私は昔から自分の母だけは好きになれなかった。
幼いころは変な意地を張って、無理してるせいで弱り切っている母が嫌いだった。
そのせいで父に余計な負担がかかり早死にした為、余計に母の事が嫌いになった。
中学にも上がらないうちに、母一人子一人の貧しく寂しい生活を送るたびに母を恨んでいた。
かと思ったら中学の時はそれとは逆の理由でもっと嫌いになった。
父への愛情はまだ持っている。
口ではそう言いながら他の男と関係を結んだ母が許せなかった。
この世で最も不潔な生き物とすら思った。
それから時を経て、大恋愛や失恋を経験するがやっぱり母の事だけはずっと嫌いだった。
あの時までは…。
ここは駅から少し離れた場所にあるマンションだ。
外観は少し古いけれど、部屋はそれなりには広くまた持ち主の性格からか全体的に小奇麗な印象を受ける。
部屋の中には二人いて、一人は精悍な男性だ。彼は少し冷たい目つきをしているがとても優し人物だ。
因みに名前は成瀬敏明という。
もう一人は彼の恋人で、もっと言うとそれは私だ。
私はベッドの上に座り、彼がすぐ側にやってくるのを恐れながらも待っている。
いや、逆だろうか?
彼がベッドの上に乗り私を抱きしめてくれる時を待ってはいる。
だがそれ以上に怯えていると言った方が正しいのだろう。
別に私は男性恐怖症と言うわけでは無いし、今は異性とお付き合いが出来ない状態と言うのでもない。
生来の奥手で人付き合いが苦手と言うわけでもない。寧ろこれまでの私はかなり好色だったくらいだ。
そんな私だけれど、ここ何年も恋人やその他の親しい関係を避け続けてきた。
だけどそれも今日までで終わらせる。終わらせなければならない。終わって欲しい。
私にとっての敏明さんと並ぶほど大切な人は、きっと後にも先にも現れないだろうから。
だからなんとしても彼とのこの関係を壊してはいけない。どんな演技をしてでも彼と一緒にい続けたい。
しかしそれと同時にいつまでも隠し続ける事もできない。彼と一緒になる為には真実を明かさなければならない。
もし彼が一歩踏み込んできてくれたら、私はそれに応じなければならない。
無論、OKを出すと言う意味ではなく自分の本性をさらすと言う意味で…。
「あのさー清香?」
「うっ……うん」
「いや、無理に答えを急がなくてもいいんだ。まぁ早い回答の方が嬉しいんだけどさ」
「うん。分かってる」
「いや、だから急ぐ必要は無いからな?言っておいてアレだけど…。その…。なんだ。アレは将来的なもので…」
「でも、答えないわけにはいかない…んだよね?」
「まぁ・・・そりゃあな」
「それに私、これでも約束は守る方だよ?今日中に答えを出すっていったんだから…だからあと一時間のうちに必ずカタをつけるね」
「分かった」
「敏明さん。私嬉しかったです」
「…」
「貴方に出会った日から、いつか一緒になれたら良いな。…そう思わなかった日なんてなかったくらいに私、敏明さんを慕っていました。愛していました」
本当は出会ってから彼を信頼し心を開くまで少し時間がかかったけれど、そこは多少盛ってもいいよね?可愛い嘘だ。
「それじゃあプロポーズを受け入れてくれるんだね!?」
「でも…。その…」
でも、それが簡単に出来るのなら私だって悩まないし苦しむ事はなかった。
私だって出来る事なら首を縦に振りたい!!でも、それは出来ない。少なくとも自分の正体を明かすまでは。
だって私は、私は…。
とうとう観念するしかない…よね?
私は覚悟を決め、本題を切り出し始めた。
「ねぇ敏明さん。私達が出会った時の事って覚えてる?」
「ん?どうしたんだ急に?」
「その…大事なことだから答えて欲しいの」
「あぁ…まぁ忘れられないよな。あの時の清香はそりゃあ凄かったからな」
「あの頃の私って本当に荒れてたでしょ?」
「ああ。そうだったな。触るもの皆傷つけそうだったお前がまさかこんな美人さんになるとは予想だにしなかったよ」
「ええ。この二年間、敏明さんと一緒にいたくて女らしさは全力で磨きましたから」
「そうだったな。あの頃も美形といえば美形に違いないが随分と男っぽくもあった」
そう言った彼は、遠くを眺めるようにして「それが今じゃあここまでの美女だ」と呟いた。
「昔は少し男っぽく見えて今は美女ですか?」
「ああ・・・まぁ男っぽくって言っても別に悪い意味じゃないんだぜ?」
「いえ、良いんですよ。あの時の私が明らかに男っぽかったのは事実なんですから」
「あっああ・・・。気にしてないんだったら別に良いんだけど」
「それに前の私が男みたいで、今の私が女性らしく見えるのも当たり前です。だって私は淫魔の末裔ですから」
「ふぁ?インマって言うと何なんだ?」
私の告白の意味が理解できないらしく聞き返してきた。
「夢魔・・・って言えば良いのかな?私は夢魔の末裔なんです!!或いはサキュバスと言っても良いかも知れません」
「おっ・・・おいおい。真面目なお前が珍しいな。ジョークだなんて」
「違うの・・・冗談じゃないの」
「中二病って奴か?中二が許されるのはせいぜい高二までだとあれほど・・・」
「敏明さんッ!!」
話が話なだけにまともに取り合ってくれなかったのか、それとも受け入れられなかったのかは分からない。
ただ、私が彼と真に密な関係となるにはこの部分を乗り越えなければならない。
「・・・分かってるさ。お前がこういう時に冗談を言う訳は無い。信じられないがきっと本当にお前はサキュバスなんだろう」
「はい」
私の父は普通の人間で母は淫魔だ。
淫魔を親に持つ者はほぼ確実に淫魔の特性を受け継ぐ。
幼少期は人間の子供と一部を除いて差がないが成長すると淫魔の性質が強くなる。
人のセイを好み、大人になると異性の精気を吸わずにはいられなくなるのだ。
また、淫魔の子は思春期を迎えるまでは性別が定まっておらず男になったり女になったりする。
現に私も二年前までは男性形、インキュバスだった。
性格が比較的人間に近い(母曰く)私は普通の男性として、普通に女性と恋愛をし結婚目前までの関係を築きあげた。
そして、プロポーズをする際に正体を明かし・・・拒絶されたのだ。
傷心となった私は住んでいた町から逃げるようにして立ち去り、彷徨い続けた。
今の自分でいるのが嫌で嫌で、もし淫魔じゃなかったら・・・とか、もし男じゃなかったら・・・とか、もし彼女と出会ってなければ・・・などと考えずにはいられなかった。
意識を失い行き倒れそうになった。しかし倒れそうなほどつらいけれど決して倒れたり気を失ったりはしなかった。
簡単に行き倒れ意識を失う事がなかったせいで無と言う安息地帯に逃げ込むことも出来なかった。
そしてただひたすらに私は悔やみ続けた。そしてついに限界に達し意識を失い、敏明さんに拾われ助けられたのだった。
見ず知らずの人間(の姿をした淫魔)を助けた敏明さんのお人よしぶりも奇妙だったがそれ以上に私を『お姉さん』と呼び女性扱いする彼の態度が奇妙だった。
気がつくのに少し時間がかかったが、どうやら彼は私を女性と思っていたらしい。身体の具合がいつもとは違うとは思っていたもののまさか女性化したとは思わなかった。
淫魔は思春期を越える前ならば性別が不定で、男性形態と女性形態のどちらにも変身できるが大人になると性別が固定されそれ以降は異性の姿になることはありえない。
だから一度インキュバスとなった私は生涯男性の姿となる筈だから女性扱いされるなんておかしいのだ。
まぁ当時の私は美男子≒女顔だから女性っぽいと言われる事は珍しいわけでは無いのだが・・・。
元々、美男子≒女顔だったのに加え、男でいる事も嫌だったせいでその時の私の外見は結構女性的だったのだろう。
少なくとも敏明さんはその時の私を女性と思うくらいの外見をしていた事は確かだ。
それでもれっきとしたインキュバスの私は、それなりに男っぽい体格でそれなりに男っぽい顔をしていたから「お姉さん」と連呼されるのは流石に奇妙だった。
が、暫くして少し落ち着いた時にようやく思いついた。ひょっとして女性形態になっていたのだろうか?・・・って。
まさかとは思いつつも試しに自分の喉を触ってみて確信した。
因みに胸やお股も確認してみたが、胸の大きさは申し訳程度に膨らんでいたという程度で、通常ならば巨乳、豊乳が当たり前のサキュバスにしては奇妙な大きさだ。
お股の部分もそこにあるものはペニスでは無いけれどクリトリスと呼ぶには少々大きすぎるし、膣らしき割れ目も欠落したように見える。
詳しい事は分からないが、一度分化した淫魔の性別が変わる事はない。
特に性別を変化させるには淫魔自身が異なる性になりたいと思わなければ起こりえないのだ。
思春期前の心の性がはっきりと定まる前ならばともかく、何年もインキュバスとして過ごしとある女性と結婚目前まで進んだ私は心身ともに男の状態で固定された筈なのだ。
だから性転換に慣れきった筈の私ですら、この変身は青天の霹靂もとい性転の霹靂だったのだ。
性別が分化する前の私ならばサキュバスの状態であろうとインキュバスの状態であろうとも大して問題視はしなかった。
未成熟の淫魔にとって性別は変えられるのが当たり前で男の自分と女の自分に差はあってないようなものだから。だが分化後だとそうは思えない。
私がインキュバスになってからもう十年近くが経過した事になるのだろうか?
女の状態の自分、男と女を行き来する自分は記憶があやふやになるほど大昔の存在だ。
加えて淫魔が生きていく為には美男(或いは美女)の姿が必要となる。それ相応の容姿がなければ異性に近寄れず精気を吸うまでのに至らないからだ。
男でなくなったインキュバスには、女性の精気を吸う事が出来ず長くは持たないだろう。
かと言って、男を相手にする事も出来ない。・・・そもそも今の私は美女でもないから男の精を得るのも無理か。
本来ならば突然のTSは(正確には女性ではなく中性になったのだが)淫魔にとって死の宣告のようなものだ。
だが、精気が吸えずに死んでもいいかな?なんて思ったりもしていた。
恋人に恐れられ逃げられた私は半ば自暴自棄になっていて『もうどうにでもなぁれ♪』な状態だった。
普通の人間と同じように普通の家庭を持ってみたい。普通の人間と同じように恋愛をしたい・・・。
昔からそう願っていた私にとって、食欲・色欲抜きで好きになった女性との破局はそれほどまでにショックだったから。
「それにしてもここの家主は何を考えているのだろう?」
見ず知らずの行き倒れた男女をここまで連れてくるなんて。
現代日本は色々と危険なのに見知らぬ人間(淫魔だけど)を部屋の中に連れ込むだなんて無用心な。
それとも下心ありまくりのヤる気マンマンとか言うオチなのだろうか?私を女と勘違いしていたようだし。
だとするとあの男は見た目に反してかなりのスケベ野郎って事になる。
どうせ、私には居場所もないしやり残した事だってもうないのだ。こうなったらいっそ限界まで堕ちるのも一興だ。
今の私にとっはてもう貞操なんて意味がないし、そもそもこの男女どっちつかずな身体じゃ襲うに襲えないだろう。
面白い。この私で性欲を満たしたいのならば好きにするが良い。せいぜい勝手に勘違いして、勝手に激怒し、私を退けるが良い。
もう私には何も残っていないのだ。いっそ怒り狂った拍子に殺してくれても構わない。
そうすればアテも希望も未来も見えない、この人生・淫魔生を楽に終えることが出来る。それはそれで悪くはない。
・・・。
などと身構えたは良いものの彼は私を襲う事はなかった。
それどころか、暫くの間部屋を貸しても良いなどと言い出すのだった。
「えっと・・・。敏明さんでしたよね?」
「下の方の名で呼ぶか」
「すいません。下の名前の方しか覚えてなかったもので」
「まぁ折角だし敏明で良いか。因みに名字は成瀬な」
「・・・でですね。敏明さんは私とは初対面の筈ですよね?友達とか恋人とかじゃなくって」
「ああ。面識はないが」
「じゃあどうして良くしてくれるんですか?普通、会って間もないお・・・女に宿を提供してはくれませんよね?下心があるのならともかくナニもしなかったし」
「だが他に行く場所がなかったから結局、昨夜はここに泊まったんだろう?」
「そうですけど・・・」
「見ず知らずの相手とは言え、また行き倒れて今度は死んだりでもしたら寝覚めが悪い。昨日の事で俺に借りができたと思うのなら居場所が見つかるまで
ここにいてくれ。確かに見ず知らずの女を泊めることに抵抗はあるが、それでもこのままどっかにいっちまうよりかはよっぽどマシだ」
「分かりました。命の恩人の頼み事ですから聞かない訳にはいきませんね。では短い間でしょうがお世話になります。成瀬さん」
世の中には私の正体を知れば拒絶する人間も少なくないというのに、掌を返すように冷たくなる者もいるのに・・・。
彼のお人よしに半ば呆れながらも感謝をし、少しの間宿を借りることにした。
しかし、だからといって彼に心を許したというわけでもない。
彼だって、友人や恋人が淫魔と知れば受け入れられはしない。少なくとも普通の人間はそうだ。
人間の情や優しさは好きだが決して過信をしてはいけない。さもなくば淫魔が人の世にて生きていく事は出来ない。
どうしてもその人と親しくなりたいのなら、まずは正体を隠し暫く一緒にいて実績や既成事実を作っておく。
正体を明かすのは、そうやって外堀を埋めてからだ。
ズルイ方法とは分かってはいるが、これをしないわけにはいかない。
いかに優しい人でも、人の精をすする悪魔を頭から信用するというのは有り得ない事だから。
・・・でも、今だけは信じている振りをしようと思う。
彼のこのお節介な優しさが人間が相手でも、淫魔が相手でも変わらない。そういうものだと思っておくことにする。
せめて今だけは淫魔相手でも優しく受け入れてくれる人と思い込むことにしよう。
そうすれば救いのない現状も少しは心地よいものになるから。
あーあ。
介抱してくれた人が女だったら淫魔としてちょっとした楽しみを持てたのに・・・。
或いは私がサキュバスになっていれば、この人と一緒になる事を夢見る事くらいは出来たのになぁ・・・。
さっきまで終わる事しか頭になかったのに、どうして私は生きることを考えたのだろうか?
しかも男とあんな事をするシーンを思い浮かべたなんて・・・。
彼の優しさで毒気を抜かれると同時に、考え方もどこかおかしくなってしなったらしい。
早くここを出て行こう。
そう意気込んではみたが、一週間、二週間と時間が経ち一ヶ月はあっという間だった。
行くアテなんてすぐには見つからないし、外見が変わってしまったせいで清彦として復帰する事も難しくアテを見つけるのは困難である。
更に、敏明さんとの日々の居心地が良かった事も彼と一緒の時間を長引かせる要因となった。
詮索するでもなく、重荷と思う素振りを見せず、ただただ私の事を気遣う彼・・・。
ひょっとすると無意識のうちわざと出発を遅らせたのかも知れない。に敏明さんと別れるのが嫌だから。
本当に早くここを出たいのなら日雇い労働でも、夜の仕事でも見つけて強引に離れればいいんだし。
それが出来なかったのだからやはり私は彼に惹かれていたのだろう。まだ男の精神が残っている段階で。
そうこうしているうちに、身体は更に女性寄りに変化し男でない身体、女のような身体に違和感が無くなってきた。
自分の精神はもう完全に男だと思っても、そこはやはり雌雄同体の淫魔なのだろう。意識せずとも女性化を受け入れていた。
そうして、いつの間にか外見だけでなく性格や行動まで女・・・敏明さんの女のようになっていった。
外の仕事を見つける事が出来ない事もあったので、敏明さんの身の回りの事ばかりしていた。その事も私を意識される結果に繋がったのだろう。
私って彼の彼女や奥さんみたいな事をしてるんだって。
一度意識をしてしまうと、もう普通に接するのも大変になってしまう。
つい最近までま見知らぬ人で、ようやく顔を見慣れてきた・・・そんな浅い関係だったはずなのに油断してるとつい男性と見てしまうのだ。
いえ・・・まぁ男性なんだけれど異性と言う意味で男性と見てしまいそうになるのだ。
私自身、インキュバスだったはずなのに急に女らしくなった点も彼の男っぽさをより強く感じる一因となったのだろう。
最早私はインキュバスとは呼べなくなった、華奢な体や白く細やかな肌も伸びてきた細い髪の毛も男性である敏明さんのパーツとは異なる。
女性と比べれば起伏が乏しいが、胸には山と谷が存在している。胸の小さい女性と比べれば幾らかは豊かな山だと思う。
何より、股間に生えているものが縮んでしまい男の股間とは絶対に呼べない。立ってのトイレも無理だし、窪みらしきものも出来つつある。
身近にいる人物が男らしい男性だからか、自分の女っぽい部分ばかり気になってしまう。
「どうせなら完全にサキュバスになってたらなぁ・・・。」
いつの間にか自分自身に対する認識が女っぽい男ではなく、男の部分の残った女になりきれていない女になっていた。
消えていったサキュバスの記憶は無意識のうちに復活していたのだった。
逞しい男性に抱きつき、唇を味わい・・・そして下半身に生えている甘美な果実を貪る。
まだ私がサキュバスだった頃は何度もそうしていた。
思春期前まではサキュバスでいる事の方が多かったこともあり、男性の精を頂いた回数は数知れない。
淫魔だから仕方がないかもしれないが、我ながら中学生にはあるまじき淫乱・性豪ぶりだろう。
相手が殆ど疲弊せず何度も精を味わうことの出来る夢の世界と濃厚な味わいと抜群の栄養価を誇る現実世界の精・・・。
自分の生活や性別の事でいっぱいいっぱいだったせいでこの一ヶ月強の間、一切の精を得ていない。
そんな私が美味しそうな精やら性器の事を思い出してしまったのだ。
この日の晩、精をすすらずに過ごす事なんて無理だろう。
相手として真っ先に思い浮かべたのはやはり敏明さんだった。
ここでまともに面識があるのは彼だけだから当たり前かもしれない。
しかし、ここに来て一人の女性とも出会っていないというわけではない。
買出しの時とか、街中で女性を見かけた事はあるしその中には美人さんやスタイルの良い女性だっていた。それでも女性の精を得ようとすら思わなかった。
ここに来て、もう認めないわけにはいかないだろう。今の私はインキュバスでも男でもないんだと。
敏明さんは心身ともに逞しく、健全で男らしい人物だ。
若く活力に満ちていて、女性の影を感じないからだろう。
少し嗅いだだけで分かるほど濃厚なセイで満ち溢れている。
おまけに、外見だって結構格好良いし、身体からは男の色気を感じる。
男の精に興味がなかった為に特に気にも留めていなかったが、敏明さんは高質の精をかなりの量持っている。
淫魔にとってこれ以上有り難い男性は滅多にはいないだろう。
成熟したサキュバスなら勿論の事、性に目覚めつつある淫魔にとってもたまらないだろう。
場合によっては彼が原因でインキュバス寄りだった子供がサキュバスとなってしまう可能性だってある。
それくらいに彼の精は魅力的なのだ。香りを思い出すだけで軽くイキかける程に。
しかも私は一ヶ月以上断精した状態だ。
最後の砦だった『同性の精に興味は無いね』ストッパーが機能しなくなったらどうなるか?
・・・もう彼の精の事しか考えられなくなるのだ。
・・・とは言え帰宅した彼をいきなり押し倒す事は難しい。
力では勝てないので押し返されて精を吸うことなんて夢のまた夢である。
そんな事をすれば彼にここから追い出され、チャンスを失うだけだ。
それに、死にかけていた私を助けてくれた命の恩人を襲うなんて罰当たりな真似もしたくは無い。
しかし、それでも彼の精を我慢できないのが淫魔の業の深さと言ったところか。
結局、リスクを避けることを優先し精を吸うのは夢の世界だけにしておいた。
ついさっきまで彼の精の事が気になりすぎて家事もロクに手につかない状態だったが方針を決めた後の行動は早かった。
掃除や洗濯を手早く終えて、精のつきそうなメニューを考え買出しに出かける。
湯上りの状態のほうがオイシイ精になるので更に彼の入浴時間を遅くするようにもしておいた。
幸いにも帰りが遅い日だったから、先に夕食にすれば敏明さんはほぼ確実に練る前の入浴になる。
そして彼が眠りについたのを確認し彼の夢の中に飛び込んで・・・ご馳走様でした。
精は一ヶ月間、男性の精なら十年は口にしていない。精禁状態から久々に得た精は信じられないくらい美味しかった。
夢の世界とは言え精を吸えば彼の気力や体力は失われる。
そんな事になると折角、極上の精なのに味が落ちて・・・ではなく彼が倒れたり彼に不審がられたりしてしまう。
倒れられたら精がどうとかいう問題では無いし、不審がられて追い出されるのも困る。
週に5回も夢の中で私に出会ったら彼も私の秘密に気がついてしまうかも知れない。
彼の精を吸った後はもう少し控えようと戒めるけれど、3日も持てば上出来だろう。
一時は上記のように週5のペースで彼の夢にお邪魔してしまうほどだったから。
そんな高頻度で彼の夢にお邪魔すればどんな人でも絶対に気になってしまう。
夢の内容は覚えているかどうかが本来ならまちまちだが、淫魔が介入した夢は少しだけ現実なのだ。だから普通の夢よりも印象に残りやすい。
最近見た夢が同居人の女に逆レイプされる夢ばかりとか下手なホラーよりもよっぽどホラーである。
夢の中の私に襲われ続けて精神的に病んだり、私を恐れてここから追い出すなんて事は十分にありうる話だ。
そもそも、私を家に置いてくれる時点で信じられないくらいのお人よしなのだ。その女が厄介者と分かったら余計に家に置いておく義理は無い。
絶体絶命の危機なのだが、私は彼の精の美味しさには抗えず週4ペースで精を貰い続けていた。
ここを追い出されるその日まで精を貪り続けようと開き直っていたのだ。
ただ、幸いにも勘違い・・・というか夢の内容を完全には覚えてないようで夢の中で私と性行為をした所までは覚えているが
その内容は少し曖昧で、逆レイプに近いものだという事は覚えていないようだった。
そして勘違いが勘違いを生み、敏明さんは夢に出るほど激しい劣情を抱いているのだと結論付けてしまったのだ。
そしてあろうことか私に告白をしてきたのだ。
根が真面目な人だから、単にヤるヤらないの関係ではなく恋人としてちゃんとした手順を踏んでから・・・と考えたようだ。
かくして私と彼は恋人関係になったのだ。
淫魔である私にとっては、ピュアな恋愛よりも人の精でお腹を満たすことを重要視する。色気よりも性的な食い気である。
一時は私も食い気を抑え気味にして、真面目な恋愛をしようと意気込んでいた時期もあったのだがそれももう過去の話だ。
ただ、彼の告白を聞いた時に思ったのだ。
ちゃんとした恋愛関係や家庭を築いてみたい。
淫魔だって人間と同じように恋愛をして家庭を築く事が出来るんだと証明したい。
そして今度こそ壊さずにゴールまでいきたいと。
こうして彼の告白を快諾した後は言うほど大したイベントはなかった。
順風満帆というわけでは無かったが、私は敏明さんとの関係を築きあげる事に命を懸けたのだ。上手くいかないわけが無いだろう。
敏明さんとのお付き合いを食事とは切り離して考え、切り離して行動する。難しかったけれど、どうにかこなす事ができた。
ただ、どうしても彼の精を我慢する事が出来ない日もあったのだけれど・・・。
そんな日は夢の中でこっそり精を頂いたけれど、それでも週に三度はしないようにした。
平均すると二週に一回ペースだったと思う。
普通の人からしたら十分多いのだろうけれど、淫魔(わたし)にとっては圧倒的に少ないのだ。一日一回ですら精が不足しがちなのだから。
不足しがちな精は毎日の自慰でどうにか誤魔化し敏明さんとの恋愛は可能な限り汚さないように気をつけた。
未だに行為をしていないほどに。
そしていつの日かすべてを明かした上でエッチをし、そして彼と結婚出来たら…。
無茶を承知だが、そんな夢のような夢を毎日のように夢見るのだった。
「なるほど・・・そういう訳だったのか・・・」
「私の言った事を信じるのですか?」
私が言った事は事実だ。だが、それが通用するかどうかは別問題である。
信じてもらえないまま彼と一緒になるのも、嬉しいといえば嬉しいがそれではダメだ。
一緒にいる事は出来るが、同じ時間を過ごす事はできない。
「信じられるかられないかって言えば信じられないな。ただ、さっき清香が言っていたことが事実だとすると納得できる事も少なくない」
「・・・そうですね」
「見知らぬ女が倒れていた。男っぽかったその女は見る見るうちに女らしくなってゆき今では妖艶な色気と魔性とも言える魅力を持つようになった。
そんな彼女は夢の中で俺を誘惑しているし、見るからにエロを持っているが性に対してはとても慎重・・・いや、臆病とさえ言える。清香が普通の女
とは違った雰囲気を身に纏っているというのはずっと感じていた事だしな」
そう言った敏明さんは呟くように「その違いの正体が淫魔だからとは思わなかったが、言われてみれば納得か」と付け加えた。
「そんなに私は淫魔らしく見えましたか?」
普通の人間と同じように生きて、淫魔と見られないよう気をつけた心算なのだが・・・少しショックだ。
「そういう訳じゃない。サキュバスってヤツが現実にいる事を知らなかったからとは言え、現に俺は清香がサキュバスと気がつかなかったんだ」
本当に言いたい事、本当に聞きたい事はこんな事ではないのだが肝心の部分はつい尻込みしてしまう。
しっかりしないと。普通の人間と変わらない結婚を望んだのは私なのだ。私が真っ向からぶつからないでどうするのだ。
「それで・・・あのー、さっきのプロポーズの事なんですが・・・」
しかし、そうは意気込んでみてもどうやら今の私は臆病者のようで肝心な言葉がなかなか出てこない。
「清香としてはプロポーズを待ち望んでいた。でもOKを出すことが出来なかったそれが何故なのかは良く分かった」
「敏明さん・・・そうなんです」
結局大事な所も彼に助けて貰って情けない気はした。だからせめて一番肝心なことだけは言うのだ。
「敏明さん!!もし淫魔でも良いと思うのなら私のお嫁さんになって下さい!!」
「えっ?逆じゃないか?」
「えっ・・・?あっ・・・そう言えば私の性別って・・・」
男だった期間が長かった上に、前回プロポーズした時も自分が男で相手が女だったからなのだろう。
よりにも世って一番肝心な部分が入れ替わっていた。締まりはしないが慌てて最後を「お嫁さんにして下さい!!」に変更し言うべき事は言った。
長い沈黙が続いた。
実際の時間はほんの数分かも知れないが、少なくとも私にはとても長くそして重い時間に感じた。
「いやー、本当に実感が沸かないな。本当に」
彼の口から出てきた言葉はYesでもNoでも無かった。
「普通に彼女と思っていた奴が実は淫魔でしかも元男です!!だもんなぁ・・・いきなりンなこと言われてもやっぱりピンとこないわけよ」
こんな事を口にした彼の真意はよく分からなかった。私はこの事が真実だと訴えることしか出来なかった。
「あぁ。事実だとも思っている。さっきも言った気がするが、お前がこんな重要な場面で嘘をつくような奴じゃない事は分かっている。
嘘をつくメリットも無いしな。話が戻ったようで申し訳ないが」
「やっぱり・・・。いえ、いいんです」
急に自分は淫魔ですなどと言ってもすぐに答えが出てこないのは当然か。今日伝えて、今回答が貰えるなんてムシがいい話だ。
私ってばあの時に何を学習したんだろう?私ってば昔からこうだ。勝手に変な期待をして自分じゃ出来ないような事をつい期待してしまう。
今日、彼から聞ける返事は『先延ばし』しかありえない。『即答の拒絶』も有り得るか?
とにかく、彼が冷静に考えてからが勝負だろう。
「なぁ清香?」
怯えでもなく、すまないような顔もしていない。良かった。取り敢えず即答のNOではないようだ。次は先延ばしね。
「淫魔について詳しく教えてくれないか?」
「えっ・・・ええ」
予想していた答えとは違うが、慎重で頭のキレる彼らしい台詞かもしれない。
一人で考える前に少しでも多くの情報を集めてから判断したいか。
当たり前といえば当たり前と言えなくも無いけれど、私との結婚を考えてくれる気があるようで嬉しい・・・かな?
私は淫魔の性質について聞かれた事を教えた。
淫魔には寿命が無いかあっても人とは比べ物にならないほど長寿である事
私のような末裔は性質が人に近くなり寿命も人よりはかは長い程度で精以外の食料は人と変わらない事
末裔であっても夢に入り込む能力や飛行能力を持ち、女性であっても怪力の男性よりも強い戦闘力を持っている事
ただしその強大な力を維持するには大量の精を必要とし精を吸う頻度が少なければ人と差が無いほど非力になる事
精の量が十分ならほぼ飲まず食わずでも活動できる事と、反対に精を吸わないとちゃんと栄養を採っても衰弱する事
子供を作る際の事だが行為そのものは普通の人間と違わず、精を頂く時とも変わらない事や子づくり行為に励んでも愛情が無いと子が出来ないらしい事も伝えた。
他の事は大体体験したが、子作りの件は聞いただけなので少し曖昧な回答だったが聞かれた事にはどうにか全て答えられたと思う。
「子作りの部分はまともに体験してないから分からないけれど、経験者の母が言うから間違いは無い筈です。キーとなるのは愛情だと」
「愛情がキーとはまた分かりにくい表現だな。しかもここの部分だけ情報が少ないし」
「多分、人が性に目覚めるのと感覚的には近いと思います。人間だって誰に教わらなくとも性的な行為を身体が覚えていますよね?それと同じです」
「まぁ射精は保健体育で習う習わないに関係なく習得できるか。・・・下品なこと言ってゴメン」
「敏明さん、私は淫魔ですよ?性に関する貪欲さは人の比ではありません」
「そう言えばそうか、今まで性的なものを避けてたもんだからつい・・・」
「それから、私も子供を作る感覚と言うものが何となく分かるんです。敏明さんの子供を抱き家庭を築き上げたいと思ったからこそ
プロポーズさせるように仕向けたんですよ?」
「清香が仕向けたのか?」
「ええ。淫魔の魅力には絶大です。伝承では理想の異性の姿に変身できると言われるほどですから」
異性の精を吸う為には異性に好かれねばならない。それ故に、淫魔は人に好まれる容姿をしている。
時代や風習によって美醜の基準は異なるが、淫魔が醜いと思う人はまずありえないだろう。人間の本能に訴えるような美しさが備わっているから。
また身にまとう雰囲気や自身の香りなどを変えることも出来るので相手が理想と思う異性に変身できるという表現も正しいかもしれない。
淫魔の魅力に人は勝てないように出来ている。淫魔は人の本能を扱うのに優れているのだ。
ただ、人は本能だけで出来ているのではない。下半身がどんなに魅了されていてもその相手が危険と分かれば近寄る事はありえない。
当たり前か。肉を喰らうではないが淫魔は人食いも同然なのだ。
そもそも未知で異形の存在なのだ。危険な淫魔を避けるのは懸命な人間なら至極全うな事だろう。
「・・・それで、直接プロポーズが出来ないが俺を魅了しプロポーズさせたと?」
「ええ。汚い手と思ったのならば謝罪します」
「少し不快な気もするが世の女性は大概そうする。それじゃあ続きを・・・。どこまで話したっけ?」
「確か、敏明さんの子供が欲しくなり子供が出来る見込みがあったから結婚に踏み込んだ・・・でしたね」
「そう言えばそうだったな」
「そう、子供が出来るできないについて体験はしてませんが本能的に分かるんです。それに・・・」
「それに?」
「あっ・・・いえ、今回の事とは直接関係無いので・・・」
「まぁ清香がいうべきでないと思った事なら問題ないか」
何を言っているんだ私は、確かに直接ならば関係ないと言えなくもないが無関係では無いだろう。
どうして私はこうなんだ。
全てを曝け出した自分を彼に愛して欲しいと願っているのに、どうして肝心な事を言わないのだ。
そして彼はどうして・・・?
「ねぇ敏明さん?」
「ん?」
「どうして何も聞いてこないんですか?」
「さっきから質問はしてるだろ?淫魔と人間の何が違うのかを」
「違います。前に付き合っていた恋人・・・女性との破局についてどうして何も聞いてはこないんですか?」
「俺には淫魔がどういう生き物なのかを聞く必要・・・権利がある。清香との結婚を真剣に考えているからな。だけど清香のプライベートをほじくる資格なんて無い」
「詭弁です。インキュバス時代の私の破局がこの淫魔という種族と関係があることくらい敏明さんなら察している筈です」
そもそも敏明さんが気にしているのは私の身の事ばかりだ。
どうして聞こうとしないのだ?自分に関わることを。
淫魔と子作りをするとどれ程のリスクがあるのかを?
もっと言えば、精を吸われている事について何も問いたださないのは何故?
多い時は週3以上で精を吸われ、今でも隔週で精を吸われた自分の身が安全なのかを?
私が怖くなって本当は別れる気だけど、変に気を使っているのならやめて欲しい。
元々は行き倒れていた私を優しくもお節介な貴方が助けたという成り行きの関係だ。
一年を少し超えただけのその関係がぷっつり切れても無理は無い。
淫魔と分かったら怖くなって逃げ出したとしてももう文句なんて言わない。言えない。
そもそも貴方がいなければ私はもう死んでいた。
死ぬ前に温もりをくれて、何も知らない状況とは言え精を提供し続けた敏明さんは私に対して十分よくしてくれた。
これ以上を求めるのは私のエゴだという事は私も理解している。
だから振られて、二度と会いたくないと言われても仕方の無いことだと、少なくとも理性は理解できている。
私が怖くて嫌だというのならもう全部諦める。二度と貴方の前には現れない。
だからお願い。もう少しだけ私の夢に付き合って。
私の夢と、貴方との関係は続いてるものとして扱って欲しいの。貴方が幕を引くまでの間は。
終わりならば、幕引きはちゃんとして。
本当に私って最悪だ。
不安がとうとう限界に達した私は自身の不安を彼にぶちまけた。
自分でもう十分と言っておきながら、ちゃんとした終わり方まで要求するなんて強欲で矛盾した自分が嫌になる。
少なくとも彼は見た感じ、ちゃんと考えてくれているし演技だったとしても私を傷つけないような演技なのだ。
綺麗で傷つけない終わりは自分の為ではあるのだろうが、私の為でもあるのだ。
それなのに私は何を言っている?
彼とのわずかな可能性を自分で断ち切り・・・この期に及んで自分の事を言うのはやめよう。
どうして私は彼に更なる重荷を要求しているのだ?
直接振って!!だなんて処刑したような気分にさせ、無駄な罪悪感を感じさせるだけだ。
「拒絶や恐怖を感じていないようにしている俺が演技っぽくって怖いのか?」
「ゴメンなさい・・・でも、怖くない人間なんていないと思うんです。だからきっと敏明さんには私に言わないでいることがあるんだって・・・」
「まぁ・・・言葉には気をつけているからな。その通りだ。人の精を糧にする淫魔だか夢魔だか分からんがそんなの怖いに決まってる。
淫魔と分かった相手との結婚生活は考えただけでも怖くて不安で仕方が無い」
拒絶されちゃった。でも仕方が無いか。
今回は私が振るように煽ったんだもの。これで嫌われない方がおかしいよ。
だけど分かってはいたけれど、やっぱり痛いなぁ・・・振られるのって。
でもありがとう。あなたは嫌な思いをしてまで、ちゃんと私を振ってくれたんですね。
振られるのは殴られるのよりも痛い。けれど殴るのと違って殴った方も殴られた方と同じか、場合によってはそれ以上に痛い。
痛い思いをしてまで幕を引いてくれる愛情で、私はもう何の未練も無いです。・・・出来れば最後に後一回は精が欲しいけれど。
アハハ。私ってばまた矛盾してるよ。
「清香?何を納得して諦めたような顔してるんだ?」
「えっ!?」
「確かに淫魔と、清香と一緒の生活は考えるだけで不安になる。でも俺はNOと言った覚えはないんだぞ?」
「でもNOでないのならどうして聞かなかったの?真剣に私との未来を考えるのなら聞かないはずが無い。だから聞かなかった・・・。
という事は私との未来が無いということじゃないんですか?次が無いから聞かないけれど、その代わり少しでも綺麗に別れたいんじゃ?」
「確かに聞いては無いし、格好をつけたまでは認めようか」
「いえ・・・。格好をつけただなんて思ってないです」
「いや、格好つけて聞かなかったんだよ。俺は確かに不安で不安で仕方が無かった!!」
「・・・」
「だけど、清香の方がもっと不安に見えた。だから今は聞かなかった。それだけだよ」
「とし・・・あきさん・・・」
「俺は清香の話を聞いて不安になったけれど、それは清香も一緒だ。しかもダメな時のリスクがでかい。だから俺は不安を表に出さないようにする
清香が少しは落ち着くまでは我慢する。それにさ、お前にプロポーズしたときなんて言ったか覚えてるか?」
「えっと・・・何があってもお前を守る、この命尽きるまで」
「お前に言った何があっても守るってこういう事を言うんだろ?何があって持って事は自分の身が危なくともお前を守る事に全力を尽くす。
そう宣言するって意味なんだろ!?他のヤツがどうかは知らないが俺の何があってもは重たいんだよ!!」
貴方って人は本当に優しい人です。
目から鱗が落ちるとは言いますが、今の私がそうです。
でも少しだけ変ですね。目から鱗が落ちる時は物が良く見えるようになる筈なのに私の場合は逆です。
視界が霞んで見えます。私の目の鱗は随分と水っぽく湿っぽいみたいですね。
敏明さんの何があってもは本当に重かったです。
私がどれほど淫魔と一緒になることが危ないかを力説しても決して折れません。
今度は流石に不安な顔を見せます。あの時は相当無理をしていたんですね。頭を抱えて震えて俯いて、無理かもと呟いて。
彼も所詮は人間ですから怖くないわけ無いですよね?私の胸中を察して見せた空元気がどんなに重いものか痛いほど分かりました。
あれから一週間で「無理だったらゴメン」「ダメだったらゴメン」は3桁以上、口にしています。
それでも結婚の為に頑張ってくれているのですから彼の意思は変わらず尊敬ものです。
例えば私は精を得る為に、夢の世界か現実世界で他の男と夜を共にするかもしれません。敏明さんの精だけでは足りませんから。
例えば敏明さんは早く死んでしまうかもしれません。私の父は精を吸われ、小学校そ卒業前にはもう他界していました。
例えば私のほうが早死にしてしまうかもしれません。断精した淫魔はせいぜい数ヶ月の命です。
私の母は精を断って二ヶ月半で中学卒業を前になくなりました。
結婚前から浮気するかも宣言に、死亡フラグが二人分で、戸籍の関係上世間との折り合いも良くない。
こんな状態で結婚をする気になるのは余程のお人よしかクレイジーだけです。
敏明さんはイカれています。クレイジーはハンパでないようです。
―エピローグ―
幼い頃は、淫魔の本能に背いて精を滅多に吸わない母に疑問を感じていました。
お父さんを愛しているから他の男性とするのは本当に最小限にしないといけない・・・って。淫魔失格だと思います。
逆に思春期になってからは父を愛していると言いながらも精を得る為に他の男と一緒に寝る母が理解できませんでした。
人の色に染まって恋を覚えた若い淫魔にとっては、命懸けの恋愛と口で言いながらも不特定の男の精を吸い続ける母が汚く見えたのです。
でも、母と同じ立場になってようやく彼女の胸中が理解できました。
結婚直前の荷物整理で見つけたこの手紙だって、敏明さんのプロポーズ前なら理解できなかったでしょうから。
拝啓
清香、清彦へ
この手紙を読んでいるという事はもう私はこの世にはいないのでしょう。・・・我ながら随分とテンプレートな文章ですね。
この手紙を読んだという事は、アナタの中で一つの区切りがついたと言うことなのでしょう。
母としてはこの成長を祝うべきなのでしょうが、正直素直には喜べそうに無いですね。
私の予想が正しければ、今アナタが進もうとしている道は命すら危ない茨の道ですから。
・・・もしそうでないと言うのならこの手紙は破棄して下さい。的外れな事ばかり書いてあるので。
今のアナタが男なのか女なのかは私には分かりません。母のカンとしてはサキュバスの清香が似合いそうですがどれはさした問題では無いですね。
大事な事は、アナタにとって命を懸けてでも共に過ごしたい大切な人がすぐ側にいるということでしょう。
その方が男性か女性かは分かりません。ただ母のカンとしては男性の(略します)
アナタは淫魔として人の精を欲しているようですが、遠くない内に・・・というかコレを呼んでいる時は既にピュアな恋愛を体験していますね。
人は淫魔の魅力に虜になるものですが、人と共に生きた淫魔も恋を覚え人を愛せずにはいられなくなります。
そうでない淫魔もいますが、人間と近しい淫魔ならばほぼそうなるようです。
正直言って、私に母としての勤めが十分にこなせているとは思えません。
きっと清香(多分清香だと思うので、清彦だったらゴメンなさい)に寂しい思いをさせ、もしかすると軽蔑されているかも知れません。
私は淫魔でありながら精をほぼ断ち、ギリギリで生きているような状態ですからね。
辛うじて生きているような状態で、本当に何も出来ていませんね。
俊彦さん亡き今、精の供給源も断たれたようなものですし私の命も長くは無いでしょう。
俊彦さんは本当に素敵な男性でした。
私が淫魔と分かった上で、私の性質に恐怖を感じているのに・・・。それでも恋人として妻として愛してくれたのです。
俊彦さんに強く惹かれた私は、不特定多数の人間から精を吸っていた生活を大きく変え彼以外の男性と行為をしていません。
かれこれもう八年程になるのでしょうか?成熟した淫魔が健康に生きていく為には一日三精はとらないといけません。
まだ幼いアナタには分からないでしょうが、半月や一月に一度の性的な行為(しょくじ)では栄養が足りず生命を維持するのが困難です。
逆に俊彦さんの方も、毎週のように精を吸われ続ければ精欠乏である日突然亡くなってしまう危険があります。そしてつい先日に・・・。
その悲劇を回避するには様々な異性の精を頂くのが一番です。
例えば千人いれば一日三回の精を吸ったとしても十ヶ月に一度という低頻度で吸われる側の命に支障はまずないです。
それでも、敏明さんを本当に好きになってしまった私は彼としかしていませんでした。
他の男性に抱かれて精を頂くなんて考えられなくなりました。
例えこのままでは長く生きられないのだとしても、敏明さんでない男性になびく事は無いでしょう。
しかし、少しだけ。あと少しだけ生きなければいけません。
清香の成長をもう少しだけ見届けるまで、私は生きたいし生きなければなりません。
その為に、他の男性と夜を共にする事でしょう。俊彦さんに対する裏切り行為であっても。
私は命を繋ぐ為に、封印した筈の他の男性との行為を再開する事でしょう。
もし今のアナタが淫魔の本能に忠実で、気の赴くままに人の精を喰らっているのならばそれはそれでいいでしょう。
でも私は淫魔としての欲情ではなく、人間としての愛情を選びました。そして後悔はしていません。
少なくとも、私は幸せでした。他の人の精を吸えなくても、常に飢えと乾きを感じていても、長く生きることが出来なくても。
俊彦さんと出会えた事が幸せな事だと思っています。
淫魔の本能に反し彼以外の男性を立ち続けていた私をアナタはどう思いますか?
しかし彼の死後、封印した筈の他の人との性行為をしてしまう私をどう思いますか?
人との恋事(ロマンチック)に生き淫魔として生きることをやめ、しかしそのロマンも完全には貫けなかった私をアナタはおかしいと思いますか?
どの生き方がいいのかは正直私にも分かりません。ただ、アナタにとって幸せな道であって欲しいと思っています。
このイカレタサキュバスの気持ちはアナタも親になる道を選べば分かります。
ただ、この道を勧める事はしません。困難だらけの道だから。
ただ、くどいようですが私はそれでも幸せです。
彼と結ばれ、アナタを授かり、自分にどれほどの苦行があっても幸せと言い張れるくらい愛や恋はいいものでした。
・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。
母からの手紙を読む前に覚悟はしていたのだが、予想以上に重く濃い内容だった。
つい最近までは中途半端と思い軽蔑すらしていた母だったが、彼女と同じ境遇になってようやく理解できた。
私は敏明さんと一緒になれこれ以上は無いほど幸せになった。だからもう他の男性といたす事は出来ないのだ。
彼は命を繋ぐ為ならば仕方がないと許容をしてくれたが私の方が赦せないのだ。淫魔の私を受け入れてくれた彼に対して浮気だなんて。
ただ、私一人が生き残ったとしたらその誓いを破ってでも生き延びるだろう。お腹の中のこの子の為に。
例え彼に先立たれてたとしも生きなければならないのだ。この子だ育つまで何としても生き延びなければならないのだ。
両親の末路を考えれば、私達の未来は短い茨の道となるのだろう。過酷な上に、長く生きるのが非常に困難だ。
つくづく敏明さんには申し訳ないと思う。そう言うと彼は「お前に言った何があっても守るってこういう事を言うんだろ?」
って笑いながら窘めるんですけどね。
精を吸えば彼が彼果て、吸わなければ私が生きられない。
淫魔が人と同じように恋愛や結婚をする際は命がけだ。
それでも私は、私達は長くない余生を少しでも幸せに生きるのだ。生きねばならない。
両親に似てロマンチストになるであろう、この娘(推定)の為に。
恋に生きた淫魔も幸せになれることをこの子に教えたいから。
だから私達の短い人生は幸せなものにするのだ。
FIN
幼いころは変な意地を張って、無理してるせいで弱り切っている母が嫌いだった。
そのせいで父に余計な負担がかかり早死にした為、余計に母の事が嫌いになった。
中学にも上がらないうちに、母一人子一人の貧しく寂しい生活を送るたびに母を恨んでいた。
かと思ったら中学の時はそれとは逆の理由でもっと嫌いになった。
父への愛情はまだ持っている。
口ではそう言いながら他の男と関係を結んだ母が許せなかった。
この世で最も不潔な生き物とすら思った。
それから時を経て、大恋愛や失恋を経験するがやっぱり母の事だけはずっと嫌いだった。
あの時までは…。
ここは駅から少し離れた場所にあるマンションだ。
外観は少し古いけれど、部屋はそれなりには広くまた持ち主の性格からか全体的に小奇麗な印象を受ける。
部屋の中には二人いて、一人は精悍な男性だ。彼は少し冷たい目つきをしているがとても優し人物だ。
因みに名前は成瀬敏明という。
もう一人は彼の恋人で、もっと言うとそれは私だ。
私はベッドの上に座り、彼がすぐ側にやってくるのを恐れながらも待っている。
いや、逆だろうか?
彼がベッドの上に乗り私を抱きしめてくれる時を待ってはいる。
だがそれ以上に怯えていると言った方が正しいのだろう。
別に私は男性恐怖症と言うわけでは無いし、今は異性とお付き合いが出来ない状態と言うのでもない。
生来の奥手で人付き合いが苦手と言うわけでもない。寧ろこれまでの私はかなり好色だったくらいだ。
そんな私だけれど、ここ何年も恋人やその他の親しい関係を避け続けてきた。
だけどそれも今日までで終わらせる。終わらせなければならない。終わって欲しい。
私にとっての敏明さんと並ぶほど大切な人は、きっと後にも先にも現れないだろうから。
だからなんとしても彼とのこの関係を壊してはいけない。どんな演技をしてでも彼と一緒にい続けたい。
しかしそれと同時にいつまでも隠し続ける事もできない。彼と一緒になる為には真実を明かさなければならない。
もし彼が一歩踏み込んできてくれたら、私はそれに応じなければならない。
無論、OKを出すと言う意味ではなく自分の本性をさらすと言う意味で…。
「あのさー清香?」
「うっ……うん」
「いや、無理に答えを急がなくてもいいんだ。まぁ早い回答の方が嬉しいんだけどさ」
「うん。分かってる」
「いや、だから急ぐ必要は無いからな?言っておいてアレだけど…。その…。なんだ。アレは将来的なもので…」
「でも、答えないわけにはいかない…んだよね?」
「まぁ・・・そりゃあな」
「それに私、これでも約束は守る方だよ?今日中に答えを出すっていったんだから…だからあと一時間のうちに必ずカタをつけるね」
「分かった」
「敏明さん。私嬉しかったです」
「…」
「貴方に出会った日から、いつか一緒になれたら良いな。…そう思わなかった日なんてなかったくらいに私、敏明さんを慕っていました。愛していました」
本当は出会ってから彼を信頼し心を開くまで少し時間がかかったけれど、そこは多少盛ってもいいよね?可愛い嘘だ。
「それじゃあプロポーズを受け入れてくれるんだね!?」
「でも…。その…」
でも、それが簡単に出来るのなら私だって悩まないし苦しむ事はなかった。
私だって出来る事なら首を縦に振りたい!!でも、それは出来ない。少なくとも自分の正体を明かすまでは。
だって私は、私は…。
とうとう観念するしかない…よね?
私は覚悟を決め、本題を切り出し始めた。
「ねぇ敏明さん。私達が出会った時の事って覚えてる?」
「ん?どうしたんだ急に?」
「その…大事なことだから答えて欲しいの」
「あぁ…まぁ忘れられないよな。あの時の清香はそりゃあ凄かったからな」
「あの頃の私って本当に荒れてたでしょ?」
「ああ。そうだったな。触るもの皆傷つけそうだったお前がまさかこんな美人さんになるとは予想だにしなかったよ」
「ええ。この二年間、敏明さんと一緒にいたくて女らしさは全力で磨きましたから」
「そうだったな。あの頃も美形といえば美形に違いないが随分と男っぽくもあった」
そう言った彼は、遠くを眺めるようにして「それが今じゃあここまでの美女だ」と呟いた。
「昔は少し男っぽく見えて今は美女ですか?」
「ああ・・・まぁ男っぽくって言っても別に悪い意味じゃないんだぜ?」
「いえ、良いんですよ。あの時の私が明らかに男っぽかったのは事実なんですから」
「あっああ・・・。気にしてないんだったら別に良いんだけど」
「それに前の私が男みたいで、今の私が女性らしく見えるのも当たり前です。だって私は淫魔の末裔ですから」
「ふぁ?インマって言うと何なんだ?」
私の告白の意味が理解できないらしく聞き返してきた。
「夢魔・・・って言えば良いのかな?私は夢魔の末裔なんです!!或いはサキュバスと言っても良いかも知れません」
「おっ・・・おいおい。真面目なお前が珍しいな。ジョークだなんて」
「違うの・・・冗談じゃないの」
「中二病って奴か?中二が許されるのはせいぜい高二までだとあれほど・・・」
「敏明さんッ!!」
話が話なだけにまともに取り合ってくれなかったのか、それとも受け入れられなかったのかは分からない。
ただ、私が彼と真に密な関係となるにはこの部分を乗り越えなければならない。
「・・・分かってるさ。お前がこういう時に冗談を言う訳は無い。信じられないがきっと本当にお前はサキュバスなんだろう」
「はい」
私の父は普通の人間で母は淫魔だ。
淫魔を親に持つ者はほぼ確実に淫魔の特性を受け継ぐ。
幼少期は人間の子供と一部を除いて差がないが成長すると淫魔の性質が強くなる。
人のセイを好み、大人になると異性の精気を吸わずにはいられなくなるのだ。
また、淫魔の子は思春期を迎えるまでは性別が定まっておらず男になったり女になったりする。
現に私も二年前までは男性形、インキュバスだった。
性格が比較的人間に近い(母曰く)私は普通の男性として、普通に女性と恋愛をし結婚目前までの関係を築きあげた。
そして、プロポーズをする際に正体を明かし・・・拒絶されたのだ。
傷心となった私は住んでいた町から逃げるようにして立ち去り、彷徨い続けた。
今の自分でいるのが嫌で嫌で、もし淫魔じゃなかったら・・・とか、もし男じゃなかったら・・・とか、もし彼女と出会ってなければ・・・などと考えずにはいられなかった。
意識を失い行き倒れそうになった。しかし倒れそうなほどつらいけれど決して倒れたり気を失ったりはしなかった。
簡単に行き倒れ意識を失う事がなかったせいで無と言う安息地帯に逃げ込むことも出来なかった。
そしてただひたすらに私は悔やみ続けた。そしてついに限界に達し意識を失い、敏明さんに拾われ助けられたのだった。
見ず知らずの人間(の姿をした淫魔)を助けた敏明さんのお人よしぶりも奇妙だったがそれ以上に私を『お姉さん』と呼び女性扱いする彼の態度が奇妙だった。
気がつくのに少し時間がかかったが、どうやら彼は私を女性と思っていたらしい。身体の具合がいつもとは違うとは思っていたもののまさか女性化したとは思わなかった。
淫魔は思春期を越える前ならば性別が不定で、男性形態と女性形態のどちらにも変身できるが大人になると性別が固定されそれ以降は異性の姿になることはありえない。
だから一度インキュバスとなった私は生涯男性の姿となる筈だから女性扱いされるなんておかしいのだ。
まぁ当時の私は美男子≒女顔だから女性っぽいと言われる事は珍しいわけでは無いのだが・・・。
元々、美男子≒女顔だったのに加え、男でいる事も嫌だったせいでその時の私の外見は結構女性的だったのだろう。
少なくとも敏明さんはその時の私を女性と思うくらいの外見をしていた事は確かだ。
それでもれっきとしたインキュバスの私は、それなりに男っぽい体格でそれなりに男っぽい顔をしていたから「お姉さん」と連呼されるのは流石に奇妙だった。
が、暫くして少し落ち着いた時にようやく思いついた。ひょっとして女性形態になっていたのだろうか?・・・って。
まさかとは思いつつも試しに自分の喉を触ってみて確信した。
因みに胸やお股も確認してみたが、胸の大きさは申し訳程度に膨らんでいたという程度で、通常ならば巨乳、豊乳が当たり前のサキュバスにしては奇妙な大きさだ。
お股の部分もそこにあるものはペニスでは無いけれどクリトリスと呼ぶには少々大きすぎるし、膣らしき割れ目も欠落したように見える。
詳しい事は分からないが、一度分化した淫魔の性別が変わる事はない。
特に性別を変化させるには淫魔自身が異なる性になりたいと思わなければ起こりえないのだ。
思春期前の心の性がはっきりと定まる前ならばともかく、何年もインキュバスとして過ごしとある女性と結婚目前まで進んだ私は心身ともに男の状態で固定された筈なのだ。
だから性転換に慣れきった筈の私ですら、この変身は青天の霹靂もとい性転の霹靂だったのだ。
性別が分化する前の私ならばサキュバスの状態であろうとインキュバスの状態であろうとも大して問題視はしなかった。
未成熟の淫魔にとって性別は変えられるのが当たり前で男の自分と女の自分に差はあってないようなものだから。だが分化後だとそうは思えない。
私がインキュバスになってからもう十年近くが経過した事になるのだろうか?
女の状態の自分、男と女を行き来する自分は記憶があやふやになるほど大昔の存在だ。
加えて淫魔が生きていく為には美男(或いは美女)の姿が必要となる。それ相応の容姿がなければ異性に近寄れず精気を吸うまでのに至らないからだ。
男でなくなったインキュバスには、女性の精気を吸う事が出来ず長くは持たないだろう。
かと言って、男を相手にする事も出来ない。・・・そもそも今の私は美女でもないから男の精を得るのも無理か。
本来ならば突然のTSは(正確には女性ではなく中性になったのだが)淫魔にとって死の宣告のようなものだ。
だが、精気が吸えずに死んでもいいかな?なんて思ったりもしていた。
恋人に恐れられ逃げられた私は半ば自暴自棄になっていて『もうどうにでもなぁれ♪』な状態だった。
普通の人間と同じように普通の家庭を持ってみたい。普通の人間と同じように恋愛をしたい・・・。
昔からそう願っていた私にとって、食欲・色欲抜きで好きになった女性との破局はそれほどまでにショックだったから。
「それにしてもここの家主は何を考えているのだろう?」
見ず知らずの行き倒れた男女をここまで連れてくるなんて。
現代日本は色々と危険なのに見知らぬ人間(淫魔だけど)を部屋の中に連れ込むだなんて無用心な。
それとも下心ありまくりのヤる気マンマンとか言うオチなのだろうか?私を女と勘違いしていたようだし。
だとするとあの男は見た目に反してかなりのスケベ野郎って事になる。
どうせ、私には居場所もないしやり残した事だってもうないのだ。こうなったらいっそ限界まで堕ちるのも一興だ。
今の私にとっはてもう貞操なんて意味がないし、そもそもこの男女どっちつかずな身体じゃ襲うに襲えないだろう。
面白い。この私で性欲を満たしたいのならば好きにするが良い。せいぜい勝手に勘違いして、勝手に激怒し、私を退けるが良い。
もう私には何も残っていないのだ。いっそ怒り狂った拍子に殺してくれても構わない。
そうすればアテも希望も未来も見えない、この人生・淫魔生を楽に終えることが出来る。それはそれで悪くはない。
・・・。
などと身構えたは良いものの彼は私を襲う事はなかった。
それどころか、暫くの間部屋を貸しても良いなどと言い出すのだった。
「えっと・・・。敏明さんでしたよね?」
「下の方の名で呼ぶか」
「すいません。下の名前の方しか覚えてなかったもので」
「まぁ折角だし敏明で良いか。因みに名字は成瀬な」
「・・・でですね。敏明さんは私とは初対面の筈ですよね?友達とか恋人とかじゃなくって」
「ああ。面識はないが」
「じゃあどうして良くしてくれるんですか?普通、会って間もないお・・・女に宿を提供してはくれませんよね?下心があるのならともかくナニもしなかったし」
「だが他に行く場所がなかったから結局、昨夜はここに泊まったんだろう?」
「そうですけど・・・」
「見ず知らずの相手とは言え、また行き倒れて今度は死んだりでもしたら寝覚めが悪い。昨日の事で俺に借りができたと思うのなら居場所が見つかるまで
ここにいてくれ。確かに見ず知らずの女を泊めることに抵抗はあるが、それでもこのままどっかにいっちまうよりかはよっぽどマシだ」
「分かりました。命の恩人の頼み事ですから聞かない訳にはいきませんね。では短い間でしょうがお世話になります。成瀬さん」
世の中には私の正体を知れば拒絶する人間も少なくないというのに、掌を返すように冷たくなる者もいるのに・・・。
彼のお人よしに半ば呆れながらも感謝をし、少しの間宿を借りることにした。
しかし、だからといって彼に心を許したというわけでもない。
彼だって、友人や恋人が淫魔と知れば受け入れられはしない。少なくとも普通の人間はそうだ。
人間の情や優しさは好きだが決して過信をしてはいけない。さもなくば淫魔が人の世にて生きていく事は出来ない。
どうしてもその人と親しくなりたいのなら、まずは正体を隠し暫く一緒にいて実績や既成事実を作っておく。
正体を明かすのは、そうやって外堀を埋めてからだ。
ズルイ方法とは分かってはいるが、これをしないわけにはいかない。
いかに優しい人でも、人の精をすする悪魔を頭から信用するというのは有り得ない事だから。
・・・でも、今だけは信じている振りをしようと思う。
彼のこのお節介な優しさが人間が相手でも、淫魔が相手でも変わらない。そういうものだと思っておくことにする。
せめて今だけは淫魔相手でも優しく受け入れてくれる人と思い込むことにしよう。
そうすれば救いのない現状も少しは心地よいものになるから。
あーあ。
介抱してくれた人が女だったら淫魔としてちょっとした楽しみを持てたのに・・・。
或いは私がサキュバスになっていれば、この人と一緒になる事を夢見る事くらいは出来たのになぁ・・・。
さっきまで終わる事しか頭になかったのに、どうして私は生きることを考えたのだろうか?
しかも男とあんな事をするシーンを思い浮かべたなんて・・・。
彼の優しさで毒気を抜かれると同時に、考え方もどこかおかしくなってしなったらしい。
早くここを出て行こう。
そう意気込んではみたが、一週間、二週間と時間が経ち一ヶ月はあっという間だった。
行くアテなんてすぐには見つからないし、外見が変わってしまったせいで清彦として復帰する事も難しくアテを見つけるのは困難である。
更に、敏明さんとの日々の居心地が良かった事も彼と一緒の時間を長引かせる要因となった。
詮索するでもなく、重荷と思う素振りを見せず、ただただ私の事を気遣う彼・・・。
ひょっとすると無意識のうちわざと出発を遅らせたのかも知れない。に敏明さんと別れるのが嫌だから。
本当に早くここを出たいのなら日雇い労働でも、夜の仕事でも見つけて強引に離れればいいんだし。
それが出来なかったのだからやはり私は彼に惹かれていたのだろう。まだ男の精神が残っている段階で。
そうこうしているうちに、身体は更に女性寄りに変化し男でない身体、女のような身体に違和感が無くなってきた。
自分の精神はもう完全に男だと思っても、そこはやはり雌雄同体の淫魔なのだろう。意識せずとも女性化を受け入れていた。
そうして、いつの間にか外見だけでなく性格や行動まで女・・・敏明さんの女のようになっていった。
外の仕事を見つける事が出来ない事もあったので、敏明さんの身の回りの事ばかりしていた。その事も私を意識される結果に繋がったのだろう。
私って彼の彼女や奥さんみたいな事をしてるんだって。
一度意識をしてしまうと、もう普通に接するのも大変になってしまう。
つい最近までま見知らぬ人で、ようやく顔を見慣れてきた・・・そんな浅い関係だったはずなのに油断してるとつい男性と見てしまうのだ。
いえ・・・まぁ男性なんだけれど異性と言う意味で男性と見てしまいそうになるのだ。
私自身、インキュバスだったはずなのに急に女らしくなった点も彼の男っぽさをより強く感じる一因となったのだろう。
最早私はインキュバスとは呼べなくなった、華奢な体や白く細やかな肌も伸びてきた細い髪の毛も男性である敏明さんのパーツとは異なる。
女性と比べれば起伏が乏しいが、胸には山と谷が存在している。胸の小さい女性と比べれば幾らかは豊かな山だと思う。
何より、股間に生えているものが縮んでしまい男の股間とは絶対に呼べない。立ってのトイレも無理だし、窪みらしきものも出来つつある。
身近にいる人物が男らしい男性だからか、自分の女っぽい部分ばかり気になってしまう。
「どうせなら完全にサキュバスになってたらなぁ・・・。」
いつの間にか自分自身に対する認識が女っぽい男ではなく、男の部分の残った女になりきれていない女になっていた。
消えていったサキュバスの記憶は無意識のうちに復活していたのだった。
逞しい男性に抱きつき、唇を味わい・・・そして下半身に生えている甘美な果実を貪る。
まだ私がサキュバスだった頃は何度もそうしていた。
思春期前まではサキュバスでいる事の方が多かったこともあり、男性の精を頂いた回数は数知れない。
淫魔だから仕方がないかもしれないが、我ながら中学生にはあるまじき淫乱・性豪ぶりだろう。
相手が殆ど疲弊せず何度も精を味わうことの出来る夢の世界と濃厚な味わいと抜群の栄養価を誇る現実世界の精・・・。
自分の生活や性別の事でいっぱいいっぱいだったせいでこの一ヶ月強の間、一切の精を得ていない。
そんな私が美味しそうな精やら性器の事を思い出してしまったのだ。
この日の晩、精をすすらずに過ごす事なんて無理だろう。
相手として真っ先に思い浮かべたのはやはり敏明さんだった。
ここでまともに面識があるのは彼だけだから当たり前かもしれない。
しかし、ここに来て一人の女性とも出会っていないというわけではない。
買出しの時とか、街中で女性を見かけた事はあるしその中には美人さんやスタイルの良い女性だっていた。それでも女性の精を得ようとすら思わなかった。
ここに来て、もう認めないわけにはいかないだろう。今の私はインキュバスでも男でもないんだと。
敏明さんは心身ともに逞しく、健全で男らしい人物だ。
若く活力に満ちていて、女性の影を感じないからだろう。
少し嗅いだだけで分かるほど濃厚なセイで満ち溢れている。
おまけに、外見だって結構格好良いし、身体からは男の色気を感じる。
男の精に興味がなかった為に特に気にも留めていなかったが、敏明さんは高質の精をかなりの量持っている。
淫魔にとってこれ以上有り難い男性は滅多にはいないだろう。
成熟したサキュバスなら勿論の事、性に目覚めつつある淫魔にとってもたまらないだろう。
場合によっては彼が原因でインキュバス寄りだった子供がサキュバスとなってしまう可能性だってある。
それくらいに彼の精は魅力的なのだ。香りを思い出すだけで軽くイキかける程に。
しかも私は一ヶ月以上断精した状態だ。
最後の砦だった『同性の精に興味は無いね』ストッパーが機能しなくなったらどうなるか?
・・・もう彼の精の事しか考えられなくなるのだ。
・・・とは言え帰宅した彼をいきなり押し倒す事は難しい。
力では勝てないので押し返されて精を吸うことなんて夢のまた夢である。
そんな事をすれば彼にここから追い出され、チャンスを失うだけだ。
それに、死にかけていた私を助けてくれた命の恩人を襲うなんて罰当たりな真似もしたくは無い。
しかし、それでも彼の精を我慢できないのが淫魔の業の深さと言ったところか。
結局、リスクを避けることを優先し精を吸うのは夢の世界だけにしておいた。
ついさっきまで彼の精の事が気になりすぎて家事もロクに手につかない状態だったが方針を決めた後の行動は早かった。
掃除や洗濯を手早く終えて、精のつきそうなメニューを考え買出しに出かける。
湯上りの状態のほうがオイシイ精になるので更に彼の入浴時間を遅くするようにもしておいた。
幸いにも帰りが遅い日だったから、先に夕食にすれば敏明さんはほぼ確実に練る前の入浴になる。
そして彼が眠りについたのを確認し彼の夢の中に飛び込んで・・・ご馳走様でした。
精は一ヶ月間、男性の精なら十年は口にしていない。精禁状態から久々に得た精は信じられないくらい美味しかった。
夢の世界とは言え精を吸えば彼の気力や体力は失われる。
そんな事になると折角、極上の精なのに味が落ちて・・・ではなく彼が倒れたり彼に不審がられたりしてしまう。
倒れられたら精がどうとかいう問題では無いし、不審がられて追い出されるのも困る。
週に5回も夢の中で私に出会ったら彼も私の秘密に気がついてしまうかも知れない。
彼の精を吸った後はもう少し控えようと戒めるけれど、3日も持てば上出来だろう。
一時は上記のように週5のペースで彼の夢にお邪魔してしまうほどだったから。
そんな高頻度で彼の夢にお邪魔すればどんな人でも絶対に気になってしまう。
夢の内容は覚えているかどうかが本来ならまちまちだが、淫魔が介入した夢は少しだけ現実なのだ。だから普通の夢よりも印象に残りやすい。
最近見た夢が同居人の女に逆レイプされる夢ばかりとか下手なホラーよりもよっぽどホラーである。
夢の中の私に襲われ続けて精神的に病んだり、私を恐れてここから追い出すなんて事は十分にありうる話だ。
そもそも、私を家に置いてくれる時点で信じられないくらいのお人よしなのだ。その女が厄介者と分かったら余計に家に置いておく義理は無い。
絶体絶命の危機なのだが、私は彼の精の美味しさには抗えず週4ペースで精を貰い続けていた。
ここを追い出されるその日まで精を貪り続けようと開き直っていたのだ。
ただ、幸いにも勘違い・・・というか夢の内容を完全には覚えてないようで夢の中で私と性行為をした所までは覚えているが
その内容は少し曖昧で、逆レイプに近いものだという事は覚えていないようだった。
そして勘違いが勘違いを生み、敏明さんは夢に出るほど激しい劣情を抱いているのだと結論付けてしまったのだ。
そしてあろうことか私に告白をしてきたのだ。
根が真面目な人だから、単にヤるヤらないの関係ではなく恋人としてちゃんとした手順を踏んでから・・・と考えたようだ。
かくして私と彼は恋人関係になったのだ。
淫魔である私にとっては、ピュアな恋愛よりも人の精でお腹を満たすことを重要視する。色気よりも性的な食い気である。
一時は私も食い気を抑え気味にして、真面目な恋愛をしようと意気込んでいた時期もあったのだがそれももう過去の話だ。
ただ、彼の告白を聞いた時に思ったのだ。
ちゃんとした恋愛関係や家庭を築いてみたい。
淫魔だって人間と同じように恋愛をして家庭を築く事が出来るんだと証明したい。
そして今度こそ壊さずにゴールまでいきたいと。
こうして彼の告白を快諾した後は言うほど大したイベントはなかった。
順風満帆というわけでは無かったが、私は敏明さんとの関係を築きあげる事に命を懸けたのだ。上手くいかないわけが無いだろう。
敏明さんとのお付き合いを食事とは切り離して考え、切り離して行動する。難しかったけれど、どうにかこなす事ができた。
ただ、どうしても彼の精を我慢する事が出来ない日もあったのだけれど・・・。
そんな日は夢の中でこっそり精を頂いたけれど、それでも週に三度はしないようにした。
平均すると二週に一回ペースだったと思う。
普通の人からしたら十分多いのだろうけれど、淫魔(わたし)にとっては圧倒的に少ないのだ。一日一回ですら精が不足しがちなのだから。
不足しがちな精は毎日の自慰でどうにか誤魔化し敏明さんとの恋愛は可能な限り汚さないように気をつけた。
未だに行為をしていないほどに。
そしていつの日かすべてを明かした上でエッチをし、そして彼と結婚出来たら…。
無茶を承知だが、そんな夢のような夢を毎日のように夢見るのだった。
「なるほど・・・そういう訳だったのか・・・」
「私の言った事を信じるのですか?」
私が言った事は事実だ。だが、それが通用するかどうかは別問題である。
信じてもらえないまま彼と一緒になるのも、嬉しいといえば嬉しいがそれではダメだ。
一緒にいる事は出来るが、同じ時間を過ごす事はできない。
「信じられるかられないかって言えば信じられないな。ただ、さっき清香が言っていたことが事実だとすると納得できる事も少なくない」
「・・・そうですね」
「見知らぬ女が倒れていた。男っぽかったその女は見る見るうちに女らしくなってゆき今では妖艶な色気と魔性とも言える魅力を持つようになった。
そんな彼女は夢の中で俺を誘惑しているし、見るからにエロを持っているが性に対してはとても慎重・・・いや、臆病とさえ言える。清香が普通の女
とは違った雰囲気を身に纏っているというのはずっと感じていた事だしな」
そう言った敏明さんは呟くように「その違いの正体が淫魔だからとは思わなかったが、言われてみれば納得か」と付け加えた。
「そんなに私は淫魔らしく見えましたか?」
普通の人間と同じように生きて、淫魔と見られないよう気をつけた心算なのだが・・・少しショックだ。
「そういう訳じゃない。サキュバスってヤツが現実にいる事を知らなかったからとは言え、現に俺は清香がサキュバスと気がつかなかったんだ」
本当に言いたい事、本当に聞きたい事はこんな事ではないのだが肝心の部分はつい尻込みしてしまう。
しっかりしないと。普通の人間と変わらない結婚を望んだのは私なのだ。私が真っ向からぶつからないでどうするのだ。
「それで・・・あのー、さっきのプロポーズの事なんですが・・・」
しかし、そうは意気込んでみてもどうやら今の私は臆病者のようで肝心な言葉がなかなか出てこない。
「清香としてはプロポーズを待ち望んでいた。でもOKを出すことが出来なかったそれが何故なのかは良く分かった」
「敏明さん・・・そうなんです」
結局大事な所も彼に助けて貰って情けない気はした。だからせめて一番肝心なことだけは言うのだ。
「敏明さん!!もし淫魔でも良いと思うのなら私のお嫁さんになって下さい!!」
「えっ?逆じゃないか?」
「えっ・・・?あっ・・・そう言えば私の性別って・・・」
男だった期間が長かった上に、前回プロポーズした時も自分が男で相手が女だったからなのだろう。
よりにも世って一番肝心な部分が入れ替わっていた。締まりはしないが慌てて最後を「お嫁さんにして下さい!!」に変更し言うべき事は言った。
長い沈黙が続いた。
実際の時間はほんの数分かも知れないが、少なくとも私にはとても長くそして重い時間に感じた。
「いやー、本当に実感が沸かないな。本当に」
彼の口から出てきた言葉はYesでもNoでも無かった。
「普通に彼女と思っていた奴が実は淫魔でしかも元男です!!だもんなぁ・・・いきなりンなこと言われてもやっぱりピンとこないわけよ」
こんな事を口にした彼の真意はよく分からなかった。私はこの事が真実だと訴えることしか出来なかった。
「あぁ。事実だとも思っている。さっきも言った気がするが、お前がこんな重要な場面で嘘をつくような奴じゃない事は分かっている。
嘘をつくメリットも無いしな。話が戻ったようで申し訳ないが」
「やっぱり・・・。いえ、いいんです」
急に自分は淫魔ですなどと言ってもすぐに答えが出てこないのは当然か。今日伝えて、今回答が貰えるなんてムシがいい話だ。
私ってばあの時に何を学習したんだろう?私ってば昔からこうだ。勝手に変な期待をして自分じゃ出来ないような事をつい期待してしまう。
今日、彼から聞ける返事は『先延ばし』しかありえない。『即答の拒絶』も有り得るか?
とにかく、彼が冷静に考えてからが勝負だろう。
「なぁ清香?」
怯えでもなく、すまないような顔もしていない。良かった。取り敢えず即答のNOではないようだ。次は先延ばしね。
「淫魔について詳しく教えてくれないか?」
「えっ・・・ええ」
予想していた答えとは違うが、慎重で頭のキレる彼らしい台詞かもしれない。
一人で考える前に少しでも多くの情報を集めてから判断したいか。
当たり前といえば当たり前と言えなくも無いけれど、私との結婚を考えてくれる気があるようで嬉しい・・・かな?
私は淫魔の性質について聞かれた事を教えた。
淫魔には寿命が無いかあっても人とは比べ物にならないほど長寿である事
私のような末裔は性質が人に近くなり寿命も人よりはかは長い程度で精以外の食料は人と変わらない事
末裔であっても夢に入り込む能力や飛行能力を持ち、女性であっても怪力の男性よりも強い戦闘力を持っている事
ただしその強大な力を維持するには大量の精を必要とし精を吸う頻度が少なければ人と差が無いほど非力になる事
精の量が十分ならほぼ飲まず食わずでも活動できる事と、反対に精を吸わないとちゃんと栄養を採っても衰弱する事
子供を作る際の事だが行為そのものは普通の人間と違わず、精を頂く時とも変わらない事や子づくり行為に励んでも愛情が無いと子が出来ないらしい事も伝えた。
他の事は大体体験したが、子作りの件は聞いただけなので少し曖昧な回答だったが聞かれた事にはどうにか全て答えられたと思う。
「子作りの部分はまともに体験してないから分からないけれど、経験者の母が言うから間違いは無い筈です。キーとなるのは愛情だと」
「愛情がキーとはまた分かりにくい表現だな。しかもここの部分だけ情報が少ないし」
「多分、人が性に目覚めるのと感覚的には近いと思います。人間だって誰に教わらなくとも性的な行為を身体が覚えていますよね?それと同じです」
「まぁ射精は保健体育で習う習わないに関係なく習得できるか。・・・下品なこと言ってゴメン」
「敏明さん、私は淫魔ですよ?性に関する貪欲さは人の比ではありません」
「そう言えばそうか、今まで性的なものを避けてたもんだからつい・・・」
「それから、私も子供を作る感覚と言うものが何となく分かるんです。敏明さんの子供を抱き家庭を築き上げたいと思ったからこそ
プロポーズさせるように仕向けたんですよ?」
「清香が仕向けたのか?」
「ええ。淫魔の魅力には絶大です。伝承では理想の異性の姿に変身できると言われるほどですから」
異性の精を吸う為には異性に好かれねばならない。それ故に、淫魔は人に好まれる容姿をしている。
時代や風習によって美醜の基準は異なるが、淫魔が醜いと思う人はまずありえないだろう。人間の本能に訴えるような美しさが備わっているから。
また身にまとう雰囲気や自身の香りなどを変えることも出来るので相手が理想と思う異性に変身できるという表現も正しいかもしれない。
淫魔の魅力に人は勝てないように出来ている。淫魔は人の本能を扱うのに優れているのだ。
ただ、人は本能だけで出来ているのではない。下半身がどんなに魅了されていてもその相手が危険と分かれば近寄る事はありえない。
当たり前か。肉を喰らうではないが淫魔は人食いも同然なのだ。
そもそも未知で異形の存在なのだ。危険な淫魔を避けるのは懸命な人間なら至極全うな事だろう。
「・・・それで、直接プロポーズが出来ないが俺を魅了しプロポーズさせたと?」
「ええ。汚い手と思ったのならば謝罪します」
「少し不快な気もするが世の女性は大概そうする。それじゃあ続きを・・・。どこまで話したっけ?」
「確か、敏明さんの子供が欲しくなり子供が出来る見込みがあったから結婚に踏み込んだ・・・でしたね」
「そう言えばそうだったな」
「そう、子供が出来るできないについて体験はしてませんが本能的に分かるんです。それに・・・」
「それに?」
「あっ・・・いえ、今回の事とは直接関係無いので・・・」
「まぁ清香がいうべきでないと思った事なら問題ないか」
何を言っているんだ私は、確かに直接ならば関係ないと言えなくもないが無関係では無いだろう。
どうして私はこうなんだ。
全てを曝け出した自分を彼に愛して欲しいと願っているのに、どうして肝心な事を言わないのだ。
そして彼はどうして・・・?
「ねぇ敏明さん?」
「ん?」
「どうして何も聞いてこないんですか?」
「さっきから質問はしてるだろ?淫魔と人間の何が違うのかを」
「違います。前に付き合っていた恋人・・・女性との破局についてどうして何も聞いてはこないんですか?」
「俺には淫魔がどういう生き物なのかを聞く必要・・・権利がある。清香との結婚を真剣に考えているからな。だけど清香のプライベートをほじくる資格なんて無い」
「詭弁です。インキュバス時代の私の破局がこの淫魔という種族と関係があることくらい敏明さんなら察している筈です」
そもそも敏明さんが気にしているのは私の身の事ばかりだ。
どうして聞こうとしないのだ?自分に関わることを。
淫魔と子作りをするとどれ程のリスクがあるのかを?
もっと言えば、精を吸われている事について何も問いたださないのは何故?
多い時は週3以上で精を吸われ、今でも隔週で精を吸われた自分の身が安全なのかを?
私が怖くなって本当は別れる気だけど、変に気を使っているのならやめて欲しい。
元々は行き倒れていた私を優しくもお節介な貴方が助けたという成り行きの関係だ。
一年を少し超えただけのその関係がぷっつり切れても無理は無い。
淫魔と分かったら怖くなって逃げ出したとしてももう文句なんて言わない。言えない。
そもそも貴方がいなければ私はもう死んでいた。
死ぬ前に温もりをくれて、何も知らない状況とは言え精を提供し続けた敏明さんは私に対して十分よくしてくれた。
これ以上を求めるのは私のエゴだという事は私も理解している。
だから振られて、二度と会いたくないと言われても仕方の無いことだと、少なくとも理性は理解できている。
私が怖くて嫌だというのならもう全部諦める。二度と貴方の前には現れない。
だからお願い。もう少しだけ私の夢に付き合って。
私の夢と、貴方との関係は続いてるものとして扱って欲しいの。貴方が幕を引くまでの間は。
終わりならば、幕引きはちゃんとして。
本当に私って最悪だ。
不安がとうとう限界に達した私は自身の不安を彼にぶちまけた。
自分でもう十分と言っておきながら、ちゃんとした終わり方まで要求するなんて強欲で矛盾した自分が嫌になる。
少なくとも彼は見た感じ、ちゃんと考えてくれているし演技だったとしても私を傷つけないような演技なのだ。
綺麗で傷つけない終わりは自分の為ではあるのだろうが、私の為でもあるのだ。
それなのに私は何を言っている?
彼とのわずかな可能性を自分で断ち切り・・・この期に及んで自分の事を言うのはやめよう。
どうして私は彼に更なる重荷を要求しているのだ?
直接振って!!だなんて処刑したような気分にさせ、無駄な罪悪感を感じさせるだけだ。
「拒絶や恐怖を感じていないようにしている俺が演技っぽくって怖いのか?」
「ゴメンなさい・・・でも、怖くない人間なんていないと思うんです。だからきっと敏明さんには私に言わないでいることがあるんだって・・・」
「まぁ・・・言葉には気をつけているからな。その通りだ。人の精を糧にする淫魔だか夢魔だか分からんがそんなの怖いに決まってる。
淫魔と分かった相手との結婚生活は考えただけでも怖くて不安で仕方が無い」
拒絶されちゃった。でも仕方が無いか。
今回は私が振るように煽ったんだもの。これで嫌われない方がおかしいよ。
だけど分かってはいたけれど、やっぱり痛いなぁ・・・振られるのって。
でもありがとう。あなたは嫌な思いをしてまで、ちゃんと私を振ってくれたんですね。
振られるのは殴られるのよりも痛い。けれど殴るのと違って殴った方も殴られた方と同じか、場合によってはそれ以上に痛い。
痛い思いをしてまで幕を引いてくれる愛情で、私はもう何の未練も無いです。・・・出来れば最後に後一回は精が欲しいけれど。
アハハ。私ってばまた矛盾してるよ。
「清香?何を納得して諦めたような顔してるんだ?」
「えっ!?」
「確かに淫魔と、清香と一緒の生活は考えるだけで不安になる。でも俺はNOと言った覚えはないんだぞ?」
「でもNOでないのならどうして聞かなかったの?真剣に私との未来を考えるのなら聞かないはずが無い。だから聞かなかった・・・。
という事は私との未来が無いということじゃないんですか?次が無いから聞かないけれど、その代わり少しでも綺麗に別れたいんじゃ?」
「確かに聞いては無いし、格好をつけたまでは認めようか」
「いえ・・・。格好をつけただなんて思ってないです」
「いや、格好つけて聞かなかったんだよ。俺は確かに不安で不安で仕方が無かった!!」
「・・・」
「だけど、清香の方がもっと不安に見えた。だから今は聞かなかった。それだけだよ」
「とし・・・あきさん・・・」
「俺は清香の話を聞いて不安になったけれど、それは清香も一緒だ。しかもダメな時のリスクがでかい。だから俺は不安を表に出さないようにする
清香が少しは落ち着くまでは我慢する。それにさ、お前にプロポーズしたときなんて言ったか覚えてるか?」
「えっと・・・何があってもお前を守る、この命尽きるまで」
「お前に言った何があっても守るってこういう事を言うんだろ?何があって持って事は自分の身が危なくともお前を守る事に全力を尽くす。
そう宣言するって意味なんだろ!?他のヤツがどうかは知らないが俺の何があってもは重たいんだよ!!」
貴方って人は本当に優しい人です。
目から鱗が落ちるとは言いますが、今の私がそうです。
でも少しだけ変ですね。目から鱗が落ちる時は物が良く見えるようになる筈なのに私の場合は逆です。
視界が霞んで見えます。私の目の鱗は随分と水っぽく湿っぽいみたいですね。
敏明さんの何があってもは本当に重かったです。
私がどれほど淫魔と一緒になることが危ないかを力説しても決して折れません。
今度は流石に不安な顔を見せます。あの時は相当無理をしていたんですね。頭を抱えて震えて俯いて、無理かもと呟いて。
彼も所詮は人間ですから怖くないわけ無いですよね?私の胸中を察して見せた空元気がどんなに重いものか痛いほど分かりました。
あれから一週間で「無理だったらゴメン」「ダメだったらゴメン」は3桁以上、口にしています。
それでも結婚の為に頑張ってくれているのですから彼の意思は変わらず尊敬ものです。
例えば私は精を得る為に、夢の世界か現実世界で他の男と夜を共にするかもしれません。敏明さんの精だけでは足りませんから。
例えば敏明さんは早く死んでしまうかもしれません。私の父は精を吸われ、小学校そ卒業前にはもう他界していました。
例えば私のほうが早死にしてしまうかもしれません。断精した淫魔はせいぜい数ヶ月の命です。
私の母は精を断って二ヶ月半で中学卒業を前になくなりました。
結婚前から浮気するかも宣言に、死亡フラグが二人分で、戸籍の関係上世間との折り合いも良くない。
こんな状態で結婚をする気になるのは余程のお人よしかクレイジーだけです。
敏明さんはイカれています。クレイジーはハンパでないようです。
―エピローグ―
幼い頃は、淫魔の本能に背いて精を滅多に吸わない母に疑問を感じていました。
お父さんを愛しているから他の男性とするのは本当に最小限にしないといけない・・・って。淫魔失格だと思います。
逆に思春期になってからは父を愛していると言いながらも精を得る為に他の男と一緒に寝る母が理解できませんでした。
人の色に染まって恋を覚えた若い淫魔にとっては、命懸けの恋愛と口で言いながらも不特定の男の精を吸い続ける母が汚く見えたのです。
でも、母と同じ立場になってようやく彼女の胸中が理解できました。
結婚直前の荷物整理で見つけたこの手紙だって、敏明さんのプロポーズ前なら理解できなかったでしょうから。
拝啓
清香、清彦へ
この手紙を読んでいるという事はもう私はこの世にはいないのでしょう。・・・我ながら随分とテンプレートな文章ですね。
この手紙を読んだという事は、アナタの中で一つの区切りがついたと言うことなのでしょう。
母としてはこの成長を祝うべきなのでしょうが、正直素直には喜べそうに無いですね。
私の予想が正しければ、今アナタが進もうとしている道は命すら危ない茨の道ですから。
・・・もしそうでないと言うのならこの手紙は破棄して下さい。的外れな事ばかり書いてあるので。
今のアナタが男なのか女なのかは私には分かりません。母のカンとしてはサキュバスの清香が似合いそうですがどれはさした問題では無いですね。
大事な事は、アナタにとって命を懸けてでも共に過ごしたい大切な人がすぐ側にいるということでしょう。
その方が男性か女性かは分かりません。ただ母のカンとしては男性の(略します)
アナタは淫魔として人の精を欲しているようですが、遠くない内に・・・というかコレを呼んでいる時は既にピュアな恋愛を体験していますね。
人は淫魔の魅力に虜になるものですが、人と共に生きた淫魔も恋を覚え人を愛せずにはいられなくなります。
そうでない淫魔もいますが、人間と近しい淫魔ならばほぼそうなるようです。
正直言って、私に母としての勤めが十分にこなせているとは思えません。
きっと清香(多分清香だと思うので、清彦だったらゴメンなさい)に寂しい思いをさせ、もしかすると軽蔑されているかも知れません。
私は淫魔でありながら精をほぼ断ち、ギリギリで生きているような状態ですからね。
辛うじて生きているような状態で、本当に何も出来ていませんね。
俊彦さん亡き今、精の供給源も断たれたようなものですし私の命も長くは無いでしょう。
俊彦さんは本当に素敵な男性でした。
私が淫魔と分かった上で、私の性質に恐怖を感じているのに・・・。それでも恋人として妻として愛してくれたのです。
俊彦さんに強く惹かれた私は、不特定多数の人間から精を吸っていた生活を大きく変え彼以外の男性と行為をしていません。
かれこれもう八年程になるのでしょうか?成熟した淫魔が健康に生きていく為には一日三精はとらないといけません。
まだ幼いアナタには分からないでしょうが、半月や一月に一度の性的な行為(しょくじ)では栄養が足りず生命を維持するのが困難です。
逆に俊彦さんの方も、毎週のように精を吸われ続ければ精欠乏である日突然亡くなってしまう危険があります。そしてつい先日に・・・。
その悲劇を回避するには様々な異性の精を頂くのが一番です。
例えば千人いれば一日三回の精を吸ったとしても十ヶ月に一度という低頻度で吸われる側の命に支障はまずないです。
それでも、敏明さんを本当に好きになってしまった私は彼としかしていませんでした。
他の男性に抱かれて精を頂くなんて考えられなくなりました。
例えこのままでは長く生きられないのだとしても、敏明さんでない男性になびく事は無いでしょう。
しかし、少しだけ。あと少しだけ生きなければいけません。
清香の成長をもう少しだけ見届けるまで、私は生きたいし生きなければなりません。
その為に、他の男性と夜を共にする事でしょう。俊彦さんに対する裏切り行為であっても。
私は命を繋ぐ為に、封印した筈の他の男性との行為を再開する事でしょう。
もし今のアナタが淫魔の本能に忠実で、気の赴くままに人の精を喰らっているのならばそれはそれでいいでしょう。
でも私は淫魔としての欲情ではなく、人間としての愛情を選びました。そして後悔はしていません。
少なくとも、私は幸せでした。他の人の精を吸えなくても、常に飢えと乾きを感じていても、長く生きることが出来なくても。
俊彦さんと出会えた事が幸せな事だと思っています。
淫魔の本能に反し彼以外の男性を立ち続けていた私をアナタはどう思いますか?
しかし彼の死後、封印した筈の他の人との性行為をしてしまう私をどう思いますか?
人との恋事(ロマンチック)に生き淫魔として生きることをやめ、しかしそのロマンも完全には貫けなかった私をアナタはおかしいと思いますか?
どの生き方がいいのかは正直私にも分かりません。ただ、アナタにとって幸せな道であって欲しいと思っています。
このイカレタサキュバスの気持ちはアナタも親になる道を選べば分かります。
ただ、この道を勧める事はしません。困難だらけの道だから。
ただ、くどいようですが私はそれでも幸せです。
彼と結ばれ、アナタを授かり、自分にどれほどの苦行があっても幸せと言い張れるくらい愛や恋はいいものでした。
・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。
母からの手紙を読む前に覚悟はしていたのだが、予想以上に重く濃い内容だった。
つい最近までは中途半端と思い軽蔑すらしていた母だったが、彼女と同じ境遇になってようやく理解できた。
私は敏明さんと一緒になれこれ以上は無いほど幸せになった。だからもう他の男性といたす事は出来ないのだ。
彼は命を繋ぐ為ならば仕方がないと許容をしてくれたが私の方が赦せないのだ。淫魔の私を受け入れてくれた彼に対して浮気だなんて。
ただ、私一人が生き残ったとしたらその誓いを破ってでも生き延びるだろう。お腹の中のこの子の為に。
例え彼に先立たれてたとしも生きなければならないのだ。この子だ育つまで何としても生き延びなければならないのだ。
両親の末路を考えれば、私達の未来は短い茨の道となるのだろう。過酷な上に、長く生きるのが非常に困難だ。
つくづく敏明さんには申し訳ないと思う。そう言うと彼は「お前に言った何があっても守るってこういう事を言うんだろ?」
って笑いながら窘めるんですけどね。
精を吸えば彼が彼果て、吸わなければ私が生きられない。
淫魔が人と同じように恋愛や結婚をする際は命がけだ。
それでも私は、私達は長くない余生を少しでも幸せに生きるのだ。生きねばならない。
両親に似てロマンチストになるであろう、この娘(推定)の為に。
恋に生きた淫魔も幸せになれることをこの子に教えたいから。
だから私達の短い人生は幸せなものにするのだ。
FIN