【2.出逢】
発端は、“彼”──雲母敏明(きらら・としあき)が、臨時バイトの引っ越し作業から帰る途中に、ゴミ回収場とおぼしき電柱の下で一体の人形を拾ったことだった。
先ほど「ニート」と表現したが、俊明は、正しくは「半ニート半フリーター」とでも呼ぶべき存在だった。
食(めし)と住(へや)は実家に頼っていたし、ひと月の大半を自室にこもって過ごしている。とっくに成人した身でそれはあまり褒められた事ではないだろう。
だが、欲しいものを買う小遣い銭程度は、日雇いのバイトやネトオクなどで稼いでいたし、家の共有部分に掃除機をかけたり、食後の皿洗いや風呂洗い程度の家事は自主的に引き受けてはいたのだ。
俊明が女性で時代が前世紀であれば「時々外でバイトする家事手伝い」という扱いで、それほど引け目を感じることもなかっただろう(いつまでも結婚しないという点では肩身が狭かったかもしれないが)。
しかし、彼は男性で、今は21世紀だ。いくら就職難が嘆かれる世情とは言え、若い成人男子が、実家に生活費も入れずに半寄生しているのは、やはり少々体裁が悪い。
本人も気にしてはいたのだが、かといって真っ当に就職活動することもせず、ずるずるとモラトリアムな日々を過ごしていたのだ。
そんな彼が、その日拾ったのは、少女の姿をした全長30センチほどの人形だった。
腰辺りまで伸びた長い真っ直ぐな黒髪が印象的だが、古典的な日本人形というわけではなく、リ○ちゃんやバ○ビーなどに代表される着せ替え人形の一種のようだ。
顔立ちそのものには幼さが残るが、かなり整っており、数年後にはかなりの美人さんに成長することが予想される(人形が成長するかはさておこう)。
着せられているのは臙脂色のエプロンドレス……というよりはメイド服と言うべきか。白いレースのヘッドドレスもそれを裏付けていた。
半引き籠り・半ニートのご多分に漏れず、割とオタク系の嗜好を持つ俊明は、キャラクターフィギュアの類いにも多少手を出していたが、そんな彼の目から見ても、この人形はかなりの価値を持つように思えた。
「意外な拾い物だったなー、明日ケースとか買って来ようかな?」
浮き浮きしながらつぶやく俊明だったが──気付いていないのだろうか?
埃まみれどころか、一緒に置かれたゴミがついて汚れていてもおかしくない、いやむしろその方が当然のはずの人形が、たった今買ってきて箱から出したばかりのように、新品同然に綺麗なことに。
「とりあえず、今日のところは、ココに置いとくか」
ベッドサイドに設置された、マンガや文庫本が沢山詰め込まれたカラーボックス。その天板の上の、普段は寝る時に脱ぎ捨てたシャツやトレーナーを適当に置いている場所に、人形を座らせる。
どのような造りになっているのか、メイド人形の手足の関節は人間同様にある程度自由に曲げることができ、いわゆる「ぺたんこ座り」の体勢をとらせることも容易なのだ。
「じゃあ、な。おやすみー」
なんとなくノリで、そんな言葉を人形にかけたあと、すぐに照れくさくなって俊明は電気を消してベッドにもぐりこんだ。
……
…………
………………
その晩、敏明は不思議な夢を見る。
夢の中で、彼はあの人形とよく似た少女になっており、家庭の都合でとあるお屋敷に奉公に上がることになった。
住み込みで勤めにあがったその屋敷では、メイド見習いとして、掃除・洗濯・料理から裁縫、そして侍女としての作法に至るまで、メイド長や先輩メイドたちから厳しく躾けられたのだ。
その教え方自体はスパルタではあったものの、ソレは決してイビリなどではなく、むしろ未熟な部下/後輩を、少しでも早く一人前にしてやろうという思いやりに満ちた熱心な指導だった。
新米メイドとなった“彼女”自身も、そのことは十分に理解しており、その期待に応えようと懸命に頑張った結果、わずか一年足らずで、若年ながらどこに出しても恥ずかしくない立派な少女メイドが出来上がったのだ。
勤め始めてちょうど一年後のある晩、メイド長、さらには屋敷の主人からも「一人前のメイド」となったことを認められ褒められた“彼女”は、歓喜と感謝の念に満たされていた。
──そう、あのときのわたしは、とてもしあわせだったのだ……
【3.招致】
翌朝起きた時も、その夢の中の一年間あまりのことは、敏明もしっかり覚えていた。
ベッドの上で半身を起こしながら、首を傾げる。
「んー、なんかヘンな夢みたなぁ……ってアレ?」
“ベッドの中で”目を覚ましたことに違和感を覚える敏明。
祖父の代に建てられた雲母家の敏明の部屋は和室で、彼は普段畳の上に布団を敷いて寝ているからだ。
いや、よく見てみれば、ベッドだけでなく部屋自体が見慣れぬ──しかし、どこかで見た気もする、自室とはまるで異なる場所になっていた。
本来の敏明の部屋も江戸間の六畳でさして大きいわけでもなかったが、今いるこの部屋は2メートル半四方ほどで、二回りは小さい。
部屋の造り自体は洋室のようだが、木製の床がむきだしで、壁紙も白を基調にした簡素なものだ。
家具類も、部屋の3分の1程度を占めるベッドを除くと、高さ1メートルほどの箪笥らしきもの入れと、幅50センチほどの小さな木製の机。その前に置かれた簡素な木の椅子くらいのようだ。
そして何より驚かされたのは、敏明もよく見知った衣装──臙脂色のメイド服が、ハンガーに掛けて壁のフックから吊るされていたことだった。
「あ、あれは、夢で“あの子”が着ていた……!?」
そう口にした瞬間、自らの声が昨日までと全く異なるか細く可憐な声音になっていることに気づいた。
「え?」
ハッとして視線を下に落せば、今自分が着ているのは、簡素なワンピース状の生成り木綿の寝間着だ。
体つき自体もそれに見合って華奢になっているし、咄嗟に持ち上げた両掌も昨日まで目にしていたそれと比べてふた回りは小さい──そう、まるで年端もいかない女の子のように。
「うそ……」
軽く頬をつねってみるが、確かに痛みを感じるし、何よりすべすべした肌の感触自体が、本来の自分とは違い過ぎた。どうやらまだ夢の中ということはなさそうだ。
意を決してベッドから降り、ベッドサイドに置いてあった赤いスリッパに素足を突っ込むと、敏明(もしくは自分を“そう”認識している人物)は、手櫛で髪をかき上げながら机の隅に置かれた鏡を覗き込む。
──本人は気付いていないが、半ば無意識に行われたその行為は、「まるで何がどこにあるかわかっているかのように」妙に手慣れた仕草だった。
「! や、やっぱり……」
先程から、どこか予想していた通り、鏡に映る彼の顔は女性、それも昨日拾って来たあの少女人形を彷彿とさせる幼いが整った顔立ちへと変化していたのだ。
──いや、そもそもこれは「変化」なのだろうか?
自分の部屋で目覚めて“そう”なっていたら確かに寝ている間に自分の身体が変化したという公算が強いが、今、“彼女”がいるのは自室とまるで異なる場所だ。
誘拐されて少女の身体に脳移植されたとか、あるいはオカルトな話だが、睡眠中に幽体離脱した魂が、この娘の身体に憑依してしまった──という方が、むしろありそうな話ではないだろうか?
もしそうだとしても、今の自分とあの人形との関係が気になるところだ。これだけ顔が似ているのだから、よもや無関係ということはないだろう。
脳移植にせよ憑依にせよ、この(今の自分の身体となっている)少女をモデルに、あの人形は作られたのかもしれない。
だとしても、人形を拾っただけの自分が、どうして(現在進行形で)“こんなこと”になっているのかまでは、どうにもわからない。
「マンガとかラノベとかだと、あの人形に魔術的なトラップが仕掛けてあって、アレに触った者が、魂がないカラッポのこの身体に飛ばされる仕組みになってたとかいうネタがありそうだけど……」
「まさかねー」と思いつつ、現状では否定できない──どころか、むしろそれなら巧く説明できてしまうあたりが恐い。
いずれにせよ、このままこの部屋でぐたぐだしていても、事態の進展はないだろう。
「仕方ない、か」
とにもかくにもこの部屋から出て“お屋敷”の中を探索してみようと決める。
某ハイジが着ていたようなシンプルな貫頭衣風の寝間着を脱いで、「箪笥の一番下の段から、白無地のシュミーズを取り出して」着替える。
ベッドに腰掛けて、「黒いストッキングに足を通し」、ベッド脇に置かれたアンクルストラップタイプのフラットパンプスに履き替える。
「なんの躊躇いもなく」壁のハンガーから外したメイド服を手に取ると、頭からかぶって袖を通し、「器用に背中のボタンを留め」、レースの多いエプロンの紐を腰の後ろで締める。
「一応、髪の毛も“ちゃんと”しておいたほうがいい、かな?」
鏡を覗き込みながら、「手慣れた仕草で」寝乱れた黒髪を軽く櫛で梳く。真っ直ぐな髪質のおかげか、殆ど抵抗感なくスーッと櫛が通るのが救いだ。
最後にメイドの象徴ともいうべきホワイトブリムを頭に着け、念のため鏡で服装チェックして、「いつもと変わりがない」ことを確かめると、“少女”の姿をした敏明は、思い切ってドアを開け、部屋を出て行った。
──自分が、如何に「異常な」、あるいは「普通過ぎる」行動をとったかに気付くことなく。
【4.種明】
部屋から出た場所は(先程“敏明”が思った通りに)お屋敷、それも少し古めの洋館と呼ぶべき造りの建物だった。
(なんでだろう、初めて来る場所のはずなのに……なんとなく造りがわかるかも)
不思議な感覚に首を傾げつつ、それでも屋敷の一番奥にある主人の書斎兼仕事部屋を目指す。
目当ての場所の前まで来たところで、軽く深呼吸してから、“敏明”はコンコンと扉をノックした。
「──入りなさい」
どこかで聞いたような声に促され、ドアを開けて部屋の中に入ると、部屋の奥の窓際に、ひとりの男性が立っているのが見えた。
入ってすぐは、ちょうど朝陽が逆光になって顔がよく見えなかったが、しばらくすると目が慣れたのか、相手の顔がわかるようになった──のだが。
「え!? そ、そんな……」
仕立ての良い英国紳士風のスーツに身を包んだその男性の顔は、雲母敏明自身と瓜二つに見えたのだ。
いや、よく見れば20代半ばの敏明よりは4、5歳年かさで、30歳手前ぐらいのようだ。
しかし、年齢を除けばそっくりだという点には間違いはなかった。
「あ、貴方は誰、ですか?」
反射的に「あんた誰だよ!?」と詰問するつもりだった──にも関わらず、メイド少女の口から出たのは、いまひとつ自信なさげなそんな言葉だった。
どういうワケか、この男性の前では「乱暴/粗野な言葉遣いをしてはいけない」ような気がするのだ。
「ふむ。その口ぶりからすると、おおよそ問題なく「定着」しているようだね」
少女メイドの身体を、まるで魂までも見透かすような視線でしばし眺めていた男性は、窓際から応接セットの前へと移動し、ソファの片方に腰を下ろすと、ローテーブルを挟んで反対側のソファに座るよう促した。
(「自分なんか」がこんなトコロに座っていいのか)
そんな正体不明の躊躇いを一瞬感じたものの、あえてソレをふりきり、ソファにちょこんと腰掛ける。
“彼女”が話を聞く体勢になったのを確認してから、男性は再び口を開いた。
「ではまず、今君が疑問に思っているだろう現状について説明しよう」
男性の言葉を信じるなら、この男性は一般的には死神──というよりは悪魔に近い存在であり、あの夢の中で見たメイド少女が死ぬ直前に、少女と“契約”を交わしたらしい。
契約内容は、少女にメイドとしての暮らしを全うさせること。ただ、契約を結んだ段階で既に少女の身体は回復不可能なほどの損傷を負っており、そのままでは契約(のぞみ)の履行が不可能だったらしい。
「とりあえずの仮初の器として傀儡の体を与えた後、少女の魂と波長の合う人物を探していたのだ」
「それが私、というわけですか」
流石に話の流れから、敏明にもその程度の想像はついた。
「然り。君の協力を得られるなら、我は契約を履行でき、少女は望みを叶えることができる。無論、君にも“報酬”としての対価は渡そう」
「報酬、ですか?」
「うむ。君は──勤め先を捜しているのではないかな? それも「快適で自分の能力を十全に活かせる働きがいのある」職場を」
「!」
正解だった。これがお金や物なら、余程の代物でなければ敏明は惹かれなかっただろうが、「条件の良い定職」はまさに彼がここ数年切望しているものにほかならなかった。
「少女の願いを叶える期間は1年間だ。1年間、君は少女に身体を“貸す”ことになる。と言っても、メイドとしての業務以外では、君の意思が優先されるから、それほど不自由はないだろう」
男の説明によれば、今の敏明の身体にはあのメイド人形ごと少女の魂が同化・融合し、体内に魂がふたつある状態らしい。
「1年後に少女が満足して“逝ける”ように協力してくれれれば、その後、君に先ほど言った報酬を用意しよう」
敏明自身の家族には「敏明は1年間、国外で出稼ぎを兼ねた旅行をしている」という暗示をかけてくれるので、騒ぎになることはないらしい。
ここまでお膳立てを整えられて「NO」と言えるほど敏明は心臓が強くないし、実際夢の中で見たメイド少女には好感を抱いていたので、「あの子の最期の望みなら叶えてあげたい」と感じているのも事実だ。
「わかりました。私でよければ協力します」
──こうして、敏明は、現世では仮初に聖彦(キヨヒコ)と名乗る男のもとで、1年間、少女メイドとして働くことになったのだ。