D7片「回答//解答」
「撫子さん、ちょっと聞きたい事があります」
考え続けていても状況は打開される訳でなし。
翌日。お互い休みの日の朝早く、起きて挨拶を交わした直後に切り出した。
「…何かな、みーくん?」
「まぁ…、なんと言いますか。聞きたい事はいくつかあるんですが、それをどう言ったらいいのか分からなくて…」
「…良いんだよ、無理矢理すぐに出そうとしなくって。今日出てこなくっても、言いたくなったら言ってくれて良いから」
「ありがとうございます。でもできれば、すぐに解消したいなって思って…」
少しだけ優しい表情で、少しだけ後回しにしても良いと言いながら、撫子さんはベッドの中で俺を見てくる。
俺もすぐに言葉を出すのではなく、言うべき内容を考えて文章を組み立てていく。どう切り出したらいいのか、さっぱりわかっていないからだ。
出てくるのは、疑問の言葉。…うん、どう聞くかは決まった。
「…撫子さんは、どこから知っているんですか?」
「どこから…って? どこまでのお話かな?」
「あの鬼の事とか、バケモノの世界の事とか…、俺の所にやって来れた理由とか…、とにかく、全部です」
「全部か、…全部かぁ。そりゃそうだよねぇ…」
困ってるような表情で、撫子さんは大きくため息を吐いた。何か都合が悪い話でもあったのだろうか。
…いや、こんな質問だ、どこに当たろうが都合がいい筈がない。
「じゃあ全部って言うから…、順を追って話していくよ。長くなるから、コーヒー淹れてきていい?」
「お願いします。コーヒーは俺が淹れてきますね」
席を立って一階の台所に向かうと、胡桃ちゃんがご飯を作ってくれていた。
菫ちゃんは俺の方に気づいて挨拶をしてくれる。
「おはようございます、今日のご飯は胡桃の番ですから、おいしいですよ」
「うん、ありがとう。でも俺達はちょっと後で大丈夫だから」
「…そうですか。程々にしてくださいね?」
多分菫ちゃんは、俺達がこれから起き抜けでセックスするとでも思ってるのかもしれない。
…今はそれでいいとしておこう。別に話の内容によってはするかもしれないし、しないかもしれない。否定なんてできなかった。
ポットのお湯でドリップコーヒーを淹れて、撫子さん用にはミルクと砂糖を入れておく。
俺はミルクだけを入れ、2人分のコーヒーは完成した。
カップを持って二階に上がり、自室に戻ると、撫子さんは顔を上げて待ってくれていた。
「おかえり、みーくん」
「はい、コーヒーです。…答えにくい事でしたら、答えなくていいですから」
「そんな訳にはいかないよ。せっかくみーくんが訊いてくれたんだから」
彼女自身も、この質問が来るのは想定していたのか、していなかったのか。…多分、前者だと思いたい。
だから真剣に悩んで、どう答えるか考えていたのだろう。
「…それで、全部だったっけ。どこから切り出した物かな…」
甘いコーヒーを三口飲んで、湯気と共にため息を吐きながら撫子さんは口を開く。
「どこからでも良いですよ。…撫子さんのこと、これだけ付き合いがあっても殆ど知りませんからね」
「そりゃそうか。…じゃあ、最初にみーくんが言ってくれた事から言うね」
そうして、彼女は俺に伝えてくれた。
「あの鬼の事は知ってたの。別に個人的な知り合いって訳じゃない。向こうの存在が大きかったから、伝手もあって知ってたの。
バケモノだけど人間のような、自分を人間だと思い込んでるバケモノ。それと姿くらいしか知らなかったから、アレで顔を合わせたのは最初よ?
鬼全体のことはざっくり知ってるつもりだったけど、言われりゃ確かに、人間臭かったなって思ったりもしたな…」
そうして口を潤しながら、彼女は続ける。
「バケモノの世界に関しても同様に知ってる。知らずに生きてきた訳じゃないし、知らないと存在できなかったっていうのもあるの。
普通の人間なら決して覗き込む事の無い、常闇の世界。知れば知るほど抜け出すことのできない深淵の世界。
…みーくんは片足を突っ込みかけてるけど、まだ入りきってないから逃げられる。そんな世界だよ」
「そこからやってきたのが、あの鬼なんですね」
「そゆこと。アイツだった事に、少し感謝かな。…純粋な鬼が来てたら、たぶんみーくん死んでたし」
あっけなく「死んでいた」と告げてくる撫子さんに、俺は少し寒気がした。
確かに彼女は色んな事を、あっけらかんとした表情で言ってのける事はある。今回もそうだと思っていたかったが、違うのだ。
今回の言葉は、今までとは違う重みを持っていた。
俺が死ぬ。
その可能性ですら、彼女はあっけなく、いつもと変わらない表情で口にした。それが少しだけ恐ろしかった。
「…みーくんの所に駆けつける事ができたのは、まぁ近くにいたからかな。
マーキングって訳じゃないけど、近くにいるから感じられるもののおかげって事で理解してくれると嬉しい。
乙木の時もおんなじだよ。みーくんに危険が迫ってるって気付けたから、あぁやってやって来れたわけ」
「…それは、ありがとうございます。あの時は本当に死ぬかと思いましたから」
「あの時もその時も、みーくんが死ななくてよかったよ、本当に。それだけ大事に思ってるんだから」
コーヒーをまた口にして、サイドテーブルに置く。
そうすると今度は、しっかりと俺の方を見てきた。
「…大事に思ってるから、いつかこんな日が来るかもとは思ってた。言うか言うまいかずっと悩んでたけど…、みーくんが訊いてきたんだから、言うね」
心臓が早鐘を打ちはじめる。果たして何を言うのだろうか。
その疑問はすぐに明かされる。
「…実はみーくんに能力をあげたのは私だったのです」
D8片「事実//現実」
…まさか、と思ってしまった。
あの時冗談だと思っていて、受け流すように答えたあの言葉が、もう一度形を伴って俺の前に突き付けられたからだ。
あの時。この言葉を投げかけられた時、俺は撫子さんに『俺に対しては正直であってほしい』と願い、そうして軽く刻み込んだ。
それをした上でこの言葉が出てきたという事は、つまり。
「……本当、なんですか?」
「本当だよ」
声を震わせながら、ようやく引きずり出した言葉に対して、撫子さんはにべもなく答える。
視線だけはそらさずに答えてくれるからこそ、その言葉が本当なのではないかという確信が、どんどんと俺の中で大きくなっていく。
「…それに、みーくんも薄々気づいてるんじゃないかと思うんだけど、本当の私は人間じゃないの」
追撃をかけるように、撫子さんは言葉を告げてくる。
…人間じゃない? 今こうして話している人間が、本当はあの鬼と似たような存在だというのか?
「言うだけじゃ信じられないよね。…ちょっと待っててね、みーくん。証拠を見せるよ」
そう言いながら撫子さんはベッドに体を横たえる。そうすると、何かが起き上がってくるのが見えた。
撫子さんの中から、人型をした靄のようなものが起き上がり、そうして次第に形を整えていく。
姿がはっきりと見えるようになると、まるでおとぎ話に出てくるような女神の羽衣を纏った存在が、静かに俺の前に立っていた。
…そう、存在だ。一見すれば女性のような顔立ちをしているけれど、開かれた胸元は明らかに男性的な胸板で、どちらとも取れないような見た目をしている。
「…ごめんね、みーくん。本来ならば隠し通すつもりではあったのだが、私が軽率だったよ。君大事さにあの鬼に食って掛かったのは良くなかったのかもしれないね」
声色も全然違うのに、どこか撫子さんの口調で話してくる。
思えば彼女の口調は女性的すぎる訳ではなく、フランクに話しかけてくる男友達のような感覚がしていたのは、今更だろうか。
けれど撫子さんは、いや、撫子さんの中に入っていた存在は、俺が落ち着くのを待つことなく話しかけてくる。
「…順を追って話そうか。私は“縁結び”の神で、本来は君の家に祀られていたんだ」
…そういえば、俺の実家は大きい。そういう家に限って存在する神棚にも、幼心に何か祀られていたなという記憶はある。けれど、それが彼であったというのか?
「具体的な仕事は、信者に良縁を接ぎ、悪縁を解く。それだけしか力の無い、まぁ弱い神だったと思うよ?」
「…じゃあ、どうして両親を見殺しにしたんですか。神だっていうのなら、助けられる縁は接げたはずですよね…」
「それは無理なんだ。彼等はあの年齢で死ぬ。そう定められていたから」
「…無理だっていうのはわかりました。それがどうして…、あの親族連中についていかなかったんですか?」
次に気になったのはそこだ。神は信者を大事にするのだろうから、人数的に向こうの方につくのだと思っていたから。
「簡単だよ。彼等は家の資産だけを狙っていたからね。私の事など見向きもしない。それよりは、きちんと祀ってくれていた彼等の子である君を見守っていたかった」
「じゃあ…、あなたの力があれば、乙木達との縁もできなかったと思うんですけど、それはどうしてですか?」
「それは時間間隔の違いとしか言いようがないね…。気付けば彼等は死んでいて、気付けば君が出て行って、悪縁が結ばれていたんだ。…すまない」
「…そうでしたか。じゃあ良いです、あなたの所為じゃないって言うんですから」
そうして次に気になるのは、撫子さんの事だった。
「…日浦撫子には悪い事をしたと思ってるよ。たまたま君の隣に住んでいる、少しダメな人間。近くで見守る為にこれ以上的確な人間はいなかったからね。
だから彼女の体を借りて、彼女を装って、君を直接的に見守ってきたんだよ」
「…俺と知り合ったのは、“あなた”が撫子さんになってからですか?」
「いいや。君は確かに「日浦撫子」と知り合っているとも。…その全てをこちらが使わせてもらっているだけでね」
「…ダメ人間を装いながら生活するのは、最初の内は中々にしんどかったよ。だって私神様だし、それなりにしっかりとしているつもりだったんだから。
酒を飲んで酔い潰れて、みーくんに後処理を頼むのなんて、最初の内は申し訳無さでいっぱいだった。信者の子供にこんなことをさせるなんて、神様としちゃ失格レベルだからね」
「…いつから、撫子さんになってたんですか?」
「それは…、あの日だよ。酔ってみーくんに抱かれた日。…いや、襲った日だったかな」
成程、とある種の合点がいった。隣の部屋にいるからと言って、酔っているからと言って、いきなり襲ってくるだろうか。
多分何かしらあったんだろうなと思ってはいたが、まさか別人だったとは。
「…そこから、日浦撫子として生活していき、人間としての尺度でみーくんの生活を追っていった。…私が何もしなかったから、反動であんな連中に目をつけられてしまったのだと思うと、やってられなかったね。酒が進んだよ」
「自分で飲んでたんですか」
「てへ♪」
…この神様は、元来こんな性格なのだろうか。それとも「撫子さん」を装っている内に、こんな性格になっていったのだろうか。
それは良いや、今気にする事じゃない。
「…そうして時間が経っていくうちに、私にできる事は無いかと思ったんだ。悪縁を遠ざけるだけならできたが…、仮に私がいなくなっても大丈夫なようにはできないか、と思ってね」