【その後……】
私立逢坂聖神女学院は、中・高・大の計10年教育で「日本の未来を支える女性を育てる」ことを謳う、いわゆる“お嬢様学校”だ。
いわゆる偏差値的にはそれほど高くない。私学全体から見ても、せいぜい中の上といったところか。
反面、良妻賢母(の卵)を送り出す御嬢様学校(ブランド)としては、関東で五指、日本全体でもおそらく十指には入るだろう。
その聖女(逢坂聖神女学院の略称だ)で、三月半ばのとある晴天の日、この季節にふさわしい行事──卒業式が執り行われていた。
もっとも、「卒業」といっても、大半の生徒はそのまま同じ敷地内にある高等部へ通うようになるだけだ。
「一流大学を目指し、もっと偏差値の高い高校へ進学する」優等生組と、「聖女のお堅い気質が合わなかったので、もっと自由な校風の高校に進学する」者も、ごく少数いることはいるが……。
「小野さん!」「キララちゃ~ん」
校門の手前で、背後から名前を呼ばれて振り向いた生徒、「小野キララ」は、親しいクラスメイトふたりの顔を見て、人形めいた無表情な美貌の口元をわずかにほころばせる。
──いや、正確にはクラスメイト“だった”か。
先程、卒業式が終わり、3年A組最後のHR(ホームルーム)も済んだ以上、彼女たち双子の姉妹・朝倉恵恋(えれん)と朝倉花梨(かりん)とも、同じ教室で過ごす学友という関係ではなくなったわけだから。
「恵恋さん、花梨さん、何かご用でしょうか?」
軽く小首を傾げる少女だったが、近寄って来た恵恋と花梨にガシッと両手を握りしめられ、内心「おぅっと!?」と驚いている。
「小野さん、高等部に進学せず、このまま学校を辞めるってホントですか?」
「しかも、あたしみたいに、別の高校に進むってワケでもないのでしょう?」
どうやら誰か(おそらく担任か?)から情報が漏れたらしい。
「はい。高校進学はしないつもりです」
誤魔化すこともないだろうと、キララは正直にそのことを認めた。
そう、80年あまりのこの聖女りの歴史の中で、キチンと(しかも学年TOP10クラスに優秀な成績で)中等部を卒業したのに、高等部や他の高校に進学しなかった唯一の生徒が、この秦広キララなのだ。
クラスで一番仲が良かった朝倉姉妹は、納得がいかないようだったが、これが1月2月ならともかく、3月の卒業式当日ともなれば、今さら後の祭りだ。
しばらく話し、キララの決意も堅いことを理解してくれた。
「じゃあ、進学しないのなら、就職するのかしら?」
「勤務先は決まっているんですか?」
「“はい”というべきか“いいえ”というべきか少し悩みますね。確かに働き口は決まっていますが」
キララの微妙なもの言いに、双子は顔を見合わせ、異口同音に問い掛ける。
「「どういうこと??」」
キララいわく、自分を引き取ってくれた遠縁である今の家──小野家で、主である義父が外に出て働いている間、家内のこと全般をとりしきることになるのだという。
字義通りの意味での“家事手伝い”、いやむしろ“専業主婦”という方が正しいのかもしれない。
朝倉姉妹は驚いたものの、キララとの付き合いはクラスの誰よりも深い。
大人しげに見えて、言い出したらきかない頑固な性分なのはわかっていたので、その選択に異議を唱えることはなかった。
「小野さんのお家って、確か東葛山の中腹にある……」
「一度だけ招いたもらったけど、素敵なお屋敷よね」
朝倉姉妹の親も資産家で、家もそれなりに大きな豪邸だが、造り自体は比較的モダンな代物だ。対して、キララの方の“家”は年季の入った明治大正の時代からありそうな“洋館”とでも称すべき建物だった。
「これからも週に一回、土曜か日曜は買い出しがてら、街(こちら)の方に出てきますから、ご都合がつけば、またお会いしましょう」
という言葉でふたりとの会話を締めくくると、ニコリと笑って秦広キララは、2年生の春に転入してから丸2年間通った、逢坂聖神女学院をあとにしたのだった。
──プップーッ!
クラクションの音に、彼女は見慣れた自動車(カローラ)が校門のそばに来て停車していたことに気付く。
あわてて駆け寄り──だが、ハンドルを握っているのがいつもの運転手の木乃伊男ではないことを目にして当惑する。
「だ…義父(おとう)さま、どうして?」
「なに、義娘(むすめ)の晴れの門出の日に、父親が迎えに来ることは別段珍しくもあるまい。乗りなさい」
平素より心なしか明るい色のスーツを着込んだ“義父”に促されて、少女はいつものリアシートではなく、助手席に乗り込んだ。
「いったいどうされたんですか、義父さま?
……それとも、もう旦那様とお呼びした方がよろしいですか?」
「特に問題ないなら“父”の方がよいな。今日は“娘”のお祝いに来たつもりだから」
* * *
「メイドのキララ」として生きていくことを選んだ“彼女”に対して、死神悪魔が最初に命じたのは、「学校に通って少なくとも義務教育を終える」ことだった。
無論、キララは、自分は元は(三流私立とはいえ)浪人も留年もせずに大学を卒業した身であると主張したのだが、「それはあくまで男としてだろう?」と言われると、否定はできなかった。
「今後、現世との関わりが必要な際は、君に表に出てもらうことも多くなるだろう。その際、現世における確固たる身分がある……と同時に、外見通りの若い娘としての常識や習慣を身に着けていることが望ましいのだ」
そんな風に理路整然と説得されては、キララとしても自分にそれらが欠けている自覚があるだけに、承諾するしかなかった。
そして、主従ふたりだけでなく伊野樹(ミイラ)や司書(ヴィオレッタ)まで巻き込んだ相談の結果、キララは一週間後の4月半ばから「最寄りの街にある私立女子校に中等部2年生として通う」ことが決定したのだ。
──ちなみに、「最短の1年で済むよう中3からでよい」とキララが主張したのに対し、ヴィオレッタは「この際、中1からみっちり3年間、女子校生活をした方がいいんじゃないかしら?」と反論。
最終的に両者の中間の2年生を推した死神悪魔と彼に同調した伊野樹の意見が採用されることとなった。
また、それを実現するに際し、カバーストーリーとして「事故で両親を喪った少女が、遠縁の男性に養女として引き取られ、この街に引っ越して転校してきた」という設定も同時に考案される。
同時に、死神悪魔は「小野秦広(おの・やすひろ)」という偽名を現世では名乗ることを決める。必然的に少女は「小野キララ」となるわけだ。
ちなみに、“小野”は人間でありながら冥府の役人を務めていたという小野篁(おののたかむら)から、“秦広”は地獄にいる十人の王のひとり秦広(しんこう)王から取られている。
閑話休題。
かくしてこの2年間、彼女は逢坂聖神女学院の女生徒として平日を過ごすこととなったのだ。
前述のとおり、学業に関しては学年10位内をキープし、品行も方正、部活の薙刀部では3年時に副部長も務める──という、非の打ちどころのない優等生だった。
残念ながら親しい友人と呼べる存在は、かの朝倉姉妹以外には2、3人しかできなかったが、これは、小柄な体躯の割にどこか大人びた雰囲気を持つキララに、周囲の娘たちが気後れしていたのかもしれない。
もっとも別段敬遠されたりハブにされたということもなく、むしろ一目置かれていたが故なので、一概に悪いとも言えまい。
通学が屋敷からクルマでの送迎になるため、放課後友人と自由に遊ぶ時間があまりとれなかったという欠点はあったものの、結果的に見れば“彼女”は女子中学生生活を十二分に謳歌したといってよいだろう。
卒業が近づくにつれ、義父たる秦広は「そのまま高等部に進学してもよい(むしろその方が良い)」とも言ったのだが、義娘(キララ)の方は、これ以上女学生を続けるつもりはないらしかった。
「一般的な若い女性として必要な教養や常識、習慣や身ごなしなどは、もう十分身に着いたと思いますから」
それよりも、彼女としては、この2年間、土日くらいしか十分にできなかった屋敷内の清掃保全(メンテナンス)の方に力を入れたいと主張。
「(おとうさまに、手の込んだお食事も食べさせてあげたいですし)」
──どうやら、メイドさんスピリッツに微妙にファザコン風味まで混じって、“お世話したガール”度も、さらに上がっているらしい。
* * *
クルマに乗った父娘(ふたり)は、十数分後、秦広が予約したそれなりの格のレストランで、向かい合って席についていた。
「では、我が愛娘たるキララの中学卒業を祝って、乾杯」
「乾杯! ありがとうございます」
ワイングラスをぶつける──ことはせず、互いに軽く掲げてから口をつける(無論、キララのグラスの方はノンアルコールだ)。
礼儀正しく食事をとりつつ、口数は少ないが笑顔で歓談する彼らの様子は、周囲から見れば紛れもなく「仲の良い親子」に見えた。
小一時間後、味覚のみならず精神的にも楽しいひと時を過ごしたふたりは、レストランを出て併設されたガレージに駐めたカローラまで歩み寄る。
「しかし、その制服姿(かっこう)も今日で見納めか。少し淋しい気もするな」
クルマの横に立つキララの全身に、秦広の視線が向けられる。
丸襟の白い長袖ブラウスの上に、前身頃に6つ飾りボタンのついた濃紺のジャンパースカートを着用し、足には黒のオーバーニーソックスを履いた逢坂聖神女学院中等部の制服姿は、可愛くて上品だと親からも生徒からも評価が高い。
「クスッ、もしお望みでしたら、こちらを屋敷(いえ)での制服にしてもよろしいのですけど?」
右手の人差し指を唇の端に押し付け、悪戯っぽい微笑を浮かべるキララ。この2年で、そんな小悪魔めいた仕草もできるようになったらしい。
「む、魅力的な提案だが、遠慮しておこう。それに──君にはやはり、あのメイド服が一番似合うと思うからな」
「はい、ありがとうございます♪」
どんな華麗なドレスよりも、(本来は作業着である)メイド服の方が似合っているというのは、人によっては侮辱ととられかねない言葉だが、生憎キララにとっては、この上ない賛辞だった。
そして、2時間後、クルマは彼らの“家”にたどり着く。
「それでは、旦那様、明日からはまたメイドとしてよろしくお願い致します」
服装こそ制服ながら、娘ではなく侍女(メイド)としての立ち居振る舞いに戻ったキララが、丁寧に頭を下げる。
「ああ、こちらこそ頼む──いや、少し待った」
「? なんでしょうか?」
小首を傾げるキララのもとに歩み寄った死神悪魔(やすひろ)は、身をかがめて彼女の耳元に囁く。
「君はこの家のメイドであると同時に、我の養女(むすめ)となったことも変わらぬ事実だ。
時々は今日のように外で“父と娘”として過ごすことを望んでも、よいかな?」
「! はい、喜んで、旦那様(おとうさま)♪」
~おしまい~