露天風呂の怪異(双葉編)からの続きです。
俺は元は、山下清彦という名前の男子高校生だった。
家族旅行で行った先の温泉の露天風呂で、うっかり身代わり地蔵に触り、意識を閉じ込められていた
そして季節は巡って冬、俺の意識が閉じ込められていた身代わり地蔵を、やはり家族旅行で温泉に来た小学生の女の子が触り、俺の意識は女の子の中に解放された。
俺は、ううんあたしは、本郷双葉ちゃんって名前のその女の子に成り代わり、ついさっきまで成りすませていたのだけれど……。
「ふふっ、かかったわね」
「えっ?」
その双葉ちゃんの兄、敏明にいつの間にか入れ替わっていた双葉ちゃんに引っ掛けられて、俺の意識は身代わり地蔵の中に逆戻りさせられてしまったのだった。
ああ、せっかく人間の体に戻れたのに、双葉の体や立場も気に入ってたのに、また身代わり地蔵に閉じ込めてしまった。悔しい。
「偽者さんには特にその地蔵の説明はいらないよね。
僕たち兄妹は、偽者さんとその地蔵のせいで立場や体が入れ替わっちゃったけど、
僕たちのことは僕たちで上手くやっていくから、じゃあね、偽者さん。……行こう双葉」
「う、うん」
言いたい事だけを言って、敏明と双葉の兄妹は、露天風呂にも入らずにこの場を去っていった。
そしてこの場には、身代わり地蔵に閉じ込められた、あたしだけが取り残された。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
やがて夜も更けてきて、露天風呂からお客さんがいなくなった。
露天風呂のライトが、無人の露天風呂を照らしているが、もうしばらくしたら消灯だろう。
そんな遅い時間に、一人だけ露天風呂に入ってきた。
あの人は、夕方にこの旅館に来た、こんな田舎の旅館には珍しい外人のお客さんだ。
銀髪の白人の女性だった。
それは、まだ双葉だったあたしが、旅館の探検をしていた時のことだった。
ちょっとよそ見をしたまま歩いていたあたしは、つい誰かとぶつかってしまった。
「あ、ごめんなさい」
あたしは慌てて頭を下げて謝った。
「ワタシはダイじょーぶでス。アナタこそダイじょーぶでスか?」
発音の変な日本語で返事を返されて、あたしは頭を上げてその人を見た。
銀髪の白人のお姉さんが、あたしの目の前に立って居た。
長身で、変な言い方だけど、日本人離れをしたスタイル抜群な女の人だった。
整った顔がきりっと引き締まっていて、格好いいひとだなって、あたしはつい思わず見とれてしまった。
「ドウしたのでスか? ドコかイタイのでスか?」
どこか変なアクセントの日本語で、心配そうに声をかけられて、あたしははっと気づいた。
「いえ、大丈夫です。あたしのほうこそ余所見をしていて、ぶつかってごめんなさい」
「ソレならヨかったでス、ワタシはダイジョーブでス、タイシタことないでス」
にっこり笑ったお姉さんの顔は、すごく魅力的だなって感じた。
その後、そのお姉さんと、短いやりとりを二言三言かわしてから別れた。
緊張していて、その時お姉さんと何を話したのか、細かい事は覚えていない。
ただ、こんな田舎の温泉に、外国から来た、変な日本語をしゃべる珍しいこのお客さんのことは、強くあたしの印象に残っていた。
ううん、あの銀髪の格好いいお姉さんに、あたしは憧れを感じたんだ。
だから夕食の時に、その銀髪のお姉さんのことを話題に上げた。
「ふうん、じゃあその銀髪の人、名前はなんていってたの?」
「えっ?」
ママに、そのお姉さんの名前を問われて、だけど名前が出てこなかった。
あたしは、あの人の名前を聞いていなかった?
それとも聞いていて忘れた?
どっちにしても、あの人の名前はわからない。
あたしのバカバカ、なにをやってるのよ!!
……同じ旅館にいるのだし、あの人に会う機会があったら聞いてみよう。
その時あたしは、そう思いなおした。
あの時の銀髪のお姉さんだ。
こんな遅い時間に、何だろう。
「このひロイおフロに、ワタシひとりだけ、貸切でス」
なるほど、ゆっくり一人で温泉に入ろう、そういうことか。
「こンなところに、なンでおじぞうサンがありマスか?」
えっ?
と思う間もなく、その白人女性は、身代わり地蔵に触った。
その次の瞬間、あたしの意識はまた暗転した。
次に気がついたら、あたしは冬の肌寒さも感じながら、夜の露天風呂の隅に素っ裸で立っていた。
もしかして、あたしはまた人間に戻れたの?
ただ今度は、喜ぶ前に戸惑いが大きかった。
今回は今までとは違って、頭の中がぐるぐるかき回されたような変な感じがして、なぜだか気分が悪かった。
額を指で押さえながら、はあはあと荒れる呼吸を整えた。
だけどしばらくそうしているうちに、段々気分が落ち着いてきた。
頭の中をぐるぐるされる感覚も治まって、急にすっきり治まった。
ふう~っ、と一息ついて、あたしは落ち着いた。
気分が落ち着いた後、あたしはあらためて下を見下ろした。
あたしの胸元には、それより下の視界を遮るような、大きな二つの膨らみがあった。
手や足は、あたしの思い通りに動く、動かせる。
体を触ってみると、すべすべして柔らかい。
胸もマシュマロみたいに柔らかくて、弾力があって、触り心地が良かった。
あたしは、人間に戻れたんだ。
それも、あの時の銀髪のお姉さんになってるんだ。
なんだかドキドキしている。
そうだなまえ、今のあたしの名前は?
「アマンダ・キャンベル、……今のあたしの名前はアマンダ」
そうか、この銀髪のお姉さんの名前は、アマンダっていうのか。
双葉だった時に知りたかった事を知ることが出来て、
あたしは胸のつかえの一つが取れて、少し気持ちがスッキリした。
アマンダは、アメリカ出身の大学生で年齢は二十歳、
わりと子供の頃から日本のアニメやゲームに接して、日本に興味を持ちはじめた。
そのうちに、日本の伝統行事や日本そのものに興味をもつようになり、詳しく調べるようになった。
その過程で日本が大好きになり、日本に憧れるようになった。
アマンダがアメリカで通っている大学と、提携していた日本の大学の短期留学の制度を利用して、秋に来日したらしい。
今年の10月からその日本の大学に通っていて、来年の春ごろまでの約半年の予定らしい。
今回は冬の休みを利用して、穴場のこの温泉旅館に来たのだった。
そして夕方に、この温泉旅館に到着して双葉だったあたしと出会い、そしてついさっき、あの身代わり地蔵に触ってしまった。
はるばる海の向こうから日本に憧れてやってきて、こんな形で体や存在を奪われちゃうなんて、なんだかアマンダに悪いことをしちゃったような気がした。
じゃあこの体を、アマンダに返すか?
イヤだ!
せっかく再び人間に戻れたのに、またあの地蔵の中になんて戻りたくなかった。
それに、双葉だった時に出合って、格好いい、って感じて憧れた、銀髪のお姉さんになれたんだ。
このままあたし、アマンダお姉さんなってみたいって、そう思った。
あたしの胸は、なんだかドキドキしていた。
あたしは、双葉になった時にもしたように、
身代わり地蔵の中に閉じ込められているだろうアマンダお姉さんに、身代わり地蔵の説明をした。
途中、双葉の体を経由したことは、ややこしいし自慢できることじゃないから省略した。
「じゃあねアマンダ、あなたも早く人間に戻れるといいわね」
そう言いながら、あたしは地蔵の側を離れた。
すっかり体が冷えちゃってるし、ひとまず温泉に浸かって温まり直そう。
ふう、いいお湯だわ。
体が冷えていたから、温泉のお湯が心地よいわ。
そうやって温泉に浸かって気持ちが落ち着いてくると、あたしは新しい今の自分の体の事が気になりだした。
おっぱいってお湯に浮くのね。
ついさっきまであたしの意識が入っていたのは、まだお子様でつるぺたな双葉の体だったから、
アマンダの存在感のあるこの大きなおっぱいが、なんだか嬉しくて、そして誇らしかった。
大きい胸って、肩がこるとか邪魔になるとかって聞くけど、今はこの状況を楽しんでみよう。
そんな事を考えていたその時、
「お客さん、そろそろ後片付けの時間なんで、温泉から上がってもらえないですか」
あたしは旅館の仲居さんから声をかけられた。
「Oh, did you just say?」
(え、今なんて言ったの?)
一瞬、仲居さんに何を言われたのかわからなくて、あたしは反射的に聞き返していた。
それも意識しないで英語で。
「うわあ、外人さんだったの。もう時間、これから後片付け、お風呂から出る、OK?」
仲居さんは、今度は身振り手振りをまじえて、あたしにお風呂から出るように促した。
そして今度はちゃんと聞いていたので、日本語で、時間なのでお風呂から出るように言われた事は理解した。
ちょっと待って、あたしは今、一瞬日本語を理解できなかった?
ううん違う、今度は日本語は理解できていた。
アマンダは、日本に来る前に、しっかり日本語の勉強をしてきていた。
(それ以外に、フランス語やスペイン語もできる設定、アマンダは頭が良いのです)
なので、簡単な日常会話くらいなら、普通にこなせるくらいの日本語の語学力を身につけていた。
ただし今のあたしは、ダイレクトには日本語を理解できず、従業員の簡単な日本語を、あたしは頭の中で英語に翻訳して、そしてはじめて内容を理解していた。
もしかして、今のあたしの母国語って英語なの?
いったいなんでこうなっちゃったの?
……などと悩むのは後にして、今はとにかく露天風呂から出なきゃ。
「わかりまシタ、いまからデまス」
あたしは、どうにか日本語で返事を返した。
あたしの日本語は、なんか変なアクセントのあやしい日本語になっていた。
あたしは仲居さんに促されて脱衣所に戻ってきた。
アマンダの着替えの入った籠の場所は、覚えていてすぐにわかった。
中にはタオルと下着と浴衣が入っていた。
あたしはまず、タオルで体を拭いた。
腰まである長い銀髪も、面倒くさいなと思いながら、丁寧に拭いた。
面倒くさいけど、この長くて綺麗な銀髪は、アマンダの自慢の髪で、ずっと大切に手入れをしてきた。
新しくアマンダになったあたしが、手抜きをするわけにはいかないわよね。
髪を拭き終わった後、あたしはその綺麗な銀髪に、ついうっとり見とれた。
その流れてふと、脱衣所に設置されていた鏡を見た。
長身で、スタイル抜群で、顔立ちがきりっと引き締まって整っていて、思わず鏡に映る今の自分の姿に見とれてしまった。
ふと、旅館の従業員が、浴場や脱衣所の後片付けをしようと、待ち構えていることに気づいた。
はっ、いけないいけない、とにかく早く着替えてここを出なきゃ。
あたしはまず下着を身につけて、次に旅館の浴衣を手にとった。
旅館の自分の部屋に通された後、浴衣の着方がわからなくて、四苦八苦しながら、でも、
「ニホンのきものデース」
とか言いながら、楽しそうに、これに着替えたことを思い出した。
……これってアマンダの記憶だよね。
アマンダのプライベートを覗き見してるみたいで、なんだか少し気が引ける。
まあでも、今はあたしがアマンダなんだし、自分の記憶(?)なんだからしかたないわよね。
アマンダがあたしのものになった事を実感して、無意識にあたしの口元が綻んでいた。
あたしも四苦八苦しながら、でも元のアマンダよりもしっかりと浴衣に着替えたのだった。
着替え終わった後、あたしはアマンダの泊まっている部屋へ急いだ。
もうすっかり時間が遅くなっているから、早く部屋へ戻らないとね。
部屋の場所は、アマンダの記憶でわかっていた。
部屋に入ると、布団が敷いてあって、いつでも寝られる状態だった。
さて、これからどうしよう?
このままアマンダとしての人生を受け入れるとなれば、
言葉の事とか、国籍のこととか、考えなきゃいけないことは山積みだった。でも……。
「FAA is sleepy.」
(ふぁーあ、眠いです)
風呂上りで急に眠くなってきて、時間ももう遅い。
今はとっとと寝て、難しい事は後で考えることにしよう。
「Good night.」
(おやすみなさい)
あたしは布団にもぐりこんで、そのまま眠りについたのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
朝、目が覚めた。
一瞬、ここはどこ? とあたしは戸惑った。
すぐにここは旅館の客室だと気がついた。
そうだった、昨日からあたしは、この温泉旅館に泊まりに来ていたんだった。
昨日から!!
ハッと気がついた、あたしは今は誰?
あたしはがばっと跳ね起きた。
体を起こすと、あたしの胸元からは、ぷるんと何かが大きく揺れる感覚が伝わってきた。
その感覚が教えてくれる、あたしの体は今は女なんだって。
そして思い出した。
あたしは昨夜から、アマンダになっているんだって。
目が覚めてくると、だんだん今の自分の置かれた状況が、理解できるようになってきた。
さて、これからどうしようか?
昨夜のあたしは、あの身代わり地蔵から解放されたことを、単純に喜んでいた。
まあ、美人でスタイル抜群な、アマンダになれたことを喜んだりもしてたけれど、でも事はそれほど単純ではない。
まずアマンダは、アメリカ国籍のアメリカ人で、この短期留学が終わったら、当然国へ帰らなきゃならない。
あたし、アメリカに行った事もないのに、そのアメリカに帰らなきゃいけないの?
身代わり地蔵のせいで、アマンダと体が入れ替わった事で、こんな国際的に面倒なことになるなんて、
あたしは本当だったら、平凡な男子高校生だったのにね。
ただ、アメリカに帰る事になるとしても、アマンダの記憶や知識が使えるから、向こうに行っても何とかなるだろう。
それに、留学の期間は来年の春までもう少し間がある。それまでは日本に居られる。
それまでに、この後どうするか考えてみよう。
そんな事を考えているうちに、元のアマンダがどう考えていたのかも、頭の中に思い浮かんできた。
アマンダは日本での留学生活を楽しんでいた。
そしてこの二ヶ月ほどの生活で、さらに日本が気に入っていた。
「イッソのコト、ワタシはニホン人になって、ニホンにスんでみたいデス」
あわよくば、留学期間が終わった後も、日本で生活が出来ないか?
アマンダはちらっとそんな事も考えていたみたいだった。
まずはアマンダの代わりに、あたしが日本での残りの学生生活を楽しんでみよう。
そしてその間に、アメリカに帰国するか、日本への滞在を延長したり、あわよくば日本に永住できないか、
いろいろな可能性を探ってみよう。
問題の先送りっぽいけど、ひとまず今後の方針が決まった。
少なくともこの温泉旅館に居る間は、あまり難しい事は考えないで、
アマンダの代わりに、この温泉での休暇を楽しもう。
いや、今はあたしがアマンダなんだから、アマンダの代わり、というのも変かな?
そんな事を考えている間に、そろそろ朝食の時間になった。食堂に食べに行こう。
あ、でも、浴衣が乱れたままってのはまずいわよね。手直しして…と。
んもう、着慣れない浴衣を直そうとしても、なかなか上手く行かないわね。
……ひとまずこれでよし、あとは上から羽織りを羽織って誤魔化してっと。
それじゃ、朝食を食べに、食堂へ行きますか。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
この旅館の朝食は、地元の食材を使った和食が基本だった。
ただし、洋食やパン食が希望のお客様も居るので、そういうお客さんには、事前に希望を聞いて個別の対応もしている。
アマンダは外見がもろ白人なので、チェックインの時に「朝食は洋食にしますか?」と聞かれたようだ。
それに対してアマンダは、「和食! ゼッたい和食デス!!」と強く希望したようである。
まあ、それはそれとして、朝食はこっちの食堂に用意してあるやつを、食べればいいのかな?
そう思いながら、用意してある朝食を見ていると、不意に後ろから誰かにぶつかられてしまった。
「あ、ご、ごめんなさい!!」
「I'm OK.(私は大丈夫)」
「えっ?」
「オー、ワタシはダイジョーブでス」
いけない、とっさに英語で答えちゃった。
すぐに日本語で言い直したから、相手は理解してくれたよね。
そして、あたしのお尻にぶつかって、頭を下げて謝っていた女の子の顔を見て驚いた。
「アナタは……」
双葉ちゃん、と言いかけて、慌ててその名前を飲み込んだ。
その子はあたしが身代わり地蔵経由でアマンダになる直前まで、あたしの意識が入っていた女の子、本郷双葉だった。
ちょっと複雑な経過で、あたしの意識はあの子の体を追い出された。
今のあの子のからだの中には、あの子の兄の敏明の意識がいるはずだった。
ちょっと巡り合わせが違ったら、今でもあたしはあの女の子の中にいただろう。
だからその双葉ちゃんを前に、あたしはちょっと複雑な気分になって、すぐに言葉が出なかった。
それとは別に、双葉ちゃんの名前を知らないはずのアマンダが、双葉ちゃんの名前を言ったらおかしいだろう。
だけど双葉ちゃんは、あたしの沈黙を、別の意味に取ったようだ。
「き、昨日も余所見してぶつかっておいて、今日もまた余所見してお姉さんにぶつかっちゃって、本当にごめんなさい!」
双葉ちゃんは緊張の面持ちで、より深く頭を下げていた。
そういえば、双葉ちゃんとアマンダの出会いはそうだったっけ。
もっとも、最初に余所見していてアマンダにぶつかったのは、中身があたしの双葉だったんだけどね。
だから最初にアマンダにぶつかった責任はあたしにある。
今の双葉は、厳密には今回が最初なんだけど、前回ぶつかった時の記憶もちゃんとあって、その責任も感じてるんだ。
そして今の中身の敏明お兄さんの双葉ちゃんは、いい子だなって感じた。
「ワタシはダイジョーブでス、タイシタことないでス、キにしなくてモダイジョーブでス」
昨日のアマンダがそうしてくれたように、双葉ちゃんを安心させるように、あたしはやさしく声をかけた。
たどたどしい日本語だけど、あたしの気持ちが通じたのか、双葉ちゃんはようやく安心してくれた。
「ぎ、銀髪のお姉さん!」
「ナンでスか?」
「良かったら、お姉さんの名前を教えてください!!」
双葉ちゃんに問われてまた思い出す。
そういえば、双葉だったあたしは、憧れた銀髪のお姉さんの名前を、知りたがったんだっけ。
あたし自身がそのお姉さんになったことで、今ではその名前や素性を知ることが出来た。
でも目の前の今の双葉ちゃんは、まだあたしの名前を知らないんだ。
双葉ちゃんのあたしを見つめるその瞳には、あたしに対する憧れの光が宿っていた。
正直な所、双葉の体を取り返されたわだかまりとか、複雑な思いとか、無いといえば嘘になる。
でも、あたし自身、双葉の体を乗っ取ったり、その双葉の体を取り戻された後、今度はアマンダの体を乗っ取ったり、その事で偉そうなことを言える立場ではない。
そしてアマンダになった今のあたしは、そんなわだかまりはどんどん小さくなっていった。
それよりも、あたしがあの時、銀髪のお姉さんに憧れた気持ちを、今の双葉は受け継いでくれているんだ。
そんな双葉ちゃんが、今のあたしにはすごくかわいいって思えた。
「My name is Amanda. ワタシはアマンダでス」
あたしは今の双葉ちゃんに、今のあたしの名前を教えてあげたのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
アマンダ視点、エピローグ
あの後、あたしは双葉ちゃんとお友達になった。
この数ヶ月、この小さな日本のお友達と、何度か手紙のやり取りをした。
あ、双葉ちゃんとの文通は日本語でしていた。
双葉ちゃんは英語が出来ないのもあるけど、アマンダは日本語の発音はともかく、基本的な読み書きは出来るレベルだったから。
少なくとも、小学生レベルの日本語の読み書きには、ほとんど問題は無かった。
ただ、日本の新聞とか、日本語の本とかの場合、たまに難しい漢字や文章に戸惑いつつ、辞書を引きながら読むこともあった。
「キヨヒコだったトキには、カンタンにヨめたのに、ニホンゴはムズかしいデス」
とはいえ、大学での留学生活や、こんな感じでの日常生活を続けるうちに、あたしの日本語の会話も読み書きも、だんだん上達していったのだった。
基本的に、お互いの近況を手紙に書いたりしていた。
あの身代わり地蔵での入れ替わりで、双葉ちゃんやその家族との関係が切れたはずなのに、こうして不思議な関係が続いている。
いや、むしろそのおかげで、不思議な縁がつながったと見るべきだろうか?
なんだかくすぐったいような、変な気持ちだが、あの短い入れ替わりの経験で、双葉ちゃんやその家族の事は気に入っていた。
だからこの不思議な双葉ちゃんとの文通を、あたしはいつも楽しみにしていた。
そして今回双葉ちゃんからもらった手紙には、
「フタバちゃん、テガミにおニイさんのグチをカいてマス」
中学生のお兄さんが、クラスの女の子と付き合い始めて、そのことが面白くないって、ブラコン丸出しの内容に苦笑させられたりもした。
ほんの短い間だったけど、双葉ちゃんになって敏明お兄さん大好きって気持ちを経験していたあたしには、その気持ちは一応理解できたから。
というか、あの二人は兄と妹の立場が入れ替わっていて、元は自分がその敏明お兄さんだったはずなのに、妹の双葉になりきってのこの反応、よくやるよと思う。
そして双葉ちゃんからの手紙には、今はお兄さんと一緒に英語の勉強をしている。
次の手紙は、英語で書くことに挑戦してみる。とも書かれていた。
「だってアマンダさんは、もうすぐアメリカに帰っちゃうんですもんね」
そう、もうすぐ留学の期間が終わる。
あたしがアマンダとして、アメリカに帰る時が近づいてきていたのだ。
あたしには、アマンダとしてアメリカで生まれ育った、記憶や経験がある。
だからアメリカに行ってもきっと大丈夫、今までアマンダのスキルで普通にアマンダに成りすませたように、アメリカでもふつうにやっていけるだろうと思う。
でもあたし自身は、アメリカに行ったことはない。
その国へ帰ることになるなんて、気持ちの上ではやっぱり不安も感じていた。
でも、手紙にはこうも書かれていた。
「あたし、いつかアマンダさんと、英語で話が出来るようになりたい。だから英語の勉強も、一生懸命がんばります」
この小さなお友達の決意表明に、あたしは勇気を貰った。
双葉ちゃんががんばるって言ってるんだ、あたしもがんばろう。きっと大丈夫。
そしてまた、日本の友達に会いに、もう一度日本に来よう。そう決意したのだった。
こうしてあたしは、アマンダ・キャンベルとして、アメリカに帰っていったのだった。
俺は元は、山下清彦という名前の男子高校生だった。
家族旅行で行った先の温泉の露天風呂で、うっかり身代わり地蔵に触り、意識を閉じ込められていた
そして季節は巡って冬、俺の意識が閉じ込められていた身代わり地蔵を、やはり家族旅行で温泉に来た小学生の女の子が触り、俺の意識は女の子の中に解放された。
俺は、ううんあたしは、本郷双葉ちゃんって名前のその女の子に成り代わり、ついさっきまで成りすませていたのだけれど……。
「ふふっ、かかったわね」
「えっ?」
その双葉ちゃんの兄、敏明にいつの間にか入れ替わっていた双葉ちゃんに引っ掛けられて、俺の意識は身代わり地蔵の中に逆戻りさせられてしまったのだった。
ああ、せっかく人間の体に戻れたのに、双葉の体や立場も気に入ってたのに、また身代わり地蔵に閉じ込めてしまった。悔しい。
「偽者さんには特にその地蔵の説明はいらないよね。
僕たち兄妹は、偽者さんとその地蔵のせいで立場や体が入れ替わっちゃったけど、
僕たちのことは僕たちで上手くやっていくから、じゃあね、偽者さん。……行こう双葉」
「う、うん」
言いたい事だけを言って、敏明と双葉の兄妹は、露天風呂にも入らずにこの場を去っていった。
そしてこの場には、身代わり地蔵に閉じ込められた、あたしだけが取り残された。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
やがて夜も更けてきて、露天風呂からお客さんがいなくなった。
露天風呂のライトが、無人の露天風呂を照らしているが、もうしばらくしたら消灯だろう。
そんな遅い時間に、一人だけ露天風呂に入ってきた。
あの人は、夕方にこの旅館に来た、こんな田舎の旅館には珍しい外人のお客さんだ。
銀髪の白人の女性だった。
それは、まだ双葉だったあたしが、旅館の探検をしていた時のことだった。
ちょっとよそ見をしたまま歩いていたあたしは、つい誰かとぶつかってしまった。
「あ、ごめんなさい」
あたしは慌てて頭を下げて謝った。
「ワタシはダイじょーぶでス。アナタこそダイじょーぶでスか?」
発音の変な日本語で返事を返されて、あたしは頭を上げてその人を見た。
銀髪の白人のお姉さんが、あたしの目の前に立って居た。
長身で、変な言い方だけど、日本人離れをしたスタイル抜群な女の人だった。
整った顔がきりっと引き締まっていて、格好いいひとだなって、あたしはつい思わず見とれてしまった。
「ドウしたのでスか? ドコかイタイのでスか?」
どこか変なアクセントの日本語で、心配そうに声をかけられて、あたしははっと気づいた。
「いえ、大丈夫です。あたしのほうこそ余所見をしていて、ぶつかってごめんなさい」
「ソレならヨかったでス、ワタシはダイジョーブでス、タイシタことないでス」
にっこり笑ったお姉さんの顔は、すごく魅力的だなって感じた。
その後、そのお姉さんと、短いやりとりを二言三言かわしてから別れた。
緊張していて、その時お姉さんと何を話したのか、細かい事は覚えていない。
ただ、こんな田舎の温泉に、外国から来た、変な日本語をしゃべる珍しいこのお客さんのことは、強くあたしの印象に残っていた。
ううん、あの銀髪の格好いいお姉さんに、あたしは憧れを感じたんだ。
だから夕食の時に、その銀髪のお姉さんのことを話題に上げた。
「ふうん、じゃあその銀髪の人、名前はなんていってたの?」
「えっ?」
ママに、そのお姉さんの名前を問われて、だけど名前が出てこなかった。
あたしは、あの人の名前を聞いていなかった?
それとも聞いていて忘れた?
どっちにしても、あの人の名前はわからない。
あたしのバカバカ、なにをやってるのよ!!
……同じ旅館にいるのだし、あの人に会う機会があったら聞いてみよう。
その時あたしは、そう思いなおした。
あの時の銀髪のお姉さんだ。
こんな遅い時間に、何だろう。
「このひロイおフロに、ワタシひとりだけ、貸切でス」
なるほど、ゆっくり一人で温泉に入ろう、そういうことか。
「こンなところに、なンでおじぞうサンがありマスか?」
えっ?
と思う間もなく、その白人女性は、身代わり地蔵に触った。
その次の瞬間、あたしの意識はまた暗転した。
次に気がついたら、あたしは冬の肌寒さも感じながら、夜の露天風呂の隅に素っ裸で立っていた。
もしかして、あたしはまた人間に戻れたの?
ただ今度は、喜ぶ前に戸惑いが大きかった。
今回は今までとは違って、頭の中がぐるぐるかき回されたような変な感じがして、なぜだか気分が悪かった。
額を指で押さえながら、はあはあと荒れる呼吸を整えた。
だけどしばらくそうしているうちに、段々気分が落ち着いてきた。
頭の中をぐるぐるされる感覚も治まって、急にすっきり治まった。
ふう~っ、と一息ついて、あたしは落ち着いた。
気分が落ち着いた後、あたしはあらためて下を見下ろした。
あたしの胸元には、それより下の視界を遮るような、大きな二つの膨らみがあった。
手や足は、あたしの思い通りに動く、動かせる。
体を触ってみると、すべすべして柔らかい。
胸もマシュマロみたいに柔らかくて、弾力があって、触り心地が良かった。
あたしは、人間に戻れたんだ。
それも、あの時の銀髪のお姉さんになってるんだ。
なんだかドキドキしている。
そうだなまえ、今のあたしの名前は?
「アマンダ・キャンベル、……今のあたしの名前はアマンダ」
そうか、この銀髪のお姉さんの名前は、アマンダっていうのか。
双葉だった時に知りたかった事を知ることが出来て、
あたしは胸のつかえの一つが取れて、少し気持ちがスッキリした。
アマンダは、アメリカ出身の大学生で年齢は二十歳、
わりと子供の頃から日本のアニメやゲームに接して、日本に興味を持ちはじめた。
そのうちに、日本の伝統行事や日本そのものに興味をもつようになり、詳しく調べるようになった。
その過程で日本が大好きになり、日本に憧れるようになった。
アマンダがアメリカで通っている大学と、提携していた日本の大学の短期留学の制度を利用して、秋に来日したらしい。
今年の10月からその日本の大学に通っていて、来年の春ごろまでの約半年の予定らしい。
今回は冬の休みを利用して、穴場のこの温泉旅館に来たのだった。
そして夕方に、この温泉旅館に到着して双葉だったあたしと出会い、そしてついさっき、あの身代わり地蔵に触ってしまった。
はるばる海の向こうから日本に憧れてやってきて、こんな形で体や存在を奪われちゃうなんて、なんだかアマンダに悪いことをしちゃったような気がした。
じゃあこの体を、アマンダに返すか?
イヤだ!
せっかく再び人間に戻れたのに、またあの地蔵の中になんて戻りたくなかった。
それに、双葉だった時に出合って、格好いい、って感じて憧れた、銀髪のお姉さんになれたんだ。
このままあたし、アマンダお姉さんなってみたいって、そう思った。
あたしの胸は、なんだかドキドキしていた。
あたしは、双葉になった時にもしたように、
身代わり地蔵の中に閉じ込められているだろうアマンダお姉さんに、身代わり地蔵の説明をした。
途中、双葉の体を経由したことは、ややこしいし自慢できることじゃないから省略した。
「じゃあねアマンダ、あなたも早く人間に戻れるといいわね」
そう言いながら、あたしは地蔵の側を離れた。
すっかり体が冷えちゃってるし、ひとまず温泉に浸かって温まり直そう。
ふう、いいお湯だわ。
体が冷えていたから、温泉のお湯が心地よいわ。
そうやって温泉に浸かって気持ちが落ち着いてくると、あたしは新しい今の自分の体の事が気になりだした。
おっぱいってお湯に浮くのね。
ついさっきまであたしの意識が入っていたのは、まだお子様でつるぺたな双葉の体だったから、
アマンダの存在感のあるこの大きなおっぱいが、なんだか嬉しくて、そして誇らしかった。
大きい胸って、肩がこるとか邪魔になるとかって聞くけど、今はこの状況を楽しんでみよう。
そんな事を考えていたその時、
「お客さん、そろそろ後片付けの時間なんで、温泉から上がってもらえないですか」
あたしは旅館の仲居さんから声をかけられた。
「Oh, did you just say?」
(え、今なんて言ったの?)
一瞬、仲居さんに何を言われたのかわからなくて、あたしは反射的に聞き返していた。
それも意識しないで英語で。
「うわあ、外人さんだったの。もう時間、これから後片付け、お風呂から出る、OK?」
仲居さんは、今度は身振り手振りをまじえて、あたしにお風呂から出るように促した。
そして今度はちゃんと聞いていたので、日本語で、時間なのでお風呂から出るように言われた事は理解した。
ちょっと待って、あたしは今、一瞬日本語を理解できなかった?
ううん違う、今度は日本語は理解できていた。
アマンダは、日本に来る前に、しっかり日本語の勉強をしてきていた。
(それ以外に、フランス語やスペイン語もできる設定、アマンダは頭が良いのです)
なので、簡単な日常会話くらいなら、普通にこなせるくらいの日本語の語学力を身につけていた。
ただし今のあたしは、ダイレクトには日本語を理解できず、従業員の簡単な日本語を、あたしは頭の中で英語に翻訳して、そしてはじめて内容を理解していた。
もしかして、今のあたしの母国語って英語なの?
いったいなんでこうなっちゃったの?
……などと悩むのは後にして、今はとにかく露天風呂から出なきゃ。
「わかりまシタ、いまからデまス」
あたしは、どうにか日本語で返事を返した。
あたしの日本語は、なんか変なアクセントのあやしい日本語になっていた。
あたしは仲居さんに促されて脱衣所に戻ってきた。
アマンダの着替えの入った籠の場所は、覚えていてすぐにわかった。
中にはタオルと下着と浴衣が入っていた。
あたしはまず、タオルで体を拭いた。
腰まである長い銀髪も、面倒くさいなと思いながら、丁寧に拭いた。
面倒くさいけど、この長くて綺麗な銀髪は、アマンダの自慢の髪で、ずっと大切に手入れをしてきた。
新しくアマンダになったあたしが、手抜きをするわけにはいかないわよね。
髪を拭き終わった後、あたしはその綺麗な銀髪に、ついうっとり見とれた。
その流れてふと、脱衣所に設置されていた鏡を見た。
長身で、スタイル抜群で、顔立ちがきりっと引き締まって整っていて、思わず鏡に映る今の自分の姿に見とれてしまった。
ふと、旅館の従業員が、浴場や脱衣所の後片付けをしようと、待ち構えていることに気づいた。
はっ、いけないいけない、とにかく早く着替えてここを出なきゃ。
あたしはまず下着を身につけて、次に旅館の浴衣を手にとった。
旅館の自分の部屋に通された後、浴衣の着方がわからなくて、四苦八苦しながら、でも、
「ニホンのきものデース」
とか言いながら、楽しそうに、これに着替えたことを思い出した。
……これってアマンダの記憶だよね。
アマンダのプライベートを覗き見してるみたいで、なんだか少し気が引ける。
まあでも、今はあたしがアマンダなんだし、自分の記憶(?)なんだからしかたないわよね。
アマンダがあたしのものになった事を実感して、無意識にあたしの口元が綻んでいた。
あたしも四苦八苦しながら、でも元のアマンダよりもしっかりと浴衣に着替えたのだった。
着替え終わった後、あたしはアマンダの泊まっている部屋へ急いだ。
もうすっかり時間が遅くなっているから、早く部屋へ戻らないとね。
部屋の場所は、アマンダの記憶でわかっていた。
部屋に入ると、布団が敷いてあって、いつでも寝られる状態だった。
さて、これからどうしよう?
このままアマンダとしての人生を受け入れるとなれば、
言葉の事とか、国籍のこととか、考えなきゃいけないことは山積みだった。でも……。
「FAA is sleepy.」
(ふぁーあ、眠いです)
風呂上りで急に眠くなってきて、時間ももう遅い。
今はとっとと寝て、難しい事は後で考えることにしよう。
「Good night.」
(おやすみなさい)
あたしは布団にもぐりこんで、そのまま眠りについたのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
朝、目が覚めた。
一瞬、ここはどこ? とあたしは戸惑った。
すぐにここは旅館の客室だと気がついた。
そうだった、昨日からあたしは、この温泉旅館に泊まりに来ていたんだった。
昨日から!!
ハッと気がついた、あたしは今は誰?
あたしはがばっと跳ね起きた。
体を起こすと、あたしの胸元からは、ぷるんと何かが大きく揺れる感覚が伝わってきた。
その感覚が教えてくれる、あたしの体は今は女なんだって。
そして思い出した。
あたしは昨夜から、アマンダになっているんだって。
目が覚めてくると、だんだん今の自分の置かれた状況が、理解できるようになってきた。
さて、これからどうしようか?
昨夜のあたしは、あの身代わり地蔵から解放されたことを、単純に喜んでいた。
まあ、美人でスタイル抜群な、アマンダになれたことを喜んだりもしてたけれど、でも事はそれほど単純ではない。
まずアマンダは、アメリカ国籍のアメリカ人で、この短期留学が終わったら、当然国へ帰らなきゃならない。
あたし、アメリカに行った事もないのに、そのアメリカに帰らなきゃいけないの?
身代わり地蔵のせいで、アマンダと体が入れ替わった事で、こんな国際的に面倒なことになるなんて、
あたしは本当だったら、平凡な男子高校生だったのにね。
ただ、アメリカに帰る事になるとしても、アマンダの記憶や知識が使えるから、向こうに行っても何とかなるだろう。
それに、留学の期間は来年の春までもう少し間がある。それまでは日本に居られる。
それまでに、この後どうするか考えてみよう。
そんな事を考えているうちに、元のアマンダがどう考えていたのかも、頭の中に思い浮かんできた。
アマンダは日本での留学生活を楽しんでいた。
そしてこの二ヶ月ほどの生活で、さらに日本が気に入っていた。
「イッソのコト、ワタシはニホン人になって、ニホンにスんでみたいデス」
あわよくば、留学期間が終わった後も、日本で生活が出来ないか?
アマンダはちらっとそんな事も考えていたみたいだった。
まずはアマンダの代わりに、あたしが日本での残りの学生生活を楽しんでみよう。
そしてその間に、アメリカに帰国するか、日本への滞在を延長したり、あわよくば日本に永住できないか、
いろいろな可能性を探ってみよう。
問題の先送りっぽいけど、ひとまず今後の方針が決まった。
少なくともこの温泉旅館に居る間は、あまり難しい事は考えないで、
アマンダの代わりに、この温泉での休暇を楽しもう。
いや、今はあたしがアマンダなんだから、アマンダの代わり、というのも変かな?
そんな事を考えている間に、そろそろ朝食の時間になった。食堂に食べに行こう。
あ、でも、浴衣が乱れたままってのはまずいわよね。手直しして…と。
んもう、着慣れない浴衣を直そうとしても、なかなか上手く行かないわね。
……ひとまずこれでよし、あとは上から羽織りを羽織って誤魔化してっと。
それじゃ、朝食を食べに、食堂へ行きますか。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
この旅館の朝食は、地元の食材を使った和食が基本だった。
ただし、洋食やパン食が希望のお客様も居るので、そういうお客さんには、事前に希望を聞いて個別の対応もしている。
アマンダは外見がもろ白人なので、チェックインの時に「朝食は洋食にしますか?」と聞かれたようだ。
それに対してアマンダは、「和食! ゼッたい和食デス!!」と強く希望したようである。
まあ、それはそれとして、朝食はこっちの食堂に用意してあるやつを、食べればいいのかな?
そう思いながら、用意してある朝食を見ていると、不意に後ろから誰かにぶつかられてしまった。
「あ、ご、ごめんなさい!!」
「I'm OK.(私は大丈夫)」
「えっ?」
「オー、ワタシはダイジョーブでス」
いけない、とっさに英語で答えちゃった。
すぐに日本語で言い直したから、相手は理解してくれたよね。
そして、あたしのお尻にぶつかって、頭を下げて謝っていた女の子の顔を見て驚いた。
「アナタは……」
双葉ちゃん、と言いかけて、慌ててその名前を飲み込んだ。
その子はあたしが身代わり地蔵経由でアマンダになる直前まで、あたしの意識が入っていた女の子、本郷双葉だった。
ちょっと複雑な経過で、あたしの意識はあの子の体を追い出された。
今のあの子のからだの中には、あの子の兄の敏明の意識がいるはずだった。
ちょっと巡り合わせが違ったら、今でもあたしはあの女の子の中にいただろう。
だからその双葉ちゃんを前に、あたしはちょっと複雑な気分になって、すぐに言葉が出なかった。
それとは別に、双葉ちゃんの名前を知らないはずのアマンダが、双葉ちゃんの名前を言ったらおかしいだろう。
だけど双葉ちゃんは、あたしの沈黙を、別の意味に取ったようだ。
「き、昨日も余所見してぶつかっておいて、今日もまた余所見してお姉さんにぶつかっちゃって、本当にごめんなさい!」
双葉ちゃんは緊張の面持ちで、より深く頭を下げていた。
そういえば、双葉ちゃんとアマンダの出会いはそうだったっけ。
もっとも、最初に余所見していてアマンダにぶつかったのは、中身があたしの双葉だったんだけどね。
だから最初にアマンダにぶつかった責任はあたしにある。
今の双葉は、厳密には今回が最初なんだけど、前回ぶつかった時の記憶もちゃんとあって、その責任も感じてるんだ。
そして今の中身の敏明お兄さんの双葉ちゃんは、いい子だなって感じた。
「ワタシはダイジョーブでス、タイシタことないでス、キにしなくてモダイジョーブでス」
昨日のアマンダがそうしてくれたように、双葉ちゃんを安心させるように、あたしはやさしく声をかけた。
たどたどしい日本語だけど、あたしの気持ちが通じたのか、双葉ちゃんはようやく安心してくれた。
「ぎ、銀髪のお姉さん!」
「ナンでスか?」
「良かったら、お姉さんの名前を教えてください!!」
双葉ちゃんに問われてまた思い出す。
そういえば、双葉だったあたしは、憧れた銀髪のお姉さんの名前を、知りたがったんだっけ。
あたし自身がそのお姉さんになったことで、今ではその名前や素性を知ることが出来た。
でも目の前の今の双葉ちゃんは、まだあたしの名前を知らないんだ。
双葉ちゃんのあたしを見つめるその瞳には、あたしに対する憧れの光が宿っていた。
正直な所、双葉の体を取り返されたわだかまりとか、複雑な思いとか、無いといえば嘘になる。
でも、あたし自身、双葉の体を乗っ取ったり、その双葉の体を取り戻された後、今度はアマンダの体を乗っ取ったり、その事で偉そうなことを言える立場ではない。
そしてアマンダになった今のあたしは、そんなわだかまりはどんどん小さくなっていった。
それよりも、あたしがあの時、銀髪のお姉さんに憧れた気持ちを、今の双葉は受け継いでくれているんだ。
そんな双葉ちゃんが、今のあたしにはすごくかわいいって思えた。
「My name is Amanda. ワタシはアマンダでス」
あたしは今の双葉ちゃんに、今のあたしの名前を教えてあげたのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
アマンダ視点、エピローグ
あの後、あたしは双葉ちゃんとお友達になった。
この数ヶ月、この小さな日本のお友達と、何度か手紙のやり取りをした。
あ、双葉ちゃんとの文通は日本語でしていた。
双葉ちゃんは英語が出来ないのもあるけど、アマンダは日本語の発音はともかく、基本的な読み書きは出来るレベルだったから。
少なくとも、小学生レベルの日本語の読み書きには、ほとんど問題は無かった。
ただ、日本の新聞とか、日本語の本とかの場合、たまに難しい漢字や文章に戸惑いつつ、辞書を引きながら読むこともあった。
「キヨヒコだったトキには、カンタンにヨめたのに、ニホンゴはムズかしいデス」
とはいえ、大学での留学生活や、こんな感じでの日常生活を続けるうちに、あたしの日本語の会話も読み書きも、だんだん上達していったのだった。
基本的に、お互いの近況を手紙に書いたりしていた。
あの身代わり地蔵での入れ替わりで、双葉ちゃんやその家族との関係が切れたはずなのに、こうして不思議な関係が続いている。
いや、むしろそのおかげで、不思議な縁がつながったと見るべきだろうか?
なんだかくすぐったいような、変な気持ちだが、あの短い入れ替わりの経験で、双葉ちゃんやその家族の事は気に入っていた。
だからこの不思議な双葉ちゃんとの文通を、あたしはいつも楽しみにしていた。
そして今回双葉ちゃんからもらった手紙には、
「フタバちゃん、テガミにおニイさんのグチをカいてマス」
中学生のお兄さんが、クラスの女の子と付き合い始めて、そのことが面白くないって、ブラコン丸出しの内容に苦笑させられたりもした。
ほんの短い間だったけど、双葉ちゃんになって敏明お兄さん大好きって気持ちを経験していたあたしには、その気持ちは一応理解できたから。
というか、あの二人は兄と妹の立場が入れ替わっていて、元は自分がその敏明お兄さんだったはずなのに、妹の双葉になりきってのこの反応、よくやるよと思う。
そして双葉ちゃんからの手紙には、今はお兄さんと一緒に英語の勉強をしている。
次の手紙は、英語で書くことに挑戦してみる。とも書かれていた。
「だってアマンダさんは、もうすぐアメリカに帰っちゃうんですもんね」
そう、もうすぐ留学の期間が終わる。
あたしがアマンダとして、アメリカに帰る時が近づいてきていたのだ。
あたしには、アマンダとしてアメリカで生まれ育った、記憶や経験がある。
だからアメリカに行ってもきっと大丈夫、今までアマンダのスキルで普通にアマンダに成りすませたように、アメリカでもふつうにやっていけるだろうと思う。
でもあたし自身は、アメリカに行ったことはない。
その国へ帰ることになるなんて、気持ちの上ではやっぱり不安も感じていた。
でも、手紙にはこうも書かれていた。
「あたし、いつかアマンダさんと、英語で話が出来るようになりたい。だから英語の勉強も、一生懸命がんばります」
この小さなお友達の決意表明に、あたしは勇気を貰った。
双葉ちゃんががんばるって言ってるんだ、あたしもがんばろう。きっと大丈夫。
そしてまた、日本の友達に会いに、もう一度日本に来よう。そう決意したのだった。
こうしてあたしは、アマンダ・キャンベルとして、アメリカに帰っていったのだった。