもみなかったのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
旅館の探検はけっこう楽しくて、時間の経過も忘れていた。
いつの間にか薄暗くなってきたので、あたしは家族の待つ部屋へと戻った。
夕食の時間に、運ばれてきた食事を食べながら、家族にその時の話をした。
「あ、そうそう、探検の終わりに、夕方に来たお客さんが珍しい人だったよ」
「へえ、珍しい人って?」
「それはね、外国から来た銀髪の……」
あたしってこんなにおしゃべりだったっけ?
あ、そうか、清彦は口数が少なかったけど、双葉はおしゃべりだったんだ。
そしてこういうとき、相槌をうってくれるママとの会話は弾んで楽しかった。
ここ数日はママとは冷戦で、あまりおしゃべりをしていなかったから、余計に話が弾んだ。
地元の山の幸が多く使われた、旅館の食事も美味しかった。
よく考えたら、今のあたしにとって、この体になってから初めての食事だった。
あたしは、今生きてる事を実感しながら、美味しく夕食を食べたのだった。
「双葉、約束通り、一緒に温泉に入ろうか?」
夕食の後、敏明お兄ちゃんが約束通り、あたしを温泉に誘ってくれた。
「そんなにあたしの裸が見たいんだ、お兄ちゃんのH」
「そんなんじゃないって、だいたい双葉の裸って、見られて困るほどのもんじゃないだろ」
「んもう、お兄ちゃんの意地悪、そんなこと言うなら、一緒に入ってあげないんだから」
「……双葉がそういうなら、僕一人で入ってくる」
「うそうそ、双葉も一緒に入るから、お兄ちゃん待ってよ」
そんな調子で、あたしはお兄ちゃんと一緒に、例の露天風呂に向かった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
この露天風呂は、夜の8時から11時まで男女混浴の時間だった。
だから今すぐに行けば、お客さんの少ない貸切状態で入れるはずだ。
意外なことに、いつもはのんびりな敏明お兄ちゃんが張り切っていた。
あたしより先に服を脱いで、腰にタオルを巻いて露天風呂の方へ行ってしまった。
よっぽどこの露天風呂が気に入ったのね。この時はそう思っていた。
「もう、お兄ちゃん待ってよ!」
あたしは体にタオルを巻きながら、少し遅れて露天風呂に到着した。
露天風呂の、お兄ちゃんの居る場所を見てぎょっとした。
あ、あの場所は、身代わり地蔵の!!
「あ、双葉、見てみろよ、こんな所に小さなお地蔵さんがいるぞ」
「待ってお兄ちゃん、それに触っちゃ駄目!!」
あたしは慌てて駆け寄った。
お兄ちゃんを、あの地蔵から引き離さなきゃ。そう思った。
慌てていて冷静さを欠いたあたしは、だから敏明が何を狙っているのか気づかなかったんだ。
「ふふっ、かかったわね」
「えっ?」
敏明お兄ちゃんは、寄ってきたあたしの手首をつかみ、そして地蔵に触らせた。
「あっ!」
と気づいたときにはもう手遅れで、あたしの意識は暗転した。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
次に気がついたら、あたしは体が石になってしまったかのように、身動きが出来ない状態だった。
この感じは、……身代わり地蔵の中?
あ、あたし、身代わり地蔵に逆戻りしちゃったの?
嫌だ、あたしこんなの嫌よ!!
でも、身動きの出来ない今のあたしには、もうどうする事も出来ない。
そんな身動きの出来ないあたしの目の前で、ついさっきまでのあたし、双葉が戸惑いの表情を浮かべていた。
「ぼ、僕は、今度は双葉になっちゃった……のか?」
双葉はそう言いながら、ぺたぺたと自分の体を触って、感触を確かめていた。
「あ、ちんちんがない、……やっぱり女の体なんだ」
双葉のそんな所を触って、そんな事を言うなんて、な、なんかヤダー!
そんな双葉に敏明お兄ちゃんが、何かを確かめるように声をかけた。
「あなたは、今は中身は、敏明お兄ちゃん、……だよね?」
「え、ぼ、僕!! あ、ああ、僕は敏明だけど、そういう僕の体のお前は双葉なんだよな?」
敏明に問われて、双葉は戸惑いながら自分は敏明だと名乗った。
「良かった、上手くいったんだ。あたしは体はお兄ちゃんだけど、中身は妹の双葉だよ。おかえりなさい敏明お兄ちゃん」
双葉に問い返された敏明は、そう答えながら、まだ戸惑っている双葉を抱きしめた。
あたしは意識を地蔵の中に閉じ込められて、そんな兄妹の絆を見せ付けられながら、ようやく気がついた。
ついさっき、あたしを騙して地蔵に触らせた敏明の中身は、元の双葉だったんだ。
敏明お兄ちゃんが、最初に露天風呂に行った時に、地蔵に触って中身が元の双葉と入れ替わっていたんだ。
戻って来たお兄ちゃんはいつも通りだった?
そんなのは、敏明お兄ちゃんの体の知識と経験を使えば、簡単に出来ちゃうことだったってことを忘れていた。
双葉に成りすましていた、あたし自身がそうだったように。
その時、二人の間にどんなやりとりがあったのかまではわからない。
ただ、敏明お兄ちゃんに成りすました元双葉が、あたしを上手く騙して、再度この地蔵に触らせた事は確かだった。
「人間に戻れたのは良いけれど、双葉の体になっちゃって、僕はこれからどうすればいいんだよ」
敏明と双葉の兄妹は、人間に戻れたけれど、体と立場が入れ替わった状態だった。
「心配しなくてもいいよ、お兄ちゃんには、ううん双葉には僕がついている。何があっても僕は双葉の味方だよ。それとも元のお兄ちゃんは、双葉の体は嫌?」
「い、嫌ってわけじゃないけどさ……」
「じゃあさ、すぐにとは言わないから、少しづつ双葉を受け入れていってよ。どっちにしても、これ以上はもう元には戻れないんだから」
兄の立場になった元妹は、すっかり覚悟を決めていて、現状を受け入れながら妹を励ましていた。
妹の立場になった元兄は、まだ立場の変化を受け入れきれずに、まだ戸惑っていた。
「それとも、もう一度その地蔵に触る? リスクは大きいけれど、元に戻るにはそれしかないよ」
「い、嫌だ! もうその地蔵になんてなりたくない」
「じゃあ、受け入れるしかないよね」
「わ、わかったよ」
「じゃあ今から正式に僕がお兄ちゃんで、お兄ちゃんが妹の双葉だからね。あらためてよろしくね双葉」
「よ、よろしく、……お兄ちゃん」
どうやら兄妹の間で、話がまとまったようだった。
そしてあたしは、そんな兄妹のやり取りを、切ない思いで聞いていた。
なまじ双葉に馴染んでいたせいで、あたしがそんな兄妹の関係から弾かれて、中に入れないことが悲しかった。
あたしには、清彦だった記憶がある。
だけど、短期間で双葉に馴染んでいたせいで、清彦だった気分は薄れていた。
逆に、双葉だった気分が強く残っていた。
そんなあたしに、新たに敏明になった元の双葉が、追い討ちをかけるように言った。
「双葉の体と敏明お兄ちゃんは返してもらったよ。今の気分はどう? 偽者さん」
面と向かって偽者と言われて、あたしは反発を感じた。
偽者? 違うわよ、さっきまではあたしが双葉だった、あたしが双葉だったのよ、と。
気分? 悔しいわよ、そして双葉でなくなったことが悲しい。
今の敏明は、双葉になっていたあたしのことが、よほど気に入らなかったのだろう。
あたしに向ける、敏明の勝ち誇ったような笑顔は、どこか歪んでいた。
短期間とはいえ大好きだった敏明お兄ちゃんの顔で、そんな顔は見たくなかった。
あたしは心が痛んだ。
「偽者さんには特にその地蔵の説明はいらないよね。
僕たち兄妹は、偽者さんとその地蔵のせいで立場や体が入れ替わっちゃったけど、
僕たちのことは僕たちで上手くやっていくから、じゃあね、偽者さん。……行こう双葉」
「う、うん」
言いたい事だけを言って、敏明と双葉の兄妹は、露天風呂にも入らずにこの場を去っていった。
そしてこの場には、身代わり地蔵に閉じ込められた、あたしだけが取り残された。
敏明と双葉の兄妹が去ったすぐ後、露天風呂には次々と、別のお客さんがやってきた。
老夫婦とか、若いカップルとか、小さな男の子を連れた若い夫婦とか、
あたしが双葉だったついさっき、旅館の探検をしている時にすれ違った人たちだった。
中にはその時にあたしに声をかけてきて、おしゃべりをした人もいる。
だけどその人たちは、誰もあたしにも地蔵にも気づかないし、気づいてくれない。
もっとも、清彦だったときに地蔵に存在を奪われた時よりもショックが大きくて、
あたしにはそんなことを気にする余裕がなかった。
当てにもしていなかった。
どうせまた、何日も何十日も、下手をしたら何ヶ月も、機会を待ち続けることになるのだろう。
だけど、さすがにパパとママが、つまり双葉の両親が、仲良く露天風呂にやって来た時には、
地蔵の体では泣けないのに、泣きそうな気分になった。
「その時の双葉ちゃん、こんな風に温泉に雪を入れて、楽しそうだったわよ」
楽しそうにあの時の話をするママに、話を聞くパパ、あたしとこの人たちとはもう親子じゃない。赤の他人。
そのことが、寂しくて悲しかった。
双葉編、清彦視点は一旦ここまで
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
双葉編、これより少し戻して敏明視点
ママとけんかをしていた双葉が、ママと仲直りをして戻って来た。
そしてママは、露天風呂での双葉とのやりとりを、嬉しそうに話してくれた。
「へえ、露天風呂では雪が積もっていて、双葉はそんな事をしていたのか」
いつもなら聞き流していたかもしれないけれど、今回は話を聞いて、雪とか露天風呂とかに興味を持った。
「じゃあ僕も、露天風呂に入ってみようかな、そろそろ男湯への切り替えの時間みたいだし」
「あ、お兄ちゃんが入るなら、あたしも入る」
「だめだよ、露天風呂は、もうそろそろ男湯になる時間なんだから」
妹の双葉は、お兄ちゃん大好きっ子で、小さい頃からいつも僕の側にいた。
かわいい妹に好かれているのは嬉しいけれど、ベタベタしすぎで、たまにちょっと度が過ぎてるだろ、と思うことがある。
いいかげん兄離れしてほしいもんだ。
「で、でも、小さい頃は、一緒にお風呂に入ってたじゃん」
「小さい頃は、だろ、双葉はもう四年生なんだから、男湯に入っちゃだめだよ」
諭すようにやんわり断ったら、双葉はしゅんとしてしまった。しょうがないな。
「……わかったよ、夜に混浴の時間があるから、ならその時に一緒に入ろうか」
「本当! わあ、お兄ちゃん大好き!」
「しょうがないやつだなあ」
なんだかんだ言いながら、僕は妹には甘いのかもしれない。
夜に妹と一緒に露天風呂に入る約束をして、今回は一人で露天風呂に向かったのだった。
露天風呂にいくと、確かに雪が積もっていた。
雪景色は綺麗だった。
そして、ママの話で聞いたみたいに、雪を手ですくって温泉のお湯の中に入れてみた。
雪がお湯に溶ける様子は、なるほど確かに面白いな。
もう少しだけやってみよう。
この時、ふと気がついた。
露天風呂の隅のほうに雪がなくて、誰かが歩いた道のようになっている場所がある事に。
興味を引かれてその先に行ってみた。
隅っこのさらに目立たない所に、小さなお地蔵さんがおかれていた。
「なんでこんな所にお地蔵さんが?」
そう思いながら、何気なくお地蔵さんに触れた。
その次の瞬間、僕の意識は暗転した。
次に気がついたとき、何が起こったのか、僕にはまったくわからなかった。
だけど、からだが石になったかのように、まったく動かせなかった。
そんな僕の目の前には、巨大な人間が居た。
「体が動く、あたし、人間に戻れたんだ!」
嬉しそうに声をあげて喜んでいた。
喜んでいる巨人は、えっ、僕!?
「お兄ちゃん、あたし、お兄ちゃんになってる。
そうか、お兄ちゃんが、あたしを助けてくれたんだ」
そう言いながら、目の前の巨大な僕は、体をくねらせながら、自分自身を愛おしそうに抱きしめる仕草をした。
ちょっとまて、これってどういうことだよ。
もしかしてこれはお前の仕業か?
そもそもお兄ちゃんて、僕はお前にお兄ちゃんて言われる覚えは無いぞ。
それに、僕の姿で、そんなくねくねおかまみたいな仕草をしないでくれよ!!
「あ、ちゃんと説明しないとわからないよね。お兄ちゃんにわかるように、ちゃんと説明してあげるわね。
あたしはお兄ちゃんの妹の双葉だよ」
巨大な僕はそう前置きしてから、説明を始めた。
その話によると、この地蔵は身代わり地蔵といって、触った人間と中身が入れ替わってしまうのだという。
そうやって、今まで地蔵を触ってきた人間と、地蔵の中身が次々入れ替わってきたらしい。
「そしてついさっき、あたしはこの地蔵に触って、中身が入れ替わっちゃった」
な、なんだって! ということは、さっきの双葉は中身は別人ってことか?
でも、いつも通りの双葉だったし、怪しいことは何もなかったぞ。
「入れ替わった人間の記憶や知識は使えるみたい。
だからあたしを乗っ取ったあいつは、そのままあたしのふりをして、ママと仲直りまでしちゃった」
その事が気に入らないのか、目の前の僕はなんだか悔しそうだった。
「確かあいつは、元は男子高校生とか言っていたわね」
男子高校生?
ついさっき妹だと思っていた双葉の中身が男子高校生?
ちょっとショックだった。
「あ、そうか、今はあたしがお兄ちゃんになったから、お兄ちゃんのこともわかるわよ。
お兄ちゃんが、あたしをどう思っているのかも。
……そうか、お兄ちゃんにとって、あたしはかわいい妹だけど、それ以上じゃないんだ。
はやく兄離れをしてほしい……か」
そう言いながら、僕の姿の双葉は、どこか寂しそうに笑った。
僕の姿の双葉は、何かを考え込むように、そのまましばらく黙ってしまった。
身代わり地蔵に閉じ込められた僕は、動く事も声を出す事も出来ない。
そのまま待つしかなかった。
そのうちに、双葉は何かを決意した表情になった。
「とにかく、気に入らないあいつから双葉を取り返す!
お兄ちゃんも、あたしが、ううん僕がそこから助け出してやる。
だから、もうちょっとだけ我慢して待っていて」
それだけ言い残して、僕の姿になった双葉は、この場を去って行った。
ちょっとまて、双葉―――ッカムバ―――ック!!
お前が双葉だと言うなら、もう一度この地蔵に触れればいいんじゃないのか?
そうしたら僕たちは元に戻って、後は僕が双葉を連れて来て、地蔵に触らせればすむ話じゃないか。
なのになんで行っちゃうんだよ!!
行ってしまった双葉に言いたいことはあった。
だけど、この地蔵に閉じ込められて、身動きの取れない今の僕には、
双葉を信じて、待つことしか出来ないのだった。
あれから何時間経っただろうか?
辺りはすっかり暗くなり、露天風呂のライトが点灯して辺りを照らし始めた。
地蔵の中は、痛いとか、寒いとか、そういった苦しみはない。
だけどほんのわずかな間なのに、地蔵の中に閉じ込められて、身動きが取れなくて、
ただ意識がここにあり続けることが、こんなに苦痛だとは思わなかった。
はやくここから出たい、はやく解放されたい、双葉、はやく来てくれ。
僕はそう願うようになっていた。
男湯の時間が終わり、露天風呂に入っていたお客さんが居なくなった。
そして短い時間の間に、旅館の従業員が素早く後片付けをしていた。
これが終われば、男女混浴の時間、待ちに待っていた双葉との約束の時間だ。
おそらく僕の姿(敏明)になった双葉は、偽(?)の双葉を連れて来るだろう。
僕はその時を待った。
混浴の時間になって、真っ先に来たのは僕の姿の双葉だった。
そのまま露天風呂の温泉に入らず、真っ直ぐに地蔵の前まで来た。
双葉が来た、来てくれた。これでやっと僕はここから解放される。
「お兄ちゃん、待たせてごめん。今からあいつを罠に嵌めるから、もう少しだけ待ってて」
待っててって、という事は、偽の双葉はこの後に来るとして、お前は地蔵に触らないのか?
今なら僕が元に戻った後、僕が偽の双葉を地蔵に触らせれば、全ては元通りになるんじゃないのか?
だけど、僕のそんな声は、敏明(双葉)には届かない。
僕は成り行きに任せるしか出来なかった。
やがて少し遅れて、偽双葉が露天風呂に来た。
「あ、双葉、見てみろよ、こんな所に小さなお地蔵さんがいるぞ」
「待ってお兄ちゃん、それに触っちゃ駄目!!」
偽双葉が、慌てて駆け寄ってくる。
その慌てた様子は、まるで本当の兄を心配している本当の妹のように見えた。
「ふふっ、かかったわね」
「えっ?」
えっ?
敏明(双葉)は、偽双葉の手首を掴み、素早く地蔵に触らせた。
次の瞬間、僕の意識は暗転した。
再び意識の戻った僕は、体にタオルを巻いただけの姿で、冬の肌寒さを感じていた。
僕は生身の人間に戻れたのか?
でもこの体って、もしかして、いや、もしかしなくても、
「ぼ、僕は、今度は双葉になっちゃった……のか?」
人間に戻れて、自由に動けるようになったのは嬉しい。
だけど妹の体になったことに、戸惑いも感じていた。
僕はそんな戸惑いを払拭したくて、ぺたぺたと自分の体を触ってその感触を確かめた。
若干、元の自分の体より柔らかくて、いつもと感触が違うような気がした。
股間にも手を滑らせてみる、そこには男ならあるべきものがなかった。
「あ、ちんちんがない、……やっぱり女の体なんだ」
今の自分の体に男の証がないことは、思ったよりショックが大きかった。
「あなたは、今は中身は、敏明お兄ちゃん、……だよね?」
僕の体の双葉が、恐る恐る確認するかのように僕に問いかけてきた。
「え、ぼ、僕!! あ、ああ、僕は敏明だけど、そういう僕の体のお前は双葉なんだよな?」
返事を返しつつ、僕も問い返した。
地蔵と人間との間では、お互いに意思疎通は出来なかった。
だから僕になった双葉は、地蔵に向かって必要な事は言ったけど、ちゃんと伝わっていたのか不安はあったらしい。
そして僕も、僕になった双葉が本当に双葉なのか、自分の口で聞いて確認してみたかった。
「良かった、上手くいったんだ。あたしは体はお兄ちゃんだけど、中身は妹の双葉だよ。おかえりなさい敏明お兄ちゃん」
そう言いながら、僕の姿の双葉は、嬉しそうに双葉になった僕を抱きしめたのだった。
「人間に戻れたのは良いけれど、双葉の体になっちゃって、僕はこれからどうすればいいんだよ」
人間には戻れたけれど、体と立場が入れ替わって、僕は妹の双葉になっていた。
「心配しなくてもいいよ、お兄ちゃんには、ううん双葉には僕がついている。何があっても僕は双葉の味方だよ。それとも元のお兄ちゃんは、双葉の体は嫌?」
「い、嫌ってわけじゃないけどさ……」
「じゃあさ、すぐにとは言わないから、少しづつ双葉を受け入れていってよ。どっちにしても、これ以上はもう元には戻れないんだから」
僕になった双葉は、もうとっくに覚悟を決めて、今の敏明になった体や立場を受け入れていた。
でも僕は、今の双葉の体や立場を、受け入れられずにいた。
だってそうでしょ、つい半日前まで僕はお兄さんだったんだ。
なのに体が双葉になったからって、今から妹の双葉になれって言われても、はいそうですかって受け入れられなかった。
「それとも、もう一度その地蔵に触る? リスクは大きいけれど、元に戻るにはそれしかないよ」
「い、嫌だ! もうその地蔵になんてなりたくない」
今の状況は納得はいかないけれど、そんなことをしたら、偽双葉はすぐにこの場から逃げて今度は騙されないだろう。
もう一度入れ替わりなおすことは、まず無理だ。
それ以前に、もう一度その地蔵にはなりたくない。
双葉のほうも絶対にイヤだろう。
「じゃあ、受け入れるしかないよね」
「わ、わかったよ」
納得したわけじゃないけど、僕は仕方なく現状を受け入れることにした。
「じゃあ今から正式に僕がお兄ちゃんで、お兄ちゃんが妹の双葉だからね。あらためてよろしくね双葉」
「よ、よろしく、……お兄ちゃん」
こうしてこの日この時から、僕の妹の双葉としての人生が始まったのだった。
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敏明視点、エピローグ
あれから十数日、冬休みが終わって新学期が始まった。
あたしは双葉として小学校に登校した。
冬休み前、敏明だったあたしは、中学生として冬休みに入っていた。
なのに冬休み開けには、妹の双葉として卒業した小学校に、再び小学生として登校することになるなんて、何だか変な気持ちだった。
「おはよう双葉ちゃん」
「おはよう……和美ちゃん」
双葉の幼馴染で親友の和美ちゃんとは、数日ぶりの再会だった。
というのも、双葉が前から約束していたということで、和美ちゃんとは正月に、一緒に神社へ初詣に行っていたからだった。
「双葉ちゃんは冬休みはどうだった?」
「あたしはあんまり、初詣の時に言った通り、正月前に温泉に行ったきりだったよ」
「いいな、私の家は、今回はどこにも出かけなかったから」
「……でも、そのほうが良かったかもね」
そこで人生の大逆転が起こっちゃったし、あたしにとっては散々だったかもしれない。
「あ、そうだ、双葉ちゃん、敏明さんに私がお礼を言っていたと言っておいてね」
「……わかった」
今年の初詣の時、いつもはインドア派の敏明お兄ちゃんが、なぜか今回は付いて来た。
おそらく今の敏明兄さんは、元の自分や和美の事が気になったのだろう。
この時和美は、敏明お兄ちゃんに色々甘えたりして、気を引こうとしていた。
なんでだろう、わたしが敏明だったときは、そんな妹の友達の和美ちゃんがかわいいって感じていた。
なのに今はあたしの親友ではあるものの、そんなあざとい和美に、あたしはイラッと感じたりもしていた。
敏明お兄さんといえば、あっちも今頃は中学校に到着しているころだろうか?
体の記憶や経験が使えるとはわかっているけど、小学生の経験のあるあたしとちがって、あっちはいきなり中学生だ。
上手く中学生をやれるのか少しだけ心配だった。
「そうだ、敏明さん、彼女っているの? 敏明さんてステキな人だから、どうなのかなって」
「いないわよ、……前にいないって言っていた」
「そう、良かった」
「なんでそこで、和美がホッとしてるのよ!」
ここまで話して、ふとあたしは思い出した。
確かに冬休み前まで、敏明に彼女はいなかった。
だけど、敏明だったあたしは、クラスに気になる女子がいた。
最近彼女とはいい感じに仲良くなってきたし、彼女と恋人になりたいな、とは思い始めていたということに。
「あはは、まさか女だったあなたが、その子のこと、好きになったりしないわよね、お兄ちゃん!」
などと、今となってはあたしにはどうにもならないことで、あたしは気をもみながら、双葉としての小学生生活を始めたのだった。
こんどこそEND
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おまけ、このSSの元になった別の作者のSS
身代わり地蔵 Name 1 14/04/20(日)18:22 ID:9kkBLjOU No.53253 [GJ] [Boo]
「ラッキー! ようやく出られたわ。…まあね、女性の身体だけど、幸いにもあなたの過去の記憶もこれから何をすべきなのかも全てわかっいるから良いけどね。」
「ごめんなさいね。だけど興味本位で触ってしまうあなた方にも原因はあるのよ。…いやね、身体に引きずられて話し方も変わってしまうのね。」
「もう、他に誰もいない貸し切り状態の温泉なんだから、久しぶりの生身の身体を楽しもうよ!」
「そうよね。久しぶりにお酒を飲みたいわ」
無題 Name 1 14/04/20(日)18:23 ID:9kkBLjOU No.53259 [GJ] [Boo]
…た・す・け・て…
私たちは全てを悟った。だけど何もいえない。ぼんやりと湯気の向こうに映る姿は混浴の露天風呂に置かれた信楽焼の狸の置物。「身代わり地蔵」と同じ意味あい。いつからこうなっているのかわからないけれど、不用意に触った温泉客と心が入れ替わってしまうもの。
戻りたいと念じても触ってもらわないとダメ。それに、ここは山奥の温泉。冬場は閉鎖してしまう。助けて…。
秋の連休期間、俺は家族と一緒に、温泉旅行に出かけた。
両親、特に母親が温泉好きで、穴場のこの温泉の噂を聞いて、行きたがったからだった。
山奥にあるその温泉は、秋は紅葉で風景が美しかった。
そんな秋の風景を見ながらのんびり温泉に浸かるのも、たまにはいいもんだ。
そして俺は、外の風景がよく見える露天風呂に入った。
この露天風呂は、男女時間交代制で、今は男風呂の時間だった。
今は時間が早いせいなのか、露天風呂に入っているのは俺一人、貸しきり状態で気分がよかった。
ふと俺は、露天風呂の隅っこの外れに、小さなお地蔵さんをみつけた。
目立たないところに、それはまるで隠されているように置かれていた。
何でだ?
興味が沸いた俺は、ついそのお地蔵さんに触ってしまった。
その瞬間、一瞬俺の意識が暗転した。
なんだ、何が起こったんだ!!
何が起こったのかわからない。
だけど、体がまるで石になったかのように、まったく動せない。
そして俺の目の前には、腰にタオルを巻いた巨大な男が立っていた。
「やった、やっと人間に戻れたわ」
目の前の大男は、うれしそうに声を上げていた。
って、この大男は俺?
「この子の名前は清彦くん、高校生の男の子か。
うーん、性別が男の子に変わっちゃったか。
でも、人間に戻れたんだし、それにちょっと若返れたわけだし、このさい贅沢はいわないわ」
ちょ、ちょっとまってよ、これはどういうことだよ!!
「あ、元の清彦くんには訳がわからないだろうから、教えておいてあげるわ。
この地蔵は身代わり地蔵といって、触った人間と中身が入れ替わっちゃうのよ。
そうやって今まで、触った人間と、地蔵の中身が次々入れ替わってきたみたい。
私は元は温泉旅行好きなOLだったんだけど、半年前にうっかりこの地蔵に触っちゃって、入れ替わっちゃったのよ」
な、なんだって!!
「あれから半年、清彦くんがこの地蔵に触ってくれたおかげで、私はやっと開放されたってわけ」
お、俺を返してくれ。もう一度触れば元に戻れるんだろ?
「あ、私は嫌だからね。やっと人間に戻れたんだから。
あなたのかわりに私が、ううん俺が上手く清彦に成りすましてやるよ。
入れ替わった人間の記憶や知識は使えるから、そのままなり済ませるみたいだし、心配するな。
じゃ、俺は親父やお袋のところにいってくるから。
おまえも、いつかその地蔵から解放されることを祈っててやるぜ、じゃあな」
そう言い残して、清彦は行ってしまった。
そしてこの露天風呂に、再び姿を現すことはなかった。
そ、そんなあ!
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
季節はめぐって冬になった。
露天風呂の隅にあるこの地蔵には、普段は誰も気づかない。
温泉の関係者は、この地蔵のことを知らないのか、それとも知っていながらないものとして扱っているのか、誰も触れようとしない。
俺はできれば元の俺に戻りたい。だけど元はOLだったと言っていた今の清彦は、絶対にこの地蔵には触らないだろう。
動けない地蔵の中に閉じ込められているのは苦痛だった。
こうなったら誰でもいい、この地蔵に気づいてくれ。
そして触ってくれ。
俺をここから出してくれ。
「あれ、こんなところに何かある」
その願いがかなったのだろうか?
少し肌が色黒で、なんだか好奇心旺盛で活発そうな小学生くらいの女の子が、温泉の外れの地蔵の存在に気づいた。
「なんでこんなところにお地蔵さんが?」
女の子は持ち前の好奇心で、地蔵に興味を持って、そして触った。
その瞬間、俺の意識は暗転した。
気がついたら、俺は素っ裸で、冬の肌寒さを感じていた。
「やった、俺は人間に、人間に戻れたんだ!!」
俺は小さくて細い手を動かして、ぺたぺたと今の俺の体に触ってみた。
「すごい、手が動く、足も動く、それにからだが柔らかい」
人間なら当たり前の事なのに、二ヶ月ぶりに身代わり地蔵から解放されて、それを実感できることがすごく嬉しかった。
頭の中に、この子の記憶が流れ込むように思い浮かんだ。
「この子の名前は本郷双葉、……女の子なんだ」
本郷双葉ちゃんは、小学四年生の女の子。
パパとママとお兄ちゃん、それと双葉ちゃんの家族四人でこの温泉に来たらしい。
その他に、この温泉に来た双葉ちゃんの気持ちとか、色々とわかった。
なるほど、こうやって乗り換えた相手の記憶や経験が自分のものになって、相手になりすますことが出来るんだ。
俺はそっと今の自分の股間に触れてみた。
「ちんちんがない、俺は本当に女になっちゃったんだ」
なんだか変な感じだった。
性別が男から女に変わってしまった。
そのうえ女と言ってもつるぺたなお子様で、見ても触ってもおもしろくもなんともない。
だけど、ついさっきまで身代わり地蔵に閉じ込められていたことを思えば、贅沢はいえない。
元の俺の体になった、自称元OLの女も、贅沢は言えないとか言っていた。
皮肉なことに、今の俺はその意見に同感だった。
そういえば、と気がついて、さっきまで自分が閉じ込められていた身代わり地蔵を見た。
その小さな地蔵の中に、俺の変わりに閉じ込められた双葉ちゃんが、泣き喚いているような気がした。
「双葉ちゃんも、何がどうなったのかわからないよね? 俺が状況を説明してあげるよ」
思えば、俺の前に閉じ込められていたOLも、俺に身代わり地蔵の説明をしてくれた。
そうやって閉じ込められていた者が、次の犠牲者へ申し送りすることが、義務のように感じていた。
「この地蔵は身代わり地蔵と言って、触れた人間と中身が入れ替わっちゃうんだ。
今までこの身代わり地蔵に触ってきた人間は、今の俺たちみたいに、次々中身が入れ替わってきたらしい」
そう言って、一旦言葉を区切った。
身代わり地蔵からは、何の反応もない。
だけど地蔵の中の双葉ちゃんは、間違いなく今の俺の話を聞いているはずだ。
二ヶ月前の俺のように。
「あ、俺は二ヶ月前までは、普通の男子高校生だったんだ。
この地蔵のことを何も知らないで、ついうっかり触っちゃったんだ。
その結果、俺は元の体を前の犠牲者に取られて、その地蔵に閉じ込められてしまったんだ。
……今の双葉ちゃんみたいに」
今の俺の話を聞いて、双葉ちゃんはどう感じているんだろう?
身代わり地蔵からは、やはり何の反応もないのでわからない。
だけど、なんとなく双葉ちゃんが言いそうな言葉が、俺の脳裏に思い浮かんだ。
そう、今の俺は双葉ちゃんなんだ。双葉ちゃんのことならなんでもわかるんだ。
だからしゃべることのできない双葉ちゃんの代わりに、俺が言葉にして言ってやった。
「勝手な事を言わないでよ! あたしの体を返してよ!! って、言いたいんでしょ?」
そういった後、俺はにやりと笑った。
多分今の俺は、口の端がつりあがった、いやらしい笑みを浮かべているだろう。
「いやよ、俺は、いやあたしは、その地蔵から開放されるこの日を、ずっと待ってたんだからね!
今日からあなたの代わりに、あたしが双葉になってあげるわ」
双葉ちゃんらしい口調でそう宣言した。
元の俺のままだったら、恥ずかしくてしゃべられない女言葉が、まるで長年しゃべりなれたように、すんなり俺の口から出た。
「あなたにあたしの代わりなんてできるわけがない?
心配しなくても大丈夫よ。
こんな風に入れ替わった人間は、その入れ替わった相手の記憶や知識が使えるの。
だから今のあたしは、双葉ちゃんのことならなんでもわかるのよ。
たとえば、……せっかくの冬休みなんだから、本当はこんな山奥の温泉なんかじゃなく、
友達みたいに海外旅行とか、せめて東京ディズニーランドでも行きたかった、とかね」
今回の温泉旅行で双葉ちゃんが抱いていた不満を、俺が代わりに言ってやった。
これで、俺が双葉ちゃんの記憶が読めることも、身代わりができることもわかっただろう。
「じゃあね、元の双葉ちゃん。あなたも早く人間に戻れるといいわね」
もっとも、それがいつになるかわからないし、条件のよい体になれるかどうかもかわからない。
小学生の女の子が、もし爺さん婆さんになったら、可哀相すぎるが、こればっかりは運しかない。
でもせめて、元の双葉ちゃんが、よい条件の人間になれるように祈っていてあげよう。
「あら、双葉ちゃん、そんなところで何してるの?」
身代わり地蔵から離れようとしたそのとき、俺は声をかけられた。
誰だ? 俺は声のした方を見た。
「えっ? あ、ママ……」
露天風呂に入ってきて、俺に声をかけたのは、双葉ちゃんのママだった。
双葉ちゃんのママは、おっとりした雰囲気の大人の女性だった。
俺がその大人の女性に会うのは、もちろんこれが初めてだ。
なのに、一目で双葉ちゃんのママだとわかってしまった。
双葉ちゃんの記憶にあるとか、そんな理屈じゃなく感覚的に、『この人は俺のママなんだ』と感じていた。
そのママが、俺に優しい声色で声をかけてくる。
「そんな隅っこに行って、何か面白いものでも見つけたの?」
やばい、もしママが身代わり地蔵に気づいて、興味を持ってしまったらどうなるか?
きっと色々とややこしいことになる。
ママを身代わり地蔵に近づけないように、その気を逸らさなきゃ。
「う、うん、雪が珍しくて、近くで見ていたの」
これは嘘ではない。
実際に双葉ちゃんは、都会では珍しい雪に惹かれてここに来たんだ。
そして雪に触っているうちに、この身代わり地蔵をみつけてしまい、つい気まぐれで触ってしまったんだ。
それが、俺とチェンジする直前までの、双葉ちゃんの記憶だった。
俺はママに怪しまれる前に、俺のほうから行動を起こした。
「ねえママ、雪っておもしろいよ、ほら」
そう言いながら、俺はちかくの雪を両手ですくって、露天風呂まで持ってきた。
そして、温泉のお湯の中に投げ入れてみせた。
雪のかたまりが、温泉のお湯の中で、みるみる溶けていく。
これも入れ替わる直前までの双葉ちゃんが、実際に面白がってやっていたことだった。
そして、もし俺が元の清彦のままだったら、こんな当たり前のこと、さほど面白いとは思わなかっただろう。
なのに今の俺は、その程度のことが、すごく面白いと感じていた。
おそらくこれは、双葉ちゃんの感性なんだろう。
だから説得力があった。
「ね、面白いでしょう?」
「ええ、面白わ、すごく面白いわ、よく思いついたわね、さすがは双葉ちゃんね」
ママは、一瞬俺の行動に意外そうな顔をして、
でも次の瞬間、嬉しそうに満面の笑みを浮かべながら、俺のことを褒めてくれた。
何で、もしかして失敗したか?
……そうだった、双葉ちゃんは、ママとは冷戦中だったんだ。
今回この温泉に、家族で行こうと決めたのは、双葉のママだった。
敏明お兄ちゃんも双葉ちゃんも、東京ディズニーランドとか、もっと別の所に行きたいと反対したんだ。
でも、どうしても温泉に行きたいママが押し切った。
それ以来、この温泉に来るまで、双葉ちゃんは不機嫌だった。
「ママとは必要以上に口をきくもんか!」
と、双葉ちゃんは、意地になってもいたんだ。
そしてママは、そんな不機嫌な双葉ちゃんに気を使っていたんだ。
だけど、この露天風呂にママが登場した時、双葉と入れ替わった直後だった俺は、
どうやってママの気を、身代わり地蔵から逸らそうかという点に気をとられて、そのことまで気が回らなかったんだ。
「ねえ双葉ちゃん、いつまでもそんなところにいたら寒いでしょう。ママと一緒にお風呂に入らない?」
ママの誘いに俺は、チャンスだ、と思った。
元の双葉ちゃんのままなら、まだ意地をはり続けていたかもしれないが、俺はこの流れに乗ることにした。
「うん」
俺はママと一緒に露天風呂に入って、温泉のお湯に浸かった。
素っ裸でずっと外に出ていたせいで、この体はすっかり冷えていた。
それが温泉のお湯で温められたんだ。
はあ~、生き返った。
それが正直な感想だった、
久しぶりに感じる温泉の温かさに、俺は文字通り生きていることを実感していた。
そう、俺は生きた人間として、人間の世界に帰ってきたんだ。
「ごめんね双葉ちゃん、本当は温泉じゃなくて、ディズニーランドに行きたかったのよね」
ママと一緒に温泉に浸かり、良い雰囲気になってきた所で、ママが俺に謝ってきた。
すこし驚いたけど、いい機会だから、このままママと仲直りしてしまおう。
双葉ちゃんとママのの冷戦まで、俺が引き継ぐ必要はないんだし。
「もういいよ、この露天風呂も雪も面白いし、ここに来て良かったと思ってるよ」
これは半分演技だけど、もう半分は俺の本心だった。
こんなこと双葉のママには言えないけど、ママが温泉に行きたいと主張して、ここに双葉ちゃんをつれてきてくれたおかげで、俺は双葉ちゃんになれたのだから。
「ありがとう双葉ちゃん」
そうとは知らない双葉のママが、嬉しそうに俺を抱きしめた。
わわっ、ママのおっぱいが俺の顔にあたってるよ!!
うわあっ、ママの体、柔らかくて温ったけー!!
俺はママとのスキンシップにどぎまぎしながらも、ママと仲直りしたのだった。
「春休みにはディズニーランドに行きましょうね」
「本当、わー嬉しいな、ありがとうママ大好き!」
これも、半分演技で言ったつもりだった。
だけどもう半分、春休みのディズニーランドに行きの約束が、今から本気で楽しみになってきた。
俺はママと一緒に温泉に浸かりながら、改めてママを見た。
ママはすごい美人だった。
それに二児の母親とは思えないくらい若々しくて、プロポーションも抜群で、特に胸が大きかった。
ふと、自分の胸元と見比べた。
まだ子供だから当たり前なのだが、俺の胸はぺったんこだ。
なんだろうこのがっかり感は、思わずため息が出た。
「大丈夫よ、双葉ちゃんはママの子だもの、胸だって大人になったらママみたいに大きくなるわよ」
「本当?」
「本当よ」
いくら親子だからって、本当にママみたいに胸が大きくなれるとは限らない。
だけど俺は、ママにママの子だと言われて、なんだか嬉しく感じていた。
そうか、俺はこの人と、本当の親子になったんだ。
いつの間にか俺は、本当にこのママが好きになっていたんだ。
「えへへ、ママ大好き♪」
今度は演技ではなく、本気でそう言いながら、今度は俺からママに抱きついた。
「あらあら、双葉ちゃんたら、甘えん坊さんね」
そういいながら、ママは嬉しそうに俺を抱き返してくれた。
この人が、俺のママで良かった。
ママと一緒に温泉から上がり、脱衣所へ戻った。
ふと姿見の鏡を見た。
鏡には、ちょっと勝気な、だけどかわいい顔の女の子の姿が映っていた。
成長したら将来は美人になるだろう。
つい見惚れた。
今は双葉になった、今の自分の外見も立場も、すっかり気に入っていた。
入れ替わった直後は、ちんちんがないだとか感じていた違和感が、今は感じなくなっていた。
この短期間のうちに、すっかり馴染んでしまったらしい。
これが今の俺、ううん、女の子が自分のことを俺なんて言ったら変だよね。
これが今のあたしなんだ。
「どうしたの双葉ちゃん、鏡に見惚れちゃったりして」
ママが楽しそうに、あたしに声をかけてきた。
「え、これは…その……」
今の自分の姿に見惚れている所を、ママに見られて、あたしは急に恥ずかしくなった。
「うふふ、恥ずかしがることはないわよ。だって双葉ちゃんはこんなにかわいいんだもの。
女の子が、自分のかわいい姿に見惚れるのは当たり前よ」
ママにそういわれて、恥ずかしいけど、なんだか嬉しくなった。
「かわいい、あたしはかわいい」
その魔法の言葉に、あたしはだんだんうっとりとしてきた。
「でも、体が冷えて風邪を引くから、いいかげん体を拭いて、早く着替えましょうね」
「あわわっ! いいよ、体ぐらい自分で拭くわよ」
「いいからここはママに任せて、久しぶりにママが双葉ちゃんを拭いてあげる」
ママはそう言いながら楽しそうに、バスタオルであたしの体を拭き始めたのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そんな調子で脱衣所で着替えた後、
家族で泊まっている客室へ、あたしはママと一緒に戻ってきた。
客室では敏明お兄ちゃんが、一人で携帯ゲームで遊んでいた。
パパは今は、露天風呂ではない、普通の浴場のほうに行っているらしい。
「ただいま、敏明ちゃん、いい湯だったわよ」
「おかえりママ、……えっ、ママ、双葉と一緒に戻って来た!!」
「何? お兄ちゃん、あたしがママと一緒に戻って来たら悪いの?」
「そんなんじゃないけど、お前、ママとけんかしてただろ」
「うふふ、それがね、お風呂で仲直りしてきちゃった」
ママが敏明お兄ちゃんに、露天風呂での出来事を、嬉しそうに話はじめた。
敏明お兄ちゃんは、あたしより三つ年上の中学生の男子で、性格がおとなしい草食系のインドア派だ。
だから、温泉に来たのに、部屋に寝転がって、携帯ゲームで遊んだりしている。
そして特にこれは重要なことだが、マジイケメンだ。
(敏明はイラストの女の子が、そのまま男の子になって、成長した感じの美少年だと思ってくれ)
もしあたしが元の清彦のまま敏明お兄ちゃんに会ったら、けっ、男のくせに軟弱そうなやつ、とか思ってケチをつけただろう。
だけど今のあたしの目には、お兄ちゃん素敵、マジかっこいい、って見えていた。
優しい敏明お兄ちゃんは、物心ついた頃から、いつも双葉と遊んでくれて、双葉の面倒を見ていてくれた。
幼い頃の双葉は、そんなお兄ちゃんが、「ふたばは、おにいちゃんのおよめさんになる」と言っていたくらい大好きだった。
さすがに今はそんなことは言わないが、それでも敏明お兄ちゃんが大好きだった。
だから今は、お兄ちゃんにちょっとだけベタベタ甘えてみせたり、
お兄ちゃんに甘えながら、悪い虫がつかないように、監視をするのにとどめていた。
そう、元の双葉はお兄ちゃん大好きっ子、お兄ちゃんラブな、ブラコンだったのだ。
そして今のあたしは、そんな元の双葉の気持ちまで、引き継いでしまっていた。
『も、もう、ブラコンって言ったって、物には限度があるでしょうが!』
それではまずい、お兄ちゃんに甘えると言ったって、常識的なラインで程々にしておかなきゃ。
清彦の感覚で、そう思い直したはずなのに、敏明お兄ちゃんが素敵に見えてしょうがなかった。
「へえ、露天風呂では雪が積もっていて、双葉はそんな事をしていたのか」
ママの話を聞いて、どうやら敏明お兄ちゃんは、露天風呂に興味を持ったらしい。
「じゃあ僕も、露天風呂に入ってみようかな、そろそろ男湯への切り替えの時間みたいだし」
「あ、お兄ちゃんが入るなら、あたしも入る」
あたしは反射的に名乗りを上げた。
こ、これは、敏明おにいちゃんが、例の地蔵に近づかないように監視するためだからね。
決して、お兄ちゃんと一緒にお風呂に入りたいからじゃないからね。
本当だからね。
「だめだよ、露天風呂は、もうそろそろ男湯になる時間なんだから」
「で、でも、小さい頃は、一緒にお風呂に入ってたじゃん」
「小さい頃は、だろ、双葉はもう四年生なんだから、男湯に入っちゃだめだよ」
お兄ちゃんに諭すように駄目と言われて、あたしはしゅんとしてしまう。
「……わかったよ、夜に混浴の時間があるから、ならその時に一緒に入ろうか」
「本当! わあ、お兄ちゃん大好き!」
「しょうがないやつだなあ」
敏明おにいちゃんは、苦笑いしながら、タオルを持って一人で露天風呂のほうに歩いていった。
直後に、あたしは急に不安になった。
お兄ちゃん、例の身代わり地蔵に触ったりしないだろうか?
目立たない所、しかも奥にあるから、普通なら気づかないだろう。
普段の敏明お兄ちゃんなら、地蔵の所までは行かないだろう。
だけど、ママがあんな話をして、興味を持った後だ、見つけてしまうかもしれない。
お兄ちゃんが、もし地蔵に触ってしまったら……。
だからといって、今から男風呂の時間に行って、お兄ちゃんが地蔵の所に行かないように見張るわけにもいかないし。
そんな不安を感じながら、あたしはお兄ちゃんが戻ってくるのを待った。
そして、戻って来たところで、勢い込んで感想を聞いた。
「お兄ちゃん、露天風呂どうだった!」
「どうだったって、普通に露天風呂だったぞ」
そんなあたしに、お兄ちゃんはやっぱり苦笑していた。
「それだけ?」
「それだけって、雪景色はきれいだったし、双葉がやっていたみたいに雪を入れて溶かしたら面白かったよ」
普通に露天風呂での話をしてくれた。
良かった、お兄ちゃん、どうやら例の地蔵には、触るどころか気付きもしなかったみたいだ。
思わずホッとした。
「変なやつだな」
お兄ちゃんは、相変わらず苦笑しながら、あたしの頭を、優しく撫でてくれた。
あたしはえへへ、と機嫌よく笑った。
露天風呂から戻ったお兄ちゃんは、中断していた携帯ゲームを再開した。
いつも通りのお兄ちゃんに、あたしは完全に安心したが、でも面白くなかった。
「ねえお兄ちゃん、ゲームなんていつでも出来るでしょ、一緒にこの旅館を探検しようよ」
「ああ、今いい所なんだから、後で、それに夜に一緒に露天風呂に入る約束してるだろ」
「それとこれとは別なのに……」
とはいえ、こうなったらお兄ちゃんは、なかなか動いてくれない。
それは過去の双葉の記憶からわかっていた。
「いいもん、一人で探検してくるから」
本当はお兄ちゃんに構ってほしいから、気を引きたくてそんな事を言う。
でもお兄ちゃんは、もうゲームに夢中で動かない。
あたしはしぶしぶ一人で旅館の探検に出かけたのだった。
「はあ~、双葉に馴染むのはいいけど、すっかり体の記憶や感覚に、引っ張られちゃってるわね」
少し冷静になって、あたしはすっかり双葉になりきっていた自分に気がついた。
でも、気分は悪くなかった。
どうせこの先、あたしは双葉として生きていかなきゃいけないんだ。
だったらこれでいい。
でもこの先、もう少しくらい、ブラコンを抑えたほうがいいかな。
なんてことを冷静に考えながら、一人でこの旅館の探検を始めたのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
秋の紅葉のシーズンが終わり、冬になると、交通の便が悪いここに来るお客は少なくなる。
だけど、それだけにゆったり泊まることが出来るし、温泉からの雪景色も美しい。
後で知ったことだけど、この旅館は隠れた穴場扱いだった。
最初はお兄ちゃんの気を引こうと、思いつきで言ってはじめた旅館の探検だったけれど、だんだん楽しくなってきた。
山奥の古い作りのこの旅館は、後から増築などで継ぎ足されたりして、中の作りがちょっとした迷路みたいになっていた。
見るもの聞くもの触るもの、全てが珍しくて新鮮で、あたしの好奇心が刺激された。
これも双葉になった影響なのだろう、あたしは清彦だった時よりも、好奇心が強くて、ずっと行動的な女の子になっていた。
もっとも前の双葉は、その好奇心が裏目に出て、あの地蔵に触って、あたしとチェンジしちゃったんだけどね。
だからあたしは、そうならないように気をつけなきゃ。
でも今は、この状況を楽しもうと思った。
旅館の探検をしていると、双葉の家みたいな家族連れとか、老夫婦とか、意外なことに若いカップルとか、何組かのお客さんとすれ違ったりもした。
シーズンオフのわりに、意外にお客さんが多いかも。
そんな探検中、あたしは珍しいお客さんとも出会った。
ちょっときょろきょろ余所見をしたまま歩いていて、あたしは誰かとぶつかってしまった。
「あ、ごめんなさい」
あたしは慌てて頭を下げて謝った。
「ワタシはダイじょーぶでス。アナタこそダイじょーぶでスか?」
発音の変な日本語で返事を返されて、あたしは頭を上げてその人を見た。
銀髪の白人のお姉さんが、あたしの目の前に立って居た。
長身で、変な言い方だけど、日本人離れをしたスタイル抜群な女の人だった。
整った顔がきりっと引き締まっていて、格好いいひとだなって、あたしはつい思わず見とれてしまった。
「ドウしたのでスか? ドコかイタイのでスか?」
どこか変なアクセントの日本語で、心配そうに声をかけられて、あたしははっと気づいた。
「いえ、大丈夫です。あたしのほうこそ余所見をしていて、ぶつかってごめんなさい」
「ソレならヨかったでス、ワタシはダイジョーブでス、タイシタことないでス」
にっこり笑ったお姉さんの顔は、すごく魅力的だった。
その後、そのお姉さんと、短いやりとりを二言三言かわしてから別れた。
緊張していて、その時お姉さんと何を話したのか、細かい事は覚えていない。
ただ、こんな田舎の温泉に、外国から来た、変な日本語をしゃべる珍しいこのお客さんのことは、強くあたしの印象に残った。
それどころか、銀髪の格好いいこのお姉さんに、あたしは憧れを感じたんだ。
でもだからといって、後であたしの運命が、この銀髪のお姉さんと大きく関わってくるなんて、この時は思ってもみなかったのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
旅館の探検はけっこう楽しくて、時間の経過も忘れていた。
いつの間にか薄暗くなってきたので、あたしは家族の待つ部屋へと戻った。
夕食の時間に、運ばれてきた食事を食べながら、家族にその時の話をした。
「あ、そうそう、探検の終わりに、夕方に来たお客さんが珍しい人だったよ」
「へえ、珍しい人って?」
「それはね、外国から来た銀髪の……」
あたしってこんなにおしゃべりだったっけ?
あ、そうか、清彦は口数が少なかったけど、双葉はおしゃべりだったんだ。
そしてこういうとき、相槌をうってくれるママとの会話は弾んで楽しかった。
ここ数日はママとは冷戦で、あまりおしゃべりをしていなかったから、余計に話が弾んだ。
地元の山の幸が多く使われた、旅館の食事も美味しかった。
よく考えたら、今のあたしにとって、この体になってから初めての食事だった。
あたしは、今生きてる事を実感しながら、美味しく夕食を食べたのだった。
「双葉、約束通り、一緒に温泉に入ろうか?」
夕食の後、敏明お兄ちゃんが約束通り、あたしを温泉に誘ってくれた。
「そんなにあたしの裸が見たいんだ、お兄ちゃんのH」
「そんなんじゃないって、だいたい双葉の裸って、見られて困るほどのもんじゃないだろ」
「んもう、お兄ちゃんの意地悪、そんなこと言うなら、一緒に入ってあげないんだから」
「……双葉がそういうなら、僕一人で入ってくる」
「うそうそ、双葉も一緒に入るから、お兄ちゃん待ってよ」
そんな調子で、あたしはお兄ちゃんと一緒に、例の露天風呂に向かった。
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この露天風呂は、夜の8時から11時まで男女混浴の時間だった。
だから今すぐに行けば、お客さんの少ない貸切状態で入れるはずだ。
意外なことに、いつもはのんびりな敏明お兄ちゃんが張り切っていた。
あたしより先に服を脱いで、腰にタオルを巻いて露天風呂の方へ行ってしまった。
よっぽどこの露天風呂が気に入ったのね。この時はそう思っていた。
「もう、お兄ちゃん待ってよ!」
あたしは体にタオルを巻きながら、少し遅れて露天風呂に到着した。
露天風呂の、お兄ちゃんの居る場所を見てぎょっとした。
あ、あの場所は、身代わり地蔵の!!
「あ、双葉、見てみろよ、こんな所に小さなお地蔵さんがいるぞ」
「待ってお兄ちゃん、それに触っちゃ駄目!!」
あたしは慌てて駆け寄った。
お兄ちゃんを、あの地蔵から引き離さなきゃ。そう思った。
慌てていて冷静さを欠いたあたしは、だから敏明が何を狙っているのか気づかなかったんだ。
「ふふっ、かかったわね」
「えっ?」
敏明お兄ちゃんは、寄ってきたあたしの手首をつかみ、そして地蔵に触らせた。
「あっ!」
と気づいたときにはもう手遅れで、あたしの意識は暗転した。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
次に気がついたら、あたしは体が石になってしまったかのように、身動きが出来ない状態だった。
この感じは、……身代わり地蔵の中?
あ、あたし、身代わり地蔵に逆戻りしちゃったの?
嫌だ、あたしこんなの嫌よ!!
でも、身動きの出来ない今のあたしには、もうどうする事も出来ない。
そんな身動きの出来ないあたしの目の前で、ついさっきまでのあたし、双葉が戸惑いの表情を浮かべていた。
「ぼ、僕は、今度は双葉になっちゃった……のか?」
双葉はそう言いながら、ぺたぺたと自分の体を触って、感触を確かめていた。
「あ、ちんちんがない、……やっぱり女の体なんだ」
双葉のそんな所を触って、そんな事を言うなんて、な、なんかヤダー!
そんな双葉に敏明お兄ちゃんが、何かを確かめるように声をかけた。
「あなたは、今は中身は、敏明お兄ちゃん、……だよね?」
「え、ぼ、僕!! あ、ああ、僕は敏明だけど、そういう僕の体のお前は双葉なんだよな?」
敏明に問われて、双葉は戸惑いながら自分は敏明だと名乗った。
「良かった、上手くいったんだ。あたしは体はお兄ちゃんだけど、中身は妹の双葉だよ。おかえりなさい敏明お兄ちゃん」
双葉に問い返された敏明は、そう答えながら、まだ戸惑っている双葉を抱きしめた。
あたしは意識を地蔵の中に閉じ込められて、そんな兄妹の絆を見せ付けられながら、ようやく気がついた。
ついさっき、あたしを騙して地蔵に触らせた敏明の中身は、元の双葉だったんだ。
敏明お兄ちゃんが、最初に露天風呂に行った時に、地蔵に触って中身が元の双葉と入れ替わっていたんだ。
戻って来たお兄ちゃんはいつも通りだった?
そんなのは、敏明お兄ちゃんの体の知識と経験を使えば、簡単に出来ちゃうことだったってことを忘れていた。
双葉に成りすましていた、あたし自身がそうだったように。
その時、二人の間にどんなやりとりがあったのかまではわからない。
ただ、敏明お兄ちゃんに成りすました元双葉が、あたしを上手く騙して、再度この地蔵に触らせた事は確かだった。
「人間に戻れたのは良いけれど、双葉の体になっちゃって、僕はこれからどうすればいいんだよ」
敏明と双葉の兄妹は、人間に戻れたけれど、体と立場が入れ替わった状態だった。
「心配しなくてもいいよ、お兄ちゃんには、ううん双葉には僕がついている。何があっても僕は双葉の味方だよ。それとも元のお兄ちゃんは、双葉の体は嫌?」
「い、嫌ってわけじゃないけどさ……」
「じゃあさ、すぐにとは言わないから、少しづつ双葉を受け入れていってよ。どっちにしても、これ以上はもう元には戻れないんだから」
兄の立場になった元妹は、すっかり覚悟を決めていて、現状を受け入れながら妹を励ましていた。
妹の立場になった元兄は、まだ立場の変化を受け入れきれずに、まだ戸惑っていた。
「それとも、もう一度その地蔵に触る? リスクは大きいけれど、元に戻るにはそれしかないよ」
「い、嫌だ! もうその地蔵になんてなりたくない」
「じゃあ、受け入れるしかないよね」
「わ、わかったよ」
「じゃあ今から正式に僕がお兄ちゃんで、お兄ちゃんが妹の双葉だからね。あらためてよろしくね双葉」
「よ、よろしく、……お兄ちゃん」
どうやら兄妹の間で、話がまとまったようだった。
そしてあたしは、そんな兄妹のやり取りを、切ない思いで聞いていた。
なまじ双葉に馴染んでいたせいで、あたしがそんな兄妹の関係から弾かれて、中に入れないことが悲しかった。
あたしには、清彦だった記憶がある。
だけど、短期間で双葉に馴染んでいたせいで、清彦だった気分は薄れていた。
逆に、双葉だった気分が強く残っていた。
そんなあたしに、新たに敏明になった元の双葉が、追い討ちをかけるように言った。
「双葉の体と敏明お兄ちゃんは返してもらったよ。今の気分はどう? 偽者さん」
面と向かって偽者と言われて、あたしは反発を感じた。
偽者? 違うわよ、さっきまではあたしが双葉だった、あたしが双葉だったのよ、と。
気分? 悔しいわよ、そして双葉でなくなったことが悲しい。
今の敏明は、双葉になっていたあたしのことが、よほど気に入らなかったのだろう。
あたしに向ける、敏明の勝ち誇ったような笑顔は、どこか歪んでいた。
短期間とはいえ大好きだった敏明お兄ちゃんの顔で、そんな顔は見たくなかった。
あたしは心が痛んだ。
「偽者さんには特にその地蔵の説明はいらないよね。
僕たち兄妹は、偽者さんとその地蔵のせいで立場や体が入れ替わっちゃったけど、
僕たちのことは僕たちで上手くやっていくから、じゃあね、偽者さん。……行こう双葉」
「う、うん」
言いたい事だけを言って、敏明と双葉の兄妹は、露天風呂にも入らずにこの場を去っていった。
そしてこの場には、身代わり地蔵に閉じ込められた、あたしだけが取り残された。
敏明と双葉の兄妹が去ったすぐ後、露天風呂には次々と、別のお客さんがやってきた。
老夫婦とか、若いカップルとか、小さな男の子を連れた若い夫婦とか、
あたしが双葉だったついさっき、旅館の探検をしている時にすれ違った人たちだった。
中にはその時にあたしに声をかけてきて、おしゃべりをした人もいる。
だけどその人たちは、誰もあたしにも地蔵にも気づかないし、気づいてくれない。
もっとも、清彦だったときに地蔵に存在を奪われた時よりもショックが大きくて、
あたしにはそんなことを気にする余裕がなかった。
当てにもしていなかった。
どうせまた、何日も何十日も、下手をしたら何ヶ月も、機会を待ち続けることになるのだろう。
だけど、さすがにパパとママが、つまり双葉の両親が、仲良く露天風呂にやって来た時には、
地蔵の体では泣けないのに、泣きそうな気分になった。
「その時の双葉ちゃん、こんな風に温泉に雪を入れて、楽しそうだったわよ」
楽しそうにあの時の話をするママに、話を聞くパパ、あたしとこの人たちとはもう親子じゃない。赤の他人。
そのことが、寂しくて悲しかった。
双葉編、清彦視点は一旦ここまで
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
双葉編、これより少し戻して敏明視点
ママとけんかをしていた双葉が、ママと仲直りをして戻って来た。
そしてママは、露天風呂での双葉とのやりとりを、嬉しそうに話してくれた。
「へえ、露天風呂では雪が積もっていて、双葉はそんな事をしていたのか」
いつもなら聞き流していたかもしれないけれど、今回は話を聞いて、雪とか露天風呂とかに興味を持った。
「じゃあ僕も、露天風呂に入ってみようかな、そろそろ男湯への切り替えの時間みたいだし」
「あ、お兄ちゃんが入るなら、あたしも入る」
「だめだよ、露天風呂は、もうそろそろ男湯になる時間なんだから」
妹の双葉は、お兄ちゃん大好きっ子で、小さい頃からいつも僕の側にいた。
かわいい妹に好かれているのは嬉しいけれど、ベタベタしすぎで、たまにちょっと度が過ぎてるだろ、と思うことがある。
いいかげん兄離れしてほしいもんだ。
「で、でも、小さい頃は、一緒にお風呂に入ってたじゃん」
「小さい頃は、だろ、双葉はもう四年生なんだから、男湯に入っちゃだめだよ」
諭すようにやんわり断ったら、双葉はしゅんとしてしまった。しょうがないな。
「……わかったよ、夜に混浴の時間があるから、ならその時に一緒に入ろうか」
「本当! わあ、お兄ちゃん大好き!」
「しょうがないやつだなあ」
なんだかんだ言いながら、僕は妹には甘いのかもしれない。
夜に妹と一緒に露天風呂に入る約束をして、今回は一人で露天風呂に向かったのだった。
露天風呂にいくと、確かに雪が積もっていた。
雪景色は綺麗だった。
そして、ママの話で聞いたみたいに、雪を手ですくって温泉のお湯の中に入れてみた。
雪がお湯に溶ける様子は、なるほど確かに面白いな。
もう少しだけやってみよう。
この時、ふと気がついた。
露天風呂の隅のほうに雪がなくて、誰かが歩いた道のようになっている場所がある事に。
興味を引かれてその先に行ってみた。
隅っこのさらに目立たない所に、小さなお地蔵さんがおかれていた。
「なんでこんな所にお地蔵さんが?」
そう思いながら、何気なくお地蔵さんに触れた。
その次の瞬間、僕の意識は暗転した。
次に気がついたとき、何が起こったのか、僕にはまったくわからなかった。
だけど、からだが石になったかのように、まったく動かせなかった。
そんな僕の目の前には、巨大な人間が居た。
「体が動く、あたし、人間に戻れたんだ!」
嬉しそうに声をあげて喜んでいた。
喜んでいる巨人は、えっ、僕!?
「お兄ちゃん、あたし、お兄ちゃんになってる。
そうか、お兄ちゃんが、あたしを助けてくれたんだ」
そう言いながら、目の前の巨大な僕は、体をくねらせながら、自分自身を愛おしそうに抱きしめる仕草をした。
ちょっとまて、これってどういうことだよ。
もしかしてこれはお前の仕業か?
そもそもお兄ちゃんて、僕はお前にお兄ちゃんて言われる覚えは無いぞ。
それに、僕の姿で、そんなくねくねおかまみたいな仕草をしないでくれよ!!
「あ、ちゃんと説明しないとわからないよね。お兄ちゃんにわかるように、ちゃんと説明してあげるわね。
あたしはお兄ちゃんの妹の双葉だよ」
巨大な僕はそう前置きしてから、説明を始めた。
その話によると、この地蔵は身代わり地蔵といって、触った人間と中身が入れ替わってしまうのだという。
そうやって、今まで地蔵を触ってきた人間と、地蔵の中身が次々入れ替わってきたらしい。
「そしてついさっき、あたしはこの地蔵に触って、中身が入れ替わっちゃった」
な、なんだって! ということは、さっきの双葉は中身は別人ってことか?
でも、いつも通りの双葉だったし、怪しいことは何もなかったぞ。
「入れ替わった人間の記憶や知識は使えるみたい。
だからあたしを乗っ取ったあいつは、そのままあたしのふりをして、ママと仲直りまでしちゃった」
その事が気に入らないのか、目の前の僕はなんだか悔しそうだった。
「確かあいつは、元は男子高校生とか言っていたわね」
男子高校生?
ついさっき妹だと思っていた双葉の中身が男子高校生?
ちょっとショックだった。
「あ、そうか、今はあたしがお兄ちゃんになったから、お兄ちゃんのこともわかるわよ。
お兄ちゃんが、あたしをどう思っているのかも。
……そうか、お兄ちゃんにとって、あたしはかわいい妹だけど、それ以上じゃないんだ。
はやく兄離れをしてほしい……か」
そう言いながら、僕の姿の双葉は、どこか寂しそうに笑った。
僕の姿の双葉は、何かを考え込むように、そのまましばらく黙ってしまった。
身代わり地蔵に閉じ込められた僕は、動く事も声を出す事も出来ない。
そのまま待つしかなかった。
そのうちに、双葉は何かを決意した表情になった。
「とにかく、気に入らないあいつから双葉を取り返す!
お兄ちゃんも、あたしが、ううん僕がそこから助け出してやる。
だから、もうちょっとだけ我慢して待っていて」
それだけ言い残して、僕の姿になった双葉は、この場を去って行った。
ちょっとまて、双葉―――ッカムバ―――ック!!
お前が双葉だと言うなら、もう一度この地蔵に触れればいいんじゃないのか?
そうしたら僕たちは元に戻って、後は僕が双葉を連れて来て、地蔵に触らせればすむ話じゃないか。
なのになんで行っちゃうんだよ!!
行ってしまった双葉に言いたいことはあった。
だけど、この地蔵に閉じ込められて、身動きの取れない今の僕には、
双葉を信じて、待つことしか出来ないのだった。
あれから何時間経っただろうか?
辺りはすっかり暗くなり、露天風呂のライトが点灯して辺りを照らし始めた。
地蔵の中は、痛いとか、寒いとか、そういった苦しみはない。
だけどほんのわずかな間なのに、地蔵の中に閉じ込められて、身動きが取れなくて、
ただ意識がここにあり続けることが、こんなに苦痛だとは思わなかった。
はやくここから出たい、はやく解放されたい、双葉、はやく来てくれ。
僕はそう願うようになっていた。
男湯の時間が終わり、露天風呂に入っていたお客さんが居なくなった。
そして短い時間の間に、旅館の従業員が素早く後片付けをしていた。
これが終われば、男女混浴の時間、待ちに待っていた双葉との約束の時間だ。
おそらく僕の姿(敏明)になった双葉は、偽(?)の双葉を連れて来るだろう。
僕はその時を待った。
混浴の時間になって、真っ先に来たのは僕の姿の双葉だった。
そのまま露天風呂の温泉に入らず、真っ直ぐに地蔵の前まで来た。
双葉が来た、来てくれた。これでやっと僕はここから解放される。
「お兄ちゃん、待たせてごめん。今からあいつを罠に嵌めるから、もう少しだけ待ってて」
待っててって、という事は、偽の双葉はこの後に来るとして、お前は地蔵に触らないのか?
今なら僕が元に戻った後、僕が偽の双葉を地蔵に触らせれば、全ては元通りになるんじゃないのか?
だけど、僕のそんな声は、敏明(双葉)には届かない。
僕は成り行きに任せるしか出来なかった。
やがて少し遅れて、偽双葉が露天風呂に来た。
「あ、双葉、見てみろよ、こんな所に小さなお地蔵さんがいるぞ」
「待ってお兄ちゃん、それに触っちゃ駄目!!」
偽双葉が、慌てて駆け寄ってくる。
その慌てた様子は、まるで本当の兄を心配している本当の妹のように見えた。
「ふふっ、かかったわね」
「えっ?」
えっ?
敏明(双葉)は、偽双葉の手首を掴み、素早く地蔵に触らせた。
次の瞬間、僕の意識は暗転した。
再び意識の戻った僕は、体にタオルを巻いただけの姿で、冬の肌寒さを感じていた。
僕は生身の人間に戻れたのか?
でもこの体って、もしかして、いや、もしかしなくても、
「ぼ、僕は、今度は双葉になっちゃった……のか?」
人間に戻れて、自由に動けるようになったのは嬉しい。
だけど妹の体になったことに、戸惑いも感じていた。
僕はそんな戸惑いを払拭したくて、ぺたぺたと自分の体を触ってその感触を確かめた。
若干、元の自分の体より柔らかくて、いつもと感触が違うような気がした。
股間にも手を滑らせてみる、そこには男ならあるべきものがなかった。
「あ、ちんちんがない、……やっぱり女の体なんだ」
今の自分の体に男の証がないことは、思ったよりショックが大きかった。
「あなたは、今は中身は、敏明お兄ちゃん、……だよね?」
僕の体の双葉が、恐る恐る確認するかのように僕に問いかけてきた。
「え、ぼ、僕!! あ、ああ、僕は敏明だけど、そういう僕の体のお前は双葉なんだよな?」
返事を返しつつ、僕も問い返した。
地蔵と人間との間では、お互いに意思疎通は出来なかった。
だから僕になった双葉は、地蔵に向かって必要な事は言ったけど、ちゃんと伝わっていたのか不安はあったらしい。
そして僕も、僕になった双葉が本当に双葉なのか、自分の口で聞いて確認してみたかった。
「良かった、上手くいったんだ。あたしは体はお兄ちゃんだけど、中身は妹の双葉だよ。おかえりなさい敏明お兄ちゃん」
そう言いながら、僕の姿の双葉は、嬉しそうに双葉になった僕を抱きしめたのだった。
「人間に戻れたのは良いけれど、双葉の体になっちゃって、僕はこれからどうすればいいんだよ」
人間には戻れたけれど、体と立場が入れ替わって、僕は妹の双葉になっていた。
「心配しなくてもいいよ、お兄ちゃんには、ううん双葉には僕がついている。何があっても僕は双葉の味方だよ。それとも元のお兄ちゃんは、双葉の体は嫌?」
「い、嫌ってわけじゃないけどさ……」
「じゃあさ、すぐにとは言わないから、少しづつ双葉を受け入れていってよ。どっちにしても、これ以上はもう元には戻れないんだから」
僕になった双葉は、もうとっくに覚悟を決めて、今の敏明になった体や立場を受け入れていた。
でも僕は、今の双葉の体や立場を、受け入れられずにいた。
だってそうでしょ、つい半日前まで僕はお兄さんだったんだ。
なのに体が双葉になったからって、今から妹の双葉になれって言われても、はいそうですかって受け入れられなかった。
「それとも、もう一度その地蔵に触る? リスクは大きいけれど、元に戻るにはそれしかないよ」
「い、嫌だ! もうその地蔵になんてなりたくない」
今の状況は納得はいかないけれど、そんなことをしたら、偽双葉はすぐにこの場から逃げて今度は騙されないだろう。
もう一度入れ替わりなおすことは、まず無理だ。
それ以前に、もう一度その地蔵にはなりたくない。
双葉のほうも絶対にイヤだろう。
「じゃあ、受け入れるしかないよね」
「わ、わかったよ」
納得したわけじゃないけど、僕は仕方なく現状を受け入れることにした。
「じゃあ今から正式に僕がお兄ちゃんで、お兄ちゃんが妹の双葉だからね。あらためてよろしくね双葉」
「よ、よろしく、……お兄ちゃん」
こうしてこの日この時から、僕の妹の双葉としての人生が始まったのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
敏明視点、エピローグ
あれから十数日、冬休みが終わって新学期が始まった。
あたしは双葉として小学校に登校した。
冬休み前、敏明だったあたしは、中学生として冬休みに入っていた。
なのに冬休み開けには、妹の双葉として卒業した小学校に、再び小学生として登校することになるなんて、何だか変な気持ちだった。
「おはよう双葉ちゃん」
「おはよう……和美ちゃん」
双葉の幼馴染で親友の和美ちゃんとは、数日ぶりの再会だった。
というのも、双葉が前から約束していたということで、和美ちゃんとは正月に、一緒に神社へ初詣に行っていたからだった。
「双葉ちゃんは冬休みはどうだった?」
「あたしはあんまり、初詣の時に言った通り、正月前に温泉に行ったきりだったよ」
「いいな、私の家は、今回はどこにも出かけなかったから」
「……でも、そのほうが良かったかもね」
そこで人生の大逆転が起こっちゃったし、あたしにとっては散々だったかもしれない。
「あ、そうだ、双葉ちゃん、敏明さんに私がお礼を言っていたと言っておいてね」
「……わかった」
今年の初詣の時、いつもはインドア派の敏明お兄ちゃんが、なぜか今回は付いて来た。
おそらく今の敏明兄さんは、元の自分や和美の事が気になったのだろう。
この時和美は、敏明お兄ちゃんに色々甘えたりして、気を引こうとしていた。
なんでだろう、わたしが敏明だったときは、そんな妹の友達の和美ちゃんがかわいいって感じていた。
なのに今はあたしの親友ではあるものの、そんなあざとい和美に、あたしはイラッと感じたりもしていた。
敏明お兄さんといえば、あっちも今頃は中学校に到着しているころだろうか?
体の記憶や経験が使えるとはわかっているけど、小学生の経験のあるあたしとちがって、あっちはいきなり中学生だ。
上手く中学生をやれるのか少しだけ心配だった。
「そうだ、敏明さん、彼女っているの? 敏明さんてステキな人だから、どうなのかなって」
「いないわよ、……前にいないって言っていた」
「そう、良かった」
「なんでそこで、和美がホッとしてるのよ!」
ここまで話して、ふとあたしは思い出した。
確かに冬休み前まで、敏明に彼女はいなかった。
だけど、敏明だったあたしは、クラスに気になる女子がいた。
最近彼女とはいい感じに仲良くなってきたし、彼女と恋人になりたいな、とは思い始めていたということに。
「あはは、まさか女だったあなたが、その子のこと、好きになったりしないわよね、お兄ちゃん!」
などと、今となってはあたしにはどうにもならないことで、あたしは気をもみながら、双葉としての小学生生活を始めたのだった。
こんどこそEND
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おまけ、このSSの元になった別の作者のSS
身代わり地蔵 Name 1 14/04/20(日)18:22 ID:9kkBLjOU No.53253 [GJ] [Boo]
「ラッキー! ようやく出られたわ。…まあね、女性の身体だけど、幸いにもあなたの過去の記憶もこれから何をすべきなのかも全てわかっいるから良いけどね。」
「ごめんなさいね。だけど興味本位で触ってしまうあなた方にも原因はあるのよ。…いやね、身体に引きずられて話し方も変わってしまうのね。」
「もう、他に誰もいない貸し切り状態の温泉なんだから、久しぶりの生身の身体を楽しもうよ!」
「そうよね。久しぶりにお酒を飲みたいわ」
無題 Name 1 14/04/20(日)18:23 ID:9kkBLjOU No.53259 [GJ] [Boo]
…た・す・け・て…
私たちは全てを悟った。だけど何もいえない。ぼんやりと湯気の向こうに映る姿は混浴の露天風呂に置かれた信楽焼の狸の置物。「身代わり地蔵」と同じ意味あい。いつからこうなっているのかわからないけれど、不用意に触った温泉客と心が入れ替わってしまうもの。
戻りたいと念じても触ってもらわないとダメ。それに、ここは山奥の温泉。冬場は閉鎖してしまう。助けて…。